の
た
め
の
邪
魔
な
広
告
よ け ス ペ ー ス で す。
2010年7月31日(土)
<<身辺整理>>
午前中は自宅で野暮用と少しだけ数学。午後は出勤。
国外脱出にむけた身辺整理の一環として、自宅に積み上がって
いる専門書の山を少しずつ切り崩し、大学の研究室に戻すプロジェクト
の第一日目。いつもより少し重い鞄をもって大学に到着。
今日はオープンキャンパスをやっているらしく、来客があるときだけに
使われる池の噴水が、涼しげに上がっていた。
研究室で本の荷物を下ろし、「離散数学」の採点の続き。 J.S.バッハをガンガン聴きながら快調に作業。成績表への記入も含めて、 夕方頃にすべて完了。全体的に出来は良かった。受験生のほとんどが 来週火曜日の「代数学序論I」の試験も受けるはずだが、そちらの 出来栄えもまずまずだとすれば、今年度の群論の入門講義は一応成功で、 「オレさまの講義も捨てたもんじゃないね。むふっ」とひとり月夜に Vサインを送ったりしてたら、かぐや姫の一味と間違えられて警官に職務尋問 される、みたいな話になろう。
採点作業の後は、研究室ですこし雑用。オスナブリュック大学 のゲストハウスの事務に、「土曜の夜にそちらに到着する予定だが、 すぐに部屋に入れてもらえるのか?」と問い合わせのメールを出す。 常駐している管理人が居ればよいのだが、下手をすれば土日の間だけ ホテルに泊まらないといけないかも。土日となればドイツの店は 全部閉まっているので、食糧調達が心配。その意味ではホテルに泊まる 方が安全かもね。
それから身辺整理プロジェクトの一環として、研究室の整理もしようかと 思ったが、腹が減ってきたので中断。南草津駅前でモダン焼きと豆腐サラダ とビールで夕食の後、帰宅。夜も少しだけ数学。
2010年7月30日(金)
<<大事な話>>
科研費関係の説明会を行うから出席せよと言われていたので、
14時前に出勤。その時刻に大会議室前に行くと、前の会議が
まだ終わってないので少し外で待ってくれという。しかしどうも
様子がおかしいので、強引に中に入り会議室の隅に座って
無言の圧力をかけつつ様子を見ることにした。
どうやら労組関係の人たちが別のキャンパスの組合員らとテレビ 中継設備を使って中継会議をやっているらしかった。こちらの人が気を 揉んで「既に次の会議の時間が来てますので、そろそろ議論を終わりに させていただきたいのですが」と言うのだが、テレビの向こうのオジサン たちは「今、大事な話をしているのだから(無視しておけ)」とまったく 取り合わず、議論をやめる兆しはない。
「大事な話」をしているのだから他人の時間はいくら奪っても構わない と考えている連中に付き合ってる暇は、さすがの私にもないのである。 兎に角これは駄目だなと思って会議室を出て、事務の担当者に「彼らは 『今、大事な話をしているからやめる積りはない』と言ってます。 いつまで経っても終わらないでしょうから、とにかく私は帰ります。 ヨロシク!」と言って、その場を立ち去る。結局、科研費関係の説明会が どうなったのかは、知らない。この会議もテレビ中継設備が 必要なので、たぶん開催は見送られたのであろう。
研究室に戻り、資料を梱包して宅配で送る手続きをしたり、先日買った 電子辞書のコンテンツを増設するにはどうすれば良いかネットで調べたり、 事務で定期試験の答案を受け取ったり、その合間に少し文献を検索したり。
16時半より17時半過ぎまで、私も副査を務める博士論文の公聴会。 引き続き学位審議委員会。それも18時には終了。研究室に戻ると事務 から何か書類を書けというメールが来ていたので、瞬殺処理で書きあげて 返送。それから生協で夕食の後、「離散数学」の定期試験の採点。22時 までかかってとりあえず○×を付け終わる。
先日の4回生の「計算機数学」は、講義に出てなくても解ける超簡単問題 を出したにもかかわらず「凄いこと」になっていて、「もしや離散数学でも同 じことが起こるのかしら?」との不安がよぎったが、こちらは全般的によく出 来ていた。
「大事な話」のオジサンたちは、まだテレビ会議で「大事な話」に花を 咲かせてるんだろうなと思いながら大学を発ち、23時過ぎに帰宅。
2010年7月29日(木)
<<焼け野原にたたずむ>>
朝早く起きて、滋賀県内某所にて頼まれ仕事の委員会。14時過ぎに解放され、
Ritsに出勤し、昨夜採点した「計算機数学」の成績表を集計して事務に提出。
あとは、12月上旬にエディンバラで高次元双有理幾何学の某大御所の還暦を
祝う研究集会があることを察知し、早速主催者にメールを出す。
おたくんとこはドイツのマックス・プランク研究所やオーバーヴォルバッハ
研究所、ロンドンのアイザック・ニュートン研究所みたいに、
分野のちょっと外れた年寄りは来ては行かんみたいな
意地悪をする研究集会なのか?と。
この質問メール、年寄り臭い厭味ったらしさがプンプンしてますね。
あー、やだやだ、年は取りたくないもんだ。
あとは学生がらみの某「事件」で、事務の人と色々やりとり。 「この顔にピンとくれば110番」と、私は人の顔の認識にかけては絶対の 自信を持っていたのだが、私が学生A君だとずっと思っていた人物が、 写真照合の結果、実は学生B君であると判明し、昨夜から「事件発生」と騒いで 内密に事務長などに相談していたことが、実は単なる私の勘違いであり、実際は 全く何の異状も問題もないことが判明した。
心優しき事務の人たちは、A君とB君の写真を見て、「ああ、ホント、よく似 てますね。これじゃあ見間違えてもしょうがないですね」と言ってくれた。 どうもありがとう。でも、根本的に世界認識ができていない、私はこんな自分 が許せません。慰めは今の私にとっては、ただ辛いだけです、と。
ぺちゃ焼きとピザを見間違えてしまった「タコ焼きのあほ屋」のオヤジ、 シューベルトの「楽興の時」とモーツアルトの「トルコ行進曲」の区別が わからなくなった指揮者、 鯛とハマチの刺身の区別がわからなくなった板前、 鳥とロケットとソ連のミサイルとカエルのケロちゃんとスーパーマンの区別が つかないニューヨークタイムズの特派員、 ピカソと万鉄五郎の区別がわからなくなった画商、 スマートフォンとiPod touchの区別がわからなくなった家電量販店の店員、 あるいは、スルメとオッサンの足の裏の臭いを間違えてしまった誇り高き警察犬。 それが今の私である。これまで絶対の自信を持って認識してきた、世界についての 某大な「事実」。そして日々そられの「事実」を積み上げて築きあげた世界観。 それは全て虚妄だったというわけだ。「生涯一座敷童、日々是偵察也」って カッコつけてるけど、一体お前は何を偵察してるんだよ?白昼夢の世界を ぐるぐる回ってるだけじゃないか?と。全てが炎上瓦解し、何だか、焼け野原に ひとりたたずんでるような気分。「あーあ、これからどうやって生きていこう かしら」なんてね。
夕食時にしこたまヤケ酒をあおり、夜、フテくされていたら、 エディンバラの研究集会の主催者からのメールが届く。 我々の研究集会は会員制秘密クラブではないので、旅費や宿泊費の補助 は難しいものの、お前が自前で参加するというなら歓迎する、と。 今年は科研費が当たったから、お金の方は勿論大丈夫だ。 これで12月のエディンバラ行きは決まり。
エディンバラって21年ぶり。天気が10分とか20分の間にクルクル変 わって、空の色はフィンツイの「5つのバガテル」みたいに深く悲しく美しく、 人々の話す英語は英語であることもわからないぐらい訛りが強いけど、 街角できょろきょろして困った顔をしていると、「お前、道に迷ってるんじゃない か?何処に行きたいんだ?」と誰彼となく近寄ってきて親切に教えてくれた。 中華料理店に入ったら、「鳥料理」と称してコウモリの丸焼きが出てきたっけ。 懐かしいなあ。今もそうかもしれないけど、当時エディンバラ大学の計算機科学 研究所はプログラム理論の世界最高峰だったしね。
って、ずうっと思ってて、今もそう信じてるんだけど、実は私が21年前に 行ったのはエディンバラではなくサンパウロで、人々が話していたのは英語では なくポルトガル語で、道に迷っていたところを日系ブラジル人に助けてもらい、 ベトナム料理店でカニ料理を食べて、サンパウロ大学に超平面配置研究で著名な 数学者を訪ねていったのだが、そのことを全然覚えていないだけ、、、だったり して。もうこうなると、私は一体誰なの?みたいな問題に発展してしまうな。
2010年7月28日(水)
<<凄すぎる!>>
大丸ラクト山科店で昼食用のパンを買って、昼頃に出勤。
ドイツ逃亡計画の一環として、図書館で借りていた本の残り
全てを返却。研究室こそこそ昼食の後、しばし数学など。
それから15時から16時まで2回生配当「離散数学」の試験監督。 今日は受験者の人数が多いので、補助の人が二人ついてくれた。
試験監督の後、生協に立ち寄って電子辞書のフランス語版追加 データを注文しようかと思ったが、雨が降り出して傘を持って なかったので、生協行きは中止し、そのかわり事務で昨日の 4回生配当「計算機数学」の答案を受け取る。
それから16時半より1時間程度学科会議。会議の後はすぐに 帰宅。
夜は「計算機数学」の採点。枚数が少ないこともあってすぐに終了。 思わず「うーむ、凄い。凄すぎる!」と溜息が出る。 今日の「離散数学」の答案もこんな感じだったらどうしようかしら、と。
2010年7月27日(火)
<<勉強熱心>>
午前中に出勤。とりあえず生協で昼食用のパンだけ買っておいて、
11時から12時まで4回生「計算機数学」の後期試験監督。
普段教室で見掛ける学生の倍以上の受験生が試験を受けていた。
その後、研究室に戻って、学科内の紛争(?)の火に油を 注ぐようなメールを出し、それから論文の査読、図書館で借りていた 本の返却、研究費の清算手続き、機器備品の所在確認、科研費で 買う図書の発注手続き、演習科目の成績表提出などの雑用をこなし、 16時半から教授会。
教授会は激しく荒れまくり、予定時間を40分近くオーバー。 それからチャーターバスで宴会場に向かい、20時前から21時半 ごろまで速攻宴会。私は料理に対して「不味い」ということは滅多 矢鱈には言わない人間だが、今日の料理だけは、見栄えはまずまずだが、 何もかもがお菓子のように甘ったるい味付けだし、シーフードサラダ と勘違いしてるみたいな酢の物が出てくるしで色々不満。 酒もあまり進まず。しかし1時間半とは言え、いつもの親和会宴会 と同じで退屈なことにはかわりなく、デジカメで各料理の写真 を撮って暇つぶしをしてた。
ところで、私自身は数学者を目指そうと思って大学で数学を専攻 したのだけど、そうでなければ数学科には進学しなかったと思う。 仮に進学していても、難解な大学の数学を無理して勉強する 気にはとてもならず、成績不良で卒業できなかったか、さもなくば 他学部か他学科への編入を真剣に考えただろうと思う。
今私が数学教師として学生たちに対してとっている態度とは裏腹に、 「社会人あるいは職業人のための潰しの利く基礎的素養とし ての数学」というのは、事実であるにしろ、個人的にはあまり信望してなくて、 「基礎的素養といえば、文学か哲学か芸術でキマリしょ!」 みたいな偏見を若い頃からもっている。
数学は確かに面白いけれど、かなり自分に負荷をかけてのたうち 回って壁を乗り越えないと何も理解できない大学数学に、知的好奇心だけで 取り組み続けることは私には無理で、数学者としてそれを職業にして 生きていくという目標や野心がなければ続かない。
そんな私に言わせれば、数学者を目指しているわけでもない 数理科学科の大部分の学生たちが、何をモチベーションに勉強しているのか ちょっと想像がつかないし、むしろ、そんなに強いモチベーションがあるわけ でもないだろうと勝手に推測している。そう思うと彼らは異様なほどに 勉強熱心に見えてくるし、その熱心さが私にはちょっと不思議に思えるぐらいだ。 (だからと言って、単位認定を甘くするとうわけでもないけどね。)
2010年7月26日(月)
<<デジカメ>>
一応、研究日。しかしビッグカメラで買った電子辞書やデジカメなどが、
店の袋に入ったままその辺の放置されているので、何とかしないといけない。
面倒臭いなあと思いながらも、午前中はそれらの包みを開けて、説明書を読んで、
電源を入れて、動作を確認して、みたいな作業をしたり、スカイプのプリペイド
カードを使う時に必要な自分のパスワードを忘れてしまったので、調べ直したり
といったことで終わる。
午後は街に出て、まずは河原町三条の丸亀製麺で遅めの昼食。隣の席 に若い女二人組が居て、彼氏が非正規雇用で貧乏だけど私は正規雇用なので、 彼氏に「主夫になれ!」と言っているのだが、どうも埒があかないので別れ ようかと思うというような話をしていて、聞いている方の女はどういう雇用 状態か不明だが、やはり彼氏が非正規雇用で貧乏なので別れようかと思うと いうようなことを言っていた。
丸亀製麺を出てからバスで京大に移動。バスの中でpi-計算の本を読んで いる40代ぐらい男が居て、何者かと思っていたら京大農学部前で私と一緒 に降りた。最近はこの方面の分野にとんと疎くなってどういう人がどんな 研究をしているのか全く関知してないけど、たぶん数理研の理論計算機科学部門 の人だろう。
北部生協喫茶「ほくと」で珈琲を飲んでから、数理研図書館に籠る。朝から ちょっと気になったことを色々調べたり考えたりしているうちに夕方になる。 数理研を出てから、久しぶりに生協ルネの書籍部とPC関連部品のところを 偵察してから帰宅。
夜は新しいデジカメの操作法確認作業の続きを行い、さらに 友隣社のサイトにアクセスして科研費で購入する書籍を検索し、 纏めて注文。これといった本が見つかったら、注文する前に大学の図書館 に既に置いてないか確認するのだが、少なくとも最近の本については、 かなりのものが置いてあるのには驚いた。
新聞によると、森毅氏は「僕はひとりっ子だから協調性は弱いけど、 社交性はあるんよ」と言っていたそうだが、これは使えるな。私は協調性 はゼロだけど、社交性はあるんよ。ということで、明日の晩は親和会の宴会。 でも宴席で話しかけられても生返事でやりすごし、黙って食べて飲んで、 退屈しのぎにデジカメで料理の写真取ってるだけの一体どこが社交的か? という突っ込みは、瞬殺却下。
2010年7月25日(日)
<<勝ち逃げする>>
明け方にふと目がさめ、何となく数学を考えるも収穫はなし。それから
少し二度寝してから起床。いつものように、「オチビサン」と「七つの間違い探し」
と「時事クロスワードパズル」の日曜日の午前中をすごす。
昼頃に近所のスーパーに買い物に出て、午後はネットで電子辞書を調査したり、 少しだけ数学を考えたり。少し日射しが収まりかけた夕方を見計らって、京都駅前 ビッグカメラに出かけ、昨日の偵察結果も踏まえてドイツ語電子辞書などを購入。 これまで英和・和英・独和・和英の電子辞書と英英・英独・独英・独独の電子辞書 の2つを持ち歩いていたが、今日買ったのは、これらが全部1つになり、 しかも動詞の活用形も表示されるという機種。液晶もカラーで明るくて見やすい。
それからバスで四条河原町に移動し、その辺の店で適当に夕食。少しアルコール も。帰りは先斗町をぶらぶらと北上し、若い芸者と同伴のお金持ち老人2人と すれ違ったりしながら京阪三条に出て、地下鉄にて帰宅。
帰宅後、「一刀斎」こと森毅先生が亡くなったことを知る。昨年自宅で火傷をし て、長く入院生活を送ってられたが、残念ながら回復できなかったようだ。 私は学生時代に森先生の微積分学の授業に2,3回ほど出たけれど、数学の内容 も雑談も期待したほども面白くなく、クラスメートたちと「森は本は面白いけど、 講義はつまらん」などと言い合っていたし、数学の研究論文をほとんど書いてない のに京大の数学教授として学外で色々発言して目立っていたので、同業者からは 味噌糞に言われていた。しかし何だかんだと悪口を言われながらも、結局文化評論家 として一家をなしたところがこの人の偉いところで、「森毅が居なくなると何だか つまんなくなるなあ」というのが実感である。82歳だったそうだが、 火傷さえしなければもっと長生きして、時々面白いことを言ってくれたであろう。 そういう意味で惜しい人を亡くしたと思う。
そういえば、先日、知人の1周忌があった。私と同い年であるが、私とは まったく別の世界の人間。数年前にひょうんな切欠から初対面で1日だけ他の数名と 一緒に温泉旅館に泊まったりして歓談し、それっきりだったのだが、オッサンのくせ にいい奴だったなあという思いばかりが記憶に残っている。まあ、知り合ったのが 私がまだオジサン嫌いになる前だったからかも知れないが、家族から生前の話を 聞くに、一生懸命誠実に生きていて、やっぱりいい奴だったんだなあと思った。 今でもときどき思い出しては、気の毒だなあとか、惜しい奴を亡くしたなあ などと思っている。
そうかと思うと、ほとんど初対面の頃から、何でコイツはこんなに嫌 な奴なんだろうと思い、その後何年間もの間ずっと監視していると次第に その人格の全容が明らかになってきて、最後に葬儀で家族から生前の家庭で の様子を聞くに「やっぱり、そうだったか」ということになり、ああ、 俺はこんなつまらない野郎に煩わされていたのか! とむらむらと腹が立ってきて、月夜に「地獄に堕ちろ!糞野郎!」 と叫びたくなる場合もある。奴は一度も悔い改めることなく、碌でもない 野郎のまま逃げ切りやがったかと、思い出すたびに癪でしょうが なく、「もうあいつの顔を見なくてよい」というのがせめてもの慰め である。
私もこんなふうに人々から憎まれて、勝ち逃げみたいな死にかたを したいものだと思う。それも万人に憎まれるのではなく、ある種の感性 や立場の人間だけに徹底的に嫌われるというのがいいな。
2010年7月24日(土)
<<謎の中国人>>
明け方、夢うつつに数学を考えているうちに、昨日の発見は半分ぐらいヌカ悦び
だと判明し、また深い眠りに陥る。朝はゆっくり目に起きて、
まずは研究ノートの訂正。メールをチェックしたら、
4回生配当の講義を受けていた某学生から問合せ。就活であまり出席してないが、
定期試験に向けてどう勉強すればよいか、と。それに対して、最終回の講義でアナウン
スした通りのことを回答しておく。すなわち、定期試験には、
たとえ講義を聞いてなくても、その場で問題文をよく読んで考えれば
解答できる問題を出題した。その問題が易しいか難しいかは、
君がこれまで培ってきた実力次第だ、と。
午後は街に出る。奇跡的に1つだけ席が開いていた、毎日 満員御礼!?もう俺はあんな店には近寄らないぞ!の山科駅前Sbuxで 昼食をとり、しばし数学。Sbuxには例によって図書館がわりに勉強している 学生の他に、勉強するフリをしてグループでお喋りを楽しんでいる男女学生のグループ、時々 試験勉強のノートに目を落としながらも、結婚して子供がこうなったら どうするべきか?結婚しても相手が思っていたほども素敵でないと気づいた ときどうするか?みたいなことを話し合っているカップル、夏休みの グループ旅行の計画をたてている女子学生のグループなどが居た。 隣にいた50代ぐらいの太った男女は何者か知らないが、 女の方は顔の表情などから中国人としか思えない雰囲気だったが、 流暢な日本語を話していた。
昔は中国人と日本人は、服装や顔の表情が醸し出す雰囲気の違いで 区別できて、私などはよく「黙っていたら謎の中国人」と言われたもの である。それでその気になった私は、街で話し掛けられても日本語を 使わずに英語でガンガン返事すれば中国系米国人っぽく見えるかしらと 思い、仕事での必要性もあって英会話の勉強に励んだ。しかし、 エディンバラで中国人留学生たちのマシンガンをぶっ放すような英語の 話し方を聴いて、さすがにこれは真似できないと諦めた。連中の英語 を聴いていると、中国語のリズムと同じで、ああいうメリハリのある 喋り方は私にはとても無理である。それで一時期挫折感にうちひしがれ ていたのだが、警察などの職務尋問を除いて、日本の路上で見知らぬ人 に路上で声を掛けられることが一生に何度あるのかとか、 中国系米国人っぽく見えることに一体何の意味があるのかつらつら 考えてみるに、この計画の馬鹿馬鹿しさがようやく分かり、まあ、 一応納得したんだけど。
それにしても、アメリカの大学で韓国人留学生を日本人と間違えて日本語で 話しかけてしまったことがあるが、中国人留学生は顔を見ただけでわ かった。まあそれぐらい特徴の違いがあると思っていたのだが、 最近はよくわからなくなってきた。Ritsにも沢山中国人留学生が居るが、 黙っていると日本人なのか中国人なのか全然区別がつかないことが多い。 しかし、中国人もいろいろだし、目に触れるサンプルが増えるにつれ、私の 中国人のイメージとは違う中国人に触れる機会が増えたということかもしれない。 あるいは、日本の若い人が中国人っぽくなってきたせいかもしれないし (内面的には中国人の真逆のようにも思えるけど)、 日本に興味を持ってやってくる中国人が日本っぽいのかもしれないし、 単に私がオジサンになって、モノの見方がテキトーになってしまったせいかもしれない。兎に角、真相は闇である。
それから京都駅前に移動し、駅の北側のビッグカメラと南側に新たに オープンしたイーオンモールを偵察し、ドイツ語の電子辞書、iPod touch, iPad, iPhone, ポータブル無線LANルーターなどを調査。今日の結論としては、 ドイツにdynabookを持っていくなら、万一それが壊れた時に現地でiPadを 買えば、日本語でWebやメールのやりとりぐらいはできそうだということ。 そういえば、ビッグカメラには珍しくRitsの先生を見掛けなかったし、 若い客は全て中国人に見えた。
暑い京都の街中を、陸軍の兵隊さんのリュックサックのように重い、 本やノートやPCを詰め込んだ鞄をしょって歩き回ったせいか、今日は かなり疲れた。それで予定していた夜のスポーツクラブ行きは中止し、 夜は録画しておいた「サラリーマンNEO」を見てから、 オスナブリュックの現地情報や現地でのSkypeクーポンの買い方や CITIバンクの支店の場所の調査など。
2010年7月23日(金)
<<言うことが違う>>
午前中は今期最後の京大代数幾何学セミナーに参加する積りで早起きした
のだが、すっかり忘れてテレビに見入り夏休みモード。自宅を出るはずの
時刻にはっと気づき、大慌てで準備をしてタクシーを呼んで京大へ。
2000円弱のタクシー代は当然自腹。まあ、毎日のように地下鉄に
乗って街でふらふらしている交通費なども全部自腹だけど。京大のセミナー
に通う分は出張申請してもよいのだが、最近はやれ領収書を出せだの報告書
を書けだのと五月蠅くなったので、近場の出張はいちいち申請してない。
昼食は2日連続で真っ黒スープ衝撃のラーメン屋。今日は焼豚丼セット。 午後は京大数理研図書室に籠って数学。ああでもない、こうでもないという、 碌でもないアイディアをノートに書き出し、どれも駄目なことを確認 する作業に励む。しかし最後の1つだけ、それだけでは論文にならない ような小さな前進があった。何か勘違いしていてヌカ悦びの可能性も 十分あるので、しばらく寝かしておくことにする。
数理研の帰りはJEUGIA三条本店とAngers河原町三条本店を さらっと偵察。JEUGIAさんでは久しぶりにリヒテルのインスブルッ ク・コンサート版「平均律クラヴィーア曲集」が掛かっていたので、 今夜はまたこの曲を聴きなおそうと思い立つ。
それから地下鉄に乗り込み、大丸ラクト山科店で安い白ワインを 買い、自宅近くの酒屋でよく冷えた小さな缶ビールを買って帰宅。白ワインを 冷蔵庫にしまい、小さな缶ビールで今年度の講義と会議の終了に乾杯。
夕食時に見たテレビで、京大の生物系の助教の某先生の研究生活を紹介 していた。研究者として第一線に食い込んで頑張りつづけることが、学生を 啓発する良い教育に直結すると言っていた。うーん、凄い。やっぱり京大の 先生は言うことが違うね。まあ、京大では当たり前のことなんだろうけど。
夜はWebでオスナブリュックのことを色々調査。エッセンとは違って 田舎街で刺激が少ないと誰かが言ってたけど、まあ、そうかもしれないという 気もしてきた。一応大型量販店Saturnはあるが、Kaufhofみたいなデパートは ないみたいだ。劇場はあるようだが、コンサートホールはなさそうだ。 食料品を買い忘れた時の命綱、中心駅のスーパーマーケットの存在はまだ 確認できない。まあ、時々ミュンスターあたりに遊びに行こうかしら。
2010年7月22日(木)
<<強い人間になりたい!>>
太陽がギラギラまぶしい研究日。夏はサングラスが欠かせない。
午前中は山科区内で野暮用。
午後は京大数理研図書室に籠って数学。
昼食は、週に一度は食べたくなる真っ黒スープの衝撃ラーメン屋にて、餃子
セットに初挑戦。餃子の具も真っ黒かと予想したが、案外普通の
餃子だった。やっぱり私としては、焼き豚丼セットが一押しかな。
数理研の帰りに、「トラちゃん」こと数理研猫の住処を表敬訪問したが、
新しい夏用の敷物が敷かれていたものの、本人は外出中。
ついでに隣の基礎物理研究所を偵察したが、理論物理学の研究集会が行 われているらしく、ちょうど講演の後で皆がフロアに三々五々集まって 自由討論をしているところだった。勿論、研究集会の合間のこういう時間 は貴重な学問的議論の現場であり、計算機科学者時代も数学に転向してか らも何度も目にした光景ではある。しかし、こういう場にいまだに馴染めない 私は学問研究に向いてないのではないか、私のような人嫌いで自己評価が 強度に低い人間でも学問研究はできるのか?と悩み続けて20数年。 まあ、何とか騙し騙し今日までやってきましたけど。
それから吉岡書店に立ち寄り数学書の古洋本を物色してたら、基礎物理研 の研究集会帰りと思われる30代になるかならないかぐらいの若い男二人組 が近くに寄ってきて、数学書の隣にならんでる物理学書を冷やかしながら、 何とか統一理論がどうだ、何とか研究室の院生が誰それの論文を読んでどうの こうの、それで教授がどうしたこうしたと研究情報交換を始めた。まあ、 それはいいのだけど、私のすぐ隣でそれをやられちゃあ、狭い店内で身動きが 取れないではないか。邪魔だよ、あっちへ行けっちゅうに。そうだ、 ちょうどオナラをもよおしてたので、 スカンクよろしく一発ぶっぱなして連中を追っ払っちまおうか、と。
しかし連中に「先日吉岡書店に行って本を眺めながら普通に喋って たら、近くに居たサングラス掛けた変なオッサンが、いきなりブーってオナラ ぶちかますんだぜ。信じられるか?」みたいに言われるのも癪だ。ああ、そうだよ。 研究集会の自由討論の時間に透明人間モードで座敷童してるような俺サマが全部悪 いんだよ、と自分でも意味のわからないイジケかたをし、ブーっとぶちかますのは やめてその場をそっと離れ、連中が他の場所に移動するのを待つ。あーあ、 年は取りたくないね。何時から俺サマはこんなに奥ゆかしい人間になったんだい? あそこで一発、ブーとぶちかませるような、強い人間になりたい!と。
30代といえば、電車の中で鼻くそほじくってるのは30代の男 ばっかりだと思ってたら、今週の始めだったか、私の向かいに座ってた 60代ぐらいの何だかバリっと着飾った派手な感じの女の人が、長く伸ばした 小指の爪で鼻くそをほじくっていたな。サングラス掛けてると、あっちの方を 見てるフリして相手の目の前でへーっ!?と思いながら直視してても、 全然気づかれないから便利だ。その鼻糞、どうするのよ?と思ってじっと見てたら、 しばらく指でねじくり回して、いつの間にかどっかに行ってしまったみたいだ。 さすがに30代男と違って、食べたりはしないわけね。なるほど。 なかなか良いサンプルを見つけることができて、その日一日気分が良かったな。
夜は録画しておいた「サラリーマンNEO」3連発! と意気込んだが、何と!うち2回は参議院選挙の政見放送で潰れてし まっていて、結局3番目のものだけがちゃんと録画されていた。 これで貯まっている録画は全て消化した。それからまた少し数学。
2010年7月21日(水)
<<今日も最終回3連発>>
大丸ラクト山科店で昼食用のパンを買って、正午すぎに出勤。いつもは研究室
コソコソ昼食だが、今日は学生たちがたむろしている広いスペースのある
セントラルアークとかいう建物へ。そこで珈琲を買って隅の席で大量の学生
を眺めながら昼食。学生というのは、あれで本人たちは楽しいのかどうか知
らないけど、少なくとも傍目には楽しそうに見える。
それから研究室で荷物を下ろし、13時から卒研ゼミ最終回。このゼミは 後期は別の同僚に引き継がれるが、私が指導するのは今日が最後。 任意の(アフィン)代数多様体が有限個の既約代数的集合の和に分解すること の証明。一意分解性については、定理のステートメントをやったところで 14時半の時間切れ終了となる。
引き続き14時40分から16時10分まで2回生配当「離散数学」の最終回。 今日はクラインの4元群が4次対称群の正規部分群であることを示し、さらに その剰余群の構造を詳細に計算して見せる。これで学生が剰余群を少しでも身近に 感じることができれば、この授業は成功なのだが。
昨日にひきつづき、この授業でも「つぶやき君」は欠席。「つぶやき君」は 私の道しるべであった。私は教室の正確な番号をいちいち覚えていないので、 時々どの教室へ行くべきだったかわからなくなる。202号室だっけ、それとも 向かいの205号室だったかなと迷ったときは、候補の教室をそっと覗き込 んで「つぶやき君」が一番前に座ってたら、ああ、この教室だったと安心して入っ ていったのだ。
彼が休んでたりすると、間違えて別の教室に紛れこんでしまったり して色々不便だ。今日も違う教室に入って、どうも様子が変だと思って飛び出した。 そういえば、少し前などは、教卓で授業を始める準備をしてたら、別の先生が 入って来たので、何だよう!お前、何か用か?とガンを飛ばしてやったら、 「先生、部屋間違えてませんか?」と。それで慌てて飛び出した。
授業を終え、研究室に戻って一息入れた後は、16時30分より学科会議。 18時半頃に終了。私にとって今年度最終の学科会議になるはずなんだけど。。。 生協で夕食の後、珍しく研究室で少し数学。21時前に大学を発ち22時頃に帰宅。 今年度の講義と学科会議が全て終了した打ち上げに、ビールで乾杯!と思ったが、 結局地下鉄山科駅前の自販機で買った「午後の紅茶」が予想外にキンキンに冷えて いて、それで十分渇きが癒えてしまった。 ビールは明日以降の楽しみにとっておくことにしよう。
2010年7月20日(火)
<<最終回3連発>>
高密度実装の火曜日。午前中は4回生「計算機数学」の最終回。
本当に久しぶりのことだけど、爪の垢ほじくり学生が来ていた。
今日はシチジー法によるブーフバーガー・アルゴリズム最適化の例として、
安定イデアルが線形商イデアルであることを使った例を示す。しかし
少し時間配分を間違えて、肝心なところをごちゃごちゃっと誤魔化して
話して終わるという、やや後味の悪い結末となった。
正味40分の昼休みは、研究室こそこそ昼食。13時より 14時半まで「C言語とUNIX演習」の最終回。受講生は3名。 1名はせっせと最後の課題に取り組み、完璧ではなかったけれど とりあえず6番目の課題レポートを提出。残りの2名は、先週に 「皆さんはもう単位は取れてます」と宣言したら安心したのか、 ずうっとお喋りして遊んでいた。
14時40分より16時10分まで「代数学序論I」の最終回。 今日はいつも一番前に座って、「それ違うやろ」とか「おかしいな」と かぶつぶつ言ってる「つぶやき君」は居なかった。教室中央に陣取る お喋り女子学生たちは、今日を乗り切れば天下取ったも同然とばかりに、 前後2列フォーメーションで私の監視の目を撹乱し、さらには周囲に 対して「シーッ!シーッ!」と静粛を呼び掛け、私の落雷モードに スイッチが入るのを極力避けようと画策しているようであった。 そして、、、確かに雷は落ちなかった。
今日は正規部分群でなければ剰余群の演算がwell-definedにならない ことと、準同形写像の核が正規部分群になること、そして自然準同形の 概念について述べてから、4次方程式の解の公式をガロア理論の考え方 に絡めてざっと説明して終わる。「計算機数学」の締めくくりはうまく 行かなかったけど、「代数学序論I」のフィニッシュはちゃんとキマッ たと思う。この講座は教えていて楽しかったけど、さて定期試験の結果 はどうかしら。
講義の後、図書館で新刊書をさっと偵察してから大学を発つ。帰宅途中、 大丸ラクト山科店1階の喫茶店で、スポーツクラブで時々見かける 「青春を取り戻したオジサン」を発見。私の調査結果によれば、 超絶メタボ大王だった彼は、ラクトのスポーツクラブでトレーニングに励み、 別人のようにひきしまった肉体と人生に対する自信を獲得したようである。
早速張込み開始。彼はこの店が好きらしく、以前はビジネス・スーツを着て どこかに出張するような大きな旅行鞄を脇に置き、珈琲を飲みながら手帳を 眺めていることが多かった。今日は派手な柄のTシャツにジーンズ、頭にわけ のわからないバンダナを巻いて、まさに「取り戻した青春まっさかり」 といういでたちである。大きな鞄には運動着やスポーツシューズらしきものが 見えたから、ラクトのスポーツクラブに出かける前後なんだろう。 そして以前と同様、珈琲をすすりながら手帳を眺めていた。ふと、この男は、 私のお気に入りの津の鰻屋の親父にちょっと似てるなと思った。
夜は撮り貯めしてあった「サラリーマンNEO」を一気2回分見てから、 また少し数学。うーむ、難問はいくらいじくり回しても、やっぱり難問 だなあと、溜息。
2010年7月19日(月)
<<無い物ねだり>>
何となく睡眠不足が続いていたので、昼前まで爆睡。もうすっかり夏
である。夕方頃まで自宅で数学。古い論文を突っつき回す。野暮用の後、
自宅を出て山科駅近辺へ。休日ということもあって、ラクト山科のベンチは
老人などで一杯。ホーリーズカフェの隅の禁煙席が空いていたので、そこで
しばし数学。それから大丸で安いワインを買って帰宅。ワインを冷蔵庫に
入れてすぐに自宅を出て、今度は寺町通りの上島珈琲へ。何とかミルクティー
の冷たいのを飲みながら、またしばし数学の後、帰宅。夜はまた、貯まっている
「サラリーマンNEO」の録画を1つ見て、明日の4回生の授業の準備をして
からGmailのアカウントを作る。
そういえば今までにずいぶん色々な授業の準備をしてきた。思いつくままに 挙げてみると、Pascalプログラミング、コンパイラの設計とPascalによる実装、 C言語プログラミング、ボードコンピュータによるアセンブラ・プログラミング、 型付きラムダ計算、論理プログラミング、並列分散計算モデル、 凸多面体の組合せ論、数え上げ組合せ論、ヤング図形の組合せ論、 隠れマルコフモデルによる自然言語モデル、暗号理論、初等整数論、 圏論とプログラム言語の圏論的意味論、線形代数、位相空間論、 多変数の微積分、代数曲線論、可換環論と代数多様体入門、群論、 グレブナー基底とブーフバーガー・アルゴリズム。こうやって振り返ると、 「器用貧乏」という言葉が思い浮かんでくる。
色々勉強できて私としては面白かったけど、特に専門性の高い 科目は「こんなの折角学生に教えても、何にもならなかったなあ」というものが 多い。「何にもならない」というのは、 漠然とした言い方だが、要するに、私の講義に触発された学生が長じて ともに学問を語る友になれば「何とかなった」ことになる。私に限らず、少なく ともRitsの教員の多くは「何とかなる」ことを願い、そのために努力している ように思える。ここで「長じて」の意味は、学者研究者として一人前になるハイレベル から、 単に卒研で自分のゼミに入ってくるレベルまで色々考えられるが、私の場合。 だいたい大学院の修士ぐらいの 学生とささやかな共同研究ができるレベルを意味している。
ただ、私の場合は「何とかなる」ことを願うのは、無い物ねだりである ことが経験的に分かっている。 経験則としては分かっているが、何故なのかはよくわからない。 「たぶん性格が悪いからだろう」以上の分析はしていないし、 そんな分析をしても状況が変わるわけでもないから無意味だと思っている。
昔作った「何にもならなかった」講義ノートが いくつか残っているが、それを見るたびに色々な記憶が蘇り、最後に 「そうだな、無い物ねだりは人生の浪費でしかない。限りある人生は もっと有意義なことに使うべきだ」と自分に言い聞かすのだ。
ところで、プログラミングの初歩や初等整数論、位相空間論、多変数の微積分、 群論入門など、低学年向きの初等的科目は授業をしていて学生の手応えを感じるこ とが少なくない。受講生も多いので、おナルな私にはちょっと気分がいい。 明らかに最近の私は、無い物ねだりをやめて、この辺で手を打っておこう としている。
そのいっぽうで、学部高学年や大学院の授業は、誰も居ない教室で講義することも あるぐらいだから学生の手応えも何もあったものではなく、単にコマを埋めて 給料を貰うためだけにやってるという感じになりがちである。
明日が最終回の授業となるグレブナー基底とブーフバーガー・アルゴリズムは、 高学年向けの講義の中では比較的学生の反応が良い方で、年度によっては大学院で 教えてたりしたが、最近はレギュラーの講座はなく、今年度のように他の先生の 代理として何かコマを埋めなければならない時だけに使う隠しネタになっている。
2010年7月18日(日)
<<打ちのめされた気分>>
日曜日だから、午前中は朝日新聞「オチビサン」と京都新聞「7つの間違い探し」
「時事クロスワードパズル」で決まりである。それから近所に買い物に出かけ、昼食。
午後はvodaphoneやドイツテレコムの携帯電話を調べる。vodaphoneのCallYaはドイツ
から日本への通話が1分間2ユーロ弱。現在のレートだと220円強。ドイツ
テレコムはサーバーがダウンしているのか、ドイツ語版はアクセス不能。
英語版はどうもアメリカ向けの内容なので参考にならず。ドイツテレコム
日本支社のサイトを見たら回線契約するタイプでドイツから
日本へ1分間250円の通話料。それ以外に月々の契約料なども要る。
プリペイドタイプのものがあるかどうかは、明日以後にドイツ版のサーバーが復活
してからでないとわからない。
そうこうしているうちに夕方近くになってきたので、少し数学。そのまま ラクト山科まで散歩に出かけ、山科書店で朝刊の書評欄でみつけた「これから 『正義』の話をしよう」(マイケル・サンデル)を買ってから、ベンチで しばし数学。それから、わらび餅を買って帰宅。夜は少しテレビを見て、 携帯電話について調べ、さらに少しだけ数学。
テレビは録画しておいた「恋のから騒ぎ」と「サラリーマンNEO、Season 5」。 最初の頃のNEOは駄作が多かったが、Season 5の今はかなり洗練されてきた。 会社の中の人間関係の気まずい場面を扱った寸劇が中心で、半分ぐらいは 心当たりのある苦い思い出が彷彿とし、あとの半分は「俺って、気づかないうちに あんな事になってたのかしら」とか、色々思うところがあり、この番組を観終わった 後はいつもすこしだけ打ちのめされた気分になる。
それに比べて「から騒ぎ」は単純に馬鹿馬鹿しいだけで、単純明快に笑って いられるところが大変よろしい。ただ、NEOでも「セクスィー部長」と「(最新の サラリーマン工学に基づく)サラリーマン体操」だけは、単純馬鹿馬鹿しい路線 なので、やはり救われた気分になる。
そういえば昨日書き忘れたけれど、スポーツクラブのバイトの兄ちゃんの 一人に、私が学生時代に家庭教師をした高校生(当時)E君によく似たのがいて、 昨夜はまた内心忸怩たる思いに浸っていた。E君は当時高校1年だったが、 オーケストラ部に入って指揮者をやっていた。
指揮者といえば、数日前に新聞か何かでベルリン・フィルの佐渡裕氏が指揮者 の仕事のことを書いていて、まあ、指揮者ってのは誰でもそういうことをするの かも知れないけど、何でそんなに凄いことができちゃうのよ?!とびっくりした。 そのこととE君の記憶が、スポーツクラブのバイトの兄ちゃんの顔を見た途端に バチっと火花を散らしてアマルガム結合してしまった。
私:「へー、オーケストラ!?ブラスバンドとは違うの?」
E君:「ブラスバンドではありません。」
私:「ふーん。ブラスバンドとオーケストラって、そんなに違うの?」
E君:「ええっ?違いますよ!」
私:「え?何かプライド、傷ついた?ひょとしてオーケストラの
人って、『俺達、ブラスバンドとは違うんだぞ!』みたいに思ってて、
ブラスバンドと間違えられるとむっとするとか?」
E君:「いや、単純にブラスバンドとオーケストラは別のものですから。」
私:「そうなのか。で、オーケストラでどの楽器を担当してるの?」
E君:「僕は指揮者なので、特にどの楽器ってことはありません」
私:「ああ、あの、棒を降るやつ?」
E君:「ええ、そうです」
私:「ふーん(棒だけ降ってても面白くないじゃん、
何だかつまんないことやってるんだなあ)」
ああ、なんて間抜けな会話なんでしょう。30年以上も前のこととはいえ、 今思い出すだけでも顔から火が噴きそうである。あの頃よりも自分が格段に お利口さんになったとも思えないし。「サラリーマンNEO」を見た 後の打ちのめされた気分というのは、この類のもの。
2010年7月17日(土)
<<山鉾巡行>>
いきなり梅雨が明けたのだそうだ。
午前中は自宅にてvodaphoneのプリペイド携帯電話のサイトを調べる。
ドイツ国内から外国への通話が高いそうだが、どんなものかしら、と。
午後は街に出る。そうか、今日は祇園祭のクライマックス山鉾巡行の日
だったのを忘れてた。河原町三条界隈は観光客を含む人の山で、
遅めの昼食に入った丸亀製麺も、結構混んでいた。それから人の波を
泳ぐようにして三条アーケード街を抜け寺町通りを上り、上島珈琲へ。
ここもかなり混んでいたが、隣がぎちぎちに詰まったフロアに
何とか席を確保し、数学。
しばらくは読書に耽る若い女や半導体のカタログを眺める オジサンたちに囲まれていたが、そのうち読書女が店を出て、 入れ替わりに若い女二人組がやってきた。一人は「先生」と 呼ばれる人の事務所で働いているらしい。事務所の仕事が暇な時、 「先生」は何か話しかけて欲しそうに新聞をゆっくり読むのだそうだ。 心優しい事務員たちは「先生」に声を掛け、話を聞いてやったりする ようである。
彼女たちは事務所の仕事として「先生」の家の食料品の買い物なども するという。「先生」の細君は認知症だそうだから、「先生」もそれなり の年配であろう。彼女たちが買ってきた中国製の安い竹の子で、「先生」 は竹の子御飯を作って食べさせたりしているのだが、細君は「私はちっと も食べさせてもらってない」とか、「先生」が架空の愛人たちと一緒に 全部食べてしまったのだと悪態をつくのだという。 「先生、ちゃんと奥さんの世話してるのに、かわいそうにねえ」と。
上島珈琲を出て地下鉄で山科に向かったのだが、ふと見ると 「あーあ、何にもすることがないなあ」オジサンが向かいに座席に 座っている。この人も私と同じく日々是偵察飛行の人だが、 偵察域はラクト山科近辺だけじゃなかったんだ。トラフィカ京カード で改札を出ていたから、割合頻繁に地下鉄を利用するのだろう。
山科で降りたオジサンを尾行したところ、偶然かどうかしらないが、 彼の細君とおぼしき人が孫らしき子供を連れているのと合流し、 地下鉄の駅前広場のベンチに腰をおろした。その時点で尾行を打ち切ったので、 それから先は知らない。今日の収穫は、この人の話す声を聞いたこと。 カバのいななきのような、ちょっと不思議は話し方をする人だと分かった。
それからスーパーで買い物をしてから帰宅。
夜は久々にスポーツクラブ。強い爺さん、モーレツあ太郎など 見慣れた顔がちらほら。スポーツクラブから帰宅した後は、9月の出発前日 の関空近くのホテルを予約。10時のフライトなので、前日から空港近くに泊 まることにした。
大学の事務と連絡を取ったり書類を提出したりするには、日本語対応のPCが 必要だけど、ドイツでPCが壊れたらどうするのか心配になり、デュッセルドルフ の日本人街で働いてる人などはどうしてるのかなとちょっと調べたが、少なくとも 買い替えは日本から輸入しないといけないようだ。
そういえば前回ドイツに行った時は、PCが壊れるなんて考えてもいなかった。 しかし3月にノートPCがハード的に壊れて往生してからは、ああいうことが あると困るなと思うようになった。まあ、向こうでドイツ語対応のPCでも 買って、日本語でメールのやりとりができないことを理由に大学からの五月蠅い 事務連絡をシャットアウトできる利点もあるが、同じことが自分に不利に働くことも あるので、悩ましい。
2010年7月16日(金)
<<「参加者を選考する」>>
研究日のはずだが、京大代数幾何学セミナーの講演は先日の
東大セミナーと同じ話だと判明したし、大学にも用事があった
ので、大丸ラクト山科店で昼食用のパンを買って昼前に出勤。
研究室こそこそ昼食の後、事務的な雑用を1つ済ませ、14時
から頼まれ仕事関係の来客。色々打ち合わせたり作業をしたりで、
終わったのは16時前。それ以外は研究室で数学。いやはや、
大学の研究室って静かだし広々してるし、結構、研究しやす
いように出来てるんだな、と。しかし17時半には
大学を発ち、ラクト山科ですこし買い物をしてから帰宅。
帰宅したら、ニュートン研究所の事務から研究集会参加申し込み の受け取り確認のメールが届いていた。曰く、参加申し込み期限は 9月20日であり、それ以後に運営委員の先生達が集まって参加者の 選考を行い、10月初め頃までに招待者を決定するだろう、と。 大学院生などの旅費の補助対象者の選考というのがあるからかも知 れないけど、一体何なのよ、この「参加者を選考する」だの 「招待者を決定する」だのという高飛車な態度は? 講演希望者の選考というのはあるだろうけど、一般参加者の 選考とはまるで会員制高級クラブ気どりだな。 そんなイヤラシイことをする ぐらいなら、ドイツのOberwolfach研究所方式で初めから invitation onlyの集会にしておけばよいのに。 何を考えてんだか、、、と、一応運営委員の人たちの素性をネットで 検索してチェック。
まあ、こんな調子じゃあ、7月半ばに申し込んだのに、すっと後に なってから「お前はウチには関係 ない!」とか言って蹴られるという、去年のMax-Plank研究所と同じ パターンになるのがオチだな。
Max-Plank研究所は、こちらから問い合わせるまで私が選考に漏れた ことを知らせてこなかった。そういえば、ニュートン研究所のからの メールの文面は、「合格したら招待状メールを送る」のか 「合格したかどうかを連絡する」のか、どちらとも読める妙なことが 書いてある。(直訳すると、「貴方の応募が成功したかどうかを知らせる 招待状のメールを送る」だが、これだと「応募が不成功」でも招待状が届 くという妙なことになるように思える。)しょうがないので、 「私、ガイジンだから英語よくわかんないんですけど、どっちなんですか?」 と問い合わせメールを出しておく。
いずれにせよニュートン研究所は諦めて、他を探すことにしよう。
夜も昼間の続きで愚図愚図と数学。