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よ け ス ペ ー ス で す。

2010年10月31日(日)
<<目算違い?>>
今日の未明に夏時間が終わり、「午前3時」が「午前2時」に読みかえられて 冬時間が始まったそうだ。 だから日本との時差は8時間で、日本の午前10時は ドイツの午前2時である。

午前中はゲストハウスでBプロジェクト。私の部屋は 共同洗濯場と同じフロアだが、上の階の住人が木造の階段をドタドタと 駆け下りてきて、洗濯場のドアをバッタァァァァンと閉めて、また階段を ドタドタと駆け上がっていく。どうも最近こういうことが多くなってきた。 このがさつさは中高生の男の子特有のもので、大人がこれをやるとなると 相当頭がおかしい奴に違いないと思っていたら、やはりそうだった。

階段をドタドタ降りてきたところを見計らって外に出てみると、 中高生ぐらいの女の子が洗濯場のドアのところに居て、こちらに 気付いてちょっと挨拶してきた。続いて高校生ぐらいの男の子 がドタドタと階段を下りてきて、洗濯場に入ろうとした。そこで すかさず「静かにしてください!(Ruhe, bitte!)」と一喝してやったら、 それからは静かに洗濯場を出入りするようになった。

こういうことは、大人でも子供でも、他人に何か言われるとすぐに 逆キレするしか能がない日本人にやっても無意味である。 西洋人の、しかも同じゲストハウスに居る大学関係の研究者の子弟だから こそ、注意することによって事態の好転が期待できるにちがいないと踏 んだのだ。でもまあ、目算違いで数日後にその男の子に刺されたりする かもしれないけどね。

ちなみに、共同洗濯場の常で、洗濯物を洗濯機の中にいつまでも 放置する人が居て、私は、1時間待ってもそのままだったら、 構わず傍に置いてある洗濯籠に取り出してやって、 自分の洗濯をするけれど、ドタバタの子たちは、「いつになったら 洗濯機が空くだろうか、空いたらすぐに順番を確保しなくっちゃ」と、 母親の代わりに様子を見に来てたようである。後で当事者同士が 洗濯場のところで話し合ってたので、この件は解決したようだ。

午後は例によって街に偵察飛行に出る。旧市街のイタリア料理店で パスタセットの昼食。イタリア料理店はドイツでも人気のようだ。 毎週水曜日のコロキウムの後の夕食会も、ほとんど主催者の先生行きつ けのイタリア料理店行脚の会みたいになってるし。

しかしドイツにイタリア料理が入ってきたのは、そんなに古くは ないようで、スパゲティーをハサミで切りながら、おっかなびっくりで 食べてるドイツ人の数十年前の映像などはちょくちょく目にする。 ちなみに、イタリアのパスタは腰が強いが、伝統的な(?)ドイツの パスタは口に入れるや否やブチブチに切れる。これは讃岐饂飩と京都 の饂飩の違いみたいなものだろうと理解している。

昼食の後は中央駅に行き、自販機でパリ行きの電車の便を調べ、 窓口で料金を問い合わせる。この切符は色々予約だの何だのと 条件が多く、自販機では買えずに案内だけ出てくる。明日にでも お金を下ろして切符を買おうかと思う。

2010年10月30日(土)
<<グラスマン多様体>>
そういえば、昨日の午前中は、例のスタジオで半狂乱になって暴れる 青少年たちをオジサンやオバサンたちが見物し、司会者が火に油を 注いで盛り上げるという変な番組を再調査するのを忘れていた。

本日午前中は洗濯とBプロジェクトをすこし。 関連する文献を見ていたら、ふと「グラスマン多様体」に目がとまり、 苦い思い出がぶり返す。

学生時代から グラスマン多様体が苦手で、その後30年近くグラスマンから逃げ回って いたのだが、とうとう捕まってしまったって感じ。幾何学の演習で、 グラスマン多様体の位相について発表したのだが、いくら説明しても 先生は「君はまだ位相を定義してない!」と言う。だって、俺、今、 説明したじゃん。この先生、何を言ってんの? 全くわけがわからんな、と。

しかし先生の「違う!違う!」は止まらず、最後は顔を真っ赤に して、「君は何度言えばわかるんですか?それでは位相を入れたことに ならないでしょ!?」と怒りだす始末(今なら、「お前、さっきから 『違う、違う』ってアホのひとつ憶えみたいに言うてるけど、 何がどう違うんかちゃんと言うてみい!」と逆キレして見せるけど)。

あの時私は何を言って、何が「違う」と言われていたのか詳しいこ とは覚えていない。今はどうか知らないけど、少なくとも当時 の京大の先生はアホの扱い方など知らないし、知ろうとも思わなかった ことは確かである。ただ「違う!違う!」と言って怒ってるだけで、 何がどう違うのかてんで見当がつかないアホの精神世界には、 何の進歩ももたらさないのである。そしてグラスマン多様体について、 この恐怖体験の後30年間何の進展のないまま、 まさかオスナブリュックで劇的再会 を果たすとは、嗚呼、なんて因果な話なんでしょう。

午後は街に偵察飛行に出る。Rathaus(市役所)前のカフェで Linseneintopf (レンズ豆の煮込み料理)の昼食。この料理は私の好物の ひとつで、中に入っているジャガイモがドロドロに溶けるまで 煮込んであるのが好き。しかし今日のはジャガイモがコロコロとして、 煮込みが足りず、ちょっと不満。

カフェを出て買い物に出ようとしたら、美しいハープの演奏が 聞こえて来て、何だろうと思ったら大道芸人がアイリッシュ・ハープを 弾いていた。CDも売ってるみたいなので、珍しそうに寄っていったら、 「CDは2種類あるけど、一方が伝統音楽中心で、もう一方は モダンな曲が入っている」という。どこかの音楽教室で教えてると言う だけあって確かに演奏はしっかりしている。CDの値段を聞いたら 「10ユーロだ」というし、これは買いだなと即断して伝統音楽の方 のCDを購入。

「街に出ると、何かあるな」とホクホクして偵察飛行を 続行。

それからNeumarktのKaufhofで靴下と洋服ブラシを買い、 パリ、ベルリン、エディンバラ出張用の適当な鞄はないかと物色。 こちらに来るときに持ってきた、河原町三条の鞄屋で買ったトランクは 巨大すぎるので、もうちょっと小さいのが欲しいな、と。 でもそういう鞄は京都に置いてきたんだよね。同じようなのを買うのも、どうだか。

Kaufhofでの買い物の途中、最上階の有料トイレへ。例のダンケショーンの 黒人が居たが、ちょっと雰囲気が変わっていた。前はもうちょっとあどけない 表情してたのに、どうしたのかしら。 これは要経過観察だな。

Kaufhofの帰りには、書店を偵察。Thomas Cookの時刻表は、Amazon で調べたらかなり表紙が変わってたので、もう一度調べよう、と。 しかしやっぱり無かった。Amazonで買おうか、どうしょうか。

書店の1つで仏独・独仏辞典付きのCASIOの電子辞書が売られていた ので、「おおっ、こういうのが欲しかったんだよう!」と思わず見本を手に 取っていじっていたら、店員が寄ってきて「何か特定の言語の辞書をお探 しですか?」と言ってきた。やっと来たか。昨日は何で寄って来なかったん だよう?!待ってたんだぜ。ま、いいか、と「いや、別に。でも、私は トーマス・クックの時刻表を捜してるんだけど、あそこの旅行関係のコーナ ーには無かんたんですよ」と言うと、「あ、それでしたらあそこの係の者が 対応します」と逃げて行った。しかし「あそこの係の者」はパソコンの端末 で捜してくれて、「ないですね」と。やっぱりね。「おおきに!」と例を言 って店を出る。

ところでLangenscheidt社は辞書を沢山出していて、 ゲーテではその独独辞典を使うことを強く勧められたし、 私は関西日仏学館でポケット版の独仏・仏独事典をよく使ってたし、 先日念願の仏独事典を買った。次は独仏辞典を買おうかと思っている。 このLangenscheidt社は、お堅い出版社とばかり思ってたが、 ポケット版の「犬語・人間語、人間語・犬語辞典」とか 「男言葉女言葉、女言葉男言葉辞典」とかも出している。 「猫語・人間語、人間語・猫語辞典」があれば買おうかと思ったが、 見つからなかった。

夕方、偵察飛行から無事帰還し、今日買ったCDなどを聴きながら 夜はBプロジェクトに取り組む。

2010年10月29日(金)
<<僕はコーラだ!>>
今日こそはパリ出張プロジェクトを立ち上げようと、朝から旧市街の 本屋を偵察してトーマス・クックの時刻表を探す。鉄道の便は インターネットでも検索できるのだが、どうも「ほんとかなあ」み たいな所があって、補助資料としてあれば便利か、と。

しかし2,3週間前にどこかの書店で見掛けた覚えがあるけど、 今日はどの書店にも見当たらず。まあ、ネットだけでなんとかしようと 諦める。

ドイツの書店の店員というのは、ちょっとウロウロしているとすぐに 「何かお探しですか?」と寄ってきて五月蠅い。昨日はエッセン大学の 中にある10畳間ぐらいの広さの小さな本屋に立ち寄ったのだが、 そこでも店員が「何かお探しですか?」と。アホ、こんな狭い店内、 いちいちアンタに聞かんでも、ぐるっと見回せば全部わかるわ、と。

しかし今日はどこの書店もクリスマス・シフトに向けて(?)の 並べかえ作業みたいなことをしていて、それで忙しいのか、店員の 近くでこれみよがしにウロウロしてやったのに、どこの書店でも声 を掛けられなかった。まさか「何かお探しですか?」は店員 が暇つぶしでやってたというわけでもないだろうけど。

偵察を切り上げて、スーパーで買い物をしてゲストハウスに戻り、 ネットで鉄道の便を調べたり、パリのホテルを調べて予約のメールを送 ったりしてからそ出勤。メンザに直行して、遅めの昼食で腹ごしらえを してから、研究室へ。パリの数学研究所のHPから関係するセミナーの 日程の情報を集めて申請書類をつくり、Ritsにメールで送る。その 合間にホテルの予約確認作業など。夕方近くにようやく終了。これで 科研費による出張の予定はほぼ埋まったと思う。

1月のロンドンのウインタースクールは、事務局の人から 「募集締め切りが9月15日から1ヶ月延長されて10月15日 になりましたから、10月末までには連絡するように主催者の先生 にお願いしてます」と返事があったが、その後なしのつぶてである。

それで、2、3日前にウインタースクールのサイトを見たら、 「もう定員一杯だからこれ以上は誰も受け付けません」と書かれていた が、どうも釈然としない。そもそも募集期間を1ヶ月延長しておいて、 挙句にこういうWebの掲示して何も言ってこないのは、アホの高山 を排除するために下手な芝居を打っているというのではないような 気もする。 まあ、こういうのから早目に手を引いて、ベルリンやパリの線を当たって おいたのは正解かもしれない。

出張計画のあれやこれやが一段落ついたので、夕方からB再開。夜もすこし継続。

ところで、「僕は鰻だ!」の言語学というのがあって、赤塚不二夫の 漫画に出てくるウナギイヌが「僕は鰻だ!」と言うのと、何人かで 食事に出掛けて、レストランで注文するときに、「僕は鰻だ!」というの では意味が違う。この違いをコンピュータにどう理解させるのかは言語処理 理論の難問だと、ずっと昔、まだ私が計算機屋だったころに同僚から 聞いたことがある。

こういう使い分けは日本語だけかと思ってたら、先日のコロキウムの 夕食会の終わりに、各自が何を食べたか店員に自己申告して清算するときに、 隣に座ってた大学院生が"Also, ich bin ein groses Cola und ..." (えーと、僕はコーラ(大)と、、、です)と言ってて、思わず 「お前、コーラなんか?人間とちごたんか?」と突っ込み入れたく なった(勿論、口には出さずにおとなしく座敷童してましたけど)。 ドイツ語でもそんな言い方するんやね。

2010年10月28日(木)
<<打算の人>>
午前中はのパリのJussieu研究所出張画策の一環として、色々ネットで 調査。昼頃にゲストハウスを出て、オスナブリュック中央駅12時37分の 電車に乗ってエッセンへ。1時間20分の電車の車中でBプロジェクト を進め、14時前に到着。16時45分からのエッセン大学で 開かれるOberseminarまでにはかなり時間があるが、まあ、エッセン大学も 久しぶりだし、思わぬところが劇的に変わっていて、セミナー会場にたどりつくのに 手間取るかも?ということで早目に来たわけだ。

先月来たばかりだけど、エッセンは懐かしい。書店のマエッシュに行ったら、 クラシック音楽のCDを沢山扱っていて、オスナブリュックの悲惨な状況よりは うんとましみたいなので、思わず「やったあ!」と叫んでしまった。 しかしよく見てみると、やはりCDの配置や品揃えでは京都のJEUGIAさんには 格段に劣るし、試聴マシンが無いのは致命的だ。 一応色めき立って色々漁ってみたけど、本日は収穫なし。 まあ、エッセンにはこれからもちょくちょく通うから慌てることもあるまい。 それでマエッシュのSbuxで一休みしてブレンナー・プロジェクトを進める。

マエッシュを出て15時半頃にエッセン大学に到着。 エッセン大学の近辺も、以前は中程度の大きさの商業ビルと小さな商店や 公共施設が集まっていたところが再開発され、京都駅南のイオンモールみたいな 巨大な商業施設になっていた。まあ、景気のいい話でご同慶の至りである。

エッセン大学は、外見はそれほど変わってないが、内装がずいぶん変わってい た。化学分野がずいぶんのしてきて、2004年頃には数学科の研究室だった ところが化学に占拠されていて、1,2年前に定年退職したHerzog先生や、 1月に亡くなったViehweg先生やその奥さんでもあるEsnault先生の 研究室は化学実験室に代わっていた。そしてEsnault先生の研究室やOberseminarの 部屋は1つ上の階に移動し、以前は京大の教授室ぐらいの広さがあった教員研究室 は、今や立命の教員研究室ぐらいの狭さに変わってしまったようだ。Oberseminarも、 以前はEsnault先生や(故)Viehweg先生も参加していたが、今日見た限りでは Esnault先生は居なかった。

Oberseminarの講演は、予想してた以上に面白くためになった。今日の講演で、 数論幾何学の人たちなどが、代数的基本群を重要視する理由が初めてわかった。 京大の代数幾何学のセミナーは20名程度だが、今日のセミナーには30名以上が 集まっていた。

懐かしいエッセンでためになる講演を聞いて、ほくほく気分で21時頃に ゲストハウスに戻る。帰宅後はまたパリ出張計画を練る。

ところで、コロキウムの後の講演者を囲んでの夕食会には、 人脈づくりの意味合いがあると思うし、特にひとつの分野でずうっと やっていく人にとってはそうなんだろうなと思う。 しかし前にも書いたけど、私は専門分野を転々と変わっているので、その 点はずいぶん冷めていて、「こいつは将来俺の仕事に役立ちそうだから仲良 くしておこう」式の打算は私にとってはほとんど無意味である。将来は別に 分野に移っているかも知れないしね。

それよりも、将来別の分野に変わっても、たまに顔を合わせた時に 「そう言えばお前、この業界から去って長いけど、その後元気にやってる か?」みたいな事を言って一緒に飯でも食べに行けるような人脈の方が大事 である。私の計算機屋時代の人脈はそんな感じだけど、数学業界でそんな 人脈は作れないと判断している。

それは何故かというと、計算機屋時代の人脈は、会社や研究所の大部屋で 「同じ釜の飯を食って」一緒にわいわいやってた仲間で、計算機屋という意味 では同業だけど、必ずしも専門が同じだったわけでもない。数学でそういう 人間関係が持てるのは、おそらく大学院生の頃が最後だろうと思うが、私は 大学院をスキップして(というか、大学院に入れなくて)、ずっと後になって いきなりこの業界に参入したから、既に目の前には「こいつは俺の研究の役に 立つか否か」という打算の大海原だけが広がっていたというわけである。 こういうのには、ほどほどに関わっておけばよろしいというのが、私の考え。

座敷童やってるのも、「こいつと今仲良くできても、『金の切れ目が縁の 切れ目』みたいな付き合いが限度かな」と思うと、無理して今日明日の仕事 以外の話をする気力が完全に失せるから、というのがあることは確か。 そういう意味では、私もある意味で打算の人ですな。

2010年10月27日(水)
<<どこも定員だらけ>>
本日、B先生と2回目の「数学の話」。少し予定が遅れて結局40分程度 だったが、実のある話ができた。 昼食は他の先生たちとも一緒にメンザ。 まあ、こういう時は彼らがドイツ語で話に夢中になっているから、 私は黙ってそれを聞いていればよろしい。とは言えっても、ほとんど何を言ってる のかわからないけど。

俺って、こんなにドイツ語わからなかったかなあと思うが、メンザのテーブル などに落ちている学生向き広告の紙切れや、雑誌の記事などは割合わかる。 たぶん以前よりもよく分かるようになっている。でも、やっぱり連中の話している ことはほとんど分からない。動物園で係員が小学生の集団を前に説明してるのを 聞いてもよくわからない。俺は小学生レベルのドイツ語もわからんのかと愕然と してしまう。

口語表現の壁もあるかもしれない。 Alles schon geklappt? とか言われても"geklapptって何や?"と聞き返さないと いけない。箱がパタンと開いてどうかしたのか?と。しかしこれは、 「全て厄介なことは片付いたか?」という意味らしい。 英語の時も、そういう日常的に使われる口語表現を覚えるのにかなり 時間がかかったような気がる。

午後は午前中の議論を復習して考えなおす。16時に大学を抜け出して スーパーで買い物をし、ゲストハウスに荷物を置いて再び17時すぎに 大学に戻る。今日は定例の数学コロキウムの日。コペンハーゲンから来た 若い優秀なトポロジストで、3次元多様体の写像類群の話をしていた。

コロキウムの後は、講演者を招いて定例夕食会。私は兎に角色々な レストランに連れていってもらえるのが嬉しいので、参加希望(!)と手 を挙げた。

夕食会から帰ったら、フランスの大学からメールが届いていた。 2月末にマルセイユに出張しようと画策していて、問合せのメールを 出したのだが、「定員一杯だからキャンセル待ち」とか。日本の研究集会 はオープンで、定員を設けるなんて話は聞いたことがないが、 ヨーロッパはどこの研究集会でも定員がどうのと言うからいけない。 まあ、日本と違って陸続きで沢山の国があるから、日本では50人集まるかな という集会でも、簡単に100名近くの希望者が押し寄せたりすることも 背景にあるかもしれないが。

まあ、2月のマルセイユなら参加希望者が殺到するだろうなと納得するこ とにして、次はパリの某研究所に短期出張を画策中。でも、明日はとりあえず、 エッセン大学のOberseminarに潜入する予定。

2010年10月26日(火)
<< 二つのOberseminar >>
午前中は旧市街に出て家賃の振り込みと日本へ郵便物の送付。家賃の振り込み の件では色々あって、結局今日はお金をおろして、貰ってきた振り込み用紙に 必要事項を記入しただけで終わる。明日か明後日じゅうには払ってしまおう。

その足でそのまま大学に出勤。まずはメンザで昼食の後、研究室 へ。11月末のベルリンの研究集会と、これから毎週木曜日に通うことにした エッセン大学でのOberseminarの科研費出張の手続き関係でごたごたしてから、 Bプロジェクトを少し。そうこうしているうちに、16時15分からの Oberseminarの時間になる。

Oberseminarの出席者は20名弱ぐらい。先週、今週、来週のOberseminarは 代数トポロジーの話で、それから3、4回代数幾何学の話が続き、その最初が 私の講演。その後の予定はあまり決まってないが、組合せ論的可換環論関係の話 になろうかと予想している。まあ、代数トポロジーの話も、ホモトピー論の マニアックな計算かと思いきや、割合代数幾何の人間でも聞ける話が多いし、 視野を広げるには良いセミナーだけど。最先端の話を突っ込んで扱うのは ちょっと厳しい。その辺は、代数幾何学・数論幾何学だけでポスドクや院生が 数十名も居て、テキスト 精読型ゼミが3、4本同時進行して、さらに単発の研究発表型のOberseminar が代数幾何学・数論幾何学だけで毎週開けるエッセン大学とは 状況が違うようだ。

それにしても、オスナブリュックを足場にして、ちょいちょいエッセンに通い、 CDを漁って、時々WEB日誌で「あの」シリーズを瞬間的復活させるなんて、 京都にいるときとやってることはあまり変わらない。

しかし細かく見れば、音楽CDをめぐる環境は JEUGIAさんがある京都の方がうんと良い。その一方「足場」については、 たとえ週に1時間だけでも「数学の話」ができる同業者と 一応代数と幾何に関係するOberseminarがあるオスナブリュックの方が環境が、 その両方とも無いRitsよりもうんと良い。さらに美しいドイツの街、会議や 講義の義務からの解放も勘案すれば、「あーッ、俺って、こんなに幸せでいい のかしら?」ってことになるな。

2010年10月25日(月)
<< Steckenpferdreiten >>
また「あの」シリーズの瞬間的復活である。先日の偵察飛行で存在を確認しながらも、 「燃料不足」(資金不足)のためにそのまま引き返さざるを得なかった、Ragna Schirmerのヘンデル・ピアノ曲集である。「俺はやっぱりAnne Queffelecのヘンデル の方が好きだな」とは言うまい。3枚組でQueffelecのCDの3倍曲が入っているし、 曲の解釈の好き嫌いよりも、まずは彼女のピアノの明晰な音を楽しもうではないか、と。

本日掃除の日。全ての準備をほぼ終えた9時過ぎ、係の人が部屋の扉をノックして 「掃除して良いか?」と入ってきた。こりゃあ急いで出なくてはいかんなという雰囲気 が分かったのか、「あ、別に出てもわらなくていいんですよ。大学に行かなければならないとか言うんでしたら、いいですけど。ってこと、知ってました?」と。 知らんがな、そんなこと。せやったらもっと早う言うてんか。過去数週間 の私の必死の月曜日は何やったんねん?

とはいうものの、今日はもう出掛ける準備が してあったので、後は彼女の任せてゲストハウスを出て、スーパーで買い物をして から出勤。

大学ではBプロジェクトに励む。 17時前に大学を出てゲストハウスに荷物を下ろし、すぐに街に出る。 今日はお金があるからRagne SchirmerのCDを買いに行こう、と。単にその ためだけに再び街に出るのも億劫な気もして、またの機会にしようかと 思ったが、今日の夕方は何かありそうな 気がしたので思い切って出掛けることにしたのである。

で、実際「何か」があった。ドイツを中心にヨーロッパじゅうが戦争に 明け暮れた30年戦争が1648年のウエストファリア条約によって終結し たことは世界史で習ったが、この条約はミュンスターとオスナブリュックで 締結されたそうだ。そのためオスナブリュックは「平和都市オスナブリュック」 を標榜しており、今日がその平和記念日のお祭り。

街じゅうの4年生以上の小学生が、紙で作った三角帽子と棒の先に馬 の頭をかたどった手作りの棒馬にまたがって街を練り歩き、最後は ウエストファリア条約が結ばれたという市役所前広場に集結して、 市長から甘いブレッツエルというパンを貰う習わしなのだそうだ。 ブレッツエルは普通塩辛いから、甘いブレッツエルはパン屋に 特別注文するようである。

私がNeumarktのSATURNでCDを買って帰ってくるまでの道中に、 「どこからこんなにようけの子供が湧いてくるんや?!」 とびっくりするぐらいおびただしい数の子供の行列がずうっと続いていて、 警察が警備に あたったり、もしもの場合に備えて派手な色の救急車(ドイツの救急車は白地に 派手なバーミリオンのごっつい装甲車みたいな車である)が止まっていたりと、 大変な騒ぎだった。この祭はOsnarburecker Steckenpferdreiten (オスナブリュック 棒馬騎手祭)と呼ばれる。

ではなぜ子供が棒馬に乗るのかというと、それがもひとつ よくわからない。市役所発行のパンフによれば、平和条約が結ばれた2年後に ニュルンベルクの子供たちが棒馬に乗って領主のもとを訪ねて記念品をもらったという 実話が形を変えて、オスナブリュックの子供たちが市庁舎を訪ねた 話になったそうだが、棒馬の子供たちは領主のところに何をしに行ったの? というところが不明である。子供が棒馬に乗ってその辺で遊んでられるほど 平和になったということか。

平和都市を標榜しているところは、オスナブリュックは 広島や長崎と似ているが、30年戦争というのは 京都の応仁の乱の少し後である。だから、今日のお祭りは 「こないだの戦争(応仁に乱)では京都じゅうがえらい目に会いましてな。 もう二度とあんなことになったらあかんということで、毎年平和を祈って ○○祭してますんや」みたいな話だ。「○○祭」に何が入るのか、京都人でない私には よくわからないけど。

2010年10月24日(日)
<<ミサに潜入>>
今日も午前中はゲストハウス。11月下旬のベルリン出張の件で Ritsにメールを出したりしてすごす。午後は例によって 街に偵察飛行。今日は普通のレストランで日曜メニュー の昼食でもと思っていたが、うまくレストランを探せずに 結局新しいドナーケバプの店を開拓して、そこで鶏肉のケバプ テラーの昼食。この店はフライドポテトの代わりにライスがつけられた が、何となくフライドポテトを選んでしまったことを後悔する。 ケバプテラーにライスが付くのは珍しいので、ぜひ調査すべきだったのに。

ああ、昨日から俺はどうかしてるけど、今日もまだ本調子 じゃないなと、店を出てからオスナブリュック大学本部を偵察。 ここは昔貴族の館だったのか、ヴェルサイユ宮殿ほどでもないも のの、それを彷彿とさせる立派な建物。1960年代前後に 何かの学校として使われ、1970年代にオスナブリュック大学 が開学したときに本部として使われるようになったようだ。 卵色の壁の美しい建物で、この大学の看板になっている。広い中庭 や、館の近くにある新しい建物を偵察。

それからNeumarktのカフェに入って、コーヒーとケーキで 一休み。Bプロジェクトを少し進める。

それにしても、ドイツの飲食店の支払いシステムは店によって まちまちで、よくわからない。カフェや伝統的なレストランだと、 各テーブルの係の人を呼んでその場で支払いをするが、やや 大き目のドナーケバプの店や、今日入ったカフェなどは、 日本と同じで、帰りにレジのところに立ち寄ってそこで支払いを するようだ。

一般的には他の客の様子を観察していればわかるのだが、 そう都合良くお手本を目撃できるとは限らない。 ケバプレストランがこの方式とは知らず、先週と 今日、支払い時の私の言動が店の人にとっては想定外のもの だったらしく、一瞬、は?みたいな反応をしていた。

カフェを出てから、大聖堂のあるカトリック教会に潜入。15時過ぎ に着いたのだが、今日は16時からミサがあるそうで、パイプオルガン の演奏も聞けそうだということで、しばらく待つ。 別にカトリック信者でも何でもないが、ミサがどんなものか 興味があるし、教会のパイプオルガンでバッハが聴けるとなれば、 日々是偵察飛行の私としては後には引けない。

ヨーロッパの街歩きはトイレの心配をしなければならず、色々見て 回りたければ一か所にとどまることは好ましくない。蝶のように舞い蜂の ように刺すぐらいの心掛けでなければならない。 しかし今日は隣の劇場でもオペラ(前に見た「蝶々夫人」らしいかった) をやっているため、日曜日なのに珍しく開館してて、無料でトイレも使えた。

ミサは数十人の参加者がいたが、大きな聖堂なのでかなり まばらな感じ。司祭がまず、キリストが盲目の男に奇跡を起こし目が 見えるようにした逸話を講話し、その後しばらく、我々は中央祭壇 の裏手にある小さな祭壇を自由に見てまわり、再び席にもどって 司祭の話を少し聞いて終わった。

この間、節目節目に数名規模の青年合唱隊の合唱があったり、 また小祭壇を自由に見て回る時間には、パイプオルガンの演奏も あった。パイプオルガンは中央祭壇の横にある小さなものが使われ、 中央祭壇の向かいにある大きなものは使われなかったのが、ちょっと残念。

小さな祭壇を自由に回って一体何をするのかというと、要するに 盲目の男に象徴される、まだ神の祝福に気付いていないわが身を 振り替えてみよというわけである。小祭壇を回る順路のあちこちに、 盲目の男の奇跡物語の絵図があって、「貴方は今、この物語の どこに居ると思いますか?」と問いかける言葉が掲示されていたり、 「自らを祝福する言葉をこのカードに自由に書いてみてください」 と紙切れとペンが置いてあったりした。異教徒の私としては、特に 感動はないが、そこでBGMとしてパイプオルガンが演奏されて いるところが雰囲気ものである。なるほど宗教的気分 を盛り上げるには、やっぱり音楽だな。

しかし、青年合唱隊はマイクを使ってたな。ちょっとエンヤ 的なメロディーでいい感じなんだけど(というか、エンヤが教会音楽 の影響を受けてるんだろうけど)、こんな音響の良いところで マイクとは勿体ないな。

帰宅後、昼のケバプとケーキセットであまり腹が減らず、 夕食は適当にしておいて、夜はBプロジェクトを少し進める。

2010年10月23日(土)
<<どうかしてた?>>
昨夜は、あれからエッセン大学のOberseminarのサイトがリニューアルされている のを発見し、メーリングリスト加入手続きをしたり、出張の予定を考えたりして 夜中までごそごそする。毎週火曜日がオスナブリュックのOberseminar, 水曜日がオスナブリュックのコロキウム、そして木曜日がエッセンのOberseminar である。まあ、毎週出るわけでもないけど。

今朝は9時前に起きて、洗濯などをしながら大学院の講義でまだ気になって いるところをEGAなどで調べたり、1時間でちゃんと話せるかどうか 予行演習をしてみたり。面白いもので、声に出して話してみると思わぬ 修正点が見つかったりする。たぶん黙って考えている時よりも、思考のむら 少ないからだろうと思う。

EGAはネットで自由に見ることができるので、 ついでにダウンロードしておく。色々な資料がPDFで小さなPCに全部入る ようになって、便利な世の中になったものだ。

午後は例によって街に出て、Galeria KaufhofのレストランDineaで昼食。 鳥の唐揚をいくつもとって、それとコーラ、パンだけで昼食をとっている オジサンがいた。フライドポテトだけの昼食をとる大学生に通じるものが あるような。同じものだけを沢山食べるというのは、ドイツ人の習性 なのかしら、などと一般化する積りはないけどね。

Dineaで腹ごしらえを済ませてから下の階に降りて、パジャマとセーター を物色。日本ではMサイズで良いのだが、ドイツでは一番小さいSサイズ になってしまうこともあって、デザインが気に入ってもサイズが合わないことが多 く、やや手間取る。途中有料トイレに寄ったら、例の 「ダンケショーン!」の黒人が居た。結局パジャマとセーターを2着ずつ買った。

それからSaturnに立ち寄ってCDを物色したが、先日ブラームスの掘り出しも のCDで知ったピアニストRagna SchirmerのヘンデルのCDが出ていた。 3枚組で40ユーロ(正確にはいかにもドイツらしい39.95ユーロみたいな 値段だったが)。Kaufhofで散財したので手が出せず。一応試聴だけしてみたが、 Anne Queffelecのヘンデルとは全然違う感じで、演奏家による解釈の違いがこんな に出るものかと、今更ながらちょっと驚いた。

Queffelecのヘンデルは私のお気に入りなのだが、3月にPCが壊れて新しい PCを買った時、iTuneに入れずにそのままドイツに来てしまった。何でQueffelec のヘンデルを持ってこなかったのかしらと悔やんでも、あとの祭である。

Saturn前広場では、新しいGelbeseiten (日本のタウンページに相当するもの?) の無料配布をしていた。その近くでカヌーを前にウエットスーツを着た若い女が "Gesucht, Freibad"という手書きのプラカードを持って立っていた。 何や?「誰かタダ風呂に入れてくれ」ってか?と思ったが、Freibadとは 屋外プールのことらしい。だとしてもやはり意味不明。あれは一体何だったんだろう。 ああ、もっとちゃんと調査すれば良かった。Gelbeseitenだって、あんな 街中で配布してるとは思わず、ネットのプロバイダーの無料お試しセット だろうと思って、荷物になるし無視したのだけど、あれもちゃんと調査 すべきだった。今日はどうかしてたなあ。

それからスーパーに立ち寄って食料品や安いワインを買って、ゲストハウスに 戻る。夜はBプロジェクトをすこしやろうかと思ったが、結局 講義の予行演習や原稿の修正などをしているうちに終わってしまう。

2010年10月22日(金)
<<お前ら、何見てんだよう!?>>
11月初旬の大学院の講義の内容で気になることがあり、それを考え て終日悶々とすごす。

午前中、ふと自宅のテレビをつけてみたら、変な番組をやっていた。 高校生か大学性ぐらいの若い男女が人間関係で色々揉めていて、それを 番組で解決、というよりも、司会者の巧妙な誘導で引っ掻き回して滅茶 苦茶になっていくさまを、一般参加者のおじさん、おばさんがじっと観察 するというもの。

やっぱりドイツ語が聞き取れないので、よくわからないのだが、 「君は僕を騙してたんだな!?」「それは違うわ。私はただ××を××して ××××しただけよ」「そんな戯言はもうたくさんだ!」と男の子が スタジオを飛び出してったかと思うと、控え室に行ってまた別の男女と 言い合いになって、彼らがまたスタジオにやってきて「お前は○○で ○○○じゃないか」「おい、ちょっと待てよ、○○ってどういうこと だよ!説明しろよ」「待て、今、お前じゃなくて△△と話してるんだ」 という調子で、男の子の怒号と女の子のキンキン声が響き渡っている。

どうやら揉め事の中心らしい女の子に対して、その母親ぐらいの年頃の 女性司会者が「貴方はそういうつもりでも、×××が○○で、こう なってしまうのよ。それが分からなきゃ」みたいな説教を始めて、 言われた女の子は「だって、私、○○で○△□しただけじゃないの。 それが駄目だったら、どうしろって言うのよ!」とほとんど半泣き 半狂乱状態に陥る。これはいよいよ面白くなってきたぞと思ったが、 こんなの見てたら仕事ができなくなるので、途中でテレビを消したけどね。

この番組のコンセプトの異様さは、さずがはドイツだなと 敬服するが、番組の一番の見どころは、実は一般参加者のおじさん、 おばさんたちであろう。彼らは観客席ではなく、NHKの 一般参加者による公開討論番組のように、テレビを見てる我々の方を 向いて座っている。彼らは何のためにあそこに座っているのか。 番組の最後に、興奮さめやらぬ男の子や女の子たちに何か無意味な 意見を述べるという間抜けな役割を担わされているのか。 まあ、どうなんだか知ら ないけど、彼らのおっかなびっくりな顔を見ているだけでも面白い。。 大騒ぎに夢中になっている若い子たちが、ふと我に返って 「お前ら、何見てるんだよう!?」と、脱ぎ捨てた上着を おじさん、おばさんたちに投げつけるシーンでもあれば最高だろう。 来週もあるかもしれないので、チェックしようと思う。

昼が過ぎて腹が減ってきたので大学に出勤し、メンザに直行。 鰻料理が出ていたので、これは珍しいと手を出す。実は見た目には とても美味そうには見えないのだけど、生涯一座敷童日々是偵察飛行 也の私としては、これを見逃すのは天命に背くが如き大罪であろうと 覚悟して、他に食べたかったメニューを我慢して鰻にしたのである。

"Aalrauchmatjes"って書いてあったな。「塩漬け(Matjes)」がわから なくて、ああ、鰻の燻製かと思って食べたのだが、 見た目は「絞め鯖にしてはやけに青白くて細長いな、蛇か?」って感じ、 食感はぬるっとして烏賊の刺身みたい。 味は、、、少しは鰻らしい味もしたけど、 「ただの塩の塊」と言い切ってしまった方が分かりやすいかも。

(そういえば、これ、エッセンのメンザでも出たことがあって、Herzog先生が 食べてたな。)

この度外れた塩辛さは流石ドイツだなと感心するが、折角の鰻 なのにもうちょっとやりようはあるだろう!と、塩分過多で 血圧が上がったのか、思わずゲンコツに力が入る。よし、 こうなったら寿司と豆腐に続く日本食ブーム第三弾として、 この俺サマが数学者廃業してドイツで鰻丼のチェーン店を展開して ひと儲けし、ゲストハウスの近所に林立するお金持ち用 豪邸に住んでベンツでも乗り回してやろうかしらと、と思わず血迷 ってしまった。まあ、それぐらい塩辛かったということ。

昼食後は研究室で悶々とする。途中、ベルリンの研究集会に申し込み のメールを出す。夕方は遠回りしてスーパーで買い物をして帰る。 このスーパーには魚売り場はないが、時々屋台式トラックの魚屋が 店の前に売りにくる。同じようなトラックは土曜日の朝市でもよく見掛ける。 いつもは「ふーん」と通り過ぎるのだが、今日は「鰻はないか?」と まじまじとショウウインドウを覗いてみた。変な魚ばかり並べられてるけど、 鰻はなかったみたい。

夜もまた少し悶々とし、ようやく、「まあ、これでよかろう」という ことに落ち着いた。何とか証明がつけられたし、大ウソではなさそうだ。

2010年10月21日(木)
<<疑り深いオジサン>>
昨夜は少し夜更かししたので、今日も9時起き。午前中は11月の 大学院の講義メモつくりに励み、とりあえず版を完成させる。 昼が過ぎて腹が減ったので、大学に出勤してとりあえずメンザで昼食。 それから研究室に行って午前中に作った講義メモをプリントアウトし、 中身をチェックし、夕方は図書館で講義メモ関連の調べもの。

図書館から戻って、ふと1月のロンドンのウインター・スクールは どうなってるのかしらと、ニュートン研究所のサイトを覗いてみたら、 「もう定員一杯でこれ以上の参加者を認めるつもりはない」 との注意書きが新しく加わっていた。だったらさっさと連絡してこいっ ちゅーに。こちらも色々段取りってものがあるんだからね。10月15日 まで募集期間を延長したから云々って言っておいて、何をトロいことを やってるのかしら。

どうも埒のあかない研究集会だし、科研費も使わないと いけないから、他の研究集会はないものかと色々物色。11月末 から12月始め頃までにベルリン自由大学で行われるものを見つけた。 ちょっと解析や数理物理寄りみたいだけど、まずまず私が興味のある テーマを扱っているので、良さそうだ、と。

しかしその集会のサイトをよく見ると、「参加者は40名程度を見込 んでます」とある。何じゃ?これは。定員40名で、高山は邪魔だから来 るなってやつか?高山は何処に行っても邪魔もの扱いなんだよう!! どうもヨーロッパの連中は、すぐに定員だの招待者のみだの と言って仲間内だけで集まりたがるみたいだなあ。そういうことばっかり やってちゃあ、駄目だよ。学問はもっとオープンにやらなくっちゃ。

まあ、参加申し込みは10月31日までとあるから、駄目モトで あたってみるかと、「私でも参加できますでしょうか?」とメールを出した。 そしたら1時間ほどして返事が来て「参加申し込み、ありがとうございます。 宿の手配はいたしましょうか?」ときた。どういう風の吹き回しか? 皆に邪魔者扱いされる高山が、こんなに簡単に参加が認められるなんて、 何か裏があるんじゃないかしら?何だか知らないけど、よっぽど人が集 まらなくて苦労してるのかしら? それとも数学の研究集会を装った詐欺かしら?のこのことベルリンくんだり まで出掛けて行ったら、いきなり拉致されて、気がついたら謎の王国の収容所 に居て、行列式や定積分のつまらない計算ばかりの強制労働をさせられ、 計算間違いをすれば死刑が待ってるとか? そもそも俺はまだ参加申し込みなんかしてないぞ。 参加申し込みできるかどうかを、ちょっと聞いただけだってば。

しかし、疑り深いのはオジサンの悪しき習性 だから、ほどほどにしておいて、明日にでも返事しようかと思う。

オジサンの疑り深さといえば、数年前に突然の夕立かなにかで山科駅 からタクシーに乗ろうとしたことがある。当時何か妙な考えに取りつかて いたのか、タクシー乗り場で私の順番に回ってきたタクシーが気にいらず、 私の直後に並んでいたオジサンに、先に乗ってくれと合図した。そしたら そのオジサンは、何か怪しい、裏があるとでも思ったのだろう。ええから、 先に乗れ!って再度合図しても、お前さんこそ先に乗るべきだという ような合図をしてきて、疑り深い目でこちらを睨みつけて頑と して乗ろうとしない。

ちょうど雨も小降りになってきたし、「そうやって明日の朝まで ずっとタクシーを眺めて突っ立ってろ、ばーか!」と、そのオジサンを残して、 私は徒歩で帰ったのである。それ以来、人間、騙される者が美しいと までは言わないけど、不必要に疑り深いのも、つくづく醜いものだなと 思うようになった。私も気をつけなくっちゃ、と。

夜は講義メモで最後の1点気になる部分で悶々とする。

2010年10月20日(水)
<<日本じゃあ普通>>
9時過ぎにゲストハウスを出て、遠回りをしてスーパーで買い物をして から大学へ。昨日のうちに作っておいた資料を大学で印刷し、しばし研究室 に待機。11時過ぎから1時間程度、B先生と「数学の話」をする。

それからメンザで昼食。B先生以外に4人合流。この調子だと 、毎週水曜日は皆と昼食になりそうだなと、少し憂鬱になる。

午後は午前中の議論の結果をTeXノートに追加する作業など。 そうこうしているうちにコロキウムの時間になった。毎週水曜日におもに 外部から講師を招き、16時45分から1階の会議室でお茶とお菓子で懇談、 17時15分頃から1時間程度講演と質疑応答。今日はゲッチンゲン大学の 代数トポロジーの先生が講師で、不変式論の問題を代数トポロジーの道具を 使って解くというような話をしていた。今後の予定としては、確率論、組合せ論、 画像処理、微分幾何など、いろいろな分野の講師が予定されていて、いずれも 非専門家向けの講演をしている。

Ritsでも数年前までは、こういう一般向けの数学コロキウムを やっていたが、いつのまにか消滅してしまった。誰も聞きに来ないし、 したがって外部の講師が頼みづらくなるという悪循環が原因ではなかった かと思う。純粋数学系から応用数学系まで色々な先生がいるので、コロキ ウムでもしないとお互い会議の時しか顔を会わせる機会がないのかも知 れないが、会議の時しか顔を合わせないなんて、 日本の大学では普通じゃないの?少なくともRitsはそうだと思うけどね。

コロキウムの後、講師の先生を囲んで夕食会。数名で旧市街の イタリアレストランへ。食事の席の会話は当然すべてドイツ語。 私は話す方はどうにかできるようになったけど、聞き取りは相変わらず 全然駄目で、皆さん何を話しているのかあまり分からなかった。

21時過ぎにゲストハウスに帰り、洗濯をして、11月の大学院の 講義の準備をすこしする。

2010年10月19日(火)
<< Oberseminar >>
午前中は旧市街に出て野暮用。帰りにスーパーで買い物をして 一旦ゲストハウスに戻り、それから大学へ。まずはメンザで昼食。 またフライドポテトとサラダだけの女の子が居た。どうも割合から すると、こういう昼食は女の子の方が多い。何か意味があるのかも 知れないが、もうこれ以上詮索するのはやめよう。彼らはただ芋が 好きなだけだ、と。

昼食後、研究室でBプロジェクトに励み、TeXでさくさく ノートを書きすすめる。夕方、B先生が現れナントカだという。 どうも大学院のOberseminarの予定を言ってるようだが、何度聞き直しても わからない。どうやら「16時15分から始まるよ」と言ってたようだ。 後で調べてみたら、Viertel (15分)と言ってたのだとわかった。 ドイツ語の時の表現って難しいというか、何だか知らないけどなかなか 頭に入らないのよね。

Oberseminarはやはり16時15分から17時半ごろまで、1階の セミナー室で行われた。教員、ポスドク、院生など20人ぐらい集ま っていた。先日、最終講義をしたはずのホモトピー論の先生が、今日 もまたホモトピー論の講義をしていた。偉い先生らしいので、定年退職 してからも大学に残っているのだろう。Webの案内をみたら、 最初の数回は講演者はホモトピー論の話題が中心だが、それ以後は ベクトルバンドルだのトーリック多様体といった 題名の講演が多かった。私は11月に無謀にも代数幾何学の講演をするのだが、 分野的には他の講演者とかけ離れているという感じでなくて、すこしほっとした。

大学の規模など、オスナブリュックって何から何までRitsにそっくり だなと思えてくるのだが、代数や幾何の分野に少数ながらも大学院生や ポスドクが居るところがRitsとは全然違う。違いを細かく見ていくと、 だんだん憂鬱になってくるので、何も考えずにドイツでの生活を満喫する ことに専念しよう。

2010年10月18日(月)
<<不良債権処理>>
掃除が入る日。8時に起きて、色々やって9時過ぎにゲストハウスを出る。 亜熱帯の日本と違って、オスナブリュックは既に日本の真冬と同じ寒さ。 遠回りしてスーパーに立ち寄り、ペットボトルやビール瓶の回収機で 数十セントの返金チケットをゲット。ついでに少し買い物。さらに 大学近くのガラス瓶回収トナーにワインやザウアークラウトの空き瓶 を放りこんで、出勤。

まずは図書館で調べもの。「嘘論文」で使っていた事実をもう一度 確かめ、一応関連する資料の関係部分をコピー。それからエディンバラ 出張関係の諸手続き。海外に滞在して日本の科研費を使うのは原理的に は可能だが、結構面倒くさい。色々な書類をコピーしてRitsの事務 に郵送手続きをとり、さらにメールを出して担当者にその旨を伝える。 一番心配なのは、商習慣の違いからこちらでは手に入らない書類を 文科省が要求してきて、それがないとお金が出せないという無茶を言い ださないかである。

午後は、昨日プレプリントに投稿した「嘘論文の成れの果て」 を、某学術雑誌に投稿した。まあ、一発でリジェクト食らうだろう なと思うけど、こういうものは敷居の低そうな雑誌に投稿すれば 大丈夫というものではないから、最初は高飛車に出てみる。 それにしても、10年ぐらい前の話だが、「この論文は世界中の どんな雑誌に投稿してもリジェクトされるであろう」という 激しい呪いの言葉が書かれた、たった一行の査読レポートを貰った ことがある。その悪夢が復活しないことを祈るのみ。

論文を投稿して「不良債権処理」がひとまず完了したら、気分が すっと軽くなった。それで夕方からBプロジェクトに 本腰を入れて取り組み始める。

2010年10月17日(日)
<<こいつ、同朋か?>>
オスナブリュックはもう冬で、最高気温は10度を切っている。 今日こそは「嘘論文無理矢利論文化プロジェクト」を終結させる べく、午前中は作業に励む。午後は例によって街に偵察飛行に出て、 あちこち横道にそれたり、教会の中を見学したり、トルコ人がやって いるドナーケバプの店で鶏肉のケバプ・テラー(ドナーケバプに サラダとフライドポテトがついたもの)の昼食をとったりし、 最後は中心駅のカフェで一休みしてから、また戻ってきた。

夜もまた作業に励み、ようやく完成。プレプリントサーバーに 投稿する。一息おいて、どこかの雑誌にも投稿する予定だが、 こんな結果で論文になるのかしら?と自分でも疑問なので、 どこの雑誌が掲載を引き受けてくれるやら。しかしこの 話はこれ以上頑張っても何も出てきそうもないから、さっさと 手を切らないと、後にやるべきことがつかえてるし。

中央駅前で中国人の女子学生風の二人が、今到着したばかり という感じの大きな旅行カバンをひきずって街の中心に向かっ ていた。そのうちの一人と一瞬目が合ったが、相手が「こいつ、 同朋か?違うな」と一瞬で判断したのが分かったような気がし た。私もそれより前に、服装の感じからして日本人じゃないと 思ってたけど。ただ、それとなく近寄って聞き耳をたてて みたものの、彼女たちの話す言葉は聞き取れなかったし、、 あの「こいつ、同朋か?」と窺うような視線からして、もしかしたら コリアンかもしれないと、あまり根拠のない推測をしている。

大学の湯沸かし室にコーヒーを入れにいくとき、よく中国人のある 院生と一緒になる。彼は私に親しげに挨拶をしてくるのだが、2,3日 前だったか「あなたは中国から来たのか?」と英語で聞 いてきた(だから英語で聞くなっちゅに!)。

中国人に間違えられるのは私の望むところである。12月の エディンバラの研究集会には、日本の偉い代数幾何学者が沢山やって くるのだが、そこで私はいかに正体不明の謎の中国人のフリをして 切り抜けようかと、今から秘かにイメージトレーニングに励んでいる のである。

それで「そうだ(俺は中国人だぜ)」と返事しようかと思ったが、 そこで相手が中国語でまくしたててきたらすぐに嘘がばれてしまうので、 「いや、ヤーパンから来た」と英語とドイツ語のちゃんぽんで正直に 答えておいた。

しかし考えてもみろ。中国人が「貴方は中国から来たのか?」なんて 質問をするかしら。それに、コリアンが「お前は中国人か?」と質問する とは思えない。ならば、中国人の院生だと思ってたけど、奴はベトナム人 かもしれないな。ベトナム人に中国人だと間違えられるとは、別に 大した意味はないけど、兎に角光栄だ。何だか12月のエディンバラを乗 り切れる自信が湧いてきたぞ。

2010年10月16日(土)
<<贈り物ですか?>>
朝から真面目に雨が降っている。こんなに降ってるのは、こちらに来て 初めて。午前中から昼過ぎまで、洗濯と「嘘論文無理矢理論文化 プロジェクト」。雨もあがったようなので、午後は旧市街に偵察飛行に出る。 まだ歩いてない通や入ってない公共建造物に潜入しながら、Neumarktのあたり にたどりつく。先日とは違うドナーケバプの店で簡単に昼食。羊の肉のドナー を注文したが、やっぱり先日の店と同じで塩辛い。店を出てからGALERIA Kaufhof で体重計と茹でたスパゲティーを鍋からすくう熊手のような調理器具を購入。

体重計を物色していたら、例によって店員が「何かお探しですか?何か お手伝いいたしましょうか?」と寄ってきた。見ればわかるだろう、体重計さ。 体重計捜すのに「お手伝い」など居るものかと、"Nein, danke."と言った つもりだが、聞こえたのかどうか知らないが離れそうにない。

しょうがないので、この強化ガラスの最新式電子型体重計が19ユーロで、 昔ながらのアナログ体重計が24ユーロという値段の違いは一体何なのだ、 逆じゃないか?とか、19ユーロの方の見本はうまく動かないけど、 どうやって使うのだ?とか、しばらく蒟蒻問答をして、 結局昔ながらの24ユーロに落ち着く。店員に何やかや言われなくても、 最初からこれを買うつもりだったんだけど。

やれやれと気が緩んだのか、ああ、そういえばついでだけど、 自分はスパゲティーを作る時の調理器具を探しているなどと、言わなくても いいことを言ってしまった。どんなのだ?と聞いてくるので、ドイツ語で何 と言うかしらないけど、スパゲティーを茹で終わったら鍋から出さなければ ならんだろう。その時に使う道具だと、なぞなぞを始める。 すると、金ザルのことか?と聞いている。ブー!外れ。 いや金ザルの前にやることがあるだろう、 こうやってこうやってとジェスチャー。これでやっと通じて 無事目当てのものが展示されているところに連れていってもらった。

店員のおばちゃんとすったもんだして疲れたし、ドナーケバプの塩辛さ がまだ口に残っていて気持ち悪いので、最上階のレストランDINEAで ケーキとコーヒーで一息入れることにする。白状すれば、 先ほどの買い物で、DINEAの1割割引き券をもらったので、まんまと店の思 う壺にはまったのである。途中、トイレに行ったが、ドイツのことだから 当然有料トイレで、入り口に係の人が立っている。ここの黒人の若い男は最近 入った人で、帰りにお金を払うと Danke schoene! と言うのだが、この"schoene" の発音が変だ。正しくは「ダンケシェーン」と「ダンケショーン」の中間の 発音だが、この男ははっきりと「ダンケショーン」と言っている。

それからKaufhofの1階に入っているスーパーで買い物をしてから店を出て、 賑やかな歩行者天国(Fussgaengerzone)をぶらぶら歩きしながら家路につく。 途中二件の本屋に立ち寄り、スープと煮込み料理の本と前から欲しかった Langenscheidt社の仏独事典を購入。

料理の本をレジに持って行ったときに、「贈り物の包装をしますか?」 と聞かれて、一瞬おおっ!?と思った。ああ、これって以前見たドイツ映画 のラストシーンと同じ台詞だ。東ドイツの反体制作家を監視するエリート役人 が、監視を通じて自分のやっていることの間違いに気付き、秘かに作家を助ける。 それが発覚して役人は出世街道から転落する。東ドイツ崩壊後、作家は自分を 助けてくれた名も知らぬ役人のことを書いた本を出版し、 ベストセラーとなる。落ちぶれたままの元エリート役人は、書店で その本に気付き、誇らしい気分で手に取ってレジに進む。そして店員がごく 普通に「贈り物の包装をしますか?」と聞いてきて、元役人が 「いえ、結構です。これは私の本ですから」と答えて映画終わるってやつ。

この、ごく普通に「贈り物の包装をしますか?」と聞いてくるところが おかしい。Leysiefferの店員が「(このプラリーネを)贈り物用に包装 しますか?」と聞いてくるのは不思議でも何でもないが、これが本屋 となると話が違う。まあ、映画のシーンにも使われるんだから、ドイツでは 当たり前のことなんでしょう。でも、日本の書店の店員が「贈り物ですか?」 なんて聞いてこないよね。

夜もまた少し「嘘論文無理矢理論文化プロジェクト」でごぞごそする。