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2014年3月15日(土)
<<数学会1日目>>
昨夜は計算機屋時代の友人とかなり呑んだせいか、1時半頃に寝たのに、 6時に起きた。結局、数学会のある学習院大学目白キャンパスには8時過ぎに 着いてしまった。流石に学習院は、やんごとなきお方が通っておられることも あって、入り口の警備員に呼びとめられ、用件を聞かれた。「数学会です」 と答えてもまだ駄目で、どの建物に行きたいかを聞いてきた。

東大駒場も、入り口に警備員が居るが、中に入っていくと「おはようございます!」 とデカい声で挨拶してくるだけである。いや、もしかして、挨拶のデカい声に ビビった様子を見せたら「こいつ、怪しい」と思われて、用件などを尋問される のかもしれない。俺サマはまだ、東大の警備員に尋問されたことはないが。

学会の講演は9時から。それで専門書の展示販売コーナー が開く8時半頃まで、その辺に座って待った。

展示販売では、今や忘れ去られようとしている古典代数幾何学の珠玉の 研究成果を現代的な視点から書きとめるという触れ込みの分厚い本を1冊買った。 この本は今Ritsの図書館から借りているが、何故か理工学部の所書館ではなく、 別府の文系キャンパスの図書館にあるものを取り寄せた形になっていて、 貸出期間が1カ月と短い。こういう本は手元に置いておかないと、ということで 購入。

そうこうしているうちに、9時からの代数幾何学のセッションに遅刻。最初の 講演を聞き逃した。12時前に午前のセッションが終了し、再び書籍展示販売 コーナーへ。2011年の8月にトロントの研究集会に参加したが、 その時の分厚い会議録が出ていたので、それも買った。

それから昼食に出掛けたのだが、学習院の学食は工事中で閉店中。目白の近辺 も飲食店街といったものもなく、単発的にある店はどこも行列ができている。 俺サマは前回の東京出張以来、油そばにちょっとハマっているので、今日の昼食は それにしようかと思ったのだが、上手い具合に中華そばの某チェーン店にその メニューがあったので入ったら、カウンター席が1つだけ空いてた。京都の感覚だと、 これで10分ちょっとぐらいで昼食にありつける。

しかし、その直後から客は後からどんどんやってくるが、 周りを見回すと、俺サマが来る前から居た客の誰のところにも注文した料理が来て ない。さらには、食べ終わって店を出る客も多いが、入ってくる客の方が多く、 常に数名が店の入り口辺りで立って待っている。厨房には「店長」とかいう若い兄 ちゃん一人がてんてこ舞い状態でクルクル働いていたけれど、結局俺サマの油そば が届いたのは、注文して30分後である。うーん、東京やねえ。

帰り道、あちこちの飲食店を覗いてみたけど、土曜日のせいか、13時半をとうに 過ぎてるのに、どこもかしこも行列ができていた。東京は何でも行列である。 それを思うと、店に入ってすぐに 席があって、30分待ったら昼食にありつけるというのは、この界隈ではかなり ラッキーな方だとわかった。

午後のセッションは俺サマの専門とはあまり関係のない講演だったので、 数学者としては唯一の友人と落ち合い、天気も良かったので目白近辺を池袋周辺まで ぶらぶら歩きをしたり、喫茶店で一休みしたりしながら、色々情報交換。

ひとついいことを聞いた。数学業界の研究集会は、仲間内の招待講演だけで 行われるが、その際かならず最初に「講演の機会を与えていただいて、ありがとう ございます」と言うのが習慣となっている。実はこの習慣が定着したのは割合最近 のことで、友人の若い頃の日本では、誰もそういうつまらない挨拶はしなかったという。

「じゃあ、どこのアホがそういうしょうもない習慣を流行させたのだ?」と聞 くと、アメリカにはそういう習慣が以前からあり、それが日本に持ち込まれた のではないかとのこと。こういう事は立場の弱いものから真似しだすから、まだ ポストが不安定な若い人から広まっていったのだろう、と。

さらに最近は、大学院生の学会発表や学位論文公聴会で、学生が工学部の 学生の真似してスーツを着て講演するようになったと言う。Ritsでも 最近そういう風習が定着してしまったが、それは以前工学部出身の教授が居て、 「俺の配下の学生なら、工学部の真似してスーツを着ろ!」と寝言を言った のが学生全員に伝染してしまったまでことで、言わばRitsだけのローカル・ ルールだろうと思っていたが、そうでもないらしい。しかしこれは、グローバル スタンダードという名のアメリカナイズの一例ではなく、日本だけの現象だと思う。

夕方にまた1時間講演を聞いてから、コンビニで夕食などを買って ホテルに戻り、夜は部屋でのんびりする。

2014年3月14日(金)
<<新宿なう>>
午前中は銀行に出張費を下ろしに行った後、支度をして昼前に自宅を出て 東京に発つ。16時頃に新宿のホテルにチェックインし、18時に歌舞伎町で 計算機屋時代の友人たちと会って、ボウリングをしたり飲み会をしたり。

今日はSTAP細胞の論文に関する理科学研究所の記者会見があり、 ノーベル賞までとった偉い先生が頭を下げていたそうである。 これはなかなか大変なことだと思う。

理研の発表をリアルタイムで見てたわけではないが、後で報道を見聞きする 限りでは、俺サマが思っていたことと似たような内容だった。すなわち、 STAP細胞が本当に発見されたかどうか以前に、俺サマは論文の書き方に関 する倫理観を気にしていた。報道されていることが真実ならば、Natureの論文や 早稲田大学に提出された博士論文は、ほとんど学部低回生の実験レポートのノリ に思える。

大学ではコピペ、まる写し等の不正はいかんとさんざん教えているのだが、 なかなかそういうものは無くならず、レポートの不正をチェックするソフトまで 作られて結構な値段で売られているぐらいである。卒業研究や大学院の修士論文、 博士論文の個別指導あたりで、ようやくきちんとした論文が書けるようになる。

そういう指導を、何らかの事情ですりぬけてきたのかしら、という印象 をもった。

2014年3月13日(木)
<<雨の中、数理研へ>>
午前中は少し数学。今日は本降りの雨で足元が悪いので、 地下鉄とバスを乗り継いで京大へ。生協ルネ食堂で昼食の後、 京大数理研へ。天気が悪いこともあって、猫は居た。居眠り 三昧。

それから図書室に籠って夕方まで数学。今日はライオン丸みたいな 人が居た。最近よく見掛ける人である。ノートPCで何かやっている ようだが、手元に置いている本を見るに、研究レベルのことをやって いるようには見えなかった。さては講義の準備か教科書の執筆か。

帰りも猫は居た。例によって最初とは方向が変わっていたが、 居眠り三昧は同じ。つまらん猫だ!と髭を引っ張ってやった。 勿論知らん顔してやがった。

帰りの17番のバスはやけに混んでいた。帰宅して夕食の後、 ラクトスポーツプラザへ。今日は骨盤矯正ヨガと有酸素運動。帰宅後、 明日からの数学会出張の準備など。

ふと思うに、特に数学に転向してからの俺サマは、「次はこの方面で 何か研究してやろう」と色々勉強したけど、結局論文を書くには至らずに 終わったことが何度もある。可換環論だとブローアップ代数や 密着閉包がそうだし、代数幾何学に転向してからは、夏休みまるまる1回分を 潰して、俺サマの学生時代の指導教官の線織曲面に関する修士論文を読んでみたし、 はてまた、切片環のデマズ―ル構成とかいうのをかなり熱心に勉強してたことがあった。 最近だと、間違いだらけのモノグラフ1冊を残して亡くなった偉い数学者の、 対角複体理論というのと数カ月間格闘したが、どうにもよく分からず、 しかも世界中誰もその理論をちゃんとフォローしている数学者がいないことが 判明し、暗礁に乗り上げたままである。

俺サマのように、1つのことをコツコツ掘り下げるなんて辛気臭い事など やってられるか!みたいな人間は、あちこちキョロキョロして色々なことに 首を突っ込み、結局エネルギーを費やす割にはモノにならない。 あの時にあんなことを勉強してないで、むしろこういうことを勉強 してた方が良かったなと思うことがしばしばであるが、後悔先に立たずである。

大学を出て以後、大雑把に言って計算機科学、数理論理学、 組合せ論、可換環論、代数幾何学と実に色々なことを学んできたわけで、 昔やったことのほとんどは忘れてしまっているし、最近の動向にも疎いけれど、 大抵のことは話を聞けば「ああ、あれね」という具合に大体の感じは分かる。

少し前までは、そういう視野の広さが俺サマの強みだぜ!と、何となく 自信を持ったりしてたけど、最近は「そんなことに何の意味もない」と思う ようになってきた。俺サマはただ無駄に色々なことを勉強して人生を空費 してきた。ただそれだけのことではないか、と。

2014年3月12日(水)
<<シフのリサイタルを逃す>>
午前中は少し数学。午後は街に出て、まずは新福菜館府立医大前店でかなり 遅めの昼食。14時までの禁煙タイムが終わってて、中年女の客が食後の煙草 を悠然とくゆらせていた。

それから京大数理研へ。今日はぐっと春めいた陽気になったせいか、猫はどこかに 散歩に出かけたらしく、不在。図書室で夕方まで数学。帰りに猫の所に寄ろうか と思ったが、誰か人が居たのでそのまま素通りして京大を発つ。

それからJEUGIA三条本店を少し偵察。先日目をつけたチェコの作曲家 のピアノ曲のCDを再度試聴したけれど、最初に聴いた時の衝撃はなく、 やはり購入を見送る。

帰宅して夕食の後、夜もまた数学。合い間にFBを眺めてたら、 どうやら今夜大阪でアンドラーシュ・シフのリサイタルがあった そうで、聴きに行った人が休憩時間に「私の生涯の中で聴いた中で 最高の演奏!」などと投稿していた。曲目を調べてみたら、 「ディアベッリの主題による33の変奏曲」なんてのがあったけど、 あの退屈な曲をシフが弾くと、どないなことになるのか聴いてみた かった。

しまったなあ。最近、京都市内以外のコンサートの情報を真面目に集めてな かったし。だいたい京都は田舎だから、海外から来た有名な演奏家 は大阪でコンサートは開くけれど、京都には滅多に来ない。

2014年3月11日(火)
<<5分の会議のために出勤>>
午前中は少し数学の後、出勤。昼頃大学に到着し、生協食堂で昼食の 後、メールをチェックしながら「学科長なんでもノート」に4月1日 のガイダンスの段取りなどをメモする。で、副産物として4月2日の 新入生用の履修ガイダンスがあることが判明したが、一体誰がやるの だろう?俺サマのところには依頼が来てないから、教務委員の先生が担当かな? と、しばらくは油断してよう。

13時から学科会議。議題内容から「この議題に興味がある先生のみ 出席。ただし副学科長の高山先生は(興味のあるなしにかかわらず) 出てください」とのこと。で、学科長と俺サマと、もう1人若い先生の 3名で会議。5分で終了。

学科長も、それで終わりにするのもどうかと思ったのか、ついでに 学科の運営に関する色々細々した議題というか、情報交換のようなことを やって13時40分頃に終了。

その後、事務で郵便物を受け取ったり、研究室で調べものをしたり、 数学を考えたり、図書館に本を返却に行ったりといったことをやって 17時半頃大学を発つ。

帰宅して夕飯の後、夜はすこし数学。

世の中は東日本大震災3周年の話で持ち切りだが、俺サマは 3年前の今頃はオスナブリュックに居たので、いまだに何となく 「仲間はずれ」にされたような気分。ただ、阪神淡路大震災は経験 しているので、原発事故も大地震も「ああいうのが、そのうち、 こっちでも起こるんだろうなあ」っていう感覚はあるな。

2014年3月10日(月)
<<夜は塩辛くないラーメンが出る店>>
京都は昔から3月上旬に1度だけぐっと寒くなって雪華が散り、 それから春になっていく。今日はその「ぐっと寒く」なった日。

午前中は山科区内のスーパーに買い出しに行き、その後は夕方まで 自宅で数学。夕方は山科区内の某ラーメン店で少し早目の夕食を とってから、ラクトスポーツプラザへ。

そのラーメン屋は、開店当初は美味かったのだが、繁盛し始めて からは調理人が何人か交代して、現在のところ昼間は「塩辛爺」と 俺サマが密かに呼んでいる爺さんがやっている。この爺さんは舌が麻痺 しているらしく、何回か食べてはみたが、いつもスープに滅茶苦茶沢山の 塩を放り込むので、ラーメンを食べてるのか塩の固まりを食べているのか よくわからんという感じであった。この感覚は、以前オスナブリュック大学 のメンザで、鰻の塩漬けを食べた時にも似ている。世の中には、あんな塩辛 いものを平気で食べる人が少なからずいるのかと、ちょっと気が遠くなるよ うな気分になる。

それでその店に行かなくなって久しいのだが、最近は平日の夜は 若い兄ちゃんが交代でやっているようだ。若い兄ちゃんなら、 舌はマトモかも知れないから、一度食べに行きたいと思っていたのである。 で、今日行ってみたら、期待通り塩の入れ過ぎはなく、 その店の本来の美味さが楽しめる、まともなラーメンであった。

しかし、以前夜の調理をやっていた兄ちゃんは、最初の頃は良かった のだが、塩辛爺に妙なことを吹きこまれたのか、いつの間にか 塩辛爺に負けないぐらい塩辛いラーメンを作るようになってしまった。 今の兄ちゃんも、そうならないことを祈ろう。

ラクトスポーツプラザには18時半頃着いて、1時間半程度 ストレッチ、筋トレ、有酸素運動。その後、楽しいZUMBAをやってからすぐに 帰宅。帰宅して夜はまた少しだけ数学。

2014年3月9日(日)
<<大賑わいの街で辛子猫の姐さん発見>>
午前中は京都新聞日曜版の2つのパズルを速攻攻略し、しばし数学。 午後は街に出てみた。ゼスト御池で天ざる蕎麦の昼食。

その後、寺町通りの上島珈琲で数学でもと思ったが、満員御礼状態。 店内をざっと見まわしたら、、、あっ、俺サマが密かに 「辛子猫の姐さん」と呼んでいる、ラクトスポーツプラザの常連さんが居た。 この店では時折70代ぐらいの爺さんに高校レベルの英語を習って いる中年女性がいるが、その女性が姐さんだったとは、 知らなかった。

そういえば、上島珈琲によく来てる例の「数学オバサン」は、 山科の人らしい。俺サマが京大数理研図書室に行った帰り道、 地下鉄で同じ電車に乗ってて、山科駅の改札を出るあたりで見掛け たりする。先日はさらに、大丸ラクト山科店の地下食料品 売り場に入っていって、肉などを物色していた。

また、一昨日の昼、河原町通りを京都市役所前から 新福菜館府立医大前店に向かって歩いていたら、俺サマが密かに 「凶暴なサル」(顔がそう見えるだけで、凶暴な人ではないようだ)と 呼んでいる、ラクトスポーツプラザの常連の男が、スーツ姿で 自転車に乗って向うからやってきて、俺サマとすれ違った。

それ以外にも、俺サマが密かに「女役所広司」と呼んでいる 俺サマと同世代ぐらいの女で、ラクトスポーツプラザの常連(だった?) が、JR山科駅で京都駅方面の電車に乗るのを1,2度目撃している。

そんな具合で、街に出ると色々知ってる人に会うことがあるが、 勿論、彼(女)らと話したことは一度もないし、これからも無いであろう。

上島珈琲は客の回転が速いので、ちょっとJEUGIA三条本店を 偵察飛行してからもう一度覗いてみれば、1つぐらい空席が出来てる ものである。しかし今日は駄目で、JEUGIAから戻ってきても、 満席のままだった。

休日で天気も良くて寒さも緩んだためか、街には 人が沢山出ていたし、今日はもうだめだなと思って山科に戻り、 山科駅前Sbuxで夕方頃まで数学。そのSbuxも結構混んでた。

大丸ラクト山科店で ニュージーランドの白ワイン(ソーヴィニオン・ブラン種)を1本 買って帰宅後、夕食を挟んで深夜近くまで数学。

2014年3月8日(土)
<<リサイタルへのお誘い>>
アンチュチュの日。早起きして10時から12時半過ぎまでフランス語の 授業を受ける。今日はクラスの生徒4人全員がそろった。そういうことは おそらく今学期では初めてか、せいぜい2度目ではないだろうか。 来週最終回は俺サマが東京出張で欠席するから、こういうことは最後である。

今日久しぶりに来たクラスメートに、4月のリサイタルの案内を貰った。 5月下旬も別の知り合いから「ぜひ聴きに来て」とお誘いを受けている。 俺サマはクラシック音楽が大好きだから、こういうのに誘われれば、 やむおえない事情がない限り大抵は出掛けて行く。4月から学科長で色々 ストレスも溜まるだろうから、尚更良い機会だ。

昼食はまたも新福菜館府立医大前店。俺サマの顔を覚えている店員が 今日も当番で来ていて、「今日は何にしましょ?」と聞かれてしまった。 アンチュチュからこの店までは、徒歩でかなり時間がかかるので、歩きな がらあれにしようか、それともこれにしようかと色々考えていたので、 店員に聞かれた時は、「焼き飯(並)と餃子!」と即答できた。 まあ、即答できたからといって、どうってことはないのだが。

テーブル席で俺サマと相席になった学生風に兄ちゃんも焼飯を注文し ていたが、奴は唐辛子を真っ赤になるぐらい振りかけて食べていた。 焼飯に唐辛子を掛けて食べる人も初めてだが、あんなに真っ赤になる まで掛ける人も初めてだ。俺サマもやってみようかと思ったが、、、やめた。

それから京大ルネまで戻って生協書籍部を少し冷やかし、自販機珈琲 を飲んでからアンチュチュの図書室に籠り、テンコ盛りのフランス語の 宿題を片付ける。次回最終回は欠席する予定だから、やらなくても よいのだが、、、まあ、自分の勉強なのでとりあえずやっておく。

その後まだ少し時間が余ったので、数学。先々週に来ていた、 初対面の俺サマに「きしょい!視界に入ってくるな!」と叫んだ 心を病んだ若い女は、今日も来てなかった。 怖いもの見たさというか、そういうアブナイ人ってのは、 居れば居たで怖いけど、居なくなると、それはそれで寂しいものである。

16時40分から18時10分過ぎまで、寺子屋にてドイツ語の 授業を受け、ようやくシンドイ一日が終わる。まあ、これは 何度もこの日誌で書いてきたことだが、俺サマは元々 語学は好きなのだけど数学ほど好きでもない。数学は1日やってても 飽きないが、語学は半日やると吐き気がしてくる。俺サマは酒好きな方だが、 生理的限界(日本酒換算で4〜5合あたり)を超えると吐き気がして、飲め なくなる。語学の吐き気もそれと同じである。

以前は好きな数学を通して世界の人々と交流できればいいなと思ってて、 語学の勉強にも力が入った。しかし俺サマは馬鹿で数学者は馬鹿が大嫌いと 分かってからは、お前ら、オリコーさんたち同志仲間内で勝手にわいわいやってろ! ということで、「世界の人々」は「数学者以外の人々」と縮小された。

さらに歳を取って色々なことがどうでも良くなってくると、数学者に限らず 人との交流は面倒なだけだから、もういいやと思うに至っている。 老人性鬱ってやつね。

今や語学は一人で外国に行って、現地を偵察飛行して面白そうなことを 見聞きして、無事に帰ってくるためのサバイバルツールぐらいにしか思 ってないので、勉強にももひとつ力が入らない。つまり、聞いたり読んだり して分かればよく、会話の色々な状況を想定して、「こういうことをこの言語 で言うにはどういう表現を使えば良いのだろう?」みたいなことは、あまり考 えなくなった。

帰りは京都市役所前までぶらぶらと歩き、それから地下鉄で帰宅。 夕食後はすこしのんびりした後、ほんのすこしだけ数学。

2014年3月7日(金)
<<研究集会に一寸顔を出す>>
午前中は自宅で数学。昼過ぎに街に出て、まずは新福菜館 府立医大前店で昼食の後、京大数理研へ。数理研猫は寝て いたが、俺サマが鼻先に手をやると、半分目をつむったまま、 ちょっとだけクンクンと嗅いで、ぺろぺろと舐めるような 仕草をして、また寝てしまった。

それから図書室に籠って少し数学。しかし15時前ぐらいから 研究集会を覗いて、講演を2つ聞いた。まあ、俺サマの興味とは少し 離れていそうな話だったけど、代数幾何学の話はできるだけ 広く聞いて、この分野の動きは把握しておくことが重要だと 考えているので、兎に角聞く。

それにしても、この時期は研究集会 が目白押しなのか、会場がうまく確保できなかったらしく、 小さなセミナールームにぎゅう詰めの状態で集会が行われていた。

17時過ぎに集会が終わったが、その後は喫煙所にひとだかり が出来ていたので、猫には会わずにそのまま京大を発ち、大丸 ラクト山科店で前から目をつけていた「抹茶生チョコケーキ」なる もの買って帰宅。

帰宅したら、早速事務からの「あれしろ、これしろ」メール が届いていた。少し前に3月25日の履修ガイダンスの件で 「あれしろ、これしろ」が来てたのだが、今日は4月1日の 新入生対応の件で「あれしろ、これしろ」が来ていた。

俺サマはこう見えても根が真面目なので、「ちょっとキツいな」 と思った用件は無理して抱え込まずに、どんどん他の人に投げるように しないと、病気になってしまう。で、早速「それはこちらで対応するのは 無理なので、そちらでお願いします」と投げた。

夕食後、夜は明日のドイツ語の予習。その後、ほんの少しだけ数学。

2014年3月5日(水)
<<数理研猫に舐められる>>
午前中は自宅で数学。昼過ぎに京大へ。ルネ生協で昼食の後、 数理研へ。今、数理研で代数幾何学の研究集会をやっている ためか、その方面の数学者と路上ですれ違った。奴は、 「あ!よく研究集会などで見掛ける人がいる!?」みたいな 顔して一瞬こっちをちらっと見た。俺サマは「ああ、そうだよ。 それが何か?」という顔をして睨み返してやった。

数理研猫は珍しく起きてて、何故か俺サマの左手をくんくんと 嗅ぎ、何かいい臭いがしたのか、ぺろぺろと舐め始めた。 数理研猫は俺サマのことは完全に ナメ切っていて、俺サマが表敬訪問しても「何だ、お前か」みたいな 感じでチラっとみて、すぐに寝てしまうが、物理的に舐められたのは 初めてである。

ちなみに、昭和の昔「なめネコ」というのが流行ったが、あれは何 かを舐めるネコではなく、長ランに鉢巻きというヤンキーの格好をして、 「なめんなよ!」というのぼり旗を持ったネコだった。

それはさておき、猫の舌は小さな柄杓がびっしり並んでいるような形に なっていて、それで水などを飲むことができるというが、 確かにおろし金でガリガリ擦られているような感触だった。

それから数理研図書室に籠って夕方まで数学。代数幾何学の 研究集会の夕方の講演を聞こうかとも思ってたのだが、考えごとを しているうちに、何となく聞きそびれる。

帰りも猫の所に寄ったら、今度も起きていて、何やら熱心に ぺろぺろ体中を舐めまわし、身づくろい中だった。おめかしして 何処かに出掛けるのかも知れないが、そのまままた寝てしまう こともある。

帰宅して夕食の後、ラクトスポーツプラザへ。今日は骨盤矯正ヨガ と有酸素運動。帰宅後、またすこしだけ数学。

2014年3月5日(水)
<<今日は何にしましょ?>>
午前中は自宅で数学をと思って少しやってたのだが、 大学から学科長と副学科長の俺サマ宛てに 色々メールが飛んできて、その対応に追われる。 4月からは俺サマは学科長だから、色々確認しておかねば ならんなと、現学科長をさしおいて色々返事を書いて 出したりしているうちに昼過ぎ。

自宅を出て新福菜館府立医大前店で遅めの昼食。最近結構通っている せいか、店員さんに顔を覚えられたとみえて、「今日は何にしましょ?」 と聞かれてしまった。「今日は」という接頭語がついたのは、たぶん 今日が初めて。

それから京大数理研へ。数理研猫はやはり寝ていた。図書室に籠って 夕方まで数学。帰りにも猫のところに寄ろうとしたが、誰かが居たので 素通り。老猫というのは、ただ寝てるばかりで何の芸もないのだが、 それでもちょっと顔を見に寄りたくなるのは、やっぱり奴の人徳、 いや猫徳なんだろうか。

それから大丸ラクト山科店で、今月のおススメ赤ワイン (スペインワイン)と、おススメワインではないがニュージーランドの 白ワイン(ソーヴィニオン・ブラン)を1本ずつ買って帰宅。 夕食後、夜はまた少し数学。

2014年3月4日(火)
<<とりあえず祝杯>>
何やら朝早くから招集が掛っていたので、早起きして9時半頃に出勤。 10時前に学科長と密談、10時から12時頃まで会議。何年か前に既に 解決ずみの話を蒸し返して、壊れた機械のようにいつまでもぎゃあぎゃあ 同じ事を言って騒いでいる人がいたので、「黙れ!馬鹿者!」とまでは言 わなかったけど、半分そういうニュアンスのことを言って一喝。

その後、生協で来年度の学科長グッズを購入したり昼食をとったりして から研究室に戻る。

学科長グッズって、何を買ったのかって?まずは大きなノート。これに 学科長の仕事の予定なら何やらを書きこむ。学科長ってのは、あちこちの 事務やら何やらから毎日山のように「あれやれ」「これやれ」の細々した 仕事が舞い込み、どれが未決で、どれが連絡待ちで、どれが 済みなのか、どこかで一手に纏めておかないと、たちまちわけがわか らなくなる。

それから、未決の予定や懸案のところに張る付箋紙。色々人と調整 しながらやる仕事が多いので、返事待ちのような案件が多く、 付箋紙などで印をつけておかないとわからなくなってしまい、事務から 督促メールが山のように届いて、ますますわけがわからなくなる。

さらには、色々な召集令状だの何だのの紙の資料を纏めて放りこ んでおく、段ボール製折り畳み式ファイルボックス。数年前に学科長を やった時に比べて、ペーパーレス化はかなり進んでいるようだが、 それでも、捨てていいものやら、どうやら?みたいな紙の資料なり 召集令状なりは山のようい溜まっていく。

早速ノートに予定などを書きこんで、付箋紙を張り、 月末の行事の召集令状と一緒にファイルボックスに放りこむ。

それから夕方の教授会まで間があったので、昨日作りかけた 研究者志望の院生用の文献リストつくり。一応内容やレベルについての 分類記号を決めて、各項目毎に書きこんだりと、結構凝ったものが出来た。

それから1階の事務に書類を提出して、その足で16時からの教授会に 臨む。今日の主な議題は1つで、それは数理科学科の長年の懸案が 解決に向けて大きく進展したという、某全学委員会の報告と解決案の 議決だった。ただ、この問題はまだ完全に解決されたわけではなく、 慎重を期して完全解決の一歩手前で一旦様子を見るという形になっている。 したがって今後の展開については、まだ予断は許されない。

俺サマ自身もかれこれ10年近くこの問題に関わってきて、なかなか 進展しない無力感を噛みしめていいただけに、今日の報告・決定は、 暗闇の中でようやく光が見えたような気分である。 このことを祝い、今後の完全解決を祈願して、夕食時にはさかやかに 乾杯した。

夜は、例の文献表をほぼ完成させてから、ほんの少しだけ数学。

2014年3月3日(月)
<<午後は数理研図書室へ、夜はZUMBA>>
午前中は自宅で少し数学。昼前に歯医者の定期検診。帰宅後、荷物を纏めて 京大へ。ルネ食堂で昼食の後、自販機珈琲を飲んでから、数理研へ。 数理研猫を表敬訪問しようかと思ったが、行きも帰りも誰かが居たので、 結局会わずじまい。図書室に籠って夕方まで数学。

帰宅して夕食の後、ラクトスポーツプラザへ。今日は楽しいZUMBAと 筋トレ。

帰宅後、深夜は、4月から入ってくる院生用の文献リスト作り。まあ、 どうだか知らないけど、研究者志望だとか言ってえらく張り切ってる 子だから、ちょっとばかり力が入る。

俺サマは馬鹿だし、数学者嫌いで研究集会で偉い先生に会っても 「何だ馬鹿野郎、文句あんのかよう?俺サマみたいな馬鹿がその辺 ウロウロしてちゃあいけねーのかよう!?」みたいな顔して睨みつけて るだけだから、学会では全く相手にされておらず、従って指導教員の七光りなどは ゆめゆめアテにしてはならない。

しかも馬鹿の高山の弟子だと分かると、 「馬鹿が伝染してるんじゃないか」とあらぬ嫌疑をかけられかねない。 そこはひとつ、俺サマの弟子であることはひた隠しにして、突如彗星のごとく 学会デビューを果たし、「あいつ一体どこから湧いてきたんだ?」と皆が首を かしげながらも注目するという「瓢箪から駒」作戦で臨む積りである。

2014年3月2日(日)
<<室内楽コンサート>>
良く寝たので、睡眠不足は少し解消されたか、と。午前中は遅めの 朝食の後、京都新聞日曜版の2つのパズルや「オチビサン」ですごす。

昼前に自宅を出て、新福菜館府立医大病院前店で昼食。その後、京大ルネ で自販機珈琲を飲んでから、京大近辺の某所で14時開演の仲間内の室内 楽コンサートを聴きに行く。いつもは2、30人ぐらいのところだが、 今日は50名を超えたかと思われる満員御礼状態。ヴァイオリンとピアノ の室内楽で、何だか凄い超絶技巧をたっぷり目の当たりにすることができた。

16時過ぎに終わり、うーん、何だか凄いコンサートだったなあ、 と余韻に浸りながら、とぼとぼと河原町三条まで歩き、上島珈琲寺町通り店で 1時間ほど数学。

その後、JEUGIA三条本店を偵察。アバト追悼!と称して、 マルタ・アルゲリッチがアバト率いるモーツアルト交響楽団と一緒に モーツアルトのピアノ協奏曲を弾く というCDと、チェコの作曲家ヤナーチェクのピアノ曲集のCDがちょっと 気を引いたが、あまり時間がなかったので、試聴もそこそこに帰宅。

試聴したヤナーチェクの曲の中に「ツバメのようにしゃべりまくる娘たち」 ってのがあって、思わず笑ってしまった。俺サマに言わせれば、ドイツ人ってのは 「産卵期の鮭のようにしゃべりまくる人たち」だな。奴らの昼食や夕食に付き合うと、 1〜2時間ただただ喋りまくること自体が目的の、無意味な会話に延々と 付き合わされることになる。奴らはカンバスの隅々までベッタリと絵具で塗り つぶすように、寸分の隙間も間合いもなく、ただただ喋りまくる。彼らは あれで楽しいのだろうが、俺サマはそんなの、まっぴらだな。

夕食後、夜はまた少し数学。

2014年3月1日(土)
<< Strausswirtschaft >>
アンチュチュの日。10時から12時半までフランス語の授業を受ける。 今日も受講生は俺サマともう1人の合計2名だけ。この中級講座はこの3月で終わる 冬学期で全て終了かと思っていたが、4月以降の春学期まで今の状態が続いて それが最後らしい。ただし、夏学期以降も同じ先生で同じ時間帯に講座が続 くとすれば、上級コースになるとか。それでもう1人の人が、「高山さん、 どうしますか?」みたいなことを聞いてくるのだけど、迷うところではある。

土曜日の朝早くの授業に始まり、午後はフランス語の宿題、夕方もドイツ 語講座に通うという生活が、かれこれ2年続いているが、もういい加減シンドイ な、と。そのことと、来年度学科長をやることがどう関係してくるか。 まあ、春学期をやってみてから考えようか、と。

昼食は新福菜館府立医大前店で特大中華そば。後から入ってきた学生風の 男の子が、特大中華そばと焼飯(小)を注文していた。それほど体が大きい子 でないのだが、そんなに食べても太らないってのは羨ましい限りだと思いながら、 京大ルネまで戻る。

今日は棚卸とかで、ルネ生協書籍部は休み。しょうがないので 自販機珈琲だけ飲んで、アンチュチュに戻り、図書室に籠ってテンコ盛りのフランス 語の宿題に取り組む。先週は心を病んだ若い女が居て、初対面なのに「きしょい!」 とか言われてちょっとびびった。今日も来てたらどうしようかしら?と思ったが、 来てなかった。「何だ。つまんないの」と。

16時40分から18時10分まで、寺子屋にてドイツ語の授業を受ける。 先週に引き続き、今日はドイツワインがテーマでStrausswirtschaftというのを 習った。ワイン醸造所がやってるレストランのことで、オーストリアのHeurigeとは 違って若くて(したがって)酸味の強いワインばかりではなく、色々なワインが飲める ところ。ワインの産地でしかやってなくて、従って俺サマの縄張り(?)で あるエッセンやオスナブリュックといったドイツの平野部ではお目にかかれない ものだ、と。

2年前にマインツの研究集会参加のために出張した際、中日の遠足の時に ライン川流域にバスや遊覧船で出掛けるという催しがあり、あたりに沢山ワインが 飲めるレストランもありますとのことだったが、それがどうも Strausswirtschaftらしい。俺サマは顔見知りのドイツ人数学者に、 「お前は行かないのか?綺麗なところだし、折角だから一緒に行こうぜ」と 強く誘われたのだが、(数学者のくせに、何で俺サマが馬鹿だって分かってて、 そういうのに誘うんだよ!?ったくワケわかんねえな)と断固として断った。

断った理由は2つ、俺サマは皆が遠足に出かけている午後の開き時間を 使ってマインツの街の風景の絵を描きたかったし、第一、どんな素晴らしい 所でも、数学者なんかと一緒だったら全てがぶち壊しになるからまっぴらだと 思ったからだ。まあ、誘ってくれた数学者には、別に個人的ウラミツラミは ないから、2番目の理由は言わなかったけどね。

しかし今日のドイツ語の授業を聞いて、思わず血迷って Wenn ich vorher gewusst haette, was eine Strauswirtschaft ist, waere ich mitgegangen! (前もって、Starauswirtschaftがどんなものか知ってたら、 一緒に行ってたのになあ!)と。でもなあ。やっぱり周りに数学者が ウヨウヨしてたら全てがぶち壊しだっただろう、というのは今考え ても変わらないし、やっぱりあの時の判断は正しかったのだ、と。

大丸ラクト山科店で、ワインを買って帰る。白ワインはチリ産のシャルドネ、 赤ワインは初めて買ったスペイン産のもの。夕食後は、ちょっとのんびりする。