の
た
め
の
邪
魔
な
広
告
よ け ス ペ ー ス で す。
2009年10月31日(土)
<<ぼんやりと過ごす>>
城崎帰りでまだ頭がくらくらしている。土曜日としては比較的早く起きたのに、
午前中は野暮用、雑用、研究面などで今後やるべき事の細々したリストを作っ
たり、科研費申請書の訂正作業をしたり、メールを出したり、城崎で教えても
らったパソコン用ソフトを検索した以外は、何となくぼんやりと過ごす。
今日はドイツ語寺子屋の日なので、午後は外に出掛け、京大ルネで昼食の 後、関西日仏学館の図書室で予習などをしながら時間調整。そして15時過ぎ から17時前までドイツ語の授業を受ける。授業の最後の方で、主人公の青年 が職業高校に進み、海運会社に職業研修(Lehre)に行く物語をDVDで見たのだが、 そこで出てきた社長のハイテンションな調子の良さに何となく見覚えがあって、 あとで京都ゲーテの所長のそれに似ていることを思い出した。
ある日の授業の始まりに、突然担当の先生と一緒に教室に入ってきて、あ の調子の良さで上級クラスのリストラ宣言を行ったのである。それを思い出す とむかむかと腹が立ってきて、寺子屋の帰り道に途中まで一緒だったクラスメー トに話したら、結構ウケた。まあ、ウケれば何でもいいようなもんだけど、人 生これトラウマ集積の日々なりって感じだな。
それからラクト山科に移動し、しばらくぶらぶらしてから、その辺で夕食。 帰宅後は、来週の群論の授業の準備をした以外は、また何となくぼんやりと過 ごす。
2009年10月30日(金)
<<ヘビーでディープな1週間>>
城崎から帰ってきた。数学的には私の研究のヒントになるような講演は少なかっ
たけれど、代数幾何学の多様な研究動向の一端を垣間見ることができたし、こ
の業界の人々の生態調査という重要課題についても、一定以上の成果が得られ
た。特に後者については、猛烈に悲観的な想定をして乗り込んだのだが、色々
な幸運に恵まれて、結果的にはかなり実り多い調査活動ができたと思う。
幸運のひとつは、宿で同室だった人に数学者にしては珍しく(?)オープンで 気のいい人が居て、その人を経由して他の色々な人と話したり一緒に酒を飲んだりす る機会を得たことである。それはそれで大変良いことなのだが、同時にそれは、 彼らの前では座敷童モードで透明人間のフリを通したいと思っていた人たちに 面が割れることを意味し、今後彼らとの距離の取り方など、色々考えなければ ならないことが出てきて、脳が歪んでいる私特有の不安と戦わなければならな くなるのである。ああ、とうとうパンドラの箱を開けてしまった、と。
それから、何人かの人たちは私が立命館の高山であることを既に知ってお り、例えば、宿の食事の席で突然隣の人から「高山さんは、○○でしたか」み たいな感じで話しかけられたりした。これには飛び上がるほど驚いて、「貴方、 私の姿が見えるんですか?」とマジに聞いてみたい衝動に襲われたのだが、そ こは半世紀を生き抜いたふてぶてしいオジサンの私だから、「ええ、○○です」 などと涼しい顔をして答えて、その場を切り抜けた。まったくもって、世界と 私の関係ほど難しいものはない。そういえば、少し前に大阪の研究集会に参加 した時も、同じようなことがあって、腰を抜かしそうになったな。しかし今回 は、さらに一歩踏み込んで、私に話し掛けてきた人たちと色々雑談なども行っ た。「内気」な私がよくそんな大勝負に出られたとものだと我ながら驚くが、 まあ、私だってやる時にはやるんだよ、ということにしておこう。
そんな感じで、当初予定していたように、聞き耳をたてて透明人間モー ドで空気のように漂いながら隠密情報収集に徹するという形よりも、より踏み 込んだ調査活動を行うことができた。まあ、この場で色々書くわけにはいかない が、やはり灰汁の強い人たちの濃厚な人間関係が渦巻く数学業界で生きていくの は、特に脳が歪んだ私にとっては大変だなという思いを新たにした。
話は少し変わるが、私の数学者嫌いの理由のひとつは、数学者(の多く) が「怖い人たち」だからである。数学は厳密性を厳しく要求する学問で、それ を真面目にやって行こうとすると、自分に厳しくならねばならない。自分は厳 しくやってるのに、横からいい加減な奴が出てきて、自分達が営々と積み上げ てきた学問を引っ掻き回されてはたまらない。そこで、自分ばかりではなく他 人に対しても厳しくなる。見るからに厳しい感じの数学者も少なくないが、普 段は非常に温和で愉快な人が、いい加減な学生や似非数学者(と彼らが断じる 人)の話をする時には形相を変えて容赦ない批判をする姿も珍しい現象ではな いから、これは本人の個性や性格とはあまり関係がなく、むしろ数学者の職業 病のようなものだろうと思う。
このような厳しい相互監視、相互批判によって学問のレベルが維持される のだから、これを一般的に悪いことだと言う積もりは毛頭ないのだが、私とし てはそういったことに加担したいとは思わないのである。別に自分自身に対し て厳しくしてりゃあ、それでいいではないか、と。それはひとつには、今でも 学生時代に受けたサドマゾ教育のトラウマ(に脳の歪みが加わった病)に苦 しんでいて、それゆえに、学問の厳しさとサドマゾを混同してはいかんと考え てるからでもあるし、自分に厳しくするのに精一杯で、他人に厳しくするとこ ろまで手が回らないからでもある。
15時過ぎに京都に戻り、一旦自宅で荷物を下ろしたり、メールのチェッ クなどをしてから、関西日仏学館でフランス語の授業を受ける。最も恐れていた 「オジサンたちとの相部屋の夜」件は何とか乗り切ったものの、パンドラの箱を 開けてしまったり、飛び上がりそうになったりと、ヘビーでディープな1週間を すごし、頭がくらくらしそうである。
2009年10月27日(火)
<<短信>>
明日の講義のため、城崎温泉駅から18時過ぎの特急に乗り、21時過半頃帰
宅。「恐怖のオジサン5人相部屋の夜」は、オジサンの中ではかなり上品な方々
ばかりでまずまず良くしていただき、しかも何となく事の成り行きで、皆が寝
る和室8畳部屋の隣の補助スペースで一人半個室状態で眠るという幸運にも恵
まれた。
シンポジウムはほぼ透明人間モードで気楽に参加している。「どうだ。お 前ら、俺が誰だかわなんないだろう」って鼻高々だ。しかし、一人だけ「こな いだはどうも、バタバタしてスミマセンでした」という意味のわからない挨拶 をしてくる人がいて、ふと見れば例の数理研の若い先生だった。「こないだの 件」として思い浮かぶのは、「ラフマニノフ理論のプレプリント」の件か、ド イツ語寺子屋の帰り道に路地から中学生が乗るような変速ギア付き自転車で飛 び出してきた件のどちらかであるが、それらが「バタバタ」に該当するかどう かはすこぶる謎である。しかし、数学者というのは謎に満ちた存在だから、謎 をもって謎を制す、これ、すこぶるよろしと思い、「いえいえ、どういたし まして」とこちらも謎の応答をしておいた。
それから某筋から、私がRitsの中でもっとも数学者らしい数学者だと言わ れているという噂があることを聞いた。噂の震源地も判明しているが、それを ここで述べることは控えよう。私は数学を研究しているけれど、数学者は嫌い だし、自分は数学者などでは断じてないと思っていて、それが唯一の矜持であ る。だから私は今、その噂の話を聞いたときに一瞬嬉しくなってしまった自分 を深く恥じている。
また明日の晩から2泊しなければならず、相部屋のメンバーも若干入れ替 えがあるそうである。無事帰ってこれたら、金曜日の深夜以降に更新予定。
2009年10月25日(日)
<<「お前はいい奴だ」>>
さて、いよいよ最後になった「本日の1枚」は、プーランク室内楽集。実は1
枚ではなく、2枚組CDである。ピアノ伴奏はエリック・ル・サージだが、
フルートだのクラリネットだのは、エマニュエル・パユ、ポール・メイエ、ミ
シェル・ポータルなど、大物揃い踏みって感じで、まるで有名数学者を招待講
演者として集めた研究集会みたいなCDになっている。ところで、プーランク
はフランス人だから、最後の子音は発音せずに「プーラン」と読むのが正しい
かと思う。
本日陰鬱な曇り方をした日曜日。午前中は遅めの朝食後のコーヒーを飲み ながら、新聞の日曜版の漫画「オチビサン」を読み、7つの間違い探しクイズ とクロスワードパズルを解き、それから、しばし野暮用の後、スーパーに買い物 に出る。
昼食の後は、明日からの城崎シンポジウム出張のための準備。JRの時刻 表や現地の宿の案内を調べたりといった作業。憂鬱である。学科長やって脳が 歪んでからは、研究集会に参加するのが特に億劫になった。数学者の顔なんか 見たくもないやって感じ。そんな中でも、私の面が割れてない研究集会に透明 人間モードで潜入するのはOKで、その意味では城崎シンポジウムは、たとえ ば可換環論のシンポジウムよりも、気楽に参加できそうなものなのだが、そう は問屋が卸さない。つまり、和室3〜5人部屋でオジサン数学者と相部屋とい うのが、かえすがえすも頭痛の種だ。私的にはオジサンは×だし、数学者も× で、それが2つ重なって×がダブルになり、鼾と歯軋りとオナラと咳の音に悩 まされながら「長々し夜をひとりかも寝む」のかと思うと、まさに身の凍る思 いである。そして自己マゾな私は、そういう自分自身をどこか突き放して眺め、 冷たくほくそ笑んでいるのである。ふっ、ざまあみろ。もっと苦しめ、ばーか たれめが、と。まあ、ホントに自分でも何やってんだか、わけわかんないっス。
夕方はラクト山科まで散歩。例のベンチで数学をやるフリをしてみたが、 目の前に座っていた70代ぐらいのオジサンが、新聞を読みながらしきりに鼻 糞をほじくっていたので、思わず目が釘付けになる。「ほら、食え!食え!そ の鼻糞を食え!」と念力を送っていたのだが、指で丸めてその辺に飛ばすばか りで、結局食わず。しかし鼻糞をほじくった手で袋菓子をつまんで食べたり、 新聞を読みながらふっと脱力して棺桶に入って永久に眠る練習をしかけたかと 思いきや、またふっと我に返ったりしていた。なるほど、オジサンも7 0代になると色々あるのだなと、勉強になったような気がしたけれど、私も脱 力が伝染したのか、思わずオジサンと一緒になって棺桶に入って永久に眠る練 習をしかけてしまったので、これはいかんと立ち上がり、その辺を偵察。
ラクト偵察では特に変わった事はなかったけれど、ラクトスポーツクラブ における要監視者極秘リストNo.1のピチピチ短パンもっこし男が、ユニク ロの買い物袋を下げて嬉しそうに歩いてきて、私の乗っていた下りエスカレー タを駆け足で降りてきて私を追い抜き、地下に行ってしまった。人力引きみた いな裾の締まった黒いジーンズに、最近流行りの悪魔みたいにつま先がにゅっ と伸びた革靴を履いているのは見逃すとしても、上半身はこの肌寒い日に半袖 Tシャツ一枚で、ベンチプレスで鍛えた胸板と腕をわざとらしく見せ付けてい るところは、いかにも「おナル」な彼らしい。しかしこの男の良いところは、 いつも嬉しそうにしていることだ。そういえば私の半生で、いつも嬉しそうに していた時期ってあったかしら?
さて、このジャケット。煙草を指に挟み、ワインか何かを注ごうとしてい るプーランクのモノクロ写真は、いかにも20世紀前半のフランスの鷹揚なオ ジサンって感じだ。国立研究所時代、フランスから学問的にも政治的にも 超大物と呼ばれたオジサンが来日して研究所の滞在し、その世話役を仰せつかっ て地方の大学を訪問するのに同行したことがある。この大先生は、ゴロワール とかいう臭っさい煙の煙草を四六時中手放さず、真昼間から平気で酒をガンガ ン飲み、いつも不機嫌で我儘で文句タレで、皆さん結構持て余し気味だった。 研究所の上司達は私に世話役を押し付けたものの、「高山君、なんとかやって くれよ」と不安げであった。
まあ、私の自慢は、そういう難しい大先生と結構のらりくらりと適当に楽 しく旅をして、出張の帰りには「お前はいい奴だ。パリに来た時は、ぜひ俺の 家に寄れ!」って連絡先まで教えてもらったことである。勿論、「大先生、ど うだった?」と心配していた上司にも、「ええ、ご機嫌でしたよ」と胸を張っ て報告したものだ。その後、パリに行くことはあったけど、結局大先生の家に は寄らずじまい。
「お前はいい奴だ」と言ってもらえた事は、あと1回だけあるが、それは 大学4回生の頃。30歳を過ぎて以後、「お前はいい奴だ」と言われたことは ないけど、「(口は悪いけど)紳士だ」と言われたことは1度だけある。こう いうのも、自慢だな。
明日から恐怖の城崎代数幾何学シンポジウム出張。
もしかしたら火曜日の深夜に短信を書くかも知れませんが、
一応、次回更新は、30日の深夜以降。
2009年10月24日(土)
<<疾風怒濤前々夜>>
さて残り少ない本日の1枚は、ウィーン室内合奏団のアイネ・クライネ・ナハ
トムジーク弦楽五重奏版(Eine kleine Nachtmusik K525」(モーツァル
ト)と「クラリネット五重奏曲イ長調K581」(モーツァルト)。アルフレー
ト・プリンツによる「クラリネット五重奏曲」は、8月2日に紹介したCDに
入っているものと全く同じ。こんな風に、同じ録音をあちこちで使いまわした
り、別のものと抱き合わせ販売してみたりするのは、クラシック音楽ではよく
行われるようだ。
本日ドイツ語寺子屋の日。午前中はウォーミングアップのため、ふと思っ たことを独作文したり、文法を確かめたり。それから京大に移動して、ルネで 遅めの昼食。今日はケバプライス。要するに「照り焼きチキン細切れライス・ 生野菜添え」みたいなもの。昼食後は関西日仏学館の図書室でドイツ語の雑誌 を読んだりして時間待ち。15時過ぎから寺子屋の授業。17時前に終了。寺 子屋の帰り、クラスメイトと途中まで一緒に歩いていたら、路地から突然自転 車が飛び出してきた。よく見たら「ラフマニノフ理論のプレプリント」のこと を聞いてきた数理研の人だった。
それから河原町三条BALまで歩き、ジュンク堂書店で「ピアニストは指 先で考える」(青柳いづみこ)を購入。地下の無印良品のデリカッセンで夕食 をとってから帰宅。夜は来週の群論の授業の準備やドイツ語の予習など。明後 日から1週間疾風怒濤の相部屋出張なので、今のうちに準備しておかないとい けないのである。
ところで、このジャケットの絵は悪くないけど、私、こういう色合いのも
のを見ると、まずは子供の頃に大好きだったお八つ「東京さきイカ」を思い出
してしまうのよね。それから、私の田舎では味噌といえば、米を使わず大豆だ
けで作った赤味噌のことで、大根の味噌汁とかシジミ汁なんかは、こんな感じ
だった。今でも津に帰る時は、表向きは鰻三昧行脚だの実家の掃除などを標榜
しているが、実は津のスーパーで純正赤味噌を買ってくるという極秘重要任務
も担っているのである。
2009年10月23日(金)
<<一般論>>
さて残り少ない本日の1枚は、ヴルフィン・リーシュケのギターで「如何です
か、タレガさん?」。フランシスコ・タレガを中心としたクラシック・ギター
定番曲からあまり聴いたことのない曲まで色々集めたもの。しかし、何と言っ
てもこのCDの「ウリ」は、名器中の名器みたいなギターを何本も用意して、
曲によってとっかえひっかえして弾いているところ。Arias, Esteso,
Fleta,,, とかブランドの名前を書かれても、ヤマハのギターしか知らない私
には何のことやら。。。しかし音はさすがに素晴らしく綺麗。
本日午前中に出勤し、しばし数学をしたり雑用をしたり。13時から14 時半まで、卒研ゼミ(初等整数論グループ)の振り替え版。卒業アルバムの卒 研写真撮影も兼ねる。その後、関西日仏学館に移動し、図書室でフランス語の 宿題プリントを片付け、隣の京大ルネで少し早めの夕食。京大の秋刀魚の塩焼 きは塩がよく効いているが、Ritsの塩焼きは薄塩だと判明。
夕食後ルネの書籍部をひとまわりしてから、また関西日仏学館に戻ってきて 図書室で動詞の活用形の復習。18時45分より21時までフランス語の授業。 先週から秋学期が始まっているのだが、風邪で休んだため、今日が私の初日。 いつもの先生は休みで、代講の先生が来ていた。これまでと同じ先生の講座だが、 今学期から何故か装いも新たにレベルが中級に上がり、受講生の顔ぶれもこれ までと少し変わった。つまり、若い人が何人か減って、長らくフランスを放浪 していたというしょぼっとしたオジサンが一人増えた。フランス放浪は注目に 値するものの、一般論としてはオバサンが増えるのは許すが、オジサンが増え るのは容認し難い。
日仏の帰りは、久しぶりにタカラ缶チューハイ250mlで路上飲酒。夜 は明日のドイツ語の予習をすこし。
このジャケットも華が無いというか、"What about this, Mr...? "の手書き風
の赤文字も気持ち悪ければ、"TARREGA"の金文字が妙に嫌らしいのも鼻につく。
どうも背景が真っ黒というのがいけないのだと思う。
2009年10月22日(木)
<<蜻蛉返り>>
さて残り少ない本日の1枚は、本日購入したウラジミール・アシュケナージの
「24の前奏曲」。またもゼルゲイ・ラフマニノフの曲。前回の2台のピアノの
ための作品集が素晴らしかったのに気を良くして、リメイク版というこ
ともあってか割合安かったし、アシュケナージのピアノならラフマニノフの曲の感じ
に合ってるかなと思って、適当に購入。
本日午前中は、11月の出張の予定を決めてホテル捜し。 「休講は1セメスター2回まで」という学内ルールをクリアするために、1週間 の研究集会の中日に抜け出して大学で講義し、蜻蛉返りでまた研究集会に戻ると いう作戦をたてる。結局、研究集会の前半と後半で異なるホテルに泊まることにした。 同じような事は来週の城崎シンポジウムでも計画している。こうなったらもうゲーム 感覚ね。さずがに1月のベトナム出張の時は、ハノイから 蜻蛉返りで大学へというわけにはいかないから、休講にするか。
午後は京大へ。ルネで遅めの昼食。最近お気に入りの掛け蕎麦とケバブラッ プというメニュー。ゲバプコーナーでは、明らかにイスラム圏出身の人たちも 並んでいたから、やはりルネのケバプは正統派なのでしょう。以前エッセン大 学でちょっとした文化祭みたいな催しがあって、屋台でドネルゲバブが売られ ていた。イラン人留学生アッハード君に、「あれ、どうよ?」と聞いてみたら、 「どうだか」って不審そう。そこで彼は店の人に「それはイスラムの教えに従 って正しく調理されたものか?」と尋ねていたが、結局「ドイツ人用のまがい もの」だとのことだった。「正しい調理」とは、恐らく食肉用の動物の潰し方 を、イスラムの流儀にのっとった特別な方法でやっているかどうかということ じゃないかと思う。
昼食後、しばし京大数学教室の図書室に籠り、先日の日大セミナーのノー トを見直し、チェックすべき項目を洗い出す。私は代数幾何学ではまだ 若葉マーク状態なので、潰しておくべき基礎事項は少なくないのである。 それから少し早めに図書館を出て、JEUGIA三条本店でCDを買い、 さらに四条から五条河原町界隈に出掛け、買い物など。夜は昼間に洗い出した チェック項目関連の勉強をすこし。
アシュケーナージって、今はいいお爺ちゃんだけど、この写真は若いです
ねえ。最初、おっ、ダスティン・ホフマンかいな?と、思わずJEUGIAさ
んの店内で、映画「卒業」の名場面の真似して、「エレーン!エレーン!」と
か(小声で)叫んで教会の窓を叩くフリして、ひとり嬉しがってみたけど、
よく見たらアシュケナージだった、と。まあ、そのダスティン・ホフマンも、
今はいいお爺ちゃんになっちまったけどね。
2009年10月21日(水)
<<卒研配属>>
さて残り少ない本日の1枚は、ソントラオド・シュパイデルとエヴェリンデ・
トレンクナーの4手ピアノで「キプロスの女王ロザムンデD.797」と「人
生の嵐D.947」(いずれもシューベルト)。「ロザムンデ」はオーケスト
ラで演奏するオペラ曲だが、アーノルド・シェーベルクによってピアノ用に編
曲されたもの。私はシューベルトの曲の中では「ロザムンデ」の序曲が一番好
きで、これを聴けば踊り出さずにはおれず、いつも何かしらの踊りを踊ってしまう。
今朝、いつものように、JR西日本は30分程度遅れていたが、幸い1本 だけまともに動いていた普通列車に乗れて、10時過ぎに大学に出勤。10時 40分から12時10分まで、大学院の授業でルべーグ積分のゼミ。今日はジョ ルダン可測集合のある特徴づけの証明が問題になり、学生と一緒にうんうん考え て時間中に半分解決。昼休みに研究室こそこそ昼食をとりながらさらに半時間 ほど考え、残り部分も解決。それから日大セミナーのノートを見直したり、出 張報告書を書いたりしてすごし、14時40分から2回生の群論の講義。16 時10分終了。研究室でひといきついてから帰宅。夜は、ドイツ語のテレビ放送 を見たり、日大セミナーノートの見直しをしたり。
来年度の卒研配属について学生からの希望票が集まり、私のゼミにも希望 者が若干名いたらしい。その昔、私の卒研ゼミを志望するごく少数の学生立た ちは、内面的なところでどこかしら私と似たところがあって(大抵はあまり 似て欲しくない部分である)、「こいつ、こんな所が俺に似てるようじゃあ、 将来色々苦労するだろうな」と思うことがしばしばだった。もっとも卒業後、 私の予想通り苦労している人もいれば、そうでない人も居るようだ。ところ が最近は、私にはあまり似てないタイプの学生も入ってく るようになった。この変化の背景で何が起こっているのか、私自身はよく理解 できていないが、まあ、無理に理解したところでどうってわけでもないし、 謎は謎のままで放っておこう。
このジャケットの絵は、右端のピアノの前に座っているシューベルトを囲
んでの演奏会なんでしょうかね。そこで問題。もし貴方がこの絵の中に居ると
したら、どの人物が一番貴方に近いでしょう?私の場合は、シューベルトの右
上のところで何かにもたれながらそっぽ向いてる男だな。無関心な素振りをし
てるけど実は興味津々で、シューベルトに一番近いところで、しかしながら、
他の人たちとは少し距離を置いた横っちょの方にしっかり陣取って、耳ダンボ
状態で息を潜めているってところが、私の人生全般に対するスタンスを象徴し
ているかのように思われる。
2009年10月20日(火)
<<立ち話>>
さて残り少ない本日の1枚は、ジュリアン・ブレームの「バロック・ギター独
奏曲集」。J.S.バッハ、シルヴィウス・ヴィアイス、フェルランド・ソル
あたりは知ってるけど、ガスパー・サンズ(Gaspar Sanz)とかロバート・ヴィ
ゼー(Robert de Visee)って誰よ?彼らの曲は昔からよく耳にするけどね。
咳がしつこくて、なかなか取れない。マスクをして午前中に出勤。ポスト にたまった郵便物を受け取り、研究室こそこそ昼食をしながら色々雑用。12 時40分から14時過ぎまで卒研A(可換環論・代数幾何学)。一息ついて1 4時40分から16時まで卒研B(初等整数論)。それから16時半から18 時半ごろまで某委員会の会議。会議で一緒だった数理科学科の同僚と廊下で立 ち話になり、結局20時頃まで引き止められた。普段、同僚と雑談じみた話を することは無いが、相手が話したがっているのにそれを拒む理由はあるまいと、 気よくいつまでも付き合った。
帰宅後は、明日の群論の授業の準備をしたり、夕方の会議のちょっとした 宿題を片付けたり。
このジャケット、やっぱりクラシック・ギターにピックというのは変なの である。ある時、ゲーテ・クラリネット奏者氏が「クラシック・ギターをやっ てみたくなった」と言い出して、ギター・プロジェクトの第一弾として、まず はピックを買ことになった。当然私は「ピックはないでしょう!」と止めたの だが、「素手で弾いたら指が痛(くなって、クラリネット吹くのに良くな)い から」と、もっともらしい事を言うので渋々引き下がり、ピック買いのために JEUGIAに付き合ったりもした。ピックの次はいよいよギターですね。遊 びでちょっと弾いてみたいだけでしたら、3万円ぐらいから安いのがあります よ、とか何とか。
それからしばらく経った頃、そういえばギターの方はどうなりましたか?
と尋ねたら、あのプロジェクトはピックだけ買って何となく自然消滅してしま
いました、と。うーん、大山鳴動して鼠一匹。ギターがピックに化けましたか。
ゲーテのクリスマスパーティーでこの話をしたら、フルート奏者氏にも受けて、
皆で大笑いした。
2009年10月19日(月)
<<少しだけ>>
さて残り少ない本日の1枚は、17日に紹介した2枚組みCDの2枚目。イ・
ムジチ合奏団の「アイネ・クライネ・ナハトムジーク(モーツァルト)」「セ
レナータ・ノットゥルナ(モーツァルト)」と「ディヴェルティメントニ長調
K136・変ロ長調K137・へ長調K138(モーツァルト)」。「アイ
ネ、、、」と「ディベリティメンK136」は誰でも知ってる有名な曲。
夜22時過ぎ、日大セミナーから無事帰宅。今回は東大系代数幾何学特集 みたいな内容。まあ、あまり面が割れると来週の城崎シンポで透明人間モード に徹しにくくなるので、気配を殺して講演を聞く。博多から来た人のお土産の 饅頭が異様に美味く、2つも食べてしまった。 行き帰りの新幹線の中では、居眠りしたり「ピアノノート」を読んだり。
ホテルでは、数学する予定だったのだが、さぼってビデオを2つ見て過ご した。1つ目は「マンマ・ミーア」。同名のミュージカルの映画化だそうであ る。アバの歌がふんだんに使われているというので見てみたが、まずまず面白 かった。次に見たのは、若いジャーナリスト夫婦がパキスタンに滞在して取材をし ていて、夫がテロリストに誘拐されて殺されたという実話に基づいた映画。こ の手の実話モノ映画は割合好んで見るが、今回のは内容が憂鬱すぎる。暗然と した気分で風呂に入りベットにもぐりこんだが、それが翌日まで響いたのか、 今日は終日鬱状態。まあ、私は数学者集団の中で仕事する時は、大抵憂鬱になっ てるけどね。
そういえば、義理で葬儀に出ることには良いことがひとつある。それは、 悲しそうにしている家族や親族の姿を見て、ああ、この人も誰かに愛されるよ うな何かしら人としての温もりを持っていたのか、ということがおぼろげにわ かるからである。そのことによって、たとえば生前は、ただの毒舌爺とか、強 欲自己チュー親父とか、とことん憎ったらしい苛めっ子の成れの果てとか、几 帳面なだけが取り柄の優柔不断野郎としか思ってなかった彼らが、少しだけ近 しい人に思えてくるのである。少しだけ、だけどね。
ところで、これはずいぶんお座なりな作りのジャケットだけど、この窓か
ら見える空には見覚えがある。2000年度後期にドイツに半年滞在した時、
下宿に着いた最初の夜、窓越しに見た空がこんな風で、「ああ、ヨーロッパに
来てしまったな」としみじみと思ったものである。
2009年10月17日(土)
<<今更わざわざ読むかね?>>
さて残り少ない本日の1枚は、イ・ムジチ合奏団の「四季(ヴィヴァルディ)」
「アダージョト短調(アルビニオ二)」と「カノン(パッヘルベル)」このC
Dも、昨日までの20年近くの間、自宅の片隅でまどろんでいた。
「カノン」は誰でも知ってる有名な曲だが、バッヘルベルって名前は他では
あまり聞かないし、「一発屋」かしら?と思ったりもする。
今日はドイツ語寺子屋塾の日。午前中は、ドイツ語のニュース番組を見た りしてすごし、早めに自宅を出て、まずは京大へ。ルネの食堂にドネルゲバブ を扱うコーナーが出来たので、ゲバブ・ラップと掛け蕎麦の昼食。イスラム圏 の人でも食べられるケバブは、定まった方法で解体した肉を使ったものに限ら れるけど、京大のケバブはどうなのかしら。まあ、イスラム圏からの留学生も沢山 いるし、その辺はちゃんとしていると思うけど。
昼食のあとは、ルネの書籍部でしばらく本を探したけれど、見つからず。 諦めて、いつものように関西日仏学館の図書室でドイツ語の雑誌などを読んで すごし、15時過ぎから17時前まで寺子屋の授業に出る。まだ咳が残ってい るので、マスクをしたまま、もごもごとドイツ語を喋る。
授業の後は、河原町三条のジュンク堂BAL店へ。そこで、京大ルネに置 いてなかった 「ピアノノート」 を購入。もひとつ 「ブラックホールを見つけた男」もルネには置いてなかったので、 この際だから買ってしまおうかなと思ったが、とりあえず見送る。 若い研究者の研究が大御所学者に潰されるという話は、私も計算機科学者だった 頃に似たようなことを何回か経験しているので、読んでみたい気もする一方、 広い意味で計算機科学・数学と同業者の業界裏話なんて、今更わざわざ読むかね? みたいな気もして、まあ、「ピアノノート」を読んでから考えようか、と。
さて、実は私が持ってるCDは古い2枚組で、上記の曲以外にモーツァル トの曲がいくつか入っている。ジャケットはこの画像とは違って、イ・ムジチ 合奏団の集合写真。最近はそれらが別々のCDとして独立に売られているよう である。このジャケットは、「四季」だから中世の頃の春夏秋冬の絵を使って るのだろうけど、まあ、そんなに面白い絵でもない。
ただ、このジャケットを見ていると、ふっと、「こんな公衆トイレがあっ たらいいかもね」と思ってしまうのだが、何処をどういう風に見れば、これが 公衆トイレになるんだ?って詰め寄られても、「だって、そういう気がしただ けだもん。右が男用入口、右が女用入口、それで真ん中に簡単な水道設備があっ て、、、」と。
明日の午後から東京出張。次回更新は月曜日の深夜以降の予定。
2009年10月16日(金)
<<「その日」が訪れる>>
さて残り少ない本日の1枚は、
エミール・ギレリスとウイーン・フィル(カール・べーム指揮)で「ピアノ協
奏曲第27番変ロ長調K.595(モーツァルト)」とエミール・ギレリスと
夫人のエレーナ・ギレリスの「2台のピアノのための協奏曲変ホ長調K.36
5(モーツァルト)。これは大学を出て東京の会社に勤め始めて2年目ぐらい
に、初めて自分で買ったクラシックのCD。何を聴けば良いのか皆目見当がつ
かなかったので、まあ、モーツァルトは有名だし、ピアノ曲なら悪くないだろ
うと思って選んだのである。
しかし結局2,3度聴いて「なんて退屈な音楽か!」と放り出した。間も なく私は、映画「アマデウス」の情宣が京大数学科時代のサド・マゾ体験のト ラウマを刺激したことから、20年近く続くモーツァルト嫌いの時代に突入。 そしてこのCDは、古びた大学の図書館の書棚の片隅でひっそりと息をひそめ ている私のゴミ論文のように、再び誰かが関心をもって手に取ってくれる日を 夢見て、長い長い眠りに入ったのである。そして約25年後の今日、ようやく 「その日」が訪れたのだ。
ギレリスって、こんなに綺麗なピアノを弾いてたのかと、思わず5,6回 繰り返し聴いてしまった。長い間その辺に押し込んだままにしておいて、本当 に悪かったね。心が盲しいるとは、こんなに愚かなことなのか。ああ、今、全 世界を敵に回して戦争をしている私も、生涯を終えるときには、こうやって全て のものと和解していたいものだ、と。
昨日で熱はおさまったものの、昨夜から咳が酷くなり、ガラガラ声しか出 ない。朝一番で再び近所の医院に行き、咳止めを貰ってくる。今日中には治り そうにないし、新型インフルで世間がピリピリしている昨今、狭い教室の中 でフランス語話そうとするたびに咳込んでちゃあ、まずいわなと、今夜の関西 日仏学館は欠席して、引き続き自宅静養することにした。
自宅静養だと、野暮用して、音楽聴いて、数学しているぐらいしかするこ とがない。夕方は少しラクト山科に散歩に出たけど。ラクトでもベンチで数学 だし。まあ、こうやって一日だらだらと数学するのって、結構好きなのよねえ。
さて、このジャケット。最近新装版で売り出しているのだろうけど、私が
持ってる、詰まんないモーツァルトの影絵のイラストのものとは全然違う。
ウイーン・フィルの人たちとギレリス夫妻が仕事の合間に一息ついている
ところであろう。皆さん、いい表情をしている。
左端はカール・べームかしら。リーマン・ロッホの定理を拡張した、
ヒルツェブルクにちょっと似てるな。