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よ け ス ペ ー ス で す。

2011年3月30日(水)
<<後は知ーらないっと>>
6時半起床。昨夜の分の洗濯ものを詰めて、スーツケースの荷造りをさらに進める。 あっちのものをこっちにずらしたり、詰めるものを入れ替えたり、色々工夫をしなければならない。

それから街に出て、スーパーで空き瓶などのデポジットを回収し、少し買い物。 ふとシュパーゲルが目にとまった。シュパーゲルは4月の半ばごろにならないと 解禁にならないだろうから、冷凍ものかしら。そういえばそろそろシュパーゲルの 季節なんだな。

スーパーを出て、お気に入りの教会や哲学者、黒眼鏡を偵察し、 胸の内で最後の挨拶を済ませる。途中、Neumarktにあるオスナブリュック大学の図書館に寄って、自販機のココアで 一休み。

そういえば聖ヨハンに向かおうとNeumarktの大通りを横切ったところで、B先生 の姿を見掛けた。大きな旅行鞄をひきずって中央駅の方に向かって行った。

一旦ゲストハウスに戻って一休みしてから、昼前に大学へ。図書館でしばし 調べものなど。例によって、その辺の研究者向き教科書にさも周知の事実のように 書かれていることが何故だか全然わからない。ドイツに居る間に解決するかと 思ったけれど、これは日本に持ち越すことになりそうだ。

メンザで最後の昼食の後、メンザカフェでコーヒー。それから研究室に寄って、 その辺の人に最後の挨拶。挨拶の対象は、東北大震災にちなんで作れらた 「友人リスト」に載っている人だけにしようかと思ったが、その排他的態度は アホ除け選考がきついヨーロッパの研究集会と同じ発想ではないかと思い、 同じフロアの代数グループの人全員を対象にすることにした。中には 「なんでそんな挨拶、俺にしてくるの?」みたいな反応の人も居て、 「お前ら、相変わらずそんな態度なんかよ!?」と思ったが、まあ、 こちらとしてはやるべきことをやったんだから、後は知ーらないっと。

最後に事務の人に研究室などの鍵とコピーカードの残りと メンザの利用許可書を返却し、別れの挨拶。大学を出てしばらく歩いてから、 明日が祝日かどうか事務の人に聞くのを忘れてたこと思い出し、また大学に 戻った。平日か祝日かで、私が明日乗る空港へのシャトルバスの時間がかなり 変わってくるので、ちゃんと確認しておかないといけない。

大学の近くのスーパーallfrischに寄って、そこに入っているパン屋の Wellmannで明日の朝食用のパンを買ってゲストハウスに帰る。そういえば、 昨日偵察したとき、哲学者のいつもの場所にWellmannの紙袋が置いてあった。 彼が何を食べて生きているかについては、Markthalleのタイ風鶏肉野菜焼そば、 マクドナルドのハンバーガー、差し入れのPiza Hutのピザが確認されているが、 新たにWellmannのパンが加わったわけだ。こういう調査研究は最後の最後まで どんな発見があるかわからないので、気が抜けない。

ゲストハウスに戻ってから、今日の挨拶のときに不在だった人に、メールで 挨拶状を送った。その一人からすぐに返事が返ってきて、震災に関する安否を 気遣うような言葉が書かれていた。もう友達拡大キャンペーンは終わって しまってるから、今そんな事言っても俺サマの友達にはしてやらないぞ、と。

明日の朝食用の飲み物を買い忘れていたので、夕方にまた街に出る。毎日 通った道だけど、ああ、この店の屋根はこんな風になってたのかとか、 この教会のこの部分はこんな風になってたのだっけとか、まだまだ新しい発見がある。 オスナブリュック大学はともかくとして、オスナブリュックの街には また来たいものだ。

今日の夕食後は部屋の最後の片付けと、満杯のスーツケースとの格闘。 あとは明日の朝にということで、今夜は早目に寝る予定。しかし、21時過ぎに 友人リスト筆頭格の元隣部屋住人S氏に別れの挨拶をしに言ったら、 部屋に入れと言われ、上物のロシアウオッカを御馳走になりながら 色々話込んでしまい、部屋に戻ったのは23時前。明日ちゃんと起きられるかしら。 でも、どこを気に行ってもらったのか知らないけど、 こんな友人が出来て本当に良かったと思う。

明日は10時前の便でフランクフルトに向い、そこで乗り継いで 4月1日の午前8時に関空に到着する予定。明日の更新はなしで、無事日本に帰る ことができれば、次回更新は4月1日深夜以降。

2011年3月29日(火)
<<ドイツ人のやり方>>
7時半起床。午前中はスーツケースに荷物を詰める。土産物が壊れないように色々 細工も必要で、結構時間がかかった。目分量で「だいたいいけるだろう」と思っていても、実際詰めてみると思わぬ体積を占めてしまい、新しい鞄を買わねばならないかどうかのギリギリの線の攻防戦が繰り広げられる。

12時からB先生らとの昼食の約束があるので、作業を中断し、 顔を合わせるのは今日が最後になるゲストハウスの管理人さんに挨拶し、 部屋の鍵の返却のしかたなどを聞いてから、大学へ。 こんなふうにB先生から前日から昼食に誘われるのも初めてだし、 会食の時に色々話しかけられるのも初めてだ。その意味で、 オスナブリュック大学での6ヶ月で最初で最後の、 (俺サマの自尊心をくすぐる)マトモな会食であった。

メンザの帰りにB先生の研究室に行き、別れの挨拶。B先生のスケジュール の関係で、我々が顔を合わせるのはこれが最後だそうだ。途中B先生は、 昨年11月の例の一件について意味のよくわからないことを言っていた。 言っていることは分かるのだが、その根拠も不明だし、そもそも 何でそういう事を突然、かつ、最後の最後、あと数分でどこかに行かなけ ればならない時になって言い出すのかわからないの で「ふーん(今頃何をおっしゃいますやら)」って感じで聞き流しておいた。

こういうのがドイツ人のやり方なんだろうか。まあ、フライドポテトのテンコ盛り だけの昼食を食べ、店のトイレも含めてあちこち鍵を掛けまくって安心し、 Apfelscholeのペットボトルを手放さず、パンク少年たちの「小銭くれんか〜」に 気前よく小銭を寄付し、最高気温が5度を上回ったら分厚いコートを着込んで屋外 カフェで巨大アイスクリームを食べる連中の仲間が考えることなど、 私にわかるわけがない。

かように奇妙な昼食会で私としては「何なんだ?これは」という感じだが、何故 だから知らないけど別れ際のB先生はご機嫌だったから、それでいいんじゃない か、と。

それから数学教室で飲んでいたコーヒー代の清算をしてから、街に出る。日陰は ひんやりするが、日向は暖かい。黒眼鏡は春の薄着でアルミホイルに包まれたケバプ ラップのようなものを食べながら、真新しい分厚い本を読んでいた。哲学者も春モー ドの服装でいつもの場所に居た。

路上カフェは日向になっているところと日陰になっているところがあって、 日向の席には人が溢れ、日陰の席は閑散としていた。やっぱり 「ドイツ人は日干しにしておけばそれだけで幸せ」というのは本当だ。

パンク少年の「小銭くれんか〜」の路上活動はますます盛んで、スーツをばしっと 決めてサングラスなんかしてちょっとカッコつけたようなオジサンが、 「何に使うんだ?」とパンクに聞くと、パンクは「えーと、ジュース飲んだり、 ○○○したりするのに使います」と答えていて、それに対して 「よし、わかった」という感じでオジサンは小銭を渡していた。これはまるで小遣い をせびる息子と父親の会話である。

あと、歩行者天国の道の敷石をキャンバス代わりにしてキリストの巨大肖像を描 くオジサンがまた現れてた。テレビでも似たようなシーンを見たことがあるが、 あれは絵を見て「うまい!」と思ったらお金を出すようで、ヴァイオリンなどの 演奏を聞いて「うまい!」と思ったらお金を出すのと同じことのようだ。 今日は小学生達が集まってオジサンの絵を眺めていて、そのうちの一人の子供が 財布を取り出してお金を渡すところだった。私も道端でスケッチをしているときに、 その辺に籠でも置いておけば誰かが50セントぐらい入れてくれたかもしれないな。

黒眼鏡、哲学者、教会、路上カフェの日干しドイツ人たち、大道芸人、 「小銭くれんか〜」のパンク少年。街は私の友人たちで溢れている。一度も 話したことない人や教会などを「友人」と呼ぶのは変かもしれないが、 彼らと会う時間はいつも幸福感に満たされ、彼らと会うことを心から楽しみに しているという意味では、「友人」と呼ぶのがしっくりくる。

しばらく街をぶらぶらしてから、ゲストハウスの戻り、少し数学。その後再び 街に出て、明日の朝食用のパンなどを買う。夕食の後は、また荷造りや部屋の片づけ。 出発の31日は6時起きする予定なので、今日も早めに寝る予定。

2011年3月28日(月)
<<土産を渡す>>
掃除の日。しかし今日は運送業者が荷物を取りに来るので、9時から12時までに 間はゲストハウスで待機しなければならない。洗濯でもしながら待とうと思って、 洗濯機を動かしたら水が出ない。管理人室に飛び込んで聞いてみたら、水道工事中で しばし待てとのこと。洗濯機のタイマーのコインを返してもらってしばし待つ。 事故による工事ではなかったらしく、水道は間もなく再開した。

掃除のおばさんは今日が最後なので、日本の土産を渡した。体調がもひとつ万全でないおばさんを心配して一緒に仕事を手伝っている御主人の分も。こちらに来る前に、オスナブリュック大学でお世話になる人がいるだろうからと、土産を色々買って持ってきたのだが、数学科の人たちはあの調子なので、ほとんど渡す人がなく、結局事務や メンテナンスの係の人ばかりにばらまいた形になった。まあ、それでいいんだけどね。

少し数学をやりながら待っていたけれど、運送屋さんは結局12時半頃に やってきた。ヤマト運輸ではなく、ドイツの委託業者が取りに来ているので、 痒いところに手が届かないようなこまごまとした事態がいくつか発生したが、 まあ、何とか無事に持って行ってもらった。

それから街に出て土産物などを購入。一旦ゲストハウスに戻ってから、閉店時間 ぎりぎりにメンザに飛び込む。昼食後、メンザカフェでコーヒーを飲んでから、 研究室へ。日本に送る郵便物の手配をして帰ろう廊下に出ると、後ろからB先生に 呼び止められ、少し立ち話。数学以外の会話時間が6ヶ月間で5分間だったのが、 これで10分ぐらいになったかもしれない。まあ、半年間で10分も話せば上等 じゃないの。

それから再び街に出て、野暮用を片付け、夕食や朝食の買い出し、偵察飛行など。 今日はやはり気温は低めで、黒眼鏡は冬モードの完全防備に戻ったまま。哲学者は 一応春モードの格好をしていたが、近くに厚手のコートが置いてあった。

夕方ゲストハウスに戻り、少し数学でもと思ったが、猛烈な睡魔に襲われ1時間ほど 昼寝。夜はほんの少しだけ数学をやって、あとはのんびりすごす。

先日の州議会選挙の結果、原発即時停止を主張する緑の党の州知事が誕生し そうで、これはドイツの政治にとっては大きな変化らしい。テレビニュース では連日これに関した報道をし、原発廃止か継続かの討論番組も盛んである。 福島原発事故の報道も散発的に行われ、「日本は広島、長崎につづき3回目の 放射能禍に襲われた」といった解説がなされたりしている。

それにしても、福島原発の現場作業員の作業環境の報道には胸が痛む。 食事はほとんど非常食のようなものを1日2回。夜はその辺で雑魚寝、 下着も換えられれず、常に放射能にさらされている、と。

2011年3月27日(日)
<<ほろ苦い>>
昨夜の午前2時にサマータイムが始まることを直前まで忘れていて、ふとしたことで偶然に思い出した。忘れたままだったら、31日に空港に着いたら飛行機が出た後で、 え?何でなん?というとことになってたかも、、、と肝を冷やした。

今日はまた少し暖かくなり、最高気温は10度を超えたようだ。天気は快晴。 午前中は少しだけ数学。午後は街に出て、オスナブリュック最後の日曜日を偵察飛行。 哲学者と黒眼鏡は、大聖堂教会の入り口の両脇を固めるように座っていた。二人とも 春モードの軽装で、黒眼鏡は新聞を読んでいた。哲学者は日曜日は大聖堂教会かその 向いの教会関連書籍店前で「店を張」っていることが多いが、なぜかこの時は家財道具 一式を積んだ小型リアカーは持って来ず、住処の市立図書館軒下に置いたままである。

歩行者天国をぶらつく人たちやカフェで休んでいる人たちの多くは、 例によってアイスクリームを食べていた。あちこちにあるアイスカフェでは、 テイクアウトのアイスクリームを買おうとしている人たちが、長い行列を作っていた。 普通のカフェでも店でアイスクリームを食べることができる。

アイスクリームは悪魔のカロリー爆弾である。しかしカフェの客の多くは、 中村屋の肉まんよりひとまわり大きめの巨大なアイスクリームを食べている。 あれじゃあ600キロカロリーは下らないだろう。ドイツ料理はいずれも塩分 や脂肪分がかなり多いし、フライドポテトだけをテンコ盛りにして昼食として 食べる人も珍しくないし、ドイツの食生活はちょっと危険だな。私もここに来て 3キロ太ってしまい、日本に帰ったら秋の健康診断までに何とかダイエット しないといけないなと思っている。

昼食は中央駅のカフェで簡単に済ませた。ここのトイレの日曜解放は もうやらないようだ。ま、私はもう関知しないけどね。

夕方にゲストハウスに戻ったが、サマータイムのせいかまだ陽は高い。 明日の朝、運送会社が集荷に来るので、別送品の荷造りを完成させ、出発までの 衣料の洗濯&着替え&荷造り計画をたてる。夕食後も帰国の準備を色々と。

ドイツの報道はどこかの州で行われた州会議員選挙の話で持ち切りで、 福島原発事故が大きく影響して、原発廃止を強く主張している緑の党などが 躍進し、老朽原発の3カ月停止と安全確認は打ち出しているものの、原発廃止 には消極的な与党が大きく衰退したと報じていた。まあマスコミの煽動も あって、福島原発事故はドイツ人たちにチェルノブイリの悪夢を思い出させた のだろう。

帰国の準備が本格化してくると、オスナブリュック大学でのほろ苦い思 い出はどこかに押しやられてしまうが、これは良いことだ。しかし忘れた わけではなく、時々おぞましい記憶がちらちらとフラッシュバックしたり している。嫌なことは早く綺麗さっぱり忘れて、、、なんてことは執念深い 私には難しいが、とりあえずは思い出さないようにしていよう。そして未来 のことを考えよう。未来のこと?近未来にはRitsでの新学期が待っている。 うーむ、こっちはこっちで色々ほろ苦い世界だなあ。前に行っても後ろに行って もほろ苦い。だから、今、この瞬間が一番いいんだよね。

2011年3月26日(土)
<<ドイツ嫌い>>
冬に戻ったかのような寒い一日。午前中に買い物に出て、土日の夕食や日本への土産物を購入。日の丸をあしらったポスターがあったので、何かと思って見てみたら、4月早々に大聖堂教会で東北大震災のチャリティーコンサートがあって、教会の少年合唱団が歌うのだそうだ。先日はカトリック・プロテスタント合同の被災者追悼ミサをやってくれたそうだ。こうやってドイツの人たちも気にかけてくれてるし、日本はひとり ぽっちじゃないんだなと、有難く思う。

いったんゲストハウスに戻って、荷物を下ろしたあと、再び街に出る。大聖堂教会を偵察。今日は土曜日の朝市の日なので、教会横の広場は賑わっている。そして教会の入り口には、黒眼鏡ではなく、例の根性の入ってないにわか物乞い男女が両脇に座っていた。

そういえば、この街にもパンク少年が何人かいて、9月頃には紙コップ片手にその辺をうろつき、通行人に「小銭をくれんか」と言って回っていた。しかし冬場はとんと 姿を見せず、温かくなってきた最近また姿を見せるようになった。

冬の間彼らは何処にいたのか?渡り鳥みたいに、イタリアかどこか南の温かい ところに行って「小銭をくれんか」とやってたのかもしれない。パンクの衣裳は よく見るとかなり薄着で肌の露出が多く、涼しそうである。これがカッコいいの かもしれない。ダウンジャケットを着込み、毛糸の帽子を被り、マフラーを巻いた パンク少年というのも、ちょっと想像しにくいし、そういう格好をしないとドイツの 冬はやっていけないし。

哲学者は水のような透明の液体が入った小さな瓶を取り出して、 ごぞごそやっていた。どうもウオッカ等のシュナップスらしい。今日は結構寒いし、 強い酒で体を温めるのだろう。先日、黒眼鏡と回し飲みしてたのも、こんな瓶だった。

昼食はGaleria Kaufhofの最上階のレストランで。さてと、聖ヨハン教会で スケッチの色塗りでもと下に降りていくと、何と!地階のフロアに入っていた スーパーallfrischが消滅しているではないか!そういえばこのスーパー、あまり 繁盛している風でもなかったので、撤退したのだろう。大通りを挟んで向かいに Aktivmarktという、かなりいいスーパーが出来てるし、そこに客を取られたの だろう。それで後釜に何が来るかというとSchuheweltとかいう大型靴店だそうだ。

オスナブリュックは靴屋だらけである。Neumarktからゲストハウスまでの大通り沿いの1km弱の区間だけ数えても、大きな靴屋が5軒、スニーカーや婦人靴などのやや 規模の小さい専門店が5軒ある。ちょっと横道に入るとまた靴屋があったりするが、 それも含めると全部で10数軒は下らないだろう。20軒を上回るかもしれない。 そしてさらに大型靴店が入ろうとしているわけで、まさに、京都の着倒れ、大阪の食い倒れ、オスナブリュックの履き倒れである。そんなに皆さん、靴を買うのかね。

聖ヨハン教会で、最後の1枚の色塗りを終え、適当に偵察をしながらゲストハウスに戻る。哲学者はマウンテンバイクに乗ってどこかに行っているようだった。大聖堂教会入り口では、例の根性なし物乞い男女が去り、黒眼鏡がまた完全防備の厚着で座っていた。

夕方ゲストハウスに戻り、色塗りスケッチの仕上げをし、それから少し本を読ん だり居眠りをしたり。本というのは、マリエン教会で買った歴史の本。今、"Die Toten sind unter uns. (死者は我々の足元に)"という展示をやっていて、それのパンフレットのような100ページ程度の冊子。祭壇の裏の回廊には昔の墓碑みたいなものが 敷き詰められていて、あれは何だろう?とずっと疑問に思っていたのだが、 オスナブリュック大学の調査結果が纏められている ようなので思わず買ってしまった。

こういうものはここに居る間しか読まないだろうし、写真や図版が多いせいか良い紙を使っているので結構重く、手荷物で持ち帰るに は邪魔になるから、この週末にでも大体読んでしまって郵送で日本に送りたい。 かと言って難しいドイツ語で書かれているので読むのが大変で、思わず居眠りをしてしまう。

ドイツ語も、もうちょっと勉強しないと、人々の会話は理解できなし、新聞などを 読むのも苦労する。今回のドイツ滞在でそのことを痛感した。ではもっと頑張って ドイツ語を勉強しようという気が起こってくるかというと、うーん、って感じである。 私の場合、やはり本業の数学で実り多い人的交流ができてこそドイツに興味が湧 き、ドイツ語の学習意欲も高まるのだが、そういうモチベーションを保持するのが 難しくなってきた。

最初のエッセン滞在は充実していて楽しかったが、2回目の エッセン滞在は受け入れ側の先生が多忙だったこともあって、もひとつ気勢が上 がらなかった。さらに3回目の今回は、残念ながら人的交流という面では完全に 失敗であった。諸般の事情で他に選択肢が無かったのだからしょうがないのだが、 「俺は一体ここに何をしに来たのだろう?」という状態になるのを食い止めるのが 精一杯だった。

かように、対ドイツに関しては過去10年間で確実に下降線 をたどっているので、そろそろドイツが嫌いになってきたかも。 これからはフランス語を勉強して、次に外国に行けるチャンスがあったら フランスに行こうかしらん。まあ、何処に行っても同じかもしれないけどね。

2011年3月25日(金)
<<神風労働者>>
昼前に買い物に出る。スーパーのデポジット返却マシンに空瓶だのペットボトルだのを放りこみ1ユーロちょっとをゲット。それから少し買い物。帰国が近いので、 朝食用のパンやヨーグルト、夕食には電子レンジで温めてすぐ食べられるものにし、 調理が必要なものや、消費するのに何日かかかりそうな食材は買わない。

画材は日曜日の夜には別送品として梱包してしまうし、コピー屋は土曜の早い時間 までしかやってない。となると、もう1枚絵を描くとすればすくなくとも今日中にスケッチの場所を決めなければならない。買い物の後に適当な場所を見つけておいて、午後にでもスケッチに出掛けようか、と。

ふとヨハン通りの聖ヨハン教会が呼んでいるような気がしたので、ふらふらと 行ってみる。この教会の外観は描いたし、内部は先日の調査の結果「特に面白くも なし」との結論を得たはずなんだけど。途中、「この顔にピンときたら110番」。 以前ヨハン通りでスケッチしていたら、「綺麗だ!」と2回も褒めてくれた オジサンがいた。この辺の人なんだろうか。

兎に角、聖ヨハン教会に行って中に入り、なんとなくその辺のベンチ椅子に座り ふと見上げると、、、おお!これはぜひ描かないと駄目だな。この角度から見ると、 ここの天井もこんなに見えるのか。知らなかった。早速スケッチブックを取り出して 描き始める。

途中、メンザの閉店時間が迫ってきたので、作業を中断して速攻で大学へ。 食後のコーヒーは研究室に戻らずに、隣のメンザカフェで。飲んだらすぐに聖 ヨハン教会に戻り、作業再開。夕方には完成し、その足で近くのコピー屋さんに 入ってコピー。色塗りは明日の楽しみとして、今日のところは切り上げ、旧市街 の偵察飛行。

大聖堂教会前の有料全自動トイレの前に哲学者が現れたので、遠くから監視。 彼はマウンテンバイクに乗っていた。昨日私が見たのは、彼が新しく手に入れた 自転車だったのだ。これより少し前に例の指定席で彼を見掛けたが、一時期吸っ ていたパイプをやめて、また紙巻きたばこに戻っていた。その時は犬の散歩を させているオジサンと世間話をしていた。"Wer hilft mir ueberleben?"なんて 悲痛なプラカードを作ってたけど、新しい自転車や保温ポットは手に入れるし、 Markthalleの鶏肉野菜入りタイ風焼きそば食べてるし、友達は沢山居そうだし、 十分 ueberlebenしてるじゃん!と思うのだが。

黒眼鏡は新しい帽子を被っていたが、これまでよりもずっと軽装だった。 春だなあ。彼は500ページぐらいありそうなハードカバーの新しい本を読 んでいた。

夜は家計簿の整理をしたり、マリエン教会で買った本を読んだりして、 のんびりすごす。

テレビのニュースでは、福島原発事故で作業員3名が被曝したニュースを 割合大きく取り上げていた。またぞろチェルノブイリ事故の時に国家の命令で 事故処理作業にあたり、その後重い後遺症に苦しむ(元)作業員の画像が流れて いて、キャスターは、それと似たようなことが民主主義国家の日本で行われて いることが不思議でならない様子だった。先日別の番組でもキャスターが同 じような疑問をゲストの専門家にぶつけていたが、今日のキャスターは Kamikazearbeiter (神風労働者)という言葉を使っていた。これは神風特攻隊 のイメージを福島原発の現場作業員にかぶせているわけである。

別の番組では、放水作業にあたった東京消防庁の職員は自由意志(freiwillig) だったが、電気工事の作業員は(職業上の)義務(Pflicht)としてやっている と報じていた。まあ、そういうことなんだろうけど、日本の報道とは違って 「こんな嫌な仕事、誰が好き好んでやるのだろう?命令されて嫌嫌やらされて いる人も居るんだろうな」という感じが強く現れている。

例のN24では3号機に高濃度の放射性物質を含んだ水たまりができている ことを、"Verborgener Suber-Gau im Block 3"(3号機内の隠れたSuper-Gau) というテロップとともに報じていた。よっぽど福島原発事故はSuper-Gauだと 思いたいんだな。まあ、スリーマイル島の事故のレベル5を通りこして、 レベル6に上方修正されたそうだから、残念ながらN24の「期待」通りに 話が進んでしまってる感じがするけど。

2011年3月24日(木)
<<冷たい肩>>
今日は少し曇っていたが、気温は暑からず寒からず。午前中は洗濯と数学を少し。 昼食は大学のメンザ、その後研究室でコーヒー、それから図書館でしばし調べもの をしてから街に出た。大学近くのコピー屋で昨日描いたスケッチをコピーして、旧市街に向かう。

黒眼鏡はまた帽子を被っていなかった。哲学者はいつもの場所に荷物を置いたまま、 結構長い間不在のまま。すぐ近くに古いマウンテンバイクが置いてあったが、これは 哲学者のものとは違う。哲学者は自転車で遠出をしていて、その間にマウンテンバイクが止められたのだろう。

Herz Jusu教会が見える運河の土手の遊歩道で、スケッチの色塗り。途中、Herz Jusuの尼さんとおぼしき人がやってきて私の絵を覗き込み、「あの教会を描いてるのね?ほんと、確かにこんな風になってるわね」みたいな事を言っていた。これで28作品目。この1ヶ月、狂ったように毎日絵を描いてたなあ。

夕方ゲストハウスに戻り、また少し数学。夕食後はすこしのんびりする。

さて引き続き「冷たい扱いを受けた」話。人を冷淡にあしらうことを ドイツ語では"die kalte Schulter zeigen" (冷たい肩を見せる)と言うが、不思議な 言い方である。「冷たい肩」ってどんな肩なの?と。遠山の金さんが、 「この桜吹雪が目に入らぬか!」と、もろ肌脱いで見せるのは「熱い肩」である。 だから"die heisse Schulter zeigen"(熱い肩を見せる=もろ肌を脱いで啖呵を切ること)なわけで、その逆の概念を考えれば「冷たい肩」の謎が解けると思われるが、 まだ解決には至っていない。うーん、問題解決のための方針が間違っているのかも。

西洋人は喋ってなんぼ、みたいなところがあって、黙っている奴は存在しない のと同じで無視されるという話を、ずっと昔に異文化コミュニケーション云々を 扱った本で読んだ覚えがある。あの人さっきからずっと黙ってるけど、 何を思ってるんだろうな?なんてことは考えず、黙っているから何を考えている かわらない、わからないから存在しないのと同じという思考回路だから、 連中に無視されないためにも自分の考えていることはちゃんと言葉に出して 言うべきだ、と。

確かに彼らはそんな感じだなあと思うが、私はそんな彼らに無視されないように 頑張ろうという気は起こらず、むしろ「そんなアホはほっとけばよろしい」と思う。 黙っていては何を考えているか分からんというのはよしとして、分からなければ 質問すればよろしい。かくかくしかじかの件について、お前はどう考えているか?と。 聞けば何でも答えてやるさ。俺サマは(数学だけやってきた人間特有の独特のメンタ リティーの持ち主という意味での)数学者じゃないから、3回質問されたら キレて黙殺するなんてことはやらないし。だいたい、聞きもせずに単純に無視 するのは、要するに目の前の相手に全然興味が無いわけで、 俺サマでおナルで自己チューな私としては、「(俺サマに興味が無いなんて) そんな感受性の欠如したアホに俺サマの話を聞かせてやるのは勿体ない」 としか思えないのである。

ただ、こういう野蛮な西洋文化も悪いことばかりではなく、黙っていれば存在 しないのと同じなのだから、誰でも簡単に透明人間モードに入れる利点があるわけだ。 日本だとそういうわけにもいかない。折角透明人間モードであちこちの研究集会や セミナーを偵察しているのに、こないだのエディンバラやベルリンの研究集会の ときみたいに、偉い先生から「良くあちこちでお目にかかりますね」とか 「日本の方ですか?」と。お前は黙ってても俺は見てんだぞ!みたいな話になるから、 いくらほうかむりをして黙ってても、完全に透明人間になることは難しい。

2011年3月23日(水)
<<突き放す>>
今日も快晴で最高気温は13度ぐらい。日陰に長くいるとひんやりしてくるが、 もう完全に春だ。アイスクリームが飛ぶように売れている。

午前中は久しぶりに落ち着いて数学。その合間にルフトハンザに電話して、31日の フライトの確認をした。東北の地震の影響(?)で若干時間が繰り上げ気味に変わって いた。

昼は大学で昼食とコーヒー。すぐに旧市街に繰り出し、今日は運河の土手の遊歩道 の端っこで Herz Jusuとかいう奇妙な名前の巨大な教会をスケッチ。 19世紀以後に建てられた比較的新しい教会で、15世紀以前につくられた 大聖堂教会やマリエン教会に親しんだ私としては、礼拝堂の天井のつくりも平板でつまらないので馬鹿にしていた。しかし、こんなものでも日本に帰ったら見ることはできないかと思うと、やっぱり描いておこうか、と。

そういえば先週末に描いたBergkirche(山の教会)も新しい教会だが、大きくて 立派な建物で、ゲストハウスのすぐ近くにあり、オスナブリュックに着いた最初の日に目にして「ああ、ヨーロッパに来たんだ」と嬉しくなったものである。

スケッチのあと、旧市街を少し偵察し、スーパーで買い物をしてからゲスト ハウスに戻る。そういえば、黒眼鏡も哲学者も面長でひょろりと痩せた体形を しているが、手の指はどちらも野球のグローブのように太い。同じようなボロ 自転車に乗って、いつも本を読んでいるところまで同じである。時々 二人で話をしてたり、酒(?)の回し飲みをしたりしているし。 やっぱり親子かな。哲学者の寝ぐらは図書館の軒下と判明しているが、 鰻はどこで産卵し稚魚はどこからやってくるのか長い間謎だったように、 黒眼鏡はどこからやってくるのか、ついぞ分からずじまいになりそうだ。

夜もまたすこし数学。

昨日はこちらの大学で「冷たい扱いをうけた」と書いたが、まさにその通 りだとも言えるし、そう単純なものでもないとも言える。私としては昨年11月 上旬の一件以来、この大学の数学科に対してかなり気が削げてしまったことは確 かである。こちらにもある程度の非があったので引き下がったが、その半面 どうも腑に落ちないこともあり、これはやってられんな、と。 それで、あちこちの研究集会やセミナーを飛び回ったり、ゲストハウスなどで 独り自由に勉強するための足場として利用しようという突き放した考え方に変 わったのである。 しかし、11月の一件が無かったら、この大学の人たちと実りある交友関係 を楽しめたのかというと、それもまた極めて疑わしい。やはり数学の研究者同士 というのは、研究上の興味を共有し合えないとうまくいかないものなのかも知れない。 別に喧嘩するとかそういうのではなく、「いつまでたっても赤の他人のまま」が 続くのである。

2011年3月22日(火)
<<いじけるのは何故か>>
今日も快晴、午前中の日陰はひんやりしているが、日向は暖かく、午後 の気温は15度を超えた模様。オスナブリュックはすっかり春めいてきた。

午前中はゲストハウスで別送品その1の内容を確定し、伝票を書き上げ、 仮詰めする。昼頃街に出て、昨日コピーしておいたスケッチ2枚の色塗り。 そのまま大学に行き、メンザで昼食、研究室で食後のコーヒー。

その後すぐに街に偵察飛行に出る。天気も良いし、いつもは入ったことのない 路地を入ってみたりして、散策を楽しんだ。ああ、気持ちがいい。ここはいい街だ。 街並みも住む人も素晴らしい。ここでの半年間の生活は楽しかったなあ。

しかしもう二度とここに来ることはないだろうし、来たいとも思わない。 第一ここは代数幾何学を研究するところではない。次に外国に滞在する チャンスがあるとすれば、その時までに「アホは来るな」と門前払いされない 程度に研究実績を積んで、代数幾何学の研究が活発なところに行きたいものだ。

客員研究員として外国の大学に滞在できるのは、とても恵まれたことだ。 しかし受け入れ側大学と自分の研究の方向性がずれていると、当然ながらかなり 冷たい扱いを受けるものだ。オスナブリュック大学の代数グループには4名の 教員と数名のポスドクと数名の院生が居るが、私がこの半年間で彼らと話をした 時間はB先生が11時間程度(ほとんど数学のゼミ)で、あとはそれぞれ 半年間で1分以下しか会話をしていないし、それ以上できる雰囲気でもない。

これはしょうがないことである。可換環論の研究者だと思って受け入れて みたら、「オレはもう可換環論はやらない。これからは代数幾何学だ」みたいな 調子だから、「こんな奴、知るか」とか、少なくとも「我々とは関係ない人ね」 という風になるのは自然なことである。私としても、まだ実績がほとんどない 代数幾何学で応募しても、どこも相手に してくれなかったので、可換環論関係の筋をたどって潜り込むという、あざとい 手を使っているのだから、多少冷たい扱いを受けるぐらいは覚悟しておかないといけない。

同じ手は、昔、理論計算機科学から足を洗って可換環論屋になろうと思った時 にも使ったから、私は常習犯なのである。その時も可換環論の実績はゼロだった ので、計算機科学分野で某研究所の半年間の臨時研究員に応募して受理された。 それで一度だけそこの計算機科学グループのパーティーに「高山さんの 歓迎会も兼ねるということで」と招待されてたが、パーティーの途中から既に 雰囲気が冷たく、その後もこのグループとは何の接触もなく終わった。

「たとえ職業上の専門や興味が違ってても、俺たち友達じゃん!」みたいな、 中学高校の同窓会みたいな世界を期待してしまう「何か世の中を勘違いしている」 私は、ふと世間の風の冷たさを感じたものだが、今回もやはりそうである。

かように「かつての仲間」からは冷たくあしらわれる一方、 これから入って行こうとしている世界の人たちには「アホは来るな」と 門前払いを食らったり、九拝三拝の3度目の質問メールを黙殺されたりと、 けんもほろろの扱いを受ける。すると、私は特段ず太い神経を持っている わけではないので、どんどん性格がいじけてくる。そうか!だから私は いじけているんだ!いや、何で、この自己チューで俺サマでクールな私が こんなにいじけているのか、わけがわからなかったのだが、要するにそう いうことなんだ!と。

旧市街では、道ゆく人々の半分ぐらいはアイスクリームを食べながら歩いていた。 ドイツ人は最高気温が5度を超えたあたりからアイスクリームを食べ始める習性が ある。彼らにとっては、「暑いからアイスクリーム」ではなく、「凍える寒さを脱 したからアイスクリーム」なのである。今日のようなぽかぽか陽気なら、尚更だ。

次のスケッチの場所を探しながら偵察飛行を続けたが、特には見つからず。 ふとMarkthalleに入って、ソーセージを買った。哲学者がいつもの場所に荷物を 置いたままどこかに行ってるのかしらと思ってたら、Markthalleのタイ風焼き そばを買って出て来るところだった。誰かがピザを差し入れてくれる時もあるが、 自分で買うのは一食4ユーロの鶏肉野菜焼そばが多いのだろう。 大聖堂教会の黒眼鏡は、新しい毛糸の帽子を被っていた。

スーパーで少し買い物をしてからゲストハウスに戻り、夕食を挟んで別送便その2 として送る品を確定、仮り詰め、伝票完成といった作業を行う。

2011年3月21日(月)
<<マッチポンプ>>
今日も快晴、朝のうちは気温は2度ほどでひんやりしていたが、 午後は15度近くまで上がったようだ。掃除の日なので、8時前起床9時出発。 まずはゲストハウスの管理人室に寄って、地震関連で安否を気遣う書簡のお礼 と挨拶。私のドイツでの友人は、元隣部屋の化学者S氏、数学科事務のGさん、 掃除係のDさん、そして管理人のDさん、そしてB先生の5名である。 安否を尋ねてきた前後の状況から考えて、B先生を友人リストに入れるのには 多少躊躇しないでもないのだが、ま、キャンペーン期間中ということで、特別に 入れておこう。「友人リスト」イコール「帰国時に挨拶する人リスト」だし。

街に出て、まずはオスナブリュック大学の看板ともいえる、卵色の壁が美しい 城館をスケッチ。近くにコピー屋さんがあるので、そこで週末のスケッチと一緒に コピーをとり、すぐに色塗りをする。それから旧市街のスーパーで少し買い物を してから、通りのスケッチに色塗りをし、ゲストハウスに戻って仕上げをする。 ニュースのチェックをしてから大学に行き、メンザで昼食、研究室でコーヒー、 そして図書館でしばし調べものなど。夕方にゲストハウスに戻り、夕食の後は ニュース番組を見たりしてすごす。

ニュース報道は引き続きリビア情勢。しかしニュース解説をする番組では、 福島原発事故の問題が取り上げられていて、ドイツ国内でガイガー計測器や ヨードの錠剤を買い求める動きがあるが、「それは専門家によれば、 まったくナンセンスとのこと」と、キャスターが当たり前のことを言っていた。 ははあ、私よりも上の世代の人たちが時々言う「マッチポンプ」ってやつね。 つまり福島原発事故でドイツにも放射性物質の雨が降るぞとさんざん煽ってた のはマスコミであり、それを「無意味なこと」「心配無用」と火消しに回る のもまたマスコミである。

寿司や醤油や緑茶は大丈夫か?という話もあって、ドイツ国内の寿司の魚は 圧倒的多数が北海で取れたもので、日本からの輸入はごくわずかである。 醤油や緑茶も含めて、日本は厳しい管理を行っており、危険なものが ドイツに輸入されることはないと思ってよいと解説されていて、まあ、 日本も結構信用されているんだなと思った。

彼らは放射線が強い危険な現場で放水作業 を行う東京消防庁の職員が、神風特攻隊員のイメージと重なって見えるらしい。 ニュース報道の時も、選ばれた作業員は 「表向きは自ら志願した人とされている( (angeblich freiwillig)」とアナウンサーが報じていて、あれは実際は、 ソ連のチェルノブイリ事故の時のソビエト軍の兵士みたいに、強制されてやってる に違いないと思っているようである。

上記のものとは別のニュース解説番組を見ていたら、神風特攻隊員 の映像の直後に東京消防庁職員の映像を重ね合わせるかのように流して、 その後でキャスターが識者と思われる人と遠隔対談をして、 「民主主義社会の日本において、ソ連のチェルノブイリ事故処理の時のような強制 が行われていなかったとすれば、一体彼ら東京消防庁の職員を自主的に危険な 作業にたち向わせたものは何なのか?それは愛国心か?」と聞いていた。 それに対して、モニターの向こうの識者氏は何やら答えていたが、 何を言っているのかはわからなかった(肝心なことは何もわからないのが、 俺サマのドイツ語のレベルなのさ)。まあ、「彼らは世のため人のために 意気に感じて志願したのだと思う」というようなことを答えていたようにも 思えた。

2011年3月20日(日)
<<世間話>>
今日もまばゆいばかりの快晴の一日。気温も昨日よりは高く、最高気温は10度ぐらいか。午前中はゲストハウスですこし数学。午後は街に出て、スケッチをしたり、昼食をとったり、カフェで休んだりしながら、偵察飛行を続け、数学を考える。

スケッチは2枚描いた。何だかオスナブリュックの観光名所めぐり画集みたいになってきた。1枚目を描いているとき、中学生ぐらいの息子を連れたオバサンが「綺麗なスケッチをしますね。絵の仕事をされてるんですか?」と聞いてきた。で、自分はオスナブリュック大学の客員研究員だが、別に芸術関係でやっているわけではなく、趣味で絵を描いていると答えた。すると、自分の娘だか息子も絵を描くのだが、やはり趣味でやっている。さらに自分の息子だか娘だかは音楽をやっているが、これは仕事でやっていて、今どこそこに居る、と。

こんな風に初対面の人間と気軽に世間話をするところは、やっぱりドイツ人 だなと思う。でも、オスナブリュック大学に半年居ても、彼らは一度も私と世間話 をしようとはしなかった。それもまたドイツ人なんでしょうな。よくわからんけど。

教会の偵察は、マリエン、大聖堂、聖ヨハンの3つを回った。聖ヨハンではオルガン奏者氏が練習をしていた。こういうことはマリエン教会でも良くあるが、なかなか 日本ではこんなに気軽にパイプオルガンは聴けない。オルガン奏者氏は、 途中で灯りをつけたまま抜け出してきて外に出ていった。何をやってるのかと思ったら、外で煙草を吸っていた。

大聖堂教会の黒眼鏡は、これまでずっと被っていた黒い毛糸の帽子をしてなかった。 それぐらい昼間は暖かい。すると哲学者が自転車に載ってやってきた。彼はいつもブルージーンズをはいているが、今日は黒いジーンズだった。一体何が始まるのか と思ったら、哲学者が何やら無職透明の小さなガラス瓶に入った液体を取り出して、 黒眼鏡と回し飲みしていた。シュナップスが手に入ったので、一杯やらんか? という感じか。哲学者はまたすぐに自転車に乗って帰っていった。日曜日だから、市立図書館の軒下に帰るのかと思ったら、大聖堂教会前の本屋の角に座っていた。 今日は"Wer hilft mir ueberleben?"の段ボール立て看はしてなかった。

昼食はいつものゲバプの店。鶏肉のケバプは京大ルネでも食べられるので、ドイツに来てからは専ら羊肉ばかり食べていた。今日は一度ドイツの鶏肉ケバプを試してみようか、と。まあ、京大ケバプをドイツ風に塩辛くしたような味で、どうってことはなかった。

天気も良いので、昼食後は久しぶりに中央駅まで足をのばし、そこのパン屋の チェーン店がやってるカフェに行ってみた。真面目にトイレの日曜解放をやって いたら、御褒美にここでコーヒーを一杯飲んでやろう。さもなくば、小用だけは 一般開放されている向いのマックカフェにしよう。そう思って行ってみたら、 トイレが開いていた。よろしい。まずは用を足し、それからコーヒー。しばし数学 を考え、帰りにもう一度トイレに行っておこうと思ったら、もう鍵が閉まっていた。 どうも最初にトイレに入った時に警報機みたいなののが鳴っていたが、鍵がうまく 掛かってないことを知らせる装置でも導入したのだろうか。呆れた連中だ。 俺サマはもうすぐ日本に帰っちまうことだし、ま、せいぜい好きに してろ。Apfelschole, ジャガイモ、アイスクリームに日向ぼっこ、そして あちこち鍵を掛けまくって安心する。これがきっとドイツ人のDNAなんだろう。 しょうがないのでマックカフェにトイレを借りにいく。

夜は途中で放り出していた、別送品輸送の準備をごそごそと再開。

ドイツのテレビ報道はもう完全に平常時に戻り、たまに福島原発の放水再開 とか電源工事の話、放射性物質を含んだ雨が東京に降っているといった事が 伝えられているが、今大きく取り上げられる 国際問題はリビア情勢の話ばかりである。もはや「Super-Gauが起こって、チェルノブイリの時みたいに、放射性物質で汚染された雲がドイツにやってくる」可能性よりも、 地中海を挟んでヨーロッパと目と鼻の先のリビアの報復攻撃の方が現実性があると 踏んでいるのだろう。

しかしながら、夜はDas Ersteで原子力政策についての討論番組をやっていて、 福島原発とか日本という言葉が各論者から頻繁に聞こえてきたが、どんな議論を しているのかはよくわからず。またN24では深夜に「チェルノブイリの今」 みたいな特集をやっていた。どうしても福島原発事故とチェルノブイリ事故を 結び付けて見たいようだ。俺サマはもうすぐ日本に帰っちまうことだし、まあ、 チェルノブイリでも何でも好きにしてろ。

2011年3月19日(土)
<<大道芸人>>
最高気温は10度を切っていてまだ寒いが、久しぶりにまばゆいばかりの 快晴の一日。午前中はテレビとネットのニュースをちらちらチェックしながら、 ゲストハウスで少し数学。

午後は街に出て、昼食、偵察、スケッチ、そしてスーパーで買い物。 昼食はMarktalleで人気バクハツ!タイ風焼きそば4ユーロ。 天気が良いせいか、街にはいつもの週末よりも多くの人が出ていた。 まあ、毎週毎週こんなに沢山の人が街に出ているんだから、 ドイツの経済は堅調なんでしょう。

カフェの屋外テーブルでは、さっそくコートを着込んだまま冷たい ヴァイスビールを飲んだり、巨大なアイスクリームを食べたりしている ドイツらしい風景がみられた。彼らはApfelschorleとジャガイモ、そして 日向ぼっことアイスクリームが大好きである。

Strassenkunster(大道芸人)の演奏家もよく見掛けるのだが、 今日は毎週末に見掛けるスペインだかポルトガルだかの人っぽい女の人 と、今日初めて見掛けるオジサンが、たぶん自分が作った曲をギターを弾き ながら歌っていた。女の人の方は、クリスマス市が立っていた頃には、 銀色のコスチュームに手造りの天使の羽根という出で立ちで歌うという、 悪ノリをしていた。本日初登場(?)のオジサンは、CDを何枚か 売っていたが、ジャケットの写真は20代や30代ぐらいの男の顔写真が 出ていて、ふーん、こういう若いお兄さんの成れの果てがこのオジサンなのか と感慨深かった。しかし二人と素晴らしく上手だ。

こちらに来て、大道芸人の演奏レベルの高さや歌の うまさには驚かされることが多い。上の二人以外に、時々ミニ・ハープを 弾くオジサンが現れるが、以前私は彼のCDを1枚買ったことがある。 パリの地下鉄では、アコーディオンを弾いてるお兄さんが特に上手だったので、 少しばかりお金を出した。

あとアコーディオンを弾く60代かそれより上ぐらいの オジサンはけっこうあちこちで見かける。ノリはいいのだが、 大抵は下手クソである。そのぐらいの年代だと、ミュンスターか エッセンか忘れたが、かなり酷い音でクラリネット吹いてたオジサンも居たな。 やめろ!耳が腐ると言いたかったぐらい。他にも酷い音のヴァイオリン おじさんを見たこともある。乱暴に総括すれば、 概して年金貰ってそうなオジサンの大道芸人は下手くそである。 例外はエディンバラのプリンセス通りでバグパイプを吹いてたオジサン。 あ、でもあのオジサンはまだ年金を貰う年でなかったかも知れない。

他にも、最近、路上に巨大なキリストの顔の絵を描いているオジサンが現れる。 おいおい、そんな歩道の石畳に絵具を絵を描いていいのか?そんなことしても良いなら、この俺サマも路上であちこち絵具で汚しながら水彩画を描きまくって、 その場で額縁に入れて1枚20ユーロ+額縁代の激安販売で売りさばいてやろう かしら。っていうか、よく道で絵を描いてると、お前は画家か?とか、 個人的に趣味でやってるのか?というようなことを聞かれるけど、それは お前は大道芸人じゃないのか?という意味なのかもしれない。でも大道芸人 やると、不法就労で日本に強制送還されるんじゃないかしら。

路上でGreenpeaceが、原発廃止に向けた署名活動のようなことをしていた。

14時前の大聖堂教会には黒眼鏡はなかった。今日は教会横の広場で朝市が立って 教会に出入りする人も多いから、書き入れ時のはずなのに。まあ、彼は「出勤時間」が 遅いから、夕方頃には居たかもしれない。

哲学者は最初の偵察飛行では、段ボールの板にサインペンで何やら書 いていたが、その後再度偵察飛行してみると、"Wer hilft mir ueberleben?" (私が生き延びるのを誰が助けてくれるのか?)とあった。さらにしばらく してからもう一度偵察飛行すると、泉谷しげる風のおじさんが哲学者に 色々話しかけていた。何を話してるんだろうか。

ドイツのテレビニュースではリビア情勢の比重が高まり、日本の震災や原発 事故関連の報道はかなり減ったようだ。報道内容はNHKテレビニュース のUSTREAMやYahoo Japanのものとあまり変わらなくなってきたが、ドイツ国内での 被災者支援や犠牲者の冥福を祈る行事などの報道もいくつかあった。

日本の"Super-Gau"(専門家たちはSuper-Gauではなく普通のGauだと 言っているようだが)をチェルノブイリ事故のイメージと重ねたがる報道姿勢 は相変わらずで、それ以外にも特集としてインドネシアやブーケットの巨大津波被害や 広島・長崎の原爆の惨状の記録映像を流して、日本が今遭遇している 危機はこういう類のものだと示唆したり。まあ、津波は確かにそうだけど、 「日本は広島、長崎に次いで3度目の放射能災害に見舞われている」という 総括の仕方にはちょっとぶっ飛んでしまった。 「そうかもしれないけど、そうでもないでしょう」としか コメントの仕様がなく、どうも彼らの趣味はよくわからない。 まあ、Apfelschorleが好き! ってところから既に、彼らの趣味がわかんなくなってるんだけどね。

福島原発の状況も、現場で奮闘する人々の活躍で好転してきたようだ。 早く被災者支援や復興の方に全力が注げるようになればいいのだが。

夜はまた少し数学。

2011年3月18日(金)
<<ガオ>>
今日も朝から帰国の準備と洗濯とテレビニュース。帰国準備としては、 クロネコヤマトの海外別送品輸送サービスで送る物を決めて、 伝票に書くための所定の形式でリストを作ったり、段ボール箱に仮詰めしてみたり。 作業の途中、不明な点があったので、ヤマトのフランクフルト支店にメールで 問い合わせたら、すぐに答が返ってきた。その際、地震の影響で輸送は多少遅 れるかもしれないことを知った。北関東や東北などな現在集荷も配送も止まって いるらしい。

そうこうしているうちにメンザの閉店時間が迫ってきたので、アイロンかけを 中途で放りだし、大学へ。ゲストハウスの部屋を出ようとしたら、ドアのところに 書簡が挟んであった。管理人さんからのもので、今回の地震災害について私の家族 や親族の安否を気遣う内容だった。よろしい、これで友人リストが5人になったな。 帰国の際に挨拶をして行こうと思っているが、友人リストに載っている人だけで よかろうと考えている。

昼食後、研究室でコーヒー。日本に送る資料を封筒に仮詰めしてから旧市街に 繰り出す。今日はマリエン教会前広場で市庁舎のスケッチの色塗り。2日前にデッサンしてた時に覗き込んできて「ふむ、ふむ」とだけ言って去って行ったオジサンがまた 現れ、覗き込んできて「ふむ、ふむ」と。何が「ふむ、ふむ」か?「ふむ、ふむ」 以外に何とか言え!けったいなオッサンやな。お前、ひょっとして、 こないだLedehofのスケッチしてた時に現れた、けったいなボウズの父親と違うか?

色塗りを終え、マリエン教会内を偵察。最近"Die Toten sind unter uns(死者は我々の足元にあり)"という催しが行われている。祭壇の裏の通路の敷石の秘密に 関する調査結果の展示らしいのだが、気にはなるものの、 短い開館時間とスケッチに追われ、難しいドイツ語のパネルを読むのが億劫で あえて無視してた。音声案内もあったので聞いてみたが、私のドイツ語の力では 言語明瞭意味不明状態で埒があかず。展示内容のパンフレットでもあれば、 後でゆっくり読めるのだがと思ってたら、ちゃんとパンフレットが9ユーロ80 セントで売っていた。

それで「これは『買い』だな」と思って、今日の留守番担当のボランティア のおばさんに10ユーロ渡したのだが、その時の状況からちょっと釣り銭を出し にくく、おばさんはうーっと一瞬悩んだ挙句、"Spenden Sie 20 cent? (20セントは寄付ということにしてくれませんか?)"ときた。教会はいつも Spend(寄付)を求めているので、この発言はそれほど突飛でもない。 まあ、世話になっている教会だし、快くspendenすることにした。

それから大聖堂教会と黒眼鏡、大通りと哲学者を偵察。 黒眼鏡は髭を綺麗に剃っていた。スーパーで買い物をしてからゲストハウスに戻り、 放り出してあったアイロンかけ作業を完了し、夕食を挟んでしばし帰国準備の続き。

今日のドイツの地震報道は、被災者の現状、ドイツでの寄付基金創設の動き、 赤十字などへの寄付の呼び掛け、ドイツ議会での黙祷の時間、新たに入手した 津波の瞬間の影響、IAEAの天野氏の来日、福島原発の状況と放水作業、 特に東京消防庁の特殊消防隊の投入などについて報道していた。 ニュース専門チャンネルN24は、地震以外の報道も多くなってきた。 深夜になってチェルノブイリ原発事故の特集をやっていて、「あーあ」と思ったが、 その次は広島、長崎に落とした原爆開発の特集になって、どういう神経してるんや? と。ドイツ議会での黙祷っていうのは「ああ、心配してくれてるんだ」と、 ちょっと嬉しいけど、ドイツ以外の国はどうなんだろう。

N24のキャスターに限らず、Das Erste やZDFのアナウンサーも "Super-Gau verzuhindern"(チェルノブイリ級の巨大原発事故 を食い止めるために)という言葉を頻繁に使っている。変だなあと思って ドイツ版Wikipediaを見ると、Super-GauとGauの違いが色々書いてあったが、 両者をどの辺で線引きするかはよくわからず。

Gauは「ガオ」と発音する(Super-Gauは「ズーパー・ガオ」。スーパーではなく「ズ」ーパー、「せんだい」ではなく「『ぜ』んだい」と濁るところがドイツ語) のだが、変な言葉である。これはもしかして日本語 からきたものか?我々の世代よりも上のオジサン達は知っている。怪獣は「ガオー」 と吠えるものと相場が決まっていて、怪獣界に君臨する怪獣の王ゴジラは、 冷戦時代の核開発競争の中、水爆実験の影響で突然変異によって生まれたのである。 なるほど、だからGauはゴジラの鳴き声から生まれたドイツ語か、と。 ところが辞書にはGroester Anzunehmender Unfall(想定しうる最大級の事故)の 略だと書いてある。これは後知恵の語呂合わせじゃないかしら。それに、 福島原発のは「想定外」の事故だとか言ってるぞ。

ま、そんな言葉遊びみたいなことは、どうでもいいか。でも、東電職員や 自衛隊や東京消防庁や警視庁や色々な関係機関の人たちを総動員して、 あの手この手で必死に原発事故に対応している様子は、映画の中の ゴジラと苦戦する警察や自衛隊の姿と重なって見えなくもない。 子供心にも「こんなゴジラみたいなのが現れたら大変だなあ」と思ったものだが、 ゴジラと原発の違いはあるけれど、そういうのが現実になるとは思ってもみな かった。映画ではゴジラがなぜか突然暴れるのをやめて海に帰って行き、それ によって事態が収拾したんだっけ。それで「人間って無力なんだな」と思ったけれど、 福島原発事故との闘いはぜひ完全勝利を収めてもらいたいものだし、 彼らはきっと勝利してくれるだろうと信じている。

2011年3月17日(木)
<<彼らは皆グル?>>
今日も昨日と同じく最高気温が10度を切る一日。テレビのニュースでは、 ドイツの連邦議会で原子力政策の議論の中継が放送されたり、 他の国での津波被害のドキュメントを流したり、リビアのガタフィーが どうのと報じたりして、その合間に日本の報道機関などから入ってきた 被災地の現状の絵が流れたり、福島原発のニュースが入ったりといった感じ。 重点は連邦議会の議論に移っているようで、メルケル首相が古い原発を 3カ月停止して安全性を点検すると打ち出したのに対し、野党などが 3カ月停止とか中途半端なことを言ってないで、廃止の方向でちゃんと 法制化すべきだと迫り、それに対して首相は、代替エネルギーの問題や 原発を沢山かかえるEUの他の国との協調連携も考えずに、ドイツだけ単純 に廃止するわけにはいかないと反論していた(ように思えた)。

原発関連の報道に関しては、ある専門化が電話インタビューで「これはSuper-Gau (チェルノブイリ級の大事故)ではなく、Gauと呼ぶべき事故だ」と言っていて、 それはロシアの専門家なども早くから言っていることだが、ドイツのマスコミは Super-Gauという言葉を使うのをやめる気配はない。"Kampf gegen Super-Gau(チェルノブイリ級の原発大事故との戦い)"とか"Angst vor dem Super-Gau (チェルノブイリ級 大惨事への不安)"という字幕スーパーが頻繁に流れ、キャスターも頻繁に Super-Gauという言葉を口にしているし、福島の現場の最新映像の直後に チェルノブイリ原発の映像を流すなど、専門家の意見を無視して意図的に不安を 煽ろうとしているようにも見える。ただし、言葉の端々に"Super-Gau"を半ば意図的 に(?)交えてはいるが、得意の図解解説などは、ちゃんと(普通の)Gauの内容を 話してはいるが。いまだに津波が襲ってきた瞬間の映像を繰り返して流したりして るのも、これがセンセーショナリズムだと言えば、そうだろうなと思う。、

今朝は夢うつつに数学を考えながら目覚め、昨夜が遅かったけれど、早目に 起きてしまった。午前中と夜は、日本に送る荷物の一部をまとめたり、運送会社に 渡す伝票の下書きを作ったり。午後はメンザ、大学で日本への郵送手配、その後、 ネットで配信しているNKHテレビニュースなどを見てから、マリエン教会前広場で きのうのデッサンの続きを完成させる。

何か描き忘れている風景はないかしらと旧市街に繰り出したものの、気分が乗らず、 さきほど完成させたものと、おととい完成したデッサンのコピーをとり、マリエン教会で色塗り。16時の閉館時の5分前に作業が終わり、そのままスーパーに行ってすこし買い物をしてから、ゲストハウスに戻り、絵の仕上げ。これで23点目の水彩画となった。素描もそれとほぼ同じ数があるから、寺町通りの画廊で個展をぶちかますことだってできるな。「高山幸秀素描・水彩画展」とか。

夕食を挟んで夜は帰国準備を色々。

そういえば、最近は黒眼鏡や哲学者の調査報告をしてなかったが、調査活動事自体は 粛々と進められている。今日は大聖堂教会前で黒眼鏡と哲学者が長々と話をしていた。 そして、昨日だか一昨日だかは、大通りの哲学者がいつもの場所に椅子も荷物も全て 残したままで姿を消していたのだが、哲学者がいつも座っている降り畳椅子に、なんと!歩く物乞い男が座って留守番をしていた。そうか、彼らは全部グルだったのか。

2011年3月16日(水)
<<キャンペーン期間>>
朝、B先生にメールを出し、この1週間は地震と原発事故の情報収集で碌に数学をやってないので、今日のゼミは休みますと連絡。ついでに来週と再来週は帰国準備のために 休みます。半年間のセミナーに付き合ってもらって、有難うございますとも伝える。 メールを送った後で、「半年間のセミナー」は間違いとわかった。10月下旬から始まったので、5ヶ月が正しい。12月はゼロだったから4ヶ月。さらには私が出張でキャンセルしたり、B先生の都合で雑談だけか、あるいは20分程度の短時間で終わったりということもあったので、正味3カ月だったかな。まあいいや、そんなこと。 B先生は「アホは相手にしない」という数学者の本能に反する3カ月だったわけで、 その意味でも感謝の念は尽きない。日本から押しかけてきてアホの相手させて、 悪かったね、と。これは皮肉でも何でもなくて、言葉通りの意味で。

午前中はやはりテレビやネットのニュースを見て終わる。被災現場や被災者の現状 を伝える報道も少なくないが、やはり関心は原発のようである。とうとう福島原発で 大量の放射能が漏れだし、東京では通常の何十番もの放射能が検出された。この調子で酷くなれば放射性物質で汚染された雲がヨーロッパに到達するだろう。ということで、街ではガイガー検知器が売り切れになり、薬局でヨード錠剤を買い求める人が増えている。ルフトハンザは東京乗り入れの便を全てとりやめにし、日本から到着した便については放射能測定をしているが、現在のところは特に異常は認められない。結婚などで福島や東京に住んでいるドイツ人は危険な日本を脱出し、 次々とドイツに里帰りしている等等。

昼過ぎに大学にゆき、メンザで昼食をとり、研究室でコーヒーを飲み、日本に送る資料の郵送手続きをしたり。郵送手続きに事務に行くと、事務員のGさんが「貴方は日本の北の方から来られたのか?」と控えめな聞き方をするので、私は日本の西の方から来ているので家族も親族も皆無事だと答え、しばし地震被害関係の雑談。それをききつけたのか、B先生もやってきて「どうだ?」と。これで友人リストは4名になったか。

俺サマと友達になるのは簡単さ。今はキャンペーン期間特別割引で、 「貴方の家族や親族、知人は大丈夫?」と聞きさえすれば、入会金、年会費 等一切不要で友人登録ができます、と。

それでさらに地震関係の雑談。ここ数日テレビでドイツ語を沢山聞いているせいか、 ドイツ語が割合すらすらと出てきた。まあ、帰国間際になってドイツ語が話せるように なってもしょうがないんだけどね。それで、午前中に見た原発事故関係のテレビ報道の話もしたのだが、「ドイツのマスコミはセンセーショナリズムだからな」といった感じだった。

ドイツのマスコミがセンセーショナリズムというのは、確かにそうだと思うが、 NHKとJahoo Japanのニュースはちょっと淡々とし過ぎるかなという 印象がある。まあ、何せゲストハウスの無線LANは一日の半分以下しかまともに つながらないので、日本の報道はあまり詳しく見聞きはしてないが、福島原発は かなり酷い状態で、なおかつ日に日に少しずつ酷くなっている現状を、被災者の現状や 被災地の救出作業、東京の計画停電に伴う混乱の報道の合間にあまりに さらっと報道するので、ぼうっと聞いていると、別にどうってこともないように 思えてしまう。

ドイツの報道のように、チェルノブイリの再来か?!みたいなことをチラチラ交え たり、チェルノブイリの短期的および長期的被害を復習したりして危機感を煽るのもどうかと思うが、日本の報道のように、基準値の何十倍の放射能漏れを 「直ちに健康被害をもたらすものではない」とだけ繰り返すのもいかがなものかと 思う。本当に問題がないなら基準値は一体何なのだということになるし、 直ちに影響は出ないかも知れないが、長期的に影響が出るのが放射能の怖いところ で、そういうことに一切口をつぐんている所に、後々電力会社や監督官庁 などの責任を問われて因果関係を追及された時に、シラを切るための布石を 打ってるんじゃないかという疑いの余地を残してしまう。

「友人リスト」を4名に更新してから、街に出る。今日は小春日和の昨日とは うってかわって、真冬なみの寒さ。そとでスケッチはきついので、次に描く場所 だけでも決めておこうかと街を偵察。 しかし結局マリエン教会前広場から市庁舎を描こうということになり、少し描き始めた。今日中に仕上げてやろうと思ったが、あまりに寒いので中断。残りは明日に。

ガタガタ震えながらゲストハウスに戻り、しばし数学。ふと思うことがあって、 大学の図書館で調べもの。18時から大聖堂教会で、カトリックとプロテスタント 合同で、日本のために祈る集会が催されたのだが、すっかり忘れていていた。 忘れずに参加していたら、「友人リスト」は数十名以上に更新されてたかもしれないな。

20時前に帰って夕食。夜は少しだけ数学を考えたり、 テレビを見たり。