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た
め
の
邪
魔
な
広
告
よ け ス ペ ー ス で す。
2010年11月15日(月)
<<結構重宝している>>
掃除の日である。8時起床、速攻準備の後、9時出発。大学で
出張関係の事務的雑用を色々やって、昼食。メンザは11時
半に開店するようだが、その時間に行ってみると、学生の長蛇の列。
1つ上の階に図書室があるので、そこで30分ぐらい突撃インタビュー
の準備作業をして12時過ぎに行ってみたら、まだ
かなり長い列が残っていた。
今日は心なしか込んでいるような気がするけど、何かあったのかしら。
昼食の後、研究室で一息いれてから帰宅。明後日からパリに出張 する関係上、今日洗濯をしておかないといけない。洗濯機が占拠されて いたら厄介なので、早目に着手しようか、と。
洗濯をしながら、突撃インタビューの準備。夕方、アイロン掛けなどの 作業も終わり、旧市街のスーパーに買い出し。と、歩道のど真ん中に 犬の糞。この野郎、脇の植え込みなど土の部分があろうだろうに。 ドイツでは、そのために日本の数倍以上の広さの植え込みを作って あるのではなかったか。
スーパーから帰る途中、またも電撃的天啓。「突撃インタビューの 準備など要らない。先日書いた嘘論文の話をすればよいだけだ」と。 どうも最近の電撃的天啓は碌でもないものが多い。何もネタ仕込まずに 手ぶらで行ったら、どんなことになるやら。
私:「えーと、この嘘論文の研究の出発点となったのは、以下の事実で、、、」
偉い先生:「え?ちょっと待って?それ違うんじゃない?ほら、例えば、ナントカ 曲面のナントカ被覆を取るとナントカ曲面がつくれて、それのナントカ不変量は カントカだから、貴方の言ってるようなことが 起こるわけないでしょ!(と睨んでくる)」
私「(知らんがな、そんなん!いちいち睨むなよ)え?駄目っスか、、、 じゃあ、この話は全て嘘だったってことで、お後がよろしいようで。。。」
と、わざわざ出張して出掛けていっても5分で瞬殺されて帰ってくるとか。 あるいは、
私:「ということで、主結果は、これこれ、です」
偉い先生:「うーん。でも、それってよく知られている結果だと思うんですけど (と憐れむような視線を投げかけてくる)」
とか、あるいは、
私:「ということです(以上が私がこれまでに得た結果です)」
偉い先生:「それで?え?!それで終わりなんですか?」
私:「ええ、そうですが(なにか?)」
という展開になるに決まってるじゃないか。それから先どうするんだよ。 気まずいよ、これは。例えば、
偉い先生:「ところで京都ももう冬ですかね。」
私:「いや、日本は熱帯の国ですから、まだ皆さん半袖で街を 歩いてるかと思いますが。北海道とか北の方を除いて、日本で セーターを着るのは、年に1日か2日ぐらいですかね。」
偉い先生:「そうですか。暖かい国が羨ましいですね。 そろそろクリスマスのシーズンです けど、日本でクリスマスって、やるんですか?」
私:「ええ、京都ではカステラの中央をくりぬいて 餅にバナナクリームをたっぷりつけたものを入れたケーキが、 この季節に出回ります。何でもフランシスコ・ザビエル が伝えたレシピで、京都南山の頓智忌ぽんぽこ寺ってところの和尚が 毎年作ってるんですけど、 美味しいですよ。その後は正月で、ナマコシロップの季節ですね。 僕、ナマコシロップ作るの結構得意なんですよ」
偉い先生:「へえ、そんなのがあるんですか?!」
私:「ええ。(あるわけないじゃん!俺サマの論文と一緒で、ぜーんぶ嘘なのさ)」
みたいな平和友好的世間話モードになることは、私の半世紀以上におよぶ 人生経験を総動員して考えても、「あり得ない」。 世の中、そう面白おかしくは出来ていないのである。せいぜい
偉い先生:「じゃ、私は講義の準備等がありますので、これにて。 (もう二度と来るなよ、この馬鹿が)」
私:「はい。今日はどうもありがとうございました。失礼します! (あーあ、俺のことを馬鹿だと思ってる奴がまた一人増えたな)」
という展開になるのがオチである。
それにしても、何事にも自信満々、傲岸不遜でもって鳴るこの私が、 こと数学に関してだけは病的というか、極端に自信がないのは、 単に「数学的に育ちが悪い」ことだけが理由なのかしら。 なんか、年を追うごとに酷くなってきたような気がする。 日誌の自虐ネタに使えるから、結構重宝してはいるんだけどね。
2010年11月14日(日)
<<久々の電撃的天啓>>
午前中は突撃インタビューの準備。昼過ぎに近くのレストランで
昼食。できるだけ色々なレストランを探訪したいので、
今日入ったのも、前から目はつけていたけど、初めてのレストラン。
ジャガイモ料理の店だった。よくわからずに選んだメニューは、
イタリア風の料理らしく、もうちょっとドイツ伝統の味!みたいな
のを探すべきだったかなと思ったが、塩辛過ぎることもなく、
結構美味しかった。
それから雨の中、中央駅まで足を延ばし、カフェのトイレを偵察。 先週は旧市街の臨時日曜営業の影響で客足が鈍ったせいか、 トイレが平日同様に有料設定されていたが、今日はどうか。 行ってみたら、店はいつもの日曜と同じく大繁盛しており、 トイレも無料設定になっていた。ここでコーヒーを飲みながら、 突撃インタビューの準備を少し。帰り際にシュトーレン(Stollen)を買う。 このカフェはパン屋がやってる店で、ドイツのクリスマスには欠かせない シュトーレンも売っているのだ。
中央駅を後にして、またも旧市街を色々偵察しながらゲストハウスに戻り、 少ししてから市庁舎横のマリエン教会のコンサートに出掛ける。 ここのパイプオルガンは前から一度聴いてみたいと思ってて、今日は シューマン夫妻が書いたオルガン曲が演奏されるというので、 結構楽しみにしていたのだ。
まあ、確かにパイプオルガンが聴けて良かったのだが、実際始まって みたら普通のコンサートではないことがすぐに分かった。音大の某教授と 音楽ライターみたいなことをやっている奥さんが、あちこちで企画 している「文学的コンサート」というもの。
1曲演奏が終わるたびに、演奏家の人生を題材にした戯曲だか、 詩だか、つぶやきだか、何だか知れないものを、この二人が朗読 するという趣向。音楽は、この朗読文の文学的価値(の不足)を補完する ための飾りとして使われている。
教会の高い天井から降り注ぐように響き渡るパイプオルガン に聴き入り、嗚呼、この高飛車な音って、、、好き!楽に死ねるものなら、 この荘厳な音楽を聴きながらそのままイってしまうのもいいかも?と余韻 に浸る間もなく、この二人が演壇に現れる。そして、 この音楽にはあまりにも似つかわしくない野太いオジサン のだみ声と、ドイツ連邦議会で演説する女性議員みたいな声が、 全てを台無しにしてしまうのである。
こういうことが1時間15分ぐらいの間に10回ほど繰り返される ので、最後はもう諦めモードになって 「パイプオルガンの音が少しでも聴ければ恩の字。 あとはドイツ語のヒアリングの練習!」と割り切るしかない。 入場料8ユーロ。「金返せ!」とまでは言わないけど、音楽を楽しむ というのには程遠いコンサートであった。
コンサートの帰り道に、例によって碌でもない電撃的天啓を得る。 数学者社会では1、2回数学的に頓珍漢なことを言うと、 もうまともには相手にされなくなる、みたいなところがある。 一方、私には、相手が誰であれ「こういう事を言い出すようなつまらない人間 はまともに相手をしたくない」という地雷が少数ではあるがいくつかある。 別に怒り狂ったり噛みついたりはしないけど、その人に興味が無くなって 私の眼中から完全に 消えてしまうか、ほとんどその辺の電信柱におしっこしている 犬と同じにしか見えなくなることは確かである。
では、この数学者の機嫌を損ねると私としては色々仕事がやりにくく なるなという人が私の地雷を踏み、私がその人の前でうっかり数学的な嘘を 1、2回ついてしまったらどうなるか?まあ、相打ちということだけど、 私としては自分が軽蔑している人間に軽蔑されるのは我慢ならない。 この野郎、いちいち逆らわずに、おとなしく俺に軽蔑されて頭を垂れてろ、と。
数学者と付き合う際の憂鬱さとは、1,2回ボケかました だけで相手の態度が変わるようじゃあ、怖くてやってられんなという のが一つ。それから上記のような相打ち状況が起こったら、これまた 厄介だなというのもある。数学者との付き合いが苦痛なのは、そういう ことではないかと、ふと気付いたわけである。 (ああ、突撃インタビュー、、、どうしようかしら)
2010年11月13日(土)
<<上出来>>
午前中はゲストハウスで某偉い先生突撃インタビューの準備。
昼過ぎに旧市街に偵察飛行に出る。まずは最近人気の軽食店
アーケード街みたいなところで昼食。今はケール(Gruenkohl)の
季節なんだそうで、ケールを焼いてくたくたにしたものが
皿の中で暗緑色の山をなしているてっぺんにソーセージがどんと
乗っかり、付け合わせに輪切り炒めジャガイモが脇を固めていた。
まあ、悪くないけど、ドイツの料理は何でも塩辛いのが玉に傷である。
口に残っている塩気を払うために近くのカフェに入り、 ケーキセットで一息入れて突撃インタビューの準備を少し。 皆さん、寒いのにコートを着て膝掛けなどをしながらも外の席を選びたがる。 しかし屋内の部屋にも沢山人が入っているから、喫煙者が外に追い出されている という面もあるのかもしれない。
私も真似して外の席。やはり寒くなってきたので、適当に退散。 それから本屋で来年の手帳とパリの観光案内書を買う。手帳はさきの9 月下旬から使えるようになっている。猫をモチーフにしたもので、 表紙にドイツ的(?)な猫のレリーフをあしらい(どうせなら ハローキティーにして欲しかったが)、各ページに猫に関する格言が 書いてある。来週のページを見ると
"Der Mensch haelt sich fuer klug, aber Katzen sind unendlich viel klueger -- und sie wissen das.(人間は自分達 のことを賢いと思っているが、猫は人間よりも無限に賢い -- そして彼ら はそのことを知っている)"
とある。つまらん事を書いてる。キティちゃんは別として、生猫は アホに決まってるではないか。あんなに無表情なのは、きっと何も考えてない アホだからさ。でも、ドイツ語でちゃんと書かれている手帳は 日本ではなかなか手に入らないから、よしとしよう。
それから旧市街のこれまで入ったことのなかった店を偵察した後、 大聖堂の中の蝋燭の火が沢山灯っているところが明るく暖かいので、 またすこし突撃インタビューの準備。 ゲストハウスに戻ろうとしたところで、絵画のギャラリーの前を 通ったら、素晴らしい抽象画の展示をしていた。オスナブリュック生まれの 私より10歳ぐらい若い女性が描いた絵。いいなあ、と。全然買う積りがないのに 中に入ると色々面倒なので、外からそっと眺めるだけにする。
ああ、俺は今、人生を浪費してるんじゃないだろうか。同業者たちに 足を引っ張られたり、こづき回されたりしながらの数学者稼業には適当なところ で区切りをつけて、絵描きに戻るべきかもしれない。と、しみじみと思いながら 帰宅。
大学卒業後、生活のために計算機屋や可換環論屋をやってきたけど、最近に なってようやく、学生時代に一番やりたかった代数幾何学に転向できた。 まあ、私としてはこの段階でもう満足なのである。「俺サマにしては上出来 じゃないか、全く悪運の強い野郎だぜ」と。 その先に進むことができればそれに越したことはないし、 それが楽しければおおいにやりたいものだ。
しかし、学生時代よりも前の子供の頃は絵描きになりたかったわけで、 それをまだやってないな、と。死ぬまでにやり残したことはやっておかないと。 数学もやってて楽しければ、絵描きはもういいやってことにもなるのだけど、 そうでもないんだよね。つまり、数学は楽しいのだけど、数学者と付き合わ なければならないのが苦痛だ。
学生の頃までは、数学は山に籠って一人で黙々とやってられる学問かと 思っていたが、研究の最前線のところではむしろ逆である。 今は座敷童路線でかろうじて均衡を保っているけど、苦痛の方が大きくなった 時が数学をやめる潮時かなと思っている。その前に宝クジでも一発当てて、 生活の目処も立てなくっちゃいけないな。
夜は夕食を挟んで、少しだけ突撃インタビューの準備をしたり、 新しく買った手帳にスケジュールを書き込んだり、パリ出張の 下調べをしたり。
2010年11月12日(金)
<< Schadenfreude >>
そういえば、ずっと前の金曜日の朝に変なテレビ番組を見つけて、あれは
一体何だったのか調査しようと思ってずっと忘れていた。
今日やっと見つけました。Sat.1 というテレビ局の
"Zwei bei Kallwass"という番組。テレビガイドには
Die Partnerberatung mit Angelika Kallwass.
とあって、アンゲリカ・カールヴァスという臨床心理学
か何かの人が、交遊関係の問題の相談に乗るという趣旨。
を見ると、金曜日に限らず放送していることがわかるし、 放送済みの番組もビデオで見ることができる。 私もあまりドイツ語がわからないので理解がいい加減だけど、 例えば11月10日の放送では、ボーイフレンドを寝取られた女の子 が相手の女の子と言い争いをしてたかと思うと、 寝取ったとされる方の子の母親が「何があったの?」とスタジオに出てきて、 そのうち父親が「どうした、どうした?」と出てきて、母親と娘の話をしてたかと 思うと、母親の昔の浮気話が飛び出して父親がスタジオで 怒り狂うという無茶苦茶な展開。これはあまりにもうまく 出来過ぎてるという気がしないでもない。
今日の放送 (テレビでは見逃したが)は、高校の友人が、妊娠してた はずなのに、最近お腹が小さくなってから赤ちゃんがどうなったか 全然わからない。あの赤ちゃんはどうしたの?全く行方が 知れないし、どうなったか私に秘密なんて変じゃない?もう貴方は 私の親友じゃないわ!みたいにクラスメートがスタジオで 叫んでいたかと思うと、妊娠してた女の子の母親というのが 出てきて、あなた一体どうしたの?などと聞いている。 そのうち、ホモの男二人が赤ちゃんを連れて現れ、どうやら 女の子は自分の産んだ子供を若いホモのカップルにあげてしまった らしい。
で、番組の最初に、スタジオに出てきた「本人」たちによる 再現ビデオが流れるのには驚いた。自宅で産気づき、台所にへ たりこんでしまうシーンや、小さくなったお腹で高校に登校して、 (元)親友に「赤ちゃんはどうなったの?」と聞かれているシーンな どの収録に応じた彼らが、スタジオでキンキン声を張り上げて大げん かするのである。
ところで、後ろに座っている一般観客とおぼしき人たちは、 以前見たときはおじさん、おばさんばかりだったと思うけど、今日見たら スタジオでキンキン声で叫んでいる若い男女と同世代の 人たちばかりだった。この人たちの深刻な表情もまた、何だか 変な感じがする。
実話を装ったショウのためのお芝居にしては手が込んでいて、 何でここまでやるの?と、ドイツ人の心の闇を垣間見る思いがするし、 実話をテレビで生中継しているとしては、どうも変に思えることが テンコ盛りである。
この番組に引き続き、Richterin Barbara Salesch (裁判官バーバラ・ ザレッシュ)とRichter Alexander Hold(裁判官 アレクサンドル・ホールト)といういずれも1時間番組が続く。 これは裁判官を主人公としたドラマではなく、裁判ショウである! ドイツの裁判官は日本と違ってテレビに出たり、酒場で政治談議をしたり するそうだから、バーバラ何某とかアレクサンドル何某も本物の 法曹関係者かもしれない。しかし今日たまたまバーバラ・ザレッシュの 方をちょっと見たのだが、やはり若い男女の痴話喧嘩を裁判形式で 裁くみたいな番組で、やはり当事者たちがキンキン声でののしり 会ったりする場面がテンコ盛りで、流石にアホらしくなって見なかった。
ドイツ語に"Schadenfreude"(他人の不幸を喜ぶ気持ち)という単語がちゃんと あるぐらいだから(英語、フランス語ではそれを一語で表す単語は見当たらない)、 彼らは男女の痴話喧嘩で当事者が大声でののしり合ってぐちゃぐちゃになっていく 姿を、表面上は深刻な顔をしながら見物するのが大好きなのかもしれない。
「年来の懸案」が解決し、晴々とした気分で昼過ぎに大学へ。メンザで昼食。 その後、研究室や図書館で「ぜひとも会いに行くべきだ」と勧められた某数学者 の論文を眺めたり、関連事項を図書館で調べたり。
夕方すこし早目に大学を発ち、昨日のエッセン出張で 壊れてしまった折りたたみ傘を買うために、バスでNeumarktへ。 中国人とおぼしき(アジア系はぜーんぶ中国人ってことにしてしまう私 )若い男女が、中国語ではなくドイツ語でお喋りしていた。
NeumarktのKaufhofにはこれと思うものはなく、もしかしてと 思って、先日短期出張用の鞄を買った鞄屋さんに行ってみる。 ショウウインドウに折りたたみ傘のサンプルが飾って あったので、店に入ってたのだが、店内を見渡しても あまり置いてない。きょろきょろしていると 例によって店員が"Kann Ich helfen?" とか言って寄ってきたので、ワンタッチで開閉できる折りたたみ式 雨傘を探していると言ったら、「ではこの中からお選びください」と 近くの引き出しからごっそり出してきた。おお、こんな所に隠してたの かと、ちょっとびっくり。幸い、自分が持ってたのとほとんど同じ 格好のものが、日本で買った時と同じような値段で手に入った。
夜も少しだけ、某数学者突撃インタビューの準備。
2010年11月11日(木)
<<景気が良い>>
また、「あのシリーズ」の瞬間的復活である。今日の一枚は、
Burkhard Glaetznerというオーボエ奏者のJ.S.バッハ「オーボエ協奏曲集」。
エッセンのMayersche書店で、ふと目にとまり、何ですか?この、宮崎駿の
「耳をすませば」に出てくる地球屋の主人みたいな爺さんは?と思って、
何となく手にとって試聴し、ああ、最近オーボエって聴いてないなと、
何となく買ってしまう。ついでに
先週から目をつけていた、すっかりお婆ちゃんになったマルタ・アルゲリッチの
独創的なシューマンのCDも衝動買い。ええい、この際だから、
京都のJEUGIAさんで買い控えたシフのJ.S.バッハや、内田光子の
気持ちの悪いシェーンベルクも買っちまおうかとも思ったけど、「自棄を起こしたら
人生オシマイではないか」と天使が耳元でささやいたような気がして、
寸でのところで踏みとどまる。
今日は12時頃にオスナブリュック中央駅のレストランで「エンドウ豆煮込み ソーセージ入り Erbseneintopf mit Wursteinlage」で昼食の後、12時37分発 のICに乗ってエッセンへ。車中は代数幾何学の基礎的なことの勉強。
私はこないだまで可換環論屋だったから、層やスキームの一般論は一応 勉強しているけど、たとえば代数曲面の分類論などはすっ飛ばしている。 それで代数幾何学の連中の前でうっかり変な事を口走ってしまうと、「お前、 それは違うぞ!だって、、、、」とか言い出して、何とか曲面の何重被覆を とって、こうしてああすれば、なんとか曲面がつくれて、ほら、お前の言って ることが嘘だとわかるだろう?みたいな突っ込み方をしてくる。 「そんなん、知らんがな!(ワシが知らんことをゴチャゴチャ言うな!)」 と逆切れして見せて強硬突破するのだが、数学者相手にいつもこの手では済 まされない(だから数学者って、嫌いなんだよう!と吠えておく)。
さて、エッセンに着いたら雨が降っていて、グリロ劇場前のSbuxで1時間ほど 代数幾何学の勉強。2004年にエッセンに滞在した時、ここの店員が親しげ にドイツ語で話しかけてくるのだが、何を言ってるのかわからんので、 例によって「お前、何言うてんねん?」みたいな顔して睨みつけていたら、 何や俺の言うことが分かってないのか?中途半端なドイツ語しゃべりよるから、 てっきりドイツ語わかるんやと勘違いしたやんか。紛らわしいこと、すな! みたいな感じで逆切れしてきて、急に不機嫌な顔になった。
あれから6年。今日はどうかなと思ったら、店員たちは早口で何かごにょごに ょっと言ってきて聞き取れないので、"Wie bitte?"と聞き返すと、 ああ、こいつは外国人だからわかんねーんだ、みたいな感じで、 すぐに英語で言い直してくる。あのね、僕、ちゃんとWie bitte?ってドイツ語で 聞き返しましたよね。なのにその対応はどうよ?お宅ら、何か変なマニュアルで 条件反射してません?SbuxのMayersche店もそんな感じだったけど、 どうもドイツSbuxは店員の教育が悪くなったな。
お宅らの先輩はちゃんとドイツ語で通して逆切れまでしたんだよ。 お宅らも、下手なドイツ語訛りの英語で言い直す前に、ドイツ語でちゃんと 言ってみなよ!ほら、発声練習だ、お腹に力入れて口を大きく開いて、 「あ、い、う、え、えお、あお!」って言うてみい!と。
Sbuxを出て久しぶりにグリロ劇場に立ち寄ってみたが、以前は 玄関を入ったすぐのところに演劇関係の小さな書店があって、 結構いい雰囲気の所だったのだが、それが無くなっていた。
グリロ劇場のすぐ近くにケネディー広場がある。毎年ここで開かれる クリスマス市は、屋台が大体出来あがっているものの、まだ始っていなかった。 オスナブリュックのクリスマス市も、11月下旬に始まるらしい。
それからケネディー広場近くのMayersche書店に立ち寄り、上記のCDを衝動買い。 ここのトイレは先週に引き続き、課金装置が解除されていて、自由に入れる ようになっていた。やはり自らの悪事に気づき、悔い改めようとしているの か、あるいは単に機械の故障なのか、引き続き調査を続ける予定。
そういえばエッセン市役所前の商店街が再開発でずいぶん綺麗になってい て、大学の近辺も再開発の大きなプロジェクトが進行中。 エッセンはずいぶんと景気がいい。なんてったてWir sind Kulturestadt!僕は鰻で、 君はコーラだ!だからね。
しかし、ホコ天(Fussgaengerzone)の端の方に行ってみたら前とあまり 変わってなくて、以前は大きなカフェがあった所が潰れて空家になっていた。 ついでに色々偵察してみたいところはあったけど、何せ風雨が強いので、 とにかくエッセン大学に急ぐことにした。その途中、京都で手に入らないから 東京出張の折に吉祥寺のロフトで買ってきたワンタッチ折りたたみ傘が マツタケになり、あれれっ?!と思う間もなく、骨が折れてしまった。
今日のOberseminarの講演は正標数の代数的基本群の話。なかなか面白かった。
帰りは久しぶりに大学近くのBerlinerplatz駅からU-Bahnに乗って
エッセン中央駅まで行った。U-Bahnだとたった5,6分の距離だけど、
風雨が強くてとても歩ける状態ではなかったし。再びICに乗って
20時半頃にオスナブリュックに戻ったが、雨はやはり強く、
しかしながら風はそれほどでもなかった。
2010年11月10日(水)
<<ふてぶてしい>>
反省が長続きしないのが、ふてぶてしいオジサンの習性である。
てやんでい!と人生に逆ギレして午前中から出勤。
11時から1時間程度B先生と「数学の話」。その後メンザで昼食。 そうこうしているうちに、 14時15分から1時間ほど、解析学の大学院セミナーでグラスマン多様体の 講演があるとの情報を入手。今回のドイツ滞在の最大の目標をグラスマン 多様体の理解に設定している(嘘!)私としては、行かないわけにはいかない。 代数幾何学が得意な関数解析の大学院生が、解析プロパーの学生にもわか るようにと懇切丁寧な解説。何と有難いことよ。Pluecker座標の意味が初 めてわかっ
その後しばし研究室で某数学者の論文を眺める。昨日の講演の後で、 この方面の事ならドイツの某大学の誰それがエキスパートだから、ぜひ 彼と会って話してみることを勧める、というコメントを貰った。 それでその人の論文を眺めて下調べでもしようかと思っているのだが、 知らない数学者と話すのは億劫である。何年来の顔見知りの数学者と 話すのも億劫なのに。
いや、私はオジサンだから、それなりにふてぶてしく出来ていて、 初対面の人と話すのは平気。というか、初対面の人の方が話しやす かったりするのだけど、数学者は例外。手の内が分かっているというか、 連中が裏でどんな陰険なことを考えるかよく知ってるだけに、 「あーっ、そんなこと考える人って、イヤ!」みたいになってしまい、 最後には「どうせ、俺の事バカだと思ってんだろう」とイジケてしまう。 育ちの悪い人間の陥る典型的なパーターンである。
そういうわけで、数学が好きで、数学者の端くれになれたことは 何よりも幸せだと思っているけど、数学者と一緒にいる 時が一番不幸な気分である。 まあ、別に相手が悪いという話ではなく、私個人の数学者社会に対する 適応性の問題。仕事だからしょうがないと思って、一応割り切っては いるけどね。
17時15分より、数学コロキウム。今日は確率偏微分方程式 のエルゴード理論の話。とても丁寧な講演だったけど、やはり 専門外だからさっぱり分からない。苦し紛れに「それは数理 ファイナンスに関係あるのか?」と質問したら、確かにこの方面に貢献して いる数学者の何人かは数理ファイナンスでも活躍しているので、そういう 質問が出てくるのは理解できるが(いえ、私は単に思いつきで質問しただけで す)、今の話は数理ファイナンスとは問題の設定が違うとの答だった。 設定は違っていても、広い意味で根っこは同じってところが面白い。
コロキウムの後すぐに大学を発ち、スーパーで買い物をしてから帰宅。 夜は人生に逆キレしたまま、飲んだくれつつ、洗濯。明日はエッセン大学の Oberseminarの日だから、気晴らしにちょうど良い。
2010年11月9日(火)
<<間違い>>
午前中はゲストハウスで少し数学。まあ、代数幾何学なんて、いくら
勉強しても「俺、こんな基礎的なことをまだ分かってなかった」みたいな
ことがぼろぼろ出てくる。一応、自信のないところは避けるようにして、
数学的に嘘をつかないように細心の注意を払ってはいるのだけど。
要するに、まだプロになり切ってないってわけ。
昼過ぎにゲストハウスを出て、GEZの問合せ書類の回答書の郵送すべ く、旧市街の郵便局へ。封筒には「切手を張ってください」とあり、 住所のことで変な勘違いをされた上に切手代まで払わされるのかと思ってたら、 「回答書だから無料です」と。よかった。
ということで、そのまま大学へ。メンザで昼食をとる以外、 夕方のObersemnarまで特にすることはないので、かなり遠回りして まだ行ったことの道を通っていく。
研究室では引き続き、代数幾何学の基本事項の勉強。16時15分から Oberseminarで講演。嗚呼、何でプロでもない私が、エラそうに カラビ・ヤオ多様体論のサーベイしなくちゃならないの? 大学のWebサイトにも講演のアブストラクトが出てしまったりして、 もう後には引けないって感じだけど、これは何かの間違いにちがいない。 しかし自分でやらかした間違いだからしょうがない。
一応予定時刻の17時15分きっかりに終了。質疑応答も無難に すませたが、やっつけ仕事のサーベイのボロが出て、細かい所で嘘を 喋ってたことをB先生から指摘される。
帰宅後は、数学に限らず、これまでの人生を振り返って色々反省。 私の悪しき生き様はすべてこの日誌に記述されている。私は沢山の 間違いを犯してきた。過去の日誌を 読み返し、わが身を恥じ入りつつ色々手を加える。歴史を書き換えても、 真実は変わらないのだけどね。
2010年11月8日(月)
<<招待状>>
掃除の日。8時起床、速攻準備、9時にゲストハウスを出る。今日は寒い。
最高気温が6度ぐらいらしい。ビールの空き缶や水が入っていたペットボトル
をエコバック一杯に詰めてスーパーへ。ところが空き缶やペットボトルを
回収するLeergutマシンが壊れていて使えず。しょうがないので店を出て、
次はワインなどのガラス瓶の回収トナーが置いてある通りへ。
緑色の瓶のトナーは一杯で溢れていて、私の
ワインの瓶もトナーの外に置いてきた。大学はトナーの少し先にある。
午前中は研究室で科研費関係の事務的な雑用を片付けて、12時に メンザで昼食。午後は図書館で調べもの。ドイツも日本も学部生は 似たようなもので、図書室の中でぼそぼそお喋りをして五月蠅くて しょうがない。途中で癇癪を起して研究室に戻るも、やはり調べものが 残っている。Ritsでもそうだが、上の階の雑誌のバックナンバーが置 いてあるところに行くと、大学院生みたいなのしかいないので、さすがに 静かじゃないだろうかと思い、再び気を取り直して行ってみると、 その通りだった。
調べものから帰ると、秘書の人が郵便物を渡してくれて、さらにクリスマス パーティー参加アンケートを書けという。クリスマスパーティだと?! 関西日仏学館の講師の言うことを信じれば、フランスでは職場のパーティーなど 「言語道断、考えられない!」のだそうだ。しかしドイツではやるみたいやね。
パーティーって退屈だから嫌いだけど、これは珍しいから調査活動の 一環として参加しようではないか。「参加」のところにマル、じゃなくて、 西洋人だから×印ね。で、何?これ。レストランのメニューみたいなのが あって、料理を選べって?当日は込むから事前に料理も予約しないと対応 できないだって?日本だと幹事一人で全員同じ料理か、立食形式になるけど、 一人一人個別に料理の注文をとるところが、やっぱり西洋人やね。
予約を済ませて研究室に戻り、さきほど貰った手紙をみてみたら、 「オスナブリュックの学長とオスナブリュック市長が貴方と貴方の家族を レセプションに招待いたします。11月25日市庁舎平和の間にて。 11月15日までに返事されたし」と。学長と市長が一体私に何の用事 だろう?彼らはオジサンだったはずで、初対面のオジサン3人で 一体何をしようというのだ?気持ちのわるい。と、一瞬たじろぐ。
しかし、そういえばドイツに来てからオジサン嫌悪症がなりを潜めている。 これは、ドイツのオジサンが日本のオジサンよりも一般的に好ましい 性向を備えている、ということでは断じてないはずである。世界じゅう何処に 行ってもオジサンというものは必ずオジサンであり、煮ても焼いても食 えないから、串刺しにして鱶の餌にでもするしかないぐらい、 どうしようもない生き物である。しかし何故かドイツに来てからは、 「ああ、世の中、あっち見ても、こっち見ても、オジサンばっかし!」 と頭を抱えることが無くなったことも確かである。まるで転地療養やね。
それに、私一人を招待するほど彼らも暇ではなく、他の多くの客員研究員 を纏めて招待するのだろう。だとすれば大きな部屋の隅っこで黙って座敷童して られるし、30年戦争のウエストファりア条約が結ばれた平和の間なるものも ちょっと興味がある。きっと市長も平和条約に関するこの街の輝かしい歴史について、 誇らしく話すことであろう。何なら、平和条約とSteckenphardreiten(棒馬乗り祭) の関係をねちねち質問してやるのもいいな。「ウエストファリア条約と 子供の棒馬の関係を50字以内の平明なドイツ語で述べよ」とか。
ということで、参加の方向で検討する。
それにしても、社会行事は嫌いではないのだが、人と雑談をしない 私にとっては、ともすれば退屈な時間になることが問題である。人生は 退屈するにはあまりにも短過ぎるのである。そのため、料理とか珍しい 場所だとか、そこに来ている人間の素性とか、何か調査目的を決めて から参加することにしている。
帰宅時、旧市街のスーパーで買い物。そこのLeergutマシンは壊れて なかったので、デポジットの払い戻し手続きもついでにやってきた。
夜はまた少し数学。
2010年11月7日(日)
<<いまいましい経験>>
午前中は少しだけ数学。11時過ぎにゲストハウスを出て、
Rathaus(市役所)前のMarien教会へ。11時30分から13時までの間、
ここの塔に上ることができる。入り口で見張り番をしていた若い男に
1.5ユーロ払い、狭い螺旋階段を上っていくと、お仕置き部屋みたいな
空間があって、さらに上っていくと電気仕掛けで動く巨大Glocken(鐘)がある。
さらに上っていくと塔の屋根裏にたどりつく。石造りの教会も屋根の部分は
木造で梁の構造などがむき出しになっていて良くわかる。
10年前にケルンの大聖堂にも上ったことがあるが、同じように狭い螺旋 階段が地獄のようにいつまでも続くのには閉口した。Marien教会のはそれほど 長くは無かったが、それでも結構な段数があり、70歳ぐらいのオジサンが 途中で苦しくなったのか、息を弾ませて休んでいた。
薄暗い屋根裏の一部に外への出口があり、そこを出ると塔の先頭部分を ぐるりと囲む幅1メートル弱の狭い回廊になっている。 そこから街が一望できる。安野光雄のヨーロッパの風景画の世界。ああ、 彼はこういうのを見て描いていたのか、と。
回廊には一応しっかりとした手すりがついてはいるが、高所恐怖症気味の私には 十分怖い。高さからすれば、だいたい京都タワーよりも低いようだけど。 まあ、高い所は興味はあるんだけど、怖いことには違いなく、長居はせずに 塔を降り、礼拝堂をすこし偵察。間もなく12時に一時閉館というので追いだされる。
それから繁華街の方に出て、前から目をつけていた魚料理の店に入り、タラの フライで昼食。その後、中央駅のカフェでしばし数学。中央駅のトイレは70セント だが、中央駅にあるカフェのトイレは50セント。しかし利用客の多い日曜日 はカフェのトイレが無料になることを過去数週間の調査で突き止めている。 しかし今日は何故か有料になっていた。
夕方、旧市街の方に戻っていくと、通常の週末、つまり土曜日よりも 沢山の人で通りが賑わっていた。ドイツは労働者保護のための出店法というの があって、日曜日の店舗の営業は厳しく規制されている。しかしそれではEU の中で経済的にやってけないということで、最近は緩和の方向にあるようだ。 今日11月7日は、特別措置として13時から18時限定で街じゅうの店舗が 営業する旨のポスターがあちこちに掲示されていた。
まあ、ドイツ人も日曜日にぶらぶら街に出て行きたくてうずうずしてるの だろうけど、普段はレストランとカフェしか開いてないので、そういうところで 日曜日の午後をすごしているようだ。しかし店が開いてるとなると「じゃあ、 行ってみようか」となり、今日のようになるのであろう。
トイレが無料で使えるThalia書店も盛況で、それに乗じてトイレを有料に するという性格の悪いことをするかと思いきや、そうでもなく、ちゃんと無料 開放されていた。エッセンのMayersch書店は最近トイレを有料化して、 全く性格の悪い書店だなと思っていたが、先日行った時は何故か「無料で使えます」 と簡単な張り紙がしてあって、本当に無料で使えた。なるほど、ここも 悪事を反省して有料化を撤回するのかとも思えるが、詳細は今後の調査 を待たねばならない。彼らがそう簡単にトイレに関する「間違った考え方」を 改めるとは思えないからである。
そういえば、Rathaus前の市立図書館のトイレも「目的外使用が多い」 との理由で有料化されてたな。あちこちのトイレが皆有料で、しかも 入り口の機械が「20セント以外は受け付けない」だの「50セントしか 受け付けない」だのとまちまちの数字を挙げて融通の利かないことをして いる。中央駅カフェのトイレを使おうとしたら50セント硬貨が無く、 店で換えてもらおうとしたら「両替はいたしません!」と。この野郎、 何を言うか。「でも、私はあそこのトイレを使うんです」と言ったら ちゃんと両替してくれた。
こういうことをやっているせいか、その辺の隅っこで立ち小便をして いるオッちゃんをよく見掛ける。ああ、日本でも30年ぐらい前までは よくこういう光景を目にしたよなと、少し懐かしくなる。7〜80年前の 日本では、女性の立ち小便も普通にあったというが、 多くの女性が腰巻をつけ着物を着ていた時代の話である。 私は子供の頃、一度だけ見たことがある。農村部から出てきた高齢の 女性だったと思う。ドイツの女性はどうしてるんでしょうね。
人間はさておき、犬のトイレ事情はどうか。日本と違って、犬の散歩 に糞の処理道具を持ち歩く人など皆無である。ではどうしているかというと、 当然その辺でさせている。私有地を除き土の部分を全く無くしてしまった 日本と違って、こちらの住宅地では、街路樹のあたりの土の部分が広く取 ってある。今は落ち葉の季節で土の部分だろうが石畳の部分だろうが、 一面に落ち葉で覆われている。そして土部分の落ち葉の辺りは犬の糞だらけ と思ってよい。石畳の部分でも落ち葉が堆積している部分はかなり危険である。 まあ、あまり詳しくは書かないけど、私は偵察飛行の過程で何度か いまいましい経験をしているので、それを踏まえた調査報告である とだけ言っておこう。
さて、街をあげての日曜臨時営業の影響か、中央駅のカフェはいつもよりも 閑散としていて、トイレが有料になってたのも、その影響ではないかと勘ぐって いる。この問題は今後の調査によって検証していく必要があろうかと思う。
夕方ゲストハウスに戻り、しばし数学の後夕食。その後もすこし数学。
2010年11月6日(土)
<<GEZ>>
午前中は洗濯機が空くのを待ちながら、少し数学。
結局、洗濯が終わってもそのまま1時間以上放置しているようなので、
午前中の洗濯は断念し偵察飛行に出掛ける。
まずはまた新しいイタリア料理店を見つけて、パスタ定食。もうちょっとドイツ 料理っぽい店も開拓しないといけないな。それから、近くにまだ行ってなかった 教会があったので、中に潜入して偵察。その後、先週から目をつけてあった 鞄屋さんで、パリとベルリンとエディンバラ出張用の鞄を買い、中央駅のカフェ でしばし数学の後、帰宅。
帰宅したら、オペラ座のチケットが届いていた。ついでにケルンの 料金徴収センター Gebuereneinzugszentrale (GEZ) という所から変な手紙が届いていた。
パリのオペラ座のチケットをインターネットで購入しようとすると、 住所がうまく入力できない。最初に現住所のある国を選ぶのだが、 ドイツを選ぶと何故かそれ以下の細かい項目が入力不可になり、 結局住民登録してある住所よりも簡単な書き方をした住所 (「Luermann通り33、高山幸秀」みたいなの)をインターネットで 入力せざるを得なくなる。さすがにそれでは郵便は届かないだろうから、 後で何とか頑張ってやり直し、ゲストハウスの名前の一部 (文字数制限が厳しいため)と部屋番号だけ付け加えたが、 最初入力した住所が何故かGEZの知るところと なったようである。
GEZからの手紙によると、日本のNHKの受信料に相当するものを、 ドイツではかなり厳密に徴収しており、違反者には1000ユーロ以上 の罰金が科せられるそうだ。それで「貴方は、当局で把握していない住所 を使っておられるようだが、最近、どこかの有料ケーブルテレビと契約 したりしませんでしたか。もしそうなら11月25日までに同封の申請書 に記入の上、申請されたし。そうでない場合も、今後、無用の督促を防ぐ ためにも、同じ申請書にてその旨を知らせられたし」みたいな事が書いて ある。
これはどうも変な話で、何がどう疑われているのかよくわからない。 一応「私はテレビ受信機もラジオも何も持ってません」の項目があるの で、そこに印をつけて送り返す積りだが、これが10年前のドイツ関税局 やドイツテレコムとの血みどろの戦いの再来にならないことを祈るのみ。
洗濯機が空いていたので大急ぎで洗濯を済ませ、19時から専門大学の音楽科 で開かれるコンサートに出掛ける。今年はショパンとシューマンの生誕200年 の年だそうで、それを記念して前半はショパン、後半はシューマンのピアノ曲 ばかりを音楽科の学生や卒業生が演奏するという趣向。100名程度の聴衆が 押しかけ、コンサートは22時まで続いた。
2010年11月5日(金)
<<めっちゃヤバイ>>
天気予報によれば、今日と明日はわりと真面目に雨が降るそうである。
確かに今日は一日しょぼしょぼとよく降っていた。
午前中は旧市街のスーパーで買い物。ゲストハウスに戻って荷物を 置いてから大学のメンザへ。そのままゲストハウスに戻るのも面倒 なので、研究室で昨日に引き続き論文読み込み作業。夕方には大体 読みたい部分は読み終えて、帰宅。
帰りは暗いので、いつも遠回りして商店街を通るのだが、今日は少し近道 しようと思って住宅街を通ってみた。通りを一本間違えて、一瞬袋路に来て しまったかときょろきょろしてたら、小さな子供を車から下ろしたお母さんが、 「こっちの小道から抜けられますよ」と教えてくれた。何でもないようなこと だけど、日本ではまずあり得ないんじゃないかしら。日本人は、よほどのこと がない限り見知らぬ人に声を掛けるようなことはしないし、それは大変失礼な ことであり、場合によってはいきなり逆キレされて暴力事件に巻き込まれる のではないかと恐れている。しかしドイツ人は割合平気で知らない人に声を掛 けたり、一瞬世間話みたなことをしたりしている。どちらがいいかというと、 私はドイツの方が好きだな。今日もちゃんと道に迷わずに帰ってこれたしね。
そういえば、エッセン大学のOberseminarは、昨夜のうちに あと2回分の講演者が決まったようだ。どちらも外部の人ではなくエッセン大学 の院生かポスドクの人。どうも日本人が1、2名居るようだけど、 あそこに居たアジア系の人のなかの誰だかはわからない。
まあ、そんなことは実はどうでもいいのである。何故どうでもいいかとい うと、ドイツの居るときの私は、周りにいる日本人みたいな顔した人は全部 中国人だと思いたいからである(実際はコリアンやベトナム人も沢山いる)。 では何故そういう風に思いたいかというと、 たぶん心の底で「あーっ、周りに日本人が居なくて、サッパリしていいよなー」 と思ってるから。え?では、何故日本人がいなくてサッパリなの かって?知らんがな、そんなん。
実は先週の日曜日だったか、オスナブリュック中央駅に中国人の 若者数名が降り立ち、駅前からバスか何かに乗ろうとしていた。と、 「まあ、ようある光景やね」と思ってそばを通りすぎたら、 「ヤバイ!これ、めっちゃヤバイんちゃう?!」というフレーズが聞こえてきた。 嗚呼、日本人や。聞こえなかったことにして、忘れよ!と、足早にその場を去りながら、「何で俺、今、暗い気分になってるんやろ?」と深く深く自問していた。
夜は論文レビューの草稿を見直して、アメリカ数学会にメールで送信する (予定)。
2010年11月4日(木)
<<生オルロフ>>
朝、ふと気になることがあって、思い立ったが吉日とばかりに、
予定よりも早く起きて調べ物。それからしばし数学。レビュー
用の論文が面白く、私とってためになる事が色々書かれているので、
通常なら定理の証明などの詳細までは読まないのだけど、
今回はちゃんと読んでみようか、と。
そうこうしているうちにエッセンに出張する時間になる。 電車に乗る前に中央駅のレストランで昼食を取ってからと思ったが、 今日は込んでいて電車の出発までに料理が出てくる可能性は微妙と判断し、 サンドイッチを買ってホームで昼食。電車の中では、レビュー論文読み込み 特別プロジェクトの続き。
14時頃にエッセンに到着。先週、「僕はコーラです」とドイツ語で言う 大学院生の話を書いたけど、駅前のKaufhofに"Wir sind Kulturstadt."(我々は 文化都市です)と書かれた横断幕を発見し、ぶっ飛ぶ。凄い、、、凄すぎる。 「私は日本数学会です I am Mathematical Society of Japan」と豪語した 伝説の某数学者の話に匹敵するほど凄い。でもドイツ語ではごく普通にこう いう言い方をするのかもね。
Mayersche書店のSbuxで論文読みの後、CDコーナーを少し偵察。 先週、ここにはCDの試聴マシンが 無いと書いたけど、実はありました。それで内田光子がシェーンベルクの 気持ち悪い現代音楽を弾いているCDと、 すっかり「いいお婆ちゃん」になってしまったマルタ・アルゲリッチが シューマンの「子供の情景」を信じられない速さと 独創的な解釈で弾くCDを試聴し、「どうしようかなー」と迷った末にパス。
16時45分からのエッセン大学のOberseminarは導来圏についての話。 "I don't"とか "We don't"と言うところを、"I doesn't" とか"We doesn't" と言う変な英語を喋るこのロシアのオジサンはだあれ? と思ってたのだが、後で調べたら代数幾何学業界の導来圏ブームに火を点けた、 あのオルロフ大先生でした。図らずしも生オルロフを見てしまったな(と 興奮するミーハーな私)。
エッセン大学の皆さんも導来圏にはかなり入れ込んでおられるのか、 講演の後の質問が止まらない。「早う終わらんかいな」と電車の時間を気に しながらも、調査活動の一環として最後まで見届けねばと頑張った私は、 セミナー終了後脱兎のごとく教室を飛び出し、一路エッセン中央駅に向かった。
11月になればドイツはクリスマス市(Weihnachtsmarkt)がたつ。 特段買いたいものはないけど、賑やかな所が好きな私としては、 雰囲気を楽しむには良いところだ。エッセンでは、大学から中央駅へ向かう 途中にあるケネディー広場で催されるけど、今日はまだ準備作業中だった。 来週には本格的に始まってるだろうけど、エッセン大学のOberseminarは 来週以降の予定がまだ決まっていない。ここのクリスマス市が楽しめる か否かは、ひとえにOberseminarの予定にかかっているのである。
以前はセミナーの前のお茶の時間から姿を見せていたEsnault先生も、 夫君のViehweg先生が亡くなってからすっかり気落ちされたのか、あるい は単に他の用事で多忙なおか、今回もセミナーに姿を見せていない。 まあ、私としてはEsnault先生もViehweg先生も居ないエッセン大学の Oberseminarはちょっと寂しい。
エッセン中央駅に駆け込み、大急ぎで切符を買い、駅構内でまたも夕食用の サンドイッチを買ってホームに行ってみると、20分遅れだと。JR西日本でも そうだが、最初は「5分遅れ」の表示でも、数字がじりじり増えていくのが常で、 今日も結局30分遅れで発車し、オスナブリュック到着は40分近い遅れだった。 しかし、オスナブリュック中央駅からのバスの便が少ないので、結局先週と同じ バスに乗って21時過ぎに帰宅。
帰宅後にメールをチェックしたら、例のロンドンの研究集会のオーガナイザー から、応募者多数につき今回は採用を見送らせて頂きますとの連絡が届いていた。 まあ、遅ればせながらちゃんと連絡してきたから、許す。
2010年11月3日(水)
<<勘違い>>
今日はB先生が出張中であることを知らずに、ヤル気満々で
出勤。11時からの議論に備える。しかしどうも様子が変なので、秘書
の人に聞いてみたら、私が「11月初旬の出張」と聞いていたのを勝手
に12月初旬と勘違いしていたことが判明した。
それはよしとして、この満々のヤル気をどこに持っていけばよいのか。 そうだ、この機会にそろそろ督促が来そうなアメリカ数学会のレビューの 仕事を片付けてしまおうか、と。メンザでの昼食の後、作業に取り組み、 夕方までには レビューが書ける程度には読みこめた。ちょっと 早目に大学を発ち、スーパーで買い物をしてゲストハウスに帰る。
少し早目の夕食の後、専門大学の音楽科のコンサートに出掛ける。 音大の授業の一環として木管楽器系の複数クラス合同で開かれた コンサートで、私を含む数名の一般客以外は全て出演者の学生と その学友とおぼしき若者、そして指導した先生。結構面白かった。
21時過ぎに帰宅し、洗濯をしながら論文レビューの草稿を書き上げる。 明日はエッセンのOberseminarだが、来週以降の講演者がほとんど決まって いないらしい。前はそんな事は無かったと思うけど、どうなってるのかしら? 明日行ってみて偵察してこようと思う。
2010年11月2日(火)
<<音大を偵察>>
午前中Bプロジェクト。昼過ぎにゲストハウスを出て、
銀行でお金を下ろし、専門大学のキャンパスを偵察。明日の夜、
音楽科の木管楽器の学生の定例コンサートがあるとかで、その
場所を確認しておこうか、と。
結局、見当違いの工学科のキャンパスを偵察していて、午前中 の調査は失敗に終わったが、思わぬ発見もあった。工学科の キャンパスは、道路沿いに現代的な建物が建っていて、狭いところ だなと思ってたのだが、奥に入ると広大な土地に格調の高い古い 建物がいくつか建ってる素晴らしいキャンパスだと判明した。
専門大学から大学まではすぐ近く。まずはメンザで遅めの昼食。 そして研究室で夕方までBプロジェクト。16時15分から 大学院のセミナー。今日は代数トポロジーのある理論の話の2回目。 かなり狭く深い話題。
夕方17時半にもなると、外は真っ暗である。近道の公園は 人通りが少なくて不気味なので、少し遠回りして商店街の方を 回って帰る。その途中に昼に偵察した専門大学の工学科の他に、 音楽科の建物もある。「音楽科のコンサートだから当然音楽科の 建物だろう」とようやく(!)気付いて、そこに潜入。 普通の学校みたいなところで、どこにコンサートが開けるホール があるか見当がつかない。結局、建物の入り口の案内の人に聞いて やっとわかった。「そこの階段で2階に上がり、左に向かって ずっと進んで突き当たりの部屋です」と。行ってみると、病院の 外来みたいな廊下の奥に手術室みたいに固く扉が閉ざされた部屋 があって、それらしい。これじゃあ、やっぱり聞かないと分からない。 まあ、明日の晩が楽しみだ。
帰宅後、夜も少しBプロジェクトに関連したことなど をごぞごぞと。
2010年11月1日(月)
<<パリのオペラ>>
掃除の日。8時起床、速攻で朝食、後片付け、出掛ける準備を完了し、
9時にゲストハウスを出る。旧市街を突っ切ってオスナブリュック中央駅
へ。窓口で昨日見積もりをとったパリ行きの切符を購入。ついでに領収証も
貰った。
帰りは旧市街で色々買い物。書店で独仏辞典とフランス語動詞活用表の ドイツ語版を購入。これで仏独・独仏両方が揃った。それからスーパーで 買い物をして、文房具店でマーカーペンを購入。
ゲストハウスに戻り、パリのオペラの日程や空席状況をネットで調べてか ら出勤。まずは大学に向かう途中のスーパーで、ペットボトルやビールの空き缶、 空き瓶を回収装置に入れ、返金レシートを受け取る。スーパーを出てからしばらく 歩き、空き瓶回収トナーにワインの空き瓶を捨てる。大学に着いたらまっすぐメンザ。 昼食のあと研究室へ。
まずはRitsの出張手続きとして、中央駅で貰ってきた領収証をエアメール で送る手配をし、Ritsにいくつかメールを出す。それから図書館に行って グラスマン多様体を調べる。どうやら30年前の私が幾何学の演習でどんな 発表をしたのか、そしてその時「違う!違う!」と怒っていた担当の先生が どういう答を期待していたのかが、だいたい分かった。まあね。数学を理解する にはある種の精神的成熟が必要だが、あの頃の私にそういうことを期待して も無理だろうなと思う。
研究室に戻り、しばしBプロジェクトをやってから大学を発つ。 冬時間のせいなのか、17時半ごろでもう外は真っ暗である。 またもスーパーに立ち寄って、返金レシートを使って少し買い物。1ユーロ17 セントのところを2ユーロ12セント出して1ユーロ釣りをもらおうとしたので、 店員が「これでは12セントだからもう5セントないか」とか言いだした。 どういう訳か、私は12セントを17セントと思いこんでたので、 一体何が起こったのかとウロウロする。それで結局レシートを貰いそこなった。 ああ、今日の俺って、何だかトロい。こういうのって「許せない失敗」なんだよな、 と帰宅後もウジウジする。
夕食後はパリのバスチーユオペラ座のチケットをインターネットで 購入。無線LANの調子が悪く、少々手間取る。 まあ今回は短期の出張なので、そう色々見てまわれないけど、 オペラぐらい見てくるか、と。「画家マティス(Mathis)」。 あのマティス(Matisse)かと思ったらルネサンスの頃の画家らしい。 まあ、この画家にはあんまり興味がないけど、絵を見に行くわけでもないし、 よしとしよう。良い席は埋まっていて、110ユーロ、90ユーロ、75ユーロの 3種類の席だけが残っていたが、110ユーロと90ユーロの席は考えように よってはあまり変わらないので、1階の端っこか後ろの方の90ユーロの席にする。 オスナブリュックオペラの倍の値段。19時から始まって終わりは23時頃らしい。 まあ、ホテルがオペラハウスのすぐ近くだからいいようなものだけど。
その後、Bプロジェクトをすこし。