の
た
め
の
邪
魔
な
広
告
よ け ス ペ ー ス で す。
2010年8月15日(日)
<<行き止まり>>
日曜日らしく午前中は「オチビサン」(朝日新聞)と「7つの間違いさがし」
「時事クロスワードパズル」(京都新聞)。間違いさがしの方は快調で、
もうすっかり自信を取り戻した(立ち直りが早い)。
それから夕方頃まで愚図愚図と数学。ここ2、3日考えていた ことをノートに整理したり、いくつかの論文を見比べたり。 うーむ、どうも今まで考えていた方向では、余程新しい アイディアでもない限り行き止まりのようだ。とりあえず、 今まで考えたことをTeXに纏めて寝かしておいて、 ブレークスルーの電撃的天啓を待とうかしら。 でも、京都はお盆休みだし、TeX作業は先送りして、 もうしばらく愚図愚図してよう。
ということで、夕方頃に散歩がてらに山科区内で買い物に出て、 夜は海外逃亡直前期の段取りをたてたりしてすごす。
見知らぬイラン人研究者から、私の論文を送ってくれというメールが来た。 はてな?最近はネットで簡単にダウンロードできるから、私自身も あまりこういう依頼はしなくなったのだが、どうしてかしら。 怪訝に思いながらも一応PDFファイルをメールで送り、「紙の コピーが必要なら遠慮なく言ってくれ」と伝えたが、しばらくして、 「PDFで十分だ、感謝する」というメールが届いた。
アメリカの雑誌に出た論文なので、対イラン制裁の一環 として、イランからはアメリカのサイトにはアクセスできず、 紙の雑誌も禁輸対象になっているのかもしれない。 イランといえば、2004年にエッセンで一緒だったアッハー ド君が居るはずだが、彼はどうしてるのかしら。論文は書いているみた いだけど。
それから、昨日は高校の同窓会があったらしいが、その関係のメールも 流れていた。何やら昨日参加した人の中から、次回の幹事が選ばれた らしいが、高校時代の各クラスから1名ずつの共同態勢にするとか。
高校の同窓会は、出席者の中に久しぶりに会いたいなと思う 顔ぶれがほとんどなく、「この人たちの中に居て間が持つかなあ」と不安 ばかりが湧きおこってくるので、結局行く気が起こらない。1、2年前に 南草津で少人数で会った人たちも来ていたが、「韓流ドラマ一色の話には ついてけんしなあ」と、やはり元気が出ず。
2010年8月14日(土)
<<二人のオジサン>>
昼過ぎに大丸ラクト山科店の旅行用品売り場に海外用電源プラグを
捜しに行った以外は、終日、自宅やラクト山科のベンチや大丸ラクト
山科店1階のコーヒーショップなどで、だらだらと数学。しばらく放置
していた問題を2か月ほど前から見直しているうちに、某理論を
勉強しなければならなくなり、先週ぐらいからその方面の教科書
の必要部分を拾い読みして本日に至る。その副産物として、某有名雑誌
に出ている有名数学者2人の共著論文の主張が一体何を意味しているのかよ
うやく分かり、さらにその共著者のうちの1人が書いたプ
レプリントの証明方法の意味がわかった。と、こんな具合。
嗚呼、果てしない道ですな。
ラクト山科のベンチでは、最初のうちは快適だったのだが、途中から 60代ぐらいの女二人組が近くにやってきた。一方は、この世代によく見受 けられる「マシンガンのように喋りまくる」オバサン。パートの仕事を 捜しているらしく、企業の巧妙な年齢差別ぶりを嘆いていた。 マシンガン・トークがあまりにうるさいので、1階のコーヒーショップに避難。
大丸ラクト山科店1階のコーヒーショップは、例の、ラクトスポーツプラザで 「激しく減量!青春を取り戻した元メタボ王」の異様に元気ぶった オジサンがお気に入りの店。ここは大丸のフロアの中のオープンスペースに なってて、他の売り場との境目がない。私がコーヒーを飲みながら勉強して いると、元メタボ王がやってきた。早速監視を開始。
彼はスポーツクラブ帰りのようで、大きなスポーツバックを持って、 上は何やら若ぶったスポーツウエア、キャップにサングラスをひっかけ、 ミニバックからお洒落な老眼鏡を取り出して掛けた。 そして、この店でいつもやっているように、立派な革表紙のスケジュール 手帳にこれまた立派な木製の太い柄のついた万年筆だかボールペンで何やら 書きこんでいた。その作業をしながら、時々顔をあげて、あちこちガン を飛ばすのが彼の特徴である。少し離れた席から監視している私とも目が合 って、一瞬「あれ?あいつどこかで見た奴だぞ?」(気のせいだってば!) みたいな表情をしたかと思うと、また手帳に目を落とした。 手帳に何かを書き終えると、携帯電話を取り出していじくり始めた。
私は店を出る時に、立ち止って財布を片付けるふりをしたり、帰り際にそっと 彼の後ろに回ったりしてオジサンを監視。それかから大丸の1階と地階のフロア を一周してまた1階に戻り、彼の後ろを通り過ぎるかたちでコーヒーショップ の横を通りぬ け、偵察衛星よろしく監視。まだ携帯電話をいじくっていた。
夜は久々にスポーツクラブ。いつのもトレーニングメニューが終わりかけた 頃、「休憩オジサン」が現れる。これは大変だ。彼にはトレーニング マシンを占拠していつまでも休憩するという好ましからぬ習性がある。 あと2、3のメニューをこなせば帰れるのに、このオジサンが居座ってマシン が使えなくなれば、帰宅が遅れるではないか。そこで休憩オジサンが着替えて いる間に、彼が使いそうなマシンのトレーニングを速攻で終わらせる。
休憩オジサンを監視した結果、次のことが分かった。オジサンは、 たとえば錘がついたバーを両腕で持ち上げるマシントレーニングの1セット で、バーを15回一気に持ちあげる。その時間は約30秒と意外と短い。 しかし、その前にマシンに座って髪の毛をいじったり居眠りするようなしぐさを したりして休憩している時間は、平均5分以上と推定される。マシンの空きを 待つ方からすれば、「5分」は「永遠」に近い。「その5分があれば、俺は じゅうぶん1セット分のトレーニングができるんだから、ちょっとそこをどけ!」 と言いたくなる。しかも休憩時間は後になるほど長くなる傾向にある。
やはりトレーニングマシンは、3分以上座っていると 「そんなにワシのことが好きか?」と音声を発すると同時に後ろからワイヤーが 出てきて縛りつけられ、椅子から剣山が出てきたり、頭に上 からギロチンの刃が落ちてきたりする仕掛けにでもしないと、駄目だな。
2010年8月13日(金)
<<鼾と怒鳴り声>>
夏はどうも睡眠がうまく取れずに、日中も眠い。午前中は自宅で数学。
ここんところ胃の調子を崩して珈琲をやめているので、どうもシャキッ
としない。
午後は久しぶりに街に出る。河原町三条丸亀製麺で少し遅めの昼食。 それから上島珈琲で温かいミルクティーを飲みながら夕方近くまで数学。 追加で温かいココアも飲んだ。ここでも睡魔が襲ってきて、能率が悪い。
上島珈琲では例の通路際のソファー席。ここは坪庭に面し、孤立した 感じがあって落ち着く半面、近くの席の話声がよく反響するので、実は 仕事には向かない。しかし今日は隣の席がどこかで見掛けたような気も する60代後半ぐらいの大学教授風の男。耳栓をして何やら専門書やら 資料やらノートやらを広げているので、これは静かに違いないと踏んだ。
しかしそれが間違いで、途中このオジサンが居眠りを始め、雷のよう な鼾がうるさくてしょうがない。このオジサン、本当に大学教授なのかなあ。 大学教授は教授会の居眠りで訓練されているから、通常はこういう時に鼾 などかかないのである。しかし、競争の激しい先端分野の偉い先生などは、 「教授会で時間を浪費している間に世界のライバルに先を越されてしまう」 等の理由で、教授会出席を拒否しつづけることがあるらしい。 私がそういうことを言って教授会をサボろうとしても取り合ってもらえ ないが、例えば、生物学でノーベル賞を受賞した利根川教授クラスになると、 MITの教授会出席を免除されている、あるいは蹴散らかしている(?)、 という話を聞いたことがある。
だから、大学教授が居眠りして大鼾をかくのは超一流の証拠、という推測も 一応成り立つ。そうかあ、このオジサン、今でこそ上島珈琲で仕事するフリして 居眠りなんかしてるけど、現役第一線の頃は教授会など蹴散らかし、 寝る間も惜しんでブイブイ研究する超大物だったのかもしれんな。
そうこうするうちに、ずっと向こうの席から甲高い怒鳴り声が聞こえてきて、 何事かと思ったら70代ぐらいの男女3人組の話声だった。3人のうちの1人の オジサンが、体は達者だが耳は少々遠いようで、やたらデカイ声で話している。
鼾と怒鳴り声。どうも年寄りというのはうるさくてかなわん。睡魔も邪魔し てきて仕事にならんからと店を出て、久しぶりにJEUGIA三条本店へ。 クラリネットのアレッサンドラ・カルボナーレの新しいCDが出ていて、 少し試聴。しかし今ちょっとクラリネットを聴く 気分ではないので、とりあえずパス。次にAngers河原町三条本店 も偵察。眠くて気分が乗らず、一階を少し見て回るだけで店を出る。
それからラクト山科に移動し、4階のベンチが空いていたので少し数学。 しかしまた眠くなってきたので、わらび餅を買って帰宅。夜も眠くて仕事に ならないので、海外逃亡関係の準備をすこし進める。
2010年8月12日(木)
<<謎のブラジル人?>>
明け方は凄い雷雨だった。午前中は雨の中を近所のスーパーに買い物に出る。
午後は大学に出勤し、自宅にある資料の一部を研究室に持ち帰り、ソファーに
寝っ転がって夕方頃まで数学。
文献検索の途中、息抜きに昨日山科駅前で見掛けたマテジェニーHの 論文を検索してみたが、どうも様子がおかしい。前に見た覚えのある プレプリントサーバーに論文が見当たらない。その代わり、ブラジル人 みたいな名前の、どこの研究機関にも所属しておらず、これまでに論文を 発表した形跡もない全く無名の著者による 同名の論文が見つかり、それが7月の始め頃にプレプリントサーバーに 投稿されていた。
2年前にマテジェニーHが某有名予想の完全解決を宣言した論文を プレプリントとして発表したのに、それと全く同じタイトルの論文を 7月に投稿するとは、まるで喧嘩を売ってるような話である。しかも、 その論文の中でマテジェニーHの論文も参照して、Hの論文のアイディア を一部使ったと書いてある。専門外なので内容は分からないが、形式的な 面で少し奇妙なところがあり、あまり論文を書き慣れてないのではないか という気もする。
帰宅後、もう一度ネットで検索してみたら、マテジェニーHが論文を 投稿していたプレプリントサーバーが見つかり、「本論文は7月下旬に 本人の申し出によって取り下げられた」とある。
以上のことから、専門家なら次のように思うであろう。つまり、 マテジェニーHは自分の証明に修正不可能な致命的ミスを見つけ、 投稿していた論文を取り下げた。それから、謎のブラジル人(?)に よる同名の論文も、もしかしたら怪しいのではないか、と。しかし私 は、マテジェニーHは実はとてもお茶目な人で、謎のブラジル人の名を 語って自分の論文の改訂版を投稿したのだと思いたい。
夜もまた少し数学。
2010年8月11日(水)
<<待ち人来らず>>
今日も昼から大学に出勤。研究室の片付けも「やったこと」になってるから、
特にすることもなく、ソファーに寝っころがって夕方まで数学。研究室に
置いてあった専門書を1冊自宅に持ち帰る。
普段研究室で研究しないから、研究室にある本を1,2冊自宅に持ち帰るこ とは多い。その結果、自宅の仕事場として使っている小さな部屋のあちこち に専門書が平積みされ、まるで昔国語か社会の教科書で見た芥川龍之介の書斎 のような状態になる。しかし海外逃亡計画身辺整理編の一環として、先日来 自宅に溢れ返る専門書や資料のコピーをすこしずつ研究室に戻すようにしているので、 今日のようなことはなるべく避けたいものだ。
今日はたまたまフランス語の文献を読むことが多かったが、2,3年関西 日仏学館に通った甲斐あって、以前と比べてずいぶん読むのが楽になった。
夕方、帰宅途中に山科駅の改札を出て地下道に続くエスカレータを 下り始めた時、略称「マテジェニーH」が駅前のポストのあたりに立って いるのが目に入った。赤いチェックのシャツをゆったり来て下は半ズボンに サンダルという、結構ラフな格好で誰かを待っているようである。 これは放ってはおけぬ。エスカレータを下りきったところで、急きょ 上りエスカレータに乗り換えて地上に戻り、山科駅前Sbux近辺で 誰かと待ち合わせをしているようなフリをしてマテジェニーHの監視を始める。 一体誰を待っているのか突き止めてやろうじゃないか、と。彼は私の顔を 憶えてないので、数メートル離れて素知らぬ顔でいれば気づかれない。
ここで復習しておこう。「マテジェニーH」とは学生時代の一級下の秀才で、 間抜けな質問をした私に「そんなの当たり前じゃないですか!」と青筋立てて マジ切れした男であり、最近、長い充電期間の後に某有名予想を「解決した」とい う大論文を書いて一部で注目されている。その論文の証明が間違ってな ければ、私の研究にもおおいに役立つはずだ。 ちなみに、私の線形代数の拙い答案を嗤って「こんなドン臭い答はあかん!」と 私のノートにいきなり大きな×印を書いたYや、 「高山君が院試に落ちるのは不思議でも何でもないね、はははははははははは はは!」と窒息しそうになったNや、 「優秀な理論計算機科学者を探してるんだけど、なかなか見つからないんだ。 高山君、誰か知ってる?」(お前さんの目の前に居るじゃないかよう!)の Mとは別人であることに注意されたい。
しかし監視すること10分。本人も、なかなか来ないなあという素振りで じれているようだったが、結局待ち人来らず。私は何だか自分がとても馬鹿馬鹿 しいことをやっているような気がしてきて、「待ち人」について 色々な憶測を抱きつつも、監視活動を中止し帰宅することにした。
そういえば、昨日、会社員時代の私は、数学崩れみたいな屈折した数学科卒業 生とばかりつるんでいたと書いたけど、そうでもないことを思い出した。 今でも毎年1,2回東京で会ってボウリングをしたり呑みに行ったりしている 会社員時代の友人は、東京の某私大の数学科卒で、学生時代からスカイライン Japanだか2000GTだかを乗り回し(当時は軟派な大学生の男の子は 車を乗り回すのが普通だった)、テニスが得意な屈託のない好青年であった。 最初の頃、私は「数学科卒のくせに、このまばゆいばかりの明るさと健全さは 何なのだろう?」と、この世の七不思議を見るような思いでいたものである。 今でも彼のことはよくわからないのだが、よくわからないまま楽しく付き合っている。
2010年8月10日(火)
<<思いとどまる>>
ふと目が覚めた夜明け前の布団の中は、数学には最適の場所かもしれな
い。半分眠っているため余計な事は考えないし、しかしながら半分起き
ているので、ぼんやり数学を考えることができる。今日は、ちょっとつ
まらないことを思いついて、また二度寝。
本日午前中は少しだけ数学をやって、夜明けに思いついたことを 確かめる。まあ、どうってことのないアイディアのような気もするが。。。
そのあとは海外逃亡準備の一環として、無線LANの設定方法など の調査。自宅の無線LANの場合はどうなっているかを調べる。自宅の 無線LANは、よく知らずに設定したので、かなりいびつな設定になっ ているが、とりあえずちゃんと動いているし、藪蛇になっては面倒なの で、触らないことにする。
それから自宅を出て、山科駅前で適当に昼食の後、出勤。これまた 海外逃亡準備・身辺整理編として、研究室の整理。夕方頃にはほぼ完了、 というか散らかっていた講義資料類は片付いた。もうひと頑張り綺麗に して研究室の環境を良くしようかとも思ったが、まあいいやと思いとど まる。今でこそ、海外逃亡直前ゆえに大学のあれやこれやから気分的に 解放されて、毎日のように研究室に通っているけど、普段はできるだけ 大学に近寄らないようにして、研究室も物置兼雑用作業場としか使って ないし。
ふと、数理科学科の学生たちって、何を思って数学を勉強してるん だろう?と気になり始める。前にも書いたけど、私は数学者になりたく て数学科に進学したし、数学者を目指していなければ数学科には進学し ていなかった。学生時代もずっと数学者志望の学友としか付き合ってな かったし、会社員になってからも「数学者への夢破れヤケクソになっ ている」数学科卒業生とばかりつるんでいたし。だから、それ以外の理 由で数学科に進学する人のことがよくわからない。わからないなあと愚 図愚図考え始めたけど、まあ、よくわからないことを無理して考えるの は数学だけにしておこうと、思いとどまる。
夕方、少し時間ができたので、数学。図書館で文献を1つコピーして から大学を発つ。大丸ラクト山科店で安いワインを買って帰宅。 夜もまた少し数学。
2010年8月9日(月)
<<1ヶ月遅れの訃報>>
午前中は海外逃亡準備の一環として、自宅PCのプロバイダ関連の書類
の整理やメールの転送設定の確認など。昼頃に出勤し、学生もまばらで
閑散とした学生ホールでSubwayのサンドイッチを買って昼食。それから
研究室で「代数学序論I」の成績表の確認をして、事務に提出。その後、
研究室の整理や海外逃亡の事務手続きの確認などをやっているうちに
夕方になる。まだ研究室の整理が残っているけど、明日以降もぼちぼち
やっていこうか、と。
夏休みで学生が居なくなり、海外逃亡予定者の身ゆえ大学内部のあれ やこれやからは事実上解放されている。そうなると大学の研究室というの は俄然居心地の良い場所になる。そういうこともあって、以前より出勤す ることに抵抗がなくなっている今日この頃だ。
夜は無線LANのことを少し調べて、久しぶりに数学。しばらく数学 やってないと、どうも身心ともに調子が悪くなる。さてと、風呂に入って 寝るかと思ったところで、すわ大発見!?みたいなことになり、風呂に 入りながらもう一度考え直したら、何の発見にもなっていないことが判明。 ま、そういうことはよくあることだし、と気をとりなおす。
風呂から出て、何気なく京大のHPを見たら7月1日に数論のS先生が 亡くなっていた!何と全然知らなかったよう。 大学2回生の時に 3回生の人たちがHartshorneの"Algebraic Geometry"の自主ゼミをやって るというので途中から入れてもらった。まあ、3回生でHartshorneを ばりばり読み進めるというのは、東大や京大では珍しくないこととはいえ、 凄いことには違いなく、私は全くチンプンカンプン で半期でやめてしまった。その自主ゼミのチューターがS先生だった。
そのゼミは、先日亡くなった奈良女子大のU君が中心になってやっていた。 他には「高山君が院試に落ちるのは不思議でも何でもないね。 はははははははははははははは。。。。」 と窒息しそうになるぐらい笑いやがった現在某大手銀行勤務のN君がいたし、 某女子大との合同コンパで、気にいった女の子に「K理論って知ってる?」 とK理論の素晴らしさを延々と語って口説こうとして、当然のごとく振られた T君もいた。私と同じ2回生では、博士課程を中退して京都の某私立進学高校 の数学教師になり、その後、京大に数学者の卵を続々と送り込んでいるT君 が居た。また、我々の学年で断トツの秀才だったK君は、 京都女子大の近くの通称「七条女坂」で、バイクでウィリーを やって女の子たちの歓心を買おうとして転倒し、全身傷だらけで大学に 来ていた。「数学はよく出来るのに 何でそんなに愚かなんだろうね」とか言われながらも、このゼミで 元気に発表していた。泥酔したU君のゲロを素手で受けとめたのも、 このゼミのコンパの2次会でのこと。
私はチンプンカンプンな、あの自主ゼミの中では群を抜いて出来の悪い オブザーバ学生にすぎなかったけど、学年切っての秀才たちの凄さを目の当 たりにできたし、S先生とは直接話したこともなかったけど、ゼミの合間な どに数学者社会の裏や表の話を色々聞かせていただいた。そうやって 数学の厳しさや深さを学ぶことができた。S先生の訃報を聞いてれば、 ぜひ通夜か告別式に参列したかったのだが、知らずにいたのは残念でならない。
2010年8月8日(日)
<<面倒くさー!>>
ホテルで朝食の後、午前中は津市内のスーパーで赤みそを買う。京都
では、米を使わず大豆と塩だけでつくられた赤みそは手に入らないので、
津に帰った時についでに買っている。
ホテルをチェックアウトして、昼食は鰻屋Tへ。それから親戚の家を訪問 してしばらくだらだらすごし、夕方の高速バスで京都に戻り、京都駅前で夕食 をすませてから帰宅。
鰻三昧で元気一杯のはずだが、何だか眠くてしょうがない。親戚の家でも 半分ぐらいソファーで居眠りをしてたし、高速バスの中でもほとんど寝ていた。 夏バテなのか、それとも、ドイツに行くの面倒くさー!と無意識に現実逃避した がっているのか。
帰宅後は、毎週日曜日のお楽しみ、京都新聞「7つの間違い探しクイズ」と 「時事クロスワードパズル」、および、朝日新聞「オチビさん」。 先週と打って変わって今日は「7つの間違い探し」も快調で、少し自信が 回復した。それから金曜日に送られてきたヤマト運輸の海外別送品サービスの 資料を見て、問合せメールを書いて送る。どうも6年前にドイツに行った時よりも、 関税の検閲が厳しくなっていて、色々大変そうだ。それから、ほんの少しだけ数学。 やっぱり数学やると気分がシャキッとして、いいな。
2010年8月7日(土)
<<偵察する人生>>
五条大橋のたもとから、津に向かう高速バスに乗る。土曜の今日は道路が混ん
でいて、五条を出てから山科を抜けて大津に出るまで小一時間かかり、高速道路
に入ってから
も「瀬田まで渋滞5キロ」といった状態。車内はガラガラで二人席を1人で
占拠して余裕たっぷり。この調子じゃあ、この高速バスも赤字続きですぐに廃止
されることだろう。いつの間にか居眠りをしていて、気がついた時には関の
インターチェンジに来ていて、そうこうするうちに津についた。予定よりも
50分程度の遅れだが、それほど長旅という感じはしなかった。
まずはホテルにチェックインして、それから遅めの昼食のために、いつもの鰻屋Iへ。狭い店で汗をだらだら流して鰻を焼いている親父は、数年前の土曜の牛の日の 後に、熱中症でしばらく寝込んだようだ。
それから自宅別荘へ。あちこちの窓を開けて風を通し、草ぼうぼうになってい る猫の額ほどの庭を掃除して水をまき、涼しくなったところで家の中をひととおり ざっと掃除。津は海が近いので、東向きの窓を開けておくと海風が吹いて涼しい。
掃除が終わった頃には夕方になっていたので、自転車で1時間ほど津の街を 偵察飛行。呉服屋の坊主が落ちた刑務所脇のドブの跡や、子供の頃の遊び場だった 市立体育館前広場の池の跡、中学の同級生の兄さんが自転車で川に転落した現場 の跡、中学時代に電車通学していた駅やその近くの自転車預かり所跡、 小学生時代に同級生の悪ガキが材木商の倉庫に放火して「津市ではB29の 空襲時以来の大火災」となった現場の跡などを偵察。
小学生時代に毎日のように行っていた自転車での「偵察飛行」は、今思えば 私の人生の原点であった。20代、30代、40代と色々あったけど、結局最後 は「偵察する人生」に戻ってくればよいのだと、自分でもあまり意味の分からない 納得をしながら、満ち足りた気分で自転車を漕ぐ。
偵察飛行のあと、ホテルに戻り、それから夕食に出る。私のお気に入りの 鰻屋Hにて生ビール中ジョッキとともに。明日は久々登場の鰻屋Tにて昼食の 予定。帰省時の鰻行脚に欠かせない鰻屋Dは、夏休み中にもう1度帰省する から、その時に行く予定。
ところで、今でこそ、お前の大好物は何だ?と問われれば「津の鰻丼」と 答えるが、若い頃はそうでもなかった。20代の頃、フランス人の友人に好物を 聞かれた際「天ざる(蕎麦)」だと答えた覚えがある。確かにあの頃はそうだっ た。まあ、東京で暮らしてたから、今みたいに気が向いたときに鰻を食べに行け なかったし、東京の蕎麦は美味かったし。
しかし京都にいると、津に帰って鰻を食べるにしても、昼、夜、そして一拍 おいて翌日の昼という、鰻三昧形式にならざるを得ない。朝からやってる鰻屋は 無いが、もしあったら昼、夜、朝、昼の4連続鰻激喰い行脚になってしまい 、それは流石にしんどい(そんなに鰻ばかり食べなきゃいいじゃん!という突っ込 みは「お前は何もわかっとらん!」と一喝却下しておく)。 津に住んでいたら、週に1回程度欠かさず鰻!みたいな 快適鰻ライフが送れるはずなんだが。
2010年8月6日(金)
<<琵琶湖花火>>
昼頃に出勤。今日は生協食堂が開いていたので、そこで昼食。
体育会の合宿練習でもあるのか、生協がアスリートのための特別
メニューを準備していた。マネージャーの女子学生数名が普段は蕎麦や饂飩を
入れる巨大丼にご飯をよそい、「朝ご飯抜きで練習したから、しっかり食べ
なさい!」と言ってアスリートの男の子たちに渡していた。
体育会の男の子と言っても、4回生ぐらいのゴリラみたいな連中ならと もかく、まだ入部したばかりの華奢な体つきに子ばかり。一体あんなテンコ 盛りのご飯が食べられるのだろうかと訝ったが、案の定、マネージャー達の 目を盗んで丼のご飯を容器に戻している子がいた。
昼食を終えて研究室に行こうかと思い、炎天下のキャンパスを歩き始めたら、 学生が美味そうにアイスクリームを食べながら歩いていたので、また生協に 戻って私もアイスクリームを購入。それを食べながら研究室へ。
今日もJ.S.バッハをガンガン聴きながら「代数学序論I」の 試験答案の採点。途中、航空券の件で生協トラベルカウンターに 立ち寄ったところ、ちょっと面倒な問題が起こる。 その時ちょうど生協の外の廊下のところで、夏休みの解放感に気分が高揚 した男女数人の学生が大声で笑いながら話していて、それが少し うるさくて、係の人の話が聞きづらかった。
それにしても私が最後にあんなにくったくなく大声で笑ったのは、 何時だったかしら。そして彼らは幾つになるまでああいう笑い方をするの だろうか。人間、40歳を過ぎてもあんな笑い方をしているようなら、、 そいつはだいぶおかしいと言わざるをえない。
まあ兎に角色々あったけど、何とか航空券は確保した。
それからまた少し採点、生協食堂で夕食、また採点と続き、21時前に 成績集計等全作業を一応終え、あとは月曜日に成績表をさっとチェックして 事務に提出するだけ。まあ、全体的に見て「離散数学」と同様の出来栄えで、 不合格者も少なく、まずますの結果だったと思う。
21時過ぎに大学を発ち、南草津駅前のコンビニで缶ビールを買って、 採点終了の一人打ち上げ一気飲み。駅には浴衣姿の人たちが溢れ返っていた。 琵琶湖花火から帰ってきた人たちらしい。 帰りの電車も、途中から花火帰りの人たちがどっと乗りこんできた。
明日は津に帰って一拍し、鰻三昧する予定。うまくいけば、明日も更新予定。
2010年8月5日(木)
<<サブウェイ>>
午前中は山科区内で野暮用。それからレポートや前期試験の採点作業のため、
昼頃に出勤。南草津から大学へのバスは、夏休みなのに妙に混んでいた。
生協食堂が休みだったので、隣の学生ホールみたいなところにあるSubwayで
初めてサンドイッチを買って、その場で昼食。腹ごしらえができたので、
研究室で作業。
まずは徳島大学の集中講義のレポート採点と成績集計、レポートの返送手続きの 後、「代数学序論I」の最低作業に着手。今日もJ.S.バッハをガンガン聴きな がら、時折気分転換に研究室の片付けなどを交え、夕方頃までかかって3分の1 ぐらい採点し終える。明日じゅうに何とか終わりたいものだ。
帰宅後、夜は海外逃亡計画の詳細化作業。受け入れ先の大学や宿泊 施設の詳細を調べたりしながら、何か見落としがないか確認。現地で 生活・職場環境を整えたりするのは結構面倒なもので、事前に十分 作戦を練った積りでも、現場に行ってみて出たとこ勝負しないとどうに もならないことは多い。
やはり海外逃亡期間を目いっぱい長く取ろうとして、土曜の夜に現地 入りしなければならないスケジュールにしてしまったことがネックになっている。 日本と違って土曜の夜から月曜の朝まで、ドイツの街の機能はほぼ停止する。 さあて、一体どこで週末の水と食料しようかしら。週末でもレストランは 開いてたりしてたような気もするが、どうだったかしら。なんてことを 色々考えたり調べたりしていると、やはり頭が忙しくて、数学どころではないな。
2010年8月4日(水)
<<頭が忙しい>>
午前中は海外逃亡準備の一環として、山科駅前の郵便局で色々手続き。それから
昼頃に大学に出勤。生協で昼食をとったり、海外逃亡関係の事務手続きを調べ直
して書類を書いたり事務に問い合わせたり、生協のトラベルカウンターでチケッ
ト料金の一部を支払って領収書などの書類を受け取り、その足で遠い建物にある
事務室に持っていって事務手続きをしたり。それ以外は集中講義のレポートの採
点をしたり、「代数学序論I」の試験答案を事務で受け取ったり。
帰りの乗り物の中で、学生と思われる若い女が鼻糞をほじくっているのを 目撃した。人差し指と親指を使った鼻毛を抜くような仕草と小指を使って鼻糞 をほじくる仕草、そして手についたものを指を擦り合わせてふり落とす仕草。 これらをほとんど左手で行い、右手は携帯電話をいじくり続けていた。この サンプル採取は、例によってサングラスを掛けてあらぬ方向を見ているフリ をしながら、横目気味に凝視する方法で行った。途中、一瞬彼女が「作業」の 手を止めてこちらをちらりと見て、私に見られてるかと訝る風に見えたが、 私が知らぬ顔を通して窓の外を見ているフリをしてたので、安心して また「作業」を再開していた。
うーむ、これぞ私が長年探し求めていた、ほぼ完璧なサンプルだ。「ほぼ」 というのは、彼女は鼻糞を「食べて」いなかったから。もっとも、鼻糞適齢期 の30男でも「食べる」奴は滅多に居ないから、これはしょうがないかもしれ ない。これまで30男、60女、20女と順調にサンプル採取をしてきたが、 あとは20男と30女の鼻糞ほじりの発見に向けて、さらなる努力を重ねてい こうと思う。
しかしその前に、今年度後期の目標としては、「ドイツ人は人前 で鼻糞をほじくるか?」という問題に取り組みたいと思う。ちなみに過去2回の ドイツ滞在では、まだサンプルは採取されていない。
夜は海外逃亡の準備のための調査活動。ヤマト運輸の別送品輸送サービス の問合せ、dynabookの海外修理サービス態勢の確認、ドイツ国内での鉄道の ダイヤの調査、カート式旅行鞄の車輪の点検など。ミュンスター・オスナブ リュック空港に電車が通ってないことを発見。電車が通ってない国際空港って、 ありかよ!?
と、いった感じで頭が忙しく、数学研究どころではないな。
2010年8月3日(火)
<<光速ダッシュ>>
午前中はドイツ行き航空券のちょっとした変更方法を思いついて、ルフトハンザ
のサイトにアクセスしたりして作戦を練る。昼過ぎに出勤。久しぶりに生協で
昼食の後、生協トラベルカウンターで「作戦」について色々相談に乗ってもらう。
係の人に調べてもらわねばならぬこともあって、結論は明日以降に持ち越し。
それから15時から16時までの定期試験監督。2回生配当「代数学序論I」 の試験だが、途中退出が可能になる30分経過後から、続々と学生が 退出。7割程度の学生が試験終了時間以前に答案を提出した。このような現象 が起こる原因として考えられるのは次の3つ。 (1)試験が難し過ぎて手も足も出ず、諦めて退出。 (2)試験が簡単すぎて楽勝モードで途中退出。 (3)「試験が簡単すぎて楽勝モードだ」と勘違いして途中退出。 提出答案を見るに、(1)ではなく(2)か(3)の ようだ。先日試験があった「離散数学」とは、一応試験範囲は区別していたものの 、内容的にかなり重複するため、学生にとっては1.5科目分の勉強で2科目カバー できる「お徳感」があり、気分的に余裕がでるのかもしれない。
その後研究室に戻り、ドイツ高跳びのための準備を色々。フランクフルト空港の 詳細を調べないといけないのだが、空港のサイトをみても 大雑把な情報しか出ておらず、埒があかない。 どうしたものかと思っていたところ、 オスナブリュック大学の事務から昨夜の問合せメールに対する返事が届く。 曰く、例の東屋には管理人も誰もいないが、これまで来客に対する鍵の受け渡 しはそういう風にやってきており、現在まで一度も問題は起こっていない。 それでも心配だというなら、受け入れ教授に鍵を渡しておくから、彼 から受け取るようにすればどうか、と。
さて困った。これまで問題が起こっていないという「長年の実績」を信じて、 ♪お化けのポストに手紙を入れりゃ、どこかで鬼太郎の下駄の音♪方式で鍵を受け 取るか、それともHerzog先生の紹介とはいうものの、まだ十分なコミュニケーション が確立していない受け入れ教授を介する方法を採用するか。 後者だと、何かの理由で当日その教授に会えなければ、 自分の部屋のドアの前で膝を抱えて一夜を明かすということが現実となってしまう。そそして前者の方法だと、「長年の安全神話を崩壊させた記念すべき最初の犠牲者」 になってしまいそうな気もする。
さてどうしたものか。要はどちらのリスクを大きいと見るかである。 大抵そういうことはわからないからバクチなのである。 Ritsの経営者はバクチ的経営が好きらしいが、教員までそうだと思って もらっては困るのである。とりあえず「状況はよく分かりました。いま一度 熟考し、受け入れ教授とも話し合ってみます。どうもありがとうございました」 と返事しておく。
それからドイツ高跳びのための航空券代金の支払い方法を確認していたら、 通常の海外出張と違うらしいことが判明し、事務に問合せ。やはり特別な やりかたで手続きしないと海外逃亡はまかりならぬらしい。
航空運賃の支払い方法については、10年前のドイツ高跳びの際にも ゴタゴタした。その時は早目に手配し過ぎて途中で航空運賃が改訂になり、 金額の変更を申し入れたら 担当の事務員さんがヘソを曲げ、その後何やかやと嫌みばかり言ってくるのには 閉口した。今回はそれに懲りて、すこし遅めに手続きをしたのだが、遅くやれば やったなりに、別の意味で色々ゴタゴタする。
いずれにせよ生協トラベルカウンターに至急変更を申し入れないといけない。 事務の人が事務手続きの詳細を電話口で色々説明してくれるのだが、そんなのを のんびりと聞いている場合ではない。生返事で電話を切り、ネットで調べて17 時30分に生協カウンターが閉まることを確認したのが17時20分過ぎ。 以前は大学のサイトから大学生協 がたどれたのだが、最近の「改訂」によってリンクがなくなってしまったのが ちょっと厄介。
大学のホームページって、年を追うごとに益々わかりにくく改悪される 傾向がある。特に酷いのがアメリカの大学で、数学教室のサイトを探すだけでも 一苦労で、ましてや特定の数学者がその大学のどの部署にいるか確かめるのは、 半日ぐらい暇がある時でないと不可能である。日本の大学もそういうのを真似し 始めて、どうにもならない状態になってきている。
電話で連絡しようと、生協カウンターの電話番号を調べたがわからず、 結局現地に光速ダッシュするしかないと決断したのが17時25分頃。 研究室のある5階のフロアから階段を2段跳びで駆け下り、 焼けつくような炎天下のキャンパスを突っ切り、前期試験終了 の解放感に浸っている学生を蹴散らかし、現場に着いたのが17時28分頃。 ぎりぎり間に合い、とりあえず担当者に変更点だけ伝え、詳細は明日にということで 今日のところはおしまい。
夜は先日イーオンモールのスーパーで買ってきた安い白ワインを、思わず激呑み。 あーっ、国外逃亡って色々めんどくせー!と口から火を噴く。
2010年8月2日(月)
<<「8月は休みます」>>
午前中は21日の帰省のための宿の予約。津のホテルは何時だってそんなに
混まないのだけど、何故か21日と28日だけはどこも満員。
Yahooや楽天トラベルで捜しまくって、ようやく1つ部屋を見つける。一体
何故この日だけ宿が空いてないのか。ネットで少し調べてみたが、徳島
みたいに、阿波踊りの時期はどこも満杯!みたいな分かりやすい話はなく、
「香良洲海岸早朝清掃&地曳網体験」みたいなのが出てくるだけ。
海岸掃除と地曳網のイベントだけで全てのホテルが満員になるとは考え難い。
午後は出勤。週末に採点した答案と成績表を事務に提出し、生協トラベル で航空券予約の確認をし、研究室に積み上げてある書類を整理して、海外逃亡 のための手続きに必要な書類をより分け、手続きの一部を関係部署にメールで 問合せ、等等とやっているうちに夕方になったので、帰宅。
夜は久々にスポーツクラブ。久々に「ぴちぴち短パンのもっこしおナル男」 が来ていた。彼、ちょっと見ない間にずいぶん老けたなあ。上半身は筋肉 モリモリで自慢(?)のもっこしも健在だけど、顔が皺くちゃになっていた。 ボディービル用の変なもの飲んで無理なトレーニングをし過ぎたのかしら。
スポーツクラブの行き帰りに某ブティックの前を通ったら、 「8月は休みます」と墨で書かれた紙が貼られていた。うーむ、凄い。 凄すぎる。8月は休みますって、 フランス人かよ?いや、フランス人だってそんなに休まないぞ。まあ、普段 から週3日しか店を開けないから、自分で作った服を売ってるのかも。それで、 8月はパリだかミラノだかに行って、新しい服の構想を練ってくるとか?
私が知ってる山科区内のもう一つのブティックは、住宅街の中に唐突に店 があり、客が入っているのを見たことがない。私は、ブティックというのは世 を忍ぶ仮の姿で、本当は某国の秘密諜報活動拠点ではないかと思っている。
またひとつ、私が知ってる某商店街のブティックも、いつもオジサンが 一人暇そうに店番をしていて、客が入っているのを見たことがない。 そのオジサンは店を無人状態にしたまま近くにある鍵の修理屋のあたりを うろうろしてたりするので、私は最初の頃てっきり鍵屋のオヤジだと思って いた。しかし間もなく、単に暇だから店の近所をうろうろしてるだけと分かった。 その割にはテナント料の高いところにいつまでも店を構えているのが、 不思議と言えば不思議だ。やっぱり秘密諜報活動拠点?
ブティックというのもわからんものだが、子供の頃は帽子屋が不思議 でならなかった。最近こそ帽子は結構流行っているが、以前は小中学生を 除いて帽子をかぶって街を歩いている者はおらず、一体帽子を売って生計 が立つものかしらといぶかっていた。もし自分が帽子屋の息子に生まれて いれば、家計の苦しさゆえにさぞかし心細かったであろうなどと、要らぬ 心配をしていたものだ。
布団屋についても妙な心配をしていたものである。布団などそう 頻繁に買うものでもないから、あれで商売が成り立つのだろうかとか、 エアコンが普及する以前だったから、蒸し暑い夏場に暑苦しい布団に 囲まれて店番をするなんて、因果な商売ではないか、自分は無類の暑 がりだし、布団屋の息子に生まれなくてよかったなどと思っていた。 私の知人の布団屋の息子が、家業を継がずに歯科大に進学し、実家の店を改装 して歯医者を始めた。それで、ああ、奴も私が想像してた通りのことを考えて たのかしらと思ったが、実際のところ彼が何を思って歯科医になったのか は知らない。
深夜、オスナブリュック大の事務から土曜日夜の到着についての質問の 返事が来た。曰く、土曜の夜に到着しても、貴方のアパートの鍵は 庭にある東屋(Gartenhaus)に預けておくからすぐに入居できる、 大丈夫だ。宿舎(Gasthaus)に着いたら、庭の方に行って小さな東屋を 見逃さないようすべし、と。わからん。ドイツのGartenhausとは、 家庭菜園みたいな庭の中に建てられた1K平屋建てみたいな 小さな建物。休日に庭いじりをして夜はそこでビールなどを飲んだりするが、 常時人が住んでいるわけではない。当日、管理人(Hausmeister)でも居る のなら良いが、まさか、東屋のどこかに鍵を隠しておくから、自分で探せとで もいうのか?でもSchuessel(鍵)をverstecken(隠しておく)するとは書 かずにhingerlegen(預けておく)と書いてあったから、誰か人がいるのかしら。 しょうがないので、またメールを出してそのことを問い合わせる。
前回ドイツに行った時は、外人局に住人登録やヴィザの延長申請を するための必要書類を事前にメールで問い合わせた。それは 前々回にドイツに行った時の苦い経験があったからで、その時は毎回2時間 以上待たされて、やっと窓口の順番が回ってきたと思いきや、 たった30秒で書類不備で突き返されるということが繰り返されたのである。
しかし、必要書類を事前に問い合わせて確認しても結果は同じで、 私の問合せメールに対応した担当者、 1度目に窓口に出てきた担当者、 2度目に窓口に出てきた担当者、 3度目に、、、と、出てくる相手によって「必要書類リスト」がまちまちで、 やはり書類不備で同じように突き返された。それで最後にブチ切れて、 お前ら、人をおちょくるのもいい加減にせよ!俺はメールで 事前にちゃんと問い合わせてその通りの書類をそろえて持ってきてる のに、お前らの返答はいつも出鱈目じゃないか! と、下手なドイツ語で口から火を噴いて暴れてやった。
まあ、そういうこともあったので、今回の宿舎の鍵についてのメールの やりとりは、極めて危うい気がしてならない。下手をすると鍵が手に入らず、 寒空の下部屋のドアの前で一夜を明かさねばならないかも。
2010年8月1日(日)
<<ただの人>>
昨日はちょっと睡眠不足気味だったので、昨夜は少し早目に寝て
今朝は昼前まで寝ていた。いつものように、朝日新聞オチビサン
と京都新聞7つの間違い捜しと時事クロスワードパズル。
AKB48はベトナム戦争の時にアメリカ軍が使ってた ライフル銃のことだと信じて疑わないぐらい、世事に疎いことが 半分自慢な私だから、時事クロスワードが出来ないのはいつものことだし、 まあ、よしとしよう。
しかし7つの間違い探しで、ひと目見て明らかな違いに気づかずに 悩んでしまったのには、先日A君とB君の顔の違いが峻別できなかった 件もあって、またも愕然としてしまった。「二十歳で異才、三十で鬼才、 五十歳過ぎればただの人」か。
私は執念深いくせに立ち直りは早い方で、先日のA君B君混同事件も、 何故混同したのか?と内心執拗に原因追究を続ける一方で、「まあ、そう いうこともあるさ」と早々と気を取りなおし、”焼け野原からの奇跡的 復興”を遂げつつあった。しかしこう矢継ぎ早にへまをやらかすとさす がに考えてしまうな。
こうなったら白状しよう。昨日の京都新聞の折り込みチラシに 京都しかどこかが出したエコライフをアピールするものがあって、 有名人やらその辺の街の人やらが、写真入りで一言ずつ「私のエコ」 を語っていた。その中のひとりが、先日上島珈琲でアラフォー主婦と 歓談していたオジサンに良く似ているのだけど、どうにも区別がつかず、 「うーっ、わからない!これはまずいな」と思ってたところである。
まあ、写真だから実物と雰囲気が違うかもしれないし、もう 一度街で本人とすれ違ったら、今度は見逃さないぜ!と思ってた矢先の 「7つの間違い探しクイズ」だから、初歩的なへまをしたとなると ズシリとくるのである。
山科区内の買い物に出掛けてから、自宅に戻って昼食。録画しておいた 「さんまの恋のから騒ぎ」と「サラリーマンNEO」を見ながら、 「ただの人」としてこれから私はどうやって生きていこうかしら、みたいな 事をそこはかとなく考える。
それからしばし数学。そうこうしているうちに夕方になったので、 京都駅界隈に出掛ける。アバンティーで帰省のための高速バスのチケットを 買い、またもビッグカメラで2日前に壊れたヘッドホンを買い替え、 イオンモールを偵察し、そこの京野菜バイキング北山キッチンで夕食の後、 イオンモール1階のスーパーで珈琲と安いワイン1本を買ってから帰宅。 帰宅後、また少しだけ数学。