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よ け ス ペ ー ス で す。

2011年4月15日(金)
<<桜は散るし猫は居ない>>
9時半ごろに自宅を出て、京大へ。10時半から12時まで 京大代数幾何学セミナーに参加。今日は正標数の代数曲面の 話で、私にとってはちょっと興味深かった。

昨年12月のエディンバラの研究集会で、このセミナー の常連メンバーの何人かに私の素性が知られてしまったので、 自虐の病に苦しむ私としては、ちょっと敷居が高くなってしまった。 しかし今日は一番後ろの席で気配を殺していて、セミナーが 終わるや否やすぐにセミナー室を出たので、彼らに気づかれず に済んだと思われる。

昼食は今出川通りの衝撃真っ黒スープのラーメン屋。もう 「衝撃」でも何でもなく単なる病みつきで、この辺りに来たら、 もうこの店に入る以外の選択肢は考えられない「俺サマ絶賛の 店」になってしまった。

午後は京大数理研図書館に籠って夕方まで数学。数理研の桜も かなり散って、葉桜になりかかっている。午後は少し雨が降ったので、 「トラちゃん」こと数理研猫が住処の外階段喫煙場に戻っているかと 覗いてみたが、若いお兄さんが二人居ただけで、猫の姿はなし。

桜は散るし、猫は居ないし。一体どういうこっちゃ?!

数理研を出て、関西日仏学館の図書館へ。フランス語の予習を すこしやってから、京大ルネで夕食。19時から21時過ぎまで フランス語講座を受ける。先生によれば、何かを尋ねられたとき、 フランス人はOuiとかNonだけにとどまらず、色々(聞かれてもい ないことをべらべらと)答えるものらしい。返事が簡単だと「自分 と話すのを嫌がっているのでは?」と変に思うのだそうだ。まあ、 ある程度は日本人でも同じだけど、連中のお喋りの激しさを見ていると、 うるさい!とハリセンでしばき回してやりたくなる。

講座を終え、徒歩で京都市役所駅前までゆき、地下鉄 で帰宅。以前はこういう時によくコンビニで酒を買って、路上飲酒 (正しくは歩行飲酒)をしていたものだが、それを知った筋肉中年 S藤先生が、「高山、お前、自虐の果てにそこまで落ちぶれたか!」 みたいな事を言うので、帰宅後に赤ワインを一杯だけ。

2011年4月14日(木)
<<歯医者>>
昼前に歯医者の定期検診。予約制なので待ち時間は少なかったが、 待合室に子供用のなぞなぞの本があったので、ちょっと覗いてみた。 「くさい野菜はなに?」 「八百屋で売っているニクはなに?」 「冬に使うもので、あたってもあたっても痛くないものはなに?」 「叩かれないと役に立たないものはなに?」。 答は「ハクサイ」「ニンニク」「こたつ」「釘」。

あああああ、、、!かつて「なぞなぞキング」の 令名を欲しいままにしていた俺サマなのに(嘘だよ)、 「ハクサイ」しか分からなかった!俺サマはもう、駄目だあ!と、 うなだれていた所で、診療室に通された。 歯垢や歯石除去だけかと思いきや、半年のドイツ 滞在中に奥歯のセメントが外れかけていたらしく、詰め直してもらう。

この歯科医もそうだが、日本の医院はよく目立つ看板を立てていて、店構えも それらしいものが多いが、ドイツの医院はぱっと見ではよくわからない。 普通の住宅街にあるごく普通の住宅か と思いきや、何だか窓の所に歯の形の小さなネオンが1つあり、何だろうと思って 門のあたりを見ると、「歯科医、ドクトル何某、診療時間はこれこれ、時間 外診療は相談応受」みたいなことが書かれた地味なプレートが見つかる。

繁華街に行くと、雑居ビルみたいなところに複数の医院が同居していることも 多い。内科、外科、産婦人科、整形外科の個人医院が1つのビルに入っている ような感じで、全体として1つの診療所みたいになっている。この場合も、 ビルの入り口のところに、上記のような内容の地味なプレートがいくつか 貼りついているだけである。 勿論、大きな病院はさすがに日本と同じように、いかにも病院らしい構えの 建物になっている。

以前ハノイで食中毒になって、International SOSとかいう旅行者用の病院 のお世話になったが、ドイツの医院・病院も一度行ってみたいとは思っていた。 フランスの町医者は白衣ではなく、スーツで患者を看るそうだが、ドイツでは どうなんだろう?とか、医療費が馬鹿高いそうだが、旅行保険はどこまで 使えるのだろうか?とか、怖い物見たさで興味は持っていた。 でも、幸か不幸か過去3回の滞在で一度もそういうことはなかったし、 薬屋に風邪薬を買いに行くことすらなかった。

そういえばオスナブリュックでは歯医者と靴屋と薬屋が異様に多く、 小さな街にあんなに同じような店がひしめきあって、やっていけるのかと 不思議に思ったぐらいである。薬屋はApothekeというが、その頭文字をとった 赤い「A」の文字に薬を盛る高槻のような容器に蛇がまとわりついている絵が描 かれた看板が全国共通で使われていて、街を歩いていてもよく目立つ。 通りによっては、赤い「A」の文字がいくつも並んでいるような所もあった。

ドイツの薬局に特に面白いところは無いが、よくショウウインドウに 「○○でお困りの方、良い薬があります」式の宣伝がしてあった。 その中で何故か「こむらがえりでお困りの方」というのがあったのが 印象的で、思わず、山科の薬局で「足のつる人」と書かれた小さな垂れ幕が 掛けられた店のことを思い出したものである。 「自虐でお困りの方」に効く薬は、、、流石にドイツでも売ってなかったな。

歯医者を出て、そのまま山科駅へ。駅前で軽く昼食をとって、大学へ。 14時から16時すぎまで卒研ゼミ。まあ何と申しましょうか、約30年前、 2度目の大学院入試を落第して就職することになったとき、まさか将来、 自分が大学教師としてハーッホーンの卒研ゼミを指導する機会が訪れるとは 夢にも思わなかったな。凄いですねえー。まったく人生、何が起こるかわかった もんじゃない。

ゼミ終了後ただちに大学を発ち、ラクト山科などで少し買いものをしてから 帰宅。夕食後、夜は少し数学。

2011年4月13日(水)
<<ウルトラCの会>>
「お土産クッキーの正味期限の日まで学科会議はやりません」との 学科長通達がメールで流れ、しめしめこれでクッキーは独り占めだもんね と、昨夜は喜びを噛み締めて就寝。

しかしその後、夢か現かよく憶えてないけど、耳元に一寸法師ぐらいの 天使が現れて、「そんなんで、ええんか?」「ほんまに、ええんか?」と、 断続的に、かつ、しつこくささやいてくる。「五月蠅いなあ。さっきから、 ぐっちゃらぐっちゃらと!こら、天使!お前、踏み潰されたいんかよ(怒)!」 と、キレかかったりもしたのだが、まあ、そこはちょっと堪えてみる。

で、朝起きてしばし考えた後、次のような「犯行声明」というか「犯行予告」 を学科内メールで流した。「今日の14時頃、物理科学科と共同の事務室に、 ブリキ缶に入ったお土産クッキーをセットしておく。もはや諸君に時間の猶予 はない。毎日出勤の勤勉なる物理科学科の先生達に食べられたくなければ、 各自早目に自分の分を確保されたし」と。

そしたら30分もしないうちに学科長を始めとする何人かから、 「待った!」が掛かった。そして(私以外の)数理科学科教員にとって「会議は ないけどクッキーは確実にゲット」という、私にとっては想定外のウルトラC級 の提案がなされ、急遽実行にうつされることとなった。

クッキー以外の別の問題で色々忙しくメールのやりとりをしてから自宅を出て、 山科駅前Sbuxで昼食の後、出勤。そういえば、しばらく寄りつかなかった Sbuxでは、ジャズやポップスではなく、モーツアルト(だと思うけど)の 室内楽が流れていたな。研究室で色々雑用を片付けて、一息ついたところで、 2回生「離散数学」の講義。

その後、数理科学科の共同研究室みたいな所で、「ウルトラCの会」に合流。 要するに、2000年に数理科学科が発足して以来、最初(で最後?)のお茶の会 が開かれたのだが、10名ほどが集まった。クッキーはあれよあれよという間に無 くなり、30分の予定だったが、結局1時間ほど何だかんだと雑談をして解散。 正確には、雑談をしていたのは皆さんで、私はほとんど黙って聞いていただけだけど。 俺サマは普段ここで目一杯自分とお喋りしているから、急にウルトラCされても 何を喋っていいか思いつかないのよね。ま、「皆さんの親睦に微力ながら貢献できたことを光栄に思います」と、 日記には書いておこう。

それからすぐに帰宅。夕食後、夜は来週の「離散数学」の講義メモつくりや、 週末のドイツ語寺子屋の予習など。

2011年4月12日(火)
<<過小評価>>
午前中は4回生配当「計算機数学」、午後は経済学部、経営学部2回生配当 「C言語とUNIX演習」、ひきつづき2回生配当「代数学序論I」。 10ヶ月ぶりの授業、しかも3連チャンで少々くたびれたので、帰宅途中の ラクト山科で赤ワインと桜餅や花見団子などの和菓子を買って帰る。

夜は、来週の「代数学序論I」の講義メモを作ってから、4月末締め切り の資料や査読の仕事を片付ける。やはりこまごまとした締め切り仕事を抱えて いると、気が散ってなかなか落ち着いて研究する気になれないと言い訳をしつ つ、中途半端に空いた時間には雑用を片っ端から片付けてしまおうか、と。 本当は、中途半端に空いた時間にこそ研究する!というのが正しいんだけど。

それにしても、福島原発事故、とうとうチェルノブイリと同じレベル7 になっちまったな。ドイツのマスコミが"Kampf gegen Supergau(チェルノブイリ級 巨大原発事故との戦い)"とか言って大騒ぎしてるのを、「あれはセンセーショナリ ズムではないか」と思って見てたけれど、連中の言ってた通りになってしまった。

「日本は事故を過小評価しようとしている」との批判もあるそうだが、 確かに、先月あたりに公式、非公式に私の耳に聞こえてきた、日本の原発専門家 たちの発言は、「大騒ぎするほどのことではない」みたいな感じだった。あれは、
(1)内心では「エライことになっちまったな」と思っているけど、 組織防衛のために外部には「大したことはない」とウソをついて回っていた。
(2)本当に「大したことはない」と思ってたのだけど、見当違いだった。
(3)今でも「大したことはない」と思っている。
のどれなんだろう?

過小評価といえば、ひところ自虐ネタに走っていたけど、誰も 「高山は自分を過小評価しようとしている」と批判してくれないので、 おナルで俺サマな私自身が人々になりかわって「お前、やり過ぎだ!」 と自虐暴走にストップをかけたっけ。ま、そんな話はどうでもいいんだけど。

2011年4月11日(月)
<<骨盤矯正ヨガ>>
昼頃に出勤。ちょうど昼休みで食堂などは学生で溢れ返っていたので、 まずは研究室で明日から始まる「C言語とUNIX演習」のプリントの 準備作業。それからSUBWAYのサンドイッチを買ってきて、遅めの昼食。 その後、明日から始まる「計算機数学」の準備。例年ネ―ター環の 話はさらっと口頭で述べて終わりにするのだが、今年はアティヤ・マクドナルド を半分すっ飛ばしてハーッホーンを読む卒研生が居るので、ヒルベルトの 基底定理などもちゃんと証明しようか、と。

授業の準備はとりあえず終わり、次は、PCのバッテリーが壊れたので、 Dellに電話して注文し、支払い方法について事務と相談。と、いうような ことをやっているうちに夕方になったので、帰宅。桜スポットを見て回る ために少し迂回。Ritsの桜も綺麗だけど、大学に居るときはそれを 楽しむ精神的余裕はなく、兎に角仕事を片付けて立ち去ることばかり考えてしまう。

夕食後、夜はラクト・スポーツプラザへ。ドイツ滞在の半年間で体が ガチガチに固まっているので、骨盤矯正ヨガなるスタジオレッスンに 出て体をほぐす。

深夜にごそごそやってたら、ヨーロッパ名物アホ除け選考で私をはじき飛 ばした、ヨーロッパの某研究所からメールが届き、facebookとtwitterを始めたから、 良かったらご覧あれ、と。ざけんじゃねーよ!と瞬殺削除。

2011年4月10日(日)
<<ギャラリー高山>>
午前中は、京都新聞日曜版7つの間違い探しとクロスワードパズルを 片付け、統一地方選挙の投票に行ったり、ラクト山科で買い物をしたり。 午後はガロア理論ノート作りを少し進め、15時過ぎから偵察飛行に飛び立つ。

天気も良いし桜も見頃なので、今日は桜の名所琵琶湖疏水へ。 御陵のあたりから疏水に入って東進、洛東高校を越えてさらに行ったところで 左に折れてだんだら坂を登り、毘沙門堂へ。今日は観桜会なる催しが行われた らしく、着物を着た女性が何人かタクシーで帰るところだった。

再び琵琶湖疏水まで降りてさらに東進、小金井のあたりまで足を延ばす。 あたり一面桜が満開で、花見をしている人たちも多い。ふと見ると、 「あーあ、何にもすることがないなあ」オジサンが、奥さんんと娘とおぼしき 女性二人と花見をしているではないか。何だか幸せそうな顔して、重箱のお握り か何かをほおばっていた。

2時間半ほど歩いてくたびれたので、大丸ラクト山科店のジューススタンドで いちごミルクを飲んでから、3階通路際のベンチで休憩。すこし数学でもと思ったが、 睡魔が遅い、半分ぐらい気を失っていた。それから4階の文房具店で消しゴムを 買ってから帰宅。

夜は、オスナブリュックで描いた絵を、一枚一枚額縁に入れて写真を取り直す。 寺町通りの画廊で個展を開く!というのは、勢いで言ってみただけで、本当は そんな面倒臭いことをする積りはない。しかし、ずっと秘密にしておく必要も ないので、とりあえずWebで「ギャラリー高山」を開店する。

「ギャラリー高山」に興味がある方は、 ここが入り口です。

2011年4月9日(土)
<<言わずもがな>>
午前中は自宅でゴソゴソやって、昼過ぎに自宅を出る。百万遍の 衝撃真っ黒スープのラーメン屋で昼食の後、関西日仏学館の図書館に 籠り、フランス語の宿題をやったり数学をやったり。

夕方、満開の桜が美しい鴨川べりを三条まで歩く。あちこちで 花見をする人たちが居た。京都市役所前から地下鉄に乗り、山科へ。 そこの床屋でグロタン・カットにしてもらってから帰宅。 帰宅途中も、山科の極秘桜スポットを見て回って、少し道草。 どこも満開だ。

夕食後はラクト・スポーツプラザへ。強い爺さん、モーレツあ太郎、 コーちん、黒ゴリが来ていた。「トラちゃん」こと数理研猫は生 きてたし、強い爺さんも生きてた。おおいに結構。

夜はガロア理論ノート作りをすこし。

実は数理科学科の皆さんにとLeysiefferのクッキーをお土産に 買ってきて、今、手元にある。学科の事務室は 数学と物理で合同になっているので、そこのテーブルなどに 「皆さんでどうぞ」と置いておくと、毎日朝から出勤している勤勉 なる物理科学科の先生達に全部食べられてしまう恐れがある。 まあ、それでもいいのだが、 数理科学科の先生達のために買ってきたのだから、ちとまずかろう、と。

そこで数理科学科の学科会議の時に出す積りでいる。ところが今年の 学科長は数年前に学科長をやった私の真似をして、学科会議を極力やら ない方針のようなので、クッキーの賞味期限が先か、今年度最初の学科会議 が先かという状況にあると考えられる。賞味期限内に学科会議が開かれなければ、 お土産クッキーは全て私のものとなるのである。

数理科学科の同僚諸氏にとっては、会議はあるけどクッキーにあり つける状況と、クッキーにはありつけないけど会議が無い状況のどちらか になるが、彼らにとってどちらが良いのかは知らない。

私にとっては、会議があってクッキーも手元を離れる状況と、会議が無くて クッキーも独り占めできる状況のどちらかだが、どちらが良いかは言わずも がなである。「高山が買ってきたLeysiefferのクッキーが食べたいから、早く 学科会議を開け!」などと騒ぎ出す先生が現れないことを、祈るばかりである。

2011年4月8日(金)
<<友達との再会>>
やはりまだ本調子ではないのか、今朝は9時過ぎまで寝ていた。7 時間は寝たはずだが、まだ眠い。午前中は後期の講義の準備でガロア理論 のノート作りを少し進め、昼頃自宅を出る。 河原町三条丸亀本店の讃岐うどんで昼食。それから京大数理研へ。

数理研の桜は美しい。そういえば2004年の4月から半年近くエッセン に滞在する直前に、京都の桜を見て回った覚えがあるが、3月末頃にはもうほぼ 満開だったように思う。今年は桜の開花が少し遅いのかも。 図書館に籠って夕方まで数学。

それにしても、「トラちゃん」こと数理研猫の姿が見えない。私が ドイツに行っている半年の間に、死んでしまったのだろうか。しかし、 帰り際「もしや」と思って、院生などの若い人達がよく煙草を吸って たむろしている、非常外階段のあたりを覗いてみると、ちゃんと居た。 ソファーの上にタオルを置いてもらって、そこに座って居眠りをしていた。 いいなあ。オスナブリュックに行けば黒眼鏡や哲学者が居て、京都に 帰ればトラちゃんが居る。俺サマって、結構友達に恵まれてるじゃん!と。

それから関西日仏学館へ。今夜から始まる2つの講座のうち、 どちらを選択しようか、まだ迷ってますと窓口の係の人に相談。 色々やりとりしているうちに、どうも1つの講座は数年前に見学して すぐに「これは駄目だ」と思ったクラスと全く同じ内容らしいことが わかってきた。やっぱりもうひとつの方にしようということで、 そちらのクラスの見学チケットを買った。

その後、京大ルネの書店を冷やかしたり、早目の夕食をすませたり してから、見学チケットを買ったフランス語のクラスへ。 クラスのレベルも授業の進め方も私にちょうどよく、途中の 休憩時間に窓口に行って、講座受講の手続きを終えた。 帰りは京都市役所前まで歩き、そこから地下鉄。

帰宅したら、B先生とその弟子のAさんからメール。何かと思ったら、 メーリングリストからまだ私の名前が消去されていないらしく、 向うの大学内のローカルな連絡メールだった。9月から滞在していたのに、 このメーリングリストに私のアドレスが加わったのは、帰国直前の 3月半ばだった。そして帰国後の今もアドレスを消去せずに、ローカル 情報がどんどん流れてくる。ホンマに、徹頭徹尾俺サマの存在を無視して くれる大学だな。

これはたまらんので、「メーリングリストから早く私のアドレスを消 してくれ」とメーリングリストに返信しておく。特定の個人に連絡しても、 登録の時みたいに何ヶ月も忘れて放置されるかもしれないから、全員に出 しておこうか、と。しかし「共同責任は無責任」で、やっぱり何ヶ月も放 置されるかもしれない。

2011年4月7日(木)
<<俺サマは無事さ>>
午前中は来週と後期の授業の準備。何故後期かというと、ちょっと研究 の関連してガロア理論をもう一度見直しておきたいからということと、 前期の講義にもすこし関連するから。

昼頃に自宅を出て、桜が咲き誇る琵琶湖疏水を通って山科駅へ。駅前の蕎麦屋 で昼食の後、出勤。研究室ですこし雑用を片付け、14時から16時過ぎまで卒研 ゼミ第一回。書店に注文しておいたハーツホーンの「代数幾何学」とアティヤ&マ クドナルドの「可換代数入門」がちょうど届いていたので、今日二人の学生に手渡 すことができた。今日は代数幾何学の概要やゼミのやり方、最初の部分に出てくる 英語の専門用語の和訳を説明。ハーツホーンは手強い本だから、空いている時間 は全てゼミの予習につぎ込むぐらいにやらないと駄目ですよと、厳しいことも 言っておく。

ゼミの後、また少し雑用の後、帰宅。夜は書類書き。事務屋さんは エクセルが大好きである。私はエクセル音痴なので、折角書いた書類を 何度も消してしまったり、折角完成したエクセルファイルがどこに保存 されたのか分からず、PCの中を捜しまわったり。数学者の間では「流 した涙の分だけエクセルに精通する」とも言われていて、エクセルに譚能 な人は、それだけ研究時間を削って沢山の雑用をこなしてきたのだと信 じられている。まあ、今日流した涙は、ほんの少しだけど。

そういえばB先生から、何やらメールが届いていて、文面から察するに どうやら「無事にそっちに着いたか?」と気にしているようである。 6ヶ月間に12時間程度しか顔を合わさなかった人間のことが、そんなに 気になるのかしら。それに、別れ際にB先生、妙なことを言ってたな。 これからもお前とは良き友人でいたい、と。何なんだよ、これから「も」 って。じゃあ、何かい?これまで我々は友人同士だったのか?それに、 俺サマと友人になっても何のトクにもならないぜ。第一、馬鹿はウツるし。 お前さんも、馬鹿になりたいのかい?馬鹿で数学者やってくのは、 シンドイぞお、と。

何だかよくわかんないけど、例の黙殺大魔王の某大先生みたいな人間 にはなりたくないから、「俺サマは無事さ」とか何とか適当に返事 しておこうと思う。

2011年4月6日(水)
<<ショウ・ウィンドウ>>
9時半頃起床。昨夜は夜更ししてたから、7時間ちょっと寝ただろうか。 そろそろ時差ボケも終息すると思われるのだが。ヤマト運輸に頼んでおいた ドイツからの別送品2箱が届いたので、さっそく開封して中身を取り出して 整理。郵便で送った荷物も大学に届いていたし、これで荷物は全て届いたこと になる。

片付けも終わり、 道すがら桜を愛でながら、 関西日仏学館へ。候補の講座が2つあって迷っていると言うと、窓口の人 は、見学制度を使って様子を見て、当日に手続きをすればどうか とのこと。まあ、そうしてみようか。

お目当ての講座があるのだが、以前同じ先生の同じようなタイプの 講座を見学して、授業は難しいわ、生徒の中に妙な所で人を馬鹿にしたような 笑い方をする変なオバサンが居てむかついたわで、えらい目に遭った。 まさかとは思うが、またそのオバサンが居たら、今度こそは返り討ちにして たっぷり思い知らせてやる積りだが、それよりも授業についていけるかどうか が心配である。

日仏学館を出て京大ルネの書籍部を少し冷やかしてから、予定通り百万遍 の衝撃真っ黒スープのラーメン店で少し早目の昼食。B先生との最初で最後の 昼食時の会話で「日本に帰ったらまず何がしたい?」というような意味の質問 があった。過去6ヶ月間ほとんど何の会話の積み重ねもない状態で、いきなり 取ってつけたような面倒くさい事を聞くなちゅーに!と思いながら、 私は鰻重が食べたいと答えた。いや、最初は「んなもん、知るか」と思って、 さーねぇー、みたいな調子でのらりくらりしてたのだが、ちゃんと答えないと 承知しないぞ!という並々ならぬ殺気を感じたので、仕方なく答えたのだった。 鰻重は勿論だが、実はこの真っ黒スープのラーメンと焼飯、そして丸亀製麺の 讃岐うどんも食べたかったのである。

昼食後はRitsに移動。雑用を色々片付けたりした他は、研究室の片付け をすこし。不要の椅子を学生研究室に払い下げ、ソファーや衝立を移動した。 ドイツから帰ってきたら、研究室のドアが透明ガラスのスリット入りの物に 代わっていたので、それへの対応。スリットを覗くと、衝立に掛けられた暖簾 のハローキティが「おいでやす!おおきに!」と手を振ってくれる仕掛け。 ミロの絵も飾ってある。そのうちこの衝立全体が私の絵のギャラリーになったり して?!ショウ・ウインドウ(Schaufenster)に凝るというのも、 ドイツ的趣味の一つだしね。

相変わらずぼんやりしていて、事務に提出するはずの書類2通のことをすっかり 忘れていたり。ああ、世界の動きについていけない!昨日も似たようなことを言って たな。まあ、明日も大学に来るから、その時にやろうか、と。

夕方、大学を発ち、ラクト山科で赤ワインを買って帰る。夜は来週の授業の 準備をすこし。

2011年4月5日(火)
<<動作が鈍い>>
9時半頃起床。9時間近くは寝ただろうか。まだ時差ボケが治らないのか、 まだまだ眠れそう。簡単な朝食、それからおもむろに支度をし、自宅を出る。 少し遠回りして山科疏水を周り、咲き始めの桜を眺めながら山科駅へ。 駅前の蕎麦屋で簡単に昼食の後、快速電車に乗ってRitsに出勤。 最近南草津駅に快速列車が止まるようになったそうだ。

大学では雑用を色々。まずは10数通の報告書や届出書類をプリントアウトして ハンコを押したり、書き足りなかったところに手を加える。2500字から3500 字程度と指定のある学外研究の研究成果概要に200字程度しか書いてないので、 きっとケチがつくだろうと判断。今回の学外研究は成果が乏しいのだからしょうがな いのだけど、かと言って黒眼鏡や哲学者の調査結果や、最後の1ヶ月で 50枚以上描きまくった絵を「研究成果」などとすれば大目玉を食らいそうだし。 ということで、色々苦慮しつつも3000字程度に文章を膨らませる。

途中、学外研究中に溜まっていた某大な数の書類に印鑑とサインが欲しいと、 遠くの事務の人が研究室までやって来たり、学系事務室などの新しい事務員さんらに も、今後ともよろしくと挨拶したり、半年間に溜まった郵便物を整理したり。 最後に、遠くの会議場まで教授会に出掛けるついでに、その近くにある事務室に 立ち寄り、10数通の報告書の束を届ける。

教授会は完全なセレモニーで1時間程度で終わるかと思いきや、2時間近く やっていた。会議が終わってから、学外研究の間、授業の担当などで色々 無理を聞いてもらった同僚にも、挨拶に行く。今日は色々な人に挨拶をして、 そのついでにチョコレートなどちょっとした土産を渡したのだが、酒呑みには 当然酒が良かろうと、この同僚には免税店で買った小さなシュナップスを渡して おいた。まあ、その前日に元隣部屋住人の化学者S氏に ロシアのウオッカを御馳走になり、ウオッカもなかなか良いものだと思ったことも 影響してるけど。

まだまだ郵便物の整理などは終わってないが、机に積み上げたままで帰宅。 夜は東京出張の宿を探して、ごそごそしているうちに寝る時間が来る。時差ボケ モードなので、何かと動作が鈍く、何となく寝るのが早く、起きるのは遅い。 あー、新学期のこのテンポの速さについてけんなーって感じ。

明日はいよいよ関西日仏学館で講座の申し込みをして、久々に百万遍の 衝撃真っ黒スープのラーメン店で昼食をとる予定。それからは、どこかに 桜を見にいきたいけど、新学期の準備もしなくっちゃいけないし。。。

2011年4月4日(月)
<<桜の季節>>
放っておいたら12時間ぐらい寝てしまいそうなので、目覚まし時計で 10時起床。まあ8時間近くは寝たけど、まだまだ寝られる感じ。オスナブ リュックでは毎日6時間前後の睡眠でいたが、日本に帰ってきてから、 体が睡眠不足を一気に取り戻そうとしている感じ。何だかんだと行って もドイツでは気が張ってたのかも。そりゃあ毎日、黒眼鏡はどうしたん だろう?とか哲学者は息災か?とか、あの教会をもう一度見に行こうと か、今日はあそこをスケッチしようとか、数学以外にもそんなことばかり 考えてりゃあ、のんびり寝る気が起こらないわけである。

昼頃に街に出て、まずは久々に河原町三条丸亀製麺の讃岐うどんで昼食。 それから、ユーロとポンドを日本円に交換するために烏丸四条の銀行へ。 しかしどこの銀行もスコットランドのポンドは扱ってない、と。 「ウチで扱うのは、こんなのです」と図鑑のようなものを見せてもらったが、 皆エリザベス女王の顔が描かれている。私の持ってるのは、何だかよく 知らないオジサンの顔が描かれている。5000円分ぐらいのものだが、 今後エディンバラに行く用事も無さそうだし、現地で全部使い果たして おくんだったと、少し後悔。

それから地下鉄とバスを乗り継いで、語学講座の申し込みをするために 関西日仏学館へ。と、閉まっている。そうか、最近は日曜も講座を開くように なったため、月曜日が休館日になったんだった。「あーあ」と思いながら閉まっている 門のあたりでぼんやりしていると、フランス領事館の職員らしい 男がやってきて、門の内側から領事館に用があるのかと聞いてきた。 今や関西日仏学館の建物には、フランス領事館と ゲーテインスティチュートの語学講座も同居している。領事館はアポイントメント のあった場合に限り月曜日でも対応すると張り紙がしてあった。

フランス領事館が関西日仏学館に引っ越してきた当初、日仏学館にやけに 高圧的でエラそうな事務職員が増えてきたなと思ってたら、フランス領事館の 職員たちだった。彼らはエリートなのかもしれないが、どうも日仏学館の職員や 生徒などという下々の連中とごっちゃにされるのは迷惑だと言わんばかりに、 穢わしいものを追い払うような態度をとる。

今日の職員も、本日関西日仏学館は閉館である旨を私に告げていたが、やはり 連中らしい感じの悪い言い方だった。あれは、一体何なんだろうね。

しょうがないので、語学講座を潰して関西日仏の九条山レジデンスの真似をして、 京都で勉強したいドイツの芸術家のゲストハウスして再スタート予定の ゲーテインスティチュートを外から偵察。 それから、天気も良いことだし、まだつぼみの状態の鴨川の桜を眺め ながら京都市役所前まで歩く。

京都の桜は、まだまだ満開のところは少なそうだ。 帰国が桜の季節に間に合って、良かった。オスナブリュックの古い教会や黒眼鏡や 哲学者が懐かしいけれど、それよりも今は京都の桜が楽しみだ。

寺町通りの上島珈琲で一休みしたり、額縁屋でオスナブリュックで描いた絵を 入れる適当な額縁を探したりしてから山科に戻り、ラクト山科で 少し買い物をしてから帰宅。

帰宅後は山の様な各種報告書書き。4月末日締め切りの1つを残して、全て 書きあげ、明日、大学に持っていく予定。

2011年4月3日(日)
<<攻めと守り>>
昨夜は3時頃まで「一刀斎、最後の戯言」を読んで夜更し。あれは本人が 最後の力を振り絞って口述筆記なりなんなりしたものではなく、 森毅氏を長年師と仰いできた人が、森氏のこれまでの著書から「これは」と 思う部分を拾い集めたもので、「最後の戯言」と言うよりは 「僕の好きな森センセイのお言葉集」であった。

今日は12時過ぎにふと目が覚める。9時間は寝たな。まだ寝られそうだけど、 とりあえず起きる。朝食昼食兼用の食事をとり、久しぶりに京都新聞日曜版 間違い探しクイズとクロスワードパズルをする。朝日新聞日曜版のオチビサンは いつの間にかなくなっている。

色々報告書を書いて提出しなければならないので、今日はその準備をしたり、 一部の書類を書いたりしているうちに終わった。勿論、夕方には山科区内に 偵察飛行に出掛け、新装オープンするスーパーの開店日、桜スポット の状況、山科駅前SBUXの相変わらずの満員御礼ぶり、 ラクト山科で「あーあ、何にもすることがないなあオジサン」 が健在ぶりなどを確認した。

夜は今学期の語学学校通いの方針を考える。未来の希望を込めて関西日仏学館 へ!せっかく覚えたドイツ語を忘れるのも嫌だしと寺子屋塾へ! 攻めと守りのバランスが難しが、フランス語の方はまた初級クラスに戻って ヘラヘラと楽にやっていこうかと思う。

2011年4月2日(土)
<<偵察飛行再開>>
13時前にふと目覚める。12時間は寝たかな。まだまだ寝られそうだったが、 とりあえず起きる。土産物の梱包をして近所のコンビニから送付手続きを終えて から、夕方頃に偵察飛行に出発。

近所とぜスト御池の2軒のブティックが潰れていた。客が入っているところを 一度も見たことがないのに、よくやってられるなと思ってたが、よく続いたもの だと思う。それ以外にぜスト御池のデザイン雑貨店が潰れて別の店になっていたし、 数年前に女主人が亡くなって以後、ずっと閉まっていた 寺町通りの画廊が潰されて、新しいビルの建設が進んでいた。

それ以外にもちょくちょく新しい店が出来たりしていたが、 Anger河原町三条本店、河原町三条丸亀製麺、 寺町通り上島珈琲などは健在だった。

JEUGIA三条本店では、試聴マシンが撤去されていた。 店頭で試聴できないとなると、試聴ができる新着CDを除いて、 もうJEUGIAさんではCDを買わないだろうと思う。JEUGIAさんで どんなCDがあるか現物を見て、アマゾンで試聴してそちらで買うことになろう。 オスナブリュックでもエッセンの店でも、CDの展示はいい加減だが、 試聴マシンはちゃんと置いてあったのに、 何でJEUGIAさんで無くなるのかよくわからない。

山科駅前では、ラクト山科は特に変わりはなかったが、吹き抜けのフロアに あるパイプオルガンは、ドイツの教会のものと比べてあまりに小さく、玩具みたい に見えた。炭焼きやきとり屋の2,3軒隣に同じような炭焼きやきと屋が開店し、 1階にパーマ屋が入っていたビルの2階に別のパーマ屋が新たに入っていた。 営業してるのかどうか10年以上謎のままだった下水工事工務店は、 新しく弁当屋に変わっていた。また、コンビニやドラッグストアーの店頭が 妙に暗いなと思ったら、看板などの照明が消えていた。関西で節電の必要 はないと思うが、経費節減のための便乗節電かもしれない。山科書店にふらりと 入ったら、昨年亡くなった森毅先生の「一刀斎、最後の戯言」が出ていたので、 思わず購入。帯には「最後の名物教授」と書かれていたが、今は「名物教授」という 言葉自体が死後に近いのではないかしら。

夕食後、夜は7ヶ月ぶりのスポーツクラブ。 強い爺さん、 ピノキオ、 コーちん、 ぴちぴち短パン男、 フォーエスト・ガンプ、 球形おじさん、 青春を取り戻した無駄に元気なオジサン、 ウソ養老孟司、 モーレツ・ア太郎、 そして真打のロードランナー逆走男らが入り口にずらりと並び、 「高山さん、お帰り!」と迎えてくれる妄想をしながら 行ってみたが、実際来てたのは、 ピノキオと コーちんと モーレツ・ア太郎と ウソ養老孟司。 それ以外はあまり見掛けたことのない人たちであった。 7ヶ月のブランクで筋肉もかなり落ちているし関節も固くなっているので、 ストレッチを入念にし、軽めのメニューでさらっと流す。

まだ数学をやる気が起きないので、書類書きでもと思ったが、結局 夜はのんびりすごす。

2011年4月1日(金)
<< See you in the future! >>
31日は6時起きして、満杯のスーツケースと最後の格闘をし、部屋の片付けを して7時半頃にゲストハウスを出た。近所のパス停から7時53分発の空港行き シャトルバスに乗る。道路も混雑せずに順調で、8時半頃空港に着く。すぐに チェックインしてセキュリティーチェックを済まし、ゲートに入ったのが9時すぎ。 乗客全員が搭乗するまでは全て順調だったが、何故か管制塔から30分待てとの 指令があったらしく、私が乗ったルフトハンザLH65は滑走路で足止めを食い、 出発は30分遅れた。しかしフランクフルトには11時15分には着いて、 13時55分発の関空行きルフトハンザLH740への乗り継ぎには十分余裕 があった。ゲートのところで待っていると、昨年某有名大学を定年退官した 某超有名数学者の姿があった。

フランクフルトを発って、夕食と朝食以外の時間はほとんど寝ていたが、 そのうち半分ぐらいは、夢うつつでウトウトしている状態。その間に、 「ドイツに居る間に何とか解決したい」と思っていた、基本事項 の謎が融けた。そして本日午前8時に無事関空に到着。某超有名数学者は、 税関申請書類を出そうともたもたしている私を追い抜いて、さっさと税関を済ませ 到着出口に消えていった。私は9時16分発のJR特急はるかに乗り、 午前11頃には山科の自宅に戻った。

帰宅後は荷物の後片付けや、新学期の準備らしい作業をいろいろ。その間、 友人リスト筆頭格の元隣部屋住人S氏に、「無事帰国した。昨夜はありがとう」 とメールを出したら、2時間ほどで「それはよかった」と返事がきた。 最後に"keep in touch"とか書いてあったが、どうすりゃあいいの? 盆や正月に時候の挨拶でもするのかしら。

B先生には最後に"See you in the futhre!"と言って別れたが、 これには結構反応が良かった。10年前にエッセンに滞在したとき、 ほとんど入れ換わりに本国に帰国しようとしていた某ベトナム人数学者に "See you in the future!"と言われてちょっと嬉しかったので、真似してみたわけ。

そのベトナム人数学者にsee you in the futureしたのは 8年ぐらい後の某国際会議だけど、相手はすっかり私のことを 忘れていた。それから2年ぐらいして、また会った時には何故か思い出して いて、今度は向うから寄ってきて「いやあ、君と会うのは10年ぶりぐらいだね」 とか言うので、「実はもっと前に会ってるんですけどね」と言おうかと思 ったが、その頃既に私は「自虐の病」に冒され始めてたので、

べ:「じゃあ、何故その時に声を掛けてくれなかったんだ?」
私:「声掛けたけど、お前、無視しよったじゃないか!」
べ:「え?知らんかった」
私:「『知らん』で済むかよ。おナルで自己チューな俺サマに、そんな態度取って ええと思てんのか!!」

という展開に持っていく元気もなく、 「はあ」とか言って握手しながら気配を殺していた。え? 握手しながら気配殺したって、意味ないじゃん!だって? まあ、そうなんだけどさ、でもそうしたのさ。

そういえば、昨日のオスナブリュック大学で直接会って挨拶できなかった 先生にメールで挨拶したが、「代数グループの温かいもてなしに感謝します」 と書いたら、「貴殿の訪問によって我々の学問がより豊かになった ことに感謝します」と返事がきた。うーん、考えようによっては、 物凄い皮肉の応酬ともとれるが、まあ、双方特に他意のない儀礼的文言 を交わした、ということにしておこう。