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よ け ス ペ ー ス で す。

2012年4月30日(月)
<<絶対矛盾の事故同一>>
夏日続きもひといきついて、今日は前半曇りがちで、夕方頃から雨と風 がやや激しく降りしきる。まだ天気が崩れていなかった昼過ぎに、 近所に買い物に出たり、ついでにその辺で昼食をとったりした以外は、 自宅で愚図愚図と数学。1,2年前から「数学者たちの口ぶりからしても、 たぶんそうなんだろうけど、自分には何故だかわからな」かったことが、 1つわかった。

この手のことは全部潰しておかないと、思わぬところで足をすくわれる のだが、大抵は簡単な事実でしかない。簡単な事実を簡単だと分かるように なるには、何か特別な食べ物(それが何なのか俺サマは知らない)を食べて 頭を良くするか、愚図愚図と気長に数学と付き合うしかないと思われる。

俺サマは馬鹿な上に、形から入って後から辻褄を合わせるという、 数学者が最も嫌う、いかにも馬鹿っぽいやりかたで勉強したがる習性があるので、 十分辻褄を合せるまで、奴らの前に姿を現しては危険である。

夕食後は、帰省のためのホテルの予約をしたり、電車の時間を調べたり。

某ホテルにインターネット予約をしようとすると、まず 会員登録をせよと言ってくるのだが、登録をしてさてログインしようとすると、 「誰や?お前なんか知らんぞ」と来る。2度ほど登録とログインを繰り返した が結果は同じ。登録はできるのだが、ログイン時に認識してくれない。 初対面で俺サマが馬鹿だと分かると、次から他人のフリして 知らん顔する数学者と同じことをする、まったく厭らしいシステムだな。

しょうがないのでホテルに電話掛けて、「オタクとこのインターネット予約 システム、数学者みたいなことをするじゃないか!」などと怒鳴り込んでは 「危ない人」扱いされるので、ちゃんとこれこれこうと事実関係を伝える。結局 原因は不明なままだけど、電話予約でインターネット予約扱いの割安プランを 確保。

そういえば、少し前まではこの日誌のテーマはオジサンの悪口ばかりで、 オジサンというのは存在自体が絶対矛盾の事故同一だとか、俺サマ以外のオジサン が居なくなればこの世はパラダイスだとか、近親憎悪原理の命じるままに 滅茶苦茶書いていた。

別にそれを反省しているわけではないが、その手の話はすっかり なりを潜め、近頃は「俺サマが馬鹿」であることと、その馬鹿を何よりも 嫌う数学者の悪口ばかりである。数学者というのは存在自体が絶対矛盾の 事故同一で、俺サマ以外の数学者(って俺サマは数学者じゃないんだけどね) が居なくなればこの世はパラダイスとか 、、、って、これも近親憎悪?違うと思うけど。

数学者というのは自分のことを誇らしげに「数学者です」と言うけど、 俺サマは数学者呼ばわりされると思わず目を吊りあげて、「何だと? もっぺん言ってみろ!」と気色ばむか、さもなくば「これだからシロウトは 困る。味噌も糞も一緒にしよるからな」みたいな事を考えて呆れるかのどちらか だし。

2012年4月29日(日)
<<背中を洗う>>
今日もまた夏日である。午前中は自宅にて京都新聞日曜版の2つの パズルと野暮用を色々。

午後はラクト山科に買い物に出て、そのついでにその辺で遅めの 昼食。ラクト山科では「さかなクン」が来るというので、子供連れの 人たちが集まっていた。洋菓子売り場では、暑くなってきたせいか、 もうプラリーネが姿を消していた。

地下鉄山科駅前では、しゃがみ込んで何やら泣いている女(の子?) が居て、2,3名の武装警官が取り囲んで事情を聞いていた。その様子を 何人かの人が遠巻きに眺めていた。先日階段から転げ落ちた婦人を救急車 で搬送したのも、ここからそう遠いところではない。山科の治安が特に 悪いというわけではないけど、最近なんやかやあるな。

買い物と昼食の後、山科駅前Sbuxで一息入れて、しばし数学。 自習組が放逐されて割合席が空いているけど、同時に俺サマもまた数学 の勉強部屋として使えないわけで、早目に切り上げて退散。

自宅でまた少し野暮用と昼寝と数学。最近暖かくなったせいか、 どうも睡眠が浅く、その為か、夜はあまり眠くないのに、 昼間は眠くていくらでも昼寝が出来てしまう。夕食後もまた少し数学。

ところで、ドイツでもフランスでも、風呂でタオルを袈裟掛けにして ゴシゴシと背中を洗ったりはしないようだ。で、どうするのかというと、 何やら手袋のような形のタオルに石鹸をつけて洗う。そこで疑問が起こる。 俺サマもそうだけど、肩の関節が固い人は、背中に全部手が回らないから どうしても死角ができる。それをどうするのか?

俺サマはゲーテでも関西日仏でも同じ質問を講師にしてみたが、 あまりちゃんとした答えは返ってこない。ゲーテの講師は、「ドイツ人 の背中には、死角の部分に垢が溜まって巨大な黒い斑点ができてるってか? そりゃあ面白い!」と笑いよった。こらーっ!真面目に聞いてるのに、 勝手にネタにするな!と。

昨日、関西日仏の講師に同じ質問をしたら、「僕はちゃんと背中に手が 回るよ」と言っていた。お前さんのことなんか聞いてないよ!早く一般論を 述べよ!と。

俺サマがオスナブリュックに居た時は、背中洗い用の巨大ブラシ を風呂用品の店で見つけて、それを使っていた。同様のものは フランスにはないかと聞いてみたが、「あることはあるが、 最近はあまり使われない」とか。何で最近は使わないのかというと、 皮脂をゴシゴシこしって落とすのは皮膚の健康に良くないと 医者が言ってるからだそうだ。それは日本の医者も言ってる。 しかし日本人の多くは背中はちゃんと洗うものだと思っている(はず)。 いずれにせよ、彼らには、背中をちゃんと洗わなくっちゃという考え はないようで、その辺が俺サマにはどうも釈然としない。

2012年4月28日(土)
<<やっぱりオジサンさ>>
また、「あの」シリーズの瞬間的復活である。このジャケットを見て、 思わず「カルメン・マキ?」とつぶやき、♪時には〜母のない子のよー ぉにい〜♪と口ずさんでしまった俺サマは、やっぱりオジサンなのである。 北京出身のピアニスト王羽佳が、アンコールなどに 演奏するお気に入りの小品を集めたCD.この人のピアノを聴くのは 初めてだが、ここに収められている曲の中で、とりわけ ラフマニノフとスカルラッティー が、いかにも中国人というか中国語の攻撃的なリズムをイメージさせて、 これが意外に良かったので、思わず購入。

本日、一週間で一番早起きの土曜日。9時過ぎに関西日仏学館に到着。 図書室で大慌てで予習。10時から12時半までフランス語の授業。 先週の帰りに東大路でモルモン教の勧誘を一瞬で追っ払ったところを クラスメートに見られてたらしく、彼女は「あのやり方はすばらしい!」 とか言っていた。

若い人は知らないかもしれないが、俺サマが若かった頃は アングロサクソンの金髪真面目青年風アメリカ人2人組のモルモン教徒 が日本じゅうにウヨウヨしてて、なかなか大変だったのである。 だから、俺サマぐらいのオジサンは一瞬で「あっ、モルモン教徒だ」 と分かり、それなりの対処ができるようになってるのよ。それにしても、 長らくなりを潜めていた彼らが、なぜまた現れたのかしら。

フランス語の授業の後は、新福菜館百万遍店で昼食の後、 関西日仏学館の図書室に籠って、今日の復習と宿題をあらかた片付ける。 今日はドイツ語寺子屋は休みなので、河原町三条に移動し、寺町通りの 上島珈琲でしばし数学の後、JEUGIA三条本店とAngers河原町 三条本店を偵察。JEUGIAでは上記CDを購入。

日仏学館の先生は、今夜から1週間程度マレーシアにヴァカンス に出掛けるとか。京都はもう真夏日なのに、何故さらに暑い所に行くのかと 問うと、「暑い時の仕事は最悪だが、暑い時のヴァカンスは最高だ」と。 いかにも太陽に飢えてるヨーロッパ人らしい考え方だな。

Ritsは連休でも何でもないのだが、 世間の連休気分につられて夕食時にはワインを沢山飲み、 今夜も数学はお休み。その代りフランス語 の復習を少し。仏独辞典で今日出てきたフランス語単語のドイツ語訳を調べたり。

2012年4月27日(金)
<<改悪と改善>>
午前中は自宅にて数学。昼過ぎに自宅を出て、山科駅の蕎麦屋で昼食。

ここは駅の耐震工事のため1年ぐらい休業していたのだが、最近新装開店した。 以前は店内にあった食券の自販機が店の外に変わった。食券を買ったけれど 店内に入ったら座席が一杯だったということがありそうだ。店内で座席を確保してから、店の外に出て食券を買うのも鬱陶しい。

食券自販機のメニューボタンの配置が特に改悪されたとは思えないが、 新装開店当初は、何故か自販機のところで戸惑って「どれにしようかな。 えーと、これを買ってあれも買って、、、」と長々と迷ったり、 メニューボタンを探しているオジサンと、後ろで「早くしろよ!」と 言わんばかりにイライラして待っている人の列という光景をよく目にした。

店内はカウンター席とテーブル席があった以前のゆったりとしたものとは 違い、カウンター席だけの狭っ苦しい作りに変っていた。最近の飲食店は 鞄などの荷物を入れる籠を用意している店も多いが、ここはそんなものはなく、 荷物は地べたに置くか、満員でも構わず隣の座席を占拠して置くしかない。 カウンターは極めて幅が狭いので、荷物を置くことはほとんど不可能だ。

かくして、全体的に以前よりも「立ち食い蕎麦屋」的設計思想が 強化されたような気がする。以前はこの店を結構気に入って、割合 頻繁に利用していたが、これだけ念入りに改悪されると、 もうこの店に入ろうという気は湧いてこない。

この店で軽く饂飩を食べて、それでも少し足りないし、まだ時間があったので、 隣のSbuxへ。ここは自習室として使っている客に常時半分ぐらいの座席が 占拠されて、何時行ってもほとんど空席無かったので、ここ何年か入る気も起 らなかった。しかし、最近は午後のほとんどの時間は「長時間の自習室として の利用は禁止」するようになったらしく、その旨が掲示されていた。 そのためか今日は比較的すいていたので、珈琲と昼食の補充として軽いオープン サンド系のものを注文して、しばし滞在。

それから14時前に大学に出勤。14時40分から16時10分まで 卒研ゼミ代数グループ。今日は4で割って1余る素数が2つの整数の平方 和で表せることの証明の概略。今日発表した学生は、まだ数学のゼミのス タイルが十分理解できてない様子なので、一通りの注意をしておく。

引き続き16時20分から17時50分まで、卒研ゼミ代数幾何学グル ープ。今日は正則1次変換で直線が直線に、2次曲線が2次曲線に写像され ることの証明。2次曲線と1次変換の話は高校数学の範囲をちょっとだけはみ 出しているかもしれないが、今日の話のほとんどは高校数学かその延長上の 話であり、高校数学教師を目指す学生が集まっているこのグループの学生には、 ぜひちゃんと理解しておいてほしいところだけど。。。ま、これ以上のことは 俺サマは関知しないけどね。

ゼミの後、すぐに帰宅。夕食時にワインをたっぷり飲み、今夜の数学は お休みで、ドイツ語の勉強を少しだけ。

2012年4月26日(木)
<<調子が悪い>>
早起きして10時過ぎに出勤。いつものことのようだが、南草津駅のバス ロータリーで、格安の直行バスを待っている学生の 行列が半端じゃない。俺サマはすいている格安でない方のバスに乗った。

11時から13時前まで、院生E君とゼミ。今日はアフィン代数多様体 や可換環論の基本事項について、色々な質問に答えただけで終わる。 E君は、これまでのことを復習して疑問点を洗い出し、自分で解決したり 俺サマに質問したりと、ごそごぞやっているようである。院生らしい勉強 の仕方でおおいに結構。

ゼミの後で、4月から某国立大学の大学院に進んだH君の近況や その大学院の様子なども少し聞いた。ほんわかムードが漂うRits の大学院と違って、ずいぶん大変そうなところだなという印象。 それは学問的水準の維持に大変気を使っているからだとも言えるし、 いかにも馬鹿が大嫌いな数学者が考えそうな運営方法だとも言える。

ゼミの後、少し調べものをしてE君にメールを出した後、生協食堂 で昼食。それから研究室でしばし数学。

14時40分から16時10分まで、2回生「代数学序論I」の講義。 今日はX^3-2=0のガロア群を天下り的に示して、3次対称群の話にもって いこうと思っていたのだが、講義の前に学生が質問にやってきて、どうも 前回の分の話の補足をしなければならんなと気付く。

それで色々その場で考えて説明してたのだが、有理数体上の多元環準 同型写像を具体的に計算するところで、つまらないミスをしてしまい、 妙な結果が出てきて「あれ?何かおかしいぞ!」と。それで板書を見直して訂正。

それからまたしばらくして、ガロア群の解への作用の系統図みたいなの を描いて、その図から3次対称群の生成元の関係式を読みとろうとして、図の 誤りに気づいた。「あれ?何かおかしいぞ!」と。 それで板書を見直していたのだが、その途中で時間切れ。次回の訂正を 約束して講義終了。

1回の講義で2度間違いをするとは、今日はどうも調子が悪い。 しかし俺サマが「あれ?何かおかしぞ!」と叫んで板書を見直す 度に、それまで静かに聞いていた学生達が一斉にワイワイ言いだして、 あれはこうなんじゃないか、これはどういうことよ?みたいなことを 言い合っていた。怪我の功名というか、こんな形ではあるが、結果的に 学生達が講義の内容について議論することとなり、良かったではないか (と日記には書いておこう)。

講義が終わって研究室でひといきついてから、帰宅。夕食の後、山科区内に ひとっ走り買い物に出て、一旦戻ってからラクトスポーツプラザへ。 今日は骨盤矯正ヨガと有酸素運動。骨盤矯正ヨガは別に女性専用のものではないが、 女性が中心のせいか(実際、今日は男は俺サマひとり)、インストラクターが 「このポーズは、子宮や女性器の血行を良くするのに効果的です」などと解説しな がらやっている。俺サマは「子宮とか言われてもなあ」と思い ながら大人しくそのポーズをしているけど。

2012年4月25日(水)
<<学生の質問>>
午前中に自宅で野暮用を済ませ、昼前に出勤。生協コンビニで お握りなどを買って、研究室で昼食。13時より経済学部の C言語とUNIX演習。今日は最初の演習課題をやって見せながら、 emacsやunixコマンド、Cプログラミングの初歩を解説し、 演習させる。

引き続き14時40分から16時10分まで、 2回生「離散数学」の講義。今日は実2次一般線形群が乗法群 であることと加法群でないことを示し、さらに2次の特殊線形 群の定義を示して、それが一般線形群の部分群であることを主張 を掲げる。そこで部分群とは何かという定義を示し、部分集合が 部分群であることを判定する簡単な条件を示し、その証明は「連休中に 考える」あるいは「代数学序論Iの講義で勉強する」のどちらか にせよと宣言したところで時間切れ。次回はやはり、部分群の判定 条件の証明をして、特殊線形群が一般線形群の部分群であることを 示すことになろう。

さて、講義の後の学生達からの質問が色々。講義中に簡単な 具体例を、詳細は自分で確認せよという積りで「演習」と板書し たら、後で、解答集はないのか?との質問。「数学を考えること は人生を考えることと同じで、自分で考え抜いて納得できる答に たどりつけばそれで良いのだ。しかし考えてみたけれど、どう にもしっくりこなければ、その時は周りの人と相談してみる と良い。何なら俺サマが相手になってやってもいいぞ」みたいな ことを答えておいた。

それから、講義が速過ぎてついていけないとか、レジュメは ないのか、といったことを聞いてきた学生も居た。レジュメに ついては、最初の講義でレジュメのPDFファイルの場所を黒板 の大書して説明したのだが、聞いていなかったようだ。話を聞 いていると、あまり数学の講義には慣れていないようだし、 他学科の学生かもしれない。

それ以外では、講義内容に関する割合突っ込んだ質問を受けた ので、それにも対応した。

講義の後、研究室で少し雑用をしてから帰宅。夕食後、院生E 君から質問メール。「そういう質問、数学者相手にしちゃダメだよ」 みたいなのも含まれていて、悩ましい。勿論、俺サマは数学者じゃな いから、E君には適度に教育的抑制を利かせた簡明な応答を返しておく。

夕食時に少しワインを飲み過ぎたけど、夜はまた少しだけ数学。

2012年4月24日(火)
<<皆さん、お大事に>>
昼過ぎまで自宅にて数学。山科駅前で昼食の後、14時過ぎに出勤。 1時間ほど雑用をしてから、またしばし数学。16時半から教授会。

教授会の召集メールに書かれていた議題を見て、たったこれだけ の議題で何でわざわざ教授会を開くかね?と思っていた。実際行って みると、何やら調査報告会みたいなものを開くために、無理矢理取っ てつけたような議題をかき集めて教授会に仕立て上げたというのが 真相のようだった。報告会が1時間、教授会は25分で終了。しかも 司会役の学部長は出張とかで不在で、副学部長が代理司会。

調査報告会では、学生の勉学状況や成績推移に関する詳細な調査 報告書が読み上げられていた。俺サマなどは「勉強する学生はするし、 しない学生はしないし、そんなのほっとけばいいじゃん」と思うのだ が、そういう訳にもいかないのは、文科省かどこかで、日本の大学生 は勉強しなさ過ぎるから、もっと勉強させるようにしなければ、みた いなことが議論されていることが関係しているのか。

俺サマの学生時代は、「馬鹿な教授が優秀な学生の自主的 勉学を邪魔してはいけない」というエリート主義教育の大学で 学んだので、1,2回生は授業も多いが単位は極めて緩く、 3,4回生になってからは専門の講義は1日高々 1つか2つで、午後は午前の講義に関連した演習科目があるだけだった。 それも全部受講する必要はなく、2つか3つも取れば十分卒業 単位は取れた。演習科目はかなりハードだったが、それを 回避して講義科目だけでも単位は揃えることができたと思う。 そして教授達は「講義にせっせと出席するような学生は駄目だね」 みたいなことを言っていた。 これは学生の自主的学習を前提にした制度である。

このエリート主義の内容はこれだけではなく、その 先がまだある。今は亡き俺サマの指導教官は4回生の卒研 ゼミの時に、「ごく少数の優秀な学生は、何をどう学べば良 いか正しく理解して伸びていくが、(君のような)馬鹿な学生 は見当違いの頓珍漢な勉強をして、高回生になった段階で 『それでは駄目ですし、もう手遅れです』となる」という弊害 があるのだと解説してくれた。要するに、エリート主義教育とは エリートを選別するための教育で、俺サマのような馬鹿は馬鹿のまま 大学を放りだされることになるから問題だということだった。 今思えば、馬鹿思いのいい先生だった。

実際、俺サマは、ガロア理論や複素関数論、多変数の微積分学 も怪しい状態で代数幾何学をやろうとしてた見当違いの頓珍漢 学生だったので、4回生の卒研ゼミで「それでは駄目です」 と言われたし、院試を受けて「もう手遅れです」だと分かったな。 だから、俺サマ級の馬鹿は、もうちょっと強制的に微積分や解析 も勉強させられた方が良かったかなと思う。

ただ、これは学生のほとんどが数学者を目指して数学科に入って くる大学の場合で、Ritsの数理科学科のようなところは 事情がかなり異なると思う。学生には、数学をちゃんと勉強 しておけば、社会に出てから何かの役にはたつだろうという漠然 とした考えはあるかもしれないが、数学者になるために 難しい数学を歯を食いしばってでも勉強しようという 強いモチベーションは無い。漠然とした考えだけで 取り組むには、大学の数学はあまりにも難し過ぎて、 それを乗り切る最後の切り札は強い興味しかない。だから、講義などで できるだけ興味を喚起するような話をして、あとは学生がそれに 食い付いてくるのを気長に待つしかないと考えている。

教授会は18時前に終わり、研究室に戻ってしばらく数学。 それから生協食堂で夕食をとってから、帰宅。帰宅途中、ラクト山科 の地下で、中年の婦人が階段から転げ落ちて倒れ気を失った。 俺サマは119番して救急車を呼び、その場に居合わせた 別のサラリーマン風の男と一緒に彼女の容態を見守った。 彼女は意識を取り戻し、数分後到着した救急車に運ばれていった。 頭を打ってるようなので、精密検査が必要だろうが、 とりあえず命には別条は無さそうだ。

俺サマは日々偵察飛行を繰り返しているので、こういう場面には ちょくちょく出くわす。路上で高齢の女性が転倒して歩けなくなったり、 大学生協のコピー機の前で女子学生が突然気を失ってぶっ倒れたり。 今日の件も含めて、何故か女性が突然ぶっ倒れて救急車を呼ぶケースが多い。 まあ、いずれも 命に別条無さそうだったから、よかったけど。皆さん、お大事に!

交通事故もちょくちょく目撃するし、10年以上前だったか、 死亡事故の瞬間を目撃したこともある。あれは気の毒だったなあ。 あ、そういえば、俺サマ自身も高校時代に交通事故に遭ったなあ。 よくいままで無事で来れたものだ。天に感謝しようではないか。

2012年4月23日(月)
<<美しい思い出>>
天気は回復し、初夏を思わせる一日。昼過ぎに近所に買い物に出て、 ついでにその辺で昼食を済ませ、帰宅後しばし野暮用。 それ以外は自宅にて数学をしたり居眠りをしたり。夕食後、夜は ラクトスポーツプラザへ。今日は楽しいZUMBAの後、筋トレ。

昨日の日誌で、俺サマは同じ所に居ると3〜4年で居づらくなる と書いたが、中学だけは例外で、俺サマには水が合っていた。 しかし、3年制の私立の進学校だったけど、もし中高一貫校で 6年居たとしたら、どうなってたかわからんな。

高校では、公立中学から来た子達との違和感が最後まで抜けな かったので、何となく3年間スルーしたって感じ。今でも母校 に対する思い入れは全くない。

小学校も似たような感じで、今や何の思い入れもない。 授業中に抜け出してどこかで 巨大食用カエルを盗んできて教室に放ち、パニックを起こ させる子、市内指折りの大手木材工場に火を点けて全焼させる子、 講堂の消火器を無駄に発射してその辺を泡だらけにする子、 小学校入学直後から悪事の限りを尽くし、中学進学後に教師を刺して 少年院送りになった子、ちょっかいがしつこく、「やめろ」と 口で言っても全然きかず、「五月蠅い!」と軽く小突いてやると すぐに泣きだし、それから人格が一変して凶暴性を発揮し、 10〜15分ぐらい泣きわめきながら暴れ続けて、 その辺のものを破壊し尽くす子、 えこひいき教師のウケがいいことを逆手にとって、 掃除当番をさぼり倒し、その罪を真面目に掃除している子になすり つけたりしている優等生の子等等、碌でもないのがウヨウヨ してた。教師たちは決まって生徒に対するえこひいきが露骨で、 この真面目で心優しい俺サマも、何故か教師達から 6年間ずっと「札付きの問題児」扱いされてたしで、 「この世界はかわなんな」と卒業できる日を心待ちにしてたな。

大学は大好きな数学が勉強できたから、良かったはずだけど、 教官、先輩、同級生、後輩たちから、あれだけ寄ってたかって馬鹿だ、 アホだ、頭がバグっていると、毎日のように小突き回されていると、 流石に最後は「こいつらの顔なんか、もう二度と見たくない」って気分 だったな。人がいい気分で数学やってるのに、横から上からごちゃごちゃ イチャモンをつけてきて、「五月蠅い!お前ら、いっぺん纏めて 踏み潰したろか!?」と逆切れする元気も出ないぐらい、完膚無きまで に叩きのめされる。数学業界って怖いなーと、つくづく思ったものである。 今の自虐の病は、この時のことがフラッシュバックしている のだというのが、現在の有力説。俺サマは何を好きこのんで、こんな 業界に戻ってきたんだろう?!

こうやって振り返ると、学校時代で思い出が美しいのは、 中学時代だけだとわかる。もっとも学校以外のところでは、色々 いいこともあったけどね。

2012年4月22日(日)
<<奇跡の12年?>>
終日台風のような風雨、といえば少し大袈裟だが、時折強い風を 伴う雨模様。昼頃に山科区内に買い物に出た以外は、自宅静養。 午前中は京都新聞日曜版の2つのパズル、さらに少し フェースブックで遊ぶ。午後は数学と居眠り。

そういえば俺サマはRitsに勤め始めてちょうど20年が経ったが、 よく続いたものだと思う。俺サマは根がチンピラなので、小学校以来、 何処に居ても大体3〜4年で周りと無駄に喧嘩して居づらくなったりといった ことを繰り返してきた。

子供の時は、中学、高校、大学とだいたい3〜4年経てば、飛ぶ鳥後 を濁しまくって「あばよ!」と立ち去ることができたし、会社に入って からも、やはりそのぐらいのサイクルで別のところに出向したり戻って きたりしてて、あちこち転々としては上司に逆らったり、先輩や後輩を 苛めたりして、好き勝手やってたが、そろそろにっちもさっちも行かなく なってきたところで、「あばよ!」とRitsに移ったのである。

Ritsの情報(工)学科に移ってからも、案の定3〜4年で 「お前らの学問的姿勢はなっとらん!」と同僚教員や学生を全て敵 に回して大喧嘩し、さりとて、それまでのようにウマウマと他所に飛び出す こともできず、「こいつ、生意気だ!」と寄ってたかって袋叩きにされて、 危うく潰されるという危機一髪のところで数理科学科に移籍できた。 それでちょっと懲りたな。人間、ヤバくなってきたからと言って、 そうそう思うように「ずらかれ」るわけがないか、と。

数理科学科に移ってから、もう12年になるけど、今のところどうにか 平穏(かどうかは知らないけど)無事である。先日、情報学科時代に一緒 だった先生に会って、「君が数理科学科でなんとかやってられるって、 奇跡だな」みたいなことを言われたが、まあ、馬鹿の俺サマも少しは これまでの経験から学んだのである。何を学んで、どういう風にしているか は、ナイショね。兎に角、12年続いたのは奇跡的ではあるが、 決して奇跡ではなく、一応俺サマなりに努力してきたのさ。

2012年4月21日(土)
<<疲れる>>
今学期は土曜日が一番早起きの日。10時から12時半まで 関西日仏学館でフランス語の授業を受ける。

それから新福菜館百万遍店で昼食をと思って行ってみたら、 何故か閉まっていた。この店の定休日は水曜日だが、それ以外でも ちょいちょい気まぐれに休むので、ちと困る。しょうがないので、 近くの中華料理店で麻婆豆腐定食の昼食。

その後、京大ルネ食堂で珈琲を飲みながら、フランス 語の宿題をあらかた片付け、さらに関西日仏学館の図書室に移動して、 今日の授業の復習やドイツ語の予習など。

16時40分から18時10分過ぎまで、寺子屋にてドイツ語の授業 を受ける。帰りは大丸ラクト山科店で、安い赤ワインを2本購入して帰宅。

夕食後、夜はフランス語の宿題の最後の1つを片付けて、 数学のある概念の定義を調べ直した以外は、6月の海外出張の ための関空のホテルを予約したり、フェースブックなど で遊んですごす。一日数学やってても別に疲れないけど、 一日語学やってると流石に疲れますな。

2012年4月20日(金)
<<京大ゼミ>>
早起きして、10時半から12時まで京大代数幾何学セミナー。 例によって隅っこの席で気配を殺して講演を聴講。終了後、 すぐに新福菜館百万遍店に直行して昼食の後、すぐに Ritsに向かう。途中、電車やバスの中で、明日のドイツ語の 予習を完了させ、14時前に到着。研究室でいくつかの論文のコピー を探したりしているうちに卒研ゼミの時間。

14時40分から16時10分まで、代数グループの卒研ゼミ。 今日は数論サブグループ全員が就活等で欠席。それでもほかの サブグループ4名が出席していて、可換環の準同型、部分環、 イデアル、剰余環の定義をやって、剰余環のイデアルと元の環の イデアルの対応関係の命題を黒板に書いたところで時間切れ。

このゼミで、アティヤ・マクドナルドの教科書に書いてある部分環 の定義が間違っていることが判明した。その反例を構成してみたり、 同じ間違いがガロア理論のゼミで使っているテキストの翻訳にも書かれてい るものの、英語版の原書では正しい定義が書かれていることが分かった りと、結構楽しませてもらった。

16時20分から17時50分まで、代数幾何学グループの 卒研ゼミ。今日は平面の合同変換を2次の直交行列を部分行列 とした3次正方行列で表し、それらが群をなすことの証明。 なかなか面白い話であった。

帰宅して夕食後は、明日のフランス語の宿題や予習。

2012年4月19日(木)
<<歯医者へ>>
俺サマとしては早起きして、10時半過ぎに出勤。この時間帯は10時40分から の2コマ目の授業に向かう学生達で、南草津駅前のバス停には長蛇の待ち行列が 出来ていた。11時から13時前まで、院生E君とゼミ。古典代数群などの具体例 の計算など。E君は具体例を扱うテクニックを習得しながら一般理論を学ぶという スタイルを、結構気に入っているようだ。

ゼミが終わってから、生協食堂で昼食。研究室に戻って、科研費の報告書を 書いてメールで送ったところで、14時40分からの2回生「代数学序論I」 の講義の時間に。教室に行ってみると、黒板に「××先生の○○論の4月19日 の講義は休講です」と書かれていた。××先生とは言わずと知れた例の 「寝坊先生」のこと。

今日の講義では、X^3-1=0の方程式の解を複素平面に図示し、X^2 + X + 1の ガロア群を示す。次にX^3-2=0について同様のことを行おうとして、ガロア群の 生成元を書き下したところで時間切れ。学生は複素平面や三角関数のことを よく理解していないという前提なので、ほとんど高校数学の復習みたいな話に かなり時間を費やしていて、講義の進度はかなりゆったりとしている。それでも 学生達が退屈している様子はない。

次回はこのガロア群が正三角形の対称性を記述していることや、3次対称群 の話をする予定。

講義の後、すぐに帰宅して夕食。それから朝のうちに予約しておいた歯医者へ 行き、親知らずを抜いてもらったので、今日のスポーツクラブ行きはお休み。 夜は来週の講義の準備を終えてから、土曜日のドイツ語の予習。

2012年4月18日(水)
<<夜空に叫ぶ>>
午前中は自宅で野暮用をと思ってすこし早起き。しかしその必要はないとわかり、 さりとて二度寝するわけにもいかず、眠い目をこすって昼前に出勤。生協コンビニで 弁当を買って、研究室にて少し早目の昼食。睡魔を振り切って、 13時から14時30分まで、経済学部、経営学部のCプログラミングの授業。 今年度の受講生は経済学部4回生1名のみ。俺サマが教卓のパソコンを使って 演習内容を指示すると、それが学生のところの モニターに映り、隣に座っているTAのサポートをうけながら演習を行うという、 超贅沢な授業。UNIXコマンドの2週分の演習が 今日1日で終わり、来週から早速Cプログラミングをガンガンやろうか、と。

引き続き14時40分から16時10分まで、2回生「離散数学」の授業。今日は 最初に群の定義と、アーベル群の定義を示してから、実2次正方行列全体の集合が 加法に関してアーベル群になること、しかし乗法に関しては群にならないこと、 そして実2次一般線形群の定義を示し、それが乗法群になることの証明の途中 (積で閉じていることと単位元をもつこと)で時間切れ。

講義が終わってから、またひとりの学生が目をクリクリさせながらやってき て、「先生、アーベル群って何ですか?」と。これはもうネタで質問していると しか思えないが、それしきのことでくじけていては大学教師は務まらない。 「それはね、、、ということだよ」と普通に答えておいたけど、君ねえ、 俺サマが数学者だったら、今頃血祭りにあげられてるよ。いい先生に当たった ことを天に感謝し給え。

それやこれやの合間に、院生E君から代数幾何学の質問メールが幾つか飛んで くる。俺サマが数学者なら「それ、1年前のゼミでやったよね?」と目を吊り上げ ているような質問もちらほらあり。勿論、適宜教育的配慮をしながら返事を返した (つまり全部は答えずにヒントを与えてあとは自分で考えさせるようにした)。

E君が羨ましいなあ。俺サマなんざ、そんな風に色々気軽に質問して教えても らえる人なんて、ゼロではなかったけどほとんど居なかったんだぜ。今は亡き天敵 の元指導教官は、お前は馬鹿だアホだと怒鳴ってるだけだったし、黙殺大魔王は 黙殺するだけだし。ああ、そういえばオスナブリュックのB先生は、 「こいつ、アホか?」と憐憫の笑みを浮かべながらも、俺サマの馬鹿質問に丁寧に 答えてくれたな。ああいう奇特な人は大事にしないとな。

だいたい数学者ってのは、馬鹿質問をする奴と見つけると、 「こんな質問をするなんて、こいつはアホだ」と秘かにブラックリストに ×印をつけて、「以後、必要がない限り、こいつにはあまり近寄らないように しよう」と考える人種で、それは信頼できる研究情報提供者を確保する ためだと思われる。しかし俺サマは数学者じゃないし、自分のアホを治す ことに精一杯なので、ブラックリストの管理なんかしている暇はないのだ。

16時30分から17時20分頃まで会議。その後すぐに家路につき、 大丸ラクト山科店で安い赤ワインを買って帰宅。まったく、どいつもこいつも、 俺サマが数学者でなかったことに感謝しろよ!そして、せいぜいこの恵まれた チャンスを精一杯生かすことだ。わかったか?と夜空に向かって叫んでみる。 ああ、今夜も星が綺麗だ。

夜は来週の授業の準備をやってから、少しだけ数学。

2012年4月17日(火)
<<桜の季節の終わり>>
午前中は自宅で、例の総合報告読み。午後は街に出て、まずは 丸亀製麺河原町三条店にて、昼食。「かけ饂飩」を注文したら、 「カレー饂飩」が出てきたので、作り直してもらった。 また、人気メニューである野菜のかき揚げ天麩羅が売り切れている のに、店の人が新たに作っている様子もなく、俺サマと俺サマの前の 人が注文して、ようやく作り始めた。何だかなあ、と。

前に来た時も、かき揚げ天麩羅が売り切れ状態で放置されてたな。 まあ、かき揚げ天麩羅は時間が経つと美味しくなくなるので、作り置 きを避けようとしてるのかも知れないけど。

昼食後、寺町通りの上島珈琲でしばし数学。例の数学おばさんも来ていた。 その後、河原町三条から バスに乗って衣笠校前の平野神社へ。ここは桜の名所のひとつで、 さまざまな種類の桜が植えられており、3月下旬から4月下旬まで 桜が楽しめるのだが、今日行ってみたらほとんど散ってしまってて、 満開なのはごく一部だけだった。例によってフェースブックに 写真をUP.

俺サマはここ数年この季節に平野神社 を訪れており、天敵の元指導教官が亡くなったことを知ったのも、 ある種の曲をばたっと聴かなくなった事件も、全て桜の季節の 平野神社での出来事である。しかし今後はもう、平野神社で俺サマの人生 にドラマが展開する心配はない。

ここの桜の盛りの頃は見事なものだけど、今回は来るのが少し 遅かったのか、ほとんどが葉桜になりかけており、 満開状態の木はごく僅かしか残っていなかった。もう京都の桜の 季節は終わりである。桜の季節が終わるたびに、ああ、来年まで頑張って生きて、 また桜を見たいなと思ってしまう。まあ、夏の終わりでも冬の終わり でも、同じようなことを考えているんだけどね。

平野神社はそこそこで切り上げ、Ritsの衣笠キャンパスが近い ので、そこの中央図書室で夕方まで数学。一昔前の大学の図書館は、常時 私語の通奏低音が響き渡る何とも気持ちの悪い空間だったが、一時期全国 の大学を席巻した私語世代は既に大学から去り、再び静かな図書館が戻って きたようだ。

しかし今日俺サマが居た1階の閲覧室の中には何故かカウンターがあって、 よく響くキンキン声の男の子が窓口の人と、何とかの手続きがど うの、何のデータがどうのといった話を延々としていた。近くで勉強している 学生達の様子を見ていると、さすがに「五月蠅いなあ。いつまでキンキン声出 しているんだよう!」みたいな顔をして、カウンターの方を睨みつけたりして いたが、、、で、彼らはどうするかというと、iPodか何かで音楽を聞いて騒音 を誤魔化していたようだ。

俺サマは、キンキン声が聞こえないずっと奥の部屋に退避した。まあ、これ は音量調節ができないキンキン声の男の子ではなく、カウンターの位置、あるいは 大きな声で長時間話す利用者が訪れた際の対応(たとえば、別室に移して話をつ づけるといったことをしていない)に問題があろうかと思われる。

夕方までに、とりあえず総合報告はひととおり読み終えたので、衣笠キャン パスをざっと偵察してから帰る。今年度の後期はこのキャンパスの文系学部で 一般教養の数学の講義をする予定なので、また、ここに通うことになろう。

帰りのバスは、竜安寺方面から大量の外国人観光客が乗り込んでいて、 満員状態。京都市役所前までずっと立ちんぼのまま。

帰宅後、夜も少し数学。総合報告の次に読むべき文献を洗い出す。

数学者に馬鹿質問をすると大変なことになるのは、何も 黙殺大魔王事件だけではなく、学生時代から経験しているが、 数学者以外でもやはり似たようなことがあったことを思い出した。

もう20数年前のことになるが、俺サマがまだ駆け出し理論計算機 科学者だった頃に、フランスのナンシーに学会発表しに行って、 懇親会の時にジーメンス研究所勤務だとかいうオランダ人だか ベルギー人だかの兄ちゃんと意気投合した。まあ、昔は俺サマも学会の 懇親会に行って初対面の人と親しくなるようなことがあったのである。

それでその兄ちゃんが並列計算モデルのCCSとかCSPとかを研究 しているというので、へーっとか思って、当時まだ並列計算モデルのことは 何も知らなかった俺サマは、色々説明を聞いた後で、「で、そのCCSと CSPとでは、どちらが簡単なの?」と馬鹿質問をしてしまった。そしたら 奴は露骨に、「なっ!?お前、アホか?」みたいなリアクションをして、 それからまともに口をきいてくれなくなった。

俺サマは学生の頃から、最初は頓珍漢で馬鹿なことを一杯口走りながらも、 少しずつ修正していって、最後に真実に到達すればいいじゃないかという 風に、ええ加減に考える傾向があるので、時に救い難い馬鹿質問を して相手の気力を削ぐことがある。

ノーベル賞の湯川秀樹博士は、講演会などを聞きに来て、さんざん馬鹿質問を して人々を辟易とさせた後、最後には皆がびっくりするような核心を突く 質問をしたことで有名だったそうである。二十歳ごろまでの俺サマは、 さしたる根拠もなく自分が天才だと思っていたから、湯川先生の逸話を聞いて我が意を得たり という気分になっていた。それで、俺サマが馬鹿質問をして 周りが殺気立つたびに、「ふっ、それが大物って ものよ。小さな間違いにいちいち目くじら立ててる、お前ら小物どもには わからんだろうけどさ」みたいに思っていた。

ある程度自分が客観的に見えるようになった今は、「それってただの馬鹿 じゃん!」とわかるようになった。湯川先生みたいに、最後にびしっと 核心を突いてみせられるわけでもないしね。

2012年4月16日(月)
<<躾け直す>>
午前中は自宅で野暮用の後、少し数学。黙殺大魔王の弟子筋が書いた 総合報告のような論文読み。結構役に立つことが一杯書いてある。 こういうことをちゃんと押さえずに、しっちゃかめっちゃかな質問 メールを出したりすると、黙殺されるんだなということが、よくわかる。

午後は百万遍へ。新福菜館にてガッツリと昼食。そう、もう目標体重 に達したので、ダイエットは終わっているのだ。まあ、リバウンドが怖いけど。

昼食の後は京大数理研図書室へ。猫を表敬訪問しようと思ったが、 住処のあたりに誰かが居たので、そのまま図書室へ。数理研の建物の中 は禁煙だが、1階外階段のところが喫煙場になっていて、誰かがちょい ちょいと煙草を吸いに来る。そこに猫の住処があるというわけだ。

図書室に籠り、夕方まで総合報告読み。途中、院生と思われる若い男の子 が来て勉強していたが、しきりに貧乏ゆすりをしてカタカタ音を立てたり、 ぼりぼり体を掻いたり、お菓子か何かのブリキ缶をカンカラ言わせて中身を取り出 しては、ボリボリ派手な音を立てて食べてみたりといった調子。 騒々しい野郎だな、こいつ、もしかして鼻糞ほじくって食べたりしてないだ ろうな?と、ちょっと様子を見てたけど、その筋ではないように思えた。 無意識に自らの存在を主張してなにやらかんやら音を出すのと、 無意識に鼻糞をほじくって食べるのは、どうやら独立の症状らしく、連動は しないものと思われる。

この子は今まだ若いから、「ちょっと変わった男の子」というだけで済まさ れるかもしれないが、こういうのをオジサンになるまで野放しにしておくと厄介 なことになる。一番良い方法は、早目にしっかりした女の子と結婚させて、その子の 尻に敷かれて根本から躾け直してもらうことである。そこで失敗すると、 もう手の施しようがない。

数理研の帰りにも、猫の所に寄ろうとしたが、また誰かが居たので、結局 ちょっと覗いてみて、すぐに退散。結局猫の姿は確認できなかった。山科の スーパーで買い物をしてから、帰宅。夕食後、夜はラクトスポーツプラザ。 今日は楽しいZUMBAと筋トレ。帰ってきてから、また少しだけ数学。

昨夜日誌を見直していたら、3年前の昨日は、2年ぐらい続いた ある闘いにようやく終止符が打たれた記念すべき日でもあった。この闘いを通じて、 この大学で生き延びていく術をひとつ学んだ。その数日前には、俺サマの天敵でも あった元指導教官も亡くなったし、色々あった年だけど、もう3年も経つのか。