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な
広
告
よ け ス ペ ー ス で す。
2013年3月15日(金)
<<新橋で同期会>>
昨夜は色々あって遅くまで寝つけず、今朝は結構寝坊。
午前中も色々あって、それから準備をして昼頃に自宅を出る。
山科駅前Sbuxで昼食の後、京都駅に移動し14時過ぎの
のぞみで東京へ。17時前に新橋のホテルのチェックインし、
しばし数学の後、18時にホテルを出て、新橋近辺を探索。
なるほど、サラリーマンの街新橋って、こんな風になってた
のかと色々認識を新たにする。
18時30分から新橋駅前の飲み屋で、会社員時代の同期の 友人3人と飲み会。2次会まで行って、23時半頃に 一人が終電が近いというので散会。
ま、「利害関係のない仲間との飲み会は、いいものだ」というの は、俺サマも思ったし、今日来ていた友人もそう言っていた。 そういう意味では、俺サマは30年前に大学院入試に落第して 数学者への道を断たれ、失意のどん底で会社に就職したことは、 今となっては良かったと思う。順調に数学者になってたら、こうは いかない。まあ、人生何がどうなるかわかんないものだな。
今日の話でも、会社をスピンアウトしていった人の消息の 他にも、会社の中で偉くなっている同期の噂も出た。正直言って、 「この人、あと何年会社に居るかな?」と思ってたような人もいた けど、今はずいぶん偉くなっているという話を聞いて、何故かむしょうに 嬉しくなった。そういえば、彼らはいつも自分が与えられた立場 の中で一生懸命やってたし、偉くなるのは当然かな、と。 それで、俺サマも頑張らなくっちゃね、との決意を新たにして ホテルに帰ってきた。
2013年3月14日(木)
<<豆腐料理屋で会食>>
午前中は自宅で数学。昼過ぎに久しぶりに街に出て、久しぶりに
丸亀製麺河原町三条店で昼食。何かここの饂飩、コシが弱くなったよう
だけど、気のせいかしら。
それからJEUGIA三条本店を偵察飛行。 俺サマは新装オープンしてからまだ一枚もCDを買ってないけど、 今日こそは何か買おうと色々試聴。しかし結局これといったものが無く、 見送り。
それから、上島珈琲寺町通店でしばし数学。16時過ぎに店を 出て、今はいずれもどこかの大学の先生になっている会社員時代の友人たちと 会食するために、祇園の豆腐料理屋に向かうも、まだ少し時間が早かったので、 近くを見て回る。
京都に住んでいると、観光地はいつだって行けると油断してるので、 実際こういう機会でもなければ祇園の近辺を見て回るなんてことはない。 「へえー、この辺はこんな風になってたのか!」とちょっと感動的だった。
会食は座敷で4時間近くあれこれ話が弾んだ。しかし俺サマとしては、 ちょっと食べ足りず飲み足りずで、帰り道のコンビニでお握りを日本酒を買って、 久々の歩行飲酒。まあ、これで一応「完成」。22時過ぎに帰宅。
2013年3月13日(水)
<<スタジオレッスン2連チャン>>
午前中は少し数学の後、山科区内を自転車で回って色々野暮用。
郵便局で振込をしていたら、俺サマと似たりよったりの年恰好の男と、その
母親とおぼしき80歳代ぐらいの女が、窓口で何やら難しい話をしていた。
局員が「ご本人様の前でですが、お母様は認知症を患っておられて、
そのため××の○○手続きが行われたようです」というようなことを
言っていた。どうやらその事を母親は覚えていないらしく、息子の50男
も、そんな話は初めて聞いたから、これまでのお金の動きをもう少し
詳しく機械で打ち出してみてくれんかというようなことを言っていた。
野暮用のついでに、その辺で昼食をとってから帰宅。午後もまた 自宅で数学。そして夕食の後ラクトスポーツプラザへ。通常は明日木曜日 の夜にヨガと有酸素運動をするのだが、明日は友人達と会食 の予定なので、今夜の「マイアミダンス」のレッスンを受けようか、と。 しかし少し早目に行ったこともあって、1つ前の「かんたん エアロ」のレッスンにも間に合ったので、それにも参加。
「かんたんエアロ」全然簡単じゃないっす!何せ、あのマイアミダンスの 先生がやっているので、振り付けが矢鱈凝ってる。「簡単ですよー。難しいと 思うから難しいんです!」とか言ってたけどねえ。俺サマは難しいとも簡単とも なーんにも考えてないんだけど、やっぱり難しい。すっからかんの頭の中で、 4次元モグラたたきをやっているような気分。途中、泣きそうになったけ ど、「この先生は年中こんな難しい振り付けばっかり考えてるのかよ。だったら 俺サマも、『クリスタリン・コホモロジ―難し過ぎ!』とか 『スロープ・スペクトラル列の理論、意味わかんねー!』とかくじけて ちゃあ駄目だな」と筋違いの決意を新たに、複雑怪奇なステップ に見よう見まねで食い下がった。
それにしても、俺サマが覚えられるものといえば、言葉や数式 で書き表せるもの、音楽、あとはせいぜい静止画像ぐらいで、 踊りの振り付けなんて、どうやって覚えれば良いのか見当もつかない。 自分が覚えられないものは、考えることもできないし。
何回も練習すれば体が覚えるということもあるが、1,2回見本見せて もらって、ちょっと練習して、さあ、もう一回最初からやってみましょう! なんて言われても全然覚えてないのである。こういうものは幼稚園のお遊戯、 小学校の運動会のフォークダンス、中・高校の体育の時間のラジオ体操など、 一貫して苦手で、体育の先生に叱られてばかりいたな。
15分の休憩ののち、「マイアミダンス」のレッスン。これはこれまで ちょくちょく参加して少し慣れてきてるので、「かんたんエアロ」よりは ややマシな動きができたと思う。
いつもよりも早目に帰宅できたし、「かんたんエアロ」で 「くじけてちゃあ駄目だ」と根性付けてもらったので、夜もまた少し数学。
2013年3月12日(火)
<<ほぼ終日蟄居>>
夕方頃、散歩がてらにラクト山科に行き、書店を偵察飛行したり、
大丸で酒を買ったり、眼鏡屋で先日買った眼鏡の調整をしてもらったり
した以外は、終日自宅で数学や野暮用。
19時のNHKニュースで、ニューヨークで東日本大震災の被災者に 祈りを捧げるミサをやっているという画像が一瞬出たけど、そこで皆が 歌ってたのはJ.S.バッハのモテット第一番BWV225のイントロ 部分だった。俺サマが持ってるCDの最初の曲なので、すぐわかった。
もう3月も半ばに近付いてきた。新学期が始まるまでにやってしまいたい 勉強があるので、ちょっと焦ってくる。ぼやぼやしてると、春休みもあっという 間に終わってしまうし。
先日東京の友人たちと飲んでて、「高山、老後は何をするんだ?」と聞いて くるので「死んでる」と即答したのだが、「生きてたらどうする積りだ?」 とさらに食い下がってくるので、「絵でも描くかな」と答えた。で、 「ふーん、数学はもうやらないのか」と。
その時は、「何が悲しくて爺になってまで数学者サマの顔拝んでなく ちゃならんのだ?」と思ってそう答えた。爺になっても数学の研究集会に 顔を出して、「俺サマが大魔神だったら、お前ら片っ端から容赦なく踏み 潰してやるからな」みたいな事を思いながら、隅っこの方で大人しく 座敷童してたりするのは、何とも痛ましい老後の図だし。
しかし、長生きしてもまだ何か 探求してみたいことがあって、自分でもそれが解決できるかも 知れないという気力が残っていれば続けてるかな、 という気もしないでもない。
2013年3月11日(月)
<<あの日の思い出>>
午前中は自宅で数学。昼頃に自宅を出て、山科駅前Sbuxで
昼食の後、大学に出勤。事務で勤続20年の賞状と記念品を
受け取った後、先日の大阪出張と東京出張の報告書を書いて
提出。
14時から16時過ぎまで、複素幾何学の卒研ゼミ。 今日は1変数の正則関数のところの入り口だが、意外とてこずって 余り進まなかった。しかし俺サマとしては、今まで当たり前として 見過ごしていたことを考え直す機会が得られたことで馬鹿治療が 進んだこと、高校生が間違えそうな盲点を発見することができて、なかなか 有意義だった。
卒研ゼミのあと、すぐに帰宅して夕食。夜はラクトスポーツプラザ。 今日は楽しいZUMBAと筋トレ。ZUMBAのインストラクター の人に「先週は来られましたか?」と聞かれ、え?! 「過去は振り返らない!日々前進あるのみ」の俺サマに 先週のことなんか聞かないでくれよう!何にも思い出せないよう! と頭を抱えていたら、「代講のマイアミダンス、どうでした?」 と。ああ、そうでした。先週はマイアミダンスでしたね。 思い出しました。いやあ、あれはあれで面白かったですよ、と。
アンチュチュの授業でもそうだけど、授業の最初に 「今週は何をしてましたか?」と隣の席の人と聞きあいましょう という演習があって、あれは本当に困る。その場でこの日誌を読み返せる ならいいのだが、生憎俺サマはガラケーと初代iPadを持ち歩いているだけで、 アンチュチュではWiFiがマトモに使えない。そこで 慌てて手帳を引っ張りだして、「えーっとですねえ」みたいな感じでやっている。
かと言って、今週あったことをバッチリ頭に叩き込んで授業に臨むと、 「今日は隣の人と週末の予定について話し合いましょう」と未来形 の演習で肩すかしを食らったりするから、「やってられねえよ!」 と思わず暴れたくなる。
直近のことは覚えてないが、昔のことは良く覚えているところが ボケの始まりを感じさせる。2年前の3月11日はドイツのオスナブリュックに 居て、土曜日だったので大学には行かず、天気も良かったのでゲストハウスの 裏庭で写生をしていた。通いの管理人さんが午後の早い時間に帰宅するというので、 裏庭に停めた車に乗って、俺サマににっこりと挨拶して去って行ったのを覚えている。
しかしその後は、テレビのニュース番組に釘づけだった。 ネットでNHKニュースも見ることができたが、かなり押さえ気味の報道だったし、 原発事故についても、日本の原子力の専門家筋が「マスコミは騒ぎ過ぎだ。特に欧米 のマスコミは最悪だ。事故の状態は、プロの目から見れば、それほど心配すべき 状況でもない」と言っているというメールがどこからか流れてきていた。
しかしドイツのテレビのニュース番組はけっこう騒いでいて、「大変なことに なってる!」という論調だった。「ドイツのマスコミはセンセー ショナリズムに毒されている」というのが現地の人達の意見で、 なるほど津波の映像がしつこいぐらいに繰り返し流れ、福島の原発事故が チェルノブイリ原発事故の再来として大大的に報じられていた。 でも今思うと、それほど大袈裟でもなかったな。
教会では「東北の震災被災者のためのミサ」などが催されたり、 ゲストハウスの同居者や大学の事務員さんらにも、「お前の家族や親せきは 大丈夫だったか?」と気遣ってくれたりして、人の情けにしみじみと感じ 入ったりもした。
しかし、ニュースは津波と原発事故ばかりで、被災地が実際どうなっている かは、ほとんど報道されず、人の情けも、あくまで「遠くの人を想う」という 感じなのは、遠く離れたドイツだからしょうがないといえば、しょうがない。
まあ、こんな風に、たまたま日本を離れていたこともあって、今でも何となく リアリティーを感じないままで、「いつの間にこんなことになってしまったの?」 って感じである。
2013年3月10日(日)
<<花灯路に行く>>
午前中は京都新聞日曜版の2つのパズルをやっつけ、数学。午後は
山科駅前で適当に昼食をとり、Sbuxで食後のコーヒーを飲みながら
しばし数学。帰宅してまた少し数学の後、夕方は京都駅前の家電量販店
に出掛け、ちょっとした買い物。それからバスで四条河原町に出て、そこから
八坂神社、円山公園、知恩院を抜け、三条通りに向かうルートを歩く。
ちょうど今、花灯路という東山や嵐山の観光スポットのライトアップ をやっていて、上のルートも実はそれ。幻想的な灯篭の灯りのなかを ぶらぶら歩きできる。とはいうものの、今夜はちと寒かったので早々と退散。
例年この時期に教授会の宴会が円山公園の近くの料亭で行われ、 帰り道に花灯路を楽しむことができたのだが、今年の宴会は何故か早く 行われたので、帰り道の円山公園はひっそりと寂しかった。
2013年3月9日(土)
<<お忍び帰国発見>>
首大研究集会3日目。集会は明日が最終日だが、俺サマは今日で退散。
調布駅前のホテルを9時前にチェックアウトし、9時過ぎに南大沢駅
に到着。駅前のカフェで朝のコーヒーを飲んでから、首大へ。
今日は午前、午後と色々講演を聞いたが、どうも俺サマの興味とは かけ離れた話が多かった。しかし最後の講演だけは少し様子が異なり、 実は俺サマが今やっていることに何らかの関係があるらしいことが分 かった。講演の後で講師の人に関連文献を教えてもらったけど、 この1件だけでもこの集会に来た甲斐があったと言えよう。
昼食は南大沢駅前でとったが、天気の良い土曜の午後で、 さらには首大入試の合格発表や生協の学生住宅斡旋などにやって きた親子連れなども居て、かなりの人出だった。
そういえば今日は、今アメリカに滞在しているはずの某数学者が、 ひょこり集会に顔を出していた。「あっ!アメリカから極秘帰国して、 こんな所で潜伏活動しているのかよ!?」と思わず指さし呼称してしまった。 またすぐにアメリカに戻るらしいけど。
集会は17時で終わったので、京王線で南大沢から橋本に出て、そこから JR横浜線に乗り換えて快速で30分ほどかけて新横浜にたどりつき、 新幹線に乗った。そして21時頃に無事帰宅。
ところで、昨日「その分野で2番手以下に甘んじるぐらいなら、 別の分野で丁稚奉公でもしてた方がマシだ」と書いたが、 「1番でなきゃ駄目なんですか?」という、少し前の流行り言葉の ような疑問が湧いてくる。
まあ、何をやるにしろ、「そこで自分がどのレベルまで行けるか?」 という挑戦の楽しみと「それは面白いのか?」という純粋な興味の2つが モチベーションを支える。同じ事を何年もやっていれば、いずれ自分の レベルが分かってきて、先が見えてくる。そうなると、後は「それを やってて面白いか?」ということが大事になってきて、面白ければ2番手 だろうが3番手だろうが踏みとどまれる。しかし、そうでなければ、 もうそこにとどまっている理由など無くなるのである。
これはちょうど、子供が成人して巣立った後に熟年離婚する夫婦みたい なもので、「そういえば、相手のこと、そんなに好きでもないな」 と気付き、まだ元気なうちに人生やり直そうというような話である。 やり直しを繰り返しているうちに人生が終わってしまう俺サマって、 いかにも馬鹿っぽい気もする。
2013年3月8日(金)
<<学生時代の友人と飲む>>
首大研究集会2日目。調布駅前のホテルを9時前に出発し、9時過ぎに
南大沢駅に到着。ちょうど関東圏の大学の某氏も同じ電車で降りたったとみえて、
ばったり顔を合わせた。挨拶して世間話などしながらしばらく一緒に歩
いたが、俺サマは駅前のサンマルクカフェで朝のコーヒーを飲んでから
集会に行こうと思っていたので、そこで別れる。
俺サマと世間話をする関東圏の大学の数学者っていうと、それだけでもう 数名以内に特定されてしまうけれど、それが誰だか正解できる人は、たぶん 当人だけに限らてしまう。ヒントを言おうか?俺サマが馬鹿だと 分かってて、「高山さんは馬鹿だけど、ま、いいか」と世間話に応じる数学者。 え?益々誰だかわからないって?分からなくてもよろしい。え? 高山が馬鹿だと分かってて世間話に応じる数学者なんて、いないんじゃないかって? ふっふっふっ、さーあ、居るかも知れないし、居ないかも知れないね。
午前中に2つ講演を聞いて、昼休みは南大沢駅前で、最近流行りの「つけ麺」 なるものを初めて食す。それから近くのSbuxで食後のコーヒーを飲みながら しばし数学。何故か3月の半分ぐらいの期間、この店にNHKが取材に入って いるらしく、カメラマンとその助手、そしてディレクターと思しき人が店内で 撮影や録音を行っていた。
午後の講演は1つだけ聞いて、あとは俺サマの専門からは遠くて、 聞いてもよくわからなそうな話だったので退散。ホテルに戻ってしばし数学。
19時からホテルの近くの店で、学生時代の友人と会食。彼は大学卒業後 俺サマとは別の世界に行ってしまって、そこで色々な経験を積んで 偉くなっている。彼の業界の話や大学の話、うどんや絵や音楽の話など、 非常に有意義な時間だった。21時過ぎで切り上げて、彼を調布駅前のバス停 まで送ってから、コンビニで明日の朝食などを調達してホテルに戻る。
来週もまた会社員時代の友人達との会食が2つ予定されているが、それらは 会社で偉くなっている連中や大学に移って偉くなっている連中との会合である。俺サマの 若い頃からの友人は、皆偉くなっている。昨日も書いたけど、振り出しに戻って 丁稚奉公やってるのは俺サマぐらいである。
今日の会食で、ある優秀な先輩の消息もちょっと話題になって、その絡みで 結局、その分野で2番手以下に甘んじるぐらいなら、1番手を狙える分野に さっさと鞍替えすべしという人生観もアリだなという話もちょっとだけ出た。
しかし俺サマの場合は、「その分野で2番手以下に甘んじるぐらいなら、 別の分野で丁稚奉公でもしてた方がマシだ」という人生観のようである。 「ようである」というのは、俺サマは別にあらかじめ何かしら確固とした 人生観に基づいて生きているわけではなく、何となく本能的に行き当たりばったり に生きていて、それを後から振り返ってみて、そこから自分の人生観を抽出している にすぎない。
前にも書いたような気がするけど、丁稚奉公の良さは未来に対する 希望があることである。希望があることは、俺サマ級の馬鹿のみに 許された最高の贅沢ではないかと思う。
2013年3月7日(木)
<<東京の友人達と飲み会>>
あれから少し調べてみたら、昨日書いた院生の研究会発表は、
確かに1997年の3月に調布の電気通信大学で行われていた。
どうりで、あのキャンパスに何か見覚えがあると思ったはずである。
16年前の話だが、ほとんど前世の出来事のように思える。
首大研究集会2日目。調布駅前のホテルを9時に出発すると、9時半ぐらいに 南大沢駅に到着するが、そこからが大変である。大学は駅のすぐ前に あるように見えのだが、実際は正門まで到着するのに5分程度かかる。正門の近くは 文系学部の建物しかなく、理工系の学部の建物は広大なキャンパスの中を 延々と歩いていかねばならない。結局研究集会のある教室にたどりつくまで、 駅の改札を出てから15分は優にかかる。
今日は午前中に2つ、午後に3つの講演を聞いた。俺サマの研究に対して 結構ヒントになるような話もあった。参加者の顔ぶれを見渡すと、俺サマが普段 潜入している研究集会とはちがう人たちが多く占めている。代数幾何学とひと くちに言ってもかなり広い分野を含むため、その問題意識や直接の研究対象 によって色々な研究グループが自然発生的に出来ていて、それらは比較的 独立している。そして多くの研究者は、それぞれ自分のホームグラウンドの ようなグループ(とそれに近接するいくつかのグループ)に何となく所属し ていて、主にそこの人たちと一緒にやっているようである。
複数のグループを渡り歩いているのは、あちこちの研究グループから講演 依頼が来たりしてモテモテの偉い人か、どこの研究グループに行っても 仲間に入れてもらえない、俺サマ級の馬鹿であるかのどちらかである。 俺サマの場合は、馬鹿なくせに、折角仲間の入れてもらえたグループでも、 スグに飽きてしまって、他所に行きたがる。
講演は17時10分頃に全て終了し、速攻で新宿に向かい、会社員時代 の友人たちとボウリングをして、そのあと飲み会。うーん、今日は良く飲 んだ。楽しい飲み会というのは、 (1)いったいその場で何の話をすれば良いのか?という心配が全然湧き起らない。 (2)ここでこいつにこんな話をしてはいけなかったな?みたいなことを あまり考えなくてよい(最低限の礼儀として話してはいけないことはあるに せよ)。 (3)何の話をしたのか碌に覚えてないけど、楽しく談笑したという後味が残る。 という3つの条件の全てを満たしている。そして、この3つのうちの1つでも 満たされない飲み会は、所謂社交の場、利害や趣味は合わないところがある かもしれないが、お互いの利益のために、どこか折り合いのつくところを見 つけて、その部分で仲良くやっていきましょう、という付き合いである。
人間50歳を過ぎたら、そういう付き合いはやめましょうということが、 40代になる直前に読んだ「人生を半分降りる」という本に書かれていた が、俺サマはそれを忠実に実行しているわけである。まあ、別にそうしよう と思ってやっているわではなく、何となくそうなってきたって感じだけど。
それにしても、皆さん偉くなって「行きつくところまで 行ったから、もういいや感」が漂ってたな。俺サマは馬鹿だから、 もっともっと頑張らなくっちゃ!みたな感じでやっている俺サマって いったい。。。
新宿から23時半頃発の京王線特急で調布のホテルに戻る。
2013年3月6日(水)
<<調布ナウ>>
午前中に色々準備し、昼前に自宅を出る。明日から首都大学東京
で開かれる研究集会に参加するため、調布のホテルにチェックイン。
調布は初めてのような気もするが、もしかしたら、俺サマの(旧)情報
学科時代に大学院生が一度だけ研究会で発表したことがあったが、
それが調布の電気通信大学だったような気もしないでもないが、
なにぶん昔のことなのでよく覚えていない。
(旧)情報(工)学科時代の9年間に、院生は全部で6〜7人 ぐらい居たと思うが、上記の研究会で発表した学生以外はマトモな 指導は全くしなかった。その理由は簡単で、彼らが俺サマの研究指導を 拒否したからである。
俺サマは大学院を出てないので、大学院内部の事情はよくわからない が、俺サマの会社員時代、東大工学部をトップで卒業して大学院に進学 したけれど、指導教官と喧嘩したため東大教授への道は諦め、修士卒で この会社に入ったんだという先輩がいた。だから大学院というのは、 指導教官とうまくやらないと生きていけない世界かと思っていたのだが、 実際にRitsの教師になってみて、「大学院は卒業したいけれど、 先生の研究指導なんか受けたくありません」という学生が多いのに驚いた。
先生の指導「なんか」と言うところが何とも憎たらしい。 「じゃあ、勝手にしな」ということで放置しておいたのだが、 彼らは勝手にテーマを見つけ、何かしらの修士論文を書いて、 勝手に卒業していった。今思えば、手の掛らない良い子たちだったと思う。
数理科学科に移ってからも、3名の院生が巣立って行ったが、その うちの1人も早いうちから俺サマの研究指導を「拒否」した。で、その時 は俺サマももう慣れっこになっていたので、「じゃあ、お好きにどうぞ」 と放置しておいたら、ちゃんと立派な修士論文を書いて卒業していった。
ホテルにチェックインしたのが、まだ夕方の早い時間帯だったので、 夕食の調達も兼ねてホテルの付近を偵察飛行。まあ、「吉祥寺を微妙に さびれさせたのが調布」であろうという印象を持ってホテルに戻り、夕食。 夜は少し数学。
2013年3月5日(火)
<<教授会>>
午前中は自宅にて数学。昼食後、午後は銀行で明日からの出張費を
下ろし、山科駅前Sbuxで昼食後のコーヒー。ここは数日前に新装
オープンして、客席も増え、広々とした感じになった。期末試験で
学校が早く終わるのか、女子高生みたいな子たちが結構来ていた。
店を出て大学に出勤。今日は京大数理研図書室で文献でも見て こようかと思ってたのだが、昨夜メールを整理してたら教授会が あることが判明したので、急遽予定を変更したというわけ。
まずは事務に立ち寄って書類を提出し、研究室でしばし数学の後、 16時30分より教授会。20分で終わるかと思いきや、1時間ぐらい 何だかんだやっていた。教授会の後、先日の学科会議(続編)で話し 合われた件について、学科長と打合せのようなことを少し。
帰宅して夕食。夜はまたしばし数学。
2013年3月4日(月)
<<満員の新快速>>
昨夜は早めに寝たので、今朝は割合すっきり起きることができた。
午前中は少し数学。昼食の後、大阪の研究集会へ。お目当ての講演
の時間まで少し間があったので、Sbuxで時間調整。
隣の席の30代ぐらいの女二人組がお喋りをしていたのだが、 一方の女の妹の婚約者に持病があって、薬を飲み続けていれば普段 は良い人なのだが、酒を飲むとかなり酷い荒れ方をすることが両親 に知れ、結婚を思いとどまれだの、結婚式をキャンセルせよだの何だのと 強く反対され、大騒ぎになっているという話をしていた。
俺サマの近辺では最近色々あって、この手の話はいささか 食傷気味なので、場所を講演会場の近くに移して時間調整する ことにして、早々と退散。
そういうわけで、少し早目に会場に行ってみたのだが、何故か プログラムが30分程度繰り上げになっていて、すぐに講演を聞く ことになった。2つ目の講演の後の質疑応答が長引いて、終わったの は予定より20分早め。
帰りは大阪発17時30分の新快速に乗ったのだが、平日と あって通勤客などで満員状態だった。高槻で何とか座れたのだが、 山科で降りる直前に隣に座っていた就活女子学生をちょっと見てみたら、 何と数理科学科の学生だった(たぶん)。向うは気付いてなかったようだが、 気付いてたらどうだってこともないし。ま、これはこれだけの話。
帰宅して夕食の後、ラクトスポーツプラザへ。今日は楽しいZUMBA が休講で、水曜日のマイアミダンスの先生が代講。ZUMBAは フィットネス色が強いが、マイアミダンスはダンスの要素が大きくて、 振り付けが結構難しい。また時間が取れたら、水曜日のマイアミダンスの レッスンにも潜入してみよう。
帰宅後、夜も少しだけ数学。
2013年3月3日(日)
<<大阪の研究集会へ>>
夜中に目が覚めて、何となく数学のことを考えてしまって眠れず。
今日はかなり寝不足気味。
午前中は京都新聞日曜版の2つのパズルをやっつけた後、 学科の同僚たちに、いくつか業務メールを書いて出す。
昼食後に自宅を出て、大阪で行われている研究集会に参加し、 午後の講演を2つ聞く。この研究集会は某大先生を中心に行われ ているのだが、彼は70代の半ばにさしかかろうとする今も頭脳 の明晰さは一向に衰えを見せず、精力的に研究活動を続けている ようである。俺サマにはあんな驚異的な人間の真似はとてもでき ないが、その元気な姿を見ていると、希望が湧いてくることも確 かである。
夕方帰宅してすぐに夕食。夜は少しだけ数学。
2013年3月2日(土)
<<ゴトーを待つ男>>
アンチュチュの日。9時40分頃に到着し、10時から12時半頃まで
フランス語の授業を受ける。今学期はあと2回授業があるが、どちらも
出張や私用で欠席予定。ただ、2回のうちの少なくとも1回分は水曜日の
午前か午後に行われている類似の授業を代わり受講することができる
らしい。どうしようかなあ、授業に出るの、面倒臭いなあ。まあ、もうちょっと
考えよう。
昼食は新福菜館百万遍店のスタミナセット。「スタミナつけなくっちゃ!」 ということで、ガッツリ行く。百万遍の京都バスのバス停前では、例の 怪しい50代風の男が、例によって煙草をふかしながら突っ立っていた。 彼はいつもここにこうやって何時間も突っ立っているようだが、 一体何を待っているのかについては、全く不明である。俺サマは密かに 彼のことを「ゴトーを待つ男」と呼んでいる。
昼食の後、サラダバーがしょぼい京大中央生協食堂でコーヒーを飲み ながら、少し数学。同じくここに昼食にやってきたオバサンが、おでんの 鍋に「ちゃんと火が点いてるんか?いかにもぬるそうや」と、生協の職員 を呼びだしてケチをつけていた。
帰り際にふと見れば、例のコアダンプ爺さんが寂しそうに一人昼飯を食 べていた。もう相棒の爺さんが来なくなって大分経つけど、やっぱり喧嘩 別れでもしたのかしらね。
それからアンチュチュの図書室に移動して、またしばし数学の後、16時 40分よろ18時10分頃まで、寺子屋にてドイツ語の授業を受ける。 これも来週は欠席予定で、寺子屋の臨時休業もあって、このセメスターの その次の授業は4月13日と20日。来学期は5月のゴールデンウィーク後 とか。
寺子屋の帰りは、また雪がちらつく寒さだったので、荒神口からバスで 河原町三条まで行き、JEUGIA三条本店をちょっと偵察してから山科に 戻る。大丸ラクト山科店で安い赤ワインを買ってから帰宅。
2013年3月1日(金)
<<午後一杯会議>>
自宅でごそごそバタバタと野暮用の後、昼頃に出勤。研究室で昼食、しばし
数学の真似ごと。そして13時から15時過ぎまで、まずは事務的な議題で
学科会議。
それから5分ほど休憩の後、ひきつづき重い議題で学科会議の続編 を18時前まで。俺サマはずいぶん前からこの問題に関わってきたが、 1、2年前には既に「こいつは俺サマがかなう相手じゃない!」と匙を 投げた、というか、尻尾を巻いて逃げた。さらに去年の夏から秋に かけて、ちょっとゾッとするようなものを見てしまい、この問題を甘く見過 ぎていた自分の不明を恥し、最後に12月上旬のある事件をきっかけに、 もう黙ってはおれないと、断固とした態度をとることに方針転換した。
という俺サマからすると、この問題について、ようやく学科として 正面から取り組む雰囲気が出来てきたかなという印象だが、何だか 「もううんざりだな」という気もしないでもない。
帰宅して夕食の後、光ネットの件で業者に電話で問合せをしたり、先日買 った電話の設置をしたり、学科会議(続編)の件で、同僚とメールのやりとり をしたり。その間、ワインも結構飲んだのだけど、今日はなかなか酔えず。