一部のブラウザ
の
た
め
の
邪
魔
な
広
告
よ
け
ス
ペ
ー
ス
で
す。
2011年10月31日(月)
作業が一通り終わってからも、小一時間ほど時間があったので、来年度の卒研
ゼミ用テキストの案内書を書く。いくつかのテキストを指定して、その中から好き
なのを選べという形にしようと思っているので、テキストの題名と内容概要を書いた
資料を作った。
18時からは、就職委員関連の企画行事に顔を出す。一応統括責任者
になっているらしいので、冒頭の挨拶をする。後は担当の先生と事務の人が
やってくれるので、俺サマとしては特にすることはない。まあ、今日はこの挨拶の
ためだけにZUMBAの予定を見送って出勤したのだが、金曜日に似たような
企画の司会をしなければならないので、様子見のために1時間ちょっとぐらい
隅っこで話を聞き、19時半の終了を待たずに少し早目に退散。
俺サマにとって学生達は遥かな遠い存在で、彼らとは数学でしか接点がないし、
別にそれで良いと思っている。その数学という接点を通して、彼らに何かを教え
ようなどという気持ちはこれっぽっちも無く、講義だろうがゼミだろうが、
あらゆる機会を利用して自分の馬鹿治療に励もうということしか考えていない。
つまり、俺サマは教育者としての自覚はゼロであるし、むしろ積極的に自覚ゼロで
いようと思っている。こんな先生が就職委員をやってていいのかどうかは知らない
けれど、仕事としてやる分には別に何だって出来る。
その後、研究室で
卒研ゼミ用テキスト資料の作業を片付けて、生協で夕食をとってから大学を発ち、
21時半頃に帰宅。夜もまた少し数学。
2011年10月30日(日)
2011年10月29日(土)
そういえば、俺サマが昨夜関西日仏の人たちと行った飲み屋は、俺サマが学生
時代は定食屋で、大学に入学する直前に母親と入ってみてイカリング定食を
食べた覚えがあるが、その後は一度もその店に入ったことがない。その後長らく
しもた屋になっていたのが、最近飲み屋として再開したようだ。なんて話を俺サマ
を除いて平均年齢30代前半みたいな人たちに話しても、「村の古老」みたいに
なってしまうので、黙ってたけどね。
その後、関西日仏学館図書室に籠ってしばし数学。16時30分に日仏学館
を出て16時40分から18時15分頃まで寺子屋でドイツ語の授業を受ける。
久しぶりに天気が良かったので、帰りは徒歩で河原町三条まで行き、JEUGIA
三条本店を偵察。バロック時代のヴァイオリンなどを使った室内楽のCDなどを試聴。
ジャケットの絵が素晴らしいのだが、、、まあ、絵を買うんじゃないから、
いいかと、そのまま店を出る。帰宅して夕食の後、夜はフランス語とドイツ語
の復習をする積りだったが、何となく遊んでしまう。
城崎のシンポジウムで突然ドイツ人の兄ちゃんに
「高山教授ですよね」と声を掛けられ、びっくりした。奴は、俺サマが10年前に
出版した「駆け出し数学者ドイツに行く」読んだのだけど、云々かんぬんという話を
してきた。日本語の高度なレトリックを駆使した俺サマの本を読破するぐらい語学力
があるなら、英語じゃなくて日本語かドイツ語で話しかけてほしいものだと思った
が、短い休憩時間のことだったし、それよりも「こいつ、座敷童の俺サマの姿が見え
るのかよ?」という事の方が気になってた。そういうこともあって、「お前、ドイツ
人のくせに、俺サマの本の事を誰から聞いたんだよ?」とか「何で、俺サマが高山
だって事を知ってんだよ?」と尋問する余裕は無かった。だいたい、こういう事態は
想定外だしね。
想定外といえば、数年前の可換環論シンポジウムの会場のエレベータの中で、
突然ベトナム人の兄ちゃんに「高山教授ですよね」と声をかけられたこともある。
あの時もびっくりした。この時は「駆け出し数学者...」ではなくて、俺サマが書
いた糞論文を読んだと言って挨拶してきたのだが。大体、俺サマが書いた糞論文
をわざわざ読むような暇人であることを、いちいち俺サマに報告してくるのも
妙な話だが、それよりも、俺サマが高山だってことを一体誰に教わったんだよ?と、
いうことは、俺サマの姿が見える心の美しい人間があのシンポジウムに居て、
「あそこに立ってるアホが、高山だよ」とか何とかベトナムの兄ちゃんに教えたの
だろう。
ついでに言うと、某インド人数学者が何故か俺サマの日誌のことを知っていて、
「高山っていう日本のアホが、オスナブリュック大学に滞在中にB●●●●先生に
『ブログで要らんこと書くな!』と怒らたそうだ」と言いふらしているという
情報を極秘ルートで得ている。しかし、これも不思議な話である。まあ、
高山がアホであることも、オスナブリュックで「B先生」(と俺サマの日誌では
書いてあり、B●●●●先生だとは書いてない)に怒られたことも、既に公開情報
だからいいのだけど、日本語が読めるとは思えないそのインド人数学者に、
俺サマの日誌の話を伝えている日系人がいるはずで、一体そんな暇人というか
モノ好きは誰かしら?と。諸般の状況から考えて、
B●●●●先生に怒られる切欠を作った、
翻訳サービス事件の当事者と信じられているX大学Y氏とは別人と思われる。
だったらP大学のQ氏かなあ、などと色々推理
をしているところ。あるいは「B先生」本人がそのインド人に話したのかしら。
ま、俺サマのアホぶりは、国際的にも認められるようになったということさ。
人生の恥はかき捨てだ。死んでしまえば、あとは俺サマの知ったことではないしね。
2011年10月28日(金)
2年前に初めて城崎シンポに参加したときもそうだったが、2度目の今回
も、同室の人には良くしてもらい、結局2日目の晩は早稲田チームに合流して
深夜まで激呑みしてしまった。「数学者は馬鹿が大嫌いである。彼らは私に
良くしてくれた。よって彼らは数学者ではない。」あれ?何か変だな。彼らは
立派に数学者なのに。何故か?うーむ、これは論理学の教科書の演習問題に使えるな。
また、マックスプランク研究所招聘研究員のアホ除け選考を回避する驚きの
裏ワザも教えてもらった。「そうか、その手があったか」と。あの時この方法を
知っていれば、俺サマの自虐の病はここまで酷くはならなかっただろうと、しみ
じみと思った。今日も英国ニュートン研究所から、facebookのサイトを作ったとの
お知らせメールが届き、「俺サマをアホ除け選考で蹴飛ばしといて、どの面下げて
そんな事を言うて来るんじゃ!」と瞬殺消去した。
まあ、事の発端は腹黒マックスプランクなわけだが、しかし当初の希望通り
マックスプランクに行ってたら行ってたなりに、また色々あって、結局
同じように自虐の病にのたうちまわっていたかも知れない。それにオスナブリュック
に行ったからこそ、教会遊びが出来たようなところがあるし、それが切欠で
20数年間眠っていた絵心が目を覚ましたのだから、悪いことばかりでは
なかった、ということにしておこう。
2011年10月25日(火)
その後、13時から14時30分まで、2回生「数理論理学」
の講義。今日はHAで推移律の証明をしてから、エルブランの
演繹定理を示し、自然演繹法に入る。否定とORの導入規則と
除去規則を説明したところで時間切れ。
引き続き、14時40分から16時10分まで、3回生「環・体論II」
の講義。講義が始まる前に、某学生が卒研配属の志望票を持ってきて
「よろしくお願いします」と。どうやら、俺サマの研究室は定員を越えて
しまったので追加募集はしないということを、知らなかったらしい。
今日は有理数体上に1の原始3乗根と2の3乗根を付け加えた
拡大体の拡大次数を計算して見せて、それを一般化した次数公式と
その使い方を紹介。次に、代数拡大についての基本的な命題を
いくつか証明する。次回は時間切れで途中で残した代数拡大に関する
命題を証明し、体の標数や代数的閉包の話を3倍速で行い、一気に
分離拡大の話に突入できるか、といったところ。
その後、研究室で一息ついてから、16時30分より18時前まで
教授会。会議の前に、関係同僚と今朝問題になっていた件を協議。
問題はあっさり解決。
会議は形式的な議題ばかりだったので、資料の紙の裏を使って
しばし数学をしているうちに気を失い、ふと目が覚めたときには、
会議はほぼ終わっていた。研究室に戻ってすこし雑用を片付け、
すぐに帰宅。
帰宅して夕食の後、明日夕方からの出張の準備をしたり、出張から
帰ってすぐに行くことになる次回のフランス語の宿題をしたり。
出張は現地着が夜の9時を過ぎそうだが、2年前に一度行ったところ
だから、何とかなるか。あと、facebookも少し。俺サマは馬鹿だから、
馬鹿話は得意中の得意なのさ。
2011年10月24日(月)
その後、研究室で昼食をとり、少し雑用の後、数理論理学の講義の準備を少し。
自然演繹法で証明図を書くのって、何年ぶりかしらね。14時半から15時前
まで、就職委員関連の来客対応。15時から16時頃まで、就職委員会。その後、
さらに1時間ほど講義の準備をしてから帰宅。
夕食後、夜はラクトスポーツプラザで楽しいZUMBAと筋トレ。
ZUMBAの先生、「私はほっとけば何時間でも踊ってますけど」みたいな
事を言っていた。まあ、俺サマもほっとけば何時間でも数学やってるけど、
何時間でも踊ってるってのは凄い体力だなあ。帰宅後、夜は少しだけ数学。その後、
城崎のことを少し下調べ。2年前に一度行ったのだけど、ちょっと復習。
2011年10月23日(日)
合間合間にはfacebookも。俺サマは馬鹿だから、馬鹿が大嫌いな数学者
たちの中に居るとだんだん気分が滅入ってくる。「俺サマは馬鹿、数学者は馬鹿が
嫌い、よって数学者は俺サマが嫌い」という、そのまま論理学の
教科書に載せてもいいほど美しい三段論法が展開しているのだか
ら、仕方が無いといえばそうなのだが、やはり「俺サマって、そんなに嫌われなけ
ればならない人間なのかしら」という割り切れない思いも当然残るのである。
しかしながら、俺サマは学生時代直後までの若い頃こそ、このエキセントリックな
性格ゆえに色々な人間にほとほと嫌われたりもしたが、20代の半ば以降は、
交友範囲はそれほど広くはないものの、会社員時代でも語学学校通いを
しても、「ちょっと変わっているけれど興味深い人」ということで、そこそこ人
に好かれ、
割合誰とでも友達になってしまうことが多かったように思う。
こういう自信というのは、なかなか馬鹿にならないもので、長らく忘れていた
この手の自信を、facebookを通して再会したり新たに知り合った、数学者社会とは
無縁な人たちと他愛もない雑談を交わすことで、取り戻せたような気がする。
やはり利害関係が無い者同士の人間関係というのは大事で、それがないと、
数学者社会のように研究上の利害関係で静かなバトルや駆け引きを繰り広げる
世界でやっていくのは、ちとしんどい。大学もまた、ある種利害関係の世界だから、
それなりに気が抜けないものである。
それでまた思い出したが、(旧)情報学科では、「教員相互の親睦と団結を
深めるため」と称して、よく学科全体で飲み会が開かれた。その時、某教授が
酒の入った上機嫌で、この学科の雰囲気の良さを称え、「(国立大学と違って)
教授も助教授(今の准教授に相当するポスト)も独立した研究室を持っていて、
お互い利害関係がなく対等だから、
自由にモノが言い合える」と言うので、当時助教授
だった俺サマはかなりびっくりしたことを覚えている。この人の目は節穴か、と。
あの学科では、自分の研究室に一人でも優秀な学生を集め、然らざる学生は
できるだけ他の研究室に押し付けるという、立派な利害関係が働いていたでは
ないか。その卒研配属バトルでいつも割を食わされていた俺サマが、ちょっと
文句を言えば「生意気だ」。そして卒研のテーマをがらりと変えて一気に
人気研究室に豹変すれば「けしからん」と。それを理由に昇任人事で
干されたり、始末書を書かされたりしたぞ。
この話は、立場の違いで世界の見え方がまるで違うことを示唆している。
俺サマにとっては「馬鹿が大嫌いな数学者たちが俺サマを憂鬱にさせる」
だけの数学界でも、案外、ここは利害関係がなく、自由にモノが言えて、愉快な
世界だなあと思っている数学者も少なからず居るんだろうなと思う。
これは馬鹿な俺サマと馬鹿でない数学者との立場の違いってもんだな。
2011年10月22日(土)
寺子屋の帰りはとりあえず雨は上がっていたが、また激しく降り
出しそうなので、バスで帰る。ゲーテの時に一緒だったH氏と途中
まで一緒。バスの中でH氏とゲーテ上級クラスの常連達の消息につ
いて情報交換しているうちに、毎週のように京大ルネで顔を合わせ
ているのに、名前を思いだせないので困っていた、某氏の名前を
H氏から聞き出せた。H氏も最初は思いだせずにいたが、私が
バスを降りる少し前に思いだしてくれた。
ラクト山科で日本酒とワインを買って帰宅。途中また土砂降り。
傘は持ってたけれど、商店街の軒先でしばし雨宿りし、小降りに
なったところを見計らって自宅に戻る。夕食後、夜は少し数学。
2011年10月21日(金)
午後は京大近辺へ。京都のブラックラーメン新福菜館で昼食の後、京大ルネ
書籍部を少し冷やかし、関西日仏学館の図書室に籠り、フランス語の予習やら
復習やら。夕方頃に一通り終えて、また少し数学の後、京大ルネで夕食。また少し
書籍部を冷やかしてから、関西日仏学館に戻りフランス語の授業を受ける。21時
に終了し、22時頃帰宅。深夜は明日のドイツ語の予習を少し。
そういえば、(旧)情報学科が発展的解消してできた某学部の昇任人事の仕事に
引っ張り出されることになった。それでまた思いだしてしまったけど、あの学科は大変
な所だった。
あそこの学生達は俺サマの研究室を徹底的に毛嫌いして、第5志望まで書かせる
志望票に誰も「高山研」とは書かなかった。しかし、私大工学系の卒研は均等配分が
鉄則と、5つも書いた希望研究室の全てに門前払いされた学生が毎年15名
ほど押し込まれてきた。不貞腐れた彼らは1度も研究室には姿を見せず、就職が
決まった後も競馬などに明け暮れ、11月の終わりごろにようやくぼつぼつ姿を
見せる有様。中には卒業間際になって、「就職が決まっているから単位よこせ」と
言って初めて現われる学生も毎年何人か居た。
こんな具合だから、研究室は閑古鳥が鳴き、ぺんぺん草が生い茂っていたが、
同調圧力の強いあの学科では、研究室の学生を動員した学科行事が矢鱈に多く、
しかも毎年優秀な学生を集める人気研究室の先生達が、自分達の研究室にとって
有利な行事を次々と提案してくる。当然ながらそれに対応できない俺サマは、
同僚達から「指導能力がない」だの「研究テーマが時代に合わない」だのと揶揄
されるありさま。メールサーバーも、「各研究室の院生に勉強させるため」
と称して各研究室で独立してやれと言いだし、院生は居ないし学部生も姿を
見せない俺サマの研究室では、俺サマのメールのためだけにメールサーバーを
管理運営していた。ま、当時はUNIXマシンの管理運営はずいぶん勉強した
けど、そういう知識はすぐに陳腐化する。どうせ研究室は俺サマ一人だし、大学の
メールサーバーにのっかった方が遥かに合理的なので、そうしようとしたら、
「一人だけ変なことをするな」と。
卒業間際になって初めて「単位よこせ」と現れる不届き学生を落とせば、それも
半ば教員の指導能力の問題のように受け取られる。学科全体にそういう緩んだ雰囲気
が漲ってるし、学生もそれをよく知った上で、ここの先生達はいくら卒研をサボっても就職が決っている学生を落としはしまいと高をくくっていた。そういう学科で
一人抵抗しても益々自分の首を絞めるだけだし、それではこちらの身が持たない。
そこで「ま、こういう学生でも企業さんが欲しいというのだから」ということで、
学生の代りに卒論を書いてやって全員卒業させた。この習慣にどっぷり浸かってしま
ったため、教師としてのマトモな感覚が無くなってしまった。数理科学科に移籍して
からもしばらくは頭の切り替えができず、それが原因で京大とひと悶着あって、
しばらく京大には近づけなかったし、今でも少し気兼ねがある状態。
ある時、俺サマはとうとう爆発して、「俺サマの研究室に人気がないのはよしと
しても、俺サマの研究室で扱っているテーマは計算機科学が始まって以来の由緒正し
い学問であり、2、3年で忘れ去られるような流行を追いかけるものとは違うので
あるから、その辺を十分理解していただきたいし、せめて
他の研究室と同じように学科行事をこなせと圧力をかけるのは、何とかならんのか」
というような不平を言うと、「生意気だ!」ということになって、その後昇任人事の
話が起こっては潰され、起こっては潰されと、何年も流された。
当時の学生が俺サマの研究室を嫌っていた理由は簡単で、それは彼らが
2,3年で忘れ去られるような流行を追う研究にしか興味が無かったからである。
俺サマはそのことを良く知っていたので、ある年、卒研の研究テーマをがらりと
変え、学生が飛び付くようなものにしたら、案の定定員を遥かに上回る志望者が
集まった。そしたら、「いままでは自分の研究室で使えそうにない学生を斬り捨てて
全部高山研に押し付けることができたのに、それができなくなった。あいつが
今まで通りの研究テーマを続けてくれたら良かったのに、何で急に変えよったの
か。けしからん」という同僚の声もどこからか聞えてきた。
ようやく昇任人事となった時は、「今までの不適切な態度に対する釈明書」を
提出せよときた。どこまでヒトを虚仮にすれば気の済む人たちかと思ったが、
仕方なく色々書いて提出し、ようやく教授に昇任である。これも数理科学科に
移籍することが決まっていた時なので、「厄介払いできるのなら、昇任ぐらい
の餞別をもたせてやってもいいか」みたいな話で、あのままあの学科にとどま
っていたら、どこかに転出するまで、ずっと飼い殺し状態にする積りだったようだ。
まあ、そういう経緯だから、あれから後に着任した数多くの先生たちには
何のウラミツラミも無いが、あの当時に俺サマをとことん苛めぬいた元同僚たちの
ことは、何年経っても決して忘れることはない。
2011年10月20日(木)
実は数年前の富山に出張した際に一度食べているが、もう一度確認して
新福菜館のと比較検討をしようか、と。それで結局、新福菜館のは、
焼豚の煮汁が入った醤油を使っているそうなので、こってりとしたコクがあるが、
富山ブラックラーメンは醤油の香ばしさと魚の出汁であっさりと仕上がっている
ことが分かった。まあ、俺サマとしては新福菜館のこってりの方が好きだな。
昼食後、大学に移動。しばし数学を考えてから、14時より16時過ぎまで
卒研ゼミ。今日は少し質問が出たので、俺サマの馬鹿治療がすこしはかどった。
学科の掲示板に卒研仮配属の一次発表が出ていて、学生達が集まっていたが、
俺サマの研究室の追加募集はないのかと聞かれた。昨日もそういうようなことを
聞いてくる学生が居たが、もう定員を若干超えているぐらいだから、追加募集は
ないと答えておいた。学生達は何をどう勘違いしているのか知らないけれど、ど
うも今年の俺サマの研究室の人気はちょっと異常だ。
卒研ゼミの後、研究室でまた少し数学を考えてから、帰宅。夜は
ラクトスポーツプラザで骨盤矯正ヨガと有酸素運動を30分ほど。
2011年10月19日(水)
位数2の巡回群が出るはずのところで、位数2の巡回群2つの直和が出てきて、
これは有限生成アーベル群の良い例だと思って、いい気になって喋っている最中に
間違いに気付く。板書のある部分に赤線を引っ張って、「ここから先は、全部ウソよ!!」と赤字で大書。笑い声と、あーあ、しょーがないセンセーだなあ!
みたいな溜息などで、学生にはおおいにウケた。いや、別にウケを狙ってボケを
ぶちかましたわけではないけど。
上の2つの巡回部分群が実は同じものであることを示し、正しい結論を出して
とりあえず事を収める。それから、準同形定理の変形として、準同型写像と
正規部分群から別の準同型が誘導されることを示したところで時間切れ。
引き続き、3回生「数理科学セミナー」。俺サマは講義で懇切丁寧
に説明した積りでいい気になって喋っているけれど、こうやって直に学生と接して
みると、そういうのをさっぱり理解できない学生も少なからず居そうなことが、
わかってきた。
授業が終わって、16時半からの会議に少し遅れて出席。卒研(仮)配属の
1次締め切り結果の集計、来年度の科目担当の決定など。卒研配属は、少し議論
もあったけれど、結局、志望票を出してきた15名全員を受け入れることに決まった。
毎年0〜2名ぐらいしか集まらない卒研生が、何故今年突然15名になった
のか?大きな原因のひとつに、自虐の病にかかって数学界の座敷童をやっている
うちに、俺サマは学生にとって怖い先生ではなくなってしまったことが考えら
れる。まあ、自分の馬鹿を治すのに精一杯で、学生をいちいち叱っている暇なんか
ないからね。
会議は19時頃に終わり、研究室ですこし雑用の後、20時過ぎに大学を発つ。
南草津駅前で夕食をとり、22時頃に帰宅。ここ数日考えている、「今更他人に
聞けない代数幾何学の基礎的なこと」が少し分かり始めてきた。
2011年10月18日(火)
引き続き14時40分から16時10分まで、3回生「環・体論II」の
講義。今日はクロネッカーの構成の話を終えて、単純代数拡大の拡大次数が
最小多項式の次数に等しいことを示し、さらに有理数体上に2つの代数的
元を付け加えた拡大体の例の話を半分ぐらいする。来週はこの例を終えて
拡大次数の計算公式などを与え、体の標数の話に入る予定。
講義の後、研究室で一息ついてお茶を一杯飲んでから、すぐに大学を発ち、
京都市内某所にコンサートを聴きに行く。某学会の関連行事として行われた
ユニークな企画のコンサートでそこそこ楽しかったが、あるテーマに関連
した色々な曲を細切れにして集めたプログラムは、俺サマとしてはちょっと
散漫な感じがして、物足りなかった。
どうも俺サマには、演奏者が、客が集まらないのを半分承知で、自分が
好きな曲をとことん自分の気が済むまで演奏するような、ちょっとマニアック
なコンサートの方が合ってるような気がする。しかしそういうコンサートを
聴きにくるのは、半数ぐらいが同じ音楽関係者のようで、彼らは何故か必ず
会場で互いにぺこぺこ頭を下げながら、「先生、先日はどうも有難うございます」
「いいえ、こちらこそ」みたいな馬鹿丁寧で(第三者には)意味不明な挨拶を
し合う。それが俺サマとしては何となく気持ち悪い。会場での携帯電話、飲食、
および気持ちの悪い挨拶の応酬など、他のお客さまのご迷惑になる行為はご遠慮
ください、と。
コンサートの後、会場の近くで軽く夕食をとってから帰宅。地下鉄東西線に
乗り換える時に、逆方向の電車に乗ってしまい、帰宅時刻は予定より遅れる。
2011年10月17日(月)
夕方、上島珈琲を出てJEUGIA三条店とAngers河原町三条本店
を偵察の後、ラクト山科経由でドラッグストアに立ち寄り、少し買い物をして
から帰宅。夜はラクトスポーツクラブで楽しいZUMBAの後、筋トレをして
から帰る。帰宅後は、徳島出張のための高速バスの予約など。
やはりfacebookの効果は絶大で、あそこで馬鹿話していると、馬鹿をもって
馬鹿を制すというか、俺サマが馬鹿であることを忘れることができて、すこぶる
精神衛生上よろしい。数学のことは考えるが、数学者のことは考えないというの
が俺サマにとっては理想的だが、そのことは、俺サマが馬鹿であることを忘れるの
と同じことなのである。
しかし来週の後半から11月の前半にかけて、いくつかの研究集会やセミナー
に参加して数学者に囲まれて自虐を復活させようという、「俺サマはマゾ」的計画
を立てているので、心安らかな日々の終わりは、案外近いかもしれない。
2011年10月16日(日)
高校時代の絵はないのかというと、あの頃は勉強と部活の卓球に夢中
になってたので、ほとんど描いてなくて、1枚も残ってない。大学生時代も、
高学年になると数学の勉強がキツくなってきて、のんびり絵を描いている気分
でなかったのか、1枚も残ってない。会社員になってからも、ちょくちょくは
描いてて、何枚か残っていたけど、かなり質が落ちていて、間もなく20数年間の
ブランクに突入している。それが今年の2月頃、突然復活して1ヶ月だけ
狂ったように描いて、また、ぱたっとブランクに突入したようだ。
まあ、俺サマは15年ぐらいのブランク後に数学に戻ったし、
ブランクは何とも思わないけどね。
さて、写真を撮った絵を再び片付けた後、夕方に少し数学。夕食後、
少し数学をと思ったけれど、
ちょっと分からない問題があって逃避行動に走ってしまい、
それが切欠で何となく遊んでしまう。
<<自覚ゼロ>>
午前中は自宅で数学。昼頃に家を出て、山科区内で昼食の後、大学に出勤。
図書館で購入注文を出していた本を借り出し、研究室にてしばし講義の準備
や出張報告書、出張申請書などの書類書きなど。
<<モテ期>>
午前中は京都新聞日曜版の2つのパズル。昼前に山科区内に買い物に出て、
遅めの昼食後、再び雨の中を山科区内に買い物に出る。帰ってきてからは、
夕食と録画しておいた「サラリーマンneo」を一つ見て、その前後は数学。
深夜はfacebookを少し。俺サマがシュールな馬鹿話とボケかましの連打で
グループを盛り上げ、そうこうしている間に、学生時代の友人から久しぶりに
facebookメッセージが届き、しばし禅問答の末「飲みに行きませんか?」と。
勿論OK。馬鹿話と禅問答が入り乱れ、その対応に追われて1時間ほど
多忙を極めた。うーむ、俺サマは馬鹿なので数学者には相手にされないが、
一般人相手には
案外今モテ期に入ってるのかも?
<<国際的なアホ>>
午前中は夕方のドイツ語寺子屋の予習に励んだり、野暮用をしたり。午後は百万遍
に繰り出し、新福菜館で遅めの昼食をと思ったが14時20分頃に既に閉店してい
た。おかしいなあ、土曜日はそうだったっけ?仕方なく、「中華料理太陽軒」改め
「洋食太陽軒」改めインド料理Raju百万遍店で昼食。
<<驚きの裏ワザ>>
26日の夕方から城崎の代数幾何学シンポジウムに出張。和風旅館のオジサン達
と相部屋2泊の後、28日夕方頃に無事帰宅。夜は関西日仏学館でフランス語の
授業を受け、そのまま百万遍で飲み会。京阪出町柳は11時58分の電車があっ
たが、三条で地下鉄東西線に乗り換えようとしたら12時を2分ほど過ぎていて、
既に終電が出た後だった。何と!12時やそこいらで終電とは、京都は田舎なんだ
なと痛感。
<<得意中の得意>>
来年度の科目担当に関してちょっと問題が起きたようなので、
自宅から関係同僚にいくつかメールを出し、銀行で
明日からの出張費を下ろし、大丸ラクト山科
店で昼食用のパンを買って午前中に出勤。
研究室にて少し作業。昼食後、しばし数学。
<<早起き出勤>>
俺サマとしては結構早起きして出勤。
生協コンビニで昼食用のサンドイッチとおにぎりを買い、
10時30分から13時15分頃まで卒研ゼミ。定例の木曜日は
城崎のシンポジウムに出張するため、振替ゼミ。今日も俺サマの馬鹿治療
が少し進み、学生たちが七転八倒していた正則写像のところがようやく
終わった。来週から有理写像のところに入る。この分だと、ハーッホーンの
1章を全部終わるのは無理にしても、非特異曲線のあたりまで行けるかもしれない。
<<立場の違い>>
午前中は京都新聞日曜版のパズルを2つ解き、その後しばし数学の後、
山科区内のスーパーに買い物に出掛ける。午後もしばし数学。夕方
頃、ラクト山科近辺に散歩に出る。夕食後は録画しておいた
サラリーマンNEOを見て、また少し数学。先日来考えている事は遅々として
進まず。夏休みの勉強の発展として、フランス語の論文読みも少し並行しようか、と。
<<名前を思い出す>>
午前中は自宅にてドイツ語の予習。午後はまず新福菜館百万遍店で
昼食の後、関西日仏学館の図書室に籠り、しばし数学。最近胃の調子
が悪く珈琲を控えているせいか、睡魔が襲い、時々居眠り。
夕方、激しい雷雨。ドイツ語の時間が来たので、土砂降りの中を
寺子屋に向かう。
<<昇任人事>>
午前中は京大代数幾何学セミナーをさぼって自宅で数学。まあ、しばらく数学者の
顔を見ないようにして、自虐の病の治療に専念しようか、と。しかし来週後半には
恐怖の出張計画が予定されている。病み上がりの体に数学者たちと相部屋2泊は
無茶ではないかとか、我ながらマゾがきつ過ぎるし、無事に帰ってこれるとはとて
も思えないとか、色々問題はあるのだが。しかし、まあ、こういう事はあまり深く
考えないようにして、えい、やっ!とやってしまう。
<<ブラックラーメン>>
午前中は京都駅に行き、徳島出張の高速バスの切符を購入。ついでに
京都駅伊勢丹のレストラン街で昼食。富山ブラックラーメン。
新福菜館の真っ黒スープラーメンをこよなく愛す俺サマとしては、
これは調査しないわけにはいかない。
<<ここから先は全部ウソ!>>
ラクト山科で昼食用のパンを買って、午前中に大学に出勤。研究室で雑用と
昼食の後、13時から14時半まで、2回生「代数学序論II」
の講義。今日は交換子が非アーベル性の尺度であること、交換子群で剰余群
をつくることは、アーベル性の障害を潰すことによってアーベル化している
ことを注意し、3次対称群のアーベル化の例を説明。
<<ご遠慮ください>>
ラクト山科で昼食用のパンを買って、午前中に大学に出勤。
研究室で雑用と昼食の後、13時から14時半まで、2回生「数理論理学」
の講義。今日はホワイトヘッド&ラッセルの命題論理PMとヒルベルト&
アッケルマンの命題論理HAの公理系と推論規則、およびそれらの形式的
体系における証明図の例をいくつか示す。来週はHAの証明図の例をもう
1つ示した後、エルブランの演繹定理を証明する予定。
<<俺サマはマゾ>>
午前中は自宅にて水曜日の授業の準備。それから近所の郵便局で野暮用の後、
街に出る。丸亀製麺で昼食の後、上島珈琲に籠り、明日の授業の準備をした後、
しばし数学。どうも昔からモヤモヤとよく分かっていない所を、いよいよ真剣
に潰さないと先に進めないことが分かってきた。
<<20数年のブランク>>
秋晴れの良い天気。午前中は自宅で京都新聞日曜版の2つのパズルを解いた後、
野暮用でクロゼット覗いてゴソゴソと。偶然、中学校や大学時代に描いた絵
の束がどさっと出てきた。昼過ぎに散歩に出て、その辺で昼食を取ったり買い物
をしたりしてすぐに帰宅。
出てきた絵を写真に撮って、とりあえずfacebookにアップする。