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た
め
の
邪
魔
な
広
告
よ け ス ペ ー ス で す。
2010年12月15日(水)
<< Ich bin nicht da! >>
「あのシリーズ」の復活も今日で一段落。すっかりいいお婆ちゃんになった
マルタ・アルゲリッチと誰だか知らないけど嵐山光三郎みたな顔した
ネルソン・フライヤーが、2台のピアノでブラームス、ラフマニノフ、
シューベルト、ラヴェルの切れ味のよい演奏を聴かせてくれる、
2009年のザルツブルク音楽祭のライブ録音。
それにしても、このジャケットの絵柄、どこかで見覚えがあるな と思ったら、京都の某大手葬儀屋の会葬御礼の紙袋がこんな感じ。 京都の街を偵察飛行していると、よくこういう紙袋を提げた人を見掛ける。
本日、午前中にちょっと大学に行き、昨日やり損ねた事務作業を片付ける。 すぐにゲストハウスに戻って、作り置きのレンズ豆の煮込みで昼食。しばし数学 の後、また大学へ。14時15分から1時間程度、博士論文の公聴会。その後は ドイツの大学の慣例にしたがってどこかのフロアで新博士の簡単な祝賀会を やっていたようだが、パスして研究室に戻り、しばし数学。17時15分から 1時間、数学コロキウム。形成外科手術のコンピュータグラフィックスや画像処理 の話。19時から市街地のレストランで数学教室のクリスマスパーティーがあるので、 コロキウム終了後、皆さん三々五々移動。私はバスでNeumarktまで行き、 すこし歩いてヨハネス教会でしばし「静かに自らと語り合い」、 意を決して教会の目の前にある会場のレストランへ。
ドイツの会食はもう何度も経験していて、人と話すのが大嫌いな 私にとっては、どれもこれも判で押したように「親和会の宴会に匹敵する ほど超ド級に退屈」なものであることが分かっている。
そりゃあ、話題は 無いことはない。例えば今日などは、「俺は10年前にエッセンで年を越したけど、 年明けきっかりに、あちこちで一斉にものすごい勢いで花火が鳴ったけど、 オスナブリュックでも同じか?」みたいなことを話せば良いわけだ。 だけど、そんな事、わざわざ聞かなくても年明けまで待てばわかることだ。 という風に思ってしまうのは、目の前の相手に興味が湧かないからである。 人と話すのが億劫なのは、要するにそこの人に興味がないからだ。 では、何故興味がないのかというと、それは 要するに、私は私に興味を示す人にしか興味がないからだ(と、おナルぶりを 思いっきり炸裂させてみる)。
だから、クリスマスパーティももういいやとも思ったが、 申し込みをしたのは、まだ自虐の病がそれほど進行してなかった1ヶ月前。 ドタキャンするのも何だし、 ドイツのクリスマスパーティーの退屈さはまた格別だろうから、それを偵察する 最後のチャンスをみすみす捨てることもないかというスケベ根性は健在で、 退屈な宴会で死んだフリする練習は親和会宴会で十分やってきて、 退屈耐性には絶対の自信があるし、、、 じゃあ、まあ、行っておこうか、と。
アメリカからきたポスドクの人が、「こっちのテーブルに代数グループが 集まってますから、もし良ければ来ませんか?」と誘ってくれた。 まあ、一般にドイツ人はそういう気の使い方をしないから、 そこはアメリカ人の偉いところかな、と。
中途半端に顔見知りと一緒だと退屈な上に変に気を使ってしまって最悪 だから、わざと離れたテーブルに一人座って知らん顔してたのだけど、 折角気を使ってくれる人の顔も立てないとなと思って、 そちらのテーブルに移動する。 だからと言って、状況が予想と異なるわけもなく、ワイン、スープ、 メインディッシュ、デザートと進んだところで、皆が2杯目の飲み物を注文したりして、パーティーはまだまだ続く気配だったが、わたしはすかさず偵察終了を宣言 してすっと席を立ち、支払いを済ませて家路につく。
ドイツに来て、研究集会の懇親会やクリスマスパーティーなどを偵察 してみたが、日本のように皆が同じ料理とか、鍋をつつき合うとか、割り勘 とか、立食ということはなく、一人一人テーブルに座って別々に料理を注文し、 各自別々に会計をするのが普通である。日本のように、別々に払いたいと言 っても店の人が「纏めて払ってもらえませんか」と睨みつけてくる、 みたいなことはない。また、懇親会と言っても、たまたまテーブルの近く に座った人としか「懇親」できない。まあ、私は誰とも懇親する積りは ないので、関係ないけど。
今日のパーティーのように50〜60名が一度に私はこれ僕はあれ、 みたいな感じで注文したら、さすがに厨房がパンクするので、事前に注文票 を出す。しかし今日のパーティーなどは1ヶ月以上前に注文を書かされたので、 何を注文したのか憶えていない。その事を店員に言ったら、向こうにすっ込 んでいって、幹事みたいな人と相談して1ヶ月前の注文リストを引っ張りだ してきて、「貴方は、これこれを注文されてますが、間違いないですね」と いう具合に処理していた。
クリスマスパーティの進行は、飲み物(これも全員ビールで乾杯!ではなく、 各自、私はワイン、僕は炭酸水、みたいな感じで思い思いのものを注文する) が一通りいきわたったところで、学科長やグループリーダーみたいな人が 立ちあがって挨拶をし、新人の名前を読み上げ、その人がちょっと手を上 げたりして自分だということを示す。そして後は延々と食べてお喋りして、 それで終わり(だと思う)。
私も客員教授ということで名前を読み上げられ、周りが「お前だろうが!」 を指さしてくるので、何となく手を挙げてしまったが、"Ich bin nicht da. Bitte vergessen Sie mich nur!"(私はここには居ません。どうか、忘れてください!) と叫べば良かった。私はこの退屈の牢獄に閉じ込められているけれど、 私の心は今、遥かな街を静かに偵察飛行してるのよーっと。
ベルリンとエディンバラの研究集会で2週間ぐらい英語ばかり聞いていて、
ドイツ語の勘が鈍っていたとはいえ、瞬発力の悪さを少し後悔する。
2010年12月14日(火)
<<ぬくぬく>>
今日も「あのシリーズ」が続きます。artemisという(たぶん)ドイツの
弦楽四重奏団のベートーヴェン・弦楽四重奏曲1番と12番。この演奏者
達が何者かは不明で、CDの解説書を見ても、彼らが誰それにヴィオラを習い、何
とか音大在学中にどこそこのコンクールで優勝し、なんとか国立歌劇場の主席
なんとか奏者を務め、パリだのウイーンだのアメリカだの日本だのの有名
オーケストラとの共演多数、みたいな経歴は一切なし。
彼らの名前だけはCDの裏に書かれている。
Friedmann WeigleとかEckart Rungeはいかにも
ドイツ人らしい名前だが、Gregor SiglとかNatalia Prischepenkoに
なってくると、何人か不明である。ロシア人かも(「違います、
ウクライナです!」みたいな突っ込みは却下)?
まあ、CDの解説書についている「華々しい経歴の紹介」というのも 胡散くさいものだ。演奏者の経歴には関係なく、試聴してみて「あ、この音、 いいな」と思ったら買うだけなので、あってもなくてもどうでもよい。 しかし、演奏家の華々しい経歴を読むと、数学者だと誰に相当するかなとか、 この人の経歴は一見華々しく見えるように書かれているけど、案外苦労して いるなとか、音楽以外のことで色々楽しめたりするけど。
それにしても、ベルリンの地下駐車場の端っこに吹き溜まって肩寄せ合って いるような、このいじけたCDジャケットの写真は何なのか。なんとなく自虐 に走る自分の姿を重ねようようとして、「でも、ちょっと違うな。第一、 オレは1人だけど、奴らは4人だ」みたいなことを考えてしまう。
さて、本日夕方頃までゲストハウスでぬくぬくとすごす。夕方、雪道を とぼとぼ歩いて大学に行き、研究室で少し事務的作業をしてから、1時間程度 の大学院生のセミナーに顔を出し、それが終わったらそのまま帰ってきた。 帰り道にスーパーで少し買い物。スーパーの売り場で、若いお姉さんが 「ちょっと通してください」と後ろを通ろうとしたので、 思わず「うおっつ!」と叫んですかざず平目のポーズをとったら、結構ウケた。 ウケたら何でもよろしい。そうだな、絵描きに戻る前に スーパーの瞬間芸人としてしばらくやってみるのも、いいかも。でも、 こういうのってドイツ人にしかウケないような気がするけどね。
もうちょっと自虐をぶちかましてみたいのだけど、今日はちょっとネタ切れ。 また考えときますわ。
夜もゲストハウスでぬくぬく。時々大学に顔を出すけど、ほとんど自宅で勉強
してるだけというのでは、わざわざドイツに来た意味がないので、年明け以後も
パリだのエッセンだのと飛び回ろうかと思っているけど、今は充電期間ね。
そういえば科研費はほとんど使い果たしたので、あとは自腹だな。
2010年12月13日(月)
<<テキトーな返事>>
また、「あのシリーズ」の瞬間的復活である。今日の一枚は、Wen-Sing Yangという
台湾系ドイツ人チェリストのボッケリーニ「チェロ協奏曲集」。実をいうと、こういう感じのオジサンは別に嫌いでもない。ちょっと話してみたら、嫌な奴かもしれないけ
どね。
ボッケリニ(Boccherini)はハイドンやモーツアルトと同世代のイタリア人チェリスト で、生前は有名だったそうだが作曲家としてはあまり名を残していないとか。私は最初、あのイタリアの画家ボティチェリ(Botticelli)が、作曲もしてたんかいなと勘違いした。まあ、死んでからは名を残そうが残さまいが、本人の知ったことではないので、やはり生きているうちにチヤホヤされ方がいいに決まっているな。
実は今日NeumarktのSaturnで、これを含めて3枚の室内楽のCDを一気衝動買い したので、明日も明後日も「あのシリーズ」が続くかも。覚悟されたし。
本日掃除の日。7時半起床、一切合財片付けて9時前にゲストハウスを発つ。 まずは近くの銀行で家賃の振り込み。振り込み係のオジサンは、かならず最後に "Ihr Vorname? (貴方の名前は?)"と聞いてくる。そして先月までの私はいつも、 苗字の方を答えるへまをしていた。しかし今日はへまをしないぞと身構えていたら、 やっぱり"Ihr Vorname?"ときた。この再現性のあるリアクションは銀行員として の仕事の手堅さを物語っているのか。オジサンが書いている書類を見ていたら、 何故いつもいつも名前を聞いてくるのか、原因が分かった。来月からそういうこ とがないように対策を講じるつもり。
次はスーパー。まずはビールや水の空き瓶、空き缶、ペットボトルのデポジット 返却マシンのところへ。今日はマシンの調子が悪いらしく、係のオバサンが 機械を開けて様子をみたりしていて、その傍でオジサンがおそるおそる機械を 使っていた。オジサンが終わり、私の番になって、いくつか瓶などを放りこんで みると、ちゃんと受け入れOKになったり、駄目とつっかえされたりと色々な反応 をする。しかし私の場合は割合スムーズに行って、最後のペットボトルが2度目の トライで受け入れOKになったときは、思わず「おーっ!(ぱちぱちぱち)」と 拍手してしまった。それが係のオバサンに結構ウケた。ウケれば何でもよろしい。
それから、久しぶりにCDでも買うかとNeumarktのSaturnへ。Saturnは 10時開店だが、その30分前に着いたので、すぐ近くにあるオスナブリュック 大学総合図書館でしばし数学。10時を見計らって店に行き、CDの衝動買い。 帰り道に例の2つの大教会に立ち寄って、しばし「自虐の果てに静かに自ら と語り合う」。そういえば、先日ドイツには石づくりの家がほとんど無い と書いたけど、教会やオスナブリュック市庁舎みたいな古い建物は、砂岩系の 石で組まれている。でも石の色が黄土色系で、暗い灰色のスコットランドの 建物とは雰囲気が違う。
昼前にゲストハウスに戻り、レンズ豆の煮込みを作って昼食。その後、一歩も 外に出ず、部屋で数学の勉強など。夕食もレンズ豆の煮込み。 ちょっと変化をつけるために、日本風に卵を落としてみた。 きょうはやけに冷え込むなと思って外を見たら、 真っ白の雪景色になっていた。カーテンを閉めていたのでわからなかったけど、 午後は雪が降ったようだ。
さて、今日も自虐ネタ。2006年に学科長をやって脳が歪んだけれど、 2007年の富山かどこかの国際シンポジウムでは、結構初対面の数学者 と親睦会でお喋りし、その後も学会などで会えば挨拶ぐらいはするようになった。 その時と同じノリでいれば、例えばエディンバラの研究集会では、日本人 参加者たちとすっかりお友達になっていたかも知れない。 2009年の秋は代数幾何学シンポジウムに初潜入して、 相部屋合宿制の同室の人たちにも初対面なのに(初対面だから?)結構 よくしてもらって、いろいろ話もしたっけな。 だから自虐がひどくなったのは、割合最近のことのようだ。
まあ、何年か前から水面下で少しずつ進行していて、2007年度あたり でも実はかなり無理していたのかもしれない。 それで11月上旬にガクッときて一気に進行したというのが、現在の有力説。 こういうのって、自分の親が死んでいった様子にも似ているな。 流石に年には勝てないとみえて、だいぶ無理が来てるみたいだけど、 まだまだ行けるかなとか思っていると、どっかでガクッと来ることがあって、 それを切欠にあれよあれよと崩れ堕ちるように状態が激変してしまう。 それでもあるレベルで踏みとどまってしばらく推移するもんだから、 おーっ、偉いもんやな、どこまで頑張るんかいなと思って見ていると、 またどっかでガクッと来て、それですっと逝ってしまう。いや、私はまだ しばらくはしぶとく踏みとどまる積りだけどね。
夕方、某メーリングリストで来年度に面白そうな研究集会が日本で開かれる との情報が届いた。これは絶対に参加しなくっちゃと思って、招待講演者を見て みると、エディンバラで「ところで、君の名前は何というのかね?」と聞いてきた 非日本人系某偉い先生の名前があった。しかし来年というのは、ちょっと早いな。
実は、名前を聞かれても、次に会う時には忘れられてるだろうし、次に 会う機会が訪れるまで私が数学やってるかどうかわからんし、大先生が 名前を聞いてきたのも単なる気まぐれだろうと思って、 「高山です。他にも何人かいる『高山』の一人です」とテキトーな返事 をしてお茶を濁しておいたのだ。
流石に来年はまだ数学やってるだろうし(生きてれば、の話だが)、 それで研究集会に行って大先生が私のことを忘れていたら「ほら、やっぱりな」 と自虐が益々進行しそうだし、憶えていたら憶えていたで、 「え?俺、名前覚えられるような悪いことしたっけ?」 とまたパニックになるだろうし、兎に角碌な事はない、、、って、 何なの?この歪んだ思考は?
夕食後も、また少しだけ数学の勉強
2010年12月12日(日)
<<知らぬが仏>>
冷蔵庫がカラっぽの日曜日。昨夜寝たのは午前4時前だったけれど、
9時過ぎに起きて支度をし、日曜日の午前中だけ開いている遠くの
スーパーに買い出しにでる。まずは近くのATMでお金を下ろし、
一路スーパーへ。リュックサックと両手に一杯の食料品類を下げて
ゲストハウスに戻り、遅めの朝食兼昼食にありつく。午後は
ゲストハウスから一歩も出ずに、洗濯と
ベルリン、エディンバラ2週間分の出張精算や家計簿の整理。
夕食後も何やかやと片付け仕事のあと、音楽を聴いたりして、静かにすごす。
さて、昨日は夜遅かったので自虐ネタを考える 暇が無かった。今日はじっくり書こう。
昨夜12月の日程をチェックしていたら、エッセン大学のセミナー とゲストハウスのクリスマス会が重なってることに気付いた。 事前に「そちらの都合を知らせてくれ」と案内が来たのだが、 それはベルリン出張とエディンバラ出張の間の1日のことで、 エッセンのセミナーのことをすっかり忘れていて、近くの教会で 開かれるクリスマスコンサートとのバッティングばかり気にしていた。 それで「その日は空いてます」と返事してしまったのだ。
エッセン大学のセミナーには、例の突撃インタービューの偉い先生も 来ており、今度行ったら覚悟を決めて「突撃」しなけらばならんのだろうな と、出撃の日が近づいたゼロ戦特攻隊員の心中もかくやという気分でいたの だ。しかしクリスマス会と重なってしまったので、「空いてるって言っておいて、 義理を欠くわけにはいかんだろうに」という口実で、「突撃インタビュー」は とりあえず年明け以降に延期。昨夜は睡眠時間は短いけれど、ぐっすり眠れた ことは言うまでもない。
あと、エディンバラからフランクフルトへの直行便には、日本から 会議に参加していた某偉い先生も乗っていた。研究集会の休憩時間に、 私と私の素性を知っている別の偉い先生が日本語で話しているところを、 その先生に目撃されている。その時は、(あれ?こいつ日本人たったのか?) みたいな顔してこちらを見てた。その彼が搭乗ゲートの入り口で私に気づいた ようだが、例によって謎の中国人のフリを押し通す。 それにしても私は何でそこまで意固地になっているのか?自分のことながら、 あまりよくわかってない。ただ、本能がそうせよと命じているのである。
思うに、謎の中国人のフリは自虐であると同時に、閉鎖的な数学者社会の 暑苦しさを回避するための生活の知恵である。たとえ日本人だとバレてても、あくまで シラを切りとおして中国人のフリをすることは正しいのである。突撃インタ ビューの偉い先生とも、エッセンのセミナーで時々見かける謎の中国人でいる 間が花。つまりは知らぬが仏で、突撃後には私を見る目が厳しくなるか、阿呆を 憐れむ目になるか、どうなるか知らないが、兎に角碌なことはない。
計算機科学者は日常生活でもあまり常識にとらわれない自由人が 多く、彼らの世界はすこぶる開放的でおおらかである。 優れた計算機科学者は、概して日常生活でも独創的で魅力的だ。 それに対して数学者は、こと研究に関してはかぎりなく自由人だが、 日常生活ではむしろ平凡な常識にとらわれてる人が多い。 それは、日常生活ではできるだけ波風を避けて、数学研究の邪魔にならな いようにしようと意識的、あるいは無意識的に考えるからなのかもしれない。 そういう人たちが集まる、しかもあまり人の出入りがない風通しの悪い世界って、 面倒くさいなあ。 だから私は、自虐や中国人のフリに走って、この世界と距離を 置こうとしているのだろうと思う。
2010年12月11日(土)
<<偽札疑惑>>
エディンバラからオスナブリュックへの移動日。
朝10時前に宿舎をチェックアウトし、釣り銭も停車バス停の
アナウンスもないローカルバスで中心街へ。このバスは何処に
行くにも1ポンド20セント(200円弱)の定額料金に固定
しているらしく、それを釣り銭を出さない理由にしているようだ。
エディンバラ13時35分発フランクフルト行のフライトは、 何故か1時間以上遅れ、フランクフルト着は1時間半遅れた。 隣のドイツ人の娘さんは、フランクフルトからデュッセルドルフ への便に乗り換える予定だが、こんなに遅れて大丈夫か?と スチュワーデスに聞いていたが、フランクフルトに着いてから ルフトハンザの職員に聞いてくれという頼りない答だった。 フランクフルトで降りてからも、到着ゲートに向かうバスの中で 若い兄ちゃんが「僕の乗り継ぎ便はたぶん出てしまった。貴方は どうですか?」と不安そうに聞いてきた。
私は最初から飛行機の乗り継ぎはせずに、鉄道でオスナブリュックに 帰る予定だったが、鉄道のチケットを買おうとしたときには 既に18時を過ぎていて、19時8分発のICEしかなかった。 それだと22時25分にオスナブリュックに着き、22時35分の バスに乗れるはず。しかし、そこはドイツであって、19時8分発の ICEが定時に発車するわけがなく、5分遅れて発車し、オスナブリュックに は15分遅れて到着し、結局23時5分のバスまで待って、 ゲストハウスに着いたのは23時半ごろ。
オスナブリュックのバスが正確に動いていたことと、 ゲストハウスの洗濯機が空いていて、すぐに洗濯ができたことは 幸いだった。洗濯やアイロン掛けが終わったのは午前2時半ごろ。 明日は午前中にスーパーに買い出しに行かないと、冷蔵庫が空っぽだ。
そういえば、エディンバラ空港でフライト待ちの間に昼食でもと思って サンドイッチを買おうとしたら、私が出した5ポンド紙幣は偽札だ から受け取れないと言われた。定員に食い下がったら、断定はできない ので、詳しくは空港の両替カウンターで見てもらってくれとのこと。 確かに現在流通している5ポンド紙幣とは大きさからして少し違う。
この5ポンド紙幣は、21年前に初めて「憧れのエディンバラ」 に出張したとき、「もう一度ここに来るチャンスがありますように」 とお守りのようにずっと持っていたものである。店員は20代の若者で、 彼らが生まれる前にお札のデザインなどが変わったことを知らないの かもしれない。フランクフルト空港に着いてからユーロに両替して、 そのときに鑑定してもらおうかとも思ったが、到着が遅れてオスナブリュック 行きの電車があるかどうか微妙だったこともあり、両替はパスして そのまま持って帰ってきた。
仮に、本当に偽札を掴まされていたのなら、かなわん話だけど、 でも21年間夢を与え続けてくれたわけだから、それはそれでいいかとも 思う。
2010年12月10日(金)
<<本家本元>>
研究集会最終日。午後一番の講演はベルリンで聞いたものと同じ
話なのでパスし、すこし長めの昼休みをとる。今日は中心街の東
端にある100メートルぐらいの丘に登ってみた。まだ雪解けの
雪や泥濘が残っていて、坂道を上ったり、丘を下ったりするのが
危険で、他の観光客も恐る恐る歩いていた。私も丘を下って帰ろ
うとするときに、芝生と泥濘に足を滑らせて尻餅をついてしまい、
ズボンやリュックサックを汚してしまった。しかし丘の上から見
るエディンバラの街は格別で、とくに中心街とは反対方向の海に
向かって広がる街の風景は絶景だった。
エディンバラの街を歩いていて面白かったのは、建物のつくり がドイツとはかなり違うことである。ドイツの民家は煉瓦を積み 上げて作り、場合によっては上から漆喰を塗る。だから壁面の キメが細かい。しかしエディンバラでは、古い建物は石造りが 基本で食パン一斤分ぐらいの石を積み上げた壁は、外側からは すこしでこぼこして見え、風雨による汚れにむらができて独特の 風合いを醸し出している。こういう石壁は、ドイツでは時々 その名残が保存されている城壁都市時代の城壁や監視塔のようなものに見 られるだけである。まあ、イギリスには高い山はないけれど、建築に使える石は 沢山とれたのでしょうね。
ドイツにしてもイギリスにしても、 地盤が安定していて地震が無い国だから、石やレンガを積み上げた だけの家が何世紀も残っているけれど、地震国日本だと完全に 建築基準法違反でしょうな。23年前にサンフランシスコに行った時は、 木造の民家をよく見掛けたけれど、あそこは地震で有名だから そういう建て方になるのでしょう。イタリアは地震国だけど、どんな 建て方をするのかしら。2002年に一度行ったけど、よく覚えていない。
イギリス国教会はカトリックやプロテスタントとはまた違った 雰囲気があるようで、それは教会の様子に現れる。大雑把に行って、 カトリックは厳かで重々しく、プロテスタントはもうすこし 軽い感じがする。イギリス国教会はさらにあっさりしていて、 私が潜入した教会のなかのひとつは、子供の頃通った古い木造の 小学校の講堂みたいな感じで、ちょっと懐かしい雰囲気だった。まあ、 自虐の果てに静かに自らと語り合うなら、カトリックの教会が 一番いいな。
あとは「あっ!英語が通じる!」とか「日本のコンビニと同じ サンドイッチが売ってる!」とか、いちいち感激していたけど、 英語とサンドイッチの本家本元に来てるんだから当たり前か。 だけど、ドイツに暮らしていてたまにイギリスに来ると、そういう ことが新鮮に思えるんだよね。ただし、店屋さんで英語で喋ってる積りが、 いつの間にかドイツ語を喋ってたということがよくあり、店の人が変 な顔してたのは、そういうことだったのかと後で気付いて「しまった!」と 思ったりする。まあいいや、オッサンというのは、そういうことはいちいち 気にしないものだし。
明日は13時半のフライトでエディンバラを発ち、16時半 ごろにフランクフルト着の予定。それから電車でオスナブリュック に帰ると22時頃になるかしら。そして夜は大急ぎで洗濯をしないといけ なくて、またぞろ洗濯機を占拠している不届き者を捜し回って どやしつけないといけないかもしれない。
さて、お待ちかねの(?)自虐ネタを手短に。研究集会が終わって、 日本からやってきた偉い先生達が去った。2,3人の先生達に素性が 知られてしまったけど、彼らの口から私の事が広がることはないだろうし (私が誰だか分かってしまった以上、もう彼らにとって私は何の興味もない 存在だから)、日本の戻って以降も中国人のフリしてりゃあいいなと 胸をなでおろす。と、しばらくして嫌なことを思い出してしまった。 ドイツの偉い先生の突撃インタビュー、どうしよう?!嗚呼。。。頭が痛い。
あと、私のエディンバラ出張と同じ期間に某研究集会に出張している B先生が、日本人参加者から私の日誌に関してつまらぬ事を聞いきて、 来週オスナブリュックに戻った時にまたややこしい事態になりはしまいか。
楽しいことが終わった後は、色々な心配ごとが噴き出してくるな。
2010年12月9日(木)
<<何でオシマイなのか>>
西ヨーロッパの寒波も緩んだようで、今日からしばらく最低気温は氷点下を脱し、
3〜4度ぐらいで推移するようである。エディンバラの道に降り積もって
いた雪も、少しずつではあるが解け始め、いくぶん歩きやすくなった。
エディンバラの良いところは沢山あって、一番に挙げたいのは トイレが無料なこと。駅やアーケード街などはドイツの真似してドイツ よりも高額な利用料の公共トイレがあるが、デパートなどのトイレは 無料だし、教会でも無料でトイレが使えることが多いようだ。
こういう風に、有料だったり無料だったり、色々あるところがよろしい。 あの、トイレの有料化を徹底的に進めたがるドイツ人気質というか、 連中の思考って、何だか空恐ろしい気がするけどなあ。
エディンバラの良くないところは、先日書いた、釣り銭も停車バス停 の案内もないローカルバス以外にもうひとつある。それは、「どこそこまで徒歩 何分」という時に、どうも鯖を読む癖があること。
私はエディンバラ大学の職員から「宿舎と会議場 までは、徒歩でほんの15分です」との案内をもらっていた。会議の 合間のコーヒーの時間は近くのカフェに移動するのだが、そのカフェも 「会場から徒歩2分!」とアナウンスされている。
しかし、実際宿舎から会場までは毎日30分ぐらいかかる。 勿論雪道の悪さもあるが、その影響が無かったとしても1500 メートル弱ぐらいの道のりだから、信号待ちなども勘愛すれば実際は 最低20分はかかるはずである。会場からカフェまでも、200メートル 弱あるので、2分というのはちょっと難しい。
こういうエディンバラ流(?)の鯖読みは皆も気になっているようで、 先日の夕食会の場所も「ここから徒歩で3分のところです!」とアナウンス してたが、すかさず誰かが「5分だろうが!?」と言い返していた。
それにしても、昔はエディンバラといえば私にとって憧れの街だったけど、 今は別にそこまでは思わない。やっぱり理論計算機科学の総本山としての令名に 惹かれていた頃は、エディンバラ大学に居ればよい研究ができるかも?と いう期待があって、そういう意味で憧れていたのだろうと思う。
さて、今日の自虐ネタ。先日私の素性を知られてしまった日本人 の偉い先生から「可換環論の高山さんだったとは、今まで気付かずにいて失礼 しました」と言われてしまい、恐縮。「いえ、私の方が一生懸命気付か れないようにしてましたので」とか「でも、素性を知られてしまった限 りには、もうオシマイです」と答えたのだが、前者は無事に受け 流されたようだが、後者は何でオシマイなのかよくわからんという風で あった。「ま、そのうち、わかりますよ」と胸の内で答えておく。
しかし専門の違うこの先生が、何故「可換環論の高山さん」を知って いるのかしら?とか、「可換環論の高山さん」が秘かに代数幾何学に転向 していると知ったら、ニコニコして私と話をする気になれるのかしらと か、そもそもそんな風に難しく考えてしまう私って、何なのかしらとか、 色々余計なことを考えてしまう。
あと、先日「逮捕」されて「ゲロを吐いて」いる時に、 そういえば高山って名前の(数学の)人は他にも居ましたよね、 という話になり、X大の高山A氏,Y大の高山B氏の名前が挙がった。 「はいはい、この3人の中で一番阿呆なのが私です。ご心配 頂かなくても分かってますから」みたいな事は、口には 出さねど胸の内で思ってなければならないことも、数学業界の 暗黙の掟だろうと私は理解している。そういうことが積み重なると、 だんだん面倒臭くなってきて、オシマイの日が近づくことに なるんだろうなと思う。
それにしても、正体を知られないうちが花で、知られたらオシマイって、 何だか「鶴の恩返し」や「借りぐらしのアリエッティー」みたい。
2010年12月8日(水)
<<エディンバラ城見学>>
人間、諦めたら終わりである。エディンバラの研究集会3日目。
今日から改めて謎の中国人モードで会場へ。2人や3人に
私の素性が知られたところで、その噂が広まるほど私は彼らにとって
重要な人間ではないので、気にせずに中国人のままでいよう、と。
昼休みは、スーパーで買ったサンドイッチを歩きながら食べて 昼食をすまし、エディンバラ城の見学。21年前にここに来たとき に、何となく面倒臭くて行かなかったことをずっと後悔して いたから。
夜は市街のレストランで懇親会。これも透明人間モードで押し切ろう と不退転の決意で臨む。懇親会と言っても、出身国 同士で固まる傾向があるから要注意。ふと気付いたら日本人テーブルに 座っていた!なんてことになりかねない。そうなると、私の素性を知る 人も同席しているわけで、中国人のフリを通すのは難しい。
何も私の素性をよく知らない人の前で、 自分からわざわざカミングアウトすることもあるまい。 ということで、日本人参加者たちの動きを注意深く みながら、結局ロシア人が10名程度、フランス人が2,3名の テーブルにすっと入り、うまい具合にフランス人とロシア人の 境界に座った。
私の右側のロシア人たちは結束が強く、アメリカなどに散っている者も 多いこともあって、時にロシア語、時に英語で自分達の世界を形成している。 それで時折ふっと左隣のフランス人と私だけがぽつりと黙って並んで座っている という状況に陥った。隣の男はフランス人のくせに私と同じく 話しかけら話すという人らしく、退屈だなあ、隣に日本人みたいな奴が話かけて くれないかなあ、みたいな素振り。私は百戦錬磨の勇士なので、 こういう状況では絶対に根負けしない自信がある。動かざること山の如く、 お前が何か言ってこない限り俺は何も言わんぞと沈黙を守り続け、 最後のデザートが終わった段階で、さくっと身支度して、そのまますっと帰ってきた。
さて、話は変わって調査報告。エディンバラの公衆トイレは、 パリやオスナブリュックの真似をした全自動のものが30ペンス、 管理人が居る地下商店街や駅のトイレは1ポンド20セント と、いずれもドイツよりも高い料金だ。しかしデパートやエディンバラ城 のトイレは無料だったし、エディンバラ場の近くにあった、少し 古めの公衆トイレは無料だった。お金を徴収するトイレはすべて比較的 新しく、ドイツの悪しき伝統の影響を受けているものと思われる。 また、店頭で客寄せのためか音楽をガンガンならす日本の野蛮な 商習慣を取り入れている店も1軒発見された。
さらに話は変わるが、偉い先生に「君は何処の大学に居るのだ?」と聞かれて Ritsですとかオスナブリュックですと答えると、決まって 「その大学には(その先生と同じ分野の人で)誰が他に(有名な数学者は) 居るか?」と聞いてくる。 それを聞いて一体どうする積りなのか知らない けれど、兎に角そういうことを聞きたがる。 たぶん頭の中で地図を広げ、あそこには誰がいて、ここには 彼がいて、世界に広がる仲間の輪!みたいなことを考えているのだろうけど、 今までは真面目に答えていたけれど、「そんな奴知らん」みたいなこと ばかり言われて面倒くさいし、これからは 「私以外は全部確率論と数理ファイナンスの人 ばかりです」みたいな出鱈目を答えようと思う。
先日の大雪がまだ残って凍りついている。エディンバラは雪よりも、 冷たい風と雨が多いらしいので、皆さんあまり雪には慣れてないようで、 道路で足を滑らせて怪我をする人が多いのか、今日は一日じゅう救急車 が走りまくっていた。
2010年12月7日(火)
<<カウントダウン>>
エディンバラの研究集会2日目。朝食のテーブルは係員が決めた
場所に座るのだが、運悪く日本人の居るテーブルに案内された。
他にも2人西洋人が居て、その日本人は最初は彼らと話していたので、
私は例によって透明人間のフリをして沈黙を通した。
そのうちその日本人が私に関心を示し始めたのが 分かったが、それでも知らん顔してたら"Are you from Japan?" と聞いてきたので、しょうがなくドイツ語で"Ja?"と答える。 この"Ja"は「ええ、そうですけど、何か?」みたいな感じを表 すために、トーストをかじりながら上目づかいに相手を見据え、 「ゃあ?」と語尾を上げ気味に発音する。 と、こちらはドイツ語のつもりだが、 相手は英語の"Ya"と誤解してくれる。
"Ja?"とだけ言って、また透明人間に戻っていたのだが、 しばらく間があって「お名前、聞いていいですか?」と来るので、 ああ、この食いさがり方はベルリンで会った某有名日本人数学者 と同じだなとか、俺の名前を聞く前にお前が名乗るのが普通だろ うがとか、そういう余計なことは考えずに、 「高山といいます」とだけ答えたら、「そうですか」 とそれ以上の追及を諦めたようだった。
今日のエディンバラは快晴で、とても気持ちが良かったが、 気温は夕方頃にはマイナス11度ぐらいに下がっていたと思う。 あちこちで一所懸命雪かき作業が行われていたが、それでも 歩道の多くの部分では雪が残っていて歩くのが大変である。
昼食に出たついでに、旧市街を見て回っていたら、午後の講演に 遅れてしまった。地図の上では交差して繋がっているように見えた道路が、 実は30メートルぐらいの高架を通っていて、そこにたどりつくには かなり遠回りして長い階段のある小道を通らねばならない、みたいな ことが何度もあったからである。
会場に着いたときには既に講演が始まってたので、流石に 講演者の目の前を通らねばならない前の扉から 入るわけにもいくまいと思って、「後ろのドアから入れないか」と事務の 人に聞いてみたが、不可能だという。後ろの扉は中からは出られるが、 外からは入れない仕組みになっていた。スコットランド人も 妙な仕掛けをつくるものだと思ったが、仕方がない。また街を一回りして、 この講演の後のコーヒーの時間から合流する。
コーヒー休憩は会場の近くのカフェで行われたが、そこの隅の2人掛けの テーブルで一人コーヒーを飲んでいたら、中国系アメリカ人の偉い先生 が「ここ空いてるか?」と私の前に座った。それで向こうから自己紹介して きて、世間話になった。
夕方、今日の講演が全て終わり、ワインレセプション。まあ、今日から 参加する人も少なくないので、2日つづけてレセプションをするのだろう。 まったく至れり尽くせりで、とても気合いが入った研究集会である。 あのTOKIOの松岡くんが、ここまで頑張るとは思わなかった、と 胸のうちで拍手する。
まあ、それはいいんだけど、ワインレセプションも別に誰と話すわけでも ないので、透明人間モードでノートPCを開いてメールのチェックなどをし、 さてそろそろ退散するかと立ちあがったところで「御用」となった。
昨日のワインレセプションで、「足元が冷えますね」と声を掛けてきた 日本人の某偉い数学者が近寄ってきて、まあ、要するに、お前、何者だ? と直球勝負を挑まれたのである。当初のシナリオ通り「私は名も無い座敷童 です」と意味のわからないことを口走って脱兎のごとく逃げ去ろうかと思ったが、 どうもずっと目をつけられてたみたいだし、今後も色々なところで顔を 会わしそうな先生だから、瞬間芸的誤魔化しは通用しそうにない。 そこで、無駄な抵抗はやめようと観念し、 全て素性を白状した。
その偉い先生に捕まっている間に、別の偉い先生もやってきて、 その先生にも素性がバレてしまった。彼らはずっと、こいつは何者だろう? と気になっていたようで、昼のコーヒーの時間に私が中国系アメリカ人の偉い先生 と世間話をしているので、「中国人かと思ってました」と。昨日「足が冷えますね」 と話しかけてきた先生も、その反応をみて日本人かどうか確かめようとしたの だろうが、「ええ、そうですね」と片言の日本語でしか返事しないし、 日本人が10数名も来ているのに全く近づこうともしないから、 日本語がすこしわかる中国人かしらと思っていたのかもしれない。
謎の中国人のフリをする作戦は、今日のコーヒーの時間までは 上手く行っていたわけだ。昨日の夕食で話をした日本人や今朝の朝食時に 名前を聞いてきた日本人もいるけれど、彼らにとって私は特に重要でも興味 深くもない人間のはずなので、他の人との会話で私のことが話題にのぼることは 無いだろうと踏んでいた。しかし、結果的に謎の中国人作戦は失敗に終わった のである。
ま、素性が知られてしまったからには、もうこの業界ではやっていけな いな。日本で研究集会やゼミナーに参加するときは、紙袋を被るか、 マイケルジャクソンのお面でもつけて行かないと駄目だな。 「あいつは俺が誰だか知ってるし、俺のこと馬鹿だと思ってるんだろうな」 みたいな事を考えながら数学やってても楽しくないしね。
私は基本的には他人の 目は全く気にならない、というか、奴はこう思ってるんだろうけど、まあ、 思わせておけばいいじゃないのと考えるけど、数学者に対してだけは別ね。 馬鹿が回りの数学者の監視網に無頓着にやっているとどんな目に会うか、 学生時代にしっかり叩きこまれているし。だから、いよいよ数学者 稼業を廃業して絵描きに戻る日に向けて、カウントダウンが始まったのかな という気がするな。
しかし、その一方で、この機会だからと、その偉い先生 に日頃から質問してみたかったことを聞いてみたところ、とてもよい話が聞けた。 その話をもとに、もう少しだけ数学を続けてもいいかなという気に もなったので、少し長めのカウントダウンになるかもしれないけどね。
2010年12月6日(月)
<<あれで駄目じゃないのか?>>
エディンバラの研究集会1日目。宿舎から会場までは徒歩15分なんだそうだが、
降りしきる雪の中、雪道に足をとられないように慎重に一歩一歩踏みしめながら
歩いていったので、30分程度かかってしまった。
レジストレーションのところでは、皆が再会の挨拶を交わしていて、 「ははあ、数学者にも人情ね」と思って見ていたのだが、 そのうちTOKIOの松岡くんみたいなのがやってきて、"Did you meet?"と 聞いてきた。変なことを聞いてくる奴だな。もしかしたら、 「どこかでお会いしましたっけ?」ということで、 "Did we meet?"か"Did you meet me?"と言ったのかもしれない。兎に角、 俺サマは過去に誰にも会ってないし、会ったとしても話したことはない はずだし、大体、「ハーイ!どこかでお会いしましたっけ?」みたいな ことを普通聞くかよ?と思って、"No"と答えたら、 はあ、そうですかって感じでちょっと握手して終わった。 後で分かったのだが、その人はこの研究集会の運営委員長だった。 色々気を遣ってたのね。
会場を見回したら、先週のベルリンの研究集会にも来ていた 人が私を除いて4人居た。うち3人はロシア人。いや、最近は 「ロシアから来たのか?」と聞くと、「まあ、、、ほんとは ウクライナだけどね」みたいにちょっと不満そうな顔をされたり するが、まあ、そんなことはよしとしよう。
今日だけらしいけど、バイキング方式の昼食が出た。21年前に ロンドンに行った時の印象では、イギリスの料理は肉でも魚でも 野菜でも水でとことん煮てスープも全部捨ててしまい、出し殻の ようなものに塩か酢か、それとも何の味もついていない薄オレンジ色の ソースをかけて食べるものという感じだった。しかし今日の昼食は ほどよい薄味がついていた。まあ、料理に関して スコットランドはロンドンより マシということは、昔から知っていたが。
夕方、会議が終わったら、ワインレセプションがあった。 それから会議の参加者の約半数の希望者が、採食主義インド料理 店で開かれた夕食会に出掛けた。夕食会の代金だけはそれぞれが支払ったが、 アレンジなどは全て主催者側が行っており、ずいぶんしっかりした 研究集会で偉いなと思う。
ワインレセプションの時に、運営事務局長みたいな人に、 「碌でもないローカルバス」の件について、エディンバラの 人はあれで満足しているのか?と聞いてみた。答えは、 路線が充実しており、ロンドンに行くにも低料金だし、皆満足 しているとのこと。エディンバラは初めて訪れる人も多いので、 運転手は通常行き先のバス停に近づいたら教えてくれるものだ とも言っていた。ということは、昨日の運転手は特別悪い奴 だったことになる。
いずれにせよ、「あれで、駄目じゃないのかよ?」とちょっと驚く。 「欲しがりません、勝つまでは」みたいな話だな。 まさかとは思うが、あのバス会社は実はこの地域を仕切って いるマフィアが運営していて、地元の人間としては迂闊に悪口を言おうものなら、 どんな目に会うか知れたものではないから、他所者の居る前では 良いことしか言わないのかしら?しかしこの仮説には色々無理がある。
昔、計算機屋の頃に行ったロンドンの飯があまりに不味いので、 当時勤めていた研究所に来ていたイギリス人に「お前ら、あれで満足してるのかよ?」 と聞いたことがある。答えは一様に「べつにぃ」という感じだった。 どうもイギリス人(特にイングランド人?)は飯の上手い不味いを ゴタゴタ言うのは下品だと考えるところがあるようで、それが イギリス料理の不味さを生んでいるような気がする。では、 イギリス人は公共サービスの質を云々するのは下品だとも考えて いるのかも知れず、それがあのようなバス会社を温存する結果に なっているのかもしれない。これが現在もっとも有力と思われる仮説である。
さて、お約束の自虐ネタ。どうも日本の某偉い先生に 顔を覚えられているのか、ワインレセプションの時に ふと目が会って「足元が冷えますね」と声を掛けられて しまった。勿論「ええ、そうですね」としか答えなかっ たけど。
しかし普通、数学者、とくに日本の数学者は、いくら 「あれ?日本でよく見掛ける奴が、こんな所にも居るぞ」と 思っても、どこの馬の骨かわからん野郎、あるいは既に 素性は知っているけど、わざわざアホに声を掛けるような 真似は決してしないものである。ということは、この偉い先生は 実は数学者ではなかったりして(そんなことはない、、、か)。
夕食会の時に、日本の別の偉い先生と向かい会わせの 席になって、この先生とは色々話した。 実はこの研究集会のことは、日本に居るときに この先生に教えてもらったのだ。
私も1、2年に1度ぐらいは、何かのはずみで日本の数学者と 雑談をするとがある(ただし、ここには学生時代の友人Y君は 含めていない)。私から切り出す話のネタは、だいたい私が日頃疑問 に思っている数学者社会の習慣についての質問。
今日の会話に限らないが、他の数学者と「数学の話をする」 とは一体どういうことか?プレプリントサーバーに登校する前の論文を 誰かに送るのはどういう意図があってのことか?本や論文 を読んでいて分からない部分が出てきたら、誰に聞くのか? まっとうに大学院を出た人は、指導教官からどのような教育 を受けるものなのか?あるいは院生仲間たちとどういうやりとり をしながら学生生活を送るのか?私は、数学者の前で2回ボケ をかますと途端に態度が冷たくなると信じているが、それは正しいか? そもそもサバティカルやフェローシップでどこかの大学に滞在する 場合、受け入れ教授とは数学的にどういう付き合いをするのが普通なのか?、 といったことを聞く。
多くの場合、私が日頃この日誌で書いているような自虐ネタは、 いくぶん考え過ぎや誇張はあるものの、おおむね的を得ている というというのが、彼らとの会話から得る感触である。今日もまあ、 そんな感じだったと言えよう。もっとも彼ら自身は優秀な人ばかりで、 私が思っているようなことはそんなに真剣には心配してないようである。
2010年12月5日(日)
<<駄目なのはローカルバスだけ>>
エディンバラへの移動日。ミュンスター・オスナブリュック空港10時半の
便に乗るには、8時頃のシャトルバスで十分である。9時ごろだと悪天候
や交通事故などによる渋滞などの場合に危うい。7時頃だと早すぎる。
ところが日曜日は7時前と9時前のバスしかないので、仕方なく5時半起き
して7時前のバスに乗る。オスナブリュックは雪で、道路にも雪が積もっていたが、
驚くべきことにシャトルバスは定刻にやってきて、定刻に空港に到着した。
まあ、その後は空港で3時間暇を持て余したり、雪で離陸が20分遅れたり、 フランクフルトの乗り継ぎが思ったより楽で、ブリュッセルの乗り継ぎがちょっと しんどかったことを除き、まあ、何とか無事に半時間遅れぐらいの16時過ぎに エディンバラ空港に到着。ユーロをポンドに両替して、シャトルバスの切符を買って 乗り込み、街の中心部に到着して、そこから数分歩いてローカルバスのバス停 にたどり着くまでは順調であった。シャトルバスは快適だったし、日曜日には ほとんどすべての店舗が閉まってしまうドイツと違って、エディンバラの街は 日曜日の夜でも賑わっていた。
駄目なのはそれから。バス料金は1.2ポンドだという。私は小銭が無く 1.5ポンドしか持ってなかった。運転手がとにかくこの箱に料金 を入れよというので、そうしたら1.2ポンドの領収書だけくれる。 「釣りは出ないのか?」と聞いたら「出ないよ」だと。 「それじゃあ、泥棒と同じじゃないか?」と言おうとしたが、悲しいかな 日頃日本語で日誌を書き、ドイツ語で独り言を言うだけの生活なので、 英語で泥棒ってなんて言うんだっけ?ドイツ語だとDiebなんだけどなあ(正解:thief) みたいな事を思ってるうちにチャンスを逃す。 0.3ポンドは日本円で50円ぐらいだが、 やっぱり悔しい。しかも、バスは次の停車場をアナウンスもしないし、電光掲示版にも「次、とまります」しか表示されない。
ドイツのバスはお釣りは出るし、次のバス停の案内は電光掲示板に出て車内放送 もされる。私の故郷の地元の人しか乗らないローカルバスでも、ちゃんと次の バス停をアナウンスするし両替機もある。同じぐらいのバス料金であることを考えると、これはかなりひどいバスであると言わざるをえない。
しかし、乗客は親切で「そのバス停なら近づいたときに私が教えてあげま しょう」と言いてくれる人がいて、助かった。ついでにその人たちにお釣りの ことを聞いたら、「釣り銭泥棒」はこの運転手の個人的資質の問題ではなく、 バス会社の組織ぐるみの暴挙らしいとわかった。後で宿舎においてあった案内書 にも、このローカルバスはこの地域の独占企業らしく、釣り線も両替も一切ない 碌でもないバスであることが明記されていた。勿論、「碌でもない」とはっきりと は書いてないけどね。
まあ、エディンバラの人たちが暴動も起こさずにこんな質の悪いバス会社を 許容しているのだから、他所者の私の出る幕ではないな。まあ、いい社会勉強に はなったし、親切な人には出会えたし、日誌のネタにも困らないし、これで よしとしておこう。
親切な乗客のお陰で、宿舎の近くのバス停で降りることができたのだが、 それから先がわからない。あたりはもうすっかり暗くなって、雪はやんだものの、 雪道で足元も悪い。しかも繁華街を外れてちょっとさびしい場所。 結局、Masson Houseとかいう所がどこだかわからない。大体ヨーロッパ便の 飛行機は暗くなってからしか現地に到着しないと相場が決まってるし、 空港から10数キロ離れた宿泊地近くに行くと、雪が降ってて、辺りが暗く、 初めての街なら必ず道に迷って途方に暮れる。
しょうがないので携帯電話でMasson Houseに電話し、目の前にこんな名前のビルがあるが、そこからどう行けば良いか尋ねる。まあ、昨日頑張ってVodafoneの店でチャージしておいて正解だった。
電話の問合せに対しては、親切になんやかんや説明してくれるのはいいのだけど、 右に行って左に行って、なんとかの建物のところをどうしてこうしてと結構複雑な ことを、スコットランド訛りかなんかよくわからない、ものすごい早口の英語で 延々とまくしたててくる。そんなの、初めてここに来て状況のわからない人間に あれこれまくしたてたら、例え日本語で言われてもでもわからないものだ。 後で振り返ってみるに、どうもこれはこちらの学生の喋り方のような気がする。
よっぽど「黙れ!アホ!」と日本語でどやしつけてやろうかと思ったけど、 「ちょっと待った。そんなん、ようわかりまへんがな。兎に角こっちの方向 ね。いっぺんトライしてみますわ。またわからなくなったら電話しますのでよろしく!」と言って電話を切り、少し歩いてみたら、すぐ目の前にMasson Houseのある 敷地があった。 <>あとで思うに、電話の相手は敷地の中に入ってからのことを 延々と喋っていたようだ。敷地内に入ってからも、案内図があるでもなく、 あっちの建物で人に聞き、こっちの通りで途方に暮れているところを 「どうかしましたか?」と親切な人に助けられたりして、 なんとか19時前頃にMasson Houseにたどりつく。
フロント(Reception)の学生バイトみたいな男前の兄ちゃんは、電話の人 とは違ったけれど、いきなり「予約はあるか?」みたいなボケをかましてく るし(こんな所、予約なしで誰が来るかいな?)、インターネットの使い方を 早口英語でぱらぱらまくしたてるしで、少々閉口した。インターネットは 他の所と違ってちょっと複雑なシステムになっていて、実際に使ってみて初 めてどういう仕掛けかわかり、彼の口走ってたことの意味がわかったが。 しかしまあ、エディンバラ大学が手配してくれたMasson Houseは今のところ 快適である。
以上、こちらのローカルバスは最悪で、学生は人生を生き急ぐかのように 早口でまくしたてる、という話で今日はおしまい。お約束(?)の自虐ネタは、 研究集会の始まる明日から再開するかも?
2010年12月4日(土)
<<地球大の巨大スピーカー>>
ベルリン出張の疲れを取るために、今朝はゆっくりめに起きる。明日のフライトの確認などをしてから、昼食もかねて旧市街に出る。12月の土曜日の午後は沢山の人出でにぎわっていて、プリペイド携帯電話のチャージをしようと思って立ち寄ったVodafoneの店も、てんてこ舞いの状態。いくら待ってもタライ回しにされたりして、埒があかない。
ドイツでは駅の有料トイレの自動料金徴収マシンみたいなものの開発は熱心に 行われていて、ハノーファーの駅にあったのは、1ユーロの料金に対してその半分 の50セントの金券を発券する機能がついていた。どうせそんな金券なんて ハノーファーの駅の限られたところしか使えないのだし、いっそのこと50セント にしてくれれば簡単で、利用者としても嬉しいのに、変なところに妙な知恵を 絞っている。その一方で、銀行や電話の相談窓口など、人が出鱈目に並んで混乱し ているのを何とかするために、番号札発行マシンを設置しようという方向には知恵が 回らないらしく、今日の電話の店も出鱈目なことをしていた。
ドイツ人は関西人と同じで、ちゃんと順番にならぶようなことはせず、次は誰だ?あ、あんたじゃない?いや、オレだ!みたいなことをやっている。人が多くなってく ると、だんだん訳がわからなくなってきて、妙な屁理屈をつけて順番をぬかそうとす るオジサン(こういうことをするのは必ずオジサンに決まっている)が現れたり、 俺はさっきからずっと待ってるのに何だよう!?と吠える人も現れて、回りの人 たちが「あ、爆発してら Explosion!」とか言ってニヤニヤしてたりする。
そんなことでニヤニヤしてたり、1ユーロ巻き上げておいて50セントの金券 を発行するような碌でもない機械を開発する暇があったら、あの出鱈目な待ち行列 をなんとかすべく知恵を絞ったらどうだい。ちょっとの工夫でうんと状況は 良くなるはずだぜ。例えば、商店街にスピーカーを設置して音楽を流し、静かな町 を台無しにするといった、日本の野蛮な商業文化の真似するぐらいなら、 番号札発行機でも取り入れたらどうだい。
やっぱりこいつらは地球大の巨大スピーカで、「お前ら、まだそんな事しか 考えられないのか!?」と頭の上からどやしつけてやらないといけない。
まあ、携帯電話のチャージ以外にも銀行でお金を下ろしたり買い物をしたりと色々 することがあったので、電話は後回し。結局別のVodafoneの店の前を通った時にたまたま空いていたので、そこでさくさくっとチャージしてもらえた。
ひととおり用事が済んだので、教会を2軒はしごして、短時間ではあるが 「自らと静かに語り合う」。教会前広場はクリスマス市でごった返していて、 そこで子供達がパンにレバーヴルストを塗ったものを売って募金を募っていた。 私はオジサンだから疑り深く、商品を裸のまま盆のようなものに乗せて クリスマス市の雑踏の中を持ち歩いているようなことで、衛生管理は大丈夫 なのかとか、一体どういう団体が何のために子供を使って募金しているのか? 子供を使った一種の詐欺でないという保証はあるのか?といったことを 考えてしまう。しかし、しばらく見ていると、ドイツのオジサンが君たち 偉いねえ!みたいな感じで募金をし、そのパンを買っていた。あの手の人の好 さって、日本のオジサンにもあるとは思い難いけど、どうなのかしら。
夕方頃ゲストハウスに戻り、明日からのエディンバラ出張の準備。 フライト状況も詳しくチェック。今日はいくつかの便が、おそらくは寒波に伴う 大雪のために欠航になったようだが、明日は何とか大丈夫なようだ。
あっ、そうそう、今日はまだ自虐ネタを出してなかった。エディンバラの 研究集会では、日本人が10名ぐらい参加するようで、大体全体の15%ぐらいを 占めている。さて、この状況で私は謎の中国人のフリをやりとおせるか?ベルリン では私と有名数学者の二人だけで、アジア系は他に韓国人が3人いただけだから、 いくら気配を殺していても目をつけられてしまい、最終日の解散直前に 「捕まって」しまった。では、エディンバラではどういう展開になるか? これは全く予想がつかないが、日本人が多いだけにかえって座敷童がやりやすいと 踏んでいる。
しかし、仮にベルリンの時みたいに「お前(日本の研究集会でも顔を見た覚えがあるし、エディンバラくんだりにも現れたし)、一体何者だ?」と 尋問されたらどうしよう?「私の口からは何も申し上げられません。弁護士の先生を 通してお問い合わせ下さい」とか、わけのわからない事を言って逃げようかしら。
まあ、基本は「ええ、そうですけど。何か?」で押し通すんことだな。彼らが私 に声を掛けるとすれば、それは自分達の研究に影響を与えそうな奴かどうかを見極め るためだが、そんな碌でもない理由でいちいち私に話しかけてくるなっちゅうに! 「ええ、そうですけど。何か?」とちゃんとした答を拒むのは、 「大丈夫、余計な心配しなくても貴方達には何の影響も与えないから、私をそっと しておいて」というメッセージでもあるのだ。
明日からエディンバラ出張。11日の夜にオスナブリュックに戻る予定。 その間の更新があるかどうかは不明。エディンバラ自虐日誌が書けるかどうかは、 ひとえにホテルのネット環境次第。
2010年12月3日(金)
<<ええ、そうですけど。何か?>>
研究集会最終日。ホテルをチェックアウトし、重い荷物を持って雪道を注意深く
歩みながら、会場に向かう。昼過ぎまで3つの講演があり、その後で全員で集合
写真を撮って解散、皆さん、仲間うちらしく、別れを惜しみながら次の再会
を誓い合っていた。こういう光景を見ると、数学者社会にも人情というものが
あるんだなあと思うが、ま、どのみち私には関係のない世界である。
それにしても、招待講演を行うような偉い人は、 研究集会の休憩時間などでもモテモテかと思いきや、そういう人もいるけれど、 私と同じように静かに漂っているだけの人もちらほら見掛ける。この違いがどこか ら生じるのかは、不明である。
さて私は気配を殺して静かに退散しようかと思っていたのだが、 集合写真を撮影する直前に、とうとう某日本人有名数学者に捕まってしまった。 やっぱり、あの訝るような視線は何か腹に一物持ってるなというのは、 私の思いすごしではなかったわけだ。
有名数学者:「あのう、日本から来られた方ですか?」
思わず日本語で「違います!私のことなんか、ほっといてください」 と言いそうになり、それは流石に変なので、"Wie bitte?"とドイツ語 で答えて中国系ドイツ人のフリでもしようかとも思ったが、 それでは話が益々ややこしくなりそうだ。それで、とうとう観念した。
私:「ええ、そうです」(と日本語で)
まあ、普通はその後、自分の名前や所属を言って自己紹介みたいな ことをするわけで、有名数学者氏もそれを待っているような様子。でも、 失礼を承知で「ええ、そうですけど。何か?」みたいな顔をして受け流す。 さらに名前などを聞かれたら、「いえ、私に名前などないんです。山姥に 取られてしまいました」みたいな、わけのわからない事を言って逃げよう と内心決心する。
有名数学者:「今、ドイツに滞在されてるんですか?」
え?何でそんなこと分かるのかしら? 私、ちゃんと気配を殺してましたよね。 懇親会の時の韓国ルートで情報が漏れたのかしら?
私:「ええ、そうです」
普通、ここまでくれば、Ritsでサバティカルが取れて 来年3月末までオスナブリュックに居ますとか、そういうことを答えるもので、 すると向こうも、そうですかオスナブリュックはいい所ですか? 僕もこないだまで××に滞在してました、××は行かれたこと がありますか?いや、Sバーンで通ったことはありますけど。 みたいな世間話に発展するのだが。またしても、 「ええ、そうですけど。何か?」みたいな顔してやりすごす。
有名数学者:「代数幾何やってられるんですか?」
うーむ、まだまだ追及が続きますねえ。数学者からこんなに私自身の ことを質問されたるのは初めてだな。数学者というのは普通、彼らから 見て数学的に存在しない人間は眼中に入らないはずだけど。その意味では この人、実は数学者じゃなかったりして?!
あるいは、代数幾何やってる日本人なら、大学院生ぐらいの新人は別として、 全部知ってるけど、お前みたいなオッサンは知らんぞということか。 しかし、それは全く正しい!知られないようにこっそりやってるんだからね。
私:「ええ、まあ、最近ちょっとやってるんですけど」
ね、私って正直な人間でしょ?「最近ちょっとやってるん」だよね。
有名数学者:「わかりました」
やれやれ、やっと私のことを見限ってくれましたか。 嫌な感じの奴だと気を悪くされたかも知れないけど、 私のことなどさっさと忘れて、さらなる研究に励んでいただきたいものだ。 英語で"Please do not take it personally."とか言うそうだけど、 個人的好き嫌いでそうしてるわけじゃなくて、私は数学者に対しては 誰にでも大抵こんな調子だから、悪く思わないでください、と微妙な 自虐ネタをぶちかましておこう。
研究集会の解散後、また重い荷物を持って雪道をSバーンの駅までとぼとぼ 歩き、ベルリン中央駅から高速鉄道ICEとICを乗り継いでオスナブリュックへ。 雪のためか、乗り継ぎのハノーファーで45分電車が遅れた。ちょうど良いとばかりに、トイレと簡単な夕食を済ませ、駅前でやっていたクリスマス市をさっと見学。 ベルリン東駅ではトイレが50セント、ベルリンのフリードリッヒ通り駅と ハノーファー中央駅では、あの高飛車ケルン中央駅並に1ユーロ。 お前ら、まだこんなことをしてるのか?!って、 ドイツの上空から地球大の巨大マイクロフォンで怒鳴りつけてやりたいものだ。
19時頃にゲストハウスに戻り、冷蔵庫に残っている物や缶詰、日本から持って きた非常食の五目御飯、ビールなどで、夕食の締めを行う。それから大量の洗濯。 しかし洗濯機が空いてない。 洗濯が終わってからも2時間以上放置している人がいるので、今日は ゲストハウスを個別に当たって当事者捜し。中で電話を掛けてる声がして、奥で 別の家族の声もする部屋があったが、 ノックをしても、ちょっとドアと開けて「あっ、怪しい奴が来た」 とばかりにまたドアを閉めて知らん顔を決め込み、そのまま電話を かけ続けている。2、3度ノックしてみても、無視を決め込んでいる。
電話を中断するなり、奥の家族に取次を頼むなりして、何の用件かぐらい は聞いても良さそうなのに、知らん顔しているとはけしからん。 こちらは穏やかに話をしようと思って来てるのに、何事か。 今度はドアを思いっきりノックして、「おたくは洗濯機を使っているか?」 と叫んでみると「はい」という声が聞こえて、ようやくドアが開いた。 「洗濯機は2時間前から止まっている。洗濯機が空くのを多くの人が待ってるん だ!」と半分キレ気味にどやしつけたら、オーケー!オーケー!とびっくりした顔 をしながらも、ちゃんと空けてくれた。ああ、ここが逆切れニッポンじゃなくて良 かった。西洋人のこういう所は、好きだな。
2010年12月2日(木)
<<ベルリンは大雪>>
朝起きたら、辺りは雪景色だった。ホテルを出て、雪道で足を滑らさないよう、
おぼつかない足どりで研究集会会場に向かう。気温は昨日とあまり変わりないが、
雪が積って風がないと案外寒くないもので、昨日のような凍りつくような感じはない。
昼食は今日もベルリン自由大学のメンザ。オスナブリュック大学のメンザでは、 フライドポテトだけの昼食をとっている人が少なくないが、今日、少し念入りに 偵察飛行して見て回ったけれど、ベルリンではそういう事例は発見できなかった。 その原因は不明だが、メンザのメニューが少ない場合、偏食気味の人が「今日の メニューはどれも気に入らないからフライドポテトだけでいいや」ってことになる かも知れない。ベルリン自由大学は学生数が多いせいか、メンザのメニューも格段 に多く、偏食気味の人がフライドポテトなど特定のメニューに集中しないのかも しれない。
夜はホテルの近辺にある4軒のレストランのうちの最後の1軒に入る。 料理も塩辛くなくて美味しく、ベルリーナ・ピルスナというビールも美味しかった。
研究集会も残すところ明日の昼過ぎまでで、楽しかったベルリン出張も 終わりである。あまり馴染みの無い分野であったが、毎日講演を聞いているうちに、 何となく雰囲気ぐらいは分かってきて、おおいに勉強になった。
さらには、この方面でどんな人が活躍していて、どういう人脈になっている のか、何故、彼や彼女が招待講演者として招かれたのかといったことも分 かってきた。これだけでも十分「偵察飛行」の意味があったと言えよう。 また、講演者が画期的成果の証明を説明し終わる前に、講演を聞いていた人が、 それよりももっと簡明な証明を講演その場でコメントするといった場面も 何度かあり、「何だか凄いものを見てしまった気分」である。これに限らず、 概して質疑応答は活発で鋭い。
もとはと言えば、ロンドンの研究集会のウインタースクールを考えていたの だが、「お前は阿呆だから来るな」と蹴られ、その代わりとして大急ぎで捜した 研究集会だが、十分役に立った。数学業界の研究集会は、阿呆は邪魔だからと閉 め出すもの多いいっぽう、広い心で阿呆をも受け入れるものも少なくない。 後者のような研究集会がある限り、私にも勉強のチャンスがあるのだ。 と、今日の自虐ネタをぶちかましておく。
2010年12月1日(水)
<<西洋文化の伝統>>
今日の講演は13時半に終わったので、ホテルのある方とは
逆方向の繁華街に向かう。気温はマイナス8度を下回っているので、
少し歩くだけでも顔が凍りついてくる。昨日の「鳩バスツアー」の時に
車内から目をつけていた、パン屋がやっているカフェで簡単に昼食。
それからSバーンに乗って中心街に繰り出す。
さすがにこの寒さでは街を歩きまわるわけにもいかず、電車に乗って駅の近くの めぼしい所に行き、ちょっと見ては、また電車に乗ってというような感じで ベルリン見学。ブランデンブルク門、ベルリンの壁の落書き美術館、 テレビ塔とその近くのクリスマス市をちょちょっと見ただけで既に夕方。 16時を過ぎれば薄暗いし、17時になったらもう真っ暗。
まだ宵の口ではあるけど、寒いし暗いし、それに何処をみても 「トイレが有料で矢鱈に寒い東京」みたいな感じがしてそれほど驚かないし、 ということで早目に退散。18時頃にはベルリン郊外にあるホテルに 戻り、一休みしてから近くのレストランで夕食。このあたりにある4軒の レストランのうち少なくとも2軒はイタリアンである。オスナブリュックでも イタリア料理店が多いし、繁盛している。でも、折角ドイツに来てるんだから、 私としてはドイツっぽいレストランの方がいいんだけど。
ところで、どこの国際研究集会に行っても、癖のある筆記体の細かい文字 で板書を書く西洋人数学者が目につく。しかも、講演を聞く側の西洋人は、 それをあまり苦に思っていないようなふしがあり、「他人のふり見て、我が ふり直す」ということは無い。これはむしろ、 社交と称し騒々しい場所で会話の バトルを楽しむことと並ぶ、西洋文化の悪しき伝統であろうと思う。、
つまり、これだけ沢山の西洋人数学者が細かい字の板書をするということは、彼らが学生に講義する時もやはり細かい字でごにょごにょと書いているはずである。これによって学生達は1cm四方のくちゃくちゃの文字を遠くの席からでもたちどころに解読する能力を身につけ、その中のエリートがまた大学の先生になって細かい字でごにょごにょと板書しているのであろう。
西洋と言っても、アメリカ合衆国は例外のような気がする。私が知る範囲では、アメリカ系の数学者は板書の字が大きくて読みやすいことが多い。おそらくアメリカ合衆国の大学は、色々な学生が集まり、学生による授業評価などが厳しく行わているようなので、細かい字しか書けない数学者は、よほど優秀で研究だけやっていれば良いポジションについたりしない限り、淘汰されていくのではないかしら。
昔、工学部の応用数学系の偉い先生が、「数学者ってのは、概して講義が下手だ」と言っていた。話の内容というより、学生が読めるかどうかなどお構いなしの細かい字を黒板に書き殴し、黒板とぼそぼそ対話しながら講義している数学者を見て、そう思ったようである。工学部では「内容はともかくとして、兎に角形式だけはちゃんと整えろ」ということを強調する傾向があり、内容がしっかり練られていれば、形は二の次だと考える数学業界とずいぶん考え方が違うなと思ったものである。
日本の中学や高校の数学の先生は、概して板書が大きく字も綺麗である。 日本の数学者も、教育実習で中学や高校の先生に板書の書き方を指導される ためか、概して板書は読みやすい(ただし、私は字は小さくはないが、汚い)。
ヨーロッパの中、高校の数学の先生はどうかしら。案外1cm四方の 小さな文字をごにょごにょ板書して、遠くの席から読む練習を生徒に させているかもしれないな。だとすれば、子供の頃から鍛えられている やつらに、我々が太刀打ちできるわけがない。