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よ け ス ペ ー ス で す。

2011年6月30日(木)
<<進歩なし>>
午前中に自宅を出て、ラクト山科で昼食用のパンを買い、昼頃に出勤。 折角、キャベツ1玉を持って大学に来る、数理ファイナンスの人に 教えてもらったのだからと、チョコレートの入った菓子パンも一緒に買う。

14時の卒研ゼミまでの間は、研究室での昼食を挟んで、少し文献読み。 昼食のデザートに食べたチョコレート菓子パンは、美味かった。

14時から17時前まで、三週間ぶりの卒研ゼミ。ようやく1節の「アフィン 代数多様体」を終え、2節の「射影代数多様体」に入る。後期の授業が始まるまでに、 3節の「代数多様体の射」のところが終わればいいな、といった感じ。

卒研ゼミを終えて帰宅しようと研究棟を出たら、某副学部長が近づいてきた。 「現在係争中」の例の問題について少し話したいが、お急ぎか?と言う。 「少し」ですむような話ではないし、夕方の腹の減っている時にこの問題の ことなど考えたくもないので、「(晩飯に向けて)急いでいる」と振り切り、 バスに乗る。

帰宅して夕食の後、副学部長から「話を聞きたい」と出頭要請のメールが あったが、後々のことを考えると、こういう話は文書によってきちんとやった 方が良いので、メールにて返答しておく。

この問題は実は大したことではなく、物事をきちんと考えて事にあたれる 人間ならば誰だって容易に解決できる類のものである。しかし解決する当事者 は俺サマとは違う別の人たちなので、今回の件については決して楽観はできない。

その後、明日から再開される関西日仏学館のフランス語講座の宿題。 子供の頃の思い出を仏作文せよ、というもの。何を書くかは2週間前から 決めてたけど、あまり早く提出すると、先生がメールを紛失するのか、 添削答案が返ってこない傾向があるので(フランス人は大雑把である)、 期限ぎりぎりに出すようにしている。

小学生時代、毎日の通学は冒険の日々で、臭く汚いドブが流れ出ている 刑務所や、怪しい爺さんが住んでいるミステリアスな雰囲気の家や、 その他、わくわくするような興味深いものが一杯だった。小学1年生のある 雨の日、学校帰りに、廃屋があった空き地の巨大な水たまりを見つけ、これは 面白いやと思って、長靴でじゃぶじゃぶ入って行ったら、水中に潜んでいた釘 のついた木片で足を突いて怪我をした。痛ーっつ!早くウチに帰りたいけど、 ウチはまだ遠い。そうこうしているうちに、5年生のいじめっ子グループが やってきて、「お前、なにやってんだ?」と因縁を吹っかけてきて、絶対絶命 の危機に陥った。これはまずいなと思っているところを、帰りが遅いと心配 して車で通学路を偵察にやってきた母親が現れ、俺サマに絡んでいたいじめっ 子グループを追い払い、俺サマは無事救出された。という話を仏作文して、 メールで提出。

たぶんこの事件の少し前の、やはり雨の降る5月頃だったか、俺サマは 音楽の授業で落ちこぼれて、その後一度も挽回することができなかった。 皆でインディアンの歌を歌ってたのだが、ふっと他所事を考えている間に、 皆が教科書に書いてない歌詞を歌いだした。おそらく先生がオルガンを弾き ながら口頭でぱっと説明したのを聞き逃したのだろう。授業中に俺サマひとり だけがおいてきぼりを食った形になり、「これはかなわんな」と。それで 「(音楽は)もう、いいや」って感じになってしまったのだと思う。

あれからもう何十年も経つのに、俺サマはちっとも進歩してないな。

2011年6月29日(水)
<<キャベツ1玉>>
午前中は自宅で前期試験問題の最終チェック。そこで生命保険会社 から電話があり、「そんな馬鹿な話があるか」と久しぶりにブチ切れて 担当者の上司に電話を掛けて怒鳴りまくる。その後、さらに上の人から 電話があり、まだ不満は残るものの、とりあえず収めることとなった。

これは要するに、本来なら何事もなくすっと処理できる単純な案件が、 なぜこんなにいつまでもいつまでもゴタゴタと紛糾し振り回されなけれ ばならないのか、といった問題。

昼過ぎに自宅を出て、駅前の蕎麦屋で軽く昼食。蕎麦屋のパートの おばちゃん、今日は目の化粧が変だ。何か勘違いしてるんじゃないかしら、 と。

13時半頃大学に到着。研究室棟のエレベータのところで、スーパーで 買った巨大キャベツ1玉などをぶら下げた数理ファイナンスの人とかち会う。 おお、流石、数理ファイナンスやな、とキャベツの玉をじっと見ていたら、 「あ、高山先生、甘いものがお好きでしたら、このチョコレート入りのパンが 山科駅前に売ってますけど」と、大きな菓子パンが入った袋を見せる。 気を利かせて言ってくれたんだろうけど、 パンじゃなくて、キャベツだよ、と。

研究室に着いて定期試験問題をプリントアウトして用紙に貼り付け、提出 する書類を完成。その後、14時40分より2回生配当「離散数学」の講義。 今日は対称群の元が巡回置換の積に分解することの証明と具体例、さらに巡回 置換が互換の積に分解することの証明。次回は互換の積への分解を具体例で示 す予定。

16時10分に講義が終わり、16時半頃に事務に定期試験問題を 提出しにいく。ところがここでひと悶着。これは「現在係争中」の問題なので、 悶着の詳細は述べないが、これもまた、「本来なら何事もなくすっと処理できる 単純な案件が、なぜこんなにいつまでもいつまでもゴタゴタと紛糾し振り 回されなければならないのか」といった話。似たような事が一日に纏めて 2つ続けて起こるとは、これまた効率の良い結構なお話しで、と感心してばかりも おれない。

16時半からのお茶の会にもちょっと顔を出したが、研究集会の休憩時間の ような雰囲気になっていたので、「係争中」問題の裏を取るため、2,3の先生 から情報収集して、さっさと退散。どうも研究集会PTSDのようで、 「うわっ!数学者が一杯!」とか思って足がすくんでしまう。仕事のためとは いえ、無理して研究集会に出るのは良くないかもしれないな。

この「現在係争中」の問題は、考えれば考えるほど馬鹿馬鹿しくなってくるので、 帰りの電車の中では別の問題を考えることにした。「キャベツ1玉を持って大学 に現れる数理ファイナンス屋は数学者か?」と。つまり、キャベツ1玉持ってきて、 研究室で焼そばパーティー(?)などをやって、今日は誰それ君の誕生日だ、 明日は誰それ先生の誕生日だとわいわいやるのは、まさに工学部のノリである。 工学部のノリで数学を勉強すれば、あの数学者独特のメンタリティーの形成を 予防することができるのか?その壮大な実験がまさにRitsで行われて いるのである、と。

ところで、街で顔見知りに出会った時、どういう立ち 振る舞いをするか?俺サマの長年にわたる調査の結果、次のような ステレオタイプが抽出されている。 工学屋は、「あ、顔見知りだ」と思って、あまり話したことのない相手でも 兎に角ぺこっと愛想よく会釈する。ただし、おそらく人に頭を下げた経験がない 某(旧)公社系研究所出身の人は、この限りではない。 物理屋は、相手が格下の学問(たとえば数学!)をやっている人間だったら、 「何だお前、何でこんなところに居るんだ?」みたいな顔して、 例え相手が会釈しても、ただ睨み返しているだけ。もっとも彼らにとって、 物理学よりも格上の学問など、この世には存在しない。 数学屋は、日頃からかなり親しい人でない限り、見てみぬふりをする。

勿論、俺サマは工学屋流のリアクションが一番好きだが、俺サマ自身は 相手の動きを慎重に見極めて、相手が会釈してきた時に限って、それに少 し遅れて会釈返しをするという、何とも厭らしい態度を取っている。 そんなことだから、すれっからしのオッサンはいかんのだと言うかも知れないが、 この習慣は20代の頃からずっと変わってない。俺サマは、昔からヤな 奴だったんだよう!

夜は「係争中の問題」と「キャベツ」が頭の中をぐるぐる回って、数学ができず。 俺サマのヤワな精神構造。

2011年6月28日(火)
<<「そこそこ真面目」>>
火曜日は高密度実装の講義日である。10時40分から4回生配当 「計算機数学」。受講生6名、うち1人は最初から最後まで携帯電話 をいじくっていた。今日はS多項式のリダクション計算モデル における意味を説明し、Buchberger条件定理の証明の概略を示す。

短い昼休みは、学内行政関連の雑用をすこし。そうか、 この人たちは俺サマが学科長やって脳が歪んだ理由を理解していない んだ。そういうところは、やっぱり数学者だな(何でも数学者のせいにする!) と思いつつ、同僚たちとメールのやりとり。それが終わって、研究室に置いてある 学界誌のバックナンバーから、あるテーマの論説が出ているものをピックアップ

13時から経済学部、経営学部2回生配当 「C言語とUNIX演習」。受講生6名。今年の受講生は例年と 違い、出席率、レポートの提出状況のいずれを見ても異様に悪い。 変だなあ、彼らは何か勘違いしているのではないかと思い、単位認定の最低基準に ついて再度確認し、「現時点で基準に全然達していない人も多そうですが、 まだ手遅れではないですから、あと数回の授業で挽回してください」 と言っておく。何人かの学生は衝撃を受けていたようだった。

彼らの「勘違い」に何か心あたりがあるとすれば、それは 最初に「この講座はそこそこ真面目にやっていれば、誰でも単位が 取れます」と言ったことである。「そこそこ真面目」というのは 数理科学科スタンダードを想定してたのだが、文系の学部の 「そこそこ真面目」とは全然意味が違うようだ。やはり文化が違う 人たちを相手にするときは、注意が必要なんだな、と。

引き続き、14時40分から2回生配当「代数学序論I」の講義。 数理科学科スタンダードで「そこそこ真面目」な受講生多数。 今日は剰余群の概念の手始めとして、学生達に抵抗感が強い 「集合を要素とする集合」の話を、お菓子をばらばらに入れた袋と お菓子を小袋の分けたものを入れた大袋の例を使って説明し、 それからZ/(d)の話をする。次回は剰余群の一般的な構成の話を すると予告して終わる。

研究室に戻って一息ついてから、バスや電車の中で 学界誌の論説を眺めながら帰宅。夕食後、夜は前期試験問題作成作業。 今晩じゅうには無理かと思ってたけど、作業がはかどり全て完了。明日に でも事務に提出できるかも。

2011年6月27日(月)
<<赤ちゃんのポーズ>>
月曜日は研究日で、通常は街を彷徨いながら数学をやっているのだが、 定期試験の試験問題提出期限が迫ってきたので、ラクト山科で 昼食用のパンを買って大学に出勤。

バスの中で、以前関西日仏学館のフランス語講座でお世話になった 先生らしき人を見つけた。後ろ姿しか見えなかったが、降りる時に 横顔を確認して、やっぱりそうだと分かったが、俺サマよりもずっと先に 降りていったので、見失った。今は関西日仏学館をやめているから、 Ritsの非常勤講師か何かやっているのかしら。

まずは昼食を挟んでいくつかの雑用を片付ける。コピー機のある会議室 に行ったら同僚某先生が居て、「某○○大先生の雑誌の雑文に高山先生の セミナーの時の写真が出ている」とか妙なことを言い出す。 何事かと思って、その記事の出ている本を見せてもらったら、 某セミナーで内輪の記念に撮った全体写真だった。

まあ、こういうのは流用する前にひとこと言って欲しかったものだと言いたい ところだが、そのセミナーでも俺サマはいつも気配を殺して座敷童状態 をキープしているので、「全員に了承を取ろうとしてたのですが、 この人だけ誰だかわからなくて、他の人に聞いても、知らない、誰だっけ? とか仰ってて、皆で『心霊写真みたいだ』って言ってたんですよ。 高山さんでしたか」とか言われそうな気がする。 そしたら、「そうでしたか。それは 光栄なお話です。もし事前に話が来てたら、私の部分だけ目の所を 黒い線で消すという条件で快諾したと思います」と(おそらく 昭和の昔に生まれた人間にしかわからない冗談で)斬り返すことであろう。 でも、数学者相手にこのような俺サマ好みの展開が期待できるほど、 世の中は面白ろ可笑しくはできていないはずだから、まあ、これは ここだけの話ということで。。。

しかし、一般に数学の研究集会やセミナーなどのスナップ写真の類は、 写っている人ひとりひとりの了承を取る式の五月蠅いことは言わず、 お互い自由にあちこち流用したり、Webで公開したりするのが一般的 習慣だと思われる。

まあ、実は写真のことはどうでもよくて、問題は折角「解放された」ばかり なのに、また数学者の世界にバック・トゥー・ザ・フューチャーしてしまった ことである。同僚氏にちょっとだけ見せてもらったが、それはどうやら何人かの 偉い数学者が数学者の世界を紹介した記事を本に纏めたもの。こんな本を 楽しそうに読んで、「高山先生も、読んでみますか?」と書名まで教えてくれる 同僚氏は、やっぱり数学者なのね、と。俺サマが数学者でないことも、 知らないのかもしれない。ご親切にどうも有難う。でも俺サマは 数学者じゃないから、その本を手に取ることはないでしょう、と。

その後、試験問題作成のための準備作業や明日の講義の準備などをやって、 16時過ぎに大学を出る。炎天下のバス停は、バスを待つ学生の長蛇の列が できていた。ようやく3台目のバスに乗って家路につく。

帰宅後、問題作成作業をすこしやって、夜はラクト・スポーツプラザ。 楽しいZUMBAと心安らぐ骨盤矯正ヨガ。ZUMBAなんて、あんな楽しい ものがあるなんて、、、やっぱり長生きはするもんだね、と。

ヨガで「赤ちゃんのポーズ」というのがあって、インストラクターによれば 「嫌なことや心の中の重たいものを全部吐き出すようなイメージで」行うべきもの だそうだ。勿論、俺サマは”バック・トゥー・ザ・フューチャー”を全部吐き出し てせいせいした。帰りはもうゴキゲンで、俺サマの定番曲、エポの♪暗いー、気持ち さーえ、すぐにぃー、晴れるぅー、そんなぁぁ、ダウンタウンへ繰り出そう (繰り返し)♪に始まり、その辺のカラオケでは決して歌えない、 サイモン&ガーファンクルの私選グレーテスト・ヒッツ・オンパレードで帰宅。

2011年6月26日(日)
<<解放される>>
6月にもう夏本場なのだから、8月にはもう秋風が吹いていることだろう。 と、希望的観測。京都新聞日曜版のいつもの2つのパズルを解 いた後、自宅で色々野暮用。また汗びっしょりになってしまったので、 さっとシャワーを浴びてから三条界隈に出る。久しぶりの丸亀製麺讃岐うどん で遅めの昼食。それから寺町通り上島珈琲でしばし数学。いつもの数学おばさん の姿は見えず。

色々用事があるので、夕方は早目に切り上げたものの、偵察飛行は忘れない。 ゼスト御池の某ブティックを覗いてみたら、いつもの怪しいオジサンではなく、 女の人が店番をしていた。ということは、怪しいオジサンは、またどこかで油を 売ってるのかしら。それは今後の調査課題ということにして山科に戻り、ラクト 山科で少し買い物をしてから帰宅。また少し野暮用。そして数学も少し。夕食後 は少しテレビなどを見てのんびりしてから、また少し数学。

2週間の研究集会の間、数学者について色々考えてしまうことが多く、自分 でもかなりうんざりしていたのだが、これでやっと「解放された」って感じ。 数学者のことを考えずに数学ができるのは、幸せなことだ。 俺サマの精神世界からオジサンと数学者を消去すれば、そこにはどこまでも 静かな世界が広がっているのさ、と。まあ、 8月にトロントに行くまでの僅かな間だけだけど。

え?でも、お前の大学での同僚たちは数学者じゃないのかって?まあ、 そりゃあそうだけど、幸いなことに自分と同じ分野の同僚も居ないし、 俺サマにとって彼らは数学者というよりも教育・学校管理の共同責任者。 つまり「ガッコのセンセイ」同志ってわけ。「学校の先生にしてはちょっと変 なのは、やっぱり彼らが数学者だからかなあ」みたいなことはあるけど。

だから、大学の同僚達とは、研究集会で顔を会わせる数学者達とは違う 面で接しているわけで、それはそれで気分的には楽である。 まあ、前に学科長やって「脳が歪んだ」時は、そうでもなかったけどね。

2011年6月25日(土)
<<捧げる>>
既に夏本番というか、今日は入道雲が出てたな。午前中は自宅で色々野暮用。 びっしょり汗をかいたので、シャワーを浴びてから、京大界隈へ。 久しぶりに生協ルネで昼食、そしてル書籍部を冷やかしてから、 ドイツ語寺子屋塾へ。グロタンカット、悪太郎サングラス、日傘という いでたちが余程可笑しかったのか、寺子屋の先生にウケて大笑いされた。 まあ、ウケれば何でもよろしい。15時前に授業が終わり、荒神口からバスに乗り、 地下鉄を乗り継いでまっすぐ山科に帰る。駅前のスーパーで買い物をしてから 帰宅し、しばし野暮用。夕食後、夜はラクト・スポーツプラザへ。 強い爺さん、モーレツあ太郎、黒ゴリラ、ガテン少年、休憩オジサンなどが 来ていたが、比較的すいていた。

さて、ナントカ60の話の続きである。数学の学術雑誌 を見ていると、タイトルの下に「本論文を○○教授60歳の誕生日に 捧げる」と書かれた論文を見掛けることは珍しくない。その辺の本の 最初に「この本を妻の○○に捧ぐ」みたいな事を書くのと同じノリ なんだろうけど、俺サマには、そんなことをして一体何の意味が あるのか、もひとつよく理解できていない。

それに「捧げられた本人は、それで嬉しいのか?」という疑問も残る。 恐らくは、大先生が喜ぶようなレベルの論文だけを「捧げる」ように、 一番弟子みたいな人が裏で采配しているのだろうけど、立派な 論文を自分に「捧げ」られたら嬉しいものなんだろうか。これは大先生に なってみないとわからない心情である。俺サマは自分では既に十分 大先生だと思っているのだが、残念ながら論文を「捧げ」られるほども 偉くないので、確かめようがない。ま、大先生もいろいろということで、、、

そういえば、ナントカ60研究集会が流行る前でも、○○先生還暦祝賀会 みたいなのはやってたと思う。俺サマは、今はもう故人だが、学生時代の 指導教官の祝賀会に出たことがある。一番弟子みたいな先生から招待状 が来たので、「こういうのは、(まともな)数学者になれなかった落ちこぼれは 普通欠席するんだろうな」と思いつつも怖いもの見たさで参加してみた。

で、行ってみたら「まともでない」のは俺サマと俺サマの同級生 だった高校教師の二人だけだった。しかし高校教師の方は、俺サマよりも ずっと「まとも」な人で、学部時代から優等生で、大学院に進学してからも 将来を期待されてた。その後、学卒で会社員になった俺サマは知らなかった けど、彼は指導教官の再三の慰留にもかかわらず、何故か数学者への道を 断念したようだ。後になって別の友人からその経緯を聞いて、「ふーん、 何だかよくわからないけど、彼は自分に厳しい人だったんだろうな。 いい加減でド厚かましい俺サマだったら、そのまま数学界に居座ってた だろうに」と思ったものである。

それで、高校教師の方は二言三言口をきいてもらっていたが、俺サマは、 「お前誰や?何しに来たんや?」と言わんばかりの、けんもほろろの扱いを 受けたな。ま、そういうことになるかも知れないなと、予想はしていたけど。

還暦祝賀会方式だと、こういうほろ苦いドラマが展開されるのだが、ナントカ 60研究集会方式だと、その辺はもうちょっとドライかつ生産的で、俺サマみたい なのでも安心して参加できるな。

まあ、論文を捧げるだの、ナントカ60だの、まともでない奴が来ては いけない祝賀会だの、数学者の世界には色々面白い風習があるのだけど、 一応当事者のひとりとして適当に肩入れしていかねばならない立場なので、 そうそう「面白い」とばかりも言ってられない。

2011年6月24日(金)
<<ナントカ60>>
蒸し暑い京都の夏って感じの一日。本日、M大先生還暦祝賀研究集会最終日。 午前中に2つの講演があって、あっけなく終了。猫は朝からどこかに行って しまってて、とうとう姿を見せず。

偉い先生の還暦の年にちなんで研究集会をするのは、代数幾何学系の比較的最近の 風習のような気もするが、単に俺サマが無関心だっただけで、案外昔から広く行われ ているのかもしれない。俺サマが知ってる一番古いのは"60Miles"と かいう大御所Miles Reidの集会で、まだ数年前の話である。

その後、少し気をつけていると合衆国やEU圏ではあちこちでやっていて、 日本でも最近2つのM60が行われ、「次は3つ目のM60だ」とか、 「否その前のI60があるだろう」とか、「そうこう言ってるうちにK60だね」 みたいな話を若い人たちはしているようである。元々若い人は 偉い先生がどうしたという話が大好きだし、自分に関係ある偉い先生の ナントカ60の裏方の仕事が回ってくるかもしれないとか、 あるいはそこで研究発表させてもらえる光栄にあずかりたいとか、 色々な事を考えているのかもしれない。

その一方で、60歳前後になっても「ナントカ60」の声が掛からない人も沢山 いるわけで、彼らの心中やいかばかりか?と他人事ながら気にならないでもない。 俺サマのように弟子も、自分の仕事が影響を与えた研究者も、仲間として若い頃から 長年一緒にやってきた同業者も誰もいない座敷童だと、ナントカ60は全く他人事 でしかなく「ふーん、数学者ってのも色々大変だな」と高見の見物をしているだけで ある。しかし微妙に弟子や研究仲間が居る人は、「あいつら、俺の還暦祝いしてくれ るのかしら?」と疑心暗鬼にかられたりするのかしら。 それもまた因果な話ではないか。

帰りはわざわざ数理研から遠いバス停まで行って、数理研とは別の方向から 来るバスを待ったのだが、例によって定刻になっても来る気配がない。そうこう しているうちに数理研の方からバスが来た。蒸し暑いバス停で待つのも嫌なので、 「ままよ」と乗ったのだが、案の定、研究集会に参加していた日本人数学者が、 ざっと見ただけで10人は目に入った。ということで、解除したばかりの 座敷童モードに再び戻る。

厄介なことには、俺サマが一所懸命謎の中国人のフリをしていたのに、 研究集会に参加していた日本人数学者の何割かは、俺サマが日本人であることを 知っているらしい。今日の研究集会でも、俺サマの前を通って奥の座席に行こう とした某大学の先生が、"Excure me!"ではなく「ちょっとすみません」など と言って通っていきよったので、寸でのところでその先生を取り押さえて、 「ちょっと待った。アンタ、何で俺サマが日本人だって知ってるのよ?」と 尋問してしまうところだった。

バスに乗り込んだ時でも、某大学の院生だかポスドクだかと目が合ったのだ が、彼は俺サマにぺこりと会釈しよった。研究集会に居たオッサンだと分かって いても、無名の中国人数学者にバスの中で会釈する院生だかポスドクなんている わけがない。彼は俺サマが日本人だと知っていたのである。しかし、 そんなことを知ってても何の得にもならないことを、彼は間もなく知ることだろう。

と、いうようなことを考えながら2週間も研究集会に参加していると、 思いっきり疲れるし、だんだん気分が滅入ってくる。やはり朝から夕方まで 沢山の数学者に囲まれて何日もすごすという生活は、仕事の必要性からとは いえ、やはり心身の健康によろしくない。

気分転換に先日蛸薬師通りに開店した博多ラーメンの「一蘭」に入って 昼食。あの「味集中システム・カウンター」の異様な雰囲気は、以前博多に 出張した時に入った店と同じだった。琴の音でBGMが流れていたが、 聴き覚えのある曲なので何だろうと思ったら、月曜日の楽しい(!) ZUMBAの最後の整理体操に使っている曲だった。

それから寺町通り上島珈琲でアイスコーヒーを飲みながらしばし数学。 そういえば、ゼスト御池でミセス向けのブティックをやってる怪しいオジサン が、もう一人のオジサンと一緒に上島珈琲に入ってきた。このオジサンは よく店を開けたままその辺をふらふらしているけど、こんなところまで足を 伸ばしていたとは。

上島珈琲を出てJEUGIA三条本店に入り、ラフマニノフの チェロ・ソナタ(んなもんがあったのか!?)を少し試聴。さらに Angers河原町三条店を偵察してから、ラクト 山科に移動して近くの床屋で夏らしくグロタンディック・カットにしてもらう。

夜は少し数学。

2011年6月23日(木)
<<安全確認>>
数理研でのM大先生還暦祝賀研究集会4日目。独自の調査によれば、 昨日のスーツ軍団は、あれから「内輪の誕生パーティー」が開かれ た関係ではないかと思われる。以前流れていたメールなどを確認して 裏付け捜査を試みたが、資料が消失していてわからなかった。 え?彼らに直接聞けばいいではないかって?どのみち俺サマには関係 ない話なので、「ま、どうでもいいか」と。

今日は朝9時半から17時20分頃まで、休憩時間も昼休みも短 めで、びっしり講演が詰まっていた。Ritsの学生さんは、土曜も 祭日も蹴飛ばして、毎日こんな日々を送ってるんだろうな。まったく 御苦労なことだ、と。

昨日は名札を自宅に忘れて、ああ、俺サマのボケかましはどどまる ところを知らない!とがっくり来て、今日は忘れずに持っていった。 しかし、座敷童に名札は要らないなと思い、一日名札無しですごした。

昼食は、昨日の定休日で食べ損ねた、新福菜館百万遍店のスタミナ丼 セット。また、昨日名も知らぬ事務員さんに教えてもらった秘密の技 で、猫との関係も少し改善。

帰りのバスには、研究集会帰りの日本人数学者も何人か乗っていて、 百万遍から京都市役所前まで俺サマの後ろの席の二人組の会話をたっぷり 聞かせてもらった。まあ、何のかんのと勤めている大学の愚痴を言い合うのは、 日本人数学者の挨拶代りのお決まりの話題だが、それ以外に誰先生は 怖いか?みたいな話もしていた。

彼らの話を背中で聞いていて、やはり「数学者は怖い」という認識は 俺サマひとりの思い込みではないことが分かった。正確には「偉い数学者は (往々にして)怖い」という点で、彼らと俺サマでは意見が一致していること が分かった。ただし、彼らと違って俺サマの場合は、偉いわけでもない普通 の数学者も「怖い」あるいは「面倒くさい人種」だと思っているけどね。

「偉い数学者」の多くが怖いのは、数学という学問の厳しさを笠に着ている からだと思われる。学者など、いくら偉いと言っても所詮は学問の使い走りに すぎないのだけど、何故か自分が学問そのものになった気分で、自分にも他人 にも厳しくあたり、「学問の名においてお前は許せん!」みたいな大口を 叩いたりする。偉い先生になると、皆遠慮して勘違いしていることを指摘 しないから、図に乗ってどんどん怖くなる。まあ、そういうカラクリなん じゃないかしら。

だから、大先生に近づくのは、彼らがうんと年を取って「自分もすっかり 駄目になったなあ」とか弱気になるのを見届けて、安全が十分確認されてから にした方が良いと思う。でも、俺サマがこんなこと言うまでもなく、皆さん、 大先生のあしらい方は俺サマよりもうんと上手だけど。まあ、俺サマが下手すぎる だけなんだけどね。

2011年6月22日(水)
<<背後霊>>
数理研でのM大先生還暦祝賀研究集会3日目。今日はM大先生の講演を最後 に控え、朝から大物の講演が続き、立見が出るほどの大盛況。

午前の講演の合間に集合写真撮影。例によって皆さん、どうぞどうぞと互いに 譲り合ってなかなか前の方が詰らない。こういうのは最前列の主賓席に座らな ければ、あとはどこで突っ立ってても構わないわけで、ごちゃごちゃ言い合って る人々をよそに、俺サマはちょうど空いていた主役のM大先生の斜め後ろに立った。

後で「ここに写ってるのは誰だ?」「さあー」と誰も知らず、「背後霊 の心霊写真?」みたいな話になるかも。俺サマは普段は座敷童だが、たまには 背後霊になるのも悪くないな。

午前の講演が終わるや否や、居眠り猫にちょっと挨拶をしてから 新福菜館百万遍店にダッシュ!しかし、今日は定休日らしく、閉まっていた。 しょうがないので近くの別の中華料理店へ。ここは俺サマの学生時代には ちょっと洒落た感じの喫茶店だったが、俺サマが会社をクビになりかけて 東京から引きあげてきた頃には、中華料理店に変わっていた。

M御大の講演は、これまでの輝かしい研究生活を振り返るような話で、 数学的な内容の他に色々なエピソードも交えた、楽しく、かつ、感動的な ものだった。偉い数学者の職業生活には、俺サマにはあずかり知れない 美しいドラマがあるもんなんだな、と。

この講演の直前に、弟子筋の関係者が全員、それまでのラフな格好から 一転してパリッとしたスーツに着換えて姿を表したのには、何事かと驚いた。 講演の最後にスーツ組の若い衆が、わっとM御大を取り囲んで胴上げでもするのか と期待したが、世の中はそうそう俺サマ好みに馬鹿馬鹿しくはできていないらしく、 最後は何事もなく平穏に解散となった。

帰りに居眠り猫と遊んでいたら、どこかの事務職員の人が帰宅途中に 「ト―ラちゃん!」とか言ってやってきた。そしたら居眠り猫め、さっと 起き上がって「にゃん」とか言いながらその人の所に行き、ごろんと横に なってさんざん甘えよった。

何だよ、俺サマとはずいぶん人あしらいが違うじゃないかよ。俺サマ相手 の時は、「ほら、お前なんざ、手の肉球でも触って喜んでりゃあいんだよ。 おっと、足は駄目よ。足の肉球は触らせないよ(理由は不明)」みたいな感 じで、居眠りしたままなのにさ。

嫉妬に狂う気持ちをぐっと押さえて、その事務員さんと少し話し、居眠 り猫を手なずけるコツをひとつ教わった。

帰宅後、夜は少し数学。

2011年6月21日(火)
<<実はゼロではない>>
出勤日。今日は数理研の研究集会で大物S御大の講演があったのだが、 最近の大学はそうそう休講ができない仕組みになっているし、明日もまた 大物KとMの両御大の講演があるので、今日か明日かどちらか一方を斬り 捨てなければならない。そこで休講にする科目数が多い方、また、講演する 大物の数が少ない方ということで、泣く泣く今日の講演を見送ったのである。

実はエディンバラでS御大の講演を聞いたのだが、さっぱりわけがわから なかったことも、今日を見送った理由のひとつである。しかしながら、御大が 素晴らしいアイディアマンで、新しいアイディアを惜しみなく弟子に話し、 しかも数学者にしては珍しく(!)オープンで温かい人柄で、沢山の弟子たち に慕われていることは、俺サマにもよくわかった。 それで俺サマは今、S御大の隠れファンで、例え内容はわからなくても 御大の講演を聞きたかったなあと、残念でならない。

と、悲しい思いで出勤。10時40分から12時10分まで、4回生「計算機数学」。今日はグレブナー基底の定義を復習し、それがイデアルの生成元であること、 そしてイデアル所属問題や割り算問題にうまく対応できる良い性質を持っていること を証明し、ブーブバーガー条件の位置づけと、ブーブバーガー条件を定式化するための S多項式の定義を示す。受講生は5名程度。

短い昼休みの後、13時から14時30分まで、経済学部、経営学部2回生配当 の「C言語とUNIX演習」。受講生は3回生が4名、4回生が1名。やはり40分以上遅れてくる学生が居るが、とりあえず遅刻扱いにして放置する。既に5番目の課題に進もうとしている学生も居る一方で、まだ2つ目の課題をやっている学生もいる。 俺サマの作った課題は、誰でも真面目にやっていれば、サクサクとは行かなくても、 着実に進むように出来ている。だから両者の違いは、単に真面目にせっせとやっているか、休んだり遅刻したりしながらやっているかの違いでしかない。その意味で、努力の結果が忠実に成績に反映する、実にすばらしい講座と言えよう、エッヘン!、と 意味もなく威張っておく。

その後、引き続き14時40分から16時10分まで2回生配当「代数学序論I」の講義。剰余類の定義とその基本的な性質のいくつかを証明し、ラグランジュの公式の 証明をする。次に正規部分群の話に移り、アーベル群の部分群が全て正規であること を示し、今後のこの講座の目標は剰余群の概念の理解であることをアナウンスして 終わる。

講義が終わってから、生協トラベルで予約しておいた8月のトロント行きの 航空券を購入し、出張手続きやその確認作業など。5月に既に事務的な申請書を 提出したのだが、すっかり忘れていてもう1度提出しようとするなどというボケを かましてしまった。まあ、ずいぶん前に提出したのに、執行部の方でなかなか認可 処理が行われず、たぶんそのためだろうが、経理課に問い合わせても「そのような 書類は届いてない」と言うから、もしかしてまだ出してなかったかしら?と思った 次第。まあ、この程度なら、空の財布を持って京大に行ったり、京大に行く積りが Ritsに出勤しようとしてしまったりする、今の俺サマのボケぶりからすれば、 どうってこともない「ちょっとした勘違い」さ。

それ以外に生命保険の更新関係で、またもあの「永遠の新米」係員の尻拭いの ような雑用も。あの係員も、今の俺サマのボケぶりに比べれば、、、否、 いくら何でも俺サマの方がまだマシだと思いたいけど。

それやこれやの雑用で帰宅はいつもよりも少し遅くなる。。

ところで俺サマの数学者嫌いは、何人かの数学者に起因するトラウマ が原因だろうと思う。俺サマも一応京大の数学科出身なので、数学者が 要注意人種であることは若い頃からよく知っている。だから、研究上で接触の 必要性が生じた数学者は、事前に人物調査をして「危ない人」でないことを 確認することにしている。

しかし数学に転向して以後10年以上の経験を振り返るに、周囲の評判や、 研究集会の休憩時間等での立ち振る舞いを遠目に観察して、「良さそうな人だ」 と判断した人の多くから手痛い仕打ちを受けてきている。こうなると、例え表面上は 友好的で親切そうにニコニコしている数学者も、いざとなったらどこでどんな風に 牙をむいてくるか知れたものではない。だから、俺サマに対して親切で友好的に 見える数学者に対しては、その良好な状態を保つためにも、十分な距離を置き続 ける必要がある。

あと、この問題には俺サマがオジサンになったことも関係しているように 思う。以前、50代のオバサンが「私、50代になって本当に自由になったわ」 と言ってたが、実はオジサンも結構自由なのである。若い頃は何かとしがらみに 囚われて窮屈なものだが、人間50を過ぎれば街のどこに居ても好きな時に鼻糞 をほじくり鼻毛を抜き大きな声でくしゃみをし、、、否、そういう話ではなく て、会いたい人間とだけ会えばよく、話したい人間とだけ話せばよいのである。 どこでいきなり牙をむいてきて不愉快な思いをしなければならないか知れたもの ではない人種と、無理して付き合う理由は、実はゼロではないのだが、ほとんど 無いのだ。その意味で、オジサンであるがゆえに、「数学者って、どうも苦手 だな」という自分の気持ちと真正面から向き合うことができるのである。

しかし「実はゼロではない」というところがミソで、もしゼロだったら 俺サマは、この問題で悩んで見せて日誌のネタにすることが出来なくなる。 もうちょっと年を取って、「今、所長は誰かな?××教授?じゃあ、 その××君に相談してみようかな」みたいな事が言えるぐらいになったら、 「ゼロ」になるんだろうなと思うけど。

2011年6月20日(月)
<<もひとつ分からない>>
M大先生還暦祝賀研究集会第一日目。先週の前夜祭的集会もかなりのものだったが、 今日はこの分野のスターたちが世界中から続々と集まってきたって感じ。午前、午後にそれぞれ 講演を2つずつ聞く。休憩時間が長めにとってあって、皆さん旧交を温めたり議論に 花を咲かせたりとご盛んな様子。しかし自虐の淵に沈む俺サマの場合、休憩時間が 長いとただ単に退屈なだけ。しかもその分昼休みが短いので、昼食は ちょっと遠くに足を伸ばして、という具合にはいかない。河原町三条丸亀製麺の 讃岐うどんはここんところ食べてないし、最近博多ラーメンの有名な店が蛸薬師通 りにオープンしたので、ぜひそこにも行ってみたいと思っているのだが、こう昼休み が短いとそうもいかない。ということで、今日も新福飯店百万遍店で昼食。長い休憩 時間は、PCでメールをチェックしたり、居眠り猫と静かに語りあったりしてすごす。

昼休みに数理研の図書館に居たら、どこかの国立大学の名誉教授と名乗る かなり高齢のオジサンがやってきて、資料をコピーしたいと言っていた。数理研は 所員以外は一時貸出で生協などでコピーをしろという規則になっている。 一時貸出手続きも面倒だが、雨の日などに資料を抱えて生協くんだりまで 出掛けて戻ってくるのも一苦労である。このシステムはけしからん、 東大の某所は部外者でも自前でコピーカードを買えば所内のコピー 機を使わせてくれるぞという話を昔聞いたことがあるが、いまだに改善されていない。 それでこの名誉教授氏も外でコピーして来いと言われていた。しかし面白いのは この先である。
名誉教授氏:「うー。うー。所長は誰かな?」
事務員:「所長は××教授です」
名誉教授氏:「うー、じゃあ、××君に相談してみるかな」
事務員:「あ、そうですか。ちょっとお待ちください。やはり、生協とかでは 困りますよね。」
と言って、おそらく所員用のコピーカードを持ってきて、所内のコピー室に 案内していた。「所長に相談する」と言い出すから「君、全国共同利用施設で こんなことやってちゃあ、駄目だよ。所長の君が頑張って、この制度を何とか 改めてはどうかね」とか直談判するのかと、ちょっと期待したのだけど、 単に有名大学名誉教授の威光で もって上から手を回して自分だけ楽しようってことだったらしい。 高齢で結構体もしんどそうだったし、そういう時は肩書きでも何でも利用できる ものは利用するという態度は、ある意味正しいと思うけどね。でもまあ、ごく普通 の年寄りのすることだな、と。事務職員の方も敬老精神に溢れていて、感心感心と いうことで。。。

集会は17時に終わり、猫に挨拶をしてすぐに帰宅。夕食後、夜はラクト・スポー ツプラザで楽しいZUMBAと骨盤矯正ヨガ。ZUMBAは最後に皆で"We love ZUMBA!"とか気勢を上げて終わるのだが、ほんんまに、こんな楽しいもんはやめられ まへんな。来週も行きますよ、絶対に。

そういえば、最近調べている某理論は、20年ほど前に有名数学者による 決定的な論文が出て、それで理論が完成したかと思われたそうである。 しかしその論文の証明に省略やギャップが多く、証明を完全にフォローできた 数学者は居ないとまで言われていたぐらいで、正当性に疑問をもつ数学者も 多かった、と。ところが比較的最近に日本人数学者が完全解決してすっきり したらしい。

しかし考えてみれば妙な話である。論文の証明がわからなければ、著者を 集中セミナーか何かに呼んで、皆で質問攻めにすれば、これは埋められるギャップ、 これは実は著者自身でも埋められないギャップと簡単に白黒がついて、埋められ ないギャップは今後の課題としましょうという話になるではないか。

しかし、どうもそういうことをやらずに妙に著者に遠慮して、皆で「あの論文 わからんなあ」と陰でひそひそ言い合って、「しょうがないから自分達で考え直 してみよう」みたいなことをやっていたようにも思える。

俺サマごときが著者に質問すると、「馬鹿か、お前」みたいなけんもほろろの 態度で碌な返事もなく、テキトーに黙殺されるのがオチだから、分からない論文も 泣きながら一人で解読しなければならない。しかし、俺サマとは違うマトモな 数学者は沢山いて、今日の数理研での研究集会を見てもそうだけど、マトモと 認め合った者同士、日頃から仲良くわいわいやっているみたいだから、 証明のギャップに関する質問ぐらい、普段からやってるだろうと思ったのだけど。

ま、彼らの世界がどうなってるのか、俺サマみたいに外から偵察しているだけの 人間には、もひとつわかんないね。

2011年6月19日(日)
<<人生やり直す>>
やはり研究集会が2週間続くと忙しくてしょうがない。集会の合間に講義 をしたり野暮用をしたり、自宅に財布を取りに行ったり、自宅は出てみた ものの、今日は何処に出勤するのかわからなくなったり、関西日仏学館 で授業を受けたり、ZUMBAや骨盤矯正ヨガをやったり。中日の今日 ぐらいはのんびりしようかと思ったが、昨日大学に出勤した時にやっておく べき仕事を1つ忘れていて、仕方なく午後は大学に出勤。その帰り、夕方 は烏丸四条界隈に繰り出して衣料品の買い出し。これも今日行っておかないと、 なかなか行く機会がないので。ついでに夕食もその辺りで済ませてから帰宅。

その合間合間に昨日図書館で借りてきた文献を眺めたり、それに関連した ことををネットで調べているうちにに、その辺りの理論の様子が分かってきた。 数年前に某数学者が学士院賞だのなんだのを受賞したということで、学界で 話題になっていたが、それがまさにその話だとわかった。しかし、これが私 が考えている問題の解決に関連しそうかどうかは、今のところよくわからない。

受賞といえば、春の叙勲のことが新聞に出ていて、受章者の某数学者の インタビューが新聞に出ていた。曰く、最近は(高齢のため)体力が衰えて、 自宅にひきこもって昔書いた自分の論文を読み直して感慨にふけっ ている、と。これには驚いた。やっぱり偉い数学者は言うことが違う。 俺サマなんか、昔書いた自分の論文なんてゴミみたいなもの、見たくもないけどね。 俺サマが10年毎に専門分野を変えているのは、自分の過去数年のクソ 研究業績の記憶から逃れて人生やり直したいって願望があるからだし。 そうさ、俺サマは10年毎に人生やり直してるのさ。でも、やり直すたびに どんどん性格がひねくれて行くような気もする。最後にはぼろ雑巾みたいな 性格のクソ爺になって、鴨川べりで野垂れ死にできれば本望である(と日記には 書いておこう)。

まあ、もし俺サマが、この大先生の年齢まで生きながらえていたら、数日前 に描いた自分の絵を見て「うーむ、やっぱり俺サマは天才だな」って感慨に耽って るかも知れないけど、昔書いた自分のゴミ論文なんて絶対見ないと思うな。

絵といえば、今日は出勤したついでに、学生時代に描いた絵を額に入れて 研究室に持って行き、入り口のあたりに飾った。廊下側からドアのスリットを 通して研究室の中を覗くと、ハローキティー暖簾と私の絵とミロの絵が並んで 見える。ミロの絵と自分の絵を平気で並べるところが、いかにも俺サマらしい ところで、「うーむ、ミロの才能にはちょっとかなわんけど、、、ま、(俺サマ の絵も)それほど遜色ないな」と。

2011年6月18日(土)
<<40分遅れで現れる>>
本日、おそらく5月の連休の5月4日(火)分の補講日で、火曜シフト。 10時40分から4回生配当「計算機数学」。受講者1名。それでも、かつて 担当していた大学院の講義よりはましである。板書の間違いまで指摘してくれるし。

かつて担当していた大学院の講義では、受講者1名は当たり前で、しかも 授業が始まる時にはまだ誰も居ないのが普通だった。誰も居ない教室でひとり 黒板を相手に講義していると、だんだん声を出すのが馬鹿馬鹿しくなってきて、 次第につぶやき声になり、最後には口をぱくぱくさせながら板書を進める。 そんな感じで40分ぐらい経つと、ようやく1人の受講生が現れる。で、 「ミュート、解除しますか?」と聞くと、「ええ、お願いします」とか言うので、 それから声を出して講義を続行するといった按配だった。

別の年度では、40分遅れで現れるたった一人の受講生が、毎週入れ換わった。 これは講義を聞きにくるというよりも、学生たちの間で順番を決めて、交代で 「様子を見に」来てるって感じだった。

そうかと思うと、たった1名の学生が毎回きっちり出席して必死でノートをと っている年度もあった。その学生が全く何も理解してなくて、ただ黒板に俺サマ が板書する「意味不明の白黒模様」を「写生」しているだけなことは明白だったの で、「単位は出しておくから、もう来なくてもいいよ」優しく声を掛けて、無事 閉講にした。

かようにRitsの大学院で講義するには、笠地蔵やパンの耳を前に何時間でも 一人で喋っていられるぐらい度胸が据わってないと駄目で、俺サマのように精神構造 がヤワな人間では、とても歯がたたない。

今日の「計算機数学」では、素朴な割り算アルゴリズムがイデアル所属問題に 使えないことを例を使って示した後、グレブナー基底の定義とグレブナー基底で ないものとの違いの例示し、終了時刻12時10分よりもすこし早目に終了する。

短い昼休みを挟んで13時から14時30分までは、経済学部、経営学部の 「C言語とUNIX演習」。こちらは普段よりも出席率が良く、受講生は5名。 しかし1名は40分以上遅れてやってきた。Ritsの学生にとって、 「40分遅れて授業に現れる」ことに、何か深い意味があるのかも知れない。 こういう事は学生に聞いても、「べつに」とかいう感じで本当のことを言うと は思い難い。そこで今後の調査課題に設定したいような気もするが、俺サマは大学や 学生のことをあまり深く考えても何も出てこないことを経験的に知っている ので、やはりそれはそれとしてそのまま受け入れておくことにしようと思う。

この講座の今年の学生は、すこしのんびりしている感じだったが、ようやく 課題に取り組むペースが掴めてきたようで、多くの学生が中間レポートを提出 して次に課題に進んだ。レポートの提出前チェックなどで個別指導をしたりして、 今日は結構忙しかった。

引き続き2回生「代数学序論I」。これも普段通りの数の学生が出席していた。 今日は3次方程式の解の公式を導き、ラグランジュの公式の証明の概要を示し、 剰余類のアイディアについて言及する。

講義の後、研究室に戻ってPCのセキュリティーソフトの入れ替え作業。 これまで某社の悪名高いソフトを毎年数千円のお金を出して買うという愚かなことを していたので、そのしょぼいソフトのライセンスがあと5日で切れるこの機会に、 大学が纏めてライセンス契約している高性能ソフトに乗り換えた。

それから図書館に行って、昨日、京大数理研で貸出中だった文献を借りだす。 Ritsの図書館は結構充実している上に同業者が居ないから、必要な文献の 多くは揃っており、さらに誰かが既に貸りているようなことは、まず起こらない。 かように、結構良い研究環境の大学に居るんだから、もっと頑張って研究しないとね。

18時過ぎに大学を発ち、山科駅前のイタリア料理店で夕食をとってから帰宅。 夜はここ数日の疲れが溜まって、しばし放心したり、図書館で借りてきた文献を 眺めたり。

2011年6月17日(金)
<<ふなくち菊水の5日目>>
今日も9時半から京大数理研の研究集会に参加。前夜祭集会の最終日で 終了は15時15分。昼食は今出川通りインド料理店Rajuにて。 猫はやはり寝ていたが、途中「散歩」に出たらしく姿が見えなかった。 なるほど、途中に散歩に出て、また戻ってきて昼寝することもあるのか。 やはり数理研の研究集会に出ると、意外な知見が得られるな。

集会終了後、数理研図書室でしばし数学。端末で検索したり書庫に 出たり入ったりして不審な動きをしていたら、職員の一人に「何かお探しですか?」 と職務質問された。まあ、探しているといえば探しているのだが、 その本は今貸出中のようで、理学部数学教室の図書館にしかないから、 ま、いいか、と。そういうようなことを言うと、「えーと、立命館の方ですね」 とか言って、数学教室で本が借りられるかどうか確かめてみないとわからないと いうようなことを言う。まあ、借りられないことは既に知ってるんだけど、 俺サマがRitsの教員であることをちゃんと覚えているとは、 なかなか恐ろしい事務職員だ。

色々な研究集会やセミナーで俺サマと顔を会わせている数学者たちは、例 え俺サマと顔を会わせるのが10回目を超えてようが、全然気付いていないか、 あるいは、そういえば良く顔を見る奴だが、重要な数学者は全部押さえてある し、それ以外の有象無象その他大勢のひとりなんて、どうでもいや程度に思 っているのが普通である。要するに俺サマは彼らに相手にされてないわけだし、 俺サマとしても、数学者ってのは色々邪魔くさいから、変に相手にされないよう に振舞っているふしもある。英語で言えば、"I am nothing. You do not have to care about me at all."ってオーラを全身から発してるわけ。プライドめちゃ高 の俺サマが、I am nothing. なんて本心で思ってるわけないのだが、対数学者対策 として、そういうことにしてある。

そういう状況で、「えーと、立命館の方でしたよね」といきなり言われると、 ちょっとびっくりするな。まあ、それが彼らの仕事なんだろうけど。

夕方、数理研図書室の閉館時間が来たので、散歩から戻ってきて昼寝をしている 猫とちょっと遊んでから、京大ルネ書籍部をさっと偵察し、関西日仏学館図書室へ。 フランス語の予習はさぼって、少し数学と居眠り。嗚呼、俺サマは疲れたぜ。 体力的に疲れたというよりも、精神的に疲れた。このまま地獄の底まで めり込むように眠りこけたいが、そうもいくまいと、京大ルネで早目の 夕食をとって、19時から21時過ぎまで関西日仏学館で春学期最後の授業 を受ける。

授業中に先生から、ユキヒデはクラシック音楽が好きなのか?と聞かれたので、 そうだと答えると、どの作曲家が好きか?と聞いてきた。「またか」と思って、 ヘンデルだと答えておいた。別に好きな作曲家を全部答えよと言われたわけでも ないしね。

授業が終わってから、打ち上げのような呑み会があったようだが、明日は補講日で 朝から授業なのでパスする。明日に予定されている高校時代の友人たちとの昼食会も パスしたし、こういうのはかなわんなあ。

こんな日はハイボール小缶やチューハイのミニ缶のような軟弱なものでは駄目である。ふなくち菊水1番しぼり200ml缶でガっツリ行こうということで、 いつものコンビニで買って京都市役所前駅まで歩行飲酒。

昨日から学科のメーリングリストで、某ソフトウエアのインストールを めぐって二人の先生が長い長い公開文通をしている。もう10年以上昔に ことだが、俺サマは某数式処理システムをUnixマシンにインストールしようとして、 アメリカの数学者兼プログラマと同じように文通したことがある。 たぶん10回を超えていたと思うが、何回目かの質問に対し、 それまでの親切で友好的な文面とは打って変わって、「何でお前はそんなしょう もない質問をしてくるんだよう!?信じられない!馬鹿じゃねーか?」みたいな 返事が返ってきたので、それっきり文通は中止になり、インストールは失敗した。

今振り返るに、数学者でもある奴が3回でキレなかったのは、半分プログラマが 入っていたからかもしれない。その一方で、親切な文面が急に手の平を返したように キツイ態度に変わるところは、流石に数学者である。でも陰険に黙殺モードに入ら ず、さんざん悪態をついて見せるあっけんからんとした態度は、やっぱりプログラマ だからかな、と。一般に計算機屋は口が悪いが腹黒ではなく、数学者は 物言いは妙に慎重だが腹黒である(と、またいい加減な法螺をぶちかまして おこう)。そして俺サマは口も悪いが腹も黒いんだぜ、 ふっふっふー。

今回のメーリングリストの文通で、相手の先生が3回を遥かに超えた質問に 対してもキレてないところをみると、実は彼は数学者じゃないんじゃないかしら。 あるいは、俺サマは全然興味がないのでちゃんとは読んでないが、実は質問内容 がそれほど「馬鹿げて」いないから、何回やりとりしても誰もキレないのか。

そういえばマトモな数学者同士が何度もメールでやりとりしながら数学の 議論をするという話は聞いたことがある。俺サマはマトモじゃないから、 3回目で相手がキレて黙殺モードになるけどな。

等等、色々なことを考えつつ、「いつまでやってん だろうな」と面白がって様子を見守っている。

2011年6月16日(木)
<<どっと疲れる4日目>>
また、あのシリーズの瞬間的復活である。とうとうエディット・ピヒト・アク センフェルドのCDを買ってしまった。このCDではないが、別のCD(例えば、 バッハの「フランス組曲」など)に写っているチェンバロは、彼女が亡くなった後、 京都の某チェンバロ奏者が譲り受けたそうで、それを見せてもらったことがある し、勿論演奏も聴いた。

さてこのCD,付属の解説書を見ると、プロデューサーの何某の手記に、 彼が生前のピヒトにある依頼をしたところ、「答えは"Non"と即座に断られた」 とあった。フライブルクで生まれフライブルクで亡くなった、生涯をJ.S. バッハの研究に奉げた生粋のドイツ人のピヒトが、"Non"なんてフランス語 で返事するかね?いい加減なことを書いてるな。

しかし、恐れていたチェンバロの音や演奏の感じ(曲の解釈) は申し分なく、これならピヒトの他のCDも買ってもいいなと思った次第。 J.S.バッハのチェンバロ曲なら、トン・コープマンもいいけど、 ピヒドの方がもっといいかも。

本日、財布の中身を忘れることも、京大とは逆の方向に向かうこともなく、 午前9時過ぎに無事京大数理研に到着。午前中は2つの講演を聞いた。 午後一番の講演は聞いても理解不能なのでパスして、自主的に昼休みを3時間とり、 新福菜館百万遍店での昼食を挟んで、ちょっと面倒な野暮用を片付ける。携帯電話 で某所に連絡したり、ノートPCでメールを確認したり、数理研図書室や 理学部数学教室や今出川通りの郵便ポストのあたりを行ったり来たりしたり。 しかし結局1時間ぐらい時間が余ったので、数理研図書室で午前中の講演のノート を読み直したり、1階外階段のところで猫と遊んだり。

夕方頃、猫はむっくと起き上がり、またも顔を洗ったり身づくろいをし始めた。 おおっ、いよいよ「ご出勤か!?それにしては、まだ16時にもなってないし、 ちと早いな」と思っていたら、17時頃にもう一度見に行ったら、また寝ていた。 数理研の若い人に聞いたら、「猫が顔を洗うのは『今、雨が降ってます!』 っていう合図では?」と抑制のきいた秀逸なボケをぶちかましてくれた。

そういえば、Ritsで1回生の演習を教えたことのある学生M君が、 別の研究集会で発表するために数理研に来ていた。Ritsを卒業して 某国立大の大学院に進学し、今は博士課程1回生だそうだ。研究集会で 発表できるようなオリジナリティーのある修士論文を書いたのだろう。 立派なことだし、「今後の活躍を期待してるからね」と言っておいた。 うーん、学生に対して超淡泊な俺サマにしては、珍しく先生風を 吹かせた熱い言葉を放ってしまい、我ながらちょっと照れる。

それにしても、財布の中身を自宅に置き忘れて、山科と京大の間を タクシーを乗り継いで大慌てで往復したり、Ritsに出勤する フリをしてから方向転換して京大に向ってみたり、午前は京大、 午後はRitsで講義と大行脚したり、昼休みに野暮用であちこち 動き回ったり。さすがの私もくたびれてきた。来週はいよいよ M先生還暦祝い研究集会の本番だから、やはり同じような感じで 推移するのかと思うと、どっと疲れが出てきた。

疲れた時は、とりあえずCDの衝動買いである。数理研の帰りに JEUGIA三条本店に寄って上記CDを購入。最初は バレンボイムのショパンのCDにしようかと思ったのだが、 ピアノ協奏曲第1番の第3楽章の出だしのところを試聴したら、 何だかオッサンくさい弾き方をしているので、 「先日買ったアルゲリッチの方がいいな」と思ってやめた。

それからAngers河原町 三条本店を偵察し、その辺の回転寿司屋で適当に夕食をとってから帰宅。 帰宅後、デザートのフルーツヨーグルトを食べて、白ワインを一杯だけ。

夜はフランス語の宿題を片付け、すこし数学。