の
た
め
の
邪
魔
な
広
告
よ け ス ペ ー ス で す。
2013年2月28日(木)
<<ひとりヨガ>>
午前中は歯医者の定期検診。その足で大丸ラクト山科店で昼食用の
パンを買って出勤。研究室で雑用をやっているうちに、14時からの
大学院進学組の卒研ゼミの時間。今日はグリーンの定理。これを
一般の領域について真面目に証明すると大変なことになるので、
基本的なものについてだけ証明し、あとは小平先生の複素関数の
教科書のン十ページの証明を一生に一度は読んでおくこととコメント
して、16時前に終わる。次回はコーシ―の積分定理の節に入る
予定。
その後、就職組卒研生用のテキストが生協から納品されてい るはずなので、事務のポストを覗いてみたけれど、届いておらず。 今日届かないとなると、予算措置の関係から納入を4月以降に延期 してもらわねばならず、その相談のために何とか連絡をとりたいの だが、生協書籍部は16時で閉店してしまってて電話が通じない。 結局、生協の別の店舗に何度も電話を掛けて泣きつき、生協内部 の連絡網で書籍部に連絡してもらい、何とか解決した。
てなことで1時間ほどドタバタして、ようやく帰宅。帰りのバスの 中で、男子学生が二人お喋りをしてて、そのうちの一人は、自宅の近所に 毎月1回ぐらいずつ交通事故がある所があって、スクールバス が田んぼに突っ込んで、児童が沢山救急車で運ばれていたのを目撃した こともあったし、これまた自宅の近所のマンションの3階から飛び降り 自殺した人を犬の散歩に出かけた母親がみつけ、わざわざ自分を呼びだして 携帯電話で通報するように言われたのだが、あの光景だけは見たくなかった というような話をしていた。
帰宅して夕食の後、ラクトスポーツプラザへ。今日は骨盤矯正ヨガと 有酸素運動を、、、と思ったが、ヨガが休講とか。ああ、そういえば 先々週にインストラクターの人がそういうことを言ってたような 気がするな、と。しょうがないので、ジムのマットで「ひとりヨガ」を30分ほど やってから、今日は長めの有酸素運動。
骨盤矯正ヨガは、かれこれ2年ぐらい通っているので、色々なポーズを 覚えてて一人でも出来ないことはない。しかしああいうものは、ヨガ用の 癒し系BGMが流れ、アロマの香りが漂う中、頭をからっぽにしてインスト ラクターの掛け声に従ってやる方が気分的に楽だし、リラックス効果が高 いような気がするな。
2013年2月27日(水)
<<電話機を買う>>
午前中は自宅で数学。昼食後、山科区内の銀行で野暮用の後、
床屋へ。さらに京都駅前のビッグカメラまで足をのばし、固定電話
を購入。その昔はケンウッドとかソニーも電話を作っていて、俺サマは
それらを愛用してたけど、どちらも既に撤退したようで、
店頭には見当たらなかった。それから山科に戻り、スーパーで買い物
をしてから帰宅。夕食後、電話の設置はまたにして、少し数学。
ここ数日友人たちと連絡を取り合った結果、来週末と再来週末は 飲み会、食事会が目白押しとなった。いずれも大学時代、会社員時代、 国立研究所時代の友人たちである。これ以外に、中学や高校時代の友人 たちとも、フェースブックなどで連絡を取り合ったり飲み会を したりしているが、これらはいずれも30代前半に大学に移るまでに 出会った人たちばかりである。
では大学に移ってからはどうかというと、語学学校で知り合った り、中学の友人の知りあいとフェースブックを通して知りあったという のがチラホラあるが、大学や学会で知りあった友人というのは ほとんど皆無に近い状態である。やはり友人関係というのは、利害関係 がある間柄では成立しにくい。
勿論、利害関係で結ばれた友人関係というのも世の中には多いが、 俺サマ級の馬鹿が歳をとると、そういうものとはあまり縁がなくなる。 優れた能力なり権力なり財力なりがあれば、それを利用しようと 人々が集まるが、歳を取った馬鹿は誰が見ても利用価値はないからである。
そりゃあ俺サマだって、「利用価値のある奴」ということで チヤホヤされてみたいというギラついたスケベ根性はあるので、 利用価値の無い馬鹿という境遇は残念といえば残念である。 その一方で、じゃあ利用価値が無く なったら、ぼろ雑巾のように捨てられるんだなと思うと、 「やっぱり今のままでいいか」と。
2013年2月26日(火)
<<親和会宴会>>
午前中は自宅で数学。昼過ぎに自宅を出て、山科駅の立ち食い蕎麦屋
のようなところで軽く昼食の後、出勤。研究室で先日の東大と名古屋大学
の出張報告書を書いて提出し、さらに、生協書籍部に注文しておいた
卒研用テキスト「ガロア理論入門」の納品時期について問合せ電話を掛ける。
何でもこの本、出版社から18日に発送されたそうだが、まだ届いて おらず、問屋に確認していると。これは何か事故があったに違いない。 近頃だと、北米からでも18日に発送しても、既に日本に届いているはずだし。 ただし、ドイツから日本に発送すると、物によっては届くのが1カ月後なんて ことは珍しくないけど、ドイツ税関が抱かえ込んでくんくん嗅ぎまわる時間が 必要だから、らしいが。
それで生協の係の人に色々相談して、何とか別ルートで取り寄せて、 今年度の予算処理に間に合うようにしてもらうことにした。
その後16時から45分程度教授会の後、チャーターしたバスで京都市内 料亭に向かい、18時25分頃から21時頃まで親和会宴会。久しぶりに 沢山食べて、たらふく飲んだ!
座席を決めるくじで良い席が当たり、両脇はドタキャンで参加できなかった 先生が居るとかで、空席。俺サマは誰とも話すこともなく、昨日買った文庫本 を読みながら、悠然と料理と酒を楽しむことができた。いや、途中、俺サマ の所にやってきて何か話しかけてきた先生が居たが、例によって聞かれたこと にだけ懇切丁寧に答える「俺サマトーク」で乗り切った。
ところで「昨日買った文庫本」とは、「あなたを傷つける人の心理」 (加籐諦三)PHP文庫。「きづな喪失症候群」「燃え尽き症候群」 「混合型」の3つの人格タイプを紹介し、燃え尽き症候群系の人は きづな喪失症候群タイプの食い物にされ不幸になるから、何とかして そこから脱却しろ、とある。さて、俺サマは何タイプかしら? どうも「最も愚鈍」とされる混合型のような気がしないでもない。 ああ、どうせ俺サマは馬鹿だよ。悪かったな!
うんざりするほど繰り返しが多い文体で、変な本だなと思ったが、 ずうずうしいことをしておいて、「すみません」と平身低頭頭を下げる ような狡い人に人々は騙されやすいというような記述があって、その部分 だけは妙にリアリティーを感じた。というか、「そういう奴に騙される 奴っているな」と、騙す方と騙される方の両方の顔が思い浮かんだ。
2013年2月25日(月)
<<無線LANの調子悪し>>
午前中は自宅で数学。昼前に山科区内の銀行や郵便局を回って野暮用。
ついでにその辺で適当に昼食。帰宅してまた夕方頃まで数学。夕食
後はラクトスポーツプラザへ。今日は楽しいZUMBAと筋トレ。
来週のZUMBAはお休みで、水曜日のマイアミダンスの インストラクターが代講をする予定とか。水曜日のマイアミダンスは ちょくちょく参加しているけど、これもまたハードなダンスでなかなか 面白い。そもそもインストラクターが個性的というか、見るからに 「うわー、面白ろそうな人やなあ!」って感じの人なので、結構楽しみ。
最近自宅の無線LANのルーターの調子がおかしいく、 時々ネットに接続できなくなる。以前からちょくちょく 似たような現象が起こり、電源を再投入すれば直るの だが、最近はその頻度が高くなって、2,3日に一度ぐらいの 割合で起こっている。今日も夜中になって急におかしくなって、 電源再投入して結果的には復旧したものの、 ハード的に劣化してきてて、変なノイズ が入って障害が起きてるのかしらとか、そのうち 再立ち上げでも動かなくなる日が来る んじゃないかしらとか、色々気になる。
この手の話の厄介なところは、困った時の対処方法を知ったり、 メーカーに連絡したりするのにインターネットが必要になることが多いこと である。ネットが使えなくなって困っている時に、どうやって インターネットにアクセスするんだよう!と。このジレンマは、どう やって解消するのが良いのか、いまだによくわからない。
2013年2月24日(日)
<<伊勢うどん初体験>>
久しぶりにゆっくり寝られたって感じ。朝食の後、京都新聞日曜版の
2つのパズルを速攻激破してから、数学。昼前に光ネットの会社から
電話があったり、一昨日津のスーパーで買ってきた伊勢うどんで
昼食をとったりしてから、午後もまた数学。
伊勢うどんの写真をフェースブックにUPしたら、思わぬ人も コメントに加わって、かなりの賑わいになった。あれは讃岐うどんとは 全く違う概念のものだが、食べてみると結構美味いものである。 伊勢の人は昔から当たり前のように食べてきたようだが、伊勢以外の 人は三重県人でも知らない人が多く、俺サマも30歳を過ぎるまでその 存在を知らず、54歳にして初めて食することとなった。
夕方頃、山科区内に買い物に出て、生活雑貨やワインなどを買 って帰る。夕食を挟んでさらに少し数学。
2013年2月23日(土)
<<無意味なシステム>>
アンチュチュと寺子屋の日。10時から12時半頃まで
アンチュチュでフランス語の授業を受け、新福菜館百万遍店にて
昼食の後、サラダバーがしょぼい京大中央生協食堂に移動し、
コーヒーを飲みながら、フランス語の宿題とドイツ語の予習を終える。
例のコアダンプ爺さんも来てたけど、やはり相棒の爺さんは来てな
かった。それからアンチュチュの図書館に移動してしばし数学。
アンチュチュではこれまで無線LANが自由に使えたのだが、 最近システムが変わって、一般利用者は何やらメールアドレスの 登録が必要な無線Lanに変わってしまった。まず、ある 識別名の電波を指定すると、Web上に認証登録画面が現れる。 そこではメールアドレスを入力せよとあり、入力するとそのアドレス 宛てに認証コードが送られてくるから、そのコードをどこそこに 入力せよ、と。
アホかいな。ネットが使えずにメールが受け取れないから、 利用登録しようとしているのではないか。送られてくる認証コード を閲覧できるぐらいなら、最初から誰も苦労はせんわ。しかも、 この認証画面は、アンチュチュの無線Lanの電波が届くところでしか 見ることができず、認証コードは5日程度しか有効でない。こんな 無意味なシステム、誰が導入しようって言いだしたんだろう? そりゃあ、携帯電話のメールアドレスを使う手もあるけどね。
16時40分から18時10分すぎまで、寺子屋にてドイツ語の 授業を受ける。今日もかなり寒いので、荒神橋から京都 市役所前までバスに乗る。それから久しぶりにJEUGIA三条本店 を偵察飛行。かなり前にCDの試聴マシンが廃止されてたのだが、 2年前にオスナブリュックの電器量販店サトゥーンや エッセンのマエッシュ書店のCD売り場にあったのと同じタイプの 試聴マシンが導入されていた。よろしい。これからまたCD漁りが 楽しくなるぞ。
帰宅して夕食。出張中は早起きして寝不足だし、今日も 一日語学学校で疲れたな。と、津で買ってきた地酒で飲んだくれる。
そういえば、名古屋の地下鉄に乗って驚いたことのひとつは、 ほとんどの駅で、トイレが改札の外にあること。これでは、電車に乗 ってる途中でもよおしてきたときは、ずっと先の分まで切符を買ってあっても 途中下車しないといけない。
もっとも、三重県で生まれ育った俺サマの子供の頃は、 これが当たり前という感覚だったような気がする。待を歩いていて トイレに行きたくなったら、地下鉄など鉄道に駅に駆け込めば何とかなる、と。 むしろ初めて京都に来た時、切符を買って改札の中に入らないとトイレに 行けないことに驚き、何とイケズな街なんだ!?と愕然としたような覚えもある。
もひとつ驚いたことは、停車したときにどちら側のドアが開くかは、 駅によってまちまちで、頻繁に交代すること。これだと、列車が混んでいて ドアの辺りに陣取った時に困る。出入り口が変わるごとに 反対側のドアに移動しなければならない。こういうことは、東京や 京都ではあまりない。しかし、電車のドアの脇に陣取って、 多くの人が出入りして邪魔になる時も頑張って動こうとしない、所謂「コマ犬」 乗客を排除するための、徳川家康譲りの深謀遠慮なのかもしれない。
一番残念だったことは、名古屋駅前にそびえる駅前ビルが改装工事中で、 長年親しんだ「大名古屋ビルヂング」の看板が見えなくなっていることだ。 名古屋に降り立った人の誰もが、この「大名古屋ビルヂング」という 大時代的な看板を目の当たりにして、名古屋文化のディープな世界の予感に 身震いするものだが、その名古屋の表看板をしばらく見ることができないとは。。。
もひとつ驚いたことがある。それは青柳ういろうのコーヒー味が 無くなっていたことだ。東海地方に育った俺サマぐらいの年代の人間は、 「白、黒、抹茶、小豆、コーヒー、ゆず、桜。青柳ういろう!」とい うCMが耳に焼き付いている。そのコーヒー味が生産中止になっていた。 そういえば数年前に、売れ行きが良くないので廃止するというニュースを 何処かで読んだような気もするな。
俺サマが河合塾で大学受験浪人してた頃、 名古屋駅前の地下街には丸善の出店があって、時々そこに行っては 大学初年度級の微積分学の演習書などを眺めて、早くこんなカッコイイ 学問に没頭できるようになりたいものだと思ったものである。 今回は時間の関係もあってちゃんと探索しなかったせいか、 その店は発見できなかった。
まあ、俺サマのように半世紀以上も生きてると、色々なことがあるな。
2013年2月22日(金)
<<津回りで帰宅>>
栄のホテルをチェックアウトし、早目に名古屋大学に到着。
大学のカフェでコーヒーを飲みながら、しばし数学。10時から
途中15分程度の休憩を挟んで12時半過ぎまで講演を聞く。
休憩時間に、またも気になったことを講演者に質問。その時は、 ああ、なるほど、そういうことか!と思ったが、後で考え直したら、 やっぱりわからない。そこでもう一度聞きたくなって くるが、そこからは「越えてはならない一線」だったりするから、 注意が必要である。つまり黙殺大魔王の件もあって、「いつか来た道」 になりかねない。そこでぐっと自制して、あとは自分で考えてみよう ということになる。
講演が終わって、すぐに名古屋駅に移動。途中、地下鉄のホームで 電車を待っている間に、ホテルの朝食ですこし余分にくすねておいた お握りで昼食。近鉄で津に帰り、「別荘」を視察したり、友人を訪ねたり、 地元の神社にお参りしたり、年末に食べられなかった某鰻屋で夕食を とって、「年末の恨み」を晴らしたりした後、津駅から 19時台の近鉄特急に乗って22時頃に帰宅。
ふと思いだしたのだが、俺サマの大学受験の時には、数学を独立した 立派な学問として扱っている大学を志望校に選ぼうとしていた。 名古屋大学と静岡大学の数学科は、当時は入試の難易度がほとんど同じで、 受験生の常として、最初は大学の中身も同じかと思った。ところが、 大きな本屋で大学教員名簿を立ち読みしてたら、教員の数が圧倒的に 違っていて、静岡大の方は一人の先生が複数の分野を掛け持ちで教えて いるような印象を持ち、「やっぱり名古屋の方が上だな」と思った。
また、東工大も考えたけれど、大学の案内に、数学は工学に奉仕する ための学問だ、みたいなことが書かれていたので、「そんな卑屈な 根性で学問をやっている学科は駄目だ」と思って、志望校から外した。
Ritsの数学科も、当時は数学物理学科と呼ばれていたので、 数学を独立の学問として認めていない大学は駄目だと思って、 志望校からは外した。
早稲田は古くから「数学科」があったが、慶應には数学科が出来たばかり で、しかも数学科ではなく「数理科学科」と呼ばれていた。その名前から どうも「数学に対して腰が引けている大学」という印象を持ってしまい、 慶應も志望校から外し、同じ日に入試があった東京理科大理学部数学科か 理工学部数学科を受験した。ただ、私立大学に多い理工学部数学科というのも、 「何でコバンザメみたいに工学部にくっついて理工学部してるんだよう!?」 ということで、理学部よりもちょっと低く見てるようなところもあったけど。 つまり、当時の俺サマは、立派に純粋数学至上主義少年だったのである。
当時の各大学の数学に対する姿勢にどのような違いがあったのか は知らないが、受験生としては、そういう表面的なことから中身を推察 して志望するしないを決めるしかなかったわけである。その状況は、今も さして変わっていないかも知れない。
昨今、大学の経営者たちは、かつての俺サマのような受験生を 想定して数学科の名称や位置づけを考えたりはしないし、俺サマも 自分は数学者なんかじゃないのだから、数学科だろうが数理科学科だろうが、 大学が数学に対して腰が引けてようがいまいが、数学科が 工学に対して卑屈だろうがなかろうが、そんなことはどうでも良くて、 要は自分が思うように数学研究ができれば、それでいいと考えている。
2013年2月21日(木)
<<名古屋大学出張>>
自宅を9時半過ぎに出て、名古屋大学へ。京都からの新幹線は、
雪の米原で徐行運転。しかし9分程度の遅れで済んで、
地下鉄東山線本山駅近辺で昼食をと思ったけれど、大した店もなく、
結局名古屋大学までのだんだら坂を上って、名大生協で昼食。
予定よりかなり早目に到着してしまったので、その辺をうろうろ
して、昨日の東大出張の精算をしたり、数学をやったり。
そういえば、今は本山で乗り変えれば名古屋大学のキャンパスの 中まで地下鉄が通っているが、昔は上記のようにだんだら坂を1キロぐらい 上らなければならなかった。高校2年生ぐらいまでの俺サマは、 理論物理学者になりたいと思っていたので、その方面で 有名な名古屋大学理学部も志望校のひとつだった。何かの折に名大を 見学に訪れたとき、 本山駅からのだんだら坂で、「宇宙空間物理学」というタイトルの 分厚い本を小脇に抱えた大学生か大学院生風のお兄さんが前を歩いて いるのを見つけて、「おお!カッコいいなあ」と憧れたものである。
理論物理学志望から数学志望に変わった理由は色々あったけれど、 実験が嫌いで数学が好きなら、多少なりとも実験物理と無縁 ではいられない理論物理よりも数学だろうと思ったことと、ガロアの 伝記を読んで「カッコいいな」と思ったことが決め手だったと思う。
13時30分から16時過ぎまで、外国から招いた某先生の講演会。 最近の俺サマの研究課題にも近い人で、俺サマが世界のあちこちの研究 集会に偵察飛行に出かけると、かならずこの人が参加してたり講演して たりする。今日の講演も興味深く聞けた。
途中30分程度の休憩時間に、ちょっと質問をしてみたが、 なかなか興味深い返事が返ってきた。もうちょっと話してみたかったが、 これ以上話すと俺サマが馬鹿だということがバレて厄介なことに なるといけないので、早目に切り上げた。こういうことは、馬鹿がばれない ように寸止めすることが肝要だと思う。
講演が終わって、栄のテレビ塔の近くのビジネスホテルにチェックイン。 夕食は栄にある老舗の鰻屋で。俺サマ好みの渋い店構えで、 備長炭で表面をカリッと焼き上げるところも俺サマ好みだが、 冬の鰻はやはり脂の乗りがいまひとつである。
名古屋の鰻といえば櫃まぶしだが、俺サマは鰻の蒲焼 一本に絞って余計なものを加えるのは嫌いなので、鰻丼か鰻重しか 注文しない。これはちょうど、酒飲みが「酒のつまみなど余計なものは 要らない、酒だけを飲むか、せいぜい塩をひとつまみ添えるだけで十分だ」 と言うのにも似ているかも知れない。
2013年2月20日(水)
<<東大柏キャンパス>>
自宅を10時過ぎに出て、東大柏キャンパスへ。
行きの新幹線の中で、隣のビジネスマン風のオジサンが昼食を食べていた。 駅で買ったカツサンドと缶コーヒー。帰りの新幹線でも、 隣のビジネスマン風のオジサン(勿論、行きのオジサンとは別人!)が、 カツサンドと缶ビールの夕食をとっていた。
そうか、ビジネスマンのオジサンって、結構肉食系なのね。しかし、 小さなカツサンド1つだけで1食完了ってところが、オジサンっぽい気も しないでもない。そんなので腹が減らないのかしら、と。
ちなみに俺サマの昼食は、秋葉原駅で炙り焼き豚入りネギ味噌ラーメン、 夕食は電車の中で駅弁の幕の内弁当みたいなのと赤ワイン187ml瓶。
東大柏キャンパスは何だか威圧的な建物が立ち並ぶ殺風景なところ だった。九大の伊都キャンパスもそんな感じだし、こういう建築 が最近の流行りなのかしら。しかし、数学物理研究所(というのは正式名称 ではないが)の建物の中は快適に作られていて、至る所に壁一杯の黒板が 設置されているオープンスペースがあって、いつでも誰とでも コーヒーを飲みながら気軽に議論が出来るようになっている。そういえば、 エディンバラ大学やパリ大学の数学研究所もこんな感じだったな。
もっとも、俺サマは馬鹿だから、こういう環境は性分に合わない。 だって、馬鹿が気軽に誰と議論するのよ?って話になるし。
15時半から17時の数論幾何学の講演を聞いたが、これは物理の人 も対象にしたものらしく、研究セミナーというよりは談話会風の内容で、 専門外の俺サマには分かりやすくて良かった。
22時前に帰宅。明日と明後日は名古屋出張なので、今晩のうちに 土曜日の夕方のドイツ語の予習を片付ける。
2013年2月19日(火)
<<数学者っぽい>>
昼過ぎに山科駅前まで散歩に出て、銀行で明日からの出張費を下ろし、
大丸ラクト山科店で赤ワインを1本買ってすぐに帰ってきた以外は、
終日自宅にて数学。
俺サマは偵察飛行で面白いことを発見し、それによって日々の糧を 得ているようなものなので、 今日のような自宅待機の日は頭の中が静かである。こんな日は ふと碌でもないことを思いつくもので、今日は「卒業式の日に 学科長から『それでは、各先生から卒業生に対して一言』と求めら た時に何を喋ればいいのかしら?」という考えに数分程度囚われて しまった。
無理矢理先生らしい挨拶をひねり出すべきか、それとも、 正直に「何も言うことはありません」と言うべきか。うーむ、 これは後者で行きたいな。では何故「何も言うことがない」の かというと、これはたぶん俺サマが彼らのことを教師対学生という 概念では見てないから。
学生達を「もしかしたら数学的興味を分かち合えるかもしれな い若い人」ぐらいにしか思ってなくて、数学の切れ目が縁の切れ目 というか、「もうこの人と数学の話をすることはないな」と思うと、 途端に相手に興味が無くなるというか。
そういうのって、数学者社会にとても良く似てて、 俺サマは普段は自分は数学者なんかじゃないぞ!と思ってはいるものの、 実はこういうところは誰よりも数学者っぽいのかも知れないな。
2013年2月18日(月)
<<母親の話>>
寒さは緩んだが、朝から激しい雨。午前中は自宅で数学。昼前に
自宅を出て、山科区内で軽く昼食の後、大学に出勤。
まずは3月初めの大阪出張の申請書を書いて提出。
昨今、大学教員は講義の休講があまりできなくなり、 平日の出張が難しくなってきた。そのため、最近では 研究集会などは土日をまたいで開催されることが多い。 しかし3月に講義をやってる大学もあるまいに、何で 土日を含めて研究集会を開くのか、その辺の事情は よくわからない。
講演内容を見て、既に授業料を払ってある土曜日の フランス語の授業をキャンセルしてまで聞きたい講義か どうかを精査した結果、結局日曜日の午後から参加する ことにした。
14時から16時前まで、複素代数幾何学の卒研プレゼミ。今日は 2次微分形式による平面内の領域の向きづけの概念について。 次回はグリーンの定理をやって、正則関数のところにちょっと入る予定。
ゼミの後、すぐに帰宅モード。しかし何故かバスロータリーに 学生の長蛇の列。1つバスをやりすごし、次のバスを待つことに。 俺サマの前に並んでいたオジサンとオバサンが、オリンピックの話 をしていて、テコンドーやビーチバレーや柔道を残して、 由緒正しいスポーツであるレスリングを外すようなオリンピックなら 意味ない。そんなもの、やめちまえばいいんだ!と憤慨していた。 俺サマはスポーツ観戦には全くと言っても良いほど興味がないので、 「そんなものか」と思って聞いていた。
南草津から電車に乗ったら、大学生らしい男女のグループが おしゃべりをしていたが、特に女子学生の一人の母親の話が凄かった。 小学生の頃から、玄関に上がったらすぐに風呂に入らないと家の 中に入れてもらえず、風呂から出たら、玄関に置いたランドセル には触らせてもらえず、結局玄関で宿題をした。しかし宿題をしている 間に疲れて居眠りしまうことが多く、結局玄関で寝て、そのまま起きて学校 に行っていた。風呂に入る順番が、娘と母親とその後で父親と etc. という風に決まっていて、父親が仕事から遅く帰ると娘が玄関で 宿題をやりながら寝てしまっていて、父親は風呂に入れず家の中に も入れてもらえない。それで父親も玄関で寝て、翌日そのまま 仕事に出かけていた。その父親も自分が中学受験に失敗した 時に家を出てしまい、今は音信不通状態で。。。。
あるいは、ゆうべ見たドラマの筋書きの話だったのもしれないが、 その話を聞いていた男の子が「それで君は、よくちゃんと育った ものだね」と絶句していたから、実話だろうと思う。 これ以外もなかなか凄い話をしていたが、 俺サマが思うに、あと10年もすれば、この母親は娘からの激しい復讐を 受けることになると思う。病んだ母親の長年の理不尽に傷つけられ た子供の心は、復讐を通してでしか癒せないという説に基づく推測。
帰宅して夕食。夜はラクトスポーツプラザへ。1カ月ぶりの 楽しいZUMBA.振り付けの曲がかなり変わっていたけど、 俺サマもかれこれ2年通っているので、このインストラクター の基本的な動作のパターンが大体分かってて、 大きな混乱なく動きについていけた。
2013年2月17日(日)
<<楽しい人生>>
久しぶりに静かな日曜日である。午前中は、京都新聞日曜版の
2つのパズルを速攻撃破。昼頃にラクト山科に買い出しに出た
以外は、曇り空で今日も寒かったこともあって、終日自宅に籠り、数学、昼食、
数学ときどき昼寝、夕食、そしてまた数学。途中、適宜
逃避行動なども織り交ぜる。
逃避行動のひとつとして、カリスマ的人気のあった某ロックバンド の伝説的ギタリストが末期がんで余命数カ月とされていて、 彼がこれまでの人生を語ったり、ギターのテクニックを伝授するビデオ というのがネットに流れていたので、それをちょっと見てみた。 彼が「ギターを通して色々な人と出会うことができて、 楽しい人生だったし、ギターをやってて良かった」と振り返っている ところが、一番印象深かった。
数学でも、偉い先生の還暦パーティーなどのスピーチで、 大先生が同じようなことを言うことが多い。やはり何かしら 人並み以上の能力があれば、人は集まってくるし。しかし 大先生ならざる普通の数学者はどうなのかについては、 俺サマはよくは知らない。
俺サマ級の馬鹿だとどうなるかというと、 計算機屋時代は何だかんだ言って結構楽しい出会いが沢山 あったけど、数学に転向してからは状況が変わって、 「数学を通して、人々との色々素晴らしい出会いがあって 楽しかった」なんてことは、あり得ないな。まあ、数理研猫とか、 オスナブリュックの哲学者風のホームレスのおじさん、 マインツやオスナブリュックの路上で絵を描いているときの、 街の人たちとの一瞬の出会い etc. なんてのも、数学をやってたからこそと考えられないでもないけど。
同業者との愉快な出会いというのはあまり無いけど、 素晴らしい数学理論との出会いは色々あって、結構楽しい ことは確かである。数学科学部卒の計算機屋として、あのまま ずうっと数学に戻らずにやってたら、こんな面白い理論を知らずに 死んでただろうなと思うと、やっぱり数学に戻ってきて良かったと言える。
そういうことは、計算機から数学に転向しようと思った時に既にある程度予感 してたというか、「俺サマ級の馬鹿が数学に戻ったら、馬鹿が大嫌いな数学者たちに 苛められたり冷たくあしらわれたりするだろうが、数学やって飯が食ってけるん だったら、それ以上のことは望むまい」みたいなことを考えていたけど、 今まさにその通りになっているな。
2013年2月16日(土)
<<強い爺さん発見!>>
最高気温5度と、京都にしては結構寒い日。9時40分頃アンチュチュ
に到着して、10時から12時半過ぎまでフランス語の授業を受ける。
それから久しぶりに新福菜館百万遍店に行き、焼き飯セットで昼食。
その後、吉岡書店で古本を物色。東京書籍の「ガロア理論入門」(アルティン著) に3000円以上の絶版プレミア価格がついていた。今は文庫本再版が 1260円で買えるようになったのだから、その値段で買い手がつくかしら。
それから、カルタン(父か子かどちらか確認してない)の外微分形式の本の フランス語版が出てたが、三角関数とかごちゃごちゃ使った式が目に入ったので、 何となくパス。数年前にヴェイユのアーベル多様体論の本のフランス語版を買った けど、正標数の扱いをちょっと眺めただけで、まだ読んでない。ヴェイユの ケーラー多様体論のフランス語版は、図書館で借りてみたけど、これもちょっと 眺めただけで返却した。
何でフランス語の数学書なのかというと、数学をやりながらフランス語も 一緒に勉強できるからというだけの理由。でも、数論幾何学っぽい話に手を 出してしまうと、必然的にフランス語の数学論文を山程読まないといけなくなる から、当面読みそうにない本を無理して買うこともないか、と。
吉岡書店を出て、京大中央生協食堂でコーヒーを飲みながらフランス語の 宿題を片付ける。ここは食事の後に談笑している学生も多いので、そう静か なところではないのだが、どこからかクチャクチャクチャクチャという奇妙な 音が、小さいながらもしっかり聞こえてきた。ふと見ると、数メートル離れた 隣のテーブルで昼食をとっている男の子が、口を開けて咀嚼していいる音だと 判明した。
ふーん、京大生でもこんな奴がいるのか。って、まあ、別に居ても おかしくないわな、と。一体どういうタイミングで音を出しているのか、 彼が食事を終えて立ち去るまでずっと観察していたが、特に顎の奇形で 口が閉じられないとか、鼻が詰まっていて口呼吸せざると得ないといった 原因ではなく、単にそういう習慣が矯正されていないだけと思われた。 また、クチャクチャ音を立てる以外に、時々何かブツブツ言いながら、 サンマの塩焼きを食べていた。まあ、ブツブツ言うぐらいなら、俺サマ だってするけどサ。
京大中央生協食堂と言えば、例のコアダンプ爺さんとその相棒爺さんだが、 1月下旬ごろから一度も見掛けたことがなかったが、今日はコアダンプの方 だけが寂しそうに座っていた。
フランス語の宿題とドイツ語の予習を片付けた俺サマは、アンチュチュの図書館 に移動し、しばし数学。それから16時40分から18時10分頃まで、 寺子屋でドイツ語の授業を受ける。
帰りは寒かったので、荒神橋から京都市役所前までバスに乗り、三条で道草を 食うことなく、まっすぐに山科に帰る。いや、その前の大丸ラクト山科店で 安い赤ワインを1本買ったけど。「芳醇な味わい。重厚でしっかりしたボディーが 特徴です」と。ボディーって何なんだよう!?という突っ込みは措くとしても、 俺サマの嫌いな酸っぱいワインだったのが残念。
ラクト山科を出ようとしたとき、最近スポーツクラブで全然見掛けなくなった、 例の「強い爺さん」とすれ違った。おお、この爺さん、まだ元気でやってたんだ。 しかし何となく前よりも老けてぼんやりした雰囲気になっていた。あのまま ラクトスポーツプラザに行くのかしら。
帰宅して夕食の後、しばし飲んだくれててのんびりする。この一週間は ちょっと睡眠不足気味。今日の語学学校通いが終わって、やっと一息という感じ。