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よ け ス ペ ー ス で す。

2011年5月15日(日)
<<どこかで睨んでいる>>
最近また睡眠不足気味だったので、今朝は二度寝三度寝してゆっくり起きる。 午前中の京都新聞日曜版7つの間違い探しは快調で、時事クロスワードも何とか こなした。

メールをチェックしたら、トロント出張の際の宿の申し込み用紙の件で、 昨夜質問メールを出した返事が届いていた。「我々のWebページにある次の 申し込みフォーマットを使ってくれ」と。嫌な予感がしたが、指定の ファイルを開いてみたら的中していた。

同じフォーマットを昨夜は穴があく程眺めたにもかかわらず、宿泊日程を 書く欄が見当たらず、「日程がちゃんと書けるフォーマットはないか?」とトロント に問い合わせたのだ。実はちゃんと宿泊期間を書く欄があり、2、3日前に自分で 書き込んであったのを見過ごしたのだ。

子供の頃から不注意なミスは多く、学校のテストでもしょっちゅう痛い 思いをしてきたけれど、若い頃よりもそういう間違いが少し増えたような気がする。ま、年を取るとそういうボケ方をするのだろう。でも、パターン認識にはちょっと 自信があったんだけどな。

そこでまたオジサンの思い出。やはり20年ぐらい前の話だが、教授会で配布 資料をもとに重要事項の説明があったとき、オジサン達は「え?それ、どこに書い てあるの?どこ、どこ?」とか騒ぎ出すのが常だった。543ページの資料の中の 378ページの上から23行目とか言うならともかくとして、1枚ものの資料でも そういう事を言い出す。「んなもん、資料を見たら一目了然ではないか。何をボケ かまして会議引き伸ばしてんのや?このオッサンらは!」と、今にも立ちあがって しばき回してやろうかと思って見ていたものである。今自分が当時の彼らの年頃に なってみると、あの頃の自分がどこかで目を吊り上げて睨んでいるように思え、 それでビビッて一生懸命資料を目で追ったりすることもしばしば。

申し込みフォーマットを完成させてメールで送り、午後はクリスタリン・コホモ ロジーの文献のイントロダクション読み。饒舌なフランス人らしく18ページ 以上もあって、べらべら、べらべら、ああでもない、こうでもないと色々な事が書いて ある。グロタンディックのフランス語に比べて、1つの文が矢鱈に長かったりして、 少し読みにくい。夕方頃、ようやく一通り読み終わり、ラクト山科まで散歩に出掛け、 夕食後、京阪三条界隈に野暮用に出る。帰ってきてから、ふと思うところあって、 別の文献を2、3眺めてみる。

2011年5月14日(土)
<<オジサンの思い出>>
午前中は寺町通りの靴屋に壊れた靴を持っていき、修理可能かどうか 聞いてみる。買ってちょうど3年が経っていることもあり、あちこち 劣化が激しく、ちゃんとした修理は難しいとのこと。まあ、想定の範囲内 の答なので、予定通り新しい靴を買うことにした。

注文した靴を倉庫から持ってきてもらう空き時間に、ちょっとJEUGIA 三条本店に立ち寄る。マルタ・アルゲリッチのシューマンとショパンの 協奏曲のCDが掛かっていて「これは綺麗だな」と思ったし、初版限定版 だから今買わないと後が無いのかしらと少し迷う。ふと見ると、クラシックギター の村地佳織のCDの宣伝ポスターがあって、初版限定版と通常版のジャケットの 違いが図示されていた。と、いうことは、アルゲリッチのこの録音も、また 別の形で出るだろうなと判断して、今日はパス。

話は少し戻るが、地下鉄京都市役所駅に着いて靴屋に向っている途中、 何故か「悪いオジサンの 例」を一つ思い出してしまった。昔、いくつかある入試の1つの採点は、諸般の 都合により理工学部があるBKCではなく、衣笠キャンパスで1日だけで集中的 に行われていた。その採点作業が始まって1時間ぐらいすると電話が掛かってきて、「今日、○○方式の採点係になっている××学科の▼▼ですが、採点会場を間違 えてBKCに来てしまいました。どうしましょうか?」と。

BKCから衣笠キャンパスへの移動にはかなりの時間がかかり、電話のあと すぐに移動しても、採点作業が終わる2時間ぐらい前に着くのがやっとである。 採点進行の責任者は「今からこちらに来てもらうのも大変ですし、しょうがないで すね。これから気をつけてください」とその先生の採点作業を免除するのが普通 だった。

実は、こういうことが毎年同じ人物によって繰り返し行われていて、 さらにこれを真似するオジサンも年々増えていることを察知していた私は、 ある年に採点進行責任者になった。

で、予想通り「勘違いしてBKCに来てしまいました。どうしましょうか?」 と電話が掛かってきた。私は「そうですか。今年は答案の枚数が多くて、作業が 難航しています。少しの間だけでも作業に加わっていただければ助かります。 今すぐこちらに来てください。え?こちらに着くのは遅くなりそうだって? 何時頃になりそうです?ああ、大丈夫ですよ、その頃ならまだ作業やってますよ。 何?遅く着いたら自分のやる仕事がほとんどないかもしれないって?いえいえ、 先生の分の仕事はちゃんと取っておきますから、ご心配なく!」と電話を切った。

勿論、遅れてやってきたその先生の前に未採点の答案を山のように積み上げて、 「いやあ、先生が来てくださって助かりましたよ。なかなか作業が進まなくて、、、」と慇懃に礼を言い、次年度の採点責任者にも「こういう事があるから注意するように」 と、対処方法も含めて申し送りをしたことは言うまでもない。

これはもう10年以上前の話で、その後どうなったのかは全く知らない。 兎に角、善良そうな顔したオジサンがちょちょっとやらかすズルやウソには異様 に敏感で、執念深くいつまでも覚えている俺サマなのさってことが言いたかっただけ。 「ン年前のあの時、あいつは俺サマが見抜けないとでも思ったのか、平気で あんなウソをつきよった」みたいな事はいつまでも覚えているし。っていうか、 当事者と顔を会わすたびに、いつもそういう事を思い出して「このウソつき野郎め」 とか思って見ている。(だから俺サマは友だちができないんだよう!、と 日記には書いておこう。)

昼食の後、丸亀製麺河原町三条店で少し早目の昼食の後、寺町通り御池下がるの 上島珈琲で食後のコーヒーとデザートのミニあんぱんで一息つきながら、昨日コピー したクリスタリン・コホモロジーの文献のイントロを眺める。そのうち、60代の オバさまたち4人組が隣にやってきて、町内会費がどうの、組長の手当がどうの、 さかりのついた猫がどうの、犬がどうのとべちゃくちゃやりだすので、気になって 文献が読めず。どうも京都市近辺のあちこちから集まった人たちで、猫の絵がどうの とか言ってたし、このあたりは画廊が沢山あるから、絵の趣味の会の集まりなのだ ろう。ちょうど出掛ける時間になってきたので、適当に退散。

ぜスト御池に入り地下鉄京都市役所駅前に向かう途中、あの、潰れたかと思って たブティックが別の場所で営業を続けているのを発見。店の中に例の暇そうなオヤジ が座っていた。これはこの数週間の懸案だったので、「 ふ、ふ、ふ。とうとう突き止めたぞ」と思わず笑みが漏れる。

山科駅前のコインロッカーに、買ってきた靴の包みを預けてから、出勤。 今日は総務省的には土曜日だが、文科省の指導により水曜日の授業日。 授業開始までまだ間があったので、図書館でクリスタリン・コホ モロジーの500数十ページの文献を借りだす。同じ著者の200数十ページ ぐらいの少し新しい文献の方が読みやすそうなのだが、それはRitsの図書館 には見当たらなかった。

研究室のPCで少し検索しようと思ったが、最近調子が悪く、とうとう ネットに繋がらなくなった。原因を色々調べてみたら、ルーターが壊れている ことが判明。今は1台しかPCを使ってないので、ケーブルをコンセントに直結 してみたら全て解決。最近PCが異様に遅かったのも、全てルーターのせいだった ようだ。

14時40分から16時10分まで2回生「離散数学」の講義。複素数の演算 を使った正三角形の対称性の記述。あと、3次対称群と行列群を使ったものとの 比較をして、群構造の概念や同型写像の概念、生成元と関係式による群の記述の 話をしようと思ったが、時間切れ。

講義の後、すぐに大学を発つ。山科駅のコインロッカーで靴の包みを取り出し、 大丸ラクト山科店で赤ワインを一本買って帰宅。夕食時に早速飲んだくれたので、 今夜のスポーツクラブ行きは中止。

2011年5月13日(金)
<<ツボを心得る>>
午前中は京大代数幾何学セミナー。今日は実代数幾何学の話。 複素代数幾何学でも正標数の話でもないせいか、聴衆はいつも よりもやや少なめ。12時過ぎに終わり、しばし吉岡書店で古本 を冷やかした後、いつものように新福菜館の真っ黒スープ―の ラーメン定食で昼食。カルタンの複素解析の本、薄い本なのに 古本でも3000円以上するのには驚いた。800円ぐらいなら 買おうかなと思ってたけど。

その後、京大数理研図書室でクリスタリン・コホモロジーの文献2冊 を眺めてすごす。最後に館外一時持ち出しして生協で基本的な アイディアが丁寧に書いてあるイントロダクションの部分をコピー して帰る。

数理研に居る間、生協にコピーに行ったり、眠気覚ましの 珈琲を飲みに行ったりと、何回か「トラちゃん」こと数理研猫 の住処を表敬訪問したが、いつ行ってもその辺で丸くなって 昼寝していた。以前は雨の日でないかぎり、どこかを出歩いていて 留守だったのに、天気の良い今日でこの有様だ。この変わりようは何だ。

しかし物陰に隠れていても、私が行くとにゃーとか小さな鳴き声を出 して現れて、目の前で丸くなって寝そべってみたり、仰向きに寝転がって 腹をなでて欲しそうにしたり。この猫、俺サマを「落とす」ツボをよく 心得ている。

17時の閉館時間に数理研を出て、京大の本部キャンパスを通って 関西日仏学館へ。そういえばここ2年以上の間、本部キャンパスの 中を通ったことがない。これもまた、「学生時代が別に懐かしくも 何ともなくなった」症候群かも知れない。

と、片方の靴にぱっくりと口が開いているのを発見。まあ、 オスナブリュックで壊れて捨ててきた靴より数日後に買ったのだから、 そろそろ寿命かしら。

日仏学館の図書室で少しフランス語の予習をしてから、隣の 京大ルネで夕食。その後しばし書籍部を冷やかしてから日仏学館に戻り、 19時から21時過ぎまでフランス語の授業を受ける。

授業が終わって帰ろうとしたら、クラスメートのひとりが 「え?今日の飲み会は行かないのですか?」と。知らんがな、そんな話があったん? 今日は靴が破れて歩きにくいし、あかんわ。また、今度誘ってや!と言い残して 日仏学館を出る。靴が破れたから飲み会に行けないとは、我ながら妙な理由を持ち だしたものだなと、ちょっと後悔。近くのコンビニでハイボールのミニ缶を買い、 靴の破れを気にしつつ、歩行飲酒しながら京都市役所駅前まで歩く。

この時間の京都市役所駅前、というか、ぜスト御池は店舗もほとんど閉まり、 どこからか集まった若い人たちがあちこちで踊りの練習をしている。 彼らは地下街の出入り口のガラス戸やショウウインドウ、大画面テレビのパネルなど を鏡代りにして練習しているのかと思ってたが、シャッターの前でやっている グループも多く、必ずしも鏡は必要ないようだ。この俺サマも、ラクトスポーツ プラザのZUMBAで修業を積んで、いつの日か夜のぜスト御池で ダンス・テビューを果たそうかしら。

2011年5月12日(木)
<<いつか来た道>>
午前中は少しエタールコホモロジーのことを考え、ネットでも検索。 なになに?エタールコホモロジーではpトーションをうまく扱えないので、 クリスタリン・コホモロジーが必要だと?で、色々探っていくと、、、 「この世界だけは足を踏み入れたくない!」と常々思ってた世界が 垣間見えた。俺サマがこの世界に飛び込むには、あまりにも人生と 脳味噌が足りな過ぎる!

エタールコホモロジーについては、もうちょっと作戦を考え直さない といかんなと思いながら、自宅を出て、山科駅前の蕎麦屋で昼食。 駅前蕎麦で昼食とは、なんてオジサンっぽいんだろう!って思うけど、 メンザのコテコテ・ドイツ料理の昼食(とRitter Sportチョコと シュトーレンと酒!)で激太りしたんだから、しょうがないのである。

20代の頃は、12時の昼食のチャイムと同時に社員食堂に ロケット・ダッシュし、丼飯と揚げ物のガっツリ定食をがっついていた。 だから、 12時半頃にふらりとかけ蕎麦一杯の昼食を食べにいく上司が信じられなかった。 「あんな少ない昼食で、よく腹が減らんものだ」と。しかし当時の上司は今の 私より10歳ぐらい年下だ。だからどうなんだって?いや、別に 何がどうだってことではないけど、オジサンというのは昼食が多くても 少なくても、どちらでも生きていけるんだな、と。

そういえば20年近く前、Ritsに着任して間もない頃に、学科長 の代理で11時から始まる学科長会議に何度か出席したことがあった。 学部長が「1時間で終わりましょう」と宣言して、それでも大体12時半頃 まで続くのだが、さて、これで終わりという時になると、必ず「すみません、 最後に一言だけ」と言ってどこかの学科のオジサンが一言どころか十言ぐらい 発言し、それが元で15分ぐらい会議が延びる。やっとひと段落ついて、 これで本当に終わりかという時になると、また別の学科のオジサンが 「すいません、最後に一言だけ」と言い出し、また15分延びる。

本当に「すみません」と思ってるんなら、黙ってろ!と思うのだが、 これは当時流行ったオジサン流のレトリックで、教授会で人事案件の審議をする際に、 候補者を味噌糞にこきおろす時には、必ず「この候補者では駄目だという ことではありませんが」という無意味な前置きをするのが、暗黙のルール になっていた。だから、「最後の一言だけ」といのは、「もっともっと会議 を続けようよ」という意味だったのである。

兎に角、そういうことが数回繰り返されて14時前になってやっと 会議が終わるのだった。当時の私は、まだオジサンではなかったので、 腹が減ってしょうがなく、背後にメラメラと殺気の炎を燃やしながら 「こんな、昼飯も食わずに平気で生きていられる連中とは、やってられんな」 と思いながら目を吊り上げていたものである。

昼食後、そのままJRに乗り、大学に出勤。14時から17時前まで、 卒研ゼミ。アフィン代数的集合がアフィン代数多様体の有限個の和に 分解することの証明、素イデアルの高さの概念、座標環のクルル次元と 代数的集合の次元の一致など。剰余環と元の環のイデアルの対応の話 で学生が詰まったので、少し解説。しかし、剰余加群についてのよく使われる 同型を知らないという。それぐらい群論の授業で習ったでしょうに、と。

私:「これ、群論の授業で出てきたでしょ?」
学生:「(知らーん)」
私:「えー!?君たち、群論は誰先生に習ったのですか?」
学生:「(私を指さし)先生です!」
私:「あ、駄目だ、こりゃ。じゃあ、今から全部説明しますね。」

嗚呼、これって、いつか来た道だ(つい2日ほど前?)。それほど 自明な同型でもないので、その場でうんうん証明を考えて適当に説明したが、 学生達はどうもしっくり来てないみたい。「まあ、追い追い繰り返し出てくるから、 徐々に分かってくるでしょう」と、その場は煙に巻く。

確かに私の群論の授業では、ごく基本的な概念についてしか教えてない。 それ以上のことは「それが必要になった時に勉強すればよろしい」という スタンスだから、こういうことはよくあるのさ。

卒研ゼミ終了後、少し雑用をやってから帰宅。2日連続でバスの運転手から 「挑戦」を受けるのも大儀な話なので、入念に小銭を確認してからバスに乗る。

帰宅後、夜はフランス語の宿題を片付けてから、トロントの宿を探し、さらに クリスタリン・コホモロジーの文献をネットで探す。Pierre BerthelotのLNM 407. 500ページぐらいあるぞ。ま、せいぜい、ちょっと眺めるだけにしておきたいも のだな。

2011年5月11日(水)
<<挑戦>>
台風が来ていたらしく、激しい雨の一日。ラクト山科で昼食用のパンを 買って昼過ぎに出勤。そのまま生協トラベルに向かい、8月のトロント 出張の航空便の手配。それから研究室で昼食の後、少し数学。 今眺めているエタールコホモロジーの定番テキストと、前から解読したい と思っていた某論文で使われている論法のギャップを洗い出す。 で、このギャップ、どうやって埋めればいいの?論文の著者にメール を出して聞いてもいいのだが、数学者は意地悪が多いから、また黙殺 されるかも。そういうのって結構コタえるのよねー。 だから、臆病者の俺サマとしては、独りで悶々と考える道を選ぶのさ。

14時40分から16時10分まで、2回生「離散数学」の講義。 3次対称群の群演算の定義の再確認、複素平面と複素数の演算、複素数 の演算を使った正三角形の対称性の記述。

講義の後、生協トラベルに寄って依頼しておいた書類を受け取り、 研究室に戻って出張申請書を作成して事務に提出。その後、数理科学科 のお茶の時間に少し顔を出す。

この「お茶の時間」、学科全体のコミュニケーションの向上を 図って学科長の旗振りで始まった時間だけど、結局、確率論グループ +αに収束しそうな気配。私が抜けるとαの部分が「山科飲んだくれ コンビ」だけになり、それなら確率論の溜まり場でこれまでやっていた であろうことと同じになってしまう。

帰りのバスが南草津駅に着いたとき、小銭が無いことに気付いた。 3000円の回数券でも買おうと1万円札を出したら「お釣りはありません」 などと、エディンバラのロチアン・バスみたいなことを言う。回数券を3枚 買う気も起らず、じゃあ、どうすればよろしいの?と聞くと、ここで 待っているから、外で両替して きてくれという。

私はオジサンという存在に強い偏見を持っている。悪いオジサンを沢山見て きたからね。世の中のオジサンというものはこういう時には「はい、 わかりました、じゃあ、今から両替してきますからね」と言ってバスを降り、 そのまま帰ってしまってバス代を踏み倒す生き物に違いないと、 私は信じている。だから、この運転手の「外で両替してきてください。私はここで ずっと待ってます」という言葉は、私には「お前はオジサンのような顔をしているが、 心の底までオジサンなのかどうか見極めてやる」という挑戦のように聞こえた。

おうっ!その挑戦、受けてやろうぢゃぁないか。意気に感じた私は、さっそく 駅で回数券を買って1万円札を崩し、私を信じて待っていてくれる運転手の もとに帰り「お待たせしました」とちゃんと運賃を払った。 いやー、愉快愉快。なかなか良い運転手だ。

帰宅後、夜は今週土曜日に行われる水曜日分の授業と来週火曜日の授業の準備。 土曜日を水曜日と呼ぶのは、要するにに文科省の指導である。こんな指導をしてい ると総務省が知ったら、「何で俺達が決めた土曜日を勝手に水曜日と呼ばせるんだ? 越権行為だろ?!」と喧嘩に、、、ならないな。ならない、ならない、と。

2011年5月10日(火)
<<睡眠不足>>
深酒をすると眠りが浅くなり、しかも昨夜は妙に蒸し暑くて寝苦しく、かなり 睡眠不足気味。しかし、わが身に鞭打って本日授業日。今日は一日激しい雨が 断続的に降ったりやんだりの変な天気。

10時40分から12時10分まで、4回生「計算機数学」。 今日はネ―ター加群の復習、ネ―ター環上の有限生成加群がネ―ター加群 であることの証明、ヒルベルトの基底定理と証明のアイディアなど。 加群準同型、加群の完全列、昇鎖列の扱いなど、いちいち説明するの 面倒臭いなー。ということで、

私:「えーと、これは群論の授業で習わなかったですか?」
学生:「(知らーん)」
私:「(うーむ、困ったものだ)君らの学年は、誰先生に群論を習いましたか?」
学生:「え?先生(つまり私のこと)ですけど」
私:「あ、駄目だ、こりゃ。じゃあ、最初から全部説明します」

みたいな感じで進む。

研究室で昼食の後、13時から14時30分まで経済学部・経営学部 の「C言語とUNIX演習」。2回生配当なのに、実際は就活中の 4回生ばかりが受講しているようで、来たり来なかったりの状態で、 結局演習の進め方はTAの学生と二人で個別指導状態。また今年 リプレースされたOSの具合が良くなく、漢字は化けるし、カットアン ドペーストは出来たり出来なかったりをランダムに繰り返すしで、 大変。漢字コードの問題が発覚して大騒ぎしているところで時間切れ。 対応は来週に持ち越し。

引き続き、14時40分から16時10分まで、2回生「代数学序論I」 単純拡大の例の復習、2つの単純拡大の例の等価性証明、線型写像の復習、 多元環の定義、多元環同型、多元環自己同型が群をなすことの証明。

授業終了後、研究室でひといき着いてから帰宅。夕食後、少し横になったら 40分ぐらい眠ってしまった。それから8月のカナダ出張にむけて、すこし ネットで検索など。やはり眠いので、早目に寝る(予定)。

昨日は「異分野の人たちの中で冷や飯を食ってきた」と書いたが、 これはどうも幼少の頃からの私の習性のような気がする。いつでも周りの人とは 違うことをやりたがるので、どうしても「異分野の人たちの中に居る」状態に陥り やすい。しかも、周りに対して全く無頓着にそうしているわけではなく、常に周囲 との距離を注意深く計りながらやっているようなところがある。要するに、 へそまがりということだ。

2011年5月9日(月)
<<新人歓迎会>>
午前中は自宅でエタール・コホモロジーに思いを馳せたり、オスナブ リュックの友人にメールを出したり。昼頃に自宅を出て、山科駅前で 簡単に昼食の後、出勤。大学のPCで少し作業をするも、全然まとも に動かずにスローペース。不思議なもので、最近のPCは買って時間 が経つと、日に日にどんどん遅くなる。

まあ、OSなどの頻繁なアップグレードで遅くなるのは分からないでも ないが、アップグレードをする限りにはアルゴリズムやコーディングを 見直して、機能と性能が両方良くなっても不思議ではないし、それを狙って こそ本物のプログラマだと思うが、実際は機能の向上に伴って単純に実行速度 が遅くなる。

それにしても、ドイツに行っている間の半年間、研究室に放置しておいたら、 1つの操作をして反応するまでにトイレに行って事務に寄って郵便物を取りに行 ってぐらいの時間は十分かかったりするぐらいに遅くなってしまった。これは 新しいPCを買わせるための陰謀ではないかと思ってしまう。

オーバーヘッドの大きさで悪名高いセキュリティーソフトを載せていることが 原因の一つかと思うが、そのソフトをオフ動作にしてみても大して変わらない。 6月にソフトの契約更新が来るが、こんな有料で性能の悪いソフトを使わなくても、 大学が一括契約しているセキュリティーソフトがあるので、とりあえず更新前 であっても機会をみつけてそのソフトに乗り換えようかとも思う。

それから生協トラベルで8月のトロント出張の航空券の手配。出発 日のチケットがなかなか無く、色々捜してもらってとりあえず予約をする。 出張手続きの方法で事務に問い合わせたり、色々しているうちに16時半の 談話会の時間になる。

談話会は新任の先生の講演。1時間ほどで終わり、南草津駅前に移動して 歓迎会。近くの席には志村理論の人や確率論の人や最適化理論の人が居た ので、色々教えてもらう。そうこうしているうちに、隣の人が生臭い人 に入れ換わったので、話題はいきなり生臭くなった。

生涯一座敷童日々是偵察飛行の俺サマにとって、新人歓迎会は偵察活動 の一環である。俺サマは私立大学教員のくせに、学生のことや学内行政 にさして煩わされることもなく、のほほんと研究していられる。それでも碌な 研究成果が出ないのは、ひとえに俺サマがアホだからである。だから意地悪で エライ先生に3回質問したら黙殺されるハメになるのだ。と、まあ、今日の ところは、自虐ネタはこのぐらいにしておこう。

兎に角、この絶妙のポジションは学科内の微妙な力学的バランスの上に かろうじて保たれている極めて危ういものである。つまり、俺サマが日々 ののほんと研究に埋没していられるかどうかは、ひとえに学科の色々なこと が平和裏に回っていることが前提になるのだ。だから不安要素があれば、 いち早く察知し、対策を打つなり心づもりをするなりしておかねばならな い。その意味でも、こういった会に顔を出し、その場の雰囲気に注意を 払い、生臭い話にも耳を傾けることは重要である。

まあ、一般に数学者はこういうことには無頓着なようだが、私はそもそも 数学者じゃないし、異分野の人たちの中でさんざん冷や飯を食わされた経験も あるので、ごく普通の感覚として常にそういうことを考えてしまうというわけだ。

今日は不安材料が二つ浮上したが、今すぐにどうこうということは ないので、しばらく様子を見ることにする。

22時前に1次会は解散となり、まだ飲み足りない人は南草津駅前の 飲み屋に向ったようだ。俺サマはもう十分飲んだし、調査活動も終わったと いうことにして、家路につく。

2011年5月8日(日)
<<パーマ屋多過ぎ>>
午前中は自宅で京都新聞7つの間違い探しと時事クロスワードパズル。 昼間には山科区内で買い物。昼食後は少し数学。エタール・コホモロジー の関する300ページぐらいの教科書を拾い読み。学部学生じゃあある まいに、こんな本をいちいち最初からちくちく読んでたら、人生が何回 あっても足りないのである。自分の研究に必要な部分だけを効率的に押 えたいのだが、まだエタール・コホモロジーの「土地勘」が無いので、 どの部分に必要なことが書いてあるのかよくわからない。

エタール・コホモロジーについては、オスナブリュックに居たとき B先生に聞いてみたけど、彼はあまり詳しくなさそうだった。他に詳し そうな人は居たのだが、それが例の黙殺大魔王の大先生ね。親切な人は 知らなくて、知ってる人は意地悪。世の中うまくいかないものだ。 まあ、もうちょっと拾い読み作業を続けてみたら、様子が見えてくるかしら。

夕方頃、街に出る。京阪三条駅で野暮用の後、三条大橋を渡って 河原町へ。日差しが強くなってきたので、Loftで晴雨兼用傘を購入。 男物4000円弱。 最近の傘はデザイン優先で作りが貧弱で、すぐに壊れる。以前 デパートで買った6〜7000円ぐらいのブランド物日傘は、 3カ月の間に3回壊れて、その度に数千円の修理代を取られて 何週間も持って行かれ、結局まともに使えたのは1ヶ月弱。 これは酷いと、最後にはデパートに突き返した。

次に買ったのは中古の数百円で、1シーズン持てばいいや と思ってたら、やはり1シーズンで壊れた。つまり数百円でも 数千円でも寿命は同じぐらいだ、と。今度の4000円弱の傘 も、秋までもつかどうか。

あちこちの店を探して回る覚悟でいたけど、傘の件が案外 早く片付いたので、JEUGIA三条本店を偵察。やっぱり試聴 マシンが無いと気合いが入らず、すぐに店を出る。気温はぐんぐん 上がって、アイスクリームを食べてる歩行者もちらほら。私もままよ と濃厚抹茶クリームアイスに手を出そうと思ったけど、ドイツ激太り で一応ダイエット中なので、ぐっと堪える。

これがドイツなら、歩行者の半分ぐらいがアイスを食べてるだろう。 巨大アイスは食べるし、昼食にフライドポテトを大皿に山盛り食べてるし、 奴らはカロリーオーバーなんてことを気にしないみたいだったな。

河原町三条偵察はそこそこで切り上げて、ラクト山科に移動。 大丸デパ地下で野暮用を済ませ、久しぶりにジューススタンドで パインジュースを飲む。3階の窓際ベンチでしばし数学の後、 スーパー「フードショップ」をすこし偵察してから家路につく。

それにしても、山科駅前には狭い区域にざっと数えただけで パーマ屋、つまり美容店が9軒ひしめいている。これはオスナブ リュック旧市街の靴屋をしのぐ密度だ。山科駅前から離れたところ でも、パーマ屋が密集して いる地域がある。それもここ数年の間は特に開店ラッシュの様相を 帯びている。何でこういう現象が起こっているのか。

一時期、男性カリスマ美容師がもてはやされて、その頃に美容師 を目指した男の子が沢山居たものと思われる。彼らは専門学校を 出て、都会の大きな店に下っ端として雇われた。そういった店の 労働環境は往々にして厳しいものだと、新聞で読んだことがある。 彼らは何年か辛い修行を積んでから、親元に戻ってきたのかもしれない。 実家は小さな商売をしていたが、そろそろ息子に譲っても良いころ だったので、店を畳んでパーマ屋に改装した。近くに大きなパーマ 屋も林立しているし、近所の幼馴染で一緒にカリスマ美容師を目指 した友も、やはり戻ってきて開業し、商売敵みたいになってしまっ たけど、自分はここで生まれ育ったんだし、ここで頑張るしかない のだ、と。まあ、そんなところではないか。

以上は全て単なる想像だけどね。第一、俺サマはグロタンディ ック・カットだから、パーマ屋とは無縁だし。

帰宅後、夜も少し数学とフランス語の宿題。

2011年5月7日(土)
<<古川町商店街>>
午前中は自宅で数学と野暮用。今日も「エタールコホモロジーを腑に落とす プロジェクト」。昼過ぎに街に出る。

まずは河原町三条。河原町教会横のカトリック会館前のホームレスを視察。 また新しい心の友が出来るかと思ったが、これは駄目だ。オスナブリュックの 街角の哲学者のような凛としたところや、大聖堂教会前の黒眼鏡のような詩人 のような面影がまるでない。

そのまま魁力屋河原町三条店に入り、昼食。炒飯+特製醤油ラーメンセットを 食べたが、あっさりした味で私にはちょっと物足りない。私は天下一品の ドロドロスープや、博多ラーメンのような豚骨スープ系、醤油ラーメンなら 百万遍の真っ黒スープの店(まだ名前を覚えていない)の焼豚の煮汁入りといった、 こってり系が好き。まあ、穴子丼が嫌いで鰻丼が好きなぐらいだからね。

昼食の後、寺町通りの上島珈琲に入ってしばし数学。 今日は良い席が空いていた。しばらくすると、隣に60代ぐらいの女性 が来て、視界の端で窺うに、どうも私が読んでいたエタール・コホモロジー の本に関心を示しているふうだった。その人は前にもよく見掛けた、数学か 物理関係の人。前に見掛けたときは研究ノートのようなものに鉛筆で 微分方程式っぽい数式を書き進めていたが、今日はTeXで書かれた原稿 を推敲しているようだった。彼女がトイレに行って帰ってくる時に、ふと 顔を見たけれど、面識はなかった。

上島珈琲を出て、エタール・コホモロジーに思いを馳せながら、 徒歩で関西日仏学館へ。今日は気温もぐんぐん上がり、 歩いていると汗ばむぐらいだ。寺町通りをどんどん北上し、丸太町通 を上がったところで洛陽教会に潜入。 ここは前にクラシックコンサートがあって来たことがある。改めて 入ってみると、どうも内部の感じがevangelisch(つまり新教)な雰囲気。 それでパンフレットや書籍が置いてあるところを調査すると、新訳聖書が 置いてあったので、やっぱりそうか、と。ウォーリス建築で有名な教会 らしいが、やっぱり教会は石造りでドーンと巨大でなくっちゃあ詰らない。 それにしても、日本でevangelischの教会って、珍しいのではないか?

教会を出てさらに北上していたら、向こうから何故かOD大のNJ先生 が真っ赤な顔して必死に自転車を漕いでやってきた。すれ違うときにちょっと 会釈を交わしたが、一体何だったんでしょうね。そもそも何で彼が寺町通り で自転車を漕いでいるのか?街を偵察飛行していると、色々なものに出くわすものだ。

学生時代から出町輸入食品店はあったような気がするが、バスの窓から 看板を見ているだけで、一度も足を踏み入れたことはなかった。今日こそ は入ってみよう。Ritter Sportでも売ってるかしらと思ったが、輸入珈琲専門店 に変わっていた。

喉が乾いたので京大ルネの自販機で冷たいココアを買って飲み、関西日仏学館 の図書館でしばし来週のフランス語の予習。司書の人の咳はだいぶ良くなっていた。

夕方、関西日仏学館を出て家路につく。そういえばここ数年はずっと鴨川沿い の川端通からゲーテの前を通って荒神橋を渡り、河原町通りを下るという経路ばかり たどってきたから、久しぶりに京大の裏手の細い道を下ってまっすぐ東山三条を 目指す道を行ってみた。学生時代は車の多い東大路を避けて、静かなこの道を通って 通学したものである。しかし、特にこれといった感慨もなし。

大学を出てしばらく東京に居たので、京都に戻ってきたときには懐かしく、 よく京大の近辺をうろついて思い出に耽ったりしていた。しかし今では、 大学で講義や会議がある時以外は、関西日仏だの、数理研だの、寺子屋塾だの、 ゲーテだので、毎日のようにこのあたりをうろついているせいか、 京大近辺は思い出の場所ではなく、今を生きる場所になった。そのせいもあってか、 近頃は学生時代のことは歴史的事実としての記憶でしかなく、特にどうと いうこともなくなった。

東山三条に着いてからすぐには地下鉄に乗らず、古川町商店街をずっと南下して みる。ここは錦通りほどの賑わいはないけれど、まあ、似たような感じではある。 学生時代から存在は知っていたが、南端まで歩いたのは今日が初めて。通りを抜ける と白川が流れていて、へえ、こんなふうになってたのかと今更のように驚いた。 それで帰りは白川沿いをさらさらという水音を聞きながら東山通りまで戻る。 こういう水音を聞いて毎日をすごすってのも、いいだろうな。 それから地下鉄に乗って山科へ。

最後にラクト山科を偵察。 やはり柏餅はクリスマスケーキとは違うのだろう。 子供の日が過ぎてもまだ売っていた。菓子屋の近くのベンチに、あーあ、何にも することがないなあオジサンが座っていたが、隣の席の小さな子供に何か 話しかけていた。この人の声はちょっと不思議な響きがあって、河馬のいななき を聞いているような感じ。大丸で赤ワインを1本買って帰宅。夕食後、夜は スポーツクラブでへとへとになる。

2011年5月6日(金)
<<私もその一人>>
午前中は自宅で数学。今日から「エタールコホモロジーの定義を理解する プロジェクト」を開始。しかし午前中だけであっさり終わってしまった。 「だから、どうだってんだい?」という定義なので、どうも腑に落ちない。

昼過ぎに自宅を出て、百万遍界隈へ。真っ黒スープのラーメン屋で昼食の後、 久しぶりに喫茶進々堂に入ってしばし数学。次は「エタールコホモロジー を腑に落とすプロジェクト」に切り替えるべきだと決心した段階で、店を出る。

店を出るちょっと前に「作家先生」が店にやってきた。彼は60代ぐらいで、 少なくとも約10年前から毎日13〜14時の間にこの店にやってきて、 今出川通りに面した窓際の席に座り、コーヒーを一杯注文して2〜3時間ほど 執筆活動のようなことをしている。本当に作家なのかどうかは知らない。 トイレに行く際に彼の後ろを通ったが、その時に彼が毎日欠かさず何か書き込 んだり推敲したりしているノートがふと目に入った。写真が何枚か貼ってあって、 そこに同僚と思われる何人かと一緒の白衣をきた彼の姿もあった。そういえば 昔、薬に関する小事典を持ってたりして、薬関係の人かとも思ったけど。一体、 この人は何者なんでしょうね。

まあ、京都ってところは、おびただしい数の何だかよくわからないオジサンが、 昼間からその辺をウロウロしているところだし、私もその一人だけどね。

進々堂を出て京大数理研へ。雨が降っているわけでもないのに、「トラちゃん」 こと数理研猫は、いつもの住処のあたりのオフィス用椅子の上で丸くなって昼寝 をしていた。それから図書館に籠って夕方まで数学。

17時前に数理研を出る。数理研猫の住処に行ってみたら、猫の姿はなかった。 京大ルネの書籍部を少し偵察。ここには、以前ゲーテのクラスで一緒だった人が 働いていて、時々顔を合わせるので会釈ぐらいはする。まあ、大抵忙しそうに しているのでそれで十分なのだが、暇そうにしている時にはちょっと立ち話でもと 思わないでもない。

しかしあれからもう何年かになるので、何を話せばよいやら考えてしまうし、 それに何より一番の問題は、彼の名前を忘れてしまったことである。いつもは会釈 だけなのに、その日は珍しく近寄って行って「ところで、貴方、何て名前でしたっけ?」と聞くのも間抜けな話だし。どうしようかなーっと引っ込み思案な俺サマな のさ。

ルネを出て関西日仏学館の図書室へ。フランス語の復習を少し。そういえば 日仏学館図書館の司書の人は、風邪で喉を痛めているらしく、ずっと咳をして いて、話すのもつらそうだった。今ちょうど授業でそういう表現を 勉強しているところ。Il me semble qu'elle a mal a la gorge. Elle tousse toujours.

隣の京大ルネで夕食の後、19時より21時までフランスの授業。帰りは またコンビニで小さな缶入りハイボールを買って、歩行飲酒しながら京都市 役所駅前まで歩く。

2011年5月5日(木)
<<人少なめ>>
午前中は自宅で数学。昼頃、街に出る。昼食は京都北白川魁力屋 河原町三条店のラーメンを一度食べてみようかと迷ったが、何と なく今日も丸亀製麺の讃岐うどんにした。

丸亀製麺の行き帰りにビアホールの横を通るのだが、かなり年配 のオジサンとかオバサンとかが、窓際の席で昼間から独りビー ルを飲んで脂っこい料理をつまんでいる姿を毎回のように見掛ける。 あれは一体何なんだろうね、って、まあ、只のビアガーデンの客なんだけど。

昼食の後、上島珈琲でしばし数学。連休なのにアーケード街の 人出はそれほどでもなく、上島珈琲もほとんど平日モードの込み具合。

上島珈琲を出てからは寺町通りを下り、錦通を経由してジュンク 堂書店四条店へ。数学書コーナーで少し調べもの。大学の研究室に 置いてきた本を見に行くのも面倒だし、京大の図書館は祭日で閉ま ってるだろうし、こういう時に専門書が揃っているジュンク堂は便利だ。

調べ物はすぐに済んで、これでようやく「ケーラー多様体の定義を理解 するプロジェクト」は完了した。ジュンク堂を出て、大丸四条店1階をさら っと20秒ぐらい偵察してから、JEUGIA四条店を偵察。最近、三条本店の 某店員の顔を見掛けないなと思ってたら、四条店に配置転換になった ようだ。やはり試聴マシンが無くなってからは、どうもJEUGIA 遊びには力が入らず、すぐに店を出て烏丸四条から地下鉄に乗って京都駅へ。

次は京都駅前アヴァンティーを偵察。途中ホームレスのオジサンとすれ 違ったが、物凄い臭いがした。パリで一度、見るからに着の身着のままで 何ヶ月も風呂に入ってなさそうなホームレスが居て、彼も同じような強烈な 臭いがした。ところが、私の心の友である黒眼鏡や哲学者はそうではなく、 野宿生活の割には比較的小ざっぱりしていた。何故か?彼らは時々大聖堂 教会前の全自動有料トイレに入っていたが、そこで体を拭くなり何なりして いたのではないかと思われる。

さて、まずはアヴァンティーのサンリオ・ショップへ。ハローキティー・ グッズは、文具系が陰をひそめ、以前とは少し感じの違ったものが多くなり、 何となくもっさりした感じ。ブックセンターは文具店を吸収合併して、すこし レイアウトが変わっていた。数学書の品揃えはジュンク堂にはかなわないので、 トロントの旅行ガイド本を捜してみたが、昨日買ったもの以外にはなく、 すぐに店を出る。

京阪ホテル2階のフロントとティーラウンジのあるところを通ったが、 沢山の観光客がチェックアウト(にしては少し時間が遅めのような気がするが) するところだった。京都駅でも、沢山の観光客が電車で帰ろうとしていた。

しかし、そうは言っても、例年のゴールデンウィークに比べたら、京都の 街の観光客はかなり少ないような気がする。昨日のドイツの友人からのメールには、 「京都は平穏で、放射能も計画停電も避難命令もないが、観光客、特に外国からの 観光客の数が激減した」と返事しておいた。

JRで山科に行き、ラクト山科をさらっと偵察してから帰宅。 夕食後、夜は明日のフランス語の予習。

2011年5月4日(水)
<<教会に潜入>>
午前中は自宅で数学。昼頃、河原町三条界隈に偵察飛行に飛び立つ。 ぜスト御池では何だか祭のようなイベントをやっていた。 「京都さくらよさこい」とかいうらしく、元気なお兄さんやおネエ さんが威勢良く踊っていた。

丸亀製麺の讃岐うどんで軽く昼食の後、河原街通りを下ってゴディバ を偵察。店の人に聞いてみたら、プラリーネは年中売っているそうだ。 だけどゴディバのプラリーネは馬鹿高い。Leysiefferの数倍の値段がついて いたので、パス。ゴディバを出て、河原町通りの向いにあるBALに入り、 ジュンク堂書店でカナダの旅行ガイドを買う。

それからまた河原町通りを上って三条通りに戻り、JEUGA三条本店 をさらっと偵察。マルタ・アルゲリッチの限定版CDが大売り出しだった。 昨年日本で開かれたコンサートでの録音で、シューマンとショパンのピアノ 協奏曲。東北の大震災のチャリティーCDだそうで、そのこととは関係ない そうだけど、何だか矢鱈に録音の質が良い。「どうしようかなー」と思った けど、何となくパス。曲がそんなに好きでもないし。

それから寺町通りの額縁屋に入り、オスナブリュックで描いた絵を 入れる額を1つ買う。地震のことを心配してガラスの部分をアクリル 板に変えてもらったのだが、500円の追加料金がかかった。

それから上島珈琲に入って、ジュンク堂で買った「地球の歩き方」 とドイツで買ったトロントの旅行ガイド本を見比べて、8月の トロント出張計画を練る。

上島珈琲を出て、また三条通りに戻って明治屋を偵察。Ritter Sportが 315円だった。フランクフルトの空港で2ユーロちょっとの値段で売って いて「空港はやっぱり吹っかけてくるな」と思いつつ、小銭がちょうど消化 できるので日本への土産に2つ買ったのだが、それよりももう少し高い。 この微妙な価格設定。ドイツなら150円ぐらいで 売ってるプンパーニッケルが700円台!やっぱり地産地消、京都に居るんだから 京都のうまい物を食べればいいか、と。

さて山科に帰ろうかと思って、ロイヤルホテルの横を通って京都市役所前駅 に向かおうとしたら、ホテルの隣の河原町カトリック教会に、「誰でも自由に入 ってお祈りできます」とある。まあ、教会というのはそういうものだ。日本の 教会はどうかしらと、京都在住25年目にして初めてこの教会の中に入る。 なるほど、建物は新しい(中世の建築ではないという意味)けど、中は ドイツやフランスで見た教会と同じだ。ただ、パイプオルガンがかなり小さい。 「トイレは地下にあります」と張り紙があって、おー!トイレを自由に使わせる とは、ドイツの教会とは大違いだ!と思って、地下に行ってみると、、、鍵が掛 かっていた!何なんでしょうね?

教会を出て、隣のカトリック会館の前を通ると、会館の軒下にホームレスの 寝床があった。ああ懐かしや。これはオスナブリュック市立図書館前軒下の哲学者 の寝床と同じではないか。それに、教会とホームレスの組合せという、すこぶる ヨーロッパ的な風景が京都でも見ることができるのかと、ちょっと感動。

それから地下鉄に乗ろうとぜスト御池に降りると、潰れたはずのブティック のオヤジがまた居た。彼のブティックがあった所は、写真だの工芸品だの 何だのがぱらぱらと展示されているだけの、怪しげなギャラリーに変わって いるが、ブティックのオヤジはギャラリーのオヤジと立ち話をして油を売って いる。ブティックが別の場所に移動しただけなら、そのうち店に戻るだろう。 よし、今日は奴の新しい店を突きとめてやるぞ、としばらく遠目に偵察 していたのだが、いつまでもギャラリーを離れる様子が見えないので、 今日のところは諦めた。

ラクト山科経由で帰宅。ニトリで本棚を買う積りだったが、やはりもう ちょっと延期。帰宅後、額縁に絵を入れて玄関に飾った。ゲストハウスの近 くのBergkirche(山の教会)の絵。夜はまた少し数学。

そうこうしているうちに、オスナブリュックのゲストハウスの元隣人から メールが届いた。別にこれといった用件はなく、「そっちはどんな様子だ?」 みたいな内容。これがkeep in touchってやつかしらね。返事として、 ドイツ最後の夜に貴方に飲ませてもらったウオッカが旨かったので、 同僚への土産に免税店でズブロッカを買ったが、あれは正解だった ようだという話でも書いて送ろうと思う。、

2011年5月3日(火)
<<陰謀?>>
午前中は自宅で数学。昼頃、ラクト山科を偵察し、大丸でワインを1本 購入。ついでに昼食を済ませ、帰宅後はしばし野暮用の後、少し 数学。夕方、散歩がてらに近所のスーパーに出掛け、ビールを2缶 買う。夕食時にはワインを少し。夕食後はテレビで「たけしの家庭の医学」 を見てから、また少し数学。

業界メーリングリストで、オランダの某大学の幾何学部門が閉鎖される との情報が流れてきた。私の勘違いかもしれないが、大学の経営難に乗じた 応用数学系の人たちの陰謀っぽい感じがしないでもない。まあ、少なくとも 派閥抗争の一種だろうとは思う。

2011年5月2日(月)
<<ZUMBAやらずんば>>
午前中は自宅で数学。昼過ぎ頃、1つ懸案を胸に街に出る。河原町三条丸亀製麺 の讃岐うどんで昼食の後、寺町通り上島珈琲でしばし数学。連休中ではあるが、 暦の上では平日のせいか、街の人出はそれほどれもなく、普段の平日とあまり変 わらない。ただ、額縁を買おうと思って目をつけていた店に行ったら、定休日で もないのに閉まっていた。

京都市役所で野暮用の後、ラクト山科経由で帰宅。「あーあ、何にもすること がないなあ」オジサンは、今日も元気に偵察飛行をしていた。

夕方の早い時間に帰宅し、懸案事項について思い当たる節を色々調べ、やっと 解決。それから少し8月のカナダ出張のことを調べてから、夕食。そして夜は ラクトスポーツプラザへ。

今日はスタジオレッスンのZUMBAと骨盤矯正ヨガの2つに参加。いくつ 参加しても値段が同じというところが素晴らしい。ZUMBAはエアロビにダンス の要素を取り込んだ動きの激しいもので、45分間で汗びっしょりになる。動き の説明はなく、インストラクターの動きを真似して適当に踊っていればよい緩さが 楽しい。ZUMBAやらずんば、何をかせむ。この楽しさは、ハマりそう。

それにしても、私は小学校の時から、先生の動きに合わせて体操をすると、必ず 皆とは逆の動きをする。皆が右向けば私だけ左を向いているという具合である。 これで体育の先生に「高山君、ふざけるのもいい加減にしなさい!」と、よく 運動場を3周ぐらい走らされたものである。

何故こういうことが起こるかというと、我々の方を向いているインストラクター が右手を挙げれば私も右手を挙げ、左に進めば私も左に進むからである。これでは 鏡像関係にならない。皆はちゃんと、インストラクターが右手を上げれば自分は 左手を上げ、左に進めば自分が右に進むのだが、私にはそういうややこしい ことができないのである。

まあ、今は学校時代と違って、叱られたり運動場を走らされたりすることもないし、気楽に皆と逆方向に動いて楽しんでいるけどね。

スポーツクラブから帰ってふとネットのニュースをチェックしたら、某国立大 教授が山で遭難したとの見出し。山で死ぬ国立大学教授と言えば、数学者、特に 代数系と相場が決まっている。あの大学ならたぶんこの人かな、と思って詳細を みたら、図星だった。そうこうしているうちに、同業者のメーリングリスト で訃報が流れてきた。個人的には全く面識はないけれど、研究の方で最近面白ろ そうな展開を見せていた人で、その意味でも惜しい人を亡くしたなと思う。

自分の足で一歩一歩登っていく感じが数学研究と似ているせいか、数学者に は山好きが多いような気もする。数学者のホームページを見ると、山登りの時の 自分の写真が出ていることも珍しくない。そして、私の数少ない経験からすると、 辺鄙な所で開かれる数学の国際研究集会の場合、中日の遠足はその辺の山に登ら されるものと覚悟しなければならないようである。

数論と数理論理学で有名なエルブランも山岳事故で亡くなったし、日本の数学者 でもハングライダーの墜落や富士山登山中の事故で亡くなった 人がいる。山で死ぬってのも、数学者らしい死に方のひとつなのかもしれない。 もっとも私は数学者じゃないし、街の子だから、山は嫌いだけどね。

2011年5月1日(日)
<<実力の差>>
午前中は自宅で野暮用。その合間に京都新聞日曜版の7つの間違い探しと クロスワードパズル。朝日新聞日曜版のオチビサンは、私がドイツに行って いる間に連載が終わってしまったようだ。

昼前にラクト山科へ。いきなり「あーあ、何にもすることがないなあ」 オジサンとすれ違った。このオジサンも、こうやって毎日偵察飛行してるん だな。昨日に引き続きニトリを偵察の後、デパ地下で買い物をして帰る。

午後は数学。夕方は散歩がてらに、最近新装オープンしたスーパーと、 それに隣接する商業施設を偵察。また少し買い物をして帰る。夕食後、夜も少し 数学。ここ数日やっていた作業に区切りがついたので、 ついでにフランス語の宿題も片付ける。

そろそろ三条の方に遊びに行きたくなってきたけど、連休中は人が一杯 でどこの店も満員だろうから、なるべく山科で大人しくしているのだが、 明日辺りに偵察に出掛けようかしら。

そういえば、先日経営不振で閉鎖された三条のホテルフジタのところに、 別のホテルが入るのだそうだ。それにしても、左前のホテルも経営者が変われば 繁盛する(と期待できる)という理屈がどうもよくわからない。もしそうなら、 元の経営者もプロなんだから、もっと上手くやれば繁盛したのではないか、と。

数学だと、同じ数学者でも実力の個人差は大きいから、あの方面は自分もしばら くやってみて全然論文が書けなかったけど、後からやってきた人がどんどん新しい 発見をして論文を量産している、なんてことはあるけど。経営者も そんな感じなのかしらね。「前の経営者はドン臭いから経営不振に陥ったのだ。 俺サマならもっと上手くやれるね」みたいな感じで、新しい経営者が乗り込むとか? だとすると、自分が撤退したところで別の同業者が成功したりすると、かなり 悔しかったり落ち込んだりするとか?