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よ け ス ペ ー ス で す。

2011年9月30日(金)
<<ガロア生誕200年>>
9時過ぎ起床。昨夜はちょっと夜更ししたので、眠い。午前中は 自宅にてしばし野暮用の後、アメリカ数学会のレビューの仕事に 取り掛かる。

昼過ぎに自宅を出て百万遍界隈へ。まずは新福菜館 百万遍店にて遅めの昼食。それから関西日仏学館の図書室に籠り、 夕方までフランス語の復習をしたりレビューの仕事をしたり。 夕方、隣の京大ルネ書籍部をちょっと冷やかしてから、食堂部で 早目の夕食。

ルネで偶然寺子屋の先生と鉢合わせになった。先生、「明日から 始まるウチの講座には来てくれるんだよね」って。ナチューリッヒ! 勿論、行きますよ、と俺サマ。さらに先生、「先日ウチがやったイベント に来てくれなかったね」と予想通り厳しいチェック。どっほ!どっほ! 私、あの時、居マシたね。デモ、行ったら既に長い蛇、じゃなくて、行列 できていて、腹も減るしで、諦めて帰ったアルよ、と弁解。

ルネの書店に、日本が世界に誇る可換環論の巨星二人の手による、 本格的な可換環論の専門書が平積みで出ていた。だいぶ前に、原稿 は出来ているが内容を精選するのにしばらく時間がかかるという話を 聞いていたので、「やっと世に出たか」という感じ。まあ、そうこう しているうちに、俺サマは可換環論業界を飛び出してしまったから、 すぐには買わないでおこうかしらとか、英語版が出るだろうから、それ まで待とうかしらとか。いや、そういうややこしい事を考えるから 俺サマは馬鹿なのであって、ここは四の五の言わずにさっさと買う べきだとか、色々考え中。

あと、「数学セミナー」とか言う雑誌の表紙に「ガロア生誕200年」 とあるのが目にとまった。そうか、俺サマはガロア生誕200年の栄えある 年にガロア理論の講義を担当させてもらったのか。こりゃあ、頑張らないと いかんな、と。

俺サマは馬鹿なので、学部の看板である3回生専門科目なんぞ、普通は 担当させてもらえないのだが、今年はたまたまエライ同僚がサバティカルで 休みなので、ピンチヒッターで担当が回ってきたのである。ふっ、ふっ、ふ。 俺サマは馬鹿だけど、こういう棚ボタのチャンスをちょうちょい引き寄せては、 しめしめとありつき、それでどうにかこうにか食いつないているのさ。

19時から21時までフランス語の授業。覚えては忘れ、忘れては 覚えで、この3年ぐらいの間、初級クラスと中級クラスを行ったり来たり。 俺サマは、「馬鹿の横好き」で語学が結構好きなので、フランス語を勉強 して、フランス人数学者とフランス語で共同研究するんだ!みたいなこと も考えていた。

しかし、数学の共同研究は英語でも十分出来る。その前に世界中の 数学者達に馬鹿だと思われてて、馬鹿除け選考で弾かれたり、質問メール を黙殺されてたんじゃあ話にならん。そもそもこの座敷童的人格 じゃあ、人間の言葉が幾つ喋れても駄目なんじゃないかとか、 猫にも相手にされんだろうとか。でも数学やめてパリで似顔絵描きか 何かの大道芸人としてデビューしたら、街行く人と話すために フランス語が要るだろうがとか。かように色々馬鹿っぽいことを考えて しまうのは、何のためにフランス語を習っているか、自分でもよくわから ないからである。ま、やっぱし、「馬鹿の横好き」ってことに尽きるのだと思う。

さて、そこで問題。今日の日誌で「馬鹿」が何回使われたか、数えてみよう!

2011年9月29日(木)
<<立ち入っている?>>
9時起床。大丸山科店で昼食用のパンを買って昼頃に出勤。研究室で 前期試験成績疑義照会関連の作業を仕上げ、その他の提出書類などとともに 事務室回り。昼食、そして少し数学。

14時から17時まで卒研ゼミ。今日も学生たちは、正則関数、局所環、 関数体のあたりでのたうち回っていた。確かにこの部分は難しいんだよな。 俺サマは例によって、彼らをダシに何か勉強できることはないかと虎視眈眈 と様子を伺い、学生の質問に答えるフリをしてちゃっかり勉強させてもらっ た。今日は学生が沢山質問をしてくれたので、沢山勉強できた。 俺サマは馬鹿だから、もっともっ と勉強して、早く数学者たちに馬鹿だと思われないようになりたいものだわ いと、相変わらず自分の馬鹿を治す事しか考えてない悪い先生であった。 ふっ、ふっ、ふ、と。

卒研ゼミの終了後、直ちに大学を発つ。しかし大津駅でJRが20分程度 足止めを食った。何でも大阪と新大阪の間で線路に人が「立ち入った」とか 「立ち入っている」とかで、安全確認だの安全確保だのをしているとか。 車内アナウンスの情報はどうもはっきりしない。「立ち入っている」のだとす れば、例えば爆発物を持った頭のおかしい人が、「自分はここで自爆テロを するんだ!近寄るな!」とか言って騒いでいて、警察などが説得工作に あたっている図を想像するが、その後特に大きく報道されていなかったから、 そうでもなかったのかもしれない。

夕食後、夜はいよいよ督促メールが来たアメリカ数学会の論文レビューの 仕事でも片付けようかと思ったが、その前に昼間考えたことをちょっと纏めて おこうとゴソゴソやっているうちに深夜になり、レビューは明日以降に延期。

ああ、そういえば突然3割カットになったはずの科研費は、やはり ちゃんと支給されることになったとの連絡が来てた。大事に使わないといけないが、 何に使おうかしら。

2011年9月28日(水)
<<知らんがな>>
9時起床。大丸山科店で昼食用のパンを買って昼頃に出勤。

13時より2回生「代数学序論II」の講義。簡単なガイダンスで、この講座 は前期の「代数学序論I」よりもはるかに難しいから覚悟せよ!とさんざん脅か した後、「代数学序論I」の必要事項を「代数学序論II」風に一般論をガンガン 語るスタイルで復習。途中時間切れで、復習完了は来週に持ち越し。

引き続き、3回生「数理科学セミナー」の授業。簡単なガイダンスをし、 演習系科目なので出席を取って、演習用資料を配布した後、「では、演習の準備、 来週までにやってきてくださいね」と言って30分で終了。

その後、成績疑義照会の申請書が来てたので、研究室にて採点済み答案の 見直し、および回答書作成作業。16時半から18時15分まで学科会議。その後、 生協食堂での夕食を挟んで、疑義照会対応の作業など。20時過ぎに大学を発ち、 21時半頃帰宅。

夜、友人2人からメール。一人は夕方に出した集合論の質問に対する回答。 これで疑問が解決。ちょっと質問したら、さっと教えてくれる友は有難い。 俺サマが馬鹿だと分かっててちゃんと答えてくれるんだから、彼はきっと 数学者じゃあないんでしょう、と。もう一人は昨日の俺サマの怒りメール に対する返事。科研費いきなり年度途中に3割カット!が撤回されたという噂。 「立命にはまだ連絡が来てないのか?」と。知らんがな。

2011年9月27日(火)
<<学会参加見送り>>
9時起床。大丸山科店で昼食用のパンを買って昼頃に出勤。

13時より2回生「数理論理学」の講義。簡単なガイダンスの後、ラッセルの パラドックス、ブラリ・フォルティのパラドックス、嘘つきパラドックを紹介し、 リシェールのパラドックスの説明の途中で時間切れ。

引き続き、3回生「環・体論II」の講義。俺サマは馬鹿だから、3回生の 講義科目を担当させてもらえるのは今年が最初で、そしておそらく最後。 どんな感じかしらと思ったら、1,2回生科目と違って、教室は凍りつくような 静けさが支配しており、何だかやりにくい。

1,2回生って、別に私語とかで騒ぐわけではないけど(俺サマが睨みを利 かせている授業では私語はほとんど皆無)、何だか学生の無言の熱気みたいなものを 感じるのだけど、3回生たちは、体はそこに座っているんだけど、魂はうんと遠い ところにあって、そっとこっちを覗いてるって感じ。

今日は簡単なガイダンスの後、実数体の拡大体としての複素数体の話を通して、 拡大体が線形空間であることや、実係数多項式環の剰余環として表せること、 そのついでに剰余環の考え方や線形空間の復習も行う。次の具体例として、 有理数体に1の原始3乗根を付け加えた拡大体の話に入ったが、途中で時間切れ。 詳細は次週に持ち越し。

16時10分の講義を終えて研究室に戻ると、たぶん3回生だかの2人が やってきて、前期の2回生科目が落第になったのだが、それでは困るから単位を くれと言ってやってきた。昨日も4回生からそういうメールを受け取った。 ああ、成績発表の季節なのね、と。

こういうのは旧制高校ではビッテ(ドイツ語で「お願い」の意)と呼んでいた そうだ。俺サマは単位認定基準はかなり緩い方だが、ビッテは一切受け付けないこと にしている。なぜかというと、対面交渉が上手い人が結果的にトクをするようなこ とは、世の中ではよくあることだが、俺サマとしては、公平性を重んじる大学で そういうことを認めるのはどうかと思うので。

それで、採点ミスで不合格になっているのではないかを事務室を通して 疑義照会できる期間があるので、そちらで手続きするように言っている。 たまに採点ミスが見つかって合格になる場合もあるが、何故その答案に×が ついたのかの懇切丁寧な説明文が学生に届くだけで、評価の訂正は行われない 場合も多い。

17時前に大学を発ち、京都大丸で買い物。夕食もそこで済ませ、21時前に 帰宅。夜は数学。プロジェクトSを少し。

夜、国立大の友人某が、明日から始まる信州大での学会には行かないのかと メールを送ってきた。今年は国立大の連中が、私立大学の後期開講第一週を狙い 撃ちにしたかのような、異例の学会日程を組みよったし、休講したら補講で首が 回らなくなるし、震災復興財源だか朝霞の公務員住宅建設費用の確保だか、 どちらの名目か知らないけれど、科研費が年度途中で突然打ち切られて債務 不履行状態になっちまったし、そんな状況で学会など行けるわけないだろうが (怒)!と返事しておく。

2011年9月26日(月)
<<馬鹿を治す>>
新学期が始まった。9時半頃起床。昼前大学に到着。まずはSubwayで昼食 用のサンドイッチを買う。既に学生数名の列ができており、店の人が 3、4名並んで流れ作業でてきぱきと客をさばいている。注文を聞いてパンと 主たる中身を準備する人、野菜やドレッシングを客の好みを確かめながら 詰める人、出来あがったサンドイッチを包装したり、サイドメニューのポテトや 珈琲を準備する人、レジの人。注文したサンドイッチは彼らの手を次々と渡って いくのだが、問題はサンドイッチと注文した人間が揃ってレジの方に流れていくか である。

で、俺サマが、野菜やドレッシングの好みを聞かれていたサンドイッチは、 実は俺サマの前にいた学生が注文したものだった。では、俺サマのサンドイッチは 後ろに並んでいた学生が「好み」を聞かれていたかとうと、そうだったような そうでもなかったような、、、という感じで、いつの間にか完成して包装され た、誰が注文したのか分からないサンドイッチが俺サマの手元に渡った。 研究室に戻ってから包みを開けてみたら、ちゃんと注文通りのものだった。まあ、 順番が前後することは無いから大丈夫なんだろうけど。

研究室で昼食をとり、明日と明後日の授業の準備など。卒研生の一人が交通事故 を起こしたとかで、欠席する旨のメールが届く。13時半より15時半まで卒研ゼミ。 一人が欠席しているので、学生は一人だけ。ゼミの後、明日の講義の準備を少しして から帰宅。

卒研ゼミでその場で解かされるはめになった演習問題が切欠で、俺サマの研究 を進める上でちゃんと押さえておきたい事が浮上。うーむ、確かに、こういう事をき ちんと押さえてないと、馬鹿が大嫌いな数学者たちに苛められるんだな。俺サマは 馬鹿だから、卒研ゼミしてても、何とか自分の馬鹿が少しでも治るヒントがないか と、学生そっちのけで鵜の目鷹の目で常に探しているのさ。

しかし、馬鹿は治るものなんだろうか。昔から「馬鹿は死ななきゃ治らない」 というから、状況はかなり厳しいと言わざるを得ないであろう。 馬鹿が大嫌いな数学者達にさんざん苛められた馬鹿が、苦節ん年で見事に馬鹿を 治してオリコーさんになり、かつて自分を馬鹿だと蔑んだ性悪数学者達をひざまづ かせ、馬鹿が苛められない平和の数学王国の王として末長く君臨したとさ、 みたいな美しい物語は寡聞にして 聞かないし。数学者達に囲まれて馬鹿だ馬鹿だと苛められていた馬鹿を見かねて、 「これこれ、性悪数学者たちよ。馬鹿を苛めるもんじゃありません!」と馬鹿を 助けた善人数学者が、後に竜宮城に案内されたという話も聞かない。 俺サマは馬鹿だから、こういう話にちょっと憧れて、 「『その日』に備えて、竜宮城に相当するものを確保しておかなくっちゃ」 みたいな事を考えたりするんだけど。

夜はラクトスポーツプラザで楽しいZUMBAと骨盤矯正ヨガ。ZUMBAには 久しぶりに「青春を取り戻したオジサン」が来ていた。でも久しぶりに見た彼には、 もう「俺は青春を取り戻したんだぜ!」というギラついた気負いは感じられなかった。 やっと普通のオジサンに戻れたんだね。めでたし、めでたし、という事にしておこう。

2011年9月25日(日)
<<元の木阿弥>>
最近はすっかりシブチンになってしまって、「ウチに似たようなCDがあるから、 それを聴けばいいではないか」とか「気に入った曲の割合が少ないから、コスト パフォーマンスが悪い」などとケチな事を考えてみたり、 やれヴァイオリンの音色がくすんでいるだの、 曲の解釈が腑に落ちないだのと、 もっともらしい難癖をつけて、 なかなかCDを買わなくなった。

そんな今日この頃、山も嵐も踏み越えて、 久しぶりに「あの」シリーズの瞬間的復活にこぎつけることができたことには、 感慨深いものがあります、と。何?「あの」シリーズって何のことだって? 「あの」シリーズは「あの」シリーズだってば。

今日の1枚は福田進一デビュー30周年記念企画(その1)とかで、 J.S.バッハの「無伴奏ヴァイオリンのためのパルチータ」の第2番、 「無伴奏チェロ組曲」の第3番と第6番をクラシックギター編曲したもの。

学生の頃までやってたクラシック・ギター、やめなきゃ良かったなと、 少し後悔している今日このごろ。今、押し入れから昔のギターを引っ張り出して みると、こんな風に弾くというイメージは覚えていても、手があの頃の感覚を すっかり忘れてしまってて、元の木阿弥って感じ。

水彩画の方は30年ぐらいブランクがあっても、昔とはずいぶん物の とらえ方が変わって絵の感じも変わったけど、それはそれで悪くはなく、 少なくとも元の木阿弥って感しでは、全然ない。やはり楽器は技術的要素が 大きいから、ブランクがあると駄目だな。

本日、 10時頃起床。京都新聞日曜版の2つのパズルを片付ける。 時事クロスワードパズルは、政治家やスポーツの監督の名前を 問うものが多いところが唯一気に入らない。何でこんなどうでも 良い人間の名前をいちいち聞くのか!と思いながら、ネットで 調べて解答する。

今日は色々義理があって、昼過ぎに自宅を出て百万遍界隈に行ったが、 結局余計な心配は無用と分かったので、新福菜館百万遍店にて昼食の 後、久しぶりに喫茶進々堂に入り、しばしプロジェクトS。日曜日の 進々堂は、観光客が次々とやってきて一休みしては、また次の観光 名所に向かうという按配で、すこぶる客の回転がよろしいようで。 16時過ぎにはかなり込んで来たので、これは潮時かと退散。

それからJEUGIA河原町三条店を偵察。昨日俺サマが 嫌みを書いたせいではないと思うが、壊れていた試聴マシンの ヘッドフォンが新しいのに取り換えられていた。

早速、ヒューイットのモーツァルト・ピアノ協奏曲集を再度試聴した が、バックのオーケストラは「いかにもモーツァルト!」って気分を盛 り上げてくれて、なかなかいい感じなのだが、ピアノの音がどうも地味。 モーツァルトならもうちょっと華やかな音色じゃないとね、ということで 購入見送りを決定。

それで結局、福田進一のCDを買ってしまった。J.S.バッハの シャコンヌのクラシックギター編曲なら、ウチに福田さんの昔のCDが あったから、それを聴けばいいかも、などと、またぞろケチな考え がよぎったが、シャコンヌ以外は前のCDと曲はかぶってないし、 シャコンヌも今と昔の福田さんの演奏の聴き比べができていいではないかと、 俺サマの内に潜む「ケチな俺サマ」を押し切って購入。

まあ、そうこうしながらも、トロントで考えて忘れていたことを ふと思い出して、もしかしたら俺サマは正真正銘のアホではなかろうか と心配になり、道々あれこれ考え続ける。帰宅後、TeXノートに纏めながら 考え直したところ、「やっぱり、そこまで俺サマはアホではなかった」 との結論に達し、ひと安心。それで次はガロア・プロジェクト(研究編) の仕上げ作業を行う。

2011年9月24日(土)
<<到達不可能>>
眠い眠い病が炸裂し、今朝は11時前に起床。少しだけガロア・プロ ジェクト(研究編)をやってから、街に出る。丸亀製麺の讃岐うどんで 3時のおやつのような時間に昼食をとり、上島珈琲に籠ってしばし 数学。題して「プロジェクトS」。

夕方頃、上島珈琲を出て、JEUGIA三条本店を偵察。今日は試聴マシン の電源が入っていたが、ヘッドホンが1つ壊れていた。一応音は聴けるんだけど、 こういうのを放っておくところがJEUGIAさんらしいというか、たぶん機械 をいじれる店員さんが居ないのだろう。

ヒューイットとかいうピアニストが居るそうで、バッハ弾きとして有名 らしいのだが、彼女のモーツァルトのピアノ協奏曲のCDを試聴。 いかにも、という感じのモーツァルト節がテンコ盛りで、そのあっけらかんと した明るさによろめき三歩歩めず。「この際、買っちまおうか」と思ったが、 モーツァルトのピアノ曲なら、既にいくつか持ってたし、ウチに帰って それらを聴きなおせばいいか、などとケチなことを考える。

まあ、その前にと、先日来目をつけていたドボルジャークの室内楽のCDを試聴。 うーん、能天気なモーツァルトを聴いた後だからか、ずいぶん陰気臭く思え、 ピアノの伴奏はいいのだが、ヴァイオリンが妙にくすんだ音色に聴こえる。 とりあえず購入は見送りだな。じゃあ、ヒューイットのバッハのピアノ曲でも 探そうかと思ったが、ゴールドベルク変奏曲しか見つからず。ゴールドベルクは ピアノ、チェンバロ、ハープ、クラシックギターと色々持ってるから、ウチに帰って それを聴けばいいやなどと、またまたケチなことを考える。

そうこうしているうちに、福田進一のクラシックギターでバッハのシャコンヌ などのCDが見つかり、しばし試聴。うーん、もひとつぐっと来ないのは、 俺サマが音楽をちゃんと聴く状態でないせいかしら。ということで、結局何も 買わずに店を出る。

街から帰って、夜はラクトスポーツプラザで筋トレなど。帰宅後は しばしガロア・プロジェクト(研究編)。この短期プロジェクトも、何とか 新学期が始まるまでに完了しそうだ。

さて、可換環論シンポジウムの件。俺サマは馬鹿だから、俺サマがそうしたい と思うことの逆をやれば、オリコーさんの真似ができるというのは、いかにも 馬鹿が考えそうなことだ。だから、その裏をかいて、やっぱり俺サマが思うように しようか、と。でも、それもまた、いかにも馬鹿が考えそうなことだから、 裏の裏をかいて、、、などと考えているうちに、馬鹿がいくら浅知恵を 働かせても、オリコーさんの思想には到達できないし、オリコーさんの シミュレートもできないのだと気づく。燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや、である。

この問題で愚図愚図悩むのは、詰るところ、「俺サマは馬鹿」という事実を 俺サマ自身がまだ引き受け切っていないからだが、この日誌で「俺サマは馬鹿」と 500万回書きたくったところで、なかなか引き受け切れるものではない。 何故かというと、俺サマが馬鹿なことを俺サマ自身で引き受けるということは、 数学者達の馬鹿に対する憎悪をちゃんと受け止めるか、鼻っから受け流すかする ことを意味するからである。

彼らの憎悪をまともに受け止めたらこちらが潰れてしまうし、かと言って、 鼻っから受け流していると、彼らの憎悪の火に油を注ぐことになり、色々厄介 である。そして「馬鹿を何より憎む数学者」というのが、ある程度までは事実 だと思うが、俺サマの妄想もかなり入っており、事実と妄想の境界は実の ところはっきりしていない。かような世界観の混乱が、この問題の解決を難しく している。

2011年9月23日(金)
<<別荘視察>>
8時半起床。支度をして10時に自宅を出て京都駅に向かう。 そこから近鉄特急に乗った。隣の席に60歳ぐらいのオッサン が居て、鼻糞をほじくり始めた。電車の中で鼻糞をほじくるのは 30代の男に限るというのがこれまでの通説的見解だが、 60歳ぐらいというのは珍しいサンプルだ。

だいたいこの手の男の特徴は、いつまでもいつまでも 無我の境地で一心不乱に鼻糞をほじくり続けることだ。 この男の60年にわたる人生の到達点は、まさに近鉄特急の車内で 鼻糞をほじくり続ける至福の時間だったのだ。うーむ、人生の到達 点が鼻糞とは、それはそれで凄いことだなと思ってじっと見ていた のだが、他の鼻糞男と同様、彼は全然気付かなかった。やっぱり 人生が掛かっているとなると、気合いの入り方が違うな。 八木駅乗り換えがあったので、ようやく手を止めたが、それまでずっと やっていた。この鼻糞60男は、すくなくとも中川駅までついてきた。 俺サマが「ついてくるな!」と胸のうちで叫んだことは言うまでもない。

というようなことをやっているうちに、13時頃に津に到着。 バスで市内中心部に向かい、某たこ焼き店へ。客の居ない店では店主が 暇そうに座って、スマートフォンを弄っていた。「××!商売、流行 っとるか!?」と店に入ると、「おう!ユキヒデやんか」と。これは 中学時代の同級生が最近始めた店。昼食用に一皿焼いてもらいながら、 あいつはどうした?お前は最近どうしてる?といった類の世間話。

俺サマは馬鹿だが、数学者達と違って中学の同級生はちゃんと相手 してくれるんだ。エライもんだな。

店を出て「別荘」へ。台風の後、あちこち壊れたりゴミが吹 きだまってたりしていないかと思ったが、大きな被害は無かった。 今日は風が少し強いが、秋晴れの快晴。空気も乾燥していて、 気持ちがいい。閉めてあった雨戸を全て解放して風を入れ、 1時間ぐらいかけて「別荘」の外や内側の掃除。

その後、自転車に乗って偵察飛行に飛び立つ。小さな山の上に 建っているひと気のない小さな神社、俺サマが6年生の時に新築された 小学校。あまり付き合いのない親戚の家、 いたずらやちょっかいが激しいので、 「やめろ!」と強く出るとすぐに泣き出して、その辺の 物を滅茶苦茶に壊しまくる「凶暴性のN」の実家の跡を始めとした、 小学校時代の同級生達の実家(跡)、 途中自転車を降りて、学生の頃にアルバイトをしたデパート 内部を徘徊、それからまた、小学校5年生の時に1年だけ 通った珠算学校、俺サマが預けられていた 保育園、俺サマが毎日遊んだ市立体育館と野球場前広場、 なんだか良く分からないおどろおどろしい家、その他いろいろ。

小学生時代もこんな風に自転車で偵察飛行を繰り返す毎日 だったが、オッサンになっても相変わらず同じことをやりたがるのは、 雀百まで踊りを忘れずってやつ。

夕食は俺サマ激押しナンバー・ワンの「鰻のI」に行ってみたが、 休み。それでは、ということでバスに乗って俺サマ激押しナンバー・ツー の「鰻のD」へ。一番高い鰻重を食べた。うーむ、確かに美味い。しかし 何というか、先日の博多の鰻が美味すぎて、ちょっと霞んでしまってるな って感じ。

それから近鉄特急で京都に戻り、帰宅は21時頃。

今日は電車の中で数学を少しと思ったが、鼻糞60男の衝撃で目を見開いて いた時を除いて、ほとんどの時間、眠い眠い病で気を失っていた。

可換環論シンポジウムの件は、俺サマが何となくそうしたいと思う ことの逆をやれば、「もし俺サマが馬鹿でなかった場合」をシミュレート できるような気もする。で、今日はキャンセルしたい気分なので、 やっぱり参加すべきか、と。

2011年9月22日(木)
<<まだバレてない>>
9時過ぎに起床。少しガロア・プロジェクト(研究編)の後、昼過ぎに大学に出勤。 Subwayのサンドイッチで昼食の後、研究室で講義資料のプリントアウトなど。

14時から17時頃まで卒研ゼミ。前期にやったことを簡単に復習してから、少し 戻ってハーッホーン第一章の3節「射 morphism」の最初から始める。ここは初学者 には分かりづらい部分で、学生達も「さっぱりわかりません!」みたいな事を言って いたが、概念の定義の後、逐一簡単な例を考えさせてみたら、想像以上に 効果があったようで、結構納得している様子だった。

しかし、この先出てくる全ての概念に逐一初等的な具体例を挙げるとなると、 なかなか大変で、俺サマにとっても大変良い勉強になりそうだ。ふっ、ふっ、ふ。 学生を出汁にして、俺サマ自身がちゃっかり勉強してやるのさ。

ゼミ終了後、ただちに帰宅。帰宅途中、ガロア・プロジェクト(研究編)で、 どうもよくわからなかった部分のカラクリが分かり始める。

帰宅後、夜は来週からの講義の準備を少し。ガロア理論を具体例中心で講義 して、理論はさらっと触れるにとどめ、「あとはレジュメを読んどけ」で終わる 魂胆。数理論理学はまったくペースが掴めないので、どうなることやら。群論は 何も準備してないけど、まあ、直前にちょいちょいと片付けよう。数理科学セミ ナーという3回生ゼミみたいな講座もあるが、40数名のクラスで数学のゼミを やるなんて、どだい無茶な話なわけで、どうしたものかと思案中。たぶん名案の ないままに、その日を迎えることになろう。

先日申し込んだ可換環論シンポジウムのプログラムが送られてきた。 何だか俺サマとは遠い世界の講演ばかりで、行くのやめようかなという気分。 10月3日までならキャンセルできそうだし、もうちょっと考えてみよう。

もし俺サマが馬鹿でなければ、遠い世界だから迷わずキャンセルするかしら。 それとも、遠い世界だけど迷わず参加するかしら。俺サマは馬鹿でなかったこと がないから、わかんないよう。ここで馬鹿な俺サマは、きっと馬鹿な選択をして、 雪ダルマ式にますます馬鹿になってゆくのさ。

そういえば、アメリカ数学会から、また論文レビューの依頼が届いた。 俺サマが馬鹿だということは、まだアメリカ数学会にはバレていないようだな。 トロント経由でアメリカに「高山は馬鹿」情報が流れないように、トロントの 会議では、ちゃんとダマを通してたし。

(よし。少しずつだけど「俺サマは馬鹿」の感覚が戻ってきた。でも、まだ キレもパンチも足りないな。)

2011年9月21日(水)
<<裁判を傍聴する>>
10時過に起床。昨日一昨日と睡眠不足気味だったせいか、今日は爆睡。 でもまだ眠い。睡眠不足が続くと、眠い眠い病になり、不足していた分 の睡眠を余分にとらないと治らない傾向がみられる。

今日は台風15号のため、京都には暴風雨警報が出ていた。こういう 時、学校は休みになるが、会社や役所はどうかというと、これが驚くべき ことに!当然の如く普通に営業している。

学生時代は暴風雨警報と強風注意報の区別も知らなかった。駆け出し 会社員時代も同じように考えていた。ある日台風が来て、午前中に 強風注意報が出たので当然会社は休みだと思って、注意報が解除された午後 から出勤したら、午前休扱いにされてしまった。まだフレックスタイムが 導入される以前の話で、貴重な有給半休を召し上げられたのは痛かった。

それよりも何よりも、皆が普通に出勤してたのには驚いた。え?何で皆、 朝から仕事してるの!?台風じゃん!強風注意報だか警報だか出てたじゃん!? と。そして俺サマはこの時、台風でも仕事をする不条理さが社会人というものだと、 身をもって学ぶべきだったのかも知れないが、何故か学びそびれた。

だから、昨夜、現在大学当局と係争中の案件で、「明日は台風が来てい て天候が心配だが、裁判の大事な山場なので、ぜひ参集して傍聴席を埋め 尽くそう!」との通達メールが来たときは、なんじゃ、これは?と思い、そんな 事よりも何時現在の警報で裁判が中止になるのかしらと、京都地裁のサイト を見て何も書いてない不親切を憤っていた。

当然、、、なんだろうけど、裁判所は平常営業だったし、とりあえず 「こんなもんかな」と無理矢理納得しかけていた。しかし、 公判の後の原告団の集まりで、代表者の人が、実は今朝裁判所から電話が 掛かってきて、大量の傍聴者が押しかけて傍聴席 に入りきれない事態を心配していたと聞いたときは、いよいよ驚いた。 台風なんだぜ!大量に、なんて押しかけるもんか。 こいつら台風なんて「へ」とも思ってないのかよ、と。

俺サマは、東海地方に壊滅的被害をもたらした伊勢湾台風の恐怖を、 親の世代から何度も聞かされて育ったから、台風が来たら、どんな小さいのでも 「そりゃあ、仕事どころの話じゃあないだろう」って、 とりあえず非常時モードで考えてしまうのよね。

本日昼前に自宅を出て、京都市役所前で昼食。それからバスで裁判所へ と思ったが、ちょうど台風で激しい風雨だったので、タクシーを使う。 13時半から17時過ぎまで裁判を傍聴。その後、裁判所隣の弁護士会館で 弁護士や関係者たちの説明などを聞いてから18時前に解散。その頃には 既に台風は去って、雨もあがり穏やかな天気だった。山科駅前で 夕食をとってからスーパーで買い物をして、帰宅。

夜はガロア・プロジェクト(研究編)をすこし。

2011年9月20日(火)
<<筋肉痛>>
今日も9時過ぎに起床。昨日の作業で普段使わない筋肉を使ったのか、 あちこち筋肉痛。特に、太ももの後ろ側が肉離れしたようで、階段の 上り下りが辛い。

午前中に少しガロア・プロジェクト(研究編)をやった ところで、ふと夕方に教授会があることを思い出す。ちょうど研究室 に持っていきたいものや、研究室で作業したいことがあったので、 山科駅前Sbuxで遅めの昼食を軽くとって、すこし数学を考えて から、いざ出勤。

15時半過ぎに大学に到着。事務で郵便物を受け取った り、予定した作業を片付けたりしてから、16時半から18時前まで 教授会。その後、すぐに帰宅。

夜はガロア・プロジェクト(研究編)。Facebookもちょっと いじったが、友人リストが12名に増えた。 内訳は、 小・中学時代の友人1名、 中学時代の友人3名、 中学・高校時代の友人2名、 高校時代の友人3名(うち1名は会社でも一緒だった)、 大学時代の友人1名、 会社員時代の友人2名。 この数字が何を意味するのか、今のところは不明であるが、 リストの面々を思う時、Facebookによって、まるで憑き物が取れた かのように、俺サマが普通のオッサン(の気分)になってしまう理由 が分かるような気もする。

何のことはない、彼らとつるんで居た頃の俺サマは、ちょっと変わって はいたけれど、要するにその辺のどうってこともない兄ちゃんだったわけだ。 となると、その「どうってこともない兄ちゃん」が、馬鹿が何よりも嫌いな 数学者たちの世界に迷い込んで、往生しているのが今の俺サマなんだろうという 明快な推察が働き、それが「俺サマはどうってこともないその辺のオッサン」 という身も蓋もない現実を思い起こさせるのである。

ま、何でもいいんだけど、そろそろ思いっきり「俺サマは馬鹿!」を連打 でぶちかましてみたいのだが、ネタが思い浮かばない。 焦らずに時期を待つか、新ネタを探すか、だな。

2011年9月19日(月)
<<本棚をとりかえる>>
今日も9時に起床。少しガロア・プロジェクト(研究編)をやったところで、 先日注文しておいた書棚が届く。以後、夜の10時頃までせっせと作業に 励み、それで風呂に入って疲れ果てて寝るだけという、あまりにも普通な 健全生活。

作業はまず、自宅書斎 の壊れかけた古い本棚から、本やその他わけのわからないものを取り出し、本棚 を解体。新しい本棚の梱包を解き、組み立て作業を行って設置し、また本を並べ る。碌でもないものを沢山溜めこんでいたので、ゴミが大袋数個分出てきた。

作業が早く終わったら、今夜はラクトスポーツプラザで楽しいZUMBAを踊 って来ようと思ってたのだが、ZUMBAをやったのと同じぐらいくたびれた。 しかし一日作業した甲斐があって、それまで本棚に収まらず、書斎内のあちこちの 床に平積みにされていた本が綺麗に本棚に並んだし、それまで本棚に前後2列に押 し込まれていて、後ろに何が入っているのか見えなかった問題が解消した。

俺サマは元々あまり本を読まない馬鹿人間だが、それでも20代や30代の頃は 人文社会科学関係や現代詩をちょくちょく読んでいて、その多くはもう古本屋に 売っぱらってしまったけれど、まだ一部が残っている。映画も、英会話の勉強 も兼ねてちょくちょく見に行ってたので、映画のパンフレットも数十部残って いる。絵の展覧会の綺麗な画集なども、やはりいくつか残っていた。

俺サマがほとんど本を読まなくなったのは、たぶん数学に転向してからだろうと 思う。他の数学者よりも20年遅れてスタートしたから、早く追いつかなくっ ちゃという焦りがあったし、40歳を過ぎてからドイツ語を始めたので、数学 とドイツ語にばかり時間を費やしてたって感じ。たまに新書版の手軽な本を読 んだりしてたが、どれもこれもどうってこともないような事しか書いてない ように思えたので、本よりも音楽のCDばかり買うようになった。 だから俺サマは馬鹿になったのか、それとも元々馬鹿だったのか。

2011年9月18日(日)
<<普通の人>>
今日も9時頃に起床。午前中は京都新聞日曜版の2つのパズルを解き、 ラクト山科での買い物と昼食を挟んで、ガロア・プロジェクト(研究編) を少し。まだよくわからないところがあるので、テキストを読みながら書いた メモを眺め直し、その整理作業をしながら、再度考えていく。

夕方はバレエを観に行った。どこかのバレエ学校の発表会らしい。 まあ、バレエもどんなものかちょっと覗いてみようという主旨なので、 入場無料というのは魅力である。ピアノ学校の発表会や音大合同発表会だと、 出演者の親戚知人の類なのか、誰かの出番の時だけやってきて、出番が終わると さっさと帰っていく人たちが入れ換わり立ち替わりって感じになりがちだが、 今日のもそういう感じが無きにしもあらず。

例えば男性バレリーナの、体操の技みたいな演技が決ると観客から拍手が出る あたりは、ちょっと違和感を感じてしまう。ジャズのコンサートだと即興演奏が 見事だと、おおっ、いいぞ!って感じで拍手が湧いたりするが、クラシック音楽 のコンサートは、演奏が終わるまで拍手はしないし。

バレエの開演時間の関係と、会場の近くにあまり飲食店が 無かったこともあって、早い時間帯に変な量の夕食を食べてしまい、 何となく腹が張っているような感じ。コンサートでも観劇でも、夕食対策は 頭が痛い。コンサート会場でサンドイッチと飲み物を売っていることがあるが、 大抵は馬鹿高く、その辺のパン屋かコンビニで何か買って会場に持っていくに しても、ちゃんと座って食べられるとも限らない。しかも時間的に それほど空腹でもないので、ちょっと腹の足しにする程度になる。結局、 中途半端な時間に中途半端な物を食べるか、何も食べずに我慢するかの選択 になる。

では終わってから夜の9時10時に何か食べるかというと、それも健康に 悪そうだ。パリではオペラを観終わった後に、軽い野菜スープなどを 食べることができる店があるそうだが、去年行ってみたバスチーユのオペラ座 の近辺はレストランが沢山あって、開演前に普通に夕食がとれたのは有難かったな。

それにしても、バレエというのも不思議なものだ。 一体、ああいういかにも人工的な踊りが、どこから生まれてきたのかしら。 フランスで発展し現在の形に纏まったそうだが、元になる何かがあって、 それを誰かが集大成して現代のバレエの原型を作り、これはいい!と人々 が集まってきて、ここはこうしよう、あそこはああしようとか色々やって いるうちに今のバレエが出来た、というような歴史を歩んできてるのかしら。 関西日仏学館の図書室に、それらしい本があったので、一度見てみよう。

ところで、俺サマがFacebookをいじる頻度も時間も、 日々単調減少してきている。まだ知らない機能や使い方があるのだろうけど、 ま、あれはあの程度のものだな、と。しかし、ああいうものをやっていると、 自分が普通の人になったような気になるから不思議である。

突然普通の人になると、日誌用の自分ネタが無くなってしまい、 ちと困る。今日はバレエネタで誤魔化したけど、明日からどうしようか と途方に暮れないでもない。しかしまたすぐに自虐がリバウンドして、 「俺サマは馬鹿」の俺サマ・ワールド復活の日がくると希望を持って 信じようではないか。 。

まあ、そうは言っても、返す返すも自虐の病が一時的にせよ治まって いるのは、気分が軽くなってよろしい。これは禁煙に成功した時と同じ感覚で、 あの時は「あれ?俺、今、ニコチン無しでも生きてる!」とか「空気がうまい!」 とか、ささやかな感動に胸がほこほこと温まり、ニコ中でない普通の人たちって、 こういう感覚で生きているのかとしみじみと思ったものである。 それで今、自虐でない数学者たちって、こういう感覚で日々数学者してるのか、 あいつら、いい気なもんだよなと、しみじみ思う。

2011年9月17日(土)
<<勇気を与える>>
今日も9時頃に起床。そろそろ卒研配属の時期が近づいてきたので、 研究室の案内文を作って、取り纏め役の先生にメールで送る。

それから後は、ガロア・プロジェクト(教育編)も昨日で一区切り ついたので、今日はガロア・プロジェクト(研究編)に専念することに。 午前中は自宅で、午後は上島珈琲とラクト山科ベンチなどでプロジェクトに 励み、以前からちゃんと理解しておきたいと思っていた基礎事項の勉強 がようやくひと山越えた。

昼食は丸亀製麺河原町三条店で遅めの讃岐うどん。上島珈琲の帰りに、 今日こそは勢いでドヴォルザークのヴァイオリンとピアノのCDを買っち まおうかと、喜び勇んでJEUGIA三条本店に乗り込むも、 試聴マシンが故障して試聴できず。JEUGIAさんって、こういうことが よくあるんだよね。普段でも試聴マシンの接触が悪いらしく、ヘッドホンの 音が片方しか聞こえなかったりするし。ということで、今日のところは すぐに退散。

ゼスト御池地下街の店舗の4分の1ぐらいが8月末か9月で閉店になり、 店舗の移動などが行われたのか、ある一角が「地下シャッター街」状態 になっていた。この秋から食品・飲食関連の店が立ち並ぶエリアとして リニューアル予定だそうだが、どうなることやら。

ラクト山科のベンチでは、久しぶりに「あーあ、何にもすることがないなあ」 オジサンが、手持無沙汰に外の景色を眺めていた。今日は台風の影響か、時折激 しい雨が降ったかと思うと、さっとやんで曇り空に変わるという変な天気。 夕食後、大き目の傘を持ってラクトスポーツプラザへ。しかし結局雨には降られず。

Facebookも、あれよあれよという間に「友達」が10名になった。中学時代の 旧友が5名、高校時代のが2名、大学時代のが1名、会社員時代のが2名という 内訳。今のところ友達リストが少しずつ増えていくこと自体が嬉しいわけだが、 では、友達リストを作ってそれからどうするのかについては、相変わらず特段の イメージもアイディアもない。このまま特に名案のないまま、嬉しさを維持する ために、常に友達リストを右肩上がりに増やし続けなければならないとしたら、 それはそれで俺サマの新しい病理となろう。

いずれにせよ10名の「友達リスト」は、俺サマに勇気を与えるには十分 な数だ。「俺サマは馬鹿だから、『誰にも』相手にされなのサ」は間違いで、 「俺サマは馬鹿だから、『数学者には』相手にされないのサ」が正しい。 そして、別に数学者みたいな面倒くさい連中に相手にされなくても、 俺サマは俺サマで粛々と数学研究に励んでればいいじゃん、と。 少なくとも、ここ2、3日はそういう風に思えるようになった。 これは一歩前進である。

2011年9月16日(金)
<<気合い不足>>
今日も9時頃に目覚め、午前中はガロア・プロジェクト(教育編)。ついに レジュメ完成!81ページ。それから最近調子がおかしいPCをすこし弄って 原因を探っているうちに昼を過ぎてしまい、支度をして自宅を発つ。

まずは新福菜館百万遍店にて遅めの昼食の後、京大生協の時計台下の店 でノートを買い、同じく時計台下のタリーズカフェ で食後のコーヒーを飲みながら、フランス語の基礎の復習を少し。 いまだにフランス語の数詞の4、5、14、15、40、50がちゃんと 覚えられないし、曜日の呼び方も曖昧だ。そういうレベルのことを、買 ったばかりのノートに書き込む。

一区切りついたところで、関西日仏学館図書室に移動し、さらに先週の博多出張 で休んだ分を取り戻す積りで、念入りに予習。俺サマのフランス語は、読んだり聞いたりする力は少しずつ向上してるようだが、書く方は未だにかなり怪しいし、話す方は一 向に上達せずに一進一退といったところ。数年後に在外研究の機会があれば、今度は フランスを狙おうなどと大言壮語してるが、今のところフランスの数学者との接点 はゼロで、今後フランスとの関係が出てくる兆しもない。ただ、フランス語の数学論 文を読む必要はあるので、それが少しでも楽に読めるようになれば、それでいいやと いう気でいるので、どうも気合いが入らない。だから、今頃は中級クラスの終わりの方にいてもいい頃だが、相変わらず初級クラスでチンタラやっている。それでも今日は、今のクラスの継続で、秋クラスの申し込みをした。

18時頃に京大ルネで早目の夕食。フランス語の先生が現れて、食事中に いきなりフランス語会話レッスンモードになるのを防ぐため、食堂の端っこの 方で壁を背にして座り、先生が現れたり近づいてきたりしたら、いち早く 察知して「死んだフリ」ができる態勢で食事をした。

その後、書籍部をすこし冷やかしてから、19時から21時まで授業を受ける。帰りは雨が降っていたし、歩行飲酒もせずに、バスに乗って そくさくと帰宅。

さて、今日もすこしFacebookを弄ったけれど、早くも飽きてきたな。 「友達」がどんどん増えれば面白いかもしれないが、そろそろ飽和状態 みたいだし。この1,2日、自虐を忘れて興じたけれど、再びまた 自虐の世界に戻るのかしら。