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よ け ス ペ ー ス で す。

2011年7月15日(金)
<<空白を生きる>>
午前中は京大の代数幾何学セミナー。講演内容の関係か、今日は先日 丸亀製麺河原町三条店で冷やしうどんと天婦羅を食べていた数理研の 某有名数論幾何学者も来ていた。

セミナーの後の昼食は、例によって新福菜館百万遍店。 団塊世代よりちょっと上のオジサン2人組と相席になったが、彼らはいずれも一人暮 らしで、年齢制限で苛められながら日雇いのアルバイトで食いつないでいるらしく、お互いの仕事 の話をしていた。 安いバイト料で仕事に出ると、ストレスが溜まってパチンコをしに 行かなければならなくなり、かえって金が出ていく。それぐらいなら家で じっとして金を使わないようにしていた方がいいかも知れないなど、言 ってることが思いっきりオッサンなのでちょっと感動。

そういえば以前、別のところで、家に居ても酒を飲むぐらいしかすることがな い、みたいなことを言っているオッサンが居て、その時もかなり感動した。 仕事以外では、パチンコをするか酒を飲むか以外にすることがない。この人生の 豊かさというものに背を向けたような空白さ具合が、何とももの悲しく、かつ、 シブい。

「人と一緒に居ても別に話すこともないし、退屈なだけだ」とか言っている 俺サマは、表面上は彼らとは全く違う人種だけど、生活に潜む空白の構造は彼ら のそれと通底しているような気がしてならない。彼らの話を聞きながらラーメンを すすり、空白を生きることの意味に思いを馳せた。

昼食の後は、灼熱に太陽の下を歩く元気が出ず、 近くの珈琲店に入ってアイスコーヒーを飲みながら、しばしクリスタリン・ プロジェクト。その後、帰り道にまたアイスクリーム を買って食べながら、いったん自宅に戻って シャワーを浴び、半時間ほど昼寝をして、クリスタリン・プロジェクトを またすこし。そういえば、いつもと違う行動パターンを取ったので、 数理研の猫を表敬訪問するのを忘れていた。

17時頃、再び自宅を出て関西日仏学館へ。図書室で 少しフランス語の復習をしてから、ルネの書籍部を冷やかし、生協食堂 で夕食の後、19時から21時過ぎまでフランス語の授業を受ける。 今日は受講生が少なかったが、先日寺町通りの上島珈琲で友人らしい オバさまと楽しそうに夢中でお喋りしていて、俺サマが近くを通って 会釈しても全然気づいてなかったオバさま受講生も来ていた。 冷やしうどんを食う数論幾何学者もそうだけど、 河原町三条界隈を徘徊していると、色々な人に出くわすものだ。

それにしても、ドイツ語やフランス語を勉強してても、「人と一緒に 居ても退屈なだけだ」みたいな調子だから、語学が豊かな人間関係の 構築には全然役だってない。俺サマだって、色々な友人をつくって 交流することは望ましいと思っていて、新しい語学を勉強するときはいつも、 その国の友達が沢山できればいいなと、七夕の短冊に願いをこめる小学生 みたいなことを思うのだけど、例によって、思っていることとやってる事 が逆になるわけ。ということで、語学の勉強熱もちょっと夏バテ気味。

アイスコーヒーやアイスクリームなどで胃腸の具合が今一つの状態なので、 恒例の歩行飲酒はやめにして、コンビニで野菜ジュースを買って飲み、 道草なしでバスに乗り、さっさと帰宅。地下鉄は祇園祭帰りの浴衣姿の 中学生達などで、割合込んでいた。

夜はガロア・プロジェクトを少しとか思ったけど、眠いので、やめ。

2011年7月14日(木)
<<督促状>>
午前中は自宅で少しだけクリスタリン・プロジェクト。昼頃に自宅を 出て、久しぶりの山科駅前Sbuxで昼食。ここは何時行っても高校生 などが受験勉強してたりして満席なので、ここ1年以上の間 まったく寄りついてなかったが、今日はたまたますいていた。

それから大学に出勤し、24、5日の東京出張の申請書類作成。 何でも東日本大震災からの復興のため、今年度分として決定していた 科研費の支給が一部取りやめになる可能性が出てきたから、 あまり景気よく予算を使っちゃあいかんという通達が来ていた。 俺サマの場合、8月にトロントに行って、月末に東京に行ったら、 今年度の科研費はオシマイになる可能性もある。

それ以外には、ヨーロッパ数学会から依頼されている論文レビューの 仕事を4つばかり貯め込んでいるけれど、今日、その督促状が届いた。 俺サマは、どこの大学院にも入れなかったのに、今のうのうと 大学教授をやっているインチキ野郎で、おまけに馬鹿だから、数学業界 では数理研の猫以外にはマトモに相手にされず、質問メールは3回目で黙殺され、 研究集会などのアホ除け選考では弾き飛ばされ、 鳴かず飛ばす踏んだり蹴ったり連戦連敗苦節千年の日々を偵察飛行 でやりすごしていることを、この日誌のネタとしてさんざん使っている。 しかしその割には論文レビューの依頼が回ってくるし、依頼した方も 「しまった、あんなアホに依頼するんじゃなかった」と後悔する風でもなく、 思い出したように督促状まで送ってきたりするから、世の中が どうなっているのか、まったくわけがわからない、と。

出張申請書を事務に提出した後、14時から17時前まで卒研ゼミ。 今日はようやく2節の射影代数多様体のところを終える。ゼミ終了後、 直ちに大学を発ち、まっすぐ帰宅。夕食後、夜はまたすこし クリスタリン・プロジェクト。

2011年7月13日(水)
<<院試ゼミ>>
午前中はネットですこし検索して基本事項を確認し、院試問題の残りを 詰める。これで一応準備完了。昼前に自宅を出て、山科駅前で軽く昼食の後、 出勤。

研究室で「代数学序論I」最終回(7月22日)で話す予定の 4次方程式の解の公式の講義メモを作成。作業が終わったところで、ちょうど 14時40分から16時10分までの2回生「離散数学」の講義。4次対称群 の部分群のうち、位数1,2、3、4、6,8のものについて、生成元と 関係式による記述など、詳しい構造を示す。次回は位数12の部分群、 すなわち4次対称群について解説する予定。

講義から戻って一息ついた16時半に、約束していた卒研生が現れ、 7階のゼミ室にて院試問題の質問に対する全力回答。問題の背景の 解説など色々やって、終わったのが19時半頃。題材は院試問題だけど、 何だかゼミをやってるような感じ。 「こんなに色々な問題を解かないと合格できないんですかぁ?」 と学生。くどいようだが、俺サマは院試に受かったためしがないし、 院試を受ける学生に真面目に付き合ったのは今回が初めて。だから、 「さあ、どうなんでしょうね」みたいな答えしかできなかったな。

来週の今日もまた院試セミナーみたいな感じになって、水曜のお茶の会 にはご無沙汰になってしまいそうな気配。まあ、お茶の会も、最初の頃は、 誰も集まらなければまずかろうと男気出して顔出してたけど、 最近は軌道に乗ってずいぶん繁盛しているようなので、俺サマはそろそろ お役御免か、と。俺サマとしては、お茶の会で手持無沙汰に茶菓子をつまんで 黙りこくっているよりも、学生とセミナーみたいなことをやってる方が面白いし。 え?黙りこくってないで、何か喋ればいいじゃん!てか? でも、何を喋ればいいんだよう?

院試ゼミが終わってすぐに大学を出て、帰宅は21時前。帰宅後、 ガロア・プロジェクトを少しと思ったが、今日は結局教育系の数学しか やってないので、やり過ぎは禁物!とクリスタリン・コホモロジーを少しだけ だらだら流し読み。真面目に読んでも分からないものは、だらだら読むしかないし。

そういえば、帰宅した頃に、俺サマに講演依頼してきた某セミナーから メールが来ていて、毎月月曜日にやっていたセミナーを諸般の都合で来年度から 火曜日に変更するかもしれない、と。捨てる神あれば拾う神あり。 馬鹿の俺サマを拾って、長年にわたって育ててくれた有難いセミナーだけど、 来年度からはあまり参加できないかも知れないな。

2011年7月12日(火)
<<インチキ野郎>>
火曜日は授業日である。10時40分より4回生配当「計算機数学」。 受講生8名、うち3名は見慣れない顔。教育実習から戻ってきたのかも 知れないし、そうでもないかもしれない。今日はやっとブーフバーガー 条件がグレブナ基底の判定法になっていることの証明を終え、非自明な 具体例を紹介したあと、ブーフバーガー・アルゴリズムと、その停止性 がネ―ター環の極大条件によることを示す。補講を含めてあと2回ある ので、シチジーを使った最適化の話でもしようか、と。

講義が終わって帰ろうとしたら、先日と同じ卒研生の一人が 某大学院の院試問題が沢山書かれた紙を持ってきて、明日にでもこれを教えて 欲しいという。うーん、基本的に全力回答態勢で受けて立つ積りだけど、 この調子じゃあ、トロントでもどこでも早く脱出しないと、 どんどん質問が来そうだ。自慢じゃないけど、俺サマは30年ほど前に あちこち受験して、結局どこの大学院入試も受からなかったんだからね! って、こんなところに書いてても、読んでないか。

学生に院試問題を質問されるのは、その意味で気が重いのだ が、そもそも院試問題は日々の研究で取り組んでいる問題と違って、 解けることが分かっている上に、難易度もだいたい予想がつくこと、 さらには、普段は自分の専門のことばかりで手薄になっている 基礎事項をちゃんと勉強しなおす良い機会ということもあって、 思わず頑張ってしまう。

否、頑張ってしまう本当の理由は、「俺サマはどこの大学院入試 にも受からなかったアホのくせに、数学科の教授なんかやってる インチキ野郎だぜ」という、俺サマ自虐ファクターその1を克服で きれば、というスケベ心なのさ。

短い昼休みの後、13時から14時半まで経済学部、経営学部 2回生配当の「C言語とUNIX演習」。受講生5名。うち、今日中に 合格最低ラインをクリアした学生は4名。残る一人は補講も含めて あと2回で何とかなりそうな雰囲気。

引き続き2回生配当「代数学序論I」。今日は加法群Zから生成元と 関係式の形で定義した有限巡回群への準同形写像を題材に、 群の準同形写像やその核が正規部分群であること、 そして準同形定理の話をする。来週 は準同形や準同形定理まわりの話を終え、その次の補講の時は、4次 方程式の話をする予定。

講義から戻って、研究室でしばし院試問題を眺めてから、家路につく。 電車の中などで考えて、帰宅したころには一部を除いてほぼめどがたつ。 残る一部は明日研究室で教科書を確認する必要あり。

夕食後、夜はあと3回残っている「離散数学」の講義の準備など。

2011年7月11日(月)
<<中国の太鼓>>
午前中は自宅でガロア・プロジェクト。まあ、これを学生に教えるの かと思うと気が滅入るが、この機会にちゃんと復習して数論幾何学 制覇!(また言ってる)の足がかりにしようと思えば元気も出よう。

昼過ぎに街に出る。例によって丸亀製麺河原町三条店で昼食の後、 寺町通り上島珈琲にてクリスタリン・コホモロジーの勉強。最近の 俺サマは邪道の極みみたいな勉強の仕方をしていて、200ページぐらい の誤植だらけのタイプ打ちレクチャーノートなんて真面目に読んでられるかと、 まずは一番知りたい結果に印をつけて、そこから逆に読んでいく。 それですっと分かるぐらいなら誰も苦労しない。結局、行ったり来たり しながら少しずつ理論の筋書きを掴んでいくことになる。 最後に暇があったら、最初から通しできちんと読むか、 その前に寿命が尽きて死んでるかのどちらか。

向いの方の席には40代ぐらいの女二人組が座っていた。 ひとりは飲食店を経営しているらしく、客や従業員 らとのやりとりで日々起こる色々なことを相手の女に話していた。 70代の男性客に気に入られているらしく、毎日開店時間 の17時きっかりに現れるのには、ちょっと重たい気分になるとか、 それぐらいの年の人から見たら私も若い女に見えるだろうし、やっぱり 男だから若い女が好きなんだろうというようなことを言っていた。 子供の時にこんな話を聞いてもわからなかっただろうけど、俺サマも オッサンだから、なるほどと思って聞いていた。

上島珈琲を出てからは、寺町通りを下ってJEUGIA三条本店へ向う。 この通りの平安画廊は女性店主が亡くなってからしばらく閉鎖されていたが、 最近隣の額縁屋が買い取り、新しい画廊として建て替えられた。 寺町通りの画廊を見ていると、店ごとに何となく展示する絵の水準が決まって いるのだが、平安画廊は版画を中心としてかなり質の高い作品を展示していた。 新しくなった画廊はどうなるのか、ちょっと楽しみ。

JEUGIAでは、クライスラーの「中国の太鼓」というヴァイオリン の曲が入ったCDが2種類あって、ちょっといいなあと思ってしばらく試聴 して聞き比べ。のだめカンタービレのCDで「韃靼人の踊り」というのを 試聴したことがあるが、あれも良かった。エキゾチックなものに感動して曲を 作ると面白いものができるという例かしら。俺サマももし音楽の才能があれば、 「人間猛禽類の悦びの踊り」という2分30秒ぐらいの傑作を書いてやるん だけどなあ。

あと、福田進一さんとE.フェルナンデスとかいう人の クラシックギターのデュオのCDも試聴。M.ジュリアニーの 「3つの協奏風ポロネーズ」の最初の曲が、クラシックギター少年だった 頃の気分を彷彿とさせる雰囲気で、ちょっと気にいった。あの頃は こういう感じの曲に夢中になってたっけ。

しかし、どのCDも結局お目当ての曲以外はどうもしっくりこない。 オスナブリュックに居たころは、日本に帰ったらCDのセレブ買いをやって、 震災自粛に沈む日本経済を下支えするんだ!と大志を抱いてたけど、 結局今日も全部パス。

それからAngers河原町三条本店をちょっとだけ偵察し、ラクト山科で 水無月餅を買って帰宅。そういえば昨日だったか、ラクト山科の3階のベンチ で、例の「あーあ何にもすることがないなあオジサン」が、やはり最近ちょく ちょく見掛ける60代ぐらいのホームレス風のオジサンと世間話をしていた。

帰宅して夕食後、ラクト・スポーツプラザにて楽しいZUMBAと 骨盤矯正ヨガ。ZUMBAの先生も熱中症になったとか言っていた。 レッスン指導中にバタっと倒れたのかと思ったら、昼間バイクであちこち 移動中に体調異変に気付き、大急ぎで水を飲んだり色々やって対応したとか。 俺サマも外をウロウロしているけど、概してトイレを気にして水分を控える 年寄りみたいな生活をしているので、気をつけないといかんな、と。

スポーツクラブから帰宅後、某定例セミナーから講演依頼。昨今、馬鹿の 俺サマに講演依頼などするのは、このセミナーぐらいだぜ。有難いことだ。 馬鹿は相手してもらっているうちが花なので、二つ返事で引き受けて全力講演 を約束し、早速宿泊を手配。

2011年7月10日(日)
<<大人になったら分かる>>
野暮用とガロア・プロジェクトの日曜日。午前中は京都新聞日曜版の 例の2つのパズルを速攻制覇し、しばしガロア・プロジェクトの後、 山科区内に買い出しに出掛ける。昼食後はトランクの修理。俺サマは 工作はあまり得意ではないけど、まあ、何とか応急処置ぐらいはでき たかな、と。それからクリスタリン・コホモロジーの勉強をと思った が、このクソ暑い盛りにあんなわけのわからんものを勉強するのは嫌 だなと思って、ガロア・プロジェクトに逃避。夕方、すこし野暮用。 夕食、そして山科区内に夕涼みの散歩も兼ねて、少し買い出し。 夜はまたガロア・プロジェクト。

ガロア理論は分かってしまえば、なるほどと思うが、分かるまでが 大変である。特別に早熟な学生か、ガロア理論命!ぐらいに必死で 勉強する学生でないと全くチンプンカンプンだろうと思う。自慢じゃな いが、学生時代の俺サマはよく分かってなかった。今の俺サマが学生時代 の自分にガロア理論を教えたって、たぶん分からないと思う。実際、 当時の先輩などが丁寧に教えてくれたりしたけど、やっぱり よく分からなかったし。だから、学生時代の俺サマには「大人になったら、 分かるよ」と言ってやるのが一番いいと思う。実際、そうだったし。

後期のガロア理論の講義も、最初のガイダンスで黒板に「ガロア理論 は、大人になったら分かる!それまで皆さん、御機嫌よう」と大書して、 それ以後ずっと休講にしたい気分。

2011年7月9日(土)
<<男女の会話>>
午前中はドイツ語の予習の続きと野暮用。昼前に自宅を出て、まっすぐに 新福菜館百万遍店へ。餃子セットで昼食の後、京大ルネに少し立ち寄って、 関西日仏学館のロビーで涼みながら時間調整。13時15分から15時前 まで寺子屋でドイツ語の授業を受ける。その後、近くのコンビニで抹茶あずき モナカアイスを買って食べながら、カンカン照りの空の下、荒神口バス停まで 歩く。暑いので京都市役所前まで歩く元気が出ず、バスに乗る。 祇園祭にはまだ少し早いが、何故かこちらに来る時も帰る時もバスはかなり 込んでいた。

寺町通り上島珈琲に入り、しばし数学。俺サマの左隣は30歳ぐらいの 女二人づれ。まあ、女ももうちょっと年を取ってないと、話があまり面白くないな。

俺サマの右隣は20代半ばぐらいの男女。昨夜のお好み焼屋でも学生風の 男女二人組がいた。いずれも、最近の若い人が言うところの「別に『付き合 っている』わけでもない間柄」のデートのようだ。この10年ぐらいの間に 若い人の間では、男女が「付き合う」ことの意味がそれ以前と微妙に変わって きたようだが、彼らの話の内容を聞いていると、 所謂「知人の紹介」でひき会わされた「別に『婚約した』わけでもない」男女 二人が、とりあえずデートしているときの会話と似ていることが判明した。 っていうか、今日のはまさにそういう人たちだったりして。

いずれにせよ、これは仲間内の会話でも仕事がらみの社交的会話 でもなく、出会って間もないけれど、お互いに何かしら興味を持ち合っている 間柄のプライベートな会話だ。こういう会話って、若い頃は同性間でも異性間 でも割合頻繁に行われるが、ある年齢を過ぎると、人は社交的会話か仲間内の 会話しかしなくなるような気がする。

上島珈琲を出てJEUGIA三条本店を偵察。日本人の演奏家による ヴァイオリンとピアノの室内楽のCDの他に、 ジャズアレンジのベートーヴェンやショパンのCDを試聴してみて、 ちょっと良かったが、今日のところは見送り。

ジャズからは長らく遠ざかっている。デキシーやニューオリンズ みたいな「緩い」のではなく、神経質そうな白人がやっている、細かいところ までキンキンに計算され尽くしたジャズは結構好きだったのだが、今そういうの を聴いてみると、大学を出て東京で会社員をやってた時の気分を思い出 して、ちょっと懐かしい。あの時も確かに滅茶苦茶屈折しまくって半ば自暴自棄に なっていたけれど、脳が歪んだだの自虐の病だの座敷童みたいな、元気のないことは 言ってなかったような気がする。では、この30年ぐらいの間に俺サマの中で何 が起こったのか、このジャズのCDを聴きながら考えてみようかしら、などと ミーハーなことを思いついたのだが、ま、そんなことしてもしょうがないかと 思って、パス。

JEUGIAを出て、ラクト山科で野暮用を済ませてから帰宅。 夕食後、夜はラクト・スポーツプラザ。強い爺さん、モーレツあ太郎、 黒ゴリ、そして、久々登場!京大が世界に誇る最強の人間猛禽類、 ロードランナー逆走男!!不敵な笑みを浮かべた奴の鋭く怪しい眼光 や、でんでん太鼓をスローモーションでゆすってみせるような独特の歩き 方に衰えはないが、JOBAマシンの上でやっていた「悦びの踊り」は明らかに 退化していた。あの野郎、昔はもっと凄かったのに、つまんねえ踊り してやがるなあ、と遠くから監視。後で俺サマが、これみよがしに奴の 最盛期の「悦びの踊り」を再現してやったけど、奴はその時は見てなかった ようだ。俺サマが一所懸命やってるのに、ちゃんと見てろよな!(怒)、と。

帰宅後、深夜はガロア・プロジェクトを少し。

2011年7月8日(金)
<<梅雨明け>>
昼過ぎまで自宅でガロア・プロジェクト。講義ノートを少し書きすすめる。 早くこのプロジェクトを仕上げて、ゲーデル・プロジェクトにも着手 しなくっちゃ。まあ、焦ってもしょうがないんだけど。

それから山科駅前で軽く昼食の後、いざJRにて出勤!と、久しぶりに 湖西線に乗ってしまい、(旧)西大津駅、つまり大津京駅まで連れて行かれた。 JR湖西線は本数が少なく、山科から間違えて乗ってしまうと、次の大津京で 降りて、山科に戻ってきて、次の琵琶湖線の電車に乗るまで小一時間は時間を ロスする。しかし今日はうまい具合に30分ぐらいのロスで済んだ。まあ、 その間ずっとクリスタリンコホモロジーの文献を眺めてるんだから、別に ロスではないのだけど。

研究室に着いてから、来週の「代数学序論I」の講義メモ作り。それが終 わった頃、つまり16時半にちょうど大学院の学内推薦入試の面接試験が 始まる。面接会場は北と東の壁2面に大きな窓がある部屋で、ずっと東の方に 青い空が広がり、入道雲がもくもくと成長しているのが見えた。 梅雨が明けたそうだ。もう夏なんだな、と。北の窓からは琵琶湖の上空が見えるが、 そこにはあまり夏らしい雲は見えなかった。まあ、湖の上空というのはそう いうものかも知れない。

ずっと昔、まだ、東京で会社員をしてたころ、野暮用のために真夏の暑い盛り の京都に滞在したことがあった。お湯の中に潜っているかのような京都の暑さに たまりかね、湖の上なら涼しいかと思って、夕方頃に遊覧船で琵琶湖クルーズ と洒落込んだ。しかし甲板の上は、水面から水蒸気がどんどん発生して京都市内 よりもさらに蒸し暑く、これはたまらんと、ずっと冷房のきいた船室内にいた。

ああ、それにしても、もう夏なんだな、と。

面接が終わってからは、窓の無い部屋に移動し、まだまだ会議は続いた。 俺サマは馬鹿だから20時前に解放されたが、それからまだ先まで残っている 先生達もいた。会議が早く終わったら関西日仏学館のフランス語クラスに 間に合うかなと思ったが、全然間に合わなかった。まあ、覚悟はしてたけど。

すぐにバスに乗って南草津駅前までゆき、そこのお好み焼屋で夕食。 この店はRitsの先生たちもよく利用している。今日みたいな遅めの夕食の 時間帯に、オジサン先生が疲れた顔してやってきては、生ビールと粉モンを 注文してたりする。今日も俺サマの後から、俺サマよりもすこし若いオジサン 先生が入ってきた。ふと見ると、数学の若い先生も二人、先客としていた。 俺サマはいつもの豚玉ミックスと生ビール(中)でガっツリいった。 うーむ、幸せってぇのは、こういうのを言うんだぜ。

22時前に帰宅し、大慌てで明日のドイツ語の予習。

深夜、高校の同窓会の出欠メールを出す。特に会いたい人は 居ないから、勿論欠席。近況も書けとあるから、 ZUMBAや骨盤矯正ヨガや、ドイツで狂ったように絵を描いてた ことなどを適当に書いておいた。

そういえば、ごく僅かな友人を除いて、高校の同窓生というのも 俺サマにとっては遠い存在だ。高校の同窓生と数学者とどちらが俺サマに とって遠いかしら?って、まあ、どっちもどっちだな。要するに、世界そのもの が俺サマから遠いということで、それは俺サマが座敷童であることの言い変えに すぎない。

2011年7月7日(木)
<<何故かそうなる>>
七夕ってのは、いつも雨が降るな。 午前中は自宅で後期のガロア理論の授業の準備を少し。この作業のついでに、 たぶん講義では扱わないだろうけど、一般クンマー拡大の理論やヴィット環 についてちゃんと勉強しようという魂胆だが、そんなにうまくいくかどうか。

昼前に自宅を出て、なんとなく山科で昼食をとり損ねたままに南草津へ。 学生が溢れ返っている生協食堂やサンドイッチショップ、生協コンビニ で昼食をとるのは億劫だし、生協のメニューはとうの昔に飽きてしまってるし、、、 なと思って、大学行きのバスは見送り、南草津駅前のイタリア料理店に入る。

この店は、10年ぐらい前に数理科学科の入試採点打ち上げに使ったらしい。 当時俺サマはドイツかどこかに行ってて打ち上げには参加しなかったが、学科の 同僚たちには何故かこの店の評判はあまりよくなかったようだ。 と、いうことを思い出しながら入ってみたが、特に問題のない普通の イタリア料理店。のんびりとランチを楽しむ、 30〜40代ぐらいの女性2、3名のグループ客ばかりで、 オジサンは俺サマと後から入ってきた70代 ぐらいの人だけだった。

昼食後、ようやく大学に出勤。14時から卒研ゼミ。今日は2節の射影代数 多様体のところで、斉次イデアルの基本性質の証明と射影空間の意味などを やって、16時頃に切り上げる。その後、学生の一人が院試問題のことで少し 質問があるというので、半時間ほど対応する。

通勤途中はクリスタリンコホモロジーの勉強。ああ難しい。新しいことを 勉強するときはいつもそうだが、一体何をやってんだか手探りだし、議論の勘所 もよくわからない。たぶん学生達が勉強している時も、そんな感覚なんだろうな と思う。え?お前、何でクリスタリンコホモロジーなんか勉強してるんだって? そりゃあ、クリスタリンからリジットコホモロジーに進んで、次の俺サマの ターゲットである数論幾何学を制覇するためよ、、、って嘘に決まってるだろうが。

夜はまたすこしガロア理論の講義ノート作り。後期はゲーデルの完全性定理と 不完全性定理の講義もしなくちゃならないので、色々大変なのよね。 だいたい1年こっきりの代打講座を一度に2つ、否、前期の「計算機数学」も代打 講座だから、3つ!もやらせるか?と言いたいところだが、 俺サマはRitsに着任して以来、ごく最近までおもに低回生向け講座専門の 万年補欠要員みたいなことをやっていて、毎年のように新しい講座の担当が回 ってきて、その準備に追われてたな。まあ、元々便利屋さんとしてこの大学に 雇われたみたいなものなのよ。いや、別に「便利屋さんとして雇ってください」 って、俺サマの方から頼んだわけでもないけどね、何故かそうなってしまってる ってわけ。大学としても「馬鹿とハサミは使いよう」ぐらいに思ってるんだろう。

「何故かそうなる」といえば、俺サマはいつも、メジャーなところで花々しく やって行きたいなどと、ミーハーなことを考えているんだけど、ふと気がつくと、 いつの間にかマイナーなところで燻ってるという傾向があるな。これは、皆が右 に行こうとしたら自分は左に行きたがるとか、皆が寄ってきたら自分は逃げるとか、 人の集まるところは避けて、しかしながら見通しの良い物陰に潜んで皆の様子を 見てるといった行動パターンがあるからだと思う。 つまり、やってることと考えてることがまるで逆なのだ。 この行動パターン、実は幼稚園に通ってた頃から全然変わってない ところが恐ろしい。もう、こういう習性を背負って生きてくしかないってわけ。

2011年7月6日(水)
<<鶏10羽、羊1匹>>
午前中は山科区内で新しいテニスシューズを買う。これまで履いていた ジョギングシューズは、楽しいZUMBAの最中に靴底が剥がれて壊れて しまった。今や俺サマの人生はZUMBAなしでは立ちいかないから、 代りの靴を早く調達しなければならない。しかしジョギングシューズは 雨に弱いし、もしかしたら高校の同窓生達とテニスをすることがあるかも 知れないしということで。

8月上旬に高校の同窓会があるけれど、トロント出発直前で前期試験の 採点に追われている頃だし、スケジュール的にかなりきつい。それに高校 の同窓会って、仲のいい友人たちや久しぶりに会ってみたいなと思 う人たちは何故か大抵欠席する。そのいっぽうで、地元に根を張る元ヤンキー達 はちゃっかり現れては、同窓会でも根を張っている。だからスケジュール的に 問題なくても、やっぱりパス。しかしテニスは同窓会とは一応別系列なので、 その気になれば参加するかもしれないな、と。

運動靴ひとつ買うにも、こんなに色々人生を考えてしまう俺サマって、 何なんだろう?(ただの自意識過剰な暑苦しいオジサンなのでしょう、と)

テニスシューズの他に、大丸ラクト山科店でワインを買ってから帰宅。 荷物を置いてすぐに自宅を出て、山科駅前で軽く昼食をとってから出勤。 またも数理ファイナンスの人と一緒になった。まあ、山科からは通勤ルート が同じなんだから、そういうこともあるわな。今日はキャベツ1玉ではなく、 缶ビールが1ダースぐらい入った袋を提げていた。この調子だと、次は 山科茄子とか聖護院大根とかを持ってくるかもしれないし、いずれ鶏10羽 とか羊1匹を連れて大学に現れるかも知れない。Ritsの数理ファイナンス 軍団の快進撃はとどまるところを知らないから、そりゃあ羊の1匹や2匹、 ありえない話でもなかろう、と。え?お前、何か勘違いしてないかって? いいんだよ。どうせ俺サマは口から出まかせ言ってるだけなんだから。

先週あたりに勃発した「係争中」の問題が一応解決したので、 それを学科内に報告するメールを書いて研究室から送信。 その後、14時40分から16時10分まで2回生配当「離散数学」の講義。 巡回置換を互換の積に分解する方法を再度丁寧に説明し、4次対称群の話に入る。 巡回置換の積への一意分解を使って24個の要素を分類したり、巡回部分群の様子 を見せたり。

ふと教室を見回すと、窓際の席の方はずっと後ろの方まで学生が座っており、 真ん中の列はそれよりもすこし少なく、そして廊下側の列は前から3分の1ぐらい までしか学生が座っていない。そして廊下側の列の前の方から真ん中の列の 比較的前の方まで、まるで毒ガス攻撃をうけたかのように学生達が机につっぷして 寝ていた。

こういう「教室の地理」には、年度によって多少の変化がみられるが、 その背景にあるものの原理的理解はほとんど不可能だと思われ、いまだに 手をつけていない。何せ、学生は毎年入れ換わるし、俺サマも日々生活の気分 が変わって講義の仕方も毎年違うからね。

講義は、部分群の位数の可能性をラグランジュの公式から導き、さて次は 順番に部分群を見ていきましょう、、、というところで時間切れ。

講義の帰りに理工学事務室に立ち寄って雑用を1つ済ませ、研究室に戻る。 約束していた16時半に卒研生のひとりが現れ、17時45分ぐらいまで 院試問題の解説。とりあえず一部を除いて、質問された全ての問題に対して 解法の指針を示す。その後すぐに大学を発ったが、帰宅後に解き残した部分 の解も思いついたので、自宅からメールで学生に知らせる。これでとりあえず、 「全力回答」の責任は果たせたので、やれやれである、と冷たい 缶ビールを一気飲み。

夜は申し訳程度に少しだけ数学。

2011年7月5日(火)
<<読んでないな>>
出勤日。10時40分より12時10分まで4回生配当「計算機数学」。 今日はBuchberger条件の基本定理の証明を行ったが、5つのステップの うち4番目のステップで終わってしまった。受講生は5〜6名。先週 ずっと携帯電話をいじくっていた学生は、流石に今日はもう来ないだろう なと思っていたが、何故か今日もやってきて、普通に講義を聞いていた。 やっぱり学生というのは、よくわからん。

講義の後、この授業を受講しているうちの卒研生のひとりがやってきて、 某国立大学の院試問題について質問したいという。今日は一日講義や 会議が詰まっているので、問題を研究室のドアのポストの入れておいて くれたら、後で見ておくと返事しておいた。

俺サマの卒研ゼミには、例えば有名国立大学大学院を目指すような 気鋭の学生が集まる傾向があるが、概して彼らは俺サマの日誌を読ん でないと思われる。このこと自体は良いことだ。未来ある良い子たちは、 俺サマの日誌などという、どこまで本当か嘘かわからない 馬鹿馬鹿しいものにウツツを抜かしていては いけないのである。

それはそれとして、 彼らは、かつて俺サマが大学院入試を落ちまくって学卒で就職したことや、 情報系学部学科新設ブームにウマウマとのっかって、大学の情報学科に 潜り込んだことや、 「君のような大学院入試も受からなかったのが、よく大学の先生に なれたね」と学生時代の元指導教官にコケにされ、 「やかましいわい、アホ!」とか思いながら、さらにドサクサ紛れに 「計算機の先生」として数理科学科に横滑りして、 「へへっ、俺サマはもう数学者でござーい!」と詐欺師 まがいに開き直ったことや、 数理学科の偉い先生から「あんな奴は数学者じゃない!」と厳しく言動を 監視されること数年、最近ようやく学科内で数学者認定を受けたが、 馬鹿だから数学の院試問題は作ったことがないことや、 学会では「あいつは馬鹿だから」と相手にされず、偉い先生に質問メールを 出したら3回目で黙殺され(またネタに使ってる!)、 アホ除け選考付きヨーロッパ系研究集会には爪弾きされ (また古いネタを持ちだして!)、 やっと参加が許された研究集会では座敷童で漂いつつ、 猫とだけ話して帰ってきて、「俺サマはやっぱり数学者じゃないよな」 などと言いだしている現状を知らないようである。 だって、そんなこと知ってたら院試問題なんか聞きに来ないと思うけど。 ま、知らぬが仏ってやつよ。

まあ、いいさ。折角質問してくれたんだから、全力で答えることにしよう。

短い昼休みの後、13時から14時30分まで経済学部、経営学部2 回生配当の「C言語とUNIX演習」。受講者6名。うち単位取得条件を 何とかクリアした学生は5名。残る1名の君はあと2週で奇跡のまき返し なるか?!先週来てた学生1名は諦めて脱落したのか?はてまた、来週 からの2週でウルトラCを繰り出すか?ま、皆さん、せいぜいおきばりやす。

引き続き、2回生配当「代数学序論I」。今日は前回やったZ/dZ の例と対比させつつ、一般の剰余群の構成をやってみせ、最後に自然準同型 の定義を示す。学生というのは、講義の議論についていくのがしんどい時(?)、 「こまめに寝る」習性があるが、あれは何なんだろうな。「先生、この 話しはパス!」という意思表示なのかしら。

あと、一番前の席で寝る学生は昔から居て、以前は「おお!講義の内容を 全て完璧に理解して退屈している天才学生か?!」と熱心に注目していたのだが、 最近はあまり気にとめてもしょうがないことが経験的に分かってきたので、 そうしている。

16時10分に講義が終わり、16時30分より教授会(のような会議)。 明日の講義メモを書いているうちに、18時15分頃終了。その後、 副学部長がやってきて「係争中」の問題について少し話す。めでたいことに、 何だかあっけなく解決してしまったようだ。

研究室に戻ると、ドアのポストに某大学院試問題が投函されていた。 1問だけかと思ったら、数題あった。生協での夕食を挟んで取り組む。 30年前、こういうのが全然解けなくて落第したんだよなあ、とか何とか 思いながら。

20時過ぎに大学を発ち、21時半頃帰宅。さらに院試問題に少し 取り組む。

2011年7月4日(月)
<<この世は闇か>>
午前中は野暮用と明日の講義の準備。昼過ぎに街に出る。 河原町三条では、1,2年ほど前に開店した低価格路線の 寿司屋が閉店になっていた。スーツケースの修理を依頼 しようと思って、ネットで調べたこの界隈の修理屋や スーツケースの販売店をあたってみたが、駄目だった。

丸亀製麺河原町三条店での昼食の後、寺町通り上島珈琲 にてしばし数学。めずらしく、90代ぐらいのオジサン 二人組が、その辺のオバサン二人組がやってるような世間話 や身の上話でかなりの時間をすごしていた。そういえば、最近、 例の数学オバサンを見掛けない。

夕方、京都駅の近くの鞄修理専門店をあたってみたが、 俺サマが持っているスーツケースは、 販売元が倒産していて部品が入らないので、修理はできない、と。 じゃあ、自分で適当に修理するか。

それから京都駅の地下のジューススタンドでスペシャル ミックスジュース200円を1杯飲み、久しぶりに アバンティーへ。サンリオショップでキティー・グッズを チェックしてから、ブックセンターをさらりと偵察。 東京図書あたりから「すぐわかるクリスタリン・コホモロジー」みたいな 本は出てないかと探したが、んなもん、あるわけがない。

それからホテル京阪のロビーのソファーに座って少し数学の後、 山科に戻る。

夕食後、夜はラクト・スポーツプラザへ。ピノキオ君が 泣きそうな顔をしてトレーニングをしていた。帰りに 更衣室で着替えたときも、まだ半分ぐらい泣きそうな顔をしていた。 彼はいつの間にかそういう顔の人になってしまったのだろうか。

勿論、俺サマの目的は楽しいZUMBAと骨盤矯正ヨガ。しかし 今日はZUMBAのノリがどうも悪く、いまひとつ体が思うように 動かなかった。まあ、土曜日の運動も体調不良でサボっているし、 そういうこともあろうか、と。

しかし、楽しいZUMBAで楽しくなければ、この世は闇ではないか。 否、俺サマには数学がある。確かに、数学があるんだけど、世の中に数学者 が居なくなったら、数学ももっと楽しいんだけどなあ、などと、また無茶苦茶 なことを考える。(どうも最近の俺サマは弱っているな)

ま、兎に角、ZUMBAとヨガで少し体が軽くなった気分で帰宅。

2011年7月3日(日)
<<勘違いを生きる>>
最近また「眠い眠い病」なので、昨夜は夜更しせずにしっかり寝たつもり。 でもまだ寝られそう。今日は一日じゅう寝てやろうかと思ったが、そうもいかず、 午前中から自宅や山科区内で野暮用に全力投球。昼過ぎに一段落し、 京都市内某所で開かれた室内楽の小さなコンサートを聴きにいき、 その後、道草なしでまっすぐ帰宅。

帰りのバスの中で、40歳前後の、いかにも何か勘違いしてそうな雰囲気の、 たぶん本人としては結構格好つけている積りと思われるオジサンが優先座席に 座っていて、なぜか30代後半ぐらいの女性に「僕、もうすぐ降りますから、 どうぞ」と席を譲っていた。女は、なんのこっちゃ?という顔をしつつも、 無視したら殴られるかもしれないと思ったのか、何となく居心地悪そうに 優先座席に座り、それから2つ先のバス停で男よりも先に降りていった。

勘違い系の男と言えば、前にも書いたかもしれないが、 去年の今頃だったか、京扇子の専門店で買い物を していたら、観光客っぽい、これまた30代後半ぐらいの結構気取った感じの オジサンが入ってきて、「こんにちは。僕に似合う扇が欲しいんですけど」 と店の人に聞いていた。店の人は、男の好みなどを聞いていたが、 「僕に似合うもの」の一点張り。それでも何だかんだとちゃんと応対して たから、店の人もエライもんだと思った。

かく言う俺サマも、世界と自分との関係について、きっと何かとんでもない 勘違いをしているような気がするんだけど、まあ、それが何なのか、今わかる ようなら苦労はしないわな。

帰宅してしばし野暮用、夕食、また少し野暮用。夜は少し落ち着いたので 京都新聞日曜版の2つのパズルを片付けてから、しばし数学。

2011年7月2日(土)
<<希望を持って生きる>>
午前中はドイツ語の予習の仕上げに励み、昼前に自宅を出て、新福菜館百万遍店 で昼食。この店は京大の教職員学生系の常連客と、近所で工事などの作業をする ガテン系オジサンたちの飛び入り客がおもな客層のようである。店の雰囲気が 数学者向きではなく、数理研で研究集会があってもここなら数学者に出会うこと なく安心して昼食をとることができる。

まあ、俺サマは数学者じゃないけれど、数学者が好みそうな店は何となくわか る。「ここ、危なそうだなあ」と思って入ると、大抵先客で居たり、後からどや どやとグループでやってきたりする。

そういえば、俺サマはRitsの中では2,3年前にようやく数学者と 認定されたのだが、数理科学科みたいなところで数学者認定が出てないと 何かと肩身が狭い。一方で、学会や研究集会みたいなところでは、学科で 数学者認定が出るずっと前から、俺サマは「有象無象のどうでもよい数学者 のひとり」という位置づけになってたと思われる。ところが、本人は有象無象 どころか、最近は「俺サマは数学者じゃない!」と思い始めているのだから、 話がややこしいのである。

これはひとえに、ある種の社会集団との距離の置きかたが分からずに困って いるということである。俺サマは元々「俺サマは俺サマであって、世の中が どうだって俺サマにはカンケーないね」という思考の人だが、そうは言っても 数学者集団という独特の価値観と風習をもった社会階層と付き合っていかないと いけないので、色々厄介なことになるのだと思う。

昼食の後、京大ルネをさらりと偵察して、関西日仏学館のフロアで涼みながら しばし時間調整の後、13時過ぎにドイツ語寺子屋へ。

帰りは近くのコンビニでジャンボ・モナカアイスを買って、 歩行飲食。まだ日が高くて暑いので、荒神口から京都市役所駅前 までバスを使う。荒神口のバス停では、京都府立医大の方から、 週活女子みたいな人たちが数名集まってきて、どうやら採用面接 の様子について情報交換してたようだ。東大と京大を受けるそうだから、 ウチはどうせ滑り止めだろう、みたいなことを言われて慌てた とか、院(大学院のことか)に行きたくないからあちこち受けて いるのにどうのこうのといった話をしていたから、看護学校の人たちかしら。

寺町通り上島珈琲でしばし数学。隣に70代ぐらいの女性二人組 が居た。一人が、街の体力測定の全て項目で「年齢相応」と判定され、 こんなに頑張って運動したりしてるのだから、もっと良い成績を期待 してたのに、がっかりしたと言っていた。また最近糖尿病を患ったが、 その原因としては、一時期ゴーヤジュースにバナナと甘いヨーグルトを 入れて飲んでいたことぐらいしか思い当たらないと言い、相手の友人 らしき人に、「でも、貴女、日本酒とビールが好きだったら、それが 原因ではないか」と言われていた。しかし現在の生き甲斐は酒と孫の 二本柱だから、酒をやめるわけにはいかないと言い、相手の友人に、 酒は糖分の少ない焼酎などに変えてみたりしてはどうかとか、 孫を生き甲斐にするのは良くない。孫は早く卒業しなさい! などと言われていた。典型的な身の上話だけど、 女は幾つになっても、そういう友人を持てるんだな。

上島珈琲を出て、JEUGIA三条本店をさらっと偵察の後、 ラクト山科経由で帰宅。大丸のデパ地下は特に目立った節電は してないように思えた。たぶん上の階の売り場を中心にやっている のだろう。別のスーパーで色々買い物をしてから帰宅。

そういえば、電車やバスの中で鼻糞をほじくっているのは30代 男だけで、20代鼻糞男子の例は見当たらないと書いてきた。しかし 実は最近、20代男が自転車で信号待ちしながら激しく鼻糞を ほじくり、指で飛ばしている具体例が相次いで発見されている。 最初の例は、数週間前に通勤バスの中から、Ritsの正門の辺り にいた学生。今日は2番目の例を百万遍の交差点で発見した。学生風の 若い男。俺サマも一緒に信号待ちしていたから、日傘で視線を 避けながら、数メートル先から奴の鼻から下の様子をじっと観察していた。

まあ、近頃の若い人は鼻糞を食べたりしないようだが、調査研究に 安易な思い込みは禁物である。もしかしたら、自転車に乗って自分の鼻糞 を食べる20代男子のサンプルが発見できる日が来るかもしれない。 だから、未来に希望を持って一日一日をしっかり生きていこうと思う。 そうだ。どんなささやかなことでも、人生には希望というものが必要だ。

帰宅後、夜はスポーツクラブへと思ったが、最近寝不足気味で すこししんどいので、自宅で居眠りしたり数学をやったりと、 のんびりすごす。

2011年7月1日(金)
<<節電の夏の始まり>>
午前中は近所の歯医者で定期診療。その後、自宅でしばらくさぼっていた 後期の代数の講義ノート作成作業を少しやってから、昼過ぎに自宅を出る。

新福菜館百万遍店で昼食の後、数理研図書室に行ったら、節電のため冷房が 切ってあった。今日は気温は高くはないが湿度が高い。研究所の所員も、いつも はスラックスとワイシャツ姿の人が、今日は暑さ対策のためか、夏休みに 自宅でぶらぶらしている高校生みたいな格好をしてその辺をうろうろしていた。

猫もいないし、蒸し暑いし、それに数理研図書館は定番基本書が貸出中のこと が多くて案外不便だしということで、北部生協喫茶に脱出。ここも節電で 40年前の地方国立大学の学食のように(?)薄暗く、明るい窓際の席でしばし 数学。飲み物の自販機も一部は停止、一部はディスプレイの灯りを消してあった。

俺サマの学生時代、この店は夕方まで開いてたのだが、今は15時で閉店だ。 しょうがないので外に出たら、案外涼しくなっていたので、もう一度数理研に戻る。 猫はいなかったが、図書館は弱めに冷房がきいていたので、閉館の17時まで数学。 と言っても、悶々と考えていると睡魔が襲ってきて、結局小一時間ぐらい居眠りし てたけど。

数理研から帰ろうとしたときには、猫は戻っていて、居眠りするでもなく 非常階段のところに座って遠くを見ていた。背中などを撫でてやると、にゃあー と言う。よろしい。赤い猫でも青い猫でも、俺サマににゃーと言う猫は良い猫だ。

それからルネの書籍部を冷やかして、関西日仏学館の図書館ですこし フランス語の予習。またルネに戻って夕食。食堂も書籍部もルネの照明は 微妙に間引き点灯されていて、どこか懐かしいような陰影を与えていた。

19時から21時すぎまで、夏学期最初のフランス語の授業。今日はここを やるだろうと思って予習した部分は全部外れ、深謀遠慮で昨日出した宿題の添削 も帰ってくる気配はなく、今度もまたフランス流に忘れ去られる模様。まあ、 別にどっちでもいいんだけど。受講生は、春学期にいた人3名が留学などで来 なくなり、新しい人が1人いた。

帰りはまた近くのコンビニでタカラ缶チューハイ350mlを購入し、 歩行飲酒しながら京都市役所前駅まで歩く。

深夜、大慌てで明日のドイツ語の予習。