の
た
め
の
邪
魔
な
広
告
よ け ス ペ ー ス で す。
2010年9月30日(木)
<<貴方は何をしたいのか?>>
本日、個人的な極秘任務でミュンスターに行く。オスナブリュックからIC
を使って20分ちょっとと近いので、昼前まで自宅で数学などをしてから
おもむろに出掛ける。ちょうど12時頃にミュンスター中央駅に着き、
駅の中のサンドイッチ店で簡単な昼食をすませてから、旧市街に繰り出す。
有名な大聖堂からミュンスター大学の看板でもある宮殿跡へ行き、さらに
アー湖まで足を延ばして、動物園まで1時間ぐらいかけて往復する水上
バスに乗り、また旧市街に入ってカフェで休憩し、18時頃にミュンスター
中央駅からICに乗り、18時半ごろにオスナブリュックに戻る。
6年前にここに来た時は、大聖堂からミュンスター大学に向かう 途中の通りにネズミの巣の落書きがあり、その写真をこの日誌でも 紹介したのだが、今日行ったら、その落書きは消されていた。
水上バスは、もう肌寒い季節になったせいか私以外に誰も客がいなかった。 たぶん今は船の油代が出るかどうかの赤字運航ではなかろうか。 往路の終点の動物園のあたりで5分停泊して、それから 復路に向けて再出発するはずだが、気の良さそうな船長は 「ここでちょっと船を下りて、そこの 自然博物館や公園のあたりを散歩してくればどうか。自分は煙草でも 吸って待ってるよ」と。でも5分しかないじゃないかと言うと、 「どうせ他に客は居ないし、10分かもうちょっと待っててもいいし、 別に貴方を置いて先に出発したりはしないよ」という。じゃあ、という ことでちょっとその辺を偵察飛行してみた。
カフェではアジア系のボーイだかギャルソンだかが居て、ケーキか 何か甘いものはないかと聞くと、そこの見本で選んでくれという。で、 何だか選んだのとは違うケーキが運ばれてきたようだった。まあ 実はどのケーキでも良かったんだけど。しかし、 あまり愛想も良くないし、いい加減な奴だなということで、 勘定はチップ無しでピッタリ払って"Das stimmt!"
帰宅後、カフェの巨大ケーキが腹にもたれていたので、夕食は 簡単に済ます。その後、ルフトハンザに電話を掛けて、月曜日の 私用極秘任務のフライトの予約確認。ドイツ語の録音 が流れて、これこれの要件は何番のボタン、あれそれの要件は1番 のボタン、それ以外の要件の方はそのままオペレータが出るまで待てという。 最初のものが予約の確認のようだが、あまりよく聞き取れず、 何番を押せばよいのかよくわからない。
それで結局そのまま待ってたら、オジサンのオペレータが出てきたんだが、 どうも様子がおかしい。それで貴方は予約の何を確認したいのだ?というようなことを 聞いてくる。予約の確認がしたいと航空会社に電話を掛けて、 「それで貴方は何がしたいのだ?」と聞かれるのは初めてである。 面倒な話をドイツ語でやれる自信がないので、英語に切り替えて 色々蒟蒻問答を行った末に、 「確かに貴方の予約したフライトはブッキングされています」 とのことだったので、一応電話を切る。
でもどうも何か変だなと思い、再度ルフトハンザに電話をし、 録音ガイドを聞きながら0番を押してみたら、今度は女の人が出た。 フライトの予約確認をしたいと言うと、了解しました、では チケットの番号をどうぞとくる。「それで貴方は何がしたいのだ?」 みたいなことは言わない。ああ、やっぱり電話を掛け直して良かったと 一応安心。さらにフライトのスケジュールに変更はないのかとか、もう 出発までにもう一度リコンファームする必要はないと理解しているが、 それで良いかということを聞き、変更はないし再確認の必要はないとの 回答を得る。まあ、これでたぶん 大丈夫なんだろうと思う。
それにしても、昔から不思議に思うのだが、何故航空機の場合だけは 「予約の確認」が必要なのかしら。最初に出たオジサンのオペレータが 「貴方は何を確認したいのだ?」と聞いてきた時に、よっぽど 「知らんがな、そんなことはこちらが聞きたいわい! あんたらが予約の確認をせいというから、わざわざ電話を掛けてる んやないの?わけのわからんことを聞くな、あほ!」と 暴れてやろうかしらと思ったが、 ここはひとつ低姿勢にと堪えたけどね。
あと、1月に開かれるロンドンでのウィンター・スクール応募の件。 昨日出したメールの返事が来てて、9月20日に「合格者」を決める予定 だったが、締め切りが10月15日延期されたから、もう少し待てと。 折角募集したのに、高山とか変な奴ばかり応募してくるから、 もうちょっと募集期間を延ばしていい人が集まってきたら高山を 斬ろうかとか、そういうことを考えてるんだな。何だよ一体、 俺サマを誰だと思ってんだよと、PCの前で一応憤慨しておく。
2010年9月29日(水)
<<軽く流しておく>>
気分が暗い理由は、自分としては幾何学的なことをやってみたいのだが、
何だかどんどん純代数的な方向に流されているような気がするからだろう。
では何故自分は流されているのだろうかと考え始めると、益々暗くなってくる。
だから、それはそれとして軽く流しておく。
ということで、午前中は旧市街の本屋でフランス語文法の本を買ったり、 フランス語の辞書を偵察したりして逃避行動。ドイツ語で書かれたフランス語 文法の本は日本では手に入らないが、こちらでは高校生の第二外国語 になっているので、アビツール(Abitur高校卒業資格試験、フランスの バカロレアに相当するもの)対策用の参考書で適当なのが見つかった。それから さらに足を延ばしで、デパートGaleriaでMozart Kugel(球形のチョコレート) のばら売りと包丁の砥石を購入。一旦ゲストハウスに戻ってから、大学へ。
大学に着いた時はちょうど昼食の時間だったので、そのままメンザに直行。 偶然B先生も居た。大学院生も一緒だというので、3人で昼食を とることに。ドイツ人同士の会話なのでよく聞き取れないのだが、B 先生と学生は食事をしながらとりとめもない雑談に興じているようだった。
大学教師が自分の学生(おもに大学院生)を連れて食事に出ることは、 別に珍しいことではないが、私はそういうことをしたことがないし、 これからもしないだろうと思う。その理由を考え始めると、また暗くなって しまうので、ま、それはそれとして軽く流しておく。
今日は、昨日B先生も貰った資料に目を通し、基本的な アイディアや問題点を抑える。
夜は近所にある地ビールを飲ませる店で夕食。店の奥にビールを醸造する タンクがあり、そこで作られたビールを飲ませている。ブレンナー先生ご推薦の店。 ドイツ料理らしく塩気が多く、黒ビールはやや水臭い感じ。白いビールは、見掛けは ちょっと濁った番茶みたいで、あまり冷えてないが、味はフルーティーで 他の所でも飲んだ覚えがある。透明で喉越しがすきっとしたピルセナビールとは 別の種類のようだ。
写真は店内の様子。店は3階建てだが、2階席まで吹き抜けになっていて、 私が座っていた薄暗い2階席の赤い手すりと強化ガラス壁の金属製の枠の向こうに、 明るい1階の店員がいるカウンターのような場所が写っている。 店員の頭上に鈴なりに掛かっているのは、ビールのグラス。
1月にロンドンのアイザック・ニュートン研究所で開かれる、
モジュライ理論の初心者向け講習会に応募していて、
9月20日に選考委員会が開かれたはずだが、まだ何も通知が来ない。
マックス・プランク研究所みたいに、不採用者は当人から問合せ
があるまで放置しておくのが欧州の流儀かしらと思い、深夜、
「もう10日経ちますど、どうなりましたか?」と問合せメールを
出す。不採用になることは分かっているのだが、知らん顔され
たままでいるのも癪にさわるから。
2010年9月28日(火)
<<呪いの言葉>>
午前中は近くの銀行(Sparkasse)にゲストハウスの家賃を払いに行き、
そのついでにスーパーで食料品などの買い物。ゲストハウスに一旦戻
ってから、大学へ。
今日は日本人から色々メールが届く。友人からの個人的なメールや 事務手続きに関するもの、そして前期試験の成績照会関連のもの。 最後のもおは、成績疑義照会制度を使って前期試験の成績評価について 学生が問い合わせるもの。事務の人に答案をスキャンしたPDFファイル をメールで送ってもらい、こちらで再確認し、採点に誤りがあれば 訂正するという手筈で作業をおこなう。
オスナブリュック大学は今、夏学期の試験期間らしく、数学科の フロアにあるテーブルに学生がたむろして試験勉強したり、追試など について教員に問い合わせたりしている。B先生のところに もひっきりなしに学生が訪れ、口頭試問をしたりいろいろやっている ようだった。
私は例によって談話会のネタ仕込みを兼ねて、8月の「嘘論文」 の顛末を縷々書きとめる作業を続行。そうこうするうちに、 夏学期試験関係の仕事が片付いたのか、突然B先生が現れて 共同研究の相談。あるテーマを持ちかけられる。 私の方から何か研究テーマの提案はあるかと聞かれたが、 残念ながら成果が見込める勝算のある話は無く、数年前に書いて 放置してあるプレプリントの話を一度聞いてコメントが欲しいとだけ 答えておいた。これは以前同業者の前で話したときに、 「はっきりとした根拠があるわけではないけど、それは間違って いるような気がする」と呪いの言葉を掛けられて、以後、 呪いの真偽は明らかにならないままになっている。この方面では 今や世界的権威者のB先生に聞けば白黒がはっきりする だろうと思う。
いよいよ共同研究が始まったのに、何故こんな暗い気分になるの だろうと思いながら早目に帰宅。日本からのメール関連の作業を片付け、 夜はB先生からもらったプレプリント等を少し眺める。
写真は今日のメンザでの昼食。麻婆豆腐に見えるが、酢豚の豚の 代わりに豆腐を入れたものに近く、酢豚にしては味が薄い。 左上の皿はご飯で、粘り気の少ない外米の干し飯を水で戻したような 味がした。まあ、最初からまともな麻婆豆腐やご飯とは思ってはいな いわけで、一体どんな味がするのかしらと「怖い物見たさ」というか、 調査活動の一環として選んだのだから、これはこれでよしとする。 付け合わせの豆やニンジンを煮たものは、標準的なドイツの味。
私がよく行くスーパーの一つでは、サーモンや海老などの握り寿司や
巻き寿司のパック詰めが売られている。醤油を入れる魚形のプラスチック
容器は、日本ではメダカぐらいの大きさだが、こちらでは鮒ぐらいの
特大版。見たところ普通の寿司のようだが、寿司飯の酢にワイン酢が
使ってあったり、巨大醤油容器に入っている醤油が香辛料が色々入った
マギーのSojasosse (これは醤油の真似をした別の調味料と考えるべき
である)だったり、もしかしてパラパラの米をクリームチーズで固めて
あるのではなかろうか、などと勝手に想像して楽しんでいるが、
今のところ買ってみる予定はない。
2010年9月27日(月)
<<ミュンスター・オスナブリュック空港>>
本日午前中は、ゲストハウス近くのバス停からシャトルバスに乗って、
ミュンスター・オスナブリュック空港を偵察。12月にエディンバラに
行く予定だし、それ以外に急に一時帰国しなければならないことも
あるかもしれないし、空港の便はちゃんと押さえておこうか、と。
そもそも空港に鉄道が通ってなくて、マイクロバスみたいなシャトル バスだけというのも不安なものがある。こんなのでちゃんと飛行機に乗り 遅れずに空港に行けるのかどうか、道路状況など、感触だけでも掴んで おきたいと思ったから。
それに18日に到着したときには、「シャトルバスの発車まであと3分!」 とせかされたので、空港の様子も全然わかってない。インターネットで空港の ページを見ても、航空便の発着時間や駐車場の案内みたいなのが出ているばかりで、 空港の全体図がどうなっていて、航空会社のカウンターがどこで、出発ゲートが どこでといったことが全然わからない。これも押さえておかない と、いざというときにまごまごしてしまう。
今日は朝から真面目に雨が降っており、オスナブリュック市内の道では かなり渋滞したが、市内を抜けてしばらくすると高速道路に入り、あとは 雨の中もものともせず猛烈なスーピードで走り抜ける。結局30分で着く 予定が45分かかったが、ゲストハウスの管理人さんやブレンナー先生の 話とも総合すると、まずまず信頼できる交通手段のようだ。
ミュンスター・オスナブリュック空港は関空やフランクフルト空港 とは比べものにならないほど小さな空港で、構造も単純だった。1時間ほど すみずみまで偵察してから、またシャトルバスでオスナブリュックに戻り、 デパートでパジャマなどの衣類を買って昼食をとり、さらにスーパーで パン、チーズ、ハムなどを買ってゲストハウスに戻る。
午後は大学へ。先週休んでいた秘書の人に会い、コピーカードのことや コーヒーマシンの使い方、研究室の無線LANの登録申請などを済ませる。 図書館で本を借りだせる手続きは、これから申請するとのこと。
私の部屋はB先生の部屋の隣。研究室は8畳間ぐらいで、 私が今まで見た世界中のどの大学よりも小さいし、廊下も狭い。 ここの先生たちはどう思っているか知らないが、私としては保管すべき某大な 資料があるわけでも、研究室で学生とゼミをするわけでも、来客対応をするわけ でも何でもないし、誰かがやってきて「ああ、高山さん、居ましたか。ちょうど 良かった」とか言って何やかや雑用を持ってくるわけでもないので、 物理的にも心理的にも、このぐらいの広さで十分である。
その後、研究室で談話会のネタ仕込み作業をして17時頃家路につく。 夕食後、夜もすこしネタ仕込み。
2010年9月26日(日)
<<プフィファリング>>
午前中はガラス瓶などをすこし離れた通りのコンテナに捨てに行ったり、
日曜日の午前中だけ開いているスーパーに買い物に出たり。アメリカでも
ヨーロッパでも、厄介なのがトイレである。日本のように、曜日にかかわらず
色々な店が開いていて無料のトイレが利用できるようなことは考えられない。
有料トイレがあれば恩の字で、何もないことも珍しくなく、そういう時は
パニックである。
今日も午前中は寒かったこともあり、遠くのスーパーにたどり着く直前で 催してきた。スーパーには当然ながらトイレはなく、日曜日だから周囲の店 は全て閉まっている。困ったものだ、スーパーの前まで来て引き返さねばな らないか。しかも、自宅でトイレをすませてまた戻ってきた頃には、閉店 になってるかもしれない。
しかしふと見ると、近くに工事現場があって、当然ながら今日は誰も 作業をしていないのだが、現場作業員のため の簡易トイレが置いてある。日本の場合、この手のトイレには必ず鍵がかかってい るが、このトイレは見たところ鍵がかかっていない。そこで失敬して ここで用を済ませることにし、無事スーパーでの買い物を終えた。
そういえばスーパーに向かう途中、地図を見ながら歩いていたら、 後ろから自転車で近づいてきた地元のオバサン風の人が「何かお困りか?」と 聞いてきた。「別にないです、ありがとう」と答えると、そうですかと 引き返して行ったから、しばらく私をつけてきたのか。 なんだか昨日の民間人職質に通じるものを感じる。その時はまだ便意は催して いなかったのだが、「何かお困りか?」と聞かれて「ドイツの街は トイレが少なくて困る!」と吠えてやったら、面白かったかもしれない。
やれやれと帰宅し、簡単に昼食をすませ、午後は少し数学。 10月半ばの談話会のネタ仕込みに励む。
夜はB先生に紹介された、市役所の建物の1階にあるレストランに 行ってみた。今はきのこのプフィファリング(Pfiffeling)の季節らしく、 スーパーにもよく売っているので、豚肉を焼いてプフィファリング・ クリームソースをかけた料理などを注文する。 前菜はトマトソースのクリームスープみたいなやつ。 それに野菜サラダとグラスワインを注文。ワインも料理も美味しかった。
実はドイツでちゃんとしたレストランに入ったのは初めて。これまでは メンザとか、サンドイッチやソーセージやポテトサラダの軽食(Imbiss)ばかり で、あとはもっぱら自炊。これは要するに語学に自信がなくて、メニューとか 店員とのやり取りとかが億劫だったからである。しかし、ある程度ドイツ語が わかるようになって、「全部理解できなくても何とかなる」という根拠がある ようなないようなビミョーな自信がついてきて、やっと入ってみようかという 気になれたのだ。
2010年9月25日(土)
<<民間人による職務(?)尋問>>
6時半起床。朝食の後、支度をしてゲストハウスを出る。今日はエッセンに
偵察飛行。エッセン大学の冬学期の研究セミナーにちょくちょく潜入
しようと思っているため、オスナブリュックからの交通の便や
エッセンの最近の様子の予備調査。
特急列車に乗って1時間20分ほどでエッセン中央駅(Essen Hbf)に着いた。 この駅は最近大幅に改装されたらしく、大型スーパーや新しい専門店もいくつ か入って、私が居た2004年の夏頃とは打って変わってモダンな感じの綺麗な 駅に生まれ変わっていた。
まずはエッセンからローカル線のSバーンに乗って6分ぐらいのところにある エッセン・シュテーレ東駅(Essen-Steele Ost)で降り、そこから徒歩 10分ぐらいのところにあるエッセン時代の大家さんの家へ。 2004年の夏に日本に帰る時は、隣の家が取り崩されていたが、 今日行ったら新しい立派な家が建っていた。
大家さんは留守のようだったが、懐かしいので外からパチパチ写真を 撮ってたら、車で通りかかった中年の主婦らしき女に怪しまれて、 「貴方は何故写真を撮ってるのか?」と呼びとめられた。自分は以前に ここに住んでいて、今はオスナブリュックに居るのだが、今日久しぶりに 来てみたのだと答えると、「前に住んでたというが、私は貴方に見覚えが ない。何時住んでたのか?」と聞いてくる。ここで「何でそんなこと、 貴方に答えなければならんのだ?」と逆切れしてみせるという、いかにも 日本人らしいリアクションをとれば、おそらくは警察に通報されて ややこしいことになるかもしれない。しかも私自身、そういう日本人の 逆切れ性が嫌いなので、ここは正直に答えることにする。
それで、自分は2000年9月から2001年3月末と2004年 4月から8月末まで住んでいて、ここのファイファー氏は私の大家さん だったのだと答えると、納得したふうで「いや、写真を撮ってるのはどうも 変だ(komisch)だと思ったもので」と言って去っていった。 こういう民間人による職務(?)尋問は日本ではありえないし、 非番の警察官でもそういうことはしないのではないか。まあ、私はこれが ドイツの良いところだと肯定的に受け止めているけど。
それから元下宿の近辺を少し偵察飛行してから、またSバーンに乗って エッセンに戻り、中心街をすこし歩いてみる。以前よく行ったマエッシュという 大きな書店に入り、例の無料青色殺菌灯トイレへ。ところが、このトイレも 改装されていて、青色殺菌灯はなくなって普通の照明に代わっていたが、 入り口の機械に50セントを入れないと入れない仕組みになっていた。 ただし、50セント硬貨を入れるとトイレのドアが開き、さらに機械の下から 小さな紙切れが出てくる。その紙切れは50セントの割引券で、この書店の買い物 ならば他の日でも使えるとあった。つまりトイレを借りるだけなら50セント 徴収するが、書店の顧客には事実上無料というわけだ。こういう所に手間暇かける ところは、いかにもドイツ的だなと思う。
あと色々細かい調査報告。 スーパーの野菜や果物は、自分で好きなだけ取って備え付けのビニール袋に入れ、 自分で秤つきの機械にかけて、出てきた価格ラベルを張ってレジに行くという方式は、 エッセンシュテーレ東のスーパーREWEではまだ廃止されていなかった。 エッセンとオスナブリュック駅のトイレの使用料は いずれも70セント。ICやICEの車内には自由席と指定席が混在しているが、 指定席は荷物棚の座席番号が書いてあるところに電光掲示板があって、 そこにたとえば「Essenn - Hamburg」のような文字が出ていれば、その区間は誰か が予約していることを表す。この場合、Essen駅を出て10分以上経っても誰も 来なかったら、そこに座ってもよかろうと思うと、知らずに「この席空いてま すか?」と聞いたオジサンが言っていた。2004年夏頃に何度も乗った ICやICEのトイレは大抵壊れていたが、今日の往復で乗ったIC,ICEでは そういうことはなく正常だった。また、バスや列車の客室には、緊急脱出用に 窓ガラスを割るための特殊なハンマーが完備されていた。これも結構ドイツ的かも。 電車に乗る時、以前は自販機で切符を買って、ホームの近くの機械で 切符に日付を刻印(entwerten)しなければならなかったが、今回は 切符の発行時に既に日付か印刷されていて、日付刻印の必要がなかった。 しかし刻印装置はまだ設置されているので、制度の代わり目なのかもしれない。
まあ、6年もすればドイツもずいぶん変わるわけで、何だか浦島太郎に なったような気分で頭がくらくらする。
夕方オスナブリュックに戻る。写真は、ホテルのロビーではなく、 エッセン中央駅のトイレの入り口。造花か何か確かめなかったけど、 花が飾ってあり、その横の機械に70セントを入れると、 ガラスの自動扉が開く仕組みになっている。この機械は「お釣り が出ます」とわざわざ断ってあるが、お釣りが出ない自動販売機の類は、 ドイツでは珍しくなく存在するような気がする。
実際、先日行った外人局
の証明写真ブースはお釣りが出ず、それを知らずに3ユーロの証明写真の
5ユーロ札を入れてしまった。これはタチが悪い。オスナブリュック大学の
最新型(?)のコーヒーの自動販売機は、
55セントのコーヒーに対して正確に55セント入れないと動かない。
例えば、20セント硬貨を3枚入れると最後の1枚は戻ってくる。
この場合、コーヒーは飲めないがキャンセルボタンを押すと全てのお金が
戻ってくる。「ドイツ人の皆さん、こんな生活が楽しいんですか?」と思わず
聞いてみたくなる。
2010年9月24日(金)
<< Sparkasse >>
7時起床。
昨日、ゲストハウスの賃貸借契約書と家賃の請求書が来ていたので、
契約書にサインをし、管理人の書簡棚に入れておく。ゲストハウスの
管理人もそうだが、大学の学科レベルの事務員なども、週4日ぐらい、
おもに午前中だけ仕事をする女の人が多い。今日は9時から13時まで
管理人が居るはずだったが、急きょ11時から12時半までしか
居ないという掲示が出ていた。管理人が居なくても、契約書や玄関の
インターホンの使い方の質問などは書簡箱を通して行えるし、
土曜の夜に到着する新規入居者に対する鍵の受け渡しは、
裏庭の倉庫のような小屋と通して行えるというわけだ。ただ、鍵の受け渡し
方法はかなりの荒業ではなかろうか。
それから街に出て、家賃の振り込み銀行であるSparkasseを探す。 これは街の信用金庫のような感じでいたるところに店舗があるが、 いざ捜すとなると見つからない。しばらく街をウロウロして、 案内所で聞いたりして支店のひとつにたろりつく。 行員に聞いてみたけど、日本の銀行の口座からの振り込みはできず、 5ユーロの手数料を払って現金振り込みしか方法がないようだ。 しかも、マネーロンダリングを恐れてか(?)パスポートを見せないと 振り込みさせないという。パスポートはゲストハウスに置いてきたので、 今日のところは撤退。
そうこうしているうちに午前中がほぼ終わってしまい、自宅に戻って 準備をしてから大学へ。数学科のくせに研究室には何と!UNIXマシンが 置いてある。専属のシステム管理者がいるせいかもしれないが、 数学科ではちょっとめずらしい。 TeXやEmacsもちゃんと使える状態にあったので、 10月半ばの談話会の下ごしらえのような レポートを書き始める。英文で書くぶんには問題ない。 最初の設定で日本語対応にしてもらった けど、表示できるのはひらがなばかりで、Webで日本語のページを 見ると伏字だらけの画面。まあ、ないよりはマシで、それなりに使いようはあるが。
昼食はメンザ。夕方は遠回りしてスーパーに立ち寄り、少し買い物 をしてから帰宅。夕食後、夜も少しだけレポート書き。
こちらに来て以来、日々ドイツ語漬けの生活である。管理人とのやりとりは勿論、 街では、たとえ英語で話しかけられても、英語はよくわからん!みたいな顔をして 下手でもなんもドイツ語で押し通してる。ブレンナー先生とも ほとんどドイツ語で話している。かくして、 もはや日本語や英語が危うくなり始めている。英語は論文などを読み書きする 時に頻繁に使うが、日本語は頑張ってこの日誌を書かないと、ほとんど 使う機会がない。
読者のみなさん、今後も私の崩れゆく日本語をお楽しみください。
2010年9月23日(木)
<<動物園>>
本日6時半ごろ起床。朝食を食べて、ネットでバスの路線や発車時刻などを
確認してからゲストハウスを出る。今日はオスナブリュック中心街からすこし
南に行ったところの動物園に出掛ける。
B先生から昨日、動物園や有名なプラリーネの店、 レストランや自家製ビールを飲ませるビヤガーデンなどを教えてもらったのだ。 別にそんなに気をつかってもらわなくても、当方は勝手に偵察飛行を行ったり 数学をやったりという生活を日々粛々と進める所存なのだが、地元の人の おススメ情報は貴重である。
数学者社会に関するさまざまなトラウマを抱える私としては、 このまま来年の3月まで遊びのことばかり教わり、数学的には 全然相手にしてもらえないのではないかという不安もよぎるが、まあ、 そういうことは気にしてもしょうがないことだ。
これまで2回エッセン大学に滞在しているが、1回目はホスト側の Herzog先生と日々綿密な議論をつづけて共同研究、2回目はHerzoz先生 が多忙なため、必ずしも共同研究には至らなかったが、何となく1つの テーマについて時間の許す限り議論をしていた。今回はどうなるのか 不明。私としては、日本を離れて大学のあれやこれやを忘れ、静かに 勉強したり考えたりできれば、それだけで十分かなとも思うけど、 折角この分野で最近著しい研究成果を上げているB先生 のところに来たのだから、彼から色々学びたいものだとも思う。
オスナブリュックの動物園は広大で、最初はゆっくり チンパンジーだのイボイノシシだのを見て回ってたが、 途中でまともに見て回ってたらまる1日かかってしまうことに気付いて 速攻モードに。入場料は13.5ユーロでちょっと割高感はあるが、内容的 には十分納得がいく。動物園には11時前に入園して、中で簡単に 昼食などもとって、14時前に出園。またバスに乗って中心街に戻る。
昼食では初めて「Currywurst (カレーソーセージ)」を食べた。 太いソーセージにカレー味をつけたケチャップをかけたもの。 別にどうってこともない代物だが、ドイツ語寺子屋の先生が、 ドイツ・インビス(Imbiss 軽食のこと)の真髄だから、ぜひ一度食べてみろ 、みたいなことを言ってたので。
中心街に戻ってから、オスナブリュックに本店がある Leysiefferというチョコレート店でプラリーネとトリュフの詰め合わせを買い、 さらにスーパーで少し買い物。最後にB先生に教えてもら たレストランも外から偵察。
帰宅後、買ってきたばかりのプラリーネとコーヒーで一息いれる。なるほど、 偉そうな構えの店だけあって、とても美味しい。偉そうな店構えのくせに、 値段はそれほどでもないところが立派。
夕食後は少し数学。10月半ばか下旬ごろに談話会で何か話せと言われて いるので、ネタをしこもうかと。夏休みに取り組んだ 「嘘のままで終わった論文」に関連した話に少し関係しているので、 この機会を利用して、ちょっと勉強しておこうか、と。
写真は動物園行きのバスに乗ったバス停。
2010年9月22日(水)
<<プリペイド電話のチャージ>>
やはり朝6時半頃に起きて、プリペイド携帯電話のチャージ方法の
説明書を調べる。CITIバンクのATMでチャージができるというが、
昨日いくつかの銀行で試した限りでは全然だめ。朝食の後、日曜日に
行った遠くのスーパーに雑貨などの買い出しに行き、そのまま大学へ。
今日は研究室の電話番号や外線発信ができるかどうかなどを確認。 B先生は不在だったが(Herzog先生の学生だった) R先生が居たので、教えてもらい、ついでに郵便の送り方も 教えてもらう。とりあえず封筒を手に入れて、日本の大学やフランクフルト のヤマト運輸支社に送る郵便を作ったが、今週は秘書が休んでいるので 郵便は出せないとのこと。来週まで待てない郵便なので、自分で郵便局 から出すことにする。
私は昨日買ったプリペイド携帯電話もチャージしないといけないので、 vodafoneの店と郵便局を捜しに街に出る。途中、CITIバンクのカードが 使えるATMでやってみたが、この方法はどうも使えない。 かなり歩き回って、結局vodafoneの店は昨日電話を買ったところまで足を 延ばした。さらに郵便にいたっては、もっと遠くにあるオスナブリュック駅前 の郵便局まで行った。
しかし帰り道に、自宅にかなり近いところにvodafoneの 店や郵便局があることがわかった。しかもそれらはここ数日何度も通った ところにあった。
夜は昼間歩き回った疲れか、時差ぼけか、21時頃から眠くてしょうがない。
2010年9月21日(火)
<<根性を試す>>
やはり6時過ぎに起床。朝食をとってすぐに、ゲストハウスの裏に
ある市庁舎別館(Stadthouse)の外人局(Ausländerbehörde)へ。
今日は住民登録とヴィザの延長手続き。
2000年と2004年にエッセンに滞在した時は、この手続きに ずいぶん梃子摺ったものである。 まだドイツ語があまり上達してなかった頃なのに英語は通じないし、 沢山の外国人が押し掛けて3時間ぐらい待たされた上に、 必要書類が足りないと言って1分で追い返され、翌日 書類を揃えて、また3時間待たされて、別の係員が現れ て、また別の書類が足りないと1分で追い返され、、、ということを 2,3回繰り返さないと3カ月の滞在許可を6カ月に延長することは 不可能だった。ドイツで暮らしていくには色々大変なことがあるから、 それに十分な根性がある奴かどうかを試しているのだろうと思ったぐらい である。
今日も色々覚悟していったが、8時に行って、窓口を間違えたりして ウロウロして、さらに書類が1つ足りなくてゲストハウスに取りに戻り、 などしてても結局2時間ぐらいで全て終わった。事務所がゲストハウスの すぐ近くな上に、エッセンと違って外人局を訪れるひとがうんと少なく、 10分ぐらいで順番が回ってきたし、前回2回のエッセン滞在時よりも ドイツ語が上達していて、係員とのやりとりも何とかスムーズに進んだ ことが大きい。
必要書類は、パスポート、健康保険証(旅行保険など)、ドイツの大学 からの招聘状、ドイツの大学から給料が出る場合は雇用契約書、それ以外の 場合は日本の大学からの派遣証明書(派遣期間とその間の給料が日本で支払われて いることの証明)の4つであった。
外人局の手続きは半日仕事と覚悟していたが、意外と早く済んだので、 街に出て色々買い物。まずは電機量販店Saturnでプリペイド携帯電話を 買おうと思ったが、店員がおらず。そこでデパートKaufhofで 雑貨や衣類を色々購入。ついでにそこで昼食。それから コピー屋を探してクロネコヤマトの荷物を送るために必要な 住民登録証をコピーし、本屋で地図を物色したが良いものが見つからず、 猫の絵本を買って出て、Vodafoneの店があったのでプリペイド携帯電話を購入、 さらにスーパーallfrischで水とワインなどを購入。
これで生活環境を整えるために手続きや買い物はあらかた済んでしまった。 やっぱりドイツ語を勉強しておいて、相手の話の全部が分かるわけでもないけど、 何となく何を言ってるかぐらいは分かり、こちらの言いたいことは一応 伝わるというぐらいにしてあったので、色々な事がずいぶんスムーズに片付く。
ところで、外人局のトイレに入った時、思わず「キターー!」と叫んで
しまった。この気持ちの悪いブルーの灯りは、エッセンの某書店のトイレ以来
である。数こそ少ないが、ドイツにはこういうトイレが少なくとも2つは存在する
わけで、昨日の毒々しい色の洗剤といい、ドイツ人の感性の底知れぬ部分を垣間見た
気分になる。
2010年9月20日(月)
<<勘で誤魔化す>>
時差ぼけの関係で6時頃に起床。生活環境について色々調査活動したり
朝食をとったり。9時に管理人室に行き、ご挨拶をして2,3の質問。
洗面所のシンクの栓が詰まって排水できなくなったので、何とかしてくれと
訴える。
10時にB先生がゲストハウスまで迎えに来てくれた。 植物園を通って徒歩10分ぐらいの ところにあるオスナブリュック大学へ。 私が使う部屋や彼らの同僚たちの部屋などに案内してもらったり、 図書館を偵察したり。
13時すぎにメンザに連れていってもらい、昼食。 B先生とはほとんどドイツ語で話している。彼は 語学の先生とは違うから普通に喋る。下手を すると彼の言う事の8割ぐらいしか聞き取れず、あとは勘と勢いで何とか 誤魔化している。
午後は街に出て食料品や必要な雑貨品の買い出しなど。昨日から 色々歩き回っているけど、オスナブリュックはなかなか良い街で、おおいに 気に入った。
帰宅後、留守中に修理業者が入るかもしれないと言われていたが、 洗面台の排水管の詰りはまだ修理されていなかった。洗濯をして 夕食。これまた20時頃から眠くなり始める。
まだ、住民票をとったりヴィザの延長手続きを行ったり、冬物衣料 の買い出しなどの作業が残っているので、明日も街を歩き回ることだろう。
数学の方は、10月半ばの談話会で何か話してくれと言われた以外は、 特になにも進展なし。
それにしても、ゲストハウスに設置されていた食器洗いのこの洗剤の
色は何なのででょう?今日スーパーに行っても、これと同じ製品が並んでいた。
この毒々しい色は日本じゃあ絶対に売れないだろうと思う。
2010年9月19日(日)
<<無事到着>>
関空からフランクフルトまでのフライトは順調だったが、フランクフルト
からミュンスター・オスナブリュック空港(FMO)までの乗り継ぎは、
すこしトラブルがあった。まずは出発ゲートがコンピュータ端末の故障で
急きょ変更になり、それから新しいゲートからバスに乗せられ、滑走路の
端っこにある小型ジェット機のところまで行った段階で、
パイロットがやってきて「駄目だ、このジェットは
飛べない」と。どうも機体の故障らしい。それでまたバスでゲートまで
戻され、別の搭乗機の準備を待つことに。結局出発は1時間遅れとなった。
FMOの到着出口を出たところで、B先生が迎えにきてくれてた。 挨拶もそこそこに、シャトルバスの発車まであと3分しかない。 チケットはもう買ってあるから、急げという。 ところが小さなシャトルバスには、既に大きな荷物を持 った学生風の若い男女が沢山乗りこもうとしていて、結局我々は乗れなかった。 しかしシャトルバスの会社がタクシーをチャーターしてくれていて、それで オスナブリュックに向い、現地時間の20時頃、無事ゲストハウスに到着した。 結局、空港の近くのホテルを探すまでもなく、出迎えとゲストハウス到着の件は、 予想どおり杞憂だった。
機内食がたっぷりあったので空腹ではなく、時差ボケで眠いので、夕食なしで 22時にはベッドに入る。今日は日本から持ってきた非常食と、ゲストハウスの 部屋に歓迎の意をこめて置かれていた果物で朝食を済ませ、午前中は、 ブレンナー先生先生に教えてもらった、日曜日でも営業しているスーパーに行き、 食料品などを調達。
ドイツのスーパーマーケットも、前回滞在した2004年度とは ずいぶん変わっていた。日本のコンビニやスーパーなどで売っているような、 生野菜サラダのパック詰めとか、薄切り肉を数百グラム単位で パックしたものなどは以前はほとんど無かった。また以前は、顧客が自分で 野菜などを好きな分量を袋に取って、それを近くに設置されている秤に乗せて 野菜の種類を区別するボタンを押すと、野菜の名前とグラム数と価格が書かれた ラベルが出てきて、それを袋に張り付けてレジに持っていく方法 が一般的だった。しかし今日行ったスーパーでは、その方式が廃止されていた。
スーパーから帰宅して簡単に昼食をすませ、ゲストハウスの共同洗濯場を 調査し、次はオスナブリュックの中心街の方を偵察飛行。店舗はすべて閉まっているが、レストランやカフェは大体営業している。パン屋も割合よく営業している。 人々は街をそぞろ歩きしながら、閉まっている店舗のショウウィンドウを覗いて みたり、カフェで一休みしたりしていた。 私もオスナブリュック駅 まで行って、近くのカフェで一休みし、夕方頃帰宅し、 洗濯機のマニュアルを詳細に調べ、午前中に買ってきた食材で適当に夕食。
まだ時差ボケで早い時間から眠い。数学は全然やってない。
2010年9月17日(金)
<<問合せ>>
午前中に荷物の最終チェックをしてタクシーで京都駅へ。そこからリムジンバス
で関空に行き、近くのホテルにチェックイン。関空の施設や明日のチェックイン
カウンターの位置などを確認し、部屋に戻って一休み。
今日は朝から色々メールが届く。後期の授業の代講をしてくれる先生から、 前期はどこまで進んだかの問合せ。前期の卒研に参加していた学生から、 またメールで質問してもよいかとの問合わせ。 学生時代の友人で他大学の教師をしている男から、「今度の学会は出席するのか? それとも、もうドイツに行ってるのか?」との問合せ。 何で皆さん、狙ったかのように出発直前に何やかや言ってくるの?とぼやきながら、 ホテルの部屋からせっせとメールの返事を出す。
やっぱり今回の出発前の憂鬱は、「嘘論文」の「嘘」の字を出発まで に外すことができなかったことが原因かな、と。そういえば数年前に書いて 放置してあるプレプリントもあるし、ドイツ滞在の半年で、これらを何とか 世に出せるようにしたいものだ。
ドイツはフランクフルト経由で現地時間の明日18時過ぎ(日本時間 19日午前1時過ぎ)に ミュンスター・オスナブリュック空港着予定。幸運な場合はブレンナー先生が 迎えに来て、大学のゲストハウスまで連れてってくれるはず。不幸な場合は、 空港の近くのホテルを探して週末をすごすのかな。何せゲストハウスの鍵は ブレンナー先生が持ってるそうだから、自力でゲストハウスに到着しても 部屋に入れないのだ。
週明け以降は、住民登録をしてヤマト運輸に送る。それで初めて別送品の輸送 が開始される。プリペイド携帯電話も買わないといけないし、スーパーを探して 食料品の調達も必要。それやこれやで最初の1,2週間はオスナブリュックの街 を精力的に偵察飛行して、生活環境への早期適応を図る。また、外人局で3カ月 の観光ビザの延長手続きもしなければならない。
研究の方はどういう風に進むのか、全く不明。エッセンのHerzog先生の所に 行ったときは、早い時期に共同研究のテーマを決めて濃密な議論を始めたが、 ブレンナー先生はどういう風にやるのかしら。Herzog流にガンガン共同研究を やるのもいいけど、今度はもうすこしのんびりやりたいという気もしないで もない。
2010年9月16日(木)
<<全てが明らかになる>
寝てたのか数学を考えてたのかよく分からない一夜をすごし、
明け方にはだいたい全てが明らかになった。この問題に対して非常に理解が
深まったけれど、なるほど「嘘論文」の「嘘」を取るのは至難の業だと思
うに至った。さてそこからどうするかだが、これは追々考えていくことにしよう。
横になっていてもちゃんと眠れるわけでもないので、いつもよりも早目 に起きる。昨日はチェックイン時に預け入れる荷物を詰めたが、今朝は機内 持ち込みの荷造り。小型とはいえノートPCをダイナブック、CD−ROM装置、 ポータブルHD、デジカメ、電子辞書などを持っていくとなると、かなり かさばる。やはり別の鞄を調達することにして、自宅を出る
まずは大丸ラクト山科店で最後の桃ジュースを一杯。出てきたのは、例の 賑やかな店員。ね、「もう1回ぐらい桃ジュースを飲みに来る」って約束を守 ったでしょ?って彼女はそんなこと知らないか。これもいわゆるひとつの脳内 交流ってやつ。
それから大学に出勤。郵便ポストを確認して、事務の人に今後の郵便物の 扱いについてお願いし、機内持ち込みに使おうかと思って、研究室に置いてあ った鞄を取って、すぐくに大学を発つ。
河原町三条の丸亀製麺で最後の讃岐うどん昼食をとってから、鞄屋で大き目 のスーツケースを購入。それをゴロゴロ転がしながら上島珈琲で一休み。 60代後半ぐらいの女二人組が、某有名女流画家の個展を見に行ったらしいが、 あまり良くなかったらしく、二人一緒になって味噌糞にけなしあっていた。 まあ、つまらない絵を描く有名画家なんて別に珍しくないけど、その話で これだけ間が持つのか。女は50を過ぎると底意地が悪くなり、それに伴い口が悪 くなるようである。
そうこうしているちに、しばらく同じことばかり言い合って会話がとぐろを 巻いているので、そろそろ話題に行き詰ったなと思ってたら、次は認知症の話 になり、「私らも、ああなるんやろなあ」「いややなあ」と言い合っていた。
彼女たちの会話を聞きながら、私は昨夜分かったことを忘れないうちにと、 せっせとメモを纏める。
夕方帰宅して、夕食を挟んでスーツケースの荷物の詰め替えと、 機内持ち込み荷物の荷造り、それと同時並行に部屋かたづけ。
明後日午前10時に関空を発つので、明日は関空近くのホテルに 一泊する予定。更新はできるかどうか微妙。明後日以降の更新再開日程も、 まだ未定。