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よ け ス ペ ー ス で す。

2009年6月15日(月)
<<どつぼにはまる?>>
昨夜は存在の危機に陥って何も手がつけられない状態だったので、今日は昼前 に大学に出勤し、事務で郵便物を確認し、研究室こそこそ昼食を挟んで、卒研 ゼミが始まるまで明日の講義の準備。ヨーロッパ数学会から、10ヶ月以上 放置してある論文れビュー4件の督促が来る。「2ヶ月以内に出来そうにな ければ、早めに返却されたし」と。アメリカ数学会とヨーロッパ数学会の両方 からレビュー依頼の十字砲火状態では、流石にしんどくなってきたので、ヨー ロッパの方をやめてしまおうかしら。

14時半より16時過ぎまで、卒研ゼミ(可換環論・代数幾何 学)。研究室に戻ってメールを出したりしてから、16時半から18時半過ぎ まで卒研ゼミ(初等整数論)。今日は教育実習から帰ってきた学生が加わり、 2名でゼミ。その後、すぐに大学を発つ。夜も数学のようなことを少し。

私は自分で自分を苛めるのが好きな「自己マゾ」だけど、 「苛めたい時に苛めたい部分を苛めたいだけ」という、手加減し放題の 手ぬるさが心地よい。しかし、 他人に苛められると激しくキレて、心の中の秘密のブラックリストに名前を書 き込んだ上に大きな×をつけて、その後5年でも10年でも呪い倒す。 理不尽なことが 許せないのよね。しかし、若い頃は 「純粋マゾ」だったような気がするのだけど、どうだろうか。

私が幼少の頃の母も、学生時代の教授たちも、かなりサディスティックな 人たちだったが、彼らとともに私はマゾヒスティックな生活を送っていた。で は当時の私は真にマゾだったかというと、実はマゾじゃないけど、圧倒的なサ ドから逃れられない状況に適応するために、マゾになっていたのではないか、 と。我ながら、ほとんど耐性菌みたいな適応力だな。

でもこの手の適応力をなまじ発揮すると、冤罪の被害にあったり、大学の 巨大雑用を(苦難に適応するために)嬉しそうな顔してやってしまい、「君、 この仕事が好きそうだから、もう1年やってね」と、どつぼにはまったりしか ねない。嫌なことは、嫌と言い続けないとね。

さて、今日の1枚は、6月2日に紹介したJeno JandoとZsuzsa Kollar のシュー ベルト四手ピアノ曲集の続き。「序曲ヘ長調D675」「幻想曲へ短調D94 0」「序奏と自作主題による4つの変奏曲と終曲D.968a」「3つの英雄 的行進曲D602」。安い!綺麗!テンコ盛り!の断然お買い得CDのひとつ。 ほんの数年前は、こういうNAXOS廉価良盤でJando のシューベルトを聴きまくっ てたわけだけど、それがすいぶん昔のことのように思える。

ジャケットの絵はイギリスの風景画家ターナー(Joseph Mallord William Turner)の「Remagen と Linzの風景」で、シューベルトが存命中に描 かれたもの。Remagen も Linz もドイツのライン川流域の都市。オーストリア にも Linz とう街があり、グレブナ基底アルゴリズムを発見したブーフバーガ 教授の本拠地として計算機代数学者達のメッカだが、この絵のは Linz am Rhein という別の街。

ターナーは明るい夕陽に照らし出される水や水蒸気を描かせたら素晴らし く、この絵はターナーの作品の中では何となく元気の出ない、どうってことの ない部類だけど、水や雲のところは(ちょっと)いいなと思う。

2009年6月14日(日)
<<存在の危機>>
午前中は自宅で野暮用や大学の雑用。また例の悪い癖が出て、学科のメーリン グリストで色々発言してしまう。今年度は沈黙を守ると、あれほど固く決心し た積もりなのに、、、駄目ですねえ。

午後は秘密結社の集会場みたいな某所に、少々マニアックな現代音楽のコ ンサートを聴きに行く。結構面白いのだけど、面白がって何曲か聴いているう ちに疲れがどっと溜まってしまう。たっぷり疲れを溜めたところで、皆でワ インパーティーに突入という、まるでサウナに入ってから氷結した池に飛び込ん で火照った体を冷やす、、、みたいな趣向。秘密結社の皆さんは、流石に やることがイキですね。パーティーでは色々話も弾んだけど、残念ながら 会もたけなわの17時半過ぎに失礼することとなる。

さて、今日の1枚は、J.S.バッハの「マタイ受難曲(St. Matthew Passion)」のハイライトを集めたもの。私のように日々静かな生活を送ってい る者(「嘘つけ!」等の突っ込みは瞬殺却下!)が、新作現代音楽の初演を何 曲も立て続けに聴いて日頃と逆違方向に脳を歪め直し、さらにワインパーティー などという超社交的な催しに乱入して、目出度い話、サプライズ、極秘(?) 情報、悲報(?)等色々聞いて、さらにまた90度方向に脳を歪め直すと、流 石に眩暈がしてきて、「ここは何処?私は誰?」という存在の危機に晒される。 存在の危機に効くこの1枚は、2000年の秋に初めてエッセンに滞在した時 に何となく買ったけど、日本に帰ってきてからは滅多に聴かない伝家の宝刀の ようなCDである。

さてこのジャケット、J.S.バッハよりも百数十年前の16世紀初頭の 活躍したJoos van Cleveという画家による宗教画のようである。まあ、キリス ト教の宗教画にはてんで興味が無いし、描かれている人物の饒舌さが五月蝿く 「お前ら、黙れ!」と怒鳴りたくなるけど、色の使い方と背景の風景は面白い と思う。遠景に広がる夕暮れ時のような低い空の寂しげな感じは、エッセンの 屋根裏部屋の窓から見た夕暮れの空と同じで、この絵と夕暮れ空を見比べ ながらCDを聴き、「あーあ、えらい所に来てしまったものだな」と溜息をつ いていたものである。ま、すぐに慣れたけどね。

2009年6月13日(土)
<<スキーは楽し>>
ドイツ語寺子屋塾の日。インターネットでドイツ語のテレビ放送を見て、宿題 を半分ぐらい片付けてから自宅を出る。京大ルネで遅めの昼食の後、隣の関西 日仏学館の図書室に移動し、宿題を片付けて一息ついたところで時間がくる。 15時過ぎから17時前まで寺子屋の授業。頑張って宿題と予習をしていった けれど、結局、「日本の女性は西洋人の男にモテるが、日本の男は西洋人の女 性にはあまり相手にされない」という、私が提案したテーゼについて、賛否こ もごも雑談したりしているうちに時間が来てしまった。まあ、私はテキストに 沿って勉強するよりも、こうやってドイツ語で2時間近く雑談している方が楽 しいな。帰りはJEUGIA三条本店を偵察し、ラクト山科で少し買い物をし てから帰宅。夕食後はスポーツクラブでへとへとになる。

さて、今日の1枚は、6月2日にも紹介した「世界で一番忙しいピアニスト」 Jeno Jandoのシューベルト・ピアノソナタD.850、D.575.私は Jando のピアノで「シューベルトとはこういうものだ」というイメージが刷り 込まれてしまってるようで、久しぶりに聴いても「そうそう!やっぱり、シュー ベルトって、こうじゃなくっちゃね」みたいな事を思ってしまう。

知り合いのピアニストが以前、「昔、師匠に『ベートーヴェンをシューベルトみたいに 弾いちゃいかん』と怒られました」と言ってて、私は「そりゃあ、そうだ ろうな」と勝手に納得してたのだが、その時に思い浮かべていたシューベルト は、Jeno Jandoのシューベルト。

ジャケットの絵は、19世紀初頭に活躍したオーストリアの画家 Ferdinand Deorg Waldmüller の風景画。つまりシューベルトと同じ時代に同じ地域 で活躍していた人の手によるもの。江戸時代末期に、日本の山間地方のモノク ロ写真を撮って、それに浮世絵職人達が彩色して作られた作品だと言われたら、 一瞬そうかと思ってしまいそう。でも、小屋の前にいる数人の人達の服装が西 洋風だから、すぐに変だとわかるだろうけど。いずれにせよ、こういう絵は 「上手ですねー」以上の感慨が湧かないけど、スキー場の風景をちょっと思い 出したりもする。

若い頃はスキーに狂っていた。 夏はテニス、冬はスキー! 数学者への夢を断念した暁には、こんな楽しい日々が待ち構えていたのかと、 その頃は結構ハッピーな気分だったと思う。 埼玉に住んでたこともあって、休みの日に は、ふらりと上越新幹線で新潟のスキー場に行っては日帰りで秘密の特訓をし、 結構上達した。そして友人達と長野とか岩手とか宮城とかのスキー場に出かけ た折には、皆の前で華麗な技を披露したのである(えっへん!)。しかし初心 者の頃から使っていたスキー板がボロボロになって買い替え時期になり、その 一方で京都に移ってからスキー場が遠くなったり、暖冬傾向が定着して雪が降 らなくなったこともあって、スキーはすっかりやめてしまった。それで、スキー 場で「さあ、この坂を滑り降りるぞ」って時に、よくこういう風景(に雪が積 もらせて小屋を取っ払ったもの)を見て、ああ、山っていいもんだなあと思っ たことを思い出し、ちょっと懐かしい。

それ以外でも、京都駅のあの大天空の巨大階段や、JR山科駅から地下鉄 の駅に続く地下への階段のてっぺんから下を見下ろす時、「これがスキー場だっ たら、何秒で下まで滑り降りることができるかな」とか「大した坂じゃないな」 とか、そういうことをよく考えて楽しんでいる。スキーって、やめてしまって からも、こんな風に楽しめる。

2009年6月12日(金)
<<孤独を解消する方法>>
今日も午前中は京大数理研の研究集会。講演を2つ聞いてから、北部生協喫茶 北斗で昼食。数理研図書室に戻って少し数学をしてから、別の研究集会に潜入 すべく瀬田の龍谷大学に移動。移動中、ある小さな問題を色々考えてみたけれ ど、解決せず。研究集会には筋肉中年S藤先生など旧知の友人も来ていたので、 瀬田駅前の居酒屋で行われた懇親会にも乱入。近くで2次会をと思ったが、瀬 田駅前では適当なところが無く、結局数人であたりをウロウロしながら路上で 歓談し、22時過ぎに散会。22時台は電車がほとんど無く、帰宅は23時半 近く。

大学教師は、普段は個人研究室に閉じこもってバラバラで、顔を合わせる のは会議だけということもあって、孤独になりやすい。大学教師をしている友 人達に聞いてみると、いつでも気兼ねなく研究室に押しかけて行ってお喋りを する懇意の同僚が居るとか、博士課程の学生を子分のようにしているという人 が少なくない。後者の場合は、学生が卒業してしまうと寂しくなるそうである。

私の近辺を見回しても、学内行政に打ち込んだり、研究室の学生と公私とも に付き合って「学生まみれ」の生活を送ったりしている同僚は少なくないが、 そういう「熱心な先生」たちも、孤独解消が動機の一部として無視できないだろ うと思う。

かように、大学の中で孤独解消する先生も多いが、学会で偉くなって、世 界中行く先々で多くの研究者たちに囲まれて、という方向を目指す先生も少な くない。しかしこれは、まず「学会で偉くなる」というところで多大なエネル ギーと能力が要求されるし、誰でも出来るというものではない。

それ以外の方法として、店の主人とお喋りが出来る店を毎週のように梯子 する先生も少なくないようだ。衣笠キャンパスに居た頃は祇園通いに精を出す 先生も多かったらしく、皆それぞれ馴染みの店を持ってたようで、私も一度某 先生の「本拠地」の某店に連れていってもらったことがある。なるほど、個人 の家のようなたたづまいで、着物をきちんと着こなした品の良い女将が、心尽 くしのつまみやデザートなどを出してくれて、それなりに話の相手をしてくれ るのだから、それで心安らぐ人が居てもおかしくはない。琵琶湖キャンパスに 移ってからしばらくは、「祇園が遠なってしまった」とぼやく先生たちの声が ちらほら聞こえてきていた。彼らがその後どうしたのか、草津の店でも開拓し たのか、詳しいことは知らない。

孤独に対する受け止め方は個人差が大きいが、概して数学者が孤独好きとい うことはないようで、物静かでいつも独り物思いに耽り、ふと気がついたら姿が 見えず、森の中でキノコと語り合っていた、みたいなタイプの数学者は、時々見 かける程度でそれほど多くない。

さて、本日の1枚は、黒田亜樹の「タルカス&展覧会の絵」。神戸に聴きに行っ たアレッサンドロ・カルボナーレのコンサートで、伴奏をしていた黒田亜樹さ んのピアノが結構面白いなと思ったので、会場で売ってたこのCDを衝動買い した。しかし、コンサートの時から何となく感じていたけど、「器用だけど線 が細い」って感じがしないでもない。例えば、力強く弾くところは力を入れて パァ―ンって感じで弾いてるようだけど、何故かずしりと響いてくるって感じ がしないところが、少し物足りないのだ。

さて、このジャケット、緑の驢馬だか豚だかがピアノの鍵盤のところに勢 揃い。「展覧会の絵」のモチーフで遊んでるのは、面白いから許すとして、背 景の黒と額縁の金色のコントラスとは何とかならなかったかな。少なくとも背 景のまっ黒はやめようよ、と。

2009年6月11日(木)
<<見えてたのか>>
私としては結構早起きして、欠伸をかみ殺しながら、朝から夕方まで京大数理 研の研究集会に参加。講演を聞いたり、途中、抜け出して図書室で調べ物をし たり、ふと思いついたことを研究ノートに書き留めたり。私にとっては専門外 であるが、情報収集のために極秘内偵を続けている某部外秘分野の研究集会と いうこともあって、極力気配を殺して透明人間モードで漂っていたのだが、前 に研究会や日大セミナーで1,2度お会いしただけなので、私のことは覚えてい ないだろうと思っていた人が突然、「高山さんでしたよね」と声を掛けてきて、 ちょっとした事務的な問合せをしてきので、おーっ、俺の姿が見えてたのか!? とびっくりした。 俺、ちゃんと服着てたよね、 透明人間モードだからと安心して、 靴下脱いで足の爪切ってたり、 口を半開きにして鼻糞ほじくってたり、 声を出さすに誰かに向かって「ばーか!」って顔したり、 「ぱーん!」とかピストル狙い撃ちする真似なんかしてなかったよね云々 と、少し狼狽。

それにしても、だ。どうも脳が歪んでからは、人との距離の取り方がわから なくなってしまって困る。昔からの友人知人については、既に距離感が確立し ているので問題無いのだが、仕事関係の、ありていに言えば、自分の仕事にメ リットがあるか無いかを基準にして近づいたり離れたりする人間関係の扱い方 が難しい、というか面倒臭くてしょうがない。それで、はい、はい、私なんか の相手してても何のメリットもありませんから、さっさと、あっちへ行ってて 下さいな!って感じになっている。

研究集会は17時で終り、JEUGIA三条本店とAnger河原 町三条本店を偵察飛行してから、帰宅。夜も数学を、と思ったが、早起きの睡 眠不足で頭がぼんやりして、ただ、ぼーっとしてただけで終る。

さて、今日の1枚は、有名男性演奏家のご多分に漏れず、最近は指揮者業に精 を出し、息子のディミトリもクラリネット奏者としてデビューした、ウラジミー ル・アシュケナージのピアノで、ショパンの「ピアノ・ソナタ第1番ハ長調」 「子守唄、変二長調」「3つのエコセーズ」「華麗なる変奏曲、変ロ長調」 「舟歌、嬰へ長調」「演奏会用アレグロ、イ長調」「フーガ、イ長調」「春、 ト短調」「2つのブーレ」「ギャロップ・マルキ、変イ長調」。ずいぶん盛り だくさんのお買い得CDだが、今は売られておらず、同じ録音が別の2枚組み のCDに収録されていたりするようだ。

この写真や録音は、彼が40歳前後のときのものらしい。美しいのだけ ど、どうも真面目すぎてちょっと息が詰まりそう。ジャケットのデザインも、 ピアノの演奏も同じ印象があてはまる。私としては、(5月5日の日誌で紹介 した)ちょっとキザだけど、思い入れたっぷりなジャン・マルク・ルイサダ先 生のショパンの方が好き。

2009年6月10日(水)
<<色彩泥棒の仕業>>
午前中は京大数理研の研究集会で講演を1つ聞く。1月に論文を提出した某 学術雑誌編集委員も来ていたが、審査結果がどうなったか聞くのが怖いので、 知らん顔していた。どうせ向こうは私の事は知らないし、知らぬが仏さ、と。 その後、図書室で少し調べものをしてから、北部生協食堂「北斗」で遅めの昼食 を取り、それから、はるばるRitsに移動。16時半より19時前まで教室会議。 生協で夕食の後、少し雑用をして21時過ぎに大学を出る。例によって、この時 間帯のバス停に長蛇の学生の列でにぎわっていた。

さて、今日の1枚は、シューベルトの「ピアノ三重奏曲・変ロ長調 D.89 8と変ホ長調 D.929」「ピアノソナタ・変ロ長調 D.28」「ピアノ三 重奏・変ホ長調ノクターン D897]。ピアノは Wolf Harden, ヴァイオリ ンは Michael Mücke, チェロは Miklas Schmidt という人が弾いているが、 知らない人ばかりである。ちなみに"Mücke"はドイツ語で「蚊」という意 味。ヴァイオリンの高い音は蚊の羽音にも似ているからという、洒落で つけた芸名かも? と思っていたが、それほど珍しい苗字でもないようである。 これもまた、闇雲にシューベルトの室内楽のCDを買い漁っていた2004年 の春頃に、エッセンで買ったもの。

濃い霧のために世界から色彩が奪われてしまったある朝、嘘つき大魔王と 妖怪ちゃぶ台返しを退治するために、家来の犬を引き連れて鬼ヶ島に向かって いる桃太郎。通りかかった桃太郎に「私も家来になりますから、その吉備団子 をひとつ私に下さい」と交渉している人間の娘の格好をした一匹の猿。実は この猿、嘘つき大魔王の魔法で人間の姿に変えられてしまったけど、桃太郎の 吉備団子を食べれば元の姿に戻れるのである。元の姿に戻った猿は、人間の姿 に変えられて木にも登れなかった、苦節ン年の不便な生活の恨みをはらすべく、 桃太郎らと一緒に敢然と鬼ヶ島に向かうのであった。世界から色彩を奪ったの も、実は嘘つき大魔王と妖怪ちゃぶ台返しの仕業で、彼らを退治した暁には、 再び豊かな色彩溢れる世界が取り戻せるのだ、と。

この色彩に乏しい安普請のジャケットの図柄といい、たぶん安かったのだ ろうと思う。安くてもシューベルトの世界をたっぷり満喫できる良いCDであ る。にもかかわらず、日本に帰ってきてから長らく放置してあったのは、 ジャケットの絵の印象の薄さとヴァイオリンの高い音があまり好きでないせい だと思う。しかしそれ以外に --- これは今日改めて聴きなおして気づいたの だが ---、これらの曲がドイツに居る時にしか聴く気になれないような独特の 雰囲気をもっているからというのも、あると思います!

2009年6月9日(火)
<<そのまんまですね>>
ラクト山科で昼食用のサンドイッチを買って12時頃に出勤。昨夜書いた書類 を事務に提出し、13時から14時半まで、経済学部、経営学部のCプログラ ミングの授業。受講生4名。授業の後TAの院生M君と少し話したところ、就 職活動は難航しているそうだ。そういえば、昨夜、就職活動中の学部生に出し た「お元気?」メールも、応答なし。皆さん、大変なご様子である。

14時40分から16時10分まで、2回生の代数の講義。この講義、 「毎週チンプンカンプンの講義ばかり聞かされて死にそう!」みたいな、学生 達の重苦しいオーラも感じられないし、そこそこ理解してもらってるのかしら。 学生に迎合するわけでもないけど、少なくとも受講生の半分以上が「何とか頑 張ればついていけそう」って感じの講義でないと、こちらも張り合いが無い。 そのため、天下り式に一般理論を展開する伝統的な群論の講義のスタイルとは かなり違ったやり方で講述しているのだけど、それがどこまで成功しているか は、前期試験の結果のお楽しみ。

講義の後、すぐに大学を発ち、18時前に帰宅。夜は少しだけ数学。

さて、今日の1枚は、イギリスとのクラリネット奏者エンマ・ジョンソンの "Voyage". ショパンの「幻想即興曲」、J.S.バッハの「主よ、人の望みの喜びを」、 ドビュッシーの「亜麻色の髪の乙女」、P.サイモンの「スカボロー・フェア」 を始めとして、ラヴェル、G.フィンツィ、G.ガーシュウィンなどの、誰で も一度は耳にしたことのあるようなクラシック、ジャズ、ポピュラー音楽を2 0曲ほど集め、全部クラリネットで吹いてしまおうというもの。クラシックで はビブラートは下品だから駄目とされていているけど、ジャズでは好んで使わ れるそうだ。ジョンソンが曲によって色々演奏法を使い分けているのも、この CDの聴きどころ。

ところでこのジャケット。何といいましょうか、全くエンマ・ジョンソン そのまんまですね。この写真のジョンソンは、私が幼稚園に上がるかどうかぐ らいの子供の頃にウチに来てもらってた、お手伝いさんのタミさん(仮名)に 雰囲気が似ていて、6月7日の「ビクター犬」とともに、ちょっとほろりとす るというか、懐かしい気分。

タミさんが、アルバイトのお手伝いさん以外に何をしていたのか知らない が、日々倹約に努め道楽にも走らず質素な生活をしていたようである。私の記 憶では、何となく地味な感じの人だったように思う。彼女は独身だったので、 私の両親をはじめ、周りの人達がお見合いを勧めたりもし、当時のことなので、 タミさんも特に嫌がるわけでもなく勧められるままに会ってみたりもしたのだ けど、どうもうまく纏まらなかったらしい。しかしある夏、食欲が無くなって、 大好きなお茶漬けも入らなくなり、夏バテにしてはちょっとおかしいというこ とで、結局病院に入院することになった。胃癌がそうとう進行していたらしい。 私の幼少の記憶でしかないが、当時は胃癌は死を待つだけの不治の病のような 感じで、本人への告知も手術も抗がん剤治療も何もなく、タミさんは数か月後 に亡くなった。 まだ40代の前半ぐらいじゃなかったかと思う。その後、小学校に上がって自 転車に乗れるようになった私は、「偵察飛行」の一貫として、時折タミさんが 住んでいた家の近くを通ってみたりしていたが、間もなくタミさんの事はすっ かり忘れてしまった。最近、津に帰った折に久しぶりに近くを「偵察飛行」し たら、区画整理などが進んで何処がどうだったか分からなくなっていた。

2009年6月8日(月)
<<お元気?>>
ラクト山科で昼食用のパンを買って、11時過ぎに出勤。11時半より半時間 弱、某先生と打ち合わせ。研究室こそこそ昼食の後、明日の講義のプリントの コピーをしたり、講義ノートを書き加えたり、資料を揃えたり、PCのセキュ リティーソフトのライセンス更新手続きをしたりといった作業の後、しばし数 学。14時半より16時過ぎまで卒研A(可換環論・代数幾何学)。研究室に 戻ってひと息ついたところで、先ほど学生に説明したことが間違っていること が判明し、来週の訂正用に正解をメモしておく。16時半より卒研B(初等整 数論)。今日も教育実習と就職活動のため、出席者は1名。少し早めに17時 半頃に切り上げる。ひといき付いてから大学を出て、19時半頃帰宅。昨日出 した「えぐい」メールの返事が来ていた。Rits で一時期流行っていた過労死 が、ウチの大学に伝染しました、と。え?Ritsで過労死が流行ってたのか?知 りませんでした。夜も、簡単な書類を1枚書いた後、少し数学。ふと思いつい て、就職活動で全く卒研に顔を出さない学生に、「お元気?」と携帯メールを 出しておく。

さて、今日の1枚は Michel Dalberto というフランス人ピアニストの、シュー ベルト「幻想曲『さすらい人』 D760」「16のドイツ舞曲と2つのエコ セーズD783」「クッペルヴィーザー・ワルツ」「ピアノソナタ・ハ長調D 613」「行進曲・ホ長調D606」。「さすらい人」は6月1日に紹介した、 エリザベス・レオンスカヤのCDにくらべて、ゆったりした調子。「16のド イツ舞曲...」は5月1日に紹介した、ブレンデルのCDにも入っている。

久しぶりに聴いてみたら、なかなか良いCDだと思った。なのに、何故今 までほとんど聴かずにその辺に押し込んであったのか。原因のひとつは、ジャ ケットの写真で、上目づかいの Dalbertoが「ガンを飛ばしている」からだと 思う。そういえば、このCDが出てくる度に、何やねん?何か文句でもあるん かいなと、少しむっとして、またその辺に押し込むのが常だった。

鮮やかなブルーと白抜き文字の下半分と、モノクロで押さえた上半分の組 合せがすっきりと纏まっていて、右上のDENONのロゴの部分の赤が良いアクセ ントになっている。この洒落たデザインの中で旨く収まるために、イケ面 Dalberto としてはガンでも飛ばすしかなかったのであろう。それはある種雰 囲気モノで良いといえば良いのだけど、それでもやはり、ヤなものはヤなので ある。

2009年6月7日(日)
<<「えぐい」会話の功罪>>
午前中は自宅でゆっくりしたり、近所のスーパーに買い物に出たり。午後は自 宅で数学。夕方、一段落ついたので、ラクト山科まで散歩。和菓子などを買っ て帰る。夜も少しだけ数学。他大学で教員をしている友人から、最近のRit sはどうだ?みたいなメールが届いたので、この日誌では書けないような「え ぐい」内容を書いて送る。

そういえば、S藤先生が居た頃は、よく互いの研究室に押しかけては、 「えぐい」会話をしていたものだ。それは同僚達に対する辛辣な悪口だったり、 学生の噂だったり、学科の運営をどうしていこうかという作戦会議だったり、 時には意見が対立して喧嘩することもあった。しかしS藤先生がRitsを去っ て、「えぐい」会話をすることも無くなると、自分が働いている職場に対する 興味は平板になり、脳は歪み、世界は複雑系と化し、研究以外の事に必要以上 にコミットすることは時間の浪費にしか思えなくなった。かくして、講義と会 議の無い日は「俺は此処に居るぜ」と京大近辺をウロウロしているのである。

さて、今日の1枚は Stephen Kovacevich というピアニストの、シューベルト 「ピアノソナタ・変ロ長調D960」と「楽興の時D780」。これも200 4年の春のエッセンで、何でもいいからシューベルトのピアノ曲を聴こうと思っ て、わけもわからずに買ったもの。「楽興の時」の第3楽章は結構有名な曲で、 街をぶらついていても時々聴こえてきたりするし、ピアノソナタも時折、おっ と身を乗り出してしまいそうな綺麗な部分もあるけれど、全体的に特に好きな 曲ではないためか、長い間その辺に押し込んであった。今日久しぶりに聴きな おしてみたけど、やっぱり私にとっては印象が薄いCDである。Kovacevichの ピアノの音も綺麗だけど、シューベルトっぽい清新さがあまり感じられない。 まあ、これはそういう曲なのかも知れないけど。

ジャケットも、薄くブルーかかった銀色のLP盤レコードをデザインして るけど、「どうだかな」って感じ。どうせならバウムクーヘンにして欲しかっ たな。右下のビクター犬の「しょぼっとした」表情には、多忙な両親の代わり に「福(ふく)」という雌犬に育てられた私としては心惹かれるも のがあるが、耳が黒いのがちょっと気に入らない。それから、このいかついオ ジサン顔の写真も鼻につく。解説パンフの中に出ている写真では、まずまずい い雰囲気のオジサンだが、この写真はよろしくない。この写真を意に介せずに 買ったぐらいだから、当時の私はまだ今のようにオジサン嫌いではなかったの でしょう。良く見たら、電動丸ノコギリで角型オジサン金太郎飴の薄切りを作っ ている図のようでもある。切っても切ってもオジサンが出てくるのって、街を 偵察飛行していて、何処に行ってもオジサンが居て、世の中はこんなにオジサ ンで満ち溢れているのかと内心ウンザリする感覚と重なり、気が重い。いや、 別に Kovacevich さんに恨みがあるわけではないんだけどね。その辺 はくれぐれも誤解の無いように。

2009年6月6日(土)
<<符丁の乱舞>>
昨夜は少し壊れていたけれど、一晩寝たら復活。本日ドイツ語寺子屋塾の日。 インターネットでドイツ語のテレビ放送を見て、ウオーミングアップしてから 自宅を出る。京大ルネで少し遅めの昼食の後、関西日仏学館の図書室で先日ゲー テで貰ってきたドイツ語の広報誌を読んで時間を潰し、15時過ぎに寺子屋へ。

先日寺子屋の先生と路上で会って簡単に挨拶した件について、「あんなとこ ろで何をしてたのか」と聞かれた。何をしてたかって、そりゃあ、Ritsで 講義も会議も無い日は、いつもこの辺をうろうろして研究らしき事をやってる のさ、と答えた。「でも私大の教員には研究時間など無いと聞いたが」と食い 下がられたので、それはどの私大かによるわけで、Ritsやそれと似たよう な大学の場合、京大ほどたっぷりではないけど、それなりの研究時間は確保で きるのだと答えておいた。私のこの答には、クラスメートである某有名私大名 誉教授の人も「そうだ」とうなづいていた。

本当はさらに、「それなりに確保された研究時間を、ある者は野望と戦略 につぎ込み、ある者は5分に1度ずつウソをついたり、ちゃぶ台をひっくり返 すために使い、ある者は酒に溺れ、ある者は研究からの逃避行動に全力投球し、 そしてまたある者は『偵察飛行』と語学学校通いとスポーツクラブと下らない 日誌書きにウツツを抜かすのさ」と答えたかったのだが、これを、半分冗談で 半分マジであることを示唆しつつ、全部ドイツ語でやるのはシンドイので、結 局断念した。

17時前に授業が終了し、川端通りを通って徒歩で三条河原町まで。JE UGIA三条本店とAnger河原町三条本店を偵察。リプトン河原町三条店 の抹茶パフェが美味そうだった。近いうちに抹茶パフェの昼食と洒落込むこと にしようと決心して、地下鉄で帰宅。夕食後はスポーツクラブ。帰宅後は火曜 日の代数の講義の準備。

さて、今日の1枚は Massimilano Damerini というピアニストの、シューベル ト・ピアノソナタ集。「ピアノソナタ・イ長調D959」「ワルツ・ト長調D 844(アルバムのページ)」「ピアノソナタD655」「幻想曲・ハ長調D 605(グラーツ幻想曲)」。前から思うのだけど、クラシック音楽の曲名の 付け方は何とかならんもんだろうか。

「シューベルトのピアノソナタ・イ長調D959は、たとえば、 ベートーヴェンのピアノソナタ第4番作品7の影響が感じられるね。 でも、俺としては、もうちょっと古いところで J.S.バッハのフルートとチェンバロのためのソナタ・イ長調BWV1032 の方がぐっとくるんだけど」

「モーツアルトはどう?あのピアノ協奏曲第22番K.482 とか第23番K.488とか聴いたら、もうシューベルトもバッハも聴く気 になれないよ」

みたいな会話(例のため、内容はかなり出鱈目です)と、

「DECのVAX-11のアーキテクチャは、たとえば 往年の名機PDP-11の影響が感じられるね。 でも、俺としてはもうちょっと古いところで DEC2060 の方が ぐっとくるんだけど」

「PCはどう?あのOKIのIF800モデル10とかモデル20とか使ったら、 もうNECのPC98とかIBM5550なんて使い気になれないよ」

みたいな会話(今の人が読んでもわからないように、わざと25年ぐらい 昔の会話を使っています)と、一体どう違うというのだ? その筋の人にしか分からない符丁の乱舞という点では同じではないか。 「星影のワルツ」とか「リンゴの歌」とか「津軽海峡冬景色」とか「スカボロー フェアー」とか「僕とフリオと公園で」とか「サウンド・オブ・サイレンス」 とか「シェリーに口づけ」とか(オジサンっぽく、古い歌で固めてみました)、 もうちょっと分かりやすい名前にならんものかしら。

さて、ジャケット。この絵、ちょっと気持ち悪いんです。子供の頃の私は 非常に神経質な子で、公衆浴場や他所の家の風呂に入るのが大嫌いだったのだ が、どこかの風呂の壁がこんな感じだったような気がする。いや、こんな精緻 な絵が描いてあったわけではなく、白壁についた水垢などの紋の記憶と、別の ところで見たこんな絵の記憶が、出来たてのプリンのような幼い脳味噌の中で 合体したのであろう。どこかのレストランでロースハムが出て、こんな感じの 模様に見えるのが気持ち悪くて、わんわん泣いてたこともあったな。親父は「こ いつ、何で泣いてるのか、さっぱりわからん」と首をかしげていたけど。そりゃ あ、わからんだろうね。

2009年6月5日(金)
<<俺はいつも此処にいる>>
関西日仏学館の日。高校の同窓生達のテニスサークルからメールが届き、Ri tsの事務に大学のテニスコートが使えないか問い合わせたり、草津近辺のレ ンタルテニスコートを調べたりしているうちに午前中が過ぎる。大急ぎで宿題 を済ませ、少し動詞の活用形のおさらいをし、自宅で簡単に昼食を摂ってから 京大数理研図書室へ。夕方まで数学。数理研図書室は耐震工事のため来週一杯 で閉鎖され、再開は来春の予定とか。これからは理学部数学教室の図書室に巣 食おうかしら。学生時代の苦く悲しい思い出が染み付いたあの数学教室の建物 には、あまり近づきたくないんだけどな。

17時に数理研図書室が閉まり、関西日仏学館の図書室に移動。また少し 動詞の活用の復習をしてから、京大ルネで夕食。その後、ルネの書籍部を少し 冷やかしに行ったら、また昨日のRitsの院生が居て「先生、また此処にい ましたね」みたいな顔をしていた。ああ、そうだよ、俺はいつも此処にいるのさ。

19時前から21時頃まで授業。帰りはまた、アルコール濃度16%芋焼酎2 20mlワンカップの路上飲酒をしながら、京都市役所前まで徒歩。それから 地下鉄で帰宅。夜も少しテニスサークル関係で、少し検索したりメールを出し たり。

さて、今日は田部京子のピアノでメンデルスゾーン「無言歌集」。気分的にどっ と疲れた時に聴きたくなる1枚。それにしても、「無言歌」という謎めいた形 容矛盾に満ちた言葉は、人が「四面楚歌」の状況で聞く歌声を表しているよう にも思えるし、Ritsでは別に珍しくも何ともない(?)誰も何も発言しないの に何かが決まってしまっている不思議な会議とか、受講生が誰も居ない教室で 粛々と進行する「伝説の講義」とか、卒研生が一度も顔を出さない研究室の設 備備品を買い揃えるために毎年数百万円の予算が強制配分された(旧)情報学 科の私の研究室とか、それやこれやの比喩のようでもあり、電車の中で鼻糞を ほじくっているおニイさんや、論理は支離滅裂だが欲望の一貫性だけは保たれ ていたりするオジサンの頭蓋骨の中で、白い煙とともに漂っているものを指し 示しているようでもある。嗚呼、それなのに、何故、無言歌はかくも美しく心 に沁みるのか?と。

いや、その、今日は疲れてますんで、ちょっとウワゴト言ってます。 言ってることに深い意味は無いですから、気にしないでください。私の母もそ うだったけど、私、疲れてくると無駄に言葉を垂れ流す習性があるんです。

それにしても、このジャケットの写真の田部さんは、湖を見て物思いに耽っ ている猫に見えます。私は猫の後姿は好きですし、猫に見えるのは悪いことで はありません。湖面と衣服のブルー、さらには豊かなセミロングの髪の黒の組合せ はちょっとしつこい感じがするのですが、ピントをぼかしたために 絵にメリハリが無くなった影響でしょう。しかし、「MENDELSSOHN LIEDER OHNE WORTE, KYOKO TABE」と白ヌキのアルファベットで書いた軽さは正解です。例えば昔の 松竹映画のタイトルや出演者の文字みたいな神経質な書体で、まるで画面に 引っ掻いたかのように黒い漢字やカタカナで「メンデルスゾーン 無言歌  田部京子」って書いたら、結構怖い雰囲気になるでしょう。ハングルで書 いてみるという奇策も考えられますが、そういう絵は、以前カラオケボックス で通称「遊びの司令塔清少納言」様が得意のハングル語の歌を歌っていたときに 見たようなような気がして、私としてはちょっとイメージが狂ってしまい、 メンデルスゾーンって感じがしなくなります。

と、やっぱり駄目ですね。今日の私はかなりオカシイです。もう寝ます。

2009年6月4日(木)
<<東欧の憂い>>
研究日。午後は京大数理研図書室。昨夜夢の中で閃いたアイディアで少し考察 を進めてみる。少し進展したようだけど、解決にはほど遠い。夕方、数理研か ら帰る途中、理学部数学科の方も「偵察飛行」。またもRitsの院生に会っ てしまった。京大で開かれた集中講義に来ているらしい。「先生、Ritsじゃ なくて、京大でお会いすることが多いですね」と。そりゃあそうだよ。私は講 義や会議の時しかRitsに居ないし、それ以外はいつもこの辺をぶらぶらし てるからね、と。今日はバスで京都市役所前まで行き、JEUGIA三条本店 をさらっと偵察。それから、大丸ラクト山科店で、ワインを赤、白一本ずつ買っ て帰宅。夜も少し数学。

さて、今日の1枚は、Andreas Staier, Alexei Lubimovという2人のピアニス トによるフォルテピアノ(古楽器ピアノの一種)で、シューベルトの嬉遊曲集。 「ハンガリー風嬉遊曲D818」と「フランス風主題による嬉遊曲D823」 の2曲が入っている。

嬉遊曲(ディベルティスメント)とは、明るく軽妙で楽しく、深刻さや暗 い雰囲気は避けた曲風の室内楽なんだそうだが、じゃあ、私が想像するように、 パアーっと馬鹿みたいにあっけんからんとしたものかというと、全然そうでは なく、ハンガリー風嬉遊曲などは「東欧の憂い」ムンムンで、その奥ゆかしさ にちょっぴり胸がキュンとする。

「東欧の憂い」ってのは、サナトリウムで長い療養生活を送る美少女が、 その青白く病弱そうな顔に弱弱しい微笑みを浮かべ、細い指をした手を軽く振っ て合図しているような、まあ、そんな感じのことを言ってます。昨日書いた、 リディア・シモンがマラソン走ってる時も、「東欧の憂い」ムンムンですね。 マラソンのチャンピオンが病弱なわけがないので、「東欧の憂い」ってのは完 全に私がそう感じているだけということなんだけど。闘志満々のマラソン選手 や、「明るく軽妙で楽しく、深刻さや暗い雰囲気は避けた」曲に憂いを見出す私っ て、変かしら?いいんです。どうせ、私、変なんです!

あ、そういえば、昨日、エッセンにルーマニアの研究者が来てた云々って 書いたけど、あれは間違いで、正しくはポーランドの数学者でした。あと、 「フランス風主題による嬉遊曲」が全然フランスっぽくないのが、可笑しい。 フランスっぽいっていうのは、どこか腹の底でふっと力を抜いたような、そん な感じのことを指してるんだけど。まあ、シューベルトは変に脱力するよりも、 いつものようにキリってしてた方が良いと思うので、フランスっぽくないフラ ンス風嬉遊曲もオッケーよ。

さて、このジャケットの画像はブルーがかって見えるかもしれないが、実 際は完全なモノクロ。そして左側のCDケースの縁のところが鮮やかな赤い帯 で、小気味良いアクセントになっている。まあ、洒落たデザインだ とは思うのだけど、私はこれが魚の背びれに見えてしょうがない。こんなに大 きな背びれだから、本体はどんなに巨大で不気味なことかと、空恐ろしくなる。

昔、「海底大戦争スティングレイ」という特撮モノのテレビドラマがあっ て、「サンダーバード」を作ったイギリスの会社が作ったそうだけど、あれは 嫌いだった。何たって、ピラニアの化け物みたいな潜水艦が出てくる。子供心 にも「アホか!?鯛焼きのお化け泳がせて何しとるんじゃ!?それで、ナニかい? あの巨大ピラニア潜水艦には邪悪な半魚人が乗ってるのか?やめろ!やめてく れー!」って憤慨してましたね。

そのテーマソングがまた凄くて、「♪飛び交うミサイル〜 吹っ飛ぶ陰謀、 押し寄せる黒い怪物を〜打ち砕く最新原子力潜水艦〜、スティングレー、スティ ングレー、 海底大戦争〜♪」っていうのだった。 海底だから、ミサイルじゃなくって魚雷だろう!?って、そんな野暮な 事は言いませんよ。だけどね、「飛び交うミサイル、吹っ飛ぶ陰謀」って、こう いう言葉のセンスは比喩としてだったら嫌いじゃないけど、文脈からして比喩でも 何でもないし、もう、身も蓋も無いメチャクチャじゃないか、と。

2009年6月3日(水)
<<命からがら>>
昨日の夕食後に飲んだカフェオーレが効いて、昨夜は明け方まで眠れず。しょ うがないので布団の中で数学を考えていたのだが、進展無し。昼前に起床。本 日研究日。午後は京大方面へ出掛け、ルネでかなり遅めの昼食。「昔の冷麺」 というのを食べてみたが、刻みレタスが入っていたり、ハムが刻んでなかった りでは、昔の冷麺とは言えないのではないかと思い、「私もひとこと」に投稿。 「『昔風の冷麺』と言うなら許す」と。今は京大生協の職員だけど、昔ゲーテ で一緒だった人がいたので、軽く挨拶。それから京大数理研へと思ったが、京 大生の暴走自転車から身を守りながら命からがらに数理研にたどり着いても、 17時で閉館とあらば、そう長くも居られまいということで、関西日仏学館の 図書室に籠る。17時半過ぎに切り上げ、何故かバスに乗る気が起こらず京都 市役所駅前まで徒歩。途中、ドイツ語寺子屋塾の先生と路上で出合ったので、 これもまた、軽く挨拶。ラクト山科で饅頭を買って帰宅。夜も少し数学。

さて、今日の1枚は、NAXOS廉価良盤シリーズでは珍しく(?)、ジャケット に印象派以前の退屈(!)な絵を使っていないこのCD.ロンドンの国際コン クールで優勝したとかいう、フィンランドの若いピアニスト Antti Siirala のシューベルト、ピアノ編曲集。「冬の旅」とか「魔王」とか、有名な曲が集 められている。まあ、国際コンクールで優勝したぐらいだから、上手いといえ ば上手いんだけど、特に胸にぐっとくるような演奏でもなく、何となく印象が 薄い。

それにても、このSiiralaさんの写真はどう受け止めれば良いのか、実はC Dを買った数年前からずっと気になっている。その辺に埋もれていたのを今日 久しぶりに引っ張り出してみて、フィンランド人だという先入観から「そうい えばムーミンみたいな顔だな」とも思ったが、この流し目といい、やや表情の 固い笑みといい、「気のいいお兄さん」って感じはしない(勿論、本人がどう いう人なのか全然知らないけどね)。無人島で1年暮らすことになって、 一月に一回食料を届けてくれる兄さんがこの人だったら、やっぱり気を遣う だろうな。

人種が違うと、時に顔の印象が乱れるようで、計算機屋だった昔、フランス 人の研究者に私の身分証明書の顔写真を見せたら、「何だか悲しそうな顔をしてい るな」と言われて驚いた。すまし顔かも知れないが、何で「悲しそう」に見える のか?と。

ルーマニアのマラソン選手でリディア・シモンって人が居るが、 あの、いつも憂いを湛えた表情で粛々と走る姿が印象的だけど、案外本人は 晴れやかな気分で走ってるのかも。エッセンでルーマニアの数学者が客員研究員 で来てたことがあったけど、そういえばシモンと良く似た「憂いを湛えた表情」 をしてたな。でも、話してみたら全然憂えてなかった。

あとは、エッセンでドイツ人数学者の友人が昼休みに 学生達とカフェでお喋りしているところをビデオで撮って、後で見せてやった ら、「うーん、相変わらずオレは悲愴な顔してるなあ」と言っていて、これまた 驚いた。私には意気揚々とした顔にしか見えなかったし。もっとも「悲愴な顔」 というのは、彼一流の奥の深い冗談だったのかも知れないけどね。

実は、日本人の顔の表情も頻繁に読み間違えてたりして、それが”脳の空洞” とともに、私の人生におけるさまざまな幸福と不幸の原因になっているかもね。

2009年6月2日(火)
<<世界で一番忙しいピアニスト>>
ラクト山科で昼食用のサンドイッチなどを買って、昼過ぎに出勤。13時より 14時30分まで、経済学部・経営学部の「C言語とUNIX演習」。受講生 は2回生の3人組。4回生は就職活動のためか、欠席。引き続き14時40分 より16時10分まで、数理科学科2回生の代数学の講義。その後、16時3 0分から18時半頃まで教授会(のような会議)。猛獣のような先生ががるる るると吠えているのを聞いている最中に強い睡魔に襲われ、しばし棺桶に入っ て死ぬ練習をしていたら、別のバリトン歌手みたいな声の先生が朗々と発言し 始めて目が覚める。会議の後、某先生の研究室を訪ねて、20分程度打ち合わ せ。生協で夕食。向こうから友人と二人で歩いてきた学生が生協カードを落と すのを目撃したので、知らせてやった。

何故かわたしは、世の人が道すがら物を落として気づかずに通りすぎるの を良く見かける。あんなに明らかな落とし方をしているのに、本人は全然気づ かないのだから、可笑しい。そういう私も、胸ポケットに入れておいたポール ペンを何本落としてきたか、数え切れないぐらいなんだけどね。夕食後、研究 室からメールを出したりといった雑用を少し片付け、20時過ぎに大学を発つ。 帰宅は21時半頃。

さて、今日の1枚は、NAXOS廉価良盤シリーズで鬼のように膨大なCDを出し ていて、「世界で一番忙しいピアニスト」の異名をとる、ハンガリーのJeno Jando が、同じくハンガリーのZszusa Kollarと一緒にシューベルトの四手ピアノ曲を集めたもの。一時期は価格 の安さに惹かれて、ジャケットの絵の退屈さにも負けずにせっせとNAXOS廉価 良盤でシューベルトのピアノ曲のCDを買い集めていたら、そのほとんど全て がJeno Jandoが弾いていた。これではいかんと思って、他のピアニストのCD も意識して聴くようにしたけど、Jeno Jandoの衒いの無い明晰なピアノの音は、 結構シューベルトと合っていて、このCDも(ジャケットの絵の退屈さが原因 で)本当に久しぶりに聴いたのだけど、いい感じだなと思う。

もう一人のKollarという人は、私と同業の数学者なら誰でも知っている超 有名数学者と同じ名前で、思わず興奮してしまうんだけど、まあ、この場では 仕事の話は抜きということで。。。

このジャケットの退屈な絵は、カスパール・ダヴィット・フリードリッヒ という、シューベルトとほぼ同じ世代のドイツ・ロマン主義の画家のようであ る。前のJ.S.バッハのフルート・ソナタのCDのときもそうだったけど、 NAXOS は作曲家ゆかりの地の、当時の様子を偲ばせる絵を使うという方針でジャ ケットをデザインしているのかしら。それはそれで悪くないアイディア だとは思うんだけど、印象派以降の絵にしか興味の無い私としては、文句の ひとつも言いたくなるってわけ。

2009年6月1日(月)
<<脳の空洞>>
昼ごろに出勤し、明日の授業のレジュメを印刷したりといった作業など。14 時半から16時過ぎまで卒研A(可換環論・代数幾何学)、16時半から18 時まで卒研B(初等整数論)。卒研Bは就職活動や教育実習などで欠席者が重 なり、今日は1名。ゼミのテキストに、オイラー関数のある性質がたった3行 で証明されており、その行間を埋めるべく学生と二人で七転八倒。今日じゅう には解けずに次回持ち越しになるかと思ったけど、ゼミ終了予定時刻の18時 までに何とかねじ伏 せることができた。卒研ゼミって、このスリルがたまんないんだよね。それか ら生協での夕食を挟んで色々雑用。19時半から某先生が研究室を訪ねてきて、 しばし打ち合わせ。その後もしばし雑用の後、21時過ぎに大学を発ち、 帰宅は22時過ぎ。

さて、今日の1枚はエリザベス・レオンスカヤ(Elisabeth Leonskaja)のピア ノで、「幻想曲D760『さすらい人』」と「ピアノソナタ18番(D89 4)」。このCDは’04年の前期にエッセン大学に滞在した時に買った。ド イツの6月は爽やかに晴れて気持ちが良く、レオンスカヤもそんな感じのシュー ベルトを弾いていて、特にピアノソナタ18番の第4楽章に夢中になったもの である。

小学校6年生の頃だったか、音楽の授業で、各自好みの楽器で好みの曲を 皆の前で演奏したり歌ったりしたことがあった。その頃の私は既に音楽の授業 の著しい落ちこぼれだったが、笛やハーモニカを先生の手本を真似してテキトー に吹くのだけは得意だったので、それで何とか誤魔化したのだろうと思う。と ころが、同級生のちょっと優等生っぽい女の子は、『さすらい人』の第一楽章 を弾き、さらには、やはり優等生っぽい別の女の子も加わって、今度は四手で 同じようなレベルの曲(これは何の曲か今でもわからない)まで弾いていた。 これには脳に穴が開くほど驚き、愕然とした。同じ子供同士なのに、既にこん なに差がついているのか、と。

ジャケットの写真は、apex レーベルお得意の「自然の驚異(?)シリー ズ」。綺麗だけど何が写ってるんだか全然わからない。タンポポのようにも 見えるけど、「これ、タンポポね、わかるでしょ」みたいな感じにはなってない。 私の歪んだ脳味噌を、 ある薬剤で処理して不要な蛋白質を溶解させると、こんな風に主要な脳神経網 の残骸だけが残る。正常な脳の場合は、糸瓜(へちま)タワシかウニの標本み たいに神経網が満遍なく密集している。でも、ほら、この標本の場合、下の方 にイトマキエイの口みたいにポッカリと開いている神経網の空洞が見えるで しょ?高山の諸々の幸福や不幸は、全てこの空洞から生まれてでたものなんだ よ、、、って、やっぱりちょっと違うなあ。かように「意味」の介在や、言葉 による解釈の企みを容赦なく跳ね飛ばすところが、この写真の美しさの 秘密ね。