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魔
な
広
告
よ け ス ペ ー ス で す。
2010年6月15日(火)
<<証明をパスする学生>>
高密度実装の火曜日。10時前に出勤し、午前の講義の準備。10時
40分から12時10分まで4回生配当「計算機数学」の講義。
今日はブーブバーガー条件によるグレブナー基底の特徴付け定理の証明
と具体例を終えて、来週からブーブバーガー・アルゴリズムに入る予定。
教育実習組も帰ってきたらしく、受講生は10名程度。爪の垢ほじくり
学生はもう来てない。もう一人気になるのは、具体例や定義や定理の
ステートメントのノートは取るけれど、証明を話している時は
「もういいや」って顔してまったく聞いてない学生。
以前も似たような別の学生が居て、1回生の最初からそんな調子 だった。これは何か勘違いしているといけないから注意しなくては と思い、大学の数学は証明が一番大事なのになぜ証明の時になると ノートを取るのも話を聞くの放棄するのかと聞いてみたら、「聞いても 分からないから」という答が返ってきた。その学生は結局思うように 単位が取れずに卒業を断念したようだ。
さらにまた別の学生は、私のある講義でいつも一番前の席に座っていて、 私が証明を説明しはじめると露骨に居眠りを始めるのが常だった。 自明な定理ばかりだから、証明など聞く必要がないと考えているのだろうと 思っていたのだが、実際はそうでもなかったようだ。 その学生が大学院入試の面接に現れたので、「あなたは数学の証明は 好きですか?」と質問したら「ええ好きです」と答えるので、 「嘘をつけ。いい加減な事を言うなよ!」とさすがの私も呆れた。
意図的に証明を聞かないようにしている学生は、何故か印象に 残るものである。さて、今度の学生はどのタイプかしら。
正味40分の程度の昼休みに研究室コソコソ昼食をとり、さらに 来週の出張申請書の書類を書いて事務に提出。13時より14時30分 まで経済学部、経営学部2回生配当の「C言語とUNIX演習」。 就活4回生が久しぶりに登場。課題4に進む学生、課題2で足踏みする 学生など、個人差が出てきた。
14時40分から16時10分まで、2回生配当「代数学序論I」の 講義。今日は代数方程式の判別式の定義に始まり、2次方程式のガロア理論 を復習し、3次方程式の解の公式をガロア理論の観点から導く。群論の有用 性をアピールしたところで、次週からは群論の抽象理論に入る予定。
ここで気になるのは、ノート取りを断念した学生。先週までは前の方で 必死の形相でノートを取ってたり、授業の後で誰かが質問に来たときには、 傍にやってきてそのやりとりを聞いていたりしてたのだが、今日は少し後 ろの方に座って「もういいや」って感じでぼんやり座っていた。
以前も別の講義で似たような学生が居て、ちょうど同じような場所に 座って最初は熱心に聞いていて、次第に少し後ろで「もういいや」って 感じで居眠りなどをしていた。授業の内容があまりにも簡単すぎて退屈 しているのかしらと思っていたけれど、実際はそうでもなかった。
一般に、それまで熱心に授業を聞いていた学生が 「もういいや」って感じになるのは色々な理由があるだろうが、 今度の学生はどうなのかしら。
講義の後、研究室でひといきついた後、来週のCプログラミングの 課題プリントのコピーを作ったり、TAの出勤簿にハンコを押したり と、しばし雑用を片付けて帰宅。夜は来週の分の「代数学序論I」の 講義メモづくり。
明日の晩から徳島入りして、木、金曜日は徳島大学大学院で集中講義。 Ritsの大学院で講義しても受講生がゼロなので馬鹿馬鹿しくてやって られないが、徳島大学は毎年大入りである。わたしゃ、お客さんが居る ところなら、何処でも行くよ。
2010年6月14日(月)
<<ザワザワしている?>>
研究日。午前中は野暮用の後、文献をごそごそ捜してみる。私は大学では
研究しないので、研究室から持ち帰った書籍や論文のコピーなどの多くは
自宅に積み上がっている。最近は古い論文でもダウンロードできるように
なったので、少しずつ紙のコピーを減らしていけると思うが、
まだまだ沢山残っている。
そういえば「となりのトトロ」に出てくるお父さんは大学の歴史の 先生で、田舎の古い一軒家を借りて住み、自宅で研究してたな。 週に何回かバスに乗って、遠くの街の大学に出勤してたけど、それは たぶん講義と会議のためだけに行ってるのだろうと思われる。
しかしながら京大の先生は割合大学に居ついているようだ。 私が京大をうろついていると、よくそこの先生たちを見掛ける。 京大の先生が京大に居るのは当たり前と思うかもしれないが、 彼らは大学にそれほど用はないはずである。 担当する講義の数はRitsに比べればうんと少ないはずだし、 年50回も学科長会議をやりたがる会議大好きRitsに比べれば、 会議も大したことないはずだ。 なのにあんなに大学に居るところをみると、よほど大学の居心地が良くて そこで研究もしているのだろう。先日会った若い先生は、毎日 大学に行っていると言っていた。
そういえば20年ぐらい昔の話だが、京大の某教授が 「私立大学だと何となくザワザワしているけど、ここは静かだから落ち 着いて研究できますよ」みたいなことを言ってたっけ。で、 「一度も私立大学に勤務されたことがない先生が、 何で私立大学が京大に比べてザワザワしていることをご存じ なのですか?」と聞き返すのを忘れたが、まあ、実際そうなんだろうと思う。
かと言って、私の場合しんと静かなところもあまり良くなくて、企業の 研究所も国立研究所も大部屋みたいなところでワイワイ言いながらやって いたので、そこそこひと気が欲しいところ。するとどうしても街に出る ことになる。さびれた町や田舎よりも多少賑やかなところの方がよい。
ということで、昼の早い時間に自宅を出て、山科区内で野暮用。 それから山科駅近辺で軽く昼食の後、常時満員御礼の山科駅前Sbuxが 珍しくすいていたので、しばし数学。午前中に引っ張り出した文献を眺める。 ふと見ると、この顔にピンときたら110番、数か月前に Ritsに向かう通勤バスの中で鼻くそをほじくっていた30代ぐらいの 営業マン風の男が店にいた。やはり携帯電話をいじくりながら、 鼻毛を抜いていた。彼は少し伸ばした爪を綺麗に手入れしているようだが、 その爪は鼻糞をほじくるために伸ばしているとしか思えない。
少しくたびれてきたところでラクト山科に移動し、その辺をひととおり偵察 飛行してから、3階窓際通路のベンチでまたしばし数学。ノートPCを取り出 して、文献を眺めてわかったことをTeXで整理し始める。
しばらくして70代ぐらいの男がやってきて近くのベンチに座り、 携帯電話をとり出してあちこちに長電話をし始めた。2,3人相手を 変えて半時間以上だらだらと喋っていたと思う。途中口喧嘩らしいこと もしていた。ああそういえば、私の父もこうやって電話の長話が好きだったな。 しかし私の父はこの男ほど人相は悪くなかった。
それからまたラクト4階の山科書店をちょっと偵察してから帰宅。 夜もまた数学。TeXノートを一応仕上げる。 去年の今頃読んだ時はちんぷんかんぷんだった話だけど、 ようやく分かった。
2010年6月13日(日)
<<とどめを刺す>>
梅雨入りしたんだそうで、朝から雨。午前中は自宅で朝日新聞オチビサン、
京都新聞7つの間違い探しと時事クロスワードパズル、そして野暮用。
その後は先日の京大セミナーのノートを突っつき回す。午後は街に出て、
丸亀製麺のサービスカード10枚で貰える釜揚げ饂飩並サイズと天婦羅で昼食。
釜揚げうどんなんて、あんなお湯にじゃぶじゃぶ浸かった麺が特に美味いとは
思えないが、まあ、折角サービスしてくれるってんだから1度ぐらいは食
べてみようか、と。
その後、寺町通の上島珈琲で夕方まで数学。天気が悪いとはいえ日曜日 なので店内はかなり混んでいたが、坪庭を眺める通路際の席を確保。 上島珈琲を出てからは、JEUGIA三条本店を偵察。「何や?ユーミン が最近はドイツ・リートも歌うんか?」と思って手に取ったCDには、 スミ・ジョーと書いてあった。試聴してみたけど、素晴らしい歌声だ。 韓国のメゾソプラノ歌手らしい。「世界のスミ・ジョーが才能ある 若い演奏家を見出し、彼らの伴奏で歌うドイツ・リートの世界!」だと。 大御所の女王さまのようだ。
JEUGIAの後はAngers河原町三条本店を偵察。今日はもう フィンランドだのスウェーデンだのの買い出しビデオは上映されていな かった。この店は色々面白いものがあって、見て回るだけで十分楽しい。 いや、見てるだけでは済まないので、ちょっと触ってみたくなる。
それでワインの空気抜きポンプをいじっていたら、先についていた栓 が玩具の空気鉄砲みたいにポンっと飛んで行ったので慌てて拾ったのだが、 店の人が飛んできて、「これはワインの空気抜きポンプでございます」と。 ええ、知ってますけど、何か?(これは広い意味での「職務尋問」だ。 ああ、またやってしまった、、、)
それから大丸ラクト山科店で買い物。例の「あーあ、何にもすること がないなあ」オジサンは昨日も今日も1階フロアーを徘徊していた。 オジサン!何にもすることがないんだったら、数学でもやってれば? 楽しいよ。
そういえば、先日ドイツ語寺子屋の先生と話していたら、自分は 日本文化論が専門だが、それでは食っていけないから、ドイツ語教師、 レストラン経営、旅行ガイドなど色々やってるんだという。じゃあ、 次は日本語教師?と聞けば、それはドイツでドイツ人相手にやってた という。じゃあ、関西日仏のフランス語教師はどうかというと、 フランス語は某語学学校で教えてたことがあるという。あれもやった、 これもやったという話がしばらく続くので、最後に私が "Dann müssen Sie endlich Mathematik machen!" (じゃあ、最後は数学やるしかないっスね!) と言ってとどめを刺した。
夜はまた少しセミナーノートを突っつき回す。
2010年6月12日(土)
<<まことちゃんのサバラ>>
午前中は昨日の京大セミナーのノート整理作業。作業は終わったけれど、
内容の理解はもうひと押ししたいところ。まあ、あまり深追いしても
しょうがないのだけど。そうこうしている
うちに昼を過ぎたので、支度をして自宅を出る。
百万遍にある、例の真っ黒スープの衝撃ラーメン屋で昼食。
13時を過ぎていたせいか、客は私一人。
店を出てからは喫茶進々堂でドイツ語の再予習をしてウオーミングアップ。 しばらくしてから、近くの席にドイツ人の兄ちゃんと日本人のお姉さんが来て、 ドイツ語の個人授業を始めた。彼らが話すドイツ語が、予習のために私が読んで いるドイツ語とかぶってやりにくい。こりゃあ、あかんわ、と店を出ることに。
ふと見ると関西日仏学館でしばらく教わった先生が入ってきたところだった ので、挨拶。日本語が堪能な人だけど、何となくフランス語で話さないと格好が つかないし、かと言ってよりにもよって寺子屋ウオーミングアップ完了状態で、 「よし、行くぞ!」って時だから、頭の中がドイツ語一色。フランス語など 出てくるわけがない。しょうがないので、(限られた人にしか見せない) 満面の笑みと「まことちゃんのサバラ」の サインを送っただけで「じゃっ」と立ち去る。しかし、 日仏学館の先生はもうやめてしまったし、今度いつ会えるかわかん ない人に、そんなんでええんかよ?!と内心忸怩たる気分。間が悪い。
間が悪いといえば、私は19年前の今頃、京大に学位申請書類を提出 するために東京から日帰りで京都に来ていて、京阪出町柳駅から地上に出る 階段のところで、中学校の同級生とすれ違った。京大の大学院を出てから どうしてたのか不明だが、この顔にピンとくれば110番、彼女は京都に 住んでたのだ。京大の事務窓口が閉まる時間が迫っていて、先を急いでいた ことは確かだけど、「おい、○×△やんか!久しぶりやんけ! 何しとるんや?」(相変わらず高山くんの物言いは乱暴やね)と 声を掛けて一言二言立ち話をする時間はあった。
しかし馬鹿な話で、改札を出る前に済ませておけばよいものを、 私はその時トイレがひっ迫していて、一刻も早く京大にたどり着きた かったのである。自分はまた京都に戻ってくることになったし、 彼女も買い物袋からネギの頭をのぞかせたりして京大の近辺でうろうろしている ぐらいだから、またいつか会えることもあるさと思ってパスした。 で、それっきり。
そこで教訓、「トイレは思い立った時に済ませておくべし」。 では今日のはどうだ?「フランス語はいつでも話せるようにしておくべし」 ?うーん、何かちょっと違うなあ。まあ、いいか。
それから京大ルネの店舗をさっと見て回り、関西日仏学館で一息入れてから 寺子屋へ。
今日のテーマはドイツの大学。ゲッチンゲン大学文学部の某教授のインタ ビュー。今年は学科長をやっており、講義は週4時間(これは正味2コマ3時間 のことだと思われる)に減らして貰ってるけれど、会議や会議の準備、学生との 面談等朝9時から夜の9時まで大学で大忙し。学生のレポートのチェックは自宅 に持ち帰ってやっている。研究時間は全く取れないけれど、 来年はサバティカル(Forschungsemester)が取れるので、 チリに行って専門のチリの古典抒情詩の研究をするのが楽しみだ、と。うーむ、 ずいぶんタフなお方ですねえ。そんなんでよく脳が歪まないですねえ。
まあ、私もRitsの先生になって以来18年余、少なくとも17人の先生 が学科長をやり遂げるのを見てきたし、他大学の先生にも色々経験談を伺った けれど、どうやら脳が歪んだのは私だけのようである。 かように学科長職の脳に対する危険性は一般に小さいと考えてよさそうで、 私の場合は脳に先天的奇形があって、それが学科長職のストレスで病理現象を 起こしたのであろうと思われる。
寺子屋の帰りは、あまりに暑いのでコンビニでアイスクリームを買って 道々食べながら京都市役所方面へ歩く。それからJEUGIA三条本店を 偵察。ウラジミール・アシュケナージがJ.S.バッハの6つのパルティータ のCDを出していたので、早速試聴。うーん、やっぱりこの曲は シフの最近の録音に勝るものはないね。 あと、ヒラリー・ハーンの新しいCDもちょっとだけ試聴。あの独特の 安定感のあるヴァイオリンの音には魔力にも近い魅力があるけど、オーケストラ 音楽があまり好きでないので、やはりパス。ハーンがもっと室内楽をやてくれたら いいのにね。ついでにAngers河原町三条本店の1階のみを速攻偵察。
帰宅後、夜はスポーツクラブでへとへとになる。ア太郎と強い爺さんが来 ていた。強い爺さんは、もう70代後半かもしれないが、鏡を前に空手の型 の練習をしていた。空手してる時の爺さんの顔、怖いよう。 でも、「微笑みをもって突きを入れる」じゃあ、もっと怖いか。
2010年6月11日(金)
<<現場百回>>
ここんところ夜更かし早起きが続いたので朝が辛く、愚図愚図
しているうちに自宅を出るのが遅れ、10時半からの京大の代数
幾何学セミナーにぎりぎり間に合う。講演が始まってしばらくし
てから遅れて誰かが入ってきて、3人掛の両端2人で座ってい
る最後尾の私のテーブルのところに来て、我々2人の間に座った。
席は他にも十分空いてるのだから、何もこんな狭い所に来なくて
もよさそうなものだ。誰じゃ?一体。また、あの「にゃーぉん、
にゃーぉん」の兄ちゃんかいなと思ってふと見たら、、、フィー
ルズ賞受賞者の某大先生でしたね。ま、私の面は割れてないから、
気配を殺して知らん顔してようっと。
昼食は例の真っ黒スープの衝撃ラーメンにしようかと思ったが、 今日はどうもその気にならず、そのラーメン屋の数件先のインド料理 Rajuに入る。
昼食の後は数理解析研究所の図書室へ。4月から新しく入った 職員の人が居て、ずいぶん張り切っている。図書室に入ったら とすかさず「こんにちは」と挨拶してくるし(スタバみたいだ)。 さらには、私が何か不審な動きをするとすかさず「何かご用ですか?」 みたいに声を掛けてくる。私は若い時から色々なところで不審者と 間違えられ、警察だの看護師だの当直の教師だの店員だのに職務尋問 されたりしてきたので、内心びくびくしてしまう。何だよう、 俺、何も悪いことしてないじゃないかよう、と。
最近は職務尋問されないコツが少しわかってきた。要するに 街を歩いていて「あ、あれ何だろう?面白ろそうだな」とすぐに 近寄っていって探究したくなるのを、ちょっと我慢すればよろしい。 現場百回というではないか。一度に根ほり葉ほり調べようとするから 変に目立って怪しまれるわけで、何度も現場に足を運んで、少し離 れたところからさりげなく偵察飛行を繰り返せば、多くのことが 安全に理解できるのである。ただしそこで得られる情報 はややリアリティーに欠けるきらいがあるが、まあ、それはしょうが ない。
と、まあ、最近はうまく立ち回っている積りなのに、何で 図書館で職務尋問されるのかしら。昨日のRitsの事務員さんには 私の面が割れてたし(それはもしかしたら当たり前のことなの かも知れないが)。最近、事務員さん関係で妙なことばかり 起こるな(え?妙なのはお前の方だ、だと?、、、いちおう却下!)。
ま、数理研図書室も面白いことになってきましたなあ、と、セミナー のノート整理をしながら復習。1コマ分の講義をまともに復習してたら 1時間や2時間はすぐに経ってしまう。Ritsの学生たちは毎日 2、3コマ講義を聞くわけだから、まともに勉強してたら毎日追い込み 期の大学受験生並みの自宅学習が必要なわけで、ほとんどの学生に とってそれは事実上不可能である。 勿論、私の講義も自宅学習を全く想定せずに行うことにしている。
ゼミの復習は途中で打ち切り、大学に向かう。数理研で微分 方程式関連の研究集会があったためか、途中でRitsの解析 の先生を2人ばかり見掛けた。二人ともなぜか仏頂面をしていたが、 折角研究モードで京大近辺をうろついてるんだから、もっと楽しそう な顔をしろよ。このオレさまみたいにね。
数理研からRitsまではバスや電車を乗り継いで2時間弱 かかるから、その時間を利用して明日のドイツ語の予習。 17時前に大学に到着。15分間のまったく儀式的な会議 に出て、終了後はすみやかに帰宅。 その前後にメールをチェックしたら、日大セミナーの人がメーリングリスト に面白い質問を流していて、間もなくそれに対する回答も流れていた。 そのあたりのことを少し確認しておこうと、研究室に置いてあった 本を1冊持ち帰る。ま、それだけでも2時間かけて大学に出勤した 甲斐があったな。
夜はドイツ語の予習を完了させ、セミナーのノートの整理の 続きを少し。
2010年6月10日(木)
<<外面よろし>>
早起きして、滋賀県内某所に出向き終日監禁状態で頼まれ仕事に
励む。まあ、私は学外の頼まれ仕事は割合気前良く引き受ける方で、
一応外面は良いのである。しかし、学内の頼まれ仕事を
そんな調子で引き受けていると、際限無くこれもやれあれもやれと
押し寄せてくるから、適当に無愛想にしていないといけない。
数学者の中には数学以外はまったくと言ってよいほど無能な (あるいは単にそう見えるだけ?)人も多く、そうい人は さしたる策を弄しなくても自然体でどん臭そうにやっていれば雑用は あまり回ってこず、結構楽ができる。 私はそういう人たちを、「お前らばかりに楽させるものか」と秘かに 監視し、彼らに応分の仕事を押し付ける機会を虎視眈眈とうかがって いたりする。
そういう私は、それほど有能でもないにもかかわらず、何でも かんでもやっつけ仕事で雑に片付けて「一丁上がりぃ!」みたいに やってしまうところが変に「器用さ」と誤解されることがあるので、 用心が必要だ。一応、何やかやと五月蠅いへそ曲がりというキャラ クターを全面にアピールすることによって、今のところ何とか雑用 の洪水を食い止めているけど、今後は「ちゃんとした仕事をアイツ にやらせては駄目だ」というイメージ戦略を展開しようかと思って いる。
夕方ようやく解放されて、ふらふらと大学に戻って事務に直行し、 野暮用を片付け、研究室で一息つく。それにしても、さっきの事務の 人、何で私の名前を知ってるんだろう?って、ある意味当たり前の ことが不思議に思えてくるのは、普段、座敷童人生を送って気配を 殺しているからかしら。
色々メールが届いていたので、それぞれに対応。一区切りつい てから帰宅。夜は昼間の頼まれ仕事の余韻が頭の中で響き渡って何 もできず。しばらく心を静めてから明後日のドイツ語の予習を少し。
2010年6月9日(水)
<<アホぬかせ!>>
午前中は自宅で大学の雑用を少し。メールも出す。昼前に自宅を出て、
コンビニで研究室のPCソフトの立替え払いの代金を振り込み、大丸
ラクト山科店で昼食用のパンを買ってから出勤。研究室コソコソ昼食、
立替え払いの出勤申請書などの事務書類を書いて提出してから13時
より14時半まで卒研ゼミ。今日は教育実習で1人抜けて2名が出席。
今日のテーマはヒルベルトの基底定理の可換環論的意味と代数幾何学的
意味。まったりと10行ほど進んで終了。来週からはいよいよ証明に
入る予定。ひきつづき14時40分から16時10分まで2回生
「離散数学」。4次対称群の位数6の部分群の話の続き。今日はこの
話にかこつけて(準)同型写像の話もする。位数8の部分群については、
ほんの入り口に入っただけで終わり、次週に持ち越し。
昨日の「代数学序論I」も今日の「離散数学」も、受講生はそれぞれ 数十人いる。私は俺サマでクールで自己チューだから、教室に沢山の 学生が集まってちゃんと聞いてくれればそれだけで気分がよく、彼らが ちょっとぐらい分ってなくても大目に見てしまう。逆に観客がほんの数名 だと、例え彼らが熱心で優秀な学生であっても、少し機嫌が悪い。 「何でももっと沢山の学生が聞きに来ねえんだよう!」って。
大学院の講義も、「聴衆を20名ぐらい集めるっていうなら、やって やってもいいぜ」ぐらいに思っている。しかし一般に数学者は、少数の優秀 な聴衆だけを相手に講義をする方が好きらしく、その意味でも私は数学者とは違 うんだなと思う。
16時半から20時前まで学科会議。例によって議事を聞き流しながら、 色々作業に励む。会議室に無線LANが入ったので、ノートPCを持ちこんで、 Wedで公開している「代数学序論」と「離散数学」のレジュメの改訂版を つくってFTPで転送。さらに来週の「離散数学」の講義メモを作る。
会議の後は生協で夕食。それから研究室で少し雑用をしてから21時頃に 大学を発つ。帰宅22時過ぎ。
清水真木「友情を疑う」はまだ読了してないが、この本によれば、 どうやら複雑系の皆さまたちとの会議や数学者集団における業務提携的 交遊関係みたいなのが友人や友情の典型例だということになるようで、 「アホぬかせ」と途中で放り出したくなってきた。
2010年6月8日(火)
<<電話線を復旧させる>>
高密度実装の火曜日。最近JR西日本があまり遅れないなと
思ってたら、今朝は人身事故とかで軒並み40分程度遅れていた。
40分前の電車にすぐに乗れたのだが、南草津駅の手前で前の
電車が何故かいつまでの発車せず、10分ほど足止め。しかし
そういうこともあろうかと早目に自宅を出ているので、
午前の授業には十分間に合った。
午前中は4回生の「計算機数学」の授業。今日はグレブナー基底の ブーフバーガー条件による特徴付け定理の証明。長い証明なので今日中 には終わらず。教育実習たけなわの時期のせいか、受講生は数名程度と 少ない。
正味40分程度の昼休みに研究室こそこそ昼食。
13時から14時30分まで経済学部、経営学部2回生の「C言語 とUNIX演習」。受講生3名でまったりと。TAの院生も手持無沙汰 な様子。課題4に進んだ学生が現れた。
引き続き14時40分から16時10分まで2回生の「代数学序説I」。 今日は簡単な3次方程式の例でガロア群(とその部分群)と分解体 (とその中間体)の対応の一部を示す。その例を考察することにより、 一般の3次方程式に対するアプローチを導き、3次方程式の判別式の話 に入る。来週か再来週で3次方程式の解の公式を終えた後は、群論の 一般論に戻る予定。
研究室に戻って一息つき、さて、来週の講義の準備でもと思っていたら、 内線電話が掛かってきて、委員会が始まっているから早く来い、と。 長らく研究室の電話線を引っこ抜いて あったのだが、最近こっそりと繋げ直してあったのだ。 研究室の電話は私と雑用を結ぶ架け橋で、それ以上でも以下でもない。 その意味で電話線を復旧させることは自殺的行為とも呼べるのだが、 それは同時に学科長をやって歪んだ脳が恢復してきたことも意味している。
ああ、そういえば、会議があるのを忘れてた。手帳には書いてあるのだが、 書いたらそれで安心してしまって、もう見ない(というのは嘘だけど)。
別に何も発言する必要はなく、そこに座っていれば良いだけだが、 小人数の委員会なので、議事を聞き流しながら講義メモ作りの内職と いうわけにもいかず。 会議資料として大学のパンフレットが配布されたので、それを眺めて すごす。委員会は18時半に終了。すぐに大学を発つ。
帰宅後は、ファイル転送プログラムをインストールして少しい じったり、来週(と再来週)の分の「代数学序論I」の講義メモ作ったり。
2010年6月7日(月)
<<「友情を疑う」>>
研究日。午前中は自宅で野暮用。午後は街に出て、河原町三条
丸亀製麺で讃岐饂飩の昼食の後、寺町通上島珈琲にて数学。
例のフランス語で微分方程式の論文を書いている60代ぐらいの
常連女性は、今日は私の特等席に座っていた。数学がやりやすい席
というのは、誰が考えても似たようなところになるのかしら。
ということで、通路沿いの席に座る。
隣の席で70代ぐらいの女性2人組が、色々な病気の話をして いて「怖い、怖い」と言い合っていた。(まあ、そりゃあ、 誰だって怖いわな。)煙草を吸わない某芸能レポーターが肺がんに なったのは受動喫煙のせいだわよ、怖いわねえ、と。 (受動)喫煙が原因でない肺がんも沢山あるんじゃないかしら? どうもその辺の医者の話はどこまで信じてよいやらという感じだ。
夕方頃店を出て、大丸ラクト山科店で安いワインを買ってから 帰宅。夜も数学をと思ったが、「小爆発」関連で新任の先生がメール を流していたので、一応反応メールを書いて流す。折角何か発言したの に誰も反応せずに無視されたような形になったら嫌かしらと思って、 気を利かせたつもりだけど、そういう気遣いは数学者には、、、たぶん 無用だろうね。ああ、要らん反応してしもた?
あるブログで「友情を疑う」(清水真木著、中公新書)をとりあげて、 「(この本で著者は)同級生と友達になることは不可能だ、 と言いだすのである。なぜなら、生徒の義務は勉強であり、同級生は 競争相手であって、利害が対立するから友達にはなりえないと言うの である。続けて、スポーツ選手が、同業者を友達などと言うのも おかしく、相手を油断させようとしているか、既に業績を上げることを 断念しているか、などと書いている」と紹介していた。 へえ、「同級生」や「スポーツ選手」を「数学者」に置き換えたら、 この本の著者は私と似たようなことを考えてるような気がするな、と。
その本は私も数年前に買って結局全然読んでないのだけど、 今度はちゃんと読んでみようかと思って、 部屋の隅に反古塚状態で積み上がっている本の下の方から 引っ張り出してみた。
数学者同士の友情があり得ないとは言わないけど、 お互い研究上のメリットがあると認めれば親しく付き合い、 メリットがなくなれば疎遠になるというのは、「友情」という よりも「仕事上のつきあい」というのが正しいと思う。 取引先の会社の担当者を「友達」とは普通言わないし。
しかし数学者には公私の区別という概念が希薄なので、 「共同研究者誰それとのウン十年にわたる友情」とか言った りする。数学者にとっては当たり前の感覚なんだろうけど、 それを奇妙に感じるのは、私自身が「数学する自分は自分のごく 一部にすぎない」という感覚を持っているから。 その意味でも私は数学者ではないんだなと思う。
2010年6月6日(日)
<<ハッカーやて?>>
午前中はいつものように自宅で野暮用、オチビサン、7つの間違い探しクイズ、
時事クロスワードパズル。それから近所のスーパーに買い出しに行ってから昼食。
午後はレジュメの修正作業。作業が一通り終わって、夕方はまた西友山科店と
ラクト山科で買い物と野暮用。ラクト山科の地下食料品売り場で物理の若い先生
を見掛けたが、この人も山科に住んでるのかしら。まあ、物理の先生が
何処に住んでようと関係ないけど。
夜はレジュメの別の部分もどうも気に入らず、色々計算し直して手を加える。 その後、来週(と再来週)の「離散数学」の講義メモを完成させた。
レジュメ修正作業はEmacsを使うのだが、漢字が字化けする障害は そのまま。しかし表示がおかしくなるだけでコードはおかしくなっておらず、 TeXなども問題なく通るので、構わず使うことにしている。 文字を打ち込む傍から字化けしていくエディターでガンガン文章書いて くって、何だか「ハッカー」みたいでカッコいい?
でも、待てよ。私が若い頃は「ハッカー」は天才的プログラマーの意味 で使われていて、バイナリーコードで何百行ものプログラムを書いたり、 クラッシュしたメインフレームをパネルスイッチ操作でレジスタに直接コード を打ち込んで復旧させたりする凄腕コンピュータ技術者をさした。 誇り高い正しいハッカーは日頃からどのようにたち振る舞わねばならないか、 その心掛けを書いた「ハッカー事典」なるものも、アングラで出回っていた。 パネルスイッチがついたメインフレームが博物館入りしてからも、 「ハッカー」は計算機屋の間では尊称として使われていたと思うけど、 今でもそういういう意味で使ってるのかしら。 それとも「ハッカー」は既に死語になってるのかしら。 もう、そういう世界を離れて10数年経つから、よくわからない。 私が会社員時代に開発に関わった計算機も、既に博物館入りしたらしいし、 あの世界は変化が激しいからね。 。
2010年6月5日(土)
<<ワニに食べられてしまう>>
午前中は、自宅で野暮用の後、昨日整理したセミナーのノートの補足を
書き足したり、レジュメ修正プロジェクトの基礎資料をチェックして手
を加えたりといった作業など。昼過ぎに自宅を出て、京大ルネで昼食の後、
関西日仏学館の図書室でドイツ語の代数の教科書の序文を読んだりして、
ウォーミングアップ。例によって14時を過ぎた頃から猛烈な睡魔に襲わ
れ、気を失う。しかし20分ほどで復活し、一息ついてからドイツ語寺子屋
へ。
寺子屋の先生は私とほぼ同い年のオジサンだが、先週は少し赤ら顔 になってむくんでいて肌の色つやも悪く、何だかちょっと老けこんだような感じが してたが、今日はいつもの元気なオジサンに戻っていた。寺子屋の帰りは、 大学生の人が大学のオーケストラ部のコンサートを聴きにいくのだという ので、クラシック音楽のことを色々お喋りしながら三条大橋のあたりまで一緒 に歩いた。クラシック音楽が好きな人はプロやプロを目指している 人も含めてちょく居るもので、そういう人だと(相手が数学者でない限り?) 色々な話が出来て飽きない。
そういえば計算機屋の頃は、研究集会などで知り合った人が同じような ことに興味を持っていると分かると、貴方はあの論文の主張をどう思うか とか、こういうことが出来れば面白いとは思わないかとか、外国のあの 研究者は最近ずいぶん活躍してるけどどんな人か知ってるかとか、やはり 色々な話をしてすぐに仲良くなったように思う。
でも、よくよく思い起こせば計算機屋の時も誰とでもすぐに仲良 くなっていたわけではなく、自分と同世代で似たような立場の人など、 話しやすそうな人を選んでいたような気がする。
しかし数学に転向してからは回避性人格障害が現れて、セミナーや研究集会な どを日々是偵察飛行しながら、ああ、この人はこういう事を考えているかとか、 そういうえばこういう事には誰も言及しないのは何故かしらとか、独り内密 に考えていることが多い。
私の「回避性人格障害」ってやつは、さまざまな疑問を抱えて 頭の中がモヤモヤしているにもかかわらず、先生に質問することに強い抵抗 を感じている学生と似たような心理だと思う。本当は先生に質問をしながら モヤモヤを解消すべきなのだが、モヤモヤを解消してから質問しようと するから能率が悪く、ようやくモヤモヤが解消した頃には質問する必要が なくなっているのである。まあ、私も今、同じことをしてるんだから、 学生のことを責めるつもりはないけど。
大学生と別れてからJEUGIA三条本店に直行し、リヒテルの中国版 CDを購入。J.S.バッハの平均律クラヴィーア曲集なんて、退屈の代名詞 みたいに思ってたけれど、弾く人によって、こんなに豊かな感情を持った 躍動感溢れる曲に変わってしまうところが凄い。
それからラクト山科で果物を買って帰宅。夜はスポーツクラブ。 モーレツあ太郎とピノキオ君が来ていた。ピノキオ君のロードランナーでの 走り方は変だなあといつも思ってたのだが、普通は肩と腕は振っても首は 前を向いたまま固定されるところを、彼は首も肩と一緒に振っている ことに気づいた。まあ、だからどうだってことはないけど。
途中「休憩オジサン」が入館してきた。閉館間際にやってきて、
例によってマシンを占拠した状態で休憩ばかりしているのだから、
結局ほとんどトレーニングらしいことはしてないわけだ。
本人はそれで良いのだろうけど、休憩被害にあうのはかなわんから、、
彼が使いそうなマシンのトレーニングを大慌てで済ませる。
しかしふと気づくと、既に別の休憩オジサンが居て、膝の筋肉を鍛えるマシン
にいつまでも座っていた。やっぱり、あれだね、マシンを占拠した状態で
10分以上休憩してたら、その辺からワニが出てきて食べられてしまうよう
にしておかないと、休憩オジサンの増殖は防げないな。
2010年6月4日(金)
<<にゃーぉん!>>
研究日。10時過ぎに京大へ。10時半から12時まで京大の
代数幾何学セミナーに参加。隣に座っていた男が猫の鳴き声を
携帯電話の着信音に使っており、突然「にゃーぉん!にゃー
ぉん!」と鳴って、皆がぎょっとしてこちらを振り返った。
男はマナーモードにするわけでもなく再び携帯電話をカバンに放り
込み、またしばらくしてから「にゃーぉん!にゃーぉん!」。
また皆がぎょっとして振り返っていた。そこで京大の皆さんに
問題。にゃーぉん!にゃーぉん!男の隣で「まったく、
こいつ、アホか?」みたいな顔して座っていた座敷童は誰だか
知ってますか?(え?座敷童だから見えなかったって?)
昼休みは、先日初めて入ってみて、醤油の中に麺を漬けたよう なラーメンに衝撃を受けた、京大の近くの某中華料理店に入る。 私には、「なんだ?これは!」と衝撃を受けた食べ物や飲み物に ついては、しばらくの潜伏期間の後に病みつきになるという習性 がある。もう二度と食べないぞと思ってたラーメンだが、実は 先日あたりから「もう一度だけ食べてみたいなあ」と秘かに思 っていたのである。たぶんもう一回食べに行くと思う。
午後は京大数理研図書室に籠る。今日のセミナーと、ついでに 先日の日大セミナーのノートを復習する。それから「とらちゃん」こと 数理研猫の住処を視察して不在を確かめ、北部生協食堂の隅のテーブルで 自販機の冷たいココアを飲みながら、 先日来のレジュメ修正プロジェクトに励む。
18時前に京大を出て京都市役所前までバスで移動。 JEUGIA三条本店を偵察。私はなぜかモーツアルトの「トルコ行進曲」 とシューベルトの「楽興の時」の区別がつかない。 個別に思い出しては、「ああ全然違うな」と思うのだが、またすぐに同じような曲 に思えてしまう。今日は「トルコ行進曲」を少し試聴。ああ、そうか、 そうだったと思ったのだが、今はまた忘れてしまっている。私が通常 「トルコ行進曲」として思い浮かべるのは、実は「楽興の時」である。 一体私の脳味噌はどうなってるのかしら。
JEUGIAの店内ではまたも中国版のリヒテルの CDが掛かっていた。ああ、何度聴いても素晴らしい。まるで 「買え、買え!さあ、買え!お前は買うさ。きっと買うのさ」という 通奏低音が鳴り響いているかのようだ。と、そこへ高校生の男の子 が2人やってきて、そのうち一人が「触るな」と書いてある店内の オーディオ機器を勝手にいじって、別の曲に変えてしまった。 お前、字、読めへんのか?無茶しよるな、この子は。 お陰で私は通奏低音から逃れられたけどね。
JEUGIAを出て寺町通りを地下鉄の駅まで歩いている途中、 ふとレジュメ修正問題の最後のピースが埋まった。幸いズボンの ポケットに紙切れを突っ込んであったので、それを取りだして路上 で少し計算して確認。
それからまっすぐ帰宅。夜は明日のドイツ語の予習をしてから、 レジュメ修正問題の解をTeXで纏める。ただしレジュメや講義 ノートの修正は明日以降に持ち越し。
「小爆発」作業委員会関連で妙なメールが流れていた。数理科学科 の大学院の問題を少し引っ掻き回してやったら、色々面白い反応が返 ってきてて、今日のメールもその一環。もとはと言えば、大学院で講義 することは私にとっては全く無意味なことだから、担当から外して欲し いと発言しただけなんだけど。確かに誰も居ない教室で一人で講義 しててもしょうがないしね。最初は「伝説の講義」遊びだ!って喜んでた けど、だんだん馬鹿らしくなってきた。 兎に角応答メールを書いて返す。
2010年6月3日(木)
<<日々是偵察也>>
昨夜は遅くまでレジュメの修正方法を考えていて、
今朝も早朝にふと目が覚める。かと言って起き上がると猛烈に眠い。
眠ろうにも、レジュメのことを考えてしまい眠れない。しょう
がないので、布団から首と手だけ出して、ぼんやりした頭で計算など。
有限群の分類問題は学生時代から苦手である。苦手だけど行きがかり上
教えることになってしまったので、何とかやっつけないといけない。
で、しばらく布団の中で愚図愚図してからようやく起き上がり、 朝食の後、早々に机に向かって計算したり証明したり。 ああ、こうしちゃあいられないと適当に見切りをつけて京大へ。
ルネで昼食をとって外に出たら、雷が鳴り始めて雨がぱらついて きた。雷、怖いよう。と、道端で携帯電話を掛けながら歩いてきた 京大の偉い先生とバチっと目が合ってしまった。日々是偵察也を座右の銘 とするこの私が、彼のことを知らないわけがない。しかも私は彼と一度だけ 短い世間話をしたことがあり、貴方と私は同じ中学だったんですね、みたい なことを話した。かと言って私が彼に対して数学的に何らかのインパクトを 与えるわけもなく、私は彼の記憶の中にあくまでおぼろげに生きている はずである。そして、思わず会釈をした私にたいする彼のリアクションは、 まさにそういうものだった。えーと、どなたでしたっけ?どこかで 見掛けたような、あれ、覚えてないぞ、みたいな。数学的に存在せざるものは、 すなわち存在せず。これぞ正真正銘の数学者だな。
よおし、私が知ってる数学者(向こうは私をほとんど知らない)に片っ端から 会釈してびっくりさせるって悪戯プロジェクトでも始めてやろうかしら。 でも数学者って洒落のわからない人が多いし、色々商売がやりにくく なるかもしれないから、やっぱりやめとこう。
14時から15時半過ぎまで、京大の講演会に出席。スペインから
代数幾何学の偉い先生が来たとかで、ちょっと覗いてみた。集まった
人たちの面々の凄さの割には万人向けの分かりやすい講演で、
ははあ、そういうことかと分かった気にさせてもらって帰ってきた
(本当は何も分かってない)。
それから久しぶりに数理研を偵察した。耐震工事で長らく閉鎖されていた
図書室が再開していた。綺麗になった閲覧室で、レジュメ修正の基礎作業
を続ける。17時に数理研を追い出され、これまた久しぶりに「とらちゃん」こと
数理研猫を表敬訪問した。ああ、この表情。このさりげなく添えられた手。
沁みるぜ。
帰りはJEUGIA三条本店を偵察。 ロワイエの「スキタイ人の行進」というチェンバロ曲のCDを探して みる。いや、実は名前を勘違いしていて、「韃靼人の踊り」だと思っていた。 これもいい曲だけど、「てふてふがいっぴき、韃靼海峡をわたつていつた」 とか何とかぶつぶつ言いながら捜していたので、結局見つからなかった。 そのかわりトン・コープマンのチェンバロでJ.S.バッハのフランス組曲や イタリア協奏曲を弾いてるCDが安かったので、どうしようかなあと思ったが、 結局パス。
夜は、ようやくレジュメ問題の解決にメドがたち始めたので、 TeXで短いノートを纏めながら最後の詰め。しかし面倒なチェックを 沢山やらねばならず、睡眠不足で脳味噌がガス欠を起こしてきたので、 今日中には終わらず。
2010年6月2日(水)
<<間違い発見!>>
午前中は自宅で野暮用。先日来、アメリカの何とかという
紳士録出版社と称する所から変なメールがちょくちょく来ている。
お前を来年度の紳士録掲載対象者にノミネートしている。
これは由緒ある紳士録であり、これに名を連ねることは大変名誉なことだ。
ついては6月半ばまでに経歴等を提出してくれという。
それから選考してOKならば掲載する。掲載料や購入義務など一切なく、
貴方はただ経歴等の個人情報を送ってくれれば良いだけだ、と。
じゃあ、要するに個人情報を引き出すための詐欺なのね。
ということで、今回のメールも消去。
そもそも向こうがノミネートするだけの情報を持ってるなら、 選考のための新たな情報は必要ないはず。それに、「由緒ある紳士録」が 本当だとしても、私ごときをいちいち載せてたのでは、ほとんど役所の 住民台帳みたいなものになってしまい、意味をなさなはずだ。
自宅を出て、ラクト山科で昼食用のパンを買って、昼過ぎに出勤。 研究室こそこそ昼食の後、13時から14時30分まで卒研ゼミ。今日は 教育実習や就職活動などで2人が休んでいるので、学生はM君1人。 来週以降2人が帰ってきても、M君が彼らにちゃんと教えられるように、 根基イデアルについてみっちり勉強してもらう。休んでいた学生には、 出席していた学生が教えるべしというふうにすると、学生も結構頑張 って勉強するようだ。(私も楽でいいし、、、)
14時40分から16時10分まで、2回生「離散数学」の講義。 位数6の有限群の分類と4次対称群の部分群、巡回群の生成元と1の原始根 の関係など。まあ、こういう講義はやってて楽しいものである。 受講生が数十名程度と多いのもよい。授業のあとで数名の学生が 質問に来るのも、なおよろしい。
大学院の講義のように、受講生がゼロから数名程度のものには全然 元気が出ない。その数名の学生の顔色をうかがって、退屈してない だろうかとか、全然わかってないのに無理して出てきてるんじゃない かしらとか、講義内容に興味が持てないという理由で途中から誰も出 てこなくなるんじゃないかしらとか、あれやこれやで気が気でない。 今日明日どうやって講座を持ちこたえさせるか、そういうことばかり 考えなければならない。まるで、資金繰りに頭を悩ます零細企業の社長 さんみたいな気分である。
開講前にも、今度の講座ではこういうテーマで喋りたいけど、そんなの では受講生が集まらないかしら、じゃあ、あまり気が進まないけれど、 この話題にしてみようかしら云々と、準備に色々気を使うのである。 しかし、いくら気を使ったところで決していいようにはならず、全ては 無駄に終わるのである。
ただ、こういう気苦労をしているのは私だけのようで、それは何故 かというと、たぶん他の同僚たちは数学者だからそういうことは気に しないけれど、私は数学者じゃないから気にするという問題らしい。
「だから、俺は大学院の授業はやらないって言ってるのに、 まだわからんのかよ!」という「小爆発」小委員会関連メールを 1、2通出す。
講義の後、研究室で少し雑用の後、帰宅。夜は来週分(以降)の 「離散数学」の講義準備。やや?!レジュメの重大ミス発見!有限群の 分類って、注意深いやらないと足元をすくわれる。ミスは完全には 修復できず、明日以降に持ち越し。
2010年6月1日(火)
<<抽象理論と具体例>>
高密度実装の火曜日。午前中は4回性配当「計算機数学」の講義。教育実習
に行ってる学生が多いせいか、受講生は数名程度と少ない。定点観測の対象
に指定されている爪の垢取り学生は来てなかったが、教育実習のためかどう
かはわからない。今日はグレブナー基底の特徴付け定理を証明し、イデアル
要素判定問題との関連を指摘。さらにS多項式の定義と例を示して、ブーフ
バーガ条件に関する定理を紹介する。来週はその証明の予定。
正味40分程度の昼休みは、研究室コソコソ昼食。13時から14時半 まで経済学部、経営学部のC言語プログラミングの実習。2番目の課題レポ ートが次々と提出される。受講生は4、5名なので、レポートの間違いなど は、学生の所に行って直接指導できる。個別指導学習塾みたいやね。今日は 課題3に進む学生も現れた。来週には全員課題3に進めるであろう。4回生 の受講生は就職活動のせいか、ずっと欠席していて、課題1のレポートを出 したかどうかといったところで止まっている。
引き続き14時40分から16時10分まで2回生の「代数学序論I」。 今日は3次方程式とガロアの基本定理の関連の一般論と具体例について 話す。授業終了5分前ぐらいになって、急に学生たちがざわつき 始めたが、原因は不明。黒板を指さして何やら言ってる様子からすると、 どうやら拡大体の具体例の説明でやたら横に長い板書で説明を書いたので、 ノートに書ききれないと言って騒いでいるようにも思えたが。ま、この例 は来週もう一度説明するから、いいか、と。
この「代数学序論I」は、綺麗に体形づけられた完成ずみの抽象理論 を厳密に講述するという従来のスタイルの講義の対極で、手元にある具体例 を観察して、抽象理論は必要に応じて少しずつ作ってゆき、右往左往しなが ら徐々にアイディアを広げて問題に迫ってゆくという、実際の数学研究 のスタイルに近い語り口をとっている。 (実際の数学研究はこんなに上手い調子には行かないけどね。) この試みが成功しているかどうかは、 定期試験の結果を見てみないとわからない。零点続出だったら、どうしよう?!
ところで、私は(旧)情報学科時代のトラウマがあるので、今でも学生 というものを「抽象的には嫌」っている。しかし近頃はもう、卒業式や父母 懇談会で顔を会わせる学生の親御さんたちは私とあまり変わらない年恰好だ し、ということは、学生たちとも親子ほど年が離れているわけだ。そう考え ると根拠不明の余裕がむくむくと湧いてきて、「まあ、彼らに対して、そう ヤイヤと目くじら立てることもないやんか」という気がしてくる。そして 現在は、「具体的には(つまり実際に学生を目の当たりにしたときには)別 に何とも思ってない」状態なのだ。
これが私よりももう一回りぐらい若い先生になると、「抽象的には学生 好き」のように見えても、よく話を聞いてみると「具体的にはかなり学生 嫌い」だとわかったりする。もっとも10年ぐらい前の私は、「抽象的にも 具体的にも学生が大嫌い」だった。「学生というもの」がそもそも嫌い だったし、実際に学生を目の前にしても、まあ、教師という職業柄そう 無茶なことはしないまでも、「こんな奴らにナメられてたまるか」みたいな 気持ちがあったように思う。かように学生が大嫌いだったから彼らとの関係が 悪くなったのか、彼らとの関係が悪かったから大嫌いになったのか。たぶん 両方だと思うけど。
授業終了後、研究室でひと息おいて、16時半より教授会。いつもの ように議事を聞き流して来週の講義の準備をしてたら、40分ぐらいで 会議が終わってしまった。研究室に戻って講義の準備のつづき。19時前 には作業終了。生協で夕食をとり、19時半ごろ大学を発ち、20時半 ごろ帰宅。