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で
す。
2011年10月15日(土)
今日の結論は、数論と代数幾何学関連の適当なテキストを数冊用意し、
それを学生に選ばせ、各自自分が選んだ本を責任を持って読んでゼミで紹介
させるというもの。これだと、1人1冊とまではいかないまでも、2,3名
に1冊という適度な密度が保て、さらに複数のテキストとは言え、
テーマを数論と代数幾何学関連に絞って相互に関連の深いトピックを扱う
ことより、時間の都合がつけば総合ゼミという形でゼミを1本化することも
可能だ。総合ゼミがうまく軌道に乗れば、学生同士の良い相乗効果も期待できる。
うーむ、素晴らしいアイディアだ。ということで、本日の検討は終了。
それから京都に移動し、関西日仏学館の図書室で時間調整をして、
16時40分より18時10分までドイツ語の授業を受ける。帰りは辛うじて
雨がやんでいたが、京大正門前からバスで家路につき、ラクト山科で
久しぶりに赤ワインを買って帰宅。
夜は少し数学。
2011年10月14日(金)
夕食後、ルネの書籍部で来年度の卒研用テキストを少し物色。特異点理論
とルート系の本は、最先端の話題を初等的に書いていて良さそうに思えたが、
結局、代数幾何学やトポロジーの話が何の前触れもなく突然さらりと出てくる
ので、必要な事は俺サマがその場でミニ講義をしてもよいのだが、それでも
ちょっと4回生のゼミにはかなり無理がありそうな気がしてきた。
他のテキストの可能性も含めて、もう少し精査が必要と思われる。
19時から21時過ぎまで関西日仏学館でフランス語の授業。今日は
新学期1日目。予習は外れ、今日は自己紹介などの会話練習。まあ、EGAの
フランス語は割合スラスラ読めるけど、こういう基本表現が全然頭に入ってな
いので、3年後のフランス留学を目論む俺サマにとっては役に立つレッスン。
しかしフランス留学を考える前に、自虐の病と馬鹿を治さないといけないと
いう話があって、悩ましい。
フランス語のクラスは前学期からの持ちあがりだが、生徒はどんどん巣立
って行って、前からの人は俺サマを含めて3名だけ。しかし今日から新しい人が
3名入ってきた。これで生徒は俺サマ以外は全員女性。俺サマは座敷童のオッサン
だから、むしろ周りが女ばかりの方が気分的には楽なのだが、女性達は多少気に
しているようでもあり、全然気にしてないようでもある。
日仏学館の帰りも激しい雨だったので、歩行飲酒はやめて、しらふでバスに
乗って帰宅。大学の事務から、今日夕方に締め切った卒研の志望票の連絡メール
が来ていた。新しく5名の志望者が居たそうで、これで合計15名となった。
一体何で、こんなことになるんだ?俺サマは学生に嫌われることで長年鳴らして
きたのに、とうとう焼きが回ったのか。
夜は明日のドイツ語の予習。
2011年10月13日(木)
健診は13時30分から受付だが、13時頃から並んでないとすぐに
長蛇の列になり、その後の授業などに間に合わない。結局4番目に並んだ
けれど、終わったのは14時15分頃。研究室に戻り、買っておいたパンを
速攻で食べて14時25分ぐらいから卒研ゼミ。昨日のうちに、開始は
最大30分程度遅れると学生に伝えてあるので、ぎりぎりセーフといったところ。
今日は学生がよく予習をしてきてたので、難しい部分だったけれど質問が
ほとんど出ず、俺サマの馬鹿治療はあまり出来なかった。学生が、今日はここまで
しか予習してませんと言うので、いつもより早い16時過ぎに終了。
それから来週の授業のプリントをコピーしたり、色々雑用。17時過ぎに、
今日の分の卒研志望票は来てないかと7階の事務に行ったら、、、一気の6名
分の志望票が入っていた。これで合計10名の志望者。こんなに集まることは
今まで無かったので、まさに想定外の事態である。志望票提出の第一次締め切
りは明日の夕方のようなので、その様子も見てみないと、来年度の態勢がどう
なるのか、ちょっと予想がつかない。場合によってはゼミを2グループに分ける
必要があろうかと。数論グループ以外にもひとつゼミを作るかな。
特異点とルート系なんか、結構面白そうだけど(とまた俺サマの馬鹿治療
のことばかり考えている)。
俺サマの代数の講義は、定義、定理、証明、時々申し訳程度に具体例、という
伝統的スタイルを排し、まず簡単な具体例で問題意識やアイディアを説明してから、
具体例の一般化という形で抽象理論を紹介し、定理などの証明は、代数学特有の
考え方を身に着けるために、暗記するぐらいに徹底的に理解すべき基本的なものに
限って講義でやり、それ以上のことに興味があればレジュメで自習せよという形
にしている。これは別に新しいやり方でも何でもなく、研究集会などの講演の多
くはこういう形で行われるので、それを真似ただけ。学生の志望票を読んでいると、
このスタイルの講義が案外好評だったんだなと分かり、ちょっと自信が湧いてきた。
帰宅後、夜はラクトスポーツプラザで骨盤矯正ヨガ。その後、いつもは
有酸素運動をすることにしているのだが、健診のときにインフルエンザの
予防接種も受けたので、激しい運動はできず、筋トレに切り替える。
2011年10月12日(水)
引き続き14時40分から16時10分まで3回生「数理科学セミナー」
の授業。今日は自主的に手を挙げた3名を含め、5名が黒板の前に出て発表
した。授業の後、来年度の卒研で俺サマの研究室を志望しているという学生
が、来年度はどんな風に卒研をやるのかと聞いてきたので、今のところ3名
が志望票を出してきてて2名が数論を希望しているようだから、少なくとも
数論のゼミは行われるだろうが、それ以外のことは決まってないと答えておいた。
研究室に戻って、しばし雑用。事務に行った帰りにお茶の会の部屋を覗いて
みたら、お菓子やお茶などほとんど準備ができていたが、まだ誰も来ていなか
ったので、しめしめと久しぶりにソファーにふんぞり返り、お茶を飲みながら
果物などをつまみ、誰も来ないうちに退散し、研究室にて雑用を続行。
17時過ぎに事務からメールがあり、新たな卒研志望票が来ているとのこと。
さてはさきほどの授業の後で質問してきた学生かと思いきや、別の学生のものだった。
志望票を見たところ、この学生も数論グループ向きのようだ、ということで現在
のところこのグループは少なくとも4名になりそうな気配。この分だと、来年度は
代数幾何のセミナーは開けそうにないけど、俺サマの数学研究での野望実現に向け
て「(4回生の1年間で)類体論の概要ぐらいまで理解するゼミ」を目指してみよ
うか、と。
帰宅後、夜は少し数学。
2011年10月11日(火)
13時から14時30分まで2回生「数理論理学」の講義。
今日は命題の意味と、古典論理の形式的体系における命題論理式の定義。
それに関連して、集合の帰納的定義や帰納法による証明との関連にも触れる。
最後にホワイトヘッド・ラッセルの形式的体系PMの公理系を書こうとした
ところで時間切れ。次回はPMを簡単に紹介し、ヒルベルト・アッケルマンに
よる形式的体系HAの公理系と推論規則、そして証明図の例を示す予定。
ひきつづき14時40分から16時10分まで3回生「環・体論2」の
講義。今日は拡大体、単純拡大、代数的元、超越的元とその例、拡大次数
の定義を与えた後、クロネッカーによる剰余環としての単純拡大構成の原理を
9割程度説明したところで、時間切れ。次回はクロネッカーの構成の説明を終え、
今日先送りにした拡大体の例を示し、拡大次数についての重要な公式を
紹介する予定。
この授業の前と後、それぞれひとりずつの学生から来年度の卒研ゼミに
ついて質問を受けた。どちらも何だかよくわからない質問だったので、俺サマ
も何だかよくわからない答えをしておいたのだが、その割には彼らは満足そうな
顔をして帰っていった、、、ように思う。
どうやら、来年度の卒研生は少なくとも3名で、内容は数論ゼミになりそうな
雰囲気。そこで図書館に行って数論関係の本で卒研のテキストに使えそうなものを
何冊か見つくろって借り出し、研究室で少し眺めて比較検討。ボレビッチ・シャフ
ァレビッチ、小野、山本、加藤・黒川・斉藤、セール、高木、ハーディ・ライト、
藤崎 etc. で、今日の結論は、「加藤・黒川・斉藤が良かろう」と。3名の学生を
ダシにして、このテキストでどうやって俺サマの馬鹿を治療しようかしらと、早速
悪だくみを色々。
帰宅後、夜は少し明日の講義の準備など。
、
2011年10月10日(月)
ところで、ここで何度も書いているように、数学者は
馬鹿が大嫌いで、ゼミや演習で学生に対して、こんな事も知
らないのかとか、こんな事も分からないのかと言って怒る
ことが多い。俺サマは馬鹿だから、学生の頃はよくそうい
う風に怒られたものだ。
しかし馬鹿側の言い分としては、知らんものは知らんのだし、
分からんものは分からんのだし、それにいちいち腹を立てられて
も、どうしようもないのである。そこには「数学者が馬鹿を相手に
かんしゃくを起こした。怒られた学生はまた少しイジけた」という
事実しか残らず、すこぶる非生産的である。
学生が、「知らん」「わからん」と言えば、そうかと言ってただ教
えればいいだけのことだ。その方が自分の勉強になって、自分にとって
トクである。それに、落語の口伝じゃああるまいに、一度教え
ただけで完璧に頭に入れろというのも無茶な話で、何度でも同じ
ことを聞いてきたら、何度でも同じことを教えれば済むことだ。
それで給料貰ってるんだし。それでスポイルされるような学生だったら、
叱り飛ばされてもただイジケルだけで、下手すれば将来俺サマみたいに
座敷童になってしまうかもしれない。
数学者というのは、馬鹿がスポイルされてのさばるよりも、座敷童
にでもなって、隅っこで大人しくしている方が良いと考える。
だから、馬鹿でも何でものびのびと明るく生きてた方が楽しいじゃん!
と考え、もう一度人生がやり直せるならば、座敷童じゃなくて、
数学者に嫌われるスポイルされた馬鹿になりたいものだという風に考える
俺サマは、やはり数学者ではないのである。
正直言って、学生を叱り飛ばす非生産的なエネルギーが惜しいので、
彼らに教えるフリをして、その機会を利用して少しでも自分がオリコーに
なってやろうと考えているのだ。こうやって学生そっちのけで日々自分の
馬鹿治療にせっせと励み、いつの日か、俺サマを研究集会や招聘研究員の
馬鹿除け選考で弾き飛ばしたり、質問メールを黙殺しよった数学者たちの
鼻をあかしてやるんだと、人知れず野望に燃えているのである。この
リベンジ思考はどうも馬鹿っぽいんだけど、まあ、馬鹿は馬鹿なことしか
考えられないということで。。。
ジュンク堂を出て再び地下鉄を乗り継ぎ、京都市内某所に向かい、
14時から始まるバロック音楽の室内楽コンサートを聴きにいく。
それほど大きな会場ではないが、超満員の盛況だった。
コンサートは16時頃に終わり、天気も良いし、夕方ですこし
涼しくなったので、京都市役所前まで歩く。寺町通り上島珈琲に
入ってしばし数学の後、ラクト山科経由で帰宅。夜も少し数学。
2011年10月9日(日)
雑用というのは、来年度の卒研配属関係のことで、大学
のポストに入っているという資料を見て、学生と連絡を取る
というもの。数論がやりたいとか言ってるけど、まさかガロ
ア表現とかエタールコホモロジーとかをやらせるわけにもい
かんし。じゃあ、まあ、セールの「数論講義」でも読ませる
か、などど悪だくみをしたり、やっぱり高木の「初等整数論
講義」で手を打つことになるかと思ったり。他にも可換環論や
代数幾何をやれそうな学生が来るといいんだけど。
用事は割合すぐに終わったので、研究室のソファーに寝っ
転がったりホワイトボードで計算したりして、夕方まで数学。
休日の大学は、試合などに出てきた運動系サークルの学生が
ちらほら居る程度で、静かなもの
だ。図書館がすぐに閉まってしまうのは、ちょっと不便だけど。
帰宅後、夜も数学。基礎的な事を復習したりしながら、
先日の計算結果をゆっくりと考え治す。数年前の卒研生で、今、
小学校の先生をしている人から質問メールが届いた。
へえ、教育現場ではそんなことが問題になっているのかと少し
驚きつつ、返事を出しておく。
facebookの「友達」が20名になった。数学に転向して早くも
15年。数学者の友達はせいぜい片手で数えられる程度だが、
facebookは1ヶ月足らずで20人である。これは要するに、
「あいつは馬鹿だから相手にしてもしょうがない」という世界と、
「あいつは馬鹿で面白ろそうだから相手してみよう」という世界
の違いだと思う。まあ、プライベートでは馬鹿全開ということで。。。
2011年10月8日(土)
16時40分から18時10分まで寺子屋でドイツ語の授業を受ける。
今日はゲーテのドイツ語クラスで一緒だったH氏が見学に来ていて、
来週からも来ると言っていた。
帰宅して夕食の後、すこし数学。昨日までの計算を眺めて、どう
したものかと、じっとたたずむ。
facebookも細々とやっていて、今は紹介やらリクエストやらで
「友達」が19人になった。ネットを通してとはいえ、やはり他愛もない
馬鹿話ができることは良いことだ。俺サマは馬鹿だから、馬鹿話をしないと
どうも元気が出ない。研究集会とかだと馬鹿は苛められるので、一生懸命
オリコーなフリをしようとして結局座敷童になってしまうのだが、facebookの
ように馬鹿全開でオッケー!となれば、馬鹿の俺サマとしては本領発揮の
またとないチャンスなわけで、思わす元気が湧いてくるというわけだ。
2011年10月8日(金)
午前中は自宅で昨夜の計算を少し修正してTeXノートに纏め、それから
土曜日のドイツ語の予習もすこし。
午後は街に出て、丸亀製麺河原町三条店で遅めの昼食の後、上島珈琲に
籠って夕方頃まで数学。帰りはJEUGIA三条本店をちょっと偵察。
ベートーヴェンのピアノ三重奏曲「幽霊」というのがあるそうで、
そのCDを試聴。うーむ、ドイツの幽霊って、こんなイメージなんかい?
しかし、俺サマの好きなベートーヴェン節が楽しめる良い曲だし、
もうちょっと注目していよう。
それから色々なアヴェ・マリアの歌を集めた激安CDを試聴。俺サマ
が知ってたアヴェ・マリアはシューベルトとJ.S.バッハのものだったと
判明。それ以外のアヴェ・マリアは知らないし、特にぐっとも来ないので、パス。
あと、ポーランドかどこかの教会の鎮魂歌(?)のCDがあった。
ジャケットに墓石がずらりと並んだ墓地の向うに朽ち落ちた古い教会
が見えるモノクロ写真がデザインしてあって、これはいいなと思って
手に取った。以前ならジャケットが綺麗だったら、それだけで音楽も
綺麗だろうと錯覚して買ってただろうけど。試聴した結果、これは日本の
お寺の読経とあまり変わらんということで、パス。
ラクト山科経由で帰宅。途中、大丸ラクト店のジューススタンドで
マンゴオレンジジュースを一杯飲む。マンゴってちょっと生臭いような
ところがあって、飲むたびに昔仙台でたらふく食べたホヤを思い出す。
夜は昼間の計算を整理してTeXノートに纏める。
それにしても、スティーブ・ジョブスが亡くなったのは、ちょっとショックだ。
俺サマが計算機科学者だった頃、研究所の先輩が当時発売されたばかりの
マッキントッシュを激奨し、マックがいかに革命的なPCであり、
ジョブスがいかに卓越したセンスの持ち主かを熱く語っていた。我々が今研究
している計算機科学は、こういう世界に繋がっていくんだ、と。
それまで計算機科学を数学の物差しで測って、厳密科学でないとか、
底が浅いとか、数学科3回生の演習問題みたいなレベルだとか言って小馬鹿にしていた
俺サマだったが、先輩の話を聞いているうちに、計算機科学は立派なものだと
思うようになった。それと同時に、俺サマにはとてもジョブスの真似など
できない、そもそも自分にはあの手のセンスは全然ないことも強く感じ、
「自分のポジションはもうちょっと地味なところだな」と思ったものである。
それから10年後、自分のポジションは計算機科学には無いと悟り、数学に
転向したけど、やはり自分の居場所を求めて潜伏生活10数年の末、とうとう
座敷童になってしまったというわけだ。馬鹿は何処に行っても居場所なし。
隅っこで幽霊ごっこでもやってなさい、と。まあ、座敷童は幽霊とは違うか。
ジョブスはStay foolish!とか言ってたが、確かに俺サマは今も昔も
stay foolishだな。ただfoolishの意味が違うような気がするけど。
2011年10月6日(木)
14時15分ぐらいから17時25分頃まで卒研ゼミ。今日も学生が沢山
質問してくれたので、俺サマは例によって懇切丁寧に答えるフリをして、せっせと
自分の馬鹿の治療に励んだ。今日もちょっとだけ賢くなったような気がするな。
ま、気のせいかもしれないけど。
時々ふっと、「毎日せいぜい耳かき一杯分程度賢くなったところで、日本海溝
みたいにぱっくり口を開いた、俺サマの脳味噌の奥底の巨大な馬鹿の淵が埋まる
日など来ないのではないか」と思ったりもするが、ま、そこは未来を信じて一歩
ずつ歩もうではないか、と自らに言い聞かせる。うーむ、相変わらず学生のこと
など、全然考えてない悪い先生だな。ふっ、ふっ、ふ。
それにしても、ウチの卒研生はよく勉強する。まさか俺サマの馬鹿を治療して
やろうと男気を出して、テキストを丹念に読み込み、馬鹿の治療用にふさわしい
部分を探し出して、俺サマに対する質問として用意してくれているわけでもある
まい。では彼らは数学者を目指して頑張っているのかというと、彼らにちゃんと
聞いたことはないのだが、どうもそうでもなさそうな雰囲気である。よろしい、
流石は俺サマの学生だ。数学者のように、馬鹿を見つけては苛めているような
悪い人間になりたいなどとは思ってないわけだ。ならば彼らのあの熱心さは一体
何なのか。俺サマは馬鹿な上に了見の狭い不純な人間なので、学生時代からそう
だったけれど、数学研究のためという下心でもないかぎり、数学なんててんで
勉強する気になれない。だから、下心なしで勉強しているように見える彼らの
動機が何なのか、俺サマにはよくわからない。
ま、動機なんてわからなくても、俺サマは彼らとゼミをして自分の馬鹿が少し
でも治せればそれでいいのさ。ほら、やっぱり悪い先生だろう。
ゼミが終わって直ぐに帰宅。夕食後、夜はラクトスポーツクラブ。
月曜日の骨盤矯正ヨガが木曜日に変わって最初の日。月曜日に来ていた人
は俺サマだけで、あとは今日初めてきた人たち。ヨガの後は、30分程度
有酸素運動をしてから帰宅。
帰宅後、夜は少しだけ数学(の予定)。
2011年10月5日(水)
13時から2回生「代数学序論2」の講義。準同型写像について、準同型
定理以外の基本性質、有限巡回群の復習をやって、「代数学序論1」の群論
部分の復習を終え、交換子と交換子群の定義を書いたところで時間切れ。
講義の途中、嘘を喋っている事に気づき、「いかん、いかん。これは
間違い」と言って急遽訂正し、「『嘘つきは数学者の始まり』って言います
からね」といい放ってやった。学生にはちょっとだけウケたけど、
彼らは俺サマが数学者じゃないことには気づいていないだろうな。
馬鹿除け選考で弾かれたり、質問メールを黙殺されたり、研究集会の
集合写真で皆が俺サマのことを「ばーか、馬鹿!」と言って笑っているような
気がしてきたりと、諸々の被害妄想も含めて、日頃から数学者たちには
さんざんな目に会わされてるんだから、たまにはこのぐらいの無茶を
ぶちかましてやらないと、気が済まないぜ。
引き続き3回生「数理科学セミナー」。3クラスあって、学生はしばらくの
間はクラスを移動できるらしく、後で出席表をチェックしたら、前回居た学生の
6名がどこかに消え、その代り新しく5名が転入していた。来週あたりで
学生が全部入れ換わるのではないかしら、との観測も出ている。今日は4名が
それぞれ15分から20分程度発表した。最後5分程度余ってしまったが、
少し早目に終わる。
研究室に戻り、追加の事務書類を書いて提出したり、11月の徳島大学の
集中講義の宿を予約したり。途中、廊下を歩いていたら、「お茶の会、やって
ますよ」と声が掛かり、ちょっとだけ参加。
帰り支度をして、18時から3回生対象の就職ガイダンスの冒頭挨拶。
今日の俺サマは3回生に対する露出頻度が高く、卒研ガイダンス、数理科学
セミナー、就職ガイダンスの合計3回の登板である。ま、たまにはこんな
日もありかな、と。挨拶の後は、就職課の人たち
にバトンタッチして退散。帰宅後、夜は少し数学。
2011年10月4日(火)
引き続き14時40分から16時10分まで3回生の「環・体論2」の講義。
先週の実数体上の複素数体の話をざっと復習してから、今日は有理数体に
1の原始3乗根を付け加えた体の話、さらには、その体に2の3乗根を付け加えた
拡大体の例について少し話す。
研究室でひといきついて、16時30分より19時頃まで教授会。
学部長もよく頑張っているけど、なかなか大変そうだなあと思いつつ、
明日の講義の準備を少し。
会議の後、生協食堂で夕食をとり、その後、10月と11月の出張
申請書を書いたり、研究室の本で少し調べ物をしたりして、21時に
研究室を出て、22時頃帰宅。
新聞報道によれば、ノーベル物理学賞受賞直前に亡くなったアメリカの
大学の先生は、「研究への姿勢は厳しいが、うまくいかない研究者を怒鳴ったり
することはなく、諭すように温かく接していた」そうだ。と、いうことは、
物理学者の世界でも、エライ先生が馬鹿を捕まえて怒鳴り散らしたりすること
が珍しくないものと推察される。
しかし、俺サマは馬鹿だからよく知っているが、「諭すように温かく」接
されるのも、また辛いものである。「そんな、馬鹿を憐れむような目で俺サマ
を見るんじゃねぇよ!」と言いたくても言えないのを堪えなきゃならないし。
特に、俺サマのように、馬鹿なくせにプライドめちゃ高の「人間の屑」系
は、憐れまれるに値するぐらい馬鹿なくせに、憐れまれるのが大嫌いときている。
では、怒鳴るわけでもなく、憐れみに満ちた優しさでもないとすれば、
他に何があるかというと、数学者がよくやるのは「それ、違うでしょ!?」
と冷たく言い放つってやつ。「それは、(本当に)そうなんですか?」
と100%疑ってることが分かる口調で言うといった小技も好んで使われる。
いずれにせよ、こちらを見つめる吊り上がった目が「お前、馬鹿か!」と言って
いるところが特徴である。
こういうのは、自分が間違ってるからしょうがないのだが、言われる方としては
何となくムカムカしてくる。「わかった、分かった。分かったから、その、目で
『馬鹿!』って言うの、やめてくれないか。さもないと、踏み潰してやるからな!」
と言いたいのを寸でのところで堪えないといけない。
つまり結論はこうだ。馬鹿は扱いにくい、と。怒鳴っても、諭しても、
ぴしっとやっても、何をしてもムクれる。まさに取り扱い注意の逆キレ寸前人間
であり、相手になると碌なことはない。数学者はそのことを良く知っているから、
研究集会で一生懸命馬鹿除け選考したり、初めてメールしてきた相手が
馬鹿と分かった段階で、黙殺モードに入ったりするのかもしれない
けど、、、でも、やっぱり彼らはただ単に馬鹿が嫌いなだけかもね。
2011年10月3日(月)
今後の人生において、数学者との距離の取り方がひとつのポイントにな
ろう。どこかの段階で縁を切りたいものだと思っているが、しばらくは付か
ず離れずみたいな感じにならざるを得ないかなあ、と。
午前中は明日の講義の準備。午後は街に出て、丸亀製麺で軽く昼食。
その後、上島珈琲に籠り、しばし数学。最近、ちょっと馬鹿なことを思い
ついて、少しずつ考え始めているが、そのうち行き詰るか、やっぱり馬鹿な
事だったと分かるような気もするが、兎に角行けるところまで行く。
夕方、ラクト山科で、いつもは買わないちょっと高価な和菓子と洋菓子を
買って帰り、自分への誕生プレゼントとする。実は昨夜は「前夜祭」と称して、
普段は買わない純米大吟醸酒300mlボトルを買って半分ほど飲んだ。
夕食後、夜はラクトスポーツプラザで楽しいZUMBA。今日は
いつものインストラクターではなく、代講の人。ZUMBAって、
インストラクターによって曲も踊りも違うようだが、それもまた
いいか、と。新しい踊りに何とかついていくのは、俺サマの得意とする
ところである。ついでに言うと、俺サマはカラオケで全然知らない曲
でも誰かと一緒ならすぐに歌えるのだぞ、、、って、そんなの自慢に
ならないか。
ZUMBAのあと、以前は土曜日にやっていた筋トレメニュー
をこなしてから帰宅。
2011年10月2日(日)
田原総一郎さんの「サンデープロジェクト」の後継番組が突然終
わり、まあ、結構しょぼい番組だったから、番組打ち切りもさもありなん
と思ってたのだが、新しい番組になったので録画しておいたのを昼食後に見て
みたけど、ますますしょぼくなった感じ。ゲストの顔ぶれも寂しければ、
番組スタッフも少なくなって、だいぶ予算が削られてるのかなという印象。
それから少し数学。夕食前にラクト山科に野暮用を兼ねて散歩。
夕食後はビデオで録画しておいた「サラリーマンneo」を2つ見てから、
また少し数学。
facebookも細々とやっているが、友人達とたわいもない会話のような
メッセージのやりとりも出来て、馬鹿の俺サマとしては結構癒されている。
大体は中学時代の同級生で、俺サマとは全然違う業界の人たちだが、
人にはこういう、「おう、高山か」という具合に馬鹿でも何でも無条件に
受け入れてもらえる環境が必要である。そこでは俺サマが馬鹿であることを
忘れられるところがいいし、いちいち、俺サマはこいつに馬鹿だと思われて
いるのだろうかとか、俺サマが馬鹿だとわかったら、こいつは態度を変え
よるかも知れないし、そしたら仕事がやりにくくなるな、とか何とか碌でもない
ことを考えなくて良いところが優れている。
少し前までは、世の中から俺サマ以外のオジサンが全て消滅すれば
何て素晴らしいことだろう!みたいなことを、この日誌で連日書いていた。
しかし、その後の状況の変化により、俺サマの身近に居た悪いオジサンたち
が姿を消したせいか、「オジサン?まあ、その辺で鼻糞でもほじ
くっていればよろしい」といった具合で、近頃は極めておおらかである。
自己チューで馬鹿な俺サマにすれば、今や問題はオジサンではなく数学者だ。
世の中から数学者が全て消滅すれば、俺サマは自分が馬鹿だということをさして
意識もせず、馬鹿なままでヘラヘラと生きていけそうな気がしていて、
それはそれで素晴らしいのではないかという、いかにも馬鹿っぽい
考えにとりつかれ始めている。
2011年10月1日(土)
本日午前中からアメリカ数学会の論文レビューの仕事。新福菜館百万遍店で
かなり遅めの昼食の後、関西日仏学館の図書室に籠り、さらにレビューの仕事を
続ける。
夕方の寺子屋で使うノートを買おうと、京大生協に行ってみたが、
10月1日まで夏休み営業時間なんだそうで、閉店だった。そうか、やはり
国立の後期セメスターは来週からで、信州大学の数学会の日程は国立大学の
都合だけ考えて設定されたことが、いよいよはっきりした。うーむ、今後
立命で数学会を開くときは、国立大学の入試採点期間を狙い撃ちして、2月
最終週あたりにぶつけてやろうかしらって、そういう事は俺サマの一存では
決められないけどね。
16時40分から18時10分すぎまで、寺子屋でドイツ語の授業を受
ける。まあ、この夏休みはドイツ語の代数の教科書を使ってガロア理論の講義の
準備をしていたけれど、やはり会話から3ヶ月近く離れていると、思うように
ドイツ語が出てこない。
帰宅後、夜はさらにレビューの仕事を続け、何とかレビュー原稿を書き上げた。
一晩寝かして明日もう一度チェックしてから提出しようか、と。それやこれやの合間
には、プロジェクトS関連の数学を少し考える。
可換環論シンポジウム参加申し込みがキャンセルできるのは、あと2日間だけ
である。あれからプログラムを見てないせいか、ちょっとおおらかな気分になり、
このままキャンセルするのを忘れたフリして、参加してしまおうか、と。
寺子屋の授業の時間帯が変わり、帰りが遅くなったので、土曜夜のスポーツクラブ
はやめて、木曜日にする積り。何故木曜日かというと、月曜日の骨盤矯正ヨガが
木曜日に変わったため。しかし月曜日のZUMBAはそのままなので、以前は月曜日
に2つとも出来て時間的にも利用料的にも経済的だったのに、10月から色々不便になってしまった。
今日は「俺サマは馬鹿」ネタが思い浮かばない。昨日やり過ぎたせいか、それとも
才能の枯渇か。
<<作戦を練る>>
午前中に自宅を出て、ラクト山科で昼食用のパンを買って大学に出勤。
まずは昨日届いた5名の学生の卒研配属希望票を精査し、来年度の
卒研ゼミ運営の作戦を練る。
<<焼きが回る>>
午前中は大学関係の雑用で、あちこちにメールを書いて送る。天気予報通り、
激しい雨が降り始めた昼過ぎに自宅を出て、新福菜館百万遍店で昼食の後、
関西日仏学館の図書室に籠り、夕方までフランス語の予習。それから少しだけ
数学を考え、隣の京大ルネで早目の夕食。
<<想定外>>
痛くもない腹を探られる、一年で一番嫌な健康診断の日。早目に自宅を出て、
ラクト山科で昼食用のパンを買って午前中に出勤。健診の準備を色々やって、
あとは研究室で少し数学。でも、あまり集中できない。
<<野望>>
ラクト山科で昼食用のパンを買って昼前に出勤。研究室で昼食の後、
少し野暮用、雑用の後、13時から14時30まで2回生「代数学序論II」の
講義。今日は交換子を定義し、集合で生成される群の概念を説明した後、
交換子群を定義。さらに交換子群が正規部分群で、それによる剰余群がアーベル
群になることを証明する。次回は、3次対象群の具体例を説明する予定。
<<悪だくみ>>
ラクト山科で昼食用のパンを買って昼前に出勤。研究室で昼食の後、
オスナブリュック大でコピーしてきた論文を引っ張り出して少し眺める。
<<スポイルされた馬鹿>>
今日も秋晴れ、というか、初夏のような暑さである。
午前中は自宅で数学。昼頃に自宅を出て、丸亀製麺
河原町三条店で軽く昼食の後、ジュンク堂BAL店
に立ち寄り、数学書コーナーで来年度の卒研ゼミに
使えそうなテキストを物色。今日のところは、岩波
から出ている加藤・黒川・斉藤らによる「数論I--
Fermatの夢と類体論」かセールの「数論講義」にし
ようか、と。
<<全開>>
今日も秋晴れ。午前中は京都新聞日曜版の2つのパズルの後、
少し数学。昼過ぎに自宅を出て、山科区内で簡単に昼食の後、
雑用のため大学に出勤。
<<馬鹿話>>
今日も秋晴れ。昼前からテンコ盛りのドイツ語の宿題と予習を大慌て
で始める。午後は百万遍に出て、京大生協でドイツ語用の新しいノート
とボールサインペンを買ってから、新福菜館で遅めの昼食。それから
関西日仏学館の図書室に籠って夕方頃までドイツ語の続き。すこし時間
が余ったので、数学をすこし。
<<幽霊>>
秋晴れの研究日。午前中の京大代数幾何学セミナーもさぼったし、夕方の
関西日仏学館も来週からだし、久々にまる1日特に何もすることのない研究日。
<<下心あり>>
午前中は自宅で数学。俺サマは馬鹿だから、マンフォードの学部生用
複素射影代数幾何学の教科書をこっそり読み直してみた。それから山科駅前で
昼食。ちょっとのんびりし過ぎて遅めの電車になり、南草津駅についてから、
バス乗り戦略を誤り、14時からの卒研ゼミに10分以上遅刻してしまった。
<<登板3回>>
ラクト山科で昼食用のパンを買って、昼前に出勤し、研究室にて昼食。
12時10分から13時まで、3回生対象の来年度の卒研配属ガイダンス。
午後の授業の準備や事務書類の提出などで、少し遅れて12時半頃ガイダンス
会場へ。俺サマは自分の馬鹿を治すのに精いっぱいなので、テキトーな事を
喋って誤魔化したけど、他の先生達は研究室の教育理念みたいなことを熱く
語っていて、おおっ、教育者!と、俺サマにとってはまばゆい限りであった。
<<取り扱い注意>>
ラクト山科で昼食用のパンを買って、昼前に出勤。昼食の後、13時から
14時30分まで2回生の「数理論理学」の講義。リシェールの
パラドックス、ラッセルたちの論理主義の考え、ブラウアーらの
直観主義の考え、そしてヒルベルトらの形式主義の考えかたを簡単に
紹介。そして、いよいよ命題論理にちょっとだけ入ったところで時間切れ。
<<素数の歳>>
今日で53歳になってしまった。久々の素数の歳である。そろそろ死んで
もおかしくない年なので、もうどうにでもなれって感じである。これから
も、「俺サマは馬鹿ですけど、何か?」とふてぶてしいオジサン根性を胸
に秘めつつ、「生涯一座敷童、日々是偵察飛行也」を肝に銘じて生きて行
こうと思う。
<<状況の変化>>
9時過ぎ起床。ちょっと睡眠不足気味。午前中は、京都新聞日曜版の
いつものパズルを2つ解いて、アメリカ数学会のレビュー原稿を見直
して少し修正し、メールで送付。レビューはもうひとつ残っているけ
ど、少し後回し。それから山科区内のスーパーなどに買い物に出て、
帰宅後昼食。
<<論文レビュー>>
気持ちの良い秋晴れの一日。あちこちの学校では運動会をやっているようだ。