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告
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ペ
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ス
で
す。
2011年8月15日(月)
トロントのペアソン空港に着いたのは、既に現地時間15日の
19時を過ぎており(日本との時差はマイナス13時間)、
税関や入国審査、バゲッジクレームで荷物を受け取って、ようやく
解放されたのが20時前。サマータイムでまだ明るいが、暗くなる
までに宿に着きたいし。それでちょっと焦ったこともあって、
空港でお金を両替するのをサボったのが間違いの始まり。
成田で現金で60カナダドルを両替し、さらに500ドル分の
トラベラーズチェック(T/C)を持ってたから大丈夫だろう
と思ってたのだが。空港からトロント大学の宿泊施設までタクシー
で55ドル、チップも少しつけて現金60ドル全部払った。で、
大学の宿舎は40ドルの前金を払ってあったので、あとは
370ドル弱をT/Cで払おうとしたら、フロントのお姉さんは
T/Cは受け付けないとボケをぶちかましてくる。
そんなことはあるものか、俺サマはメールでちゃんとT/Cが
使えるという連絡をもらったぞと言ったが、「じゃあ、確認する」
と言ってどこかに電話を掛けていたが、繋がらない。で、
しょうがないのでクレジットカードで払った。
それは良いとして、部屋でインターネットを使うにはケーブル
が必要で、自分で持参しなければ5ドルで売るという。
そのことはあらかじめ知ってたが、これは現金でないと駄目だという。
T/Cで部屋代を払ってそのお釣りで買おうとしたけど、その計画は
お姉さんのボケかましで既に破たんしている。で、一応部屋とは別の
建物の共同スペースで無線LANが使えたけれど、何故か日本人の
中学生か高校生のグループがキャーキャー騒いで五月蠅く、
この日誌を書いていられるような感じでもなかったので、
昨夜は日誌の更新ができなかった。
宿舎は共同トイレ、共同シャワールームで、部屋にはテレビや
水道施設は無い。ベットと空調と机とクロゼットだけ。部屋の掃除の
メイドサービスもない。何故そんな「しょぼい」宿舎を選んだのかというと、
ネットで部屋の写真を見た限りでは全然「しょぼく」ないように見えたし、
トロントのホテルはどこも馬鹿高くい上に研究集会の会場からも遠かったし、
昨年12月に参加したエディンバラ大学での研究集会の時も
大学の宿泊施設に泊まって、なかなかいい感じだったので、
「トロント大学はどうかしら?」と興味があったことがその理由。
エディンバラ大学の宿泊施設はテレビ、バス・トイレ付で快適だったから、
トロント大学はかなり負けてますな。
夜はヨーロッパ数学会の論文レビューの仕事を1つ片付けて、
共同シャワールームの壊れたシャワーを浴び、さっさと寝た。
一夜空けて、7時頃から街を偵察し、研究集会の会場を確かめたり、
早朝から開いている店でT/Cで支払いができるか聞いてみたりした。
その後の詳しいことは、16日分の日誌で書くことにするが、一言だけ
書くと、「地球の歩き方」には騙されるな!と。
あの本には「トロントではT/Cは広く使える」と書いてあったが、
数軒の店(コンビニ、スーパー、レストラン等)をあたった限りでは、
T/Cは全然駄目である。店によってはT/Cと言って現物を見せても
「それは何だ?」みたいな感じである。そういえばずっと昔も、
「地球の歩き方」に騙されてT/Cを持って行って、ほとんど使えずに
そのまま持ち帰ってきたことがある。アメリカンエクスプレスのT/Cが
まともに使えるのは、せいぜいアメリカ合衆国だけと考えるべきだと思う。
2011年8月14日(日)
成田エクスプレスを降りて成田空港につづく通路で、まずパスポートの
チェックがあった。また、夜、夕食と空港の下見のためにホテルの無料バスで
空港に向かう時も、空港の敷地に入る時にも警備員がバスに乗り込んできて、
パスポートのチェックがあった。昨年の9月に関空を発った時は、そういう
チェックは無かったので、ちょっと驚き。
夜は成田空港のレストランで鰻重と生ビール。ここの鰻は江戸前の鰻
のように蒸したものではないらしく、津の鰻に近い。タレの味が少し頼りなく、
ご飯がやや柔らか過ぎたものの、まずまず美味かった。
夜はホテルでテレビ。俺サマは日頃あまりテレビを見ないが、出張で
ホテルに泊まると気分が変わってテレビ漬けになることが多い。
NHKのEテレでゴシック建築の教会についての番組をやっていて、
ドイツで教会行脚をしていた俺サマにはとても面白ろかった。
俺サマが、その美しさのあまり夢中で絵に描いていた天井の曲線は
リブボールトと呼ばれるもので、それ以外に教会の外観をまるで巨大な
昆虫のように見せているのが飛び梁、それから尖塔アーチ。これらは
皆、造形美を狙って生まれたものではなく、巨大建造物を作るための
当時の最先端の建築技術によるものだそうだ。実用をとことん追求
したら、美しいものが生まれたというところが興味深い。
明日は夕方の便で発ち、日本時間で明後日の未明に現地に
到着する予定。
2011年8月13日(土)
俺サマはこれまで、計算機科学で食いっぱぐれて論理学の応用
みたいな話に走り、そこでも旗色が悪くなって、野垂れ死に寸前に
一念発起で可換環論や組合せ論に高跳びしたものの、鳴かず飛ばず
の毎日に嫌気がさして、代数幾何学に横滑り!みたいな、
テキトーな研究生活を送ってきたせいか、ガロア理論はそれほど必要で
はなかった。学生時代にいい加減に勉強して定期試験で優良可の「可」
を食らい、それから10年ぐらい会社員をやってすっかり数学を忘れた頃
にもう一度復習した程度の理解で今まで誤魔化してきたのである。
知ったかぶりは俺サマの得意技だが、「猿も木から落ちる」で、時々ボロ
がでる。たとえ枝葉末節のところでも知ったかぶりで誤魔化そうとしてボロ
を出し、それがこともあろうに数学者の前だとなると後が大変である。
何せ連中は知ったかぶりを何よりも嫌う人種だから、たちまち「高山は妄言を
吐く馬鹿」という烙印を押されて、あとあと面倒なことになる。
「もう既に『面倒なこと』になっているじゃないか!」という突っ込みは、否定
も肯定もせずに受け流しておこう。瞬殺却下しないところが、ミソね。
しかし今、後期の代講授業の必要に迫られて、もう一度ガロア理論を丁寧
に勉強してみると、ここ1、2年の研究活動の中でどうもはっきり分からなかった
いくつかの事柄が、実はガロア理論をちゃんと勉強すれば明解に理解
できることが明らかになった。まあ、研究内容がけっこう数論に関係した話に
なってきたからかしら。
そういう意味では、今年の夏はガロアの夏!ということで、ガロア理論や
その周辺の話をしっかり勉強しようと思っている。知ったかぶりで
危ない橋を渡るのは、オシマイにしよう、と。
午後は街に出て、丸亀製麺でほとんど3時のおやつのような昼食。その後
しばし上島珈琲にてガロア・プロジェクト(研究編)。ラクト山科経由で帰宅し、
夕食後はトロント出張のための荷造り。関空からは適当な便がないので、明日
成田空港前のホテルに自腹で泊まり、明後日の夕方成田を発つ予定。
そういえば、
俺サマが、前に勤めていた会社をリストラされる寸前に依願退職したとき、
当時の上司が--- (これはリストラする手間が省けたわい!と喜んだ
からではないと信じたいところだが) --- 上機嫌で送別会をしてくれた。
その席で上司は、大学に移るという俺サマに、
「大学の先生ってのは、夏休みはどうするんだい?企業とかからお金貰って、
外国に行ったりするの?」と聞いてきて、そんなん、知らんがな!と思ったもの
である。確かに偉い先生は毎年夏休みになると、涼しい北ヨーロッパや
北米の大学で開かれる研究集会に行ってることは、当時から知っていたけど。
あれから20年近く経った今、ようやく「夏休みに外国に行く大学教授」
を体験するというわけだが、すこしは晴れやかな気分でいたかったものだ。
偉い先生になったから行くのではなく、アホ除け選考が無い誰でも参加できる
オープンマインドな集会に潜入して漂ってくるだけのことである。それが結局、
俺サマにとっては「恐ろしげなる数学者の集まりに『飛んで火に入る夏の虫』
をしに行く究極の自虐ゲーム」を意味するわけで、五山の送り火の薪の件では
ないけど、もうちょっと何とかならなかったのかいな?と思う。
2011年8月12日(金)
昼食後、山科駅近辺で数学ができるところを探したが、
平日にもかかわらず、ラクト山科のベンチや珈琲スタンドや
マクドナルド、山科駅前Sbuxなど、どこも人で一杯。
お盆のせいかしら。ラクト山科4階の大開口の窓に面した
通路際のベンチには、年金貰ってそうなオジサンが4、5人
居眠りをして座っていた。その後ろを通ると、酸化した脂肪
のような独特の臭い。ははあ、これがいわゆるオジサンの加齢臭
ってやつか。
しばしラクト山科内を旋回してから、もう一度Sbux
に行ってみたら、珍しく席が空いてたので、そこでしばらく
ガロア・プロジェクト(教育編)を続行。その後、大丸ラクト
山科店デパ地下の果物店で、桃ジュースを飲んでから帰宅。
夕食後、夜もまた少しガロア・プロジェクト(教育編)。
やってもやっても終わらない!まあ、その学科の基幹科目という
のは、そういうものかも知れない。俺サマは2年前から2回生の
代数学序論I,IIの講義を担当するようになるまでは、(旧)情報
学科でも数理科学科でも、ちょいちょいっと準備してダラダラ講義
してればテキトーにコマが埋まるような、楽勝科目ばかり担当
していた。いわゆる「単位調整科目」ってやつである。
まあ、あってもなくても良いような、どうでもよい科目ばかり
担当させられて張りあいが無い半面、楽ちんだったなあ。
これは自由と責任のトレードオフ問題である。大学というところは、
有能とみなされると忙しくなって研究ができなくなる。無能と思われる
のは癪だが、それで研究に専念できるなら「花を捨て実を取る」方が賢
いやり方だとも言える。類似のことは研究生活の中にもあって、
「俺サマは馬鹿で、俺サマの書いた論文はみんな糞!」ということに
しておくと、自虐の病は進行するが、その半面、研究に対してある種肩
の力が抜けて自由になれるようなところもある。しかし、数学研究は
ある程度肩肘張って、自分にプレッシャーを与え続けてないと出来ない
ようなところもあるので、♪俺サマは箸にも棒にもかなわぬ大馬鹿なのさ♪
ラ・ラ・ラ・ヘラヘラ〜♪みたいな感じになると、かえって具合が悪い。
ところで、五山送り火の薪の件は、新たに取り寄せた薪から
微量の放射性物質が検出されて、結局中止となったらしい。
専門家によれば全然問題にならないぐらい微量なんだそうで、
「無意味なクリーンさを求めるあまりに、無駄な混乱を招いている」
とのコメントもあった。でも専門家も人によって言うことがまちまち
だから、誰もが疑心暗鬼にならざるを得ないし、検査で何か出た以上、
やっぱり中止の線は動かないと思われる。まあ、何とも後味の
悪い結果になってしまったが、検査で何も出なかった最初の薪で、
ごたごたイケズ言ってないで「やろう」ということにしていれば、
全然違う展開になっていただろうに。
2011年8月11日(木)
少し離れた大テーブルでは、年配の女たち数人のグループが
陣取って談笑していた。その中で、たぶん少し耳の遠い人だろうが、
やけに大声で話す女がうるさく、これはたまらんと奥の廊下沿いの席に移動。
しかしここは話声が反響しやすい場所。不安は的中し、隣の
30代と40代の女性2人組の話声が、別に大声というわけでは
なのだがキンキンと結構耳触りで、再び別の席に逃げだした。
2人組の彼女らは、俺サマが来るずっと前から居たようで、俺サマが
帰る時にもまだ帰る素振りはなかったので、珈琲一杯で5時間ぐらい粘っ
たと思われる。語れど尽きぬ友をお持ちとは、これまたご同慶の至りで
ございます、と日記には書いておこう。
30代女は、光ネットを使っていると1ヶ月7000
円ぐらい払うことになり、自分はそんなにインターネットをやらないから
無駄だと思い、やめることにした。ついでに医療保険も見直したら、
某社の保険が結構割高で、これも馬鹿馬鹿しくなったのでやめる積り。
太陽光発電もメンテのことを考えると、経済的には全然「エコ」ではない
から、そもそも電気を使わない節電「エコ」を目指したい。
今年の目標は節約だ。兎に角、あの家を(親から)受け継いだら、
改装するお金はないけど、物を全部捨ててからーんとした広々とした感
じにして、一人静かに暮らしたいというようなことを言っていた。
それ以外にも30代女は、最近のPCは立ちあがりが異常に遅く、
頼みもしないのにどんどん新しいソフトにヴァージョンアップされて、
益々遅くなるとぼやいていて、それには40代女も、そうだそうだと
同意していた。俺サマも隣で彼女達に激しく同意。
確かにPCはそういうところがあって、折角新しい高速PCを買っても、
ソフトが勝手にどんどん自動更新されて、次第に遅くなっていく。
つまり性能を落とすための更新である。あれはたぶん新しいPCに買い替え
させるための、メーカー側の陰謀ではないかと思う。こんなことばかり
やっているから、業務用はともかくとして、家庭用としてはPCは
見放されつつあるのかなと思われる。
夕方頃帰宅。大文字保存会が、京都市の提案を受け入れて、
新しい薪を送り火に使うことを了承した
と夕刊で報じていた。「会の中にはいろいろな意見があった」が、最終的に
他の保存会と足並みをそろえることにしたとか。京都人というのは、ヘソを
曲げると、あの独特の言い回しで実に色々な事を言い張って手に負えなく
なるが、「いろいろな意見があった」というのは、そういうことなのかな、
と。まあ、田舎の出の俺サマとしては、決して関わりたくない世界である。
夕食後、トロント行きの荷物の仮詰め作業の後、ガロア・プロジェクト
(教育編)をまた少し進める。レジュメ・ノートは既に50ページを超える
勢いで、最終的に60ページぐらいになりそう。これを15週の講義で
全部説明しようとすると、マシンガントークで黒板に数式を書きまくり、
大量発生するであろうお喋り学生は追い出し、居眠り学生には雷を落とし、
試験をしたら8割が白紙同然答案、、、みたいなことになりそう。
どうも俺サマが秘かにモットーとしている、「楽しい講座」展開には程遠い。
そこんとこ、もうちょっと何とかならんのかしら。後期開講まで、
まだ間があるから、秘策を練るつもり。
2011年8月10日(水)
午前中はガロア・プロジェクト(教育版)を少し。午後は追試験
の口頭試問をするために出勤。まずはSubwayで昼食。生協食堂も
やってたが、追試を受ける学生たちが行列していたので、パス。
昼食後、研究室でトロント出張に持っていく航空券や旅行保険等
を持ち帰る準備を終えた頃に、14時の追試口頭試問の時間になる。
受験生は1名。研究室では手狭なので、上の階の学科の談話室になっ
ている部屋で行う。15時までには試問を終え、成績票も記入し終わ
り、事務に提出。これにて前期の業務は全て終了。直ちに帰宅し、
出張の準備を少し。夕食後はまたガロア・プロジ
ェクト(教育編)を少し進める。
そういえば、今年は15日に成田を発つので、五山の送り火を
見ることができない。と言っても、琵琶湖花火と同じで、毎年、
人込みを嫌って自宅に籠ってるだけ。去年も結局ネットの中継で見
ただけだけど。でも、ああ、今日は市内で送り火をやってるんだな
と思うだけで十分。うまく行けばトロントで朝方にちょっとだけ
ネットで見るかな。
その送り火も、今年は被災地の松を薪に使うかどうかでごたごた揉
めている。風評被害を助長するような一部市民の苦情に屈して、この行事
の保存会のひとつ大文字保存会が中止を決めたのが発端らしく、
保存会の事務局の立場にある京都市がきちんと対応しなかったということで、
京都市に対する批判の声もあるようだ。
大文字保存会が風評被害を助長するような意見に断固として対応していこうと
していた形跡も伺えない。むしろ、元々この計画に会のメンバーが一致して
賛成していたわけでもなかったようなので、市民の苦情を切欠に一部のメンバー
が強硬に反対し始めて、それに押し切られた形だと推察される。これはあくまで
推測にすぎないが、「国や専門家の言うことなんか全然信用できん。ヨウ素と
セシウムだけ調べてシロだったとしても、他に何かあるかも知れんし、
これで不安が払しょくされたと言い切れるかどうか。後になって、
『別の放射性物質もありました』みたいな話が出てきたとき、
誰が責任をとるのだ?」みたいな意見が根強かったのであろう。
まさにそういう思考が風評被害を助長している気がしないでもないが。
一連の報道では大文字保存会のメンバーがどういう風に考えているのか
については断片的にしか伝わってこない。特に、中止決定後の猛烈な批判をどう
受け止めているかについても、ほとんど報じられていない。大文字保存会の
理事長さんの、会をうまく纏められなかった忸怩たる思いをにじませた、
短いコメントだけが単発的に報道されている。新しい薪を再度取り寄せて
送り火に使ってはどうかとの京都市の提案も、他の4山の保存会は了承
したけれど、大文字保存会はまだ受け入れをめぐって意見が
別れており、もめ続けているようだ。一体中でどういう議論が行われて
いるのか知る由もないが、報道を見聞きしている限りでは「何か知らんけど、
ややこしい人たちだな」という印象は否めない。
全体的に大文字保存会に対する批判は、保存会という顔のはっきり見えない
組織を通り越して、京都全般に対するやや漠然とした批判の形をとっているという
感じである。所詮は市民のボランティア団体だから、あまり強いことも言え
ないのであろうか。
それに対して、市や市長の対応を批判する声は威勢が良かったりする。
確かに市がもうちょっと上手く立ちまわっていれば、こんなに問題はこじれな
かったかも知れないので、責任が無いとは言えない。しかし、別に京都市の肩
を持つわけではないが、京都市と保存会は協力関係にある独立組織という位置
づけのはずで、市が保存会を監督して意思決定にも細かく関与するという関係
でもないので、「監督責任」とまで言えるかどうか。
それに、京都にはちょっとしたことでも「行政は何やっとるんや!?ちゃん
と、せんかい!」と怒鳴って市職員に頭を下げさせて悦に入り、そういう
チャンスを虎視眈眈と狙ってるような文句言いのオジサン
(定年退職した爺さんに多い)が多いので、どうしてもそういうのと
イメージが重なってしまう。行政を叩けばそれでいいってもんでもないだろう、と。
あと、どうも腑に落ちないのは、京都市が新しい薪を送り火に使う決定を
したことに対する批判。「批判をうけたから慌ててそういうことを考えたのだろう」
という批判だが、これも変な話である。批判を受けて何もしなかったら、
やっぱり批判するだろうし、「慌てて」やらなければ、対応が遅いと批判して
ただろう。もし京都市が過ちを悔いて「すみません。格好悪い話ですけど、
もう一度仕切り直しさせてください」と真摯に対応しているのなら、
ごたごた文句言わない方がいいと思うけど。
2011年8月9日(火)
オペレータ:「お待たせしました。××信用金庫でございます。
御用件はなんでしょう?」
最初に出たオペレータは銀行職員ではなく派遣か何かで、銀行業務については
何も知らない。係の者Aは新入社員か何かで、トラベラーズチェックは知ってても、
通貨の種類はあまり知らず、聞いてもすぐに忘れた。と、まあ、そんなところ
だろうか。それと、オペレータも係の者Bも、電話でいちいち悩んで見せるのは、
こちらが不安になるから、やめてください。
××信金に限らず、最近はフリーダイヤルでどこかに問い合わせると、問合せ内容
を何度も繰り返して言わされることが多いが、「さっき電話に出た人に言った事を
Ctrl-C Ctrl-Vでよろしく」みたいに、電話でもコピペが出来れば便利だろうな。
それから自宅を出て、四条烏丸の銀行で無事トラベラーズチェックをゲット。
バスで百万遍に移動して、新福菜館で遅めの昼食の後、「下界より5℃は涼しい」
のうたい文句につられて、叡山電車、ケーブル―カー、ロープウエイ
を乗り継いで比叡山納涼と洒落込む。本当は中学1年生の林間学校の思い出美しい
延暦寺に行きたかったのだが、午後ももう遅い時間になってきたので、
山頂の遊覧施設をぶらぶらして、京都や琵琶湖の景色を眺めたり、
カフェで一休みしたりしてすごす。
ああ、天気はいいし、涼しいし、山の上からの眺めは最高だ。
来週の今頃には数学者がうじゃうじゃ集まっているところに
突撃しなければならない憂さも、しばし忘れることができる。
今日ぐらいは自虐遊びはやめようではないか、と。
比叡山から見下ろす琵琶湖の風景に見入って、この雄大な眺めに比べれば、
俺サマの自虐など小さな事だ。こんなみみっちいことでウジウジしている
俺サマは最低だ。と、昭和の昔の青春ドラマよろしく、
琵琶湖に向って「俺サマの馬鹿野郎!」と力一杯(胸の内で)叫んだところで、
あっ、しまった、また自虐をやってしまったと後悔。
帰りはもう夜になってたので、出町柳のあたりて適当に夕食を済ませて
から帰宅。その後、ガロア・プロジェクト(教育編)をすこし。
2011年8月8日(月)
その後、久しぶりに御池通りを渡って寺町通りを上がってみる。そういえ
ばオスナブリュックから帰ってきてからは初めてかも。以前、ちょっと洒落た
店構えの美容院だったところが、いつの間にか和菓子屋に変わっていたのには
驚いた。山科に2、3年商売をやって少し儲かると店舗を改装し、飲み屋、
タイ料理店、焼肉屋、鉄板焼屋と次々と変わっている変わった店がある。
まさかそういうのではないとは思うが、つい、「和菓子屋の次は、何をやる積
りだろう?」と思ってしまう。美容師も飽きたから、次は和菓子職人でもやろう、
でも本当にやりたかったのは蒔絵職人で、いずれは、、、みたいなことを
考えてるとか。10年に1度専門を変えている俺サマと相通ずるものがあるな、
と勝手に親近感を持ったりして。
帰宅後、早目の夕食をとってラクトスポーツプラザへ。楽しいZUMBAと
癒しの骨盤矯正ヨガ。いやーっ、この快感、やめられまへん!今日は琵琶湖花火
のためか、いつもよりも来てる人が心なしか少なかった。帰宅後、トロント出張
準備をまた少し。
前にも書いたが、トロント行きはオスナブリュックに滞在中に「勢い」で
決めたのである。科研費はあるし、ヨーロッパの研究集会と違ってアホ除け選考
は無いし、研究集会のテーマも面白そうだし、これは行くしかないではないか、と。
あの頃の俺サマは、ちょっとテンション高めで、少しおかしかったのだろう。
しかし帰国後すこし冷静になって、自虐の病が深く進行していることが明らかに
なった。震災の影響で7月にいきなり科研費3割カットになったが、
もうちょっと早ければ、これを
口実に出張を取りやめていたかもしれない。でも、既に航空券は買ってしまってたし、
キャンセル料払うのも馬鹿らしいので、まあ、行くことにしたのである。
トロント行きに気が進まない理由は、勿論、「何で好き好んで数学者が
一杯集まる所に突撃して、『飛んで火に入る夏の虫』にならんといかんの?」
ということである。そりゃあ、日誌のネタにはなるだろうけど、それでは
まるで命がけの体当たりギャグで食ってるお笑い芸人みたいで、
「面白うて、やがて悲し」く、我が事ながら「それで飯食ってる
わけでもないのに、、、マゾもほど
ほどにしたらどうだ?」と言いたくなる。
でも、やっぱり怖い物見たさってところもあるんだよね。怖い物一杯見て、
それでもって俺サマも百戦錬磨の立派にふてぶてしいオジサンになれるかしら?
うふっ、、、みたいな、トロい事も考えててたりして。
2011年8月7日(日)
数学専攻の学生が基礎教養としてゲーデルの定理を学ぶことは良いことだと
思うが、残念ながら諸般の事情で来年度から始まる新しいカリキュラムでは、
教えないことになっている。まあ、数学を心の友にして大学を巣立った人なら、
一生のうちいつかはゲーデルを読んでみたくなるだろうし、その時に
読んでも別に遅くはない。ゲーデルのアイディアは素晴らしいが、証明そのもの
はそれほど難しくないので、大学で習った数学を全部忘れてしまってても
十分読める。ガロア理論だと、そうはいかないだろうけど。
そういえば、計算機屋時代の同僚で、毎年正月には心をこめてゲーデルを読み
直すことにしているという人が居たな。彼がまだそれを続けているのかどうか
は知らないけど。
後期の「数理論理学」の代講講義については、特にレジュメは作らず、薄い
テキストを指定して適当にやろうかと思う。
話は変わるが、俺サマは「数学者は馬鹿が嫌いである」「俺サマは馬鹿
である」よって「数学者は俺サマが嫌い」という有名な『俺サマ三段論法』
に忠実に従って生きている。しかし、実のところ、俺サマは頭が緩いので、自分の
思考のどこがどう緩くて馬鹿なのかが、自分ではよくわからない。
そこんところ、もうちょっと何とかならんのかと思うけれど、「自分が馬鹿
だと自分で証明できる馬鹿は居ない」というのがゲーデルの第二不完全性定理だか
ら(嘘だよ!良い子は信じちゃ駄目だよ!)、俺サマが馬鹿だという証明は俺サマの
外に求めるしかない。「外」とは勿論、数学者達のことである。
そこで「数学者達が俺サマのことを馬鹿だと思っているならば、俺サマは馬鹿で
ある」という公理を1つ入れて、研究集会等に参加して座敷童してみる。この公理の
無矛盾性の問題は当然無視する(「何で『当然』なんだよう?!」という突っ込みも
当然無視する)。集会会場を2、3日偵察飛行していると、数学者達が俺サマのこと
を馬鹿だと思っていることは自明だとわかり、「俺サマは馬鹿」の
証明は完結する。Q.E.D.どうだ、俺サマと数学者たちとのコラボレーション
による証明、完璧だろ?
え?「お前、また出鱈目ばっかり書いて!」だって?そうさ、俺サマは嘘つき
オジサンだぜ。俺サマが書いてることは、ぜーんぶ嘘さ。知らなかったかい?
2011年8月6日(土)
本日午前中は自宅でガロア・プロジェクト(教育編)を少し。
それから街に出て、丸亀製麺河原町三条店で軽く昼食。向いの
テーブルに父親とやってきた小さな女の子が居て、父親が
向うに行って饂飩を注文している間ずっと、くりくりっとした
目で珍しそうに俺サマの方を見ていた。ちょっと、そこのお姉
ちゃんねえ、悪太郎サングラスしたままで饂飩食ってるおっちゃん
がそんなに珍しいのかい?!まあ、見られて減るもんやないし、
見たいだけ見てもらったらええんやけど。
昼食の後は、寺町通り上島珈琲にてゲーデル・プロジェクト。
結構進んだ。そういえば、数年前に卒研の学生と一緒にゲーデルの
完全性定理と不完全性定理の勉強をしたときにも書いたけど、
ゲーデルってのは無類の人嫌いだったそうだ。研究集会には滅多に
顔を出さないし、たまに出席して懇親会に来ても、まあ、何というか、
俺サマと同じような感じだったという。数少ない友人の話によると、
彼は初対面の人間に会うのを極端に嫌がったが、親しくなるとむしろ
人懐こい方だったという。
ということで、俺サマとしては結構ゲーデルに親近感を持って
しまうのだが、俺サマと違うところも色々ある。まず、俺サマは
研究集会には結構顔を出す。あくまで座敷童として、だが。
それから初対面の人間に会うのはむしろ好きな方で、しかしながら
相手が数学者だと2度目に会うのは極めて億劫である。だって、
数学者って、初対面で会って親しくなって、その時は「今後ともよろしく!」
みたいにいい感じで別れても、2度目に会うと「ああ、高山の馬鹿か。
こんな奴を相手するのは時間の無駄だ」みたいな露骨な態度を取ることが
多い(と俺サマは固く信じている)ので、馬鹿なくせにプライドめちゃ高の、
ほとんど人間の屑の俺サマとしては、我慢ならないってわけ。
それから、数学者相手の時に限っては、たとえ親しくなってもあまり
人懐っこくはならないなあ。「だって、あんた数学者だろ?だったら
数学者やめてから出直して来いよ」みたいな感じで、何年でも闇雲に
警戒心を持ち続ける。
まあ、かなり被害妄想的だけど、数学者の中にも一見良さそうに見えても
実際はかなり性格の悪いのを何人か知ってるので、そういうのに迂闊にひっか
かって「胸糞が悪くてしばらく数学が出来ない」状態に陥るのを避けたいという
ことでもある。
と、いう風に考えると、ゲーデルは人嫌いだったそうだが、俺サマは
数学者嫌いで、この違いは案外大きく、呑気に親近感なんて持っていて
いいものだろうか?という疑問がないでもない。
上島珈琲を出てから、JEUGIA三条本店を偵察して、上記のCD
を購入。それからAngers河原町三条本店を偵察。俺サマは物欲が
あまり無いので、ここで売ってる食器類や文房具やその他デザイン雑貨を
美しいと思うし、美しいものはぜひ見たいと思って店に通ってるんだけど、
買って身の回りに置きたいと思ったことは一度もない。まあ、単なるサクラ
客ね。
帰宅して夕食の後、ラクトスポーツプラザへ。黒ゴリ、ア太郎、
強い爺さんなどが来ていた。俺サマが筋トレをやってたら、強い爺さんが
声を掛けてきた。こんなことは初めてだ。2、3日前にそこの地下道で
会ったと思うが、仕事
帰りでしたか?と言う。確かに採点作業で遅くなって、9時半頃に
地下道を通り、階段のところで強い爺さんとすれ違い、「あ、強い爺さん、
今日もトレーニングしてきたんだ。凄げえなあ」と思った。で、
「ええ、あれは仕事帰りでした」と。へへっ、爺さんにナンパされちまったよ。
そうか、俺サマは退屈しのぎに彼らに興味を持っているが、彼らは
俺サマのことなんか見えていないと思っていた。しかし、案外、ああ、いつも
来てるあいつか、ぐらいには思っていたのだろう。饂飩屋の小さな女の子
の件といい、俺サマは案外あちこちから注目されているのかもしれないな。
と、いうことは、やっぱり、座敷童として研究集会で偵察飛行してても、
皆さん「あ、あそこでアホの高山が漂ってる」ぐらいに思って見てるのかも
知れないな。そういえば研究集会で、「あんた、何で俺サマの顔と名前知って
るの?」って腰ぬかしたこともあったし。陰で俺サマの悪口言う時の用心として、
俺サマの顔を知っておく必要があるのかも知れないが、マトモな数学者なら
俺サマの悪口など酒の肴にもならないことを知っているはずだから、やっぱり
何故俺サマの事を知ってるのか、わけがわからない。
あーあ、採点作業が終わったら、途端に自虐モードにリバウンドしてしまったよ。
2011年8月5日(金)
生協で昼食後、研究室にて「離散数学」の採点作業。やはり今年
の2回生はよく勉強するとみえて、昨日採点した「代数学序論I」同様、
合格率は目標の8割をかなり上回った。
試験をするにあたっては、日頃の講義の中で、よく分かってそうな顔
をして聞いている学生の顔を覚えておいて、試験中に名前を確認し、
採点時にその学生がどのぐらい出来ているかで、出題レベルの妥当性や
評価基準を決める参考にしている。
また、常習的に居眠りする学生も同様のチェックの対象になる。
これはどちらかというと、単なる興味というか、例えば一番前の席で
居眠りをするという子供じみた行為の理由を探りたいからである。
数理科学科に移籍して以後10年余りの経験で、次のタイプが発見されている。
(1)さっぱり理解できない授業のノートを必死に取っていると、
突然睡魔に襲われ、たまりかねて眠ってしまう学生。この場合は、授業の内容
とは関係なくかなりランダムに寝る特徴があるので、すぐにわかる。こちらとしては、
ちらちらと横目で眺めて「奴も苦労してるんだな」みたいな事を考えながら、
講義をするわけである。
(2)定義や定理のステートメントのノートはとるが、「証明はどうせ理解
できないから」等の理由で、手を休めて寝る。こんな調子では、
何でも証明しないと気が済まない「証明命!」の数学科を無事4年間で卒業できるのかしらと
思うが、実際苦労している学生もちらほら見受けられるし、うまいこと抜け道を
探して卒業していく学生もいるようだ。
(3)定義や定理や証明のノートは取るが、具体例の話になると途端に寝る
学生。大学の数学は定義、定理、証明が命で、具体例は下らないアクセサリー
に過ぎないと馬鹿にしているのかもしれない。実は俺サマも学生時代はそういう
風に考えていたし、高回生や大学院生ぐらいでも、そういうことを言っている
学生をちらほら見掛ける。
しかし、実際に数学研究を始めると、そうでもないことがすぐに分かる。多
くの場合、具体例がちゃんと扱えないと、一般論の研究も思うように進まない。
このタイプの学生は、少なくとも一般論を踏まえつつ具体例をガチャガチャ計算
させる俺サマの試験では、苦労することになる。
いずれにせよ、群論もルベーグ積分もトポロジーも、高校時代の夏休みの
自由研究で自力で理論を作ったことがあるけど、自分が生まれる何十年以上も
前に既に出来てた理論かと思うと、アホらしくてノートを取る気力が失せてき
て、思わず寝てしまうという学生や、
定理のステートメントだけ聞けば、たちどころに証明の全容が見えてしまうので、
教師が黒板の前でチマチマとやってみせる証明なんて退屈で聞いてられない学生とか、
数学科の学部レベルで出てくる具体例なんかは、中学時代に暇潰しに自分で計算して
遊んでいたから、既に全部知ってるという学生とかには、
まだお目にかかったことがない。まあ、そんな恐ろしい学生の前で、
講義なんかしたくないけどね。
16時過ぎには成績票記入も含めて、全作業が終了。「代数学序論I」の
成績票も含めて、無事1階事務に提出。これで前期試験の採点作業は全て
終わった。図書館にちょっと寄ってから帰宅。通勤途中はゲーデル・プロジェクト。
そして夜は中断していたガロア・プロジェクト(教育版)を再開。
2011年8月4日(木)
午前中に出勤して研究室にて採点作業の続き。昼食は生協に行ってみたが、
京大などと違って、定期試験が終わって学生が居なくなると途端にまともに
営業しなくなるものらしく、結局Subwayのサンドイッチ。
午後も作業を続け、16時頃に「代数学序論I」の採点終了。
今年の学生たちは良く勉強するようで、合格率は目標の8割をかなり上回った。
作業に一息入れて、昨日採点し終わった4回生「計算機数学」の成績票を
1階事務に提出しにいく。ちょうど昨日の2回生「離散数学」の答案整理が
終わってたので、研究室に持ち帰って採点作業開始。途中、夕食のために再び
生協に行ってみた。今度は一応店は開いてたが、やはりまともに営業して
いないことには変わりなく、そのまま研究室に戻って、もうひと作業。
20時半頃に今日の作業は打ち切り、バスで南草津駅前に行き、
お好み焼と生ビールで遅めの夕食。大学で夜遅くまで作業した後は、
妙にお好み焼と生ビールが恋しくなる。
店にはイスラム圏出身と思われる数人の
客が、ビールを飲みながら談笑していた。君たち、酒を飲むことをアラーの
神がお許しになったのかね?まあ、イスラム教徒の中にも、「母国じゃあ、
周りの目が色々うるさくてかなわん。ヨーロッパなどに出張した時には羽根を
伸ばして、ワインを飲み、ピザを食い、好き放題やるのが楽しみだ」という
人はいるらしい、とは聞いてたけど。でもまあ、インド人かもしれないな。
帰宅は22時過ぎ。ゲーデル・プロジェクトをすこしだけ。
2011年8月3日(水)
学科の事務室に行ったら、ちょうど昨日の「計算機数学」の
試験答案の整理が出来ていた。1階の事務に答案を受け取りに行くと、
ちょうど「代数学序論I」の試験答案も整理完了したところで、
両方受け取れた。
研究室の戻って、とりあえず「計算機数学」の採点を速攻で終えて、
15時から16時の「離散数学」の試験監督。教室は学生達の熱気の
せいか、それとも空調の不調のせいか、やけに蒸し暑かった。
受験者数90名。昨日の103名よりやや少ないが、今日も助手と
臨時事務職員の人が監督補佐についてくれて、ずいぶん助かった。
試験監督が終わってから、既に始まっていた学科会議に合流。会議は1
時間ほどで終わり、引き続き学位審議委員会。試験監督をしている間に
学位論文の公聴会があったようだ。この会議も短時間で終わる。
それから研究室に戻り、「計算機数学」の成績票記入の後、「代数学序論I」
の採点を開始。生協での夕食を挟んで21時頃まで。作業して半分ほど進んだが、
明日もまた作業のために出勤しなければならない。今のところ、「代数学序論I」は
目標通り8割合格が達成できそうだが、「計算機数学」の方は予想通りの
8割落第かというと、そうでもなくて、5割強落第にとどまった。
帰宅のバスの中で、ゲーデル・プロジェクト開始。数年前卒研生と
一緒に完全性定理と不完全性定理を勉強したのだが、その復習をして後期の
数理論理学の代講を乗り切ろうか、と。帰宅は22時過ぎ。これが飲まずに
おれようかと、プレミアムモルツの350ml缶の一気飲み。
まあ、試験監督、採点、講義準備と、完全に先生モードだが、たまにはいいか、と。
研究者モードの時みたいに、頭の中で大聖堂の鐘のようなでっかいのが、「俺サマ
は馬鹿♪俺サマは馬鹿♪♪俺サマは馬鹿♪♪♪、、、」とガンガン鳴り響いたり
しないからね。
やっぱり研究者よりも先生の方が向いてるのかなあとも思うが、私大教師
は結局のところ人気稼業だし、人気のあるなしで浮いたり沈んだりする
人生って、俺サマは(旧)情報学科でもさんざん経験したけど、まっぴら御免
なのよね。だから、頭の中で鐘が鳴り響こうが、座敷童を偵察飛行しようが
(何?意味がわかんねえだと?!)、軸足は研究の方に置いて、研究者稼業に
しがみついてるわけ。
2011年8月2日(火)
10時過ぎに大学に到着。研究室で雑用をしていると電話が鳴った。
某企業求人担当者。今日にでも挨拶に行きたいという。
通常は数日前にアポイントメントをとるものだが、えらい急な話である。
既に就職課の方に求人の連絡はしてあるそうだし、就職委員の俺サマに
なんか、わざわざ挨拶に来なくてもいいのだけど。しかしまあ、
14時から14時30分が空いてたので、その時間帯ならということで
話がつく。ただし、14時40分までに午後の試験監督のために詰所に
行かなければならないので、14時半は厳守の旨も念を押しておく。
11時から12時まで4回生「計算機数学」の試験監督。講義に出て
いたのは5〜6名だが、試験場には27名来ていた。俺サマは結構厳しい
先生で、低回生だろうが高回生だろうが「厳密採点主義」と「零点則落第主義」
そして「難問に見せかけた易問主義」を貫いている。
ちなみに厳密採点主義とは、問題で問うていないこと、たとえば、
「単位のお願い」とか、問題とは無関係の、自分が勉強した定義や定理の羅列
などは、いくら書いても一切評価しないという程度の意味。
易問を難問に見せかける粉飾は、勉強してない学生が手も足も出ないように
して落第させるための方策である。ひととおり勉強した学生なら、すぐに易問と
見破れるが、では、それが実際に解けるかというところに実力の差が出る仕掛け。
まあ、これはあくまで理想で、その通りに行ってるかどうかは、微妙なところ
ではあるが。
零点則落第主義というのは、文字通り「そりゃあ、どんな試験でも零点なら
落ちるわな」程度の意味。それのいったいどこが「厳しい」のか?と思うかもし
れないが、兎に角、この3つの主義で行くと、低回生の場合は8割程度が合格し、
高回生の場合は8割程度が落第する。さて、今日の試験の出来はどうかしら。
昼食は学内にあるSubwayでサンドイッチを買って、暑さもほどほどだったので
外のベンチで食べた。それから研究室に戻って、9月の出張申請書書きや
演習科目の成績票記入などの雑用をしているうちに、
来客予定の14時前になった。週に1回、研究室の掃除をやってくれる業者の
人が回ってきたが、今日は来客があるということで、断った。午後の試験監督
までに纏まった時間がとれそうということで予定していた作業も、来客対応
ということで延期した。
しかし結局待ち人来らず。14時25分に電話が鳴り、「今やっと到着して
研究棟の前に居る。今から10分ほどでいいから会ってもらえないか、それ
が駄目なら別の日程を調整してもらえないか」と言う。この担当者の今日の
一連の言動にはどうも首を傾げざるを得ず、「今から試験監督のために研究室
を出るところだから、今日はもう駄目だし、明日以後も出張やらなんやらで
忙しいから8月中は駄目だ」と答えておいた。
それやこれやの間に、1階の事務に行く用事があり、エレベータの中で
学科長と一緒になった。
俺サマ「先生、どちらへ?」
学科長「○×♂で、●☆★?#♀!」
俺サマ「へー、そうなんですか。先生、意外と働き者だったんですねー
(あ、また言ってしまった!)」
15時から16時まで、2回生「代数学序論I」の前期試験監督。受験者
103名。(旧)情報学科時代の三百数十名よりは少ないが、それにしても
多い。まあ、普段の講義もそれぐらいの学生が出席してるけど。監督補助とし
て助手と臨時事務職員の人がひとりずつついてくれて、助かった。
試験監督後、研究室ですこし雑用の後、すぐに帰宅。夜はまた少しガロア・
プロジェクト(教育編)。
2011年8月1日(月)
上島珈琲を出てから、JEUGIA三条本店をすこし偵察。福田進一&
なんとかフェルナンデスのCDは、もう試聴マシンから外されていて、聴け
なかった。JEUGIAさんは最近、2CherosとかいうCDをプッシュして
いるそうで、イギリスの音大でチェロを学ぶ2人のイケメンの兄さんが、超
絶技巧のチェロでロックの有名な曲を演奏するというもの。俺サマはロック
はあまり知らないが、U2のwith or without youはレコードかCDかを持っ
てたはずで、昔よく聴いてたような気がする。どうしようかなーと思ったが、
何となくパス。
帰宅後は早目の夕食の後、ラクトスポーツプラザへ。久々に楽しいZUMBAと
骨盤矯正ヨガ。
色々メールが届いた。1つは会社員時代の友人から。消息不明になっていた
仲間とコンタクトがとれたというニュースと、「また飲み会をしましょう」との
お誘い。友人というのは有難いものである。もう一つは大学からの業務連絡。
あとは、参加申し込みはしていて、アホ除け選考もなく無事受理されてた
けど、講義や補講や院試プロジェクトで結局参加できなかった研究集会の
集合写真が届いた。
大きな研究集会では、参加者の集合写真を撮ることが多いが、俺サマは何故か
昔からこれが嫌いである。撮られるのは好きだが、見るのは嫌いで、
ほんの少しだけど気分が滅入る。勿論、自虐の病に冒されてからは、集合写真嫌
いはますます嵩じているのだが、
怖い物見たさというかマゾというか、結局見てしまう。
大勢の数学者たちが並んでこちらを見ている図なんて、あまり気持ちのいいもの
ではない。皆がこちらを見て、口ぐちに「ばーか、ばーか、高山の馬鹿」と言って
いる、あるいはそう言いたいけど我慢して黙ってるように思えてならないようだっ
たら、今度こそは然るべき病院に行こうか、と。
催眠治療でも箱庭療法でもカウンセリング
でも電気ショックでも薬物療法でも何でも受けようじゃないか。
しかし、幸いにして「ふーん、やっぱり数学者だけあって、
皆さん、意地悪そうな目つきして写ってるなあ」程度の印象しかなかったから、まあ、病院は行かなくてもいいだろう、と。
<<トロント着>>
結局、成田空港15日17時45分発のフライトは大幅に遅れ、
20時10分発にずれ込んだ。16時前にチェックインすると、
遅延のお詫びとして3000円の食事券を貰った。しかし
昼食は済んでるし、飛行機の中でまた夕食が出るし、
ここんところ胃の調子も芳しくないし、
寿司屋なら3000円使うのは簡単だが、長居はしずらいし
ということで、不二屋レストランで1200円ちょっとぐらいの
ケーキセットのようなものを頼み、1時間ほど時間をつぶした。
<<成田の夜>>
午前中に荷物の最終チェックなどをして、自宅で昼食の後、出発。
京都駅から新幹線にて東京駅へ。新幹線の中では専ら居眠り。東京駅
で成田エクスプレスに乗り換え、1時間ほどで成田空港に着き、その
近くのホテルにチェックイン。
<<ガロアの夏>>
昨夜は何となく夜更しをして、今朝起きたのはかなり遅め。ブランチ
のような朝食の後、ガロア・プロジェクト(教育編)を少し。
<<。。。終わらない!>>
午前中はガロア・プロジェクト(教育編)。午後は山科区内
をぶらつき、某豚骨ラーメン屋で昼食。この店は他の場所にも
いくつか出店する勢いで、そのせいか、いつの間にか店長が
むっくりしたオジサンに変わっていた。前の店長は「うんと
美化すると竹之内豊」という俺サマにしか分からない際立った
特徴を持ったお兄さんだったが、ここんところ姿を見ない。
<<秘策>>
午前中は自宅で野暮用。午後は街に出て、丸亀製麺で遅めの昼食の後、
上島珈琲に籠ってガロア・プロジェクト(教育編)。
最初に座った席の隣には休憩時間のJEUGIAの店員が休んでいて、
雑誌の記事に読みふけっていたが、仕事の時間が来たのか、
すぐに店を出て行った。
<<追試>>
今日も暑い。日中は日傘をさしてても、地面から放射熱が襲ってくる。
サングラスも手放せない。
<<下界より5℃は涼しい>>
今日はさらに暑い。午前中はカナダドルのトラベラーズチェックの調達。
まずは某信金にフリーダイヤルで問合せ。電話が込んでいて、なかなか
オペレータにつがながらない。
俺サマ:「そちらでカナダドルのトラベラーズチェックを扱ってるでしょうか?」
オペレータ:「えーっと、カナダドルのトラベラーズチェックに関しましては、、、
うーん、それは、そのー」
俺サマ:「。。。(何だよ。扱ってないなら、そうだとはっきり言えよ)」
オペレータ:「では、係の者にお繋ぎいたします。もう少しお待ちください」
係の者A:「はい、国際部の○×です。。。。」
俺サマ:「。。。(何だよ?トラベラーズチェックがどうなのか、早く言えよ)」
係の者A:「。。。で、お客様の御用件は?」
俺サマ:「(あのオペレータのやつ、問合せ内容を全然取り次がなかったな)
そちらでカナダドルのトラベラーズチェックを扱ってるでしょうか?」
係の者A:「カナダドルのトラベラーズチェックですか?うーん、ちょっと
お待ちください」
(電話がハングされ、酷い音の「エデンの東」が15回ぐらい繰り返し流れる)
係の者B:「お待たせしました。国際部の▼■です。トラベラーズチェックの
件での問合せと、うかがっておりますが。。。」
俺サマ:「(「カナダドル」は伝わってないのかよ、と溜息を1度ついてから)
そちらでカナダドルのトラベラーズチェックを扱ってるでしょうか?」
係の者B:「カナダドルのトラベラーズチェックに関しましては、、、
うーん、それは、そのー、、、」
俺サマ:「。。。(何だよ、さっきのオペレータと同じ事を言ってるじゃないか)」
係の者B:「当行では、トラベラーズチェックは扱っておりません。」
<<トロント出張準備>>
今日も暑い。午前中は自宅にてガロア・プロジェクトを少し。
昼過ぎに街に出て、丸亀製麺で昼食の後、上島珈琲に籠ってトロント出張の
準備。トロントの空港の名前、街までの交通機関、研究集会の会場の場所、
宿舎の場所といったことの確認作業。
<<俺サマ三段論法>>
夏らしく、今日は暑い。午前中は京都新聞の2つのパズルなどをやって、
のんびりすごした後、少しゲーデル・プロジェクト。昼過ぎに山科区内に
買い物に出て、ついでにパン屋のイートインで昼食がてらに、また少し
ゲーデル・プロジェクト。帰宅後もひきつづき何だかんだとプロジェクトを
続け、夕食後にとりあえず完了。ゲーデルの完全性定理とか不完全性
定理というのは、やはり偉いもんだと改めて感心した。
<<ナンパされる>>
また「あのシリーズ」が復活してしまったのである。ブラームスや
シューベルトやベートーヴェンが、ヴァイオリンやアルペジオーネ
(チェロの前身のような古楽器)や、ホルンのために書いた曲を、
チェロ用に編曲したものを集めて、ウィーン・フィルの主席チェロ奏者
とかいう人が演奏している。知的でバランスの取れた演奏に、
思わず引き込まれてしまうところがよろしいか、と。
ジャケットの風景写真はポーランドとチェコの国境辺りにある
Riesengebirgeとかいう所の遺跡だそうだが、それがこのCDの音楽と
どういう関係にあるのかは、不明である。
<<採点終了>>
沖縄に台風が来てるらしい。何だか雲行きも怪しい中、午前中は
自転車で山科区内を色々周って野暮用。いったん自宅に戻ってから、
大学に出勤。山科駅前の蕎麦屋が耐震補強工事のため最近閉鎖された
こともあって、何だかんだで昼食抜きで大学に到着。今日もSubway
のサンドイッチかなと思ってたら、生協食堂が開いていた。今日は何
かの試験会場として教室を貸しているらしいので、その受験者狙いで
営業しているのか。
<<採点とお好み焼>>
今年の夏はあまり猛暑って感じがしない。去年あたりは、地球がどうにか
なってるに違いないって思ったけど。まあ、6月下旬だかの猛暑で今年の
夏は終わったのかも。
<<鐘が鳴る>>
午前中は自宅でガロア・プロジェクト(教育編)。方程式の可解性の
問題は複素数体上の話に限れば少しは簡単になるかと、2つの教科書の
証明のつぎはぎ作業に着手。自宅で簡単な昼食をとってから、出勤。
<<待ち人来らず>>
今日ぐらいは「俺サマは馬鹿」ネタをお休みにしないと、俺サマは
大変なことになってしまいそうだな。今日は尊大なる高山大先生
モードでいってみよう!
<<集合写真嫌い>>
午前中から昼過ぎまでガロア・プロジェクト(教育編)。具体例の計算を
やって、ようやくガロアの基本定理のところまで終わる。それから街に出て、
丸亀製麺でほとんど3時のおやつのような時間帯に昼食。その後、寺町通り
上島珈琲でさらにすこしガロア・プロジェクト(教育編)。うーん、やぱり
円分拡大や巡回拡大を真面目に教えないと、方程式の可解性の話がうまくで
きないな。