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よ け ス ペ ー ス で す。

2010年5月15日(土)
<<たぶん勘違い>>
Ritsは5月4日(火)の分の補講日。今まで週の後半に授業をすることが 多かったので、こういう補講騒ぎにひっかかったのは初めて。教員と学生は 出勤登校しているけれど、事務も通学バスも土曜モード。まあ、事務はそれ が仕事だからしょうがないのだけど、あれほど学内便配布資料やメールで 「15日は補講だからちゃんと出てこい」と何度も五月蠅く通達しておいて、 自分たちは休んでいる。頭ではそれが当然と分かってはいるけど、少しだけ 「何だよう!自分から『出て来い』って言っといて」という気分になる。 生協はちゃんと開いていたようだ。

午前中は4回生の「計算機数学」の講義。一般化された割り算アルゴリズム、 ネ―ター式帰納法、グレブナー基底の動機となる具体例など。正味40分程度 の短い昼休みに研究室こそこそ昼食。戯れにポアンカレ予想を解決したペレル マンのことをネットで検索していたら、彼は数学者社会に嫌気をさしてこの業界 を去ったと書いてあったが、どういうことなのかよくわかない。 私も数学者嫌いなので、ペレルマンにはちょっと親近感を持っていたけど、 彼の場合はどうやら有名になってチヤホヤされるのが嫌だったみたいなので、 私とは同じではないかもしれない。

13時から経済学部、経営学部2回生 の「C言語とUNIX演習」。演習の進め方の指導も一巡し、そろそろ私はTAの院生に 任せて監視だけしていればよいようになってきた。 ひきつづき14時40分から 2回生の「代数学序論I」の講義。群の集合への作用と2次一般線形群の2次元 ベクトル空間への作用の例。線形空間の概念の復習、X^3- 2=0の分解体が6次 の線形空間になること。ガロア群の定義、ガロア理論の思想など。

代数の講義の後、学生が初心者向けの良い参考書はないかと質問してきた。 その答は決まっている。私の講義を理解するための参考書ならば、私のレジュメが ベストだから、それ以外のものは読むな。しかし私のレジュメに歯が立たないよう なら、東京図書「すぐわかる代数」(石村園子)を読め、と。しかし学生と やりとりしているうちに、彼らは大学数学の勉強法を勘違いしているのではないか という気がしてきた。ははあ、これがちょっと前に某同僚が「学生さんは、 数学を高校の時みたいに問題集の問題をどんどん解いていくようなものだと 勘違いしている」と言ってたやつか、と。

大学数学の勉強は、要するに目の前のテキストを歯を食いしばって読み解いて いくしかないのだが、そのことに自分で気づく学生は稀で、普通は自主ゼミで輪講 して先生や先輩に絞られて初めて要領が掴める。しかし普通の学生は自主ゼミなん かしないから、4回生の卒研ゼミで初めて数学の勉強の仕方を教わる。ま、それで 遅すぎるってことはないさ、人生何度でもやり直せるしね。と、言い放っておく。

講義を終えて研究室で少し雑用の後、帰宅。今日は寝不足気味で少しお疲れ。 エアコンのパンフレットを眺めて比較検討。数学の方はほんの少し。

2010年5月14日(金)
<<彷徨のリスク>>
午前中は自宅にて「小爆発」関連の仕事で関係者と連絡を取り合う。日頃 同僚たちと学生の教育について話すことはほとんど無いが、こういう機会 に色々意見交換をしてみると、皆さん色々な思いを抱いて教壇に立ってい ることがわかる。

午後は例によって街に出る。丸亀製麺での昼食が終わったのは14時半 近くだったので、JEUGIA偵察は省略して上島珈琲へ。今日は割合客が入って いた。私の近くに友人同士らしい私と同年代のオジサン2人がいて、野太い 声で色々話している。その話し声が少し気になり、通路ぎわの 少し孤立したような席が空いたので、すかさずそこに移動。 ところがしばらくして、少し離れたところに居る40代ぐらいの女性二人組 の一人の声がうるさいことに気付いた。「ああ、そうなん。そんなん、しらんだ。 なんでえ?」そういうしょうもないことを、そんなキンキン声で叫び散らすの だから、たぶん耳が遠いのだろう。しかし、そう頻繁には聞こえてこないから 良しとするか、と。

しかし私の近くに一人静かに座っていた若い女が去って、その代わりに やって来た60代ぐらいの女性二人組には参った。日本は憲法を改正して 徴兵制をひいて軍事大国にならなくっちゃ、中国に舐められてしまうわよ。 そうよ!そうよ!私たちの孫達のためにも、憲法9条は廃止しなくっちゃ 駄目よね。それに、男の子たちは軍隊に入れて根性を鍛えあげなくっちゃ。 日本がどんどん駄目になっちゃって、徴兵制がある韓国なんかにもどんどん 追い抜かれちゃって、今でさえ大変なことなってるじゃないの。やっぱり 国力は大事よね。そうよね、みたいな話で熱く熱く盛り上がっている。 何でもいいけど、その、首を絞められた鶏の断末魔の叫びのような大きな キンキン声で延々と喋りまくるのだけはやめてもらいたい。 貴方達も耳が遠いのか。

耳栓の効果もなく、仕方なく席を移動。そのうち最初のオジサン2人組が 帰ったので、すかさずその席を奪取。実はその席が私の特等席なのだ。 しかしその時は既に店を出なければならない時間になっていた。

あのキンキン声の被害に合うぐらいなら、オジサンの野太い声を聞き流 していればよかった。こういうのを、戦前(と言っても応仁の乱のことで はない)の私の母の里では「寝小便たれの嫁を追い出して、寝糞たれの嫁 を貰いなおしたみたいだ」と言ったそうだ(私はこの身も蓋もない 言葉のセンスがちょっと好き)。まあ、冴えない日だったけど、 街を彷徨って数学をすれば、このぐらいのリスクはつきものである。

店を出てバスに乗り、京都駅前へ。またもビッグカメラ店内を偵察飛行し、 エアコンの価格調査。それからJRで山科に移動し、ラクト山科のベンチでしばし 数学。ああ、ここにはキンキン声の軍国の母たちもいないし、平和だ。

帰宅後、「小爆発」関連のメールを書いて出し、少し数学。

2010年5月13日(木)
<<ガっツリ昼食>>
午前中は自宅にてVPN接続の設定。なになに?楽ちんソフトと面倒ソフト があって、どちらか選べ、ただし楽ちんソフトはWindows7をサポートし てないだと?金の斧銀の斧の話じゃああるめえに、何を寝ボケたこと言 ってやがるんでい。え?それでルーターが何とかに対応していないと 動かないから各自マニュアルで確認せよだと?マニュアル引っ張り出してきて 見たって何とか対応とも何とも書いてないぜ。まったく世話が焼ける。 いちいちそんな事NTTに確認してたら日が暮れるし。まあ、ネットで ちょっと検索したら大丈夫そうな雰囲気だから、そのまま行ってまえ! とソフトをダウンロードしてインストールして大学のネットに繋げて試験運用 して、、、おおお!自宅でMathSciNetにアクセスできる!電子雑誌の論文が ダウンロードできる!と感動の嵐に包まれる。

午後は街に出る。丸亀製麺河原町三条店で讃岐うどんの昼食。日大セミナー では昼休みは皆で一緒に大学の食堂で昼食をとるのだが、私よりも年上の オジサンたちが揚げ物のごっつい昼食を食べているのに驚く。私と違って偉い 先生たちだし、数学研究で大量にカロリーを消費するから、あんな昼食を食べ てもメタボにならないのかしら。

そういえば若い頃、社員食堂で揚げ物テンコ盛り定食の昼食をがっついてい たが、50代ぐらいの工場のオジサン達も、少し軽めだけど似たようなガっツリ 昼食をとっていた。それはいいのだけど、毎日観察していると、彼らは必ずと言 ってもいいほどおかずの一部を少しだけ残し、それをまた少しだけご飯を残した どんぶりに一緒に入れて綺麗に纏めて捨てていた。これを「猫残し」 という。犬は最後までぺロりと餌を食べるが、猫はかならず少し残すからだ。

あとほんの一口だぜ。病気じゃああるまいに、毎日工場でガンガン 働いている大の男があと一口ぐらい食えねえのか。それとも何かい?そうやって 猫残しすることが何かの礼儀だとでも思っているのか。私はそれが気にいらず、 あのオジサンたちを一度「何のマジナイか知らんが、食いものを粗末にするな。 バカタレめが!」としばき回してやりたいと思っていた。ま、それはそれだけの 話なんだけど。

丸亀製麺の後、食後の偵察にJEUGIA三条本店へ。店内ではリヒテル58歳 の頃の平均律クラヴィーア曲集のCDが掛かっていた。うーん、これはいいな。 シフが若い頃のクラヴィーア曲集は、今日こそ買おうと思って何度試聴しても どこかひっかかったけど、リヒテルのはすっと胸に飛び込んでくる。 しかし中国版CDらしく、曲のタイトルも解説もリヒテルやバッハの名前も何 もかも中国語で書かれているので、何となく躊躇。

JEUGIAさんはさっさと切り上げて、客の回転が早いうえにいつも空いてる 上島珈琲で夕方まで数学。それから京都駅前ビッグカメラに移動。自宅の エアコンの調子が悪く、買い換えようかと思ってパンフレットを貰ってくる。

夜はエアコンのパンフレットを眺めて検討。そしてまたも「小爆発メール」 が少し飛び交う。まあ、小爆発するのも仕事の一部だから、しょうがないけど。 私の最大の関心ごとは、学生のペースに巻き込まれずにいかに研究活動を維持 するか?だが、小爆発メールをやりとりしていると、私立大学ではそれは 難しいことなんだなと改めて痛感する。

2010年5月12日(水)
<<飛び交う小爆発>>
午前中は自宅で野暮用を済ませ、大丸ラクト山科店で昼食用のパンを買って昼過ぎ に出勤。研究室こそこそ昼食の後、13時から14時半まで卒研ゼミ。学生に聞い てみたら、3人とももう就職活動はしていないのだとか。この厳しいご時世にずい ぶん余裕をかましてるなと思ったが、色々事情があって必ずしもそういうわけでは ないらしい。兎に角、3名の学生が揃う奇跡のゼミが毎回続きそうなので、例年 後期に回している卒業アルバムの写真撮影も前期の間にできそうだ。

ゼミでは学生が複素平面を全く知らないと言うので、ちょっと驚いた。 ちゃんとは習っていないらしいという程度に思っていたが、全く知らないとは 知らなかった。なるほど、これが「ゆとり世代」ってやつなのか。まあ、複素平面 ぐらいその場で教えればどうってことはないのだが、数学科でそれを全く知らずに 4回生まで普通にやってこれるという現実が凄い。

14時40分より2回生の離散数学の講義。今日は3次対称群の部分群をすべ て求めて見せ、4次対称群の話に入る前に互換とか巡回置換、巡回置換の互換の 積への分解の具体例を示す。対称群の位数の計算を教えるついでに、有限集合の 部分集合の個数の求め方も教えた。

16時10分に講義は終わり、16時30分より19時前まで学科会議。例に よって議事を聞き流しながら次回の離散数学の講義メモを作り、時々思い出した ように議事に噛みつく。噛みついたのは、今日は何故かカリキュラム関係の議題 が多かったから。カリキュラムの話には各先生の日頃の鬱積した思いの数々が小 爆発を繰り返すものである。ある先生は「もっと教えたい!」と叫び、 ある先生は「もう沢山だ」と眉をひそめる。私はどちらかというと、 「もう沢山だ」派かな。

その後、研究室でメールやFAXを出したりといった雑用をしているうちに 20時を過ぎ、あわてて生協で夕食をとってから帰宅。今日の会議でカリキュラム 関係の仕事を仰せつかってしまい、夜は関係者とメールで色々やりとり。 小爆発がメールで飛び交う事態に。

2010年5月11日(火)
<<次回はいつ?>>
高密度実装の火曜日。午前中は4回生の「計算機数学」の講義。 連休前の話を少し復習して、多項式環のイデアルの概念、原始項 の定義、ディクソンの定理と割り算アルゴリズムの停止性との関連 など。「それではまた来週」と言って授業を終えたら、後で 学生が寄ってきて、「では土曜日の補講はなしですね?」と 聞いてきたので、やっと補講のことを思い出した。

正味40分ほどの昼休み。研究室こそこそ昼食の後、 13時より14時30分まで経済学部、経営学部のC言語とUNIXの演習。 演習の方法など重要事項を説明した先週に休んだ2回生が一人、 今日になって初めて現れた4回生が一人。TAの学生と手分けして それぞれ個別対応。こういうことができるのも、講座の学生数が 数名程度と少ないから。「それでは皆さん、また土曜日に!」 と授業を締めくくる。

14時40分より16時10分まで、2回生の代数学の講義。 忘れないうちに最初に「5月15日補講あり」と黒板に書く。 それから連休前にやっていた1の原始n乗根を復習して、 それらが群、巡回群、アーベル群の定義と基本性質、 1の原始n乗根が生成する巡回群、 X^n -a =0 型方程式の解の記述と、その解集合への巡回群の作用など。 学生たちのなかには、私の板書をデジカメで 撮影しているのがいる。コンサートなどでは、写真撮影や録音は 禁止されているけど、講義の録音は写真撮影は、、、勿論OK だな。

講義の後、研究室に戻り、次回のC言語とUNIX演習のプリントを準備し、 日大セミナーの出張報告書を書いて提出してから大学を発つ。

帰宅後、ドイツ語寺小屋の先生にメールを出し、「Ritsは5月の連休 にもガンガン授業します!というのは間違いで、今度の土曜日は連休分の 補講をしなければならず、授業の方は欠席します」と伝える。 夜は次回の代数学の講義の準備。勿論「次回」というのは 今週の土曜日のこと。

こういった補講だ何だのといった日程のやりくりは、 昨今どこの大学でもやっているようだが、学生にしてみれば、 例えば火曜、土曜、また火曜と連チャン授業で大変かも。 彼らがそれで満足しているならいいけれど、もし仮に 「迷惑な話だ」ぐらいにしか思ってなくて、結局権力を握って いるどこかの馬鹿の顔を立てるためだけにやってるのだとすれば、 それは困ったことだ。何故ならば、それを改めるには 「どこかの馬鹿」の気が変わるか、学生たちが暴動を起こす以外に 事態を改善する方法がないからだ。そしていずれの兆しも、 今のところ見られない。

ま、私は数学の研究さえできれば、何でもいいんだけどね。

2010年5月10日(月)
<<猫かぶり>>
22時頃、日大セミナーより無事帰宅。昨年度は科研費が無くてこのセミナーに通うの を控えていたので、久しぶりである。しばらく来ないうちに京王線下高井戸駅から 日大文理学部に向かう商店街沿いの小学校とその近くのセブンイレブンの改築・改装工事が終わって、すっかり新しくなった校舎や店舗ができていたし、前は何だったか 覚えていないが、新しい店が1件できていた。

また、以前はレジで並んで現金で支払っていた日大の食堂に、 プリペイドカードが導入されていた。京大やRitsでは数年前にプリペイドカード からICカードに移行し、そのICカードも最近新型のものに変わったことを思うと、 日大のプリペイドカードはずいぶんレトロな感じがしないでもない。 ただ、カードの払い戻し清算が機械で簡単にできるのは、京大やRitsのものには 無かった機能で、私のようにたまにしか来ない外来者には便利である。

そういえば昨日の日誌に書き忘れていたが、定宿にしている 新宿ワシントンホテルの近くのドラッグストアーとタヒチアン・ティー とかいうお茶が専門の喫茶店が赤字続きだったのか、閉店していた。 伊勢丹の吉祥寺店や四条河原町の阪急百貨店など、最近は都会の繁華街の 店がどんどん潰れる。

対数学者回避性人格障害とはいえ、このセミナーもかれこれ5、6年通い、 その間に講演も2,3回しているので、常連メンバーの人たちとはほんの少しぐらい は雑話をする。それに以前はセミナーでの講演を聞いていても、代数幾何学の話 ばかりということもあって、ほとんどチンプンカンプンだったが、今は大抵の話は 理解できるので、たまには質問をするようにもなった。 帰りは群馬の方から来ている先生と一緒になり、新宿まで大学でどんな授業を やっているかといった話をして別れた。

かように、日大セミナーにおいてはかならずしも透明人間モードでも座敷童 でもないのだが、数年通ってもう立派に常連メンバーになっている割には 「いつまでも猫をかぶっている」ことには違いはない。勿論、猫なんてかぶりたくて かぶっているのではなくて、一種のビョーキでにっちもさっちも 行かないので困ってるわけなんだけど。

そういえば「猫かぶり」病にも関係しているけど、先日京大のセミナーの帰り、 学生時代の先輩と道で出会って「最近、元気にやってますか?」と聞かれたので、 「はい、おかげさまでなんとかやっております」と答えた。 行き先が違っていたのですぐに分かれたのだが、こういう間抜けな受け答え をしているから駄目なんだと気づいた。 「元気ですか?」は単なる会話の切り出しだから、内容を文字通りに 受け取って「はい、元気です!」などと答えていたら、それで会話が途絶えて しまうではないか。もうちょっとマシな応答のしようがあるだろう、と。

相手の言葉を文字通りに限定的に解釈して、それに対する必要十分な答 だけ返すというのは、実は(旧)情報学科時代に当時の同僚たちと受け答えする ときだけにわざと使った非暴力・不服従運動のための戦術であった。 しかし何時の間にか、無意識のうちに誰かれとなく無差別に使うようになって しまっている。技を弄して技に溺れたってやつね。

帰りの新幹線の中では、今日の講演内容のプレプリントを眺めたりしてすごす。

2010年5月9日(日)
<<ほくそ笑む>>
午前中は自宅で「オチビサン」「7つの間違い捜しクイズ」「時事クロスワードパズル」および野暮用。昼食のあと、出張のため自宅を出る。出張の時は自宅から京都駅 まで自腹でタクシーに乗ることが多い。今日も荷物が少し重かったのでタクシー を使ったのだが、京都駅に着く直前に昨年度まで特任教授をしていたF先生を 目撃した。彼は例の満ち足りたような、足りてないようなアルカイック・スマイルを 浮かべて信号を渡っていた。特任教授もあと何年か勤めることもできたのだけど、 彼は自ら辞退して早めに退職した。若い時からずうっとRitsの先生やってたから、 もっと違った生活がしたかったのだろう。定年前から、「これまで長い間 さんざん働いたから、もういいや」みたいなことを漏らしていたし。

新幹線の中で数学をやっていたら、どうもわからないことがあって、 いろいろ考えているうちに睡魔に襲われ、小一時間ほど居眠り。 居眠りからふと目覚めたら、もう東京の近くまできていた。 ここに来るたびに会社員時代のことを思い出す。色々辛いこともあったけど、今 となっては「楽しかったなあ」の一言である。それにしても、もし私が会社員を 経ずに、当初の希望通りまっすぐ大学院に進学して、そのまま数学者 になっていたとすれば、職業生活の中で日々私を苦しめている 対数学者回避性人格障害は起こってたかしら?

もともと厚顔無恥傲岸不遜でもって鳴らしていたこの私が、こと数学者社会の中 では脅え切ったネコの子のようにこそこそ逃げ隠れしたり、気配を殺して空気の ように漂わざるを得ないのは何故か?それは、学生時代に教授や学友たちにアホだ 馬鹿だとさんざん笑いものにされ、計算機科学から数学に転向する際にも、 「お前なんかが数学者だと?けっ、笑わせやがるぜ」式の露骨な扱いを受け続けた にもかかわらず、それらの罵詈雑言をものともせずにやってきたからである。 つまり、その時はいたって平気で「ばーかタレめが、何言ってやがんでい、この タコが!」などと受け流していたのだが、後でボディーブローのように ズシンっと効いてきたのだ。通常私のような「毛並み悪い」のは淘汰されて、 数学者としては生き残らないのだが、間違って数学業界に舞い戻ったから色々無理が 祟っているのだ、と。以上が対数学者回避性人格障害の原因についての 通説的見解である。しかし、それ、ほんとかなあ。

仮に私が大きなザセツも無く数学者としてすくすく育ってきたとしても、もとも とそんなに才能に恵まれているわけでもないし、数学者社会って色々熾烈だから、 親譲りだか生まれつきだかの人格傾向と反応して、やっぱり今と同じようにイジケ 切ったメンタリティーで職業生活を送っていたかもしれない。数学者社会しか知ら なくて、そのなかでイジケて生きていかねばならないとすれば、それは過酷極まる 人生ではないか。

だとすれば、たとえ10年たらずとはいえ数学者社会と全然違う価値観で 回っている会社員生活を送り、その中でつくられた沢山の楽しい思い出や友人たちが 隠れ家の役割を果たしてくれてる私の人生って、なかなか良いではないか。 回避性人格症候群も、まあ、数学者としてそれでかなり 損している部分も多々あるけれど、案外、会社時代に知らず知らずのうちに 身についた「危ないものには近寄らない」という防衛本能かもね (数学者って危ないんですか?)。つまり、俺の人生、 けっこうウマく行ってるじゃん、へへっ!と、またもほくそ笑んだのであった。 (いいだろう?このポジティブ・シンキング。)

ホテルに着いてから、新幹線の中の問題をすこし考え直したら、簡単なことだ とわかった。私が分かることは、いつも簡単なことばかりでだな。ま、いいけどさ。

2010年5月8日(土)
<<夢見る時をすぎても>>
午前中は自宅で野暮用と数学を少し。昼頃に自宅を出て、京大ルネで昼食の 後そのまま居座って、食堂のテーブルでドイツ語の予習。その間、関西日仏学館 によく来ている「土筆のおばさん」が同じテーブルにやってきて、きしめんと 小鉢2点の昼食を摂っていた。

それから関西日仏学館に移動。図書室でドイツ語版MOMOを読んで ウオーミングアップを図っているうちに、睡魔に襲われる。いつも この時間帯、つまり土曜日の関西日仏学館の14時半から15時ぐらいは、 えも言われぬ睡魔に襲われ、朝から濃い珈琲を1,2杯飲んでても全然効 き目はない。しかし半時間ほど居眠りをしたらすっきりした。

それからドイツ語寺子屋へ。今日は、以前一度見学に来ていて、2月頃 から来ると言ってて結局全然来なかった指物師氏が来ていた。4月中は ハンブルグの親方のところに修行に出ていて、今も仕事が猛烈に忙しい のだが、何とか時間をやりくりして来ようと思うとのこと。生徒が増えて、 先生もちょっとご機嫌のご様子。

指物師氏は、自分はドイツの親方のところで仕事をしながら、とりあえず 通じればよいとうドイツ語を覚えただけなので、この上級クラスで大丈夫か 心配だと言っていたが、私は「大丈夫です。このクラスは『上級の人』のた めのクラスではなく、『上級を目指す人』のためのクラスですから!」と きっぱり断言し、引きとめ工作を図った。 兎に角、私がドイツに行ってる間に、このクラスが閉鎖されてしまう事態 を避けるには、先生と一緒になって生徒確保に努力するしかない。え? ドイツから帰ってきてからも、まだドイツ語習うつもりかって?うーむ、 またフランス語に復帰したいとも思ってるんだけど、どうなるかしら。

でも私は別に語学オタクじゃないから、イタリア語だの中国語だのに 手を出そうとは思わないけど。指物師氏は、フィンランドの家具がいいなと 思うから、フィンランド語もちょっと勉強してみたいと言ってた。フィンランド とはいい所に目をつけてますね。

そういえば以前一度だけ別の指物師の人と話したことがあって、彼もまた ドイツに修行に行くのだとか言っていた。指物師の仕事はやはりドイツが本場 なのかとか、色々聞きたいこともあったのだが、今日は速攻で帰宅する用事が あったので、またの機会にした。

寺子屋塾を出て道でタクシーを拾い山科まで飛ばしたが、京都の道路 というのは信号が系統式になっていないのか、100メートルごとに信号 止めを食らい、全然渋滞もないのになかなか進めなかった。 しかし10数年程前、やはり衣笠キャンパスからタクシーで山科まで飛 ばしたことが1,2回あったが、その時はそれほど信号待ちもなく、 かなりスムーズに進んだような覚えがある。

夜はまたすこし数学。

ところで、高瀬正仁「岡潔、数学の詩人」(岩波書店)は、 「自分も岡潔になれるかも?」と夢見るお年頃を過ぎた今読んでも 面白い。岡潔が駆け出し数学者の頃、わざわざ親切なことで有名だった パリのモーリス・フレシェ教授を選んで、おそるおそる論文を見せにいく ところや、その研究成果が完璧な間違いと知らされてショックを受ける あたり。その後、多変数解析関数論で重要な仕事をいくつか成し遂げて からも、自分はしょっちゅう勘違いするから、出来た!と思ってもよく確か めてみないといけないと自戒し、実際勘違いでヌカ喜びすることも多 かったとか、問題に対するアプローチが見つかるまではうんうん唸って いるだけで数学的な議論は何も進まないとか。そういう話は以前にも 別の「岡潔本」で読んだことがあるが、今改めて読んでみると、 「何だ、俺と同じじゃねえかよ!」と妙に安心してしまう。 まあ、そういうところが同じだからって、どうってことはないのだけどね。

そうえば昨日テレビで、カナダかどこかの売れない中年ロッカーの話 をやっていて、そのおっちゃん達が、「自分に疑問を持った瞬間から恐怖 が襲ってくる。だから自分を信じて続けることが大事だ」と言ってて、 なるほどうまいことを言うもんだと感心した。これは数学者にもそのまま あてはまる。ときどきふっと、「俺って、何でこんな恐ろしいというか、 精神的にキツイ仕事をやってるんだろう?」と思うことがあるが、あまり 深く考えないようにしている。

明日は東京出張。更新はもしかしたら月曜日の深夜以降かも。

2010年5月7日(金)
<<愉快な一日>>
また、「あの」シリーズの瞬間的復活である。野平一郎氏のモーツアルト:ピアノ・ ソナタ全集その2(ピアノソナタ第2〜9番)。これまで野平氏のCDは、 クラリネットのヴェルツェン・フックスの伴奏でピアノを弾いているもの1枚 しか持っておらず、何となく毛嫌いしていたのだが、それは単に 「私は日本のオジサンが嫌いだから」というだけの理由から。 しかし、今日JEUGIAさんの店内で掛かっていたこのCDを聴いて、その美しさに 驚いた。「この野郎、オジサンにくせに、、、」としばし歯ぎしりをした後、 しかし、この期に及んでオジサンだの何だのとは言ってられない! 例え相手がオジサンであっても、美しいものは美しいと認めるのが人の道という ものだと、せっせと集めたスタンプカードの1000円割引を使って衝動買い。

さて、雨が降って、ここ数日の暑さが一息ついた。今日は京大の代数幾何学セミナー をさぼって、例の難しい論文についてのノート整理。気配を殺して潜入している 座敷童の私がさぼったところで何の影響もないのだが、何故か今朝はこのセミナー の主催者の先生が夢の中に執拗に現れて、かなりうなされた。

夢の中の私は、何故か数学を続けるためにボート部に入らなければならない ことになっていたのだが、その先生は、自分はカヌーを漕ぎながら代数幾何学 の研究に励んでいると新聞のインタビューに答えていた。 それ以外にも、カラオケで美声を披露したり、セミナーの講演がすこし可換環論 よりの内容だったためか、いきなり私に「高山さん、これどう思います?」 と質問してきたり(私が「何で俺のことを知ってるんだ!?」と夢の中で叫んだ ことは言うまでもない)。それやこれや、現実には全くありえない根も葉もない 話が次々とでっち上げられ、これでもかこれでもかと出てくる。 起床後、朝食を食べている間も、頭のどこかでその先生のイメージが沸々と 増殖しているのが感じられるのには、さすがに精神神経科の医者に 相談すべきかしらとも思った。何かの呪い?それとも、先日のセミナーの折、 トイレの近くの角で出会いがしらにぶつかりそうなった 衝撃的ニアミス事件(!)のトラウマ?

午後は街に出た。京都市役所前駅で地下鉄を降りた時、発車して去っていく 電車の中に、スポーツクラブで時々見かける「タミちゃん」がスーツを着て 乗っているのが目に入った。彼は酒屋の店員ではなくて、サラリーマンだった ようだ。 丸亀製麺でかなり遅めの昼食の後、JEUGIA三条本店を偵察。ポリーニの 平均律クラヴィーア曲集のCDをちょっとだけ試聴した後、京都市在住の 某女性ピアニスト(ちなみに、時々ロンドンからお忍びで山科に帰ってきて 西友山科店でネギなどを買っている内田光子様のことではない!)のCD,DVD, コンサートのポスターやチラシが置いてあるコーナーを見ていたら、 彼女の息子ぐらいの年恰好の男の子(と言っても大学生ぐらいだけど) を連れたご本人が現れた。反響が気になって様子を見に来たのだろうか。 ずうずうしく話しかけたりなんかして、握手ぐらいしておくんだったかな。

それから上に書いたように野平氏のCDを買ってから、寺町通り上島珈琲 でしばし数学。向かいの席で40歳ぐらいの女がずっと居眠りをしていたが、 70歳ぐらいのオジサンが隣に座ったころで目を覚ました。二人は初対面の ようだが、いつの間にか女の方が何やかやと親しげに話しかけていた。 うーむ、これは怪しいナンパではなかろうか。少し前に、中年女に言葉巧み に言い寄られたオジサンが金や命を次々と奪われた(らしい)という事件 もあったし、このオジサン、大丈夫かしら?と思って見ていたが、オジサン は私と同じタイミングで先に店を出て行った。

上島珈琲を出てから、バスに乗って京都駅方面へ。修学旅行で自由行動中 と思われる女子中学生3人組も一緒に乗っていた。どうやら先生に報告でき ないような行程を楽しんできたようで、それを誤魔化すためにどんな芝居を打 とうかと相談していた。根拠は全然ないのだけど、あの芝居では男の先生は騙 せても女の先生は騙せないような気がする。

京都駅のビッグカメラで買い物。何故かRitsの化学系の先生を、店に入った 時に1名、店から出る時にまた1名発見した。かの有名なゴキブリ発生頻度理論 を適用すれば、あの時間帯のビッグカメラ店内には私を含めてRitsの先生が 10名程徘徊していたと推計される。

大丸ラクト山科店で安いワインを1本買い、近くのスーパーで買い物を してから帰宅。今日は街で色々面白いことがあって愉快だったと思う。 夜はドイツ語の宿題。

2010年5月6日(木)
<<ガロアって、知ってる?>>
相変わらず暑いが、昨日ほどでもない。午前中は査読レポートの最終チェックと 修正を行って、メールで提出。これでひとまず肩の荷が下りた。それから自宅を 出て、山科駅前で適当に昼食を済ませてから出勤。9月のドイツ出張のフライト の件で、フランクフルトからICかICEで鉄道の旅と洒落込もうかと思っていたが、 鉄道の便を色々調べてみると、荷物も多いし現地到着が夜になるしで、 そんな呑気なことも言ってられないと分かってきた。 そこでドイツ国内の接続便の予約のため、生協トラベルに再度足を運ぼうか、と。

空の旅も手軽になったとはいえ、みどりの窓口で電車の切符を買うような調子 にはいかず、今日もまた何だかんだと小一時間はかってしまった。生協トラベルの 後は、フライトの予定をオスナブリュックの先生にメールで連絡したり、 図書館に本を返しに行ったり、研究費執行についての色々な手続きをしたり、 書類を書いて郵送したりといった雑用をしているうちに夕方になる。

図書館に行ったついでに鶴見俊輔の「思い出袋」(岩波新書)を借りようかと 思ったが、まだ入荷したばかりで登録手続き中だと。かわりに高瀬正仁「岡潔、 数学の詩人」(岩波新書)を見つけたので借りてきた。岡潔の随筆などは、 まだ自分が岡潔みたいになれるかも?と思っていた若いころはよく読んだものだが、 最近はもう「自分は自分だ」みたいな気分なので、この手の本を借りるのは珍しい。

学生時代は、数学科に進む学生はガロアやアーベルの話に感動したり、岡潔や 高木貞治にあこがれて数学を志す人が多いものだと思っていたが、実際はそうでも ないのかもしれない。私の友人でも、ガロアって誰やねん?みたいな事を言って て、そのまま数学者になったのが何人もいるし、 数論の偉い先生で、最初は化学をやろうとしていたけど、 大学の数学の先生が面白かったので、何となく数学に入っていったという人 もいる。ガロアやアーベルの話は聞いたことはあるけど、自分は物心ついた頃から 何よりも数学が抜群に出来たので、それが面白くてしょうがいないから自然の 成り行きで数学者になったのだという感じの人は案外多そうだ。

ではRitsの学生たちがどうなのかというと、私は日頃から、学生が何を考えて 日々生きているかを詮索しても分かるわけがないから、あれはあれであのまま受 け入れるしかないと思っているので、この件についても当然調べたことはない。 しかし以前、新入生歓迎だか何だかの合宿制の行事で、ある先生が学生たちを つかまえて、「ガロアって、知ってる?」って調子で、数学史の金字塔の一つ であるガロアやアーベルの方程式論にまつわる物語を話し、これから君たちは 高校数学とは違う深く興味深い本物の数学を学ぶことになるのだよ、みたいな ことを言ったら、「自分は高校の先生になるために数学科に来たのであって、 5次方程式の非可解性だのなんだのなんて興味ありません!!」と逆キレされた と言っていた。確かに、自分は高校教師になりたいのだから、初等整数論以外は 勉強する気がありません、みたいなことを言う学生は多い。

帰宅後、夜もネットでフランクフルト空港のことを調べたりしてて、 ドイツ語の勉強にはなったけれど、数学の方はほんの少し。 まあ、今日は一日雑用モードってことで。その勢いで、 今日届いた、新たな論文レビュー依頼を片付けてしまおうかとも思ったが、 力尽きる。査読のしんどさに比べれば、レビューなんて楽なもんだし、 気が向いたときにエイっ、ヤッとやってしまえばいいか、と。

2010年5月5日(水)
<<真夏日>>
暑い。まるで夏だ。連休最後の日は、午前中から査読レポート書き。午後は 久しぶりに河原町三条界隈へ。Balで買い物をした帰りなのか、無印良品の 巨大な袋を下げた物理の先生とすれ違った。物理の先生にしては珍しくあまり 尊大なところがなく、数学者にも挨拶をすることがある人だが、こちらに気 づいていないようだったので、パス。

それはともかく、まずは腹ごしらえだということで、丸亀製麺で昼食。 今日は暑いので、 冷たいぶっかけ饂飩にした。何かの催しがあったのか、店には着物を着た男女 の客が何人かいた。それからJEUGIA三条本店をすこし偵察。なんとかムッター とかいうヴァイオリニストのCDがかかっていて、ちょっといいなと思ったが、 結局パス。JEUGIAは早々と退散して、寺町通の上島珈琲でしばし数学。

休日だけあって三条通や寺町通は人通りも多かったが、 上島珈琲は適当に席が空いているのがよろしい。しかしこんな調子で商売はう まく行ってるのかしら。せっかくいい所を見つけて気に入ってるのに、 赤字続きで閉店されたんじゃあ、たまらない。そういえば京都市の地下鉄も、 私がせっせと乗ってやっているのに大赤字なんだそうだ。滅茶苦茶な込み方は しなくて快適だし、京都市内を移動するのにとっても便利なのにね。

大体、山科駅前Sbuxのように何時行っても満員御礼で入れない店とか、東京 圏の鉄道のように、痴漢冤罪のリスクと闘いつつ押しあいへしあい状態 で乗らないといけない電車とか、教室に学生が溢れ返り、担当教員が急病にな ったら代講者もろくに確保でいないぐらいしか教員がいない大学とか、従業員 をほとんどタダ働き同然で雇ったり簡単に首を切ったりしてコストを下げている 企業とか、そういうのでないと採算がとれないというのは、何か間違っている。

夕方は山科区内の各種量販店を渡り歩いて買い物。帰宅後、夜もちまちまと 査読レポート書きに励み、ようやく書きあげる。今週中に細かい部分を もう一度チェックして、提出してしまおう。

2010年5月4日(火)
<<パスワード>>
天気の良い夏のような一日。例の難しい論文も、読みたい部分は 大体読み終えたので、午前中はノートを纏め始めたり野暮用を片付けたり。 昼過ぎに自宅を出て、山科駅前で適当に昼食をとり、出勤。夕方頃まで 論文の査読をちくちくと進める。今日で一通り読み終えたが、さあて査読 レポートをどう纏めようかしら。査読はレビューと違って色々手間暇がかかる が、兎に角この仕事を片付けてしまわないと気が気でない。

帰りに大丸ラクト山科店で半額セールのイチゴなどを買って帰宅。 ちまきや柏餅も気になるが、饅頭断ちの決意はゆるがない。 夜も午前の作業の続きで、ノートの纏めを少し。

そうこうしているうちに学科長から全員へのメールが届く。 資料のPDFファイルを添付したから読んでおけ、と。PDFファイルには パスワードがついており、パスワードの書かれた紙はたぶん研究室のどこかに 放置されている。パスワードを入れなければ読めないような面倒臭い資料は 読まなければよいのだと、ゴミ箱に捨てようかとも思ったが、さすがにそれは 思いとどまったように思う。まあ、カリキュラム改訂の検討資料だから、 見たらまた昔のことを色々思い出して腸が煮えくりかえったりするだろうし、 パスワードが無くてちょうどよかった。

連休は数学ばかりで少し疲れたので、夜は早目に切り上げて オスナブリュックのことをネットで少し調べる。オスナブリュック市の ホームページには色々書いてあるけど、やっぱり行ってみないとわからんな

2010年5月3日(月)
<<思い出し怒り>>
天気も良く、汗ばむぐらいの陽気。午前中は自宅で例の難しい論文を眺める。 昼過ぎに自宅を出て、山科駅前で適当に昼食をとってから、出勤。今日も 研究室に籠って、夕方まで論文の査読をちくちくと進める。ここ数日、 布団に入って寝る前の30分ほど Gunning & Rossi の多変数複素関数論の 教科書を読んでいるのだが、それに必要な1変数の複素関数論の復習のため、 帰りのバスの中でAlforsの教科書を少し眺める。それから大丸ラクト山科店 で安いワインを買って帰宅。夜もまた難しい論文を眺める。

昼間山科の路上を歩いていて、ふと(旧)情報学科時代のことを思い出した。 ときどきこうやって昔のことを突然思い出して、昨日のことのように 怒り狂っていることがある。 昨日のマテジェニー・ハーの一件もそうだし、そういう「思い出し怒り」の ネタはひとつやふたつではない。

情報系の学部学科は数学嫌いの学生が集まる。ところが私の以前の専門は、 計算機の動作原理から何からなにまで数学的に考え直していこうという分野 だったので、学生たちには徹底的に毛嫌いされた。研究室に学生を集めるべく あらゆる手段を講じたが、すべて徒労に帰し、学科内で孤立した私は、 あのままでは万年助教授(現在の准教授のこと)として飼い殺し状態におかれ、 遅かれ早かれ潰される運命にあった。

学問的良心に忠実なるがゆえに学生受けしなかった私に、 理不尽にも冷たく当たり続けた(元)同僚たちを生涯許せないのは 当然としても、学生というのも 難しい相手であることは確かだ。学生が私と異なる価値観をもつことは 自由だが、それによって私の研究者人生が滅茶苦茶にされたのでは、 たまったものではない。しかしこれは、学生が悪いとかいう問題では なくて、私立大学の大学教師と学生というのは、本来そういう関係に あるということだ。

数理科学科に移った今は、(旧)情報学科の時のような酷いことに なる可能性は低そうだけど、やはり一度地獄を見てしまった私としては、 他の同僚たちのように「学生思いのいい先生」にはなれないな。

2010年5月2日(日)
<<自転車置き場でナンパする>>
午前中は自宅で野暮用と「オチビサン」(朝日新聞)と「7つの間違い探し クイズ」と「時事ネタ・クロスワードパズル」(京都新聞)。昼ごろ近所の スーパーで買い物。と、「マテジェニー・ハー」(ドイツ式仮名)が居た! 買い物をした後らしく、自転車で帰ろうとしていた。何でこいつがこんなところ に居るんだ?

そういえば1年ぐらい前だったか、夕方の帰宅時に山科すずらん通りを 南下しているときに、奴がなぜか喪服を来て山科駅の方に向かってとぼとぼ歩 いているのに出くわしたことがある。あの時は、山科の知人の通夜か葬儀にでも出た のかしらと思っていたが、通夜の帰りにしては時間がちょっと早いし葬儀の 時間にしてはちと遅い。やはり通夜に出かけるところだったのか。 と、いうことは、、、さては山科に引っ越してきたのかしら。

マテジェニー・ハーは学生時代の1年後輩。2回生のフンザイで3回生の 演習に出てきて、我々3回生を蹴散らかして難問を解きまくり、そのマテジェ ニー(Mathegenie)ぶりがちょっとしたセンセーションだった。その後いろいろ 紆余曲折があったのかなかったのか、今は某大学に所属しており、最近はある 大問題を解いたという論文を提出したそうだから、マテジェニーぶりは健在の ようである。彼の論文の証明が間違っていなければ、近く学会で大センセーシ ョンになるはずだ。たとえ間違っていたとしても、あんな大問題の挑戦するの だから、やっぱり偉いもんである。

それはともかくとして、何故ハーのことでそんなに興奮するのかというと、 上記の演習の時間に私が彼にちょっと間抜けな質問をしたら、「そんなの、当たり 前じゃないですか(怒)!」と眉間に青筋立てて思いっきりどやしつけられたから である。今でもあの鬼気迫る憎々しげな吊目と青筋をまざまざと覚えている。 彼との直接の接触は後にも先にもこれ1回きりだが、私は以後30年以上に わたって執念深く恨み続けている。

間抜けな質問にヒステリーを起こすのは成人した数学者にも広く見出される 習性である。だから天才秀才の誉れを欲しいままにしていた二十歳前後の若者に、 微笑みをもって真実を語ることを期待するのには無理があると思う。しかし30 数年後の今でいいから、「そうでしたか。あの時の僕は貴方にそんなひどい事を 言いましたか。それは申し訳ありませんでした」という一言が欲しいのである。

そのためにはまず、彼と知り合いにならなければならない。演習で一緒だった とはいえ、彼にすれば数多くの上級生のひとりにすぎない私のことは全く覚えて いないし、分野が少し違うので研究集会などで顔を合わすこともあまりない。 かといって、スーパーの自転車置き場でいきなりナンパするのもどうかって感 じだしんね。難しいもんよ。

午後は数学。うんうん唸りながら、例の難しい論文を突っつき回す。夕方は ラクト山科まで散歩。大丸山科店は食料品売り場を除いてほとんど撤退するそうで、 婦人服売り場などはバーゲンセールの張り紙がベタベタ貼られていた。 以前、京都駅前の近鉄プラッツがお気に入りで、老後は用がなくても毎日のように このデパートに来て、日なが一日行き交う人々をぼんやり眺めてすごそうと 楽しみにしていたのだが、その後早々と撤退してしまい、今は跡形もない。 じゃあ、老後は大丸ラクト山科店かなと思っていたけど、それも怪しくなってきた。 デパートは私の老後を待ってくれない。

2010年5月1日(土)
<<サクサクは進めません>>
昼過ぎまで自宅で例の難しい論文を眺める。ここ2,3週間 七転八倒していた謎は、案外あっさり解けそうな気がしてきた。

それから自宅を出て、山科駅前で適当に昼食の後、出勤。 さすがに大学にはほとんど学生はいない。昨日に引き続き、 研究室で査読作業をちくちくと進める。夕方、とりあえずキリ がついたところで作業を中断して帰宅。

夜はスポーツクラブ。ピノキオ君、強い爺さん、黒ゴリ が来ていた。黒ゴリは見かけはゴリラみたいだが、ウエートトレ ーニングの重りを見ると、結構軟弱なトレーニングをしている。 ピノキオ君はせっせとロードランナーで 走っていたが、やはり操り人形だとこうなるんだろうなというような スタイルで走っていた。それから、常連の何人かの若者が強い爺さんに 挨拶をし、爺さんも若者に「仕事、いつから連休ですか?」と 聞いたりしていた。強い爺さんの声を聞くのは初めてだが、思っ てたよりも 高い声だった。それにしても、一体彼らはいつの間に挨拶しあう 関係になったのかしら。最近ロードランナー逆走男が来てない。 かわりに私が山登りマシーンで逆走してみる。

帰宅後、また論文を少し眺めて午前中のアイディアを確認。 どうやらそれで良いらしい。結局、「そのぐらいのこと、ちゃんと 書いとけ、アホ!」と言いたくなるような些細なことで誤解して いたようだ。まあ、いい勉強になったけど、それが誤解であること になかなか気づかないところが、初学者の悲しいところである。

数学者A氏は代数幾何学を本格的に学び始めた大学院生 ぐらいの頃、少し年上の数学者Bにありとあらゆる質問をし、 B氏はそれらのすべてに対して即答で完璧な解答を示したそうだ。 まあ、超有名数学者B氏のことだから初学者の質問などどうって ことはなかったのだろうけど。私が何日も悶々と考えてやっと 分かるようなことを、即答で答えてもらってサクサク先に 進めたA氏がうらやましい限り。