の
た
め
の
邪
魔
な
広
告
よ け ス ペ ー ス で す。
2012年4月15日(日)
<<桜の思い出>>
午前中は京都新聞の2つのパズル。昼頃に山科駅前に買い物に出て、帰宅後に昼食。
少しだけ数学をやって、午後は毘沙門堂や琵琶湖疏水のあたりに桜を見に行く。
例によってフェースブックにて写真をUP.
そういえば、俺サマの学生時代の指導教官の通夜は何年前だっけ?と確認 してみたら、3年前の今頃のことだった。代数幾何学の偉い先生で、 生きている間じゅう俺サマのこと を心底馬鹿にし続けていたという意味では、まさに数学者の典型みたいな人 だったが、ちょうど俺サマが代数幾何学に転向する頃に亡くなった。 生きていたら何を言われてたか知れたものではない。
それから、俺サマの音楽の好みが、その日を境にぱたっと変わってしまい、 ある種の曲を一切聴かなくなったのも、ちょうど今頃。それは 元指導教官が亡くなった翌年だから、2年前のこと。昨日のコンサートで、 その事件の当事者とばったり再会してしまった。
昨年の今頃は、勿論3.11の大地震と原発事故で日本じゅうが騒然 としていた。「それを境に、ものの考え方や価値観ががらりと変わった」と いう人が多いが、俺サマは3.11の時に日本を離れてドイツに居たせいか、 あるいは元々世界との連帯感が希薄、または、想像力が乏しいせいか(たぶん その全部が理由)、 「深刻な事態ではあるが、まあ、そういうこともあるだろうな」ぐらいに 受け止めていて、特に大きな衝撃は受けなかった。
俺サマにとっては、大晦日や正月よりも、桜の季節の方が一年の節目という 感じがするのか、桜を眺めながら色々な思い出に耽ることが多い。しかし、そん なに昔のことまで思い出すわけでもなく、せいぜい8年ぐらい前までのこと なので、それ以前は桜にはあまり興味が無かったのだろうと思う。
夕方は街に出て、寺町通の上島珈琲にて、先日督促メールが届いたアメリカ 数学会の論文レビューの論文読み。それからAngers河原町三条本店を偵察して から帰宅。夕食後はレビュー原稿を書きあげ、メールで送って一件落着。
2012年4月14日(土)
<<不意を突かれる>>
今学期、土曜日が一番早起きしなければならない。10時から12時半(すぎ)まで、
関西日仏学館のフランス語中級講座の春学期第1日目。先生は俺サマと似たりよったり
の年格好のオジサンで、授業の進め方も俺サマに合ってる感じ。生徒は俺サマを含め
て8名だが、俺サマ以外は学生みたいな人から年金生活者まで色々な年齢層の
女性ばかり。まあ、こういう人員構成は、俺サマとしては落ちつけるし、悪くない。
授業のレベルも、ちょっと前に戻って復習してるなという感じで、これもまた
悪くない。
昼食は久しぶりに新福菜館百万遍店へ。ここの主人の作る炒飯は絶品だ。 昼食後、京大ルネの書籍部をちょっとだけ冷やかして、関西日仏学館の 図書室に戻り、午前中の授業をざっと復習する。
14時から16時過ぎまで、京大近くの某所で開かれたヴァイオリンと ピアノのコンサートに出掛ける。いきなりベートーヴェンのどしっとした2曲で ガンガン攻めてきて、後半は綺麗な小品を集めて流すという趣向のプログラム。
ピアニストが、物凄い顔で喜、怒、哀、楽、驚き、放心とありとあらゆる表情 を浮かべて演奏しているので、最初は、なるほどベートーヴェンはこんな顔して弾 かないといけないのかと感心して見てた。しかし、どの曲でもほとんど同じような 調子なので、この人はいつもこんな風に曲の感情を顔で表して演奏するんだなと分 かった。
それと対照的に、ヴァイオリンの人は全てを理性的に統制しているような冷徹な 表情でベートーヴェンを弾いていたが、「悲しみの中に希望が見える曲想が好き」 だという後半の小品の1つだけは、感情的な表情で演奏していたのが印象的 だった。
演奏も素晴らしかったけれど、演奏者の表情を見ているだけでも十分興味深い コンサートだった。
コンサートの後、再び関西日仏学館の図書室で復習の続きなどをやってから、 16時40分より18時10分過ぎまで、ドイツ語寺子屋にてドイツ語講座第一回。 今学期は人形劇の「魔笛」を題材にするそうで、最初の方のDVDをちょっと見せて もらったり、文法のプリントをやったりした。困ったことに、魔笛は音楽の方ばかり に気をとられてしまい、肝心のドイツ語の台詞を聞き逃しがちになりそう。
いやあ、今日は忙しかったなあと思いながら、徒歩にて京都市役所前駅に 向かう途中、「先生!」という声。見ると、今年の卒研ゼミの学生のひとりが その辺の店で買い物をして帰るところだった。「おや、○○君!これまた 珍しいところで会いましたね」と、しばし立ち話をしてから別れたが、 「ところで何で君は南草津じゃなくて、京都に居るの?」という馬鹿質問を しそびれたのは幸いだった。後で考えたら、この学生は京都の子だった。
俺サマは、学生はいつも南草津近辺にいるもので、京都に居れば学生に会う 心配はないと勝手に思い込んで、油断全開状態で偵察飛行をしている。 しかし時折、こんなふうに不意を突かれるというわけだ。いや、初めてだけど。
帰りは大丸ラクト山科店で安い赤ワインを買って帰る。 奇跡の2009年ヴィンテージ説を信じて、1000円台前半のフランスワイン を色々買ってみるのだが、どれも美味しく、どれを飲んでも、あれは駄目、 これもいまひとつという感じだった(2009年以外の?) 2〜3000円台のワインよりも、お買い得感がある。
2012年4月13日(金)
<<卒研ゼミ1回目>>
午前中は明日から始まるフランス語春学期講座の予習。
内容は初級レベルの復習中心のようなので、あまり無理
せずに受講できそうだ。
昼頃に自宅を出て、昨日の関西日仏で予想外の出費だったので、 数学会費とドイツ語寺子屋の授業料として、追加のお金を銀行で下ろす。 それから少し遠回りをして琵琶湖疏水の 桜を見ながら山科駅へ。例によってフェースブックに 写真をUPした。
昼食は久しぶりに山科駅前のSbuxで。ここはいつも 満員で席が空いてないので、最近はとんと近寄らなくなっ ていたが、かろうじて1つ空いていた。いつも は受験勉強などをしている高校生、大学生、サラリーマン などで占拠されているが、今日は山科疏水や毘沙門天で花見 をしてきた帰りと思われる老人たちで一杯だった。
それから出勤し、14時40分から17時50分頃 まで卒研ゼミ第一回。前半は代数学グループ。今日は ガロア理論担当の学生が可換環の定義と例を発表した。 最初、群の定義から始めると言いだすので、 4回生のゼミで2回生で習う群の定義まで戻ること はないだろうと思ったが、結局やらせてみて良かった。 というのは、微妙な間違いをしてくれるので、なるほど 学生はそういうところで誤解するのかとよく分かった。 今後講義をする際の参考にさせてもらおう。
後半は代数幾何学グループ。二次方程式の解の公式 を導きさせたり、二次曲線の計算をさせたりと、 「高校数学の復習じゃん!」と少しナメていたのだが、 最後の方で俺サマの馬鹿治療のストライクゾーンを ぶち抜くナイスな具体例が出てきた。ゼミの方は、 ちょっと怪しい事も口走ってしまったものの何とか収めたが、 いやあ、盲点を突かれましたね。この件に関しては、 今週末にでもちょっと調べてみよう、と。
「いやあ、卒研ゼミの相手するのは、結構楽しいものだな」 などと思いながら、ゼミの後、すぐに帰宅して夕食。 夜は明日のドイツ語の予習を片付ける。
2012年4月12日(木)
<<くじけてはいけない>>
午前中は銀行でお金を下ろして、関西日仏学館で春学期の講座申し込み。
大学の講義や会議の関係で、以前よりも30分長い土曜の朝の講座しか
選択の余地がなく、その分授業料は高いし、初級から中級になって教科書
も新しく買うことになったし、おまけにクラブフランスとかいう1年更新
の会員にならないと講座が受けられないらしく、その更新料も結構な
金額を取られ、思わず「えらく高いな」と肝を潰してしまった。これは
もう、必死でフランス語勉強するしかないな。
ところでフランス語勉強して、どうする積りかというと、以前にも 何度か書いたけど、次にまたサバティカルが取れたらフランスの研究機関に 行ってやろうという野望を抱いているのである。狙うはパリのIHESかJussieuか Poincare研究所か。数学の研究所だから、念入りに馬鹿除けバリア が仕掛けられているはずで、それをいかに突破するかが頭痛の種。 まあ、地道に馬鹿治療に励むしかないんだけど。
講座を申し込んでから、天気も良かったので、東山三条まで歩き、 途中岡崎疏水の桜を見て回った。写真も何枚か取ってフェースブックに UPしたが、例によって、面倒臭いので、ここにはUPしない。
それから大学に出勤して、生協で昼食の後、しばし雑用メールを書いて 出し、来週の講義の準備をすこし。14時40分より16時10分まで、 2回生「代数学序論I」。 今日はガイダンスを少しやってから、代数方程式が「代数的に解ける」という こと、5次以上の代数方程式は必ずしも代数的には解けないという事実の紹介、 代数学の基本定理、そしてX^3-1=0の解を複素平面に表すことをやって見せ、 ついでに三角関数のサイン、コサインと複素平面を簡単に復習。 最後の復習で学生達が少しざわついていたけど、まさか「サインて何や?」 とか「あの2π/3って何のことだ?」とか言い合ってるんじゃないことを祈る。 次回はこの例を使って方程式と群の関係を例示すると予告して終了。
途中、学生の一部がざわつき始めたかと思うと、「先生、そこの5見たいな 数字は何ですか?」と質問してきた。こういう質問にくじけてはいけない。 「ζのこと?これはギリシャ文字でゼータと言います」とにこやかに答える。 次回はギリシャ文字を紹介することにしようかしら。
そういえば昨日の「離散数学」の講義の後にも、学生が目をクリクリ させながら「先生、これは何ですか?」と聞いてきた。そ、それは講義の一番最初に 丁寧に説明した記号で、それを今質問するということは、今日俺サマが 喋ったことは何ひとつ理解していないということだ。思いっきり力が抜け そうになったが、そこでくじけていては大学教師は務まらないし、 図らずしも(例えば俺サマのような!)馬鹿と遭遇してしまった時の 数学者みたいに「これは○○でしょ!? 一番最初に説明したじゃないですか!」といちいちヒステリーを起して いたのでは、無駄に寿命が縮む。やはり、にこやかに「これ?これは○○ のことだよ」と普通に答えておいた。
講義の後、研究室に戻ってしばし来週の講義の準備の後、帰宅。 夕食後、夜はラクトスポーツクラブ。今日は骨盤矯正ヨガの後、有酸素運動を 40分ほど。
2012年4月11日(水)
<<どうにもならない>>
昼前に出勤。生協コンビニで弁当を買い、研究室でしばし
雑用の後、昼食。13時より俺サマのお宝授業。TAの院生S君も、
やる気満々状態で現れた。と、当の受講生が誰も来ない。半時間ほど待って、
自然休講。あとで事務に確認したら、確かに1名の受講生は居るのだが、
4回生なので就職活動などで休んだのだろうということ。
今後のこともあるので、その学生に休み際はメールで連絡してくれるよう
手配してもらった。
それでまた研究室に戻って、しばし数学の後、14時40分から16時 10分まで、2回生「離散数学」の講義。最初にすこしガイダンスをやって、 その後は2次の実正方行列全体の集合の加法、乗法の構造を詳しくみてゆき、 最後に群の公理を与えたところで時間切れ。次回は実際、2次正方行列の集合 が、どんな群になっているかを見てゆき、2次の一般線形群の話や特殊線形群の 話に入っていく予定。ということで、何となく、しばらく古典群がらみの話に なってしまいそう。
講義から戻って、16時30分から学科会議。盛り沢山の議題で、 なんだかんだと19時40分過ぎまでの長丁場。空耳かもしれないが、 学科長が「これからも月1回程度ガンガン学科会議やります!」って言ってた ような。月1回だと?ふっ、笑わせやがるぜ。俺サマが学科長になったら、 毎週会議をぶちかましてやるぜ。まあ、その時のために、皆さんせいぜい 今のうちに体を馴らしておくんだな。ふっ、ふっ、ふ、と。
最後の20分ぐらいは、数理科学科が抱える例の悩ましい問題について 話合われた。若い先生が口火を切り、 「この問題は、もうどうにもならないんですか!?」と怒りをぶちまけていた。
ここでは詳しくは書けないが、今日の議論のやりとりを聞いていても、 やはり根本的な病理が改善される見込みが無いという救い難い状態なので、 残念ながら「どうにもならない」というのが俺サマの見立て。そのことを 前提にして、どうしていくか?ということが大事なんだろうな。
その若い先生は、「自分が切りだすまで、この問題が今も進行中で あることを誰も言い出さなかったのは何故ですか?」とも言っていた。 答えは2つ。1つ目は、一般に数学者というのは自分の周り起こっている 問題には鈍感で無関心だから、気付いてなかったのだ、と。2つ目は、 俺サマは数学者じゃないから気づいていたが、それを今指摘した ところでどうにもならないことを知っている。だから、もうちょっと問題が 大事になって、ドラスティックな解決策が講じられる段階になるまで、 わざと放置しておこうと思って黙ってたのさ。
しかし、その先生が議論の口火を切ってくれたお陰で、 「我々は好む好まざるにかかわらず、今後もこの問題と付き合って いかねばならない」という認識が、学科の中で以前と比べ てより広く共有されたことが、今日の議論の収穫かな、と。いや、何か収穫 らしきものをでっち上げないと、この無力感はいたたまれないし。
2012年4月10日(火)
<<お宝授業>>
午前中は自宅にて数学。どうもEmacsの日本語入力の調子がおかしく、途中
で漢字がうまく認識できなくなってしまい、Texメモを何度も作りなおしたり、
パソコンをリブートしたり、仮名漢字変換を別のものに切り替えてみたり。
ようやくうまく動き始めたところで、作業中断。山科駅前のイタリアレストラン
で昼食を取ってから、出勤。
研究室で雑用をしていたら、事務から電話。明日から始まる文系学部 4回生以上対象のプログラミングの授業が、受講生が集まらず閉講になりそう だったのだが、再募集をかけたら1名受講者が現れたとのこと。それで、 その授業の準備も少し。
語学学校の講座なら、受講生が3〜4名以下なら採算が取れないということで 閉講になるが、大学は講座毎の採算では考えないので、1名の学生に先生1名と TAが1名という、超お買い得の贅沢な授業が受けられたりするのである。 さあて、俺サマのお宝授業が受けられるラッキーな学生は、誰かな? 明日が楽しみだわい。
16時半より教授会。形式的な議事を聞き流しながら、明後日の代数の講義 の準備を完了。今年もまた、「ええ加減な授業」をやる積りである。 「ええ加減」というのは、定義、定理、証明の繰り返しで論理的に完璧な理論を 積み上げていくという、伝統的な数学科の講義スタイルを踏襲しないという意味。 俺サマとしては、オモチャのような手頃な具体例をいじり回して遊べるので、 結構楽しめてしまう。
会議は18時15分頃に終了。うーん。やはり、この調子では19時 からの関西日仏学館の講座には間に合わないな。やはり土曜の午前の 講座しか有り得ないな。
研究室に戻って、少し数学を考えたりしてから、生協で夕食をとり、 そのまま帰宅。夜はまた少し数学。
2012年4月9日(月)
<<哲学の道>>
午前中は自宅で野暮用。昼前に自宅を出て、哲学の道を北上。ようやく開花した
桜を見て回る。平日なのに沢山の人が来ているが、よく見ると2,3人から数名
程度のおばさんのグループがほとんど。おっさんも居ることは居たが、大抵は
おばさんに連れ回されて来ている。つまり熟年夫婦ってやつ。
従って、「沢山の人」というのは「沢山のおばさん」と言い変えても誤りではない
ほど、沢山のおばさんが居た。おっさん、おばさん
以外は、西洋人や中国人の観光客がちょくちょく居て、稀にデート中の若い男女
を見掛けた。桜はまだ満開にはなっておらず、
あと数日後ぐらいが見ごろか。写真を撮ってフェースブックには載せたけれど、
面倒なのでここには載せない。
哲学の道を抜けて、今出川通りを西に進み、昼過ぎに京大に到着。 北部生協で昼食の後、京大数理研図書室に籠って数学。勿論、その前後には 数理研猫を表敬訪問したが、最初は事務椅子の上で昼寝、そして帰りは 雨が降り出して小寒くなってきたせいか、ソファーの上で毛布にくるまって 昼寝。
帰宅して夕食の後、夜はラクトスポーツプラザ。今日は楽しいZUMBA と筋トレ。帰宅後は、学科の学校管理の問題でメール会議。どうも話が分かり にくくて、結局一晩じゅうメールのやりとりをすることに。元々俺サマとして はどうでもいいやと思っていた問題なので、メールは流し読みで放置しても 良かったのだが、どうでもいいようなことでついイチャモンをつけたのが 運の尽きで、変に深みにはまってしまった。
俺サマは以前学科長をしたときは断然メール会議推進派だったのだが、 今はリアル会議派で、会って半時間も議論すれば結論が出そうなことを メールでやりとりすると、かえって面倒なことになって長引くだけだとも 思っている。「次に学科長になったら、会議をバンバン開くからな!」と 学科内で公言しているので、「あいつに学科長やらせると面倒なことになる」 と思われたのか、本当は今年あたりに回ってくるのが、少なくとも1年延期 された。やはり思う事は言うてみるものである。
2012年4月8日(日)
<<但し馬鹿は除く>>
午前中は自宅で京都新聞日曜版の2つのパズルのあと、少し数学。
昼過ぎに街に出たら大変な賑わいで、地下鉄もほぼ満員状態。
どうやら市役所前広場で何やらイベントがあったようだ。
最近この手のイベントがあるとよく見掛ける、白虎隊
のような格好をした老若男女のグループが、入れ換わり立ち替わり
踊りを披露したりしていた。
俺サマはとりあえず、丸亀製麺河原町三条店で昼食をと思ったが、 俺サマの大好物である野菜かき揚げ天麩羅がなかなか出来そうにな かったので、注文直前に店を出る。それで、寺町通りの上島珈琲に入り、 珍しくここで珈琲の他にサンドイッチのようなものを買って昼食、 そしてそのまま数学。
夕方頃、イベント帰りの人々が一休みしようと、次々に上島珈琲に 押し寄せてきた。「白虎隊」のグループなども入ってきて、大賑わいに なってきたので、適宜退散。帰宅後、夕食を挟んで、また少し数学。
考えてみれば、俺サマは勉強しなければならない数学理論が山ほどある。 何でそんなに勉強しなければならないかというと、専門分野をコロコロ変え ているからである。しかも、常により多くの予備知識を必要とする 巨大分野に転するので、大変である。
その分野の基本文献のようなものは、きっちり目を通しておかないと、 足元をすくわれかねなのだが、それでは時間がかかり過ぎるとちょちょっと 目を通してわかったフリして、とりあえず研究に取り掛かる。かように 自転車操業をしながら、少しずつ基本文献も押さえていくのだが、 なかなか「これでよし」という状態にならない。 代数幾何学に転向してかれこれ5年ぐらいになるのに、まるで底無し沼である。
昨夜も某数学者の講義録に書かれていたひと言がふと気になって、 基本文献とされている分厚い論文(勿論真面目には読んでない!)を 引っ張り出して見直してみたら、ちょっとヒヤリとするようなことが書 かれていた。俺サマが投稿した論文の隅っこの所で、その道のプロの失笑 を買いかねないミスをやらかしたか?と少し焦ったが、何とか大丈夫の ようだと分かった。
普通、そういうことは耳学問で補うものだと思う。誰かよく知ってそうな 人を捕まえて、これこれの理論でこういうことはどこまで知られているのか? みたいな事をと聞けば、大抵は知ってる範囲で機嫌よく教えて くれるはずだ。しかし、TBN(但し、馬鹿は、除く)である。 まあ、これは単に「TIK(但し、イケメンに限る)」のもじりだけど、 数学者って、俺サマのような馬鹿には、意地悪して教えてくれないんじゃない かな、という強迫概念に囚われているのは何故かしらって、、、、やっぱり、 あの黙殺大魔王事件だな。
だから、時々ヒヤリとして自転車操業しながら、「馬鹿治療」と称して 少しずつ勉強を進めて、自分で足場を固めるしかないのよね。
2012年4月7日(土)
<<厄介払い>>
昼過ぎに山科区内をうろついて、少し買い物して、そのついでにその辺で昼食
をとった以外は、自宅で馬鹿論文の見直し作業と逃避行動。夕方、ひととおり
作業が終わり、夕食の時は安いワインで少し呑んだくれる。
夜は、出来あがった論文をプレプリントサーバーと某雑誌に投稿して、 とりあえずひと区切り。ここ数年来疑問に思っていたことが、少しだけ明らかに なったので、自分としてはちょっと満足している。しかし客観的に見れば 実にささやかな発見で、文字通りの馬鹿論文なので、一体どこの雑誌が受理して くれるか分からない。今日投稿したのは、昔から俺サマの論文を「馬鹿!」の 一言で却下し続けているエラそうな雑誌なので、いずれ次の投稿先も考えなければ なるまい。
しかし、とりあえずこの件は厄介払いできたということで、また新しいことを 考えることにしよう。ということで、前から気になっていた某数学者の新しい プレプリントを、ちょっとだけ眺めて、あとは、フランス語を勉強したり して気楽にすごす。
2012年4月6日(金)
<<奇跡の金曜日>>
昼前に出勤し、しばし雑用。事務書類にハンコを押し、郵送されてきた
書籍を遠い事務所に持って行って検収手続きの後、科研費からの出金手続きをし、
院生が持ってきた書類に署名捺印し、院ゼミの日程についての予備的打ち合わせ
の後、事務室で卒研などのゼミ室の空き状況を確認。それやこれやの合間に、
生協で昼食を済ませ、来週から始まる講義の準備も1科目分片付ける。
16時半から1時間ほど、新卒研生を集めて第一回目のミーティング。 今日の最大のテーマは、ゼミの日程の決定。今年は何せ15名と人数が多いので、 希望する分野別に2つのグループに分けたとはいうものの、ゼミの日時が決まるか どうか、運良く日時が決まっても、その時間帯にゼミ室が空いているかどうか、 心配の種は尽きない状態だった。各自の都合の悪い時間帯を除くと、あとは土曜 とか日曜とか夜中とか早朝しかなくなるという事態は、十分予想される。
しかしながら、学生達が講義を取っている時間帯を除くと、 奇跡的に金曜日の午後の遅い時間帯だけが、スカッと空白地帯になって いて、もうそこ以外は選択の余地が無い状態で、僅かに残っていた ゼミ室の空き時間とも重なっていた。
それに、関西日仏学館の金曜夜の講座も、ちょうどこの4月からリストラ されたので、俺サマの個人的都合から考えても、金曜午後の遅い時間帯は支障に ならない。これはもう奇跡でないとすれば、神のお告げとしか言いようがない。 俺サマは馬鹿な上に、そんなに日頃の心掛けが良いわけでもないのに、 こんなに物事が上手く行ってよいものか?って、まあ、いいんでしょう。
あとは院生とのゼミ日程の調整が残っているが、これは1人相手だから、 何とかなるだろう。
それにしても15名(のうち1名は就活で欠席)のゼミ生が一堂に会 する姿を見たのは、大学教師になってからの20年の間で、たぶん3回目で ある。(旧)情報学科時代は、毎年15名ぐらいの学生が卒研に配属されて たが、全員が「全く希望しない研究室に配属された」と不貞腐れ、召集を掛 けても全然集まらなかった。(旧)情報学科最後の2年間だけは、 ちょっとした作戦が功を奏して、希望して配属されてきた学生だけになり、 研究室の雰囲気ががらりと変わって、今日のミーティングのように、ほぼ全員 が集まった。生身の人間相手の商売というのは、難しいものだ。
2012年4月5日(木)
<<お喋りな人>>
午前中から昼過ぎまで馬鹿論文の仕上げ作業。もう数日寝かせておいて、
もう一度チェックする予定。と言えば聞えはいいが、馬鹿論文をこれ以上ひ
ねくりまわしてても良くはならないし、そうこうしているうちに致命的ミス
でも発覚したら心臓に悪いから、しばし封印してしまおうというのが正確な
ところ。
午後は街に出て、寺町通りの上島珈琲に籠って、エタールコホモロジー の勉強。エタールコホモロジーとクリスタリンコホモロジーは1年 ぐらい前から勉強しようと思ってたけれど、結局ぶ厚い教科書や資料を 眺めただけで止まっている。最初期待したような事にはあまり使えない ような気がしてきたので、ちょっとモチベーションが下がったから だけど。今回もどこまで進むかは不明。
近くの席では40代後半ぐらいの小学校の先生と思われる二人の 女が、職場の愚痴や自分の子供の話など、少なくとも3時間は喋りっぱな しだった。いつも思うのだが、オッサンでこういう芸当ができる人は稀で ある。まあ、「女は良く喋る」というのは、子供の頃から経験則として 知ってはいたが。
しかし、別の席では、若い男のフランス人講師にフランス語の個人授業 を受けている50代ぐらいの女がいた。やりとりを聞いていると、まだ初級 レベルらしいが、折角の個人授業なのに、絶句している時間が多かった。 おしゃべりな人なら、下手ながらも何か喋ろうとするものだけど、この人は そうではないのだろう。
ああ、そういえば、中学時代の同級生の女の子(だったのは昔のことだけど) に、「自分は人と喋るのが苦手なので、話下手でもやっていける職業ということで 医者になった」と言ってたのが居る。医者も患者とのコミュニケーションが大事 だろうと思うけど、まあ、ああ言えばこう言う式にぺらぺら喋るのが苦手という だけのことで、患者とのコミュニケーションには問題無いようである。
それから、西洋人の比較的若めの男と一緒の日本人の若い女も、ちょっとだけ 来てて、すぐに店を出ていった。これも昔からよくあることだが、西洋人の男 と日本人の女の組合せは特段珍しくもないが、日本人の男と西洋人の女の組合 せは珍しい。その理由についても昔から色々なことが言われているが、 要するに日本の男は口下手だということが大きいらしい。
以前この話をしたら、自分はヨーロッパにしばらく滞在してた時に、一度も 現地の男から声を掛けられなかったわよ!とむくれていた日本人の女が居た。 「でも、貴女はいつもご主人(日本人)とべったりくっついてるじゃないですか。 流石にそれじゃあ、イタリアの男でも声を掛けませんよ(たぶん)」と。
それで、俺サマはお喋りなのかというと、昔はそうだと思っていた。 しかし最近は分からなくなってきた。「元々お喋りだけど、多少気難しいところが あるので、ちょいとばかし相手を選ぶのさ」というのが長い間の公式見解だったが、 じゃあ、誰とだったらよく喋るようになるんだ?というと、はて、誰なんだろうな? と。とりあえず、日々この日誌を書いて日本語を忘れないようにし、語学学校で会話 練習をして、生身の人間との会話の感触を忘れないようにしているけど。
夕方に上島珈琲を出て、久しぶりに明治屋やロフトを偵察し、その辺で 軽く夕食を済ませて帰宅。夜はラクトスポーツプラザ。今日は骨盤矯正ヨガ と有酸素運動。
2012年4月4日(水)
<<田園>>
久々に「あのシリーズ」の瞬間的復活である。いいですねえ、このジャケット。
俺サマは何故か秋から冬にかけてヨーロッパに滞在することが多かったので、
こういう陰鬱な空を見ると、「あーっ、ヨーロッパやねえ!」としみじみとして
しまう。画面の真ん中を白の絵具でぐじゅぐじゅっと塗ってあるのも、
面白いアイディアだ。
これはベートーヴェンの交響曲第6番「田園」と第2番を、 リストがピアノ用に編曲したものを、ユーリ・マルティノフという 新進気鋭のピアニストが19世紀のエラール社製ピアノで弾くというCD。 インターネットも録音技術も無かった19世紀では、こんな風にオーケストラ曲 を室内楽曲に編曲して好きな時に楽しんでいたそうである。
JEUGIAさんでちょっと試聴してみて、「これは、いい!」と即購入した。 後でアマゾンで検索したら、半額近い値段で売ってたので、「早まったかな」とも 思ったが、今日買って今日聴きたかったんだから、まあ、いいか、と。
とは言うものの、俺サマはベートーヴェンの交響曲の2番とか6番「田園」 とか言われても、オーケストラの曲はあまり聴かないから、「田園」の サビの部分ぐらいしか知らないな。原曲を知らないから、 リストの編曲がどんなによく出来ているのか、わからん。 まあ、グロタンディックの理論をセールが作り変えたような ものなんだろうから、きっと素晴らしいんだろう、と。この程度の理解。
それにしても、これぞと思うCDは、即断即決 で買う気になれるわけで、何日も通って「どうしようかあー」と迷うような CDは、買わないのが正解なんだろう。だから俺サマは別にケチってわけでも ないんだな、と。
本日午前中は科研費関連の事務作業。どこそこにログインして、画面の指示に 従ってデーターを入力したり、作文したり、何だかんだやっているうちに、 昼が過ぎてしまった。それから自宅を出て、百万遍界隈へ。まずは京大ルネで 遅めの昼食。それから京大数理研図書室に籠り、執筆中の馬鹿論文の問題点など を検討。今日は俺サマ以外にオジサンが一人来ていて、唸ったり溜息をついたり と、無意識のうちに己の存在をアピールしていた。
数理研猫は、俺サマが数理研に来た時は、ソファーの上で春の風を 感じてぼーっとしていた。そして俺サマが帰る時に寄ったら、珍しく 隣の植物園に散歩に出掛ける直前で、目をさましてにゃんと鳴き、 うんと伸びをしてから、植物園の方に歩いて行った。
この猫は寝てばかりいるから、病気じゃないかと思ってたが、先日書店で 猫の本を立ち読みしたら、それが正常な猫の姿なのだと分かった。寝て、餌を 食べて、ちょっと遊んで、また寝る。昼間は寝てて当たり前、と。
京大の帰りは、JEUGIA三条本店に立ち寄って、上記CDを購入。 即断即決で10分ぐらいで店を出てきた。それから久しぶりに Angers河原町三条本店もちょっと偵察してから、帰宅。夜も、馬鹿論文の論点 を悶々と考える。
2012年4月3日(火)
<<春の嵐>>
台風並みの低気圧が発生しているそうである。NHKのニュースを見てたら、
アナウンサーの「何故このような珍しい現象が起こったのですか?」との問い
に対し気象庁は、強い寒気と強い暖気が日本海でぶつかったためだと説明していた。
しかしこれは「強い低気圧が発生した」という現象を別の言葉で言い換えているのと
ほとんど同じで、「なぜそのそのような現象が起こったのか?」という問いには
ちゃんと答えていない。
気象庁の説明はいつもこんな調子で、俺サマとしては釈然としない。 気象現象は複雑系だから、「なぜそのような現象が起こったのか」は、 おそらく専門家たちもよく分かっていないのだと思う。しかし、それなら そうとちゃんと言ってくれれば良いのだが、上のような説明だけで誤魔化 されると、何だかこちらが小馬鹿にされているようで、ムカムカしてくる。
ただ最近は、異常に暑い夏の「原因」を問われて、「暖気が日本上空に停滞 したため」という「単なる言い変え」で誤魔化すだけでなく、やれエルニーニョ 現象が関係していると考えられるとか、残念ながらエルニーニョの原因はよく分 かってないとか、ちゃんとした科学的説明もするようになってきたので、 これは良い傾向だと思っている。
今日も昼過ぎに山科駅近辺に散歩に出た以外は、自宅で馬鹿論文執筆作業、 および逃避行動に励む。俺サマは自分が馬鹿だと思っているから、どこか とんでもない所でヘマをやらかしていないか、気になってしょうがない。 どこかで研究発表してたら、俺サマの話を聞いていた数学者が、 「そんなの、明らかに間違ってるじゃないか!」と言いだしてヘマが発覚。 しまった!何で今まで気付かなかったんだろう?!と思って凍りついている 俺サマを、そいつが馬鹿にし切った目で 睨んでくる、、、と、その時、俺サマの中で何かがぷちっと音を立てて切れ、 「うるさいんだよう!馬鹿だからどうだってんだよう!」とわめきながら、 ゴキブリのような姿のそいつを全力で何度も何度も踏み潰す。 この野郎!この野郎!この野郎!この野郎! 。。。みたいな妄想に駆られたりして。いやあ、馬鹿が無理して数学研究してると、 苦労が多いわ。
昼の散歩は酷くて、午後になって雨が小降りになった頃に自宅を出て、 ラクト山科をしばし偵察飛行してから、さて帰ろうかと歩き始めた 14時20分頃、急に雲ゆきが怪しくなったかと思うと、台風のような風と 叩きつけるような雨、そして雷。傘が吹き飛ばされそうで、とても歩いていられな い。それでその辺の店に入って半時間ほど雨宿りし、雨脚が弱まったところで、 大急いで自宅に戻った。
ところで、俺サマの新学期の授業は11日からだから、まだ春休みみたいなも のだけど、それでも6日や10日は卒研の学生とのミーティングや教授会がある。 そう、この教授会というのが曲者だ。
関西日仏学館の講座リストラによって、4月から俺サマが通えそうな クラスは火曜日と木曜日の夜、そして土曜日の朝だけとなった。 木曜日のはレベル的にちょっと背伸びをしなければならないし、土曜の朝 が潰れるのも、どうだかって気がする。もっとも無理のないところが火曜日。
しかし、今日改めて確認したけれど、この4月から火曜日の夜は隔週で 教授会をやるのだと。これは数年前に行った組織改編が「失敗」だとして、 この4月から元の態勢に戻したからだという説明だが、以前よりも会議が 増えて、かえって状況が悪くなっている。
いずれにせよ、これで火曜日夜の講座の線は消えて、土曜の朝を潰すこと になるのかな、と。すると、毎週土曜日は、朝はフランス語、夕方はドイツ語と いう、アルザス・ロレーヌ地方かチューリッヒにでも居るような言語体験をする ことになり、脳味噌がぐちゃぐちゃになるスリリングな1日になりそう。 いいんだよ。馬鹿の脳味噌はぐちゃぐちゃにしてやればいいんだ!
2012年4月2日(月)
<<決定的な違い>>
午前中は自宅で野暮用の後、少し数学。午後は京大数理研図書室に
籠っで、馬鹿論文執筆作業。「トラちゃん」こと数理研猫は、俺サマが
来た時も帰る時も、いつもの住処のあたりで丸くなって昼寝をしたり、
座布団に座ってぼんやりしたりといった状態。
京大の帰り道、今出川通りを歩いていたら、お揃いの自転車に乗った 京大生らしき男の子2人とすれ違った。生協ルネに置いてあった、売約済み の新入生向け自転車と思われる。この子達が暴走自転車ライダーにならない ことを祈ろう。
大丸ラクト山科店で安い赤ワインを買って帰宅。夕食後、夜は ラクトスポーツプラザへ。今日は楽しいZUMBAと筋トレ。 スポーツプラザでは、最近「強い爺さん」を見掛けないけど、 どうしてるのかなあ。
まあ、偉い先生の最終講義というのは、研究業績が巨大過ぎたり、 人望が厚過ぎたりと、馬鹿の俺サマとしては聞いていて気が滅入って くるのだが、昨夜録音を聞いた大先生の最終講義もまた、例外では なかった。口の重い地味な感じのする人ではあるが、優れた人という のは、自然にその分野の偉い人たちに注目され、彼らと華麗な交友関係 を持ちながら、着々と研究を深めていくもんだなということが、 よくわかる。
数学業界では、こういうことは結構はっきりしていて、俺サマ級の 馬鹿になってくると、初対面で馬鹿であることがバレてしまうと、 次に顔を合わせた時に「お前誰や?知らんぞ」みたいな顔される、、、 ような気がする。まあ、これが偉い人と馬鹿の決定的な違いだな。
2012年4月1日(日)
<<結構毛だらけ万金丹>>
午前中は京都市内で野暮用。昼食は丸亀製麺河原町三条店でと思ったが、
店の外まで行列ができている。何でもかんでも行列の東京じゃああるまいにと
思って、しばし
ジュンク堂BAL店を偵察飛行して時間を潰し、13時半頃に再び
行ってみたら、また店の外まで行列ができている。何でも1日は釜揚げ
饂飩が半額とかで、それが原因らしい。今日は何となく饂飩でキメたかったので、
覚悟して並んだが、割合すぐに昼食にありつけた。
昼食後は寺町通りの上島珈琲でしばし数学。短時間で切り上げて、JEUGIA 三条本店をさらっと偵察し、夕方の比較的早い時間に帰宅。それから夕食を挟んで、 馬鹿論文執筆作業など。
先日定年退職記念イベント用のメッセージを送った、計算機屋 時代にお世話になった先生から、昨夜遅くにメッセージのお礼のメールが届いた。 そこには、俺サマが別の用事で行けなかった最終講義のスライドと音声データ のURLも書かれていたので、帰宅後に聞いてみた。それは 先生のこれまでの研究人生を振り返る内容だったが、その中に俺サマの 名前がチラチラっと1,2度挙げらていたのは、嬉しくもあり恐縮でもあった。
俺サマの研究者としての駆け出し時代は、電機メーカーから某国立研究所に 出向していた4年あまりの時期だが、そこは実にすばらしい環境だった。 国内外の第一級の研究者が常時出入りし、俺サマのような学部卒のチンピラを 刺激し、温かく見守り、励ましてくれた。その後、俺サマは計算機科学を離れた けれど、その頃に受けた教育、特に研究者としての立ち振舞い方みたいなことは、 今も俺サマの日々の研究活動を支えている。メッセージを送った先生は、あの頃 に俺サマを育ててくれた一人だったといわけ。
良い教育、良い学問を授けられた者は、それを次の世代に伝える義務を 負うという考え方があるが、それに従えば俺サマも、若い人に良い環境を与え、 励まし、育てなければならないのだけど。。。んな事言われてもなあ。 俺サマは馬鹿だし。
ところで、人間、若い頃に温かく育てられたという記憶があれば、その後も 親近感を抱き続けるものらしく、計算機科学にある種失望してそこを離れた 俺サマではあるが、何となく今でも親近感は持っている。
残念ながら数学では、若い時に「馬鹿だ、阿呆だ」とさんざん 小突きまわされた末に放り出され、十数年後に立派なオッサンに なって戻ってきた時も、オッサンを温かく見守り、励まし、育てようとする モノ好きはそうそう居るものでもない。いや、それでも可換環論業界では、俺サマに よくしてくれた大先輩は何名か居たけれど、それも振り切って古巣の代数幾何学 に移ったとなれば、世間の風はいよいよ冷たく、「この分野で自分に優しくして くれた大人たちの記憶」無しでやっていかねばならないのは、やむおえない。
従って、代数幾何学に転じてから急に激しくなってきた、 「数学者は馬鹿が大嫌い。俺サマは馬鹿である。よって数学者は俺サマが大嫌い。 嫌いで結構、結構毛だらけ万金丹、あっかんべえーだ!」という、俺サマ三段論法 プラスアルファの自虐の病は、かように構造的な病理なのである。