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で
す。
2011年8月31日(水)
しかし、売り場で流れていたカラヤン指揮ベルリンフィルのチャイコフ
スキーによろめいてしまうという、危険な兆候を感じる。俺サマは一応、
オジサンと数学者とオーケストラは大嫌いということになっていて、
その盤石なる偏見と思い込みの体系が崩れ始め、それによって
また俺サマの精神構造に変化が訪れるのか、と。最近は自虐の病だの
座敷童だの俺サマ・ワールドだのと、碌でもない方向ばかりに変化
してきてるので、精神構造の変化は要注意である。
まあ、そうは言っても、以前はモーツアルトとブラームスとエビとカニ
と牡蠣と鳥の腿肉と蛸と鰻と玉葱と日本酒と赤魚の粕漬けが「大嫌い」
ということになっていたのだが、いつの間にか赤魚の粕漬け以外は全部好き
になっていて、赤魚も先日の出張の折の駅弁に入ってたのを何となく食べて
しまい、「これはいける!」と思ったことだし。だから、
「数学者が好き」と言える日は来ないかもしれないけど、ある日ふと目
から鱗が落ちて、「カラヤンはいい」と思う時が来ても、おかしくはないか、と。
しかし、「やっぱりカラヤン指揮のベルリンフィルって、最高!最高!」
みたいな事を言って興奮しているようなキモチ悪い自分が居たら、それは許せん
だろうなという観点から見ても、やはり「危険な兆候」と判断されるので、
購入を見合わせる。
何?「お前の今書いてることの意味がわからん」だと?いんだよ。
俺サマだって分かって書いてるわけじゃないし。
それから色々野暮用がらみで、地下鉄の駅構内やラクト山科でしばし
数学したり居眠りしたりして時間調整の後、山科区内で野暮用の後帰宅。
夕食後、夜はまたすこしガロア・プロジェクト(教育編)。
2011年8月30日(火)
ひと仕事終えてから、今日受け取った数学会の学会通信みたいなものを
パラパラ眺めていたら、数学者の物事に対する態度や、第一線の数学者の
気質や、教育に対する考え方に対する色々な意見が書いてあって、
「ああ、いかにも数学者の言いそうなことやな」と少し暗い気分になる。
以前「就職しないで生きるには」という本を見掛けた覚えがあるが、
「(馬鹿が)数学者と会わないで数学研究するには」って本、
誰か書いてくれないかなあ。「数学者と会わずにちゃんと数学研究ができている
俺サマ級の馬鹿たち」の集合は、空集合なのかしら。「ちゃんと数学研究ができ
ている俺サマ級の馬鹿たち」ぐらいに条件を緩めても、、、やはり空集合かも。
「読まなきゃよかった」と少し後悔して数学通信を放り出し、17時頃に大学を発つ。
夕食後、夜は夕涼みを兼ねて散歩がてらに近くのスーパーへ。
熱帯夜であまり夕涼みという感じでもない。まだしつこく時差ボケが
残っているのか、帰宅後睡魔に耐えられず少し横になった途端に
小一時間ほど気を失う。その後は割合すっきりして、あまり
眠くもなかったが、まだ体が本調子じゃないな。
そろそろガロア・プロジェクト(教育編)も再開しないといけないんだけど。
どうも北米大陸出張の時差ボケはタチが悪く、いつまでも調子が悪い。
会社員時代、同期の男が頻繁に合衆国に出張を命じられ、ひと月に2度も
アメリカに渡ったりしてた。それで体調を崩し、退社してしばらく療養
生活をしていたが、あれは大変だったろうなと思う。
2011年8月29日(月)
最近は1セメスターに休講を伴う出張は2回を超えて行えないので、
大事な2回分のチャンスを大事に使わないといけない。当面考えられる
のは秋の数学会、10月の城崎代数幾何学シンポジウム、11月の
可換環論シンポジウムのみ。ただ、この8月9月もそうだったけど、
他の予定を入れてから、直前になって面白そうな研究集会のアナウンス
があることも多いので、計画にはできるだけ余裕をもたせたい。
今年の秋の学会は例年と違い、後期の授業が始まってから開催されるので、
当然ながらパス。城崎シンポは講演プログラムや日程を精査した結果、
3日目から参加すれば良く、それによって休講措置が必要なくなることが判明。
城崎シンポは合宿形式というか、和風旅館の相部屋泊まりなので、
宿泊日数を減らすことは、その意味でも望ましい。早速その線で参加申し込み
のメールを送る。
悩ましいのは可換環論シンポジウム。これに参加すると休講をいれざるを
得ない。休講をすると土曜日が補講で潰れ、授業の準備がきつくなったり、
ドイツ語の授業を休まないといけないなど、色々影響が出る。さて、それだけ
のコストを掛ける必要があるのかどうか。俺サマはもう可換環論の研究はやって
ないが、その方面の最新の研究動向を押さえておくには良い機会だし、
完全座敷童状態にある代数幾何学とは違って、可換環論だと同業者で少しは話が
できる人も居るので、非学問的なことで色々有意義な情報収集もできる。
迷うところだが、参加申し込み期限までまだ数日あるから、とりあえず保留
としておく。
午後は京大数理研図書室へ。その前に新福菜館百万遍店で昼食。
店長の補佐としては、最初は若いひょろっとした体形の兄ちゃんで、
間もなくずんぐりした熊のような男に変わったが、今日行ってみたら、
30代ぐらいの女の人に変わっていた。
数理研では、トロント会議のノート整理作業。行きと帰りは当然ながら、
外階段の数理研猫を表敬訪問。やぱり昼寝ばかりしているのだが、何故か行きは
半地下のソファーの上、帰りは中2階の階段の踊り場と、寝ている場所が違って
いた。中2階踊り場はちょっと意外な場所で、最初はわからなかったのだが、
そこで煙草を吸って雑談していた数理研の若い人が、俺サマが猫を探して
いることを察したのか、「こちらです」と猫の居場所を教えてくれた。
夕食後、夜はラクトスポーツプラザへ。ドイツから帰国後の4ヶ月で
どうにか2キロ痩せたのに、トロントの2週間弱で一気に元に戻ったのを
何とかしようと、今日も楽しいZUMBAと骨盤矯正ヨガ。時差ボケの影響か、
骨盤矯正ヨガをやっている最中に寝てしまいそうになる。
ラクトから帰ってから、睡魔が遅い、日誌の更新作業を放り出して寝る。
2011年8月28日(日)
そこで、午前中から昼間の間は、久しぶりに京都新聞日曜版の2つの
パズルを解いたり、テレビで民主党代表選挙関連の番組を見たり、出張精算
などの後片付け事務作業をぼつぼつやったり、ラクト山科に買い物に出たり
といった調子で終わる。
夕方頃から、京都駅南のイーオンモールに買い物に出掛け、夕食もそこで済まして
帰ってくる。その頃から猛烈な睡魔に襲われ、今夜はさすがに早く寝る積り。
2011年8月27日(土)
それやこれやが終わり、9時に部屋を出て、「すんまへん」の管理人の所で
チェックアウトの手続きをし、重いトランクをごろごろ引きずってカレッジ通り
に出てストリートカーに乗る。それから後は、既に2度ほど予行演習をやった
通り、地下鉄に乗り換えてユニオン駅前のシャトルバス乗り場に9時半過ぎに
到着。チケットを買って10時のシャトルバスに乗り、10時40分頃に空港着。
まだチェックインには早すぎるかと思ったが、すでにエア・カナダ国際便の
チェックインカウンターは長蛇の列をなしていたので、並ぶことに。見るに、
膨大な数の中国人が巨大なトランクをいくつも持って待っていた。彼らの半数は
手慣れた様子でチェックインを済ませ、さっさとどこかに消えていく。しかし
残りの半数はカウンターで何やらごたごた揉めて、トランクを開けて荷物
をごそごそやったり、何やら書類のようなものを書かされたり、チェックインが
終わってからの行き先を根ほり葉ほり尋ねたりしていて、なかなか終わらない。
それでも11時半までにはチェックインできて、さっさとゲートに向かっ
た。セキュリティーチェックのX線検査で手荷物のリュックサックがひっかかり、
係員が有無を言わさず俺サマのリュックを開けてごぞごそ探し始めた。
結局、宿舎を出る直前に飲み残しのミネラルウオーターのペットボトルを
入れてたのを忘れていて、それが没収された。ま、しょうがないか、と。
14時5分のフライトは予定通り飛び、成田にも予定通り27日の15時50分頃
に到着した。エア・カナダについては、ネット上では色々よくない噂が流れているよう
だが、まずます感じの良い普通の航空会社だったと思う。しかし救命胴衣が入ってい
るはずのボックスに救命胴衣ではなくてゴミが詰まっていたり(たぶんずっとチェック
してないのだろう)、「今から係員が読み終えた新聞や雑誌を回収に参ります」と言
って全然係員が来なかったりで、まあ、大雑把なんでしょうな。
ま、落ちなきゃいいわけだし、カナダはもう行かないだろうから、いいけどさ。
成田からJRの成田エクスプレスで1時間ほどで東京に着き、それから
夕食の駅弁を買ってさらに新幹線で京都へ。前の列車が、ゲリラ豪雨のために
米原〜京都間の運行をみあわせていたようで、俺サマが乗った電車も影響を受
けるかもという話もあった。しかし名古屋に向かっている途中に運良く運行が
再開し、予定時刻に京都に到着。21頃に無事帰宅。卒研生のひとりから、
院試問題の質問メールが来ていた。こんな試験直前になって、、、困った子やねえ。
時差ぼけで脳味噌が死んでいる。しかも2週間弱で体重2キロ増の激太りと判明。
どうも食生活が出鱈目で、自分でも食べ過ぎなのか何なのかよくわからなかった
状態が続いたのがいけなかったのだろう。院試問題は明日以降に延期するということで
早目に一旦寝たものの、変な時間に目がさめ、結局早朝にせっせと解いて学生に
メールで送る。
トロントの集会を振り返るに、西洋人の講演者は大抵、黒板に数式だけでは
なく、アイディアや話の流れを言葉で板書する講演者が多いのに気づいた。実は俺
サマも大学の自分の講義ではそうやっている。大体数学の講義なんて、
(俺サマにとっては)その場では理解できないのが普通だし、
後でノートを読み返したら数式の羅列だけってのでは、やはりわけがわからない。
だから、数式以外の言葉を板書するのは良いことだと思う。
しかし日本人の講演だと、結構数式だけ黒板に描いて、あとは証明なども
数式を指さしながら口でぺらぺらと喋って、「わかるでしょ?」って感じで
やることが多かった。これはまさに昔の旧制帝大の数学科で偉い先生がやっていた
講義のスタイルで、そういう講義にちゃんとついていけた賢い学生が、やはり偉い
数学者になって、その講義スタイルを受け継いでいるのであろう。
それにしても、俺サマは多くの日本人数学者の前で謎の中国人のふりをして
気配を殺していたのだが、どうも彼らの「あ、この人、日本でもよく見る顔だな」
「もしかして、可換環論のアホの高山とちがうか?何でこんな所にいるんだ?」
みたいな視線を感じることも多く、かなりバレてるような気もする。
以前、似たような状況で、まあ、ダマを通し続けるのもナンだなと思って、
こちらから自己紹介して挨拶したこともあった。しかし「数学的な意味で私に
とって全然興味のない貴方が(興味があれば、ずっと前から知ってたはずだし)、
何でわざわざ私に挨拶してくるの?」みたいな態度を取られることが何回か
あったので、まったく数学者ってのは困った人種だなと思い、
以後、バレようが何だろうが、シラを切り通すことにしている。
2011年8月25日(木)
今日の予定は、ストリートカーと地下鉄を乗り継いでユニオン駅を越えて
キング通り駅で下車。そこから徒歩でセントローレンス・マーケット
に行ってお土産を買い、さらに徒歩でユニオン駅地下街に行き、バンクーバー
を中心に100年の伝統を誇るというチョコレート屋の出店でプラリーネを買い、
再び地下鉄とストリートカーを乗り継いで戻ってきて、買い物の荷物を宿舎に置
いてから、再び集会会場に戻るというもの。既に何度も偵察飛行して熟知した
行程なので、1時間50分の昼休みでこれをこなすことは何とか可能だが、
その間に昼食を取るのは難しそうだ。カラータイマーが鳴るまでの間に
怪獣をやっつけなければならないウルトラマンになったような気分。
セントローレンス・マーケットのお土産屋さんはすぐに見つかって、
買うものも既にだいたい調査済みだったので迷うことも無かった。しかし、
1階と地下の大きなフロアのマーケットなのに、トイレが2つしかない。
正確には2か所で各1人分の設備しかなく、日本でも女子トイレなどで
よくみられるように、男子トイレでも行列ができていた。そういったこ
とで少し時間がとられてしまった。
今日は平日なのに、セントローレンス・マーケット前の通りは何やら
お祭り騒ぎで、飲食物の屋台が軒を連ね、アトラクションのイベントなども
にぎにぎしく行われていた。観光客目当てなのかしら。「おみやげ〜」とか
言って、ガラガラのような玩具を売って回っているお姉さん二人組も居たし。
ユニオン駅地下街のチョコレート屋も特に問題無く買い物を済ませ、宿舎に戻り、
買い置きのクラッカーを口に押し込み、ペリエの残りで胃に流し込む
といった昼食の後、大急ぎで研究会会場に戻る。午後の2つの講演も面白く聞
けて、17時過ぎに今回の研究集会は終了し、解散となった。
まあ、今回の研究集会は色々勉強になって、この分野の研究動向の全体図が
おぼろげながらも見えてきたし、とても良かったと思う。参加者も100名近くに
のぼるため、大魔王が居てもさして目ざわりでもなかった。それでもたまに奴が
視界に入った時は、「この野郎、地獄に堕ちろ!、、って、大魔王だから元々
地獄に住んでるのか。駄目だ、こりゃ」みたいなことを考えてやりすごしたし、
会議が始まって何日目かに、日本の某偉い先生に捕まって人定質問されてしまい、
肝を冷やしたが、「私は怪しい者ではありません。人畜無害のただのアホです」
ということを証明して、すぐに無罪放免となったし、それやこれやで概して心行
くまで透明人間モードで漂うことができた。
勿論、休憩時間などに色々な人と話して、大まかなことでもこの分野のことを
教えてもらうことができれば、もっと良かったかもしれない。というか、研究集会
とは、そういった交流をするために長めの休憩時間がとってあるのだ。
しかし、今の俺サマはこの分野ではほとんど素人同然だし、質問をするにも
適切な問題設定をする知識自体が十分でない。そんな状態で数学者に迂闊に話し
かけてしまって不愉快な思いをし、後々まで嫌な思いが残るリスクを考えると、
今回はダマを通して良かったと考えている。
数年前、可換環論関係で国際研究集会があって、当時の俺サマは某アメリカ人
数学者がやっている研究に少し興味があった。その研究は(数論幾何学者が
どう思っているかは別として)数論幾何学の観点で重要な意味を持ち、
そういったことがモチベーションにあると思われるが、
当時はそういうことが全くわからなかった。それで、ちょうどその数学者も
参加していたし、そのお弟子さんにあたる人から「とても気のいいおじさん」
だとの情報を得ていたので大丈夫だろうと思って、聞いてみた。貴方のやっている
○○理論研究のモチベーションは何ですか?みたいな聞き方をしたと思うが、
これが×だったようで、その数学者は穏やかな物腰ながらもはっきりと
「アホか?こいつ」みたいな態度になり、以後こちらが色々話しかけても、
むにゃむにゃむにゃ、、、みたいな返事しかしなくなった。
これは大魔王のケースと似ていて、本人を知っている人に人物評を聞いて、
「とてもいい人」との確認を取ってから恐る恐る質問をするのだが、
結局「アホか?こいつ」となった瞬間に態度が変わるわけである。
これではまるで、アル中かヤク中で少し頭がおかしくなっている人が、
街で突然わけのわからないことを話しかけてきた時のあしらい方と基本的に
同じである。まあ、どちら側に問題があるのかは何とも言えないが、馬鹿なくせに
プライドめちゃ高という、人間の屑の俺サマとしては、こういうあしらい方
をされるのは我慢ならない。
オスナブリュックのB先生に、数学者には意地悪が多いから困るみたい
な事を話したことがあるが、彼も色々嫌な目に会っているらしく、「そんなの、
いちいち気にするな!」とか言ってたな。B先生のような偉い数学者でも意地悪
されるのだから、俺サマが意地悪されるのは馬鹿だからという訳ではないとも
考えられるし、そうではなくて馬鹿だから余計に意地悪されるのだとも
考えられる。
しかしB先生よりももっと偉いH先生は、「俺は意地悪されたことなんか
ないな」みたいな事を言ってたから、後者の説、つまり「数学者は相手が馬鹿
だと思うと(ますます)意地悪する」という説の方が有力だと思われる。それで
「いちいち気にするな」と言われても無理だな。いくら俺サマが馬鹿だからと言
って、その態度は何だ?いっぺんお前のその厭らしい根性を叩き直したろか!?
と、思わず頭に血が上って、寝られなくなる。
ひとつ言えることは、数学者が他の数学者を「いい人」と評価しても、
全然アテにならない。上記アメリカ人数学者も大魔王も、いずれも数学者が
「いい人」と太鼓判を押していたのである。
馬鹿なのに数学やってる人が「いい人」と評価したら、それは信用できる
かもしれない。しかし俺サマが知る限り、馬鹿なのに数学やってるのは俺サマ
ぐらいしかいないから、正確な人物評を得るすべは今のところない。そして、
たとえば今回の研究集会に集まった100名程度の数学者のうちの何割が
大魔王と同類の人種なのか、皆目見当がつかない。100%だという気もするし、
案外6割を切ってるのでは?という気もするし。俺サマはこう見えても用心
深い方だから、地雷探知機を持たずに地雷原を駆け抜けるような蛮勇はないし、
やっぱり座敷童路線は正しかったな、と。
ま、兎に角、とりあえず集会は終わったんだから、これでよし、と。
研究集会の帰りは、スーパーのデリで夕食セットを詰めてもらって宿舎に戻る。
夕食後は明日の出発を控えて、荷造り。
2011年8月24日(水)
この国の黒板拭きは黒板をチョークの粉で白くするだけで、黒板が綺麗
になることはないことは、既に何度も書いたが、一昨日あたりから、ときどき
使い捨てタイプの布巾を水で絞って黒板を拭いたりしているようだ。
これだと黒板は、完璧ではないが、かなり綺麗になる。
黒板拭きについては日本と並び世界最先端のテクノロジーを誇る
ドイツ人参加者が、役に立たない黒板拭きが改良されることもなく漫然と
放置されているカナダの状況を見るに見かねて、使い捨て布巾による
応急処置を入れ知恵したのかも知れない。
昼休みは、またもストリートカーと地下鉄を乗り継いで、ユニオン駅前
のシャトルバス発着地までの行程確認の後、トロントの地下街PATHの探索。
トロントの冬は雪と氷に埋もれたマイナス30度の世界らしく、そのため
100年以上前から地下街が発達したようだ。
今日はユニオン駅あたりを起点として、PATHの一部を歩き、ついでに
昼食もそこで済ませた。PATHはかなり入り組んでいてわかりにくく、あっち
こっち迷ってウロウロしているうちに昼休みの終わりが近づき、大慌てで地下鉄と
ストリートカーを乗り継ぎ、午後の講演が始まるのとほぼ同時ぐらいに何とか
会場に戻った。
午後の講演も面白く聞いた。それにしても、代数幾何学と一言で言っても
分野によってこうも違うものか。そこで頻繁に使われるテクニックや
問題意識、研究集会に集まってくる人たち、特に、そこで中心になっている
指導的立場の人たちの顔ぶれなどが、分野が変わるとがらりと変わると言っても
それほど大げさではない。例えば俺サマが参加した研究集会では、昨年11月の
ベルリンの集会と、今年6月の数理研の集会と、今やっているトロントの集会と、
来月参加予定の博多の集会、同じく来月に行われるけれど今年は博多に行くので
参加をとりやめた大阪の集会では、それぞれ全くと言ってもいいほど違う世界が
展開する。
大抵の代数幾何学者は、自分のホームグラウンドと呼べるような研究集会が
あるようだけど、俺サマはどこに行っても他所者の素人で、数学的ホームレス
状態である。何故かって?そりゃあ、勿論、俺サマが馬鹿だからさ。
俺サマがあちこち違う分野の研究集会を覗きたがるのは、俺サマが馬鹿だから
という以外に、計算機屋の頃の習慣を引きずっているからかもしれない。
計算機屋時代の俺サマは、計算
機科学を理論的に再構築する分野を研究していた。つまり、OSだのコンパイラ
だの通信だのアーキテクチャーだの人工知能だの色々な分野の話を聞き、それぞれの
根底にある概念なり構造なり本質的な技術的課題なりを抽出して、それを計算機科学
の広い分野に適用できる数学理論として定式化するという仕事をしていた。計算機科学
は分野間の敷居が内容的にも心理的にも低いので、あちこちの分野の耳学問をするのは、それほど大変な作業ではなかった。
その時の癖で、数学に転向してからも、別にその分野の研究を真面目にやる
積りはないけど、その分野ではどういう問題意識でどんな方法を使って研究していて、
何が困難な問題なのかということが知りたくなる。それで代数幾何学の多くの分野
に共通する新しい数学理論でも作るのかというと、まあ、そんなに上手く
いくほど数学は生やさしくはないのである。
他所者の俺サマが座敷童のフリしてあちこちの代数幾何学の研究集会
やセミナーに顔を出してると、そこで専門でやっている人たちからすると、
「あいつは一体何じゃ?」ということになるようだ。それでも大抵は知らん顔して
いるものだが、時々ボス格みたいな人が近寄ってきて、お前は一体何者で、
どういう積りだ?みたいなことを聞いてくる。真剣にその分野で何かやろうとして
て、それなりに力のある奴なら、仲間に入れてやらんでもないぞという好意も
あるのかもしれない。しかし、俺サマに色々尋問しているうちに「あっ、
こいつは人畜無害な只の馬鹿だ」と判明する。
一度「馬鹿」と位置付けが決まると向うも安心するものらしい。
一体何が現れたかと思ったら、なーんだ只の馬鹿か、じゃ、気にしなくていいや、と。
それで以後は何も言ってこなくなるし、会釈程度に挨拶しても無視されたりする
ので、俺サマも再び座敷童に戻る。まあ、挨拶の問題は単に数学者の習性で、
敵意などの深い意味はないのかもしれないが。
そんな感じで、一応出入りは自由、みたいな感じにはなっているが、
数学の各分野にはそれぞれ見えない壁というほどでもないものの、暖簾ぐらいの
障壁は存在するような気がする。
18時すぎに今日の講演が全て終了し、食料品店で夕食と朝食の食料品を
買って宿舎に戻る。トロントは昼間も気温は20度台後半で、夜は雷が
鳴っていた。
2011年8月23日(火)
今日は帰国時の順路の確認作業として、ストリートカーと地下鉄を乗り継いで
ユニオン駅(中央駅)に行き、駅前のホテル前から出る空港へのシャトルバス
の下見。所要時間、待ち時間の間のトイレの便、チケット売り場の様子
などを偵察し、ついでにホテルの土産物売り場で前から目をつけていた
ペーパーナイフを購入。それから地下鉄ユニオン駅で簡単に昼食の後、
再び地下鉄とストリートカーを乗り継いで研究集会会場に戻ったところで、
昼休みはほぼ終わり。
それから18時前まで講演を聞いて、本日の業務終了。帰りにスーパーで
明日の朝食と今日の夕食を購入。この研究集会は予算が潤沢なのか、休憩時間
に食べ物が沢山出るので、夕食は夜食程度で十分である。同じスーパーに、
ロシアからの参加者も来ていて、冷凍食品のディナーセットみたいなのを買って
いた。
そういえば去年の12月にエディンバラの研究集会に参加したときも、別の
ロシアの参加者がスーパーで夕食を買っていたな。エディンバラの集会では食べ物
はあまり出なかったので、皆さん夜は三々五々その辺のレストランに行ってたよう
だけど。そうやって夜に遊んでいる連中を尻目に、ロシア・チームはスーパーで夕食
買ってホテルに帰り、それを食べながら秘かに数学に励んでたのかしら。
今日も数学者たちが、俺サマからすると冗談でも何でもないものにクスクス
と笑っていたが、数学者はなぜつまらない冗談で笑うのか。俺サマはこれまで、
数学者なんて世の中の煩わしいことを全部ほったらかして好き勝手な思考に
耽ってるんだから、いい気なもんだぜ。ああいうストレスレスな野放し生活
を送ってりゃあ、そりゃあ長生きするわなと思っていた。
しかしいざ自分が数学を研究するようになると、結構ストレスフルだと分かる。
岡潔大先生も「数学とは魂の燃焼です」みたいなことを言ってるから、偉い数学者
もストレス一杯溜め込んでぎりぎりのところで数学やっているのだろう。俺サマ
級の馬鹿になると、偉い先生ほどストレスフルに数学に取り組む脳味噌は無いが、
その分、色々な数学者達に馬鹿だアホだと言われる、あるいは言われているような
気がする、いや、陰でそう思ってるに違いない、絶対そうだ!みたいなストレスと
戦わないといけない。
まあ、俺サマほど重症ではないにしろ、普通の数学者は大
なり小なりその手のストレスを日々感じているのではないか。あるいは精根込めて
書いた論文が学術雑誌から掲載拒否を食らったり、苦心の末証明した定理が、
実は昔の大先生の論文の隅っこであっさりと解決ずみだと判明してがっくり
来たり、というストレスも少なくないはずである。
そうなると当然免疫力が下がるわけで、箸が転げたような碌でもない
ことでも、ここぞとばかりいちいち笑ってないと、体が持たないのではないか、と。
そういう意味では、俺サマは早く数学から足を洗わないと早死にしそうだな。
それにしても、トロントの街には入れ墨をした男女で溢れ返っている。
オスナブリュックでもそうだったけれど、最近はファッションとして流行って
るんだろう。日本でも最近は、あれ?腕にマジックで絵を描いてるお兄さんが
居るな、と思ってよく見ると入れ墨ってことが珍しくない。
昭和の昔に生まれ育った俺サマは、入れ墨と言えば(焼死体で発見されたときに
身元確認をしやすくするために全身に入れ墨をしたという)江戸の火消しか、
さもなくばヤクザだという頭が抜けない。江戸の火消しなんて俺サマの近辺には
居ないから、あとはヤクザだけだ、と。それで道で入れ墨人間とすれ違う時には、
絡まれて因縁を吹っかけられはしまいかと一瞬身構えてしまう。
昔、俺サマの両親がよく言ってたことには、ヤクザの女というのは大抵物凄く美人
で、背中に唐獅子牡丹だの昇り竜だのとド派手な入れ墨をしている。幸秀よ、そうい
うのにふらふらっと手を出したら、「野郎、俺の女に手を出したな!」とヤクザが
怒鳴り込んできてボコボコにされ、指詰めて落とし前つけろ!では済まない
大ごとになるから気をつけろ、と。そういうのをまだ小学生だった奥手な
俺サマに言うのだから、今思い返しても一体何を考えているのかわからん親だったな。
そんな昭和は遥か昔になりにけりで、こちらの若いのはどいつもこいつも入れ墨
をしている。勿論ヤクザとは無関係なんだろうけど。
ヤクザと言えば昔は小指の先が無いものと決まっていた。何でも街のチンピラから
本物のヤクザに「昇格」するときには、その誓いの印として小指を詰めたそうだ。
別に外科手術じゃないので、麻酔なしで包丁を関節に当ててトンカチでばーん!
とやって斬り落とす。指ギロチンですな。あな、恐ろしや。
それで、昭和の昔は「小指の無い人」と言えばそれだけで十分意味が通じたし、
例え事故か何かであっても、小指の先が欠けている人は「ヤクザか?」と白い目で
見られたものである。俺サマの親も「幸秀よ、ちゃんとした人生を送りたければ、
小指は大事にしろよ」みたいなことをよく言ってたような気がする。
子供の頃に見たテレビに、中学生ぐらいの子供がヤクザに無理矢理小指を詰め
させられて、以後差別を恐れて常に手袋をするようになったというドラマがあった。
いくら手袋をしていても怪しまれるわけで、その子はもう一生日蔭者として
生きていく運命を背負ったのである。何でウチの親は、まだ子供だった
俺サマにそういう番組を見せたのか、今では確かめるすべもないが、まあ、かえずがえすもよく分からない親である。あのドラマを見た時の恐怖は今でも忘れられない。
しかし、指を詰めるのを嫌がってヤクザの志願者があつまらなくなり、指詰めの
風習はすたれてしまったという新聞記事をずいぶん昔に読んだ覚えがある。たぶん
昭和の終わり頃だったろうから、平成生まれの若い人は「指詰め」なんて
言葉自体も知らないだろうと思う。まさか指詰めがファッションになって、
入れ墨をして小指の先を落とした若い男女がくったくなく街を闊歩する、、、
なんて時代は来ないだろうな。
まあ、俺サマはこんな風にして「時代はどんどん変わっちまうんだなあ」なんて思い
ながらジジイになって、アンドレ・ヴェイユの真似して「世界が俺サマを
おいてきぼりにした」とかぶつぶつ言いながら、くたばっちまうのさ。
え?「お前は最初から時代においてきぼりにされてる」って?まあ、どっちでも
いいんだけどね。
夜は宿舎で洗濯。
2011年8月22日(月)
俺サマは一番前の席に陣取って、かぶりつきで講演を聞いているので、
こっそり居眠りする訳にもいかない。何故一番前に座っているかというと、
優れた数学者がその本領を発揮して、黒板に薄い字で小さな字を書いても読める
ようにするためというのが1つ。もうひつの理由は、講演者と俺サマだけ
の世界に埋没して、他の数学者の存在を忘れるためである。これは自虐の
病を悪化させないための、俺サマの生活の知恵である。講演者は俺サマ
の後ろに何十人と座っている数学者全体に向って喋っているので、講演者
である数学者と直接対面しているという心理的圧迫を感じることもない。
この国の黒板拭きは、チョークの粉を拭き取ることも下に落とすこともなく、
ただ単に黒板の表面に薄く広げるだけの機能に特化して作られている。従って、
講演が進み講演者が黒板消しで文字を消せば消すほど、文字通り黒い色をした
黒板の表面はチョークの粉が広がってどんどん白くなっていく。そして、
最初はゆっくりと話し、強く大きな字で板書していた講演者が、終了時間を
気にし始めて薄く小さな文字で書き殴っては消し、書き殴っては消しという風に
なってくると、まるで降り積もった雪がとけて泥濘になった運動場で、
泥んこになりながら子供達がサッカーをしている風景を見ているようでもある。
特に今日の午前中のような難しい講演の時は、そんな事ばかりが気になって
しまう。
昼休みは、いくつかある空港へのシャトルバスの発着所のうち2か所を確認。
どうも今日偵察した所は良くないように思うので、明日また別の所を偵察して
作戦を考えよう。また、今日偵察した土産物屋はT/Cは使えないと言っていた。
旅行者相手の商売でも旅行者小切手を拒否するのだから、「トロントではT/C
は全く使えない」と考えておいてよさそうだ。現金も少なくなってきたし、
あとはカード払いを中心にしようか、どうしようかと思っているうちに、
T/Cを銀行で現金に交換してもらうことを思いついた。手数料を取られる
かしらと心配したが、杞憂だった。
そんなことをしているうちに昼休みがほとんど終わりに近づいてきたが、
腹も減ってきて昼食もとりたいので、たぶん聞いても分からない午後1番の
講演はサボることにした。そしてイートン・センターとかいうイーオン・モール
みたいなショッピングモールで、ギリシャ料理のギィロ(ス)定食の昼食をとった。
そこは、日本でもよく見かけるが、ファーストフードのカウンターが
いくつか並んでいて、各自そこで買って、近くのフロアに並んでいるテーブルに
適当に座って食べるようになっている。14時を過ぎていたけれど、
どこもほぼ満席。俺サマはちょうど小さな2人掛けのテーブルを見つけて座っ
たが、すぐに知らない女がやってきて、相席して良いかと聞いてきた。
勿論OKだと答えると、女は俺サマの前に座って向い合って食べた。まあ、
それだけのことだが、ドイツのSbuxなどでは、相席して良いか?と聞いて了承
を得てから座るのではなく、相席して良いか?と聞きながらもう半分座
ってたりするので、こちらとしてはすでに実効支配されたものを時後承諾する
ような形になる。この辺はドイツ人の方が強引な感じがする。
ちなみに、最近の日本人は決して「相席して良いか?」とは聞かないのが特徴である。
かく言う俺サマも、「いまどきの日本人」の一人なので、「相席して良いか?」
って聞いたことはない。
一旦宿舎に戻ってから午後2番目以降の講演に間に合うように会場に戻る。
それ以後の講演は割合面白く聞けた。勿論「面白く聞け」たからと言って
「よく分かった」わけではないが。18時前にすべての講演が終わり、
24時間営業の食料品店で夕食と明日の朝食を買って宿舎に戻る。
夜は文献を検索してダウンロードしたり、といった作業を少し。
そういえば、その後物乞いを4例見つけた。車椅子に乗った女、「お腹が減
ったよう!助けておくれ!」とのプラカードを持った旅行中のような若い男女2
人組、イートン・センターの飲食フロアで「小銭はないか」と聞いて回っていた
若い女、「就職活動がうまくいかなくて..」みたいなことを書いたプラカードを
持った失業中とおぼしきオジサン。この分だと、カナダにも結構居そうである。
あと、教会フェチの俺サマとしては、街でちょくちょく教会を見つけては
写真を撮ったりしているが、どうも感動しない。大抵は閉まっていて入れないし、
入ってみてもヨーロッパの古い教会とは雰囲気が違って、何やら学校のような
公民館のような、、、という感じだったりするから、つまんない。
で、イヌイット(エスキモー)美術館で撮ってもらった俺サマの写真が
早くもUPされていた!
「エスキモー」はカナダでは差別用語なんだそうで、最近は「イヌイットInuit」という
呼び方を公式に使うらしい。
2011年8月21日(日)
流石は「テロとの戦い」を続けるアメリカの隣の国だけあって、
CNタワーに上るには、飛行機に乗る時に準じるセキュリティーチェック
があった。まずはチケットを買って順路を進むと、入場者全員の顔写真
が取られる。これは数人単位で無地の壁に前に立たされ、それで見隠し
をされて銃殺される、、、わけではないが、顔写真を取られる。本人は
後でこの写真を見たり買ったりすることができるらしく、写真撮影後、バーコード
の入ったカードを渡されるので、それを呈示すればよいらしい。
顔写真の次は、ひとりずつ金属探知機みたいな所を通らないといけない。
空港と違って、荷物のX線検査まではなかったが。
展望台でしばらくぶらぶらしてから下に降り、お土産屋を冷やかしたり、
そこのレストランで昼食をとったり。
CNタワーを出ると
Toront Railway Heritage Centre
なるものがあった。何かというと、京都の梅小路に同じようなものがあるが、
機関車を格納する円形の倉庫で、円の内側には機関車を別の線路に切り替える
ための回り舞台みたいな装置がある。この施設は現在家具屋などが入っていた。
それからQueens Quay Terminal を偵察したのだが、Canadian Naturalist
というカナダ土産店を除いて、まあ、普通の店やレストラン。しかし
その一角にMusium of Inuit Art,
(エスキモー芸術博物館)があり、入場は無料のようなので入ってみた。
絵画の方は、時々はっとするアイディアがあるものの、全体的には
まあまあって感じだが、彫刻に関しては素晴らしく、思わず「へーえ!」
みたいな顔をして見とれていた。そしたら係の人がやってきて、
「ここの作品をいたくお気に入りのようだから、一番お気に入り作品の
前の貴方の写真を取ってWebに掲載させてもらえないか」と。
で、結局写真を撮ることになり、今度の金曜日かそれ以前までにUpされる
らしい。エスキモー芸術の本も買ってきた。
さて、次の場所へ移動しようかと思ったら、酷い雷雨になってきて、
屋外のカフェでくつろいでいた人たちも、大慌てで屋内に退避し、皆
雨宿りを始めた。俺サマもしばらくその辺をうろうろしていたが、
しばらくして雨は上がり、所々晴れ間も見えるようになった。
気温の方も雨が上がってからぐっと涼しくなった。
次はユニオン駅から地下鉄に乗り、ストリートカーに乗り換えて、
それから徒歩10分程度でディスティラリー地区に到着。ここは
トロントの昔のたたずまいを残す古い煉瓦づくりの建物がいくつも
発ち並んでいて、そこが現在アートギャラリーやレストラン、雑貨店
などになっている。古い時代設定の映画撮影や結婚式のパーティー
に使われるらしく、その場合の写真撮影には然るべき筋に申請して
「撮影権」を買わなければならない、とか。
この地区を出て、最後はまたストリートカーを乗り継ぎ、
宿舎のあるところを越えて、少し北西の方で電車を降りる。
そこからずっと西に行けばコリアタウンだが、歩くのも疲れた
しということで、すぐそばにあったアジア料理店に入る。
焼鳥とサラダ、そして海鮮焼飯と地ビールを注文。こちらに来て、
韓国料理、中華、そして今日の国籍不明のアジア料理と3回食べてみた
結果、いずれも日本のそれと比べると、全体的に何やら甘ったるい感じ
があり、どうも俺サマの口には合わない。
それからセブンイレブンで明日の朝食を買ってから帰る。
自虐の病を忘れて遊びまくった一日って感じの日だった。
2011年8月20日(土)
この時の私の気持ちは、ハノイの塔、、、じゃなくてバベルの塔が一瞬で
崩れたような、時効直前に刑事に捕まってしまった逃亡犯もかくやというもの
だった。昨年12月にエディンバラの研究集会に潜入した時もやはり、俺サマ
が日本人であることが最初から某偉いB先生にバレていたらしく、俺サマの謎の
中国人作戦はあえなく失敗している。その直前の昨年11月のベルリンでの
研究集会でも、日本からは某偉いC先生1名だけが参加してた。俺サマはその
先生に怪しまれて目をつけられているなという気配は感じていたが、会議の
最終日にとうとう「あのう、日本の方ですか?」と日本語で声を掛けられて、
御用!となった。その時は「はい、そうです」とだけ明瞭に答えて、
あとはむにゃむにゃと誤魔化して逃げたけどね。
今日の某偉いA先生曰く、「○○理論(その先生の専門)関連の研究集会で
は大抵お見掛けしますよね」と。なあに、○○関連の研究集会に限らず、
代数幾何学関連なら、ほとんど手当たり次第に色々な分野の集会に潜入してる
のさ。俺サマは馬鹿だから代数幾何学の研究の世界がどんな風になっているか、
気軽に聞ける人がほとんど居ない。たまに「良さそうな人」だと思って恐る恐る
質問メールを出したら、実は馬鹿が大嫌いな大魔王だった!なんて調子だし。
だからあちこちの研究集会に極秘潜入し、気配を殺して諜報活動に努めているのさ。
それにしても、俺サマが諜報活動をしていることが、かなり前からこの先生
に察知されていたわけだから、まさに「恐れていたことが起こった」って感じ。
そういえば先生、こんな事も言ってたな。高山さんは最近、■▼×♂☆◆とい
うタイトルの論文も書かれてますよね。この方面のことはもうかなり詳しくご存じ
なんですか?、と。ああ、俺サマの糞論文も察知されてたか。しかし、あの糞論文
をざっとでも読めば、俺サマがこの方面に詳しくないどころか、ただのアホである
ことが分かるはず。だから、きっと読んでないな。しょうがない。だったらお教えし
ましょう、と、俺サマがいかに馬鹿で、知ったかぶりとハッタリだけで代数幾何
の論文を書くような数学者の敵であるかを、きっちり説明しておいた。
最後に俺サマは、数学者有限資源仮説に従って、前からこういう機会が
あれば聞いておこうと思っていた質問を1つした。大抵の数学者は最初の質問には
親切に答えてくれる。しかし俺サマが馬鹿であることがバレてしまうと、二度目は
ない。つまり俺サマの場合は一人一回ルール適用だと。これが数学者有限資源仮説
の主張であった。大魔王は例外で「いい人」らしいから、「どうやら高山は
馬鹿らしい」と察知しても、二度目まではどうにかOKだったけど。
まったく、数学の世界は楽しいけど、数学者の世界というのは、
馬鹿の俺サマにとっては地雷原みたいなものだな。
今日はある理論を勉強するにはどんな文献が良いかを聞いてみたら、とても親切
に教えてくれた。文献を聞くだけなら馬鹿だとバレないが、その前に上記のように、
俺サマの馬鹿ぶりを自己申告しているので、この先生も今日で終わりかもしれない。
9時から18時まで講演の目白押し。今日の話も面白かった。俺サマの場合、
「面白い」からと言って「分かっている」わけではないけどね。色々な分野の研究
集会に顔を出して広く浅く諜報活動してるんだから、細かいところまで分かるのは
無理だし、大まかな概要やアイディアが何となく分かればOK。
昼休みは先日目をつけておいたお土産屋に行き、ついでのその近辺も偵察。
軽く昼食でもと思って、ケバプの店が目にとまった。ドイツのケバプは塩辛く、
パリのケバプは薄味だった。ではカナダのケバプはどうか?と。でも店員さんは
どう見てもイスラム圏の人には見えないし、変だなと思ってたのだが、後でギリ
シャ料理(地中海料理)の店だとわかった。まあ、トルコも地中海沿岸といえば
そうだし、ギリシャもトルコも共通しているのだろう。オスマントルコの時代は
あの辺は全部トルコだしね。
今日の講演が終わってから、セブン・イレブンで明日の朝食や夜食などを
買いこんで帰る。会議場でパンやら果物やらが沢山出たので、夕食はコンビニ
で買ったもので簡単に済ます。
2011年8月19日(金)
寝ぼけ眼で身支度をして食堂に行き、受付のオバさまに5日分の朝食
クーポン券を下さいというと、無いという。無いとは何じゃ?ちゃんと表
に掲示されてたじゃないか。T/Cが使えないとか言って頑張ったフロント
の姉ちゃんにひき続き、今度はこのオバさまがボケをかましてくれるのか。
カナダの人はすぐボケかましてくるから、かなわんわ、と。
で、一応念のため、つまり明日からここは閉鎖でもされるのかと聞くと、
そうだという。これには驚いた。よくよく聞いてみると、1週間ほど休業し、
次の開店は26日だという。そして俺サマが見落としていた掲示には、ちゃんと
そう書いてあった。つまり俺サマがチェックアウトする日の朝まで閉店だ。
部屋に冷蔵庫がないというしょぼい宿舎なので、朝食調達作戦を立て直さないと
いけない。
今日の研究集会の話はなかなか面白かった。これまで何度もその人の講演を
聞いたけど、聞いて分かった気がしたのは今日が初めてという講演もあった。
たぶん俺サマの代数幾何学の勉強が、その人に追いついてきたからだと思う。
俺サマの後ろに座っていたアメリカ人が「酷い風邪をひいている」らしく、
しょっちょう咳をしていた。日本なら、おい、お前、ちゃんとマスクしろよ!
って話になるだろうが、アメリカ人はマスクしないからなあ。
でも、新型インフルエンザが大流行した時はしてたかな。
あと、講演が始まったすぐの板書の字が異様に小さくて、ああ、またか
思ったけれど、「もっと大きな字で!」と聴衆から声がかかるとすぐに
大きな字になり、耳掛け式ワイアレスマイクが邪魔で喋りにくいから大声
で話しますと言って本当に大声になり、文字も声もその状態で講演の最後
までずっと持続させていた講演者がいた。
この手の数学者は初めて見た。俺サマのこれまでの調査によれば、
数学者というのは、最初から声も文字も適正なもので講演するタイプと、
どちらかに問題があって、それを指摘されても次の瞬間にちょっと改善
されたかに見えても、すぐに元に戻ってしまうタイプの2種類しか
ないと思っていた。しかし新しいタイプのサンプルが発見できたわでである。
一体何者かと思って休憩時間にネットで極秘調査したら、、、なるほどね、
そういう人ならさもありなん、と。
そういえば初日に姿を見せなかった黙殺大魔王も、いつの間にか現
れて、会場をうろうろしてたな。奴は黙殺事件を起こす前に俺サマの姿
を何度も見掛けたはずだが、参加者リストを見れば、数か月前に碌でも
ない質問メールを3度も出してくるので、思わず「アホか?こいつ!!」
と切れてメールを消去してやった馬鹿の名前も見つかるはずだから、
その馬鹿が会場のどこかに潜んでいないか警戒しててもおかしくない。
しかし馬鹿の存在は2秒で忘れることが優れた数学者になるための必
要条件(勿論、十分条件ではない!)だから、奴はいたってあっけらかんと
旧知の友人に挨拶したり談笑したりと、相変わらず気の好さそうな感じ。
とても大魔王には見えない。しかし傍目にはとても良いオジサンに見える
けど、実は大魔王!なんて例は世の中には幾らでもあるからな。っていう
か、大魔王ってのは普通傍目にはそう見えないものだ。
昼休みは例によって偵察飛行に発進!と思ったのだが、皆で集合写真
を撮るとかで、10分弱の時間をロスした。自分が写っていない集合写真
は、数学者たちが集団で俺サマを嘲笑っているようにも見えるので、火でも
点けて燃やしてやりたくなるが、最近はWebで公開されるだけなので、
火は点けられない。その一方で、俺サマが写っている集合写真だと、自分
自身が痛々しく見えて、これもまた嫌なものである。かと言って、写真が
公開されたら、やっぱり見てしまうだろうな。などなど想いは千々愚図愚図
と乱れ、我ながら自虐の病の深さを思い知る。
エディンバラの研究集会では集合写真を撮らなかったので、あれは
あれですっきりして良かったと思う。
集合写真を撮り終えてから、ストリート・カーでユニオン駅の方に
行ってみようとしたが、停留所の方に向っているとパトカーが変な
方向を向いて止まっている。変だなと思って遠くを見ると、、、スト
リート・カーの脱線事故が起こって復旧作業の真っ最中だった。しばらく
この路線は運行取りやめだろう。それじゃあ地下鉄にしようと思って、
反対方向のクイーンズ・パークまで行った。
地下鉄のキング通駅で降りてセントローレンス・マーケットを目指して
うろうろしていると、立派な教会があったので入ってみた。まだ200年ぐらい
しか経ってない教会で、建物も新しいが、カトリックの教会らしく、
自由に中に入って礼拝できるようになっていた。中の様子はドイツやフランスで
見たものとあまり変わらない。
セントローレンス・マーケット
とは、京都コンサートホールの中に錦通の店を全部詰め込んだようなもの
でもあり、晴海のメッセで各ブースを食料品店にしたようなものと考えることも
できる。そこで時間をとってしまい、別のところも予定していたが明日以降に
延期。再び地下鉄に乗ってようやく午後の講演に間に合った。
17時に全ての講演が終わってからは、同じ建物のフロアで1時間ほど
レセプション。ワインを一杯、あとはその辺に並べられているものを適当
につまんで、会場にあるPCDで講演者の「身辺調査」などをやってから、
18時前に抜け出し、セブン・イレブンで明日の朝食を調達して宿舎に戻
って洗濯。
やはり21時頃から眠くなり、23時過ぎに寝る。
2011年8月18日(木)
7時半に向いの建物の食堂に行き、8ドルのバイキング朝食。ここで
しっかり食べておけば、研究集会の休憩時間にもパンやらちょっとした
食べ物などが出るので、昼食をわざわざ取る必要がなく、2時間の昼休み
をフルに偵察飛行に費やすことができる。
集会会場では、日本の偉い先生が少し遅れて入ってきて、たまたま空いて
いた俺サマの隣に座った。この先生とは日本でも何度も顔を合わせているが、
たぶんまだ気付かれていないはず。俺サマは小声で独り言を言う癖があるので、
講演を聞きながら思わず「うーん、わからんなあ」とか「なるほど」とか
日本語で言ってしまうと、隣の大先生に聞こえて俺サマが謎の中国人では
ないことがバレてしまうので注意が必要である。休憩時間に日本人たちが集
まってわいわいやっている横を通り過ぎるときも同様の注意が必要である。
俺サマの反対側の隣には、ドイツから来た兄ちゃんが座っていた。ノート
をとりながら講演を聞いている最中に、ふとイメージが固まって、口だけの
説明モードで板書が止まっている10秒ぐらいの間に、講演者の似顔絵を
ノートの余白に描いたのだが、その様子が兄ちゃんの目にとまったらしく、
えらくウケていたようだ。そうさ、オスナブリュックでの俺サマは、
数学研究者としてよりもStrassenkunstler(街の芸術家)としての方が有名
だったからね。
しかし俺サマは、マシンガントークの講演についていくので精一杯
だったし、第一俺サマは座敷童なんだから人間サマにいちいち反応する
わけにはいかない。で、ウケてる兄ちゃんはシカトした。悪いね、折角喜
んでくれたのに。
昼休みは、トロント最大のショッピングモールと言われている
イートン・センターを偵察。まあ、京都駅の南に出来たイーオン・モールを
もうちょっと大きくしたようなところで、別にどうってこともなかった。
トイレも一応チェックしてみたが、ドイツと違って無料解放されていた。
この辺が、"Angst(不安) => Sicherheit(安全)=> alles in Ordnung
(全て異常なし)=> Ruhe(安らぎ) => そして再びAngst(不安)"という
思考のデフレスパイラルに陥って、モノに憑かれたようにあちこち鍵を
かけまくるドイツ人との違いだな。しかし、ドイツのトイレは鍵がか
かって有料だけあって、どこもピカピカで綺麗だったが、カナダのは
そうとも限らない。
帰り道にお土産屋さんを見つけたので、そこもちょっと偵察。念のため
「T/Cは使えるか?」と聞いてみたら、使えるという。そりゃあ、旅行者相手
の商売しててT/Cが使えないとなると、かなり間抜けな話だろうし。
午後の講演には余裕で間に合った。講演は17時に終わったので、
すぐに宿舎に戻って、院試問題の質問への返事を書いて送り、夕食に出る。
今日はイタリア人街を探索してスパゲティーにしようと思ってたのだが、
結局「地球の歩き方」に出ている2つの店は2つとも存在しなかった。
何だか、怪しげな通信販売にひっかかり、本社に直接乗り込もうと
思って書かれている住所を訪ねると、そこは昔からやっているお好み焼
屋で、店の女将さんは「通信販売の会社なんて聞いたこともない」と
首を傾げていた、、、みたいな話である。しょうがないので、近くを偵察
して、ここなら普通の店だなという感じのところに入った。
夕食が終わって帰ろうとしたが、宿舎からは相当遠い。昼も2時間歩き
回ってるし、足がかなりくたびれている。そこでトロントに来た時から、
あれに乗ってみたいなと思っていたストリート・カー(路面電車)で
宿舎の近くまで戻った。ああ、懐かしや。俺サマが学生の頃は、まだ京都に
もチンチン電車が走っていたし、京阪京津線も10数年前までは浜大津と
京阪三条の間を車と一緒に走っていたものである。
地下鉄もストリート・カーも大人は3ドル定額で、しかも3ドルぴったり
を運賃箱に入れないと駄目で、両替もお釣りもない。そういえばエディンバラの
ロチアンバスも同じ方式で、トロントはイギリス人の街として始まったそうだ
から、こういうのはイギリス式なのか、と。ならばオーストラリアやインドでも
同じか?エディンバラの研究集会の時は、最後のアンケートにロチアンバスの
悪口をさんざん書いて、「少なくとも日本とドイツではそういうことはないから、
そういうことはあらかじめ知らせてくれないと困る」と集会のオーガナイザーに
も文句を書いておいたけど。
同じアンケートで、「『徒歩何分』というところを短めに鯖を
読むのがエディンバラ流らしいが、そういうのはやめて欲しい」とも書いたな。
「宿舎から集会会場まで徒歩でほんの15分」とか書いてて、実際はジョギング
しないと15分ではとても無理だったり。トロントでもそういうことがあるか
どうかは、今ところは不明である。
そういえば今日は昼休みと夕食時に物乞いをそれぞれ1例、合計2例
発見した。いずれも車椅子に乗ったオジサンで、一人はヨーロッパ風に
紙コップをもって「小銭はないかね」とか言ってきた。
物乞いといえば教会だが、こちらの教会はまだあまり調査してない。
北アメリカは歴史が浅いので、俺サマが好きなゴシック様式の大聖堂み
たいなのは無いだろうし、今日も教会らしいものを見つけて入ったら、
わけのわからない事務所だったし、教会と書いてあるところは鍵が
かかっていて入れなかったし。
夜はやはり猛烈な睡魔に襲われ、ベットで半分気を失ってたり、シャワーを
浴びたりと、何となくぼんやりすごす。
2011年8月17日(水)
9時から17時まで研究集会。今日から別の会場に移り、黒板の状況、
特に照明が格段に良くなった。一番前の席に陣取ったこともあって、板書が
良く読めた。だからと言って板書の内容が「よく分かった」わけでもないが。
ただ、あまりよく分からない講演を聞いている最中に、ふと、長い間
モヤモヤとしていた講演とは無関係の疑問がすっと分かり、研究が若干進展
の気配を見せた。あくまで「気配」だけど。
それにしても、講演者がリラックスして話しているためか、会場はいかにも
数学者らしい、さして面白くもないジョークが連発されているらしかった。
「らしかった」というのは、聴衆の中にこの手の冗談に矢鱈反応する人がいて、
ああ、あの人が今くすくす笑っているから、これはたぶん数学者ジョーク
なんでしょうと推察する場面も多かったからである。勿論、ああ、これは
「それ」だなとピンとくるものもある。彼らのジョークには一定のパターン
があるから、ある程度はわかるのだ。
昼食時間は2時間とってあるので、会場から3キロぐらい離れた中央駅まで
の大通りを偵察飛行し、中央駅のあたりでサンドイッチを買ってその辺で
昼食をすまし、地下鉄に乗って会場付近まで戻り、会場を通り越して
宿舎に戻り、一息ついてから午後の講演に出掛ける。地下鉄は均一料金で
3ドル、路面電車も同じようである。これも日本と比べると割高な感じ。
地下鉄の駅で、どうやって乗ればよいやらと人々の様子をうかがって
いたら、駅員が寄ってきて何かお困りか?と聞いてきたので、どこそこ駅まで
行きたいのだと言うと、それはそこの改札みたいな所を入って右に
行けば良いという。じゃあ、切符はどこで買うのだと聞くと、
あそこの窓口の係員のところで買えばよいという。じゃあ、係員に
どこそこへ行きたいと言ってお金を渡せばよいのかと聞くと、そうだと言う。
それで窓口で行き先を言って5ドル紙幣を出すと、小銭が返ってきた。
お釣りかな?では、切符はどうしたのかと思ってちょっと待ってみたが、
何も出てこない。じゃあ、ここでお金を払ってオシマイなんだなと思って、
ゲートを抜けると、係員がこらこら!と呼びとめる。何やねん?と振り返ると、
この透明の箱に3ドル入れなきゃ駄目だと言う。見ると彼が返してくれたのは
2ドル硬貨2枚と1ドル硬貨1枚。ああ、あれは両替しただけかとようやくわかり、
3ドル分を箱に入れ、無事地下鉄に乗り込む。一日券などの特別なものを除いて、
大人は3ドル一律と悟ったのも、この騒動を経て改札を抜けてからである。
まあ、先進国である限り、世界中どこに行っても偵察飛行は面白い。
勿論、先進国という条件は必須である。入国後2日目で激しい下痢
に襲われるような国とか、わけのわからない武装勢力に拉致されて
連れ回され、最後には首をちょん斬られるような国とか、思いも
よらないことで当局に逮捕され、弁護士なしの簡単な裁判でいきなり
死刑を宣告されて牢屋にぶち込まれ、1週間以内に首をちょん斬られて
刑が執行されるような国とか、そういう所でなければ、まあ、いきなり
行っても何とかなりそうでである。
トロントの中央駅のトイレは日本と同じく無料解放されていた。
黒板に関してはカナダはドイツを見習うべきだが、
トイレについてはドイツはカナダを見習うべきである。
街ではバグパイプを演奏している路上芸人が居たが、エディンバラで
聴いたものの方が上手かった。それから昨日だったか、
若い旅行者みたいなお兄さんが、道端で小皿を前に置いて物乞いをしていた。
彼はヨーロッパから来たのだろうか。日本では物乞いは法律で禁じられて
いたはずだし、アメリカ人も物乞いには冷たいはずである。カナダも
アメリカの隣だから似たようなものだろう。あの兄ちゃん、幾ら稼げたことやら。
そういえば、トロントと大津の大きな違いのひとつは、トロントには地リスが
その辺をウロウロしていることである。24年前にアメリカに行った時も、
街のあちこち、ちょっとでも芝生などがあるようなところならどこでも
地リスがウロウロしていた。これは北米大陸の特徴であろう。
あと、トロントでは巨大高層ビルが沢山建っていて、俺サマなどは
「今ここで大地震が起こったら、上から
ガラスの破片やら何やらがえらい勢いで落下してくるだろうな。
くわばら、くわばら、、、」と思ってしまうが、カナダは活断層だらけの
日本とは違うから、そういうことはないのだろう。ドイツもそうだけど、
地震の無い国は呑気でいいよな。
夕食は中華街で汁そばを食べる。俺サマは味についてはかなり許容範囲が
広い方だが、どうも口に合わない。中華街はこれでオシマイにして、明日から
イタリア街を探索してみよう。
夜はまた時差ボケのせいか、眠くてしょうがないので、
早目に寝る(つもり)。
2011年8月16日(火)
その原因として、まず、西洋の数学者は概して字が汚く、日本人には
みられない独特の癖字だったりすると「素人」にはほとんど読めないこと。
さらに何時の時代も洋の東西を問わず優秀な数学者になればなるほど(?)
黒板の字を小さく書きたがる傾向があり、聴衆から文句が出ても、次の1行を
除いて、改善されることは決してないこと。
おまけに、西洋人は目が強いのでそれで良いのかもしれないが、
黒板の照明が暗くかつ角度も不適切で、上下移動式の黒板で上に上げた
黒板の陰に入った字などは一番前の席からでも暗くてほとんど読めない。
さらに最悪なことには、黒板消しの性能が悪く、消した後のチョークの粉が
黒板の表面に薄く広がって字が読みにくい。
最後の問題は、黒板拭きバキュームクリーナーを完備している日本や、
水を使って完璧にふき取るドイツを少しは見習えと言いたい。
10時から30分間の休憩があったが、大学の事務の人に両替できる
ところをいくつか聞いて、少し遠い所になる「もっとも交換レートが良い」
ところまで行って大急ぎで戻った。次の講演に3分ほど遅刻。
手持ちの米ドルのほとんど全額を換金したので、滞在期間一杯十分持ち
こたえることができよう。T/Cは日本に帰ってから、頃会いをみて円に
換えるかな。
昼休みは早速宿泊所に戻ってケーブルを買い、部屋でネットの接続。
妙なソフトをダウンロードしてインストールし始めて1度は失敗し、
リブートを2度ほどしなければならなかったが、何とかインターネットの
接続できた。その後、大学の近くのSubwayでサンドイッチを買い、
集会会場の建物の前、青空の下で昼食。
会場は100名程度の人が集まっているが、アジア系が多い。
可換環論で日本以外のアジア系と言えば、ベトナム人とイラン人、
そして時々インド人と相場が決まっているが、代数幾何だと韓国、
中国系が多い。会場に居るアジア系もほとんど中国人と韓国人
だろうと思っていたが、彼らのそばを通ると日本語を話してたり
する。
実は、日本人は俺サマを除いて19名が参加しているようだが、
そのうち9名は顔を知らない。過去数年間の極秘偵察飛行で、日本の
代数幾何学者はすべて調査確認済み!みたいに思っていたが、さまざま
な年齢層でまだまだ居たか!という感じ。顔を知っている10名のうち
5名は成田から同じ便に乗っていたことが確認されている。
19名のうち、俺サマのことを知っているのは高々1名だろうと
踏んでいるが油断はならない。実は過半数が俺サマのことを知っていて、
謎の中国人のフリをしてその辺を漂っている俺サマを見て、「あっ、アホ
の高山も来てるぞ」とか思いながらダマを通してる可能性もあるし。
夕方に今日の全ての講演が終わり、夕食の下調べということで
チャイナタウンを偵察飛行。一旦宿舎に戻ってしばらくしてから、
夕食に出る。チャイナタウンの中に、まるで孤軍奮戦しているかの
ようにぽつんと出店している韓国料理店に入る。
夜は少しガロアプロジェクトをとも思うのだが、時差ぼけで
睡魔が襲ってきたので、シャワーで眠気を覚まして、論文レビュー
の草稿2本の仕上げをしてメールで投稿し、本日の業務終了とする。
それにしてもトロントは俺サマとって、今のところそんなに
面白い街でもない。五大湖のひとつオンタリオ湖に面した商業都市で、
まあ、琵琶湖に面した大津をぐっと都会にしただけで、
「それがどうした?」って感じ。オンタリオ湖にはナイアガラの滝が
あるじゃないか?と言うかも知れないが、琵琶湖にも琵琶湖大橋や
竹生島があるぞ(何?この比較の意味がわからないだと?!)。
それにしても、俺サマがトロントに到着した日だかに、日本から来て
いた女子大生がナイアガラの滝に転落して、現在も捜索中だって。
ほんまに不幸な事故で、気の毒。
<<カラヤン>>
7時頃起床。まだ時差ボケなのか、眠いのか眠くないのか、よくわからない。
午前中はガロア・プロジェクト(教育編)を再開。昼前に山科区内で野暮用
の後、そのまま街に出る。久しぶりに丸亀製麺で昼食の後、上島珈琲に籠っ
て、しばし数学。その後、JEUGIA三条本店を偵察。いくつか試聴した
ものの、特にこれといったものは見つからず。
<<空集合>>
昨夜は少し早目に寝て、今朝は7時半頃に目が覚める。午前中は自宅で
野暮用の後、昼過ぎに出勤。図書館で本を借り、事務で溜まっていた
郵便物を受け取り、14時から就職委員の仕事で事務の人と1時間ほど
打ち合わせ。その後、打ち合わせに従って、研究室からあちこちにメール
を出す。
<<チャンスは2回>>
今日もなんとなく7時に目が覚めて、午前中は秋口に出張の計画を考えたり、
研究集会の参加申し込みをしたり、トロントの会議のノートを整理したり。
<<時差ぼけ>>
時差ぼけか何だか知らないが、昨夜は12時頃に寝たのに、今朝は
午前4時半頃にふと目がさめ、すこしうとうとして5時頃には起きてしまった。
院試問題を解いて学生にメールで送った後ぐらいまでは元気だったが、
その後は、眠れそうにないけど、
頭は半分寝ているような感じが残り、数学などはできそうな状態ではない。
<<トロントより帰還>>
8月26日は7時に起きて身支度をして、朝食のために7時半から開店するはずの
向いの建物のカフェテリアへ。しかし7時45分頃まで待っても店のドアは閉まっ
たまま。管理人の所に行って、「今日からカフェテリアが営業するというの
は、本当か?」と詰め寄った。管理人は「確かに今日7時半から開店すると聞い
ているが、まだ開いてないならなぜだかわからん、すんまへん」と。すんまへん、
やないで。お前、管理人やろ、他人事みたいな言い方すな!と思いながら、
店の裏に回って覗いてみたら、人が準備作業をしている。まあ、単に準備が遅れて
いるだけだろうと思い、一旦部屋に帰って荷造りなどの作業を進めた。8時過
ぎにもう一度行ってみたら、既に開店していて、さらには高校生みたいなの
が夏期学校かなにかで宿泊しているらしく、大行列状態だった。
<<トロント集会最終日>>
7時20分に目覚まし時計に叩き起こされる。眠い。22年前にアメリカに出張
した時もそうだったけど、北米出張の時はどうも睡眠のリズムがうまく掴めない。
買い置きのパンなどで簡単に朝食。身支度をしてすぐに出発し、8時半頃に会場
に到着。9時から講演。午前の最後の講演の後、質疑応答が長引いて、結局
昼休みは12時40分からになった。
<<トロント集会8日目>>
7時に起床。買い置きのパンなどで簡単に朝食。身支度をしてすぐに
出発し、8時半頃に会場に到着。9時から講演を聞き、12時半に昼休み。
<<トロント集会7日目>>
7時過ぎに起床。買い置きのパンなどで簡単に朝食。身支度をしてすぐに
出発し、8時半頃に会場に到着。9時から講演を聞き、12時半に昼休み。
<<トロント集会6日目>>
7時に目が覚め、買い置きのパンなどで簡単に朝食。身支度をしてすぐに
出発し、8時半頃に会場に到着。今日の午前中の話は、はったりと知った
かぶりで鳴る俺サマも、流石にチンプンカンプンだった。
<<トロントの休日>>
7時に目が覚め、買い置きのパンなどで簡単に朝食。午前中は
昨日某偉い先生Aに教えてもらった文献をダウンロードして
ちょっとだけ眺めたり、数学を考えたり。それからトロントの観光ガイドや
Webサイトを調べて、今日の計画を練る。トロントと言えばナイアガラの滝
らしいのだが、どうも気が進まない。俺サマは雄大な自然!みたいなのには、
あまり感動しないのだ。それでターゲットを
CNタワー、
Queen Quay Terminai,
そしてディスティラリー地区の3つに絞って、11時過ぎに出発。
<<トロント集会5日目>>
やはり時差ぼけなのか、昨夜は11頃にダウン。しかし7時に目覚まし時計
に叩き起こされる。昨日のうちに買っておいたパンやバナナで簡単に朝食。
8時半に研究所に到着し、講演が始まる9時までの間、フロアでぼんやりして
いると、日本の某偉いA先生が「高山さん、、、ですよね」と声を掛けてきた。
飛び上がって逃げ出したくなるのをぐっと押さえて、「え?何で私のことを知
ってすんですか?」と。
<<トロント集会4日目>>
時差ボケが微妙に解消されてきたのか、昨夜は21時頃に猛烈な睡魔に襲われた
のに、23時頃からあまり眠くなくなり、結局午前1時頃まで起きていた。
それで今朝は7時に目覚まし時計に叩き起こされる。
<<トロント集会3日目>>
今日も時差ボケのためか6時頃に起床。こちらに来て以来、ガロア・プロジェクト
がご無沙汰なので、ちょっと手をつけようと思ったら、卒研の学生から院試問題の
質問メールが届いていた。それで今日の朝の時間は院試問題解き
に費やす。
<<トロント集会2日目>>
今日も時差ボケのためか6時頃に起きてしまい、ネットでごぞごそ調べもの
をしたり、集会の講演の予稿ノートを眺めたり。7時半から宿舎の隣の建物
の食堂が開いて、朝食が出るとのこと。行ってみた。税込で8ドルのバイキング。
概してトロントの物価は高いけど、まあ、こんなものかしら。円高に助けら
れてるって感じだけど。
<<トロント集会1日目>>
今日からトロント大学で研究集会。最初の3日間は大学院生向けの
入門講義とか。最近の傾向なのか、そういう集会がよく開かれる。
ある分野をずっと開拓してきた数名の仲良し数学者が、後継者を
育て仲間に引き込むためにこういう形式をとるようだ。まあ、
入門講義の講演者は、ゆっくり話したり、かなり入門的な話題から
始めたりと色々工夫をしているようだが、やはり板書が読めない
のには閉口する。