の
た
め
の
邪
魔
な
広
告
よ け ス ペ ー ス で す。
2009年11月15日(日)
<<学内政治>>
また、「あの」シリーズの復活か?いや、そうではなくて、これは今日JEUGIA
四条店で買ったCD。
1枚1000円は激安だし、
ドビュッシーの「小組曲」が入っているCDは珍しいし、
ちょっと試聴したら綺麗なピアノの音だし、
ジャケットの写真も綺麗だし、
やっぱり最近人生に少し疲れている(!)し、
こうなったらもう買わない理由などどこにも無いではないかと、思わず購入。
午前中は自宅でゆっくりし、昼間は山科区内で野暮用、夕方はJEUGIA四条 店を偵察したり、京都駅前で12月の徳島出張のための高速バスのチケットを 買ったりし、アバンティーで適当に夕食を取ってから帰宅。京都は観光シーズ ン真っ盛りで、京都駅も地下鉄も普段よりかなり混雑していた。夜は徳島大学 の集中講義ノートを11ページ書き上げる。
東大の研究集会で、急用で来れなくなった招待講演者のパーティースピー チの予稿が配布されていた。文面の一部に「数学の研究集会はいいものだ。 そこで我々は、学内政治(Department politics)やつまらない冗談ではなく、 数学の話をすることが強要されるから」と書かれていた。なるほど、私は研究 集会に半ば嫌々出かけているけど、学内政治から逃避できる利点は確か に大きいな。
しかし研究集会では怖い数学者たちがとぐろを巻いていて危険だし、かと
言って大学に戻れば憂鬱な学内政治が待っている。まるで海賊船から海に突き
出すように置かれた板切れの上を歩かされ、下を見ると海には血に飢えた鮫が
うようよしていて、甲板に戻ろうにも、いかつい海賊が「こっちに戻っきた
ら、これで一突きだぞ」とぶっとい刀の刃先をこちらに向けているような感じである。
2009年11月14日(土)
<<うんざりする>>
まあ、仕事だから仕方ないのだけど、ここんところ城崎だの東大だのと数学者
の顔ばかりたて続けに見てきたので、かなりうんざりしている。数学者には、
頻繁に仲間と会って情報交換したり議論したりしたがるタイプと、一人黙々と
考察の日々を重ねる「お籠り型」の二種類がいる。私は明らかに後者のタイプ
だけど、諸般のやむおえぬ事情ゆえ、やっている事は前者の真似事。この絶対
矛盾の自己同一ゆえに、時々うんざりするのだ。
本日、ドイツ語寺子屋塾の日。しかし昨夜からそうなのだが、午前中は何 となく落ち着かず、ベトナム行きの航空便をネットで検索したりしてすごす。 何故落ち着かないかというと、マックス・プランク研究所の招聘研究員に応募 した結果がそろそろ出てるはずだから。専門分野が研究所の重点分野と少しず れているとか、若手優先だからオッサンは要らん!みたいな理由でリジェクト を食らう可能性は十分あるが、マックス・プランク以外の受け入れ先を探すの がちょっと厄介そうで、考えるだけでも憂鬱である。
大学や大学院の入試、公務員試験や教員採用試験や会社の就職試験、大学 の教員公募、学術雑誌や国際会議への論文投稿、科研費など、これまで落第、 不合格、掲載拒否、不採用、不受理などなど色々食らってきて、その度に落胆 したり憤慨したりしてきたわけだが、そういうのにもふっとうんざりしてしま う瞬間が時々ある。上手くいくことも時にあって、私などは概して上手く行っ てる方かも知れないけど、こんな拒絶され続ける人生をいつまで送らねばなら ぬのか。あー、しんど、と。
午後は京大ルネで少し遅めの昼食の後、関西日仏学館の図書室でドイツ語 の予習など。15時すぎから17時前まで、寺子屋で授業を受け、帰りは JEUGIA三条本店を偵察。2つばかり「いいかな」と思ったCDがあったけど、い まひとつ踏み切れず手ぶらで帰宅。うーん、今日は思ったほども人生に疲れて はいないようだ。
夜は久しぶりにスポーツクラブへ。その後、徳島大学の集中講義の準備に 着手。とりあえず講義ノートを1ページだけ書き上げる。
2009年11月13日(金)
<<頭がくらくらする>>
21時過ぎ、東大での研究集会から無事に帰宅。
11日水曜日午前の大学院の授業は、受講生のM君が発熱のため欠席すると のメールが入ったため、いつも遅れてやって来るもう一人の受講者のために、 教室のドアに「研究室に居ます。授業の準備ができたら、呼びに来てください。 高山」と張り紙をして研究室に待機し、しばし雑用。しかし35分経過後も呼 びに来ないので自然休講となる。生協の旅行カウンターに行き、ベトナム行き の航空券手配について係の人と色々相談。午後は群論の授業。その後、速攻で 東京に蜻蛉帰りし、目黒のホテルで2泊。
12日の昼食は東大駒場キャンパス内のスパゲティー屋にしたが、やはり 同業者がウロウロしているのが気になるため、翌13日の昼食は再び下北沢に 繰り出して適当な店に入る。先日、「若い時に下北沢みたいな街に住んでみた かった」みたいな事を書いたけど、じゃあ、今はどうなんだ?と問われたら、 「今はいいです」と答えるだろうね。若者とオッサンでは、やっぱりテイスト が違うのよ。今日、下北沢を歩いてみて、ああ、やっぱり俺はオッサンだなっ て実感しました。
研究集会の方は、8日の森先生の講演の後で変な質問をしていた怪しい男 が13日も来ていて、講演者の読みにくい板書の字が何と書いてあるのかと 質問していた。うーん、シロウトだな。
最近はパソコンのプレゼンテーション・ソフトを利用する人が増えたので、 あまり目立たなくなってきているが、偉い数学者は概して板書が下手である。 ざっくり言って、偉い数学者の中で何とか読める板書が書ける人は3分の 1程度。残りの3分の2のうちの半数は黒板の字が異様に小さすぎて読めず、 一番前の席でも双眼鏡が必要だったりし、あとの半分はミミズが這い回ってい る落書きにしか見えない字を書く。大抵は書く内容を声に出して話しながら書 くので、「ああ、このミミズが這っているような落書きは、あの単語を表して るんだな」という具合に理解すれば何とか対応できるし、自分の専門分野に近 い話ならば筋道が読めるため、それが板書解読の助けになる。しかし、講 演内容が自分の専門と少し離れたテーマで、さらに講演者が異様に早口だった り、外国人の場合だと言葉がはっきりしない(例えば、強烈なフランス語訛り とかインド訛りの英語など)と、もうお手上げである。
これはたぶん、彼らが若い時から教育の義務から解放されてきたか、それ とも、「板書の字が汚くて読めないから、先生の言ってることが分かりません」 と文句を言うにはあまりにもプライドが高過ぎる学生が集まっているエリート 大学でしか教えたことがないからだろう。また、研究者たちの前で講演する時 も、皆がその素晴らしい内容に注目してくれるから、特に良いプレ ゼンテーションを心掛けなくても、講演の後で質問攻めにしてくれたりプ レプリントを読んでくれたりする。結局、彼らは板書の汚い字や異様に小さな 字を改める必要に迫られたことがないのであろう。
そんな状態だから業界人は皆諦めていて、いちいち「そこの単語は何と書 いてあるのか」などと質問しないのである。それにヨーロッパ人同士の場合は、 毎日汚い字でやりとりしているみたいだから、我々にはアラビア文字や単なる 波線と区別が着かないような汚い手書きでも、案外読めるのかもしれない。
あと、「フィールズ賞をとるためにどんな勉強をしてましたか?」という 質問も強烈にシロウト的で、頭がくらくらしそうだ。一体、そんな事を聞いて どうしようというのか。それなりの経験を持つプロなら皆、誰かの真似をし たところで自分は自分以上にはなれない事を嫌という程知っている。そして、 自分という限界の中でどこまで前に進めるかというところで勝負している。だ から上記のような事は決して聞かないのだ。
2009年11月10日(火)
<<過剰な自意識>>
明日の講義のため、東大での研究集会を途中で抜け出し、21時過ぎに自宅に
戻る。研究集会1日目は、いきなり山手線が止まったため、宿泊している恵比
寿から井の頭線の渋谷駅まで歩くことになった。そのため、東大駒場キャンパ
スに着いたのは最初の講演の直前。昼食は同業者たちから姿をくらまし、渋谷
で。
この日の最後の講演は森重文先生だったが、いつの間にか数学関係者でな い40歳前後の男が紛れ込んでいた。講演の後の質疑応答で「フィールズ賞を 取るなんて凄いですね。受賞されるまでに、どんな勉強をされてたのですか?」 というような質問を始め、座長が大慌てで「講演内容に関係ある質問だけにし てください」と制止していた。会議の終了後も、森先生のところに押しかけて 色々話しかけていたようで、森先生はかなり困惑されていたようだ。
夜は市ヶ谷の教会にピアノとヴァイオリンのコンサートを聴きに行く。
2日目の今日はカラビ・ヤオ多様体や宮岡・ヤオ不等式のヤオ大先生の講 演。へえー、そんな人がまだ生きてたのか!?とちょっとびっくりする。昨日 の数学ファンのような男がもし真の数学ファンなら、ヤオ大先生をひと目見た いと思うはずだが、今日は姿を見せなかった。昼食は同業者たちから姿をくら まし、下北沢で。会社員時代、一度だけ下北沢に行って本多劇場で演劇を見た ような気がするのだが、よく覚えていない。駅前の狭い道路沿いに活気のある 商店街がゴチャゴチャっと広がっていて、しかしながらひとつ横道に入るとも う閑静な住宅地という街は東京でよく見かける。下北沢もそういうところで、 若い時に一度住んでみたかったなと思う。
あとは、1週間ほど前にメールでちょっとした依頼をした某大学の先生も 来ていた。その後なしのつぶてなので、どうなったのかと確認しようと思い 「あのう、、、」と近寄ったら、「ああ、あの件ですか。すみません、まだやっ てません」と。ちょっと待て。何で俺のこと知ってるんや!? そりゃ あ、メール出したときには「立命の高山です」ってちゃんと名乗りましたよ。 でもね、私は貴方とは別の業界の人間で、この業界を極秘調査するために透明 人間モードで潜入していのですよ。立命の高山?それ誰やねん。え?貴方がそ うなの?初めまして!ってえのが普通のリアクションってもんでしょうに。何 処で面が割れてたのか、色々思い起こしても心当たりがない。
それにしても、一体この研究集会の参加者のうちの何人が「あれえ?立命 の高山が何でこんな所にいるんだろうね」と思いながら黙って私を見てるのか しらと思うと、嫌な感じがしてくる。ああ、その沈黙の視線が五月蝿い!私を 認知してるなら、頭につけた黄色い豆電球をちろちろと灯すか、何とか一言 言うとか、どちらかにしろ!と。嗚呼、私がこの業界の中で、かように過剰な 自意識から自由になれる日は、果たして訪れるのだろうか。
明日は大学で授業をして、夜に東京に移動。次回更新は金曜日の深夜以降。
2009年11月7日(土)
<<白昼夢>>
ドイツ語の日。午前中は大慌てで宿題を片付ける。それから自宅を出て京大ル
ネですこし遅めの昼食の後、関西日仏学館の図書室で先週までの復習をしたり、
ドイツ語文法の確認をしたり。今日の日仏学館は、京都賞を受賞した現代音楽
の巨匠ピエール・ブーレーズを招いたイベントがあるというので、報道関係者
などが詰め掛けたり、職員がいつもと違うかしこまった服装で緊張した面持ち
で現場で打ち合せをしていたりと、かなりものものしい雰囲気だった。あとで
ネットで検索したら、ブーレーズの受賞イ
ンタビューの画像が流れていたので見てみたが、音楽は哲学だ!みた
いな事を言ってるので、へえーと思った。
ブーレーズはちまっとした小柄で気の良さそうな爺さんで、日仏学館のカ フェでテレビカメラを前にインタビューを受けていた。ああ、こんな爺さんで も(たぶん)エールフランスのジェット機ではるばるフランスから10数時間 の長旅で日本までやってきて、また10数時間の長旅で帰っていくのだから、 俺だってハノイに行かなきゃならんのだろうな、みたいなことを考えてしまっ た。正直言って、私はヨーロッパ以外の外国にはあまり行きたくないのである。
15時15分から16時15分まで寺子屋で授業を受ける。最初の15分 ぐらいは私一人だけだったので、ほとんど個人授業のようにドイツ語を喋りま くれたが、その後、もう一人の受講生が遅れてやってきた。帰りは徒歩で京都 市役所駅前まで歩く。JEUGIA三条本店に立ち寄り、ホロヴィッツがスカルラッ ティのソナタを弾いてるCDを試聴。ホロヴィッツってのは人相は悪いけどピア ノは滅法上手いなと改めて感心し、買おうかなと思ったけど、何故かふっと思 いとどまる。こういう時に、えいっ買っちまえ!となるか、やーめた!となる かは、その時の私がどれだけ人生に疲れているかに左右されるようにも思う。 まあ、今日の私は元気だったのでしょう。
夕食時に少しワインを飲みすぎたので、夜はあまり数学もやらずにぼんや りとすごす。明日から東大に出張。途中水曜日の授業のために戻ってきて、簡 単に更新するかもしれないが、基本的には次回更新は金曜日の深夜以降の予定。
出張の途中に戻ってくると、その分の交通費がかさむ。関西日仏学館に向 かう路上でふと、蜻蛉帰りのための出張費申請がわけのわからない理由で却下 されたらどうしようか?と心配になってきた。大学当局が「出張に伴う休講は まなりならぬ」と言うから、わざわざ途中で戻ってくるようにしたのに、その 分の出張旅費が出せないとは何ごとか。大学当局の言うことを真面目に聞いて る教員が馬鹿を見るということなら、今後はそういう風に対応させてもらおう ではないか。みたいな事を言ってあちこちに抗議し、自分がオジサンっぽく暴 れ回っている白昼夢に襲われ、ひとりこぶしを握り締めて興奮していた。
2009年11月6日(金)
<<よくわからない>>
ラクト山科で昼食用のパンを買って、昼前に出勤。研究室でフランス語の宿題
を片付けてから、昼食。その後、13時から14時半まで卒研臨時ゼミ(初等
整数論)。ゼミ終了後ただちに大学を発ち、関西日仏学館へ。途中、隣の京大
ルネでの夕食を挟んで、日仏学館の図書室にて授業の予習やフランス語動詞活
用形の復習。18時45分から21時前までフランス語の授業。帰りはコンビ
ニで赤ワイン300mlを購入し、路上飲酒しながら京都市役所前駅まで歩く。
22時すぎに帰宅。
そういえば、亡き師の還暦祝いのパーティーで、師自身がスピーチの中で 次のようなことを話していたのが印象に残っている。師と一時期共同研究を行っ ていた外国の研究者某とは非常に友好的な関係をもつことができ、「世界中ど この研究集会に行っても、いつも彼の満面の笑顔が待っていてくれるのが嬉し かった」と。その辺の感覚が私にはよくわからない。勿論、仕事上の良きパー トナーと組めば良い成果が得られるから気分は良いし、それなりの仲間意識は 生まれるかも知れないけど、家族でも恋人でも親友でもない仕事上のパートナー と会っただけで、そんなに嬉しいのかね、と。
また、先日たまたまテレビドラマ「交渉人」の一場面を見ていたら、SIT交渉 班係長黒田耕平が誰かに「お前、(SIT交渉班主任の)宇佐木玲子が好きなんだ ろう?」と聞かれたときに、「そうさ。誰だって仕事が出来る彼女のことが大 好きさ」みたいな返事をしていたのが印象に残っている。そういうもんなのか しらね、と。
若い頃は、プライベートな友人もあれば仕事仲間の友人もあるし、色々な友 人があって当然さと、ごく自然に、かつ、素朴に考えていたように思う。 しかし今では、自分の仕事にメリットがあるかないかで手を組んだり組まなかった りという、金の切れ目が縁の切れ目みたいな人間関係のどこが面白いのかと思 う。勿論そういう事は往々にして必要だし、私だって必要に応じて人間の屑みたいな 輩や善意の塊みたいな人と手を組んで仕事をすることがあるけど、 それが嬉しいとか、大好きとか、そういう話とは次元が違うのではないかと思うのだ。
2009年11月5日(木)
<<威勢の良い人>>
夕方から大学で某作業委員会の会議。そういえば明日も休講した卒研ゼミの振
り替えがあるので、今週は毎日出勤である。過去には大学に用がなくても平気
で毎日出勤していた時期もあったのだが、近年は、まあ、いろいろあって、
「数学研究には精神の自由が必要だ」と称してRitsから
逃走することばかり考
えている。だから連日出勤していると、それだけでストレスなのである。
ということで、午前中は自宅でゴソゴソし、自宅を出てからは、とりあえ ず大学と逆方向の河原町三条界隈に繰り出し、路上数学モード。Anger 河原町 三条本店とJEUGIA 三条本店をゆっくり偵察したあと、寺町通りの適当な店で 少し遅めの昼食。それからおもむろに大学に移動。まずは図書室で専門書を1 冊借り出し、事務で郵便物を受け取る。それから研究室の長ソファーに寝っ転 がってしばし数学の後、作業委員会。18時過ぎに終了し、研究室に戻ってメー ルを2つ出してから大学を出る。
帰宅したら、大学広報用に研究室紹介の英文を作ったからチェックせよと のメールが来ていた。誰が書いた英文か知らないけど、全面的に書き直して返 す。ヒステリー被害のフラッシュバックも何となく治まったので、心静かに少 し数学。
最近は必要があって代数的ベクトルバンドルまわりを少し調べているのだ が、この分野を専門としていた亡き師の学問的偉大さをひしひしと感じる日々 である。正直言って「そんなに偉かったのか。今まで全然知らなかった」と、 ちょっと驚いている。
師は「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という言葉とは無縁な人で、常に自 分の学問的偉さと同程度に威勢が良かったように思う。そしてこの分野の様子 が分かってくるにつれて、彼が自分の学問的偉さ以上でも以下でもなく、正確 に「同程度」に威張っていたことが次第に明らかになってくる。その辺りがい かにも、変な功名心とは無縁なものの、真実に敵無し!本当の事なら何を言っ ても良いと言わんばかりの、憎たらしいぐらいに身も蓋も無い言動で 鳴らした人らしいと思う。
ま、怖い人が一人減ったので、私としてはこの分野を勉強するにも少しは 気分的に楽になったけどね。
2009年11月4日(水)
<<無礼者>>
今日は午前中から授業があるしJR西日本は頻繁に遅れるので、例によって早め
に自宅をでる。今日のJRは奇跡的に正常運行していた。10時40分より12
時10分まで大学院の代数の講座でルべーグ積分のゼミ。受講生は、私に似て
時間に正確な私のところのM2学生1名と、毎回必ず15分以上遅刻してくる確
率論のM1の学生1名のみになった。最初の15分ぐらいでM2の学生と修士
論文の打ち合せをし、M1 の学生がやってきたところでゼミを始めるというス
タイルが定着しつつある。
授業終了後研究室に戻り、ゼミで懸案になった問題を少し調べ、こそこそ 昼食をとったり、ベトナム行きの出張申請書と休講・補講届けを書いて事務に 提出したり、すこし調べものをしたりしてから、14時40分から2回生の群 論の授業。よし、もう私は腹をくくった。最初の数回を前期の復習に費やした。 そして今後この講座では準同型定理とシローの定理しかやらない。有限生成アー ベル群の基本定理は具体例を通して定理の意味と使い方をさらっと説明するだ けで終り、それ以外の細々した話は具体例の中で触れる程度にとどめよう、と。
16時10分に講義終了。次の授業の担当者だろうけど、私の授業の終了 と同時に教室に入ってきてその辺でウロウロし、早く片付けろと言わんばか りにプレッシャーを掛けてくる教師は一体どこの無礼者だ。次回からは「先生、お 急ぎのようですから、私はさっさと去ります。あとはヨ・ロ・シ・ク!」と、 黒板一杯に書き殴った板書を消さずに帰ってやろうかしらん。ほんまにしょう もない奴がおるもんや、とブツクサ独り言を言いながら研究室に戻る。
研究室で一息ついてから、遠くの別棟に移動して某作業委員会。これも1 8時前には終了し、さっさと帰宅。夜は来週の群論の授業の準備。今日やり残 したことを詳しく覚えている間に準備した方が効率的だし、来週はずっと東京 出張で講義の時だけ蜻蛉返りで戻ってくる強行スケジュールを組んでいるため。
ヒステリーといえば、私も脳が歪んだ最初の頃は、教室会議や教室のメー リングリストで頻繁にヒステリーを起こしていたな。あれはどういう心理かと いうと、要するに自分が当然こうだと思い描く姿と現実のギャップに対する苛 立ち。思い込みが激しいほどヒステリーの度合いも強くなる傾向があったよう に思う。これが数学者に広く散見されるヒステリーと同質のもの かどうかは不明。なんてたって、つい10年ぐらい前から数学者やっている私 には、人生の大半を数学者としてやってきた人たちの気持ちなんて、わかる わけないしね。そんなことを考えてるうちに、別件のヒステリー被害事件を 思い出して、ますますムカムカしてきた。
2009年11月3日(火)
<<ヒステリー>>
Ritsは勿論営業日。昼前に出勤。研究室でしばし雑用と昼食の後、12時
40分から14時過ぎまで卒研A(可換環論・代数幾何学)。今日は学生の1
人が風邪でダウンしたので、もう一人の学生とゼミを行う。何故か今日は
猛烈に眠く、睡魔と闘いながらのゼミ。その後睡魔は少しおさまり、
14時40分から16時頃まで卒研B (初等整数論)。それから別の建物に
移動して、某作業委員会で18時前ごろまで作業してから帰宅。夜は例の
有名論文を突っ突き回す。
ところで、きちんと統計をとったわけでは勿論ないが、数学者には ヒステリー持ちが 多いような気がする。以前読んだある本に、日本の高名な某哲学者は生前酷い ヒステリー持ちで、同僚や弟子筋はずいぶん苦労したというような事が書いて あったが、数学業界でそういう話は別に珍しくも何ともない。 師弟関係だと学問に厳しい先生ということにもなるが、比較的対等な 関係の場合は、まったく意味のわからないことで突然怒鳴られるといった 理不尽な事態が発生する。私も何度か被害 にあったことがあり、年に1,2回顔を合わせる程度の人によるものだけど、 数年前の被害例の一つをふと思い出してしまい、昨日あたりからずっと ムカムカしている。
相手がヒステリー持ちかどうかは、日頃の様子からはなかなか窺い知れず、 実際に「発作」の被害に会って初めてわかることが多い。その意味では数学者 の世界はまるで地雷原のようなもので、地雷を踏むたびに私のトラウマが一つ 増え、心のブラックリストに新たな名前が刻まれるのである。それではかなわ ないということもあって、透明人間モードという適応戦略が開発されたとも 言えるのだ。
2009年11月2日(月)
<<内定取り消し>>
午前中は自宅で研究ノートをいじくり回していたものの、やはりある有名論文
を読まないと駄目だなと思うに至る。山科駅前Sbuxで軽く昼食の後、大学に出
勤。出張報告書や年末調整の提出、それから科研費申請書類改訂版の電子申請
などをさらっと片付けてすぐに帰って来ようと思ってたのだが、科研費申請書の
訂正が意外と面倒で時間を取られる。夕方頃どうにか終り、図書館で
ついでにちょっと見ておこうかと思っていた論文を1つコピーしてから大学を出る。
午後から急に寒くなり、震えながら帰宅したら、ベトナム国立数学研究所 からメールが来ていた。以前、同様の研究集会から、あとで正式な講演依頼す ることになると思うから予定を空けておいてくれという微妙な言い回しのメー ルが届き、これは「内定」だなと思って快諾の返事をしてその気でいた。ところが 集会の直前になっても何の連絡もなく、変だなと思って独自調査したら、いつ の間にか「内定取り消し」になっていた。んなアホな!と思ったものである。
今回もそんな事が起こるかも知れないけど、まあ、講演依頼のお声が掛かっ ただけでも光栄だから、それでいいやと思っていた。しかしこの雰囲気では、 本当にベトナムに行くことになりそうである(まだちょっと疑ってるけど)。 それで夜は、くだんの有名論文読みでもと思っていたのだが、ベトナム行きの 航空便を調べたり、ハノイの地図を検索したりといったことにかなりの時間を 費やすことになった。
研究発表というのは難しいもので、まだ完成していない途中結果を皆の前 で話すと、色々有益なコメントがもらえたり、場合によっては共同研究に発展 してより良い成果が出たりするが、反面、自分の話に触発された他の研究者に 出し抜かれたりする危険もある。私も一度出し抜かれて、それまでやってきた 研究が水の泡になりかけたことがある。 優秀な某研究者を触発したのだから、自分のやってきた事もそれなりのモンだ なと少し自信が持てたけど、それ以後は用心して、なるべく正式に論文出版が 決まった内容しか講演しないようにしている。
2009年11月1日(日)
<<情報量はスカスカ>>
「城崎帰りの頭くらくら」病は、ようやく快方に向かい始めた。しかし今日も
午前中は何となくぼんやり過ごし、近所のスーパーに買出しに出て、遅めの昼
食をとったり野暮用をしているうちに夕方近くになっていた。それから久しぶ
りにスポーツクラブへ。雨降りのせいか、かなりすいていた。見慣れた顔ぶれ
ばかりだったが、もっこしピチピチパンツのおナル男とか、ロードランナー逆
走男といったスター級の要監視者は来てなかった。スポーツクラブから帰って
きたらもう夕食の時間。ああ、人生もこんなふうにあっという間に過ぎ去って
しまうのだろうな、と。夜はようやく数学研究を再開。城崎出張の前に纏め始
めていたノートに少し手を入れる。
そういえば、よく喋る人の話は一般的に言って情報量が多く、自分の身の 上のことや世間の色々なことが話題として選ばれ、それらは概して聞かれもし ないのに一方的に話される。問わず語りはオジサンの専売特許のようにも思え るが、実際はオバサンもけっこうやっている。さらに彼らは常日頃から情報を 整理して話のネタに仕上げたものを蓄積し、然るべき時に備えているふし も見受けられる。
それに比べれば、私の話は情報量という点からすればほとんどスカスカで ある。これはひとつには、世の中のことにあまり興味がないからだと思う。 一応新聞やネットのニュースには目を通しているし、大学の内外でさまざまな 事を見聞きするのだが、ほとんどのことはどうでも良いような気がして、 さして気にもとめずにどんどん忘れてしまう。また、研究集会出張に限らず 日々透明人間モードで生きているため、誰かに話して聞かせる事態を想定して ネタを仕込むなどという事は一切やらない。そのため、たまに人と話をする時 はその場で考えながら泥縄式に話すので、しどろもどろになる傾向がある。 会議のような場所ならまだ良いのだが、雑談の場合は単に次の内容を考えながら 話すだけではなく、常時相手に対するウケをモニターしながら話の流れを動的に 調節しなければならないので、しどろもどろになる危険が大きくなる。
かように人と話すのは大変面倒な作業だから、城崎での調査活動といった 特別な状況を除いて、人とはなるべく話さないようにしているのである。その 代わり、この日誌でブツブツ独り言を書いているのだが、これもまた情報量と いう点ではスカスカである。私は若い頃から、情報量のスカスカさを話のオリ ジナリティーや奇抜さでカバーしようとするところがあり、話好きの人の多く が身につけている「情報の伝達共有による会話」という安定した会話スタイルを 意識的にも無意識にも拒否してきた。このため、話の内容がやや異様になってし まって一般ウケせず、私の芸風がウケそうな相手を厳しく選定する習慣が 身につき、ますます人と話すのが億劫になるのだろうと思う。