一部のブラウザ

よ け ス ペ ー ス で す。

2012年2月15日(水)
<<とりあえずやめておく>>
吉祥寺駅から井の頭線に乗って駒場東大前へ。10時から 東大の研究集会が始まる。会場の大講義室は暖房が入っておらず、 多くの人はコートを着たまま講演を聞いていた。俺サマもコートを 来ていたが、それでも足元から寒さが這い上がってくるようで 大変だった。昼休みは東大構内で昼食をとり、生協の書店を 偵察したりしてすごす。午後の講演の頃は流石に少し暖房が 入っていた。

午後1番の講演を聞いて、あとはホテルに戻って すこし数学。夕食はホテルの近くの鰻屋に行ってみたが、 蒸した鰻を炭火で軽く炙るだけの東京の鰻は、どうも俺サマの 口には合わない。300mlの日本酒を買ってホテルに戻り、 ちびちびやりながら、また少し数学。

ところで、数学者がいっぱい集まる研究集会で自虐の病 の発作は起こらないのかというと、今日のところは大丈夫 だったな。研究集会に集まった何人かの数学者は、俺サマが誰だか 知っているかもしれない。しかし、そういう事をいちいち考えて いるとまた発作が起こりそうである。

自虐の病とは、要するに連中とどういう風に距離をとればよいか 見当がつかない状態だが、そんな難しい連中とは、いちいち見当を つけなければ済むことだ。従って、何も考えずに透明人間モード で漂い、向うから挨拶してくる酔狂な人間だけは、いちおう応答 することにしている。

ただ、悩ましいことには、例の黙殺大魔王も来ている。 俺サマが興味を持つ世界中のどの研究集会にも、必ず来ているから 厄介だ。去年のトロントにも来ていたし、今年の6月に俺サマが 参加しようかと思っているドイツの研究集会にも来るようだ。 まったく、お釈迦様の手のひらの上を飛び回っている孫悟空みたいな 気分だぜ。

大魔王はどうせ日本語なんかわかんないだろうということで、 面と向かって(日本語で)「人を地獄の底に叩き落とし といて、何をヘラヘラしてんだよう!お前こそ地獄に堕ちろ。 このバカたれめが!」ぐらいのことは言ってやろうかと思ったが、 今日のところはとりあえずやめておいた。

2012年2月14日(火)
<<吉祥寺着>>
午前中に荷造りなどをして、昼頃に自宅を出る。京都駅から13時台の 新幹線に乗り。15時半頃に東京着。中央線の乗り継ぎもよく、16時半頃に 吉祥寺のホテルにチェックイン。夕方頃までホテルで数学。その後、 商店街をぶらぶらして食糧と酒を調達し、ホテルに戻って夕食、そして数学を 少し。ワインもハーフボトルを1本飲み、酔いが回ってきたところで 本日の数学は終了。吉祥寺は何度来ても、いい街だ。

夕方のNHKニュースで、今日の関東地方の放射線量というのをやっていて、 3・11前の数値のところと、それを上回る地域を報じていたのは、ちょっと驚き。

2012年2月13日(月)
<<悪魔のような子供>>
電撃的天啓で目覚める。新しい定理の発見ならいいのだけど、 残念ながら、例によって数学とは全然関係の無いもの。

小学1,2年生の頃にIという小賢しくて意地悪でとても 嫌な奴がいた。最近風の便りに、奴が小学校の校長か何かを やっているという話を聞き、「あの野郎、どんな極道者に なってるかと思ったら、よりにもよって小学校の先生かよ!?」と呆れ果てた。

ところが、Iが俺サマに一体どんな悪事を働いていたのか、 全く思い出せなかったのである。かと言って、思い出そうと 努めていたわけではなかったのだが。それが何故か今朝、 起きがけにふっと思いだしてしまった。

確か、小学校に入学して間もない頃、クラスで仲良くなった 友達と一緒に帰ろうとすると、必ずIが現れて「○○君(俺サマ が一緒に帰ろうとしていた友達)は僕と一緒に帰るんだよねえ!」 とか言って、○○君を強引に引っ張っていくのだった。 「え?でも、○○君、僕と一緒に帰るって言ったじゃないか!」 とIに肩を掴まれて半分拉致状態にある○○君に目をやると、 「ぼ、僕は、I君と帰るわ、、、」と言いだす始末。

そういうことが何度かあったように思う。○○君以外に拉致されて いった友達が何人居たかは、よく覚えていない。兎に角、 Iはそうやって大勢の友達と一緒にわいわい楽しそうに帰り、 俺サマがIらのグループに入ろうとすると、「お前なんか、 あっちへ行け!」などと言いよった。

そんな訳でひっこみ思案の俺サマは、けっきょくひとりぽっちにな り、一人路傍の草木や水たまりや、道端に落ちている、子供にとっては 宝物のような、さまざまなガラクタを友にして通学するようになったのだ。

まあ、典型的な苛めだが、小学校に上がったばかりのころから そういう才覚を発揮するのだから、いったいどんな極悪親に育てられた ことか。奴の家は、一見地道に商売をやっているようなところだったが、 その一方でこんな悪魔を生み育ているのだから、人間というものは わからんものだと、子供心にも思ったものである。

そういうことを色々思い出したら、47年ぶりにあの頃の怒りが沸々とこみ 上げてきて、今日は終日気分が悪かった。

奴は小学校の教師だから、入学したばかりの頃からやけに悪知恵にたけていて、 先生のウケも良く、クラスメートを巧みに操作しつつ、気に入らない奴を苛める 手練手管にたけた悪魔のような子供を目にすることもあるだろう。そういうのを 見て、アルゲリッチよろしく「自分の若い頃を見るようだ」と絶賛 まではしないにしろ、頼もしく思いながら目を細めるのだろうか。

その一方で、子供は皆、半分悪魔なのだという気もする。 この俺サマだって、結構な悪党だったから、高山と言えば「ああ、 子供の頃に学校で一緒だった、あの悪魔のような奴か」という風にしか 思い出せない人が、この世に何人かは居そうな気がするな。 その人たちを探し出して謝りたい気もする一方、彼らはもう俺サマの 顔なんか見たくもないかも知れないという気もする。少なくとも俺サマは、 50年近く経った今でも、Iの顔なんか見たくもないし。

本日午前中に銀行でお金を下ろし、郵便局で数学会費を振り込んでから、 昼前に出勤。12時から15時過ぎまで、卒研生H君と 可微分多様体ゼミ。今日は可微分写像の正則点と正則値、臨界点と臨界値 の定義、Sardの定理のステートメントとその系、および応用をやる。 次回は境界付き多様体やブラウアーの写像定理などをやる予定。

それから研究室に戻って、明日からの東京出張のための準備を少し してから大学を発つ。帰宅後、夜はラクトスポーツプラザへ。 楽しいZUMBAと、筋トレ。

明日から金曜日まで東大に出張。日誌の更新は「たぶん出来ると思うけど」 といった感じ。

2012年2月12日(日)
<<5秒ルール>>
午前中は京都新聞日曜版の2つのパズルを解いて、しばし数学の 後、自宅を出る。山科駅前のイタリア料理店でツナトマトソース のスパゲティーの昼食。数日前に食べた時はちょっと酸味が強く 「あれ?」と思ったが、今日はまた絶品の味に戻っていた。 店を出て、そのまま出勤。14時から会議。14時35分頃終了。 それから1時間ほど研究室で数学の後、京都市内に移動。

今夜は京都市内某所でドビュッシーの室内楽のコンサート。 この会場の建物の中には、俺サマが数年前から目をつけている、 某版画家の作品の販売所もある。数年前、まだ芸大を卒業 したばかりの彼女の作品をひと目見て、素晴らしい才能の 持ち主だと分かった。その才能の嫉妬して(!)しばらく 忘れていたのだが、今日見てみたら作品の値段が1桁高くなって いた。しかし作品には以前ほどの衝撃は無かったな。

コンサートの最中に、何やら向うの席でゴソゴソしていて、 そのうち係員が入ってきて何やらやっていた。それが一段落 したところで今度は救急車の音がしてきた。演奏の最中 にピーポーピーポーってのは、どうよ?とか思ってたら、 コンサートが中断されて、救急隊員が 入ってきた。どうやら観客の中に急に体調を崩された人が 居たらしく、その人はストレッチャーで運び出されていった。 大丈夫かしら。折角のコンサートなのに、お気の毒に。

俺サマの隣は、日仏混血と思われる若い女とそのボーイフレンド と思われる黒人の若い男が座っていた。今朝、新聞の書評欄で、 「イケてない容姿の若い女の身も蓋も無いヤケクソ物語」みたいな 本の紹介を読み、「まー、若い男も女も大変ねー。でも、オジサン も大変なのよ!」などと思ったのだが、この二人はそういう世界の 対極の人たちのようだった。男の子は音楽にはあまり興味が無いらしく、 彼女の肩に持たれて居眠りしたりしていた。

コンサートの帰り、河原町三条についたところで、丸亀製麺で 遅めの夕食。店はそれほど込んでおらず、学生風の若い男が4人ほど、 食べ終わってからも長々とお喋りに興じている様子だった。そのうちの 一人は、酒に酔ってるのかも知れないが、まだ「出来あがる」には 早い時間帯なのに妙にテンションが高く、半分裏返った興奮気味の 声で早口で冗談らしい話をしていた。何だか痛ましいものを見てしまった ような気分になって店を出たけれど、俺サマもああいう時期があった ような気もする。

俺サマは、ごく限られた人を除いて普段あまり人と話をしないので、 たまに誰かと話をする時は、今でもあんな風に早口で喋ることがあるな。 ただし、テンションはぐっと低めだけど。 相手が俺サマの話に飽きて興味がそれるまでに、言いたい事を言い切って しまおうと考えるわけだが、その猶予は5秒ぐらいだと勝手に考えている。 若い頃も、この5秒ルールの強迫概念故に早口で喋ってたのかどうかは、 定かではない。

そういえば、毎年2月11日は入試の採点かドイツに居るかのどちらか だったと書いたが、過去の日誌を見直してみたら、それは間違いと判明した。 2007年は学科長だったため入試の採点は免除されてたが、それ 以後からは例年入試の採点は2月10日で終わり、11日は街を彷徨ったり している。たぶん2006年以前の2月11日はずっと採点を していたのだが、数年前から状況が変わったようだ。

2012年2月11日(土)
<<若い頃の自分>>
午前中は自宅で数学。それから偵察飛行に飛び立つ。 まずは山科の街に出てみて、その辺で適当に昼食をとってから、 京都の街にも出てみた。

昨日も書いたが、俺サマは1992年にRitsに就職して以来、 2月11日の建国記念日は大学に監禁されて入試の採点をしているか、 ドイツに滞在しているかのどちらかだったので、この日の世の中が どうなっているのか知らなかったのである。

山科駅前の三条通りは、京都行きも大津行きも京都や滋賀ナンバー の車が多く、正月の時と似たような混雑ぶりだった。 また、何故か大学生のような若者が、その辺でグループを作って 歩いている光景をよく見掛けたが、これは何故だか原因は不明。

河原町三条界隈は特に変わったところはなく、ごく普通の 日祝日の賑わいを見せていた。寺町通りの上島珈琲に籠って しばし数学を考えてから、JEUGIA三条本店とAngers 河原町三条本店を偵察してから、山科に戻り、ラクト山科で チリ産の赤ワインを一本買って帰る。

JEUGIAでは、マルタ・アルゲリッチが「若い頃の自分を 見てるようだ」と絶賛し、彼女が主催するザルツブルグ音楽祭 に招かれて大成功を収めたという若いピアニストのCDが出ていた。 優れた才能を持ち、功成り名を挙げた人の中には、時々こういう風 に才能豊かな若い人に惚れ込むことがあるようだ。

しかし俺サマは、「人間、こういうことを言うようになったら 終わりだな」という気がする。さして根拠があるわけではないけど、 自分がもっと前に進もうとしている間は、後進にそれほど思い入れ を持つことはないんじゃないか、と。

学生を見ていると、「若い頃の自分を見ているよう」な 気分になることは時々ある。全体的に俺サマとそっくりという ことは無いけれど、ああ、この学生のこういうところは、 あの頃の自分と似ているなと感じるのだ。

そういう時に何を思うかというと、「痛ましい」とか (古語の意味で)「片腹痛し」とか「こいつもこれから苦労するだろうな」とか 「こいつ、俺サマに似ているのがこの部分だけで、幸いだったな (もっと似てたら悲惨だぜ!)」とか、そんな感じのことばかり で、決して「絶賛」などする気になれないな。

でも、これは俺サマが「前に進もうとしている」かどうかとは、 別の話。

夜はまた少し数学。

2012年2月10日(金)
<<採点終了>>
8時半頃に自宅を出て、9時半ごろに出勤。10時から入試採点 作業。途中昼食を挟んで、14時前には作業が終了。これで 今年の入試採点作業は全て終わった。Ritsに就職してから、 毎年2月11日の祭日は入試採点と決まっていたのだが、今年は ちゃんと休みになった。

研究室に戻って14時から16時までの間、途中少し雑用 を思い出して片付けたりもしてたが、おもに数学を考えてすごす。

そういえば、日本数学会から学会費滞納の督促状が届いた。 毎年3月の終わりに払っているのだが、去年の3月はドイツに居て、 4月に日本に帰ってきてから、すっかり忘れていた。 学会費に使える研究費はもうほとんど使ってしまっていて、 今年度の分は何とか払えるけれど、 来年度の分は(前納が原則だけど)4月まで待ってもらおうか、と。

16時過ぎに大学を発ち、京大ルネに移動。書籍部で科研費の 残りで買う本を物色したり、生協食堂で早目の夕食をとったりした後、 隣の関西日仏学館に移動。図書室で小一時間ほどフランス語の予習。 19時から21時過ぎまでフランス語の授業。

今日は関空の近くに住んでいるという人が、最初の1時間ほど見学 に来ていた。この絶滅寸前の我々のクラスを救うべく、途中参加するのかと 思いきや、家が遠いので集中講座を受ける積りだとか、

先生はこの冬学期で初級は終わりだから、皆さんは4月から中級 です、とか言ってたな。1年ぐらい前に、同じことを別のクラスで言われて、 その年の4月から春学期、夏学期と中級講座に通っていた。ところが、 その後半年間オスナブリュックに入ってドイツ語漬けになってたら、 すっかりフランス語を忘れてしまい、去年の4月にまた初級に入りな おしたというわけだ。つまり1年「落第」したというわけ。

帰りは徒歩で京都市役所前駅まで歩き、ゼスト御池のコンビニで おにぎりを1つ買って食べてから、地下鉄に乗って帰宅。

2012年2月9日(木)
<<誠実な数学者>>
早起きして出勤。今日は入試があったらしく、南草津駅から 臨時バスが出てたりして、JRからバスへの乗り継ぎはスムーズ。 9時過ぎから採点作業。午後は14時から15時過ぎまで、 追試に相当する口頭試問。インフルエンザで試験を受けられなかった 学生が1名やってきた。それから採点会場に戻って16時頃まで 採点作業。その後、研究室に戻って少し雑用をしてから帰宅。 夕食後、夜はラクトスポーツプラザへ。いつもの骨盤矯正ヨガの 先生はお休みで、今日は代講の先生が普通のヨガのレッスンをしてくれた。 その後、40分ほど有酸素運動をしてから帰宅。

通勤の途中、またグロタンディックとセールの書簡集を眺める。 俺サマが駆け出し会社員だった頃に、グロタンがセールに手紙を 書いて「数学者時代の思い出を書きとめて、旧友たちに送る」と 言ってたのは、例の、世の数学者たちへの恨みつらみをぐだぐだ書きま くった"Recoltes et Semailles (収穫と種まき)"のことらしく、 セールは送られてきた原稿を研究集会の合間に拾い読みして、その 感想を手紙に書いてグロタンに送っている。

Recoltes et Semaillesには、特にドリーニュの悪口が一杯書かれて いるようだが、それに対してセールは、「君の考えを変えるつもりはないし、 それは無理だと分かっているが、君がドリーニュに対して厳しいこと を書いているのはとても残念だ。僕が知る限り、ドリーニュはもっとも 誠実な数学者だし」みたいなことを書いている。

まあ、ドリーニュはどうだか俺サマは知らないけど、一般的に言って、 優れた数学者が別の優れた数学者のことを「あいつはいい奴だ」と評する のは、馬鹿の俺サマにとってはほとんど何の意味も無い。そのことは、例 の黙殺大魔王の経験が教えるところである。優れた数学者に対しては如何に いい奴であっても、俺サマのような馬鹿を前にすると悪魔に変身するのが 数学者というものだと思う(と、また自虐の発作が始まった)。

2012年2月8日(水)
<<グロタンの隠居>>
午前中は自宅で数学。昼過ぎに自宅を出て、久しぶりに山科駅前の イタリア料理店で昼食。ここのツナとオニオンのトマトソース・ スパゲッティーは絶品だが、今日久しぶりに食べたら、 ちょっとトマトの酸味が強く、味が変わったような気がした。

大学に着いて少し雑用。それから14時から17時前まで 4回生H君と多様体ゼミ。接ベクトル空間と可微分写像の微分 の概念がまだしっくり来ないようだ。まあ、あれは色々な定義 があるので、最初のうちは混乱するのもやむおえないか。4月から 某国立大大学院に進んで代数幾何学を勉強するのなら、ベクトル場とか 接ベクトルバンドルの概念もぜひ理解して欲しいところ。しかし 3月末の卒業までに、そこまでゼミが進むかどうかは、かなり微妙。

じゃあ、俺サマは学生時代に、そこまで理解していたのか。 馬鹿自慢の俺サマに限ってそんな事があろうわけがなく、 だからこそ大学院に進学できずに会社員になったんだもんね。 と、一応自慢しておく。

ゼミの後、事務に行って雑用を済ましてから、すぐに帰宅。 帰りの電車の中で、グロタンディックとセールの往復書簡集を ちょっと読んでみた。今の俺サマと同じぐらいの歳の頃に、 グロタンディックはもう隠居状態で、セールが送った 研究集会の案内と招待講演の依頼に対して、 「誘ってくれてありがとう。でも、最近はもう数学の研究集会に は行かないことにしてるんだよ。ちょうどいいから、この際 君に頼みたい。今、数学者としての自分の過去についての 思い出を書き集めて、昔のブルバキの仲間や他の何人かの数学者 に送ろうかと思いってるんだけど、、、」と、セールにルレイの 住所やある数学者の正確な名前などを尋ねる書簡を出している。 それがちょうど、俺サマが駆け出し会社員でコンピュータの設計 などをやっていた頃だ。

しかし、それから数年後、グロタンは突如として 「遠アーベル幾何学」の構想をぶち上げて、またぱっと姿を消している。 一方、セールは80歳近くになっても、まだ論文を書いている。 まあ、二人とも長生きだね。

夜は少しだけ数学。しかし明日も入試の採点作業で朝が早いので、 早目に寝る積り。

2012年2月7日(火)
<<セレモニー>>
8時過ぎに自宅を出て、9時半から入試採点作業のために出勤。 今日は入試も行われていて、南草津から臨時バスが出ており、 JRからバスへの乗り継ぎはスムーズであった。

昼食休憩を挟んで14時過ぎに今日の作業は終了。それから 研究室に戻り、夕方の会議の時間まで数学。

16時半から教授会。教授会というのは形式的な議題が 多いが、今日のは完全に儀式のような会議。分厚い資料が 配布され、議長が「○○について、お手元に40数ページの資料が ございますが、これをお目通しの上、ご承認いただきたく存じます。 よろしいでしょうか?よろしいですね。はい、次の議題」といった調子。 この間、渡されたばかりの40数ページの資料に目を通すことができる時間は 、わずか数秒程度。要するに、何かの法的根拠を満たすための アリバイ作りみたいな会議である。 俺サマは資料をテーブルの上に放りだして、ぼんやり数学を考 えてたりしていたが、それにしても今日の議題は「なんだかなあ」 って感じ。

6年前に俺サマが学科長をやってた時に、あれほど色々な学科の 猛反対や疑義があったにもかかわらず、当時の学部執行部が強引に 進めた組織改革が、結局5年で失敗したということで、元に戻すた めの事務手続きが今日の議題。失敗の原因も碌な説明は聞いてないが、 「そんな事、最初から分かってたことじゃないか」みたいなことのようだ。

あの組織改革後の5年間で、それなりにいいこともあったのかも 知れないけど、当時学科長として、強引な学部執行部と、下手すれば 学科が解体されるかもしれないというのに、他人事のように全く無関心 な数理科学科の同僚たちとの板挟みで、独りやきもきして疲弊してた俺サマ としては、今日のセレモニーを前にして「あの騒ぎは一体何だったのか」 と思う。

会議は20分程度で終わり、すぐに帰宅。明日は採点作業が無いの で、夕食後、すこしワインなどを飲みながらのんびりし、その後、 少し数学。ここ数日早起き続きで眠いので、今日は早く寝る(積り)。

2012年2月6日(月)
<<学休期間ダイヤ>>
昨夜遅く、計算機屋時代の先生の定年退官記念メッセージを メールで送る。俺サマは数学に転向してしまったけれど、メーカー勤務の 計算機屋時代に、その先生から直接間接に指導を受けたことが、研究者としての 今の俺サマの基礎になっている。そのことに対する感謝の言葉などを 書いておいた。

ところで、頭の緩い俺サマが、今日どうにかこうにか数学研究者として やっていられるのは、俺サマの学部時代の指導教官が、数学科に特有の あの底意地悪さの極致とも言える厳しい指導をしてくれたお陰でもある。 しかし元指導教官に感謝する気持ちはあまり湧いてこず、むしろ「あの野郎、 くたばりやがってせいせいしたぜ」ぐらいに思ってしまうのは、何故かしら。

本日、入試採点3日目。今日は8時過ぎに自宅を出た。 南草津からのバスは、通常は電車の到着に合わせて乗り継ぎが スムーズになっているのだが、今日はもう学休期間ダイヤになっていて、 日曜日と同じく10分ほどバス停で待たされた。

大学で何か催しがあるのか、学生ともオジサンともオバサン ともつかない、中途半端で微妙な年代層の人たちが大量にバスに 乗り込んできた。大学に向かう途中にある某大手家電メーカ の事業所に向かう人たちかと思いきや、ほぼ満員状態のまま大学 に到着。乗客たちは広いキャンパスのどこかに消えてゆき、何が どうなっているのかは不明。

採点作業は9時半から始まり、16時頃まで行われたようだが、 俺サマは15時半から就職委員関係の来客があったので、途中で抜け出す。 16時に来客が帰り、キャリアオフィスに報告書のメールを出してから帰宅。

帰宅して夕食後、夜はラクトスポーツプラザへ。楽しいZUMBA といつもの筋トレメニューをこなし、明日の朝も早いので、早目に 退散。夜更しもほどほどにして、寝る(予定)。

2012年2月5日(日)
<<書簡集>>
入試採点2日目。今日は少し遅く、8時40分頃に自宅を出る。 昨日はまだ入試をやっていて、南草津から大学への臨時バスが出て いたが、今日は普通の日曜日なので、バスの本数が少なく、寒い バス停で少し待つことになった。

採点作業中は大学に半監禁状態になり、昼食も決められた 2か所のいずれかでとる。当日の朝整理券が配られるが、 1つは琵琶湖ホテル直営レストラン、もうひとつは生協食堂。 ホテル直営店の方が人気があるが、俺サマは断然生協食堂の 方が好きで、そちらの整理券を選ぶ。

その理由のひとつは、ホテル直営店は狭いため、同僚の オジサンたちと相席になるからである。何で昼食の時まで 職場の人間の顔を間近に眺めていなきゃならんのだ?と。 酒の席などで「今日は飲むぞ!」みたいなモードの時は いいけど、素面で仕事関係者と飯を食うなんて、まっぴらである。

もひとつの理由は、手狭なレストランはすぐに一杯に なるので、隣の会議室が急遽レストラン分室として使われる。 殺風景な会議室での昼食って、何だか警察の取り調べ室で刑事に とってもらったカツ丼を食べてるようでもある。これも 御免こうむりたい。

今日の作業は午後の早い時間に終わったので、すぐに 大学を発つ。と言っても、日曜日なのでバスがなかなか来ない。 ラクト山科で赤ワインを一本買ってから帰宅し、数学。グラスマン 多様体の接ベクトル空間がわからなくて困り果てる。どの本も いい加減なことばかり書いてあるから、困る。これが分からない と、年明けから取り組んでいる謎だらけのプレプリントの解明が 進まないんだけど。

寝る前に読もうかしらと思って、長い間大学の研究室に眠っていた Correspondance Grothendieck-Serre (グロタンディックとセールの 往復書簡集)を持ち帰った。フランス語の本だけど、折角毎週ちょっと ずつ不機嫌な思いをしながら関西日仏学館に通ってるんだから、 少しは読めるようになったかな、と。

俺サマは馬鹿だから、馬鹿が大嫌いな数学者と往復書簡を 交わしたことはないけど、互いに第一級の才能を認め合った グロタンディックとセールが一体どんなやりとりをしていたのか、 ちょっと興味のあるところ。

2012年2月4日(土)
<<早起き>>
今日から入試の採点。支度をして8時過ぎに自宅を出る。 早起きしたので、眠い。大学教師になってからは夜型の生活が中心で、 8時に自宅を出るのは、かなり早い方である。

Ritsに着任した最初の2年間は、週に1,2度、俺サマには 全くちんぷんかんぷんの電気実験を無理矢理担当させられて、それが 朝9時から始まるので8時前には自宅を出なければならなかったが、 あれは結構しんどかった。まあ、これは半ば、俺サマの採用人事を快 く思わなかった一部教員の嫌がらせみたいなものだったけど、入試の採点はそう ではなく、どこの大学でも同じだろうけど、ほとんど全教員が動員 される通常の業務である。

今日の作業は16時頃に終わり、17時の学科会議まで研究室 でしばし数学。会議は1時間ほどで終わり、すぐに帰宅。夜はまた 少し数学。しかし明日の採点作業もあるので、早目に寝る積り。

昨日依頼が来た可換環論の論文査読の依頼は、「自分はもう この分野の専門家ではないから、論文の内容について正しい判断が 下せる自信がない」という理由で丁重に断っておいた。 アメリカ数学会とヨーロッパ数学会のレビューの仕事も、そろそろ 切ろうかしら。やっぱり過去のことはスカッと忘れて前に進みたいしね。 その割には、昔苛められたことはいつまでも執念深く覚えているけど。

2012年2月3日(金)
<<老人と節分祭>>
昼過ぎまで自宅で数学。それから百万遍の新福菜館を目指して自宅を出る。 東山三条からのバスが大変で、おびただしい数のありとあらゆる年寄りが 乗り込んで来て、バスはぎゅう詰め。そして京大正門前でどっと降りたかと 思うと、それと同じ数のおびただしい数のありとあらゆる年寄りが、どっと 乗り込んできた。何かと思えば、昨日と今日は吉田神社の節分祭。

そういえば昨日も東大路のバスはかなり込んでいた。大量の観光客や 参拝客を当て込んで、沿道にはたこ焼きなどの屋台の他に、関西日仏学館の ル・カフェもポトフやケーキなどの出店を学館の前に出し、さらには、 最近ほとんど休業状態だけどレストランもやっているドイツ語寺子屋も、 昨日今日は店を開けたようだ。大量の人出を当て込んで、盲導犬育成の 書名活動などもやっていた。

吉田神社の節分祭は、勿論、学生の頃から知っていたが、当時から人の 多さに嫌気がさして、あまり近寄らなかったように思う。方相師と鬼の踊り、 つまり追難の会が見ものだけど、開演の時間が限られており、その時は その時でまた物凄い人出だろうしということで、一度も見たことがない。

新福菜館のセットメニューには、小ラーメンが付くものと並ラーメンが 付くものがある。今日店に入ってみて、店長がラーメンを作る態勢になってたら 並ラーメン付きのメニューを、そうでなければ小ラーメンで様子を見ること に決めていたが、結局、並ラーメン付きにした。やはり店長ラーメンは美味い。

昼食後は京大数理研図書室に籠って夕方まで数学。勿論、来たときと帰る ときには「トラちゃん」こと数理研猫を表敬訪問した。最初は外に出て 日向ぼっこをしていたが、帰りに寄ったら、どこかに散歩に出たのか、不在。

夕方、数理研を出て関西日仏学館図書室へ。そこでしばしフランス語の 勉強。それから隣の京大ルネで早目の夕食を軽く済ませる。

ルネの食堂では、無銭飲食の爺さんが店員に拘束されて尋問を受けていた。 カフェテリア方式で1500円相当分ぐらいの料理をとってレジに行き、 500数十円しか持って無かったので、一体どういうことだ?という騒ぎに なったようだ。爺さんは、のらりくらり要領を得ない受け答えを繰り返して いるようだった。俺サマが夕食を終えて店を出る頃も、まだ拘束されており、 どうやら店の人は警察を呼ぼうとしているようでもあった。

それから19時から21時過ぎまで、関西日仏学館でフランス語の授業。 まずは日常会話の練習。「先週は何してた?」誰かが答えると、「ユキヒデ、 さらに何か質問は?」と。しょうがないので適当に何か聞くと、「さっきの ××さんの答に対して、さらに追加の質問をしなさい」と。知らんがな、 そんなん(怒)。俺サマは他人サマには根ほり葉ほり聞かないことにしてるの! それは何故かというと、俺サマは自己チューだから他人の事にはあんまり 興味がないし、もし興味があっても、職業上の習慣から徹底的に尋問して しまって相手を追い詰めてしまうのを避けるために、少数の答 から色々推察して、実際に聞き出した以上の情報を集めるようにしてるから。

やっぱり初級レベルの会話練習は、俺サマの性分に合わないな。 ま、しかしこれも、中・上級レベルに進む前の「雑巾がけ」と思って 我慢するしかないか、と。そんなことを思いながら、帰りは京都市役所前駅 まで徒歩。

吉田神社の節分祭は、21時を過ぎてもいよいよ佳境らしく、 東一条と東大路の交差点のあたりは大変は人出で、東一条の神社への参道 は屋台の灯りが煌々と照り、客待ちのタクシーは長い 列を作り、警官が「横断歩道を渡ってください!」と連呼しながら、 大量の通行人を誘導していた。昼間に集まった参拝客は、平均年齢75歳程度と みたが、夜の参拝客の平均年齢は50歳台ぐらいに下がっているようだった。 寺子屋レストランの前を通ってみたが、先生の狙い通り多くの客で繁盛 しているようだった。

東大路を後にして川端通りに向かって歩いていると、向うから無銭飲食 未遂の爺さんが歩いてきた。「542円しか無いから、お金が足りないやて?! えー!なんじゃそりゃ!?」などと大声で話しながら歩いており、今日の出来事 の思い出に耽っているようだった。

ゼスト御池のコンビニで、軽めの夕食を補うために ローカロリー・クリームパンなるものを買って食べてから、地下鉄に乗って帰宅。

帰宅したら、可換環論の論文の査読を依頼するメールが届いていた。 何を今さら、"Je marche plus loin."だよ。 可換環論なんてもう忘れてしまったから、レビューぐらいなら今でも出来るけど、 査読はキツイな。俺サマが可換環論の専門家だった時には全然依頼が来なかったの に、何で今頃になって言って来るんだよ。だいたい俺サマは、関西日仏 のフランス語の授業の後は、諸般の理由ですこぶる機嫌が悪いんだから、 こんなメール出して来るなっつーの (怒)。

明日から入試の採点なので、早目に寝ることにする。

2012年2月2日(木)
<<最高気温1度>>
最高気温が1度という、亜熱帯ニッポンには珍しく寒い1日。 でも俺サマはベルリンで最高気温マイナス11度を経験したから、 平気さ、と。

今日は午後から卒研ゼミがあるので、支度をして家を出ようかと したところで、学生からメール。風邪をひいたから、今日は休みます、と。 それで明日の午前中に予定していた野暮用を急遽繰り上げて、今日 片付けることができた。

それから百万遍に移動。新福菜館で昼食。ここんところ衝撃真っ黒 スープが妙に薄くて、俺サマとしてはやや不満だった。それで「今日も薄かっ たら、もうチャンスはないぞ」との決意で店に入る。ところが今日は店長 が直々にラーメンを作っていたので、以前のような美味いラーメンにあり つけた。

昼食後は、京大数理研図書室に籠って数学。暖房がない寒い書庫で、 司書の人たちが何やら作業をしていた。家庭用電気ストーブを使っていたが、 それだけではおっつかないだろうに。トラちゃんこと、数理研猫は、 俺サマが来た時は散歩中のようだったが、帰りに立ち寄ったら、 ソファーの上の毛布の山の潜り込んで昼寝をしていた。

夕方、山科区内の書店で「問題な日本語、その4」(北原保雄編著)を 購入して帰る。パラパラと立ち読みしてから帰ろうと思ったのだが、 表紙に描かれている吊り目のキツネが妙に気に入って、結局買ってしまった。

夜はラクトスポーツプラザ。骨盤矯正ヨガをやってから有酸素運動を 40分程度。帰ってから、深夜は明日のフランス語の宿題を片付ける。

2012年2月1日(水)
<<メッセージ集>>
寒い朝。かなり寝坊。昨日書いた最終講義の件で、続報が届いた。 計算機屋時代にお世話になった先生の方は、先生の本務校で複数の定年退職者 を一緒にした催しの他に、弟子筋が集まって小さな研究集会とパーティーを開 くとか。さらに、そのパーティーで先生に渡すメッセージ集を企画しているら しい。俺サマとしては、研究集会やパーティーは参加せずに、このメッセージ 集用に挨拶文を送ることにした。集会やパーティーに行けば、昔の同業者たち に会えるかも知れないが、何となく、行けば美しい思い出が壊れるような気が するし。

それから朝、新聞を見ていたとき、ふと先週の日曜日まで京都駅の ギャラリーでやっていた、現代日本画の展覧会に行くのをすっかり忘れていた ことに気付いた。1枚とても素晴らしい絵があるようなので、ぜひそれを見た いと思ってたのだが。。。しまったなあ。

昼頃から数学。昼過ぎに街に出て、久しぶりに河原町三条の丸亀製麺で昼食。 JEUGIAの店員さんも昼食に来ていた。14時頃だったのに、満員御礼状態 がしばらく続いていた。

昼食の後は、寺町通りの上島珈琲に籠って、しばし数学。隣の席に、この辺りの 人のようだが80歳前後の老夫婦が居て、妻の方はずっと親戚たちの悪口を言っ ていた。夫はそれを聞いている風でもあったが、どうやら耳がかなり遠いらしく、 それが幸いしているようだ。反対側の隣の席は、ウチの大学の文系の先生らしく、 学生のレポートを採点していた。また、俺サマのすぐ近くには、例の数学オバサン も居て、例によってレポート用紙にちくちくと数式を書いていた。

夕方頃、上島珈琲を出て,JEUGIA三条本店を偵察。バロック音楽で2 つばかり面白いCDが出ていた。1つはDavid Kellnerとかいう作曲家のリュートの 曲、もうひとつはヴィヴァルディのフルートの曲をリコーダで演奏したもの。 先日衝動買いで2枚買ったばかりなので、しばらくは購入を控え、調査を続行 しよう。

それからAngers河原町三条本店を偵察してから山科に戻り、ラクト山科 で赤ワインを1本買って帰る。ラクト山科では、例の「あーあ、何にもすることが ないなあ」オジサンが、同年輩ぐらいの怪しいオジサンと、地下の食料品 売り場のベンチに座って世間話をしていた。

夕食後、夜はまた少し数学。

フェースブックの方は、俺サマが管理者をやっている非公開グループ の方が低調になってきて、投稿してもあまりコメントも集まらないので、 今は誰かの投稿に散発的にコメントして遊ぶ程度にとどめている。ああいうも のは、投稿して誰もコメントしてくれないと、けっこうへこむもので、 精神衛生上あまりよろしくない。

しかし、そうこうしているうちに、今日は会社員時代の元同僚が フェースブックを始めたことが分かり、すこし連絡を取り合ったが、 これでまた少し面白くなるかも知れない。