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よ け ス ペ ー ス で す。

2011年12月15日(木)
<<映画を観る>>
午前中はフランス語の宿題。環境問題を訴える1時間半のフランス語の映画 をYouTubeで見て、課題に答えよというもの。映像がとても綺麗なので、それに つられて40分程見ていたが、ナレーションのフランス語はよく聞き取れない。 そうこうしているうちに、英語版があると知り、じゃあ、今夜にでもそれを見 ようということで、自宅を出る。

山科駅前で適当に昼食。最初は、いきつけのイタリアンの店に行ってみたのだが、 ほぼ満員状態。ゆったりとランチを楽しむ店で、ビジネスマンなど、短い昼休みに 昼食を済まさなければならない人や、高齢者であまり沢山食べたくない人は、 この店には寄りつかない。昼間にこの店に居るのはほぼ全員専業主婦のような人 たちと思われる。「只今のお時間、料理をお出しするのに、かなり時間がかかり ますが、よろしいでしょうか?」と店員が言うので、パスして別の店にした。

それで何とか14時からの卒研ゼミに間に合った。今日は非特異点の定義と それが正則局所環で特徴づけられることの証明。それから局所環の完備化の 話をすこし。就活中の学生は今日も欠席し、発表者は他大学大学院進学予定の もう一人の方。ゼミは17時前に終了し、すぐに帰宅。

夕食後、夜はラクトスポーツプラザへ。骨盤矯正ヨガの後、有酸素運動を 40分ほど行って帰宅。それからフランス語の宿題の映画の英語版を見る。

若い頃は英会話の勉強も兼ねてよく洋画を見たし、 一時期は毎日1本のペースで見てたけれど、最近はさっぱり。 見たくて見てるわけでないこともあって、 今日みたいに1時間半の映画を見るだけでも気がせいてしまう。 昔、映画を見ていた時間は、 その後ドイツ語学習の時間に浸食され、日本ではドイツ語の映画はほとんど上映 されないし、ビデオもDVDも売ってないので、一気に映画離れが進んだ。 さらに最近は、語学の勉強は手抜き気味で、その分がスポーツクラブの時間に 回っている。まあ、運動しないと体調を維持するのが大変だし。

よく30代や40代や50代になると、がくっと体力が落ちるというような 事を言う。俺サマは元々それほど体力がある方でもないし、年齢とともに徐々に 衰えてはいると思うが、「がくっときた」という自覚症状を持ったことがない。 20代はテニスだスキーだプールだ筋トレだと、何やかやとよく運動してたし、 30代は特に何もしなかったけれど、40代になって細々とスポーツクラブに 通うようになったのが、功を奏しているのかもしれない。

2011年12月14日(水)
<<学生の生態>>
例によって大丸で昼食用のパンを買って、昼前に出勤。出勤途中、 山科駅前で義士祭の行列が練り歩いたため、通行規制。しばらく 前に進めず、行列が行き去るのを待つ。山科は忠臣蔵にゆかりが あるらしく、この祭は山科独自のものらしい。俺サマは忠臣蔵 には全く興味が無いので、一体どういう話なのかも知らないし、 知りたいと思ったこともない。

研究室で 昼食をとりながら、少しだけ数学。13時より14時30分まで、 2回生「代数学序論II」の講義。受講生は火曜日の数理論理学 の講義とほぼ同じ。

どうも教室の中央、最前列から少し下がった所を定席にしている 学生数名がいつも寝ているようで、位置的に彼らが一番目に止まる ために、教室全体が寝ているような錯覚に陥るようだ。居眠り学生の 数名をアンコと考えれば、その周辺に饅頭の皮のように熱心に聞いている 学生がいることも分かってきた。昨日の「あーん!」も「饅頭の皮」の あたりから聞えてきた。

また、前の方に座っている学生の中には、俺サマが大事な話をしている 時は必ず寝たフリをし、どうでも良いことを話している時に限ってせっせと ノートを取っているのが居る。かように居眠りに規則性があるというか、一番前の席で 意識的に居眠りをする学生は毎年ひとりかふたりは居るもので、 不思議なことに毎年だいたい同じような所に座る傾向がみられる。

過去には、俺サマが定理の証明を説明し始めると、必ずペンを置いて 居眠りを始める学生が、別の年度にそれぞれ1名ずつ、合計2名いた。 1名は「証明なんかどうせ理解できないから」という理由で、入学直後 から徹頭徹尾そうしていたようで、卒業単位がなかなか揃わずに何年も留年し、 苦労していたようだ。

大学の数学科で証明の勉強を一切拒否してたら苦労するのは当たり前で、 通常学生たちはお茶を濁す程度には勉強してどうにか卒業していく。 断固拒否を続けたその学生は、あえて苦労したくてそうしていたとしか 思えない。

もう一人は何が理由なのかは不明。1、2年後、大学院の入試の面接に 現れたので、「君は証明が嫌いなようだね」と質問したら、「いえ、証明 は大好きです」と答えていた。調子のいい学生だということは分かったが、 それ以上のことは不明である

また、一番前の席で、講義が始まると「さて、寝るぞ」という 感じで、毎回90分しっかり居眠りをする学生もいた。この学生も 卒業単位がなかなか揃わずに苦労していたが、そういう苦労をしてみたい がために、熱心に居眠りをしていたとしか思えない。

かように、居眠り学生には生態学上の謎が多い。

それ以外にも過去には、居眠りに全く規則性がみられない学生も居て、 前の方で熱心にノートを取りながら、講義の進行状況や説明内容に 無関係にランダムに居眠りしていた。あとで分かったことだが、この 学生は講義の内容を徹頭徹尾何も理解しておらず、意味の分からない板書 を書き写す退屈さに耐えかねて睡魔に襲われていたのだった。 この学生は、その行動原理が解明された数少ない例である。

言葉は悪いが、俺サマにとって大学の教室は動物園のようでもあり、 学生達の珍しい生態をまのあたりにすることができる。20年近く大学教師 をしていると、学生の色々な生態に接することになり、面白いものだと 思う。この時に肝心なのは、「彼らは何故そうなのか?」ということを追究 ぜずに、分からないものを分からないままに珍しがり、適当に受け流すことである。 どうせ彼らの生態の理由を追究しても何もわからないのが普通だし、 分かったところで何の解決にもならないままに学生は 卒業してゆき、また全く別の生態の新しいタイプの学生が入ってくるのだから。

居眠り以外に、最近は下火になったようだが、今のアラフォー世代 かそれより少し若いぐらいの人たちが学生だった頃、学生達は講義中ずう っとお喋りをしていた。これは、当時どこの大学のどの教室でも見られた 現象だが、それ以前の大学には無かったことなので、関係者の間でずいぶん 問題になっていた。

200名位の教室で講義をすると、学生達の私語で自分の話声も聞こえ ないぐらいで、マイクのヴォリュームを一杯に上げて講義しなければならなかった。 勿論、私語を制止するために、大学教師たちは90分の講義中に2,3度雷を 落としたり、特に騒々しい学生を追い出したりもするのだが、その効果は5分 程度がやっとで、すぐに元通りにお喋りが始まるのが常だった。

何故彼らがお喋り中毒になっていたのか、当時、彼ら自身に理由を聞いても答 えられなかった。俺サマは、彼らに何か器質的変異があって、常にお喋りしていないと 呼吸ができないのだろうという仮説を立ててみたが、「寝てるときはお喋り してません」と言っていたから、この仮説は証明できずに終わった。

大人になった彼らが今どんな状態なのか、追跡調査のデータも存在しない。 ただ、小学校の父兄参観で私語をする親が大量発生して授業を妨害し、 先生達が困っていると、よく報道された時期があったことは覚えている。

この20年前から10年前ぐらいまでの「私語の嵐と化した教室」の 話を、先日の飲み会で20代後半の人たちにしたら、へえ、そんな時代が あったんですか!?みたいな反応をしていた。え?そんな昔話をするから 「お父さん」て呼ばれるんだろうって?違います。「お父さん」って 呼ばれたので、ヤケクソになって「そんなら昔話のひとつも、ぶちかまし てやろうじゃないか!」と瞬間的に暴走した次第。

14時40分から16時10分まで、3回生「数理科学セミナー」。 テキストの本文の勉強は全くやろうとせず、章末の演習問題を 巻末の模範解答をみて発表するだけの学生がほとんどだが、 これだと発表回数が稼げないうちに最終回を迎える。 まあ、そういう学生は情け容赦なく落第させればいいだろうと思いつつも、 黙ってバッサリやるのもどうかと思い、授業の冒頭に「今の調子でやって いると、不合格者が数名以上でる見込みです」と一応警告。 そしたら学生達の態度が豹変して、皆テキスト本文の 発表を進んでするようになった。何て分かりやすい動作原理の人たちなん だろう!?と。

この講座は4回生の卒研ゼミの予行演習の意味合いもあるのだが、 彼らも、ようやく卒研に向けての第一歩、、、ではなく、半歩を踏み出 したかという感じ。この講座の様子から推察して、来年度の卒研ゼミは、 日本語の文章の読み方とか、中学高校の数学の復習とか、「定理をあてはめる」 とはどういうことかとか、そういった、数学以前の基礎的技能の指導が中心に なりそうだ。こういう学生を出しに、どうやって俺サマのバカ治療ができるのか、 その方策はまだ見えない。

授業の後、研究室でひと息入れてから、すぐに帰宅。夜は少し数学。

2011年12月13日(火)
<<あーん!>>
例によって大丸で昼食用のパンを買って、昼前に出勤。研究室で 昼食をとりながら、午後の講義の準備。述語論理のモデルの定義は、 講義のネタ本に使っている一般啓蒙書では曖昧な記述しかなく、 研究室に置いてある専門書で確認。

13時より14時半まで、2回生「数理論理学」の講義。 今日は昼休みに調べたモデルの定義を示し、モデルの存在定理を 証明しかけたところで時間切れ。次回はモデルの存在定理の証明 を終えて、ゲーデルの完全性定理の証明を示す予定。

数理論理学の講義中、今書いたばかりの板書を誤って消してしま ったら、あちこちから「あーん(そこはまだノート取ってないのに) !」みたいな叫び声が聞こえてきた。この講座は寝てたり内職している 学生が目立つけれど、一所懸命ノートをとってる学生もいたのかと、 認識を新たにする。

14時40分から16時10分まで、3回生「環・体論II」の講義。 今日は非分離多項式を分離多項式で表せること、拡大次数と分離指数の 関係、分離拡大を繰り返せば分離拡大が得られることを示し、分離拡大 の原始元定理を紹介し、具体例を半分ぐらい説明したところ で時間切れ。次回は原始元の具体例の計算を終え、原始元定理の証明 のアイディアを簡単に説明した後、ガロア拡大に入る予定。

講義が終わり、研究室に戻る途中、「好きなことをして生きていけ るか?」というようなタイトルの講演会の看板が目にとまった。 まあ、俺サマは今、一番好きなことを仕事にしているので、はっぴい! はっぴい!といったところだ。

勿論、好きなこと「だけ」やっているわけではないし、一番好きな 数学研究をするにも、自分のアホと格闘しなければならないし、 さらには、この世で一番嫌いとまでは言わないけど、あまり好きに なれない人種であるところの数学者たちと接しなければならず、 それゆえに自虐の病とも闘わないといけない。それでもやはり、 大きく見れば、はっぴい、はっぴい、だな。

というようなことを思いながら、研究室に戻り、16時30分から 18時15分まで教授会。前半1時間は形式的な議題がつづき、思わす 睡魔に襲われ気を失う。その後、ふと目覚めると重い議題に変わっており、 その内容の重さに言葉を失っているうちに会議が終わる。

会議終了後、事務にちょっと届け物をしてからすぐに帰宅。 夜は少し数学。

2011年12月12日(月)
<<衝撃が轟く>>
今朝はここ数日の睡眠不足をたっぷり解消しようと思っていたのだが、 昨日「お父さん」と呼ばれた衝撃が轟き渡ったためか、異様に早く目覚め、 うとうとと二度寝。それでもかなり早めに起床。

午前中は自宅や近所で野暮用。帰宅して荷物をまとめ、街に出る。 丸亀製麺川原町三条店で晩めの昼食の後、寺町通の上島珈琲にこもり、 「数理論理学」の講義の準備、それから数学を少々。

夕方、店を出て、JEUGIA三条本店を少し偵察してから帰宅。夕食後、 夜はラクトスポーツプラザへ。今日は楽しいZUMBAと筋トレをして帰る。

さすがに睡魔が襲ってきたので、今日は早く寝る(つもり)。

2011年12月11日(日)
<<お父さん>>
午前中は京都新聞日曜版の2つのパズルの後、少し数学。昼ごろに山科区内 に買い物に出て、帰宅後昼食。午後も数学。夕方、17時過ぎに自宅を出て JEUGIA三条本店を少し偵察した後、寺町通りや新京極通りを少しぶらついて、 錦通りに入り、今日の店の場所を確認する。それから待ち合わせ場所の 高島屋に行き、ベンチでしばし数学をしながら時間調整。19時に皆と 待ち合わせて、19時半に予約してあった薬膳中華の店に行き、21時半過ぎ まで会食。今日は関西日仏学館のクラスの忘年会。

このクラス、先生も含めて、俺サマ以外は全部20代後半。それまでは 「ゆきひでさん」と呼ばれていたのだが、今日は突然、自分の娘みたいな年ごろ のクラスメートに「お父さん」と呼ばれ、思わず「ワシはお前なんか産んだ覚え はない!」と言おうとして、、、それはちょっと違うなと、寸でのところで言い とどまった。

若者の中で爺がひとりというのも、どう立ち位置を決めればよいか悩ましい ところ。生涯一座敷童日々是偵察飛行の俺サマとしては、「でしゃばらないこと」 をモットーに、時折横からぼそぼそと何か言う座敷童のスタンスを保っていたが、 状況を見て攻めに転じ、ボケの1つもぶちかましてウケを狙ったりもした。

大学の先生だから、いつも若者と一緒では?みたいなことをよく言われるが、 俺サマは直接学問に関係すること以外では学生とは接しないようにしている し、学問で学生と接するときも、彼らを出しに自分のアホを治そう、みたいな ことばかり考えているので、今日のような状況はあまり慣れていない。

23時前に帰宅。

2011年12月10日(土)
<<補講日>>
午前中は自宅で少し講義の準備など。早めに自宅を出て、大丸ラクト山科店 にて昼食用のパンを買って出勤。本日、11月上旬の浜松出張分の補講。

13時より14時30分まで、2回生「代数学序論II」の補講。受講生は いつもの3分の2程度。今日は中国人剰余定理の特殊な具体例での証明を 終わらせた後、一般の場合の証明のアイディアの概略を説明して、 有限生成アーベル群の話を終了。引き続きシローの定理の話に入り、 p群、pシロー群、内部自己同型の定義と簡単な性質を説明したあと、 シローの定理のステートメントを示したところで時間切れ。次回は、 シローの定理の分類理論への応用例を示した後、作用域を持つ群の話に進む予定。

引き続き14時40分より16時10分まで、3回生「数理科学セミナー」 の補講。受講生20数名中、本日の出席者は4名。ほぼ全員が発表をし、 単位認定基準をクリアしたり、さらに上の成績を狙える実績を残した。しかし、 残る授業回数と、あと最低1回発表しなければならない学生の数を数え、 テキストの進度も考慮すると、数名程度の不合格者が出そうなことがわかった。 まあ、十分ハードルを下げて、それでも駄目なら容赦なく斬るというのが、 俺サマのやり方なので、この講座でもその流儀を通そうと思う。

補講が終わって研究室に戻る途中、来年度の卒研予定生が図書館で見つからな かったテキストの候補を見せてほしいと言ってきたので、2,3日貸してやること にした。それからすぐに帰宅。夜は少し数学。

途中、皆既月食が見えるというので、外に出てちょっとだけ見てみた。俺サマ は日食だの月食だのには全然感動しない人なので、また部屋に戻って数学。 昼間、何処に居た時だか忘れたが、どこかでヘンデルが聴こえてきたので、深夜、 久しぶりにヘンデルのCDを聴く。

補講のため、今日もドイツ語寺子屋を欠席しなければならなかった。 寺子屋の授業料をドブに捨ててでも浜松の可換環論シンポジウムに出席すべき だったかについては、今でも色々思うところがある。しかし、少なくとも 可換環論に対して自分なりに区切りをつける儀式として、やはり行って 良かったと考えることにしている。

2011年12月9日(金)
<<愛!が足りない>>
午前中は自宅で数学。昼過ぎに家を出て、新福菜館百万遍店で昼食の後、 京大ルネの書籍部を少し偵察してから、 関西日仏学館の図書室籠って数学、途中、睡魔に襲われ少し気を失う。

夕方、京大ルネで軽く夕食の後、19時から21時過ぎまで関西日仏学館 でフランス語の授業を受ける。真冬並みの冷え込みの中、帰りはコンビニで買 った80キロカロリー抹茶あずき最中アイスを食べながら、京都市役所前まで 徒歩。それから地下鉄に乗って帰宅。

昨日は、同業者に天敵のような存在いると、専門分野を変える後押しになる ようなことを書いた。会社で計算機屋をやっていた頃、某大先生に睨まれる 羽目に陥り、「この分野ではやりにくくなったな」と思ったこともあって、 研究テーマやアプローチを大きく変えたことがある。今からすれば、一人の 先生に睨まれたぐらいでは、そう致命的でもあるまいと思うが、何せ小さな分野 だし、当時は会社員という研究者としては極めて不安定な身分だったこともあり、 かなり深刻に受け止めていたような気がする。

数学に転向してからの事は、色々差しさわりがあるので詳しくは書けないが、 数学業界は高度な集中が要求される個人プレイ中心の競争社会だし、数学者は 別に聖人君子でも何でもないわけだから、嫌な奴はそこらじゅうにゴロゴロ 居てもおかしくない。だから何年かに1度、分野を変えて人心一新を図るのは良 いことだと思うが、そういうことをやっているのは超一流の数学者か、さもな くば、俺サマのような馬鹿ぐらいである。

俺サマとしては、大学院を出たぐらいの頃から、何十年も同じテーマを研究 し続けられる方が、かえって不思議でならない。一度その事を学生時代からの 友人に聞いたことがあったが、要するに「愛!」なんだそうだ。数学の女神 にイケズされようと、あるいは、同業者に出しぬかれたり、精根込めた研究成果 を虚仮にされようと、その分野への「愛!」があれば乗り越えられるのだそうだ。

俺サマはおナルだから、その分野への「愛!」よりも、自分への「愛!」の 方が強いわけで、一所懸命研究してもぱっとした成果は出ないし、同業者からは チヤホヤされないどころか、イケズされるし、全然面白くも何ともねーなー!と いうことが続くと、「やめちまえば、すっきりするよな」みたいな方向に考えた 行ってしまう。

2011年12月8日(木)
<<定期試験問題提出>>
例によって大丸ラクト山科店で昼食用のパンを買って、午前中に出勤。 研究室にて定期試験問題をプリントアウトして、用紙に切り貼りし、3科目 分完成。昼食の後、事務室に提出。

その後、研究室にてすこし文献検索をしてから、14時から卒研ゼミ。 もう一人の学生は依然就活中とかで、来年度から他大学大学院に進学する方 の学生だけが来ていた。今日はようやく1点ブローアップのところが終わって、 16時頃にゼミは終了。次回から非特異代数多様体の話に入る予定。

それから、土曜日の補講で配るプリントのコピーをし、さらに図書室に 行って、昼間に検索しておいた文献をコピーしてから、大学を発つ。 帰宅途中、大丸ラクト山科店の果物売り場で、苺ミルクジュースを1杯飲む。

帰宅後、夜はラクトスポーツプラザで骨盤矯正ヨガと有酸素運動。 22時半頃に自宅に戻り、フランス語の宿題を片付ける。

フェースブックの友に、ペレルマンに興味を持っている人がいる。 フィールズ賞を辞退して引き籠った大数学者ということで、マスコミで も話題になったからだろう。その友人は、ペレルマンが何で引き籠ったの か聞いてくるのだが、俺サマの答はいつも同じ。つまり、「ペレルマンは 数学者がほとほと嫌いなんでしょう。その気持ちは俺サマにも分かる ような気がするけどね」というやつ。友人は俺サマの正鵠を得た(!) 答に納得できないとみえて、ことある毎に同じことを聞いてくる。

数学者嫌いの俺サマはまだ数学を続けてるけど、ペレルマンは やめちまったのかしら。グロタンディックも数学者嫌いになって、 数学やめて山に籠ったけど、ずっと後になって瞬間的に遠アーベル 幾何学の構想を打ち出してちょっと数学界に衝撃を与え、またすっ こんじまったな。数学者嫌いと数学嫌いは一応別の概念だと思うけど、 坊主憎けりゃ袈裟まで憎し、となるのかも。

そういえば俺サマも、約10年周期で専門を変えたくなるビョーキ 持ちだが、1つの分野に飽きてしまう理由のひとつに、「この分野に 居る限り、またあいつの顔見なきゃならんのかよ」というのがあったり もする。研究能力と人格は別物だから、そういうことは珍しくない。 まあ、それだけで研究分野を変えることはないが、研究分野を変える 際に、それまでやってきた分野への未練を断ち切るのには、十分役立つ。

2011年12月7日(水)
<<定期試験問題作成作業>>
午前中は自宅で野暮用の後、定期試験問題作成作業。一段落つけたところで 自宅を出て、大丸ラクト山科店で昼食用のパンを買って昼過ぎに出勤。

昼食の後、13時から14時30分まで、2回生「代数学序論II」の講義。 今日は有限生成非有限アーベル群の具体例の説明を終え、有限生成アーベル 群の基本定理を説明した後、中国人剰余定理の証明に入り、最後の写像の 全射性を示す直前で時間切れ。次回は証明の続きを終えて、作用域を持つ群 の話に入る予定。

ひきつづき14時40分から16時10分まで、3回生「数理科学セミナー」。 残る授業回数が僅かとなり、いよいよ単位が危ないと危機感を持ったのか、 学生の間にようやく積極的に手を挙げて発表する雰囲気が出てきた。その結果、 1度も発表してない学生はゼロになった。

一旦研究室に戻り、16時30分から18時15分頃まで久しぶりの学科会議。 終了後すぐに大学を発ち、途中大丸ラクト山科店でお歳暮用の「大吟醸利き酒3本 セット」を自宅用に買って帰る。

夕食後、夜は定期試験問題作成作業を深夜まで行い、ようやく完成。 俺サマの定期試験の出題方針はいつも同じで、それは「問題文の意味が 理解できれば簡単に解けるものを出す」ということ。つまり講義の 内容が一通り分かっていれば、そこそこ正解が書けるように作っている つもり。

しかし、「数理科学セミナー」を担当していると、問題文の意味を正しく 理解するというのは、多くの学生達にとっては非常に困難な作業らしいという ことが窺い知れる。

2011年12月6日(火)
<<芸が荒れる>>
午前中、いつもよりも少し早目に自宅を出て、大丸ラクト山科店で昼食用 のパンを買って山科駅に向かったのだが、人身事故の影響とかで電車が 遅れていた。寒いホームで数学の本を読みながら半時間ぐらい待ったところで、 満員の電車がやってきた。結局いつもと同じく、昼頃に大学の到着。

研究室で昼食の後、13時より14時30分まで、 2回生「数理論理学」の講義。今日は述語論理のHAとNKの同等性の証明、 いくつかの重要な論理式の同値関係と誤りの具体例を示した後、述語論理の 無矛盾性証明の概略を示す。次回は充足可能性や完全性の問題を論じる予定。

講義の後、学生達が、俺サマの板書が速過ぎて追いつけないと嘆き合って いた。居眠りしてたり、ノートも取らずにぼーっとしてるだけの学生が 目についたので、思わず「芸が荒れて」ぶっ飛ばしたけど。ちゃんと ノート取ってる学生もいたのかと、ちょっと反省。

引き続き14時40分より16時10分まで、3回生「環・体論II」の 講義。今日は体の準同形の拡張について前回の話の補足をした後、 標数ゼロの体が完全体であることの証明、分離多項式の微分による特徴づけ、 分離指数と分離指数の計算公式の証明、そして正標数の素体上の非分離多項式を 分離多項式を使って表す具体例を説明。次回はこの具体例を一般化した命題を示し、 分離拡大の特徴づけを行ってから、原始元定理に入る予定。

講義が終わって研究室に戻り、しばし定期試験問題作成作業。その後、 17時30分より19時5分まで、会議。その後、生協で夕食をとってから 大学を発つ。22時前に帰宅し、さらに定期試験問題作成作業。

今学期教えている講座の教室で、誰かに似ている学生を見掛けるのだが、 一体誰に似てるのかとずっと気になっていた。最近ようやくJRの マナー啓発広告の漫画のキャラクターに似ているとわかり、さらについ数日前、それが 秘密結社鷹の爪の隊員「島根の吉田」であることがわかった。

それから、通勤時の通り道にあるアパートの一室のガラス窓に、夜になると 不思議な赤い光が反射し、付近にそのような灯りが見当たらないことから、 一体何が反射しているのか、長い間疑問に思っていた。数日前、ふと思いついて ある場所に立ってみたら、、、ははーん、そういうことだったのか!と長年の 疑問が氷解。

数学研究もこんな感じで、ひょこっと進展してくれたらいいんだけど、 そうは問屋が卸さない。

2011年12月5日(月)
<<亡き先生を訪ねる>>
11時頃に自宅を出て、大阪の某所へ。俺サマが会社を辞めて 大学に移る時にお世話になった先生のご自宅へ。とは言っても、 先生、俺サマがドイツに滞在している間に急逝されたそうで、 最近喪中葉書が届いて初めて知った次第。奥様に生前の話などを 聞かせて頂いたりして、しばし思い出話に花を咲かせ、夕方頃に 自宅に戻る。

俺サマは馬鹿な割には、おおむね恵まれた職業生活を送ってきたが、 それは、「ああ、これで俺サマの人生も一巻の終わりか」と天を仰ぎ さめざめと涙している時に、ふと救いの神が現れるといったことが、 何度かあったお陰である。その救いの神の一人が、今日仏壇にお参り させていただいた先生である。

然るべき立場にある者は、若い人にチャンスを与え、励ますことが 大きな役目のひとつだと思う。俺サマも、自分が受けた恩恵を次の世代 に引き継ぐことによって恩返しをしたいと思うのだが、残念ながら馬鹿 だから、いまだに「然るべき立場」には立てないんだよね。だから、 せめて全力で数学をやろうか、と。

帰宅後、夜は科研費で買う書籍を選定して注文し、科研費の残高を睨んで 月末の東京出張をキャンセル。夏頃までは、あちこちの研究集会やセミナー にできるだけ参加して情報収集に努めていたが、 情報収集と自虐の病を秤に掛けると、自虐の病のダメージ も馬鹿にならないしということで、最近はめっきり引き籠り気味。

明日の講義の準備をしてから、また少しだけ数学。

2011年12月4日(日)
<<手帳を買う>>
午前中は京都新聞日曜版の2つのパズルをやって、後期試験の問題を 1科目分作る。それから山科区内に買い物に出掛け、帰宅後、昼食を とってしばし数学をしたり、2科目目の定期試験問題を作りかけたり。

夕方頃、京都駅前のアヴァンティーに出掛け、そこの文具売り場で 来年の手帳などを購入。帰宅後、夕食をとってしばしテレビを見ながら 居眠り。それから新しい手帳に12月や1月の予定などを色々書き込んで、 また少しだけ数学。

2011年12月3日(土)
<<今学期最終回>>
午前中はオスナブリュックの教会で買ったオルガンのCDを聴きながら、 ドイツ語の宿題。去年の今頃はベルリンやエディンバラの研究集会に 出没して、それからはあちこちの教会のクリスマス・コンサートを 聴きに行ってたっけ。

昼頃自宅を出て百万遍へ。新福菜館で昼食の後、関西日仏学館の図書室に 籠り、夕方まで数学。それからコンビニで80キロカロリー抹茶小倉あん アイスを買って食べ、16時40分より18時10分まで ドイツ語寺子屋塾。

寺子屋の秋学期は次週12月10日が最終だが、残念ながら その日は大学で補講をしなければならないので、今日が俺サマにとっては 今学期最終日。次の冬学期は1月7日より始まる。

帰りは京都市役所前まで徒歩。JEUGIA三条本店を少し偵察したが、 これといったCDは見つからず。今日は京都市近郊の某所で、J.S.バッハの 平均律クラヴィア曲集を数名が手分けして全部弾くというコンサートが あったらしいが、それを知ったのはそろそろコンサートが始まろうとしている 時刻のJEUGIA店内。

今年はまだ来年の手帳を買ってないので、ゼスト御池の雑貨屋でちょっと 物色してみたけど、やはり例年通り京都駅前のアヴァンティーの文具屋に 行かないと駄目かしら。と思いつつ、とりあえず帰宅。

夜はまた数学をしたり、定期試験問題作成作業を開始したり。

2011年12月2日(金)
<<絶版?>>
午前中はフランス語の予習を少ししてから、山科区内に買い物に出る。 帰宅後、荷物を入れ替えて百万遍に出掛け、久々に新福菜館で昼食の後、 京大ルネの書籍部を偵察。シュプリンガー・ジャパンの本は1冊残らず 撤去されていた。来年度の卒研で使うことになりそうなガロア理論の 教科書も、既に絶版かもしれない。

それから関西日仏学館の図書室に籠り、数学と少しばかりフランス語 の勉強。夕方になって、また京大ルネの書籍部でぶらぶらしてから、早目 の夕食を軽く。そして19時から21時過ぎまでフランス語の授業を受ける。

フランス語講座は現在生徒が6名。男は俺サマだけ。俺サマは周りが 女ばかりの方がリラックスできるし、男がもう一人居たりすると、 結構意識してしまい、そっちの方が気づまりである。男同志って、 犬の散歩で2匹の犬がかちあった時みたいに、無意識にうーっっっ、 がるるるるぅー!みたいな感じになるよのね。しかし男が2、3人以上いると、 もうどうでも良くなって、只々目障りだなと思うだけである。

1月の新学期からは、生徒のの1人が別のクラスに移ってしまうという 情報を入手した。

帰りは久しぶりに京都市役所前まで徒歩。歩行飲酒はなく、コンビニで買 った80キロカロリー抹茶あずきアイスクリームと自販機のミルクティーで軽 めの夕食を補う。

荒神橋のあたりで交通事故があったらしく、パトカーや救急車が止まって いた。事故車が止まってなかったので、ひき逃げかもしれない。

夜はまた少し数学をと思ったが、結局フェースブックで遊んでしまった。

2011年12月1日(木)
<<論文レビュー>>
午前中は自宅にて論文読み。これは、先日督促メールが来た アメリカ数学会のレビューの仕事。ひととおり目を通してレビューが 書ける目処がついたところで自宅を出て、山科駅前で昼食の後、14時から の卒研ゼミに何とか間に合うように出勤。

しかし出勤してみたら、学生のひとりが風邪でゼミを休む旨のメールが 届いていた。どうも俺サマが自宅を出た後で出されたメールらしい。 もう一人の学生は就活のため、最近はゼミに来ていない。 思わず時間が浮いてしまったので、図書館に学術データベースの件で問い合わせる 等の雑用を片付けた後、研究室で夕方頃まで数学を考える。

17時頃に大学を発ち、帰宅して夕食の後、ラクトスポーツプラザへ。 今日は骨盤矯正ヨガの後、有酸素運動を40分ほどやって終わる。

帰宅後、レビューを書き上げ、アメリカ数学会にメールで送って一件落着。 その後、12月の出張や帰省のためのホテルの予約をしたり。

俺サマは年末のあわただしい雰囲気が好きで、何となくウキウキしてくる。 それは大晦日でクライマックスを迎え、元旦の午前中ぐらいまではまだ余韻が 残っているが、1月2日以降は、ああ、また普段と同じ日々がくるのかと、ちょっと がっかりしてしまう。俺サマは日々粛々と人生を送っていて、年末年始に1年の 反省をしてみたり新年の決意を新たにしたりするような趣味はなく、正月 というのは、単なる「華やいだ日々の転落の始まり」として、1年で一番 つまらない日である。