の
た
め
の
邪
魔
な
広
告
よ け ス ペ ー ス で す。
2010年8月31日(火)
<<京都土産>>
起きるにはちょっと早い時間にふと目を覚まし、昨日「吹っ飛び」が確認
された「嘘論文」の主結果その1に追い打ちを掛ける「とどめの一発!」の
電撃的天啓を得る。それで午前中は、とどめの一発!の影響がどの程度に
おさまるかを慎重に検討。ドイツ出発前にこの嘘論文作業に区切りをつけて
おきたいが、まあ、そんなに慌ててもしょうがあるまいと判断。
午後は街に出て色々野暮用。
四条の銀行でユーロを買ったり、ジュンク堂BAL店を偵察したり、 オスナブリュック大のブレンナー先生への土産を買ったり、 暑い中をあちこち歩き回って疲れたので四条Liptonで一休みしたり。 帰りは大丸ラクト 山科店で、出張販売していたRAJUのホウレン草ビーフ・カレーを買って 帰宅。インド人がビーフ・カレーを作って売ってるってのは、どうよ? ヒンズー教徒じゃないのか、あるいは、実はインド人ではないのかのいず れかなのか。
土産は三条の扇子屋で京扇子を買い、あとは近くの土産物屋で 京都っぽい絵柄のハンカチのような風呂敷のようなバンダナのような ものをいくつか調達。2000年にエッセンに行った時は、ちょっと高め の風呂敷と何か別のものを土産に持っていったような気がする。 2004年に再びエッセンに行った時は、Herzog先生が海外出張ばかり していて空港に迎えにも来てくれず、代わりに留学生の中国人若夫婦に 何やかやと色々世話になった。それで土産に持っていった友禅だか何 だかのテーブルクロスセットは、その中国人夫婦にあげた。
ブレンナー先生、調子よく一言「空港にはちゃんと迎えに行くから、 心配するな」とあったけど、大丈夫かなあ。ワン・フレーズ・リプライというか、 この言葉の簡素さが不安を煽るのよね。ちゃんと迎えに来てくれないと、 土産あげないぞ。
2010年8月30日(月)
<<しょうがないなあ>>
夕方、ラクト山科近辺に1時間ほど偵察飛行に出て、ジューススタンドで
桃ジュースを飲んだ以外は、終日自宅に籠って「ぶっ飛び」対策に明け暮れる。
しかし、知っている限りの全ての方法(と言ってもたかが知れてるけど)を
駆使するも、やはり「ぶっ飛び」解消はできなかった。まあ、いい勉強には
なったけど。しょうがないなあ。今回の研究の切欠となった、もうひとつの
方の主結果は大丈夫かしらと益々心配になってきた。これもぶっ飛んだら、
私の夏休みもぶっ飛んだことになるな。
そういえば昨夜遅く、先日の壮行会の写真が参加者の一人から大量に 送られてきた。うち1枚は、私が例の悪太郎サングラスを掛けて会場の店に やってきたところが写っている。背景が夕方の繁華街で、パチンコ屋の店先 や呑み屋の赤提灯も見える。どう見ても場末のヤクザが縄張りの見回りをして いるようにしか見えない。私はこの写真がとても気に入って、圧縮してない 写真も送ってもらった。
先日はそれとほぼ同じ格好で、さらに麦わら帽子をかぶって大丸ラクト 山科店に行ったのだが、レジで「ポイントカードを忘れたから、後でポイント を入れられるようにしてください」と係の人に言ったのだが、それがうまく 伝わらなかったのか、えらくビビられて頓珍漢な返事が返ってきた。 誤解はすぐに解けたけど、悪いオジサンがレジでゴネ出したと勘違いされた のだろう。
今年の夏は厳しく、日射しも強い。紫外線は目に悪いそうだから、 サングラスが欠かせない。
2010年8月29日(日)
<<クマのプーさん>>
「今日のところは数学はやめ」と言いながらも、ベッドに入れば
夢うつつにも解決策を模索してしまうわけで、今朝起きてからは、その
アイディアで行けそうかちょっと見てみる。何とかなるかもしれない
と希望を持ったところで、本日閉店。山科区内に買い物に出掛け、
遅めの昼食を取り、午後は京都市内某所にバレエを観に行く。
え?お前にバレエを観る趣味があったのかって?まあ、ある人に誘 われて付き合いで行ったのだが、これが結構面白かった。ああいうもの は、ちゃんと人を楽しませるようになっていて、なかなかうまいもんだと 思った。
今日行ったのはバレエ学校の卒業生の発表会だけど、なんと、 クラシック音楽のコンサートで何度か演奏を聴いているフルートの人も出演 していた。踊り手としてではなく、舞台の隅でJ.S.バッハの無伴奏フルート のためのパルチータを演奏してたのだが、ああ、この人、こんなところにも呼 ばれて仕事してたのかと、ちょっとびっくり。
それ以外にも、音大卒業生たちのクラシック音楽コンサートなどと似て非 なるところがいくつかあって興味深かった。難度の高そうな連続技が決まると、 演技の途中でも盛大な拍手が起こるところは、フィギァスケートみたいだし、 プログラムに各演目の解説どころか使われている曲の紹介も書かれていない。 こういう、四の五の言ってないで踊りを見よ!ってところが、 「男は黙ってサッポロビール!」みたいな感じがしないでもない。
演目が終わった時に「ブラボー」と叫ぶことはクラシック音楽の コンサートでも時々あるが、今日は「ブラボー少年隊」と「ボラボー少女隊」 みたいなのが居て、それぞれ男性、女性バレリーナの演技の後に、 ブラボー!ブラボー!ブラボー!、、、と何度も叫んでいた。 全体的に体育会系のノリが感じられますな。
それにしても、男性バレリーナが時々上半身裸で演技するのは、 ちょっと抵抗がある。ただでさえ、あのぴちぴちタイツのモッコシが 気になってしょうがないのに、一体何なのだと思う。
高校1年の体育祭で、マスゲームをすることになって、それだけでも 嫌だなと思ってたのに、体育教師たちが「男子生徒は全員上半身裸 で演技させよう」と決めたので、いったいこの教師達は何を言い出すの かと、我々は激しく抵抗した。「年中下半身露出のクマのプーさんだって、 上には何か羽織ってるのに、何で俺達が上半身裸にならにゃならんの か?」と。結局、男子生徒達の猛烈な反発で、上半身裸踊り計画は 撤回されたが、何故彼らがそんなことを言いだしたのかずっと分からなかった。 しかし今日、あの体育教師達の発想はバレエから来ていたのだろうと思うに至った。
帰りは御池のあたりの店に適当に入って夕食。今夜、数学をすると必然的に 夜中じゅう「ぶっ飛び」打開策について考えてしまい、眠れなくなるので、 激しくビールを飲み、帰宅後もぶらぶらしてそのまま寝る(予定)。
2010年8月28日(土)
<<ぶっ飛ぶ>>
また、「あのシリーズ」の瞬間的復活である。今日の一枚は、
ヒラリー・ハーンがロサンゼルス室内管弦楽団らと共演した
J.S.バッハのヴァイオリン協奏曲第1、第2番、ほか2曲。
まあ、以前に「オーケストラの取り巻きどもにがっちりガードされたヒラリーなんか、
嫌いだ!」みたいなことを書いたけど、室内管弦楽団なら一応こじんまりとした
室内楽団だし、まあ、許そうか、と。
今日も朝から嘘論文に手を入れる。11時に歯医者に行き抜歯跡の確認と 消毒をしてもらい、それから河原町三条に繰り出し、丸亀製麺の讃岐うどんで 昼食の後、JEUGIA三条本店を少し偵察。レイチェル・ポッシャーという 人のJ.S.バッハのヴァイオリン協奏曲集を試聴。これは ちょっといいかもと思ったが、ヴァイオリン協奏曲ならヒラリー・ハーンの もあるから、聴き比べてから考えよう、と。しかし試聴マシンの不具合で、 ヒラリーのCDは試聴できず。とりあえず見送って店を出る。
それから寺町通り上島珈琲店へ。少し混んでいたが、旨い具合に1つだけある 「数学者席」が空いていたので、しばらく居座り嘘論文の作業を続行。 夕方、少し早目に店を出て、寺町通りを下って四条通りまで歩いてみる。 ついでに四条のJEUGIAに立ち寄り、ハーンのCDを試聴。 収録されている曲はポッシャーの方がちょっといいかなという気がするが、 ヴァイオリンの音はやはりハーンの方がいい。何というか、 「雑味の無いクリーミーな音」(ビールの味みたいな形容だけど)。 ポッシャーのCDももう一度聴いてみようかと思ったら、 今度はこちらの試聴ができない。じゃあ、ちょうど帰り道の途中だし、 また三条本店に戻るか、と。
JEUGIA四条店を出る直前に、ミッシェル・ポルナレフのベストアルバム が目に留まって、ちょと試聴。「シェリーに口づけ」「愛の休日」「悲しみの終わる とき」とか滅茶苦茶懐かしい。私は(元)横文字系ポップス少年だし。 「シェリーに口づけ」を聴くと思わず踊りたくなるのだが、 踊るのは誰も居ない所と決めているので、ぐっと堪える。3,4年前、 ゲーテの皆さんとカラオケに行ったとき、「シェリーに口づけ」を歌おうとしたけ ど、フランス語がちょっと難しくで大変だった。その後、関西日仏学館に通ったから、 今なら十分歌えるかしら。でもネーナの"99 Luftbalons"はあの時でもドイツ語で歌う のが大変だったから、関西日仏2年余で「シェリーに口づけ」が楽に歌えるか どうかは微妙だな。
ここで復習しておこう。何故「踊るのは誰もいない所」なのか。 1980年代のバブル経済の頃は、「ディスコでフィーバー」できない奴は 性格の暗い人間だと蔑まれる、嫌な時代だった。私は幼稚園のお遊戯の踊り、 小学校のフォークダンス、町の盆踊り等等、およそ踊りという踊りは全部大嫌 いだった。何故なら、「踊っている時に一体自分はどんな顔をすればよいのか」 わからなかったからである。今でも分からない。しかし年を取ってオジサンになり、 人間がずうずうしくなってきたある時、「そうだ!誰も居ないところで踊ればよい のだ」と気付いたのである。
JEUGIA三条本店に戻ると、店のエスカレータのところで、 「この顔のピンときたら110番」。10年ほど前、今は亡き筋肉中年 S藤先生の所で数学基礎論を学び、神戸大学の大学院に進んだ元学生と すれ違った。声を掛けようかと思ったが、名前を覚えてないし、つい 1ヶ月ぐらい前に「A君とB君を峻別できなくて焼け野原にたたずんだ」 ばかりなので、弱気になってそのままやりすごす。 それからポッシャーのCDを再試聴し、結局ハーンのCDに決めた。
夜は久々にスポーツクラブ。山登りマシーンでトレーニングしている
ときに、ふと嘘論文に関連したあることが気になってきて、帰宅後確認。
ああ、なるほどそういうことかと納得した途端、嘘論文の主結果の一つに
深刻な問題があることを発見し、ぶっ飛ぶ。まあ、森重文大先生も田中耕一
大先生も、ミスを切欠に大発見をしたというではないか。と、希望を明日
に繋げて、今日のところは数学はやめ!
2010年8月27日(金)
<<往生際が悪い>>
午前中から嘘論文と格闘。無理矢理強引は承知の上とはいえ、嘘論文の「嘘」
を外すには2,3の問題を解決しないといけない。1つ目が出来たから2つ目へ。
かと思うと1つ目が間違っていた事に気づき、諦めて3つ目へといった調子で、
さながらモグラ叩きの様相。最後には主定理も間違っているのでは?との不安に
とらわれるも、今日のところはまだ「定理」の状態。ゴミ糞論文でもいいから、
何とか形になってくれないかしら。
それ以外のことを書こうか。昨夜の「バック・トゥ・ザ・フューチャー」 の件は、今朝メールをチェックした段階で既に解決していて、朝っぱらから 何人かのメールのやりとりによって、結局私が最も自然と思う形におさまって いた。2,3回で誰も居なくなると分かっている講座なんで、わざわざ作る 意味などないわけだ。
それから昼食後、歯医者で左下の親知らずと奥歯を抜いた。以前から状態が 悪く、ドイツ滞在中の半年間を持ちこたえられそうになかったから。 本当はドイツの歯医者さんにもかかってみたかったのだけど、 旅行保険も含めて保険がきかず、ちょっと歯茎のごみを取る だけでとんでもない治療費を請求されるらしいので。
夕方は山科駅近辺に散歩に出た。ラクト山科4階のベンチで 数学を考えていたら、隣のベンチに座っていた高校1年生ぐらいの男の子二人 の様子が何やら怪しい。一人の男の子が好きな女の子に「付き合ってください」 というメールを送ろうか否か愚図愚図していて、もう一人の男の子が、 「当たって砕けろだ。いけーっ!!俺だって中3の頃はそうしたぞ(この発言で、 彼らが中学生でないことが判明した)」みたいな事を言ってけしかけていた。 振られたらどうしよう?またただの友達に戻るのかなあ。それとも全く決別状態 になるのかなあ。まあ、その時はその時だ、覚悟を決めろ、みたいなことも話して いた。
うーむ、この純情さって、オジサンの若い頃と同じじゃないか。 君たち、もしかして昭和の昔からバック・トゥ・ザ・フューチャーしてきたの? しかし昭和の昔と違って、今は「付き合ってる」といえば「5分ごとにメールを 交換して相互監視することに双方が同意した状態」を意味するらしく、 そんなことをして一体何が面白いのか知らないけど、 この男の子たちもそういう意味で「付き合う」という言葉を使っていたようだ。
それはともかく、告白メールを出すのか出さないのか、結末を待っていたのだけど、 いつまでも愚図愚図しているので、「けっ、往生際の悪い野郎だぜ」と 調査活動を打ち切って帰宅。
2010年8月26日(木)
<<バック・トゥ・ザ・フューチャー>>
昨夜は割合ちゃんと眠れた。午前中は、ある特殊な空間のチャーンクラス
の計算法についての某論文を調べる。
生協トラベルから旅行保険の証書ができたとのメールが入ったので、
午後は出勤。それ以外に海外逃亡資金の見積書が学内便で届いていたので、
振込先を記入して返送。あとは研究室の片付けなど色々。
そうこうしているうちに、新カリキュラムの大学院担当に ついて学科長から打診メールが届いたので、できれば他の先生に 回して欲しい旨を返事する。海外逃亡モードで結構気分が良かった のだけど、一気に「大学のあれやこれやの世界」にバック・トウ・ ザ・フューチャーしてしまった。
夕方には大学を発ち、大丸ラクト山科店食料品売り場で少し 買い物をしてから帰宅。夜はチャーンクラスの交点数の計算。 昨日思ってたよりも簡単に計算できることが分かった。これが非負整数 になればめでたいのだが、なんと!マイナスになることが判明。 うーむ、こういう否定的結果で嘘論文の「嘘」が取れるかどうかは、 極めて微妙。投稿と採録拒否の可算無限連鎖を覚悟の上で、 無理矢理「嘘」を取っ払うか?
夜、チャーンクラス計算の途中で、また学科長のメールが届き、 何とか原案で了解してもらえんか、と。何がどう「何とか」なのか 知らないけど、私は本来気のいい人間なので、即答で「あっ、いいっすよ!」 みたいな返事を返す。しかしチャーンクラスの計算が終わり、 「(この試みも)駄目だったな」みたいな気分でひと風呂浴びて、 ふと落ち着いた頃から、何だか腑に落ちなくなってきた。
カリキュラム委員会で色々話し合って皆を説得し、やっとのことで大学院 の講義担当を外してもらえたのに、何でここで「この科目の担当でいいですね」 みたいな話がすっと出てくるのかしら。これでは、あの時の議論は一体何だった のか、ということになる。それで、「やっぱりそれは変ですよ」 というメールを返しておく。
2010年8月25日(水)
<<デヘヘ、、、>>
夢を見ていたのかもしれないが、覚えていない。悪い夢
にうなされなくて、よかった。今朝は何となく早く目が覚めて、
まだ十分寝たとは言えない時間だし、二度寝しようかと思ったが
「嘘論文」のことが気になって結局起きてしまい、午前中から数学。
やはり睡魔に襲われ、途中30分ほど気を失う。
嘘論文座礁問題が少し前進。それ以外に、パソコンのデータの定期
バックアップも行った。
午後は京大へ。まずは真っ黒スープの衝撃ラーメン屋で、 餃子セットの昼食。それから数理研図書室に籠り、時折 睡魔に襲われながらも、午前中に進展したことを「嘘論文」に 書き加える。座礁問題は完全解決ではないが、とりあえず 放置して次の問題に取り組むための資料を読む。
数理研の帰りに、「トラちゃん」こと数理研猫の住処を 表敬訪問したが、予想通り留守。小学生高学年ぐらいの男の子2人が 自転車に乗ってやってきて、数理研猫の住処を覗き込み 「トラちゃん、おらへん」とつまらなそうに言い合っていた。
大丸ラクト山科店のジューススタンドで桃ジュースを飲み、 スーパーに立ち寄って買い物をしてから帰宅。先日の壮行会の 写真がメールで送られてきた。おおっ?!苦み走ったニヒルな オジサンぶりがウリの私なのに、「デヘヘ、、、」みたいな 感じで嬉しそうな顔して写ってるぞ。何の話をしたというわけでもな いけど、ただ一緒に居るだけで楽しい仲間というのは、良いものだ。
夜も少し数学。チャーンクラスや交点数の計算をガシガシ やらないといけない雰囲気になってきたので、明日態勢を整えてから 出直すこといする。
2010年8月24日(火)
<<思いつめる>>
新宿のホテルで謎の東洋系の男にノートパソコンを盗まれた。
そろそろデータの定期バックアップを取ろうとしてた矢先なのに!
とか、今からパソコンを買い直してドイツ出発の直前まで
設定やらフリーソフトのインストールやらデータの復旧やらに
追われるのかよ!?愕然、茫然、そしてむらむらと湧き上がる
怒り。クソーっ!!と叫んで目を覚ます。ブレンナー先生とどつき漫才
するのと負けず劣らずの悪夢。
アメリカ数学会から依頼されたレビュー用の論文が見当たらないので、 その捜索も兼ねて、午前中は自宅の整理を少し。論文見つからず、少し焦る。 昨日大学で捜したけど、無かったし。ヨーロッパ数学会の締め切りは緩いが、 アメリカ数学会はきっちり2ヶ月で督促状が届く。予定では出発直前の 9月半ば。まあ、行きの飛行機の中でレビューを書いて、向こうに 着いてから送ればいいだろうと踏んでいる。
午後は大学に出勤。「もしかして」と、ある所を覗いたら、ちゃんと論文 が挟んであった。あと何年かしたら「眼鏡がない」「財布はどこやった?」 みたいな事を言って家じゅうを探し回り、さらに何年かしたら「ここはどこ? 私は誰?」みたいなことを言いだすかもしれない。年は取りたくないものである。
出勤して1分で論文が見つかったので、あとは「座礁する嘘論文」関連の 作業。自宅にあった専門書の大半は既に大学の研究室に戻っているので、色々 調べたり考えたり。収穫のないままに帰宅時間。雷が鳴り始め、大学の建物を 出てバスターミナルに向かう頃には激しい雨と雷鳴。雷よ、お前さんがいくら 荒れ狂っても嘘論文の謎は解けないんだよう!
思いつめてバスターミナルに着くと、数理科学科のアルバイト事務員の Hさんがベンチでバスを待っていた。屋根があって雨が当たらない場所なのに、 ずっと傘をさしたままで、何やら思いつめた顔をしている。Hさんが数学を 考えているとは思い難いし、何なんでしょうねと思っていたら、ふと私に気 づいて挨拶。それからまた宙空を見つめ何やら思いつめた表情。しばらくし て、ふと我に返ったように傘を畳み、私とは別のバスに乗り込んでいった。
夜も少し数学。嘘論文の懸案はある有名な問題に帰着できることが分かり、 手元の資料で少し調べてみたが、どうも良い答が見つかってないようだ。
さて、今晩はどんな悪夢を見ることか。
2010年8月23日(月)
<<粘着質の平和利用>>
終日、ドイツ高跳び準備モード。午前中は旅行保険を選んで申請書類書きを
したり、事務にメールを出して必要書類を問い合わせたり。昼過ぎに出勤して、
生協トラベルカウンターで旅行保険を申し込んだり、注文していた書籍が届いて
いたので、その支払い手続きをしたり、必要書類のコピーを作って学内便で送った
り、事務に行って別の手続きをしたりといったことをしているうちに夕方になる。
その合間に、「嘘論文の打開策」のアイディアを少し検討しなおしてみて、
間違っていたことに気付き、振り出しに戻る。帰宅後、夜は嘘論文の暗礁問題
について考察をめぐらすも、これといったアイディアはなし。
嘘論文関連の考察と高跳び準備作業の合間に考えたことだが、 何故私にとって「渡る世間は意地悪ばかり」なのかについて、新しい知見が 得られた。中高生時代、特に中学生ぐらいの頃に、それまで仲の良かった友人 に突然相手にされなくなり、口もきいてもらえなくなることが2,3度あった。 これらは全て同じパターンで、人懐こく嬉しがりな性格ゆえにまずは仲良くなり、 そのうち粘着質の性格が頭をもたげてきて相手が辟易し、最後に「高山!うるさ い!!」と相手がキレてそれっきりとなる。この手痛い失敗の後、人生における 私の課題の一つは、この悪魔のような粘着質の性格をいかにコントロール するかであった。
この手のことで記憶する限りの最後の大きな失敗は、大学を出て間もない頃 の会社の独身寮での出来事。同期のハットリくんというのが「忍者ハットリくん」 という漫画の主人公に少し風貌が似ているということで俄然興味を持った私は、 寮の食堂で夕食をとっているハットリ君に毎日のように近づいて、 「ハットリくん、僕、高山と申します。ハットリ君は忍者ハットリ君に 似てますね。」「忍術の修行は辛いですか?」 「もう隠れ蓑の術は覚えましたか?」「手裏剣は持ってますか?」 みたいな冗談質問を浴びせ、彼を2カ月で退寮に追いやってしまったことである。 そのことで寮の別の友人たちに「高山、お前、アホと違うか?」と とがめられ、「ああ、またやってしまった!」と激しく反省したのだった。
その後、20代の後半ぐらいに中規模の失敗が一つあるが、それは周囲の 人たちの温かい協力もあって無事修復し、現在に至っている。しかしながら、 わが身に潜む悪魔との戦いが終わったわけでもなく、エクソシストみたいに 悪霊退散の儀式をしてくれる神父さんが居るわけでもなく、「押さえ込むの がやっと」といった状態である。今でも「ここをさらに一歩踏み出した ら、またやってしまう!!」と、はっと我に返ることが無いでもない。
ただ、この凶暴なる粘着質も数学研究に使えば平和利用になるわけで、 まあ、私などは粘着質一本槍で数学をやってるような ものである(「性格だけで数学やってんじゃねーよ!」という突っ込みは、 とりあえず却下)。
それはともかく、これまで一応フレンドリーな態度をとっていた オスナブリュックのブレンナー先生が、この期におよんで出発直前まで メールの返事をくれないとか、突然「お前なんか、知らん!」とか言い出す のではないかと大真面目に心配するなど、私には人間の言動の連続性や 継続性を全く信じていないようなところがある。それは、仲が良いと思っていた 友人に突然口もきいてもらえなくなった、 40年近い昔の事件のリアルな記憶があるからではないかと思う。
2010年8月22日(日)
<<どつき漫才>>
夕方、三重から無事京都に戻り、京都駅で適当に夕食をとってから帰宅。
ホテルは、高かった割にはインターネットが使えない部屋。まあ、
この日だけはどこも満員だったから、文句は言えないけど。
昨日と今日で、墓参り、「別荘」の視察と清掃、鰻三昧、津近郊都市の 秘密(?)調査活動。あとは、古い友人にささやかなドイツ壮行会を開いて もらった。その合間合間に、暗礁に乗り上げている嘘論文のことを考え続け ていたのだが、今朝、駅ビルのカフェでその打開策とおぼしきアイディアを思い つく。それで旨く行くかどうかは今のところ不明だけど、確かめるのが怖い ので、今日のところはこれ以上は考えないことにする。
帰宅後、オスナブリュック大学のブレンナー先生からメールが届い ていて、一言「心配するな。ちゃんと空港に迎えに行ってやる。ゲスト ハウスの鍵のことも」と。うーむ、私が出したメールには、レストラン や中央駅の店は日曜も営業しているか?みたいな質問もごちゃごちゃ 書いたのだけど、全然触れられていないぞ。噂では、ブレンナー先生は メール受け答えの大雑把さの割には、細かいことに色々気を配って くれる人らしいけど、まだ会ったことが無い人だから、よくわからない。
しかし、とにかく肯定的な返事が返ってきてよかった。出発直前まで 返事が来なかったり、何だかわからないけどヘソを曲げられて「お前なん か、知らん!」みたいな返事が返ってきたらどうしよう?と要らぬ心配を していて、今朝などはブレンナー先生と「お前、ちゃんとメールに返事返 せよ」「え?何でっか?でへへ」みたいな感じで二人でどつき漫才をやって る夢まで見て、夢の最後に「どつき漫才やってる場合かよ(怒)!」と 吠えて目を覚ましたりしてたのである。
2010年8月20日(金)
<<嘘よ!嘘なのよー>>
やはり4時半頃に目が覚めたが、また二度寝。午後はまた京大へ。
地下鉄東山三条で下車するはずが、ぼんやりしていて乗り過ごしてしまう。
京都市役所前で降りて丸亀製粉河原町三条本店で讃岐饂飩の昼食。
そこからバスで京大へ。数理研図書室で夕方まで嘘論文執筆作業。
そういえば、先日、マニン大先生の退官記念論文集は「1冊10cmの厚さ」
と書いたが、よく見てみれば1冊5cmぐらいだった。まあ、あんまり
びっくりしたから大きく見えたのだろう、と言い訳しておく。
帰りのバスを京都市役所前で下車したとき、「この顔にピンときたら110番」。 向こうから、最近テレビに出ないけどどうしてるのかと思ってた市田ひろみが歩いて きた。この近くに市田ひろみ美容室があるから、別に不思議でもないけど。
大丸ラクト山科店のジューススタンドでパインジュースを飲んでから、帰宅。 隣の果物売り場ですこし古くなりかけている果物(?)を、その場でジュースに して売っているようだ。桃、スイカ、巨峰、マンゴ、パインなど1杯200〜 300円程度。実はここ数日、帰りには毎日ここで何かを飲んでいる。
夜も嘘論文執筆作業。たぶん成り立つだろうから、あとはちゃんと纏めるだけだ と高をくくっていたことが、全然成り立ちそうにないことが分かり、焦る。 しばらく悪あがきをして、今日のところは諦める。
9月18日の到着について、オスナブリュックの先生に出したメールの返事が 来ない。「○×先生、たぶんヴァケーションに出てるのだと思いますが、下記の メールを再送します。もしこのメッセージに気付かれた際には、ご一報ください」 と書いて、先日のメールを再送する。来週になっても返事が無い場合は、 オスナブリュックの関係者にメールを出しまくって確認する予定。
嘘のままで終わりそうな嘘論文といい、返事の来ないメールといい、 どうも最近運気が下がっていて、よろしくない。
明日は津に帰って色々活動。更新できるかどうかは、極めて微妙。
2010年8月19日(木)
<<フィールズ賞の発表>>
今日は明け方には起きず、ふと目を覚ましたら朝。まだ少し早かったので
そのまま二度寝。それから適当に起きる。午前中は論文を検索して、ちょっと
前から気になっていたことの確認。昼は京大に繰り出し、久しぶりに真っ黒
スープの衝撃ラーメン屋にて真っ黒炒飯セット。うーむ、こう醤油味一本で
ぐいぐい攻められると、水を沢山飲んでしまう。
それから京大数理研図書室に籠って、嘘論文の作業。式の一部の符号が 違ってただけで、それがもとで主結果が正反対になるし、細かい部分で 色々確認すべきことが沢山ある。
夕方頃、ICM2010のサイトを覗いてみたら、フィールズ賞受賞者の 発表が出ていた。フランス在住のベトナム人数学者が数論幾何学で受賞してい た。最近のベトナム・パワーには目を見張るものがあるし、これからもどんどん 凄い数学者が出てくるかもしれない。私と同世代のベトナム人数学者だと、 同じ共産圏の(旧)東ドイツに留学している人が多いようだし、今でもドイツとの 繋がりは深いようだが、受賞者の人は中学か高校かという割合早い時期に フランスに渡ったというから、まあ、時代が変わったんだろなと思う。
1月にハノイに行った時は、何だか滅茶苦茶な国だなと思うと同時に、こ ういう所で必死にやってるベトナム人って凄いなとも思った。生まれたばかり の頃なので、よく覚えていないけど、50年ぐらい前の日本もこんな感じだ ったかなあと、ちょっと懐かしい気分になったものだ。
帰りは京都駅経由。ビッグカメラに立ち寄って、昨日忘れたポイントカード にポイントを入れてもらう。夜は少しテレビを見て、嘘論文の作業は、数理研で考 えていて帰りのバスの中でようやく分かったことを書きくわえたり、瑣末な部分 にちょっと手を入れたりといった程度にとどめる。
2010年8月18日(水)
<<押し入る>>
今日も明け方に目が覚めたけど、碌に数学を考えずにすぐに二度寝。
朝もそれほど遅くない時間に起きる。今考えている問題も
そろそろ「行き止まり」みたいだし、無理やり論文のようなものでも
書いてみようかと作業を始める。
午後は京大へ。生協も平常営業に戻っていたので、ルネで昼食の後、 書籍部を冷やかす。数論、代数幾何学、数理物理学で活躍したロシアの 偉い数学者マニンの退官記念論文集が出ていた。2分冊になっていて 1冊の厚さが10cmぐらいある。こんな巨大な退官記念論文集は初めて 見た。Birkhäuserの緑表紙シリーズなので、これだけ分厚いと懐かしの サンダーバード2号に見えてくる。いいなあ、サンダーバード2号。 と、本を眺めてしばしうっとりする。
それから京大数理研図書室に籠り、嘘論文執筆作業。夕方、数理研からの 帰り際に「とらちゃん」こと数理研猫の住処を表敬訪問。猫は一番涼しい場所 を知っているというから、当然あんな暑いところには居ない。どこかの縁の下 にでも居るのだろう。それからバスで京都駅前に移動し、ビッグカメラで海外 用電源アダプターを購入。
五山送り火が済んでもまだ京都は観光シーズンらしく、東山通りを通る 京都駅行のバスには、ラッシュ時の京浜東北線並みに人が乗ってきた。 既に満員で入口の際まで人が溢れ返っていても、オジサンがお尻を車内に 向けぐいと踏ん張って押し入ってきたり、オバサン達もわあわあ言いながら も何だかんだと押し入ってくる。そのどさくさに紛れてドイツ人のバック パッカーも押し入ってきて、前の出口からではなく入口からそのまま 下車していった。「チケットはちゃんと持ってるから、不正乗車じゃないんだ」 と言ってたけど。そんな具合に各バス停で1人下車しては4人押し入ってくる といったことが繰り返されたのだが、終点の京都駅では、詰め込み過ぎた 巾着袋が破裂したかのように人が吐き出されていった。
ビッグカメラで買い物を済ませ、JRで山科に帰る。夜も少し嘘論文執筆 作業。嘘論文も書いてるうちに、ちゃんとした論文に化けてくれればいいのだけど。
2010年8月17日(火)
<<夢は夜ひらく>>
子供の頃、園まりという歌手の「夢は夜ひらく」という歌が
流行ったが、今朝も明け方にふと目が覚め、ベッドの上で悶々と数学を考える。
またしてもちょっとしたことを思いつき、今日はそれを考えてすごす
ことにしようと決めて、また眠りにつく。
昼前に起きて、ドイツの受け入れ先の先生に「9月18日の 夕方にそちらに着くから、空港まで迎えに来てくれないか」といった 内容のメールを出す。普通は本人か学生かが空港か駅まで迎えに 来てくれるものだが、「知らん。バスなり電車なりタクシーなり 使って自分で勝手に来てくれ」式の返事が返ってくるのではないか と、かなり不安である。
別に受け入れ先の先生が、そのような不安を抱かせる人だという わけではない。相手が誰であれ、私は他人にものを頼むときには、 いつもその手の最悪のケースをかなりリアルに想像してしまうのである。それは何故か。
多くの人の善意や好意によってここまでやってこれたにもかかわら ず、私の中には「渡る世間は意地悪ばかり」という世界観が骨の髄まで 沁みついている。これは、渡る世間は意地悪ばかりだから、その中で 苦境に陥っていた私を助けてくれた人たちの善意や好意が光って見える ということだと思う。
そういえば、学生時代、数学が出来ない私をアホだ馬鹿だと蔑んだ 教授や学友たちは「意地悪」である。 会社員時代、エンジニアの仕事が出来ない私を”(職場の)困った ちゃん”扱いした上司たちは「意地悪」である。 数学嫌いの(旧)情報学科の学生に徹底的に毛嫌いされ、研究室に ペンペン草を生やし閑古鳥を鳴かせていた私を”教員としての資質に劣る” と教授に昇任させなかった(旧)情報学科の教授達は「意地悪」である。
まあ、学校で勉強ができない、職場で仕事ができない、私立大学で 学生に好かれないとなれば、肩身が狭いのは当たり前だが、そんな 卑屈な受け止め方で自分を責めてばかりいてはやってけない。 かくして、それやこれやは「周りの人たちがみんな意地悪」だからと 総括され、「渡る世間は意地悪ばかり」という世界観を形成し、 渡航先の先生に迎えを頼むだけでも、思いっきり悩まねばならない 事態に陥り、だんだん人生がしんどくなってくる。 さて、私は一体どこで人生を間違ったのか?
午後は明け方のアイディアについて考えてみる。途中街に出て、 京都市美術館でやっているボストン美術館の洋画のコレクションの 展覧会を見に行き、その帰りに京都駅前ビッグカメラに立ち寄り、 ノートパソコンと海外用電源プラグアダプタを物色。
帰宅後、夜は自転車で近所を徘徊しながら、引き続き明け方の アイディアについてあれこれ考える。 それやこれややっているうちに、ある程度考えが纏まるも、今度こそは 本当の「行き止まり」かな、という気がしないでもない。
2010年8月16日(月)
<<奈落の底>>
また、「あのシリーズ」の瞬間的復活である。今日の一枚は、ヒラリー・ハーンの
デビューCDで、J.S.バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ
第2ニ短調と,3番ホ長調、および無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ3番ハ長調。
アンドレス・セゴヴィアが世界で最初にパルティータ2番のシャコンヌを クラシックギターで弾いて以来、J.S.バッハはクラシックギターの演奏者 にもよく取り上げられるようである。私も福田進一のCDで慣れ親しんだせいか、 長らくこの曲はギターでないとしっくりこなかったのだが、元々ヴァイオリンの 曲だし、まあ、ヒラリー・ハーンのヴァイオリンでだったら聴いてもいいかなと、 ようやくそういう風に思えるようになった。
昨夜はまたも明け方に目が覚めてしまい、この「行き止まり」をどうしてく れよう、などと数学のことを悶々と考えてしまってなかなか眠れず。そのうち、 ちょっとしたことを思いついて、そのアイディアについて色々考えているうちに 眠ってしまったようだ。
再び目が覚めたのはかなり遅い時間で、睡眠が中断して不規則だったので まだ眠い。ドイツ高跳び準備に関連した調べ物をしてから、 明け方のアイディアについて自宅で愚図愚図考え始め、 それから街に出て河原町三条界隈で軽く昼食をとり、 寺町通りの上島珈琲店で夕方まで考える。まあ、大したことではないけれど、 ほんのちょっとだけ先に進んだ。
それからJEUGIA三条本店に立ち寄る。ヴァイオリンの何某ムッター (ドイツ語で「母」の意)という人のCDでブラームスの曲が流れていて、 すこしよろめく。CDの宣伝文句は「歌うヴァイオリン」とある。専門家達はよく 「楽器が歌っている」という言い方をするようだが、まあ、「歌っている」というか、 曲がブラームスということもあってか、「さあ、私と一緒に奈落の底まで落ち ましょう!」と激しく誘惑するようなドロリとしたヴァイオリン。 数学で奈落の底に落ちそうな私に ピッタリだとも言えるし、数学で奈落の底に落ちそうなのに、音楽でも奈落の底に 落ちてどうするんだ?とも言える。さてどうしたものか。
結局、人生ヤケクソになったらおしまいだ、ということで後者の意見 に落ち着き、何某ムッターは振り切ってヒラリー・ハーンに走る。 ハーンはオーケストラとの共演CDが多く、そういうのは取り巻き連中に 囲まれてなかなかハーンとお話ができない!みたいな感じがして、 どうも嫌だ。しかしこれは彼女の数少ないソロのCDだから、まあ、 買っちまおう、と。
そういえば今日は五山の送り火だった。河原町三条界隈は月曜日にもかかわらず、 昼間から人通りが異様に多く、まるでひたひたと川の水位が上がる大潮のよう。 上島珈琲店もやけに混んでいて、そのくせ客の回転は速かった。 これは、ちょっと休憩に立ち寄る観光客のような客が多いからだろう。 昼間はこうやって街でぶらぶらして、五山点火が始まる夜8時を目標に絶景 スポットを確保し、送り火を見て帰ろうというのだろうか。
Angers河原町三条本店を1階だけさっと偵察して、河原町三条からは 退散。地下鉄山科駅では例の「強い爺さん」が一緒に降りてきて、ラクトの 京都中央信用金庫のATMでお金を下ろしてから、ラクトのスポーツクラブに 向かったようだった。
夜は、インターネットで五山送り火の同時動画中継をやっていたので、
それを見て京都のお盆の終わりをじみじみとかみしめる。その後、ドイツ
高跳び関連の準備作業を少し。