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よ け ス ペ ー ス で す。

2013年1月15日(火)
<<事務的雑用を片付ける>>
午前中に出勤。衣笠キャンパスは12日の補講授業で初出勤したけど、 びわこ草津キャンパスは今年初めての出勤で3週間弱ぶりである。 生協食堂での昼食を挟んで、色々事務的雑用を片付ける。

まずは事務で溜まっていた郵便物を受け取って整理。 それから研究室に籠り、溜まりに溜まっていた3週間弱分のメールを 大学のPCに取り込んだが、そのあまりの多さにPCが動作不良を起こし、 リブート。

PCがまともに動くようになったら、先日の東京出張の報告書1通、 科研費の残高を調べて2月と3月の出張計画を練り直し、申請書類を各1通、 先日の衣笠の会議の出張費申請書1通を書いて事務に提出し、 溜まりに溜まっていた研究費のレシートを整理して、遠い遠い事務室に提出し、 2月の出張のホテルを予約し、明日の講義と来週の補講授業の講義メモを作り、 徳島大学での集中講義のレポート採点のための準備作業を終えたところで教授会が 始まる16時半になる。

教授会は17時40分頃に終わり、すぐに帰宅。夕食後、夜は少し数学。

2013年1月14日(月)
<<果てしない道>>
午前中は雨。自宅にて数学。昼過ぎに雨が上がったので、山科区内を 自転車で回って買い物とついでにその辺で昼食。帰宅後、また数学。 夕方、ラクト山科まで散歩に出て、ワインなどを買って帰る。夕食後も また少し数学。

年末年始に読んでいた160ページほどのフランス語の 論文も、当面必要な部分は「大体目を通した」(細部まできちんとは 読んでない!)ので、この論文の最後に出ているお目当ての計算例の 意味がわかるかなと思ったけど、どうも要領を得ない。

どうやら、別の著者の50ページ弱の論文の内容を暗黙のうちに 使っているようで、その論文もまた「目を通」さないといけない と分かった。

その前には600ページ近い、「電話帳」と呼ばれている フランス語の某論文を読む必要があったのだが、アンチュチュ通いの お陰でフランス語には抵抗ないけど、流石に600ページの数学論文なんて 読む気が起こらないので、そのダイジェスト版である 200ページぐらいの講義録を「ざっと眺め」て誤魔化した。

これらの論文も、いずれはきちんと読み直さないと使い物にならないし、 それに加えて300ページぐらいの定番教科書で、 以前定義だけ読んで「分かったフリ」している、ある理論も マスターしないといけない。

一体全体俺サマは何百ページ論文を読まないと新しいプロジェクトを 始められないのかしら?と気が遠くなる思いがするな。

2013年1月13日(日)
<< PCの設定に明け暮れる>>
午前中は京都新聞日曜版の2つのパズルをやっつけてから、プライベートで使っているPCの作業開始。去年の暮に買ったばかりなのに、電源スイッチのところが壊れ、電気屋と交渉の結果交換となった。

交換品のPCは東京出張から帰ってきてから現物受け取りということで、今日は古いPCのデータを消去したり、セキュリティーソフトの移し替えについての電話問合せといった作業をしてから、京都駅前のビッグカメラへ。途中、自宅で昼食、山科駅前Sbuxで食後の珈琲。

ビッグカメラでの受け取りはすぐに終わり、まっすぐ帰宅して 夕食を挟んで何だかんだと新しいPCと格闘。思わぬところでPCの 動きが止まってしまい、長い待ち時間に突入することもあり、その間、 フランス語の宿題の続きを片付けたり、大学の事務に提出する領収書の整理 をしたりといった作業も。まあ、何だかんだと1日仕事ですな。

そういえば、去年の3月末でRits勤続20年になるが、つい数日前 になって、大学当局から 「記念品をくれてやるから、いくつかの候補の中から欲しいものを選べ」 と言ってきた。この、約1年遅れのタイミングは何なんだろう? と気になるところではあるが、折角くれると言うんだから、相手の気が変わらない うちに貰っておこうか、と。 しかし、この俺サマがよく同じ所に20年も居られたものだと思う。

最初の2年間は情報工学科で、「まあ、こんなものかな」という感じだったが、 それから情報学科に改組されてからの6年間がキツくて、「こんな所に居たら 潰される!」と思って、あちこちの大学教員採用の公募に応募したけど、 全部蹴られた。あちこちと言っても、当時俺サマがやっていた分野では そんなにポストがあるわけでもないので、応募したのは高々数回程度だけど。 それでもう「座して死を待つのみか」と思ってたら、奇跡的に数理科学科に 移籍できた。

数理科学科は、同じ大学でも情報学科とは全く文化の違うところ。 情報学科の時は「お前なんか計算機屋じゃない」(あくまで彼らが 言う意味での”計算機屋”だけど)といって袋叩きの目にあったが、 数理科学科に移籍して最初の数年間は、「お前なんか数学者じゃない」と いって何かと苛められていた。まあ、学際分野をやっていると、往々にして そういう目に会いますな。

「じゃあ、お前ら、俺サマが数学者になればイジメないんだな」と 思って、頑張って数学者と認められるところまでこぎつけた。それで落ち着 いてあたりを見回したら、今度は数学者のイヤラシイ部分 が色々目につくようになり、「あんなんと一緒にされたくない」ということで、 数学者呼ばわりされると、内心ちょっとむっとするようになった。

そんな調子だから、同じ職場で20年と言っても、退屈する暇は 全然無かったわけで、半年間の京大数理研長期研究員、さらには 半年間のドイツ滞在も3回ほど行かせてもらって、 おおいに気分転換や学問上の飛躍もできたし、その意味では 「いろいろあったけど幸福な20年間だった」と総括しておこう。

2013年1月12日(土)
<<新しい眼鏡を受け取る>>
アンチュチュ冬学期第一日目。10時から12時半過ぎまでフランス語の授業を 受ける。クラスメートは前学期から来ている人ばかりなので、気心が知れている。 俺サマは年末年始にかけて、ずっとフランス語の論文と首っききだけど、それでも フランス語会話の授業となると、けっこう大変である。数学論文のフランス語なんて、 特殊な言い回しの繰り返しだし、アンチュチュのクラスで出てくる 日常会話的な表現は出てこないことが、その原因だと思われる。

授業の後、荒神口バス停に急行し、59番のバスでRitsの衣笠キャンパスに 移動。生協食堂で遅めの昼食をとってから、法学部事務室の非常勤講師控室で 20円レギュラーコーヒーを飲みながら、授業の準備をしたり数学を勉強したり。 補講日だと流石に非常勤講師室もガラガラだが、何故か法学部の若い先生が 学内政治関係の電話を掛けたり、同じような年恰好の同僚と愚痴をこぼし合っ たりしていた。そのうち年配の教授らしい人が現れて、この二人に東京の検察庁 に行ってちょっと仕事をしてきて欲しいと依頼していた。この部屋は、法学部の 先生達の溜まり場としても使われているのか。

14時30分から16時10分まで、法学部「数理の世界」の補講。 今日はフェルマー数を使った素数の無限性証明の話を完結させ、 次週最終回の枕として、等比級数の話を復習する。次回は、リーマンゼータ 関数ζ(s)のs=1の場合の話をして、それを使った素数の無限性証明の話をする予定。

引き続き16時20分から17時50分まで、産業社会学部「情報の数理」 の補講。今日は二項定理を使って剰余系の冪の話をし、RSA暗号が上手く動く こと、すなわち暗号化関数と復号化関関数の合成が恒等写像になるカラクリを、 具体例を使って示す。次回最終回は、この話をもうちょっと理論的な観点から 再度見直す予定。

補講が終わってすぐにバスと地下鉄を乗り継いで山科へ。ラクト山科の メガネ屋で、注文していた新しい眼鏡を受け取ってから帰宅。夜はフランス語の 宿題を片付けたり。

2013年1月11日(金)
<<昼食はメンチカツ>>
東大研究集会最終日。ホテルをチェックアウト。しかし大きな荷物は フロントで預かってもらった。10時からの講演を1つ聞いてから吉祥寺に戻り、 例の行列ができる店でメンチカツ3個を購入して井の頭公園のベンチで昼食。 まだ12時になっていない時間帯だったので、10数分待つだけでメンチカツが 買えた。

それから駅ビルに戻って小さなサンドイッチを1つ買って昼食の追加。 駅ビルのベンチで食べる。その後、東大に戻ろうかと思ったが、まだ少し時間 があったし、珈琲が飲みたくなったので、Excelsior Caffe吉祥寺サンロード店に 入って一息入れる。

ホテルで預けておいた荷物を受け取ってから、東大に戻り、午後の講演 を2つ聞いてから退散。

品川から新幹線に乗り、19時過ぎに京都着。そして京都駅のスパゲティー 店で夕食。ここはLL. L, M の3つの大きさのパスタが選べるが、どの大きさでも 値段は同じ。隣に座ったベトナム人と思われる若い二人組の女は、いずれも LLサイズを注文していた(俺サマはLサイズ)。うーむ、新興国の勢いを感じ させる食いっぷり。まあ、しっかり食べないと力が出ないからね。

2013年1月10日(木)
<<会場は人大杉>>
俺サマ的には、今日が東大研究集会のクライマックス。朝10時から興味深い 講演が目白押し。会場には何やら偉い先生 らしい雰囲気を漂わせた 90歳近いご老体がずっと来ている。 いったい誰かと思ったら、俺サマが学生の頃から教科書に 名前が出ていたK御大だった。歴史上の人物だと思ってたのだが、、、 何か、凄いものを見てしまったって感じ。

午後には80歳を超えてまだ大論文を書いている H御大も現れた。それ以外にも偉い人が沢山来ていたと思うが、何せ会場は 人大杉状態で、いっそのこと日本武道館でも借りきって開催してた 方が良かったんじゃないか?と思うぐらいなので、それ以上は確認していない。

午後の講演の前には集合写真撮影。これは確かに出張したという証拠を残す 意味で、会計監査対策としてぜひ必要だ。夜は大先生の誕生祝賀パーティーも 開かれていたようだが、これはパーティー嫌いな俺サマとしては、 当然ながらパス。

昼休みは1時間半あったが、友人が教えてくれた吉祥寺のメンチカツの店に 行ってみた。今日の昼食はメンチカツかなと考えてのことだが、 東大駒場キャンパスとの往復の時間を考えると、吉祥寺で 昼休みが過ごせるのは30分未満。 連日終日物凄い行列らしいので、 半分諦めていた。

で、やはり20人ぐらい並んでいて、しかも次のメンチカツが揚がるまで販売停止 とのこと。実は朝9時過ぎと帰りの18時半頃にも覗いてみたのだけど、その時は 売り切れになっていた。20数名の行列の後に一度は並んでみたものの、 「今日は駄目だな」と判断して早々と戦線離脱。

俺サマは、いくら美味しいものでも行列に並んでまで食べたいとは思わない けど、折角だから調査研究の一環として明日再度この店のメンチカツ獲得に向けて 全力を尽くす積りである。

夜はまた駅ビルの専門店街で総菜や酒などを買って、ホテルで夕食。

今日の講演者の一人は、最初の挨拶で 「数学者というのは往々にして厳しい人が多い。しかし、この集会の中心人物で ある大先生は親切な人で、どんな初歩的な質問をしても丁寧に答えて くれたので、自分がこの分野のプロとして成長する際に大いに助けられた」 というようなことを言っていた。別の大先生の60歳記念研究集会で、 別の講演者が同じような事を言うのを聞いた覚えがある。

そういえば俺サマにとって、オスナブリュックの某大先生はそんな感しで、 馬鹿な質問も辛抱強く親切に教えてくれたけど、例の黙殺大魔王は、 最初は親切に答えてくれたけど、途中からキレて態度が冷たくなったな。 俺サマのように、こういうことをいつまでも覚えているようでは駄目で、 少々冷たくあしらわれてもすぐに忘れてしまうぐらいに、 ある程度図太くなければ、数学業界でやっていくのは大変である。

もう1人の講演者は、「現在盛んに研究されていて競争の 激しい分野よりも、まだ誰も手をつけていないような分野を狙う方が、 じっくりと考えることが出来て面白い研究ができる」というようなことを 話していた。これは、数学に限らず、偉い先生がよく言うことである。

とは言うものの、実力が無ければ、メジャーな分野でもマイナーな分野でも 鳴かず飛ばずで終わる。俺サマなんぞは、ライバルとの競争に 神経をすり減らしながら沈没するよりも、のんびり楽しく研究しながら 野垂れ死にする方を、半ば無意識のうちに選んでいるってわけだ。

2013年1月9日(水)
<<井の頭公園>>
朝から東大駒場で研究集会。俺サマは大学の仕事の都合で 3日目から参加する形になってしまったが、1週間の集会の中日ということで、 今日は1時間講演が3つあって、13時半頃に終了し、 後は自由行動。この集会は、ある偉い先生の60歳の誕生記念集会で、東大 数理科学研究科の大教室は満員御礼状態。

運営責任者たちは今日の午後の自由時間に、明晩の誕生日パーティーのための酒 を調達しにひとっ走りするとか誕生会の参加者の人数を確定しなくてはという ような話をしていた。

朝食が軽かったこともあって、空腹のあまり遠出をする気が起こらず、 手近なところでキャンパスの中にあるイタリアントマトJr というスパゲティー屋 で遅めの昼食。ツナのトマトソースを注文したが、トマトソースが水っぽくて、 俺サマの好みではないことが判明した。これまで他の店でも同じメニューを注文 したことがあるが、東京のものはいずれもトマトソースが水っぽい。 鰻の好みが東京と関西で異なるように、東京の人は水っぽいツナトマトソースを 好むものと思われる。

昼食の後、東大生協書籍部で少し立ち読みして、ちょっと確認したかった、 ある概念の定義を調べる。それから吉祥寺の井の頭公園に移動し、公園内を散歩 しながら数学を考える。書店で調べたことをもとにすれば、必ずわかるはずの ことなので、無事解決。

まあ、東京も吉祥寺とかに住めるならいいかと思う。しかし俺サマは、 東京勤務時代に賃貸でもいいから吉祥寺を!と画策したことがあるが、普通の サラリーマンの給料ではとても払える家賃ではなく、結局浦和市(当時) の奥地にある、ほとんど陸の孤島状態にある賃貸アパートに落ち着いた。 現実は厳しいものである。

それからホテルに戻って、夕方まで数学。夜は例によって 吉祥寺の駅ビルで買ってきた惣菜や弁当で夕食の後、また少し数学。 東京に来たらこれを食べようというものが無いので、 特にどこかのレストランを捜そうという気も起こらない。 それよりも、駅の近くのスーパーや食料品店などで売っている 惣菜がけっこう充実していているので、そういう店を回って好きなものを 好きなだけ買ってきてホテルの部屋で食べる方が楽しい。

2013年1月8日(火)
<<吉祥寺なう>>
午前中は出張の荷造りなど。昼前に自宅を出て、京都駅の手荷物預かり所に 大きな荷物を預けてから、バスで衣笠キャンパスに移動。昼休み時間中に 大学に到着したので、生協の書籍部でしばし時間調整して、生協食堂が すいてくるのを待ってから、昼食。

生協の書店では、東大からオックスフォード大学だかケンブリッジ大学 だかに移籍した、某エリート教育学者の新書本が目についた。日本とアメリカ、 イギリスの大学の比較を論じた一般書。俺サマも大学運営に責任がある立場 だから、こういう本を読んで勉強しないといけないかもしれないけど、まあ、 東大やオックスブリッジの話がRitsにそのまま当てはまるとは思えないし、 そういう所でしか大学教師の経験が無い学者の言うことなんて、大して参考に ならないだろうということで、購入は見送る。

大学の数学科の教授達の多くは、学生のほとんどが数学者を目指すような 大学で教育を受けているので、現代数学の教育とはそういうものだと考えがち である。しかし、そういう教育を受けた数学者たちが教える大学の数学科や 数理科学科は、大抵の場合、ほとんどの学生が数学者を目指しているわけでは なく、普通に学部卒かせいぜい修士卒で社会に出て働こうと考えている普通の 人たちである。

従って数学者養成大学の教育は通用しない。学生達は、将来数学者になるため に必要だと盲目的に信じて、砂を噛むような思いで群論の抽象理論を必死に勉強 するなんてことは決してしない。それをしなければ現代的な代数幾何学や数論は 全く理解できないけど、別に数学者を目指すわけでもないから、彼らとしては特 に困ることはないのである。

また、彼らにとって数学の勉強は、バイト、サークル活動、資格試験や採用試験 の受験準備、友達付き合い、その他あれやこれやの雑事よりもはるかに優先度が低く、 大学院の学生でもあれやこれやが忙しいという理由で簡単に数学の勉学を中断する。 卒研ゼミの準備にまるまる一週間を費やすなんてことは、そもそもあり得ない。 もちろん、それぐらいしないと、よほどの天才・秀才でもない限り現代数学を理解 することは難しいのだが、彼らにとっては、そこまでしなければならない理由は 特にない。

つまり彼らにとって数学は、それが無ければ生きていけない人生の糧などでは 決してなく、単なる人生の通過点か風景のひとつでしかありえないのである。

では、そういう学生が集まっている大学の数学科では、どういう数学教育 を行うべきか?それは、たとえば、世界的数学者を輩出し続けるために何を やらなければならないか?という問題を必死に考え、 「最近、お宅の大学からフィールズ賞受賞者が出てませんね」という 興味本位とも思える揶揄にも真面目に対処しなければならない(たぶん)、 東大や京大の数学科とは全く違う思想が必要になる。

数学者というのは、数学者を真剣に目指すぐらいの心掛けがないような 「不真面目で資質に欠ける」学生に数学を教えてもしょうがない、数学は エリートのためだけの学問だと(無意識に)考えがちだが、その考えが間違 いであるという認識に立ってこそ、初めて東大や京大以外の数学科での 数学教育をマトモに考えることができる。

では、数学者は、せいぜい学部か修士卒で(現代)数学とはサヨナラする 学生達に、現代数学の何を伝えるべきか?伝えるべきこと、伝えることができる こと、伝えなければならないことは沢山あるはずである。それはそういう学生に 日々対峙している我々自身が考えなければならないことである。

と、いうような思想でもって、俺サマは群論の講義をしている訳ではなく、 ただ単に自分がやりたいようにテキトーやっているだけなのサ♪

昼食の後、法学部の非常勤講師室で20円レギュラーコーヒーを飲みながら しばし数学。14時半より会議。15時40分頃に終了。それからバスで京都 駅に移動し、東大出張のため、新幹線で東京に向かう。20時過ぎに吉祥寺の ホテルのチェックインし、21時過ぎに夕食を終える。

2013年1月7日(月)
<<初ZUMBA>>
午前中は自宅で野暮用と数学。昼過ぎに自宅を出て、近所の銀行で 明日からの出張費を下ろし、さらに山科駅方面に向かい、途中の ラーメン屋で昼食。それから山科駅前Sbuxで食後のコーヒーを 飲みながら数学。

Sbuxでは、地元の大学生が、大学の勉強の一環として アンケート調査をしているのだが協力してもらえないかと言ってきた。 スマートフォン利用に関する簡単なアンケートだったので、OK したが、他の客も回っているようだった。しかしそうこうしているうちに 店員に気付かれたのか、注意されているようで、それからやめてしまった。 店の許可を貰ってなかったのか。まあ、その学生としては良い社会勉強に なったことだろう。

夕方まだ早い時間に切り上げて帰宅。それから出張の準備をすこしして、 またしばらく数学。いつもよりも少し早目に夕食の後、しばしのんびりして、 それからラクトスポーツプラザへ。

今日は今年初の楽しいZUMBA.年末は「別荘」の掃除やら何やら で動き回っていたが、大晦日に自宅に戻って以来、毎日自宅で寝っ転がって iPadに入れた論文に読みふけっていたので、体が相当なまっていた。そのため 今日のZUMBAはちょっとキツく感じられたが、終わる頃には体調が戻ってきた。

明日は午後に衣笠キャンパスで会議に出て、その後東京に移動し、翌日 から東大の研究集会に参加する予定。この集会は今日から既に始まっているの だが、明日大事な会議があるため、最初の2日は参加できず。

2013年1月6日(日)
<<マシンガントーク>>
ああ、今日は日曜日だったんだ。京都新聞日曜版の2つのパズルを見て 初めて気がついた。で、さっそく攻略。その後、昼過ぎまでしばし数学。 それから散歩がてらに山科駅方面に向かい、途中の饂飩屋で昼食。 その後、山科駅前Sbuxで食後のコーヒーとしばしの数学。隣の席に は40過ぎの女二人がいて、マシンガントークで正月の海外(?)旅行の 話やスマホの話などに耽っていた。Sbuxを出て、山科書店ラクト山科 店を偵察飛行してから帰宅。帰宅後も、夕食を挟んでまた数学。ああ、今日で 正月休みも終わりか。つまんねえな、と。

この冬休みの間に、学生が「あんな大人になりたくない」という 言い方をするという話を1、2度耳にして、それが何故か印象に残っている。 それは、俺サマが生まれ育った昭和の昔の感覚では、大学生は少なくとも建前上は もう大人であり、「あんな大人になりたくない」というのは、小・中学生か せいぜい高校生が言う言葉だったので、少し変な感じがしたからであろう。

「あんな大人になりたくない」に対して、オジサンやオバサンが 「(昔の自分は)あんな若者でなくて良かった」と言う状況も理論的には考えうる が、実際にはそういうことはあまり言わないような気がする。それは何故かしら? たぶん、自分の昔のことなんて済んだことだし、それよりも自分がどんな 爺や婆になるか、そっちの方に関心があるからだと思うけど。

ところで、年寄りが若者に特段の興味を持つのは、年寄りが自分が生きて いる社会に強い帰属意識を持っている場合に限られるというのが、俺サマ の学説である。自分が社会を担っていて、若い人はこの社会の次世代を担う人 達という風に考えていれば、若者を指導しようとか、一緒にやっていこうとか いう風に色々なことを思うわけである。

それに対して、以前、ホームレスのオジサンたちへのインタビュー記事を 読んだことがあるが、若い人をどう思うか?というような質問に対して、「別に 何とも思わない」という答えが多かった。俺サマはこの記事を読んで、 ホームレスのオジサン達に激しく同意してたのだが、俺サマとホームレスの オジサンに共通するのは、社会にたいする帰属意識の希薄さであり、それが 若者に対する関心の低さに関係しているのだと考えている。

まあ、俺サマは若い頃から学校や職場や社会に対する帰属意識は希薄だった のだが、それでも少なくとも数学者として社会にコミットしたいとか、 しているとか思っていた。でも最近は「俺サマは数学者なんかじゃない!」と 言っているから、糸の切れた凧みたいなもので、つまるところ精神的には何処にも帰属して ないのよね。

2013年1月5日(土)
<<メガネを買う>>
午前中に街に出る。まずはJEUGIA三条本店を偵察して時間調整。 J.S.バッハのゴールドベルク変奏曲のピアノ版で面白いCDが出ていた。 靴屋の開店時間になったので、修理を依頼に行く。年末年始で仕事が 滞っているので、出来あがりまで1カ月ぐらい見ておいて欲しいとのこと。 うーん、ちょっと長いな。

俺サマはもう10年以上クラークスのNature IIを愛用していて、京都では 寺町通りのクラークスショップだけが取り扱っている。今日修理に出した靴は、 2年前の今頃、オスナブリュックの靴屋で買ったもの。 今日店の人が2008年製だと言ってたから、オスナブリュックの靴屋で 2,3年売れ残っていたのかもしれない。

それまで履いてた靴は、50年ぶりの大寒波に襲われたオスナブリュックや エディンバラの雪のぬかるみ道を歩き回り、雪に含まれる塩分を吸い込んで 白い波状の筋がついたりして、ボロボロになった末に、靴底との間の縫い目が 切れてワニのように大口を開いた状態になって壊れた。

靴は毎日履くので消耗が激しいから、色違いで2足のNature IIを買って、 適当に交代で履いているので、1つが壊れてももう一つの方でしのげるのである。 それで、オスナブリュックで大破を免れた方の靴は、日本に帰ってきて すぐに、これまたワニのように大口を開いた状態で壊れた。 帰国後、関西日仏学館に通い始めて、そのクラスで呑み会があってそれに初めて 誘われたのだが、「今日は靴が壊れて歩くのが大変だから」と言って辞退した。

クラークスショップを出て、四条通りのメガネ屋に向かう。そこで 壊れた鼻枕の件を言うと、簡単に直せるという。修理してもらってる 間にフレームをいくつか見せてもらったけど、どうもこれといったもの が無かったので、そのまま店を出る。

それから河原町三条のミーナ京都のsecond houseで昼食。山科のCapriが 潰れてから長らく食べてないツナのトマトソーススパゲティー。なかなか 美味しかった。ツナのトマトソーススパゲティーで美味しいのには、なかなか めぐり合えないものだ。

それから山科に移動し、駅前のメガネ屋を覗いてみたら、まずまずお手頃な フレームがあったので、結局そこでメガネを作ることにした。今のものは、フレームが錆びたりして、かなり痛んでいるので、予備メガネにしよう、と。で、最近どうも 見えにくいと思ったら、かなり度数の修正が必要な状態だった。俺サマの メガネは遠近両用レンズなので、ちょっと見やすい良いレンズにしようと思うと、 最初に表示されていたセット価格の倍近くになってしまったが、まあ致し方なし か、と。メガネの受け取りは今月半ばになるとか。

帰宅後、夕食を挟んで、時々、フェースブックで逃避行動を交えながら、 数学。

フェースブックの友人の数が今日で50人になった。ほとんどの人が 少なくとも1回は実際に会ったことのある人で、Ritsの教職員および 現役学生は例えリクエストが来ても全て断っているからゼロ。勿論、数学者も ゼロ。という、完全にプライベートな50人。まあ、俺サマ的には50人も 友人が居れば、じゅうぶん「リア充」って気分だな。

2013年1月4日(金)
<<メガネが壊れる>>
正月も昨日で終わっちまったし、「もう、どうにでもなれ!」って気分である。

午前中はちょっとだけ数学をやってから、昼過ぎにアンチュチュに 行き、来週からの冬学期の講座を申し込む。それから昼食でもと思って 百万遍の方に向かって歩いていたら、妙に目のつり上がった威厳のありそうな オジサンとすれ違ったのだが、オジサンはこちらに眼(ガン)をつけてくるので、 何者だろう?あんな数学者は知らないしと思ってたら、京大の総長だった。 京大の総長が何で俺サマに眼をつけてくるのか、意味がわからんが、あまり 気にしないことにする。

今日は新福菜館以外の所で食べようと思って、まずは ココ一番のカレーにしたかったのだが、満席に近い状態だったのでパスし て百万遍交差点近辺をウロウロ。結局初めて入る某店で、肉玉ラーメン半 ライス付きで昼食。

それから烏丸四条に移動。まずはJEUGIA四条店をちょっと偵察 してから、大丸のメガネ店を偵察飛行。9999という銘柄を見てみたかったのだが、 それ以外にも色々なフレームが置いてあった。しかし、 これというのが見当たらなかったし、今のメガネはまだ十分使えるし、 ということで、とりあえず見送る。

次に四条のドコモショップを覗いてみたら、比較的すいていて 15分ぐらいの待ち時間のようだったので、入ってみた。 しかし、ソファーに座って待っている間にも、他のお客さんが ちょくちょく入ってきて、その度に待ち時間の表示は30分、45分、60分と 増えて行った。おいおい、また、90分待ちになるのか?と思ったけど、 結局俺サマはそんなに待たなくても良かった。 しかし、単に電池パックだけ取り換え てもらうという話だったのに、うまいこと口車に乗せられて、何だかんだやっている うちに、ずいぶん時間を取った。

それから、烏丸通のスーツ店に入って既製服を物色していたら、これまた 何だかんだと店員さんに乗せられて、結局イージーオーダーのスーツという話 になり、やれ襟の形はどうするのだとか、裏地の生地と色を選べだの、ポケットの形 はどうするのだ等々、質問攻めにされたりしているうちに、ずいぶん時間を食った。 店を出た時にはもう19時前になっていたので、三条通りの飲み屋に入って夕食。

それから京都市役所前まで歩き、地下鉄に乗ってふとメガネを外したら、 鼻枕が片方外れていることに気付いた。どこで落としてきたか知らないけど、 修理ができなければ新しいのを買うしかないか、と。「今のメガネはまだ十分使える」 ってのは見当違いだったかしら。兎に角、明日またメガネ屋に行かねばならぬことに なった。

寝るまえに、ほんの少し数学。

2013年1月3日(木)
<<ドコモショップ90分待ち>>
今日はまずまずの天気だが、やはり最高気温が5度前後と寒い。 午前中は自宅で数学。午後は自転車で山科区内を徘徊。 まずは山科駅前Sbuxにて遅めの昼食としばし数学。

本当は山科駅の蕎麦屋にしようかと思ったのだが、 珍しく満席だったのでSbuxにしたのである。 Sbuxもたいそうな込み具合だが、客の回転は比較的 速かった。ちょっといっぷくして、「じゃあ、次はあそこに行こう」 という具合にどんどん出ていく。俺サマが入った時も、ちょうど 一人の客が席を発つところだったので、入れ替えに着席できたというわけ。

昼食の後は、ラクト山科で専門店や大丸を偵察飛行の後、 ガラケー携帯電話の電池パックを交換してもらいにドコモショップへ。 しかし90分待ちとのことだったので、諦めてすぐに退散。帰宅して また数学、夕食、録画しておいた「相棒」を途中まで見て、また数学。

正月も3日ともなれば、「あーあ、もう終わっちまったなあ」って 感じである。大晦日あたりだと、「正月の終りは世界の終り」ぐらいの 気分でいるのだが、実際に終わりに近づくと、「あーあ」とか何とか言いながら も案外平気でいる。まあ、次の楽しみは春の桜かな。桜の季節が終わる 頃も、「あーあ、もう終わっちまったなあ」と思ったが、その時はその時で、 夏のカンカン照りを楽しみにしたものだ。夏のカンカン照りが終わったら、 秋をすっ飛ばしてクリスマスと正月を楽しみにして、、、と、まあ、 そんなことを何回か繰り返しているうちにクタばるんだろうな。

2013年1月2日(水)
<<山科毘沙門堂>>
今日は昨日よりも寝坊。午前中は数学。昼食も自宅で簡単に済ませ、 午後も少し数学。15時頃、少し雲行きが怪しいけれど、自転車で 山科毘沙門堂に初詣。

以前俺サマがちょくちょく行っていた、山科区内の某饂飩屋の娘は、 (たぶん今も)ずっと両親の店を手伝っているのだけど、結婚して イケメンの夫とおもぼしき男と小型犬数匹を連れて初詣に来ていた。 それは数年前の正月2日のことである。

そして今日も偶然彼女たちが毘沙門堂から帰ってくるのを見掛けた。 数年前に比べてちょっとオジサンっぽく貫録が出てきたイケメンの夫と 2匹の小型犬を連れていて、手には毘沙門堂で売られている正月用の お札か何かを持っていた。

正月2日の毘沙門堂は、人も多からず少なからずの程よい頃合いで、 甘酒接待も待たずにすぐに貰えた。

ところで初詣で俺サマは一体何を祈願するかというと、何も考えないで ただ手を合わせているだけである。俺サマは神も仏もテンデ信じちゃいない ので、彼らに何か祈るなんてことはないのである。

ただ、立派なお寺や神社は教会のように、それなりに宗教的雰囲気がある 所なので、ただ手を合わせているだけ、とか、ただ磔になったキリストの像を 眺めて静かに座っているだけ、とか、そういうことをしているだけで、気持ちの 整理がついたりして、帰る頃にはちょっと気分が良くなるので、そういう効果 は馬鹿にならない。

そういう意味では、俺サマは宗教は信じてないけど、信者たちが物凄い エネルギーで大聖堂を作ったり、大仏を作ったり、壮大な 宗教音楽を作ったりすることには、深い敬意を持っている。 その宗教を全然信じていない俺サマのような人間でも、そこに行けば 何か精神的に得られるものがある装置を作り上げたわけだから、それは それで凄いものだと思うのだ。

別の言い方をすれば、俺サマは物理的に凄い環境でないと見向きも しないわけで、歴史の浅いしょぼい建築の教会で「神を信じよ!」 とか「この世は神の徴に満ち溢れている!盲いた者たちよ、目覚めよ!」 とか言われても、「ああ、そうですか。ところで、ここの教会の天井、 低いな。祭壇もママゴトみたいで笑っちゃうぜ。 それにパイプオルガン、もっとでっかいの無いのかよ?」みたい な調子である。室内楽のコンサートなどでその辺の教会に行った時に、 本当にそんな事言ったりはしないけどね。 ま、彼らに言わせれば、俺サマなんざ、地獄に堕ちるんでしょうな。 知らないけど。

久々に毘沙門堂に来たし、もう少しゆっくりしていこうか とも思ったが、小雨がぱらつき始めたので、そくさくとと退散。 そうはいうものの、大した雨にはならないだろうと高をくくって、 自転車で琵琶湖疏水を回って帰ろうとしたのだが、そうこうしているうちに かなり本格的な風雨になってきた。しかし 自宅に戻る頃には、西の空も晴れてきて、雨も止んでいた。

帰宅後、すこし数学。夕食とその後録画しておいた正月の漫才を見たりして のんびりした以外は、またすこし数学。

2012年1月1日(火)
<<ニューイヤーコンサート>>
午前中は自宅で年賀状の返事を書いたり、少し数学をやったりしてすごす。 午後は山科区内の小さなお宮に初詣。俺サマのお気に入りは山科毘沙門堂だが、 正月は門から中に入るところで既に長蛇の列ができてたりするぐらいの大入り なので、明日以降にしようか、と。

初詣を済ませてから、京都駅前のビッグカメラで、年末に壊れかけた家電 の買い替えを視野に入れた偵察飛行。元旦でも京都駅近辺の店はどこもしっかり 営業していて、大変な人出だし、みなさん色々買い物をしている。それだけ見て いると、日本も結構景気が良さそうに見えるが、本当のところはどうなのかは知 らない。

夕方帰宅し、夕食後もすこしのんびり。そういえばNHKのEテレで、 ウイーンフィルのニューイヤーコンサートの中継をやっていた。ドイツに 居た2001年と2011年の正月も、現地のテレビで見たけど、 どうも俺サマの趣味には合わないな。

金ピカの内装にバラの花が一杯飾ってあるコンサートホールの雰囲気も ハプスブルク家の栄光だか何だか知らないけどやけに古臭いし、そこで演奏 される曲もいつも同じような感じで、例えこの コンサートでは初演とされている曲でも印象は同じ。 彼らにとって新年にふさわしい曲を選ぶと自然にそうなるのかも 知れないが、兎に角、俺サマにとってはどうにもこうにも 退屈なので、結局途中でチャンネルを変えてしまう。 だから結局いつも最初の1曲目の途中までしか聴いたことがなく、 後でどんな曲が演奏されているのかは、実は全然知らないのである。

夜はまた少し数学。