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た
め
の
邪
魔
な
広
告
よ け ス ペ ー ス で す。
2011年2月28日(月)
<<この顔は描ける!>>
掃除の日。8時起床9時出発。まずは旧市街のスーパーallfrischにペットボトルやビールの空瓶をエコ袋一杯のして持ち込み、デポジット返却マシンで清算。それから大聖堂教会へ。黒眼鏡はまだ出勤していなかった。聖堂に入り、昨日決めておいた場所に直行してすぐにスケッチ作業開始。今日も結局2時間以上かかり、教会を出たのは11時半を過ぎていた。
何故こんなに時間がかかるのか。その理由の一つに難しい構図を好んで描くように なったことが挙げられるが、具体的には画用紙を顔のすぐ近くまで近づけて、それで隠れる部分を描こうとするので、構図を決めるのが大変なのである。普通の風景画なら紙と風景を見比べながら作業ができるが、この場合は視界が異様に広いのでそれではなかなかうまく行かず、顔の近くに紙を持ってきたり(この時当然風景は見えない)離したりパタパタしながら構図をとる。
このとき、紙の位置がちょっとでもずれると柱の位置が2メートルぐらい実際とずれたりするので、慎重にやらないといけない。柱が沢山あって、色々な曲線があってそれらが色々な所で交差しているので、この柱はここ、この曲線はこの角度でここに交わりetc.みたいなことをやっていると、簡単に1時間半ぐらい経ってしまう。
構図が決まってしまえば、あとは局所的に見ていけば良いので作業はうんと簡単に なり、それからは小一時間ぐらいで完成してしまう。まあ、こんな具合である。
最近逮捕された殺人事件の某容疑者は、似顔絵を描くのがうまくて、それで 友人がたくさん出来たという報道を聞いたことがある。実際、容疑者の描いた 似顔絵がほんの一瞬だけテレビ画面に出たが、「こいつにはかなわんな」と 思ったものである。
私は研究集会の講演ノートをとる際に、講演者の似顔絵も描いて後でその人が どんな人だったか思い出すのに使っているが、まあ、講演を聞きながら2〜30秒 で覚書のようにちょちょっと描くだけのもので、他人様に見せられるようなもので はない。
ただ、関西日仏学館の講師の先生のご主人と百万遍の交差点で一瞬すれ違って、 あとで「先生は先日この人と一緒に歩いてたでしょ?ご主人ですよね」と ナプキンにボールペンでちょちょっと似顔絵を描いたら、「そう!」と言って 「これ、もらってっていい?」と嬉しそうにそのナプキンを持ち帰って 行ったから、まあ、特徴のある人の似顔絵なら上手く描けることもある。 でも、誰の似顔絵でもうまく描ける自信は全然ない。
いや、何が言いたいのかというと、あの、毎日ただ座って本を読んでるだけの 哲学者でさえちょくちょく話し相手がいるのだから、私も早くから街に出て似顔絵 描きのStrassenkunstlerでもやってれば、週1回B先生と英語での数学の 議論と片言ドイツ語での雑談1〜2分込み込みの1時間ポッキリ以外に、 もっと色々なドイツ人とお話ができたかな、と。不法就労で強制送還されると厄介 だし、大道芸人やるためにサバティカルを取ったわけでもないので、1日2時間だけ 街頭で無料で似顔絵描きをやるのだ。
ただ、「この顔は描ける!」と思ったものしか描けないので、「お前、コレ、 全然似てねえじゃねえかよ、この下手くそ!」とか言われるのも嫌だしな、みたいな ことを思うと、例え早くから気づいていてもやらなかっただろうなとも思うし、 いやいや、こういうものは数をこなして腕を上げれば頭の中のイメージと手の動き が近づいてくるものだから、やってみるべきだったとも思うし。 ま、あと1ヶ月で帰国だから、似顔絵計画は将来の話として、 今は教会スケッチに専念するだけさ。
教会を出てからNeumarktのデパートKaufhofに行き、水彩絵の具としても使える24色の色鉛筆を買う。スケッチだけでなく、色もつけてみるかと思ったりするのだが、 こういうものは使ったことがないので、少し試し描きをしてから考えよう。Kaufhofの帰りは大通りのスーパーallfrischで食料品の買い出し。途中哲学者の傍を通ったが、 今日は珍しく漫画を読んでいた。
昼過ぎにゲストハウスに戻り、すぐに大学に行きメンザで昼食。研究室でちょっと休みながら論文を少し検索して、またすぐにゲストハウスに戻る。さて数学でもと思ったが、今朝は早起きしてかなり睡眠不足なので、ソファーで2時間ほど昼寝。それから 夕食を挟んでしばし数学。
2011年2月27日(日)
<<しくしくと泣く>>
午前中はゲストハウスで数学。午後は街に出る。朝食が少し遅かったので、
とりあえず大聖堂教会にスケッチに出る。途中市立図書館の近くを通ったが、
哲学者が例の住処の壁にもたれて何か読んでいた。
大聖堂教会は昨日にひきつづき、にわか物乞いの男女が昨日と同じように座っていた。
しかし、ふと見るとリュックサックを座布団がわりに敷いているところに進歩が
みられる。これは黒眼鏡がやっているのと同じ方法だ。哲学者は折りたたみ式の椅子
に座っている。
ドイツの物乞いについてネットで少し検索してみたら、定年後にドイツに語学留学 か何かで来ている人のブログに、私と同じような疑問が書かれていた。ただ私の場合、 疑問をぶつける相手がいないので、ひたすらフィールドワークばかりやっているが、 その人は、さまざまな国から生徒が集まっているベルリンかどこかの語学学校の クラス討論の場で皆に聞いてみたらしい。
結論としては、西洋では困った時は他人にお金を含む援助を求めても良い と教え、東洋では困っても他人に迷惑をかけてはいけないし恥を知るべきであると 教える違いがあるとのこと。では、東洋と西洋でなぜこのような考え方の 違いが形成されたのかについては、そのブログには特に書かれていなかったように 思うし、私にもわからない。大聖堂教会の中に"Fuer die Armen (貧しき人びとのために)"と書かれた募金箱みたいなのがあるし、キリスト教の影響かなとも思うけど。
また、日本では物乞いは軽犯罪であり、電車賃が無くなったときは警察官が貸し てくれたりする(らしい)が、ドイツの警察がお金を貸してくれることはありえな い。物乞いを軽犯罪とする日本の感覚だと、いつも特定の店の前に座っている 哲学者は営業妨害で警察に通報されるはすだが、彼が邪魔者扱いされている形跡はなく、それどころか色々な人から親しげに話しかけられたりもしている。
さて、数学者社会では、困った時には他人に教えを乞うても良いと教えられている のか、それとも、たとえ困っていてもつまらない質問で他人に迷惑をかけてはいけな いし恥を知るべきであると教えられているのか?私は黙殺大魔王の偉い先生を日本と ドイツで各1名ずつ知っているので、西洋と東洋であまり違いはなく、「馬鹿は物乞 い(質問)をしてはならない」という点で一致しているのだと思う。では質問しても 黙殺されて、追い詰められた私のような馬鹿はどうすればよいかというと、わから ん!わからん!としくしく泣きながら自分で勉強するしかないんだよね。
今日のスケッチも梃子摺って、2時間半以上はかかった。最初の頃は1時間半だったのに、何でこんなに時間がかかるようになったかというと、回を追うにつれて より複雑な曲線が絡み合う場所を選んで描くようになったことと、 描き方が知らず知らずのうちにスケッチという感じからデッサンに近いものに 変わってきたことが原因のようだ。
いずれにせよ、自分のスケッチを写真に撮ってPCのスライドショーモードで 見ていると、「ここのところ、もうちょっと何とかならなかったかなあ」と思うことも多々あるけど、基本的には「いいなあ」って感じで何時まで見てても全然飽きないと ころが、いかにもおナルで俺サマの私らしい。
作業の途中に休憩を入れて、前から目をつけていたマリエン教会前のカフェに 初めて入って昼食をとり、また戻って作業続行。哲学者はずっと図書館軒下かと思 ったら、いつの間にか大聖堂教会前の教会グッズ販売店の角っこで「商売」して いた。どうもこの男は角っこが好きなようだ。大聖堂教会前のにわか物乞い男女も 姿を消し、いつものように黒眼鏡が「出勤」していた。
スケッチを終えて教会を出たのは16時半を過ぎていた。まっすぐゲスト ハウスに戻り、わからん!わからん!とシクシク泣きながら数学の勉強。 昼食が遅かったので、夕食は遅めに軽くすます。
2011年2月26日(土)
<<静かな沈黙の生活>>
午前中はゲストハウスで数学。昼過ぎに街に出る。スーパーallfrischの立ち食い
軽食コーナーは、前からちょっと美味そうだなと目をつけていたのだが、立ち食い
に抵抗があって長い間パスしていた。しかし、まあ、帰国の日も近づいてきたことだし、気になることは全部やっておこうと、今日はここで軽く昼食。うーん、ちょっと
軽すぎたかな、と。
それからすぐ近くの大通りの哲学者をちょっと視察して、Uターンして すぐに大聖堂教会に向かう。先週も居たにわか物乞いの男と、時々現れる 40代ぐらいの女が教会の入り口の両側に居座っていた。二人とも装備が甘く、 座り方も長期戦に対する覚悟がみられず、物乞いにしては根性が入っていない。 黒眼鏡は別のところに行っているのか、姿は見えず。
早速聖堂に入って昨日のスケッチの続きを完成させる。 1時間ぐらいかかっただろうか。今回のはずいぶん梃子摺った。昨日 はメンザで黙殺大魔王のことを思い出してしまうわ、スケッチは 中途半端なところで中断するわで、どうもしっくりこない一日だったけど、 これですっきりした。 後片付けをして、聖堂を一周回って次のスケッチの場所を捜してから教会を出る。
再び大通りに出て哲学者のところに行ったら、若者を卒業しオジサンの域に しっかりと両足を踏みしめたような、いやに軽装の痩せた男が哲学者と話していた。 しかも、よく見ると、軽装の男が差し入れたのだろうか、哲学者の膝の上にはピザ ハットのピザの箱が乗っており、二人はピザを食べながら話をしていた。
うーむ。私はこれまで、哲学者や黒眼鏡が静かな沈黙の日々を送っており、 有り余る時間を読書に費やすことによって、かろうじて言葉を忘れずにいると 思い込み、ほのかな親近感さえ抱いていた。しかし案外彼らは私よりも 沢山話し相手がいて、より豊かな言語生活を送っているのかもしれない。 ただ、彼らがどんな話をしているのか気になるところだけど、それを聞いても 理解できないことが、かえずがえすも残念でならない。
Thalia書店に立ち寄って、最近よく目につく石坂浩ニの若い頃みたいな著者による 科学啓蒙書を2冊購入。「星はなぜまばたく?」「写真を撮ると目が赤く写ったりするのはなぜ?」といいった生活の中の科学的疑問をわかりやすく解説している本らしい。
まあ、こんな風にちょいちょい本を買うのだが、大抵は読まずに置いておく だけである。私は子供の頃から絵を描いたり音楽を聞いたり偵察飛行することは 好きだが、息抜きや楽しみのために本を読むことは、あまり好きではないようだ。 読むものといえば、子供の頃は教科書や学習参考書。今は論文や専門書ばかり。 読むより書く方が面白いし。
Thalia書店を出てNeumarktのGaleria Kaufhofへ。allfrischでの立ち食い昼食 が少な過ぎたので、Kaufhofの最上階のレストランで、またすこし昼食の続きを食 べ、コーヒーを飲む。前の席で年金生活ン十年の女二人がぼそぼそとお喋りをして いた。何時間も前からこうやってお喋りしていて、コーヒーのおかわりをしたのか、 二人ともカップを2つずつトレイに乗せていた。日本でもドイツでも、気のあった 女友達同士がこうやってぼそぼそ何時間も話している風景はよく見掛ける。
Kaufhofを出て、近くのAktiv Marktというスーパーで買い物をしてから、 ゲストハウスに帰る。途中哲学者の横を通りすぎたが、ビザはもう食べ終わったのか 軽装男は立ち去り、また例の分厚い本に読みふけっていた。大聖堂教会 では、根性不足のにわか物乞いたちが去って、黒眼鏡がいつものように座っていた。
ゲストハウスに戻り、夕食を挟んでしばし数学。
2011年2月25日(金)
<<本日退散>>
午前中は洗濯と少し数学。昼過ぎに大学のメンザで昼食。メンザに例の黙殺大魔王
の某大先生に目の表情と顔の皮膚の感じが似た男が居て(顔全体は全く似てない)、
折角ここ2、3日忘れていたのに、また嫌なことを思い出してしまった。
その後研究室で食後のコーヒー。ほとんど何も置いてない研究室だが、 少しだけ整理して、日本に持ち帰るものと捨てるものを分別する。
それからすぐに大学を発ち、大聖堂教会へ向かう。途中にある公園で、 葉が全て落ちた木の枝ぶりが脳の血管のように見えたので、思わず写真を一枚。 それにしても、この異臭は何だろう。
1月ごろからだろうか、、オスナブリュックの特に大学に近い山の方 では異臭がたちこめている。木を焦がしたような、あるいはホルマリンのような、 少し刺激臭気味の嫌なにおい。最初は山火事か毒ガスかと思ったが、 皆平然とその辺を歩いているから、この地方特有の植物か何かの 臭いかもしれない。
大聖堂教会の黒眼鏡は、荷物を置いたままどこかに行ったままだった。 置いたままの自転車に透明のビニール傘が差してあった。哲学者は小さなリアカーに 寝袋から何からなにまで全て積んで、自転車で引いて持ち歩いているが、黒眼鏡は 親元(?)から通っているせいか、その日によって微妙に持ち物が違ってたり する。
教会に入って昨日決めておいた場所に直行し、スケッチ開始。今日は結構難 しいところを選んだので、1時間半では全然終わらず。そのうち、教会の活動の 一環だと思うが、小学生ぐらいの子供を集めて何やら催しが始まるらしく、 私の周りに子供や引率の親やなんだかんだが集まってきて、私がスケッチしている 目の前で親が立ち話を始めたり、子供が珍しげにスケッチを覗き込んできたりと、 色々なことが同時発生して集中できなくなってきた。 ちょうどトイレもしたくなってきたし、ということで本日これにて退散。 明日また続きを描こう、と。
大通りに出たら、哲学者が例の5cmぐらいの厚さの本を4cmぐらいまで 読み進んでいた。通りがかりの若者からオジサンへの移行期にあたるような男が、 哲学者に何か話しかけていて、哲学者はぼそぼそと答えていた。移行期の男は、 無限に続く問わず語りの年金生活オジサンとは違い、二言三言のテンポの良い 会話だけで去っていった。
それからスーパーallfrischと菓子屋のLeysiefferで買い物をしてから、 ゲストハウスに戻り、夕食を挟んでしばし数学。
2011年2月24日(木)
<<歌を思い出す>>
今朝メールをチェックしたら、4月からの卒研生から「課題、できました」との
メールが届いていたので、午前中は次の課題を作って送る。それから大学に行き、
図書館で古い文献を探してコピー。今では代数学と言えば抽象的な理論を自然に
含んだものを指すが、1960年代はまだ「抽象代数」という言葉が使われてい
て、その頃の代数の教科書は、今のそれのように「明らか」を連発することなく、
とても丁寧に書かれている。図書館での用が済んだら、メンザで昼食、研究室で
食後のコーヒーの後、すぐにゲストハウスに戻って野暮用を片付け、街に出掛ける。
今日はマリエン教会でスケッチ。ここは午後は14時半から16時までしか 開いておらず、私のスケッチは1枚1時間半かかるので、14時半きっかりに 到着。あらかじめ決めておいた場所に行き、直ちに作業開始。途中、当番の オジサンがやってきて、「ちょっと絵を見せてもらえんか」と言ってきたので、 「勿論!」と描きかけのスケッチを見せたら、おおっ!すごいって感じで一瞬 驚いていた。ふっふっふ。歌を忘れたカナリアが、歌を思い出すとこんなのを 描くんだよ。よおく覚えておくことだ。ふっふっふ。
スケッチは16時10分前ぐらいに終わり、教会を出て隣の市庁舎へ。 実はここは無料でトイレが使える数少ないスポットの一つ。それに中世の頃の街 の模型が展示されていて面白いし、ウエストファリア条約が締結された「平和の間」 も自由に見学できる。「ほんまに立派な街やなあ、尊敬するわ」と思いながら 市庁舎を出て大聖堂教会へ。
黒眼鏡がHalloと言っていた。聖堂内に入って次のスケッチの場所の目星をつけて すぐに教会を出る。黒眼鏡は荷物を置いてどこかに行ってしまったようだ。遠出をして いるとみえて、彼の自転車がない。
大聖堂教会を後に大通りに出て、哲学者を視察。今日は座る位置が微妙に 変わっていたが、その理由は不明。彼はいつも建物の隅っこに簡易折りたたみ 椅子を置いて座っているのだが、今日は風が当りにくい方に移動したのかもしれない。彼はまだ真新しい、機動隊員が履いてそうなしっかりとした皮の紐靴を履いている。あまり歩き回ることはなさそうだから、靴がすり減るようなことは少ないとは思うが、それにしてもいい靴を履いているな。
Markthalleをちょっと偵察して、そこに入っているパン屋でいちじくパン(Feigenbrot)が売ってないか見てみたが、無さそうだった。ドイツのことだから、 日本のジャム・パンや餡パンのように、パンの中にいちじくジャムが入っているパン ではなく、イチジクの実を練り込んで焼いてある黒パンだろうと思うが。
Markthalleを出て、スーパーallfrischで買い物をしてからゲストハウスに戻る。 今日のスケッチを写真に撮ってパソコンに転送する。これでもう7枚溜まった。 スライドショー・モードにして見ると、なかなかいい感じ。パッと見てパシャっと 撮った写真より、1時間半じいーっと見て描いたスケッチの方が、私にとっては 遥かにリアルだし。
それから夕食を挟んで、しばし数学。
2011年2月23日(水)
<<話、聞きます>>
起きがけに、そういえば黒眼鏡はいつも私にGuten Tag!だとかHallo!とか挨拶
してくるから、その声は聞いていたことを思い出した。勿論、彼の挨拶以上の
話を聞いたのは昨日が初めてだが。
今日は週に1度B先生との面談日。最近は私が一週間勉強したり考えたり したことを聞いてもらってコメントをもらう形が多い。これは一人で悶々と 勉強するよりも色々な面で効率的である。
メンザで昼食の後、図書館やネットで文献を探し、ダウンロードしたりコピー したりしてから大学を発つ。ゲストハウスに戻って荷物を入れ替え、いざ旧市街へ。 マリエン教会で次のスケッチの場所を決める。マリエン教会は開館時間が短いので、 1枚に約1時間半かかるスケッチだと、好き勝手な時間に行くと途中で時間切れに なることが多い。今日はもう駄目だ。
マリエンを出てすぐに大聖堂教会へ。黒眼鏡がGuten Tag!と挨拶してきた。 聖堂に入って昨日と似たような場所でスケッチ。今日は1時間20分ぐらいで 描き上げる。
大聖堂教会を出て大通りへ偵察飛行に出る。勿論お目当ては哲学者。例のぶ厚い 本は4割ぐらい読み進んでいた。私が通りすぎて数秒後、黄色い蛍光塗料のテープを巻いて目立つようにした彼の紙コップにお金を入れる音がしたので、すかさず振り返っ たが、誰が入れたかは分からなかった。
Thalia書店に寄ってから戻ってくると、年金生活者のオジサンが哲学者に話しかけ ていたので、早速近くに寄ってさりげなく聞き耳を立てる。例によって何を話している のかさっぱり分からないが、オジサンが一方的に問わず語りをして、哲学者が適当に相槌を打つ形で延々と会話が進んでいた。オジサンのとりとめもなさそうな話は とどまるところを知らず。最後まで見届けようと思ったが、路上は寒いので断念し、 雑貨スーパーで買い物。
昨日の黒眼鏡の件もそうだが、黒眼鏡や哲学者にお金を払って世間話の相手 をしてもらったり、問わず語りを聞いてもらったりというパターンである。私も 関西日仏学館やゲーテやドイツ語寺子屋塾の人々にお金を払って話相手になって もらうようになってかなり長いが、そろそろこれまでつぎ込んだお金を回収す る方法を考えた方がいいかもしれない。「話、聞きます」って看板出しておけば、 結構いい商売になるかもしれないな。西洋人は他人の話をあまり聞かないから、 哲学者みたいなのは案外重宝されて、本を読んだり、ココアを飲んだり、新しい 紙巻き煙草を吸ったり、Apfelschorleの1.5リットルペットボトルを買ったり、Markthalleの焼きそばやマクドナルドのハンバーガーを買ったりするぐらいの お金は十分稼げるのかも。
帰り道、11月頃に店じまいしていたアイスクリーム・カフェがまた営業を 始めているのを発見。ドイツ人はジャガイモとApfelschorleばかりでなく、 アイスクリームも大好きである。既に店内には多くの客がいた。 エッセンにもアイスクリーム・カフェがあったが、あれは不思議なもので、 冬は完全に店じまいしてしまう。店舗の稼働率を上げるために、日本のように 夏はかき氷、冬はおでん、みたいなことはせず、只々店を閉めている。その間店の 人が何をしているかは不明である。案外イタリアあたりで、ゆっくり休暇を楽しんで いるのかもしれないし、南半球に飛んでそこでまたアイスクリームを売ってるのかも しれない。
ふーん、色々なことがあるんだなと思いつつ ゲストハウスに戻り、夕食を挟んでしばし数学。
2011年2月22日(火)
<<激しく後悔>>
午前中は自宅で数学。昼過ぎに大学に行き、メンザで昼食、研究室でコーヒー。
そしてすぐに退出して旧市街へ。今日も快晴だが、気温は日中でもマイナス2度と、
昨日に引き続き寒い。マリエン教会をさっと偵察して、大聖堂教会へ。黒眼鏡は
いつもの赤いリュックサックで、煙草を1本取り出して火をつけ、煙草の箱を
懐にしまうところだった。
大きな教会では中央の祭壇の裏手が回廊になっていて、それに沿って小 さな礼拝室がいくつかあるが、今日は回廊のベンチに座ってスケッチ。時々 数名から10名程度の観光客みたいな老人たちが前を通って視界を遮られたが、 すぐに向うに行ってしまった。
今日もやはり1枚描くのに1時間半ぐらいかかった。まるで工業製品の 生産のように、いつも同じ時間かかるというのは、何故かしら。
教会を出ようと正面出入り口にさしかかったとき、一人のオジサンが黒眼鏡 に近寄り、お金を差し出すところだった。すかさず半開きの扉の裏に身を潜めて 様子をうかがう。オジサンは黒眼鏡のコップに小銭を入れてから、黒眼鏡と何か世間話 を始めた。私は黒眼鏡の声を初めて聞いた。よく通る落ち着いた低い声だ。 私はゆっくりと外に出て、彼らの近くで遠くを眺めながら「さて、これから何処に 行こうかな」というような素振りをしながらも聞き耳を立てた。
しかし結局何を喋っているのか全く理解できなかった。前の哲学者と若づくり 女の会話の時も痛感したことだが、こういう時のためにもっとドイツ語をちゃんと 勉強しとけば良かったと激しく後悔する。
オスナブリュック大学関係者との夕食会で、彼らが私を独り置てきぼりにして、 何時間も何時間も彼らにしか分からないことをべらべらべらべらべらべらべらべらと 延々と喋りまくっているのは別に構わない。どうせ連中は下らないことしか話 してないだろうし、そんな無駄に言葉を垂れ流しているだけの会話を理解した ところで何になろう。
しかし、哲学者や黒眼鏡の言葉は、仮に彼らが大嘘つきで、 見知らぬ人に話しかけられて、「いやあ、こないだ、猫に煙草を1本もらいまして ね。その煙草が旨いのなのって。何かと思ったらマタタビだったんですよ」みたいな テキトーな作り話ばかり答えていたにせよ、あるいは「私は親と同居ですが、 『ぶらぶらしてないで仕事を探せ』とか色々五月蠅いので、 昼間は自由を求めてここですごしてるんですよ」みたいな話をしているにせよ、 それは彼らにとって真実の言葉であり、断固として傾聴するに値する。 それを耳にしておきながら、全く理解できなかったというのは、 私にとっては人生の損失とも呼べるゆゆしき事態である。
と、打ちのめされた気分で大通りに出る。哲学者は例の分厚い本を閉じて 膝の上に置き、道行く人々を眺めていた。そういえばこの男、高校時代の体育教師 のMにちょっと似てるな。Mは「卓球は女のスポーツだ」と仰天モノの暴言を吐き、 いきなりハードル走をさせて、その順位だけである学期の成績をつけ、 別の学期では「雨が多く実習が少なかったから」という理由で、陸上競技のトラック の間隔や線の幅が何センチ何ミリか?みたいな下らない問題ばかり定期試験に 出して、この俺サマに10段階中4(10が最も良い)の成績をつけよった男である。 哲学者とずいぶんイメージが違うが、最高の知性に陰に潜む愚鈍の隠し味といった ところか。
例のApfelschorleのペットボトルは、 あと2〜300cc程度を残すのみとなっていた。 通りすがりに哲学者と目が合った。心なしか「俺はお前のこと知ってるそ。 毎日俺の前を通って偵察してるんだろ」と言ってるような目だった。 確かに彼に話し掛けたりして面が割れると、それ以後の偵察活動が やりにくくなる。
これは数学者にも通用する原理で、下手に接触を持って「こいつアホや」 と思われたり、調子こいて質問メール出して2回目でブラックリストに載り、 3回目で黙殺を決め込まれたりすると、その後研究集会で顔を合わせて気 まずくなったり、私の糞論文が連中に査読に回って「ああ、あの馬鹿の論文か」 と碌に読まずに採録却下されたりと、色々仕事がやりにくくなる。 やはり馬鹿はどんな活動でも極秘裏にやらないと、自由度が著しく阻害 されてしまう、ということはこれまで何度もこの日誌で書いてきた。
帰り道、16世紀から続いているFachwerkのワイン商店前で観光客 が集まっていた。このあたりは歴史的景観がよく復刻保存されていて、 ドイツ国内の年金生活者達の観光スポットの1つになっている。やはり 年金生活者のボランティアと思われるような人が、団体客を相手に ガイドをやってたりする。その団体の中にさきほど黒眼鏡と雑談をしていた 好々爺風のオジサンも居た。
ゲストハウスに戻り、夕食を挟んでまた数学。
2011年2月21日(月)
<<靴を買う>>
またも「あの」シリーズの瞬間的復活である。昨夜のコンサートで古楽器ピアノを弾
いていたGerrit ZitterbartとかいうピアニストのCD.ベートーヴェンの
ヴァイオリンとピアノのためのソナタニ長調・イ長調・変ホ長調を現代ピアノと
古楽器ピアノの両方で弾いて、それぞれ1枚のCDにした2枚組15ユーロの超お
得セット。
このCDの中身はとても良くて、「ああ、ベートーヴェンってやっぱり天才 なんだな」とよくわかって大変満足してるのだが、ジャケットの絵がどうもねえ。 やっぱりベートーヴェンの人相の悪さが影響している。もひとつ5ユーロで買った CDのジャケットに描かれている若い頃の肖像を見ても、どうも目つきが悪い。 ベートーヴェンが現代に生きていて、その辺をうろうろしてても、私はたぶん 何だかかんだ言って、半径5メートル以内には近づこうとしないだろうと思う。
ボンのマックス・プランク数学研究所の近くにベートーヴェン像が建って たけど、たぶん実物よりも巨大に作ってあって少し不気味で、しかもペンを 握ってぐいと腕まくりなどしている。最初は戦国武将か何かの「お前、殴っ たるから、ちょっとこっちへ来い!」像かと思ったら、ペンを持っていた。 「ペンは剣より強し」か?では貴方は一体誰と戦っているの?と。
さて、本日掃除の日。8時起床9時出発。市立図書館軒下で まだ哲学者が寝ているのを遠目に確認して、大聖堂教会に直行。黒眼鏡も まだ「出勤」してなかった。聖堂に入って天井の曲線をスケッチ。今日も やはり1枚描くのに1時間半ぐらいかかった。風景画だと建物や道の位置関係 さえ間違えなければ、多少線が歪んでいてもかえって面白いし、間違った線も消 さずに正しい線を描くための基準線にすれば良く、えい、やっ!と30分もあれば 描けてしまう。
しかし教会の天井でそれをやっても全然面白くなかったので、ちまちまと 線を描いては消し、消しては描きみたいなことをやっていると、あっという間に 1時間半が経ってしまう。教会を出る時には、既に入り口に黒眼鏡が座っていた。 今日も赤いリュックサックだった。
それから大通りに出ると、哲学者もいつもの指定席に座っていた。 今日は紙コップでココアのような ものを飲みながら、真新しい分厚い本を読み始めていた。 足元の籠を見たら、もう一つ 分厚い本が入っていた。
哲学者の調査を終えてから、昨日目をつけておいた靴屋に入り靴を買った。 12月の大雪や5時間連続踏破など、過酷な条件のもとで日々私の偵察飛行に 付き合ってくれたClarksのNatureIIがとうとう「壊れた」から。 110ユーロって、何だか日本で買うよりもずっと安いな。
ゲストハウスに戻って、とりあえず洗濯場のアイロンを確保してから大学へ。 メンザでの昼食、研究室でのコーヒーの後、すぐにゲストハウスに戻り、洗濯。 その間しばし数学でも、と、ソファーに寝っ転がって本を読み始めたら、昨夜の 睡眠不足がたたり気を失う。ふと目が覚めたら洗濯が終わっていた。アイロンかけなどを終えてから、しばし数学。夕方にまた旧市街を偵察飛行。哲学者は朝読み始めた本を 厚さにして1cmほど読み進んでいた。スーパーで少し買い物をしてからゲストハウスに戻り、夕食の後、しばし数学。
2011年2月20日(日)
<<歌を忘れたカナリア>>
午前中はゲストハウスですこし数学。昼食もゲストハウスで簡単に済ませ、午後は
マリエン教会にスケッチの続きを描きに行く。ここは信者みたいな人が日替わり
交代で見張り番をしているが、今日の担当のおばさんが寄ってきて、
「貴方は絵を勉強(lernen)しているの?」と聞いてきたので「私は誰にも絵を習って
いない(ichi lerne Malen von niemand)」と答えると何故か一泊おいて「じゃあ、
個人的(ganz privat)にやってるのね」と言うので「そうだ」と答えておいた。
後で考えてもこのやりとりは少し変な気がしてたのだが、もしかしたら「貴方は (どこかで)絵を教えて(lehren)いるのか?」つまり絵の先生なのかと聞いていた のかもしれないがよくわからない。ま、所詮俺サマのドイツ語はそのレベルなのさ。
オスナブリュック大学に半年滞在していても、ホストのB先生がお義理で週に 1回だけ相手してくれるのを除いて、アホの高山には誰も話しかけてこず、危うく 言葉を忘れてしまいそうだ。しかし、教会でスケッチしていると、すぐにオバサン が寄ってきて声を掛けてくる。そりゃあ、悪い気はしない。しまったなあ、 こんなことなら、もっと早くからスケッチを始めていればよかった。こんな綺麗な 街に来てるのに「歌を忘れたカナリア」状態がちと長すぎたようだ。
若い人は知らないだろうが(実は私も母から教わっただけで直接は知らない)、 昔そういう歌が流行った。♪歌を忘れたカナリアは〜、柳のムチでしばきましょうか〜?いーえ、いえ、それはなりませぬゥー♪とかいう無茶苦茶な歌詞だったと思う。
昨日とあわせて1時間半ぐらいかかってようやくスケッチ1枚完成。 半年ドイツで遊ばせてもらったけど、数学の方は10月にお倉入り寸前の糞論文1つ 書いただけで鳴かず飛ばず。だから、せめてスケッチだけでもせっせと描いて帰ろ うか、と。
スケッチは写真とどう違うのか?って、まあ、それは同じ楽譜でも 演奏者によって違いが出るように、スケッチもそういうところがあって、そこが面白いのでしょう。と、他人事のように言っておく。私はただ描きたいから描いてるだけ。 スケッチしている間はそれをずっと見つめているのだが、その時間が楽しいわけで、 スケッチはその副産物というか、私はこれをこんなふうに見てましたという記録の ようなものかな。
マリエン教会を出て、その前の市立図書館軒下に哲学者が寝ているのを確認してから 大聖堂教会を偵察。それからヨハン通りまで足をのばし、聖ヨハン教会内に潜入し、 スケッチの題材がないか調査。聖ヨハンは1000年の歴史を持つ立派な教会だが、 「天井の曲線群は単調でいまひとつ」との結論に達する。無駄足だったかなと 思ったが、今日ここでピアノ・コンサートがあるのをすっかり忘れていて、教会の 掲示版を見て思い出した。
急遽ゲストハウスに戻り、アメリカ数学会のレビューの仕事を片付けたり 、少し数学を考えたりした後、やや早目の夕食。19時前に ゲストハウスを出て、哲学者が住処に荷物を置いてどこかに行ってるのを確認してから 聖ヨハン教会付属の催物ホールに行き、19時半から21時過ぎ までのコンサートを聴く。潜伏生活30年の綾小路きみまろさんかいな?みたいな人が 居たが、その人がピアニストで、ハンマーフリューゲル(フォルテ・ピアノのことであろう)という古楽器でベートーヴェンを弾いていた。くそーっ、オジサンのくせに いい音出してくれるわ、と展示販売のCDも2枚買ってしまった。 ゲストハウスに戻る途中もまた哲学者を偵察。今度は寝袋にすっぽり入って寝ていた ようだ。今夜はまた冷えるからな。
2011年2月19日(土)
<<だ・か・らぁー!>>
午前中はゲストハウスで数学。昼過ぎに街に出て、Markthalleで超人気アジア風焼きそば
で昼食の後、衣料品店でセーターを買う。去年の秋に買った2着のトレーナーの
品質があまり良くなく、洗濯で縮んだり破れてしまったりしてるので、何かもひとつ買っておこうか、と。
今日は黒眼鏡が衣料品店の近くの路上に座っていた。これは哲学者の指定席から 2、30メートルの距離である。さては大聖堂教会に 先客が現れたなと思って現場に急行すると、にわか物乞いみたいな男が黒眼鏡の 指定席にへたりこんでいた。不思議なものだ。何かあるとすぐに教会の入り口に へたり込んで物乞いをするというのは、ヨーロッパ文化共通の了解のようだ。 誰も「あの人、あそこで何やっての?」「さあ、知らないけど『お金ください』 ってさ」「ええ?何で?馬鹿じゃないの?」みたいな事は言わず、むしろ幾らかの 実入りは確実に期待できるようだ(そうでないと、あんなに誰かれも教会の前にへたりこんだりはしないはず)。その社会的背景を知りたいけど、よくわからない。週に1度1時間の会話の時間にB先生に聞いてみても、「はあ?」とか言ってるだけだし。
ちなみに今日の黒眼鏡は真新しい真っ赤なリュックサックを持っていた。昨日持ってきた緑のはどうしたんだ?
大通りの哲学者は荷物だけ置いて不在だった。昨日満タン状態で持っていた Apfelschorleの大型ペットボトルは、2〜300cc程度減っていた。
それからスーパーで食料品や雑貨を買ったり、Leysiefferでお菓子を買ったりしてから一旦ゲストハウスに戻り、荷物を下ろしてコーヒーで一息。それから マリエン教会へスケッチに出掛ける。閉館時間まであと40分。 風景画なら40分もあれば十分描けてしまうが、教会の天井の曲線はとても難しく、 結局また明日来て続きを描こうか、と。
そういえば、マリエン教会に向かう途中、アジア系の若い男とすれ違ったが、彼 は微笑みながらGuten Tag!と挨拶してきた。以前にも別の所で似たようなことが あった。ある国の人たちは見知らぬ者でも同じ国出身の人間だと思うと挨拶する のか。中国人や日本人は、友人知人縁者以外は人間だと思っていないから、 そんなことは絶対しない。コリアンはどうだか知らない。あるいは、オスナブ リュック大学にもベトナム系の大学院生が何人かいるから、東南アジア系かも しれない。タイとかラオスあたりだと、ちょっと身長が低めかな、ということを 除いて、見掛けは日本人と変わらないし。え?Guten Tag!にどう応えたかって? そりゃあ日本文化を背負って生きてる私ですから、咄嗟のことだし 「あんた、何?」みたいな顔して無視しました。別にそれが良いこととは思って ないけどね。
マリエン教会を出てから、その前の市立図書館軒下の哲学者が夜寝ているあたり を調査。地下の通気口の網の上だが、ときどきふっと温かい空気が上がってくる。 ドイツの寒い夜をしのぐために、こういう場所を見つけたのだろう。次に 大聖堂教会を偵察したら、黒眼鏡が定位置に戻っていた。 教会内を一周し、次は何処を描こうかなと下調べをしてからゲストハウスに戻る。
夕食は久しぶりにレンズ豆の煮込みを作った。いつもはBockwurstという茹でて食べるソーセージを刻んで入れたりするが、Linseneintopf mit Speck (ベーコン入りレンズ豆の煮込み)というものもあるので、今日はSpeckではないけどサラミソーセージを 刻んで入れてみた。夜もまた少し数学。
ところで、ある数学者のホームページを読んでいたら、研究者たるもの多少鈍感 でなくてはいけない、講演を聞いた後で講演者のところに行ってどんどん質問する ぐらいでないといけないなどと書いてあった。でもね、最近大先生突撃インタビューの経験から学んだことだけど、質問は2回までにとどめた方がいいのではないか、と。 仏の顔も三度までというが、数学者は仏じゃないから1、2回が限度よ。
多くの場合、1回目は親切に答えてくれる。しかし同じテーマでさらに突っ込んで 2度目の質問をすると、今度はえらく簡潔明瞭でそっけない答が返ってきて、 「これで分かるでしょ?」などと書いてある。それでもまだ分からないところに絞って三拝九拝しつつ3回目の質問をすると、もう返事が返ってこない。回を追うごとに 質問が高度になっていく場合は良いが、だんだん質問レベルが下がってきて 「すみません、基本的なことですけど、これはどうなんですか?」みたいな話になると、「知らん!」と突き放されるわけである。
と、まあ、そういうことで「やっぱり予想通りの展開になったなあ」と、 最近折にふれてクヨクヨしているわけだが、数学 研究者たるもの、「あー、返事返ってこなくなったか。嫌な奴だなあ。ま、 色々忙しいのかもしれないし、しょーがないな」と軽く流せるぐらいに 鈍感でないといけない。
上記大先生のリアクションが数学者として別に特別なことではないことは、学部 学生でも知っている。講義が分からなくて質問に行くと、とりあえずは丁寧に 答えてもらえるが、その説明ではてんで分からなくてくどくど食い下がって聞くと、 大抵の大学教師は「だ・か・らぁー(怒)!」とか声を張り上げてキレ始める。 そんな調子だから怖くて最初から質問などしないのである。こういう3回目で キレる人たちを相手にやっていこうと思えば、かなり神経が図太くなければ駄目 だということは、何も学生に限ったことではなく、数学がわからなくて アップアップしているしょぼい数学研究者にとってもあてはまることなのだ。
2011年2月18日(金)
<< Apfelschorle >>
午前中はゲストハウスで数学。昼頃にメンザに行って昼食、その後研究室で食後のコーヒーを飲み、さてと午後は教会でスケッチして旧市街で買い物しようと大学を出る。
と、大学の前の道で、ちょうど出勤してきたB先生に捕まり、「14時から代数系の
学位論文公聴会があるのに出ないのか?」と。何で貴方達はそういうことを、
いつもいつも2時間半前とか20分前の偶然の出会いでもない限り知らせてくれないのかと聞くと、「お前はメールを見てないのか」という。
そういえばこのフレーズを過去に2、3回聞いたような気がする。そのたびに 「知らない。この大学からは一度もメールは届いたことがない」と答えていたが、 「ふーん、メーリングリストに入ってないのかな」という答が返ってくるばかりだ った。なるほど、そうか。私はメーリングリストに入れてもらえず、 つんぼ桟敷に置かれていたのだ。ずいぶん馬鹿にした話だが、 この大学の行事に特に関心があるわけでもないし、 あと1ヶ月ぐらいしかここに居ないから、そんなことはどうでもよい。
兎に角これで午後の計画に変更を余儀なくされ、公聴会を聞きに行くことに。 その後のコーヒーやクッキーなどの祝賀小パーティーは退屈なだけだからパスし、 結局最初の予定よりも2時間後に再び大学を出る。
マリエン教会は既に閉館時間直前だったので、大聖堂教会へ。黒眼鏡は新しい 緑の大きなリュックサックを持っていた。そんなお金がどこにあったのか。やっぱり 親元から通ってるのかしらね。
大聖堂教会の中でスケッチをしてたら、シスターが物珍しげに寄ってきて 「絵を描く(malen)のですか?」と聞いてきた。絵具は使わないので スケッチ(zeichen)だけど、まあ、そうだと答え、「あの天井の曲線はとても綺麗 だから」と言うと、シスターは「そうよ!この教会には綺麗な曲線で一杯よ」と 力を込めていた。しばらくしてから「(絵を)見てもいい?」と近寄ってきたので、 勿論!と見せてやると、「ああ、ここはあそこの曲線を描いたのね。綺麗だわ」 と言っていた。
教会の曲線は美しいけれど難しい。11月下旬のパリ出張の帰りにケルン大聖堂 に寄ったけど、そこで何人かの画学生が聖堂の内部のスケッチをして、その中に天井 の曲線を描いてるのが居た。その時はへえーっと思うだけだったけど、今ならそいつ の気持ちがわかるような気がするな。
それから大通りに出て哲学者を内偵。今日はパンフレットのようなものではなく、 普通の本を読んでいた。近くに炭酸入り(?)リンゴジュース(Apfelschorle)の 大きなペットボトル瓶が置いてあった。ドイツ人はこれが大好きで、飲み物の ペットボトルを持っている人の3人に1人はこれ。残りはコカコーラとミネラルウオーターである。レストランで食事するときも、これを注文する人は多い。 私は何となく毛嫌いしていて一度も飲んだことがない。日本に帰る前に一回ぐらいは 飲んでみようかしら。
パン屋とスーパーで買い物をしてからゲストハウスに戻る。予想通りアイロンが 戻ってなかったので、「アイロンを2日以上占有するな!これは共有物だぞ」と 赤字の英文でデカデカと書いた張り紙を洗濯室に張っておいた。するとしばらくして 洗濯場に誰かが出入りする気配があり、さては、と思って見てみると、ちゃんと アイロンが戻っていた。かくして夕食後はアイロンかけ。その後、アメリカ数学会 から依頼されたレビューの草稿を一気に書き上げる。明日見直してメールで送る予定。
2011年2月17日(木)
<<俺サマの線>>
午前中は洗濯をしながら数学。またアイロンが無くなっている。どうやら最近入って
きた人の中に、水曜日の夜中に洗濯をした後、アイロンとアイロン台を持ちだし、
それを日曜日の午前中ぐらいまで返さないアホがいるらしいことは既に確認済み。
またそのアホが悪さをしているな。今度から水曜日の夕方頃にアイロンを隠して
おくことにして、アイロンの無い苦しみをたっぷり味わってもらおうじゃないか。
ふっふっふ。
昼すぎに大学に行き、メンザで昼食の後、研究室で食後のコーヒーを飲みながら 大学の図書館から論文をダウンロードする。コーヒーの後、すぐに大学を発ち旧市街へ。マリエン教会に潜入し、スケッチ。出来あがった絵を見ると、ああ、これって 中学の頃から変わらない俺サマの線だなと少し暗い気分になる。中世の教会の内部は 特に天井の部分に美しい曲線が幾重にも交差している。それを描きたくて、どんな風 に描きたいかのイメージもあるのだが、そういう風には描けない。まあ、 クレーでさえもあの線に到達するまでに相当悪戦苦闘したみたいだし、結局最後は 自分自身が最強の敵になるのよね。 私ももうちょっと描き続けてみようと思う。
その後、大聖堂教会を偵察。黒眼鏡は今日も元気そうだった。あいつ、何でいつも 楽しそうな顔してるのかな。中学の同級生に、苦境に陥ると笑いが止まらなくなる 不幸な男がいた。何か悪さをして担任の教師に厳しい説教を食らって笑い始め、 そいつの不幸を知らない担任は「お前、私が真面目に説教しているのに何故笑う!」 とますます厳しく叱りつけ、そいつは益々笑いが止まらなくなり、担任はますます 怒り狂うというすさましい光景を目にしたことがある。まさか黒眼鏡が 悲しい時にも楽しそうな顔になってしまう不幸な人ってわけでもあるまいと思うが。
それから大通りに出て買い物。哲学者は何やら薄いパンフレットのようなものを読んでいた。彼の荷物 の一つに、本などが何冊入った籠のような鞄がある。前から思うのだが、あんな風に 一日中本を読んでいたら、どんどん新しい本が必要になろうに。活字中毒者みたいに 活字ならとりあえず何でも良いというのなら、その辺で拾ってくれば良いかも 知れないけど、そうでないなら本代も馬鹿にならないはずである。本代以外に煙草代 もコーヒー代もMarkthalleの東南アジア風焼きそば代もマクドナルドのハンバーガー 代も必要である。物乞いだけでその分が賄えるとはとても思えないのだが。 失業保険等も住所の無い人には支給されないのは日本と同じだろうし。 うーん、わからん!
そんなにわからなけりゃあ、直接本人に聞いてみればいいじゃないかと言うかも しれないが、興味本位の失礼な質問と受け止められては本位でないし、 結局黙殺を込めこまれた大先生直撃インタビューのように、 聞いてちゃんと答えてくれる保証など無い。碌な返事が得られずかえって 後味の悪い思いをすることになるかもしれないので、おおいに躊書するところ である。哲学者には、「あの野郎、こちらが真面目に聞いているのに、 あんな態度取ることはないだろう!」みたいなほろ苦い思い出をまたひとつ増やす よりも、「彼、何だかよくわからない不思議な人だったね」と、美しい思い出として 私の胸に残って欲しいのだ。と、引っ込み思案な私。
夜もまた少し数学。夕食後は昨日届いたアメリカ数学会のレビューの仕事の 論文を少し眺める。
2011年2月16日(水)
<<アホ落とし>>
11時から1時間ほどB先生と数学的雑談。先週は何だかよくわからない
理由で全く数学の話ができなかったが、今日は私にとってはなかなか実り多い
議論だった。
昨年10月に書き上げた嘘論文は、時間が経つにつれて 「イントロに書いたあの一言は嘘じゃないかしら」とか、「あそこで未解決問題と して残したのは、実は(あまり嬉しくない形で)解決できるんじゃないかしら」と か「一般論を使えば、あの部分の証明は実は3行で済んでしまうんではないか」と か、色々な不備に気づいた。それは単に時間を経たからではなく、あれから 人と議論をしたり色々勉強したりしているうちに少しは賢くなってきて、昨年 10月時点で自分がいかに何もわかっていなかったか分かってきたというわけだ。
それで今日B先生と議論しているうちに、嘘論文に関する最後の霧が晴れた。 と同時に、突撃インタビュー(メール編)3度目の大先生がなぜ黙殺を決め込 んだか、その理由も想像がつくようになった。つまり3度目に書いた私の質問は ほとんど意味をなさないというか、大先生から見たら「こいつは何かを激しく 誤解しているようだけど、それが何だかよくわからない。結局何をどう答えてよい やら分からない」という風に思える代物だったわけだ。直接会って半時間も議論 すれば、どこに誤解の根があるか分かってしまい「なーんだ、そういうことだ ったんですか」ということになるのだが、メールだとなかなかそういう風には いかない。
まあ、メール魔の私なら、質問の意味がわからないが、要するに これこれこういうことを聞きたいのか、それともああいうことを聞きたいのか? みたいなことをグダグダ書いて送るだろうけど、大先生はそういうことはしない 人なのだろう。まあ、そういうことをしないのが普通かもしれない。
かように、賢くなるということは、往々にして過去の自分の愚かさを知る ことを伴う。しかし過去の自分の愚かさがわかる程度に賢くなった頃には、既に 「高山はアホだ」というぬぐい難い認識が広まった後なのである。数学者社会 でアホだと思われてしまうと、俄然仕事がやりにくくなると思われる。
そういった事態を未然に防ぐひとつの方法としては、何か新しいことを考えた 時には懇意の仲間に話を聞いてもらって、「それ、全然違うでしょ!?」「あっ、 言われてみればそうですね。完全にボケてました!デヘヘ」と内輪でアホ落とし をしてから世に問うこことが考えられる。そういう意味では、B先生や突撃 インタービューの大先生には感謝しなければいけないけど、もう某学術雑誌に 投稿した後なんだよね。一体どういう落とされかたをすることやら。あるいは 理論計算機科学業界みたいに、そのまま20年ぐらい握りつぶされたりして。
メンザで昼食のあと、図書館で資料を探してコピーしたりして、午前の B先生との議論で残った疑問を片付ける。30秒で済む話だから、一応B先生にも 報告しておく。ここ数か月モヤモヤしていた謎が解けてしまうと、こんどは色々 な研究問題が見えてくる。まあ、問題は沢山あるけれど、どれを取ってもどう アプローチして良いやら皆目見当がつかない。
その後、気晴らしに旧市街に出る。日中は気温もぐんぐん上がり10度ぐらい になったそうだ。NeumarktのGaleria Kaufhofでスケッチブックと鉛筆を買い、 大聖堂教会でスケッチ。古い教会の中の天井のアーチを描いてみたいな、と。 スケッチをするのは10年ぶりぐらいなので、最初は思うように手が動かずに 困った。そうこうしているうちに、何やらミサのようなものが始まる気配 がして人々が集まってきたので、今日のところは退散。
夕方帰宅し、夕食後もまた少し数学。今日の議論でわかったことをTeXノート に纏め、コピーしてきた論文を少しだけ眺める。