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よ け ス ペ ー ス で す。

2010年3月31日(水)
<<つまみ食い>>
朝、ホテルをチェックアウトして「別荘」へ。勝手口のセメントの固まり具合などを確認。この自己流の工法で良かったかどうか、しばらく様子を見ることにして、予定して いた追加の作業は取りやめにする。その代わり、庭先の掃き掃除をし、閉めてあった雨 戸を開けて全ての部屋にざっと掃除機をかける。そうこうするうちに昼になったので、戸締りをして「鰻のD亭」へ。と、年中無休のはずだが今日は臨時休業。電話で確認して おくべきだった。しょうがないので、今度は電話を掛けて営業していることを確認したうえで、次の候補「鰻のH屋」へ。 まあ、これで鰻も2回食べたし「別荘」の補修や掃除もやったしということで、少し早 いけど家路につく。

帰りの近鉄特急の中では、レビューを依頼されている論文を読み、帰宅後レビューを 書きあげる。昨日書いたレビューとともに、TeXが動く大学のPCで仕上げてメールで 提出したら完了だ。TeXはちゃんとネットを探せば分かると思うが、面倒臭いので放っ てある。残るはレビュー2件と査読1件。レビューが残っている間は、なかなか査読を 引き受ける元気が出ないので、兎に角レビューを先に片付けよう。

夜、新学期の準備を色々していて、ふとした探し物をするために、散らかった自宅の部屋を整理。探し物は見つからず、たぶん大学に置いてきたのだろうと、今日のところは諦める。それにしてもPCが壊れる前のことをすっかり忘れているが、ああ、こんなことをやってたのかと思うような中途半端に放り出してある作業の資料がぼろぼろ出てきた。かと言ってその作業に戻ってきっちり終わらせるのも億劫で、またその辺に 放り出して見なかったことにする。 私の研究も結構行き当たりばったりのつまみ食い的様相を帯びていて、 こういうところに性格が出てしまうんだよね。

その後、気を取り直して日曜日に読んでいたプレプリントの続きを読み始める。

2010年3月30日(火)
<<人格が変わる>>
京都駅11時20分の近鉄特急を逃し、駅弁を買って11時50分の電車に乗る。 電車の中では、例の難しい教科書の解読作業。 14時過ぎに津に着き、ホテルにチェックインして荷物を下ろしてから「別荘」へ。 修繕対象箇所の状態をざっと確認し、自転車で津市内のホームセンターに繰り出す。 この巨大ホームセンターは、私が通う予定だった某県立T高校の隣に最近でき たようだ。速乾性セメント、ゴム手袋、セメント細工用コテなどを購入。

このT高校にはよく遊びに行ってた。自宅から割合近いこともあって、中学生の 頃は「自分はこの高校に通うことになるんだな」と思って「偵察」を繰り返していた し、高校進学後も中学の同級生たちが沢山通っているし、彼らのコネで卓球部の練習 にも参加させてもらったりして、結構出入りしていた。だから、ちょっと言葉を交わ しただけの顔見知り程度の友人もたくさんいた。 私が高校進学する年に学校群制度が始まり、抽選の結果、結局、山のてっぺんに新設されたマムシと竹藪とヤンキーのメッカTS高校に 通うことになったけれど、今となってはT高校もTS高校もどちらも自分の母校みたい な気分だ。

「別荘」に帰って作業開始。勝手口の上がり框のコンクリートが劣化して、大きく ひび割れている。割れたコンクリートをはがしてみたら、中は大変なことになっていた。 と、30年かそれ以上昔に父親がぼそっと言ってたことを思い出した。勝手口のタタキ は父親の手製で、外目には綺麗にコンクリートが塗り固められているが、急いで作った こともあって、内側は砂や煉瓦や煉瓦の破片が出鱈目に詰め込まれて大変なことになっ ている。将来コンクリートが劣化して割れ始めた頃には、ちょっと厄介なことになる だろう、と。そして今、確かに「厄介なこと」になっている!私は父親に似ず、手先がそれ ほど器用ではないし、コンクリートを扱うのは今日が初めてだ。しょうがない、適当に やろう、と。それでも、コテでコンクリートを塗る感触は、油絵でパレットナイフを 使うのと似ていて、ちょっと面白い。なんて調子でやってたら、出来栄えは 結構「芸術的」になってしまった。いっそのこと、この「別荘」をガウディ風に 作り変えてやろうかしら、と。

夕方暗くなってきたので、適当に作業を切り上げ、近所のなじみの鰻屋へ。昼は やってたのに、夜は「準備中」の札がかかっている。でも親父の姿が中に見えたので、 思い切って戸を開けて「もう、終わりましたか?」と聞いたら、「いいよ」とのこと。 やはり馴染みの店は無理がきく。そのかわり、親父の世間話にかなり付き合うことに なった。この親父が私と話すときの雰囲気や他の人とのことを色々考えあわせると、 私は「大学教授なのに偉ぶってなくて、気さくで話しやすい」そうである。そういう 風に面と向かって言われたことも複数回ある。 でも、そんなことあるもんか。俺なんざね、自慢じゃないけど大学や学会では誰も 恐ろしくて声も掛けてこないぞ(それって、要するに「相手にされてない」って ことじゃないですか?という突っ込みは瞬殺却下ね)。 まあ、大学教授もハズミと勢いでなったようなもんだし、 そのせいって訳でもないけど、大学や学会に居る時は 人格が変わって「お前ら、寄って来るな!馬鹿野郎」って感じになることも確か だけどね。

美味い鰻をたらふく食べてホテルに戻り、論文レビュー4件のうち1件を一気攻略。 レビューも一応書いたけど、まだ私のPCにTeXがインストールされてないので、 仕上げは京都に戻ってから。

2010年3月29日(月)
<<義理と人情>>
冬に戻ったんじゃないかというぐらい、寒々とした日。

午前中に出勤。まずは最上階の事務室へ。エレベータに、昼間は薄暗い自宅で 気を失っているはずの某同僚が、重そうな体で苦しそうに呼吸をしながらずずずん と入ってきて途中まで一緒になった。エレベータを降りたら、廊下を別の某同僚が 幽霊のようにふらふらと歩いていた。事務室では、新しい学科長の先生が、これか らの激務の準備であろうか、事務の人に色々確認していた。皆さん、なんだかんだ と大学に来てますね。

郵便ポストを確認したら、またも論文レビューの依頼が2件届いていた。これで 3週間ほど前に督促状が届いた1件を含めて5件になった。あと某学術雑誌の 投稿論文の査読依頼が1件。流石にこれだけ溜まってくると、放ってはおけないなと、 思わず溜息をつく。

生協コンビニで買った昼食を研究室でとってから、某定理の初等的証明がどこかで 発表されていないか調べ、その調査を依頼してきた友人にメールで連絡。それから 出張報告書を書いて事務に提出し、提出期限がきた本を図書館に返しに行く。

その後、13時半から1時間ほど来客があって打ち合わせ。うーむ。私、こんなに 次から次へと頼まれ仕事を引き受けて大丈夫なのかしら、と。査読やレビューの仕事も 溜め込んでるし。研究に専念したければ、「あの人に頼めばやってくれるかも」と周りに 思わせては駄目で、お人好しの私などは特に気をつけなくてはならない。 しかし自分自身も多くの人の世話になっているから、そう無碍に断るのも気がひける。 個人プレイの数学研究でも、やはり義理と人情が微妙に絡むのである。

打ち合わせの途中で、明後日で定年退職する先生が残務整理の関係で何やら問い 合わせてきた。

打ち合わせが終わってからSubwayにコーヒーを買いに行き、それを飲みながら、 督促状を蹴飛ばしていた論文レビューの仕事に取りかかる。幸い短い論文だったの で2時間ぐらいでさっと読み終えて、あとの1時間でレビューを書いてメールで 送り、一件落着。これが片付いただけでもずいぶん気が楽になる。あと気になっている のは論文の査読審査。引き受けようかしら、それとも断って誰かに押しつけようか、と。

ふと窓の外を見ると、粉雪が舞っていた。そういえば東京の研究所勤務の頃、 4月初旬に季節外れの大雪が降って、客員研究員で来ていたフランス人たちを誘って いた花見が中止になったことがあったっけ。

帰宅後はPCに暗号化ソフト「アタッシュケース」をインストール。Windows7 対応とは書いてないけど、ネット情報によれば大丈夫そうなので、それを信じて やってみたが、問題なくインストールできたし、ちゃんと動作するようだ。

まだ春の陽気とまではいかないけれど、明日いよいよ「別荘の修繕作業」プロジェ クトを決行すべく、津に帰る。津のホテルを予約してから、現地のホームセンターの 場所を調査する。昔から図画は好きだったけど工作は大嫌い。もの作りが嫌いで メーカーの技術者をやめたんだけど、こんな形でもの作り(正確には修繕) の仕事がめぐってくるとは、因果なもんである。

ホテルでインターネットが使えれば、明日も更新する予定。

2010年3月28日(日)
<<エノキ茸>>
休息日である。実は、論文の査読やレビュー、その他の頼まれ仕事が山積しているのだが、 みーんな放り出して休息日。例によって「オチビさん」「7つの間違い探し」「クロスワー ドパズル」で遊んだあと、emacsの設定作業を少し。ネットで色々調べて”.emacs”ファ イルを認識させるところまでは行ったけど、漢字コードの設定がうまくいかず。 Windows7ではその辺が問題になっているらしいから、もう少し様子見しよう。 漢字を使うときは当分Wordが手放せない。

その後、数学。以前ダウンロードした、標準環の有限生成性を中心に森プログラム の解説をしているプレプリントが、今なら読めそうなので、ちょっとトライしてみる。

夕方、散歩がてらにラクト山科を偵察。ロードランナー逆走男が地下1階スーパー 「フードショップ」の袋を下げてエスカレータを地下1階から1階に上がるのを発見。 早速尾行。奴の袋にはエノキ茸が透けて見えた。1階に上がってからは、そのまま マクドナルドに入っていった。店の前で奴が出てくるのを待とうかとも考えたが、 そこまで頑張る私って何なのよ?と思いとどまり尾行を中止。 1階の酒売り場を経由して4階の山科書店を偵察し、同じフロアのベンチでしばし 数学。その後帰宅しようとまた1階のマクドナルドの前を通ったら、ロードランナー 逆走男はまだ店内に居て、例の鋭い眼光に不吉な笑みを浮かべて新聞に読みふけって いた。おい、逆走男。もう夕食の時間だろう。エノキ茸はどうするんだよ。

山科には、出演したCMを言えば誰でも知ってそうな新進気鋭のチェリスト とか、先日亡くなった森林生態学の巨人だとか、 イギリス女王から勲章もらったピアニストの影武者とか、 色々偉い人が住んでたりするけど、その一方で、 昼夜逆転の飲んだくれ数学者とか、 私が密かに「縦に引き伸ばされた『べし』」(「べし」とは赤塚不二夫の漫画 に出てくる思慮深そうなカエルのことである)と呼んでいる経済学部だか経営学部 だかの先生など、変わった人間も住んでいる(「お前もだろうが」というコメント は一応無視しておく)。 そしてこのロードランナー逆走男も、これまでの調査結果から 推察するに、おそらく山科の住人である。

散歩から帰ってきた頃に、寺子屋の元生徒からメールの返事が来ていた。 もしかしてそうかも?と予想してた通りのことが実際に起こっているらしく、 しばらくドイツ語学習には復帰できそうにないとのこと。 それはそれは、おめでとう。でも私は4月からやはり、同世代のオジサンの先生 と二人っきりで濃密な授業を受けることになるのか。。。と少し暗い気分になる。 この苦境を乗り切るためには、マゾに徹するしかないな。 否、こういう状況でもやはり4月から寺子屋に通おうとしている私は、 既に立派にマゾ・モードに入っている。

夜も少しプレプリントを読み進める。

2010年3月27日(土)
<<シンポジウム>>
学会最終日。今日は午後に大学院教育についてのシンポジウムに出るだけ。 午前中にホテルをチェックアウトし、大きな荷物を横浜駅のコインロッカーに 預けて横浜中華街へ。土産用の大月餅2個を購入して昼食をすませてから、 慶応矢上キャンパスへ。イタリアントマトで1時間ほど数学を勉強してから、 シンポジウム会場へ向かう。

シンポジウムは、大学院博士課程の学生の就職問題がテーマで、要するに企業 へのインターンシップをしっかりやって、企業と学生双方に数学博士が社会で有用 な人材であることを認識してもらおうという話だった。パネルディスカッションの 中で「会社に勤めても、9時から17時までは仕事して、夜と休日は数学ができる だろうし」みたいな発言があって、正社員が過労死寸前までこき使われているとい う世の中で、そんな貴族的生活をしている会社員が居るのかしらと思ったけど、 まあ、居る所には居るんでしょう。知らないけどね。

大学院教育にほとんど無縁な私がこのシンポジウムに参加するのも変な話だが、 こういうことを真面目に考えなければならない立場の人たちの苦労はどんなものか、 高みの見物でもしてやろうという興味があったし、国公立大学院進学を考える 研究者志望の学生の相談に乗る際の参考になろうかと思ってのこと。

帰りの新幹線の駅で、この4月から他大学へ転出される工学系某学科の先生と ばったり会ってご挨拶。だいだいにおいて、工学系の先生は愛想がよい。じゃあ、その 対極は数学屋かというと、そうでもない。何年か前の学会出張の折も、東京駅の 地下街の雑踏の中で、やはりどこかに出張していたであろう、私が密かに「腐った 魚の目をした坂本九」と呼んでいる物理の先生とすれ違った。 この腐目先生も例に漏れずだが、一般に物理屋は顔見知りの数学者に会っても 「何だお前」みたいな感じで決して挨拶などしないし、こちらが会釈しても 知らん顔をするのが普通である。何を思って彼らがあんな尊大な態度を とるのか知らないけれど、それが我らが複雑系の皆さまの根深い物理屋嫌い の理由のひとつになっているのだと思われる。

帰りの新幹線の中でPCを使う練習。PDFで論文を眺めたり、日誌の原稿を書いたり。ビジネスマンたちは、みな無線でインターネットに接続するアダプタを使ってるようだ。あれは便利そうだし、大学の研究費で買ってもらおうかしら。21時頃無事帰宅。

2010年3月26日(金)
<<あっぷあっぷ>>
学会3日目。今日は12時から14時までの予定で、公立私立大学懇談会 という名の会議。公立大学と私立大学の代表の先生達が集まって、現状報告 をしあうのがおもな内容。昨今公立大学や私立大学の数学科は鳴かず飛ばず の状況におかれているので、現状報告は「ウチの大学の数学科は規模縮小を 迫られてます」とか「いや、うちなんぞは頭ごなしに数学科廃止が決まりま したよ」といった景気の悪いシケた話ばかりで、かなり憂鬱な気分になって 帰ってくるという会議である。そんな会議でもマゾのお前なら平気だろうと いうことで、いつも私に代表出席者の役目が回ってくる。

連絡会議は予定より20分ほど早く終わり、代数学賞受賞講演を聞きにいく。 どうせ聞いてもわからないだろうと思いつつ、数論幾何学のコホモロジー理論 の話を聞きにいった。猛烈な早口で繰り出される、未知の概念や専門用語の 洪水のなかであっぷあっぷししつつも、ひとつだけ「そうか」と思ったことが あって、やはり聞いて良かったと思う。

研究集会や学会の講演を全て理解できる数学者なんて滅多に居ないし、その 意味では大学の数学教師は、わからない数学の講義を聞くことにかけてはプロなの である。学生は分からない講義に対して、すぐにおしゃべりに興じたり、居眠りし たり、携帯電話をいじくるといった反応をするが、それは連中が講義を聞くことに かけて素人だからである。ふっ、素人めが、と切り捨てたいところだが、そうも いかないところが辛いところである。

それからいったんホテルに戻って、小一時間ほどしてから秋葉原に 繰り出し、国立研究所時代の友人たちと飲む。
「高山、お前も性格が丸くなったな」(まあね)
とか
「こういう飲み会に積極的なところをみると、お前も大学で相当 辛い思いをしてるんじゃねーのか」(ああ、そうだよ。脳が歪むって のは、そういうことだけど、何か?)、
とか、
「お前、路上飲酒してるそうじゃないか。えらいオッサン臭いことするんだな?」 (ネコはネコらしく、オッサンはオッサンらしく。満天の星空、 道行く人々はみな美しく、世界はやさしく私に微笑んでくれる。 こんないいことはないよ)
などなど。2次会の店の閉店間際 の23時ごろまで飲んで、人身事故で不通の東海道線に乗れずにぎゅう 詰めの京浜東北線に乗って12時半ごろにホテルに戻る。

2010年3月25日(木)
<<受賞記念講演>>
今日も雨。午前中に慶応矢上キャンパスに着き、専門書の展示販売で注文漏れは ないか再度確認。その後、休憩室で昨日の講演を聞いて気付いたことなどをメモ したり、聞きそびれた講演も含めて予稿集を読みなおしたり。明日以後の作戦を 練ったり。

そうこうしているうちに昼食の時間。学会参加者で混雑が激しい矢上キャン パスは避け、日吉キャンパスの生協食堂で昼食の後、隣のイタリアン・トマト でコーヒーを飲みながら、例の難しい教科書の解読作業を進める。イタリアン・ トマトって東大駒場にもあるし、東京圏のあちこちの大学に進出してるのかしら。

15時前から日吉キャンパスの大ホールで数学会賞の授賞式と受賞記念講演。 今回受賞したのは非可換環の表現論の人。可換環論や代数幾何と微妙に関係 がありそうな話なので、これまで研究集会の講演をちょくちょく聞いたり してたのだが、専門家向きの話のせいかいつも入り口のところで躓いてし まい、さっぱり理解できなかった。しかし今日の講演は非専門家向けの 話で、これを聞いて初めて「ああ、そういうことだったのか」と腑に落ちた。

受賞記念講演は夕方に終わり、一息ついてから有楽町に向かう。今日は 銀座の某ホールでピアノのリサイタルを聴きに行った。朝、座席が空いて いるか電話で確認したら、まだ余裕があるとのことだったので、急遽 聴きにいくことにしたのである。東京圏はコンサートが多い。その多くは 何日も前から予約しないとチケットが取れないが、よく探せば当日券 狙いで行けそうなコンサートも結構ある。

それらは例えば、300人 ぐらい収容できるホールで100数十名ぐらい集まるようなコンサート で、休憩時間の会話を聞いていると「先生、先日はどうもありがとうございました」 というフレーズがあちこちで決まり文句のようにかわされていて、 来ている人ちの多くはどうも同業者を含めた演奏者の関係者らしい といったもの。そういうのを見つけて 潜り込むのが妙味なのである。とはいうものの、今回はなかなかそう いうコンサートが見つからず、探すのにちょっと苦労した。

コンサートの内容は、スクリャービンとかプロコフィエフとかロシアの 作曲家の曲を集めた、ややマニアックなもの。何となく聴いてても上手い なと思う腕達者なピアニストで、それなりに楽しかったけど、ロシアの作曲家 って何であんな音の洪水みたいな曲ばかり書くのかしら、というのが正直な感想。

銀座も懐かしい。東京に居た頃は、よく休みの日に銀座をぶらついた ものである。今夜はコンサートの行き帰りに通りを歩いただけだけど、銀座 の店はショウウインドウや外壁の照明が綺麗で、歩いているだけでも楽しい。

あすは昼間は学会会場で連絡会議にでたり講演を聞いたりしてすごし、 夜は、会社員時代の友人と会食の予定。更新はかなり遅くなるか、あるいは、 明後日以降になるかも。

2010年3月24日(水)
<<封印されたHindley>>
慶応大学矢上台キャンパスというのは結構不便なところにあり、東急東横線日吉駅を降りてから、慶応大学日吉キャンパスを通り抜け、坂を下り、路地をしばらく歩き、また坂を上り、かれこれ15分ぐらい歩いてようやくたどりつく。20年以上前、私がまだ計算機屋として会社員をしていたころ、型付ラムダ計算で有名なJ.R.Hindleyという人がここで講演をしたので聞きにいった覚えがあるが、そのとき以来である。彼の書いた教科書を持っていってサインをもらってた人が何人か居たが、自分もそうしたかどうかは覚えていない。Hindley先生の教科書は研究室の書棚の奥に押し込んだままで、その後一度も見ていない。

私は飽き性なためか、10数年周期で専門をがらっと変えてきたけれど、これは そう気楽はことではない。専門分野を変えるにはそれなりのエネルギーが必要で、私の 場合はそれまでやってきたことを徹底的にパージして退路を断つとによって先に進む推 進力を稼いできた。最近また(組合せ論的)可換環論から代数幾何学に転向しようとし ているので、可換環論パージをやりたいところだけど、諸般の事情でそうスパッとは行 かず、今のところちょっと困っている。これは代数幾何学が私には難しすぎることと、 可換環論と代数幾何学は全く別の分野ではあるものの、そんなに離れた分野ではないこ とが原因である。しかし10数年前の計算機科学パージは結構すんなり進んで、 Hindley先生の本もそれまで買い集めてきた理論計算機科学関連の沢山の文献とともに 封印されたのである。

そうはいうものの、新しい世界で落ち着いてくると昔を振り返る余裕も生まれてきて、 最近は計算理論とか数理論理学がちょっと懐かしくなって、学会でやっている数学専門書 の展示販売で、ついその方面の本を手にとってみたりする。何といっても、数学の 世界を追われた失意の時代に私を支え希望を与えてくれたのがこの分野だから、 愛着もひとしおである。今からこの分野で何か新しい研究をやろうという気はないけど、卒研 の学生と一緒に勉強したりする分には楽しい。実際昨年度の卒研では数理論理学をテーマ に取り上げることができて、結構楽しく勉強できた。またそういうことをやりたい学生 が卒研に入ってくれば面白いだろうなと思う。

今日の午前中は慶応矢上台キャンパスの会場で講演を聞き、それから専門書の展示販 売で代数幾何学関係の3冊の本を注文し、午後は学生時代からの友人と横浜の町に繰り 出し、昼食を挟んでいろいろ情報交換。彼の最近の研究成果やその分野の研究動向、本 務校で大学の仕事をしていく際のさまざまな問題や悩み、人事情報、コンピュータやイ ンターネットのうまい利用方法などなど。大学の数学教師・研究者としてやっていくた めに必要な実用的情報は、実はこういうところで仕入れるのである。専門分野も本務校 も違う友人だと利害関係も何もないので、結構身も蓋もない話ができて有難い。

職業人としての友人関係は、私にとって特に難しい。仕事上の利害関係 で手を結ぶというドライな考え方とプライベートな友人関係のバランスの とり方がどうもよくわからないからである。多くの人々を見ていると、これらの 区別は曖昧だし、私も(脳が歪む前の)若いころはそうだった。 しかし研究が順調な時には親しげに近寄ってきて、何らかの 事情で研究者としての影響力が無くなったら踵を返して去っていく人たちと一体 どうやって付き合えばよいのかしら。なんてことを考え始めると、もうおさまらない。

可換環論業界でも、私が無名の時は学会で顔を会わせても「何だお前」みたい に露骨につっけんどんな態度だった人が、ある仕事がちょっとだけ評価されて、 「他の人と比べて極端に見劣りしているわけでもない」というレベルに達すると、 掌を返したように急ににこやかに挨拶してくるようになったりする。 まあ、やっと可換環論業界で一人前として認められたということで、 喜ぶべきなんだろうけど、私としては「どうだかな」という気持ちもぬぐい 去れないのだ。いっそのこと「何だお前」でずっと通してくれた方がよかったかも、 という気もしないでもない。 代数幾何学業界だと、今のところ当然ながら「あんた誰?何でここに居るの?」 みたいな感じなので、それがかえって結構心地よい。

というようなことを思うと、数学業界における回避性人格障害といい、自分には つくづく野良犬根性が染みついているんだなと思う。数学の研究というのは、 ある意味で屈託なくやっていくことが必要で、こういう野良犬根性は色々なところで 研究の障害となる。さすがの私も、この障害を楽しむほどマゾではないのだけど、 まあ、こればっかりはしょうがないんだよね。

2010年3月23日(火)
<<不条理>>
午前中は自宅で出張のための荷造りをしたり、近所の銀行に出張費を下ろしに行ったり、自宅に戻って野暮用を片付けたり。14時前に自宅を出発。新幹線の中で例の難しい教科書を解読していたら、睡魔に襲われ気を失う。

17時過ぎに横浜のホテルに到着。持ってきたPCをLANケーブルに繋げてみたら、それだけでインターネットに繋がった。ふーん、そういうことだったのか。便利な世の中になったものだ。嬉しくなって、近所のコンビニに夕食と明日の朝食を買い出しに行き、ホテルの部屋で夕食を食べながらPCで遊ぶ。iTunesで音楽を聴きながら、フリーソフトをダウンロードしてemacsの設定をしたり、メールを読んで返事を出したり、お金の清算をしたり、色々検索して出張期間中の計画をたてたり。昨日大学でダウンロードした電子ジャーナルの論文を眺めたり。結局ホテルの部屋の閉じこもったっきりになってしまった。

毎年、卒業式の後の学会出張で気分転換ができるのがよい。またぶつくさ言うようだけど、卒業式のたびに、(卒研などで顔を合わせた数名を除いて) 「こんなに沢山の見覚えのない若者たちが、いつの間にか自分の学生だったと関係づけられている不条理」を感じる。 これはちょうど、何年か前に1、2度言葉を交わしたぐらいの覚えしかない女が突然子供を連れて現れて、「これ、貴方の子よ」と言いだしたようなものである。その瞬間、「え?そうだっけ?」と、いつの間にか世界と自分の間にできていた巨大な隙間に放り込まれた気持ちになるのだ。この複雑な居心地の悪さを忘れるには、学会出張がいちばんである。何だかよくわからなかったけど、まあいさ、と気分一新で新学期に臨む心の準備をするのだ。

2010年3月22日(月)
<<謝恩会>>
卒業式である。年に一度着るだけのスーツに袖を通し、颯爽と出勤。 11時15分から学部の卒業証書授与式に出る。とは言っても、 式は学科長と事務職員ともう一人の先生が中心になって行うので、 それ以外の教員は式場になっている教室の後ろにただ座っているだけ。 私は卒研生の居ない年度には式には出ないし、卒研生の居る居ない にかかわらず「気が向いたら出る」先生もいる。まあ、学科長以外に 誰も先生が来てないと格好がつかないが、かと言って全員揃わねばな らないかというと、それもよくわからないといった感じである。 で、今年はどうだったかというと、例の「寝坊の先生」以外の先生 たちは何故か全員来ていた。

式は1時間ほどで終わったので、生協で昼食を買って研究室で食べ、 先日買った携帯用のPCを持ってきたので、データのバックアップを 取ったり、論文をダウンロードしたりしてすごした。作業に飽きたら 出張報告書などの事務書類を書いて提出したり。そうこうしている うちに夕方になる。そして帰り支度をして修士課程の卒業式へ。修士 の学生は少ないので、16時半から30分程度で終わり、そのまま帰宅。

毎年卒業式の頃にぶつくさ言ってるような気がするが、今年も そうである。私自身は大学の入学式も卒業式も出ていないので、 どうもぴんと来ないのだ。 謝恩会というものがあることも、大学教師になって初めて知った。 名目は「卒業する学生が教師に感謝の意を表する会」と何とも 嘘くさい代物だけど、実際に行ってみると単なる学生の学生による 学生のためにパーティーであって、彼らが互いに別れを惜しみ合っている。 なるほど、これは自然な姿である。ああ、俺の時はこんな青春っぽく卒業式を 迎える気分じゃなかったし、その意味で彼らは幸福な学生生活を送る ことができてめでたい話だなと思う。

それはよしとしても、実のところ教師はあまりお呼びでないという 雰囲気で「先生たちは先生たちで勝手にやっててください」みたいな感じなので、 退屈でしょうがない。仕方がなく同僚教師たちと雑談などをして間を持た そうとするのだが、結局学校運営の話ぐらいしか話すことがなくて、 その手の話が大好きな先生はいいけれど、私はノー・サンキューである。 そういうことが何回か続いて馬鹿馬鹿しくなり、それ以後は出ないことにしている。

夜はまたPCをいじくる。柄杓でプールの水をかき出すように、 iTunesのデータを小さなUSBメモリを何回も使ってバックアップ。 我ながら馬鹿なことをやってるなと、少し呆れる。

明日から東京に出張。今度はPCを持っていくので、もしかしたら 更新できるかも。駄目なら次回更新は27日深夜以降の予定。

2010年3月21日(日)
<<少年時代の夢>>
最近ちょっと睡眠不足気味だったので、昼前まで眠りこける。例によって朝日新聞「オチビさん」と京都新聞の7つの間違い探しとクロスワードパズルをやってから、自宅や山科 区内で野暮用に励み、夕方頃からだらだらと数学。

数学は、数年前から、読まねばならないのだけど難しくて溜息をついていただけの某 教科書がようやく少し読めるようになってきたので、そのお勉強に励む。とはいうものの、学生時代もそうだったような気がするが、教科書をひたすらシコシコ読み進めるお勉強って耐えられないというか、「ふむふむ、そういうことかあ」と感心しては、しばしその余韻に浸りつつ逃避行動に走りがち。

まだ少し残っているPCの設定作業とか、論文の査読やレビューなど、色々仕事があ るけれど、面倒臭いので何も手をつけず。そういえは自宅で愚図愚図して街歩きにも出ず、何となく休養日モードで終わった。ドイツ語寺子屋OBからもメールの返事はなし。

明日は卒業式で明後日からは学会で出張。出張から帰ってきてからは、PC買い替え騒ぎで延期になっていた、三重県の「別荘」の修理でもして鰻丼を食べてこようか、と。

そういえば、毎年卒業式の日は、学科別の証書授与式と修士の授与式の間が4時間ぐらい空いてしまう。その間、研究室で仕事をしてたりするのだが、普段着慣れないスーツを着ているため窮屈で、あまり集中できない。大学教師になったばかりの頃はスーツを着て講義をしてたこともあるが、その後、スーツを着るのは卒業式と入学式と結婚式と葬式だけになり、最近ではとうとう葬式と卒業式だけになった。まあ、子供の頃から直径2cm以上のボタンのついた服を見るのも着るのも大嫌いなので、年中ラフな格好で仕事ができる今は少年時代の夢が叶ったとも言える。

以前は入学試験、卒業式、そして入学式という流れに年度の変わり目を感じて、 「ああ、自分は学校の先生をしてるんだな」という感慨があったのだが、最近は そういう節目を意識することはほとんど無くなった。それはたぶん入試採点の打ち 上げや卒業式の謝恩会に出なくなったからだと思うが、別にそれで何か研究に さし障るわけでもないので、とりあえずそれでよしとしている。

2010年3月20日(土)
<<独り遊び>>
ドイツ語寺子屋の今学期最終日。いつものように、自宅や関西日仏学館の図書室で大慌てで予習し、15時過ぎから16時まで授業を受ける。昨夜の関西日仏のクラス会の影響で、今日は真っ先にフランス語が口を突いて出てきそうになり、それが果たしてフランス語なのかドイツ語なのか思い出すのにしばらく悩むという現象がしばしば起きた。

次期町内会長の某大学名誉教授が久しぶりに来ていた。それ以外にも今日だけ講座に 遊びに来たゲストなど。しかし4月からもこの講座に通うと言っているのは私だけ。先生も新しい生徒のあてがあるわけでもない。私も秋からは半年ドイツに行くからこの講座には来れなくなると伝えると、先生は「そうですかと」かなり沈痛な面持ちであった。まあ、ゲーテの初級・中級クラスは今後も存続するそうだから競合するし、上級レベルまで勉強を続けるのは年寄りか、それともドイツからの帰国組ぐらいで、その数は年々減っているような気がする。だからドイツ語私塾の経営者というのは色々悩みが多いのだろう。

寺子屋の帰りはJEUGIA三条本店を少し偵察。はからずしもシフのCDがいくつか見つかり、そのジャケットの写真から彼が若い兄ちゃんのから立派なオジサンに変遷していく様子がよくわかった。

帰宅後、夜はスポーツクラブ。今日は割合閑散としていて、芸なし!もーれつア太郎を除いてめぼしい人は来てなかった。しかし若い兄ちゃんが、ストレッチをしながら知り合いの女の子と話していて、うちのオカンは韓流ドラマにはまっているけど、なんでああいうのが良いのかわけがわからんと話していた。この兄ちゃんの母親なら、たぶん 私と同世代で、そういえば高校の同窓生の中にも韓流ドラマにハマったオバサマたちが猛威をふるっていて、去年の夏ごろにひと悶着起こして大変だった。他にも、この兄ちゃんは英語がわかるようになりたいなと話していて、今はアメリカ人なんかみんなテンションが高いみたいに思えてくるけどどうかしらとか、言葉の背景にある文化の違いみ たいなのが感じられると面白いだろうな、などと話していた。

そういえは私も若い頃はハリウッド映画の影響か、アメリカ人がみんなハイテンシ ョンだと勘違いしていた時期があって、職場などで何か攻撃的なことを喋る前は、 英語で同じ意味のことをまくしたてている自分を想像してテンションを上げてから 日本語で話すという、かなり面倒なことをやって面白がっていたように思う。

まあ、この兄ちゃんらの話はちょっと面白かったが、芸なしア太郎は、名前の通り なにも芸をしないのでつまらない。まあ、人は芸をするためにスポーツクラブに通う のではないから、べつにいいんだけどね。しょうがないので、私がロードランナー逆走男の代理として、山登りマシーンで逆走したりJOBAに乗って喜びの踊りをおどってみたりしていた。何かこれって独り遊びしてるみたいで、まるで私が「可哀そうなオジサン」みたいじゃないか、と。(まさにその通りじゃん!というコメントは瞬殺却下)

スポーツクラブから帰ってから、以前に寺子屋に来ていた人にメールを出し、4月からは私一人だけ、そして9月からは誰も居なくなるので、「まさに(準)個人指導の形でドイツ語を喋りまくれる、理想の学習環境が整いつつあります。貴方もぜひ寺子屋通いを再開されてはいかがですか」と誘ってみる。まあ、あまりアテにはしてないけど。

2010年3月19日(金)
<<オジサン、とっても便利!>>
昨夜ふとXP modeなしでもEmacsがインストールできそうな方法を見つけ、今朝はそれを試してみる。途中ちょっとつまづいたところで、ブログでインストール方法を書いている人におそるおそる質問メールを出し、そもそもこの方法でできるのかを問い合わせて から自宅を出る。まあ、たとえ返事が返ってこなくても、時間さえ掛ければなんとか出来そうな気がしていた。

京大ルネで遅めの昼食をとり、書籍部でWindows7対応ソフトCDつきの LaTeXの本がないものかと探したが、見つからず。それから例によって京大数学科と関西日仏学館の図書室で夕方まで数学。

18時半に関西日仏学館玄関前で待ち合わせて夕食会。言い出しっぺの某オバサン はドタキャン。どこの店に行くかも決まってなかった。こういうのはいかにもオバサンっぽい行動パターンだな。

オバサンの生態といえば、昔からいろいろなオバサンを見ていて思うのだが、 彼女たちの中には、機関銃のように喋りまくりながら話題があちこちランダムに 飛ぶ人が多々みられる。話題の切り替わりが明示されないことが多く、こちらが 何か応答すると「その話はもう終わってるの!」と叱られたりする。 気の抜けないゲームをやっているような感じだが、 彼女たちはそういった会話のフットワークを一種の芸として 楽しんでいるかのようである。私の母も中年のころはそういう傾向がみられたが、 晩年はかなりぼんやりしてきて、さすがに普通に話すようになった。

それはともかくとして、図らずしも先生を含めて4名という適正規模に収まり、私が知っている京大の近くの小さなレストランがうまい具合に空いていて、22時前まで楽しくすごすことができた。自称「10年後には死んでいるオジサン」はフランス語の上達が目覚ましく、何だかんだと面白い話をして十分間(ま)が持つうえに、このオジサン以外にはお喋りな人が来てないこともあって、私もドイツ語混じりの下手糞フランス語でたどたどしく会話に加わることができた。こういうのは人の話を聞いてるだけではつまらないので、適度に会話に加われることが大事だ。その意味で、ある種のオジサンはとっても便利なことがわかった。

ああ、楽しかったなあ。社交は楽し。私って、社交性が無いのではなく、スイッチが入らないと社交性が機能しないだけなのよねえ、むふふ。などといい気分で夜道をひとり家路につき、しかしながら先生がアルコールを飲まない人なので、みな遠慮がちで少し飲み足りず、またも日本酒1合の路上飲酒。

ご機嫌で帰宅したら、昼間出したメールの返事が届いており、私が気付いた方法でもコンパイルやインストールは可能だが、わざわざコンパイルしなくてもバイナリがここにあるからダウンロードしてもよい、と。人には聞いてみるものである。早速バイナリをダウンロードして動作確認。あと少し設定作業が必要だが、これでとにかくEmacs問題は山場を越えたことになる。何処の何方か存じ上げぬが、ひとまずお礼のメールを出しておく。あとはLaTeXとAdobeのWindows7対応版を見つけて購入すること。それは新年度に なってからにしよう。

2010年3月18日(木)
<<明確な基準>>
今日はEmacsをインストールしようと思い、午前中からネットで色々情報を調べて、いくつかのファイルをダウンロードしたりインストールしたりして、あとはEmacsのソースにパッチを当ててコンパイルするだけという状態にして、散歩に出る。こんな作業ばかりやってたら、ただでさえ悪い頭がますます頭悪くなりそうだし。

散歩がてらにスーパーで買い物をし、それから山科駅前Sbuxやラクト山科のベンチでしばし数学。Sbuxでは、70代ぐらいの女が、同じく70代ぐらいの女に怪しげな健康法を滔々と説いて、何かを売りつけようとしているようだった。もっともらしい医学用語や「有名大学教授(?)の最新の研究成果」云々の間に、「機械の波動は横波で、人間の波動は縦波だから」といった首をかしげたくなるようなフレーズが入り混じった話が、軽く1時間以上は延々と続いていて、私が帰る頃にもまだ終わりそうになかった。それからラクト山科のベンチには、「あーあ、なんにもすることがないなあ」オジサンの姿は見えず。まあ、数理研のトラちゃんと一緒で、どこかに行ってるんでしょ。

夕方に帰宅してコンパイル作業を始めたらどうもうまくいかない。最初からどうも不安に思っていたXP mode のコマンドプロンプトというものが見つからず、普通のコマンドプロンプトでやってもうまくいかない。要するにUNIX-likeなコマンドを使わねばならないのだが、それが全然サポートされていない。

東芝のカスタマサービスに電話を掛けて聞いたら、Windows 7 Professional Edition でないと XP modeはサポートされてないとのこと。とは言っても、カタログを見たらDELのかなり上位機種でもHome Premium だから、Professional Editionはアップグレードのソフトを買ってインストールしないと駄目なのかしら。しかしインテルのナントカ搭載 と言われても私にはよくわからないが、使ってみた感じではCPUの性能があまり良く なさそうなので、重たいOSへのアップグレードは難しいかもしれない。 ま、とにかくEmacsはしばらく使えず、糞使い勝手の悪いWordで当面我慢するか、と。

癪に障ったので、iTunesをインストールする。こういう商用ソフトはガタガタ問題を起こさずにインストールできるから嬉しい。

夜にはいよいよ明日の関西日仏のクラス会の返事を出す。行くことにした。 一度ぐらいフランス語話しながら飯を食うスリルを味わうのも、悪くないんじゃないかと思って。なんだったら最後は、「お前ら、ちょっとフランス語できるかと思って調子こきよって!」とクラスメートたちにキレて見せて、ドイツ語で喋りまくってやろかしらん、と。先生はドイツ語もわかるし。

宴会の類に出る出ないの基準は、私の場合割合はっきりしていて、少なくとも集まる人間かそこの酒食かのどちらかに興味がなければ決して参加しない。関西日仏のクラス会は、集まる人間にすこし興味がある。歓迎会は新人がどんな人か興味があるのでちょっと覗いてみたりもするが、送別会は退職する人物次第。

卒業式の後の謝恩会は、若者向けの酒食に興味が湧かないのはオジサン だからしょうがないとしても、そこに集まる教員や学生に対しても、普段会議や教室で顔を合わせて大学の管理運営の話をしたり数学の話をするだけの間柄で、お互い特にそれ以上の興味を持っているわけではないから、たまにパーティーで顔を合わせても何を話してよいやらで気まずいのである。その気まずさを乗り越えるスキルが社交性だが、 脳が歪んでると、頑張って社交性を発揮しようという気が起らないのよね。

2010年3月17日(水)
<<とりあえず復旧>>
更新中止を宣言した舌の根も乾かぬうちに、早々と復活。読者の皆さんには、 ご心配かけて申し訳ないです。

昨日の親和会宴会では、例によって黙々と料理を楽しみ、そしてずいぶん飲んだ。 ビールを小さなコップで何杯か、赤ワインをグラス1杯、焼酎のロックを2杯、 冷酒を1合、最後のだめ押しで焼酎のロックをもう1杯。 まあ、私の場合、このあたりが生理的限界で、胃がムカムカとして 気分が悪くなる。何とか自宅に帰りついて、風呂にも入り、ベットに倒れ込んだ のだが、明け方頃まで気持ち悪さにうなされていた。しかし、午前10時の起床時 にはすっきりしていた。さて、今日は憂鬱なパソコン買い替えである。

昼ごろに自宅を出て、山科駅前で簡単に昼食。それからJRに乗って京都駅前のビッグカメラに出かけ、今日買って帰ってすぐに使えるもので、出張にも気軽に持っていけるものということで、結局私費で東芝のdynabookを買った。

まあ、2,3週間PCなしで過ごしてもいいのだけど、今回の件で、この日誌で文章が書けなくなると、私の場合かなり精神的にキツくなることを痛感したので、兎に角復旧を急ごうと思ったのだ。どういうことかというと、人と雑談する習慣がなくなったぶん、日誌を書いて好き勝手なことを喋った気にならないと、精神的にバランスが取れないのである。では、ブログ書きに耽溺する生活から足を洗えば、リアルな人々と自然な会話を楽しむ生活が戻ってくるかというと、歪んだ脳が簡単に元に戻るわけでもないし、まあ、色々難しいのである。

ま、いずれにせよ4月になったら、もうちょっとしっかりしたスペックのものを大学 の予算で買ってもらおうかと思う。

夕方頃帰宅して、Windowsの初期設定だの、無線LANへの接続だの、Office のインストールだの、メールアカウントの設定だのといった、私が一番嫌いな作業 に励む。そりゃあ昔のFreeBSDマシンのソフトのインストールや設定に比べれば 格段に簡単になっているが、ちょっとしたソフトのバージョンの違いなどから起こる不具合はつきもので、適当に勘を働かせて、こうかな、ああかしらと試行錯誤を重ねなければならない。

何で他人が気まぐれに作った出来損ないの機械に振り回されて、こんなに時間を空費しなければならないのかと思うと腹が立ってくる。これは自分の頭の良さをさりげなく 見せびらかすかのように、1行読み進めるのに七転八倒しなければならないようなそっけない証明を教科書や論文に書く数学者に腹が立つのにも似ている。

夜には何とかメールとインターネットとワードが使えるようになり、おまけにいきがかり上Skypeもインストールしてしまった。インターネットが使えるようになって 最初にやったことは、大学のWebメールで今度卒業する学生たちが主催する謝恩会の 案内メールに返事を出したこと。参加しても特に誰と話すわけでもなく退屈すること は目に見えてるし、料理や酒も当然ながら年寄り向けではないはずなので、 例年通りパス。もうひとつ、今週金曜日に関西日仏学館のクラスの夕食会があるそうで、そのお誘いメールが来ていたが、ドイツ語混じりの下手なフランス語で無理して 話しながら食事なんて、いかにも消化に悪そうだし、クラスメートの元気な高齢者 たちの勢いに気おされて退屈な時間になるのも嫌だし。かと言って、何が起こるか わからないスリルもあるから、1度だけお試しで覗いてみようかという好奇心も ある。まだ迷っていて、今日は返事ができず。

あとはTeXとEMACS、ついでにiTuneをインストールすれば、ほぼ今まで通りの状態に戻る。TeX, EMACSはフリーソフトだから、またネットの中を捜しまくって中途半端にしかサポートされてないのを騙しだましインストールしないといけないので、これがまた頭痛の種である。

2010年3月16日(火)
<< 読者の皆様へ>>
( 自宅PCが壊れてしまい、今大学のPCで更新しております。日誌の更新は 通常深夜に自宅で行ってますので、来週の東京出張等を考えると今後出勤する予定が あまりなく、3月中の日誌更新は今後不定期に1,2度かと 思われます。 )

昨日は京大数理研の偉い先生最終講義を聞きに行った。専門はかなり違うのだが、 物凄く偉い先生らしいし、後で述べるような好奇心もあって覗いてみた。

1996年度の後期に国内留学の機会を得た私は、数学者への転向準備をする ため数理研の客員研究員用雑居部屋で日々可換環論の教科書を一行一行 シコシコと読み進めていたのだが、気分転換というか、学生時代のように学部の 講義をもう一度聞いてみたいとも思い、その先生のリー群の講義に潜入した。 その講義は、教室の一番前の席でも見えないような1センチ四方の細かい筆記体 の英文で板書し、定理の証明をしているうちに、定理の内容がどんどん拡張されていって、拡張の内容やそれまでの証明の変更箇所は口頭でごにょごにょと説明して 「明らかですよね」でオシマイで、何を証明したのかわからずじまい。

かようにすざましい講義でも、後ろの方でものうげに肘をついた腕に顎をのっけて、 ノートも取らずに聞きながら「ふむふむ」と分かったような顔してうなづいている 学生がいて、お前みたいな奴が偉い先生を甘やかすから、頭の悪い俺が 無駄に苦労するような講義が無くならないだよう!皆で学級崩壊させて 「字を大きく書け!証明の途中で頻繁に定理を変更するな! 『明らかですね』は1回の講義で2回までにとどめよ!」と反旗を翻さんかい! ほんまに京大というのは困った大学だと 思い、3回ぐらいでその講義には出なくなった。

今回、その先生の最終講義に行ってみたのは、「また、あの1cm四方の読めない 字で講義するんだろうか?」という好奇心からである。一番前でも読めないし、 たとえ読めたところで専門が違うから私には分かりっこない。仮に字が大きくて 専門が同じだとしても、頭の悪い私にはわかりそうにない。 だから巨大教室の 一番後ろの席で聞いていたのだが、何と!そこからでも読める字を書いているで はないか?!10数年の月日が彼を変えたのか、それとも学部の講義と 違って自分の研究の話だから、気分軽やかに字も大きくなったのだろうか。 理由は不明だが、とにかく割合読みやすい字を書いていた。しかし最後の方で 時間が足りなくなってあわてだした頃には、時折2cm四方と推測される字を ごちょぼちょっと書いたりするときがあって、おお!とうとう本性を現しよったな! と勝ち誇った気分になった。

まあ、それだけのことである。偉い先生は定年なんてなんのその、 まだまだガンガン研究やりますよって感じで、凄いもんだなと感心したけど。 午後は京大図書室にこもってお勉強。そして 夜はPCの故障でパニくって、打ちのめされたような気分でベッドに入ったの である。