の
た
め
の
邪
魔
な
広
告
よ け ス ペ ー ス で す。
2010年9月15日(水)
<<荷造り>
日本最後の水曜日。午前中は自宅で別送品の荷造りを完成させたり野暮用をしたり。
自宅で昼食をすませた後、しばらくしてクロネコヤマトが別送品の集荷に来てくれた。
それから京大数理研図書室へ。出発までに詳細に確認しておきたい事があるの
だけど、必要な本を別送品で送り出してしまったし、気分的にあわただしくて
数理研でも行かないと落ち着かないから。
数理研の帰り、少し雨が降ってきた。なんと!最近ずっと姿を見せなかった
トラちゃんこと数理研猫が、珍しくガラス戸の通用口の前から所内を覗き込んで
ニャーニャーニャーと大声で鳴いていた。そうか、そうか。私を見送りに来て
くれたんだね。それとも餌をねだっているのか?さよなら、数理研猫。
来年の春にまた会おうね。
大丸ラクト山科店と近くのスーパーで少し買い物をして帰宅。今日も何となく 桃ジュースはパス。やはり、ぐっと涼しくなったせいか、あまり飲みたいとは 思わない。
数理研からの帰宅途中、乗り物の中や路上、あるいはデパ地下やスーパー で大炎上問題についてずっと考えていたのだが、うまくいかない理由がかなり 明解に理解できてきて、流石に大炎上は大炎上だけのことはあるなと恐れ入る。 やはり、ここ数日のテンパリぶりは、ドイツ高跳び直前の緊張感というよりも、 「嘘論文」で気分的に乱高下していることが大きな原因ではないかしら。
夕食後は荷造り開始。私のスーツケースは、10年前に機内持ち込み できるぎりぎりの大きさのものを買ったのだが、その後規制が厳しくなって、 チェックイン時に預けなければならなくなった。つまりスーツケースとして はかなり小さめ。やっぱり明日にでも大きなスーツケースを買いに行こう かしらと思いつつも、結局なんとか全部入ってしまた。
今夜も大炎上問題に思いを馳せながら眠りにつく予定。
2010年9月14日(火)
<<脳内交流>>
日本最後の火曜日。午前中は自宅で野暮用。日本を去る前にもう一度行
っておこうと、山科駅前のおいしいイタリア料理の店で昼食。それから
京大数理研図書室で、嘘論文関連問題に取り組む。昨日発覚した大炎上
問題は、うまくおさめるられるような気もするし、そうでないような気
もする。精密な議論でひとつひとつ再確認を開始。この調子じゃあ、何
か纏まるとしてもドイツに行ってからかな。
そういえば数理研に向かう途中、路上でドイツ語寺子屋塾の奥 さんにばったり会った。先生は今ドイツに行ってるらしく、明日帰国 するとのこと。入れ違いですな。「私は土曜日に出発なんです」と伝える。
夕方、数理研からの帰宅途中、大丸ラクト山科店のジューススタンドで 「梨ジュース」を飲む。梨はあのサクサクとした歯触りが良いのであって、 ジュースが美味いとは思えなかったが、日々是偵察也の私としては 一度は飲んでみないと収まらない。で、飲んでみたけど、うーん、 梨ジュースはやっぱりよろしくない。
夜は日本最後のスポーツクラブへ。途中路上でふと「大炎上問題玉砕か?!」 との思いがよぎったが、受付、着替え、準備体操のストレッチなどをしながら つらつら考えるに「とりあえずセーフ」と判定。
火曜日の夜のスポーツクラブは初めてだが、「僕、脱いだら凄いんです」 のモッコシぴちぴちパンツのおナル男や、「メタボ親父の過去よさようなら!」 の青春を取り戻した意気揚々オジサン、腹筋台を鋭角に倒してまわる奇妙な 習性を持つフォーレスト・ガンプ君など、馴染みの顔ぶれが来ていた。 しかし、モーレツあ太郎や強い爺さんは来てなかった。 そういえば、ここで一発景気づけに、京大が世界に誇るロードランナー逆走男が 来てたら良かっただろうな。JOBAマシーンに揺られながら、珍しくカウンター で受付をやってる総支配人をぼんやり眺めていたのだが、ふと、この人は 村上ショージに良く似てるなと思った。 この人たちとの麗しき脳内交流もしばらくお休み。
前回エッセンに滞在したとき、スポーツクラブを探したのだが、 ラクト山科にあるような公立の安い施設はなく、結局運動はなにもせずじまい。 あちこち歩き回ったので足は衰えなかったが、上半身がなまってしまい、 帰国後ウェイトトレーニングをしたら40肩だか50肩みたいになって、 整形外科で痛み止め付きヒアルロン酸注射を一本打ってもらうはめになった。
ドイツは地域単位で学校の部活みたいな活動が盛んで、合唱クラブみたい なのから、スポーツ系のクラブもあり、多くの人が利用しているらしい。 そういうクラブは短期滞在者には敷居が高い、というか、たぶん入れない。 今でも好きでスポーツクラブに通っているわけでもないし、 ジョギングとかは嫌いだし、現地で何か習慣的に運動する仕掛けを作らないと、 体調管理がちと難しくなる。
2010年9月13日(月)
<<大炎上>>
日本最後の月曜日。それにしても今回のドイツ高跳びは、なぜにこんなに
テンパッてるのか、自分でもよくわからない。前回は2度目のエッセン
だったし、慣れたもんよと余裕をかましていた。今回は初めての街で初対面
の先生のところに行くから、多少は緊張して当たり前だし、昨日も書いたように、
そもそも外国旅行って色々面倒臭いから憂鬱なのだ。しかし、このところの
私は、それだけでは説明できない異様なテンションで推移している。
まあ、前回のドイツ行きから6年経ってるし、その間色々なことが あったせいかもしれない。学科長で脳が歪んだし、変なオジサンやオバサンと 戦争してたし、母は死んだし、クラシック音楽のCDを200枚だか300枚 だか買いまくったし、鰻丼に狂ったし、可換環論を休業し代数幾何で野垂れ死 に寸前になってるし、高校の同窓会でヤンキーの真髄を思い知ったし、 ハノイで楽しく下痢三昧したし、生涯一座敷童日々是偵察飛行だし、 壊れないと思ってたパソコンが嫌なタイミングで壊れるし、酒飲みになったし。 これだけ色々あれば、テンションのひとつやふたつ、あがろうというものだ。
本日午前中は山科区内で野暮用。そして昼頃出勤。事務に印鑑を預け、 向こうに持っていく機器の説明書をコピーし、大学に保管してあった航空券 などを持ち帰るのが主目的。珍しく生協で昼食をとった後、 予定していた作業を終え、さらにはちょうどうまい具合に飛び入りの事務手続 きも片付き、さてと、どうしようかなと思って、ふと研究室に置いてある本を 手に取り「嘘論文」関連の項目を眺める。と、「ややっ!?これは大変!」
「嘘論文」もそろそろ最終稿を纏めようかなと思いつつも、まだ何となく気 になっていたところがあったのだが、そこが大炎上。そのまま夜中まで考え続け るも、まだまだ詰めないといけないことが判明した。ある種の病理現象を調べて いるのだけど、これはまさに底無しに筋の悪い現象だなと溜息しきり。
夕方には帰宅し、頭の半分で大炎上に思いをめぐらしつつ、手と足は ヤマト運輸別送品サービスの箱詰め作業と伝票書き。そうこうしているうちに、 昨日メールを出したオスナブリュック大学のゲストハウスの管理人さんと ブレンナー先生から返事が届いた。ゲストハウスの鍵はブレンナー先生が 預かっていて、空港に迎えにきたときに渡してくれるらしい。この返事をも らって、ようやく「無事にゲストハウスに着けるのかな」という気がしてきた。 やっぱり私って、(自分を含めて)人を全然信用してないのよね。何故かって? 知らないよ、そんなこと。兎に角、信じずに生きるのって、無駄にしんどいのよね。
2010年9月12日(日)
<<踏ん切り>>
日本最後の日曜日。朝日新聞「オチビサン」をじみじみと読み、
京都新聞「7つの間違い探し」「時事クロスワードパズル」を心を込めて解く。
昼食は大丸で買ってきた鱧落しと鱧寿司など。まあ、鱧より鰻の方が好きだけど、
京都の夏はやっぱり鱧だろうし。
昔からそうだが、外国旅行の直前はひたすら憂鬱である。最近では1月の ハノイ出張。出発するまでは、何の因果でハノイくんだりまで 出掛けねばならんのか?何が悲しくて招待があった時に断らなかったのかなどと 愚図愚図考えて落ち込んでいた。 しかし実際現地に行ってみると想像以上にすさまじい所で、「おおっ!えらい 所に来てしまったもんや。ハノイはまじでナメたらあかん!」とワクワクして きて、出張の間じゅう猛烈な下痢に悩まされたり、研究集会の中日の遠足で 意味のわからない山に登らされて足をくじいたりしたけれど、ずうっと楽しかった。 今でも思い出すたびに、「ハノイでは散々酷い目に会って楽しかったなあ」 とマゾの血が騒ぐのだ。今度もそんな風になるだろうと思うけど。
午後はルフトハンザのサイトを色々調べた後、ずっと気になっていた アメリカ数学会の論文レビューの仕事を片付ける。ドイツに向かう飛行機の 中でやろうと思ってたのだが、「嘘論文」の方も停滞気味で愚図愚図している から、今のうちにさっさと片付けてしまおう、と。
夜はオスナブリュックのブレンナー先生とゲストハウスの管理人に 「18日に予定通りそちらに行くから、よろしく」とメールを出す。 やはり今回のドイツ高跳びの最大の関門は、ブレンナー先生が本当に 空港まで迎えに来てくれるのか、何かの間違いで彼が現れなかったとき、 どうやってゲストハウスにたどり着き、無事部屋に入れるか、である。 まあ、もしもの場合は空港の近くのホテルを探して1、2泊するか。
それかから「嘘論文」関連のことをつらつらと考える。昨日よりも はっきりしてきたが、やはり論文の下地になる事実は完全に理解して からでないと、踏ん切りがつかない。
ところで、実はついさっきまで「踏ん切り」は「糞切り」と書くのだと 勘違いしてて、なるほど意図することが上手く表現されている豊かな 表現だけど、それにしても汚い言葉だなと思っていたのだ。仮名漢字変換で 「踏ん切り」と出てきたので、嘘だろと思って辞書で調べて、ようやく本当 のことがわかった。
2010年9月11日(土)
<<わからんものは、わからん>>
まあ、来週の今日はドイツにいっちっちなのである。前回は4月出発で、
妙に日本の桜に心惹かれたものだが、今回はあれも食べておかなくっちゃ、
これも食べておきたいなどと、食い意地ばかり張っている。前々回は
食欲全開でドイツの秋から冬をすごしたら、数キロ太ってしまった。
しかし前回はシュパーゲルの季節と重なっていたので、ソーセージやハム
などはそこそこにして、ありとあらゆる低カロリー・シュパーゲル料理を
作って食べていたので、太らずに済んだ。
昼頃、近所の歯科医で先日の抜歯後のチェックと出発前最後の定期診療。 それから河原町三条に繰り出し、丸亀製麺で讃岐饂飩の昼食。その後上島 コーヒーで数学。数年前から分からないままの話をちゃんと理解しようと 全力で臨むも、もひとつはっきりせず。
途中70歳前後の女二人組が私の前に座った。パソコンの話をしていて、 一方は「この世の憂さを忘れるためにゲームにのめりこむ」のだと言い、もう 一方は「負けた時に悔しいし、負けた自分が許せないから」ゲームはやらない と言っていた。そしてさらに、自分は何事においても絶対うまく行くと見込んだ ことだけをやることにしており、冒険は決してしないのだと言っていた。 前者の人は私に似ている。そして後者のタイプの人も、そういえばそんなに 珍しくないぐらいに居るな。
それからJEUGIA三条本店をさらっと偵察。クラリネットのCDと 福田進一のタレガ曲集のCDを試聴。何でも福田氏は名器中の名器と呼ば れるギターで演奏しているらしく、素晴らしい音だった。でも、タレガや ソルの曲って、中学生ぐらいの頃は夢中になったけど、今はもひとつって 感じ。
大丸ラクト山科店で安いワインを買って帰宅。ジューススタンドには、 例の賑やかな店員がいたが、今日はパス。
夜も数学。わからんものは、やっぱりわからん。
今日はいわゆる「9.11」の日だが、2001年の今頃は新自由主義 改革の一環として政策的に雇用の流動化が進められていて、大臣たちは 「9月の国会では、そのためのセフティーネットをきちんと議論する」と 繰り返し言っていた。ところが9.11が起こって、国会はブッシュに追随 するか否かの議論で大騒ぎになり、セフティーネットの話はどこかに吹き飛んで しまった。夕刊の風刺漫画で1度だけ「あれは、どうなったん だい?」というのが出ただけで、例によってマスコミはテロの話しか取り上 げなくなった。
その後も、「さあテロの話も一区切りついたから、今度こそセフティーネット の議論をしましょう」という風にはならなかったように思う。それが私には 不思議でならない。内政に行き詰った権力者が外政に国民の目を向けさせて切り 抜ける例を高校の世界史でいくつか習い、「そんな猫だましみたいなことが本当 に通用するんかいな?」と思っていたが、9.11は、実際にそんなことが 起こった例だというふうに私は記憶している。
2010年9月10日(金)
<<恨めしや>>
研究日。午前中はしばらくiPadをいじってから、自宅で下地論文の謎の山
と格闘。台風一過でエアコンが要らないぐらいに涼しい。
昼過ぎに自宅を出て、河原町三条丸亀製麺で讃岐饂飩の昼食。 それから京大数理研に移動し、図書室にて嘘論文の嘘主結果その2改訂版 のストーリーを書きだしてみる。先日の計算の間違いがわかり、結果が すこし良くなる。またそのうち別の間違いが見つかって再び悪い結果に 逆戻り、なんてことをしばらく繰り返しそう。なかなか嘘論文の「嘘」が 外れそうにない。
数理研図書室に今年来たばかりの若い職員は、最初は元気一杯に 入館者に挨拶したり、「何かお探しですか?」と声を掛けたりして溌溂とした 感じだった。最近は数学者の扱い方がわかってきたのか、他の職員と同じく淡々 とした感じになってきた。しかし以前よりつまんなさそうな顔をしている。
数理研からの帰宅途中に大丸ラクト山科店に立ち寄り、ジューススタンド でまたも桃ジュース。今日は全く別の係員が出てきた。あの、汁を散乱 させたり小銭をはじき飛ばしたりと何やかやと賑やかなお姉さんは、 どうしたのかしら?
帰宅後、近所の医院でドイツ滞在中の蕁麻疹の薬を処方してもらう。 昨年11月頃に発症して以来、いくぶん症状が軽くなったような気も しないでもないが、基本的にはあまり良くなっていない。医者は原因不明 というが、私はオジサンたちのせいだと信じている。 ああ、オジサンって嫌だ!くうううううううっって煮詰まって蕁麻疹が 発症したにちがいない。世の中から私以外の悪いオジサンが絶滅しない 限り、治らないのではないかと思う。
夜はまた蒸し暑くなってきた。すこし下地論文と格闘。証明をちゃんと 書かない偉い数学者と仕様書をちゃんと書かないプログラマには相通 じるものがあって、恨めしい。いずれも、 「ナゾナゾやってんじゃねーよ、それを使う者の身にもなってみろ!」 とどやしつけてやりたくなる。
2010年9月9日(木)
<<繋げる>>
今日も出勤前に大丸ラクト山科店のジューススタンドで桃ジュースを飲んで
ビタミン補給。今日の係員は、先日ミキサーの蓋を閉め忘れ桃の汁を散乱
させた人。二度も同じミスはしないだろうとは思ったものの、トレイに料金を
置いてから、汁が散乱しても安全な少し離れたところで待機。今度は
ミキサーの蓋を慎重に閉めていて、格段の進歩がみられる。うーむ、感動的だ。
日々目覚ましい進歩。人間、かくありたいものだ。
しかし、彼女、桃を入れたガラス容器をミキサーに乗せる時に、 料金トレイを思いっきりはじき飛ばしてしまい、小銭が散乱。 何やかやと賑やかな人ですな。ドイツ出発までにもう1回ぐらいは桃ジュースを 飲みに来るから、そのときはよろしく。
それから山科駅前で簡単な昼食を取って大学へ。注文しておいた専門書が 2冊届いていたので、研究費からの出勤手続きをとる。版元絶版だの国内在庫 なしだのと言ってたので諦めていたのだが、日本を離れる前にちゃんと届いた。 あとは、立替え払いしたiPadの領収書を事務に提出し、ドイツに持っていく 資料のコピーを捜し出し、放射線廃棄物が研究室に置かれてないか念入りに 調査せよとの奇妙なお達しの報告書を書いて提出。それから、昨日買った ポータブル無線ルータの動作をiPadを使って確認。うまく行かないので カスタマサービスに電話。親切に対応してもらえた。
山科区内のスーパーで買い物をしてから帰宅。夕食後、自宅のインターネット 環境でポータブル無線ルータの動作確認に再挑戦。今度は簡単に繋がった。 これでホテルなどの有線LANサービスのあるところでiPadが使える。
その後は「嘘論文」関連のことを考える。下地になる論文をきちんと フォローしないと足元をすくわれそうなので、もう少し愚図愚図してから 「嘘論文」を手直しすることにしよう。
それにしても、数理研の研究集会では何人かの人が私と目が合った時に、 「お前のこと、知ってるぞ」みたいな表情をしたり、軽く会釈っぽい 仕草までするのも現れ、これはちとまずいこと になってきたなと思っている。
そりゃあ、私はあちこちの代数幾何学の研究集会に潜入を繰り返している から、お互い何度か顔ぐらいは合わせているし、野暮用で一言だけ言葉を 交わした人もいるけれど、だからと言っていちいち俺サマのことなんか憶え なくてもいいではないか。面が割れると極秘偵察飛行がやりにくくなるんだよね。
ちょうど良いタイミングで、しばらく日本から姿をくらますから、 「あれは幻かなにかだったんだろう」と忘れてもらいたいものだ。 あ、そういえば12月のエディンバラの研究集会に日本人が沢山来るんだな。 ま、その時は中国人のフリでもしてようっと。
2010年9月8日(水)
<<相談する>>
朝、クロネコヤマトから大きな段ボール箱が届く。電話で別送品の
集荷日を予約し、さらにドイツ滞在中に使う銀行に確認と問合せの
電話を掛ける。昼前に自宅を出て京大へ。まずは真っ黒スープの
衝撃ラーメン屋で焼飯セットの昼食。それから京大北部生協で
コーヒーでもと思ったが、喫茶ほくとは例によって閉鎖中で、
しかも自販機は係員が扉を開けて整備中。15分ぐらい待って整備が終わり、
ようやくコーヒーにありつく。それからおもむろに数理研の研究集会へ。
午後の講演を3つ聞いた。
この研究集会は、講演者が持っている研究問題を公表して 大学院生などの若手数学者の研究を促進するためのものらしく、 チュートリアル的な講演が多いのが有難い。昨日も書いたけど、 自分が研究しようとしている問題を口外して大丈夫かしらと、 要らぬ心配をしていたのだが、今日は講演者の一人から、 「中国人にこの問題を相談したら、あっという間に解かれて しまうから、彼らに内緒で皆さんに話している」というフレーズが 飛び出した。何で中国人なのかと思ったが、その分野の研究者 層が日本に比べて圧倒的に厚いからだそうだ。この問題を通して 日本の若手研究者層を育てたい意図も語っていた。
でもなあ、私みたいに気配を殺して会場に潜入している座敷童の 中国人数学者が居るかもしれないし、そうでなくても、いつの間にか 代数幾何学業界に忍びこんでいるこの私が、中国人研究者と内通して いるスパイだったら、どうするんだろうね、っていうか、この研究 集会は後で予稿集が出るから、そこでわざと嘘か講演と関係ないこと ばかり書かない限り、いずれ世界に公表されてしまうのでは ないかしらね。
天才的な数学者などは、「あいつに問題を相談したら一瞬で 解かれてしまうから、うかつに話せない」と普通の数学者たちから 敬遠されたりするらしい。私などは、数学者は皆鬼に見えるから、 この人なら話しても大丈夫という感覚がわからないし、 「そんなつまらない問題を考えてるお前は、やっぱりアホだ」と馬鹿に されるのも癪なので、普通の数学者にも自分の問題は相談しない。 これはこれで数学研究者の態度としては問題なのだが。
帰宅後、朝届いた談ボールに別送品の衣類や専門書などを ざっと仮詰めしてみる。何とか1箱で済みそうだ。必要書類も 今日の段階で書けるところまで書いておく。
それから少し数学。「嘘論文」の問題点に関連して、朝から何 となく考え続けていた疑問が解決し、ようやく状況が明解になってきた。 さて出発までに完成させることができるかしら。
2010年9月7日(火)
<<今だけの付き合い>>
午前中は、クロネコヤマト海外別送品サービスに使う段ボール箱について、
電話で問合せをしたり注文したり。それから京大へ。生協ルネで昼食の後、
数理研の研究集会。大学院生を集めて偉い先生が講演をし、代数幾何、複素幾何、
多変数関数論の手頃な研究問題を紹介するという企画。定員100名程度の
小さな教室は、院生かそれに近い人たちで溢れ返り、立見も出る状態だった。
自分が解いて論文が書けそうな問題は、口外して他の数学者に出し 抜かれたりすることを恐れて、論文完成のメドがたつまで秘密にすること が多い。それを気前よく難易度の予想までつけて講演するのだから、偉 い先生でないと出来ることではない。
私の専門に近い先生の講演を1つ聞いて、速攻で河原町三条界隈に 移動。まずは、おもにゲストハウスの管理人さんを想定して、ドイツへの お土産の追加を購入。それから四条の眼鏡屋で眼鏡の調整をしてもらい、 バスに乗って京都駅前へ。またもビッグカメラに立ち寄る。やはり dynabookだけでは心もとないので、日本語でメールとWebを使うために iPadとポータブル無線LANルータを購入。
帰宅後、夜はiPadの設定をしたり使い方を調べたりしているうちに 終わる。まあ、いろいろやってるうちに大体分かった。無線LAN ルーターは今度大学に出勤したときに確かめてみよう。
数理研の研究集会に向かう途中、別の研究集会の人たちがぞろぞろ と昼食に出掛けるのとすれ違った。研究集会で集まった人たちが、 研究に関係した雑談などをしながら、ぞろぞろと歩く姿は別に珍しいこと ではなく、私も計算機屋の頃はそういった一団の中にいた。しかし 今はそういうのって、ちょっと気持ち悪い。
何故気持ち悪いのか。たぶん私自身、計算機科学、数理論理学 (理論計算機科学)、可換環論、代数幾何学と専門をコロコロ変えていて、 そのたびに仕事で顔を合わせる人たちががらっと変わるという経験を 何度かしてきたからだと思う。
仕事の付き合いを通して友人になった人とは、専門が変わっても友人の ままだが、仕事上の付き合いだけだった人とは、たとえば研究集会やそこで の親睦会などを通じていくら親しくやっていても、仕事で関係がなくなれば それまでである。また、誰かと親しくする理由は、それが自分の仕事にとって メリットがあると踏んだからであり、仕事上メリットのない人には洟もひっか けない。端的に言えば、そういう「金の切れ目が縁の切れ目」的な付き合いを 通して人々は仕事をしているのであり、数学者たちも大体そういう原理で動い ている。
それは当たり前のことだと思うのだけど、今はあまりそういう事にかかわりたい とは思わない。10年後にはまた別の専門でやってるかも知れないと思うと、 「そんな今だけの付き合いに一所懸命になってもしょうがないじゃん」という気 がしてくるのだ。特に、数学者って色々面倒臭い人種だから扱いづらいし。 でも、今だけの付き合いは、今を乗り切るために必要なんだけどね。
2010年9月6日(月)
<<私語対策>>
今日も大丸ラクト山科店のジュースカウンターでマスカットジュースを
一杯飲んで水分とビタミンを補給し、駅前で簡単に昼食をとってから出勤。
研究室にて大阪出張の出張報告書を書いて提出し、クロネコヤマトの海外別送品
サービスに必要な書類をコピーし、ついでに梱包に使えそうな段ボールを物色し、
大阪出張の折にちょっと見たくなった専門書を書棚から引っ張り出す。
事務で郵便物を受け取ったら、授業アンケートの結果が届いていた。 ちょっと驚いたのが、2回生の私の授業で の「私語対策」が圧倒的支持を受けていたこと。私語をしている学生を 見つけ次第、講義をしながら秘かに監視活動に入り、一定時間継続して 授業をまともに聞いていないことが確認できた時点で私語が目的の 冷やかし学生と判断し、「おい、そこの学生!」と木槌を打ち鳴らして 警告するというやり方。これがそんなに効いていたのか。私はてっきり、 ゆとり世代の学生たちは真面目で、私の話を面白がって聞いてくれている から、おのずと私語が起こらないのだととばかり思ってた。私の授業内容 に対する満足度は「ビミョー」って感じで、自分で思ってたほどでもなく、 これもちょっと拍子抜け。
帰宅途中、大丸ラクト山科店で安いワインを買う。夜はクロネコ別送品 サービスでドイツに送る冬物衣料や専門書などをみつくろう。こちらから 送るものは最小限にして、できるだけ現地調達しようと思っているが、専門書 はちょっと悩ましい。
Ritsで可換環論や代数幾何学をやっているのは私だけなので、図書館 にある専門書は私専用みたいなもの。何時だって好きな時に借りだせる。 しかし、京大の図書館などは、定番の基本文献が先生や学生に借りられていて 書棚に無いことが珍しくない。エッセン大学に行ったときも同じで、その本を 借りてそうな人を訪ねて、「ちょっとだけ見せてもらえんか?」と頼んで 回らねばならない。だから手元に置いて頻繁に参照する本は自分で持ってい くことが望ましい。私の場合、そういう本が結構沢山あるので、絞り込まないと いけない。オスナブリュックの数学図書館のデータベースを検索して、 どんな本があって、どれが現在貸出中かも調査したが、結局別送品の選定に あまり参考にならない。
その後、「嘘論文」作業の一環として、下地になった論文を読み直す。
2010年9月5日(日)
<<世界の見え方>>
今日も大阪に出掛ける前に、大丸ラクト山科店のジュースカウンターで
桃ジュースを一杯。新米っぽいおネエさんが、ミキサーの蓋をきちんと
閉めてなかったので、桃の汁が辺りに飛び散る。私は運動神経はあまり
良い方ではないが、何故かこういう時はぱっとよける方。横断歩道に
自動車が突っ込んできたとき、とっさに飛びあがってボンネットの上に
のっかって無傷だったこともある。
しかし右腕に2,3滴汁が飛んだ。古参のおネエさんがティッシュを 持って飛んできて、汁を拭いてくれたが、まあ、大したことはない。その古参の おネエさんが作りなおしてくれた桃ジュースを飲んで、さあ出発。
梅田に着いて、まずは昼食。阪急梅田3番街地下2階のグルメミュージアム (要するにレストラン街)は今日もアマゾネス化していた。 しかし昨日と違うところは、アマゾネス一族に連れ回された男たちもちらほら列に 並んでいる。さらに良く見ると、「鉄板焼・ステーキ」みたいなガッツリ系の レストランはアマゾネス化しておらず、オッサンたちの列ができていたりする。
結局金曜の夜と同じ東京風の鰻屋に入り、またも鰻重の昼食。 店には女や、女に連れ回された男以外に、定年過ぎたオジサンが独り真昼間から 鰻をつまみにビール1本飲んで、さらに銚子を傾けていた。まあ、日曜日だし、 そういうのも「あり」か、と。
駅のホームなどで、平日の真昼間から缶ビールを飲んでいる、 60代か70代のオジサンをよく見掛けるが、いかにも「定年後で毎日が 日曜」って感じがする。彼らにとって世界はどういう風に見えているんだろう。
大学に入って間もない頃、平日の真昼間から酒を飲んだら世界がどういう 風に見えるのかしらと思って、一度だけ試してみたことがある。 安い白ワインをラッパ飲みしながら、まだ路面電車だったころの京阪電車で 山科から京阪三条に繰り出し、しばし鴨川をさまよってから下宿に戻ってきた。 別に何も変わったことはなく、ただ、酔っ払っただけだった。 やはりこういう奇をてらった方法では駄目で、人間、努力しなければ世界の 見え方は変わらないのだと思ったものである。
しかしその30年後に、昼間から酒なんか飲まなくても、それに、特段の 努力などしなくても、学科長やって脳が歪めば世界の見え方はコロッと 変わることを知った。脳って、案外もろいのよね。
昼食後、午後一番の講演をさぼり、Sbuxでしばし数学。それから 会場に忍びこんで午後二番目、つまり最後の講演を聞く。これもちょっと ためになる話だった。講演の後、大阪駅前の地下街に迷い込んだが、 そこにもレストラン街があった。店の感じからして、女達が行列を作りそうに ないものばかり。最初からここに来てればアマゾネス化のとばっちり は受けなかったのかしら、と。
帰宅後、夜もなんやかやと「嘘論文」に手を加える。手を加えたら、また 問題点が浮上してきた。しばらくこうっやってガタガタするんだろうな。 最後に超ド級の問題が見つかり、「嘘論文」は私の夏休みとともに雲散霧消、 なんてことがないことを祈るのみ。
2010年9月4日(土)
<<アマゾネス>>
朝、梅田のホテルをチェックアウトし、Sbuxでコーヒーを飲んでから、
研究集会の会場へ。お目当ては最初の講演。これもまたためになる良い話だった。
その後、もう1つ講演を聞いて昼休み。午後も講演があり、今夜は懇親会まで
あるようだ。生涯一座敷童の私が懇親会に出るわけがないが、
ドイツ高跳びを前になにかと気ぜわしいので、いつもは全部聞く講演のほうもパス。
今日はこれにて退散。その辺で昼食を食べてから京都に帰るか、と。
しかしその前にお金を下ろさないと、江戸前鰻重で散在して電車賃も 足りない状態。会場のビルに阪急国際ホテルが入っているので、 そこのフロントで近所に銀行のATMがないか聞いたところ、親切に 教えてくれた。しかし該当場所をウロウロしてみたが、そもそも目印 になる「ふぁんふぁん」なる店が、商店街の案内図を見ても現場を 探しても存在しないし、ATMも見つからない。
結局よくわからないので、その近くの阪急イン・アネックスのホテル に飛び込んでフロントの中国人の係員に聞いてみた。「一番近いATMは 梅田駅まで行かないと無いですけど、ムッチャ遠いです」と。フロントの係員 が「ムッチャ遠い」って、どうよ?と思うが、中国人だから許す。 彼女はホテルの裏のコンビニを教えてくれて、そこでお金を下ろすことができた。
それから昼食の店を探したのだが、14時近くにもなっているのに、 飲食店フロアになっている地下街や駅近辺の商業ビルで、私が入ってみようかなと 思う店の入り口では、ことごとくさまざまな年齢層の女達が列を作って待っている。 オッサンやおニイさんはほとんどいない。土曜の午後の梅田の飲食街がアマゾネス 化するとは、今の今まで知らなかった。街がオッサンだらけになるよりはうんと マシだが、暑い中を歩き回っても、なかなか昼食にありつけないのは辛いところ。
ようやく梅田駅のすぐ近くの中華料理店に入れたのだが、その店の客も やはり女たちばかりだった。私の隣に座った50代ぐらいの女は、天津飯を 食べながら文庫本に読みふけっていた。それにしても、土曜日の午後、 大阪のオッサン達は一体何処に居るのだろう。どこかに隠れてタコ焼きでも 食べてるのだろうか?
夕方頃、ほうほうの体で京都の自宅に戻って「嘘論文」の作業を再開。 夜、一応第一版が完成。もう少し手を加えて、強引にどこかに発表しようかし ら、と。
2010年9月3日(金)
<<またも鰻重>>
最近また睡眠不足気味なので、10時前までしっかり寝る。遅めの朝食のあと、
「嘘論文」の作業。昼過ぎに自宅を出て、大丸ラクト山科店のジューススタンド
でぶどうジュースを飲み、山科駅前で簡単に昼食をすませて大阪梅田へ。
Sbuxで一休みしてから予約しておいた近くのホテルにチェックイン。
部屋でしばし「嘘論文」作業を続行。夕方、研究会の会場に向かい、お目当ての
講演を聞く。これもまた、とても刺激的で有益な話だった。それから、
夕食にはまだ少し早いので、ぼんやり数学を考えながら
紀伊国屋書店や阪急梅田地下街をぐるぐる歩きまわり、適当に腹が
減ってきたところで夕食。
学生時代に一度だけ、友人に連れられて梅田の紀伊国屋書店に来たことが ある。当時は数学の洋書も売っていて、友人はたしかアンドレ・ウェイユの アーベル多様体論の本を買おうとしていたように思う。今の紀伊国屋には洋書 の専門書の類は売ってない。Ritsの生協に、「京大生協は昔から洋書を 扱ってるのだから、ウチでも扱ってくれ」と何度も要望を出したが、 まったく実現の兆しはない。どうも洋書の販売には何か高いハードルでも あるようだが、それが何なのかはわからない。まさかマフィアが仕切っていて、 素人が容易に手を出せないってわけでもあるまいが。
夕食は江戸前の鰻重。また鰻かって?だってドイツに行ったら 食べられないじゃん。北東の海で鰻が取れて、ドイツの一部の地方や スウェーデンあたりでは鰻料理もあるようだけど、鰻のかば焼き は絶対にないはず。
新たなサンプル採取 のため、今日は別の店に入ってみた。昨日のは脂が落ちてぼそぼそした感じだった が、今日のは脂がのっていて美味かった。しかしそこは江戸前で、表面を カリっと焼くという風にはなっておらず、ちょっと物足りない。 たとえ物足りなくても、これはこれで美味いので、明日の昼食にも食べる かもしれない。
夕食後、コンビニで明日の朝食を買ってホテルに戻り、またも「嘘論文」 作業。書き進むにつれて次々と新しい問題が浮上し、それをひとつひとつ 解決していくうちに、どんどん泥沼にはまっていく。こんな調子で大丈夫かしら。
2010年9月2日(木)
<<蹴飛ばす>>
猛暑のため、エアコンをかけたままで寝るのだが、微妙に体が冷えて
半冬眠状態になり、今日は夕方頃まで猛烈な睡魔と戦っていた。午前中
は少し数学をと思ったが、結局すこし横になったところで気を失う始末。
昼前に自宅を出る。大丸ラクト山科店のジューススタンドで マンゴオレンジジュースを 飲んで大阪梅田へ。今日からアフィン代数幾何学研究集会。梅田阪急の地下街 で江戸前の鰻重の昼食。
表面をカリっと焼きあげ、中はジューシーな脂の乗った身が詰まっている 津の鰻と違い、江戸前鰻は蒸して脂を落としてあるので、ぼろぼろ身がほぐれて 柔らかく全体的にあっさりしている。穴子の大きいのって感じ。 東京の人はそれが美味しいというが、私はやはり津の鰻の方がいいな。
Sbuxで少し時間を潰してから、午後の講演を聞きにいく。ためになる 良い話だった。明日は夕方の講演、明後日は朝一番の講演を狙っている。 東京や大阪で会社員をやってた頃はどうってこともなかったが、もう 京都や滋賀の田舎暮らしが長いので、大阪京都間の満員通勤電車に乗る気 が起こらない。ということで、明日の晩は私費で大阪のホテルに泊まる予定。
帰宅途中にふたたび大丸ラクト山科店に立ち寄って、安いワインを買い、 昨日から新しくなった店内をざっと偵察。紳士物洋品、子供服と玩具、旅行用品 などの売り場がリストラされ、1.5フロア分が閉鎖されていた。
帰宅後、夜は「嘘論文」の作業。まあ、嘘も千回つけば本当っぽくなる だろうということで、ドイツに発つまでに何とか纏めようか、と。というような ことを言ってるうちに、アメリカ数学会から論文レビューの督促メールが届いた。 もう1週間ぐらい先だろうと思ってたんだけど。 気の小さい私は、先にレビューの仕事を片付けなくっちゃ、みたいに思ってしまうけど、ここは強い意志で蹴飛ばさないと。
2010年9月1日(水)
<<他人事?>>
今日も起きるにはちょっと早い時間にふと目を覚まし、昨日の「とどめの一発!」
で瓦解した主結果その1を、さらに木端微塵に打ち砕く「究極の一発!」の予感が
よぎる。ベッドの中でしばし考えた末、そこまで事態は悲惨ではなく、
やはり「とどめの一発」レベルにとどまることが分かった。どうも私の場合、
数学を一番深く考えることができるのが早朝の目覚めのときで、昼間はひたすら
色々なことを頭に詰め込み、詰め込まれたことが夜寝ている間に無意識に整理され、
整理が終わったところでふと目が覚めるようだ。
午前中は自宅の身辺整理。私は専門書以外はあまり本を読まないが、それでも たまに1冊2冊と買った本で捨てても良いようなものが、段ボール2箱分ぐらい 貯まっていた。1,2年前にもそうしたように、古本屋を呼んで処分しようと思う。
大丸ラクト山科店のジューススタンドで桃ジュースを1杯飲んで、午後は大学 に出勤。途中、山科駅のホームで、茶髪に山姥メイク、制服のスカートをちんちく りんに短くしてルーズソックスという、懐かしい姿のギャルがいた。20世紀の世界 からバック・トウ・ザ・フューチャーしてきたのか、実は映画の収録だったのか、 何なのかよくわからない。しかし、履いてるサンダルだけは21世紀になって 流行ったものだった。それ、時代考証違ってるんじゃないの?と。
大学に到着後、Subwayのツナサンドイッチと烏龍茶を買って研究室でこそこそと 昼食。その後は、友隣社に注文しておいた専門書6冊が届いていたので、 早速研究費からの出金手続きをした。それ以外に、自宅に積み上がっていた 資料類を書棚にしまったり、ドイツ高跳びに必要な書類を遠くの事務に受け取り に行ったり、同じく高跳びのための別の書類を書いて提出したり。何やかや 雑用を片付けて、夕方に大学を発つ。
夜も自宅の古本の整理。前回古本屋に売り飛ばすのを躊書した本も、 気前よく放出。その後、ひと風呂浴びて、今日届いた専門書の1つをすこしばかり 眺める(予定)。
テレビのニュースによれば、今年は百十数年でもっとも暑い夏だそうだ。 私が小学生の頃、夏の最高気温はせいぜい31,2度ぐらいだった。たまに 新聞が猛暑だと騒いでいて、夕刊の1面に「名古屋33度!」みたいな 見出しがさも大ごとのように書かれていた。33度なら、今の日本じゃあ 普通というか、まあ、しのぎやすいかなって感じだよね。
今でもよく覚えているのは小学生向けの学習雑誌の記事。 「砂漠の暑い国では40度ぐらいにもなる。暑い時は薄着になるのが普通だが、 体温より気温が高い国では、逆に外の熱が体に入らないように全身をすっぽり おおうような服を着るのだ」というようなことが書いてあった。 当時の日本では、気温が体温より上がることは考えらない事態だったので、 大変な国もあるものだなと他人事のように思ったものである。 でも、もう他人事じゃないんだよね。