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よ け ス ペ ー ス で す。

2011年9月15日(木)
<<自虐を忘れる>>
昨夜遅く、Facebookなんて、やっぱりつまらんから、適当に放りだそうと 思ってたら、中学時代や高校時代の同級生が見つかった。「友達になる」 リクエストを出したらすぐにOKが返ってきたり、メッセージが入ったりで、 そうこうしているうちに、また夜更し。今朝も9時頃まで寝ていた。

今日もガロア・プロジェクト。自宅では教育編、そして昼過ぎに 山科駅前に野暮用に出たついでに入ったSbuxやラクト山科のベンチ では研究編。教育編で作成中のレジュメは80ページになり、あと2ページ 弱をチェックしたら終わりというところまでこぎつけた。

ラクト山科で、この顔にピンときたら110番。エスカレーター の所をすっと横切っていったオバサン、誰だっけ?10秒ぐらい考えた 末、現在耐震工事のため閉店中の、山科駅のそば屋のパートのおばちゃん だった。パートをクビになって、今はどうしてるのかしらと思ったら、 おめかししてラクトでお買い物だ。

今日も、あい間あい間にFacebookをいじっていた。 まずはプロフィールを手直しし、 ギャラリー高山の出店のようなものも作った。 なんだかんだやっているうちに、友人リストが7人になった。 途中、間違えて全然知らない人2名にリクエスト・ボタンを押してしまった。 うち1名からOKの返事が来て、友達リストに載ってしまったので、慌てて削除。 もう一人はちゃんと無視してくれたようだ。

てなことをやっていて、今のところ自虐の病をころっと忘れている。

2011年9月14日(水)
<< Facebookにはまる>>
昨夜遅くにFacebookに登録して、色々やっているうちに、 かなり夜更しをしてしまった。ちょくちょく聞こえてくる話では、 互いに自分のプロフィールを公表して知り合いを探すための ものだそうで、ならば知り合いを探してからどうするのかというと、 それはたぶん各自にお任せといったところのようだ。つまんないの。 でも、まあ、毎日毎日判で押したように「俺サマは馬鹿、俺サマは馬鹿」 と書き続けるのも、ちょっと飽きてきたし、Facebookがどんなものか、 ちょっと様子を見てみようか、と。

で、今朝は10時前まで寝ていた。今日は大学で用事があるので、 その準備をごそごそやって、昼頃に出発。久々に出勤して、郵便ポストの ゴミさらいをし、後期の卒研ゼミ用のゼミ室の予約をし、 研究室のPCにガロア・プロジェクト(教育版)の成果物 (つまりレジュメファイル)のバックアップをとり、 出張報告書を書くために必要な書類を探して狭い研究室内をあっちこち突っ突き 回し(結局自宅に置いてあったことが後に判明するのだが)、 必要書類なしで出張報告書を2つ書いて提出して、 その旨を事務の人にメール連絡し、図書館に置いてない書籍の取り寄せ要望書を出し、 研究室に置いてある本で少しだけ調べ物をし、あとは引き出しに溜まって いたゴミのような書類を整理して捨てた。

その合間合間に一休みを入れて、Facebookをいじっていたのだが、 計算機屋時代から懇意にしている友人が2人見つかったので、「友達になる」 リクエストを送ってみた。彼らだったら拒否される心配はあるまい、と。 しばらくして予想通り承諾通知が来た。それから大学時代の友人も 1人見つかったので、彼にもリクエストを出して、友人リストに入れた。

その友人リストを経由して、おびただしい数の友人候補が出てきたので、 1つ1つ見ていると、計算機屋時代の友人知人が沢山居る。しかし、いつも 職場で顔を合わせていたので、お互いよく知っているはずだけど、面と向かって 話したことは一度もない人も多く、さらには、昔よく話したけれど、悪い記憶も 無ければ良い思い出もないなあという人もちらほらいて、まあ、 しばらく様子を見ようか、と。

第一、友人リストを作ってそれからどうするか?について、何もアイディア がないから、無闇にリストを増やしてもしょうがないし、リクエストを出して 無視されたりしたら、今のところ対数学者限定の自虐の病が、全人類に拡大 していしまいかねない。

それ以外に中学時代や高校時代の友人達でFacebookをやっているはずの連中も、 色々検索してみたが見つからず。Twitterをやっている数学者は多いが、 Facebookをやっている人は少ないようだ。やっぱり仲間とわいわいやるよりも、 中途半端な言葉で一人で勝手につぶやく方が数学者っぽいのかしら。

帰宅して夕食の後、近所のスーパーに買い出し。最近は夜の10時近くまで スーパーが開いてたりするので、夕涼みにはちょうどよい。スーパーから帰ってから は、ひと風呂浴びて、それからガロア・プロジェクト(教育編)を少し。 あと10ページを切っているのだけど、なかなか終わらない。

2011年9月13日(火)
<<バルバロイ>>
今日もやはり8時過ぎに起床。午前中から昼過ぎにかけては ガロア・プロジェクト(教育編)。それから街に出て、丸亀製麺で3時のおやつ のような時間に軽く昼食。その後、しばし上島珈琲にてガロア・プロジェクト (研究編)。隣の席で夫婦ではなさそうな老人男女が2人。どうも女は色々な 人の悪口ばかり言い続けていて、男がその相手をしてやっている。 二人の話す言葉は、典型的な京都弁のようだ。

京都のお喋り好きなおっさん達の話し方というのは、「バルバロイ」の 語源を思わせる、べろべろ、べろべろと粘りつくような独特の発声法を 用い、ああ言えばこう言いといった調子で、何やかんや減らず口で色々 喋る割には、ネイティヴ京都人でもない限り、何が言いたいのか分かりにくい。 そして俺サマの経験則によれば、彼らが何を言いたいのかは、全然分からないでいる方が、 大抵の場合は平和である。

それはともかくとして、上島珈琲って、 こういう大人の男女が親しげに話していることがよくある。あとは大テープル で老人たちが何やら会合を開いていたりすることも多い。新京極平野屋跡の Sbuxは、いつも若い人たちで賑わっているが、それとはずいぶん客層が違う。

上島珈琲を出て、またJEUGIA三条本店に立ち寄る。まずはアンリ・カ ルタンの弟のCDを再度試聴し、「よく考えて書かれている曲のようだが、やっ ぱり駄目」と判定。

次に中野振一郎のCDでJ.S.バッハの「チェンバロとフォルテピアノ のための協奏曲」の1番とかを再度試聴。この1曲のためにCDを買うべきか しばし迷い、結局俺サマはチェンバロよりもフォルテピアノの演奏に惹かれている ことに気付き、やっぱりパス。

あと、ドボルザークのヴァイオリンとピアノの曲を集めたCDが出ていたので、 ちょっと試聴。ピアノもヴァイオリンもいい感じで、曲も綺麗。結構いいなと 思ったが、今日のところは保留。

俺サマは小学校の音楽の時間に「ドボルザーク」って習ったけど、綴りが Dvorak で、時々「ドボジャーク」とか「ドボルジャーク」とか言う人もいて、 長い間それらが「ドボルザーク」を指しているとは気付かなかったな。 でもWikipediaで肖像を見ると、結構よく見掛ける顔である。名古屋城の 鯱鉾みたいな、かわいらしい目をしたオジサンだったんだな、と。

帰宅して夕食の後は、またガロア・プロジェクト(教育編)。ようやく、 あと2,3日で終われそうな雰囲気になってきた。

2011年9月12日(月)
<<すっと胸に入る>>
8時過ぎに起きたような気がするが、よく覚えていない。 午前中から午後にかけて、自宅にて野暮用とガロア・プロジェクト (教育編)。それから街に出て、丸亀製麺河原町三条店でかなり遅め の昼食の後、上島珈琲にてガロア・プロジェクト(教育編・研究編)を少し。

16時過ぎに店を出て、JEUGIA河原町三条店を偵察。 数学研究者なら誰でも知っているエリー・カルタンの次男 にしてアンリ・カルタンの弟であるジャン・カルタンは、 25歳で夭折した作曲家だったそうだ。その彼の室内楽の世界初録音 のCDを試聴。まあ、何と申しましょうか、フランス室内楽の伝統的な 夏の黄昏的雰囲気と、ショスターコヴィチだか何だか、20世紀初頭って、 ああいう雰囲気の曲が流行ったのかなという感じの曲だけど、俺サマの胸 にぐっと来るものは特になく、結局パス。

中野振一郎の新盤CDも試聴した。録音がとても綺麗で、J.S. バッハのチェンバロとフォルテピアノのための何とかという曲が良 かったが、このCDも結局パス。俺サマは以前から中野振一郎の演奏 が嫌いで、何でここでこんなテンポにするんだよう!とか、ここで溜 めこむなんて有り得ねーじゃん!とか、いちいち突っ込みを入れたく なって、そうやって音楽を聴くのは疲れる。音楽でも絵でも、すっと 胸に入ってくるものでないと、本当には楽しめないものだ。

数学もそうだな。俺サマは馬鹿なくせに、というか、「馬鹿だからこそ」 なのかも知れないが、結構数学の好き嫌いがあって、これから自分は どいう数学をやっていきたいかのヒントを掴むために 色々な研究集会に潜入しては、絵の展覧会を見て回る時のような感覚で、 「ここの数学はいいな」とか「ここの数学はつまんないな」みたいな ことを考えている。

ここでいうところの数学の良し悪しは、学問としての重要性のことでも なければ、馬鹿の俺サマにとって分かりやすいか否かでもない。単に俺サマ の胸にすっと入ってくるかどうかという、極めて感覚的なものである。 勿論、俺サマがそこで何かしら意味のある発見ができそうか否かは全 く度外視している。普通、数学者たちはもうちょっと戦略的に研究活動をやっ ていて、近未来に自分が論文を書けそうな方向を探りながらやっているよ うだ。でもまあ俺サマは馬鹿で、たまに糞論文を書きながら、 いずれは野垂れ死にするんだから、「論文が書けそうな分野」などと 姑息なことは考えずに、好きなようにやろうか、と。

って言うか、俺サマは学位を取って会社員から大学に 転職するためとか、計算機科学から数学に戻るためとか、 研究者として生き延びるためにずっと論文が書けそうな 分野を探して研究してきた。それはそれで楽しかったけれど、 そうこうしているうちに馬鹿のままでオッサンになってしまったし、 そういうのはそろそろ卒業しようかと思ってるのさ。

帰宅後、夜はラクトスポーツプラザで、久々に楽しいZUMBAと 骨盤矯正ヨガ。ZUMBAは、ちょっとご無沙汰しているうちにずいぶん 踊りの内容が変わり、振付について行くのにひと苦労。少しブランクがあった ので、今日はいつもよりもしんどく思えた。でも、基本的な動作 のパターンが何となく分かってきたから、どうにかこうにか踊れたけど。

帰宅後はガロア・プロジェクト(教育編)をちょっとだけ。ガロア理論は 分かってた積りだけど、今までこんな事知らなかったなあということが結構あって、 理論の隙間を埋める具体例を構成したりと、結構楽しめる。 「俺サマは馬鹿プロジェクト」的には大変有意義。

2011年9月11日(日)
<<人格が入れ換わる?>>
昨夜は割合早く寝たので、7時にいったん目が覚め、さて起 きようかなと思っているうちにまた気 を失い、次に起きたのは10時前。ようやく時差ボケ状態 から完全脱却か。午前中は京都新聞日曜版の2つのパズルを解いて から、ラクト山科に買い出しに行き、午後は自宅でガロア・プロジェクト (教育版)。レジュメ素稿校正加筆作業も47ページまで進んだ から、あと20ページで終わりだなと思ったら、いつの間にか全体 のページ数が10ページほど増えてたり。逃げ水のようになかなか 終わりが見えない。まあ、これは学生に教えるためというよりも、 「馬鹿な俺サマ自身にちゃんと教えるため」という意味合いが強く、その意味で は「俺サマは馬鹿プロジェクト」の一環である。え?そんなプロジェクト、 何時から始まったんだ?聞いてないぞ!だって?そりゃあ、今、思いついたんだよ。

夕方頃、再びラクト山科まで散歩に出掛け、4階窓際通路のベンチ で少しだけガロア・プロジェクト(研究編)。博多の激ウマ鰻をクール宅急便で 送ってもらったのが昼頃に届いたので、夕食はそれを温めて食べる。何だかんだ 言って、あの店の鰻はこれで4回食べたことになるな。俺サマは津の鰻が日本一 だと思っていた。成田空港で食べた鰻も、まあ、大したことはない。せいろ蒸し は勿論俺サマの眼中にはない。しかし、津の鰻も、博多のこの店の鰻にはかなわ んのではないかと思う。それを確かめるために、今月中に日帰りかなにかで津に 帰る積り。

それにしても、俺サマは何時の間にこんなに鰻フリークになってしまったのか。 大学生ぐらいまでは、「蛇みたい」とかキモチ悪がってほとんと食べたことがない。 恐らくは晩年の母親の影響だと思う。彼女も若い頃はそれほど鰻、鰻、とは言って なかったのだが、父親が亡くなってから外に働きに出るようになり、職場の友人 らと「精をつけるため」と称して鰻を食べ歩くようになったようだ。それでたまに 実家に帰る毎に「鰻を食べに行こう」ということになり、あちこちの店に連れ回さ れているうちに、いつのまにか病みつきになってしまったというわけだ。

鰻以外にも、数学や数学者に対する俺サマのスタンスは、10年20年の物差 しで振り返るとずいぶん変わってきているのだが、数学者に辟易してしまうところ は、実は大学を卒業して会社に就職する時とあまり変わってないような気がする。

あの頃は、これであのエキセントリックな人たちの世界から脱出できるのかと、ほ のかな希望さえ抱いたものだ。そしてその希望は正しかったと思う。計算機科学は 俺サマの性分には合わなかったけど、計算機科学者は(同じ学科で毎年卒研生の 取り合いをしなければならない場合を除き)まずますいい人たちだと 今でも思っている。何と言っても、細かいことに目くじら立てないおおらかさと いうか、あの独特のいい加減さがいい。良い意味のいい加減さが創造性の源みたい になっている学問だから、そういう人が多いのだろうと思う。

数学は計算機科学とは違って厳密科学だから、当然ながら細かいことにちまち まと五月蠅く、かと言っていちいち相手の思考の詳細を細かく検証するのは大変 な手間なので、論文を読んだりする時以外は、お互い言葉の端々で相手が厳密思考 を正しく行える人間かどうかを判断する習慣がある。

もう20年以上昔のことだが、俺サマがコンピュータによる定理証明や証明自動 検証システムを研究していた時、ある学会誌に「そのような研究には意味がない」 という衝撃的エッセーが掲載された。それによれば、数学者はコンピュータによる 自動検証システムなんて興味を持たないだろう。何故なら、彼らは自分の頭で 1つ1つチェックして正しいという確信をもったものしか信用しないし、 そのような細かい手続きで検証しない場合は、「社会活動」によってのみ 数学的議論の正当性を納得するからだ、というような内容だったと思う。 要するに、自分の中で「これは正しそうだ」という心証が形成されないと、 納得しない。そのような心証はどうやって形成されるかというと、例えば、 相手の言葉の端々に、「それは変だな?」と思うようなことが混入しないかどうか 注意深く見極めるというのが、ひとつの方法だと思われる。

講演やゼミの発表の最中に、自分よりもランクが下の数学者が、ちょっ と変なことを口走ると、それまで低姿勢を装って聞いていたのが急に居丈高になり、 「え?それはどういう事ですか?分かりませんね」と追及が始まったりする。 この場合の「分かりません」は、「お前の言う事は間違いだと思う」という 意味である。間違いでないものを「分かりません」などと言うと、 「お前、馬鹿か?馬鹿は黙ってろ!」と返り討ちにあうので、 「絶対これは間違ってる、さもなければ説明の仕方が悪い」と確信を もったときでなければ、「分かりません」などと居丈高には言わない。

ここで「居丈高」というところがポイントである。自分よりランクが上の数学者 には、たとえ「え?」と思うことがあっても、決してそういう態度はとらないので、 言われた方は、最近流行りの言い方をすれば、激しい「上から目線」を感じるはず だ。しかし、そういうのをいちいち気にするようなヤワな神経では、数学者は務まら ない。(だから、俺サマには数学者は務まらないのサ)

このような追及の仕方は数学者に広く共通していて、おそらくは個人的資質 というよりも、数学者の職業的習性と思ってよさそうだ。日頃は低姿勢で 優しげですらある人が、突然目をつり上げて「え?それは何ですか?そこの意味は、 分かりませんね!」と言い出す瞬間は、以前テレビで見た二重人格者の人の人格が 入れ換わる瞬間のような、そら恐ろしさすら感じる。

よくその辺の学生たちが、「○○先生はゼミの時は鬼のように怖いが、 普段はとても優しい」とか言って喜んでいるのを耳にする。これは、厳密科学の厳 しさを身をもって教えてくれる良い先生、と考えるのがたぶん正しいし、以前は 俺サマもそう思っていた。しかし自虐の淵に沈む今の俺サマは、そうは受け取らない。 「そういえば、DVでぼろぼろになってる人の中には、『彼(または彼女)は、 私をボコボコにした後は、とっても優しくしてくれるのが嬉しい』とか言って、 別れようとしな場合が多いよな」、みたいなことを考えてしまうのだ。

思考力のチェックは、普段の何気ない立ち話やメールでのやりとりの中でも 行われる。俺サマは普段は初対面の人に会うのは平気というか、誰とでも割合自然に 話ができる方だが、数学者は別。彼らも一応初対面の時はそれなりに礼儀正しく 敬意を持って俺サマに接してくれる。しかし、話しているうちに「あ、こいつ馬鹿だ」 とバレてしまって、コロっと人格が入れ換わるかのように冷たくなるのではない かと、いつもびくびくしてしまう。一度態度を硬化されると、後々仕事がやりにくく なるし。まあ、黙殺大魔王の時以外では、あまりそういう経験がないけどね。 しかし俺サマはそういう不愉快な目には会いたくないし、数学者も馬鹿を目の前 にするととても不愉快らしいから、お互いの平和のために、極力接触を避けるのが 正しいと思われる。

夕食後はしばしテレビを見て、それからまた少しガロア・プロジェクト (研究編)。まあ、この調子じゃあ、今年の夏休みは 研究集会で自虐遊びをして、それ以外は後期の講義の準備だけで終わってし まいそうな雰囲気だが、「俺サマは馬鹿プロジェクト」にしても、隙間の時間の ガロア・プロジェクト(研究編)にしても、何とか研究用の勉強をしたことに したいと悪あがきをしているわけ。

2011年9月10日(土)
<<無事帰宅>>
7時20分頃に目が覚める。買い置きのパンなどで朝食を済ませ、 ゆっくりと支度をしてホテルをチェックアウト。地下鉄天神駅から 博多駅に向かい、そこから山陽新幹線で京都に戻る。今日は研究集会の 遠足があるそうで、昨日あたりから「明日は生憎雨が降るとの予報が でています」と、集会の運営にあたる先生が何度もアナウンスしていたが、 予報は見事に外れ、まずまずの空模様の暑い日となった。

新幹線の車中は居眠りとガロア・プロジェクト(研究編)を少し。 京都駅で遅めの昼食をすませ、14時過ぎに帰宅。出張時のレシートの 整理などの後、夕食時までガロア・プロジェクト(教育編)をやって、 夜は久々にラクトスポーツプラザへ。ア太郎、黒ゴリ、休憩オジサン などが居たが、比較的閑散としていた。

研究集会では「俺サマに近寄るな!馬鹿がうつるぞ」オーラを発 しつづけて煮詰まっていたが、帰ってきたらこの解放感。

2011年9月9日(金)
<<言葉を発する>>
7時過ぎに目が覚める。今日は昨日より30分遅く講演が始まるので、 のんびり準備して出発。今日の講演は、俺サマにとっては面白そう なものばかりで、最終の講演が終わる18時半までずっと聞いていたが、 残念ながらどれもこれもよくわからなかった。俺サマの専門は代数だが、 今日の講演のようなトポロジーや解析幾何学の話は結構好きなんだけど なあ。

まあ、研究集会ってのは、たとえ講演が理解できなくても、どういう 人たちがどういう問題をどんな観点で議論しているか、 大体の雰囲気だけでも分かれば、十分元が取れたと考えてよいと思う。

昼食は昨日から目をつけていた、数名で店が一杯になる小さな博多 ラーメン屋。うーん、今回の出張で5つの店で博多ラーメンを食べたけれど、 店によってずいぶん味が違うものだと分かった。

一昨日の講演でちょっと興味を引かれたものがあって、それでも 講演者に質問せずにダマを通したのだが、結局今日の休憩時間に講演者 を捕まえて質問してしまった。今日が最終日だから、例え、お前、馬鹿 か?みたいな扱いを受けても、「うるせー、馬鹿野郎!」とか 何とか思って、明日には気分を変えて京都に帰れるし、一般に数学者は、 1度目の素人質問には親切に答えてくれるものだし。

で、予想どおり丁寧に答えてもらえたので、礼を言って自分の席に戻 ってしばし考えてみると、また新たな疑問が湧いてきた。ここで再質問を した場合、黙殺大魔王のケースに見られるように、何故か(何故かって、 それは俺サマが馬鹿だからさ)相手が急に不機嫌になって碌でもない展開 になる恐れがあるので、ぐっと堪える。

それ以外にも、某大学の旧知の若い人が「今なら話しかけてもいいよ」 というような顔をしてたので、ちょっと雑談したし、何故かRitsの同僚の 先生が飛び入り参加してたので、これまたすこし雑談。トロントの時も、 「高山さん、、、でしたよね」の時に10数分間エライ先生と話をしたけれど、 今回はたった1日で3名の人と通算15分ぐらいは話をしたと思う。 自分が発表しない研究集会でこんなに声に出して言葉を発したのは、 何年ぶりかしら、 と。

その研究集会だが、数学の場合はそれぞれの分野のエライ先生達が企画し、 講演者は全てエライ先生たちが指名した招待講演の形で講演するのが一般的である。 そして講演者は講演に先立って、自分を招待してくれた運営委員に「この素晴らしい 会議で研究発表の機会を与えられた」ことに感謝の意を表明 するのが習慣となっている。

ではどういう人が講演者に選ばれるかというと、まず、エライ先生のお弟子 さんで、博士号を取って間もないような人が、お披露目として講演するチャンス を与えられることが少なくない。そこでうまく学会デビューできれば、他の集会 からも「お声」が掛かり、売れっ子の道を歩んだりする。

新人以外の講演者の顔ぶれは大体決まっていて、お声が掛かる人はあちこちの 集会から招待をされ、中にはスケジュールがかちあって断わったりすることもある ようだ。人の名前を覚えるのが苦手な俺サマでも、ここ数年あちこちの研究集会 を渡り歩いているうちに、売れっ子状態にある数学者の名前をいくつか覚えて しまった。その一方で、ごく稀にしか招待の声が掛からない、おそらくは圧倒的 多数の数学者たちがいるわけだ。

研究集会の規模によっても多少事情が違ってくる。小規模なものだと、ああ、 あの仲良しグループが集まって細々とやってるんだなというのもあれば、 大先生の元門下生達で講演者の半分ぐらい固めて、あとは大先生のお友達筋などを 招待している集会もある。大規模な国際研究集会になると、日頃の国際研究交流の中で 「あいつの研究は面白い(「面白い」は数学業界では最高の褒め言葉である)」 と評価した人を招待するようで、おそらくは集会開催のアナウンスをする前の 段階で、「今度こういう研究集会をやろうと思うのだけど、講演者として来 てくれないか」という風に、研究仲間のうち高い評価が与えられている 人に打診しながら企画を進めるようだ。

これは以前にも書いたことだけど、研究集会のこのような運営の仕方は、 計算機科学でのそれとは全く違う。例えば、計算機科学の国際研究集会に おいて招待講演者は数名程度で、あとはすべて公募制で講演者が決定される。 だから数学の研究集会と違って、アナウンスされた時点では講演者はほとんど 決まっていない。勿論、集会を企画したエライ先生が知らない人でも自由に公募に 応募できる。この意味では、数学業界と違って極めてオープンな運営をしている。 ただし、エライ先生一派と違うアプローチの研究は、不当な難癖をつけられて審査 ではねられることも無きにしもあらずだが。

まあ、別に俺サマは数学業界のやり方が悪いとか言う積りはないのだが、 業界によって色々なんだなとは思う。ただ、招待講演オンリーにして、講演者 にいちいち招待の礼を言わせるあたりは、いかにも数学者らしい陰険さを感じて しまうが。

一握りの数学者たちはあちこちの研究集会で引っ張りだこの売れっ子 で、「何処に行ってもあの人が現れて講演している」という状態である。 それほどでもない数学者は仲間内の小規模な研究会で時々お呼びが 掛かったりする。しかし俺サマ級の馬鹿になると、昨年だかハノイから何かの ハズミでお声が掛かっただけで、死ぬまでにあと1回お呼びが掛かるかどうか、 かなり微妙な感じである。

ヒット曲が出ない流行歌手はおマンマの食い上げになるが、数学業界では 売れっ子にならなくても大学教員として定職を得てしまうと、例え俺サマ級の 馬鹿でも何とか生活はやっていける。ただし近頃は何も研究発表していないと 大学内でも色々肩身が狭くなる。幸い、研究集会から全然お座敷にお呼びが掛 からなくても、何かしら研究していれば学術雑誌で研究発表する道が残されて いる。学術雑誌は誰でも投稿でき、たとえエライ先生のお墨付きが無くても論 文審査を受けることができ、それにパスすれば論文発表ができるのである。

かように数学業界の習慣も自分の馬鹿ぶりも十分熟知している俺サマでも、 あちこちの研究集会に潜入しているうちに、それなりに目が肥えててきて、 何でこの程度の研究しかやってない奴が、あちこちの集会からお声が掛か ってチヤホヤされてるんだよう!とムカムカすることも珍しくなくなった。 俺サマも結構負けず嫌いである。かといって自分が「この程度の研究」 に匹敵することをやっているのかというと、全くもってそうではない現実に ますますムカムカしてきて、最近では研究集会に参加するたびに、 自虐で落ち込み、ムカムカで血圧を上げてといった状態で、すこぶる健康に よろしくない。

博多最後の夕食はやはり激うま鰻。今日はその店で最も鰻が沢山 入っている特上鰻重で豪遊。

2011年9月8日(木)
<<究極の敗北者>>
7時前に目が覚める。今日も早くから講演が始まるので、支度をして早々 にホテルを出る。今日の講演は面白かったり、そうでもなかったり、全然分 からなかったりと色々だった。ある講演を聞いていて、ふと面白い応用の可能性 を思いついた。本来なら休憩時間にでも講演者と議論すべきところだが、 ほとんど思いつきのようなアイディアでしかないし、「数学者にご用心」という ことで、しばらく自分の胸の中で温めることにした。温めているうちに腐って しまうかもしれないけど。

大教室での講演会の常として、後ろの方の席 は内職席の様相を帯びているものだが、俺サマもその辺りに常駐して、聞いて 分かりそうなものや、面白そうなものだけをつまみ食い的に聞き、それ以外は ガロア・プロジェクト(教育編)の内職に励む。

昼食は博多ラーメンの一蘭の西新店。18時前に今日の講演が全て 終了したが、今日はその後バンケットがあるらしい。俺サマは研究集会の 社交は全てパスすることにしているので、今夜はまた中州の激うま鰻重を 食べに行った。バンケットは参加料7000円。参加してたら、 きっと退屈で惨めな時間を過ごさねばならなかったであろう。それに対して、 鰻重に日本酒1合をつけても3000円ちょっと。激うまの満足感と、近くに数学者 が居ない解放感が約束される。

かように冷静に考えると、鰻重にしたのはまさに正解である。しかし、 「さあ皆さん、これからバンケット会場に移動しますので、こちらでチャ ーターしましたバスに乗ってください」とアナウンスが流れ、皆が 楽しそうにバス乗り場に向かう中、俺サマ一人だけ会場を後にするのは、 ちょっとした敗北感と戦わないといけない。

俺サマだって、別に社交が嫌いな訳ではなく、社交の能力が枯渇して しまってるが故に惨めな思いをするのが嫌なだけである。 ちょうど皆が豪華客船で優雅に世界旅行に行こうとしている 中、自分も行ってみたいなと思うけど、ちょっと自己破産してしまってて、 金も暇もないから遠慮するというのにも似た敗北感を感じるのである。

研究集会というのは、社交や研究交流を通して参加者同士が親交を深め ながら、研究活動を豊かなものにする場であるが、その場に流されて いると、自虐の病ゆえに社交も研究交流もできない俺サマなどは、 その負けず嫌いの性格も相まって、自分がただの馬鹿ではなく、 誰もがごく普通にやれることが上手くできない、 人生における究極の敗北者のように思えてくる。 ただの馬鹿なら、馬鹿なりにやっていけばよいが、究極の敗北者となると、 もう万事休すみたいになってしまうから、どうしても煮詰まってくる。

こういう時は、無理矢理にでも自分をその場から外に引っ張り出し、 「馬鹿が無理して数学者と社交してても、しょうがないじゃないの。 もっとほかのことで頑張りな!」という具合に、価値観の相対化によって 自らを救うしかない。そういう意味でも、さっさと鰻屋に向かったのは正解 だったと言えよう。

かように俺サマにとって研究集会とは、惨めな思いや敗北感と引き換えに、 最新の研究情報を得るという、文字通り身銭を切って研究する場である。 1週間の研究集会から帰ってくると、そのストレスのあまりげっそり痩せて 、、、というのは嘘でトロントでは2キロ太って帰ってきたけど。 まあ、そんなことだから、精神的ダメージが大き過ぎる懇親会の類は極力パスして、 鰻や寿司で気晴らし豪遊でもしないと、やってられまへん(だから太る?)。 もう代数幾何学の研究動向もだいたい分かってきたし、これからは研究 集会参加は控えることにしようかしら。

なのに俺サマは先日、可換環論シンポジウムを申し込んでしまった。 近くにコンビニもレストランもない陸の孤島のような所での合宿制研究集会 である。食事は3食とも宿泊施設で用意され、皆が同じ場所で食べる。 これだけでも十分苦痛なのに、ある日の夕食は懇親会になって いる。しかし、今度ばかりは自分だけ外に鰻を食べに行くわけにはいかない。

よほどのマゾでもない限り、こういう恐ろしい状況に自ら身を投げ 打ったりはしないのではなかろうか。 いや、これでまた自虐の病が悪化した!とかなんとか、 日誌のネタにしてやろうと企んでいるわけだけど。

2011年9月7日(水)
<<用心する>>
7時20分に目覚まし時計で叩き起こされる。今日は講演が始まるのが30分早い こともあって、朝のガロア・プロジェクトは中止して、さっさと研究集会会場へ。 今日の講演の中ですこし面白いものがあったので、合間合間にデータベースを 検索したり、関連資料をダウンロードして眺めたり。いっそのこと 講演者本人を捕まえて色々質問したり議論したりしたいところだし、 それが研究集会の本来のあり方だが、「何せ相手は(馬鹿にとっては最大の天敵 である)数学者だし、用心しないとな」ということで、ガサ入れは控えて内偵に 徹する。

どうも俺サマは、突然変異で馬鹿が治るか、あるいは、黙殺大魔王ほか数名の 数学者に天罰が下り、さらには馬鹿に対する最大の非関税障壁であるヨーロッパ 名物アホ除け選考制度が撤廃され、これまで馬鹿を差別してきたことに対する 反省表明でも行われない限り、数学者なんておっかなくて近寄れない! という状態から脱するのは難しく、偵察飛行と自力走行に徹する日々が続きそうだ。 やはり議論する方が格段に多くの情報を手に入れることができるのだが、、、 偵察飛行による情報収集能力を少しでも上げることでカバーするしかないな。

極秘調査対象の某数学者は、或講演の内容に疑義申し立てをしていたが、 後で講演者と二人で議論というか説教というか、そういうことをやっていた。 ふーん、数学者たちって、研究集会でこんなふうなやりとりをするのか、と。 静かに漂っているだけの俺サマには、今更ながらちょっと興味深い調査結果。 特にこの研究集会では、俺サマはあまり面が割れてないこともあって、 近くで立ち聞き調査していてもあまり警戒されないようだ。

あと、学生時代の同級生O大K氏(♂)も集会に来ているのだが、トイレ でふと間近で見て、そういえば以前からそう思ってたけど、 最近益々K大のU氏(♀)とそっくりになってきたなとびっくり。 年齢は2歳ぐらいU氏が上で近いといえば近いし、専門分野は ほぼ同じ。違いといえば、、、赤の他人同士だということぐらい(その違いは 大きいが)?!でも、案外姉弟だったりして。

俺サマは学生時代からKのことは知ってるが、Kは俺サマのことを全然知 らないらしい。まあ、俺サマは当時から偵察飛行の名手だったから、こっちが 知ってて向うが知らないというのはありがちなことだけど。酷いのになると、 演習で半年ぐらい一緒だったのに、10年ぐらいしてから再会しても全然俺 サマのことを覚えてない奴がいたな。奴は直前の試験勉強だけで何十科目も 「優」を取って、試験が終われば綺麗さっぱり忘れることで有名だったから、 学生時代のことも、自分がどういう風に生きてきたどういう人間で あるかも綺麗さっぱり忘れて、今日と明日だけの世界に生きている 昆虫人間にちがいないと思ったものである。

以前はそういうのにいちいち憤慨してたけど、最近は逆で、俺サマはお前 さんの事を知ってるが、お前さんは俺サマのことを知らないだろう。 ふっふっふ、、、勝ったね!みたいな感じで、かえって優越感を感じたりもする。 だから、あまり面が割れていない研究集会で黙って漂って、俺サマが いろいろ偵察しているのに、お前ら気付いてないだろう、みたいな感じで いるのは、結構快感だったりするのだ。なのにトロントの会議の時みたいに、 「高山さん、、、でしたよね」みたいな感じで来られると衝撃が大きくて しばらくパニくったりするわけ。

今日の講演は午前中だけで終わり、午後は自由。俺サマは一路天神まで戻り、 一風堂とかいう博多ラーメン屋で昼食。この店は京都にも進出しているらしいが、 一応本場の店を調査しておこうか、と。昼食後はホテルに戻り、ガロア・プロジェクト (教育編)に励む。

夕食は天神近辺のまぐろ料理の店で鉄火丼定食。コンビニで明日の朝食を 買ってホテルに戻る。

2011年9月6日(火)
<<馬鹿自慢>>
7時前起床。買い置きのパンなどで朝食の後、少しガロア・プロジェクト(教育編)。 9時前にホテルを出て、地下鉄で研究集会会場に向かう。今日の講演は俺サマには よく分からない話が多く、いささか閉口したが、最後の講演は俺サマにとって 少しは分かりやすい話で、面白かった。

それ以外に、今時の数学者にしては珍しく興味深い人間だということで、俺サマが 秘かに監視している人の講演もあって、話は難しくてよく分からなかったけれど、 この人はこんな声でこんなふうに話すのかとか、講演の様子を見る限りでは案外 普通の人じゃないかとか、そういうようなことが分かって良かったと思う。

昼休みには、国際研究集会恒例の集合写真を撮った。嫌だ嫌だと言っておき ながら、こういうときにはちゃっかり前の方に立ってしっかり写ろうとする俺 サマである。

この手の集合写真撮影では、大抵一番前には横一列に椅子が置かれ、そこに その集会のキーパーソンが座ることになっている。大抵の場合彼ら は皆愚図愚図と遠慮してたり、お喋りに夢中になってたりで、なかなか 座ろうとしない。俺サマはその様子を虎視眈眈と見守り、キーパーソン用の 椅子に何となく空きができたらすかさず座ってやろうとするのだが、いまだ かつて座れた例はない。だから大抵の場合、うらめしそうな顔して一番前から 2列目の中程に立って写っている。

昼食は290円の博多ラーメン。店によっては790円の博多ラーメン もあるぐらいだから、色々である。夕食は天神の寿司屋に入る。昨日の鰻と いい今日の寿司屋といい、こう豪遊が続いてよいものか。

ところで、最近、時々ふっと思うのだが、この日誌は何時から 毎日のように俺サマの馬鹿自慢を書きまくり、都合の悪いことは 何でもかんでも皆俺サマが馬鹿なのがその原因!みたいになったのかしら? まあ、過去の日誌を読み返せばわかることだが、ちょっと面倒。

今博多でやっている研究集会に前回参加したのは確か2007年の夏で、 その頃は単に学科長職の疲れで脳が歪んでいただけで、 自虐の病も馬鹿自慢も無かったように思う。2009年の秋は城崎のシン ポジウムに潜入して、懇親会で聞かれもしないのに自己紹介して 自分を売り込んだりしてたな。ところがその後、2010年度後期の 在外研究の準備でマックスプランク研究所の招聘研究員やニュートン 研究所の研究集会などのアホ除け選考でけんもほろろの扱いを受けた頃から 怪しくなり、2010年の秋のベルリンや エディンバラの研究集会ではすっかりふさぎ込んで、謎の中国 人のフリして日本人参加者から怪しまれた。そして2011年の2月頃の 黙殺大魔王事件でとどめを刺され、2011年の6、8、9月の3つ の研究集会では、もう完全にfade outしている。と、まあ、こんな具合 だろうか。

この変化と馬鹿自慢の激化は軌を一にしているようで、このことは代数幾何学に 転向することによって、俺サマの馬鹿ぶりがあぶりだされ、 「こんな難しい学問に手を出すんじゃなかった」と青息吐息状態にあることを 表していると思われる。

だからと言って今更可換環論には戻れないしな。実際、可換環論でも、 馬鹿ぶりが嵩じて食ってけなくなったから代数幾何学に転向したのだし。 前にも書いたけど、何かに行き詰るとより難しい方に転向するのが俺サマの 流儀で、それはより易しい方に転向して、それでもコケた時に目もあてられない からである。と、いうのは後付けの理由で、実際のところは、 あまりよく考えないで日々をすごしていると、いつの間にかそうなってしまって ただけである。

そういう、人生における 財政赤字先送りみたいな事を続けていて、いよいよ危険水域に達したことを 無意識に察知しているがゆえに、思わず馬鹿自慢に走ってしまうのではないかと 見ている。

もうひとつの背景としては、俺サマは元々周りの人間の観察日記を得意と していたのだが、「俺のことを色々書くな!」と説教を食らったり、 (お前さんなんかあまり興味がないから)「書かない」って言ってるのに、 「高山は変な人間だから絶対書くに違いない、全く困った奴だ。書くな!と 言ってるだろうが!(怒)」と噛みついてきた、頭も性格もおかしい人間が居 たりして色々やりにくくなり、日誌のネタに困った末、安易に馬鹿自慢モノに 走っているという事情も確かにある。

2011年9月5日(月)
<< fade out >>
7時前起床。買い置きのパンなどで朝食の後、少しガロア・プロジェクト(教育編)。 最近は夕食後は眠くてしょうがないので、こういう仕事は朝のうちにやらないと 結局手つかずのまま一日が終わってしまう。 一区切りついたところでホテルを出て、地下鉄に乗って研究集会会場に向かう。 今度の宿は研究集会の方で手配してもらったのだが、博多駅からも研究集会の 会場からも遠く、しかしながら中心街である天神や中州に近いという メリットがある。

今日は9時半から合計6つの講演を聞いたが、今年80歳になるH大先生 も、150ページの論文を書いて元気に講演されていたのには驚いた。 俺サマの大学受験生時代は、アメリカに「頭脳流出」していたH大先生が 日本に帰ってくるというので大騒ぎになっていた頃で、俺サマは H大先生の下で代数幾何学を勉強して自分も「頭脳流出」するぞ!みたいな 事を考えて京大に進学した、ごく普通のミーハーな学生だったのである。

それで、M大先生がノートを取ったという、H大先生の代数幾何学入門の 講義録を数理研で買って大事に持ってたけど、結局チンプンカンプンのまま終わり、 1回生ぐらいの秋に法経1番教室という大教室で、大先生の一般学生向けの 雑談みたいな講演会を1度聞いただけで、その頃から既に馬鹿だったので 大学院にも進学できずに、俺サマの「頭脳流出作戦」は失敗に終わったのである。

あの頃のH大先生は40代後半で、数理研の所長か何かをされていた と思う。スラッと痩せていて、「平ちゃんカット」と呼ばれる長髪を なびかせて颯爽と歩き、結構カッコ良かった。あれから30年以上経って、 H大先生の最新の研究成果を講演で聞けるとは、感慨無量である。 で、講演を聞いて分かったかというと、あんまりよく わからなかったな。まあ、特異点解消問題は俺サマの専門外だから、という 言い訳をしておこう。

昼休みは、この集会に参加しているN君と図らずしも合流してしまい、 一緒に昼食に出た。この集会で誰かと話をすることになるとは、思っても いなかった。彼は(故)筋肉中年S藤先生の弟子で、Ritsの数学科 からオーストリアの大学に留学してからブレークして、今は某国立大の 准教授として活躍しているそうだ。昼食後はN君と別れてYahoo スタジアム前Sbuxで夕食の作戦を練る。ターゲットは博多ラーメン と寿司と鰻だな、と。

今日の講演が全て終わってから、何やら形式的な挨拶や儀式を延々と やっていた。何人もの関係者が次々と演壇に立って長々と挨拶をするのだ が、皆、この研究集会における国際研究協力と若手養成の重要性を強調 していた。俺サマは馬鹿だから何処の国に行っても相手にされないし、 自分を養成するので精いっぱいなので、国際研究協力も若手要請も カンケーねえなと思って聞いていた。

長い儀式の後は、歓迎パーティーがあったそうだが、パス。 このパーティーと木曜日のバンケットと土曜日の遠足の参加・不参加 を、今朝一番に意思表明しなければいけなかったのだが、それに ついて朝から愚図愚図悩んでいた。

遠足は瞬殺パスで迷いなし。バンケットも、大枚7000円も払って、 2時間のあいだ黙って退屈に耐え、飲んで食べてしているだけってのでは、 踏んだり蹴ったりだ。毎回参加して黙って飲み食いしている親和会の宴会は、 月々積立金が強制的に徴収されるからこそ、「座敷童のトレーニング」 と称して無理して参加しているが、そうではなくて今からお金を 払えという退屈なテーブル席の宴会にわざわざ参加するなど、 俺サマ的には、やはりありえない。

最後の問題は、今夕開かれる無料ワインパーティー形式の歓迎 セレモニー。この形式だと、ワイングラス片手にその辺を徘徊していら れるから、退屈も紛れるだろうし、もしかしたら誰かと話すチャンスがある かもしれない。しかしそうは言っても、酒持って徘徊しているだけで2時間 が終わる可能性も十分あるわけだし、流石の俺サマも、実のところ、誰にも 相手にされない惨めで退屈なパーティーなど、まっぴらなのである。

では、何故誰にも相手にされないのかというと、 馬鹿の俺サマにわざわざ話しかける必要性を誰も感じていないし、 俺サマも自分から話しかけていかないから益々会話に発展しないのだという 説が有力である。

では何故自分から話しかけていかないかとうと、俺サマは数学には 無条件に興味があるが、馬鹿の俺サマに興味がない数学者には プライドが邪魔して興味が持てず、かと言って数学そのものの話をする には、お互い専門が違い過ぎてたり、たとえ専門が近くても、黙殺大魔王の ときみたいに、俺サマが馬鹿過ぎて話にならなかったりで、なかなか適当な 相手がいないからだと思う。

それでも今までは、誰かとお近づきになっておけば、色々な意味で 自分の可能性が広がって、後々いいことがあるかも知れないと下手に出て、 無理してパーティーなどに参加し、無理して人と話してきたのだ。

しかし人間50歳を過ぎれば、会いたい人会い、会いたくない人 には会わない、話したい人と話し、話したくない人とは話さない、という風に、 もっと自由にやるべきではないか。それで気ままにやって小さく頑なに凝り固 まって行ってコチコチになって、最後にはお地蔵さんみたいに石になって 死んでくのさ。長生きできたら、の話だけど。

10年ほど前に読んだ「人生を半分降りる」という本にも、人間50歳を 過ぎてもまだ社会で幅をきかせようと頑張るのはみっと もない、我欲を抑え世の中からすこしずつfade outすべきだ、というようなこ とが書いてあったように思う。俺サマの場合は、数学的にも数学業界的にも 元々face out状態のままなのだが、数学的にはもうちょっと悪あがきして、 その辺の学術雑誌にこっそり糞論文を出し続けようと欲望ギラギラでいる。 でも数学業界での社交的なことは「もういいや」って感じで、この際、 face out状態を追認しようか、と。

「よし!では、その線で行こう」と思って今朝はホテルを出たのだ。 集会会場入り口の参加登録のところで自分の名前を書き、3つのセレモニーや イベントの参加・不参加の欄にシャッと横線を引いたら、係のお姉さんが 「全部不参加ですか?」と聞いてくるので、「はい、そうです」と答えた。 そしたらすっと気分が軽くなって、やっぱり自由っていいな、としみじみと 思った。

それで、挨拶セレモニーの後、ワインパーティーはパスして中州にある 博多で唯一の炭焼き鰻の店(もう1軒の店はせいろ蒸し鰻だったので、パス) まで足を伸ばし、激ウマ鰻重を食べてきた。中州に行くのは初めてで、 京都先斗町と申しましょうか、名古屋女子大小路と申しましょうか、 新宿歌舞伎町と申しましょうか、行き交うお姉さん方が皆「お水の花道!」 って感じで、エラいところに来てしまったなと思ったけど、鰻屋は繁盛している ごく普通の店だった。こちらに居る間にもう1回行きたいな。

2011年9月4日(日)
<<日本語が通じない>>
7時に津のホテルにて起床。9時頃にチェックアウトして、松阪の親戚の法事 に出る。台風の影響で生憎の雨。それでもいきがかり上墓参りをし、駅前の ファミレスで昼食の後、福岡出張に発つ。電車の中では、ガロア・プロジェクト (研究編)に少し取り組むも、やっぱり睡魔に襲われ気を失う。どうもトロント から帰ってきてから、夕方以降はいつもこんな調子だ。

京都まで戻って新幹線というルートと、近鉄で難波まで行って、地下鉄御堂筋 線乗り換えで新大阪から新幹線というルートを考えて、結局後者にしてしまった けど、大阪での乗り換えの面倒さ、新幹線で京都新大阪間が15分程度である ことを考慮すると、結局大阪ルートは数百円程度安く行けるが、特に速く行ける わけでもなく、そして乗り換えが面倒だと判明。兎に角、今回の博多出張は真面目に 旅の準備をしてないので、色々小さな失敗があることだろう。

19時前に博多のホテルにチェックイン。夕食は博多ラーメンの一蘭。 以前博多に来た時に通った博多駅前店や、最近京都に進出した店とは、よく似てる けれど微妙に雰囲気が違ってて、ラーメンの器が丼じゃなくて重箱みたいなのだし、 違う店のような気もした。

店に入ってから食券自販機の前で、どうしたものかとぼんやりしていると、 店員の兄ちゃんがどうしたのかと近寄ってきた。それで、この店は初めてなので よくわからんのだと言った積りだが、それが聞きとりにくかったらしく、 「は?中国の方?チャイニーズ、OK?」と聞かれてしまった。ううっ(泣)、 苦節ン年、やっと俺サマも謎の中国人と認められたか、、、って、 違うっちゅーに!

でも、「チャイニーズ、OK?」とか聞かれて、Vサインしながらイェース! なんて答えてたら、どうなってたのかしら?本気で中国人の店員が出てきて、 ■φ!!△♀☆♂◎#∈↓▼!?ってな調子で何か言われて、そんなん、俺、 知らんがな!みたいなことになってたかも。

そういえば、ホテルは駅から遠くてわかりにくかったので、駅からタクシーに 乗ったのだが、運転手に行き先を言っても、最初は通じなかったな。俺サマの 日本語は博多では通じにくいようだ。

昔、会社の寮に住んでて、寮の朝食が休みの日曜日の朝などに、寝ぼけ眼 で近所のファーストフード店で朝食を食べてた。で、そういう所では大抵、 俺サマが注文したものとは違うものが出てくるので、ファーストフード店の バイトの姉ちゃんには俺サマの日本語が通じなくて困る、とかぶつぶつ言って たっけな。

日本語が駄目なら外国語はどうだったかというと、同じ頃、サンフランシスコ に出張して、パン屋で朝食をとろうとした。で、ベーコンチーズサンドを 注文したのに、バーゲルチーズサンドが出てきた。近くにいた日系アメリカ人 のお兄さんが、ベーコンは最後の「コン」をちゃんと発音しないとベーコンとは 聞こえないと教えてくれたな。

2011年9月3日(土)
<<根が深い>>
最近は放っておいても7時に目が覚めると思ってたのだが、 今日は10時前まで爆睡。睡眠障害はまだ続いているのか。 11時過ぎに自宅を出て、近鉄特急に乗って津に向かう。 雨が降る気配はなかったので、墓参りでもと思ったが、 駅から一歩外に出たら、びゅーっと台風の風が吹いてい たので、びびって中止。ホテルでゆっくりしてから、おもむろに 「別荘」に向かう。

「別荘」の玄関先など、台風の影響で 色々なものが吹き溜っていたので、簡単に掃除。 それから、近所の親戚の家を尋ねたり。 夜は俺サマ御用達のI,D,Hの3軒の鰻屋のうちの3番手 の店で鰻丼を腹一杯食べ、幸せ一杯の気分でホテルに戻り、 しばしガロア・プロジェクト(教育編)をやったり、テレビ を見たりしてすごす。

ところで、俺サマの自虐の病の背景には、対人関係の ストレス耐性の弱さがあるように思えてきた。思い返せば 俺サマは、他の人なら何とかこなせているようなことで よく潰れてきた。

まずは学生時代の就活。この頃はほとんど対人恐怖症 みたいなもので、会社訪問のアポイントメントをとるだけ でも大変な事だった。まる一晩かかって「しょうがない。 やるしかない!」と一大決心し、朝から鬱々として昼前 から酒を食らい、昼過ぎに意を決して「糞ーっ、やったるぞー!」 と叫びながら電話ボックス(当時は携帯電話なんて当然ない) に突進し、採用担当者としどろもどろで電話を終え、 その後しばらくは放心状態といった感じだった。

会社では研究開発部門に居たけど、対人折衝が多い 営業部門に配置転換を命じられることは、俺サマにとっては 死刑宣告とほぼ同義だったな。俺サマが会社をやめて 大学に移ろうと決心した決め手は、当時の上司の「高山君 も視野を広げるために、そろそろ営業でもやってみるか?」 という一言だった。「ここで野垂れ死にするぐらいなら、 新天地に逃走した方がうんとましだ」と。当時は、大学こそ まさに学生との対人関係の修羅場だってことは知らなかった。

しかしそうこうするうちに、だんだん図太くなって きて、大学に移ってからは、大学の宣伝のために高校訪問 をして営業するのが平気になったけど。それで自分でも びっくりして、大学出る頃までは初々しい青年だったのに、 誰が俺サマをこんなスレッカラシにしたんだよう?!と 月夜に吠えてたりした。

対人ストレス耐性が極端に弱い俺サマなのに、人と喧嘩 するのは平気で、(旧)情報学科時代は全教員を敵に回して 何年でも頑張ってたな。皆が寄ってたかって俺サマを苛める積 りなら、受けて立とうじゃないかって。俺サマは馬鹿だから、 売られた喧嘩は素直に買ってしまって、何らかの論理的決着が つくまで決して手抜きはしないで一生懸命喧嘩するの。ああ、 俺サマって、何て誠実で奥ゆかしい人なんでしょう! 変に気を使ってストレス溜めてるより、喧嘩してた方が話が わかりやすくって気が楽だと考えるところも、いかにも 馬鹿っぽい。 それでも胃にぼこぼこ穴が開いてしまい、往生したけど。

次は学科長だな。確かにシンドイ仕事だけど、20年 近い大学勤めの中で、学科長やって脳が歪んだのは、 俺サマの知るかぎりでは、俺サマだけ。俺サマにしてみれば、 何であんな不条理な仕事で誰も頭がおかしくならないんだろう?って 不思議でならないんだけど。

で、先日、大学の仕事の関係である人とすこしコンタクトを 取ったのだが、努めて事務的にやりとりしたのに、その余韻が後々 まで残って、それを振り払うのにちょっと苦労している。

その人はとても温厚な人で、俺サマとは違ってずいぶん人望は 厚いようだ。しかし俺サマは、彼の何気ない言動に植物性の冷血さを 感じてしまい、それが胸に刺さる。数年前にも同じことを思って、 「この人には、なるべく近寄らないようにしよう」と決心したのを 忘れていた。

俺サマ以外は誰もそういう風には思ってないのだから、コンタクトを 取る仕事を他の人に任せればよかったと、変に自分の責任でやらなくっ ちゃ!みたいに考えたことを、ちょっと後悔している。

まあ、こんな調子だから自虐の病に罹るんだろうね。兎に角、俺サマは、 人に対する感性がおかしい、 立派なオジサンのくせに、 「うーっ、嫌だ!」思うと体全体で拒絶反応してしまうところは ガキのままで、進歩というものが無い、 喧嘩をしているとだんだん元気になってくる(体はぼろぼろになるのだが) という性格も「歪んでいる」としか言いようがない、さらには、 俺サマは数学的に馬鹿なだけかと思ったら、対人スキル的に もどう考えても馬鹿である。 こういったことが根っこにあって、自虐の病で座敷童的人生を偵察飛行 しているとしたら、これはやはり根が深い。

2011年9月2日(金)
<<激安ゴム長再登板>>
7時頃起床。昨夜寝たのは1時半を過ぎてたから、明らかに睡眠不足。 それでも起きてしまうところが、まだ時差ボケの影響か。

午前中は10時に近所の歯医者に定期診療に行って、銀行で出張費 などを下ろした以外は、自宅でガロア・プロジェクト(教育編) や就職委員の仕事でメールのやりとりなど。

15時頃から泥縄式にフランス語の復習を始め、17時過ぎに 自宅を出る。台風の影響で山科は猛烈な雨が降っていたので、 久しぶりに978円の激安ゴム長を履いて関西日仏学館へ向う。 しかし地下鉄東山駅を降りてからは、ほとんど雨が降っておらず。

日仏学館の図書室で少しフランス語を勉強した後、 18時過ぎに隣の京大ルネで夕食。ここは日仏学館の教職員もよく 利用している。特に俺サマのクラスの先生はよく来ている。で、先生、 俺サマの食事中に現れた。「Sa va, 幸秀!8月は何をしてましたか?」 「トロントはどうでしたか?」などと、いきなりフランス語会話の レッスンモードになり、俺サマはしどろもどろの 壊れたフランス語でテキトーに答えてやりすごす。

ああ、消化に悪い。俺サマはそもそも食べながら話すのは苦手で、 会食のような場に居ると、「食べるのか喋るのか、どっちかにせい!(怒)」 と不機嫌になってくる。博多ラーメンの某チェーン店では、客一人一人が キャレルのような一人分の半個室スペースに入って食べる「味集中システム」 なるものが採用されているが、あれは俺サマにとっては理想の姿だ。 だから、食ってる最中にフランス語で話し掛けるな!と言いたい。

俺サマの殺気を感じたのか、それとも、あまりにたどたどしい俺サマの フランス語が哀れになったのか、先生は、早々に 「では、ごゆっくり」と去っていった。

俺サマのフランス語はいっこうに上達しない。覚えては忘れ、 忘れてはまた覚える。読んだり聞いたりする力は少しずつ向上 しているのだが、話す方は駄目なままだ。これはひとえに ドイツ語の時と比べて、圧倒的に気合い不足なことが原因だと思う。 つまり、言葉に対するモチベーションが下がっているのだ。

その原因としては、ドイツ語を10年勉強しても、現地の パーティーの会話が全然わからなかったという敗北感というか無力感 みたいなものが考えられる。 それに、だいたい、俺サマの 普段の生活で、例えば友人が「夏休みはどうだった?」みたいなことを聞いてきて、 それに対してこうしたああしたなどと答える場面など無いし、 そもそも座敷童に言葉は必要か?という 自らの存在に対する根本的な問いかけも関係している。

19時から21時までフランス語の授業。まあ、にわか復習の 甲斐あって、どうにか乗り切れた。今日はカナダのお土産のメープ ルシロップ・キャンディーを持って行ったのだが、なかなか好評であった。

その後、いつもなら歩行飲酒しながら京都市役所前駅まで歩くのだが、 今日は台風の関係で断続的に強い風が吹き荒れているし、夕方の山科の ような激しい雨にならないとも限らないので、とりあえず 歩行飲酒は短時間で切り上げて、荒神口からバスに 乗る。しかし結局、その後雨はほとんど降らず。

2011年9月1日(木)
<<第一稿完成>>
台風が近づいているらしく、時々雨がぱらつく曇り空の一日。 今日も7時起床。午前中は業者が少し出入りし、それ以外はガロア・プ ロジェクト(教育編)。昼過ぎにようやくレジュメの第一稿が完成。 A4判60数ページ。

それから野暮用のため山科区内をうろついたが、不発。ついで にその辺で昼食の後、街に出る。天気もすっきりしないし、上島珈琲 に籠って数学。夕方頃に店を出て、 JEUGIA三条本店を少し偵察の後、山科に戻り、昼過ぎに不発に 終わった野暮用を片付けてから帰宅。

夜は少しテレビ。NHKの「サラリーマンNEO Season 6」の録画 はどんどん溜まってゆき、早く見ないといけない。さんまの「恋のから騒ぎ 総集編」の録画がまだ残っていて、今日ようやく見終わった。兎に角、この 俺サマがギャハハハハーと馬鹿笑いするのは、この2つの番組を見る時だけで、 それ以外は、笑いを取った時の「してやったり」というフフフ笑いとか、この 日誌を読み返して、「やっぱり俺サマが一番おもろい!」とニヤニヤする 自己チュー笑いとか、そんなのばかりだな。

免疫力を上げるためには、その辺の数学者みたいに、箸が転んだような事 でも大笑いしないといかんと思うのだが、数学者がそういうことで笑うのは 案外少なくて、気心が知れた人たちが集まる研究集会の講演中だけのような気 もする。それ以外はどうなのかというと、俺サマはあまり数学者には関心がな いので偵察飛行中でも碌に観察していないので、わからない。ただ、たまに 俺サマの相手をしている時の数学者は、大抵、はあ、オタク、何処のどなたで しょうか?みたいな怪訝な顔をしているか、こいつ、何を言い出すんだ、 馬鹿か?いや、絶対に馬鹿に違いない!みたいな、ちょっと不機嫌な顔をして いるような気もする。

つまり、俺サマが知っている数学者の顔は、馬鹿を相手にしている時の顔と、 講演中のつまらない冗談に笑っている時の顔と、一生懸命講演している時の顔と、 死んだフリしている時の顔だけというわけだ。俺サマと数学者たちとの不幸な 関係は、このことにも象徴されている。

その後、また少しガロア・プロジェクト(教育編)。第一稿の見直し・ 修正作業に着手。