の
た
め
の
邪
魔
な
広
告
よ け ス ペ ー ス で す。
2012年2月29日(水)
<<俺サマ予想>>
まだ2月。うるう年なので、1日トクした気分である。
午前中から午後にかけて、自宅で数学。午後は京大に出掛け、 ルネで3時のおやつのような時間に軽く昼食。理学部のある 北部キャンパスの門のところには、俺サマがまだ馬鹿学生だった 頃、講師から助教授(現在の准教授に相当)に昇進したばかり だった先生の、最終講義の看板が出ていた。ああ、あの先生、 もう定年なのかと、ちょっと感慨に耽る。
今年は知ってる先生の定年ラッシュだな。
それから数理研へ。まずは「トラちゃん」こと数理研猫を 表敬訪問。猫はお目覚めのご様子で、その辺をうろうろしたり、 キャットフードの餌を食べたりしていた。「帰りにまた寄るよ」 と言い残して図書館に籠り、しばし数学。夕方、再び立ち寄 った時には、毛布にすっぽりくるまって昼寝をしていた。 昼寝をしている猫は、体をさすっても、頭をなでても、耳に 指を突っ込んでやっても、「うるさいなあ」みたいな顔をする だけで、決して起きない。
京大農学部前からバスで河原町三条に出て、JEUGIA三条本店 を偵察の後、地下鉄で山科に戻り、ラクト山科で赤ワインを1本買って 帰宅。夜はまた少し数学。
そういえば、来年度から院生が一人入ってくることになった。 2,3年前にたてた「俺サマ予想」によれば、定年までの10数年間に 院生は高々2名しか入ってこないはずなので、彼が俺サマの最後か、 あるいは最後から2番目の院生となる模様。
ちなみに、俺サマは馬鹿だから大学院を出てない。 つまり大学院生として誰かに指導を受けたことがない。 さらに、俺サマは基本的に学生に毛嫌いされるタイプなので、 (旧)情報学科時代の8年間で院生は7名、数理科学科 に移ってからの12年間でも、僅か3名の院生を指導しただけである。
以上のことから、院生をどう指導するか、はっきりした考えはない。 これまでの僅かな経験からわかることは、学生の尻を叩いたり首に縄 をつけて引っ張ろうとして頑張っても碌なことはなく、むしろ彼らを 適当に泳がしておいた方が良い成果が出るし、こちらもその方が楽だと いうことぐらいである。あとは出たとこ勝負。
2012年2月28日(火)
<<隠れ引き籠り症候群>>
12時からパワーランチ会議があるので、11時半頃に出勤。しかし
色々な行き違いや思い違いから、結局会議に出ることはなくなり、
事務の人と電話で簡単に打ち合わせをして、資料だけ送ってもらうことになった。
それで、いかにも消化に悪そうなパワーランチではなく、心静かに生協 食堂で昼食をとり、午後は研究室で数学。そして17時から教授会。 31の形式的な議題や連絡事項が1時間13分で高速審議・アナウンス されるという、なかなか手際良い会議であった。
会議の後、研究室に戻って少し雑用の後、帰宅。夜は少しワインで 呑んだくれてから、昼間に大学で書いたTeXファイルの整理など。
フェースブックを始めて5ヶ月以上経ったが、これは専らプライベート に楽しむものとして、同僚や学生など、仕事関係者からのリクエストは全部 断ることにした。
大学教師になる前は、それほど仕事とプライベートを区別していた わけでもなく、今も昔も会社員時代の友達とはちょいちょい遊んでいる。 これは仕事の仲間の一部がプライベートな友人でもあるという、世間で よく見られる普通の状態かと思われる。
しかし、大学に移って以降は色々紆余曲折があり、学科長やって 「脳が歪」んだり、計算機科学から数学に転向して「自虐の病」が進行 してからは、特に仕事とプライベートの峻別志向が強くなっている。 これは一種の隠れ引き籠り症候群ではないかと思われる。
大学に行けば学校運営のにっちもさっちも行かない問題で頭が痛いし、 学会に行けば馬鹿が大嫌いな数学者たちの地雷を踏みはしまいかと戦々恐々。 ああ、世の中って怖いよう(数学者は特に怖いよう)!ウチの中でずっと 引き籠ってヌクヌクしてたいよう!と。さりとて、おマンマも食べていかな きゃならんから、引き籠ってるわけにもいかんだろうということで、 出勤してお仕事して帰ってくるのである。だから、物理的に大学を離れている 時は、プチ引き籠り気分全開で行きたいものだ、と。
2012年2月27日(月)
<<受け身が上手い>>
11時半からある作業会議があったので、11時過ぎに出勤。作業は割合すぐに
終わり、その後、例の悩ましい問題について学科長からの報告の後、
少し協議。この件について、俺サマは個人的に水面下でいろいろ肩入れしてたことがあったが、結局どうに
もならないと判断し、ずいぶん前に匙を投げてしまった。こういうことは、
学科全体で知恵を出し合っていくしかないのかな、と。
会議の後、生協で昼食。それから研究室で夕方まで数学。科研費などで これまで代数幾何学関係の本をかなり買い集めたので、研究室に置いてある本 を色々探していると、思わぬところから今知りたいことが書かれた本が見つかる ことが多い。今日もそんな本を1冊持ち帰る。
帰宅後、夜はラクトスポーツプラザ。今日は楽しいZUMBAと筋トレ。
ところで、またまたドイツ人の話。連中は日々意見を交換し合うことに 慣れているわけだから、当然、自分にとって都合の悪い意見を聞くことも 多いことだろう。そのためかと思われるが、連中は日本人に比べて受け身が 上手いというか、こちらが不満なり抗議なり批判なりを したときの態度に独特なものがあるように思う。
おい、そんな事やられちゃあ、困るじゃないか。もっと、こうしてくれな くっちゃ!みたいな事を言うと、日本人ならたちまち不機嫌になって逆切れ するか、黙りこくって無視を決め込むか、平身低頭な風を装いつつも、 目がつり上がってたりするものだ。
しかし、ドイツ人 -- すくなくとも俺サマがあちこちで観察した数名規模の オジサンのサンプル--- はそうではない。一応、難しい顔をしてみたり、あるいは 時にニヤニヤしながら、「ヤ―、貴方の言うことはよくわかりますよ。でも、私と しては云々かんぬん」みたいな感じで妙に調子良くべらべら喋り、結局のらり くらりとかわされるか、相手の都合で押し切られれるか、あるは「じゃあ、こうす るってことで、どうだ?」と解決案を提案されたりする。逆ギレ日本人と違って、 場馴れしているなって感じ。子供の頃からそういう世界で鍛えられてるんだろうし、 彼らのこういう態度には文化を感じてしまうな。
そういえば、今日、ふと、「俺サマは数学研究をしているけど、数学者 なんかじゃない!」と主張する俺サマの日誌のタイトルが「夢見る数学者」 ってのは、どうよ?と気になってきた。これは数学者という人種を尊敬し、 憧れていた頃につけたタイトルで、今は、「人間、いくら何でもあんな風に なってしまってはいけない」ぐらいに思っているので、タイトルを変えない といけないかなと思いはじめた。新タイトルを何にするか、考え中。
2012年2月26日(日)
<<犬の無駄吠え>>
午前中は京都新聞日曜版の2つのパズルを解きながら、
テレビで東京マラソン中継を見たり、ネットで記録をチェックしたり、
応援メッセージを送ったり。俺サマの会社員時代の友人が出場している
ので、ちょっと気合いが入る。出場直前に怪我をしていて、完走も
危ぶまれていたが、結局3時間40分を切る好タイムで完走。
昔から凄い奴だと思ってたが、やはり凄い。
それからラクト山科に買い物に出て、帰ってから昼食。 その後、夕方まで数学。夕方、散歩がてらにまたラクト山科へ。帰宅後、 夕食。東京マラソンの友人からメールが来て、3月の京都マラソンにも出る のだとか。これは応援に行かないといけないなと、京都在住の別の会社員 時代の友人に「一緒に応援に行くか?」とメールを出す。
夜もまた少し数学。途中、ちょっと気が向いて、いま解読中の超難解 論文の著者をネットで検索していたら、去年の秋に急死していたことが判明 した。ちょっとショック。次にサバティカルが取れたら、この人の所に 押しかけてしばらく滞在しようかとか、その前にこの論文について 質問メールでも出そうかしら、いや、待てよ、相手は数学者だから質問メールを 出すのは慎重にやらないと、また酷い目に会いかねないなとか、 色々考えていた矢先だったのだ。
そういえば、前回のサバティカルでドイツに行ったけど、最初マックス プランク研究所に応募して蹴られ、その次はエッセン大学の某有名数学者の所 に行こうと思って打診メールを出したら、快諾してくれて、じゃあ行こうかなと 思ってた矢先に急死してしまい、結局オスナブリュックに流れついた。目をつけた 数学者が次々に急死するところをみると、俺サマってもしかして死神?
ところで、昨日ドイツ語寺子屋で先生に、「何で西洋人って自分の意見を 矢鱈滅多羅自信満々に話すんだ?意見には確かな根拠が必要だが、彼らの意見の 全てにちゃんとした根拠があるとは思い難い。あの根拠のない自信は一体 何処から湧いてくるのだ?」と質問してみた。
その答は、俺サマの理解するところでは次の通りであった。社会の基本構 成要素は個人であり、個人がひとりひとり自分の小さな頭で考えて自分なりの 意見を持ち、それぞれの意見を互いに述べ合い、議論しながら、 より正しい意見に深めていく。そのことによって社会が動いていく。 それが西洋の個人主義というものである、と。自分の意見が正しいかどうか、 ちゃんとした根拠があるかどうかではなく、とにかく自分自身が考えることが、 社会の一員としてとても大事なのだ、と。
西洋の個人主義の考え方は、別に目新しい話ではなく、高校生ぐらいの頃 に聞いて、なるほどと思った覚えはある。しかし今改めてこの話を聞くと、少 なくとも俺サマは、西洋の個人主義とは全く違う考え方で生きていることに気付く。
俺サマは、極端に言えば「自分の意見を誰かに向けて表明することは、 ほとんどの場合全く無意味な行為だ」と考えている。意見は、何かを判断して 物事を先に進める時に表明するものであって、世間話のようにただ単に垂れ流す のは、犬の無駄吠えのようなものであり、躾が足りない恥知らずな人間の することだ、と。
だからドイツ人達がパーティーや昼食の時に、世の中のありとあらゆる 事に対して延々と自分の意見を述べ合っている姿は、俺サマにとっては 単に無意味な会話で時間を潰しているにとどまらず、実に破廉恥で奇妙な風景 にしか見えなかったな。しかし奴らは、自分と社会は互いに意見を交換し合う ことによって繋がっているのだという幻想(だと俺サマは思うのだが)を共有し ているから、ああいう無意味な言語活動を嬉々としてやっているのであろう。
2012年2月25日(土)
<<日本人の美徳>>
午前中はドイツ語の宿題を大急ぎで片付け、それから百万遍界隈に
繰り出す。まずは京大ルネで昼食。今日は国立大学の入学試験らしく、
ルネ食堂には受験生の親が昼食をとって、子供の試験が終わるまで
時間を潰していた。その親を狙ってルネの外でなにやらチラシを配ったり
勧誘をしたりしている者もいて、俺サマも「受験生のお父様でいらっしゃ
いますか?」などと声をかけられた。受験生のお父様とは何事だ?!
俺サマがオッサンだと思っていい加減なことを言いよるわい、と思って、
手で「違うよ」という合図をしたら、「あっ、失礼しました」だと。
これからは、ちゃんと人を見て声を掛けるこったな。
それから関西日仏学館の図書館に籠って、夕方までフランス語の勉強 をしたり数学をやったり。そして16時40分から18時10分まで、ドイツ 語寺子屋で授業を受ける。今日のテーマは日本人とドイツ人の違い。 ドイツの大学で副学長をやった日本人女性へのインタビュー記事。 これからドイツに来る日本の若い人へのアドヴァイスとして、 「日本で美徳とされる遠慮や礼儀で黙っているのは、ドイツ人には全く 理解されないことを肝に銘じよ」と。
何も若い人でなくたって、オジサンである俺サマにとっても十分耳の 痛い話で、「やっぱり、そうか」と厳粛に受け止める。ただ、若い人なら 「そりゃあ大変だ」と思って一生懸命ドイツ人に合わせようとするだろう けど、俺サマはフテブテしいオジサンだから、「んなもん、この奥ゆ かしい日本人の沈黙が分からないドイツ人の方がアホなんだから、そんな 連中はほっとけばよろしい」と考える。
で、ドイツでどうしてたかというと、毎日「偵察飛行」を繰り返して、 ホームレスのオジサンと心の会話をし、古い教会で自らと語り合い、 ドイツテレコムと闘い、同じ係なのに人によって何が必要書類か言うことが 違う外人局の役人たちを叱り飛ばし、それはそれは楽しい日々を すごしたというわけだ。
もっとも、俺サマの場合、特に仕事関係の場所では直接仕事に関係 する話以外は一切しないので、日本人の美徳というよりも、ただの変な オジサンという方が正しいんだけど。
それに、俺サマは、目の前の相手に対する興味や共感性というものが、 かなり乏しいような気がする。若い頃はそれほどでもなかったような気 がするので、加齢に伴う進行性人格障害かも知れない。こういうタイプは 長生きすると面倒臭い爺になりそうだが、だからと言って早死にしたいとも 思わないんだけど。
今日ふと思い出したのだけど、オスナブリュックで受け入れ側の先生が、 「クリスマス休暇で実家のある街に帰る」と言いだした時、俺サマは 「あ、そう」と返事しただけだった。しかし、その後、関西日仏学館で 嫌嫌やっていた会話練習の経験から考えると、こういう場合、余程相手 に不快感でも持ってない限り、「実家でどんなクリスマスをすごすのか」 とか「日本ならこんな感じだぞ」とか、色々会話を膨らますものだろうと思う。 でも、そういう事が分かった今でも、「そんな会話の一体何が面白いのか?」 と考えてしまうところに、俺サマのおかしさがあるわけで、 これは日本人の美徳とはちょっと違う。
ついでに今思い出したけど、その先生、俺サマが日本に帰る前日に珍しく メンザでの昼食に誘ってくれて、「日本に帰ったら、まず何がしたいか?」 に始まって、色々聞いてきたのだが、あれは関西日仏学館流に会話を膨らま せようとしていたのだろう。こういう時は、聞かれた事以上のことも答えた り、相手に聞き返したりして話を膨らますことが肝要と関西日仏学館で習った。
しかし、今でもそう思うのだが、当時の俺サマも「飯食ってる時に何で そんな面倒臭いことをしなきゃならんのだ」ということで、聞かれたことだけに 簡潔明瞭に答えていた。すると相手は何かの思惑があってか、この時間だけは なごやかな会話をしたという形にしたかったようなので、勢い会話は俺サマに 対する質問が多くなる。それで俺サマは、「五月蠅いなあ。何や、さっきから 一体?!人のこと根ほり葉ほり聞きよって。普段はドイツ人らしく、俺サマを 放置して1時間でも勝手に誰かと喋くってるくせに、急に日本人の真似を始め たのか?いいから、昼飯ぐらい静かに食わせろや」と内心かなり機嫌が悪かっ た。そういう俺サマって、やっぱりかなりおかしい。
寺子屋を出て、京都市役所前駅まで徒歩、それからJEUGIA三条本店 を偵察してから、地下鉄で帰宅。途中、ラクト山科で赤ワインを1本購入。 夜はワインですこし飲んだくれる。
2012年2月24日(金)
<<修士論文公聴会>>
昼前に出勤。15時から始まる、代数系の修士論文公聴会の前にすこし雑用。
科研費で買った書籍の検収、書類不備で戻ってきた領収書と新しい領収書の
処理など。これで科研費はあと1800円ちょっとを残すのみで、ノートなど
の文房具でも買おうかと思う。
それから研究室でしばし数学の後、公聴会へ。数論関係の3件の発表が あったが、俺サマとしては、連分数と無理数の関係や楕円曲線の自己同型環、 保型関数について、「へーえ、そうだったのか」という新しい知見が得られて 勉強になた。
公聴会の良いところは、「俺サマは教育的見地から、わざと講演者の 学生に対してボケかまし質問をしてるんだ」という顔をして、堂々と 馬鹿質問ができることである。別にわざとやってるんじゃなくて、 俺サマは馬鹿だから馬鹿な質問しかできないのサ。しかし、どの質問に対 しても、大抵の場合、学生ではなく、指導教員の先生が分かりやすく懇切丁寧 に答えてくれる。
もう定年退職してしまったけど、以前は俺サマが馬鹿質問すると、 「そんな事、当たり前じゃないですか!」とマジに怒り出す先生が居た。 その先生は常時「数学者モード」の人だったら、馬鹿を見て腹が立つの は自然な生理現象だったのだろう。しかし、多くの先生は公聴会では 「先生モード」になっているので、俺サマのような馬鹿に対しても寛容 になれるのだろうと思う。
公聴会の後、ひきつづき修士の学位判定会議。今日の会議はそれで 終わりのはずだったが、引き続き学科会議になって、以前から繰り返されて いる、そして今日もまた繰り返され、将来もまた繰り返されるであろう、 ある悩ましい問題について、厳しい意見が飛び交い、当面の対応措置が学科長 に委ねられた。
17時半頃に会議が終わり、研究室で帰り支度をしていたら、ある事 で署名を求めに他学科の某先生が入ってきた。俺サマは既にメールで署名の主旨 についてのアナウンスを読んでいたが、現実問題としてそういう事に意味が あるのかも知れないが、話の筋としてどうも納得が行かない署名なので、 「この署名の主旨には賛成できない」旨を伝えて帰ってもらった。
今日は関西日仏学館でフランス語の授業を受ける日。大学から関西日仏学館 までは、ドア・トゥ・ドアで1時間半見ておけばよいが、会議が長引いたり、 署名の対応をしてたりして、結局大学を発つのが17時35分を過ぎてし まった。学休期間でバスの本数が少ないうえに、この時間帯は道路がかなり 渋滞するだろうから、 19時からの授業だとぎりぎりで、夕食の時間も取れそうにない。
ところが運よく大学からのバスや南草津駅からのJR,山科駅からの 地下鉄、東山三条からのバス、これらの接続が奇跡的に全てスムーズで、 途中、山科駅で買ったパン1個を東山三条のバス停で食べる時間も絶妙に 確保され、結局1時間5分で関西日仏学館に着いた。これは新記録である。
フランス語の授業が始まる直前に、同僚から何だかよくわからない電話が 掛かってきたが、適当に応対した。
21時過ぎに関西日仏学館を出て、夕食の足しにコンビニで小さなパン を1つ買ってその場でほおばり、京都市役所前駅まで徒歩。それから 地下鉄で山科に帰る。
2012年2月23日(木)
<<春の猫>>
昼過ぎまで自宅でごそごそと。午後は京大界隈へ。まずはルネで遅めの昼食
をとり、書籍部で科研費の残りで買う本を選定したあと、京大数理研へ。
数理研で、まずはトラちゃんこと数理研猫を表敬訪問。今日も昼寝はして おらず、昨日と同じく、屋外に置かれている猫の毛だらけのソファーの背もたれ の上に座って、ぼんやりしていた。どうやらこの場所が気に入ってるらしい。 今日は特に頭を撫でよだの、横っ腹をさすれだのと催促するでもなく、 ただ座ってにゃあにゃあ言うだけだった。
それから図書館に籠り、しばし数学。今日は昨日とは別の怪しいオジサン ---と言っても俺サマよりは若そうだが--- が来ていた。彼は以前、関西日仏学館の図書室に通って、フランス語を独学 していたことがある。数理研図書館で見掛けることは稀だが、以前見たときは 高校数学の参考書か何かを見ていた。しかし今日は量子科学だか数理物理だかの 本を眺めていた。
この図書室に若い人が居ても、「ああ、数理研の賢こそうな兄ちゃん 姉ちゃんがおるな」ぐらいにしか思わず、特に気にも留めていないが、 オジサンが現れると、いきなりスクランブル緊急発進モードになり、 こやつ何者か?とか余計なことをしでかさないか?とか神経をピリピリ させる俺サマって、よっぽどオジサンが好き?って、んな訳ないだろうが!
帰りに猫のところに寄ったら、まだ同じ場所に座っていた。どこかしら春を 感じさせる陽気になってきたので、猫も毛布にくるまって居眠りするかわりに、 こうやって春の風を楽しんでいるのだろうか。「また来るからな」と言って、 数理研を去り、ルネの書籍部で昼間に探しておいた多様体論の和書を購入。
今日もまた京大正門前からバスに乗り、東山三条経由で帰宅。 夜はラクトスポーツプラザへ。骨盤矯正ヨガと有酸素運動を40分ほど。 帰宅後、フランス語の勉強を少し。
2012年2月22日(水)
<<幸福な猫>>
昼過ぎまで自宅で数学。午後は京大界隈へ。まずはルネで遅めの昼食。
それから、科研費がまだ4000円程度残っているので、和書の専門書
でもと思い、書籍部を偵察。しかし適当なものは見つからず、京大数理研へ。
数理研で、まずはトラちゃんこと数理研猫を表敬訪問。今日は昼寝はして おらず、いつもの住処でぼんやり座っていた。俺サマが近づくと「にゃあ、 にゃあ」と愛想を言いながら、頭を撫でよとか、横っ腹をさすれとか、催促 してきた。しばし猫と遊んでから、図書室に籠り、夕方まで数学。
数理研図書室には、よく見掛けるオジサン数学者がいた。俺サマと同じように、 閲覧室の机で数学をしているのだが、唸り声を出したり、鼻息を荒げたり、 舌打ちをしたりといった具合で、黙っていても何やかやと妙な音を出して、 無意識に己の存在を誇示する暑苦しさは、典型的なオジサンである。
数理研の帰りにまた猫の所に言ったら、毛布をすっぽり被って昼寝を していた。こいつはつくづく幸福な猫だなあと思う。俺サマはこの猫に 負けないぐらい幸福なのだろうかと少し考えてみたが、馬鹿なくせに 自分の好きな数学を研究して暮らしていけるんだから、今は十分幸福 なことは明白だ。
では(数理科学科に移籍して間もない)10年前はどうかというと、 「かなり幸福だけど、微妙」、 (旧情報学科で塩漬けにされていた)15年前は 「かなり不幸」、 (会社員からRitsに転職したばかりの) 20年前はやはり 「かなり幸福だけど、微妙」、 (会社の中で微妙な立場に置かれていた) 22年前は「かなり不幸」だけど、 (国立研究所に出張してブイブイ言わしていた) 25年前は「絶好調」、 (会社に就職した直後の)29年前は 「ほとんどヤケクソ」等等、俺サマの人生は浮き沈みが激しい。この 猫も、今の状態にたどりつくまでに、どんな紆余曲折があったことだろうか。
京大北部キャンパスを出て、今出川通りを南に渡り、本部キャンパスに 入ったところで、某旧制帝大の某有名数学者が文系の研究施設の建物から出 てきた。これはどうしたことかと、早速その建物に入って調査したら、数理研 の分室のような部分が一部にあることが分かった。
それからまた少しルネの書籍部で本を冷やかして、ついでに 関西日仏学館も偵察。たまたま講座の先生が現れて、先週は俺サマが 出張のため授業を休んだので、どこまで進んだか教えてくれた。 そうこうしているうちに約束の時間が来たので、ドイツ語寺子屋に 前回と前々回休んでいた分のプリントを貰い行った。帰りは 雨が少し降ってきたので、京大正門前からバスに乗って東山三条経由で帰宅。
帰宅途中の暗い夜道で、高齢の女性が自宅の前でひとり、雨の中、 大声で呪いの言葉を吐いていた。彼女の自宅は歩道の無い車道に面しており、 玄関を出たらすぐ道路といった感じ。その家の前に沢山の鉢を置いて花を育て ているのだが、それに悪戯をされた事を怒っているらしかった。
夜はまた少し数学。
2012年2月21日(火)
<<退屈するだけ?>>
事務的な用事をするために、午後は大学へ。先週の東大出張報告、昨日買った
専門書の検収と領収書の処理、先日払った今年度分数学会会費の振込証明書の
処理、3月末の数学会出張申請書作成、3月半ばの親和会宴会の欠席届。
来年度の文系一般教養科目の時間割についての事務連絡。
親和会の宴会に出られないのは痛い。かと言って、出張をキャンセル してまで出るような宴会かというと、そうでもない。毎月の積立金が利い ているので、料理や酒は美味いが、兎に角退屈極まりないし。
卒業式の後の謝恩会の出欠届というのも来ていた。以前は謝恩会に律義 に出ていたけど、俺サマの場合、結局黙って飲んで食べて退屈して帰るだけで、 わざわざ出席する意味はないことが分かったので、それ以後は出ないことにし ている。
それに、謝恩会って「恩」に感「謝」する会なんだろうけど、俺サマは ただ淡々と仕事をするフリをして自分の馬鹿治療をやっているだけで、 学生に恩を売った覚えなどないし。
卒業式も同様で、俺サマに関して言えば、別に出る意味はないなと 思っているのだが、これは学校の公式行事なので謝恩会とは事情が異なる。 一時期、卒業式の日は学生に証書を授与したり挨拶をする役目の学科長を 除いて、ほとんど全ての教員が出張などで不在状態の学科が相次いだ。 しかし数年前に学部長通達が出て、「卒業式は重要な学校行事の一つであり、 全教員が揃って学生を送り出すのが原則である。 従って、出張等の予定は極力入れないように」ということになった。
学部と修士の学科別証書授与式で、合計1時間程度、式場の教室の後ろに 黙って立ってるだけの仕事だが、まあ、それはそれで意味があるのかも知れない。 たしかに某大学の卒業式で、式の終わりに式場を出ていく学生たちを、教員たち が全員立ちあがって手を振って見送っていたのには、ちょっと感動したし、 「ああ、いい大学だな」と思ったものである。 まあ、式典とは、そういうものなのだろう。
事務作業の途中、研究室の掃除をしてくれたり、火災報知機の検査をする業者 の人たちが入ってきた。俺サマは誰かが研究室のドアをノックしても、まず返事 せずに放っておく。俺サマがドアのノックに応答するのは、あらかじめ アポイントメントがあった場合だけである。業者の人たちは、部屋に誰も居なくて も合鍵を使って入る権限を持っているので、俺サマがわざわざ返事をしてドアの鍵 を開けに行かなくても勝手に入ってくるし。
夕方、用事が終わってすぐに大学を発つ。帰宅後、夜は少し数学。
2012年2月20日(月)
<<東山三条の火事>>
また「あの」シリーズの瞬間的復活である。
エディット・ピヒト-アクセンフェルト(Edith Picht-Axenfeld)の
チェンバロで、J.S.バッハの「ゴールドベルク変奏曲」「イタリア協奏曲」
「半音階的幻想曲とフーガ」が入った2枚組CD.
これは良い!俺サマ激プッシュの断然おススメCDである。
俺サマはゴールドベルク変奏曲が大好きである。 たぶん平均律クラヴィーア曲集よりも好きで、 グレン・グールドのピアノ版を2つ、 バレンボイムのピアノ版を1つ、 カート・ラダーマのクラシックギター版を1つ、 シルバン・ブラッセルのハープ版を1つ持っているが、 チェンバロ版は鈴木雅明のを1つ持っているだけである。 だからもひとつチェンバロ版を聴いてみようか、と。
それから、ある演奏家のブログにゴールドベルク第25変奏が イタリア協奏曲の第2楽章を「彷彿とさせる」と書いてあって、 えーと、イタリア協奏曲ってどんなんだっけ?ということで、 JEUGIAさんのポイントカードの割引期限も迫っていることだし、 イタリア協奏曲も一緒に入っているこのCDを買ったというわけ。 イタリア協奏曲はグレン・グールドのピアノ版しか持ってないし。
本日、科研費の残りで本を買うために、昼前に京大ルネの書籍部 へ。その途中、東山三条近辺で火事があったらしく、10台近くの 消防車があちこちに止まり、道路のあちこちの消火栓やら消防車 同士やらがホースで繋がれ、大変な状況になっていた。もっとも、 火事は消し止められた後しく、消防士たちが後片付けを始めていた。
京大ルネで前から目をつけていた代数曲線の本を買う。もひとつ、 最近岩波から復刻されたカルタンの複素解析の本を買う積りだったのだが、 先週東大生協には2冊ぐらい並んでいたけれど、京大には見当たらず。 今出川通りの吉岡書店の古本も見てみたが、値段は安いけれど紙の 酸化の度合いが酷く、本の綺麗汚いをあまり気にしない俺サマも、 ちょっと躊躇。
それで今出川まで来たことだし、とりあえず新福菜館で昼食をとって、 それから河原町三条のジュンク堂に繰り出そうかと思ったが、何故か 新福菜館は休み。ここは定休日以外でもちょいちょい 不定期に休むような気がする。仕方なくそのまま河原町三条に出て、 ジュンク堂を探したが、やはり置いてない。そこでとりあえず丸亀製麺で 腹ごしらえをしたあと、ジュンク堂四条店に行ってみることにした。 そこで駄目なら地下鉄で京都駅前アヴァンティーブックセンターまで足を 伸ばそうかと思ったが、幸い四条店には置いてあった。これで書籍探し 行脚は終了。
それから寺町通りの上島珈琲にて夕方まで数学。その後、
JEUGIA三条本店で上記CDを購入し、大丸ラクト山科店で
赤ワインを一本買ってから帰宅。夕食後、夜はラクトスポーツプラザ。
楽しいZUMBAと筋トレ。
2012年2月19日(日)
<<人生を半分降りる>>
一晩じゅう変な夢にうなされていたような気がするが、
何の夢だったか、ほとんど覚えていない。
午前中は京都新聞日曜版の2つのパズルを解き、
午後に山科区内に買い物に出た以外は、自宅で数学。
ここ半月ほどさっぱり意味が分からずにのたうち回っていた
某プレプリントの解読が進展し始める。この進展には、
卒研生H君との多様体ゼミが、間接的ではあるが、功を奏している。
フェースブックの友に、「下山の思想」(五木寛之)よりも 「人生を半分降りる」(中島義道)の方が面白いぞと、 何の気なく勧めてみた。コメントを書いてから気付いたのだが、 そういえば俺サマはこの本の主張通りのことをやっている。
俺サマが「人生を半分降りる」を読んだのは10年ほど前で、 人間50歳を過ぎたら社会的身分から少しずつ自分を解放して ゆくべきだというような事が書いてあったと思う。 当時は「自分も50歳を過ぎたら、そうしようかな。でも、 もう少し先の話だし」と思ったのだが、ずっと忘れていた。 忘れていても、ちゃんとその通りにやっていたとうわけだ。
自虐の病を口実に、パーティーには出ない、学会関係のつまらない 社交で頑張らない等々。50歳で代数幾何学に転向したのも、そこで 研究者として野垂れ死んでもいいから、もう好きなことをやっていこう じゃないかと思ったから。やり始めると、ここで野垂れ死んでたまるかと、 結構ギラついてくるのだけど、無理して学会の人脈に入って行こうと 頑張る気は起こらない。そういう事は計算機科学や可換環論の時に さんざんやってきたから、もういいや、と。
2012年2月18日(土)
<<痛ましい>>
研究集会最終日。昨夜寝るのが遅かったので、朝がちと辛い。
9時前にチェックアウトして、いつものように出発し、
いつもの時間に東大駒場キャンパスに到着。80分程度の
昼休みを除いて、10時から16時10分頃まで講演の
目白押し。
東大で研究集会をやると、数学オタクみたいなオジサンが紛 れ込んでいたりするようだ。黙っていると分からないのだが、 講演の後の質疑応答の時にふと手を上げて、中途半端に数学を かじった完璧な素人だということが一発で分かるような質問を して足がつく。そういのもアリだとは思うが、見ていて ちょっと痛ましい。
以前はもっと痛ましいことがあって、 かなり有名な数学者の講演の後の質疑応答の時間に、 「どういう勉強をすれば先生のような 立派な数学者になれるのですか?」という質問をしていたオジ サンが居た。質問された方は顔をひきつらせ、講演を聞いて いた他の人たちは呆れ果てて会場を出て行った。
これが、「何を食べたらそんなに賢くなれるんですか?」 って質問だったら、聞かれた方も「私はカレーが大好物で、 それを毎日のように食べていたからかも知れませんねえ。 イチロー選手もカレーが好きみたいじゃないですか。 へへへ」とかわし、周りも笑って誤魔化せるかも知れないし、 そうでないかもしれない。真面目な人だったら、 そこで「不真面目な質問だ!」と怒りだすんだろうなー。
「どういう勉強をすれば、、、」という質問を、専門的な 研究集会でするのもどうかという話もあるが、それ以前に、 そんな事を聞いて一体何になるのか?という疑問の方が大きいと 思われる。数学者は皆、自分の限界いっぱいっぱいの所でやっていて、 それでも人によって歴然とした差がついてしまう厳しい現実を 受け止めて生きている。だから、「どういう勉強をすれば、、、」 とい質問の絶望的な無意味さに唖然とするのだと思う。
って、他人事のように書いている俺サマはどうなのかというと、 まあ、俺サマはただの馬鹿で、数学者じゃないから、知ーらないっと。
昼休みの東大生協食堂は、土曜日でも平日と変わらぬ 賑わい。学生や教員以外に、俺サマのような来客、あと はわけのわからないその辺のオジサンやオバサンみたいなのも 食べている。学外者が多いのは京大ルネの食堂と同じ状況。 RitsのBKC生協食堂も一般開放されていると思われるが、 何せBKC自体が陸の孤島のようなところなので、学外者は少ない。
そういえば14時過ぎに小さな地震が2度ほどあった。 東西方向に揺れたから、直下型ではないと思ったが、 講演会場は一瞬どよめいた。後で知ったのだが、千葉方面 が震源だったらしい。
会社員時代の友人に、最近は「4年以内に70%確率」という 数字も飛び交っている中、大地震は怖くないかと聞いてみたら、 「まあ、もう50年も生きたんだし」と泰然自若としていた。 東京近辺のオジサンは、度胸が据わってるね。って、1人の 例だけで決めつけていいものかという疑問もあるが、まあ、 いいってことにしておこう。
帰りは品川から新幹線のぞみに乗り、車中は今回の研究集会 で取ったノートを見直して、今後チェックすべき点を 洗い出す作業。京都駅で夕食をとってから、帰宅。 夜はすこし数学の調べものをした以外は、のんびりすごす。
2012年2月17日(金)
<<賢い生き方>>
研究集会3日目。80分ちょっとの昼休みを挟んで、10時から
17時40分頃まで講演を聞く。結構お目当てにしていた
講演もあって、俺サマとしてはなかなか充実した1日だったと思う。
夜は品川で会社員時代の友人達とボウリングをした後、同じく 品川で飲み会。23時頃に解散し、日付が変わる頃にホテルに戻る。
大人になったら友人は作れないから、学生時代に作っておけ ということは良く言われるが、それは本当でもあり嘘でもあると 思う。大学を出てからでも、新入社員時代の同期や、国立研究所 の出向研究員として一緒だった色々なメーカの社員(当時)など とは、今でも「俺、今度東京に行くんだけど」とメール1本出せば、 「じゃあ、また飲もうか」という話になる。その意味で、学生時代 でなければ友人が作れないというのは嘘である。
その一方で、俺サマは40歳を過ぎてから可換環論屋として 数学業界に転じ、さらに50歳を過ぎてから代数幾何学屋に 転向したが、その歳で新参者で、さらに馬鹿だとなると、 少なくとも数学業界で友人を作るのは極めて難しい。
もっとも、仮に俺サマが馬鹿でなかったとしても、馬鹿でないが 故に近寄ってきて友人面する連中の顔なんか見たくもないだろう なとも思う。どこの世界でもそうだと思うが、業界内で仕事の パートナーとしてメリットがありそうな人にアプローチするのは、 ごく自然な当たり前の事だが、それを当たり前とは受け止めない ところが、ひねくれている。
ひねくれの背景には、オジサン特有のフテブテシさがあって、 業界の面倒臭い人間関係に無理して合わせなくても、細々でもやって いけばいいではないかという考え方が潜んでいる。ただし、この場合、 業界の流儀に反するようなことをして目立ってしまうと、色々面倒 なことになるので、それさえ注意していればよい、と。若い頃はそん なふうには考えなかったような気がするが、人間、馬鹿なまま歳を とるとこんな風になるのである。
だから若いうちに馬鹿を直しておくか、歳を取らないように 早死にするか、 馬鹿が目立たない業界を選ぶか、いずれかにするのが賢い生き方 である。俺サマはいずれとも真逆の道を選んできたというわけだ。 と言って、そんなに後悔しているわけでもないけどね。
しかしながら、似たようなことは、どの業界のオジサン、 オバサンたちも程度の差こそあれ、それぞれ感じているように思う。 だからこそ、俺サマぐらいの年代になると、馬鹿かどうかはあまり 問われない同窓会が盛り上がったり、フェースブックなどで若い頃 の友人を探したりするのだろうと思う。
2012年2月16日(木)
<<数学者の会話>>
研究集会2日目。今日も吉祥寺駅から井の頭線に乗って駒場東大前へ。
午前と午後の講演を全て聞いて、18時からのレセプションは
当然パスして、18時過ぎに吉祥寺に戻る。駅前で今晩の夕食と明日の
朝食を調達し、ロフトでペンを1本買ってホテルに戻る。
ホテルの部屋で夕食後、3月の九州出張の宿を予約したり、今日の
お金の精算をしたりの後、少し数学。明日の夜は会社員時代の友人
たちと飲む予定なので、今夜は酒抜き。
研究集会会場で、某大手国立大教授が誰かと立ち話。「僕んところに は卒研生は来ないから、、、」と。学生に敬遠されているのかしら。 私立大学で学生に不人気で卒研生が来ないと、色々ペナルティーが あって大変だけど、国立だと卒研生が来ないなら来ないで、それなりに 余裕をかましていられるようだ。
別の所で、私大の先生同士が相手の学校で何を教えているのか、 そして学生がどのぐらいのレベルかを聞き会っていた。なかなか 大変なところのよう。まあ、俺サマとしては、研究集会に来てまで 大学の仕事の話をする気も起こらないけど、好きな人は結構そういう 話をしているようだ。
これが、同じ大学の同僚同士となると、俺サマと専門が近い人は 居ないので、必然的に学生がどうだとか、学校運営をどうするか という話題に限られてくる。まあ、そういう話は学科会議で やればいいじゃないのということで、同僚との飲み会だとか お茶の会だとかは、「特に話すこともないし」ということで、 何となく敬遠気味になってしまう。