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2013年5月15日(水)
<<会議で疲れる>>
午前中に山科駅前の郵便局で数学会費の振込み。 それから大丸ラクト山科店で昼食用のパンを買って、大学に出勤。 13時から14時半まで大学院のゼミ。今日はアフィン代数代数多様体 の演習問題を5〜6問解く。次回もう1回演習問題解きをやって、学生は 3週間教育実習に行ってしまうらしい。実習から帰ってきたら、射影 代数多様体の章に入る予定。

研究室に戻ってから夕方の会議までの2時間、科研費出張計画 の作業に取り組み、7月半ばのポーランド出張を決め、出張申請書 を書いて提出。それから火曜日の「離散数学」のレポートで、 保留にしてあった1通の採点を終える。

16時半から18時45分頃まで学科会議。それから研究室に一旦 戻って、ふと用事を思いだして学科長を捜す。結局、会議室で2,3名 の同僚と業務関連の雑談しているところを発見。俺サマも用件を済ませた あと、すこし雑談に加わる。19時半近くに大学を発ち、20時頃に 山科着。ラクト山科で夕食の後、21時頃に帰宅。

帰宅後、別の用件を思い出して、学科長にメールを書いて出す。 今日は学科会議の開始から、かれこれ数時間学科運営の話に付き合った 形になったので、気分的にかなり疲れたな。通常はあまり 学科の運営には口を出さないのだが、今年度の学科長は着任して日が 浅く、学内行政や政治が趣味というタイプの人でもなさそうなので、 色々戸惑ってるご様子。俺サマも副学科長として、何故か月々わずかでは あるが役職手当も貰っている身なので、少しは手助けしないといけない のかな?と余計なことを考えているのである。

余計なことを考えると、疲れる。

2013年5月14日(火)
<<「保留」2連発>>
今学期の火曜日はお仕事モード全開状態。今日も初夏を思わせる暑さ。 9時半過ぎに出勤し、生協コンビニで昼食用の弁当やお握りを買って、 10時40分の講義まで科研費出張計画策定作業。学術データベースを 検索して、某研究集会の招待講演者たちの研究傾向の調査。

10時40分から12時10分まで、3回生以上対象「離散数学」。 今日は擬アフィン代数多様体と代数多様体の次元の一致定理の証明。 一応証明を説明し終えてから、どうもある一か所がひっかかっていたが、 とにかくそれは保留にして、超曲面の特徴づけを経て、射影代数多様体 の節に入り、射影空間の定義をする。次回は次数付き環などの話をする予定。

短い昼休みは研究室にて昼食。数学研究会の学生から、新歓コンパの お誘いメールが届いたが、「いくつかの例外を除き、仕事関係者とは 飲まないことにしております」と丁重にお断りする。「いくつかの例外」 とは、会費が給与天引きされている教授会の宴会と、新任教員の歓迎会の 2つのみ。

午前の講義で「保留」にした疑問は、ハーツホーンの 教科書では明示してない、素イデアル鎖条件の話で、最近ご無沙汰の 可換環論の教科書をちょっとひっくり返してみれば、すぐに解決した。

13時から14時30分まで、2回生「代数学序論I」の講義。 今日は部分群の判定法、有限巡回群の部分群の決定、クラインの4元群のあと、 ラグランジュの定理のステートメントだけを示す。有限巡回群の話のところで、 アドリブで横着しようと思ったら詰まってしまい、次回に保留とする。 やっぱり横着はいけませんなあ。次回は保留の話をやり直してから、 剰余類の話からラグランジュの定理の証明、そして時間があれば対称群の話に入る予定。

引き続き14時40分から16時10分まで、 2回生対象「構造数理セミナー」(代数学序論Iの演習講座)。 教室移動の間に、さきほどの講義で「保留」にした部分の正しい証明法を 思いついた。「代数学序論I」の受講生の半分がこのクラスに来てるし、 この話を今日の「構造数理セミナー」の演習問題に使うので、 次回の「代数学序論I」の「予告」と称して最初に話す。

授業が終わって研究室に戻り、「構造数理セミナー」の答案整理と 次回用のプリントの準備、「離散数学」のレポートの採点、次回の「代数学序論I」 の講義メモ作成作業などを終え、20時頃に大学を発つ。南草津駅前で夕食 をとって22時前に帰宅。ラクト山科近くの地下道で、例の「強い爺さん」 とすれ違った。スポーツプラザの帰りかしら。最近スポーツプラザで全然見掛けない ので、どうしたのかと少し心配してたのだが、まずまず元気そうだった。 帰宅後、大学の事務的なWeb入力作業をすこし。また、「代数学序論I」 の「保留」の別解も思いついたので、メモの纏める。

そういえば、初対面だった人と2度目に遭遇したとき、一瞬相手が「あ、あの 時の高山のアホがいる!」みたいな表情をすることが時々あって、 たぶんそのときに俺サマも、「ああ、あの時のアホの高山です。どうも、お久しぶり (ニコニコ)!」みたいな表情を返せば、とりあえず祝福された再会が演出できる のかもしれない。

しかし俺サマは、相手が数学者の場合は、「ああ、あの時のあいつか。 こんな所にも来てやがるのか。何か俺サマのこと覚えてるみたいな素振りだけど、 俺サマみたいな馬鹿にかかずらわるとロクなことないよ。じゃあなっ!」と、 憎憎しげにギロリと睨んでさっと目を背けるのが常である。すると相手はニ度と こちらに関知するような素振りはしなくなる。

お前なあ、数学者の態度が悪いって文句言ってるけど、お前も同じだろうが!? と、思いっきり突っ込まれそうだけど。俺サマは数学者サマにさんざんそういうこ とをやられているから、バランスを取るために、たまには自分も数学者の真似してる だけさと、とりあえず言い訳しておく。

2013年5月13日(月)
<<科研費出張計画を練る>>
今日も夏日。午前中は自宅で野暮用、大学の雑用でメールを読んだり書いたり、 そして山科区内のスーパーに買い出し。帰宅して昼食の後、夕方近くまでしばし 数学。夕方頃から自宅や山科区内で野暮用。また帰宅して少しだけ数学の後、 ラクト山科へ。そこのレストランで少し早目の夕食の後、スポーツプラザへ。 今日はストレッチ、筋トレ、有酸素運動の後、楽しいZUMBA。

帰宅後、大学の雑用でメールを読んだり書いたりしてから、 明日の講義の準備をすこし。その後、少しばかり今年度の科研費出張計画を練る。 12月中旬にイタリアで数論幾何学関係の研究集会があるので、それに参加して みようか、と。しかし7月中旬もポーランドで数論幾何学関係の集会があって、 こっちの方が面白そうな気もするが、今のところ海外出張って気分ではないので、 どうしようかなあ、と。

イタリアの集会のホームページには、「この方面に興味のある人は、誰でも 歓迎します」とあり、馬鹿除け選考つき研究集会も少なくないこの業界で、 なかなかオープンマインドなことを言うじゃないかと、おおいに気を良くする。 ただ、日本人数学者が2名招待講演者として参加予定。イタリアに行ってまで、 日本人数学者の顔なんか見たくない、という気もないでもないし。。。

ポーランドの方は、ホームページの情報も少なく、何となく「仲間内で 集まろうぜ」感があって、「馬鹿は行っちゃいけないの?」と聞きたくなる。 もう少し考えてみよう。

2013年5月12日(日)
<<ゼスト御池で数学者と出会う>>
カンカン照りの夏日。午前中は京都新聞の2つのパズル。最近は すぐに攻略できてしまって、面白くない。しばし数学の後、街に出る。 ゼスト御池の地下街で数学者の某氏とすれ違った。数年前に結婚したと いう噂を聞いたが、奥さんとおぼしき人と嬉しそうに歩いていた。俺サマは 数年前に、この数学者と小一時間ぐらい、あれこれ懇意に話したことがある。 しかし数学者の常として、次に会った時に「アンタ、誰よ?」みたいな態度だったの で、「ブルータスよ、お前もか?!」と思って、 以後は研究集会などで顔を合わせても、「ギロリ」だけにとどめている。

ゼスト御池を抜けて寺町通りに入り、まずは「生そばの常盤」で 「特製中華そば」の昼食。今日も中年の西洋人観光客夫婦が入ってきたが、 それ以外は年寄りというよりも、どちらかというと 若めの客が何人かいた。次回は「カツカレー」に挑戦する予定。でも、 「生そばの常盤」だから、一度は蕎麦も食べないといかんな。

昼食の後、上島珈琲寺町通り店に籠って夕方頃まで数学。 最初の席の近くでは、どういう事情か知らないが、70代 ぐらいの爺さんが、50代ぐらいのおばさんに高校レベルの 英語を教えていた。爺さんはドイツ語も知ってるらしく、 「instead of はドイツ語ではstattだ」みたいなことも言って いた。爺さんの声が五月蠅いので、流石の俺サマも数学どころ ではなくなり、ちょうど「数学者席」が空いたので、そこに 移動した。

俺サマは「声がデカイおっさんは、それだけで人間の屑だ と判断しても差し支えない」という偏見を持っており、 自分が馬鹿なのはしょうがないとしても、 人間の屑にだけはなるまいという意識が働くのか、 年年話声が小さくなっている。 今年度の講義なんか、学生さんは静かに聞いてくれてるし、マイクを 使っているからいいのかも知れないけど、自分でもかなり低い声で ぼそぼそ話しているような自覚症状がある。 授業アンケートで「声が小さい!」とか叱られるかも知れんな。

上島珈琲を出てから、久しぶりにAngers河原町三条本店 を偵察飛行し、大丸ラクト山科店で純米大吟醸を1本買って 帰宅。夕食前は妖怪事典フランス語版を少し読み、 夕食後はまた少し数学。

2013年5月11日(土)
<<料理になりたいか?>>
しとしと雨が降るアンチュチュの日。9時半過ぎにアンチュチュに到着。 10時から12時半までフランス語の授業。今日は仮定法の練習。

"Si vous etiez un plat, quel plat seriez-vous?"
「もし料理になるとしたら、貴方は何の料理になりますか?」

って、この問題、変じゃないか?「先生、この"un plat"って、料理 のことですよね」「そうですよ」「え!?『私はトンカツになって、 皆に食べてもらいたい. Si j'etais un plat, je serais un cotelette de porc panee.』みたいな例文つくるんですか?」「そうです。 例えば、サラダバーなんかもいいですね。女性はサラダが好きだし、 沢山の女性に好かれていいじゃないですか。」と。うーん、何という 発想だ?!フランス文化、恐るべし!

他にも、「有名人になるとしたら、誰になりたいか?」という問題も あったので、Si j'etais une personne celebre, je serais Horiemon parce que je voudrais dire "On peut acheter meme le coeur des hommes!" (もし有名人になるとしたら、ホリエモンになりたい。だって、「人の心だって 金で買えます!」って言ってみたいじゃないですか。)というのをブチかまして おいた。

休憩時間に図書室にふらっと立ち寄ったら、水木しげる「妖怪事典」の フランス語訳版が出ていたので、思わず借り出した。俺サマが20年以上 昔に買った日本語版に比べて、掲載されている妖怪が増えたような気がするな。

昼食は例によって新福菜館百万遍店。その後、京大中央生協食堂に行ってみ たら、土日休業に変わっていた。ルネ食堂に行けということらしいが、 耐震補強工事の後、ルネ食堂はずいぶん狭苦しくなって、食後のコーヒーを 飲みながらフランス語の宿題などと思っても、ほとんど寿司詰め状態で全然席が 空いてなかった。

それでコーヒーは自販機ので済まし、アンチュチュに戻って図書室に 籠る。フランス語の宿題とドイツ語の予習を済まし、それから少し数学。

16時40分から18時10分過ぎまで、寺子屋ドイツ語塾の春学期 第一日目の授業。帰りは雨があがっていたので、京都市役所駅前まで 徒歩。しばらく来ないうちに、荒神口から丸太町あたりまでの河原町通り に新しい店や改装された店が数件あった。道草なしでまっすく帰宅し、夕食。 夕食後はほんの少し数学。

2013年5月10日(金)
<<CD2枚一気買い>>
ああ、また「あの、シリーズ」の瞬間的復活である。

これは、ヴィクトリア・ムローヴァという、最近注目されているヴァイオリニストの J.S.バッハ、ヴァイオリン協奏曲集である。 「ヴィクトリア!爪を噛む癖はやめなさい!」って、、、違うか。

バッハのヴァイオリン協奏曲 のCDはいくつか持ってるけど、ヴァイオリンの「ピリオド奏法」って何だろう? と思って買ってみた。でも、結局なんだかよくわからない。

今日はこれだけにとどまらず、「えいっ、 やっ」ともひとつ買ってしまった。

最近はちょっとした古楽器ブームのようだけど、フルートの前身、木管の横笛で バロックやバロックの前のルネサンス期の曲を集めたもの。作曲家の名前も、 セルミジ、オルティス、ダ・ミラノ、スザート、ロニョーニ、ファン・ヴィルデル 等等、聞いたことのないような人ばかり。曲もソナタとかコンチェルトといった 形式が確立される前のものなので、短いものばかりで、 曲名も「○○のためのソナタ第×番ホ短調BWV××」みたいな のではなく、「楽しき森にて Au Joly Bois」「花さく日々を生きるうちは Tant que vivray」「さあ、お互いどうしよう Que ferons-nous」等等、歌謡曲みたいで なかなかよろしい。リュートと横笛ってのも、しみじみ と心に沁みるような感じで、いいもんだな、と。

しかし、題名のフランス語、ちょっと変だな。vivrayってvivre(生きる) の何形活用だ?俺サマの辞書には載ってないぞ。 au joly bois のjoly ってのも 辞書に出てるjoliのフランス語古語か方言か何かかしら?そういうフランス語っぽい、 何語だかわからない題名の曲が25曲入っている。

ルネサンスとかバロックの頃のドイツの教会の墓石みたいなのには、 ドイツ語、フランス語、そしてたぶんラテン語がごちゃごちゃになった ような言葉で碑文が書いてあったりするので、そういう教養がないと チンプンカンプンである。まあ、古典語がわからないと 読めないという点では、日本の古い碑文も同じだけど。

午前中は自宅でメールを読んだり書いたり。俺サマのところで 博士課程の学生をやりたいと言っている留学生の選考作業の件で 色々。

卒研や就職希望の修士の学生なら、本人の実力に応じて (意欲のあるなしも実力の一部と考える)本人の 好きなようにやらせておけば良く、例え卒研ゼミや 修士論文の出来栄えが学問的に見て悩ましい水準であったとしても、 それはそれとして本人が受け止めれば良いだけのことである。

しかし博士課程となると、目指すべき最低水準があらかじめ設定 されているし、それをクリアできないとなると、まあ、それは それで仕方がないこととはいえ、なかなか深刻な事態である。 そういう意味で、博士課程の指導担当は責任が重いんだろうなと、 (とりあえず今のところは)他人事のように思っておく。

その後、明日から始まるドイツ語寺子屋の予習をして、 野暮用を片付けてから街に出る。

まずは「生そばの常盤」にて、この店イチ押しの「ビフカツ丼」で昼食。 次は「特製中華そば」を試してみようかと思う。この調子で、この店の 全メニューを制覇するまで通い続けることになるのだろうか。

やはり年寄りと西洋人観光客に人気の店らしく、今日も年配のフランス人男女 4人組の客が来ていた。

それから上島珈琲寺町通り店に籠って、夕方頃まで数学。帰りにJEUGIA 三条本店に立ち寄って上記CDを一気買いし、その興奮さめやらぬまま帰宅し 夕食。夜も少し数学。

2013年5月9日(木)
<<卒研ゼミ、ヨガ、有酸素運動>>
午前中は自宅で大学の事務とすこしメールでやりとり。それから出勤態勢に入る。 大丸ラクト山科店で昼食用のパンを買って山科駅へ。ちょうど電車が出たところで、 次の電車まで20分程度時間があったので、何だか腹も減ったことだし、駅のベンチ で昼食を済ます。

と、ここまで書いてきて、昨日と全く同じ文面だと気付く。偶然、 山科駅で逃した電車も、昨日と同じ時刻のもの。あ、そういえば、午前中は 論文のレビューをアメリカ数学会にメールで送信したっけ。

昼過ぎに大学に到着。13時から14時30分まで、就職組の「アルティン・ ガロア理論入門」卒研ゼミ。今日は4名中2名が就活、1名が体調不良で休み。 残る1名が、線形空間の線形独立や線形従属、次元の定義を復習し、次元に関する 定理の長い証明。予習をあまりやって来ませんでしたと言って、証明をその場で 解読しながら発表するとは、なかなかの大物だな。

引き続き、14時40分から時間延長で16時25分頃まで、大学院進学組の 「堀川・複素代数幾何学入門」ゼミ。今日は正則関数列の収束に関する定理、 有理型関数と留数の定義、留数定理とその応用。次回は留数定理の応用の残りを 終えて、いよいよ多変数正則関数の章に入る予定。

卒研ゼミ終了後、ただちに大学を発つ。大丸ラクト山科店で ワインを赤、白1本ずつ買って帰宅。しばし野暮用の後、夕食。夜はラクト スポーツプラザへ。今日は骨盤矯正ヨガと有酸素運動。帰宅後、ドイツ語の予習を すこし。

2013年5月8日(水)
<<博士課程の留学生入試>>
午前中は自宅で大学の事務とすこしメールでやりとり。それから出勤態勢に入る。 大丸ラクト山科店で昼食用のパンを買って山科駅へ。ちょうど電車が出たところで、次の 電車まで20分程度時間があったので、何だか腹も減ったことだし、駅のベンチ で昼食を済ます。

昼過ぎに大学に到着。バスが大学の正門にさしかかった時、門の外で 最近着任したヘビースモーカーの先生がしゃがみ込んでいるのが目に入った。 いつの頃からかRitsはキャンパス内全面禁煙になっているので、 煙草が吸いたくなると正門の外まで出かけていくらしい。

ああ、そういえば、2,3週間前だったと思うが、街で久々に 猛禽類放し飼い!ロードランナー逆走男を見掛けたのだが、日誌に記録する のを忘れていて、そうこうしているうちに何処で見掛けたのかも思い出せなくなった。 しかし今日、ラクト山科にある喫茶店の前を通って、「ここだ!ここに奴が入って いって、遅めの昼食をとろうとしてたのだ!」と突然思い出した。奴は山科に住んでいて、ジャズが好きで、職場は京大北部キャンパスというところまで分かっているが、 一体何者なのか、いまだに分からない。。。って、数学者だったりして。

昔、京大の数学教室のあたりを偵察飛行してると、若いんだか若くないんだか よくわからない見知らぬ男が通りかかって、俺サマに軽く、しかし愛想よく 会釈をしてきた。はああ、彼は最近京大の先生になった数学者で、俺サマのことを、 もしかしたら 外部から来た偉い先生か何かかもしれないと思って挨拶してきたのだろう。 こんな数学者らしからぬことをする奴って誰かしらね?と、 京大数学教室の教員名簿を眺めてたりしてた。

それからしばらくして、数学会に参加し、その年の数学会賞の授賞式と 受賞者の記念講演があった。受賞者は俺サマの後輩で学生時代の面影は 何となく覚えていたが、その後会ったことはなく、どうなったかは知らなかった。 で、授賞式の祭壇に上がってきた受賞者は、、、その愛想よし会釈の男だった。 あれからン十年、、、全く別人になってるじゃん!?と。

それからまたしばらくして、俺サマの真正馬鹿ぶりが京大まで知れる ところとなり、その先生とも色々って程でもないけど、ちょっとしたことが あって、今は道で出会っても会釈はなしで、ギロリと睨んでくるだけである。 勿論俺サマもギロリと睨み返している。

案外、次の数学会の授賞式に、逆走男が現れるかも知れないな。

さて、研究室で分厚い書類をプリントアウトして、13時から15時前 まで大学院のゼミ。今日はアフィン代数多様体の支配的有理写像と関数体の 対応などをやって、ようやくアフィン代数多様体の章を終える。次回から しばらく、面白い具体例を沢山扱っている演習問題をやって、 それからゆっくり射影代数多様体の章に入っていく予定。

ゼミの後、研究室に籠って昼休みに印刷しておいた出願書類を詳細に検討し、 注意深くメールを書いて送る。一体何をやっているのかというと、某国の 学生から、俺サマのところに留学して博士号を取りたいという出願書類が 届いたので、その審査をしたり、研究計画書の内容について詳しい問合せ をしたりといった作業をしていたわけ。

でもなあ、「可換環論で博士号を取りたい」って言われても、俺サマはもう 可換環論を離れて6年以上経つし、代数幾何学でもまだ無名だし、今はどの分野 でも(博士論文の指導ができるレベルの)エキスパートではないのよね。だから、 俺サマの所に来られても、可換環論の現役日本人研究者に会うための仲介 ぐらいのことはするけど、研究の中身についての指導は期待しないでね、と。

帰宅して夕食の後、2カ月ほったらかしにしてあった、アメリカ数学会の レビューの仕事をほぼ片付ける。明日の朝、メールで送信したら、一件落着。

2013年5月7日(火)
<<連休が明け、寒さが戻る>>
連休明け。上天気だけど肌寒い。10時過ぎに大学に出勤。生協コンビニで 昼食用の弁当やおにぎりを買い、研究室で少し講義の準備。10時40分 から12時10分まで、3回生以上の「離散数学」。今日は位相空間の次元と 可換環のクルル次元の一致、超越次元の定義などの後、擬アフィン空間の次元と そのザリスキ閉包の次元の一致定理の証明。途中で時間切れになったので、 次回続きをやって、射影代数多様体の章に入る予定。

短い昼休みは、研究室で昼食、食後のコーヒー。

13時から14時半まで、2回生「代数学序論I」の講義。今日は群の例として、 基本群とホモトピー群の名前だけ言及し、関数空間が加群になること、1の原始 n乗根が群を生成することを簡単に示し、巡回群の定義と例、有限巡回群の構造、 とくに逆元の表示、部分群の定義とその簡単な判定法を述べる。次回は部分群の 判定法の証明をして、巡回群の部分群の決定、ラグランジュ公式に進む予定。

ひきつづき14時40分から16時10分まで、「代数学序論I」に準拠した 演習科目「構造数理セミナーI」の授業。今日は1の原始n乗根についての、 いくつかの計算問題をやらせる。

16時30分から教授会。形式的な議題なので、「構造数理セミナーI」の 答案チェックの内職をしながら議事を聞き流していたが、会議はたった20分で 終了した。

その後、研究室に戻って、「構造数理セミナーI」の答案整理や次回分の プリント作成、午前の「離散数学」のレポート採点と次回分の講義メモつくり などをして、20時前に大学を出て、南草津駅間で夕食の後帰宅。夜はほんの 少しだけ数学。

2013年5月6日(月)
<<「生そばの常盤」初体験>>
午前中はまたも自宅ボロPCの再設定作業の後、ラクト山科に買い出しに出て、 ついでに床屋。いったん帰宅してから、久々に街に出る。連休も終盤にさしか かっているせいか、人出も平日よりすこし多いかな、といった程度。昼食は前 から目をつけていた寺町三条「生そばの常盤」に初めて入り、竹の子饂飩定食。 昭和の香りプンプンのごく普通の定食屋の店構えで、年寄りと西洋人観光客には 人気のようだった。丸亀製麺もそろそろ飽きてきたので、これからは常盤に シフトしようかと思う。

俺サマが東京の国立研究所に勤めてた頃、研究所の近くの個人営業の和風旅館 が、西洋人の短期客員研究員たちの間で「日本的情緒たっぷり!」と大人気だった。 俺サマも関西に移ってから東京出張の折に、ためしに泊ってみたが、座敷に布団を 敷いて、トイレも風呂も共用で、朝は大部屋で卵と焼き魚と海苔と味噌汁の朝ご飯と、 予想通り、別にどうってこともない普通の和風旅館だった。

昼食の後、上島珈琲に籠ってしばし数学。早目に帰宅して、18時前にラクト スポーツプラザへ。ストレッチと筋トレをすませて15分ほど有酸素運動。 その後19時から祝日スペシャル!楽しいZUMBA60分(通常45分)! このおトク感、たまりまへんわ。21時前に帰宅して、それから遅い夕食。 その後、すこし数学。

さて、4連休スペシャル昔話の最終回である。(旧)情報学科から数理科学科 に移籍した「数理情報系教員」は、確率解析が専門で暗号もできるA先生、 計算機代数のB先生、そして馬鹿の俺サマの3人。A先生は数学者なので、 すぐに学科の仲間として温かく受け入れられた。B先生は計算機代数 という数学者にも数学科の学生にもわかりやすい分野が専門で、研究室運営も ほどなく軌道に乗り、やり手の計算機の先生としてそれなりに存在感を発揮し ていた。しかし俺サマは、授業こそ情報系のものを担当していたが、 研究は(純粋)数学に転向することにして、卒研も純粋数学系のテーマを 取り上げることにした。

その理由の第一は、俺サマが当時やっていたプログラム理論や数理論理学 では卒研生は集まらず、いずれ俺サマの学科内の立場は危うくなり、(旧)情 報学科時代の二の舞になると判断したこと。実は 数理科学科に移籍する前から、必要に迫られてRitsの数学の学生を何年も リサーチしてたので、「彼らに脈なし」との判断に迷いはなかった。

理由の第ニは、俺サマやB先生のような数学者でない教員を学科内に入れる ことに根強く反発している先生がいたこと。まあ、それは数学者としては自然な リアクションだから仕方がないのだが、結局数理情報系教員として学科の期待通 りバリバリやっていたB先生も、執拗な嫌がらせに嫌気がさして他大学の情報系 学科に移ってしまった。B先生は優秀だから転出先があったけど、俺サマは馬鹿 だから行くところがないし、どうしようかなあ。数学者からの「嫌がらせ」は、 実は「お前さんも、いっそのこと数学者になりなさい!」という励まし じゃないかしら?という超ポジティブ・シンキング(ってわけでもなかったけど)。

そして理由の第三は、俺サマは既にプログラム理論に対する「愛」を失くして おり(というか、元々そんなに「愛」があったわけでもないのだが)、「愛」が無い 状態で、この先学科内で予想される卒研の不人気や数学者からの嫌がらせなど、 さまざまな苦難を乗り切れる自信がなかったこと。一つの分野を専門にしていると、 順調な時ばかりではなく、必ずや苦しい時もやってくる。その時、その分野に 対する「愛」が無ければ決して乗り切れないものだ。

以上のことから、馬鹿の俺サマが、必ずしも学科内の意見が纏まって いるわけでもないあやふやな「学科の期待」とやら応えるために、 無理して愛の冷めたプログラム理論をやってても碌なことはない。 ここはひとつ野垂れ死に覚悟で数学に転向するしか生き延びる方法はない と腹をくくったというわけ。

まあ、元々学生時代から数学が一番やりたかったんだから、考えようによっては 渡りに舟みたいな話で、俺サマは馬鹿の割にはデカいチャンスをモノにしたな、 ふっふっふ、と。

そこからどうやって「居直り強盗」-- つまり、いつの間にか「代数の先生」 ヅラして収まっていること -- になったのかについては、まあ、俺サマと してもそれなりに努力した結果と言えなくもないけど、俺サマ級の 馬鹿がちょっとぐらい努力したところで大したことはなくて、例によって 9割以上は棚ボタだよ、棚ボタ!それ以外に何があるってんだよう?!文句あっか?

2013年5月5日(日)
<<4連休3日目の昔話>>
午前中は京都新聞日曜版の2つのパズルを片付けたり、 自宅の壊れかけているPCの調整をやったりし、夕方頃、近くの スーパーに買い出しに行った以外は、終日自宅で数学。時々、 フェースブックで、皆さん思い思いのゴールデンウィークを 楽しんでることを確認。

さて、他に話のネタもないので、昨日の昔話の続きでも、

1999年度、すなわち(旧)情報学科在籍最後の年に、 俺サマの教授昇進の昇任人事があったが、これがまた大変だった。 世の中、皆に寄ってたかって頭を押さえられ、さんざん踏みつけられても、 まだニコニコと愛想を絶やさない奇特な人も少なくない。しかし俺サマはその辺は 正直に出来ていて、「お前らさんざん俺サマを虚仮にして踏み台にしやがったな!」 という気持ちが露骨に態度に出る。すると「あいつ生意気だ!あんな奴は教授に しなくていい!助教授(現在の准教授にあたる身分)のまま放っておけ」 という話になる。

いっぽう、俺サマはA,B両先生とは違って馬鹿だから、 数学系新学科には必要無いと言われたのに、「そこを何とか」と泣きついて この学科に入れてもらったことは昨日の日誌にも書いた通りである。 だから、新学科移籍後は針のムシロ状態になることは火を見るよりも 明らか。そうでなくても、一般的にどこの数学科でも、数学者サマの集団に一人紛 れ込んだ計算機屋の教員というのは、醜いアヒルの子ではないが、昇進もないまま、 今で言えば准教授か助教の身分のまま放ったらかしにされることも珍しくない。 俺サマは馬鹿だけど、計算機屋としての研究業績はどうにか立命の教授になれる 程度にはあったので、何とか移籍前に教授に昇進しておかないと、どうなるか 知れたものではない。

四面楚歌の状態の中、幸い(旧)情報学科で俺サマの味方になってくれる先生が 一人だけ居て、その人が(旧)情報学科の全教授を粘り強く説得して回り、何とか 学科内で昇任人事を検討することになった。しかしタダでは済まされない。 「今までの生意気な言動に対する反省文を提出せよ」と。そしてその内容を見て 昇任を判断するとなった。「反省文提出の上、さらにひざまづいて我々の靴を舐め よ!」とまで言わないところが、さすがに彼らも大学の先生やってるだけ あって立派な紳士淑女たちだなと、ちょっと感心したものだ。

もとより、俺サマには別に何のやましいこともなかったので、反省文という よりも、これまで(旧)情報学科の中で色々悪戦苦闘しながら努力してきたことを 綿々と書いて提出した。人事委員会では、最初は「何だ?こんな文章で反省してる と言えるのか?」みたいな雰囲気だったそうだが、俺サマのことをニ番目に嫌って いた先生が、どういうわけか「高山先生は今までしっかり仕事されてきたじゃあり ませんか!」と俄然応演説を始め、その先生の顔に免じて昇任人事を進めようかと いうことになったらしい。

それで俺サマは目出度く数理科学科の教授サマなったのだが、それから がまた大変であった。まあ、その話はまた次の機会に。

2013年5月4日(土)
<<4連休2日目の昔話>>
午前中は自宅で数学。昼過ぎに山科区内に散歩に出て、その辺で昼食の後、 山科駅前Sbuxにて食後のコーヒーを飲みながらしばし数学。連休でもここ はそれほど混んではいない。夕方近くに帰宅して、夕食を挟んでまたしばし 数学。この連休中に、例の誤植だらけのモノグラフのある重要な一章の徹底解読に よる精読を目指す!と勇ましい目標を掲げたものの、どうなることやら。

さて、山科区内の散歩と数学ばかりでネタがないので、昔話をすこし。俺サマは 数学業界の大馬鹿野郎にして、Rits数理科学科の居直り強盗と呼ばれているが (そう呼んでるのはとりあえず俺サマだけなのだが)、その辺の事情を振り返ろうか と思う。

俺サマは(旧)情報学科で超不人気研究室を抱え、学科内でも教員学生 一体の集団苛め状態に陥って四苦八苦していたのだが、その頃まだ「数理科学科」 は存在せず、「数学物理学科」という数学と物理が一緒になっている学科だった。 しかし当時の数学物理学科の先生達としては、 やはり数学科と物理学科に分離独立させることが長年の悲願だったらしい。

そして紆余曲折の結果、ようやく現在のように「数理科学科」と「物理科学科」 に分離独立できる運びとなった。これを「数物分離」と呼ぶ。 数物分離のためには、クリアしなければならない 条件がいくつかあって、その一つが、(旧)情報学科から数学に近い情報系分野 の教員を移籍させて、数学教室の「数理情報系分野」を新設することであった。

対象となる(旧)情報学科の「数理情報系分野」の教員は、確率解析が専門 で暗号理論にも強いA先生、計算機代数が専門のB先生、 そして当時数理論理学とプログラム理論が専門だった俺サマの3名。 (旧)情報学科は「学問の価値は学生の人気だけで決まる」という所 だったので、数学嫌い学生の巣窟であった(旧)情報学科で、 数理情報系は「価値の無いリストラ対象分野」 として、かなり厳しい立場にあった。

数物分離にあたって数学教室が最初(旧)情報学科に提案したのは、 「A先生とB先生の二人を数学系新学科の教員として移籍させて欲しい」 というものであった。(旧)情報学科としてはリストラの手間が 省ける渡りに舟みたいな提案なので、割合すんなり了承したようである。 さらに「高山もウチの学科では要らんので、ついでに引き取ってくれませんか」 「いや、高山は馬鹿だから要りません」みたいなやりとりがあったものと 推察される。馬鹿は何処に行っても厄介者扱いされるのである。

当時の俺サマは、まだ学生に少しは人気のあった A,B両先生達と一緒に合同研究室を運営して、俺サマの研究室の 絶対的超絶不人気を誤魔化して何とか食い繋いでいた。だから、 この2人の先生が去って俺サマだけになるというのは、島流しに されている無人島に一人置き去りにされるのにひとしく、 高校の古文で習った「足摺」ではないが、 彼らを連れて都に戻っていく舟を見送りながら、 一人砂浜で地団駄踏み足摺して、「具してゆけ、具してゆけ!(自分も連れて いってくれ!)」と泣き叫ぶしかない、、、みたいな状況であった。

それで当時の数学教室のボスに泣きついて、「A,B両先生が 去れば、残された俺サマが塩漬けにされて潰されるのは時間の問題です。 何とか俺サマも数学系新学科に引っ張ってくだされ」と頼み込んだ。「命乞い」 というのは、こういうのを言う。そして慈悲深いボスのお陰で、奇跡的に(旧) 情報学科の地獄の日々から脱出できたのである。だから俺サマは、 冗談抜きで、日本に帰って来れた 北朝鮮の拉致被害者達の気持ちが良くわかるような気がする。

かくして2000年4月から目出度く数理科学科の教授として移籍 できたのだが、その前に教授に昇進する昇任人事というのが(旧)情報学科 在籍中の最後の年にあった。ここでも「学科内苛めの最後の総仕上げ」が炸裂 して色々大変だった。それを乗り切って数理科学科に移籍してからも、 数学者サマの集団の中に馬鹿が一人紛れ込むとどういうことが起こるかという 生体実験みたいな状態が続き、「数理科学科の居直り強盗」状態に 達するには10年近い年月がかかったのだが、話が長くなったので、 その辺のことはまた今度ということで。

2013年5月3日(金)
<<4連休1日目>>
金、土、日、月の4連休。とは言え、俺サマはいつもこの曜日には 講義が無いから、大学の仕事の具合はいつもの週末と変わらない。 しかし、土曜日に語学学校に行かなくて良いという解放感は大きく、 何だか気分がウキウキしてくる。まあ、好き好んで通ってるわけだけど、 毎週土曜の午前と夕方が潰れて、その前後に予習や復習や宿題の時間が入る のは、結構負担感があるのよね。

それでこの連休は街中は人出でごった返してるであろうから、 なるべく近寄らないようにして、自宅と山科で数学と野暮用に 明け暮れようか、と。

それで今日は、午前中は自宅で数学、昼過ぎに散歩 に出て、その辺で昼食、および山科駅前Sbuxにてしばし数学、 また帰宅、夕食を挟んでしばし数学といった一日。

2013年5月2日(木)
<<数学者の不思議>>
午前中は自宅で野暮用。それから大丸ラクト山科店で昼食用のパンを 買って昼頃に出勤。研究室でいくつか事務的な雑用を片付けたり、昼食を とったり、文献を検索したり。

13時から14時半まで就職組卒研生のアルティン・ガロア理論入門ゼミ。 今日は4名全員出席。線形同次方程式の非自明解についての定理の証明、 テキストに出ている演習問題、さらに俺サマがその場で出した演習問題、 線形空間の次元、線形独立・線形従属の定義など。最後に俺サマが線形空間に 関する問題を宿題に出して終了。

引き続き、14時40分から時間延長で16時半頃まで、大学院進学組の 堀川・複素代数幾何学入門ゼミ。今日は積分で定義された正則関数のところを 終え、除去可能特異点、正則関数列の極限、そして最後に別の本に出ていた Ascoli-Arzelaの定理の証明の紹介。次回は正則関数列の話を終わらせて、 有理型関数の積分のところに入る予定。この調子だと、5月中に1変数の 関数論の復習を終え、多変数正則関数のところに入れるかな、という感じ。

卒研ゼミのあと、すぐに大学を発ち、大丸ラクト山科店で連休用の 白ワイン1本を買って帰宅。別に大丸はいつも営業しているから買い だめしなくてもいいんだけどね。

帰宅して夕食の後、ラクトスポーツプラザへ。今日は骨盤矯正ヨガと 有酸素運動。

これも以前に少し書いたことだが、俺サマの「数学者は馬鹿が大嫌い」 説の背景のひとつには、次のようなことがある。例えば、海外での研究集会に 参加したら、他にも日本人数学者が参加していたとする。ほとんど初対面の ような感じだったが、休憩時間や遠足の時間などに話が弾み、すっかり 仲良くなった、、、かのように思えた。それで日本に帰ってきてから 1,2カ月して日本の別の研究集会で顔を合わせたので、「いやあ、 先日はどうも」みたいな感じで挨拶すると、「え?お前、誰やねん? いや、本当は知ってるけどさ。でも、あんまり気安く声掛けて欲しく ないんだけどな」みたいな態度になっている。

この話のヴァリエーションとして、「海外の研究集会」の代わりに 「国内の合宿制研究集会での相部屋」とか「国内の研究集会での懇親会や昼食会」 になっているものもある。 共通しているのは、その時楽しく歓談し親しくなったような気が したのだけど、次に会った時は、手の平を返したように、 こちらが挨拶しても無視してくるとか、 ただこちらを睨みつけているだけとか、「何だよ?何であんたが 色々話しかけて来るんだよ!?」とか、「はあ?あんた誰?」みたいな 態度をとるとかというパターン。

ぱっと思い出しただけでも同じような例が5、6人分は思い浮かぶ。 彼らの中には、(少なくとも数学者コミュニティーの中では) 俺サマよりも遥かに社交的に洗練された立ち振舞いをしている人も少なくないので、 単に彼らが人づきあいが苦手だからというわけでもなさそうである。 むしろ、これは彼らの個人的資質の問題というよりも、数学者気質として何か共通する ものが原因なのか、あるいは、俺サマの何かが彼らに「こいつとは2度とマトモ に話したくないな」と思わせているのかのどちらかではないかと考えている。

俺サマは元々そんなに社交的な人間ではないが、数学者以外とのお付き合いは、 まずまず良好にこなせている。それに、普通は何かの機会でお近づきになったら、 次に会った時は適当に会釈ぐらいは交わすもので、上記のような態度に接すること は(零ではないが)極めて稀である。

以上のことから、考えられることとしては 「数学者は馬鹿が大嫌いで、俺サマは馬鹿」 ぐらいしかないのかな?と。いや、これはまだ仮説の段階であって、 本当のところは何なのか、実はよくわかっていない。全ての数学者が そうだというわけでなく、むしろ俺サマと感覚が 近いのかなと思える人も居ないでもない。しかし俺サマは、 「数学者ってのは面倒臭い人種だな」といううんざり感は既に十分持っているので、 あまりこちらからは親しくならないようにしている というのが、本当のところである。

2013年5月1日(水)
<<院ゼミをしてすぐ帰る>>
大丸ラクト山科店で昼食用のパンを買って、昼前に大学に出勤。 しばし数学を考えたり、早目の昼食をとったり、いろいろゴソゴソ やって、13時の院ゼミの時間。今日は代数多様体の局所環、可換環 の局所化、アフィン代数多様体の構造層、代数多様体の有理写像とその 合成の問題など。ゼミは15時過ぎに終わり、研究室で少し文献を 検索してダウンロードしたり。それからすぐに大学を発ち、大丸ラクト 山科店で、安い赤ワインと純米大吟醸酒を1本ずつ買い、さらに 山科区内のスーパーで買い物をしてから帰宅。 夕食の後、すこし数学。

そういえば、帰宅途中ふと30年近い昔の出来事を思い出してしまって、 ムラムラと腹が立つという5分程度の発作に襲われた。あの理不尽野郎、 今の俺サマだったら、こんな風にしていたぶってやるだろうけど、あの頃 はただただ奴の理不尽さに歯ぎしりしてただけだったな、と。

俺サマは基本的に「水に流す」ということをしない人間なので、 対人関係で何か揉めた場合、双方話し合いの末に責任の所在を明らかにし、 必要に応じて適切な謝罪等が行われるといった論理的な解決がなされない限り、 何年でも執念深く覚えている。数学の定理に賞味期限とか時効とかがないように、 俺サマの秘密のブラックリストは、常に論理的に管理されているのである。

頻繁に顔を合わす人なら、会うたびに「ああ、こいつは×年前に 俺サマに対してこういうことをやらかしてくれた奴だな」と記憶を リフレッシュしながら見ているし、ずっと会ってない人は、今日みたいに 何かの拍子に突然「発作」が起こって思い出す。

で、その秘密のブラックリストを何に使うのかというと、一応「たっぷり お礼が出来る日のための備え」ということになっているが、実際のところは、 こちらがまだ十分なお礼もできてないままに「やりっ放しであの世に高跳び していった」方々も少なくない。だから、不本意ながらほとんど「趣味で眺 めて楽しんでいる」状態に近い。趣味、ブラックリストいじり、と。

歳を取ると、このブラックリストもすこしずつ増えていくわけで、 俺サマのように半世紀以上も生きてると、初対面の人間には「この人もいずれ ブラックリストに載せることになるのかな」みたいなことを考えてしまう。 つまり猜疑心の塊である。普通の民間人相手の時はまだしも、これが数学者相手 となると、別の心配も出てくる。

俺サマの信ずるところによれば、数学者の多くは秘密の「ブラック馬鹿リスト」 を持っていて、そこに載せられると、慇懃無礼だったり、笑って誤魔化されたり、 ギロリと睨まれたり、質問メールを黙殺されたり、雲に乗って空を飛ぶフリをして 逃げていったり等々と、兎に角マトモに相手にされなくなる。だから数学者を相手 にする時は、初対面からブラック馬鹿リストに載せられるまでの短い時間が勝負で、 その間にこちらが聞きたいことを聞きだし、あとは「俺、馬鹿だからね」と言って 一目散に逃げねばならない。数学泥棒?これではまるでコソ泥か空き巣狙いみたじ ゃないかという話もあるが、誰彼となく借金をして返さず、次第に誰もお金を貸してくれなくなる借金地獄のデフレスパイラルとも言えなくもない。

いやはや、また「数学者は馬鹿が大嫌いで、俺サマは馬鹿とくりゃあ! 文句あっか!?」みたいな、いつものネタに落ち着いてしまった。 お後がよろしいようで、 これにて失礼。