の
た
め
の
邪
魔
な
広
告
よ け ス ペ ー ス で す。
2011年1月31日(月)
<<蜘蛛の糸>>
掃除の日である。8時起床9時出発。掃除のおばさんに「電気の球が切れました」と言うと、「では管理人に伝えておく」と。それで安心して大学へ。メンザでの昼食をはさんで、研究室で数学。午後の比較的早い時間にゲストハウスに戻ると、電球はちゃんと修理されていた。それから夕食まで数学。
夕食後はいよいよ督促がきたヨーロッパ数学会のレビューの仕事。4件貯め込んでいるうちの3件に督促が来て、そのうち2件はドイツに来る前に下読みをして原稿に印がつけておいたもの。下読みがしてある2件について、一気にレビューを書き上げてメールで送信。もう1件はまだ読んでないが、短い論文なのですぐに終わりそう。最後の1件は日本に帰ってからにしようかしら。あと、先日督促がきて、「元々その依頼は来て ません」と返事を出したアメリカ数学会のレビューの仕事が、もしかしたら数日中に 転がりこむかもしれない。
レビューの依頼は私が以前やっていた組合せ論的可換環論の論文がほとんどで ある。もうほとんど興味が無くなっている分野の仕事だから断ってもいいのだが、 あの分野の人たちには色々お世話になったので、恩返しのつもりで続けている。
自虐的世界観に立って考えれば、一応その分野の専門家の端くれと見込んだ 上で仕事が依頼されているのだから、自虐の泥沼にはいつくばっているところに 天から降りてきた「カンダタの蜘蛛の糸」のようなものである。有難く拝命 させていただかねばならない。そう考えてる割には、督促状が来るまで放り 出してるけどね。
今日は黒眼鏡や哲学者の様子を見に行かなかったけど、連中は元気にやって るかしら。私はあと2ヶ月でここを離れるし、もしかしたらもう二度と会うこと はないかと思うと、1回1回の偵察がいかに貴重な営みであるかが分かる。
オスナブリュックに来て良いことは一杯あるけど、一番良かったことは、 この美しい街で心安らぐいくつかの教会と黒眼鏡や哲学者と出会えたことだな。
2011年1月30日(日)
<<暗証番号付きドア>>
年が明けてからしばらく暖かかったのだが、ここ数日また寒くなって、気温は
プラス・マイナス3〜4度といったところで推移している。午前中は数学を少し。
午後は昼食も兼ねて偵察飛行に出る。マリエン教会は異状なく、大聖堂教会に
今日も黒眼鏡は居なかった。
今日はNeumarktの先、聖ヨハン教会の手前にあるレストランに入ってみた。 メニューも本格的なドイツ料理で店の構えも重々しく、いつも常連風の年配の オジサンたちがビールを飲んでたむろしてたりする。昼食にしてはちょっと重 たいし、夕食に来るにはちょっと店が遠い。そういうわけで、ずっと気にはなって いたけれど敷居の高い店であった。
しかし、ドイツ滞在も残すところあと2ヶ月だから、この際思い切って 入っておこうということで、ウイーン風玉ねぎのナントカという料理を注文。 ビーフステーキに飴色に炒めた玉葱がどっさり乗っていて、付け合わせに 炒めたジャガイモがテンコ盛りという、いかにもドイツ・オーストリア圏 的な料理。小さなグリーンサラダがついているところが、ちょっと非ドイツ的 な気もするが。まあ、入ってみればなかなか感じの良い店で、ここ2,3日 胃が少し弱っている中、お腹一杯になり夕食はほとんど要らなくなった。
レストランを出て、聖ヨハン教会を速攻で偵察した後、 食後のコーヒーはNeumarktのSbuxで。この店はとても小さくて何時も満員 だし、トイレも暗証番号付きドアという究極のドイツ的設備に恐れをなして、 一度も入ったことはない。しかし今日は結構すいていて、レストランでトイレ も済ませてきたしということで、入ってみる。
何と、レシートにはトイレのドアを開けるためのパスワードが印刷されていて、 それで自分で開けて入れとのこと。いつもの私なら、「そういう碌でもないことに ばかりに手間暇かける愚かなドイツ人め!」と怒り狂うところだが、この店に限っ ては多少同情的である。何せ多くの人々が行き交う中、20人も入れるかどうかと いうガラス張りの小さな店で、外からトイレがあることがまる見え。しかも トイレは入り口のドアのすぐ近くにある。まるで公衆トイレの前で、ついでに細々と カフェをやっているようなものである。こういう仕掛けでも作らない限り、 (以前私がそうしようとしたように!)トイレを使うためだけに入ってくる人が 後を絶たないだろう。よろしい、この件に限っては、許す。
Sbuxでしばし数学。折角の暗証番号だし、2度トイレを使った後で店を出る。 帰り道に大聖堂教会に立ち寄ったら、黒眼鏡が御出勤だった。教会でしばし数学 の後、外に出たら、黒眼鏡は荷物と自転車を置いたまま、また姿を消していた。 一体どこに行ったのかしらと周りを見回しながら少し待ってみたけれど、 姿を見せず。それで帰ろうとしたら、隣のKleinkirche(小教会)という名前の いつも閉まっている教会が開いていたので、早速潜入。
小教会では子供の洗礼式をやっていたようで、小さな子供を連れた夫婦が 何組もいて、神父が何やら祝詞を読み上げ ている最中に、親族らしきオジサンがさかんにフラッシュをたいて写真を撮っていた。 孫の洗礼記念写真かしら。私は祭壇から離れた遠くから気配を殺して観察。 退屈な式の間、子供たちが大人しくしているわけもなく、うろうろと歩きまわって 祭壇の下にもぐりこもうとする男の子(こういうことをするのは男の子に決まって いる)を慌てて引き戻すお父さんや、むずがる赤ん坊をあやすお母さんなどの姿が 見えた。
それから市庁舎のあたりまで歩いていくと、市庁舎前の市立図書館の庇の下 で哲学者が寝ていた。前にも同じところで見掛けたことだし、ここは彼の寝ぐら なんだろう。まだ夕方なのに寝袋に入って寝ていた。
ゲストハウスに戻り、夕食は簡単に済ませ、夜はまた数学。ロシアのシコ踏み女は 相変わらずシコを踏んでいるが、ひところに比べればずいぶん大人しくなった。
2011年1月29日(土)
<<誰かが私を呼んでいる>>
またも、「あの」シリーズの瞬間的復活である。NeumarktのSaturnの前を通ったら、
中から誰かが呼んでいるような気がして、まだ新しいCDを買う予定はなかったの
だけど3階のCD売り場へ。そしたら、ナウシカ・ガールで売ってた頃の安田成美かいな?みたいなこのジャケットが目に入る。おや、ヘンデルかいな?
この人、写真では手が大きく見えるし、鍵盤楽器奏者だな。ピアノかしら?それと
もチェンバロ?と思って試聴したら、いきなり天をつんざくようなソプラノ。
「よし。今日はこれで決まりやな」と、さくっと購入。私を呼んでたのはヘンデルと
サンドリン・ピアオ(Sandrine Piau)とかいうソプラニストだった。
本日午前中はあちこちメールを出したり、ネットで調べたりと、ゴソゴソと雑用。 昼過ぎに昼食も兼ねて街に出る。マリオン教会は今日も異状なし。大聖堂教会には 黒眼鏡の姿は見えず。それにしてもケルンの大聖堂を見た直後の今は、オスナブリュックが誇る大聖堂教会といえども、ずいぶんしょぼく見えてしまう。天井の高さはこの 倍以上はあったよなとか、ステンドグラスはこんな手抜きじゃなかったよなとか。
哲学者はいつもの指定席に居た。今日は本を読んでおらず、数メートル先を じっと見つめていた。哲学的真理に深く思いを巡らせているのかもしれないし、 「あー、今日は寒いなー」とぼーっとしているだけなのかも知れない。
それから連日大盛況の軽食店モールMarkthalleへ。今日こそは!と 意を決して、焼きそばが超人気のアジア料理店に突撃!カウンターに並んで 鶏肉野菜やきそばを注文。座席が空いてなさそうだたので、テイクアウトにして もらったが、うまい具合に1つだけ席が空いてそこで食べた。4ユーロでかなりの分量 がある。まあ、普通の焼きそばである。まずます美味しいが、 塩コショウ味がマイルドで紅生姜などが入っているわけでもなく、ある種単調 な味なので、食べ終わる頃にはちょっと飽きてしまっている。、
それから本屋で数学書を物色。個人研究費が少しだけ余っているので、 ドイツ語の数学書を2,3冊買えるのだが、書棚にあまり良い本が並んでない。 リーマン面の本を買おうかと思ったが、やはり躊躇して見送る。
書店の次はオスナブリュック図書館に立ち寄って、そこの談話室で自販機のコーヒーで一休み。それからさてスーパーで買い物をして帰ろうと電器量販店Saturnの前を 通ったときに、「中から誰かが呼んでるような気がして」、一旦は通り過ぎたのだけどまた戻ってきて、ふらふらと店内に入る。で、ヘンデルを1枚購入。
スーパーで買い物の後ゲストハウスに戻り、洗濯機が空いていたので溜まっていた 洗濯物を放りこんでから大学へ。以前、洗濯機を長時間占拠している輩を捜し出して 叱り飛ばしてやったせいか、最近はそういうことはめっきり無くなった。
ひと気のない大学の研究室で、アメリカ数学会からのレビューの依頼を置き忘れて ないかと調べたが、見つからず。ついでに学生がいなくて静かな図書館で少しだけ調 べものをしてからゲストハウスに戻る。アメリカ数学会に「督促状を貰ったレビューの依頼だが、そもそもこちらに届いてない」とメールを出してから、ワイシャツの アイロンかけなどをしているうちに夕食の時間。
夜は少し数学。
2011年1月28日(金)
<<ブリュッセル>>
予定では19時頃にゲストハウスに戻るはずだったのだが、実際は23時だった。
それというのも、ブリュッセルで足止めを食らったからである。
今日は10時頃にパリのホテルをチェックアウトして、パリ北駅まで、 途中良さそうな教会に潜入したり、北駅のすぐ手前のパリ東駅もちょっと良さそうなので偵察したりと、適当に道草を食いながらゆっくり歩いた。
北駅で昼食用のサンドイッチとジュースを買って12時1分発のTHALYSという 異様に通路が狭い高速列車に乗りこみ、定刻に出発。パリを出てベルギーに入り、 しばらくは良かったが、それからがいけない。
車内で何だか異臭がし始め、ブリュッセル南駅で乗客は全て下ろされた。 駅員は代替車両が40分後に同じホームに到着するから、それまで待ってくれと ホームに居る我々にアナウンスした。それからホームは閉鎖され、 消防隊や、テロの心配をしたのか警察犬まで出動するものものしい展開になったが、 ホームの閉鎖はじきに解除され、故障車が止まってない方のホームに 別の電車が発着していた。
しかし40分経っても故障車両が車庫に戻される兆しはなく、 代替列車が来る様子なかった。待っている乗客の中には、払い戻しなどのために窓口に 並ぶ人も出てきて、さらには別の列車を待つために集まってきた人もいて、よくわからない状態になった。しかし1時間ほどしたころ、ふと気付くと待っている乗客たちが 誰も居なくなっている。変だなと思って窓口で聞いてみると、代替車両はホームを変更して既に発車した。何度もアナウンスしたではないかという。
その「何度もアナウンスした」というのは、全てフランス語である。しかも、 この事故の影響かもしれないが、ホームの変更はひっきりなしに行われており、私は Attention,s'il vous plat, Changement de voie ... というアナウンスの言い回しを 覚えてしまったぐらいである。しかし。Changement de voir(ホームの変更)の後の何時何分発のどこ行きの何番の電車がどのホームに変わったという細かいことまでは聞き取れない。おそらくは何十回とアナウンスされた色々な電車の発着ホームのアナウンスのひとつに、代替列車のホームの変更も告げられたのであろう。
ブリュッセル南駅には、電車の発着ホームの電光掲示板があるのだが、 発車予定時刻ん5分前にならないと掲示されない。しかも掲示されてその ホームに行ってみると、すぐにホーム変更のアナウンスがあり、乗客は 常に右往左往するのであろう。
また、ベルギーはフランス語圏のようだが、このTHALYSと言う列車はベルギーを 経由してフランスとドイツを結んでおり、乗客はフランス語圏の人間だけではないはずである。実際、車内でのアナウンスはフランス語、ドイツ語、英語、そしてもひとつ良くわからない言語(オランダ語?)で行われる。にもかかわらず、ブリュッセル南駅 でのTHALYSのアナウンスをフランス語でしかしない、あるいはしたとしても、 フランス語で3回繰り返し、もしかしたらさらにオランダ語(?)で2回繰り返し、 そして英語のアナウンスは1回だけである。ドイツ語でのアナウンスはない。
それで次の電車はないのかと聞いてみると、2時間半後しかないという。 アムステルダム行きのTHALYSは何本もあるが、ケルン行きは数時間に 1本しかない。この人たちはまだドイツと戦争している積りかいな?
それで急きょブリュッセル観光をすることにした。しかし駅のキオスクを探しても、碌な地図が売ってなない。フランス語でしかアナウンスしないし、発着電光掲示板の5分前掲示と頻繁なホームの変更、駅前地図も何もなし。成りばかりデカくて、 碌でもない駅である。
しょうがないので、迷子にならないように駅の近辺を偵察飛行する。幸い天気も良かったし、ベルギー見学の良いチャンスか、と。ブリュッセル 南駅のどちら側に行ったのか知らないが、遠目には古い伝統的な街並みが美しく思えたが、近くで見ると、店舗兼集合住宅は汚れたままの窓や壊れかけた壁がそのままだったり、立派な教会が碌にメンテナンスもされずに半ば朽ち果てたように閉鎖されてたり といった調子。街のこの荒んだ雰囲気が、巨大駅の碌でもなさに重なって見える。
17時28分発の列車は、到着3分前にまたホームが変更になった。ちょうどホームで待っていたところ、フランス語の放送があり、それは何とか聞き取れて、さらに その辺のオジサンが「こっちだ!」と連れの人に言ってたので確信を持った。 要するに同じホームの反対側に変更されただけだった。
代替列車の座席指定はなく、空いてれば座れるといったもの。幸い席は空いていたが、車両の設計ミスかと思われるほど通路が異様に狭く、火事を起こし、 そしてこれはブリュッセル南駅の問題かもしれないが、フランス語のアナウンスだけ でホームを変更し、私をおいてきぼりにして代替列車を発車させるし、 THALYSについては碌でないことばかりだ。
19時15分にケルンに到着。乗り継ぎ予定の16時発のICはとうの昔に 発車している。20時10分のICEぐらいしか適当な電車がないが、ICの倍近い 料金がかかる。それで窓口に行って問い合わせたところ、電車の遅延によるものだから 差額料金の支払いはいらないという。それでかなり気をよくして、ケルン駅で 簡単に夕食をすませてからICEでオスナブリュックに向かう。ドイツ鉄道にしては 珍しく定時運行しており、22時25分に到着し、オスナブリュック駅前22時 37分のバスに間に合い、23時にゲストハウスに到着する。
2011年1月27日(木)
<<厳しい尋問>>
ホテルで朝食をすませ、10時頃に出発。途中良さそうな教会を見つけて潜入したりして、徒歩1時間ぐらいかかってポアンカレ研究所に到着、潜入、そして16時からの
セミナーの教室も確認。それから、ポアンカレ研究所からジュシュー数学研究所まで
の最短コースを地図で確認し、徒歩で何分かかるか実測。ドア・ツー・ドアで40分
ぐらいがちょうどかな、と。
それで12時頃にはジュシュー研究所のセミナーの場所も含めて下見が終 わったのだが、14時からの講演までかなり時間がある。ちょうど研究所 のカフェテリアが開いていたので、そこで昼食。その後まだ時間があったので、 小一時間ほど近くを偵察。またも良い教会を見つけたので、潜入して調査。 パリはその辺の小さな教会でも古くて立派である。ナチの空襲を受けたとはいえ、 エッセンやオスナブリュックの空襲のように壊滅的な打撃は受けてないからだろう。
偵察から戻ってからもまだ1時間ぐらい時間がったので、セミナーのある7階の ソファーでひと休みしてたら、日本の某大学の院生が「こんにちは」とやってきた。 日頃座敷童を決め込んでいるひねくれ者の私も、名指しで「こんにちは」と来られ たら観念するしかなく、素直に会話に応じる。何でも彼は3カ月ぐらいの予定で こちらに滞在しているらしい。しばらく雑談をしたり、彼のやっている分野の 最近の動向などを聞いたりしているうちに、セミナーの時間になる。
15時終了のはずが、議論が盛り上がり15時20分ぐらいまで延長になった。 それから速攻でジュシュー研究所を出て、ポアンカレ研究所に向かう。かなり早足で 歩いたせいか、30分ほどで着いてしまった。しかしセミナー開始の16時になっても教室はカラ。変だなと思って、その辺の人に聞いてみたりもしたが、結局16時15分過ぎに始まった。
このセミナーはジュシュー研究所のそれとは多少性格が異なっていて、研究者 向けのオープンな1時間講演ではなく、先生1人と院生2人の内輪の院ゼミの ようなものだった。ポアンカレ研究所セミナーだからそうなのかというと、 そうでもなくて、11月にジュシューのセミナーに参加して3つ講演を聞いたが、 3つめだけは内輪の院ゼミだった。そういうことはWebを見ているだけでは わからない。
それで教室に入っていくと、先生が「お前何者か?」という顔をするので、 これはまずいなと思ってすかさず「私は怪しい者ではありません」と自己紹介。 自分は日本から来た高山という者で代数幾何学をやっているのだが、 今はオスナブリュックに滞在している。今日はジュシューのセミナーを聞いて 帰りにここに寄った。このセミナーはWebの掲示で見つけた、と。 すると先生は、「ならば良かろう」ということで、快く迎えてくれた。
院ゼミのためか、学生と先生との間でかなり突っ込んだ議論が延々と続き、 フランス語なので何だかよく分からなかったが、黒板の数式を見ながら面白く 聞くことができた。質問をすると英語で答えてくれるので、これも助かった。
セミナーは18時半に終了。先生にお礼を言って帰ろうとすると、ちょっと待て と捕まり、お前はどういう数学に興味を持っているのだ?と色々尋問された。 最初の自己紹介だけでは容赦してもらえなかったようである。あ、まずいなー。 怪しい偵察魔の私は経験的に知っている。こういう時は正直にゲロを吐くし かない、と。
それで、自分は可換環論がバックグラウンドで今は正標数の代数幾何学を やっているが、正標数の話も複素代数幾何学の話と深く関連しているし、何ぶん 自分はまだまだ代数幾何学(の基礎で)勉強すべきことが沢山あると認識してい る。それでドイツに半年滞在する機会があったので、あちこちの研究集会や セミナーに顔を出して、複素解析幾何学から(代数的)代数幾何学までの広 い分野の動向を調査している。そして今日このセミナーに参加させてもらったの も、その一環だ、と答えた。すると、じゃあフランスの学者としては誰それが 居るから彼に会うとよいと言うので、その人はこれこれの研究で有名な人だと 思うが、既にエディンバラで会って講演を聞いたと答えると、じゃあ、あの人 にも会った方がいいというので、その人には今日の午後会った(話はしてない けど)と答えた。すると、じゃあ、誰それはどうか?と聞いてくるので、それは 知らないと観念した。すると数か月先にここで研究集会があって、今言った人 たちも来て講演するから、興味があったら私にメールをしてくれれば、その アドレスに案内を送ってもいいぞ、というので、ぜひそうさせていただくと 答えておいた。
ちなみに学生時代からの私の得意技は、色々な分野の話を聞いて、全然分かって ないのに、これは大体こういう話なんだろう大筋が分かった気になって 知ったかぶりをすることである。それでしばらく張ったりをかましていると、 そのうちアホであることがバレてきて、皆さんの態度が冷たくなっていく。 学生時代は単位を落としたり院試に落ちたりと、張ったりだけでは駄目だってこと を嫌というほど思い知ったはずなんだけどね。
まあ、今日のところはうまいこと「言い逃れ」をして尋問を切り抜け、私が アホであることがバレなかったせいか、なかなか親切な先生であった。正直言って、 今日の2つめのセミナーは専門が遠そうで「どうだかな」と思ってたけど、 やっぱり来て良かったなとホクホクしながらホテルに向かい、 途中バスチーユ広場近辺のムール貝料理専門店があったので、そこで夕食をとってから ホテルに戻る。
今回の在外研究は、出発前から目に見える研究成果を出すのはちょっと難しい かなと思ってたのだが、それはその通りに終わりそうである。しかし、 こちらに来たことが切欠になって色々な人と話ができて、色々なことを 教えてもらって目から鱗が何枚も落ちたし、そのことを通して、今までサボって いた分野の勉強が実は私にとって不可欠だと気付かされたりもした。その意味で、 日本に居て座敷童している時の5年分ぐらい一気に賢くなったような気がするな。
2011年1月26日(水)
<<パリ到着>>
6時半起きして、ゆっくりと準備。8時半頃ゲストハウスを出る。荷物が少しあるので、バスでオスナブリュック中央駅へ。9時37分のICは珍しく定時運行していた。
ケルンまで2時間ちょっと。これも定刻通りに到着。パリ行きの乗り換え電車まで
1時間余裕があったので、ケルン中央駅でゆっくり昼食をとり、それから駅前の
大聖堂を偵察。
ケルン大聖堂では最初ミサをやっていて、入り口から入ったすぐのところで足止め。 大聖堂は床面積も高さもオスナブリュックの大聖堂教会よりも一回り 大きい。ただ大きいだけでなく、ステンドグラスや柱の装飾なども精緻な作りで、 圧倒される。パイプオルガンは祭壇に向かって座っていると、ちょうど左の上の方 にあった。音響の方はどうだかって感じだが、ここのパイプオルガンが聞けたのは ラッキーであった。しばらくしてミサが終わり、一般見学者が自由に入れるようになったので、礼拝堂の内部をぐるりと一回り偵察。
12時43発のパリ行きの高速列車THALYSに乗る。ICでもTHALYSでも、電車の中では、 フランス語の動詞活用表の文法解説や例文を読んでいるか、突撃インタービュー の応答内容について思いを馳せるか、それとも居眠りをしているかのどちらか であった。
THALYSでは、ドイツ人の40代ぐらいの男が二人、パリに出張なのか 隣合わせの席に座ってお喋りしていた。一人はおもに聞き役だが、もうひとりは 3時間の間ほとんど喋りまくっていた。まあドイツ人の男はお喋りだが、この男も またよく喋る。彼らは通路を挟んで隣なので、話が良く聞こえ、これは良い ドイツ語の勉強になるなと思ってしばらく聞いていたのだが、お喋り男の 後ろに座って新聞を読んでいた別のドイツ人のオジサンが突如、「申し訳ないが、 もっと小さな声で話してくれないか」とお喋り男に言った。これが日本なら、お喋り 男が逆切れして暴れて暴行事件に発展する。ところが、そのお喋りドイツ男は特に 「すいません」と言うわけでもなく、そして勿論キレて暴れるわけでもなく、 「あっそうか」というような顔をして急に音量を下げて話す ようになり、その状態が最後まで続いた。
そういえばオスナブリュックからケルンに向かうICで、あと1,2分でケルンに 着くというので、人々が出口の方に集まっていた。私の最寄の出口はコンパートメント のある車両で、コンパートメントの横の細い通路を通って出口に向かった。そしたら 旅行用カートを引いた若い女が通路の途中に立って、窓からケルンの風景を眺めていた。まあ、なかなか良い眺めであることは確かだ。通路をふさいで邪魔だなと思ったが、まだ電車は着いてないし、この女もケルンで降りそうだったので、私も通路で待 っていた。そしたら後ろからきたドイツ人のオジサンが、「前に進むか、他の人を先に行かせるかどちらかにしてださい。でないと、人が使えてますから」と女に声をかけ た。女は「すみません」と言うわけでもなく、「あっそうか」というような顔をして黙って前に進んでいった。これが日本なら、女はオジサンをにらみつけ、仕返しに駅員にあることないこと言いつけ、オジサンの残りの人生は痴漢冤罪との戦いの日々に変わ ることであろう。
16時にパリ北駅に到着。前回はメトロに乗ったが、今回はホテルまでの道を 知っているので、観光がてらに 徒歩で行く。距離にして4キロ程度で、荷物をもってだらだら歩き、途中で良さそうな 教会があったので潜入偵察などしてたので、1時間半ぐらいかかった。
ホテルで荷物をおろし、しばらくしてから夕食に出掛ける。パリは牡蠣の季節だ。 街角の魚屋兼カフェレストランのような店では、6種類の生牡蠣盛り合わせ17 ユーロみたいなメニューが出ていた。22年前にパリに言った時は、フランス国立 研究所の人のおごりでこういう店に行き、生牡蠣と生蛤、そしてタタールステーキを 食べた。あれはずいぶんな値段がしたのだろうと思う。私はリヨン駅前のピザ屋に した。タバスコではなく、唐辛子を浸したオリーブオイルの500ccぐらいの瓶 がどかっとテーブルに置かれるところが、イタリア的だな。オスナブリュックにも 沢山ピザ屋があるけれど、こういうのは付いてこない。
夕食の後でスーパーに立ち寄ったが、アジア系の若い女二人組や、若い男女の カップルも買い物をしてた。どうせ中国人だろうと思ったが、謎の中国人のフリして それとなく近寄って偵察したら、両方とも日本人だったので思わず顔がこわばった (何故?)。
早起きしたせいか、眠いので早く寝るつもり。明日は午後からJussieu数学研究所とポアンカレ研究所でそれぞれ1つずつ講演を聞く予定。午前中はポアンカレ研究所の場所などを確認すべく、偵察飛行する予定。夜はインターネットが使えるかどうか微妙なので、更新はスキップするかも。
2011年1月25日(火)
<<グロタン・カット>>
午前中はゲストハウスで野暮用の後、街に出て床屋捜し。前回行った旧市街の店は
混んでいたので、大学の近くの店に入ってみる。かなり髪が伸びていたせいか、「2ミリ丸刈り、ほとんどスキンヘッド!」
「いつもそうしてますから」と言っても店の人はなかなか信じてくれず、2センチの
間違いではないかとか、まだ寒いから2ミリだと帽子が要りますよとか、まず5ミリ
にしてみたけど、これでよいのか?などとおっかなびっくりのようである。
オッケー、大丈夫です、1ミリで行きましょう!と駄目押しをしたら、
「じゃあ、これ、貴方がこうしたいと仰ったんですからね "Sie wollen so."」と
作業開始。まあ、バリカンだから10分もしないうちに終わるわけである。
「これ以上短くと言われると、カミソリで剃らないと駄目です」と。そうだなあ。
頭の中身までは無理だとしても、頭の表面ぐらいまではグロタンディックに近づき
たい気もするけど、まあ、それは代数幾何にもうちょっと自信がついて
からにしようか、と。
床屋を出て大学へ。メンザで昼食の後、研究室でコーヒーを一杯飲んでから 図書館に籠る。今日も少し早目に切り上げて、旧市街へ偵察飛行。 16時を過ぎていたのでマリエン教会は閉まっていた。大聖堂教会の黒眼鏡は荷物を 置いたまま不在。自転車が無くなっていたから、ちょっと遠くに行っているのか。 哲学者はいつもの指定席でマクドナルドのハンバーガーを食べていた。 スーパーで買い物をしてからゲストハウスに戻り、ここ数日構想を練っていた 大先生突撃インタビュー(メール編)第2弾を一気に書き上げて送信。 あとは野となれ山となれ。
それから夕食を挟んで、明日からのパリ行きの準備など。明日の朝は早いので、 今夜は早目に寝るつもり。
そうこうしているうちに、早速大先生からのメールの返事。有難いことですね。 一人で悶々と考えてたのでは2年ぐらいは分らずにいただろうという事が、さも 当然のことのようにさらさらと書いてある。しかし何となく「もう、これ以上 質問してくるなよ」という意味にも受け取れる雰囲気も感じられるので、お礼の メールだけ返しておく。
さて、私は10年に一度専門を変えているので、各10周期の最後のあたりを 除いて研究者志望の学生を育てる能力を持ち合わせておらず、自分を育てるので 精いっぱいといったところ。こんな調子でやってられるのも、大学教師になって 以来今日まで、私の研究室には大学院生がほとんど入ってこないから。もし院生が 継続的に入ってくれば、彼らを指導する責任上自分もずっと同じ専門で目一杯 やってなくてはいけない。それもまた窮屈な話である。仮にそういうことになっ たら、私は我慢して同じ専門を研究し続けているかしら?ってことは、そういう ことになった時に考えればよいことなので、考えない。
明日は早起きして夕方にはパリに着きたいところ。前と同じホテルなので、 日誌の更新はできるんじゃないかしら、と。
2011年1月24日(月)
<<冷戦>>
掃除の日。8時起床9時出発。今日は大学近くのガラス瓶トナーに
ワインの瓶などを捨てに行き、その近くのスーパーで買い物をし、
少し裏通りを偵察してからゲストハウスに戻る。広々とした
裏庭が、こんな準商業地帯にもあったのかと、ちょっとびっくり。
京都あたりだと、住宅が背中合わせで建っているのは当たり前だが、 エッセンやオスナブリュックは街の1ブロックに住宅が「口」の字形に 建っている。「口」の内側は広々とした中庭になっていて、家庭菜園だったり、 ガレージがあったり、物置になってたり、物干し場に使われていたり、 家族でバーベキューをする所になってたりする。
勿論それぞれの家の敷地は区別されていて、ブロックの塀でなく、見通しの 良い金網などで区切られている。だから実際は「田」の字のような感じになって いるわけだ。
「田」の内側の「十」の字のところ、つまり、中庭を区切る金網フェンス のところで「戦争」が起こっていないか気になるところである。 実際、ドイツの至る所で見受けられるという、隣人同士の争いを皮肉たっぷり に描いた本を読んだことがある。京都ぐらい隣同士が接近していると、これで 「戦争」してたらお互い大変なことになるなと、冷戦時代の米ソのような妙な 自制が働くが、あの本に描かれていた戦争は終わりなき消耗戦のようであった。 ま、私はあと2ヶ月ちょっとで居なくなるんだから、知ったことではないけどね。
ゲストハウスに戻ったら、日本からメールがいくつか来ていたので、 その返事などを書いたりしているうちに昼になる。大学に行ってメンザで昼食の後、 研究室でしばし数学。それから14時から1時間ほど、化学科の講演を聞きにいく。 アーヘン工科大学で相転移物質を使った新しいコンピュータメモリの開発をやって いるそうで、そのプロジェクトの研究紹介。講師が早口なうえに、 専門用語が微妙に散りばめられているので、よくわからなかったが、 何となくこの分野の雰囲気がつかめたような気がして面白かった。
講演のあと、図書館に籠って数学。良さそうなテキストがあったので、必要 部分をコピーしてきて研究室で眺め、ゲストハウスに帰ってからも また少し読み耽る。
2011年1月23日(日)
<<本音が爆発>>
午前中は大先生突撃インタビュー(メール編)第2弾の構想を練る。
昔、某数式処理システムをUNIXマシンにインストールしようとして
うまう行かず、開発者の某アメリカ人に質問メールを出したところ、
とても親切に答えてくれた。それに従って作業を進めていると、また
うまく行かないことが起こり、またメールで質問する。そういうことを
3,4回繰り返していたら、最後に相手がぶち切れたようで、
「お前は何でしょうもない質問ばかりしてくるんだ?
だいたいそんな馬鹿な作業をして、わからん!わからん!って
言ってるなんて、信じられない!」というような意味の返事が返って
きたので、恐れをなしてインストールを諦めた。
まあ、そううこともあるから、1度ぐらい親切に返事してもらったから
と言って油断はできない。攻めないと何も得られないが、引き際の見極め
を誤ると、今後いろいろやりにくくなる。
午後は街に偵察飛行。まずは子供が、例の片足だけ乗っけて、もう一方の足で 地面を蹴って前に進む、小さな車輪のついた三輪車みたいなので犬のウンチを 踏んづけたらしく、お母さんが「あれあれ、ちょっとじっとしてなさいね」って 感じで、車輪をティッシュで拭いていた。パリほどひどくはないが、オスナブリュックでも歩道のど真ん中にぶっとい犬の ウンチが放置されていることは珍しくない。ドイツの子供たちは、こうやってウンチ を踏んづけながら大きくなっていくのだろう。
マリエン教会は異状なし。大聖堂教会は、最初黒眼鏡の姿が見えなかったが、 礼拝堂の中を一回りして外に出たときに、ちょうど「御出勤」だった。彼は哲学者と 同じく自転車でやってきて、リュックサックと大きなビニール袋から装備を取り出して 開店準備をしていた。
それから歩行者天国に出たが、哲学者の姿はなかった。日曜日で人の通りも少ないしね。で、彼は今どこに居るのかしら。例の市立図書館の脇?
さらに進んで聖ヨハン教会を偵察し、異状がないことを確認。オスナブリュック 中央駅へ。例のパン屋のチェーン店がやっているカフェで、簡単に遅めの昼食。 日曜日なのに、ここのトイレは一般開放されていなかった。今日は客が少なめだった ことも関係してるのだろうか。トイレが使いたければ、店の人に言えばよいこと、 そして店の客かそうでないかはそれほど厳密にチェックしていないことは、 別の情報網で確認ずみである。しかし面倒臭いので、トイレは別のところで済ます。 無料で使えるトイレは、数は少ないが既にいくつか確保している。
駅から旧市街の方に戻る途中、若い男が声を掛けてきて、 インターネットがどうとかと言う。こんな路上のど真ん中でインターネットが どうのというのは、そもそもおかしな話であると疑り深いオジサンは直観 したのであった。それで
私:「インターネットがどうかしたのですか?」
男:「インターネットだよ。インターネット、わかるか?」
私:「ええ、わかりますよ。だから?」
男:「インターネットだってば」
私:「ええ、インターネットでしょ。それはわかりますよ。日本語でも インターネットはインターネットって言いますしね。でも、インターネット に関して貴方が何をおっしゃいのか、それを私は聞いているのですよ」
男:「(こりゃあ、駄目だ!みたいな顔をして)チャオ!(と去っていく)」
ちなみに、上のやりとりで私は最初から最後までずうっと日本語でにこやかに 話した。
今日の偵察飛行でも、街の張り紙掲示の類の写真を撮りまくった。今日一番の 収穫は、某スーパーの入り口に張られていた「HUNDE MUESSEN DRAUSSEN BLEIBEN!!!!!! 犬は外で待たせるべし!!!!!!」(びっくりマーク"!"が6つも書かれて いることに注目) という掲示。
ドイツ人は、犬を連れて歩くことは国民の基本的人権だと本気で考えて いるので、書店だろうがスーパーだろうがカフェだろうがレストランだろうが書店 だろうが、何処にでも犬を連れて入る。「犬がウンチをするのは当たり前」と、歩道 の真ん中で犬にウンチをさせて放置して行ってしまうドイツ人である、店の中で犬が ウンチもオシッコもせずに大人しくしているかどうかは怪しいものだ。 ただし、「犬は吠えて当たり前」と考えられている日本と違って、ドイツの犬は 馬鹿みたいにワンワン吠えまくることは稀である。
それで、あれほどトイレを使わせないことに血道を上げるドイツの店主たちが、 その一方で犬を連れて入る客は大歓迎で、ワンちゃんはウンチでもオシッコでもどう ぞ御自由にやってください!なんて考えているとすれば、 それはそれで馬鹿馬鹿しくて面白いのだが、現実はそれほど面白可笑しくはで きていないようである。つまり、店主達は犬を連れて店に 入られることをかなり嫌がっているようなのだ。
しかし、敵は「犬を連れて入るな」と言えば 「この店は国民の基本的人権を踏みにじっている!」と ヒステリーを起こしかねないドイツ人である。 日頃は、 "verboten (禁止)"だの "kein ... (決して、、あり得ません)"だの "strafrechtlich verfolgt werden(刑事責任を問われます)"だの "nicht gestattet(認められておりません)"だの "gultig nur ... (〜だけに認められています)"だのと、 高圧的でおどろおどろしい言葉を散りばめた張り紙をあちこちにベタベタ 張っているドイツ人が、こと犬に関しては "Wir bleiben draussen!(私たちは、外で待ってます!)" なる文言の掲示をすることが多い。ここで「私たち」とは犬のことで、 この手の掲示には必ず犬のイラストが描かれている。何と腰の引けた 奇妙な気の遣い方か。
今日見つけた、「HUNDE MUESSEN DRAUSSEN BLEIBEN!!!!!!」は、 とうとう連中の本音が爆発したなって感じである。
ゲストハウスに帰る途中、市立図書館のあたりを通ったら、 哲学者が前と同じところで寝ていた。ははあ、ここが彼の定宿なんだな。 地下室の通気口と採光口を兼ねた大きな金網の上にマットを置いて寝袋 に入って寝ているのだが、これは石の上の寝るよりも底冷えしなくて良いのだろう。 日本のホームレスなら、段ボールハウスを作って定住するけれど、哲学者は いつも野宿状態なのは何故か。ドイツでは、段ボールハウスなどを作ることに 対して社会的規制が強いのか。
ゲストハウスに戻り、夕食を挟んで夜も少し数学。
2011年1月22日(土)
<<燕雀いずくんぞ>>
ドイツ人の一番好きな言葉は"alles in Ordnung(万事ちゃんと行っている)"
でも"in Ruhe(平穏に)"でもなく、"abschliessen(鍵を閉める)"。
連中は何でもかんでも鍵を閉めたがる。まったく変な奴らだなあとか思ってたら、
バチが当たって自宅に空き巣が入り、色々なものが
ごっそり無くなっていた、、、という夢で目が覚めた。
午前中は、洗濯をしながら、ドイツ移民局から来たアンケート 記入作業。短期・長期にドイツで働いている人の中から無差別抽出で 私が選ばれたらしい。 ドイツを選んだ理由は何か?という選択肢の中に治安の良さというの があった。そうだなあ、ドイツでは泥棒や詐欺は多いらしいけど、 日本のように、親から「知らない人と話してはいけません」と教えられて 育った大人たちが、知らない人に何か言われてパニックになり、 すぐに逆キレして暴れる国よりも平和そうだし、とチェックを書き込む。
午後は昼食とスーパーでの買い物を兼ねて旧市街に偵察飛行に出る。 今日は前から気になっていた中近東料理の店に初めて入り、トルコ風 (?)サンドイッチの昼食。オスナブリュックでは東南アジア系の 人がやっている焼きそばが大人気で、私も一度どんなものか食べてみたい と思っている。しかし私が狙っているMarkthalleの店は、 いつもカウンターに長蛇の列が出来ていて、座席も満席。 並んで待ってテイクアウトにしてもらってという人が多いが、 そこまでする気も起らず、先延ばしにしている。
日本で焼きそばといえば、いつの頃からかソース焼きそばだけになって しまったが、私が子供の頃は塩コショウ味のものもあった。 ドイツで流行っているのは、塩コショウ味か少しカレー風味なのか、 薄い黄色をしている。
マリエン教会では何やら賑やかな催しをしていた。話上手な説教師みたいな男 が調子の良さそうな話(内容は聞いてもわからない)で皆を笑わせたり、 休憩時間にコーヒーやケーキが振る舞われたり、その傍ではプロテスタントの 教えを体系的に学ぶ学習教材や講座の営業マンたちが、説明用のPCや パンフレットを準備して信者たちを待ちかまえていたり。何だかよくわからない。 この催しは定期的に行われているようなので、今後も調査を続けよう。
面白いことに、あれほどトイレを使わせたがらないドイツの教会なのに、 今日は「トイレはあちら」という掲示があった。勿論調査してみたが、 へえ、こんなところにあったのか、という感じ。こういう催しが無い時でも あのトイレが使えるかどうかは、今後の調査が必要。 たぶん普段は鍵が掛かっていると思うが。
大聖堂教会前の黒眼鏡は健在だった。私が教会に入ろうとするとき、彼は 青いリンゴの皮を果物ナイフでむいているところだった。そして私が教会から 出てきた時には、ちょうど食べ終わっていて、果物ナイフをティッシュのような もので丁寧にぬぐっていた。はてな。ドイツ人はりんごの皮はむかずに 食べるのが普通だし、こんなところで食べるのなら、そのままかじった方が 果物ナイフの手入れなども不要なはずだが。以前日本に留学して、皮をむいて 小さく切る日本流を覚えて帰ってきたとか?
哲学者も今日は定位置に居て、歩き物乞いもその辺りを徘徊していた。 哲学者と歩き物乞いの関係は今もオープン・プロブレムだが、今日は先を急ぐので パス。聖ヨハン教会は平穏で誰も居なかった。
街のあちこちにある張り紙や掲示を調査して歩き、 写真を取りまくった。ある建物の張り紙の写真を撮っていたら、そばを通りかかった若者男女数人のグループがそれを見て、私が去った直後に、何か珍しいものの写真でも撮ってたのだろうかと張り紙を見ていた。 「なになに?"Flufttuer Eingang Bitte Freihalten.(非常口につき物を置くべからず)"だと?で、もひとつは "Das Rauchen im Treppenhaus ist nicht gestatted!!(階段の所の喫煙は禁止!!)" え?それがどうしたってーの?」「さあね」「(何であの男、写真撮ってたんだ?) わけがわからん」みたいな事を言い合っていた。 ふ、ふ、ふ。燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや。君たちドイツ人には、これの 面白さがわかるわけねーな。
その後スーパーで買い物をしてから、マリエン教会横のカフェに入り、 ケーキセットで一息つく。「ここのケーキはとっても美味しいわよ」と言っていた 見知らぬおばさんの言葉は本当だった。
店の中のコート掛けのところに "Fuer Garderobe keine Haftung(コート類が盗まれても当方は一切責任をもちません)"と書いた金属板が張ってあるので、「またこんなの張ってやがらあ。 まったくドイツ人だな」と思って早速写真撮影。それを見ていた客のオバサンが、 この男一体何をやろうとしているのかと一瞬ぎょっとした顔をしていた。 ふ、ふ、ふ。燕雀、燕雀。
ゲストハウスに戻り、夕食を挟んでしばし数学。突撃インタビューの次の一手に 思いを馳せる。
2011年1月21日(金)
<<応答あり>>
午前中はゲストハウスで数学。昼頃、突撃インタビュー・メール版の返事が
届いた。きちんとした内容で丁寧に答えているところをみるに、私がアホで
あることがまだバレてないらしい、と久しぶりに自虐をかましておく。
これで返事が結局来なくて黙殺された形になったら、また自虐の病が
ぶり返して、どうせオレなんか!みたいな事を口走って荒れ狂っていた
であろう。
聞くところによると、それほど親しくない数学者に質問メールなどを を出した場合、返事が返ってこないことは珍しくなく、そういうのを いちいち気にしてたらやってられないので、2週間ぐらい待っても駄目 なら忘れるのが一番なんだそうだ。
とは言っても、狭い数学業界のこと、あいつにメール出しても返事が 来なかった、こいつにメール出したのに無視しよった、みたいのが溜まって くると、最後はメールを出す相手が居なくなって、その分野に居るのが辛く なってくるのではないか。でもそうなったら数学から足を洗って、 絵描きに転向すればいいことか。
追加の質問を考えながら大学に行き、メンザで昼食の後、昨日のエッセン出張 の清算手続きの雑用を色々やり、それから夕方まで図書館に籠って調べもの。 図書館は書籍が置いてある下の階と雑誌が置いてある上の階があり、上の階では 会話は禁止らしいが、下の階は特にそうではないようだ。
下の階にはいつもポスドクのような人が居て、学生が次々にやってきて 個別指導を受けている。つまり学習相談会場になっているようだ。 数学教室がある建物の各フロアにも、共通スペースにテーブルが置かれていて、 学生がいつも勉強したりしている。ここでもポスドクの人が学生の質問に 対応していることが多い。
そういえば、ドイツには学校の「部活」のようなものが無く、中・高校生 などは地域単位で組織されているクラブで活動したりするそうだが。大学でも 「部活」は無いので、夕方になるとキャンパスは閑散としている。
1月に入ってから、小春日和が続いていたが、今日はかなり寒く、 午後には少し雪もちらついていた。ゲストハウスに戻り、夜はまた数学。 昼間調べたことを整理してTeXノートに纏める。
2011年1月20日(木)
<<深い世界>>
エッセン大学のOberseminarを聞きに行くため、昼前にゲストハウスを出る。
今日の発表者はなかなか決まらず、セミナーは中止かと思っていたのだが、
昨夜夕食会から帰ってきたら、セミナーのWebページがUPされていて、
発表者の名前が出ていた。メールでの案内は今日の12時頃、私がゲスト
ハウスを出てしばらくしてから届いたようだ。
オスナブリュック中央駅まで徒歩で行く途中、マリエン教会と大聖堂教会 を速攻偵察し、内部をひと周り。黒眼鏡は不在で、黒眼鏡のものとは違う 真新しいリュックサックが置かれていた。大聖堂教会の礼拝堂のベンチに 煙草吸い女が居て瞑想していた。彼女は今まで衣料量販店の袋ひとつで来 ていたが、これからは物乞い稼業に本腰を入れようと装備を本格化させ、 リュックサックに入れて持ってきたのかもしれない。 彼女は黒眼鏡の奥さんではなく実はライバルで、 黒眼鏡は大聖堂教会前の場所を彼女に取られたから、 今日は他のところに行ってしまったのだろう。
教会偵察のあとは、歩行者天国の哲学者の指定席の偵察。これも極めて 短時間の間に効率良く行わねばならない。今日は見慣れない別の物乞いが指定席 を占拠していた。先日鞄だけ置いて場所取りをしていたのと同じ荷物かどうかは、 よく似てはいるけれど、正確には確認できなかった。しかし指定席の近くには 哲学者のリヤカーと自転車があった。では哲学者はどこに居るのかというと、 指定席から10メートルぐらい離れた ところに居て、時々指定席の方に鋭い視線を送っていた。「あの野郎、オレの場所 取りやがって」とか思ってるのかしら。
それ以外に、時々現れる「歩き物乞」と私が呼んでいる男もその辺りを 徘徊し、歩行者にプラスチックのカップを差し出して物乞いをしていた。 歩き物乞が哲学者の所に近寄っていくので、何が起こるのかと遠くから横目で 監視していたら、何と!ひとことふたこと言葉を交わしていたかと思うと、 歩き物乞がポケットから小銭らしきものを取り出し、哲学者の物乞いカップに 入れていた。うーん、これは一体何を意味するのだろう。彼らの世界はあまりに も深く、あと2ヶ月足らずの滞在では解明し切れないかもしれない。
中央駅でパンを買ってホームで昼食。電車の中では少し数学。 明け方ふと目が覚めて思いついた問題を考える。 エッセンについてからは、反省という言葉を知らないMayersche書店の 中のSbuxでしばし数学。それから先週入り損ねたMayersche書店の前の 小さな教会に潜入。しかし、やっぱりエッセンの教会は駄目だな。 オスナブリュックの教会建築の足元にも及ばない。
今日もエッセン大学のOberseminarに、突撃インタビューの大先生の姿は 見えなかった。一応独自ルートで大先生関連情報を入手しているので、 不在は想定の範囲内だけど、メールの返事はいつ返ってくることやら。 今日の講演自体は、急に指名されて急いで準備したにもかかわらず、 結構面白かった。
エッセンでは、まるまると太った大きな犬を連れた若い娘が物乞いをしていた。 犬と一緒に家出でもしたのだろうか。黒眼鏡、煙草吸い女、家出娘。本や煙草や 犬の餌を買うために物乞いをするというのは、どうも切迫感が足りないな。
物乞い観察日記のようになってきたが、今日は「ドイツらしい張り紙」 の写真もいくつか撮った。エッセン大学はこの手の張り紙の宝庫だし。 頻出単語は"verboten!"(禁止!の意)と"geschlossen"(閉鎖中)だな。 禁止して、鍵を掛けて、閉鎖する。 特にドイツ人はあちこち鍵を掛ける(abschliessen)のが大好きだ。
帰りの電車の中でも少し数学。早い電車に乗れて、遅れも20分程度で 済んだので、中央駅からバスには乗らず、店舗が閉まった夜の街を徒歩で ゲストハウスまで帰る。
駅前のバス停で、若い男が慌てた風で「ちょっと聞いていいですか? このカードが壊れてしまったのです」と声を掛けてきた。カードが壊れた からどうだというのか知らないが、私に聞かれても困るので駅の方をゆび 指して、あっちで聞けという仕草をしたら、「でも壊れてしまって、、、」 と今度は英語で行ってくるんので、さらに「あっち!」という仕草をして、 うーっと唸ってみせたら、行ってしまった。
2011年1月19日(水)
<<退屈収め>>
11時から1時間ほどB先生と数学の雑談。メンザで昼食の後、しばらく
図書館に籠り、それから旧市街をさっと偵察し、黒眼鏡と哲学者が定位置に
いることを確認。スーパーで買い物をし、市立図書館で有料トイレの掲示の
写真を撮り、ゲストハウスに戻ってメールの返事などを書いたり、少し
だけ数学をしているうちに、数学コロキウムが始まる時間。再び大学に行き、
コロキウムを1時間ほど聞く。
コロキウムには例のロシアのシコ踏み女も来ているはずだが、どれだか 分からなかった。たぶんこの二人のうちのどちらかだろうというところまで 絞れたが、想像してたような巨漢ではなかった。「巨漢でもないのにシコ踏 むな!」と。
その後、外部から来たコロキウムの講演者を囲んで夕食会。私はこの手の 退屈極まりないドイツ的夕食会がほとほと大嫌いなのだが、ドイツでこの独特 の退屈さを味わうのも最後だし、どうも今まで行ったことのないレストランに 連れて行ってもらえそうなので、それだけを楽しみにして参加する。
予想通り退屈、というか今日はドイツにおける夕食会の最後を記念するかの ように、いつもに増して強烈な退屈さに満ち溢れていたが、まあ、それは想定の 範囲をそれほど逸脱してないからよしとしよう。何せ最後だから、許す。 それから、注文してから優に1時間以上料理が来ず、待っているのも 退屈なだけなので、 さすがの私も途中外に出て近所を散歩してたりしてたが、なかなか良い レストランだった。
さて、昨日センスの話を書いたが、センスは長い間興味を持ち続けることに より、ある程度後天的に獲得できるのではないかと思う。そして、興味が無くな った時点で、もうそれ以上その対象にたいする後天的センスは磨かれなくなる。 昨日今日と、私が数年前までやっていた事に関係する話を聞く機会が集中したが、 「話はわかるけど、一体それのどこが面白いの?」ぐらいの感想しかないから、 これ以上の進歩は望めないな。
2011年1月18日(火)
<<センス悪し>>
午前中は数学。昨日図書館で調べた事の整理とTeXノート作成作業。
昼過ぎに大学に行き、メンザで昼食の後、研究室に荷物を置いて図書館に
籠る。16時過ぎに図書館を出て、大学院の合同セミナーを聞きにいく。
イランから来た偉い先生の講演。終了後すぐに大学を発ち、スーパーで
少し買い物をしてからゲストハウスに戻る。夕食の後、夜もまた少し数学。
研究者の中には同じ分野をずうっと何年でもやっている人が少なくないが、 あれは偉いなと思う。私などはほぼ10年毎に専門を変えているが、それは ほとんど今までやってきた事が嫌になって放り出しているのに等しい。
何で嫌になるのか。原因は学問的なものと非学問的なものがある。 例えば、並列計算理論の新しいアイディアが学界でなかなか認められなくて 腐っていたところに、(旧)情報学科の教員&学生による執拗な「集団苛め」 が何年も続いたために馬鹿馬鹿しくなって放り出したように、 まず学問的原因があってそれに非学問的原因が追い打ちをかける形が普通である。
では学問的理由は何かというと、たぶんセンスの足りなさだと思う。 新しい分野に参入すれば、最初は既知の結果の勉強が中心になる。 私は結構勉強好きなので、この時期は楽しいし希望に溢れている。 勉強期間が終われば研究生活に突入するのだが、過去を振り返るに どの分野でも数年以内にちょこっとマシな研究成果を出している。 しかしあくまで「ちょこっと」であり、その後は鳴かず飛ばず。
天才はどうだか知らないが、天才ならざる「そこそこ」の研究者に とってこの段階で必要なことは、既知の結果の集積を前にして新しい問題、 そこそこ頑張れば解けそうで、解ければそれなりに面白そうな問題を見抜く センスである。センスが足りないと、鳴かず飛ばす状態に陥る。
で、センスの良い人がどんどん良い仕事をし、でもその仕事の内容を みるに「なーんだ、俺だって、それを思いつきさえすれば、これぐらい出来 てたさ」と思うようなものが多く、しかし自分はセンスが足りないから 「それを決して思いつけない」ことが分かってくる。これは、鳥を見て 「俺だって背中に羽根が生えてたら、空ぐらい飛べるさ」と言うのにも等 しい。そうなるともう、その分野を放り出すのは時間の問題だ。
以上が過去の経験の総括だが、今後はどうか。今は新規参入分野 の既知の結果を勉強し、一部習作的な仕事も細々ながら並行してやっ ている段階。その時期にドイツでの在外研究期間が重なって、それは もう夢と希望に溢れた楽しい時期でございます、と。それで2,3年の 間に「ちょこっとマシ」な仕事をして、その後鳴かず飛ばずで嫌になって 放り出すというのが、うまく行った場合の予想。しかし、「ちょこっとマシ」 をスキップして、まっすぐ「鳴かず飛ばす」に突入しそうな気配もないで もない。で、何年かしたらまた放り出すんだろうけど、 その後は何をするかな?(絵を描いて静かに暮らすんだよ)
それにしても、昨夜色々思い返していたのだが、今まで実に色々な事を 勉強してきた。会社員になった頃は、論理回路、CPUやランダムアク セスメモリの仕組み、マイクロコード、アセンブラ、OS,コンパイラ、 LAN制御等等と計算機の仕組みをまるごと全部勉強したけど、 結局何にもならなかったな。 国立研究所時代は、プログラム理論を一通り勉強して、 当時の第一線の研究成果を常にフォローしてその先を考えていたけど、 それも結局何にもならなかった。 可換環論も一通り勉強して、今でも誰かの研究発表聞いても(表現論 っぽい分野を除いて)大抵の話は理解できるが、だからどうだってこともない。
どれもこれも、センスの悪さを勉強で誤魔化してきただけなのだ。 しかも、誤魔化し続ければまだエライけど、 誤魔化すのも嫌になって放りだしてきたのだ。 私の子供の頃はよく「職を転々とする奴に碌な奴はいない」みたいな ことが言われていたが、まったくその通りなんだよね。
でも、思うんだけど、私だけではなくて最後はみんな 「色々やってきたけど、結局何にもならなかったな」と思って死んでいくの ではないかしらね。
2011年1月17日(月)
<<言葉通りの意味>>
掃除の日。8時起床、9時出発。マリエン教会と大聖堂教会を偵察。人手不足の
マリエンはまだ閉まっていて、大聖堂教会には黒眼鏡の姿も煙草吸い女の姿も
見えず。哲学者の「指定席」を偵察したら、明らかに哲学者のものとは違う
鞄と物乞いカップが置かれていた。彼らの流儀では、これが場所取りを意味する
のだろう。哲学者はどうしたのかしら。
旧市街のスーパーで買い物を済ませてから、まだ掃除が終わる時間では なかったので、市庁舎の平和の間(30年戦争終結のウエストファリア条約 が締結された場所)でしばし休憩してから、市庁舎の前の市立図書館に 行ってみる。10時開館なので数分待ったが、10時を過ぎても全然開かない。 よく見ると月曜は閉鎖だった(Montag geschlossen)。
実は市立図書館のトイレが1年ほど前に有料化され、その張り紙が張って あったはずだが、その写真を撮ろうと思ったのだ。最近そういういかにも ドイツらしい、「閉鎖中」だの「故障中」だの「禁止」だの「釣り銭は出ない」 だの「50セント硬貨以外は受け付けない」だの「違反者は刑事責任をとわれるぞ」 だのといった、いかにもドイツらしい掲示を見つけて写真に撮る遊びにはまって いる。
まあ、ドイツでgeschlossenじゃあ、泣いてもわめいてもだめだなと諦め、 その辺を少しぶらぶらしてたら、何と!哲学者の寝ぐらを発見した。彼はやはり 野宿生活者だったのだ。寝袋やリアカーなどの所持品が乱雑に置かれていたが、 本人の姿が見えない。自転車もないから、どこかにちょっと出掛けているのかも しれない。
それからゲストハウスに戻り、洗濯をしたりメールを出したり。 ゲストハウスの隣室のナノ科学者が講演会の連絡メールをくれて、 それに対する返事。相転移はphase changeと言うらしいが、彼が言うと face changeに聞こえるので変だなあと思っていた。話を聞くとどうも 相転移のことらしいが、物質の表面をいじると相転移が起こるのかしら? とボケを地で行く理解をしていたのだ。「メールを頂いて、初めて自分 が誤解していたことが分かりました」と。まあ、兎に角講演会には行って みるつもり。
昼が過ぎて腹が減ったので、大学のメンザへ。今日はドイツ人になった 気分を味わって、連中が狂ったようにトイレの鍵を閉めまくる心理に少し でも迫ろうと、フライドポテトだけの昼食にしてみる。皿一杯のフライド ポテトに、マヨネーズをどっさり付けてもらい、ナツメグのような香辛料 をお好みで振りかけて、ついでに小さなスープもつけて2ユーロ10セント と安い。
食べてみた結果、「これもそう悪くないな」とは思ったが、トイレに鍵を 掛けたい気分にはならなかった。まだ修行が足りないのか。そういえば、私 の近くに座った女の子は、大きな丼一杯のクヴァーク(ヨーグルトと カッテージチーズの中間のようなもの)とミニサラダの昼食だった。 こういうメニューを出す方も出す方だが、喜んで食べる方も相当なものだ。 こういう奇妙な昼食を、その日の気分でふっと食べたくならない限り、トイレに鍵 を掛けたい気分は理解できないであろう。ああ、何と遥かな道のりであることか。
昼食後、研究室に荷物を置いて図書館にゆき、夕方まで色々調べ物。 夜は昼の調べ物を整理してTeXで打ち込む作業。ふとフランスからメールが 届き、「2月の研究集会はやはり定員の空きが発生しそうにないので、ご遠慮 頂きたい」と。すっかり忘れていたが、この研究集会の主催者とコンタクトを取っ た時に「既に定員一杯の状態で、参加者のキャンセル待ちリストに乗せることは できるが(どうするか?)」といいうような返事だったので、 要するに「馬鹿は来るな」と言いたいのだなと判断してベルリンの研究集会に 乗り換えたのだった。何だ、あれは言葉通りの意味だったのか、と。 クリスマス休暇で自虐の病がすこし癒えた今からすれば、そりゃあ勿論言葉通りの意味 だろうと思うが、当時はそうではなかったわけだ。
2011年1月16日(日)
<<秘密集会>>
午前中はゲストハウスですごす。日曜日の午前中のニュース番組の多くは
昨夜の分の使い回しである。アナウンサーが「今晩は」などと言ってるが、
連中はそんな細かいことは気にしないらしい。それから学科会議の議事録
がメールで流れていたので、それを眺めていたら気分が悪くなってきた。
在外研究期間中に大学の管理運営に関する取り決めについての情報が 届くかどうかは、その年の学科長に依存して決まる。6年前の在外研究の 時は「何で俺が知らない間にそんな事を勝手に決めるんだよう!」みたい なことがあって、「今度在外研究に出で帰ってきた時には自分の研究室が いつの間にか無くなっててもおかしくないな。全く油断も隙もあったもの ではない」と思ったものである。
今年の学科長はこまめに情報を流してくれるのだが、折角Ritsから 離れてハッピーライフを送っているのだから、こういう事は知らない方が 良かったかなと思うようなこともある。
午後は遅めの昼食も兼ねて2時間ほど偵察飛行に出る。以下、偵察報告。
大聖堂教会では、建築技術の進歩が美しいものを消滅させる例ってのは、 このことだなと思いながら、天井の写真を撮りまくる。入り口のところでは 黒眼鏡が復活し、入れ替わるかのように煙草吸い女が居なくなっていた。彼 女は実は黒眼鏡の変装ではなかったのか。今後の調査が必要だ。そして例の 街かとの「指定席」に哲学者の姿はなかった。日曜日は店舗が休みで実入り が少ないから休みにしているのだろう。それにしても彼らは一体どこに泊ま ってるのだろう?黒眼鏡や煙草吸い女は帰るところがありそうである。 「父親」の哲学者は小型リアカー、リュックサック、自転車と荷物が多く、 もしかしたら「息子」の黒眼鏡とは別居で、野宿生活なのかもしれない。
さらにどんどん先に行き、聖ヨハン教会の近くの小さなパン屋でサンドイッチ とコーヒーで軽く昼食。店の奥にトイレがあったが、例によって鍵が掛かっている。 それで店の人にトイレを使いたいのだがと言うと、 無愛想顔で鍵を渡してきて、それで入れという。 どうも客でない者がトイレだけ使うのを防ぐためというよりは、客にもできる だけ使わせたくないようだ。どうしても使いたいというのなら、仕方がないから 鍵を貸してやるという感じである。
そんなに使わせたくなければ、日本の店舗のように最初から 客の目に触れないところにトイレを作るか、トイレであることを表示しないことだ。 客の目に触れるところにトイレを作り、ちゃんとトイレだと明示しておき ながら、鍵だの何だのとゴチャゴチャ小細工に走る、この往生際の悪さというか、 一体何なんでしょうね、この連中は。胸の内で思いっきり「ばーか!」と言いながら 店を出る。
それで聖ヨハン教会に行ったら、ミサをやっていた。外の掲示でミサの予定表 を見ても書いてない。ちょうど30歳前後のカップルも自転車でやってきて、 私と同じように教会に入ろうとしたのだが、中でミサをやっているのを知って 入るのを諦めたようだ。兎に角、立ち見が出るほど大量の人がぎっしり集まって いて、しかもざっと見たところ参加者は年金生活者のような老人だけというところが 異様だった。ミサを装った年金生活者たちの秘密集会なのか?連中は一体何を決議 したのか?勢いに押されて、何だかわからないうちに退散。
夜も少し数学。