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よ け ス ペ ー ス で す。

2012年3月15日(水)
<<大先生の最終講義>>
10時前に自宅を出て、タクシーで京都駅に向かう。今日は京都女子大の卒業式 らしく、その辺りの道路が渋滞していて、10時半の新幹線に間に合うかどうか、 すこし肝を冷やした。

車中は数学を考えたり居眠りをしたりして、13時過ぎに博多着。それから 地下鉄やらJRやらバスやらを乗り継いで、九州大学の新しいキャンパスへ。 以前の九大数学科は空港の近くで、10分に1回ずつ飛行機の轟音が聞こえる 所だった。今度は、Ritsの琵琶湖キャンパスに負けないぐらいの、陸の孤島の ようなところに移ったようだ。

今日は15時から16時まで、代数幾何学の偉い先生の最終講義。大教室が満杯 状態で熱気ムンムン。日本の代数幾何学研究者のおもだった面々が全部顔を出してい るって感じだった。講義は、研究活動の話もあったけれど、学生時代の思い出話など も色々織り交ぜられていて、俺サマでも十分楽しく聞くことができた。

この最終講義の内容や会場に集まった面々を見るに、数学者というのは俺サマの ような馬鹿にとっては天敵だけど、「こいつは馬鹿ではなく、我々の仲間だ」と認め られた者にとっては、結構アト・ホームな仲良しクラブみたいな世界なのかもしれない。ま、俺サマとってはどうでもよいことだけどね。

数学者について「厄介な連中だな」と思うことの一つは、挨拶の問題である。 研究集会の懇親会とか合宿制の研究集会などで親しくなって、「それでは、また」 って調子で、いい感じで別れた数学者に、数ヶ月後別の研究集会で顔を合わせたと する。そういう時は、「ああ、お久しぶり」とにっこり会釈ぐらい交わすのが普通 だろうと俺サマ思うのだが、数学者ってのは俺サマが会釈しても、知らん顔するん だな、これが。

挨拶ぐらいしてもバチは当たらんだろうと思うんだけど、俺サマと初対面で話 したとき「こいつは馬鹿だ」と判断したから、もうこんな奴の相手はすまいとでも 思ってるのだろうと推察している。まあ、この推察が全ての数学者にあてはまるか どうかは知らないが、俺サマは、自分の研究に直接メリットのない人間は文字通り 石ころ同然にしか思わないという数学者を少なくとも一人は知っているので、 他にも居るかもしれないな、ぐらいには思っている。

しかしもしかしたら、それは数学者がシャイだからかもしれない。以前、 同僚として一緒に居た若い先生が、京大近辺などでふと顔を合わせても、 知らん顔してるのが気になってしょうがなかった。こちらが「あっ、○○さんだ」 と思って挨拶しようとすると、向うも気付いた気配があって、さてこの瞬間に でも会釈をと思った途端に、ぷいと目をそらされるのである。「変な奴だなあ」と 思っていたのだが、もう少し親しくなった後は、50メートル先からもこちらを 見つけてニコニコしながら近づいてくるようになった。まあ、これをシャイだと いうのも、わからんでもないけど、もうちょっと何とかならんのか、と。

計算機屋の頃はあまりそういう事はなく、一度でも親しくなった人とは、 一定程度の挨拶は欠かさないというのが、お互いの暗黙のルールだったので、 一度親しくなった人にでもプイと知らん顔を決め込むのは、数学者の特徴で はないかと思っている。俺サマは若い頃から親や上司たちに、 「まともに挨拶もできない碌でもない奴」と言われて育ち、今でも他人様に 挨拶のことをエラそうに言える柄でもない。そんな俺サマでも、数学者はちょっと 酷過ぎると思う。俺サマが数学者に対して日頃「人間、いくら何でもああなってし まってはいけない」と言っているのは、そういうことも一部念頭に入れてのことで ある。

それで俺サマはどうしてるかというと、「もう、あいつら面倒臭いから、 マトモには相手にしない」と内心決めてかかっているようなところがある。 勿論、それだけではなくて、彼らが俺サマのような馬鹿の天敵だから、とい うこともあるんだけど。数学者と俺サマの関係は、個別の例は別として、 一般的にはたぶん修復不可能と思われる。別にそれでも数学研究はやってけ るから、いんだけど。

これもまた、数学者という面倒臭い人種相手に新たに人脈を構築する労力と、 それがもたらすであろう研究上、あるいは一般的に人生における豊かな交友関係 のメリットを比較考慮したとき、 あと(俺サマの定年までの)10年(+α)程度という制約条件 の下では、(人脈構築のために努力するのは)「全く割に合わない」と判断 した結果である。

多くの数学者にとって、若い時からの研究仲間は、大学を定年退職して、 数学研究をリタイアする頃まで、公私ともずっと親しく付き合う間柄 のようだけど、俺サマは研究分野を転々と渡り歩いてきたので、 そういうものとは無縁である。それだけに、同業者との人間関係には ドライな考え方をせざるを得ない面もあるのだ。

最終講義でもひとつ気になったのは、大先生は若い頃教養部に居られて、 色々な分野の先生と交流して刺激を受けたというようなことを、ちらりと話 されたことである。年配の先生で似たような話はちょくちょく耳にする。 大学は色々な分野の専門家が集まっているから、うまく交流すればそれなりに 知的刺激があって楽しいものなのか、と。

しかしそれは「古き良き大学」の話であって、少なくとも俺サマが 着任してからのRitsには、そんな牧歌的な雰囲気はなく、「大学の同僚」 =「学校運営のあれやこれやのビジネスパートナー」以上でも以下でもない。 別に俺サマは昔の大学の姿は知らないので、「変容してしまった昨今の大学」を 嘆くつもりはないし、研究のモチベーションを維持するために、(教育や学校運営 といった)大学の仕事以外では大学と距離を置くのは当然のことと考えている。

それから、大先生は就職委員などをされて、数学科の学生の数学以外の素晴らしい 側面に触れることができたのは新鮮な体験だったと話されていたように思う。 まあ、数学者というのは、まず目の前の相手が数学関係者か否かを峻別して、 数学関係者となると「そいつは(数学的に)馬鹿か馬鹿でないか」と値踏みし、 馬鹿はけしからんが、馬鹿でなければ許すという思考をするものだと、 俺サマは信じている。数学科の学生に対して も、一応数学関係者だということで、馬鹿か馬鹿でないかという風に見るわけだが、 大先生のお話は、それとは違う視点に気付いたという意味だと 俺サマは理解した。俺サマは激しく同意し、胸のウチで「大先生。 世界中の数学者に向かって、もっと言ってやってよ!」と叫んでいた。

かく言う俺サマも、学生とは数学以外の面では一切接しないようにしてるん だけど。でも、「こいつは(数学的に)馬鹿か否か?馬鹿はけしからんが、 馬鹿でなければ許す」みたいな数学者的思考は、極力排除するように努めている。 って、俺サマは数学者じゃないから、元々そういう思考はしないけど。

夜はその大先生の定年退官記念パーティーがあるそうだが、俺サマは馬鹿だから 偉い数学者たちのパーティーで談笑できる人は皆無だし、そんな退屈で死にそうに なること請け合いのイベントに俺サマが参加する訳がない。 と、いうことで、夕食は中州にある美味い鰻屋に直行。帰りにコンビニで明日の朝食と酒を買い こみ、ホテルで飲んだくれる。

2012年3月14日(火)
<<実は接触なし>>
今朝はかなり遅くまで寝ていた。簡単に朝食を済まし、大急ぎで山科区内を 自転車で駆けずり回り、色々野暮用。一旦自宅に戻ってから、京大へ。 ルネで遅めの昼食。ルネ食堂は今日はやけに混んでたけど、原因は不明。 サークルの学生、外国の研究者を招いて昼食をともにしている先生らしき人、 近所の老人、暇そうな学生などなど。

昼食後、すぐに数理研図書館に籠り、夕方まで数学。今日は俺サマ以外の 怪しいオジサンは来ておらず、平和。トイレで数理研の若い人と顔を会わせ、 ちょっと挨拶したら、「先日、Xさんに会いましたよ」と。何で「Xさん」なのか よく分からなかったが、そういえばX先生とはRitsで一時期一緒だった ことがあった。

X先生は馬鹿の俺サマとは違って顔が広いようで、彼を知る人は いつも、「高山さん立命館ですか。そういえば、X先生も以前立命におられました よね」と話を振ってくる。しかし俺サマは、世の中で数学者ほど怖い人種はないと 思っていて、コソコソと逃げ隠れしていたので、実はX先生との直接的接触はないので ある。それで「はあ、まあ。そうですか」みたいな生返事で誤魔化す。

そのうち誰かに「へえ、高山さん、最近は代数幾何学やってられるんですか。 立命で代数幾何学と言えば、Y先生とかW先生とかもおられます(or おられました) よね?」みたいな事を言われはしまいかと、内心びびっている。実は同じ理由で、 Y先生ともW先生とも普段ほとんど接触が無いし。まあ、代数幾何学に転向してからは、益々気配を殺して数学界を偵察飛行することにしているので、誰も俺サマに そんな事は言ってこないだろうけど。

折角Y,W両先生が居るのだから、3人で立命館代数幾何学セミナーみたい なことをやって、京大のセミナーとはひと味違う活動をするのが数学者という ものなのかもしれない。ま、そういう意味でも俺サマは数学者じゃなくて、 数学者を天敵とするただの馬鹿なのさ、と。

数理研の行きと帰りは勿論、数理研猫の住処に立ち寄った。しかし 今日は少し春めいた良い天気なので、猫はどこかに散歩に出掛けてて、 ずっと不在。

数理研の帰りはJEUGIA三条本店を偵察。いくつかCDを試聴したけれど、 これといったものは無し。平日なのに三条アーケード街は休日並みの人通り だった。卒業式の帰り?それにしては皆さん普段着だし。何が原因かは、不明のまま。

大丸ラクト山科店で、プラリーネか抹茶クリームサンドの焼き菓子を買って 帰ろうと思ったら、ホワイトデーのために全部売り切れていた。再入荷までに 数日から2週間程度かかるとか。ホワイトデーはずいぶん定着しているみたい。

帰宅して夕食の後は、明日からの福岡出張の準備をして、 それから数学を少し。

2012年3月13日(火)
<<いちいち気にしない>>
午前中はメールで大学の仕事。ここ2、3日、大学の仕事関係で 「どうにかならんもんか」と思うことが重なり、気分がもひとつ 晴れない。俺サマは、自分一人の力でどうにもならない事は、 いちいち気にしない主義だが、自分の主義主張通りに自分がコント ロールできるとは限らないわけで、少し悶々とする。

それから少しだけ数学をやってから百万遍に出て、 京大ルネの生協食堂で遅めの昼食。一般開放されているこの食堂で、 毎日食事をしている老人は少なくないが、その中にレンジャー 部隊みたいなベレー帽を被っているオジサンがいる。何で毎日 ベレー帽なのか謎だけど、まあ、一般にオジサンの生態には謎が 多いものだし、いちいち気にしてもしょうがないか、と。

それから京大数理研の図書館で夕方まで数学。また新手 のオジサンが居たが、今日はちょっと有名な人だった。俺サマが学生 の頃から数学ジャーナリズムによく出てた人だけど、では一体何で 有名なのか、いまだによくわからない。まあ、それが分かったところで どうってこともないから、いちいち気にしてもしょうがいないか、と。

勿論、数理研の行きと帰りには、猫を表敬訪問した。行きは ソファーの上でぼんやりしていたが、帰りは毛布にくるまって、やはり ぼんやりしていた。ふと見ると、段ボールをくりぬいて出入り口をつけ、 中に分厚い敷物を何重にも敷いた猫ハウスも作られていた。愛されてる んだなあ、この猫は。

数理研を出てから、北部生協食堂で自販機ココアを飲みながら、 さらに少し数学。それから道草なしでまっすぐ帰宅。夜はワインで 少し飲んだくれ、酔いをさましてから、また少し数学。

2012年3月12日(月)
<<ひと暴れ、する?>>
午前中は近所の歯医者に定期検診。その足で大学へ。まずは先日 書類不備で突き返された事務書類を提出。今回の再提出は、予告なし に必要書類が変わったことが原因だが、このことは、何となくエッセンの外人局 のことを思い出させる。

ドイツに半年ぐらい滞在する際、日本では3ヶ月のヴィザしか取れ ないので、現地の外人局で延長手続きをしなければならない。その必要 書類がドイツ的撹乱工作によって、一般人が容易にはわからないように なっている。事前にインターネットで問い合わせて、その通り持って いっても、これこれの書類が足りないといって突き返される。 その書類を揃えて再び出向くと、今度は別の係員が現れて、また別の書類が 足りないから駄目だと言いだす。そういうことを何度か繰り返していくうちに、 受理状態に少しずつ収束していくという按配である。勿論、出直すたびに 丸1日が潰れる。

怒り狂った俺サマが、外人局でひと暴れした経緯については、 2004年度の日誌にも書いた通りである。今日、この書類を事務に提出 して、また何かケチがついて突き返されたら、エッセンの外人局のときみたい にひと暴れしてやろうと思い、まなじりを決して赴いたのだが、無事一発 受理された。まあ、そこがドイツと日本の違いかしら。

それから学科の事務に立ち寄って郵便物を確認し、研究室で荷物を下ろして しばらくしたら、学科会議が始まる13時になった。 今日のおもな議題は入試合格判定と4月から のTAの配置。それから、 2月の修士論文公聴会の時に起こった「例の悩ましい問題」の 件は、まだ半分ぐらいしかカタがついていないので、きちんとした対応を して欲しいと念を押しておく。この件についても、もしうやむやになるよう ならば、ひと暴れしないといけないのかなと思い始めている。

会議は14時に終わり、研究室に戻ってごぞごそしているうちに 生協食堂の閉店時間になってしまった。生協コンビニでおにぎりを買って、 研究室で軽く昼食。その後、少し数学を考えてから、帰宅。

夕食後、夜はラクトスポーツプラザへ。今日は楽しいZUMBAと筋トレ。 まあ、職場では「ひと暴れしようか」と思って思いとどまることしばしばで、 色々不完全燃焼気味なので、そのはけ口を求めてZUMBAでひと暴れ。

ここのジムには、南部鉄瓶のように黒光りした、いかにも体脂肪少なそー!って 感じの60代ぐらいのオジサンがよくトレーニングに来ているが、今日見たら、 大阪マラソンのトレーニング用Tシャツを着ていた。ああ、このオジサンが マラソンなんて、あまりにもそれっぽ過ぎて洒落にもならない。

Baila Bailaというスペイン生まれのダンス系脂肪燃焼エクササイズが 4月から始まるそうで、そのプロモーションビデオみたいなのが カウンターのところで上映されていた。お試しレッスンも3月中に2度 ほど行われるらしい。ZUMBAの次はBaila Bailaかいな?と思ってちょっと 見てたけど、Zumbaよりも動きがゆっくりしていて、「どうだか」って感じ。

2012年3月11日(日)
<<うんうん考える>>
マラソンシーズンも終わりなのか、今日は名古屋や京都を はじめ、あちこちでマラソン大会が開かれているようだ。 俺サマとしては「走るのが楽しいなんて、まったく気が 知れない」。しかし、元々世の中の人々に対する共感性に乏しい 俺サマだから、「気が知れない」のは、べつに今に始まった ことでもないが。

午前中は名古屋女子マラソンをテレビでちょっとだけ見ながら、 京都新聞日曜版の2つのパズルを解き、それから少し数学。

昼前にラクト山科に買い出しに行き、帰ってきてから昼食。 午後もまた数学。

夕方頃、自転車で西友山科店やその近くのドラッグストア に買い物に出た。途中、にわか雨が降り出して、しばらく西友 で雨宿り。帰ってきてから夕食を挟んでまた少し数学。 馬鹿の脳味噌でうんうん考えてても、あまり進展なし。

今日は東日本大震災から1年ということで、テレビも 特番一色のようだった。まあ、今回は東北が中心だったが、 関東や東海近畿も数十年以内にはほぼ確実の同様の災害が 起こると言われているし、そういう時に何が起こるのか、 ちゃんと頭に入れて覚悟を決めておいた方がいいかなと思う。

最近時々、柄にも無く、俺サマでも何か世の中の役に立つ ことができないかしらと思うことがある。結局、自分も 一応大学教師なんだから、学生をしっかり育てることだという 話に落ち着くのだが、馬鹿の俺サマが数学教えて、それで一体全体 学生を育てることになるのか?とか、あんまり「学生を育てよう」 なんて事を意識してると碌なことにならないのではないか?とか、 色々疑問が湧いてくる。

それで、少なくとも馬鹿が大嫌いな数学者の真似だけはしては いかんだろうなとか、数学以外のことで学生に接すると碌なことは ないだろうなとか考えているうちに、「だったら今のままで いいじゃん」という話に落ち着くのである。

2012年3月10日(土)
<<年寄りの冷や水遊び>>
午前中は自宅でドイツ語の予習。それから東山三条のみやこメッセに出掛ける。 明日京都マラソンがあって、その前夜祭イベントなるものがあるとかで、ちょっと 様子を見に行く。ラジオの生放送の収録で、ナマ谷口キヨコを見た。俺サマ的には これが一番のお目当て。テレビで見るより痩せてて、化粧も薄かった。これでは道で すれ違ってもわからんだろうな。写真撮影禁止!とか眼の前に出てるのに撮影してる 人が2、3人居たが、たぶん日本語がわからない中国人だろう。中国語の表示も 必要だな。

谷口キヨコをひと目見たから、もういいやと思って、京大ルネに行き昼食。 その後、喫茶進々堂でしばし数学。それから寺子屋に行き、16時40分から18時 10分頃までドイツ語の授業。帰りは河原町三条まで徒歩。JEUGIA三条本店 をすこし偵察。ヴァイスの初期リュート作品集なるCDが出ていたが、今日のところ は、もひとつカラッとしたのが欲しい気分なので、パス。

ちょっと前に世の中で騒がれていた辻井伸行のCDが店内で掛かっていて、 ムソルグスキーの「展覧会の絵」を聴いたが、俺サマが1枚持ってる別の 人の録音とは全然違う曲のように聴こえる。彼がこんな良いピアノを弾くとは 知らなかった、こりゃあ凄いや、と。でもまあ、今日のところはパス。 ラクト山科で赤ワインを1本買って帰宅。

昨日のお別れ会は、気分的にかなりガードして臨んだ積りだし、 「俺は降りる」と早々と態度を決めたのも、ガードの一環だったわけだが、 それでもやはり今日一日精神的に調子が悪かった。年寄りの冷や水と 言うべきか、自分の娘や息子ぐらいの若者たちと一緒に遊ぶと、 色々あって気分的にコタエますなあ。

一番の問題は、彼らのリアクションがちぐはぐに見えて言動の 意図を計りかねることで、まあ、これは年寄りと若者の間ではしょうが ない話。

やっぱり年寄りは年寄り同士でこぶ茶でも飲んで、 病気自慢でもし合ってた方が平和なのだが、たまに昨日のような 機会があると、酷い目に合うと分かっていても、 つい怖いもの見たさでノコノコついていってしまい、 やはりえらい目に会う。題して、「年寄りの冷や水遊び」。 やめられまへんわ。

夜はほんの少しだけ数学。

2012年3月9日(金)
<<俺は降りる>>
午前中は自宅で数学。午後は百万遍に出て、まずは新福菜館で 久々のスタミナ丼定食。その後、京大数理研図書室へ。 勿論、来た時と帰る時は猫の住処を訪ねてみたが、毛布にくるまって 昼寝したままで、起きてこなかった。

数理研図書室には、またも新手の怪しいオジサンが居た。論文 データベースを検索して印刷したり、本を借り出してコピーしようと していた。どうも非常勤講師をやっている人らしく、係員に所属を書けと言われて どう書けばよいのやら、みたいなことを聞いていた。

数理研図書室は豊富な蔵書数を誇っているが、こと代数幾何学関係の 文献に関して言えば、常時誰かに貸し出されているので、事実上図書館 としてはほとんど使いものにならない。それに対してRitsの図書館 は蔵書数ではかなり見劣りするものの、代数幾何学関連の図書はほとんど 俺サマが独占状態で借り出すことができて、大変便利である。

夕方、数理研を出て、北部生協食堂でココアを飲みながら、もう少し 数学そしてフランス語の宿題もさくっと片付ける。それから京大ルネ書籍部 を少し冷やかしてから、関西日仏学館へ。今学期の最終日は来週だが、 俺サマは福岡出張で欠席するので、今日が俺サマの最終日。この講座は 受講生減のためリストラされ、クラスメートも4月からそれぞれ バラバラに散っていく予定。

そこで、今日の授業が終わってから、帰りは皆で百万遍のお好み焼屋に 行き、お別れ会。と言っても、先生と他のクラスメートたちだけが話してて、 俺サマは隅で退屈を決め込んでたけど。俺サマは自己チューで協調性ってものが 無いから、その場の雰囲気をぱっと見て「これは駄目だな」と思ったら、 「俺は降りるから」と腹をくくって、あとはそっちで勝手にやっててね、 みたいになることがある。今日がまさにそれ。

まあ、そういう場合は大抵よく喋る人が頑張って場を支えているので、 一応話はテキトーに聞いてる。話を聞くだけならそんなに手間は かからないから、時々適当に茶々を入れて、残りの半分は上の空で他所事を考え ているって調子。まあ、若い人に金魚の糞みたいにくっついてく時は、そのぐら いがちょうど良いかと思うけど。と、爺臭い発言をぶちかましておく。

でも1回だけ話がこちらに振られてきた時があって、それが「定年後の計画 は?」というのだった。はあ?10年以上先の話でしょ?その頃にまだ生きてたら、 その時に考えりゃあいいじゃないですか、と答えたのだが、「それではあまり にも悲しすぎる」と。何が悲しいのかよくわからないなあ。行き当たりばったりの 人生って、最高じゃないですか。本当は、その頃にまだ 生きていたら、数学やめて絵を描こうと思ってるのだけど、今日は「俺は降りる」 と決めたんだから、面倒な話は無しということで、「でも、僕は今日と明日のこと だけ考えて生きてますし」と、ある意味本当のことを言って、 俺サマに振られた話を強引に押し戻す。

帰宅後、気分転換にヴェートーヴェンをガンガン聴きながら、明日の ドイツ語の予習。

2012年3月8日(木)
<<卒業の意味>>
午前中に大学に出勤。まずは図書室へ。昨日数理研図書室で見当たらなかった 資料を借り出す。それから午後のゼミのテキストを自宅に置き忘れてきたので、 それも借りようとしたけど、置いてなかった。しかし和訳本があったので、それ を借り出す。

図書館を出て、中央の事務に書類を提出しに行ったのだが、書類不備 が見つかりそのまま追い返される。今年から添付書類が変わったらしいのだけど、 その注意喚起が特になかったので、見過ごしてしまったのだ。

研究室にて、午後のゼミで先週懸案事項として残した事の解決策を思い出して 簡単なメモを作り、それから図書館で借りた資料のコピーを取ってすこし眺める。 そうこうしているうちに14時から可微分多様体ゼミ。今日はブラウアーの不動点 定理を可微分写像の不動点定理とワイエルシュトラスの近似定理を使って 証明するという話。

ゼミは16時頃に終了。学生の引っ越しや俺サマの出張などがあるため、 次回のゼミは卒業式の翌日に決まる。向き付け可能多様体やベクトル場と オイラー数の話に入れるかどうかは、かなり怪しくなってきた。

「先生、謝恩会とか行かれるんですか?」「んなもん、行くわけねーよ」 「えーっ?じゃあ他の先生方は?」「さあ、僕は行ったことないから 知らないけど、X先生とかY先生とかZ先生とか、そういうの好きそうだし、 常連で参加してるんじゃないの?特にY先生は卒業式は来ないけど謝恩会だけは 出るって感じだし」「そうなんですかあ。どうしょうかなー」って、 学生たちの事情はよく知らないけど、行っても話する人が居ないんじゃないかしら? みたいな事を気にするのだろうか。

まあ、自分の学生時代と比べても無意味だけど、俺サマの 学生時代は、謝恩会という概念そのものが存在しなかった。 数学科とは馬鹿が大嫌いな偉い数学者が、「学生の馬鹿ヅラを見ている と虫唾が走る」と言わんばかりに、日々学生を血祭りに上げる場であり、 数学者候補生として暖かく迎えられる一部の優秀な学生以外は、 毎日、馬鹿だ馬鹿だとムチでしばき回された挙句、ぼろ雑巾のように 社会に放り出されるのが「学部卒業」の意味するところであった。

だから、教授達に「感謝」して謝恩会を開くとすれば、それは かなりブラックな洒落のはず。ノコノコ参加した教師が、 五体満足で帰ってこれた例がない、みたいな代物しか考えられない。 しかし、実際は、数学科の学部卒業生の 挫折感は深く、「ムチでしばき回されたのは自分が悪いからであり、自分は 馬鹿で無価値な人間だ」との自責の念に凝り固まってしまってるので、 謝恩会でも開いて教師たちにたっぷり「お礼」をしてやろうじゃないか、 みたいな発想そのものが出てこない。そんな形で過去を清算するよりも、 一時も早く忌まわしき過去として忘れ去って、新しい世界に少しでも 希望を見出したいというのが卒業生の一般的な心境だったように思う。

ゼミが終わって研究室で少し雑用の後、すぐに帰宅。 夕食後、夜はラクトスポーツプラザ。今日は骨盤矯正ヨガと有酸素運動。 帰宅後、深夜はほんの少し数学。

2012年3月7日(水)
<<無意味な言葉の垂れ流し>>
去年の今頃は、まだドイツに居たので、花粉症の症状はなかった。 花粉症は歳をとると楽になると言われてて、俺サマもご多聞に漏れない が、もうほぼ治ったと思っていたら、2,3日前からどうも調子が 悪い。鼻孔の粘膜全体が風邪をひいたときのように腫れている感じが あって、頭もぼんやりしがちである。ただでさえ馬鹿なのに、さらに 調子の悪いのだから、これで数学者の前に行ったらひと息で踏み潰されて しまう。

今日も昨日と同じ。午後は京大数理研図書室。今日の図書室は 俺サマひとりで、すこぶる平和であった。その前後は猫と遊ぶ。 昨日ほどでもないが、今日も割合暖かかったこともあって、猫は 昼寝もせずに、俺サマが来た時も帰る時も住処のあたりをウロウロして にゃあにゃあ鳴いていた。

帰りはラクト山科で安いワインを買って帰る。

ワインとうのも難しいものである。俺サマはただ、適度に渋みが あって酸味が押さえられている、そこそこコクと香りの良い赤ワインが飲みたい だけなのだが、店頭でそれを探すのは至難の業である。

店にはよく、ソムリエ業界の業務連絡がそのまま外部流出したようなことが 書かれた、商品説明ラベルなどが張ってある。 やれ、なんとかで有名な丘の上の誰それ所有の蔵で作られたワインだといった、 「だから、何なんだよう?」と言いたくなるような、 ほとんど無意味な情報や、「華やかななフルーツのイメージ」だの 「なめらかなタンニン」だの 「力強い凝縮感」だのといった意味不明な言い回しの乱舞。 要するに何の役にも立たず、詩的にも美しいとは言い難い言葉の 垂れ流し。過去10年近い経験で、 このラベルの説明を見て買って、「なるほどその通りだ」と思ったことなど、 一度もない。つまり、出鱈目が書いてあると思って差し支えない。

ワインの商品説明が「出鱈目」だとなると、高いワインを買ったのに美味くな かった!というリスクを排除できない気がして、例え宝くじに当たったとしても、 高いワインを買おうという気がおこらない。 その点、日本酒は割合信用できるので、よい。

夜も少しだけ数学。明日大学の図書館に行ってある文献を見てみないことには 先に進めない局面にあるので、そこそこで切り上げる。

2012年3月6日(火)
<<今日のところは合格>>
午前中は自宅で数学。午後は京大へ。まずは生協ルネでかなり遅めの昼食。 それから京大数理研へ。途中、百万遍の交差点で、いつになく難しい顔をした 数理研の某有名数学者(ちなみに数理研の数学者は皆有名だけど)とすれ 違った。

安らかな人生を送りたければ、難しい顔をしている時の数学者には 決して近寄ってはいけない。これは一般的に正しい。さらに、俺サマ級の 馬鹿になると、もひとつ教訓が必要で、それは「ニコニコしている時の 数学者にも近寄ってはならない」。勿論、数学者は馬鹿の天敵だからなんだけど。

数理研ではまず猫を表敬訪問。今日はめっきり春めいた温かい日なので、 猫も住処のあたりで元気に動きまわっていた。俺サマが近寄ると、また 横っ腹をさすれだの、頭をなでよだの。しばし猫と遊んでから、 「また来るよ」と言い残して数理研図書室に籠り、夕方まで数学。

図書室では、また見慣れないオジサンが閲覧室に居たが、席を外していることが 多く、席に戻ってきても、あまり気配を感じさせなかった。オジサンというのは、 存在自体がエグイので、できるだけ気配を殺すようにしてひっそりと生きて いかなければならない、というのが俺サマの思想だが、このオジサンも、 今日のところは合格点。

それ以外に、珍しくポスドクか助教あたりの若い人も2人ばかり 姿を見せていた。短時間滞在して、4月からの進路のことなどを話していたようだ。

夕方また猫の所に行ったら、住処の近くにある庇つきの屋外に放り出された、 汚いソファーの背もたれの上に座って、春の風を満喫していた。また少し猫と 遊んでから、百万遍に出る。

途中、吉岡書店に寄ったら、どこかの医学部の先生が書いた、理科系研究者の 仕事術みたいな古本があったので、ぱらぱらと眺めた。曰く、外国人研究者の 知り合いが増えると論文の査読に通りやすくなる。これぞと思った研究者は ナンパする積りで接近せよと。ほんまかいな。俺サマの場合だと、 「ああ、日本に何人か居るタカヤマのうち、アホの方ね。だったら投稿してきた 論文、読まずに落としてやろう」ってことにもなりかねないし、これぞと思って ナンパしたら、黙殺大魔王だったりするわけだ!

数学者は変な人が多いから、ナンパのリスクも馬鹿にならない。 何かそういうリスクをヘッジしてくれる 保険でもあればいいのだけど、心の傷はお金では癒せないのよね。 近寄らないのが一番のリスクヘッジだな。と思ってさらにパラパラ やってたら、 「何もしないリスク」って項目が目にとまったので、 ええ加減にせい!と思って本を戻して店を出る。

「ま、偉い先生なんだろうけど。いい加減なことを書いてくれるわ」 とか何とかブツクサ言いながら、 バスと地下鉄で道草なし帰宅。夜もまた少し数学。

2012年3月5日(月)
<<そういう大人>>
午前中は自宅で数学。どうも変だなあ、と。昼過ぎに自宅を出て、 ラクト山科で昼食の後、散髪。それから京都駅に移動し、 伊勢丹京都駅店の美術館「えき」で開かれているアンリ・ル・シダネル 展を見に行く。なーんだ、印象派の真似っこかよと思って見てたけど、 まさにモネらと同時代の印象派の人で、しかも展示を見ていると、 作品の中に、この人オリジナルなものがだんだんと出てくる様子が見てとれて、 面白かった。

美術館のついでに、伊勢丹の酒売り場を偵察。ワインは1本 1〜数万円のものが中心で、俺サマがいつも飲んでいる2000円台 のワインの品ぞろえが少ないと分かった。

折角京都駅前に出たのだから、少し足を伸ばして アヴァンティーでも偵察してこうかと思ったが、 ラクト山科のイタリアンレストランに傘を忘れてきたことを 思い出し、急遽戻る。幸い傘は見つかり、そのまま帰宅。その頃までには 午前中の「どうも変だなあ」という理由が分かってきた。

そうこうしているうちに夕食。夕食の後はラクトスポーツプラザへ。 今日は楽しいZUMBAと筋トレの日。

帰宅後、月末の数学会のホテルの予約をしてから、ほんの少しだけ数学。

ところで、昨日の日誌で、俺サマは街で色々なものを見てそれから何かを考える、 みたいなことを書いたが、それは正しくないような気がする。 俺サマはただ、街を徘徊して、興味をもったものをただ描写している だけで、特に何かを考えているわけではない。

子供の頃、「何も考えない馬鹿な大人になってはいけません」と教わったような 気がするが、俺サマはしっかり、そういう大人になってしまっている。 俺サマは、元々何も考えないヒトだったのか、色々考えても無駄だと思うような 何かしらの体験を経て、何も考えなくなったのか、今となってはわからない。

ただ、昨今ネットで自分の意見を書くと色々面倒なことになるし、そういう リスクを負ってまで意見を公表する必要性も無い。さらに、前に書いたように、 日常的に誰かと会って闇雲に自分の意見を述べるといったことは、 人として恥ずべき行為だと思っているので、結局意見を述べる必要が無い生活の 中で何も考えなくなっていったのだろうという、一種の廃用症候群説は考えられる。

2012年3月4日(日)
<<オッサンと子供>>
昼頃にラクト山科に買い物に出た以外は、終日自宅で数学など。もっとも 午前中は、例によって京都新聞日曜版の2つのパズルを解いてたけど。 風邪は大分楽になって、今日は咳が少し残る程度。

俺サマは、街を徘徊して色々なものを見聞きして初めて何かを考える 馬鹿人間なので、今日みたいに、ほとんど一日自宅に籠っていると、 数学以外のことは何も考えない。しかも、俺サマ級の馬鹿になると、 数学なんてちょっとやそっと考えても、目新しいことは何も思い浮かばないので、 結果的には何も考えてないのと同じ一日を過ごすことになる。 それはそれで平和で良いのだが、日誌のネタにはちと困る。

ああ、そういえば、昼食の後、テレビで琵琶湖マラソンを少し見たな。 それで気付いたのだけど、マラソン選手に合わせて、沿道で嬉しそうに 一緒に走ったりするのは、決って子供とオッサンだ。その辺のおネエさんや オバサンは決してそういう真似はしない。

まあ、子供というのは、そういうもんなんだろう。昔はアメリカの 進駐軍の車を追いかけて「ギブ・ミー・チョコレート!」とか言ってたそうだか ら、今の子供がマラソン選手の後を意味もなく追い掛けて嬉しがる気持ちもわからないでもない。

子供というのは、そもそも愚かな存在だ。俺サマは子供の頃、毎日とんで もない馬鹿なことばかりやって親をさんざん困らせていたが、 そのうちのいくつかについては、今でもよく覚えている。 あの時はこんな事を思ってああいう事をしたんだ、と。 それはまさに「思慮が浅い」というか、愚かの一言に尽きる浅はかな考え だったと言わざるを得ない。

子供は愚かだから、選手を見て嬉しくなって一緒に走るのだろう。 ではオジサンはどうなんだろう?って、別にオジサンのことなんか、分かって もしょうがないか。

それにしても、近頃は空前のマラソンブームらしく、あちこちでマラソン大会 が開かれて、俺サマの友人達もあちこちに応募して、あの大会の抽選に選ばれたとか落 ちたとか言っている。俺サマは野球やサッカー観戦の一体どこが面白いのかさっぱり 分からない人間だが、マラソンだけは見ていてそう退屈でもない。何だかちょっと 人生にも似てるしね。しかし自分自身が走るのは御免こうむりたいし、走るのが 楽しいという人間の気持ちはさっぱり分からない。

山登りも結構ファンが多い。昔流行った歌に♪娘さん、よく聞ーけよ、 山男にゃあ惚れるなよー、山で死なれりゃよーお、若後家さんだよー♪ ってのがあったが、困ったことに、数学者には山好きが多い。論理学の 定理で有名なエルブランが20代で山で遭難死したことはよく知られて いるが、それ以外でも山で死んでる数学者は多い。

まあ、自分で好き好んで山に登って死ぬのは、本人の勝手といえば ばそうなのだが、都会から離れた静かな所で1週間程度の国際研究集会 が開かれると、 中日の遠足では必ずと言ってもいいほど山に登らされる。 「普段着で行ける小さな山に気軽にハイキング」 みたいな言葉に騙されてついていくと、死ぬ思いをする羽目に陥る。

また、歯を食いしばって自分の足で一歩一歩高みに近づいていくところが数学に 似ているから、山登りが好きだみたいな事を言う数学者も少なくない。 じゃあ、お前さんはへのへのもへじの案山子が人間に似ているからって、 案山子と一緒にしみじみと酒を酌み交わしたりするのかい?だいたい、 山登りみたいに、ただただシンドイくて面倒臭いだけ営みの一体何処が 数学に似ているというのか。まったく、偉い数学者の考えることは、 俺サマ級の馬鹿にはさっぱりわからん。

以前、関西日仏学館でクラスメートだった若い子に、毎週末山に 登ってた人が居て、雑魚寝、野糞、風呂なしが当たり前の山登りの 一体何が面白いのか聞いてみたら、山頂に登り詰めた時の 「うおおおおおおおっ!私は今、世界の頂上に立ってるのよ!」みたいな 征服感がたまらないと言っていた。偉い数学者が素晴らしい定理を発見した 時も、そんな気分なのだろうか。馬鹿の俺サマも、今までいくつかの クダラナイ定理を発見してきたけど、征服感というよりも、「なーんだ、 そういうことだったのか」という安堵感というか、胸のつかえが取れた ような気分しか感じたことはなく、征服感には程遠いな。

話は変わるが、春学期の講座のことで関西日仏学館のサイトを見てたら、 学生の時に大学の授業でフランス語を教わった先生の写真が出ていた。 当時はテニスのビヨン・ボルグ似の、いかにもひと癖ありそうなフランスの 兄ちゃんだったが、今は全く別人の、ちょっと気難しいそうなオジサンに なっていた。

2012年3月3日(土)
<<変な人たち>>
喉風邪をひいてしまい、昨夜は結構しんどかった。今朝は少し楽になったので、 午前中は夕方のドイツ語の予習に励み、午後は百万遍界隈に繰り出す。

山科から地下鉄に乗ったとき、思わず異様な空間に迷い込んでしまったような 気分になった。座っている人の8割は平均年齢75歳は優に超える老人集団。 それはよしとして、それ以外の50代、30代(?)と思われる男女も何だか 異様な雰囲気を漂わせている。

ま、10数分間程度乗ってるだけだし、とリュックから昨日書いた数学メモ を出して眺めていたら、隣に座っている70代後半ぐらいのオジサンが、 あきらかに首をこっちに突っ込むようにして、覗きこんでくる。 これには流石に俺サマも驚いて、「何や?あんた。何見てんねん!?」って顔して 睨んでやったら、妙な愛想笑いをしよる。 あ、こいつ、まじで頭がおかしいに違いない、と。

その後も、やっぱり俺サマのメモを覗きこんでくる。あのね、これは俺サマが 今悩んでいる問題なの。オッサン、答を教えてくれるんなら見せてやって もええし、共著の論文でも何でも一緒に書こうや。でも、そうでもないんやったら、 見せ物やないんやでな!とメモをリュックにしまった。

あそこに座っていた老若男女が一体どういう人たちなのかは、結局わからずじまい。 みんな、何かしらおかしいのだけど、かと言って、同じグループの人たちというわけ でもなさそうだった。

京大ルネの食堂で昼食の後、関西日仏学館の図書室に籠る。まずは、4月からの講座 で使われるテキストの調査。曜日、時間帯によって、同じテキストでも扱う章が異なり、レベルもそれなりに違うようだ。しかし、どうもどの章でもレベルの違いは 大したことはなく、要するに自分が通える時間帯を選べば良さそうだ。 ところが、なかなかうまい時間帯がないのが頭痛の種。今のクラスの人とも、 折角お近づきになったのだから、4月以降も一緒の講座にできるのならそれも 良いだろうし、来週あたりに相談してみようかしら。

フランス語のテキストの検討の後は、しばし数学。16時40分から18時10分過ぎまで、ドイツ語寺子屋塾。今日の前半もドイツにおける礼儀と他の国における礼儀の違いがテーマ。ドイツで誰かの家に19時に招待されたときは、ちゃんとした夕食が 出ることが予想され、18時だともしかしてお茶と簡単なつまみだけかもしれないと。 先生は「そうかなあ」とか言ってたが、テキストの模範解答にはそう書いてあるとか。

それで俺サマは、オスナブリュックの市庁舎に17時だか18時だかに呼び出されて、市長の簡単な挨拶の後、ワインとビールと簡単なオープンサンドだけで「それでは 皆さん、ごゆっくり会話をお楽しみください」と放りだされたことを思い出した。だいたい飯どきの17時だの18時だのに人を呼びつけておいて、碌な飯を食わさんとは 何と無礼なんだ?3時のおやつと間違えてるんじゃないか?日本じゃとても考えられ ないぞ!と先生に詰めよった。

まあ、結局、ドイツ人にとって昼食がメインであり、夕食は通常パンとチーズと お茶ですましたりすることが多いから、そういうことをするのだという結論に落ち 着いた。なるほど、そうだったのか。何でも言うてみるもんだな、と。

帰りは徒歩で京都市役所前駅まで。ずいぶん春めいてきたとはいえ、 風邪気味の身には、寒さが沁みた。JEUGIA三条本店とAngers河原町 三条本店を偵察してから、山科に帰る。

夜は数学をと思ったが、夕食でワインを飲み過ぎたせいか、それとも風邪の せいか、調子が出ず。

そういえば、高校の卒業式シーズンだが、俺サマの出身高校の卒業式で、 若者を励ますようなメッセージ性の強いラップのような歌で人気のグループが、 サプライズコンサートをやったそうだ。FBやメーリングリストで、 俺サマと同級生だった連中が、興奮気味に紹介していた。

彼らの歌を大晦日か何かの歌番組で一度だけ聞いたことがあるが、 ニヒルな俺サマの胸には、「ふーん」程度にしか響かなかったな。 俺サマは西洋かぶれだから、そもそも日本語の歌は聞かないしな。

2012年3月2日(金)
<<講座のリストラ>>
昼過ぎまで自宅で数学。午後は百万遍に出て、久しぶりに 新福菜館で昼食。その後、京大数理研の猫を表敬訪問したが、 雨模様の天気のせいか、目を半ば閉じて毛布の上に座った まま動かない。

それから図書室に籠って夕方まで数学。 今日は怪しいオジサンの類は誰もおらず、新しく数理研に着任 した某有名数学者や元から居た別の某有名数学者などが、事務的なことで 図書館の職員に何やら問合せをしたりしてたが、それ以外は 概して平和であった。

夕方、また猫の所に行ったが、今度は完全に昼寝モードで、 例によってウンともスンとも言わず。 それから京大ルネの書籍部を偵察して、ポケットマネーで買おうかと、 フランス語基本単語集の類で良さそうなのがないか探したが、 適当なものは見当たらず。

ルネを出て隣の関西日仏学館へ。 4月からの新学期のコース案内パンフが出ていたので、 図書室でしばし検討。 俺サマが通っている金曜日の夜の講座は、今学期とうとう受講生が 3名にまで落ち込んでしまったため、リストラされることとなり、 他の曜日か土曜日の午前しか選択肢がなくなってしまった。

まあ、ゲーテでも俺サマが通っていた上級クラスがリストラにな り、寺子屋塾が見つかるまでの間、ドイツ語は自習状態だった。 関西日仏学館でも、 オスナブリュックに行く前に俺サマが通ってたクラスも、 受講生の都合というよりも、担当講師の退職のためにリストラになった。

それ以外にも、以前ゲーテ時代からの友人が通っていた或クラスも、 リストラになった。 あの時は、「リストラ回避のために、このクラスに加わって欲しい」 と友人に誘われたが、常連受講生の中にちょっと変わったオバサン (とは言え、よく居るタイプの嫌みなオバサンだが)が居て、以前一度見学 に行った時に酷い目にあったので、結局そのオバサンのことをそれとなく ほのめかして断った。その後、その友人がやめてからも、しばらくそのクラス は細々と続いていたが、この冬学期の頃にはすでにリストラされていた。

そんな具合で、語学学校のクラスのリストラは日常茶飯事であり、 毎学期見直しが行われている。

大学で講座のリストラは語学学校ほど頻繁ではなく、Ritsでは数年に一度 のカリキュラム改訂の時に行われるだけである。俺サマは結構リストラ推進派 で、自分に関係のある科目はことごとくリストラしたがる。この4月から 始まる新らしいカリキュラムでも、ずいぶん沢山の科目をリストラしたのだが、 その中でも俺サマが担当していた大学院の講座をリストラできたのは、 大きな成果だと思っている。

何せ、「俺サマ予想」を仮定すれば、定年までにあと1〜2名しか院生が 来ない俺サマが、誰も居ない教室で「伝説の講義」をするだけの講座だから、 リストラして当然なんだけど、同僚たちを説得するのには多少手間がかかった。 多くの大学教師は、たとえ受講生がどんな状態であれ、大学院の講義を担当する ことにある種の思い入れがあるようだが、そういうものが全くない俺サマ の考え方を理解してもらうのに、少し時間がかかったということだと思う。

さて、関西日仏の今のクラスは、昨年4月から1年ぐらい続いていたけど、 あと2回を残すのみで、俺サマは最終回の授業は博多出張で欠席する予定。 そこで来週の帰りにでも、皆でお別れ(?)会でもやろうかということになった。

帰りはコンビニで80キロカロリーダイエット抹茶あずきアイスを買って、 歩行飲食しながら京都市役所前駅へ。そこから地下鉄で山科に帰る。

2012年3月1日(木)
<<科研費を使い切る>>
昼前に出勤。科研費が1827円残っていたので、生協でノートや ファイルケース、ペン、そして1827円ちょうどにするための 1円クリップ数個を購入。これにて、今年度の科研費は使い切った(はず)。

それにしても、国家予算に限らず、世の中でなぜ単年度予算制度が こんなに頑なに守られているのかがよくわからない。専門家は、それが 経理の鉄則だというが。単に、そうしないと面倒臭いからだろうか。

同じくよくわからないのが、司法における刑事裁判と民事裁判の違い。 物凄く乱暴な言い方をすると、民事裁判の判決は、その気になればいくら でも蹴飛ばせる。借金は踏み倒し放題、不当解雇はやり放題の、やった者勝 ちになっているように俺サマには思える。だから、裁判所の判決に従わない ような悪い奴は、刑務所に放り込んでやれば良いではないかと思うのだが、 法律の専門家は「民事と刑事の違いを分かっていない」と一笑に付す。 近代法理論の云々かんぬんという話があるのかも知れないが、悪い奴が 野放しになるような法理論とは、要するに未熟な理論ということではないか。

経理も法律も所詮人間が決めることだから、不便で無駄を生みだすような 鉄則や、悪い奴が野放しになるような理論は、いいように変えればよいでは ないかと、ごく素朴に考えているのだが、それを変えてはいけない、変える べきではないという専門家が居るなら、その理由を50字以内で述べよ。

いや、ちゃんと俺サマでも分かるように説明してくれるんなら、50字 以内なんてケチなことをと言わず、300字ぐらいまでにマケてやっても いいぞ。でも、「それは簡単だ、17文字で説明できる」という専門家が 居たら、「お前なんか、俳句でもやってろ!」と塩でも捲いてやろう。

科研費関連の書類を仕上げるために事務に行ったら、ヨーロッパ数学会 から新しいレビューの依頼が来ていた。しかしちょっと俺サマの専門とは 似て非なる分野の論文。依頼を断ろうにも、その連絡方法がよくわからない。 これはちょっと何とかしなくては。

そうこうしているうちに、午後のゼミの時間が迫ってきたので、生協 で昼食。14時から17時過ぎまで可微分多様体ゼミ。今日は法ベクトル空間、 境界付き多様体の定義とその判定法など。証明の一部で意味のよく分からない部分 があって、次回に持ち越したが、帰宅途中に考えていたら、解決した。

帰宅して夕食の後、ラクトスポーツプラザへ。今日は骨盤矯正ヨガと 有酸素運動。自宅に戻ってからは、明日のフランス語の宿題を大慌てで 片付ける。