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邪
魔
な
広
告
よ け ス ペ ー ス で す。
2010年12月31日(金)
<<カロリー爆弾>>
10時起床。今日はスーパーが14時までしかやってないので、
簡単に朝食を済ませてから、昨日までに買い忘れたものを
調達すべく近所のスーパーへ。クリスマスのお菓子はシュトーレンと
決まっているが、どうやらジルベスター(大晦日)のお菓子は
Zuckerberliner(ジャムなどを入れたベルリン風揚げパン)が
定番らしく、スーパーに入っているパン屋なども一斉に同じものを
売っている。どう見てもカロリー爆弾(Kaloriebomben)としか思えないが、
調査研究の一環としてぜひ一度は食べてみないとと思い、
Leisiefferの店頭にある4種類全てを1個ずつ購入。
Leisiefferのパン菓子売り場で並んでいると、ドイツ名物割込みオヤジ が現れた。連中のやり方はいつも同じである。つまり、並んでいる人たち の方を一切見ないで、カウンターで一瞬手が空いていそうな店員に 直接用件を話しかける。ぼんやりした店員だと、その手にまんまとひっかかり、 割込オヤジの思う壺となる。電話会社のお客様窓口などは、割込オヤジたち が日々跳梁跋扈しているが、Leisiefferの店員は流石によく教育されていて、 割込オヤジを上手に制して私の要件を先に聞いてくれた。
私の用件が済んだ頃、オヤジは私に話しかけてきて、中国から来たのかとか、 こういう菓子パンで新年を迎えるのは初めてかとか、日本でも新年を祝うのかと か、ホームシック(Heimweh)にならないのかとか聞いてきた。 割込オヤジは彼らなりに追い抜かそうとした人を意識しているようだ。 「何や?このオヤジは」と 思ったが、(私は日本人数学者の前では中国人のフリをしているが実は) 日本から来た、Zuckerberlinerを買うのは初めてだ、日本でも当然大晦日や正月は 祝日だ、ホームシックはほとんど感じないと答えておいた。
一旦ゲストハウスに戻り、カロリー爆弾で簡単に昼食を済ませ、 おせち料理がわりのレンズ豆の煮込みを作り、しばし数学。 14時頃にふたたび偵察飛行に出て、聖マリエン教会、大聖堂教会、聖ヨハン教会、 聖カテリネン教会、オスナブリュック中央駅を偵察。中央駅のパン屋兼カフェは、 クリスマスの時に"Wir sind Weihnachten fuer Sie da!"と宣言して私を感動させたが、 今日は"Wir sind Silvester fuer Sie da!(大晦日も営業します!)"とあり、 再び私を感動させた。大晦日だけでなく、正月の1日2日も、ちゃんと営業するらしい。エラい!
再びゲストハウスに戻り、レンズ豆の煮込みとカロリー爆弾での夕食を挟み、 しばし数学。19時半過ぎにまたゲストハウスを出て、20時10分からの 聖カタリネン教会のオルガンコンサートを聴きに行く。入場無料だが、やはり 帰りに出口のところで寄付(Spende)を求められた。別に払わなくてもいいのだが、 いい演奏を聴かせてもらったし、只というのも悪いと思い少し寄付。
実はプログラムを見ると、この教会のパイプオルガンが50周年を迎えてそろそろ 買い替えなければならず、そのための寄付を求めているというようなことが書いてあ った。確かにマリエン教会のオルガンに比べて、低音部の音が割れていたり、 高音部の音がくぐもって聞こえたりしてたから、だいぶガタが来てるのかもしれない。 まあ、そういうこともあって、少しでもお役に立てればと思い、少し寄付したのだ。
コンサートは1時間ぐらいで終わったので、またゲストハウスに戻り 態勢を整えてて一息いれてから、再びマリエン教会へ。22時30分より オルガンコンサート。やっぱりこちらのオルガンの方が音がいい。
コンサートは11時40分ぐらいに終了し、何故かパンとワインが振る舞われた ので、少しいただく。そうこうしているうちに皆が外にぞろぞろ移動し始めたので、 何かと思えば、午前零時の花火の時間だ。
昼間にネットで少し調べたら、ドイツの一部の地方だったから別の国だったか、 病院、老人ホーム、そして教会の近くでは大晦日の花火は禁止!と出ていたが、 オスナブリュックではちゃんと聖マリエン教会前広場でバンバン花火を打ち上げ ていた。そういえばコンサート前の牧師の挨拶でも、コンサートは1時間程度で 終わり、 新年の花火大会を挟んで零時15分からミサを始めますと、あらかじめ花火を 想定しているようなことを言っていた。
花火あ10分以上パンパンやっていたが(昨日の日誌ではエッセンで5分間 と書いたが、「10分間以上」の間違い)、零時15分から新年ミサが始まるので、 人々はまたぞろぞろと教会の中に移動した。
クリスマスイヴのミサはカトリックの大聖堂教会のものを偵察したから、 新年のミサはプロテスタントの聖マリエン教会のを偵察。 ミサは結局20分程度のものだったが、牧師が「ベンチではなく、祭壇の 近くに輪になって集まってください」と声を掛け、皆で輪になって 聖歌を歌ったり、新年の希望の言葉を述べたりして終わった。
プロテスタントのミサのやり方のひとつとして、ミサで読み上げる 希望の言葉などをいくつかの紙切れに分散して書いて、ミサの前に 信者たちに渡し、紙切れに書かれた番号順に祭壇のところに出てきて 朗読させるというのがあるようだ。これは先日テレビで見たプロテスタント 教会のミサの実況中継でもやってたし、今日のミサでも同じことを やっていた。
ということで、2010年最後の時間と2011年の始まりの時間を、 オスナブリュックの人たちと一緒に聖マリエン教会で迎えた。教会を出 て、しばらく街を偵察したが、若者達があちこちで花火を打ち上げたり、 何人かのグループで楽しそうに中心街に繰り出して行ったりしていた。 若者たちのはしゃぐ声が心地良い。私は今も昔も決してはしゃいだりす る人間ではないが、最近は他人がはしゃぐのを見て「(何だか知らない けど)良かったね」と一緒に喜べるようになってきた。
2010年12月30日(木)
<<懐かしく、ほろ苦い>>
今日も夕方までゲストハウスでぬくぬくと数学。夕方3時間ほど旧市街
にて偵察飛行。今日はマリエン教会、大聖堂教会、聖カテリネン教会、聖ヨハン教会、
さらにはオスナブリュック大学の看板キャンパスである旧貴族の館(Schloss)を偵察し、
2つのスーパーで買い物をする。
重要な発見は以下の2つ。まず明日12月31日の22時30分からマリエン教会 でパイプオルガンの年越しコンサートが開かれることは既に知っていたが、 何と(!)聖カテリネン教会でも20時10分からパイプオルガンコンサートが開かれるらしい。そうかあ、明日の晩は教会のハシゴだな、と。
ちなにみ、年越しコンサートというのは正しくないかも知れない。というのは、1月1日零時15分から新年ミサが 行われるという情報を入手したので、コンサートはたぶん年内(つまり午前零時までに)終わると思われる。第一、年明けの瞬間に花火がぼんぼん上がって大変な騒ぎ になると予想されるから、コンサートどころではなくなるのではないかと思われる。
2つ目の発見は以下の通り。今日はSchlossの中に潜入することができて、 4階建ての建物で1,2階はイスラム文化研究などの文系学科、3,4階は音楽 および音楽教育学科が入っていることが判明した。オスナブリュック音楽専門大学 以外に、オスナブリュック大学で音楽学科があったわけで、コンサート情報など 今後注意しなければなるまい。
街はまだ雪が残っていて、足元は危うい。大聖堂教会前を歩いていて、うっかり 足を滑らしそうになったら、向こうから歩いてきた男が小さな声で"Vorsicht! (気をつけて!)"と言った。これはこの男に限らず、この街の人にとってごく 普通のリアクションのようだ。大雪のエディンバラでは、あまりそういうことは なかったが、一度かなり危うい感じで足を滑らせ、ちょっと尻餅をついたら、 前から来た若い男が通りすがりに"Are you OK?"と声を掛けてきた。 連中は、「自分の仲間以外はどこの馬の骨やら知ったことか」と考える日本人や 中国人と違って、街で出会う赤の他人に語る言葉を持っているんだなと、 いつもながらちょっと驚く。
夜も数学。大晦日が近いということは、クリスマス休暇の終わりが近いとい うことで、それはすなわち自虐の嵐の前触れを意味する。兎に角目標 のところまで本を読んでしまわねばと、ちょっと焦ったりするのだが、年末のこの 感じって何かに似てるなと思ったら、33年前の高校3年生の冬休みだ。 3月に京大を受験するのに、物理、化学、世界史はほとんどやってない。 高校の授業も碌に理解してなかったわけで、それをあと2ヶ月でどう挽回するか? という、今でも時々夢でうなされる瀬戸際に立たされたわけである。
それでどうしたのかよく覚えていないけれど、年末に旺文社の直前チェック用の 小さな物理の問題集を買ってきて、それを模範解答をちらちら見ながら1ページずつ せっせと潰して行ったのだけは覚えている。「へーえ、クーロンの法則なんてものがあるのか?ああ、そういやあ、物理の授業で先生がなにか言ってたような気がするな」みたいな調子だった。
ずっと後になって、世の中には「大学4回生の夏休みにハーツホーンの 代数幾何学の教科書に死に物狂いで取り組んで、読破しました」みたいな人が 居ることを知ったが、そういう人なら当時の大学入試の理科2科目 社会1科目をゼロから始めて2ヶ月で完成!みたいなことは可能だろうと思う。、 勿論私にそんな芸当ができるわけもなく、見事に浪人したけど。 でも、こうやって短期集中作戦で年末に1ページ1ページ潰すように読み進 めていると、あの頃を思い出してちょっと懐かしい。
ちなみに、自慢じゃないけど、私はハーッホーンの代数幾何学の教科書を 読むのに10年以上かかってるな。ちょっと読んで「こりゃあ、駄目だ。さっぱり わからん!」と放り出し、しばらくしてまた気を取り直して読み始めて、 また放り出し、みたいなことをやってると10年ぐらいはすぐに経ってしまう。
代数幾何学も私の学生時代と比べるとずいぶん難しくなってしまった。 私の学生時代はハーツホーンを読めば研究の第一線に出る準備がほぼ出来 たと考えてよく、あとは必要に応じて知識を補いながら自分の興味のある論文 を読んで研究生活に入っていくことができた(そうだ)。
しかし今は何をやるにしても、ハーツホーンの後にもう1冊ぐらい 分厚い本を読まないといけない。大抵そういう本には、私が学部で大学 を卒業して上司の顔色をうかがいながらコンピュータメーカで働いていたり、 Ritsの情報学科で閑古鳥が鳴きわめきぺんぺん草が生い茂った研究室 の管理運営に四苦八苦していた間に発展した理論が書かれている。
可換環論だってそうだ。私の学生時代は永田と松村を読めば研究生活に 入れた(そうだ)けど、今はさらにBruns & Herzogを読まないといけない。
かくして数学の難しさは単調増加し、第一線に出るまでの準備 が年々大変になってきている。しかし人間の頭がそれに相関して良く なるわけでもないし、大学院の年限が伸びるわけでもない。そして 数学研究者のポストに応募すれば、30年前ならちゃんと然るべきポスト を得て立派にやってけたような人でも、「30ン歳で論文●●本?それじゃ、 ちょっと少ないね」みたいなケチをつけられて落とされる。
まあ落とす方にしてみれば、例えば公募の倍率が数十倍以上とかになってくると、 研究業績に何の遜色もないような人に色々な理由をひねり出して落とさない といけないところが悩ましい。「あー、オレだったら、こんな公募一発で 落とされてるな」とか思いながら。
ということで、年末プロジェクトで偉い先生の教科書に取り組んでいると、 懐かしくもあり、ほろ苦くもあるのだ。
2010年12月29日(水)
<<暗い記憶>>
夕方偵察飛行に出た以外は、終日、某偉いA先生の解説記事や論説記事に
読み耽る。クリスマス休暇の目標で
あった某偉いB先生&某偉いC先生の共著本の読破計画については、
当然ながら実現可能性は限りなくゼロに近いのだが、
それでも半分ぐらいは読み進んだ。
あとはどの部分を読めばよいのか、その指針を求める意味もあってA先生の記事
を読んだわけである。
論説を読んでわかったことは、残り全部を読む必要はなく、あと、 2,3節分を読めば十分だということ。それなら手が届く目標だけど、 それで私の考えている問題になにかヒントが得られそうかというと、 全然そんな感じがしないな。まあ、今回のドイツ在外研究の大目標は 「代数幾何学にもう少し自信を持てるようになること」なので、 かならずしも研究に進展に直結しなくてもいいか、と。
自虐から逃れるには自信を持つしかないのである。私の自虐は 「所詮俺なんざフィールズ賞もウルフ賞もアーベル賞も学士院賞も、 数学会の賞ですら取れないしさ」みたいなハイブロウな話ではなく、 もっともっと低レベルな、地をはいつくばるような話である。
つまり、学生時代、演習やゼミで教授らに吊るし挙げられた記憶 をひきづっていて、「また、変な間違いをやらかしたら、あんな風に 怖い顔で張付け獄門の刑の処せられるのかしら?」という恐怖心である。 少し前にRitsで流行った言い方をすれば、学生時代に「お前の頭は バグっている」と言われ続け、自分でも「そうかもしれないな」という 気でいたから、今でもバグってるんじゃないかしらと、自分が信じられ ないのである。
否、大人同士だとむしろ、陰でぼそっと「あいつ、数学全然わかってな いし」みたいなことを吐き捨てたりするわけで、しかも数学者ってのは 正直だから、「私、陰で貴方を馬鹿にしてますけど、一所懸命知らん 顔しようとしてます」って顔をするから厄介である。正直者が 図らずしも陰険に振る舞う典型例? 学生時代の先生達のように、怖い顔して怒鳴り散らしてくれた方がまだマシ かも。何故かというと、私は今は学生じゃなくてオジサンだから、 「けっ、お前、何をゴチャゴチャ細かいこと言うてんねん!?」と日本人らしく 逆ギレして見せて、少なくともその場は蹴散らかせるからね。それでも奴ら は「でも、馬鹿は馬鹿だし」と言いたげな目でこちらを睨みつけてくるのだ。 この野郎、踏み潰したろか!?と。
え?お前、実際にそんな目に遭ったのかって?いや、全部想像だけど、 いかにもありそな話だと思うわけ。
まあ、そういう被害妄想(?)も含めて、学生時代に劣等生だった者 特有の問題なのである。 しかも、学生時代に私レベルの劣等生は通常数学者になれないから、同業者の 中に仲間が居ないのよね。「そうかあ、お前も俺と同じか。いやあー、オレ一人 でなくて良かった!」みたいなことはあり得ないわけで、 この業界で私一人だけが背負った十字架みたいなもの。 だから、教会でキリストの磔像を見ると妙に共感してまうのでしょう。
夕方は雑貨や食料品の買い出しも兼ねて、旧市街の偵察飛行に飛び立つ。 例によってマリエン教会と大聖堂教会を偵察。マリエン教会では最近何故か 来訪者にお茶やコーヒー、そしてクッキーなどの茶菓子を振る舞っており、 私も呼びとめられて紅茶とシュトーレンを頂いた。それは有難いのだけど、 一体何のためにそういうことをやっているのか、不明である。
雑貨スーパーに立ち寄ったら花火を売っていて、思わず「暗い記憶」 がよみがえった。10年前の冬にエッセンに滞在したとき、年が明ける 1月1日零時きっかりに街じゅうで一斉に花火が上がり、それが5分ぐ らい続くのに腰を抜かした。エッセンが第二次世界大戦の時代にタイムス リップし、イギリス軍のスピットファイアー戦闘機が爆弾でも落としまく っているのかと思ったぐらいである。「また、あれをやるんかいな」と 不安な気持ちで店を出た。
本屋に立ち寄って、前から何となく目をつけているリーマン面理論 の教科書を眺める。以前このシリーズでBoschの代数学の教科書を買って、 今でも重宝しているが、簡潔すぎず詳しすぎず程よい分量と詳しさが 有難い。このリーマン面理論の本もそんな感じに見えるが、まあ、買 っても読まないだろうな。ドイツ語の本だから学生のゼミにも使えな いし。
それからスーパーで食料品を買ってからゲストハウスに戻る。
ちなみに、Currywurstの屋台がここんところ中心街の歩行者天国 に毎日のように姿を見せているが、毎日すこしずつ場所を変えている。 では屋台の親父はどうかというと、これが良く見ると毎日のように交代 している。これは背後に何か組織がありそうな感じで、ちょっと怪しい。 今後も要監視だな。
2010年12月28日(火)
<<なるべく考えない>>
午前中は洗濯など。午後もゲストハウスでぬくぬくと数学。
15時半頃に偵察飛行に飛び立つ。マリエン教会の専属オルガン奏者
と思われる男が妻子と一緒に歩いてたので、彼らをしばらく極秘尾行
したりして結局教会を3つ偵察し、今まで気付かなかった運河
際の遊歩道を発見した。それからスーパーで少し買い物をして帰る。
また少しぬくぬくと数学
してから夕食。夜は近所のドミニカーナ教会文化会館で開か
れた室内楽のコンサートに出掛ける。
オスナブリュック市庁舎にある模型によれば、城壁都市時代の ドミニカーナ教会には尖塔があったそうだが、今は無くなっている。 しかも現在は特に内部がすっかり改装されて、教会としてではなく 美術展やコンサートホールのための文化施設になっている。コンサート 会場は昔の礼拝堂なので、音響効果は抜群。しかも同時に美術展 の会場の一部にもなっているので、コンサートの合間の休憩時間には 絵を見て回れる。気に入った絵があれば、カウンターでその画家の 画集が買えるようになっている。私もざっと見て回ったが、数枚とて も良いのがあった。
コンサートは小規模なもので、聴衆は50名前後。チケットも15ユーロ 程度と安く、現地に行ってみるとアンサンブルのリーダーである60歳 ぐらいのぼーっとしたオジサンが一人で当日券やプログラムを売っていた。 コンサートはテレマンやビバルディなどのバロック音楽が中心だったが、 演奏のレベルは非常に高く、ちょっとびっくりした。特にフルートの若い お兄さんが凄かった。フルートで超絶技巧ってのは、こういうのを言うのかと 思い知った。
どうも、入り口て当日券売りをしていた リーダーのぼーっとしたコントラバス弾きのオジサンが、 コンクールなどで活躍している若いパリパリの演奏家を集めて作った アンサンブルで、メンバーは何年かここで活躍してから一人立ちしてゆき、 かなり入れ替わるようだ。数学でいえば、学振のポスドクや数理研の助手 みたいなものだと思われる。ぼーっとしていても30年ぐらいこのアンサンブル を率いて、CDも何枚か出して外国にも招待演奏に行ってるんだから、 締めるところはちゃんと締める有能な音楽プロデューサー兼マネージャー なんだろうな。
それにしても、自虐と無縁な幸福な日々である。 しかし人生と同じで、これがいつまでも続くと思ってたら、 実はあと1週間もたたないうちに終 わってしまうんだな。ま、なるべく考えないようにしてるんだけど。
2010年12月27日(月)
<<暖かい?>>
今日は掃除の日だということをすっかり忘れていて、9時40分
頃に掃除のオジサンとオバサンが鍵を開けて入ってきた時に
飛び起きた。それからずっとゲストハウスでぬくぬくと数学を
やってすごし、15時頃に食料品の買い出しも兼ねて、旧市街に偵察飛行に
飛び立つ。
クリスマスも終わり、街は普段に戻っていた。寒さも一息ついて、 気温も1度ぐらいに上がり、旧市街の石畳の歩道も地肌が 見えているところが多くなった。亜熱帯ニッポンに居たころは、 最高気温が1度というと「おお寒っ!」って感じだったが、 今では「暖かい」と感じる。
これだな。ドイツで10年ぐらい 暮らしていた知人が日本に戻ってきたばかりの頃、 「日本は暑い!」と小雪がちらつく真冬でも半袖のワイシャツ で外をウロウロしたたけど、さもありなんという気がする。 この暖かさもつかの間で、週末にかけてまた寒さが戻ってく るそうだ。
オスナブリュックは比較的海に近いせいか、雪が塩分を 含んでいるらしく、雪道を歩いて濡れた皮靴は、乾いた後で 白い粉を吹く。やはり海の近くにあるエディンバラに出張した とき、大雪の街を歩いてホテルに戻った後にこの現象に初めて 気付き、一体これは何なのか?とずっと疑問に思っていた。、 今日、ゲストハウスの掃除のオジサンに「それは塩のせいだよ」 と教えてもらって、やっと原因がわかったというわけ。
偵察飛行では、まずクリスマス期間中ずっと入れずじまい だったマリエン教会に潜入。最近、カトリックとプロテスタントの違い の調査に凝っているのだが、マリエン教会の祭壇のところの十字架は どうだったかしら?とずっと気になってたのである。
プロスタント教会ではキリスト受難物語をあまり強調しない傾向が みられるので、カトリックの大聖堂教会や聖ヨハン教会みたいなリアル な十字架はないんじゃないかしら?と思ってたのだが、今日見たら マリエンにも結構リアルなのが掛かっていた。ただし、それ以外は プロテスタントらしい雰囲気が保たれていた。
それからスーパーで食料品の調達。スーパーに入っているパン屋 では、クリスマスに売れ残ったシュトーレンが全品半額で売ってたので、 1つ購入。賞味期限は3月末頃なのだが、季節ものなので時期が過ぎると 投げ売り状態になるのだろう。
シュトーレンはゲーテのクリスマスパーティーには必ず出てきて、 あの頭が痛くなりそうなぐらい甘ったるいのが嫌いだった。しかし、 こちらに来てからは、シュトレーンも色々な種類があり、 結構好きになって11月末頃から毎日のように食べている。
夕方ゲストハウスに戻り、ぬくぬくと数学をしたりしてすごす。
2010年12月26日(日)
<<第2クリスマス日>>
第2クリスマス日。午前中はテレビでドイツのどこかの
プロテスタント教会のミサの実況中継を少し見てから、数学。
昨日来の疑問は結局EGAを見れば解決した。ドイツは
フランスや日本と違って、おそらく政教分離の国ではなく、
国営テレビ放送で日曜の朝はミサの実況放送をする。今日のミサを
見てても、やはり昨日の聖カタリネ教会と似たような独特の雰囲気
があり、ああ、これがプロテスタントかと思った。これまで、教会を
見てもカトリックかプロテスタントか全然見分けがつかなかったけど、
今なら大体わかると思う。
午後は旧市街に偵察飛行に出る。マリエン教会は クリスマス期間中午前中にミサがあるそうだが、午後は閉鎖された ままである。大聖堂教会は常時公開されていた。
雪はまだ積ったままで、さらに降り積もったりしている。 それが昼間に少し融け始めたり、夜になって冷え込んでまた凍ったり している。あちこちの建物の庇には氷柱が目立つ。市庁舎近くに "Eiszapfen!(氷柱注意!)"とう表示があった。確かに、あの槍みたいな氷柱が 落ちてきたら、ちょっと怖い。
道路に積った雪は、泥濘になることもあるが、気温が低すぎて融けも しなければ、互いにくっついて固まることもなく、砂浜の砂のようになっていることも多い。雪合戦の雪玉のようなものを作ろうとしても、固まらずにぼろぼろ崩れる。 気温が低すぎると雪玉が作れないことは、ベルリンの研究集会の 時にポーランドの大学院生に教えてもらった。亜熱帯ニッポンに生まれ育った 私は、そんなことがあるのかとちょっと驚いた。
昼食はクリスマスとは無縁のケバプの店で。できるだけ沢山のレストランを 探訪しようという意図から、原則として同じ店には入らないようにしているのだが、 今日入った店は例外。他の店とは違って、トルコ茶飲み放題が魅力。 トルコ茶は小さなコップに熱く濃いお茶と角砂糖を入れて飲むのだが、 好みの濃さに調節するため、適当に熱いお湯で薄めたりする。これが セルフサービスで何倍でも飲める。客層はトルコ人が多く、家族連れで 食事に来てたりする。店内はトルコ語が飛び交っている。要するにトルコ人の 溜まり場みたいになっている。
昼食後、その近くの聖ヨハン教会を偵察したら、オーケストラが音合わせ などをやっている。どうやら夕方からクリスマス最後のミサ があり、そこでシューベルトのミサ曲変ロ長調D324が演奏されるらしい。 そこで急きょ予定を変更して、今夜もミサに出ることにする。
聖ヨハン教会を出てから、折角 "Wir sind Weihnachten fuer Sie da!" なんて言ってるんだから一度行ってみないといかんだろうということで、 オスナブリュック中央駅も偵察。電車な15分から20分程度の遅れで済 んでいるようだった。クリスマス期間の 営業状況について特に表示がなかった軽食レストランは、普通に営業していた。 そういえばここは、元々土日も営業するところだった。 "Wir sind Weihnachten fuer Sie da!"のカフェでコーヒーを飲みながら、 しばし数学。
それからいったんゲストハウスに戻り、1時間ぐらい数学を勉強してから 再び聖ヨハン教会へ。カトリック教会なので、基本的にはクリスマスイヴの 大聖堂教会のミサと似たようなものだが、今回は皆で賛美歌を歌うことが多く、 そのたびに聖歌集をひっくり返して初見の曲を歌うという、かなり忙しいミサ だった。まあ、皆と一緒なら初見で歌うのも悪くない。 シューベルはピアノ曲とドイツリートは好きだけど、ミサ曲は、まあ、 どうってことはなかったな。
あと、クリスマスイヴのミサと同じく、神父の掛け声で皆が一斉に隣や 前後の人たちと握手をするというイベントがあった。あれはカトリックの 習慣なのかしら。前回はオジサンばかりと握手する羽目になったが、今回 はオバサンやお婆さんばかりと握手できた。まあ、ドイツに来てから「オ ジサン嫌い病」がなりを潜めているので、オジサンでもオバサンでも誰で もいいんだけど。
聖ヨハン教会の帰りに、大聖堂教会も偵察したが、ここでもクリスマス 最後のミサをやっていた。その隣の歌劇場では演劇の上演をしていた。 まあ、皆さん思い思いのクリスマスを過ごしているんだな、と。それにしても、 教会に来ているのは年金生活者の老人が8割方占めている。ドイツに限ら ないかもしれないが、若年層の教会離れが深刻だというビデオをゲーテで 見たことがあるが、やっぱりそうなんだろうなと思った。
帰宅後、遅めの夕食。楽しかったクリスマスも今日で終わるけど、 まだ大晦日(Silvester)がある。こちらのクリスマスは日本の正月ぐらい に気合いが入っているので、正月が2回来るような気分である。
2010年12月25日(土)
<<マイナス8度の偵察飛行>>
昨夜はミサに行ってたりして寝たのが明け方だったため、今日は
昼前に起きる。これって大晦日に除夜の鐘を聞いたり
年越え参りをしたりして、正月の朝は寝坊するみたいな感覚やね。
ま、この辺の人たちにとっては正月みたいなもんなんだろうけど。
パソコンのセキュリティーソフトがちょっと面倒 なことになっていて、こちらに来て以来ウイルス・データの更新 ができなくなっている。そこで今日はセキュリティーソフトの入 れ替え作業を行う。それから数学をやりながら、9月以来やってい ないフルスキャンも実行。
夕方から旧市街に偵察飛行に出る。外はマイナス8度ぐらい だったが、このぐらいだと雪道が適度に凍っていて、気温が上がって 泥濘になっている時に比べて歩きやすい。12月初めにベルリンで マイナス11度を初体験したときは衝撃的で、信じられないぐらい寒 かったけれど、最近は慣れてしまってマイナス11度ぐらいでも 「今日はちょっと冷えるな」ぐらいの感覚になった。
さて、クリスマス第一日目の旧市街はゴーストタウン? と思ったけれど、レストランやカフェなどは結構営業していた。 トルコ人などがやっているケバプの店は当然ながらクリスマスは 関係ないので普通に営業していた。
教会はどうかというと、18時頃からミサがあるらしく、 カトリックの大聖堂教会と聖ヨハン教会を覗いてみたら、 年配の人を中心にぞろぞろ集まり出していた。私はまだプロテスタント のミサを見てないので、今日は聖カタリネ教会に潜入した。
聖カタリネ教会では、パイプオルガンのある高い所に合唱団も居て、 女性の牧師が聖書の朗読をする合間に歌や音楽が流れ、ときどき信者も 立ちあがって一緒に歌を歌い、最後にアーメンとかなんとかやって 1時間半程度で終了した。合唱は声も綺麗だし音響も抜群で、コンサート としてもなかなかの線をいっており、最後には信者たちが立ちあがって 後ろを振り返り合唱団に拍手を送っていた。
カトリックの神父は王様みたいに威厳をもっており、ミサの前後の 入場や退出はさながら大名行列のような感じだったが、プロテスタントの 牧師はミサの帰りに出口のところに立って、皆に"Frohe Weihnachten!"と 挨拶をしたり握手をしたりしていて、なかなか freundlich な感じである。 カトリックとプロテスタントの中身の違いはよくわからないけれど、 雰囲気はかなり違うな。
それにしても、教会って何であんなに天井が高いのかしら。 夏が涼しいヨーロッパで、暑さ対策ではなかろうに。 パイプオルガンの音響を良くして、宗教的効果を上げるため? あるいは、高いところにキリストの磔像をぶら下げてリアリティー を出すため?でも、磔像ってマリエン教会にはあったと思うけど、 聖カトリネには祭壇みたいなところに小さな十字架があっただけだし。
ただ、天井が無駄に高いと気分はいいな。今日はぼうっと天井を眺めて 合唱を聴いていたら、昨日から全然わからずに困っていた数学の疑問がふっと 解けたりした。
2010年12月24日(金)
<<素敵なクリスマス>>
クリスマスイブ(Heiligabend)は店舗が昼過ぎまでしか開いてない
というので、買い忘れた食料品を買うために昼前に旧市街に出る。
買い物はすぐにすんだけれど、そのまま偵察飛行を続け、各店舗の
閉店時間を調査して回り、"Wir sind fuer Sie da!"
を見つけては写真撮影に励む。あと、昨日未調査の教会も覗いて
みた。大聖堂教会の支店に相当する教会らしく、建物の中には
入れたが、礼拝堂には鍵がかかっており、ガラスの扉の外から
ちょっと覗いただけ。
偵察飛行中に腹が減ってきたので、歩行者天国の真ん中に陣取って いた屋台のCurrywurst 1.8ユーロで軽く昼食。ブロートヒェンという 丸いパンにカレー味のケチャップをつけた焼ソーセージを挟んだだけ という、いかにもドイツっぽいい野菜っ気なしの軽食。これが飛ぶよう に売れている。
大半の店は13時に閉まるが、デパートのGaleria Kaufhofは 14時まで wir sind fuer Sie da. 某文房具店は突如クリスマス用品店に変身していて、20時まで営業! とあった。Currywurstの屋台は12時台には滅茶苦茶売りまくっていたが、 13時過ぎには姿を消していた。Currywurstのオヤジの懐も温まったことだろう。 良いクリスマスを!Frohe Weihnachten!
14時前にゲストハウスに戻り、Currywurst1個では流石に腹の虫も おさらまらないので、作り置きのレンズ豆の煮込みで昼食の補充。その後、 数学、夕食、また数学。
夜、カトリックの大聖堂教会に出掛け、22時からのミサに潜入。 ミサは24時過ぎに終わり、それから大急ぎで、と言っても徒歩10分ぐらい だが、23時からミサをやっているプロテスタントの聖カタリネ教会に行ってみたが、 そこもちょうどミサが終わって信者が出てくるところだった。ということは、 プロテスタント教会の方がミサが短かかったということだな。短くても、 出口の所で牧師が信者に握手してFrohe Weihnachten!とか挨拶してたことから 想像すると、結構心温まる儀式だったのだろうと思われる。
聖カタリネ教会のミサがどんなのだったかは不明だが、大聖堂教会の ミサはカトリックらしく、なかなか凝っていた。途中、神父が世界の平和 のために隣人と握手しましょう!みたいなことを言った途端、信者たちが 隣や前後の人たちと握手をし始めたのにはちょっと驚いた。私も前と横の オジサンと握手をした。握手をしたら、そのオジサン達にちょっとだけ親 しみが湧いた。なるほどね。握手もそれなりの意味があるんだね。
しかし、キリスト教信者でもないので、胸のところで十字を切ったり、 神父からパンのかけらを貰ったりする儀式には流石に抵抗があって、 パンのかけらについては、どさくさに紛れてパスした。
大聖堂教会から聖カタリネ教会に向かう途中、いくつかのレストラン の横を通ったけど、結構深夜までやってるところがあるようだった。 教会のミサに行ったり、レストランで友人や家族とすごしたり、 勿論自宅でぬくぬくという人も居るのだろう。 スーパーのレジの人が、客の一人一人に "Ich wuensche Ihnen schoenes Weihchanten! (素敵なクリスマスを!)"とか言ってたが、「素敵なクリスマス」とは 何かしらと疑問に思っていた。なるほど、皆さんこんな風に クリスマスイブを楽しんでるのかということが、少し分かってとても 良かったと思う。
ところで、古い教会の礼拝堂は、高い天井や回廊のアーチが幾重にも重なって 造形的にも美しく、そこにパイプオルガンや賛美歌の合唱の声が聞 こえてきたりすると、自虐にまみれて数学に励む私の何たるかに ついて考えてみるには絶好の場所である。おそらく桜の季節の鴨川河川敷 に次いでふさわしい場所であろう。しかし、今日ミサに出てみてわかった けど、神父の話や聖書の言葉はどうも私の心には響かないな。 「貴方の心は盲しいています。この十字架が目に入りませんか?」 「いいえ、その十字架に私が磔られているような気がするだけです」と。 そんでもって、数学者たちに槍で突かれているのよ。私の屍は 心優しき Wir sind immer fuer Sie da! の人たちによって葬られ、、、 でも復活の日は来るのかしら?
2010年12月23日(木)
<< Wir sind fuer Sie da! >>
わからない問題はわからないもので、夢見の悪い朝を迎える。昼食は、
昨日大聖堂教会前のクリスマス市で見つけた、焼きハムサンドを目指して
旧市街に出る。屋台で肉を燻製にしてハムを作っていて、それを薄切り
にして焼いてザウアークラウトと一緒にブロートヒェンに挟んだもの。
美味そうだったけど、夕食との兼ね合いが微妙だったので「明日、この
店がやってたら、昼食に食べよう」と思ってパスしたのだ。
「この店がやってたら」というのは、虫の知らせ?
何の気なくふっと思ったのだけど、まさかね。
まだクリスマス前だし、明日もきっとこの店はあるさ、と。
で、行ってみたら、街じゅうのクリスマス市が全て消滅してた! (夜逃げでもしたんかいな?) あーっ、ドイツって、本当に何でもアリというか、 何が起こっても不思議でないんだなあ。 クリスマスにはクリスマス市が無くなってしまうとは。そういえば12月22日 までってどこかに書いてあったような気がするけど、すっかり忘れてたよ。
広々とした雪野原状態の大聖堂前広場でしばらく茫然としてから、 ようやく気を取り直し、「よおし、そんなら今日はトンカツ食ってやる!」 と大聖堂前の"Schnitzelwelt (トンカツの世界)"という店に入る。 ドイツのトンカツ(Schnitzel)は脂身が無い薄め(と言っても1cmぐらいある) の豚肉を使い、パン粉をつけてサクッという風には揚げずに衣がしとっとしている。 私は日本のトンカツの方が好きだが、今、焼きハムサンドの恨みを晴らす 方法はこれしかない、と。今回のドイツ滞在でトンカツを食べるのは 今日が(たぶん)初めて。
トンカツ食って気が晴れて、雪がしょぼ降る旧市街の偵察飛行に飛び立つ。 今日はオスナブリュックに5つある大きな教会のうちの4つを偵察。 24日はクリスマスイブ(Heiligabend)で多くの店舗は午後から閉まる。 25日は第一クリスマス日(1st. Weihnachtstag)、 26日は第二クリスマス日(2. Weihnachtstag)と言ってクリスマスは 2.5日間が祝日になるようだ。教会はその間毎日ミサを行うようで、 椅子を並べたりパイプオルガンの練習をしてみたりと、 色々準備をしているようだった。
特にカトリックの大聖堂教会と聖ヨハン教会では、子供たちがキリスト生誕 の寸劇をするらしく、先日は大聖堂教会で、今日は聖ヨハン教会で リハーサルを行っていた。そういえばプロテスタントは 聖書中心主義と世界史で習ったような気がするが、カトリック教会 のようにキリストの誕生や磔の十字架や復活といった物語を、レリーフや彫刻 や絵画などで、これでもかこれでもかと強調するような傾向が見られない。
自虐の果てに静かに自らと語り合う時は、カトリック教会のキリストの磔像を 眺めながらの方がいいのだけど、パイプオルガンでバッハを聴いて極楽往生 の気分を味わいたければプロテスタント教会である。だから私は、 どうせ仏教徒だからどうでもいいやと、カトリック(katholisch)と プロテスタント(evangelisch)の二股掛けでやっている。
今日は旧市街の中心地のすぐ近くにある、オスナブリュック大学中央図書館 も空いていた。メンザは先週末からずっと休みなのに、図書館は頑張るなあ。 とりあえず入ってトイレを借り、そこのカフェで一休み。カフェと言っても、 コーヒーなどの自動販売機があるだけだけど、それで十分だ。
それからオスナブリュック中央駅まで足を延ばしたが、長距離列車が 2時間3時間遅れで、大きな荷物を持ったたくさんの旅客が構内で茫然 としていた。帰省ラッシュみたいなものかしら。 駅構内のパン屋カフェはクリスマス期間も大みそかも営業 するらしく、次のような掲示とともに、臨時営業時間が示されていた。
"Wir sind Weihnachten fuer Sie da!"
直訳すれば、「我々はクリスマス休暇期間に貴方のためにここいいます」。 (このWeihnachten(クリスマス休暇)の前に前置詞が要らないのかしら?) "Wir sind fuer Sie da"という言い回しは、公共サービス機関や従業員が たくさんいる店舗などでよく目にするが、私はこの言い回しが結構好きだ。 "Wir sind immer fuer Sie da!"(我々はいつも貴方のためにここにいます) なんてのを見つけると、ちょっとほっとした気分になる。 世界は、(多くの数学者たちのように)「高山はアホや」と蔑む人ばかり ではないことを気づかせてくれる。その意味で、自虐的世界観の対極に 燦然と輝く良い言葉だ。心にとどめておこう。
駅構内の雑誌スタンドみたいなところも、ずっと営業するみたいなこと が書いてあったけど、軽食レストランは「パート職員募集」の掲示が 出たままで人手不足なのだろう、休暇中の営業については何も書いてなかった。
オスナブリュック中央駅前には、11月下旬ごろからクリスマス市の 雰囲気を出すために、屋台が3つほどでている。クレープの店、綿あめや チョコレートなどの駄菓子屋、そしてカレーソーセージ(Currywurst)や グリューワイン(Gluehwins)などの軽食屋 (残念ながら焼きハムサンドGebratschinkenは扱ってない)。 これは駅が運営 しているためか、今日もちゃんと営業していた。Wir sind immer fuer Sie da! やねえ。オスナブリュック中央駅はエライ!
かれこれ4時間ぐらい雪の街をウロウロしていたけれど、結局問題は解けず。 しかしスーパーで買い物をしてからゲストハウスに戻る直前に、雪が融けるかの ようにすっと分かる。昨日の晩あたりから、「ひょっとして、これが答に関係 してるんじゃないかな」と漠然と思ってたことを使えばよい。 ああ、そんな簡単なことだったのか。夕食の後、もうひとつ残っていた関連問題も 解けた。ある教科書にでかでかと書かれている事実からすぐにわかることだった。 こういうことで丸2日潰したわけだけど、まあ、しょうがないね。
2010年12月22日(水)
<<果てしない道のり>>
午前中は洗濯など。午後もゲストハウスでぬくぬくと数学。
夕方頃、旧市街に出て食料品などの買い出し。夜もぬくぬく。
春頃に読んでいた本や論文で、著者が当たり前のように 使っているある事実がいまだに理解できてないことが昨夜遅 くに分かり、今日は終日その問題を色々考える。 2、3時間考えれば分かるだろうと思ってたが、結局今日 一日棒に振ってもわからずじまい。た ぶんそんなに難しいことではないと思うのだが。 まあ、数学が分からないのはしょうがない。
今日は少しテレビを見た。というよりは、アイロン掛けや 食事の間に聞き流していたというのが正しいが。 ドイツに来たら、毎日テレビを見てドイツ語をガンガン勉強しようと 思っていたのだが、11月上旬の例の事件で何だか色々なことが 馬鹿馬鹿しくなってきて、ドイツ語学習意欲もガクッと低下して、 その後は専ら音楽ばかり聴いていたのである。
しかしクリスマス休暇で自虐からの逃走を続けている間に少し気分が 良くなり、「折角だから、ドイツ語もちょっとは勉強しようかしら」ぐらいの 気にはなってきた。でも、ドイツ語学習意欲がどこまで回復するかは、今のところ 予想がつかない。
確かに、ドイツ語10年もやってても、皆でレストランに行って べらべら喋りまくっている、あのお喋りドイツ人たちの話に全然ついてけな いってえのは、「果てしない道のり」だなと思わずため息が出てしまう。 今のところ、あのお喋りに参加できるようになりたいという気持ちよりも、 「死ぬまでそうやってべらべら喋ってろ、馬鹿どもめが!」 という気分の方が強いけど。
夕方大聖堂教会に寄ったら、小学生ぐらいの子供がクリスマスの ための芝居の練習をしていた。普通の大人が何か言ってても、 大抵よくわからない。昨日の当日券売り場の割り込み 言い訳男のように、その場の状況と意味がわかる単語をつなぎ合わせて かろうじて何を言ってるか推察し、あとは勘を頼りに出たとこ勝負で乗り 切っている。しかし子供たちの芝居の台詞は 一字一句完全に理解できた。ま、私のドイツ語は小学生の学芸会 レベルだってことさ。
それにしても、昨日の言い訳男はドイツじゃあ普通だな。先日 Vodafoneの店に行った時、俺の方が順番が先だと主張してきた オッサンは、なぜそうなのかを私と店員に滔々と説明しよったし、 休憩前に対応した客のクレームで休憩中に呼び戻された店員の 一人は、「だから俺は今の客の相手をしたらすぐに休憩に戻るんだから、 貴方の対応はできない。いいですね?」とべらべらべらべら説明 しよった。人の好い私は、一瞬「そうか」という気になってしまう ところが悔しい。一瞬遅れで「馬鹿野郎、お前らロクに仕事もせず、 言い訳だけは一人前だな。地獄に堕ちろ!」と関西弁でまくしたてて やろうかしらと思った。しかし滔々と語る言い訳に違和感を覚えるのは、 赤の他人と渡りあうための言語が圧倒的に貧弱な逆ギレ日本文化の感性 かもしれないな。
2010年12月21日(火)
<<一歩踏み出す>>
氷点下の快晴日。何度目かの大学院入試に失敗し、いよいよ数学者への
道を断念しなければならなくなった夢から覚め、「夢でよかった」と
幸福を噛み締めながら朝食をとる。
私はこういう夢を年に何回か見る。あと、国立研究所への出向期間が終わって、 メーカーの開発部門に戻り、ああ、もう計算機科学のアカデミックな研究は生涯 できないんだなと暗然としている夢も、やはり年に何回か見る。いずれも自分の 実体験である。やはり2回ぐらい思いっきり「オレの人生終わったな」みたいな 状態を経験すると、あの悪夢だけは繰り返したくない!という気持ちが常に 心のどこかに渦巻いている。今日の夢は、 むしろこの2種類の夢が渾然一体となったものだったような気がする。
あと、大学入試の夢もよく見る。12月中旬ぐらいになっても、 入試科目である物理、化学、世界史を全然やってない!嗚呼、今年も落第だあ! と寝汗をびっしょりかいて飛び起きる、なんてことも以前はよくあった。 しかし最近は夢の中で夢だと気づくようになり、「既に1回大学は卒業して、 今大学の先生やってるんだし、わざわざもう1回京大受けなくてもええやん!」 と夢の中で一所懸命自分に言い聞かせている。そうすると、ふっと目がさめて、 「あ、そうやね。もう大学入試受けなくていいんだよね」みたいに安心するのである。
さて、昼間はゲストハウスでぬくぬくとすごす。夕食の後、氷点下で凍った 雪道を慎重に歩いてマリエン教会へ。コンサートは20時開演とある。 ならば開場は19時半頃だろうから、その少し前から並んでいれば当日券が手に入るかもしれない。
現場に言ってみると、「当日券のひとはこちら」「前売り 券の人はこちら」と並ぶ場所が指定してあった。と、いうことは当日券もかなりの 数用意されているに違いない。予想はすべて的中し、オーケストラや歌手がすぐ 近くに見える良い席が手に入った。
当日券の並びを追い抜かして、若い男と女がカウンターのところに 並んだ。なんや、こいつら。ちゃんと並ばんかい。と、目が合うと若い男が 「ハロー」と言う。私はいまだに、ドイツ人の「ハロー」の意味を完全には 分かっていない。一体この「ハロー」は何なの?ハローはいいから、 ちゃんと並べよ、と。
彼らもちょっとこちらを気にしているらしく、しばらくして男の方が またこちらを見てきた。そこで、
(おい、お前ら、ちゃんと後ろへ並べよ!)
と手で合図して睨みつけてやったら、何だかんだと言い訳をする。 どうも前売り券だか予約だかしてたのだが、そっちのカウンターに行ったら 当日券のカウンターに行ってくれと言われたから、と言っているようだった。
(俺、そんなパラパラとドイツ語で言われてもわからへんがな。)
ドイツ人は言い訳のプロである。奴らが言い訳を始めたら、逆ギレ文化で 育った日本人は、よほど腹をくくってかからないと歯がたたない。 彼らは他人に何かを言われた時、日本人のように無視する、暴言を吐く、 殴る蹴るの暴行に走るという行為に走らず、 何やかんやと言い訳をするのである。平和で良いのだけど、日本人の 私には効果的な対処方法がよくわからない。
でもまあ、上記のような理由ならしょうがないかと、「あっ、そう」と 日本語で答える。幸いこれはドイツ語の"Ah, so."で、日本語とほぼ同じ 意味なので、とっても便利。
当日券カウンターの女性は私を覚えていて、「貴方、先日の (オルガンとトランペットの)コンサートにも来てた人でしょ?」と 声を掛けてきた。左様でございます。ああ、あの時は遅れて入っていったから、 結構目立ったし、それで顔を覚えられてたんんだろう。
コンサートの演目は、J.S.バッハのマニフィカットニ長調WWV242,カンタータの63番と191番。演奏はバロック・オーケストラの伴奏、マリエン教会合唱団の合唱、ソプラノ2名、アルト、テノール、バス各1名。マリエン教会専属 オルガン奏者が今日は指揮をしていた。まあ、ルター派(プロテスタント)の 宗教音楽ですな。なるほどJ.S.バッハはルター派の音楽家として活躍した らしく、カトリックの大聖堂教会のクリスマス・コンサートではバッハは一切なしだった。
それにしても、夕方ごろはゲストハウスでぬくぬくしながら、「当日券狙 いなんてどうせ駄目に決まってるし、行くのやめようかな。このまま一日 ぬくぬくしてりゃあ、いいじゃん!」と思っていたのである。その方が楽だし。
しかし、やっぱり人間、諦めたら駄目だな。諦めずに一歩前に踏み出し、 駄目モトで雪道を歩いてきたからこそ、こうやって当日券がちゃんと 手に入って良い席に座れ、レベルの高いコンサートが聴けるのである。
ああ、私は今幸福だ。2度目の大学院入試に失敗して数学者への道を 完全に断たれ、目の前が真っ暗になったあの夏の日。その日の私は、 28年後の今日、数学者としてサバティカルでドイツに滞在し、 終日(一度は諦めた)代数幾何学の勉強をして、 夜はこんな素晴らしいコンサートを聴けるとは夢にも 予想しなかったのである。
28年前のあの日のことや、国立研究所出向期間が終わり、大学のポストを 見つけるメドもたたずに会社で悶々としていた20年前の日々を思うと、 「自虐」なんて、大した問題ではないじゃないか?って気がしてくる。 数学者社会の中で、もう一歩踏み出してもいいかもしれないな。
2010年12月20日(月)
<<自然治癒力>>
今日も終日氷点下。しかも掃除の日なので、8時起床9時出発。
別に今日でなくても良いのだけど、兎に角9時に外に出るついでに
大学の近くの空き瓶コンテナにワインの空瓶などを捨てに行く。
オスナブリュックは完全に雪に埋もれている。亜熱帯ニッポンに
生まれ育った私としては、寒さには慣れたけど、雪道は歩きづらい。
それから旧市街のガイドショップに行き、明日の夜のコンサート の前売り券を買おうと思ったが、既に売り切れていた。 マリエン教会でJ.S.バッハのカンタータのコンサートが開 かれるのだが、ソプラノだのバリトンだの、結構有名そうな人が 出演するようなので、人気があるのだろう。 そうとは知らず、しくじった。以前、クラシックギターの福田進一 さんのコンサートが大津であって、当日の昼に電話で問合せて、 当然のことながら「全席売り切れです」と断られた。その時以来の失敗。 まあ、歌はあまり好きでないので、前売り券も頑張って買おうと しなかったのだけど、いざ売り切れとなるとちょっと悔しい。
この分だと28日のドミニク教会での室内楽コンサートも、 まさかとは思うけど油断はできないので、そちらの前売り券を購入。 歌は逃しても、室内楽は逃したくない、と。それにしても、 ガイドショップって、チケットの代金の1割を手数料に取るとは知ら なかった。
年末は、これ以外には大みそかの22時からマリエン教会で パイプオルガンのコンサートが開かれるが、これは入場無料だそうだ。
チケット問題に型がついたので、NeumarktのKaufhofへ。 朝食が軽すぎたので、最上階のレストランでブランチのようなものを食べて、 しばし数学。それから毛糸の手袋を買った。定期券入れから切符を取り出したり、 財布からお金を出したり、その都度手袋を外さないといけないが、 そうこうしているうちに片方無くしてしまったりする。第一、手袋をしなければ ならない程日本は寒くない。だから日本に居る時は手袋はしなかったのだが、 ヨーロッパがこう寒いとなれば話は別である。
Kaufhofを出て、向いの郵便局で年末年始のお金を下ろす。 私はATMを使うだけだが、郵便の窓口は珍しく長蛇の列が出来ていた。 クリスマスの贈り物の郵送手続きかしら。そういえばKaufhofのレジも 長蛇の列ができていたし、年末は何かと皆さん買い物だのなんだのに 励むのかもしれない。
スーパーで少し食糧品を買い、それから大聖堂教会でしばし「自らと語り合」 ってからゲストハウスに戻る。午後はゲストハウスでぬくぬくと数学。
明日も夕方頃までぬくぬくとすごし、夕方、駄目モト当日券狙いで マリエン教会に行き、駄目なら戻ってきて、またぬくぬくする積り。
それにしても、自虐から解放されるとすがすがしい気分である。胃潰瘍 を病むと医者は胃液を止める薬を処方する。胃液を止めている間に傷ついた 胃壁が自然治癒するのを待つわけである。今私はクリスマス休暇で数学者社会 から身心ともに距離を置き、その間に自虐で傷ついた心が自然治癒するのを待 つのである。
ネタに困ってのこととはいえ、自虐ネタは「根も葉もあること」を面白ろ おかしく書いているだけに、ボディブローのような感じでけっこうこたえる。 自分を苛めて遊ぶのもほどほどにしなさい!って感じだし、第一、おナルな私 が一番の親友である自分自身と楽しく語り合うという、気持ち悪くも麗しい この日誌のコンセプトからすると、やっぱり自虐ネタは良くないんじゃない かなって気がするな。
2010年12月19日(日)
<<肩こりに効く>>
今日も終日氷点下。空は曇りがち。午前中は来年度の授業のシラバス書き。
午後もゲストハウスでぬくぬくと数学。夕方、近くのマリエン教会で開かれる
パイプオルガンのコンサートに出掛ける。この教会の専属オルガニスト(他の
教会も兼務しているそうだが)の何枚目かのCDのお披露目も兼ねたクリスマ
スコンサート。J.S.バッハの賛美歌を中心に1時間の演奏。素晴らしい
コンサートだった。帰りにCDも買ってきたけど、やっぱりパイプオルガンは
教会で聴かないと駄目である。
教会では、磔になっているキリスト像や祭壇のある方を見ながら背中で オルガンを聴く形になる。教会音楽は宗教的気分を高揚させるためのもの で、BGM付きで十字架を見る方が「オレって、死んでも神さまのところに 行けるんだ」みたいな有難い気分になれるのだろうと思う。
実際、肩こりに効くんじゃないかと思えるぐらいの通奏低音をびりびり 背中に感じながら、音響効果抜群の高い天井から頭ごなしに降り注ぐ、 時に厳かで威圧的な、そしてまた時に、夢みるようなオルガンの音を聴いて いると、極楽往生もかくやという気分になってくる。「 神様、このまま私を天国に連れてって!」みたいな。 自宅のCDプレイヤーで聴いてたのでは、こういうことは無理である。 しかし、教会で実際の演奏を聴いてからCDを聴くと、ああ、 こんな感じだったなと、その場面を思い出すことぐらいはできる。
と、まあ、このまま終われば、「自虐が入り込む隙を与えない幸福に満ち溢れた クリスマス休暇」の一日、めでだしめでたし!ということになるのだが、 神様は悪戯がお好きなようで、そうは問屋が卸さない。何と、マリエン教会で 「見てはいけないもの」と遭遇してしまって、一気に バック・トゥ・ザ・フューチャー。ま、これ以上のコメントはしませんけどね。
このクリスマス休暇のテーマは「自虐からの逃走」なので、買ってきた CDをガンガン聴きまくって、全てを忘れることにする。
2010年12月18日(土)
<<関係ないじゃん>>
気温は終日マイナスだけど、快晴の気持ちの良い日。またもレンズ豆の煮込みを
作ったりして、昼過ぎまでゲストハウスでぬくぬくとすごす。このクリスマス
休暇の間に、前にざっと読んだ双有理幾何学の某教科書を精読読破することが
(かなり無謀な)目標。その作業を通して、エディンバラの研究集会で某偉い先生
と立ち話したことの意味を少し考えてみようか、と。
午後は旧市街に衣類や食料品の買い出し。ついでに今晩19時からの コンサートがある大聖堂教会(聖ペーター教会)を偵察。このコンサートには、 当日券狙いでふらりと入ろうかと思っていたが、教会内の何となくものものしい 雰囲気に不吉なものを感じ、大急ぎで教会隣の事務所に行って前売り券はないかと 聞いてみる。全席指定で空席はわずかしか残っていなかった。これは教会の合唱団 のコンサートで、伴奏は教会隣の歌劇場専属オーケストラ。演奏のレベルは非常に 高いし、教会の音響は抜群という、素晴らしいコンサートだった。
実はこのコンサートの裏番組のように、市役所前マリエン教会でも20時から トランペットとパイプオルガンのコンサートがあったので、大聖堂コンサートが 20時過ぎに終わってから、まだ入れるかなと思って行ってみた。 大聖堂とマリエン教会は徒歩2,3分の距離。しかし今日は教会前のクリスマス 市が大盛況で、雪道に足を滑らさないようにに気をつけながら、 人ごみの中を這い進むようにしてマリエンへ。既に開演後30分 を過ぎていたが、入れてもらえた。トランペットはそれほど好きでもないので、 どうかなと思ってたけれど、案外良いコンサートだった。第一、教会で パイプオルガンが聴けるんだから、それだけで素晴らしいことである。
ということで、ドイツのクリスマスシーズンに教会コンサートのハシゴとは、 何と贅沢な生活なんでしょう。オレって、結構幸せ者じゃん! 実は明日も火曜日も、その次の火曜日も、大みそかも教会コンサート目白押しで、 当然全部聴きに行く積り。
え?自虐ネタはどうしたんだって?自宅でぬくぬくと数学を勉強し、それから ちょっと寒いけど美しいドイツの旧市街でお買い物、夜は教会で素晴らしい コンサートのハシゴ。こんな、幸福を絵に描いたような生活の何処に自虐が入り 込む隙があるってんだい?あーっ、駄目駄目!年明け突撃インタビューのことなんて、 思い出させないでくれよ。来年の話をすれば鬼が笑う!って言うじゃないか。 オスナブリュック大学の事?それも一切書かない約束だし。メンザも図書館も クリスマス休暇中なんだから、しばらくは関係ないじゃん。
つまり、だ。この世から私以外のオジサンと私以外の数学者が居なくなれば、 世界は平和だってこと。
2010年12月17日(金)
<<引き寄せの法則>>
今日も大雪。午前中はゲストハウスでぬくぬくと数学。昼過ぎに大学へ。
メンザで昼食の後、隣のカフェで食後のコーヒーを飲みながらまたすこし
数学。メンザの年内営業は今日が最後で、明日から1月2日まで
クリスマス休暇に入る。大学全体もたぶんそうだろうと思う。
コーヒーの後、すぐにゲストハウスに帰り、洗濯。今日は洗濯場が
込んでいるので、洗濯機が空いている時にすばやくやらないといけない。
夕方、洗濯やアイロンかけを終え、旧市街に買い出しに繰り出そうと 玄関を出たら、そこは完全にモノクロの世界だった。昨日にも増して雪が 積っている。亜熱帯ニッポンで生まれ育った私には、降った雪が何日も 融けないという現象がどうもピンとこない。
明日の予想気温はマイナス6度からマイナス10度とか。ベルリンの 寒波はこたえたし、エディンバラの大雪にも閉口した。オスナブリュック に帰ってきてからも大雪とマイナス気温の日々。何だか、何処に逃げても 寒波が追いかけてくるって感じ。この寒波、亜熱帯ニッポンにもすこし分 けてやることができれば、いいのにね。
教会前広場のクリスマス市は相変わらずの賑わい。ちょっと教会に入って ほっこりする。カトリックの聖ピエトロ教会では、キリスト誕生の場面を あらわした人形が飾られていたが、プロテスタントのマリエン教会は特に 普段とは違ってないように思えた。明日、明後日、火曜日と、これらの 教会でクリスマス・コンサートが開かれるので、勿論聴きに行くつもり。
教会を出てから、スーパーで買い物をしてゲストハウスに戻り、夕食。 その後また少し数学。
さて、お待ちかね(?)の自虐ネタ。昨日のクリスマス会で隣の席の オジサンが化学者だというので、化学業界のことを色々聞いてみたけど、 まあ、学者・研究者の世界は何処でも同じように厳しいのね、というのが 正直な感想。オジサンは私みたいに自虐のデフレスパイラルにハマらなくて 良かったね、と。
ブログを漁っていたら、自虐デフレスパイラルに関係する一文を 見つけた:
「自分が嫌いな人は、自分にとって嫌いな人、好きになれない人を、 たくさん引き寄せてしまいます。不思議です。引き寄せの法則です。 そう!自分が嫌いだと、人生の歯車がうまく回りません」
しかし、これは違うんでねーの?「(数学者としての)自分が嫌いな」 自虐の私は、「自分にとって嫌いな人」とか「好きになれない人」、 つまり私以外の数学者を「たくさん引き寄せて」いるかというと、 全く逆で、彼らはアホの高山の相手するのは時間の無駄だと、どんどん 離れて行くから(謎の中国人のフリして自分から逃げてるんだろうが! という突っ込みはとりあえず却下)、 「引き寄せの法則」なんて全然成り立ってないではないか、と。
しかし「そう!自虐人生だと、職業生活の歯車がうまく回りません」 という結論の部分だけは正しいな。 嗚呼、年明けには突撃インタビューだけど、どうしようかなあ(溜息)。 数学以外では「おナルな私」なんだけどね。 自分と語り合っている時が一番好き!なあーんちゃって(それもちょっと変か)。
2010年12月16日(木)
<<自虐の嵐を呼ぶ>>
今日は終日大雪。オスナブリュックの冬は雨が多いらしく、雪は
珍しいとのこと。エディンバラでも同じようなことを言っていたな。
今年の西ヨーロッパは異常積雪なのだろう。
午前中はゲストハウスですごし、昼過ぎにメンザで昼食をとるために 大学へ。研究室でちょっとコーヒーを飲んでからと思っていたら、何となく 帰るのが面倒になり。夕方まで研究室ですごす。雪はますます激しくなり、 半分吹雪のような中を突き進み、スーパーで少し買い物をしてから帰る。
スーパーのレジでは女の人が「貴方、順番を負い抜かしたでしょう。 私の後じゃないの?」みたいなことを言って絡んできた。 ドイツのスーパーは、ベルトコンベアーみたいなところに 自分で品物を乗せて、品物が前後の人と混じらないように専用の区切り棒 を置く。レジの人はレジ作業に合わせて手動でベルトコンベアを 動かし、順番に処理していく。レジの人が処理する すこし前に客がベルトコンベアに品物を置くのだが、その段階で順番は 確定する。この女の人は、私の品物がいよいよレジの人に処理される 時になって、上のような事を言いだしたのである。勿論、その1,2分前に 既にベルトコンベアー上では順番が確定している。
私は、あんた、何言うてますねん?!とばかりに「はあ?」みたいな対応をしつつ、 内心「お前、何言うてんねん?!言いがかりもいい加減にしてくれ」って ドイツ語でどう言えばよかったっけ?みたいなことを考えて 少しパニックってたら、私の前の女の人が「この人は最初から私の すぐ後にいたわよ」と助け舟を出してくれた。それで言いがかり女は引 っ込んだ。
こういう助け舟の出し方や引っ込み方は、すこぶるドイツ的だと思う。 日本なら、言いがかり女が「お前は関係ないやろ。ひっこんでろ!」と 助け舟女に逆切れするはずだから、助け舟にならない。皆それを知っている から、最初から黙っているのである。つまり、「お上」が出てきて裁いてくれる なら考えないでもないが、その辺の人が何か言っても聞く耳をもたずに 逆キレする。ただし、そこで「ひかえおろ!この葵の御紋が目に入らぬか?」 という展開になれば、話は違ってくるというわけだ。
さて、夜はゲストハウスの管理人さん主催のクリスマス夕食会。 ゲストハウスに住む6世帯9人プラス管理人さんの10名。 ドイツ語系の人が多かったが、そうでない人も居たし、 廊下ですれ違ってちょっと挨拶したり、 洗濯機を占拠されて怒り狂って怒鳴りこんできた日本人は、もしかして コイツだったかも?みたいなことはあるけれど、まあ、 皆初対面みたいなものだから、 普段から一緒の仲間内だけで固まるようなこともなかった。 そういうことが幸いして、 日頃「人と話すのは大嫌い」と公言してやなまい私も、 英語や下手なドイツ語でいろんな人とお喋りを楽しむことができた。 まあ、もともと人見知りしない方だしね。 ベルリンの研究集会の懇親会も似たような感じで、珍しく お喋りを楽しめたけど、今日の方がより家族的雰囲気で良かった。
いやはや、これが無かったら今日はエッセン大学のセミナーに行っ て突撃インタービューで玉砕し、今頃はささくれた心で この日誌に自虐ネタの嵐を呼んでいたはず。それを思うと、 日程都合の返事を間違ったのはむしろラッキーだったし、 今回ドイツに来てこんな温かいもてなしを受けたのは初めてだなと、 管理人さんに激しく感謝。