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す。

2013年7月31日(水)
<<猫なし数学の一日>>
午前中は自宅で数学。

午後は京大。新福菜館百万遍店で昼食の後、 数理研へ。数理研猫に挨拶しようと思ったが、喫煙所で 若い人がひとり居たので、そのまま図書室へ。

図書室で夕方までゴソゴソ やって、帰りに猫の住処に寄ってみたら不在。珍しくどこかに 散歩にでも出かけてるのだろうか。

不思議なもので、俺サマは 気が向かないと半年ぐらい数理研に寄りつかなかったりするのだが、 こうやってちょくちょく通うようになると、猫が居ないのは ちと寂しい。

帰り道に山科区内のスーパーなどで買い物。 雲行きが怪しくなって、雷もゴロゴロ鳴りだしたので、 足早に帰宅。自宅近くでパラパラと雨に振られた。

帰宅して夕食の後、夜もまた数学。秘密プロジェクトをゴソゴソと。

そういえば学生時代の同級生が昔、「中途半端な数学者で終わるぐらい なら、別の道で一旗揚げたい」みたいな事を言ってたことを思い出した。 俺サマはあまりそういう考え方はしなくて、二流でも三流でも数学者と して大学の職につければ何でもいいではないかと思っていた。

それで思ったことの第一は、優秀な人にとって、 同級生みたいな考え方は、ある意味で健全なんだろうな、ということ。 優秀なんだから1つのことで失敗しても、他にもっと自分が活躍できる 所を見つければいいさ、と。実際その同級生は俺サマよりも遥かに 頭の切れる奴だったが、何故か俺サマ同じく大学院入試を落ちまくって 大学を離れ、今は新しい業界でブイブイ言わせてる。

第二は、数学者という人種の一種独特の胡散臭さというか、 あのぱっとしない感じは、学生時代の我々も何となく感じてたのだろう ということ。若い時は若さで誤魔化せるけど、中年以降の、特に男の数学者 というのは、どうも見た感じとか立ち振舞いが垢ぬけてない。 それは今の俺サマの数学者嫌いにも一脈通じるものがないでもないが。 「それでも学者として滅茶苦茶偉ければ許すけどね」みたいに、若い頃は 考えていたように思う。

第三は、まあ、俺サマも大学院入試に落ちて計算機メーカーに就職 した時は、その同級生と同じこと考えたんだけどね、ということ。 でも数学以外の業界で一旗揚げるどころか、鳴かず飛ばずを通り越して 総崩れ状態になって「ほうほうのてい」で数学に出戻ってきたってわけだ。 まあ、結果的にはこれで良かったと思ってるけど。

2013年7月30日(火)
<<新福菜館と数理研猫>>
午前中は山科区内で野暮用。帰宅して寝っ転がって数学をしている うちに気を失う。しばし居眠りの後目を覚まし、百万遍界隈に繰り出す。 今日は新福菜館で昼食。京大北部生協自販機コーヒーの後、数理研図書室へ。 その前に数理研猫に挨拶をと思ったが、喫煙所になっている猫の住処に 若い人たちが数名たむろしていたので、そのまま図書室へ直行。

この時期の数理研では研究集会が開かれてないから、インド料理店Rajuは 安全だと思っていたが、何と!今日は何か集会が開かれていた。 まあ、分野の離れた数学者は俺サマには無害だけどさ。

図書室で昨日の問題を解決すべくお目当ての本を捜したが貸出中だった。 まあ、この件は別に急がないからまた大学に出勤したときに片付けよう。 途中、北部生協自販機コーヒーの2杯目で休憩を入れたりして、 夕方までゴソゴソと秘密プロジェクト。

図書室閉館後に猫のところに寄ったら、珍しくコンクリートの土間のところで 伸びをしてにゃーとか鳴いていた。それから喫煙所に置いてある事務椅子の上に ごろんと横になって「体をさすれ」と催促してくる。しばらくよしよしと 体を撫でているうちに、「トラちゃん去勢手術済説」を思い出し、どれどれと 局部を確認してみようと手を伸ばしたら、頭を上げて「にゃあー! (こら、いらんことすな!)」と怒ったので、中止。はい、はい、失礼しました。 あー、久しぶりに数理研猫にちゃんと相手してもらえた。

しばらくして、「また来るからな」と猫に言い残して数理研を発ち、生協ルネ の書籍部をちょっと冷やかしてから、帰宅。夕食後夜はまた少し数学。

嗚呼、猫と数学。何て幸福な一日なんだろう。そうだ、人生に必要なものは、 猫と数学と美しいもの、そして鰻重だ!そろそろ津に帰って鰻を食べまくる計画を たてないといかんな。

2013年7月29日(月)
<<午後は数理研図書室へ>>
午前中は自宅で野暮用の後、雨の中を歩いて山科区内のスーパーに買い出しに 出る。午後は百万遍に繰り出し、新福菜館ならぬインド料理チェーン店Rajuにて 昼食。数理研で研究集会がある時は、ここは数学者で溢れ返るので危険だが、 今の時期はそういう心配はない。昼食後、北部生協の自販機で食後のコーヒー。 京大も前期試験らしく、食堂のテーブルで試験勉強らしきことをしている 学生の姿がちらほら見られた。北部生協食堂を出て数理研図書室へ。 いや、その前に数理研猫に挨拶。

猫というのは不思議なもので、このくそ暑いのに分厚い毛皮など着込んで、 犬のように舌を出して暑そうにハアハアするわけでもなく、平気な顔をしている。 彼らはエアコンや扇風機の風を嫌い、コンクリートの土間や 床板のようなところにドタっと寝そべって涼をとるようだ。 最近の数理研猫は、ソファーの上の座布団のところよりも、誰かが持ちこんだ カラーボックスの中に収まっていることが多いが、それも猫なりの涼のとりかたな のだろう。

いやはや、こいつの顔を見てると、やっぱりかなりの老猫だな。 毎年「この夏を越せるかな」と思ってすこし心配するが、猫は長生きして化け猫 になるのかしら。今年の夏も無事乗り切って欲しいものだ。

数理研図書室に籠り、夕方まで秘密プロジェクトをごそごそと。 夕方、帰宅時にふと、秘密プロジェくトとは直接の関係はないのだが、 以前考えていた問題が気になり始める。実はその問題は既にずっと昔に解決 されているのではないか、と。

帰宅して夕食の後、ラクトスポ―ツプラザへ。今日は楽しいZUMBAと 筋トレ。帰宅して、再び夕方から気になり始めたことを色々調べたり考えたり。 一応結論が出たけど、詳細は明日図書館で調べようか、と。数理研では誰かが 借りている恐れがある本で、大学の研究室には置いてある。うーん、なるべく 大学には近付きたくないので、明日も数理研に行ってみよう。

大学の研究室というのは、意外(?)なことに、まる一日静かに研究して いられる良い環境に作られている。しかし実際そこに居ると、研究には無関係 の大学内のあれやこれやの記憶が通奏低音のように頭の中で響き渡り、 落ち着いて研究していられない。

子供の頃、勉強部屋には漫画や遊び道具は一切置かず勉強だけをする部屋 として運用し、そこに行けば条件反射的に勉強だけするように習慣づけるべし。 さもないと、折角良い勉強部屋があっても遊んでしまうという話を聞いたが、 この原理は大学の研究室にも当てはまる。だから、他所の大学で数カ月間 ぐらい研究室を借りて居候すると結構研究がはかどったりする、、、はずな んだけど、俺サマは馬鹿なので、それほどはかどらない。

2013年7月28日(日)
<<俺サマの夏休みがやってきた!>>
午前中は京都新聞日曜版の2つのパズルを速攻で攻略し、大丸ラクト山科店で 昼食用のパンを買って昼頃に出勤。「代数学序論I」の採点の続き。途中何回 か逃避行動を挟んで、17時半までには成績表記入、採点講評の執筆も含めて 全作業を終える。

今回は新カリキュラムで答案の出来栄えがちょっと心配だったけど、まずまず 例年通りだった。これで後は8月3,4日のオープンキャンパスの仕事と、あと少 し事務的な仕事がちょこちょこあるのを除いて、晴れて夏休み。

すぐに帰宅して夕食。ワルシャワで買ってきたズブロッカで乾杯。 その後、少し酔いを醒まして、夜は中断していた秘密プロジェクトを再開。

数年ぶりにハイドンのクラリネット協奏曲がいくつか入ったCDを聴いて みた。以前聴いた時は「裏も表もなく、楽しいとはこういうことだ!ということが 嫌というほど分かる綺麗な曲」という印象があったが、再度聴いてみると それほどでもない。まああの頃の俺サマは、「学科長やって脳が歪んだ !」とか言ってた頃で、なかなか酷い状態だった。だからこの曲が魂の 救とも言える眩しさをもって受け止められたのであろう。

とは言え、何回か繰り返して聴いているうちに、同じ印象が蘇ってきた。 しばらくクラリネットのCDは封印してたけど、解禁しようかなあ、と。

2013年7月27日(土)
<<肩ツンツンでバス逃す東山三条>>
アンチュチュの日。東山三条でバスを待っていたら、オバサンが 俺サマの肩を突っつくので何かと思いきや「リュックサックの口が 空いてますよ」と。一応、ご指摘有難うございますと言ってリュックサック を確認して、地下鉄の中で読む文献を取り出した時に空けたままの ファスナーを確認して閉じた。

その時同時に、滅多に来ない京大正門前までゆくバスが来ていたのだが、 何故かリュックサックを肩から外すときに、肩ひもが腕時計に引っ掛かってしまい、 それでゴタゴタしているうちにバスを逃してしまった。だいたい、リュックの口が 空いてたとしても、上の方だけで、そのままにしておいても、ほとんど影響が無か ったのだ。俺サマはいつもリュックの口を少し空けっぱなしで、その辺をウロウロ しているし。

これで思うことがいくつかある。外国旅行をすると、見知らぬ人間が 「貴方の持ち物の××が△△になってますよ」と親切を装って声を掛けてくる 人間が居て、それに気を取られているうちに財布を取られたりするケースが 多いと聞く。自分はそういうのにはひっかかるまいと思っていたけれど、 今回のようにバスを逃したりするところを見ると、俺サマも十分危ないな、と。

もう一つは、昔のゲーテのクラスメートで、京都の伝統行事の写真を撮って 回っている人がいて、ある時、観光客らしき西洋人夫婦がその行事に見入って、 立ち入ってはいけない所に入っているのを見つけた。それでその人は、夫人の肩を、 ちょうど今日俺サマがやられたように、ツンツンと突っついて「そこに入っては いけないんですよ」と教えてやったのだが、その西洋人の女は"Don't touch me!" と狂ったように怒り倒してくるので、ほとほと閉口したという。

そういえば俺サマも、いきなり肩をツンツンやられるのは何十年ぶりだろうか。 たぶん大人になってからは初めてか、せいぜい2度目のような気がする。それで 今日初めて"Don't touch me!"の西洋人の女の気持がちょっとだけ分かったような気 になった。親切はおおいに結構で、バスを逃したのも、そのオバサンが悪いわけでは ないけど、いきなり肩ツンツンだけはやめてくれよ、と。

まあ、京大正門前まで行くバスは奇跡的にその5分後に来たから、 さして実害はなし。こういう奇跡的な運行状況もあるのだと判明しただけで もめっけものだと、ポジティブシンキングで乗り切る。

アンチュチュの授業が12時半に終わり、新福菜館百万遍店で昼食をとり、 山科駅前Sbuxで昼食後のコーヒーの後、大学に移動。14時半過ぎに到着して、 生協でビスケットにアイスクリームを挟んだのを買って食べ、採点作業の続き。 夕方までには終わらず、残りは明日に持ち越し。

帰宅して夕食の後、夜は少し数学。

2013年7月26日(金)
<<採点開始>>
午前中は自宅で野暮用。それから大学に出勤。まずは、あまり気が進まないが、 生協食堂で昼食。今年から冷麺は唐揚げ冷麺だけになったようだ。 去年まではツナ冷麺などもあったのだが、ここもまた新自由主義の 風が吹き荒れ「選択と集中」が進んでいるのかもしれない。

昼食後、事務で整理済みの答案を受け取り研究室へ。平常点評価科目 の成績をWebから入力したり、ワルシャワ出張の出張報告書を完成させて 事務に提出したりしてから、採点作業開始。途中、逃避行動を何回か 挟む。

夕方、作業を中断して大学を発つ。帰りのバスは酷い渋滞に巻き込まれて いたらしく、通常10分程度で到着する南草津駅まで30分以上かかっていたようだ。 俺サマは睡魔に襲われ爆睡していたが、途中学生たちの「途中下車して歩いた方が 早いかも」という話声が聞こえたような気がする。

帰宅して夕食の後、先日届いた論文レビューの仕事を片付けてしまおうと思い、 短い論文なのでそれを見ながらレビューを書こうとしても、どうもうまくいかない。 内容は代数幾何学の特殊な話題だが、符号理論か何かの応用数学系の論文。 専門用語や記号の違いは何とか分かったが、主結果の意味するところが まったく分からない。これが専門の違いというものだろう。ああ、これは駄目だ! と思って、「私にはレビューできそうにありません」と断りのメールを出して一件落着。

その後、8月下旬の広島大出張の宿を予約。広島大は広島駅から電車とバス を乗りついで行かねばならない所にあるし、1泊するだけですぐに帰って くるので、広島駅のすぐ前にした。まあ、広島焼は1回ぐらいは食べてみたいけど。

2013年7月25日(木)
<<採点出勤カラ振り>>
午前中は督促が来ている論文レビューの仕事の最後の1つに取り組む。 とりあえずレビューの下書きを書いてから出勤。23日に「代数学序論I」の 定期試験をやったので、その答案整理が終わって今日あたりに事務で受け取れる と踏んで、それに合わせて不要不急の雑用もセット。今日と明日で一気に 採点と雑用を片付けて、、、と思ったのだが。

そういえばこの2,3年ぐらいの間に、定期試験の答案整理がやけに 手間取るようになって、試験の2日後ではまだ答案は受け取れないようになって たことを思い出した。まあ、ワルシャワ出張で 俺サマの中の色々なものがリセットされたというか、ワルシャワから 無事で帰ってこれたら晴れて夏休みで、あとは秘密プロジェクトをやって あわよくば論文1本でも、むふふ、、、みたいな感じで浮かれているため、 今の俺サマは世事のあれやこれやに関しては、かなりタガが緩んでいる。

しかし「ワルシャワから帰ってきたら夏休み!」というのは間違いで、 8月第一週頃まで大学の用事がちょいちょいあるし、フランス語の授業も 7月一杯はあるのだった!

兎に角、 一体事務サイドで何が起こっているのか わからないけど、案の定というか、俺サマの試験の答案整理は夕方にな っても終わってなくて、今日の出勤はカラ振り。雑用だけいくつか片付けて大学を発つ。

帰宅して夕食の後、夜はラクトスポーツプラザ。今日は骨盤矯正ヨガと 有酸素運動。

帰宅して、まずは先週ワルシャワ出張のために休んだフランス語 の授業のレジュメをネットでアクセスして目を通したり、宿題を片付けたり。 その後、昼前に書いた論文レビューを仕上げ、メールで提出。 昨日新規に届いた次の論文レビューの作業も今日中に片付けてしまおうかと 思ったが、そこまで手がつけられず。

2013年7月24日(水)
<<懐かしい味とハイドンのCD>>
午前中は自宅で野暮用と、先日督促がきた論文レビューの仕事。 それから百万遍に繰り出し、久々に新福菜館で昼食。この味が 病みつきになっている。昼食後、京大数理研へ。まずは数理研猫 を表敬訪問。相変わらず寝ていたが、俺サマが行くとふと目を覚まし、 欠伸をしたり前足をぺろぺろと舐めたりしていた。

それから図書室に籠って しばし数学。ワルシャワ出張でしばらく放置してあったプロジェクトの 再開。夏休み中に何とか形になればいいんだけど。

夕方頃、退散してJEUGIA三条本店でハイドンの弦楽四重奏曲の CDを3枚(2枚組1つと1枚組1つ)を購入。え?「また、あのシリーズの 瞬間的復活」をやらないのかって?あれもだんだん面倒臭くなってきた。 出張の合間に描いた絵や写真などは既にフェースブックでも公開しているし、 そちらに完全移行してしまおうか、と。

ワルシャワ出張の折に飛行機の中で聞いたハイドンの弦楽四重奏のCDが 気に入って、「まあ、あれも、いいもんだな」と思って買ってみた。同じCD は売ってなかったのが残念だけど、まあ、こんなもんかなと思えるのが見つかった。 ハイドンの弦楽四重奏には「十字架上のキリスト最後の7つの言葉」 なんていう凄いタイトルの曲もあるけど、これはあまり聴きたい感じではなかった。

ハイドンのCDは何枚か持っているが、2つのクラリネットのためのナントカという のが俺サマの一番のお気に入り。何というか、もう、裏も表もなく、ただただ楽しい というのはこういうことだ!という雛型のような楽しい曲だったのを覚えている。 という思い出口調になるのは、 ここ数年とある事情で全く聴いていないからだ。またCD引っ張り出して 聴いてみようかなーと。

JEIGIAを出て、Angers河原町三条本店をちょっと冷やかし、 ゼスト御池のKALDIでフランケン・ワインを物色した後、 山科区内のスーパーで買い物をしてから帰宅。

夕食後、夜は論文レビューを1本書きあげてメールで送付し、もう1本の論文 レビュー作業。しかしレビュー書きは明日以降に延期。そうこうしているうちに、 新しい論文レビューの依頼1件。まあ、査読でないから割合気楽にできるので、 そんなに負担にはならないけど、督促状を出してるレビュー者によく追加レビュー を依頼してくるなあと、ちょっと驚く。

2013年7月23日(火)
<<試験監督・教授会・親和会宴会>>
時差ボケはだいぶ収まってきた。午前中は自宅で野暮用。昼頃に大学に到着。 何かの気の迷いからか、普段は決して近寄らない大学生協食堂で昼食。 その後研究室で待機。13時過ぎから「代数学序論I」の試験監督の仕事。 14時半に試験終了。ちょっとしたトラブルがあったが、微妙な問題なので 事務に任せて大船に乗った気分。

それから研究室で演習講座の成績集計など。

16時30分から17時40分頃まで教授会。その後、マイクロバスに分乗 して琵琶湖東岸の某ホテルで親和会宴会。いつもは大宴会場で和食だが、 今回は趣向を変えて、結婚式場みたいな大広間でフレンチのフルコース。 料理は美味しかったが、ワインは俺サマ好みとは程遠し。しかし基本的に 俺サマはタダの酒飲みなので、不味かろうが美味かろうが酒は酒だということで、 ガンガン行って、いい気分で帰宅。

毎度書いていることだが、「親和会」というのは教授会の親睦宴会だけど、 俺サマは別に誰とも親睦する積りはなく、毎月給与天引きで会費が徴収されて いるのだから、「美味い料理でも食べさせてもらって、元を取ろう」と 思っているだけなので、黙って飲み食いし、 誰かが話しかけて来たら、愛想良く聞かれたことだけに最小限に答えて オシマイという、いつものやりかたを踏襲した。

「愛想良く」というところが ポイントで、俺サマは別に教授会の同僚を嫌っているわけでもなく、 単に彼らとはビジネスだけの関係にとどめておきたいし、 興味のない世間話をするのが面倒臭いから、 こういう場所では何も話すことが無いのである。 しかし向うから何か話し掛けてきたときは、 愛想だけは良くしておこうか、と。

もっとも、 「お前なんか、とっととくたばっちまえ!この糞野郎めが!」ぐらいに 思ってる人間も居ないでもないので、場合によってはかなり露骨に愛想が悪くなる。 今回はそのケースにはあたらなかった。

こうやって教授会だ親睦会だと、半日近く同僚達の話を傍で聞いていると、 ウチの大学の先生って皆学生が大好きなんだなとしみじみ思う。こういう学生 想いの先生の下で学ぶ学生達はさぞかし幸福だろう。じゃあ、俺サマは どうかとうと、要するに研究がしたいから大学教師になっただけなので、学生 に対して特段の思い入れはない。

むしろ(旧)情報学科時代のトラウマだか教訓だかで、 学生というのは、ひとたび妙な方向に動き出せば俺サマの研究生活を 破壊しかねない危険な巨大複雑系だと捉えている。従って、 講義やゼミで数学を語り合うこと、それだけにとどめ、 彼らについてそれ以上も以下も考えず、接触も持たないことが、俺サマが彼らと平穏に やっていける唯一の方法だと考えている。

あと、ウチの大学は、学問の場としての大学に対する思い入れが強く 高い理想を持っている先生が多い。これも大変良いことだ。 俺サマは、というと実は「そんなことはどうで もよい」と思っているようなところがある。

勿論、学問を大事にする大学の方が俺サマにとっては居心地が良いので、 そういう理想を持っている先生たちを陰ながら応援している。しかし、 俺サマ自身は「学問より金儲け」の企業の中で、いかに上司の目を盗んで アカデミックな研究を続けるかということばかり考えていた時期もあるので、 そういう思考が染みついている。それに俺サマにすれば、大学は 学部学生の教育と学校運営という、研究とは直接関係のない仕事をするところでしか ないので、学問がどうのと言われても場違いな感じがして、しっくりこないのである。

つまり、俺サマは単に馬鹿であるにとどまらず、大学人としての志も低い。

2013年7月22日(月)
<<時差ぼけ継続中>>
昨日も断続的に居眠りや昼寝をしてたのだけど、今朝も何だかかんだと起きたの はようやく昼前。自宅で野暮用の後、昼からは買い出しで山科区内を自転車で駆 けずり回り、スーパーやらドラッグストアーやら文具店やらをハシゴ。帰宅して 一息入れたらもう夕方近くになっていた。 それから少し数学。ポーランドの研究集会 のノートを見ながら、色々調べ物。

夕食の後、夜は先週ずっとサボっていた ラクトスポーツプラザへ。今日は楽しいZUMBAと筋トレ。ZUMBAは いくつか新しい曲に変わっていて、当然振り付けも変わるので、全身型「あっちみて ホイ」状態で文字通りてんてこ舞いする。

帰宅後、また少し数学。しかし時折猛烈な睡魔が襲ってきて、しばし気を失う。 まあ、まだ時差ボケからは完全に解放されていないようである。

今度の出張で、数論幾何学は俺サマの研究とは直接の関係は無さそうだとう印象 を持ったが、それにしても彼らが何故ああいう事を一所懸命議論してるのだろうか と、その背景というか、彼らとしてはいわずもがなの常識的な筋書きをちょっと 調べてみようか、と。

俺サマは馬鹿なので大学院は出てないのだが、それでも プログラム理論や可換環論や代数幾何学の最先端の所を何とか 理解して研究らしきことをやってこれたのは、 分からないことを分からないまま受け入れることができるからである。 これは分からないことを分からないまま”受け流す”のとは違い、 「分からんなあ、何だろうなあ」と執念深く気にかけ続けるところが ポイントである。

それで兎に角、学会なり研究集会なり講演会などを覗いてみて、 わからない話をじっと聞き、分からないけど何となく自分の趣味に合いそう だと思ったら、同じような話が聞ける機会があればまた行ってみる。 そうこうしているうちに、そういえば彼らはいつもこんな専門用語を口走ってる なとか、こういう数式がよく出てくるというようなことに気づき、 「分からんなあ、何だろうなあ」と気にかけて、折にふれて自分で文献を調べ てみたり、講演の中でヒントになるような話が 出てこないか注意して聞いてみたりする。

そんな調子で何年かやっていると、どうやらこの分野を研究したければ、 この基本書をマスターしてからこの論文を読まないと駄目だなというようなことが 分かってくる。その段階から真面目に勉強し始めるのである。

これは普通に大学院を出て研究者になる人とは全く逆のやり方で、 大学院生はまず指導教官に指定された基本書をきっちり読んでから、指導教官と相談の上 研究テーマを決め、必要な論文を読み、ある程度知識が固まってきた 段階で関連する研究会などを覗いてみるといったやりかたをするのが一般的だと思う。

大学院生のようなボトムアップ方式は、身近に良い指導者が居て、正しい (と指導者が思っているだけ?)の方向に導いてもらえる場合には有効だが、 俺サマのように特に決まった指導者が居ない場合には、進むべき方向が わからないまま闇雲に勉強してるだけの状態に陥る 危険が大きい。だから、「まず現場を見てから、やるべき事を決める」という トップダン方式をとるのである。

数論幾何学もまず有名人が束になって 集まる研究集会で20個ぐらいの講演を集中的に聞けば、だいたいのムードが 掴める。その後で「ところでガロア表現って何じゃ?」とか「何でp進表現を 考えるの?」式の、集会に集まる専門家には決して聞けないようなレベル のことをゴソゴソ調べたりするのである。

本当に数論幾何学の全容を知りたければ、講演者の顔ぶれが ちょっとずつ違う同じような研究集会を2つ3つハシゴする必要があるが、 まあ、今回は専門家になろうとしているわけでもないし、そこまでしなくても よいか、と。

2013年7月20・21日(土・日)
<<無事帰国し選挙の投票>>
20日(土)は5時起きして、前日に買っておいたパンやヨーグルト、トマト などで朝食を済ませ、6時頃にはホテルをチェックアウト。土曜のこの時間 は流石にトラムもすいていて、重いトランクをひきずりながらも 楽々と市街中心部に移動できた。そこからは、鉄道、バス、タクシーの いずれも利用できるが、結局鉄道でワルシャワ・ショパン空港に移動した。 この電車もすいていて、20数分程度で空港に到着。

初めての土地に出張するとき、以前はタクシーを使うようにしていたが、 それではあまり面白みがないので、最近は専ら公共交通機関を使うように している。大きな都市のターミナル駅など、どこで切符を買ってどの線 に乗ればよいのか分からず、時間ばかりが経っていって「これはまずいこと になってきたな」と冷や汗をかくこともあるが、まあ、治安がまずまずの 国なら、そう心配することはない。公共交通機関は、一度様子が分かって しまうと大変便利なもので、安い費用で街のあちこちを飛び回ることが できて活動範囲が一気に広がる。

空港到着後、すぐにルフトハンザのカウンターでチェックインを済ませ、 フロアのカフェでコーヒーを飲んだり、出国検査場を通過して免税店で買い物を したり、そうこうしているうちにまた腹が減ってきたので、ビジネスラウンジで すこし何か食べたりして、9時25分頃にLH1347便に搭乗、9時55分定刻 出航。朝が早かったので、機内ですこしうとうとする。

フランクフルトには11時45分定刻に到着。この空港は巨大なので、 いつも乗り継ぎのための移動が大変だが、ポーランドからの便が着く ゲートから大阪への便が出るゲートは、これまた最大級に離れている。 移動歩道などをフルに使っても15分ぐらいは軽くかかったと思う。 とりあえず出発ゲートの位置を確認してから、搭乗まで少し時間があったので、 ビジネスラウンジでメールを読んだりビールを飲んだりしてから、 またすこし免税店で買い物。

フランクフルト13時40分発のLH740便の搭乗は12時55分から予定だったが、 搭乗も出発も30分程度遅れた。行きもそうだが、高齢の日本人ツアー客で溢れ返って いた。この時期は蒸し暑い日本を離れて、涼しい北ヨーロッパですごすのは正解であ る。ただ学生さんはまだ夏休みではないので、ツアー客は高齢者に限られてしまう ようである。

関空を発つ時にビジネスラウンジに居た、俺サマと似たような年恰好の 工学部の偉い先生と思われるオジサンが、帰りのフランクフルトにも居た。 この人とは結局、関空からのJRはるかでも一緒で、俺サマと同じく京都駅で降りた。 まあ、同じような感じで海外出張する大学教授は居るわな。俺サマと同じく 学会出張は1週間で帰ってこなければならないところをみると、 私立大学の先生かな。どこの先生だろう?ま、そんなことはどうでもいいか。

国立研究所に勤めていた頃は、海外出張は2週間行くことができた。 だいたい最初の1週間は国際会議があって、そこで発表したりし、次の 1週間は興味のあるいくつかの研究機関を見学して回った。 俺サマが大学に移った当初も、大学の先生は2週間ぐらい海外出張に 出たりしてたような気がするが、最近は私大の普通の先生は1セメスター の1回1週間が限度である。

機内では夕食と朝食の間は、ほとんど寝ていた。5〜6時間は寝てたように思う。

21日7時45分頃関空に無事到着。8時44分発のJRはるかに乗って10時2分に京都着。それからタクシーで帰宅し、シャワーを浴びたり、昼食を食べたり、荷物を片付けたりといったことをしていたが、機内でよく寝たにもかかわらず断続的に 猛烈な睡魔に襲われ、たまらずまた数時間昼寝。

夕方起きて参議院選挙の投票に行ったり、夕食をたべたり、 出張精算や研究集会の講演者以外の参加者の”身元調査”など、あれやこれや やっているうちに、また睡魔に襲われ、2,3時間居眠り。それやこれやで、深夜に なってようやくすこし落ち着く。

それにしても、ポーランドもこれまで行ったこともないし、特に関心も無かった けれど、行ってみるとそれなりに親しみが湧くものである。俺サマのドイツかぶれ も、そんな感じで始まったし。これは、行ってみてそこそこ良かったからという こともある。しかし、3年前に行ったベトナムのように、到着翌日の昼食で腹を 壊し、帰国までずっと激しい下痢に悩まされるなど色々酷い目に会って、もう一度 行きたいとはあまり思わないけれど、それでも「面白い国だったなあ」って感じで、 そう悪くも思ってない。

2013年7月19日(金)
<<ワルシャワ研究集会最終日>>
ポーランド出張最終日。明日の朝早く起きて日本に帰るので、今日の朝、昼、 夕方の休み時間は空港への交通機関の確認が中心。朝、偶然中央駅のすぐ近くに 別の駅があって、そこから空港行きの電車が出てることを知り、研究集会が 終わった後の夕方に実際電車で空港まで行って道のりなどを確かめるなどして、 帰国手段の計画を練り直すこととなった。この間、何度も電車やバスを乗り継いで いるのだが、やはり3日周遊券とか24時間周遊券とかを買うと、フットワークが 軽くなって便利である。

夜は例の外国人向けポーランド料理の店で夕食の後、スーパーで買い物を してからホテルに戻り、スーパーで買ってきたウオッカをちびちびやりながら 荷造りなど。

さて、今回の研究集会の感想とまとめ。p進ガロア表現の話が多く、ついで 代数的K理論、代数的サイクルとエタールコホモロジーの話、その他の話題も ちらほらって感じだった。俺サマはクリスタリンコホモロジーとエタール コホモロジーを幾何学的不変量を求める道具として使うことに興味を持っている のだが、そういう観点でこれらのコホモロジーを考えている人は居なさそうな 雰囲気だった。また、彼らが俺サマの研究に役立ちそうな道具を開発している という印象は持てなかった。

しかし2年前にカナダの研究集会に行った時は、俺サマが「おおっ?!」と 身を乗り出すような話もあったし、数論幾何学とひとくちで言っても、色々 あるんだろうな。その辺はプログラム理論や可換環論みたいに、 ちょっと大きな研究集会をすると、その分野の人全員が集まってくる小じんまり とした分野の感覚とは違うんだろうなという気がする。

これが代数幾何学になると、同じ代数幾何学者でも 通常の研究集会レベルではまず顔を会わさないだろうなというぐらい。 分野が別れていて、それぞれの垣根も割合高い。

それにしても、俺サマでも名前を知っている数論幾何学の巨人で、 既に歴史的人物だと思っていた人達が何人も講演してて、 彼らがまだ現役でやっているのを目の当たりにしただ けでも、この研究集会に来た甲斐があったな。

2013年7月18日(木)
<<ワルシャワ空港の下見に出る>>
昨夜、寝入ってしばらくしてから、コンクリートの壁をトンカチでがんがん叩く 音で目が覚めた。どこかのアホが部屋で壁を叩いて騒いでいるのかと思ったが、 1,2時間延々と続いていたようだ。その前日も、真夜中に 大きな机をガタガタと引きずる音がしていた。何ごとかと思ったが、どうやら このホテルが入っているビルの工事らしい。何で昼間ではなく、人が寝ている 深夜に工事をするのか、まったくわけがわからない。鉄道も工事を理由に 平気で何日も運休する。この変が旧共産圏独特に思考かもしれない。

今日も早起きして、研究集会が始まる前にひと仕事。まずはホテルの近くに ある、前から気になていた立派の教会の写生ポイントの確定。歩道にあるベンチ の1つに座って描こうか、と。それから中央駅に行って、鉄道で空港に行く方法 を調査。夕方にもさらに空港から市街への鉄道の便を調査したが、 結局、地下鉄中央駅の工事とも関連してか、ガイドブックに描かれて いる鉄道はほとんど運休状態で、残りの1つも僅かな本数を中央駅よりももひとつ 遠い駅まで折り返し運転をしているようだと判明。

今日も9時半から17時10分まで1時間講演を4つ聞く。昼休みの2時間半は、 昼食抜きで朝決めておいた写生ポイントに直行するも、カフェの野外席として占拠 されていた。こういう公共の施設を買ってに営業に使って良いのかよ!?とぶつぶう 言いながら、すこし離れた別のスポットで写生。途中、アイスクリームを手にした 子供たちと母親に取り囲まれて、もの珍しそうに覗き込まれたが、どうも アイスクリーム屋の前だったようだ。

夕方は帰りに空港まで行く道順の確認。バスで空港まで行き、出発階の 様子を偵察。ショパン空港は首都ワルシャワの表玄関だが、空港の規模は ドイツのフランクフルト空港にはとても及ばず、 ミュンスター・オスナブリュック空港よりちょっと大きいかなとった 程度のものだった。

空港の下見から帰って、中心街で昨日と同じチェーン店の別の店で、 ポーランド風餃子とライ麦サワースープ、そしてビールで夕食。帰宅後、 夕方にスーパーで買っておいたヨーグルトとウオッカで、「夕食を完成させる」。

2013年7月17日(水)
<<大道芸人業再開>>
今日の研究集会は、13時10分まで1時間講演が3つあって、午後は自由時間。 コーヒーブレイクはいつもと若干違っていて、2つ目の講演が終わる11時40分 から12時10分まで。さらにいつもは菓子パンなどが出るが、今日は ケーキ!?何故かというと、講演者の1人の誕生日なんだそうで。それで結局 今日の昼食は、マリー・アントワネットにあやかってケーキであった。

そういえば去年マインツの研究集会に参加した時、中日のコーヒーブレイクに は大量のケーキが出てきた。午後は自由時間で希望者は遠足ツアーに出かけたが、 これがコーヒーブレイクの直後に出発なので、参加者は結局ケーキが昼食だった ようだ。このように、何かイベントがある時は、昼食をケーキですませるという のが、ヨーロッパの風習としてあるのかもしれない。

午後の俺サマは、2,3日前から入念に下調べをしておいた写生スポットに 直行し、オスナブリュックで30ン年振りに目覚め、 去年のマインツ以来の中断していた大道芸人画家業を再開し、2枚の絵を描いた。 ショパンの音楽が流れる仕掛けになっているベンチで絵を描いていたら、 アフリカのどこかの国にエライさんたちの集団に囲まれた。ガイドの人が 英語で説明し、通訳がフランス語に翻訳していたから、旧フランス領の 北西アフリカのどこかの国か。彼らの一部はガイドの説明よりも、俺サマの 絵の方に興味があるようで、「それに後で色を塗る積りか?」とか 「貴方はどこの国から来たのか?」とか聞いてきて、俺サマの絵もちょっと 褒めてくれた。

それからまだ時間があったので、旧市街や新市街を散策して教会遊びなどもし、 夕食は写生スポット近くのレストラン。これは外国人向けにポーランド伝統料理 を食べさせるチェーン店で、どの店を見ても外国人客でおおいに繁盛している。

俺サマは、ザウアークラウトときのこと刻みソーセージを炒めたものの黒パン 添えとビールを注文したが、ちと夕食には軽すぎたので、ホテル近くのスーパー でパンとヨーグルトとズブロッカの小瓶を買って、ホテルで夕食の「仕上げ」をした。

ワルシャワの街を歩いていると、ドイツに居るような錯覚 に陥る。そういえば街に溢れる言葉はポーランド語なので、全然理解できない し、建物の感じもドイツ風ばかりでなく、ロシア風や亜流フランス風も 混じっていて、ちょっとだけ雰囲気が違うが、要するに日本の中で地域に よって多少違いがあるというのと同じ程度の違いでしかない。

まあ、それにしても、ヨーロッパに来るとほっとするなあ。

2013年7月16日(火)
<<ワルシャワ制覇?!>>
研究集会2日目。今日も早く目が覚めたので、集会の前に1時間ほど ホテルの近くを偵察飛行。帰国の際のバスや地下鉄の状況も調査。 どうも地下鉄は中央駅とその隣の駅の工事のため、その前後の路線で 折り返し運転をしているようだ。バスやトラムなど、代替公共交通機関 が複数あり、定期券や切符等は共通して使えるので、大した混乱は ないのかもしれないが、日本なら夜中にこそっと工事をするなど、 もうちょっと上手にやると思うが、その辺が元共産圏の国らしいところかも。

今日も9時半から17時まで1時間講演が4つ。昼休みの2時間半は、 午前の講演の延長で15分ほど削られたが、公共交通機関3日券のお陰で、 バスやトラムを乗り継いで、今日は昨日行けなかった旧市街 や新市街(と言っても14世紀以降発展した部分を指す)まで足を伸ばした。

18時からは、研究集会をやっている階の1つ上の階のフロアで、 出前の立食パーティー。ドイツだと、その辺のレストランを予約して 皆で出かけ、料理はそれぞれ自分の好きなものを頼み、料金も それぞれが個別に支払う方法が好まれるようだが、こういう費用主催者 持ちの出前立食パーティーはポーランド式なのかしら。

俺サマはポーランドの伝統料理でも出ないかなと少し期待したが、 赤ワインが美味かった以外は、特に変わったところのない普通の料理 だった。しかし費用は向う持ちなので、文句は言うまい。 で、俺サマは例によって30分以内に一通り腹ごしらえを終えて退散。

数学者と豊かな交友関係が築けれるのなら、それに越したことはない。 俺サマも計算機屋時代は沢山の同業者と知り合いになって、なかなか 良かったし、今でも細々ながら交友は続いている。 しかし俺サマにとって、数学者と交友関係を作ろうと努力することは、 全く割の合わない時間と労力の投資でしかない。

その理由は、要するに「俺サマが馬鹿だから」ということなのだが、 別の言い方をすると、数学者の閉鎖性とでも言おうか。 数学者というのは、全く数学とは関係の無い人か、 あるいは自分の研究に直接メリットがありそうな、興味が共有できてしかも 自分に釣りあう程度に優秀な人としか友人になりたがら ないからである。数学の話ができない人との交友関係を維持するのが、 面倒臭いのであろう。

今回の研究集会は、俺サマの専門とは若干離れているのだが、 彼らの問題意識や研究方法がわかれば、俺サマが今やっていることの意味が もうすこしはっきりするはずだと思って、参加しているのである。 ついでに彼らが使っている道具や知識で、俺サマの研究に使えそうなものがあれば めっけものだなという助平根性もある。

勿論、彼らと親しくなって、色々素人質問ができればよいのだが、 以前可換環論の研究集会のパーティーで、俺サマの専門とは若干離れたことを やっている偉い先生にそういう質問をしたら、 「ふん、馬鹿かお前は」みたいなケンモホロロの態度を取られ、 かなり頭に来た。かと言って「何だ、お前、その態度は?!」と 物陰に連れ込んでどつき回してやるわけにも行かないし、、、ということで、 腹が立って夜眠れなくなるのも嫌だし、以後そういう努力は一切しないこと にしている。

まあ、こういうことは、計算機科学のように各分野間の垣根が低く、 研究者もあっちこっちの分野を簡単に行き来する学問との違いが如実に 出ていると思う。やはり数学はよほど天才的な人でもない限り、1つの 所で10年20年とやっていくのが普通で、俺サマのように馬鹿なくせに 10年毎に自由に専門を変えてあちこち転々としている流れ者は、やはりあの 閉鎖的な世界には入りづらいのである。計算機屋だと10年20年同じことを 研究しているのは、むしろ珍しいけど。

兎に角、自由の代償として、これぐら いは受入れないとだめだろうと思ってはいるし、中途半端な顔見知りを作らない 方が、あちこちの集会に自由に出没して、誰それに挨拶しないと いけないとか、そういうことを気にせずに調査活動に専念できるメリット がある。

パーティーを抜け出し、再びバスやトラムを乗りついで、旧市街と 新市街界隈に繰り出し、昼間に入れなかった教会に潜入したりして、 偵察飛行を敢行。街にあるスーパーマーケットの位置もだいたい分かって きたし、時間の関係でまだ行ってないが、何処に行けば手軽に安心して 伝統的ポーランド料理にありつけそうか目星もついたし、到着3日目にして ワルシャワ市中心部のあるレベルでの全容をほぼ解明したような気がする。

偵察飛行からホテルに戻る途中、スーパーでズブロッカの小瓶 を購入。いつもフランクフルトの免税店で買うだけだが、せっかく 現地に居るのだから飲んでおこうか、と。