の
た
め
の
邪
魔
な
広
告
よ け ス ペ ー ス で す。
2012年3月31日(土)
<<暴走予定の自転車>>
今年度最後の今日は、朝から土砂降り。午前中はドイツ語の予習を
片付ける。午後は雨もやんだようなので、百万遍界隈に繰り出す。京大ルネでは、
新入生達が購入予約した新しい自転車が、購入者の名前の紙を張られて
ずらりと並んでいた。
この自転車が、東大路や今出川通りを歩行者の脇をえぐるように
暴走するのかと思うと、今のうちに全部爆破した方が世の中のためになるの
では?
しかし最近の京大では、新入生たちに自転車走行のマナー を教えるのだそうで、オリコーな京大生ならきっと教えに従ってマナーを 守ってくれるものと、一応信じておこう。
ルネの食堂で昼食の後、少し書籍部を冷やかして、さて 関西日仏学館の図書室へと思ったのだが、 何と3月末から4月初め頃まで、改装工事とかで閉館だとか。行き場を失った 俺サマは、喫茶進々堂へ。幸い席が空いていたので、そこで2時間ほど 陣取って数学。
16時40分から寺子屋にて、冬学期最後のドイツ語の授業を受ける。 今までやってきたテキストが終わってしまったので、来学期から少し内容 が変わるらしい。次学期のガイダンスみたいなこともあったので、寺子屋を 出たのは18時半近くになっていた。
それから徒歩で河原町三条まで行き、JEUGIA三条本店を偵察。 ベルリンフィルだかウィーンフィルだかの若いフルート奏者のピッコロ のCDが出ていた。この人は急死してしまったので、これが追悼盤CDとなった そうである。それからヴァイスと同時期のバロック時代のリュート奏者にして 作曲者でもあったナントカという人の、唯一現存している曲を初録音した CDというのがあった。バロック音楽のCDというと、明るい曲と シケた曲が混在することが多いが、これはシケた曲が入ってないという 意味で俺サマ好み。
どちらも「いいなあ」と思ったが、どちらを選ぶかというと大いに迷う ところで、かと言って両方買うにはちょっと気が引ける。それで結局今日も 両方見送り。俺サマって、自分では殿様の積りでいたけど、案外ケチなのか も?という気がしてきた。
帰宅後は、進々堂で考えたことをTeXノートに纏めたり。
2012年3月30日(金)
<<海外出張の準備>>
今日は1日空いてるから、馬鹿論文執筆作業でもと思ってたのだが、
そろそろ片付けないといけない雑用を思い出して、昼前に出勤。
まずは6月のドイツ出張の申請書類を書き、
フライトを調べて、生協で昼食の後、生協トラベルへのカウンターへ。
そこで旅程表などの書類を発行してもらって研究室に戻り、
申請書類を完成させて事務に提出。これで今日中にやっておきたかった
雑用は終わり。
その後、ついでに卒研ゼミに使う3種類のテキストのコピーやら、テキスト 発注のための基礎調査やら。日本語の数学専門書は、出版されてしばら くすると、やれ絶本だの販売会社の移転だのと、なかなかすんなり手 に入らなくなることが多い。まあ、購買層が小さいから、しょうがないん だろうけど。八重洲ブックセンターに行った時も、統計の本ばかりが 山のように置いてあって、代数や幾何の本は、あまり売れないせいか、 ごくわずかしか置いてなかった。
夕方頃にようやく雑用は片付き、しばし数学の後、適当に退散。
帰宅途中の電車の中で、昨日のゼミで分からなかった事が半分 ぐらい分かった。帰宅して夕食後、夜はその半分をTeXファイルに纏め、 残りの半分もしばらく考えてみたら、結局解けてしまい、それもTeXファイル に纏める。PDFファイルに落として学生にメールで送り、ようやく 肩の荷が下りた。微分方程式を使ってどうのこうのという議論は、今まで やったことが無かったので、良い勉強になった。
その後、深夜は明日のドイツ語の予習。
明日で今年度は終わりだけど、新年度の日誌をどうしようか、まだ全然 考えてない。俺サマは数学者なんかじゃない!と言ってるんだから、 「夢見る数学者」じゃあまずかろうということで、「俺サマは馬鹿日誌」とか? 「座敷童日記」「日々是偵察日記」ってのも考えられるけど。
2012年3月29日(木)
<<老婆心>>
午前中は山科区内で野暮用。昼過ぎに大学に出勤。生協食堂で昼食の
後、14時から17時前まで、先日卒業したH君と可微分多様体
ゼミの最終回。可微分ホモトピーの構成に微分方程式を使う議論
があって、そこで一か所どうしても分からず、「また、何か
分かったらメールで知らせる」とH君に約束してゼミを終わる。
最後に、H君は4月から某大学大学院に進学するので、一応 心構えらしき事を話して嚇かしておく。何せ、俺サマは数学者 じゃないけど、向うの先生は全員バリバリの数学者である。 Ritsの時のつもりでいると、思わぬところでけんもほろろの扱いを 受けて心傷つくことになるだろうから、心の準備をしておいた方が よかろうという老婆心。
帰宅して夕食の後、夜はラクトスポーツプラザ。今日は骨盤矯正ヨガ と有酸素運動を40分程度。
帰宅後は4月からの卒研ゼミの準備的な事務作業を少し。 卒研生が少ない年は、どこか俺サマに似たようなところがある学生が 集まるものだが、来年度のように多い年の学生は、そんな感じは あまりしない。
2012年3月28日(水)
<<数学会3日目>>
9時前にホテルをチェックアウトし、飯田橋駅のコインロッカーに
着替えなどが入った大きい方の鞄を預けてから、学会会場へ。9時半から
講演を8つ聞いた。講演を聞いていたら、俺サマが今考えている問題の
ヒントになる式が2つほど出てきて、「そうだったのか!?」と思わ
ず膝を打つ。講演の主題とは直接関係ないことで、内容的にも全然大した
ことではないのだけど、俺サマ級の馬鹿が一人で悶々と考えているだけでは、
なかなか気付かなかっただろう。
休憩時間に入ったところで、講演会場を出る。最後にもう一度書籍 展示販売コーナーを見て回って、新たに注文したい本が無いことを確認。 今回の学会出張は、書籍展示販売、友人達との情報交換、そして今日の講演 で得た2つのヒントと、十分成果があったので、神楽坂で昼食でも 食べてから京都に帰ろう、と。しかし、まだ12時にもなっていなかったので、 飯田橋駅のコインロッカーで荷物を出して、そのまま東京駅へ。 駅を出て八重洲ブックセンターを偵察。
東京で会社員をしていた頃は、よく八重洲ブックセンターに行ったもの だが、最近はすっかりご無沙汰していた。しかし半地下のフロアが 短歌や現代詩のコーナーというのは、20年以上昔から変わってないのには、 ちょっと驚いた。
それから、「八重洲ブックセンター男子トイレの法則」と言って、 どの階の男子トイレも、大の方は必ず誰かが使っているという経験則があった。 俺サマも昔はそうだったのだが、書店などで大きな本棚が所狭しと並んでいる 所に居ると、何となく大の方がもよおしてくる。それで皆、トイレに行きたがる のだろうと思っていた。しかし今日3つのトイレを確認したが、大が占拠 されていたのは1つだけだった。
フランス語基本単語集を漁ったりしてから、ブックセンターを出ると、もう 13時を過ぎていたので、八重洲地下街で昼食をといくつかの店を当たってみた。 しかし、店先に行列ができていたり、大きな荷物を持っていると入りにくい 店だったりで、結局新幹線の改札に入って駅弁を買い、待合室で昼食をすませた。
14時前の新幹線に乗って、17時前に無事帰宅。その後、午前の講演中に 気づいたことを確認すべく、色々本をひっくり返したり、考えたり。それ以外は、 出張の行き帰りの新幹線の中で読んでいた、多変数複素関数の本の計算を すこしやってみる。
2012年3月27日(火)
<<数学会2日目>>
9時過ぎに学会会場に着き、すこし書籍展示販売のところを見て回ってから、
10時頃から12時まで代数幾何学関連の講演を聞く。
午後は、数学会春季賞の授賞式と記念講演があったが、会場がかなり遠く になり、しかも今回の受賞者は俺サマとは分野がかけ離れているため、講演 を聞いても理解できそうにないので、パス。その前にどういう風の吹き回しか、 学会主催のクラシック音楽のコンサートが、記念講演と同じ会場で行われた そうで、それは結構なことではあるが、それを大勢の数学者と一緒に聴くのかと 思うと、気の滅入るものがあるので、これもパス。
それで理科大の友人の研究室を訪問し、最近やっている研究のことなど、 いろいろ情報交換。人徳のある者のところには人が集まるもので、 俺サマ以外にも、以前立命で一緒だった先生や、立命OBの先生なども、 学会のついでに遊びに来ていた。
夕方はその理科大の先生と一緒に神楽坂の店で夕食。帰りにコンビニで明日の 朝食のパンなどを買って、20時頃にホテルに戻る。
理科大のある飯田橋といえば神楽坂だが、あのあたりは俺サマが好きな 東京の街の風情があって、大変よろしい。夏目漱石の小説にも神楽坂 の地名はよく出てきてたから、そういうイメージも重なって、昼休みにぶらぶら 歩きをしてみたけど、とても楽しかった。
会社員時代の俺サマは、家賃の関係でもっぱら埼玉の各地を転々移り住んで いたけど、埼玉と東京では確かに街の雰囲気が違う。学生時代から 東京の街にほのかな憧れを持っていたけど、結局東京には住めずじまいだ。
数学会の春の年会は、例年3月下旬に東京で開かれるが、この季節は 天気も穏やかで東京の街歩きが一番楽しい時期だし、大学も卒業式と 入学式の狭間で静かだし、色々な出張の中でも最も楽しいものである。
ところで、大学教師のおもな仕事は研究と弟子を育てることだが、 俺サマは会社員をやめて大学教師に転じた当初は、その両方をやろうと 思っていた。しかしあれから20年、俺サマの後から大学教師になった 古くからの友人達がどんどん弟子を育てて、今春も大学院の修士や博士の 学生を何人も世に送り出したりしている中、俺サマはというと、サッパリ と言うに近い状態である。まあ、それは別にどうってことではないのだけ ど、俺サマは結構負けず嫌いなところがあるので、ちょっと癪にさわる。
しかし俺サマは弟子を育てるという柄ではなく、数学者たちに どんなに馬鹿だと思われようと、研究を中心にやっていくのが、 自分にとってはたぶん最も正しい方向だと思われる。だから、 負けず嫌いに流されて、大事なことを見失わないように しなければならないだろうなと考えている。
そういえば、理科大の友人に、お前は何のために論文を書いているのかと と聞かれた。ある人は「大学から給料貰ってるからだ」と答えたそうだ。 俺サマは、「興味のある事を勉強していて、疑問に思ったことを明らかにし ていくプロセスが楽しいからだ」という意味のことを答えたら、「それはまっ とうだと」褒めてもらった。しかしそれはごく最近のことでしかない。
若い頃は、ポストを得るために論文を書いていた。国立研究所への出向期間 3年という限られた時間で、纏まった論文をいくつか書いて学位を取り、 会社をやめて大学に戻りたかったので、その目的に合った分野を選んだ。
目出度くRitsの情報学科に移ったものの、間もなく 「ここに居ては潰される」と悟った。それで他大学に新しいポストを得るために論文を 書き続けては、公募に出しまくったが、うまく行かなかった。
その後、幸い数理科学科に移籍できたこともあって、他大学の情報系教員の ポストは諦めたが、計算機屋として数理科学科に移ったものの、数学者でないと 非常に肩身が狭い。まあ、元々計算機科学よりも数学がやりたかったこともあっ たし、同僚たちに「高山は数学者である」と認めさせるために論文を書いて いたし、そうしやすい分野を選んだという面もある。
それで目出度く数学者と認定されてから、やっと純粋に知的好奇心に従って 論文が書けるようになったと友人には答えたのだが、 実は今、数学者どもに馬鹿だと思われないようにするために 論文を書かねばならないと思っている。
しかしこれは大変高いハードルなので、内心溜息をついている状態である。 どうせ馬鹿なんだから、馬鹿だと思われてもいいじゃん!って気もある一方、 しかし、よりにもよって数学者たちに馬鹿だと思われるのは癪だという気もある。
だから、純粋な知的好奇心以外に、いつも何か別の邪念が研究への原動力 になっていることは否めない。
2012年3月26日(月)
<<数学会1日目>>
昼前に自宅を出て、京都駅から新幹線に乗って東京へ。15時頃に
東京駅に付き、飯田橋の東京理科大学へ。今日から数学会の年会に参加。
まずは書籍展示販売コーナーで新刊書を3冊注文。そこで可換環論
シンポジウムなどでちょいちょい顔を合わせる数学者がいたので、
計算機屋時代の習慣でちょっと会釈したのだが、相手は知らん顔していた。
だから、そういうところが数学者の駄目なところなんだって!俺サマみたいな
馬鹿に「駄目な奴ら」って言われて、お前ら悔しくないのかよ?、、、
って、まあ、何とも思ってないだろうけどね。
それから水道橋のホテルにチェックインして、飯田橋に戻る。学生時代の友人 と飯田橋駅近くの喫茶ルノアールに入って、しばし歓談。ルノアールというのは、 くたびれたサラリーマンが真昼間に2〜3時間放心する店、というのが 俺サマの認識だったが、今日行ったら、放心ではなく仕事をしている人もいた。
学生時代の友人とは、当然オジサンなんだが、俺サマの現状からして オジサンと二人っきりでお茶して雑談をするなんて、自分でも信じられない。 では何故信じられないことが起こるかというと、 まず第一に、「こいつもオッサンになったなあ」と思いながらも、 無意識に学生時代の面影を追っている。つまり、眼の前のオジサンを見ているので はなく、オジサンの先にある何かを見ることによって、都合の悪いものから目を そらしている。 第二に、お互い、最近あった、ちょっと面白かったなと思う事柄を自然に 話し、そこから自分の話にもちょっと飛び火したりするといった流れで 会話を進めている。ああ、そういえば、会話というのはそういうものだし、 以前はそういう事を多くの人と自然にやっていたものだ。
明日の夜は、東京の友人と飲みに行く予定だが、これもまた同じパターンで、 (1)眼の前のオジサンから目をそらして昔の面影を追う、 (2)自分の身の回りであった、「ちょっと面白い話」から始まって、 それに関連した自分の身の上話をさらっと話す、ということが自然に行えるものと 思われる。
以上のことから考えて、自然な会話が行える状況というのは、 相手の物理的存在のあり方に抵抗がないことと、 自分の身の回りで起こったことを気軽に話せるという2つの 条件が満たされる場合だと考えて良さそうである。
この観点から、昨日、若い女2人との会食で、時々人間の言葉を喋る 置物状態が3時間続いたことを考え直してみよう。 まず、相手の物理的存在のあり方には、特に抵抗はなかったので、 第一条件はクリア。しかし、「この人たちは一体全体、日々何を考えて 生きているのか?」という探究心が先行したため、俺サマ自身の 身の回りのことを話して時間を無駄にしたくないということで、 第二条件は満たされなかった。これが置物3時間の理由であろうと思う。
夕食は水道橋の洋食屋で、久々にサーロインステーキでがっつり行く。 コンビニで明日の朝食のパンなどを買ってホテルに戻り、 しばし数学の後、再びコンビニに買い出しに出て、ハーフボトルのワイン で呑んだくれる。
2012年3月25日(日)
<<置物になる>>
今日も降ったり晴れたりの変な天気だった。3月下旬にしては、結構寒い。
午前中は京都新聞日曜版の2つのパズル。午後は数学。夕方からは
街に出る。関西日仏学館の前のクラスメートが京都を離れるというので、
送別会のような夕食会。その前にJEUGIA三条本店を偵察したら、
オーボエ、ピッコロ、フルート二重奏でそれぞれ新しいCDが入っていた。
夕食会はドタキャンなどもあって、結局若い娘2人と某エスニックレストランへ。 俺サマとしては、男と一緒よりも、女2人と一緒の方が断然気楽である。 男相手だと、以前から懇意な友人でもない限り何かと気を使ってしまうが、 (複数の)女相手だと、遠くから「ふーん」と眺めているような感覚で いて、必要に応じて適当な間合いで何かひとことふたこと言う程度で良いから である。
ということで、借りてきた猫というか、時々人間の言葉を話す置物モード ですごすこと3時間、若い女の興味深い会話をたっぷり聞いて帰ってきた。 途中、「数学研究って、どんな議論をするのですか?1+1は何で2になる のだろう?みたいな事を議論するわけですか?」と聞かれたのには参った。 そういう時の気の利いた説明を準備している数学者も居るだろうけど、 俺サマは馬鹿だからそんな事を聞いてくる人は居ないだろうと、 思い込んでいたし。
ああ、そういえば、仕事で色々悩んだ経験とかありますか?みたいな ことも聞かれたな。そんなこと急に聞かれても、沢山あり過ぎるし、 話として面白いネタなんて何も準備してないから、「ええ、会社のときでも、 大学でも色々ありましたよ」とそっけなく答えてオシマイ。
概して俺サマは、人と話をしないことが普通になっているから、 話好きの人がよくそうしているように、こういう事を聞かれたら、こういう 風に答えようとかいう、心の準備は何もしてない。そういうネタを用意すると、 それを話す機会が欲しくなり、半ば強引に話したりしてしまう。それで 相手があまり面白そうな顔をしないとつまらないし、つまらないと、 「もうこれから話してやるもんか」とヘソを曲げたくなり、そういうことを繰り返して いると、今の俺サマのようになる。何がいけないかというと、たぶん心がけが 悪いのである。
そういえば、ふと気付いたのだが、俺サマは「この人とは、このことしか 話さない」と決めてかかる傾向が、だんだん強くなってきた。 学生とは数学の話しかしない、 同僚とは仕事の話しかしない、 この人とは馬鹿話しかしない、 この人とは相槌以上のことは話さない、 そして、数学者やオジサンとは何も話さない、 などなど。これは加齢に伴う人格崩壊過程とも考えられるが、 若い人も「相手によって自分のキャラを使い分ける」みたいなことを言ってる らしいから、ごく普通に閉鎖的人格だというだけのことかも。
オジサンと一緒で居心地が悪いのは、オジサンとは別に何も話したいとは思 わないのに、何か話をしないと間がもたんかな、みたいなことを考えてしまうから って面もあるな。また、この人とはここまでしか話さないと決めているのに、意外 にも、その範囲を逸脱する質問が飛んでくると、ちょっと焦る。
帰宅後、明日からの東京出張の準備など。
2012年3月24日(土)
<<降りてこない>>
夕方近くまで自宅にてドイツ語の予習。途中、散歩に出て、ついでに
その辺で昼食。それから関西日仏学館の図書室へ。今日はフランスから
有名演奏家たちがやってきて、1階のホールで公開レッスンをしているらしく、
図書館の2階に居ても、ピアノの音がかすかに聞えてきたりした。
図書室で少し数学をやってから、16時40分から18時10分頃まで、 ドイツ語寺子屋。その後、徒歩で河原町三条界隈に行き、JEUGIA三条本店 を偵察。今日もめぼしいCDは見つからず。JEUGIAを出て、昼食がまだ 胃にもたれているので、その辺の回転寿司で軽く夕食。 夕方からは、雨が降ったりやんだりの、変な天気。
帰宅後は、また少し数学。
昨日の最終講義で、X先生が学部時代に自主ゼミの指導をしてもらった Y先生について、「彼は決して学生のレベルには降りてこず、常に数学の議論 として完璧な形のものを示すというスタイルの教え方だった」と評していた。 実は俺サマもY先生に教わったことがあるので、この評は非常に納得できる。 学生向きの噛み砕いた説明ではなく、数学者同士の議論の水準とはこうだ! という感じだった。
これは、X先生のような優秀な学生には良い教え方かもしれないが、俺サマの ような馬鹿学生相手では、何も教えずに叱り飛ばしているのとほとんど同じで ある。ゼミでてんで理解できなかったことが、ずっと後になってやっと分かった 時、「だったら何で最初からそういう風に言ってくれなかったんだよう!」と思 うことも多々あったな。まあ、秀才で鳴らしたY先生だから、馬鹿の思考回路が 理解できなかったのだろう。
昔、スキーに夢中になってた頃、某スキー場のスキー学校に入ったことが あった。講師はスキーを履いて生まれてきて、物心ついた時には 既に自由自在に滑ってたような人だった。それで、「こうやって滑 るんだ」と完璧な手本は見せてくれるのだが、じゃあ、どうやったらそういう風 に滑れるようになるかについては、よくわからなかった。たぶん教えている 本人にも分からないだろうな、と。まあ、今は亡きY先生の数学の指導も、 そんな感じだったな。
2012年3月23日(金)
<<大先生最終講義その2>>
終日春の嵐のような風と雨。昼頃自宅を出て大阪へ。まずは
千里中央で昼食。それからモノレールに乗って大阪大学へ。
15時から16時過ぎまで、某偉い先生Xの最終講義。
俺サマが馬鹿学生だった頃、X先生には代数学の演習を担当 して頂いた。 ルックスもなかなかな上に、いかにも新進気鋭の 若手数学者って感じの雰囲気を漂わせていて、当時は物凄く カッコ良かった。今も当時の感じをそっくり残して、そのまま 「素敵なおじさま」になったって感じ。人間、なかなかあんな風 にいい感じに年を取れないものだ。
今日の最終講義によれば、俺サマが代数の演習を受けていた頃は、 ちょうど「起きている間はほとんど数学のことばかり考えてい る」というぐらいに集中してた時期と一致してたようだ。なるほど、 X先生のあの独特の雰囲気は、数学に没頭していたからなんだなと 納得した。
そういえば馬鹿学生時代の俺サマは、数学に没頭する数学者を カッコいいと思っていて、自分もそんな風になりたいと思って いた。しかし、数学に没頭している者同士がぶつかり合うとどうい うことが起こるのかを、実際に何度か経験してきた今となっては、 カッコいいなんて呑気なことは思わなくなった。
まずはどちらが激しく没頭できるかの闘いになり、互角に 没頭できる者同士なら、どちらが良いアイディアを沢山出せるか の闘いになる。数学って格闘技だったのね、と。
最終講義の内容は、おもにX先生の膨大かつ巨大な研究業績を振り返 るもので、それには完全に圧倒されてしまった。しかし、最後に聴衆 からの質問に答える形で語られた、X先生の研究の原動力についての 話は、馬鹿の俺サマにとってもおおいに励みになるもので、これだけでも この講義を聞きに行った甲斐があったと思う。
京都の自宅に戻り、夕食後は少し数学。この4月からの卒研生から メールが来て、卒研ゼミは何曜日にするのか?と。それで、日程の件で ゼミ生全員にメールを出しておく。
2012年3月22日(木)
<<魂胆が良くない>>
昼過ぎに出勤し、生協で昼食。14時から16時過ぎまで、昨日
卒業したH君と多様体ゼミ。今日は可微分ホモトピーの話を使って
正則値の有限ファイバーの個数を比較するという話。29日に
もう1回ゼミをやって今日の話を終わらせ、さらに向き付け
可能多様体の定義ぐらいまでやって、このゼミを終了させる予定。
ベクトル場の話まで入れそうにないのが、ちょっと残念だが、 これで4月から某国立大学大学院に進学しても、多様体という 言葉を聞いていちいちビビらなくても、胸を張ってやってけるだろう。 なーんて麗しい教育的配慮で学生とゼミをやるような俺サマではないのだ。 俺サマは悪い先生だから、自分の馬鹿治療に使えると思った学生は、 最後の最後まで利用し倒してやろうという魂胆なのさ。
ゼミの後、明日の大阪出張の出張申請書を書いて提出し、大学を発つ。 帰りは大丸ラクト山科店で「すばらしい品質!奇跡の2009年ビンテージ」 と書かれた安い赤ワインを買って帰る。
今夜はフランス人演奏家達のコンサートを 聴きに行こうかと思っていたのだが、数年前に同じコンサートを聴きに いって、立ち席が出るほど満員状態だったのにちょっとうんざりして、 今回は見送り。自宅にて夕食の後、夜はラクトスポーツプラザ。 今日は骨盤矯正ヨガの後、有酸素運動を40分程度。
帰宅後は、6月のドイツ出張の宿の予約など。日本だとホテルの インターネットは無料だが、ドイツでは有料のところが多いらしい。 確かパリやエディンバラのホテルでも有料だったような気がする。 ああ、そういえばカナダの学生寮みたいな所でも有料だったっけな。
2012年3月21日(水)
<<卒業式>>
今日は卒業式。俺サマは、年に一度しかスーツを着ないが、その一度と
いうのが卒業式である。会社に就職したばかりの頃は、毎週のように
安もののネクタイをあれこれ買い集めたり、安もののスーツを
何着か持っていたが、ここ20年以上は、ちょこっとだけ奮発
して買った1本のネクタイと一張羅のスーツで間に合っている。
しかし今年は既に、以前お世話になった先生の御霊前に線香を あげに行った時に、一張羅スーツを着ていった。これは 例外。他にも例外があって、何年かに一度学科長が回ってきた年は、 入学式でもスーツを着る。
11時15分から12時過ぎまで、学部の学科別学位授与式。 全員の証書を授与し終わってから、最後に学科長が数理科学科の「慣例」を 破って「それでは、最後に各先生から卒業生に皆さんに一言お願いします」と。
数学者というのはこういう時に挨拶をするのが大嫌いな人種で、 謝恩会などで酒の力を借りてようやく何か喋る気になるようだ。 しかし今年の学科長は、俺サマと同じく、数学者よりも工学部の先生 に近い感覚の人。数学者の気質を見透かした上で、茶目っ気を出したのか。
誰よりも数学者らしい数学者のX先生は、会場から逃げ出して姿 をくらませてしまった。こういうところは、いかにも数学者である。 俺サマも何も喋るネタがないので、逃げだそうかと思ったが、 生憎捕まってしまったので、学科長の挨拶をもじって、適当にその場で考えて喋った。
そういえば学科長の祝辞は、なかなかふるっていた。俺サマは 普段、社会のことも学生のことも、なーんにも考えてない馬鹿人間だが、 学科長の先生は、日本社会や学生の将来のことを日々真剣に考えているような 話をしていた。確か俺サマが学科長やったときは、卒業式に挨拶しろ と言われても何も思い浮かばなかったので、挨拶は省略して証書だけ 渡したと思う。
学部の授与式が終わってすぐに、学科の会議。最初は大学院案件。 これは予想外に揉めた。次はここ数年来、学科内でくすぶり続けてい る例の悩ましい問題の話。俺サマとしては、この問題はずっと 腹に据えかねていたので、かなり押さえ気味ではあるが、一応言いた い事の一部は言わせてもらった。議事は小1時間ほど行われて、 今日のところは一応何らかの進展があった形で収めたが、これで全て 解決となるかどうかは、予断を許さない。
それから生協で昼食の後、14時半から学生と打ち合わせ。 この4月から大学院に入ってくる学生と研究テーマや進め方を 相談する。まずは、大学院の過ごし方として、 (A)学会で発表できるレベルの研究成果を狙う。 (B)学会発表レベルには達しないかもしれないが、研究的スタンス を保って勉強を進める。 (C)研究的スタンスはとらず、ただひたすら勉強をして終わる、 の3パターンが考えられるが、君はどうしたいのか?と問い、 その3パターンそれぞれの修士論文のサンプルを見せて、 論文の概要を簡単に説明した。
さらに本人の意見に基づき、ゼミで読むテキストの候補を幾つか示し、 「じゃあ、この本で行ってみようか」というものを選んでもらった。 今日のところは、そのテキストの最初の何ページかのコピーを持ち帰って もらい、それで本当に行けそうかどうか、3月一杯を目処に検討 してもらうことにした。
15時半過ぎに学生が帰り、そうこうしているうちに16時半から17 時過ぎまで、修士課程の学生の学位授与式。ここでも学科長が「各先生から一言」 を求めてきた。うーむ、これは確信犯だな。俺サマは数学者じゃないから、卒業式 に学生の前で一言挨拶すること自体には抵抗はないが、何を喋ってよいやら 困ってしまう ことは確かである。しょうがないので、昼の会議の時に学科長がぼそっと発した 一言をもじって、その場で適当なことを考えて喋る。
その後、研究室に戻って福岡出張の報告書を作って事務に提出し、 すぐに帰宅。夕食時は、先日買った安ものワインで呑んだくれる。 何か、800円のワインも3000円のワインも、大して変わらん ような気がするな。もっと高いのは、飲んだことないから、知らない。
2012年3月20日(火)
<<別人の別人>>
午前中は6月のドイツでの研究集会に参加すべきか否かを検討する。
講演者の顔ぶれを調べると、(A) 俺サマが一番興味を持っているアプローチ、
(B) 興味はあるが難しくて理解できそうにないアプローチ、(C) ある程度理解できるが
あまり興味のないアプローチの人が集まっていて、A, B, Cの人数の
割合が1:5:3ぐらいであることが判明。うーん、迷うところだけど、まあ、
行ってみようかな、と。
午後は街に出る。今日は天気の良い祝日だから、観光客など街の人出も多 いはずだが、人々は昼の早い時間帯はあちこち歩き回って、そろそろ疲れてくる 夕方頃になって、ちょっと喫茶店にでも入って休むか、ということになるはず。 そうニラんで、丸亀製麺河原町三条店で昼食の後、午後の早い時間帯に 上島珈琲寺町通店に行ってみた。俺サマの読みが当たり、店は比較的すいていて、 ノートパソコンなども持ちだして数学。夕方頃、予想通り店が込み始めたので、 退散してJEUGIA三条本店へ。
JEUGIAでは、 チザムのCDに最後のチャンスを与えてやろうと思い、ピアノ協奏曲の 12分以上ある第一楽章を最後まで聴いてみる。やっぱり駄目ねということで、 決着。
ふと隣に目をやると、日本人のオジサンのチェロのCDが出ていた。 あれま?!オーム事件の頃によくテレビに出ていた、元東京地検特捜部の ヤメ検弁護士のオジサン、最近見ないと思ってたら、いつの間にかチェロ のCDなんか出してら。あのオジサン、なかなかやるなあと思ったが、 良く見ると別人。
ああ、さては数年前に「90歳にして童。天衣無縫の新天地」とか、 わけのわからない宣伝文句で、J.S.バッハの無伴奏チェロ組曲 のCD売り出してた、老チェリストの第2弾かいな?
あの頃は、「90歳にして童」だと?てやんでい!笑わせやがるぜ。 俺サマなんざ、50歳にして既に座敷童だぜ。参ったか? とか思ってたな。どれどれ、と試聴してみると、、、あれ?チェロの 音が艶やかで、前に聴いた、ノコギリで木を切ってるみたいなギーコ ギーコした音じゃないぞ。あ、こりゃあ「童」とは別人だ、と。
結局、チェロ界では有名らしい人のCDだった。でも、最初のシューマンの 曲はよく知ってる綺麗な曲だけど、まあ、そんなに好きじゃないし、2番目の シューベルトのアルペジオーネ・ソナタも有名な曲だけど、俺サマはああいう 湿っぽい曲は嫌いなんよね。でも3番目のハイドンのディベルティメントの 第3楽章だけは凄く良くて、「これはいい!買っちまおうかしら」と 試聴マシンの前で思わず踊ってたりしたが、それから後の曲が良くない。 ♪ゲ、ゲ、ゲゲゲのゲー、夜は墓場で運動会、楽しいな、楽しいな、お化けは 死なーないー♪みたいな、おどろおどろしい20世紀風現代音楽が続いてたので、 こりゃ、駄目だ、と。
結局、今日も何も買わずにJEUGIAを出て、まっすぐ帰宅。夜はまた 少し数学。
2012年3月19日(月)
<<ダイエット>>
午前中は自宅で数学。午後は百万遍界隈に繰り出し、京大ルネで遅めの昼食の
後、喫茶進々堂でしばし数学。最近何故、新福菜館のガっツリ昼食に
しなかというと、何を隠そう、俺サマは今ダイエットをしているからである。
2月初めの体重が「容認限度」を越えてしまい、このままではまた健康診断
で色々嫌な事を言われそうなので、昼食をかなり軽く、
そして夕食も少し軽くしている。1ヶ月で3キロ痩せたが、目標はあと1キロ強。
福岡で鰻重三昧生活を送って中断したので、昨日あたりからダイエット再開。
これまで何度かダイエットをしてきたが、俺サマの経験では、スポーツ クラブ週2回程度の運動で痩せるのは無理で、食事を減らす方が効果的。 食事をぐっと減らしても数日間は体重の変化はなく、しばらくして急に減 りだしたかと思うと、またしばらくすると減少が止まり、さらに しばらくすると、また減りだすという動きをする。
最初体重がなかなか減らないのは、体内にグリコーゲンか何かの形で蓄 えられた糖分がまず消費され、それが無くなってから初めて脂肪が消費される からかも知れないが、その後も体重減少が時々止まってしまうのは何故なのかは、 不明。
酒を沢山飲んむと、一晩に1キロぐらい一気に体重が増えて、「折角の ダイエットが水の泡かよ?!」と衝撃を受けるが、数日すると尿が大量に出る ようになり、また元の体重に戻る。これは、酒を飲んだときにできるホルムアルデヒド の分解には水が沢山必要なので、体が水を貯め込むようになり、 しばらく大酒を飲まないでいると、貯めこまれた水が排出されるからでは ないかと推察している。
また、オジサンになると、若い時とは違った痩せ方をする。前にダイエットした 時は、高校時代と同じ体重になったのだが、高校時代と違って顔がずいぶん やつれて貧相な感じになった。それで今回の目標体重は、もうちょっと高めに 設定した。しかし、ここ1週間ぐらいは体重減少が止まっており、ダイエットは 3月末まで続けないと駄目かなあというのが、目下の予想。
さて、進々堂では、少なくとも10年ぐらい前から毎日昼過ぎに やってくる、俺サマが秘かに「作家先生」と呼んでいるオジサンも、隣の 席に居た。少し離れた席では、就活スーツを着た学生が、私服の若い男 2人に、模擬面接のようなことをやってもらっていた。私服の2人の男が 一体何者かは不明。
夕方、河原町三条に移動し、JEUGIA三条本店を偵察。昨日に引き続 きエリック・チザムのCDを試聴。結局購入は見送ることにした。部分的には はっとする音があちこちに仕掛けられてるのだが、どうも聴いてて全体の構想 が読めなくて、何だか間延びしたような感じが拭えないというのがその理由。
JEUGIAを出てまっすぐ帰宅。夕食後、夜はラクトスポーツプラザ。 今日は楽しいZUMBAの後、筋トレを30分ちょっと。ZUMBAの先生は、 毎日ケーキを食べているそうだが、その分、一日何時間かトレーニングすれば OK!みたいなことを言っている。そりゃあ、貴女は運動するのが仕事だから いいわさ。俺サマなんざ、運動はせいぜい週2回、そりゃあ週何回かの 講義は結構な運動になるけど、ケーキどころか、饅頭も酒 もラーメンも饂飩も鰻もetc.あれも食べたいこれも飲みたいの欲望の塊だし、 ダイエットはラマダンみたいにがっつりやらないと駄目ね。
2012年3月18日(日)
<<チザムの風景>>
日曜日。午前中は京都新聞日曜版の2つのパズル。午後は数学。何だかんだ言
っても、春休みは後半にさしかかり、そろそろ馬鹿論文でも書かないといかん
かな、と。俺サマが書く論文は、糞論文か嘘論文か馬鹿論文のいずれかだが、
今度は馬鹿論文で勝負しようか、と。
ネタがあるのかというと、あるような、ないような。俺サマは馬鹿だから、 書いているうちに、主結果の間違いが判明して全てが無に帰すとか、間違いで はないが、あまりにも自明な結果だと判明することも十分ありうる。まあ、 馬鹿のすることは大体その程度のものである。
夕方はちょっと街まで散歩に出た。ゼスト御池の広場では、京都の地ビール を飲ませる催しがあり、只で飲めるのか、人が沢山集まって行列まで出来ていた。 俺サマは地ビールにはあまり興味がない、というか、ドイツではビールは 全て地ビールだし、そんなに珍しいことないじゃん!と。
それで人込みを素通りして、JEUGIA三条本店へ。 エリック・チザム(Eric Chisholm)という20世紀前半に活躍したイギリス人 作曲家のピアノ協奏曲のCDが出ていた。俺サマが好きな、20世紀前半風 のちょっと古臭い感じがする現代音楽で、ちょっと面白い。何でそんなのが 好きなのかというと、幼少の頃、そんな風景を見て幸福感に浸って いたような気がするからだ。で、ピアノの音も綺麗 で良いのだが、結局今日は見送り。
それからフォーレのチェロソナタのCDも ちょっと聴いてみたが、やはり見送り。あと、イギリスの教会合唱団の レクイエムのCDもあったけど、「あそこはカトリックでもエヴァンゲリッシュ (プロテスタント)でもなくて、イギリス国教会だし」という、自分でも 何を言ってるのかよくわからない理由でパス。
俺サマが試聴マシンの所でチザムを聴いて、ひとりノリノリ気分 でいたところ、隣のマシンのところに大学生ぐらいの 男の子二人組がやってきた。ヴィヴァルディーか何かの古楽器アンサンブルの CDを見つけて嬉しそうに互いに目配せし、「聴いてみますか?」とか言って 試聴を始め、「おーっ(いいね!)」とか言い合っていた。こんな感じの 男二人組というのは、大学の学部生ぐらいまでの男の子では珍しくないが、 オッサンではとんと見掛けない。実際居たとしたら、かなり気持ち悪いだろうと思う。 ♪若いって素晴らしい〜♪
帰りは大丸ラクト山科店に立ち寄り、またも出鱈目なソムリエ風解説に 騙されて、800円を切る激安スペインワインを買ってみる。夕食後、夜も 少し馬鹿論文書きに関する作業。
2012年3月17日(土)
<<数学と性格>>
8時過ぎにホテルをチェックアウトし、天神のコーヒーショップで
30分ほど時間調整し、9時過ぎのバスで九大工学部前まで。
10時からの講演にギリギリ間に合った。
午前中に2つ講演を聞く。陸の孤島のため、昼食は大学生協しか選択肢がな かったのだが、幸い豚骨スープのラーメンがあったので、折角博多に来 たのだからと、試してみる。俺サマは太めの縮れ麺よりも、ストレートの 細麺の方が好きだけど、まあ330円だから許そう。午後も講演が2つ。
俺サマは、代数幾何学の講演なら大抵何を聞いても、すくなくとも 何をやっているかぐらいは何となく分かる。しかし今日の最後の講演は 例外のひとつ。数年前に一度聞いた時は完全にチンプンカンプンだった。 今度はもうちょっと分かるだろうと思って頑張って聞いたけど、やはり完敗。 ほとんどチンプンカンプンだった。「完全に」と「ほとんど」の間に若干でも 俺サマの進歩がみられるかというと、 「ほとんど言葉のアヤ程度の違いしかない」というの が正直なところ。
休憩時間に、俺サマが考えている問題と関連する分野の人たちが立ち話をしていて、 最近誰かが何か大きな問題を解いたそうだとか言っていた。日頃数学者と付き合いを してないと、こういうときに「え?え?何か新しニュースでも?」と 首を突っ込んでいけないところが辛いところ。ま、しょうがないか。
では敢えて「私、その話にちょっと興味があるんですけど」と言って 首を突っ込んで行った場合、すっと自然に話に入っていけるかというと、 そうもいかない。以前、計算機屋時代の気分で似たようなことを何回か実験 したことがあるが、研究集会などで何度も顔を合わせているし、 別に知らない仲でもないはずだが、「何?あんた。何で我々の話に入ってくる の?」みたいな感じで、何だか嫌な雰囲気になる。なるほど数学者ってのは 警戒心が強いんだなというのが、その時得た感触。
研究集会の最後は大先生の挨拶で締めくくられた。今回、 この先生の最終講義の話や挨拶を聞いて、「ああ、この人はきっといい人 なんだろうな。数学者じゃなかったら、お近づきになっていたかったな」と思った。 数学者の中にはときどきそういう人が居る。「数学者なのに、いい人」ってやつ。
数学者の中には、この人は数学をやってなかったら、もうちょっと いい人だったかも知れないなという人も少なくない。しかし、 この人は数学をやってきたからこそ、こんなにいい人になったんだろうと 思える人は、誰も思い浮かばない。つまり、数学やっても性格が悪くなることは あっても、良くなるとはなさそうである。 この俺サマだって、10数年前に数学に転向して以来、日進月歩で 性格が悪くなっている。一言で言って、暗くいじけた性格になってしまった。 最初は単に数学者向けの性格だったのが、最近は地の性格になりつつあり、 かなり危険な兆候を示している。昔の俺サマは、 もっと明朗快活だったと思うんだけど。
もっとも、数学やっていると誰もが暗くいじけた性格になるかというと、 そうではない。俺サマのような馬鹿はそうなるけれど、優秀な人は もと違った風になる。
会場を出て大学前からバスに乗り、最寄のJRの駅へ。そこから 電車に乗って博多駅へ。まずは19時30分の新幹線の指定席の切符を 買ってから、地下鉄で中洲に戻り、例の鰻屋へ。これで3晩連続で 鰻重食べまくりツアー無事敢行。
あーっ、俺サマは幸せだぜ!と思って店を出ようとしたら、京大 数理研の若い人も来ていた。「ごゆっくり」と挨拶して店を出て、また 地下鉄で博多駅に戻り、土産物などを買ってから新幹線に乗る。 車中では若干の数学と居眠り。車内販売でビールでもと思ったが、 19時半に博多を出たのに、22時10分頃になって初めて車内販売が やって来た。あと数分で京都駅着。まったく役に立たない車内販売、 今までどこに隠れてたんだ?
2012年3月16日(金)
<<時間との闘い>>
今日と明日は、大先生定年退官記念研究集会。朝10時過ぎから17時過ぎまで、
沢山の面白くてためになる講演を聞いた。講演を聞きながら、ひとつ新しい発見
をした。俺サマの数学者仮説には、「数学者は馬鹿が大嫌い」「数学者はまともに
挨拶ができない」「数学者は面白くもなんともないジョークでよく笑う」とか、
色々あるが、重要な仮説のひとつに「優秀な数学者ほど黒板
の字が異様に小さい」というのがある。しかし今日の講演者で黒板を使った人は、
いずれもこの仮説にはあてはまらなかった。まあ、字が大きく分かりやすいのは、
良いことだ。
折角博多に来ているけれど、研究集会の会場は陸の孤島のようなキャンパス なので、昼食は学食で何ということもないものを食べる。街に出て 博多ラーメンを食べて帰ってくる、なんて芸当ができないのは残念。 春休み期間中なので、キャンパスを歩いている学生などはとんと見かけず、 巨大な建物が立ち並ぶゴーストタウンのよう。しかし実験室に籠っている 院生なども居るらしく、生協には昼食用のコンビニ弁当がうず高く並べられて 準備されていたし、学食もそこそこ賑わっていた。
夕方、講演が終わってホテルのある博多市街地までバスに乗るのだが、時刻表に は45分程度と書かれているが、実際は1時間はたっぷりかかった。博多市街地は 夕方のラッシュが酷く、バスがほとんど立ち往生状態で200メートル進むのにも 10分以上かかっていた。
バスを降りてからは雨模様で風も強く、傘を何度もマツタケ状態に裏返しながら、 昨日と同じ中洲の絶品鰻屋に直行。博多近辺は柳川地方の蒸し鰻が有名らしいが、 ここはこのあたりでただ一つの関西風というか、蒸しを入れない鰻 の店。それでも結構人気があるらしく、ひっきりなしにお客が入っていた。
夕食後店を出る頃には雨もやんでいて、徒歩でホテルまで帰り、途中 コンビニで明日の朝食用のパンなどを買う。部屋に戻ってからは、電車やバスの 時刻表を色々検索して、明日の作戦を練る。遅くとも20時の新幹線に乗らないと 京都に帰れないと判明。果たして研究集会の帰りに、中洲の絶品鰻3日目制覇を 果たしてから、博多駅に滑り込めるかどうか。色々シミュレーションしたけれど、 なかなか微妙なところ。鰻欲しさに新幹線乗り遅れて、博多駅で夜を明かすのも、 またヨシとするか?!