の
た
め
の
邪
魔
な
広
告
よ け ス ペ ー ス で す。
2010年1月31日(日)
<<また訃報>>
朝食の後、いつもの日曜日と同じく新聞の日曜版の「7つの間違い探しクイズ」
と「クロスワードパズル」を制覇し、さてと今日は数学やって、野暮用やって、
スポーツクラブに行って、酒飲んで、また数学やってと色々胸算用。さて、そ
の前にメールとブログのチェック。やや!?某大学教授で学生時代の友人U君
が急逝したと!?至急情報確認。本日18時通夜、明日11時告別式。会場は
奈良県某市某所(えらく辺鄙なところだな)。
U君は学生時代の同級生である。正確には一浪した私が1学年下だが、体 育会じゃああるまいし、少なくとも当時の京大数学科は1,2年の学年の違い はあまり関係無い。ハーツホーンの代数幾何学のテキストを読む自主ゼミ(私 はさっぱり理解できなかった)で一緒になったのが切欠で、学生時代の私にとっ ては兄貴分みたいな存在だった。しかし大学卒業後10数年間は「数学挫折組」 の引け目もあって一切連絡を取っておらず、私が数学に転向した頃、「奇跡的 に数学に戻ってきました」と私の方からメールを出し、何度かやりとりした程 度。専門が少し違うので、学会で顔を会わすことも滅多に無かった。
U君は特に代数が良く出来たので、私は代数の教科書を持っていって「こ の部分が分からないから教えてくれ」というような質問をしょっちゅうしてた。 彼はニコニコしながら「これは難しいことじゃなくって、こうなんだよ」って 感じでいつも快く教えてくれた。それでも分からんとしょげている私に、「高 山君、数学って人の説明聞いただけですっと分かるもんじゃないよ。自分で苦 労して勉強しないと本当には分かんないはずだよ」と励ましてくれた。かれこ れ30年ぐらい前の話だけど、犬でも忘れぬ一宿一飯の恩義!ではないが、こ ういうことは生涯忘れることはなく、万障繰り合わせの上、タクシーと琵琶湖 線と奈良線の快速と鈍行を乗り継いででも通夜に駆けつけるのである。
数学ではU君にてんで頭が上がらなかったのだが、私は自主ゼミ飲み会の 2次会の店で、泥酔して半ば気を失っていたU君の口から突然あふれ出したゲ ロを素手で受け止めたことがある。店を汚してはまずいと思って咄嗟に両手を 出して受け止めたのだが、ゲロはとめどなく出てきて両手では受け止めきれな くなってくるし、他の仲間達はびっくりして腰をぬかしているしで、店の人に バケツを持って来てもらうまでが大変だったのだ。かくして、「俺はU君の生 温く酒臭いゲロをこの手で受け止めたんだぞ。頭が高あーい!なおれ!なお れ!」というのが、私の自慢のひとつとなった。何であれ自慢できるものがあっ て人生に自信を持てるって、いいことだな。ホント。
それにしても、全く何であんないい奴がこんなに早く死んじまうんだろう ね。あの頃一緒に勉強してた仲間でも、「高山君が大学院に落ちるのは不思議 でも何でもないね。ははははははははははははははははははははははははははー あ」(ああ、確かに不思議でも何でもなかったさ)って笑い死にしそうになり やがった超秀才野郎も、演習の時間におそるおそる「○○空間は△△性を満た すよね」と聞いたら「当たり前じゃないですか(怒)!」(確かに当たり前だっ たんだけど)と青筋立てて怒りよった別の超 秀才野郎も、「何や、このドン臭い解き方は?こんなん、アカン!」 (確かにドン臭い解き方だったけどね、それが何か?)と私のノー トにいきなり大きな×印を書きよったまたまた別の超秀才野郎も、みーんなぴ んぴんしてやがるのに。やっぱり世の中、間違ってるよ。
通夜の行き帰りの電車の中では数学。昨日、バスの中で、面識の無い某偉 い先生を捕まえて質問しよう思ってた謎が、帰りの電車の中でようやく解ける。 「自分で苦労して勉強しないと本当には分かんないはず」だよね、U君。
2010年1月30日(土)
<<訃報>>
朝、メールをチェックしたらE. Viehweg先生の訃報。代数幾何学の大御所で、
Herzog先生のエッセン大学の同僚。2004年に私がエッセンに滞在したとき、
その前の2000年にも滞在していた事を覚えていてくれて、エレベータの所
で偶然一緒になったとき、「おや、君、前にもここに来てたよね。Jürgen
(Herzog)の所だったっけ?」と声を掛けてくれた。昨年の9月に少し相談ごと
があって、「前にエッセンに2回ほど滞在した高山ですけど覚えておられます
か?つきましては、、、」と恐る恐るメールを出したのだけど、とても親切に
対応してくれた。「今、中国に来ていて2週間ほどしたらドイツに帰るけど、
その時になってもまだ君の問題が解決してなければ遠慮なく連絡してくれ」と。
今秋からドイツに滞在する際、Viehweg先生のセミナーにも参加させてもらお
うかと思ってた矢先。お元気そうに思えたのに、それから半年もたたないうち
に病魔で倒れるとは。何でこうなっちゃうの?
今日はドイツ語寺子屋の日なので、慌てて予習をして自宅を出るも、力が 抜けたような気分。あまり付き合いの深い間柄では、というよりも、直接 話したこともほとんど無かったような間柄だったけど、研究面では Viehweg先生の仕事に関連したことをやって行こうとしてたところだし、 物凄く偉い数学者なのに恐くも冷たくも意地悪でもなく、私にとってこの人は 数少ない美しい思い出だけに包まれている。そういう人が突然亡くなるというの は、案外こたえるものである。
よく誰かの葬儀で、近親者も知らない遠い間柄の人が遠方から駆けつけたり するのは、こういう場合だったりするのではなかろうか。「いえ、先生のことは 以前から存知上げておりましたが、お会いしたのはほんの1,2度だけです。 色々あってあの頃身を崩していたチンピラの私に優しい言葉を掛けてください まして、その時のご恩は一生忘れません」みたいな。これ、あくまで一般論の 例え話よ。
犬でも一宿一飯の恩義は忘れないのだから、チンピラにもチンピラなりの 義理人情の流儀があって、私の場合も胸の内では、近くのこの人が亡くなっても 「あの馬鹿、とうとうクタバリよったか」ぐらいしか思わなくても、遠くのあの人 が亡くなったら電車を乗り継いででも葬儀に駆けつける、というような区別が ちゃんとついているのである。でもドイツまでは、、、流石によう行かんわ。 後日、墓参りぐらいさせてもらおうかと思うけど。
訃報メールは、奥様で同じく代数幾何学の大御所H. Esnault先生からの ものがメーリングリストで転送されきた。(ダイアナ妃の葬儀の時にも朗読さ れた)ヒューグラントの映画"Four weddings and a funeral" で使われた W.H.Auden の詩"Funeral Blues"の一部が添えられた、深い悲しみを短く 美しい言葉で語った文面。こういう時にこんな言葉がすっと出てくるのだから、 この人も凄いなと思った。日頃、とっさに出てくる言葉がウソばっかしという オジサンを見慣れていると、正しく美しい言葉で語れる人がことさら 際立って見える。これが人間の格の違いってもんよ。
寺子屋に向かうバスで偶然京大の某有名代数幾何学者と一緒になった。 まだ訃報のことを知らないのかしら。「先生、Viehweg先生の件、ご存知です か?つきましては、先生の書かれた教科書のこの部分なんですけど、私、全然 分からなくて、かれこれこの2週間ぐらい七転八倒してるんですけど、ちょっと 教えていただけますか?」と迫ろうかと思ったけど、面識の無い偉い先生をバス の中でいきなり捕まえて、ドサクサ紛れに質問するってシチュエーションって どうよ?と思って踏みとどまる。じゃあ、訃報の件だけ話そうか。でも「ところで 貴方、誰?」みたいな話になって自己紹介させられて、「あっ、そう」で会話 が凍りついて気まずくなりそうだし。じゃあ、まあ、やめとこ!とダマを決め 込む今日もシャイな私でした。ああ、それにしても「テンコ盛の謎」はまだ分 からない!
夜になってもまだ力が抜けたままなので、予定していたスポーツクラブ 行きは中止。
2010年1月29日(金)
<<容赦なくぼろぼろ>>
午前中は山科区内のドコモショップをたらい回しされて、携帯電話の電池交換。
それから山科駅前Sbuxで昼食。ショートサイズと言った積もりだが、なぜ
かトールサイズの珈琲が出てきて、大量の珈琲で腹がたっぷんたっぷんしてる
ような感じで店を出る。自宅に戻ってしばしフランス語の予習。夕方ごろまた
自宅を出て関西日仏学館へ。図書館でしばし数学。その後すこしだけフランス
語の勉強。18時前に京大ルネに移動し、しばし書籍部を偵察してから、夕食。
18時45分より20時45分過ぎまでフランス語の授業を受ける。今日はフ ランスの大学について。例の「10年後には死んでいる」オジサンは、教育の 話なんてジジイの俺には関係ないし、つまんない!とぶーたれていた。それから、 先生が教育関係のインターネットのサイトを紹介し、資料を配っていたが、 オジサンとオジサンと同年輩のもう一人の受講生が、自分はインターネット 使っていないし、そういうものは生活に必要ないから全部捨てたとか言っていた。 ま、捨てるのは勝手だけど、年寄りはいちいち文句が多くて困る。
今度のフランス語の先生は教師経験が少ない人のせいか、こちらのレベル はお構いなしにフランス人の普段の調子で容赦なくぼろぼろ喋りまくる。大変 実践的でよろしいのだが、何を言ってるのかよくわからない。しかし、相手が 分かってようがいまいが容赦なくぼろぼろ喋りまくる数学者の講演に馴れ親し んでいる私は、この程度のことでは怯まないのである。"Je ne comprend pas. (わかりません)" と切り出して、要するに貴方が言っていることはこういう ことなのか?と、当るも八卦、たどたどしいフランス語でじりじりと質問して ボケをぶちかますのである。数学者相手にこれをやると、「あつはマトモではない」 とレッテルを貼られて色々まずいことになるのだが、語学学校の先生相手なら 構いはしない。こっちは授業料払ってるお客さまだぞ、頭が高い!と。
で、日本の大学では在学中に「就活」があって、3回生の後半からは実質的に 勉強どころではなくなるが、フランスでは卒業してからでしか「就活」ができ ないのだそうだ。何でなの?と聞いたけど、また容赦なくぼろぼろぼろぼ ろ、、、なのでよくわからかったが、大学卒業が難しいし、実際にちゃんと卒 業して卒業証書や成績表などを提出しないと、企業も採用対象者とは考えない ようだ。ということは、大学には就職課だのキャリアセンターだのというとこ ろは無く、就職委員なんて仕事もないのだろう。確かアメリカの大学も「就活」 は卒業してからだったような気がするな。
あとは、フランスの大学にサークル活動はあるのかと聞いてみたが、小学 校から大学まで、基本的に学校は学科の勉強を教えるところであって、「人間 教育」みたいなことは一切タッチしないとのこと。そういえばドイツの学校も 似たような感じで、老若男女の区別なく地域のスポーツ系クラブに所属したり するので、学校には体育の授業も無いそうだ。うーん、これだけ学校に対する 考え方が違うと、人々の意識もずいぶん違うんだろうね。
じゃあ、フランスやドイツの学校の先生って、結構暇なんじゃないかい。 大学教授も講義以外の雑用が少なくて、研究時間がたっぷりあるのかしら。ま あ時間さえあれば研究が進むってもんじゃないけどさ。などと考えながら、路 上飲酒なしで京都市役所前まで苦悶しながら徒歩。今日も一日中「テンコ盛の 謎」を追ってたのだけど、大した進展はなし。
2010年1月28日(木)
<<6分、8分、10分、、、>>
朝1コマ目の定期試験の応援監督のため、年に1度あるかないかの(?)7時
起き。朝のJR京都線は必ず遅れるので、早めに自宅を出る。予想通り15分
程度の遅れ。最初は「約6分の遅れ」と表示さていたのだが、みるみるうちに
「約8分」「約10分」と表示が変わっていき、最後には遅れると表示がなかっ
た列車も一斉に「約10分の遅れ」と表示され、、、といった具合。いつもの
やり方だ。最初から「30分遅れ(かも?)」とドーンとぶちかましておい
て、結果的に15分遅れになったほうが、もしかしたら褒めてもらえたり拍手
が起こったりするかもしれないのに、全くJR西日本は手際が悪いな。
JR東日本なんか、「全線復旧の目処は立ってません」とかぶちかまして おいて、結局10分で復旧したりしている。JR西日本式に馴れ親しんだ私な どは、久しぶりの東京出張でこういうのに出くわして、「同時多発テロでも起 こったのかしら」と思って徒歩に切り替えたら、せっせと歩いているそばを復 旧した山の手線がどんどん走り去って行った。あれはあれで腹の立つものだけ ど、表示される遅れ時間をじりじり上げていく陰険さに比べれば、まだ清清し いから赦す。
ということで、予想どおり監督者集合時間9時10分の少し前に何とか大 学に到着。9時半から10時半まで試験監督。非常勤講師の先生の数学の科目。 試験会場を巡回しながら、Ritsの学生さんって、皆、賢そうな顔してるん だなあと、妙なことに気づく。最近の学生さんがそうなのか、昔からそうだっ たのか、それは覚えていない。答案の整理や後片付けなどを済ませて11時前 には開放され、長居は無用とすぐに大学を発つ。
山科区内で昼食と野暮用の後、夕方頃ふらふらと京大へ。数学図書室で苦 悶。帰りもバスに乗る気がおこらず、百万遍から京都市役所前まで徒歩で苦悶。 考えごとをしながら歩道を歩いていると暴走自転車が危険なので、自転車除け に傘をぶんぶん振り回しながら歩く。かなり効果があって、後ろから来る自転 車は私と適度な距離(それは私の傘が作り出しているものだが)を空けて追い 越してゆく。ひとり、追い抜きざまに不満げにこちらを睨んできたオッサンが いたが、こっちはお前さんみたいな危ない奴を寄せ付けないためにわざとやっ てんだよ、ばーか!と知らん顔。そのうち、人が平気でぶつかってくる東京の 街を歩く時みたいに、ヌンチャクをぶんぶん振り回して歩かないと駄目な日が 来るのかな。でもヌンチャク振り回して歩きながら数学考えるのって、ちょっ と辛いのよね。やったことないけど。
それにしても、「テンコ盛の謎」解明プロジェクトの外堀はほぼ固まった が、昨夜糸口が見つかったかにみえた本丸はまるで陥落せず。それにもくじけず、 夜も少し数学。
2010年1月27日(水)
<<進展はなし>>
昼過ぎに出勤。生協食堂で軽く昼食。やはり試験期間中なのか、昼食の後、そ
のまま試験勉強をしている学生も多い。研究室に戻ってしばし数学。
「テンコ盛の謎」の解明に進展はなし。
15時から16時まで2回生の群論の講義の定期試験。試験監督をしなが ら色々考えるも、進展はなし。定期試験場から研究室に戻る途中、キャンパス の中を某自動車メーカーが作ったロボットのような歩き方をしている同僚を発 見。これによって、私の試験監督の時間に合わせるように開催された教室会議 が終ったことを悟る。まあ、会議に出なくて済んだのは幸いだ。
研究室に戻って一息ついてから図書館で調べ物。やはり「テンコ盛の謎」 の解明に進展はなし。試験期間中とあって、図書館は沢山の学生が勉強してい たが、彼らが静かなのにちょっと驚いた。数年前までは、試験期間中の図書館 といえば私語の嵐で騒然としていて、ほとほとうんざりさせられたものだ。
人間の体を作る細胞は常に生まれ変わっていて、歯なども2ヶ月もすれば 細胞や組織が全て新しいものに入れ替わっているという。私が風景のように眺 めている学生達も当然ながら常に入れ替わっていて、それは単に新しい学生が 入ってきては数年後に卒業して居なくなってしまうということにとどまらず、 彼らの内面は驚くほど多様に変化しているようだ。つまり数年前の「彼ら」と 今目の前にいる「彼ら」は、おそらくは全く別種の生き物である。その辺のと ころが頭では分かっていても、意識はなかなかついていけない。あるいは、別 種の生き物であれ、学生ということで何かしら共通の属性を無意識のうちに見 出しているのかもしれない。
例えば、今、私が目にする「彼ら」と、(旧)情報学科時代の数年間私を 絶望のどん底に塩漬けにしてくれた、当時の何百人何千人もの学生達が重なっ て見えたりする。私が学生との間に距離を置き、彼らを十把一絡げに風景の中 に閉じ込めたがるのも、そういうことが深く関係している。つまり、 私は当時の「彼ら」をまだ赦しておらず、その気持ちを、何十倍か何百倍か 希釈してはいるが、今の「彼ら」に投影しているようなところがあるわけだ。
以前、学生に心傷つけられた忌まわしい記憶を引きずっている、ある若い 大学教師のことを偶然知って、ああ、自分だけではなかったのだと思ったこと がある。小中高校の教師の中には、生徒の残酷な振る舞いに深く心を傷つけら れる者も多いそうだ。数は少ないかもしれないが、大学教師でも同じようなこ とはあるのだ。そして学生におもねる同僚教師たちの冷たい目が、事態をさら に悪化させるというところも、小中高校の教師の世界と同じなのかもしれない。 (あー、こんな事書いてたら、またムカムカ腹が立ってきたな。)
帰宅後、夜もすこし数学。「謎の解明」の一部に進展の兆し?
2010年1月25日(火)
<<夜も昼も>>
昨夜それほど夜更ししたわけでもないけど、昼前に起床。M君の修士論文の改
訂版が送られてきたので、さっとチェックして送り返す。もう完成してしまっ
たのだけど、事務の提出受付はまだ始まってないので、「ま、しばらくのんび
りしてれば?」と。それから出勤。久しぶりに生協で遅めの昼食を軽く。生協
食堂は試験期間中とあって、学生達で賑わっていた。その後しばし研究室で雑
用の後、16時半から教授会。
通常、冬の教授会では居眠り防止のために(?)会議室の暖房を切って厳 寒の中で行われる。議事進行役の執行部の人たちや会議好きの人(確かにそう いう人種は存在する!)は熱くなるので大丈夫だが、普通の人はコートを着て ないと風邪をひく。時々「何で会議室でコート着てなきゃならんのだ? 馬鹿馬鹿しい!」と怒り狂った教授が立ち上がり、暖房のスイッチを入れるの だが、またすぐ切られてしまう。
形式的な議事や瑣末な連絡事項を長々と説明したりするのはやめにして、 皆が熱くなるような議題だけをさっと議論すれば、暖房を切らなくて も居眠りは防止できると思われるが、そんなわけには行かないらしい。
ところが今日は何故か暖房が入っていて、議題も大したものは無かった。 それで最初しばらく数学を考えて内職をしていたのだが、途中で眠くなり気を失う。
会議は18時に終り、すぐに帰宅。電車の中で「テンコ盛の謎」の一つが 解けたような解けてないような。それはしばらく熟成するのを待つとして、夜 は別の謎に取り組む。これもわかりかけてきたような、こないような。うんう ん唸ってるだけで話が先に進まないので、モーツァルト「ヴァイオリン・ソナ タ、イ長調K526」のうち、私のお気に入りの第三楽章をヒラリー・ハーン とスザーネ・ラウテンバッハの演奏で何度も聴き比べ。あー、こんなことして たら、また数学の問題と第三楽章が夜も昼も頭の中をぐるぐる駆け巡るように なってしまうんだよね。(そういえば"Night and day (夜も昼も)"ってジャズの スタンダードナンバーがあったけど、あれは別に数学とも音楽とも関係なかっ たよね。)
2010年1月26日(月)
<<速乾性セメント>>
また「あの」シリーズの瞬間的復活である。昼も夜も頭の中でJ.S. バッハ
「6つのパルチータ」が鳴り響く生活を何とかしなければらなず、かと言って
毎日のようにJEUGIAさんで調査活動を続けていても、「これぞ!」とい
うCDが見つからない。こういう時は1000円ぐらいの安いCD、できれば
試聴ができて、何とか聴く気になれそうなものを適当に見繕って衝動買いする
のがよろしい。ということで、ズザーネ・ラウテンバッハーとかいうドイツの
ヴァイオリニストがチェンバロやピアノの伴奏でJ.S.バッハとモーツアル
トを弾くというこのCD.1960年のステレオ録音で、あまり情緒的な方向
に走らない端正な演奏がちょっといい感じ。
本日午前中はM君の修士論文改訂版のチェック作業。それから街に出て、 山科区内で速乾性セメントに関する調査活動、および色々な買い物をした後、 河原町三条に移動。JEUGIA三条本店で上記CDを購入した後、上島珈琲 寺町店でしばし数学。帰宅途中にさらに山科区内で野暮用をすませる。
速乾性セメントは、人生50ン年の節目に心のブラックリストに名前が挙 がっている人たちを片っ端からセメント詰めにしてやって、人生を清算しよう かという、オレさまに明日なんてもんはネエんだよ!みたいな話ではない。 三重県の「別荘」が古くなって傷んできたの で、自分で修復しようかというけち臭い話なのである。寒空の下で鼻水垂らし ながらセメントをこねるのもナンなので、もう少し暖かくなってからにする積 もりだが。勿論その時は鰻重行脚とセットにするぞ。
夜は修士論文のチェック作業の残りを片付けてM君にメールで送り、さら に少し数学。「テンコ盛の謎」解明プロジェクトは暗礁に乗り上げている。で もまあ、謎はそのうち氷解することだろうと楽天的に構えておこう。
それにしてもこのジャケットのデザイン、いかにも1950年代って雰囲
気がしますな。私は1950年代の終りの方に生まれたけれど、幼少の頃にこ
んな感じのデザインをよく目にした覚えがある。単調な色彩と一部に筆記体の
文字を使っているところがポイントだと思う。
2010年1月24日(日)
<<読者>>
午前中は自宅で野暮用。昼頃に山科区内のスーパーで買い物。それから夕方ご
ろまで数学。少しだけ解明された「テンコ盛りの謎」をTexのノートに纏め
る。それからスポーツクラブへ。年末年始の休業期間、ハノイ出張、右足の捻
挫等を口実に1ヶ月近くサボっていたのだが、そろそろ行かないと体の調子が
おかしくなってくる。
スポーツクラブには、「僕、脱いでもスゴいんです!」のモッコシぴちぴ ち短パンのおナルマンも来ていた。今日は珍しくぴちぴち短パンではなく、バ レリーノの熊川哲也みたいなタイツ(それともスパッツ?)姿だった。でも相 変わらず土瓶の注ぎ口のようなモッコシだけはピンピンに目立たせて、嬉しそ うに歩いていた。怖い物見たさとはいえ、それに目が釘付けになってしまう自 分が悲しい。あいつ、本当に楽しそうだなあ。俺も真似してモッコシやろうか しら、と。
スポーツクラブは、海外出張やスキーやテニスやゲーテや関西日仏学館や 風呂と同じで、行く時は面倒臭くて憂鬱だけど、帰りは気分すっきりいい感じ。 夕食時に少しワインの飲みすぎて酔っ払うも、構わず少し数学。「テンコ盛の 謎」の解明がさらに進む。適当に切り上げて、Momoを少し読み進める。
それにしても、この日誌の読者層がどんな人たちかは、「読んでるよ」と カミングアウトしてくれた2,3の大学関係者を除いて謎である。アクセス状 況を見ていると、どうもRitsの学生がかなり含まれているようだけど、何 で彼らが読んでるのかよくわからない。私にとって彼らは遠い存在だが、それ は彼らにとっても同じはずなのに。
ところで数年前のことだが、ある人と雑談をしている時、その人があまり 人前では言えない秘密の話をしてきたので、私は「貴方のために言いますけど、 そういう話は然るべき時期が来るまで黙っていた方がいいですよ」と忠告をし た。なるほどそうかも知れないと納得してくれたのはいいのだが、凄いのはそ の先である。「高山さん、僕が今喋った事、日誌に書かないでくださいね」と しつこく迫ってくる。その人はしばらくの間私の日誌の読者だったらしいが、そ の後「時間の無駄」との正しい認識に達したためか、一切読まなくなったという。
貴方のために忠告までした私が、そんなこと書く訳ないでしょうにと何度 言っても聞かない。否、高山さんは変な人だから、何かのハズミでヘソを曲げ て書きたてるに違いない、と。まあ、彼が面と向かって私を「変な人」呼ばわ りするのはその時に始まったことではないのだが、私は呆れ果てて「そんなに 私が信用できないというのなら、毎日私の日誌を読んで監視してればどうですか?」 と穏やかに答えた。そしたら何を思ったか彼は完全にキレてしまって、「書く な!って言ってるだろうが(怒)!!」と吠えた。この鬼気迫る頓珍漢な リアクションは何なのか。
彼は立派な大学を出た日本人である。したがって日本語がわからないわけ はない。だとすれば、この人は頭がおかしいのだろうと考える以外に理解の しようのないリアクションである。私の日誌を読んで頭がおかしくなったのか、 頭がおかしいから私の日誌を読まなくなったのか、 それとも頭がおかしいことと私の日誌を読む読まないは 無関係なのか。この点についてはまだ明らかにされておらず、現在調査中である。
2010年1月23日(土)
<<苦しいです>>
ドイツ語寺子屋の日。本当は2週間前から開講しているのだが、9日はハノイ
出張で休み、16日はハノイ出張による下痢の影響で休み。しかしハノイのホ
テル日航ではずっとテレビでDeutsche Welleを見たりしてたので、何となくド
イツ語の勘は保たれている。自宅で野暮用の後、少しMomoのドイツ語版を
読んだりしてから京大ルネへ。書籍部をちょっと冷やかしてから昼食。その後
関西日仏学館に移動して、すこし予習。15時15分から17時前までドイツ
語の授業。
今回の授業を受けて初めて知ったのだが、ベルリンの壁が崩壊したのは東 ドイツ政府の新米スポークスマンが、まだ検討中で正式決定されていなかった 自由旅行許可法を「ただちに発効する」と間違って発表してしまったことが切 欠だそうだ。それを聞いた人々が、半信半疑のまま大量に国境の検問所に押し かけてどうにもならなくなり、そのままなし崩し的に事が進んだらしい。まあ、 機が熟していたところに、誤った記者会見発表が最後の一押しをしたのだろう。
ベルリンの壁が崩壊した1989年11月9日といえば、ちょうど自由な 研究生活を楽しんだ国立研究所から会社に引き戻されて間もない頃。 これは当時のメーカの研究所ではごく当たり前のことだけど、 やれ頭使うな手足を使えだの、 論文は読むなプログラムを書けだの、 開発線表を書いて進捗を報告せよだの、 特許のノルマをこなせだのと五月蝿く言われるし、 周りの人たちは泥沼化した事業部の商品開発プロジェクトに駆り出されたり 営業に回されたりして、次々と研究の現場から離されていった。 さらに上司から「高山君、君も営業にでも移って、少し視野を広げてみるかい?」 みたいな事を言われるし。これはかなわんな、 何とか博士号を取って大学に移らないと研究が続けられないと危機感を募らせて、 右往左往していたのである。 ベルリンの壁以前に自分の研究者生命が崩壊しかかっていたので、 1989年6月の天安門事件以後の国際情勢はあまり関知していなかったのだ。
寺子屋の後は、JEUGIA三条本店。年末からずっと(ハノイに行って る間を除いて)アンドラース・シフのピアノでJ.S.バッハの「6つのパル チータ」ばかり聴いていて、最近は寝ても醒めても頭の中で、例の「テンコ盛 の謎」が渦巻き、シフのパルチータが鳴り響いている状態で、だんだん苦しく なってきた。この状況を打開するには、新しいCDを買うしかないと思って、 ここんところマメにJEUGIAさんを偵察しているのだが、これといったも のは見つからず。
苦しいけど、心の底ではやっぱり今はシフの「6つのパルチータ」以外の ものを聴きたくないのかも。それぐらい素晴らしい演奏で、シフのバッハを聴 いたらグレン・グールドなんてもう聴く気になれない。しかし「オジサンの癖 に、何でこんないい演奏ができるんだ?」と思わずにいられないのは、日頃悪 いオジサンばかり見ているからか?
それからバスで京都駅へ。テンコ盛の謎の一部が少し分かり始め、バスの 中でノートに書き留める。少し前にお洒落に新装オープンした近鉄名店街「み やこみち」を偵察した後、アバンティーで適当に夕食をとって帰宅。夜も、風呂に 入っている間に謎の解明がほんの少し進展。
2010年1月22日(金)
<<キャンピングカー>>
夕方近くまで自宅でゴソゴソと数学、テンコ盛りの謎に取り組む。森先生の頭
の中って、私にとっては謎だらけで。「やっぱり無理っす!」と投げ出し、関
西日仏学館へ。図書室に籠り、独仏語の混線を防ぐべく、ふと口を突いて出て
くるドイツ語を独仏辞典で調べてフランス語に。それをノートにシコシコ書き
こむ。最後は独仏辞典で印をつけた単語を拾い読みし、訳語のフランス語を見
て、ああ、そうだったと記憶喚起。と、いうようなことをしてしばらく遊んで
から、京大ルネの書籍部を少し冷やかして、夕食。ルネ書籍部に森先生の弟子
が居たので、飛んで火に入るナントヤラ、早速捕まえて質問、、、みたいな事
をすると顰蹙を買うので、ぐっと堪える。何せ彼は私のことを知らないだろう
しね。
それからフランス語の授業。今日のテーマはフランスのバカンス事情。フ ランスではキャンピング・カーが流行っているのだ、と。じゃあ、アメリカみ たいに低所得者で家が持てない人が中古キャンピングカーで暮らしているのか と質問したら、そうではないという。でもキャンピングカーってそんなに安く はないはずだし、駐車スペースは居るし、そう頻繁に使うものでもないし、、、 と思ったが、日祝日以外に6週間以上休みがあるから結構使うらしい。うーん、 何でフランス人がそんなに余裕かましていられるのか、ようわからんな。何せ 日本語が通じない先生なので、詳しいことは聞けずじまい。でも私は6週間休 みがあってもキャンピングカーなんて要らないな。
そういえばパリ郊外の研究所の友人は、バカンスというと家族は海だの山 だのに行きたがるが、俺はそんなのに興味が無いからパソコンを持って行って 仕事してるんだとか言っていた。まあ、フランス人だってそういう奴が居るん だと思って、ちょっと安心したけど。それから、彼の下で博士号を取るために 研究していたエコール・ノルマルの学生が居たので、「スタンフォードやCM Uのコンピューターサイエンスの院生は、徹夜でコンピュータの前で仕事して いるそうだが、貴女はどうなのか」と聞いたら、自分は17時を過ぎたら自宅 に帰ると言ってたので、ああ、やっぱりフランス人だなと思った。しかし、そ れは単にソフトウエア開発をやっている学生ではなかったからかも知れない。
しばらくして、彼女からフランス語で書かれた分厚い博士論文が送られて きたが、当時の私には内容は分かるはずだが、フランス語が読めなかった。 もう20年以上も昔の話。今はフランス語は分かるが、内容は忘れてし まって読んでも分からないかもしれない。色々勉強したけど結局飽きてしまい、 別のことやっている間にどんどん忘れてしまう。そんなことばかりやってて 一体何が残るのかというと、思い出ぐらいかな。死んだら思い出も残らない。 ま、その時は私も居ないんだから、別に不都合はないんだけど。
帰りは路上飲酒無しで京都市役所前まで徒歩。それから地下鉄で山科に帰る。
2010年1月21日(木)
<<テンコ盛の謎>>
ここで白状するが、先日ガレット・デ・ロアのパーティーから持ち帰ったパイ
菓子を、昨日の朝御飯、夕飯のデザート、そして今朝の朝食の一部にと少しず
つ分けて食べたのだけど、滅茶苦茶美味い。流石にクラブ・ド・ガレット・デ・
ロアという業界団体の菓子職人たちが腕をふるった自慢の作品だけある。それ
で、来年はドイツに居て参加できないけど、再来年の関西日仏のガレット・デ・
ロアのパーティーには、やっぱり参加しようかと思う。
本日午前中は土曜日のドイツ語の予習。ベルリンの壁の崩壊についての話 を読む。決して崩れないと思っていた壁が崩れた。信じられないことが現実に 起った東ドイツの人たちの喜びが淡々と書かれていた。そうねえ。私にとって の「ベルリンの壁」は学位取得と数理科学科への移籍かな。院試落ち数学科学 部卒メーカー勤務情報系技術者が、30歳そこそこで論文博士取って大学の工 学部に移り、その数年後に数学科に移籍できるなんて、その頃まではあり得な い話だったしね。それは別に私の実力でも何でもなくて、たまたまその時の時 代の流れにうまく乗っかれたという、ただそれだけの話。
午後は街に出て数学。今日は山科駅前Sbuxとラクト山科のベンチ。学 生の定期試験の季節とあって、Sbuxは試験勉強の学生達で占拠されていた が、たまたま1つだけ席が空いていた。うんうん唸りながら、森先生の教科書 に潜むテンコ盛りの謎をひとつひとつ解いていくのだが、なかなか思うように 進まない。
新しい分野に入っていくときは、その分野のプロが暗黙のうちに使ってい るテクニックをひとつひとつ学び取っていかなければならない。一度そういう 勉強をしてしまえば、あとは自分のペースで問題を見つけて研究していけるの だが、そこに至るまでが大変である。この手の勉強を信じられないぐらいの速 さで一気に片付けてしまう連中を何人か知っているが、この点で私のように頭 の悪い人間は損である。なのに何故私は今丁稚奉公みたいな勉強をしているの かというと、単に「学生の頃から代数幾何がやりたかったから」である。ま、 「50歳過ぎたら、やりたいようにやるのさ」って前から思ってたこともある しね。
夜はまた昼間の続きですこし数学を考えた後、明日のフランス語の 予習など。
2010年1月20日(水)
<<虚栄心>>
午前中に出勤。JR琵琶湖線が遅れる水曜日の朝出勤も先週で終り、今日は1
0時台の電車に乗ったせいか、5分程度の遅れにとどまる。研究室こそこそ昼
食の後、少し数学。13時から14時半まで2回生の群論の講義の補講。シロー
の定理の証明(概要)を終え、時間が余ったので交代群が対称群の正規部分群
であることを証明し、巡回群の部分群の構造定理を証明したところでちょうど
時間がくる。
群論はもちろん数学科の基幹科目である。立命館大学奉職18年目にして、 ようやく基幹科目を担当することになったが、さらに基幹科目担当拡大に向け て頑張るべきかどうかは少し悩むところ。10年も教授やってるのに3回生の 基幹講義科目を1つも担当させてもらえないのは、この学科から随分低く評価 されていることに他ならないとも言えるし、卒研の配属など色々なところで微 妙な影響も出てくるし、それはそれで癪にさわる話である。
しかし冷静に考えれば、大学から高く評価されても単純に研究以外の仕事 が増えるだけであり、例えばカリキュラム改訂の時に自分が担当する3回生科 目などを新設したりすれば、外国に研究留学する時に代講してくれる人が見つ からずに苦労するだけである。そして本当のところは、学科は私を高く評価し ているわけでも低く評価しているわけでもなく、要するに誰も別に何も考えて おらず、ただ単に行きがかり上そうなっているだけなのである。つまり、複雑 系の今に理由などなく、本当に研究に専念したければつまらない虚栄心に惑わ されてはいけないのである。
補講の後、珍しく研究室でしばし数学。今までルレイのスペクトル系列が 縮退する場合の使い方しか知らなかったけど、もう少し一般の場合の使い方が わかった。
それから京都駅近辺に移動し、アバンティーのサンリオショップを偵察し たりした後、駅近辺で適当に夕食を済ませてから帰宅。夜も少し数学。スペク トル系列の話を少しノートに整理する。
2010年1月19日(火)
<<パーティーの劣化>>
昼前に出勤。研究室こそこそ昼食の後、12時40分より14時まで卒研A
(可換環論・代数幾何学)の最終回。一息おいて14時40分から16時
まで卒研B(初等整数論)の最終回。その後、図書館で来年度の卒研ゼミのテ
キストである「代数曲線論」(W.フルトン)を借りる。試験前とあってか、
図書館は異様に学生が多かった。
それからすぐにバスに乗って大学を発ち、ガレット・デ・ロアのパーティー に参加するために関西日仏学館へ。バスに乗ろうとステップに足を掛けた瞬間、 ポアンカレよろしく電撃的天啓。この1,2週間考えていたことが、元の問題 に何の関係もないことに気づく。嗚呼。ま、それはそれで別の問題に関連する だろうから、無駄ではないんだけどね。
気を取り直し、18時頃に関西日仏学館に到着。図書室で少し数学。19 時から20時半頃までガレット・デ・ロアのパーティー。うーん、ひとことで 言って「何考えてんだか」って感じ。3000円で夕食といえば、ゴージャズ なディナーとまではいかないにしろ、和洋中いずれでも色々食べて飲んでそこ そこ満足できるのが普通だ。しかし、日仏学館のガレット・デ・ロアは、30 00円でカップ半分の飲み物1杯とさまざまな洋菓子屋から仕入れたガレット・ デ・ロアのパイ菓子だけが食べ放題で、それ以外は何もない。
さまざまな菓子職人の競作とかいうけれど、基本的には同じ種類のパイ菓 子だから、鳴海餅の大福餅と鼓月の大福餅と豊寿庵の大福餅とどう違うかみた いな話。そりゃあ店によって色々違いはあるだろうけど、大福餅は所詮大福餅 であって御手洗団子でも桜餅でもきんつばでも柏餅でもないわけだし、「30 00円で大福餅バイキングしませんか?」と言われてもねえ、そんなんだけで 夕食になるかってんだい!というような世界なのである。
カロリーの高さから考えても、3,4切れも食べたら十分で、あとは帰り にどこかに立ち寄って蕎麦でもたぐりたくなる(去年までは1000円ぐらいの 会費で、ちょうどそのぐらいの量のパイ菓子が出たように思う)。しかしパイ菓子 3,4切れで3000円はないだろうと、無理して色々食べてしまう己の貧乏性が 悲しい。しかも最後には、沢山余ってしまったパイ菓子を紙箱に自由に詰めて持ち帰る ことができるとわかり、「だったらそれを先に言ってくれたら無理して沢山食 べなかったのに!」と、再び己の貧乏性に自己嫌悪するはめに。何で3000 円も出してこんな惨めな気持ちにならなきゃならないの?と。
しかも去年までは関西日仏学館の受講生を中心に内輪のなごやかなパーティー だったけれど、今年は在日フランス領事館が関西日仏学館の建物に引っ越して きた関係で、このパーティーも完全に領事館関係者に乗っ取られたような感じ。 何だか業界人の新年のセレモニー&顔合わせパーティの様相を帯びており、そ の中に講座受講生がお情けで混ぜてもらったような形。パーティーを仕切っているのも 関西日仏の職員ではなく、何だか高飛車な雰囲気を漂わせた領事館の人たち。
まあ、あんなパーティ、もう二度と行かんやろね。クリスマスの時の「フ レンチ・パーティー」(何で英語で言うねん?ちゃんとフランス語で soirée française とか何とか言わんかい!)もそうだったけ ど、小さな菓子パンひとかけらとマーブル・チョコレート2粒だけで千円近く ぼったくる業者が入っていただけで碌に食べるものは無いし、 飲み物も結構高飛車な値段がついているしで散々だった。 そんなわけで、最近の関西日仏のパーティーは碌でもないものが多くなってき。 ゲーテも関西日仏も、 パーティーの類は年を追うごとに劣化傾向にあるように思える。
ということで、 次の楽しみは2月の教授会の年度末宴会と3月末の会社員時代の仲間との 飲み会。帰宅後、胃薬を飲んで風呂に入って寝る。
2010年1月18日(月)
<<不思議な人々>>
特に理由はないのだが最近睡眠不足が続いていたせいか、今日は目が覚めたら
もう昼前になっていた。右足首はどうやらするとまだ少し痛む。遅めの朝御飯
を食べていたらドイツ語寺子屋の先生から電話があり、ちょうど午後から京大
に行くつもりだったので、ついでに立ち寄って今度の土曜日からのテキストの
コピーを受け取ることに。ベルリンの壁崩壊についての数ページの記事。
それから京大数学教室の図書室に籠って、森先生のテキストの謎の命題の 証明に取り組むも埒があかず。昨日反例を見つけた日本語版の間違いが、英語 版ではこっそり修正されていると分かった。それでもまだ問題は解決しない。 夕方、図書室を出て、基礎物理研究所横の「トラちゃん」こと数理研猫の視察。 猫缶2缶と水入れ容器、水の入ったペットボトルがあったが、前回確認された 猫布団も猫もなし。
京大の帰りは百万遍から市バスで京都市役所前までゆき、例によってJE UGIA三条本店でマーラ・ガラッシュを試聴し、地下鉄で山科に帰ろうとす る頃には「解けた」ような気がした。今朝はゆっくり寝ていたにもかかわらず、 夕食後テレビを見ていたら、いつの間にか居眠り。夜はその謎の命題を含めて、 ここ数日調べていたことを纏め始める。
明日の夜は関西日仏学館でガレット・デ・ロアのパーティーが楽しみだ。 授業は明後日で終了するから、早々と春休み気分でのんびししてしまいそうだ が、後期試験やら入試の採点が控えているので、2月中旬近くまでは何やかや と忙しい。気分的にはゆったりしているのだけど、全然研究に手がつけられな い間にどんどん時間が経っていくというのがこの時期の特徴。その後は東京に 1週間ぐらい出張して研究集会に出て、修士論文公聴会があって、それで春休 み。春休みの終盤は東京で学会があり、そのついでに会社員時代の仲間に会え るのが楽しみだが、その前の九州の小研究集会に出るかどうかは少し迷うとこ ろ。内容的に無理して参加すべきかどうか微妙だし、教授会の年度末宴会の日 と重なっているからだ。職場の宴会はつまらないから出ないことにしているが、 教授会の宴会は、そのための費用が毎月給与天引きで積み立てられているし、 誰とも話をせずに賑やかな所でうまい料理と酒を楽しめるところが魅力だから、 これを逃す手はない。
ところで研究集会などで人々がどんな会話をしているかというと、数学の 話、他愛のない冗談や世間話以外には、大学行政や学生の教育の話、同業数学 者の動向についての情報交換といったところだと思う。大学行政や学生の教育 の話は、そういう話題が好きな人と「こんなところに来てまで大学の話なんか したくない」と敬遠する人に割合はっきりと分かれるようだが、話を聞いてい ると、皆さん熱心なんだなあと思う。
出張中に大学の話をしたがらない人も、日頃それなりに大学の仕事に思い 入れがあるからこそ、そういう気持ちになるのだろうと思う。私は自分の研究 にしか興味が無く、大学行政にも学生にも何の思い入れも持たずに、ただ仕事 だからちゃんとやってるというだけなので、大学の話に抵抗はないものの話す ことが何も思い浮かばず、彼らの話をただただ「ふーん」と聞いているだけで ある。いや、実はあまり興味が無いので、碌に聞いてないんだけど。
大学行政や学生の教育というのは、とどのつまりは他人を自分の思うよう に動かすことだけど、そんなことができると信じられるというのは何と楽天的 な世界観なんだろう、何を食ったらそんなに人間に対して楽天的になれるのか と、私などは不思議でならないのだ。 まあ、不思議な人々の 力によって、この世は成り立っているんだろうけどね。
2010年1月17日(日)
<<それも人生?>>
昼頃に近所のスーパーに買い物に出た以外は、夕方近くまで自宅で仕事。院生
M君の修士論文をチェックを完了し、「まえがき」の部分を書き、メールでM
君の送付して終了。その後、街に出る。またもAnger河原町三条本店とJ
EUGIA三条本店を偵察。
Angerはやけに繁盛していて、2,3階でも客の間を泳ぐように店内 を歩かねばならなかった。JEUGIAでは昨日に引き続きマーラ・ガラッシ (Mara Galassi)というバロック・ハープ奏者のCDの他にヒラリー・ハーン がヴァイオリン協奏曲を弾いているCDをいくつか試聴。オーケストラとの協 奏曲があまり好きでないので、ハーンのヴァイオリンのCDもいまひとつ。ガ ラッシのハープは綺麗な音だけど、今はちょっと聴く気になれないようなシケ た曲も沢山入っているようだし、やはり今日も見送り。店内ではアルフレッド・ ブレンデルの引退コンサートのCDが流れていたが、シューベルトをやけに荘 厳に弾いているので、ちょっと引いてしまった。今日は収穫なしだけど、こう いう地道な調査活動の末に良いCDが見つかるのである。
帰りは大丸ラクト山科店で安いワインを買って帰る。
夜は少し数学。いくつかの研究テーマが同時進行しているのだが、どれも これも漠然とした疑問を手探りで追いかけている状態。来年度後半のドイツ滞 在ですこしでも進展させられるように、色々勉強しておかないといけないんだ けど、遅々として進まない。
先日、関西日仏学館で私が数学者だと自己紹介したら、新しい生徒のひと りがえらく興味を持ち、旅行と休暇についての会話練習の時間だったにもかか わらず、数学者の世界について色々質問してきた。最後に、「貴方にとって数 学は何か?を象徴する言葉は何ですか?」とジャーナリストみたいな事を聞い てくるので、「『人生』です」と答えておいた積もりだけど、"Les mathematiques? C'est la vie!" と答えたので「数学?ま、それも人生さ」みたいな妙な意味になって しまったかも。まあ、日本人相手なので意図は通じてるだろうけど。
私に限らず多くの数学者にとって「数学」は「人生」とほぼ同義語だろう し、人生だから当然俗物も居れば仙人も居るわけである。他の数学者達と競争 してやっていこう思うと俗物的にならざるを得ず、評価好きな数学者たちの意 地悪な眼差しを感じて心休まる暇もなく、それはそれでなかなかしんどい。む しろ競争からは適当に距離をおき、自らの俗物根性を押さえて仙人のフリでも していた方が、のんびりできて楽しかったりするものである。
2010年1月16日(土)
<<大腸菌よりもタチが悪い>>
午前中から昼過ぎまでM君の修士論文のチェック作業。午後は逃避行動。山科
駅前Sbuxにて少し数学。森先生の教科書の謎の命題の証明を考え続ける。
1つはほぼ解けたような気がするが、もう一つはまだ解けない。
15時半に山科区内の病院に検査結果を聞きにいく。大腸菌が検出された そうで、どうやらハノイに着いてから1日目か2日目の食事でサラダか何か生 野菜系を食べたのが原因かと思われる。ま、大腸菌ならごく普通の抗生物質が 効くけれど、学科会議の複雑系な議論につける薬は無い。そもそもオジサンと いうのは存在自体が耐性菌だから、勿論抗生物質も効かない。よって、ハノイ よりも複雑系の皆さんの学科会議の方がよっぽどタチが悪いという結論が導か れるのである。
16時半頃病院を出て、河原町三条界隈に繰り出す。JEUGIA三条本 店ではヘンデルほかのバロックの曲をハープ、オルガン、ハープシコードで弾 くというCDを試聴。ちょっと面白いかなと思ったが、見送り。ヒラリー・ハー ンが声楽の人と組んでJ.S.バッハのカンタータを弾いてるCDの輸入版が もう出てるはずだけど、見当たらず。それからAnger河原町三条店を少し 偵察してから帰宅。
下痢はもう治ってるのだけど、右足首がまだ少し痛いので、今週末もスポー ツクラブはお休みにして、夜もM君の修士論文のチェック作業。
そういえば、ハノイにはJALの直行便で行ったのだが、行きの飛行機に 産業再生機構の調査官とおぼしきオジサンが乗っていた。何だか知らないけど、 臨時にやってきたって感じで空いた席に座り、しかもちょくちょく座席を替わっ ていた。怪しい奴だなと思ったが、食事の後などに客室乗務員がうやうやしく 近寄ってきて、何か書類のようなものを見たりメモを取ったりしながら、その オジサンに色々意見を聞いていた。
私は最初、そのオジサンは乗客の中から選ばれたモニターか何かだろうと 思っていた。彼が「夕食にカレーライスかハヤシライスしか出ないんじゃあ、 大人の男の人なら流石に腹がもたない。何か腹に溜まるものを付け加えられな いか」みたいな事を言っていたので、私は「そうだ、そうだ!もっと言ってやっ て!いくら経費削減のエコノミークラスでも、ちっちゃなカレーライスと簡単なサラ ダや果物とクッキー1枚で終りってえのはないだろう。ドナー・ケバプかチキ ンシチュー・クスクス添えをつけるとか、特大抹茶ケーキとフルーツヨーグルトを つけるとか、食後の饅頭食べ放題にするとか、もうちょっと何とかしないとオジサ ン、暴れてやるぞ!」と胸の内で声援を送っていた。