, 一部のブラウザ

す。

2014年3月31日(月)
<<足場の解体作業に感じ入る>>
朝早くに同僚の先生からある知らせがあり、それに関して 返事のメールを出したり、事務長に問い合わせメールを出したり した後、山科区内の金券ショップやドラッグストアーやスーパー に買出しに出る。消費税引き上げ前日特売セール、、、でもないが、 どこも客がどっと押し寄せていて、 レジには長蛇の列ができていた。買出しから戻った時には、 もう昼頃になっていた。

途中ちょっと時間があって、ラクト山科の外壁修復工事が終わって、 足場を解体する作業をしているのをしばらく眺めていた。あれは 一番上から機材をすこしずつ解体し、上の階から1つ下の階へと、 まるでバケツリレーのようにして地上まで降ろす。これを延々 と繰り返すのである。命綱をしているんだろうけど、 かなり危険な作業で、何かの拍子でバランスを崩したら墜落してしまう。 作業員は命綱でひっかかっても、機材はそのまま落下するわけで、地上 の作業員を直撃しないとも限らない。また、命綱で人が引っかかった 際、力のかかり具合では足場全体が崩れたりしないとも限らない。 いやはや大変な作業なんだなと、いささか感じ入った。

午後は京大へ。まずは新福菜館府立医大前店で昼食。今日注文を 聞いてきたのは新入りの店員だったので、俺サマの顔は覚えていないようだった。 俺サマはたとえ常連になっても、店の人に馴れ馴れしくされるのが 嫌いで、それで以後ぷっつりと行かなくなった店もある。今は無き 新福菜館百万遍店は、勿論俺サマの顔は覚えていたと思うが、 俺サマが店に入ると「へい、いらっしゃい!」の後に「まいど!」 と付け加えるだけで、注文を聞くときは「何にしましょ?」と言うだけで 「今日は何にしましょ?」とは言わなかった。そういうサッパリしたところ が気に入っていたんだけどなあ。

それから例によって徒歩で京大へ。途中あちこちで桜が咲いているのを 眺めて道草をくってたので、少し遅くなった。天気は良いけれど、すこし 肌寒い感じで、数理研猫も電気ストーブにあたりながら、ソファーに横に なってぼーっとしていた。「じゃあ、また寄るからな」と言い残し、 図書室に籠もって夕方まで数学。

帰りは道草なしでまっすぐ帰宅して夕食。夜はラクトスポーツプラザへ。 明日は早起きしないといけないので、早めに寝床に入る(予定)。

2014年3月30日(日)
<<終日桜がほぼ満開の山科区内で>>
昨夜から今朝にかけて、かなり激しく雨が降った。

午前中は京都新聞日曜版の2つのパズルと、朝日新聞日曜版の「オチビサン」。 「オチビサン」は今回が最後回で、4月からはアエラに移るんだって、、、まあ、 立ち読みで済ませるかな。

それから自宅ですこし数学の後、雨もなんとか上がったみたいなので、 散歩がてらに山科駅前へ。まずは、ラクトスポーツプラザで、 消費税引き上げ前の駆け込みで、スタジオレッスン券の11枚組割引券を購入。 それから1つ下の階のフロアにて、天ざる蕎麦で遅めの昼食。 ここはうどん屋なので、蕎麦を食べても蕎麦湯が出てこないのが玉に瑕。

それから大丸のデパ地下に下りて、専用端末で大丸カードに来店ポイント を入れる。この来店ポイント・サービスは8月で終了するらしいので、 何か買うものはないかしらと、大丸に足を運ぶモチベーションは、ぐっと 下がるだろうな。

その後、山科駅前Sbuxで食後の珈琲を飲みながら、しばし数学。 隣の席に若い男が二人居て、一人は教育学部の卒業生らしかった。 就活が終わった時は急に暇になって、しばらく何をやればよいかわからなかった と言っていた。

そういえば俺サマは、2度目の大学院入試に落ちて数学者への道が完全に 断たれた時、しばらく何をやればよいかわからなかったな。それから「あっ、 就活しなくっちゃ!」と思ったけど。

夕方、再び大丸デパ地下に戻り、今月のお勧め赤ワインとイチゴを買って から帰宅。

帰り道、桜があちこちで満開近くなっているので、何枚か写真に撮る。

帰宅して夕食後、またしばし数学。それにしても、よく寝てるし、 珈琲もよく飲んでるのに、春は眠くてしょうがない。横になって論文などを 読んでると、すぐに眠くなってくるので、軽く上体を起こして静止し、 腹筋のトレーニングみたいなことをしながら読むのだが、疲れて 横になった途端睡魔が襲うといった調子。

2014年3月29日(土)
<<数秒に1度咳をし続ける女>>
午前中は自宅で数学。昨日に引き続き、クリスタリンコホモロジーの「電話帳」 を読む。1年半ぐらい前に、これのダイジェスト版みたいなのをざっと 読んだので、今回は復習みたいな感じ。「電話帳」は、その分厚さのために 敬遠してたけど、案内読みやすい。さすがグロタンディックの弟子が書いた本 だけあって、グロタンディック流に丁寧に書いてある。

午後は街に出る。もう完全に春モードで暖かい。久しぶりに丸亀製麺河原町三条 店で昼食の後、上島珈琲寺町通り店に籠もって夕方まで数学。山科の数学おばさん は来てなかったが、老後の楽しみとして(?)数学や物理の勉強をしている 数物爺さんは、俺サマの隣に席にいた。何を読んでるんだろうかと思ったら、表紙に 「機械振動学」と書いてあった。

そのうち俺サマの2つ隣に30歳ぐらいの若い女がやってきたが、 何だか様子が変だと思ったら、彼女、数秒に1回ぐらいの割合で コンコン、コンコンと軽い咳をし続けている。もしやこの女、 モーリス・ラヴェルみたいに、咳で正確にリズムを刻み続ける 「スイスの時計屋さん」みたいなことをしてるんじゃないんだろうな? と思って、密かに咳の間隔を計測してみたが、 たまに2分ぐらい収まって、またコンコン、コンコンと始まったり、 数秒毎に延々と繰り返したり、30秒ぐらいに1度だったり、間隔は 意外とまばらであった。

咳以外では何をやってたかというと、彼女はアイスコーヒーを飲みながら、 スマホを手元に置き、電子辞書のような小さな端末機でなにやらごそごそやって いた。外見は病弱というよりも、むしろ元気一杯って感じ。1時間ぐらいそう やって数秒に1度のペースで咳つづけた末に、元気な足取りで店を出て行った。 恐らく、店に居る間に「コンコン」を少なく見積もって200回はやったと思う。 ねえさん、ちゃんと医者に診てもらった方がいいよ。

少し話しは変わるが、そういえば計算機科学の国立研究所に勤めてた頃、 英国からの若い招聘研究が数ヶ月滞在してて、えらく根暗な人間で研究所の 所員たちに溶け込めずに苦労していた。俺サマの研究グループではなかったので、 よくわからないが、誰も彼に話しかけようとせず、話しかけられるような 雰囲気でもなく、しかしながら本人もそれを気にしてたようだ。 ある日イチゴを買ってきて、所員全員に配って歩いていた。 俺サマのところにも急にぬっと現れて、ほらイチゴだ、もらってくれとか言うので、 びっくりした。これは所員の間でも話題になり、「お近づきの印の積もりかも しれないが、彼はああいう不気味なことをするから、益々浮いてしまんだ」みたな ことを言われていた。

昔の俺サマは「職場の宴会大好き人間」だったので、この人の歓迎会も 押しかけ参加した。そこに居た所員がひとりずつ自己紹介して、誰かが海に行った とかいう話をしたとき、この人が何かボソボソっとコメントしたのだが、どうも よくわからない。当時の俺サマは英会話がてんで駄目だったが、英語にそれほど 不自由でない他の所員にもわからなかったようだ。

国際課の同時通訳もできる人もその場に居たので、「彼、今、何言ったのか?」 と聞いてみても、「英語は聞き取れるのだが、その意味するところがわからない。 直訳すると『貴方はその海岸で何回波を数えましたか?』と言ってたのですが、 どうも本人としては冗談のつもりみたいです」という。それは 英国流のジョークなのか?と聞くと、よくわからない、この人オリジナルかも しれないとのことだった。

いや、最近いちごが美味しい季節だし、咳の回数を数えるってことで、 ふと思い出した話。それにしても、その英国の根暗招聘研究員、その後 どうなったのか知らないが、何だか俺サマそっくりだなあと、妙に親近感 を持ってしまう。

夕方、上島珈琲を出てJEUGIA三条本店をすこし偵察してから、 帰宅して夕食。夜もまた少し数学。

2014年3月28日(金)
<<今は京大も進振やってる?>>
午前中は自宅で数学。クリスタリンコホモロジーについての、黄色い表紙で やたら分厚い電話帳のような本を読み始める。電話帳と言っても、三分冊 ぐらいある「業務用電話帳」の方ではないが。いずれにせよ、人生は 短いのだし、全部は読まずに、つまみ食いだけで済ませたいものだ。

午後は街に出る。すっかり春めいた陽気で、気温もぐんぐん上がった。 新福菜館府立医大前店で、焼き飯と付き出し焼き豚の昼食。俺サマは、 先日とは別の店員にも顔を覚えられていて、注文のとき「今日は何にしましょう?」 と聞かれてしまった。

それから京大数理研へ。汗ばむぐらいの陽気なのに、猫は電気ストーブに 当たりながら、例によってソファーの上で伸びていた。おい、暑くないのか? ニャンとか何とか言ってみろ!と耳を引っ張っても肉球をつまんでも、 例によって応答なし。お前、なーんも言わんけど、暑いんじゃねーか?と、 兎に角ストーブのスイッチは切った。第一、俺サマ自身が暑かったしね。 「帰りにまた寄るかもな」と言い残し、図書室へ。

数理研図書室は、何故か司書の人たちが延々と大騒ぎをしていた。 ヤナーチェクの「ツバメのようにしゃべりまくる娘たち」ってのは、こんな のを言うのかしら、という感じ。

そのツバメのような声が響き渡る中、通奏低音のように「ぶんぶん、ぶんぶん、 ぶんぶん、、、」という低い唸り声のような音が聞こえてくるので、 また例のつぶやきオジサンが来てるのかと思ったが、そうではなかった。 見慣れない怪しいオジサンが、新着本の書棚のところでブツブツ言いながら 本を物色してたのだった。オジサンはコピーのために一時貸し出し手続きをして、 本を持って出て行った。その頃にはツバメの声も小康状態になっていた。

夕方、帰りに猫のところに寄ったが、院生みたいなのが居たので、そのまま 数理研を出た。それからちょと理学部事務室の建物に寄って、あたりを偵察。 俺サマが学生の頃は、理学部の学生として入学し、3回生に上がる時に 学科に配属された。所属学科はあまり固定的なものではなく、2つ以上の学科 に所属したり、無所属でいることも可能だった。数学科に関して言えば、 実験設備の制約がないため、定員はなく、希望者は誰でも数学科に進めた。

しかし今はそうでもないようで、数学科には60名弱の定員があって、 希望者が溢れた場合は1、2回生の成績や配属試験のようなもので選別を 行っているようである。まあ、東大の進振制度にちょっと似てるけど、 希望する学科に進めなかったが学生は、気落ちするだろうな。

東大の進振も色々あるようで、俺サマの中学の同級生は物理学者を 目指して東大理Iに入ったが、その後「進振で石油工学だか何だかに回 されて泣いている」という噂を聞いた。卒業後は大学院には進まず、 ソフトウェア会社に入り、プログラマーになったようである。

また、先日会った某独立法人研究所の化学系研究部長で某有名国立 大学大学院客員教授兼務という人は、 俺サマが大学で数学教師をしていると言うと、途端に動揺し始めた。曰く、 自分も数学者を目指して東大に進んだのだが、進振で数学科に蹴られてし まったのが、今でも悔しい、と。

彼は俺サマと同い年らしいが、あちこちで挫折してきて今でもあっぷ あっぷしている馬鹿の俺サマとは違って、進振で数学科に進めなかったと いう一点を除いて、大学入学から現在まで順調極まりないキャリアを積ん でいる。そんな人でも、30数年前の挫折をいまだに悔やんでいる。まあ、 その気持ち、わからんでもないなあ。だからこそ俺サマは、馬鹿が大嫌いな 数学者たちに怯えながらも、日々全力で数学研究に励むのである。

帰宅して夕食の後、夜もまたすこし数学。「展覧会の絵」が収録されている、 10年ぐらい前に買ったCDを引っ張り出して聴いてみたが、「どうだか」って 感じ。俺サマがこの曲をあまり好きになれないのは、何度聴いても「展覧会の絵」 がイメージできないから。

2014年3月27日(木)
<<昼食は寿司、午後は上島珈琲>>
午前中は自宅で数学。その前に、コーヒーメーカーを壊してしまって、 ばたばたしていたが。

午後は街へ。新福菜館府立医大前店で焼き飯(並)と付き出し焼き豚の昼食 をイメージして出かけたのだが、久しぶりに寿司が食いたくなり、ゼスト御池 の寿司屋のランチメニューにした。

若い頃は、寿司屋のランチメニューなんて、高い割には腹が膨らまないので 敬遠し、もっとガッツリ系の昼食を食べていた。今でもそういうのを食べたい 気はあるのだが、それをやるとどんどん太ってしまい、健診で面倒なことになる ので、食べる勇気が湧いてこない。

では、若い頃は太らなかったのかというと、そうでもなかったようで、 20代後半の俺サマの写真を見ると、お相撲さんのように丸々と太ってたりする。 当時は(今でも?)若い人には健診の基準が甘かったのか、健診で五月蝿いことを 言われた覚えがない。

若い頃との大きな違いは、空腹がそれほど苦痛でなくなったことである。 「ああ、腹減ったなあ」とは思うが、空腹に伴うそこはかとなく悲しく 情けない気分のまま、何となく長時間我慢していられる。ところが若い頃は、 腹が減ると居ても立ってもいられなくなり、「今すぐ飯食わせろ! さもないと暴れてやるからな!」みたいな感じだった。アル中ならぬ、 飯中であった。

それで、今日は数理研に行って猫の肉球を触ってから 図書室に籠もる積もりだったが、予定変更で上島珈琲寺町通店にした。 店には山科の数学おばさんが来ていたが、まもなく帰っていった。 それ以外に、趣味で大学学部レベルの数学や物理を勉強している 70代ぐらいの爺さんや、ボケ防止のためか英単語の暗記をやっている80代 ぐらいの爺さんも来ていた。皆、この店の常連客である。

夕方、上島珈琲を出てJEUGIA河原町三条本店をさらっと偵察。スカルラッティー の「ソナタ・イ長調L391」をピアノで弾いてるのがたまらなく良いのだが、 その短い1曲のためにCD1枚買うってのもなあ。ダウンロードのバラ売りも やってないみたいだし。以前、スカルラッティーのソナタ・ト長調KK455という 2分足らずの曲1つのためにCD1枚買ったことがあったけど、もうちょっと、 どうにかならんものかと思っている。

帰宅して夕食の後、夜はラクトスポーツプラザへ。今日の骨盤矯正ヨガは 休講だったので、有酸素運動を中心として、ストレッチと筋トレを交えた自主トレ。

今日は学科長マターのメールは来ないと踏んでたのだが、 新任教員との懇親会の会場変更等の案内メールが来ていた。

それにしても、4月からのこの日誌の芸風がどうなるか、我ながら ちょっと気になっている。この数年間は「俺サマは馬鹿」調でやてきたが、 2006年度の学科長時代は「どいつも、こいつも、ふざけんな!バーロー!」 調でやっていた。この4月からは「俺サマは馬鹿だけど、てめーらは腐った鯛焼き じゃねーか!バーロー!」という、イミがよく分からない芸風のナンセンス劇場 で行こうかしらと一瞬思ったりもするが、実際どうなるのかは成り行き任せ。

2014年3月26日(水)
<<考えない訓練を開始する>>
午前中は自宅で数学。昨日は終日学科長モードだったので、その余韻が 残っていて気分がよろしくない。そういえば、先日気まぐれに買ってみて、 結局2,3ページぱらぱらと読んで放り出した若い坊さんの本に、 いいことが書いてあった。 人間の脳は悪くて強い刺激を求めるようにできていて、考えれば考えるほど腹が 立ってくるようなことは、こんな好都合な刺激はない!とばかりに、 ますます考えてしまう。だから、幸福になりたければ、「考えない」訓 練をしなければならない、と。

考えない訓練、か。「なんちゃって念仏」なんか、どうかな。 「南無阿弥陀仏」じゃなくて、「××トラップに気をつけろ!」とか。 「××」の部分には、脳に悪い刺激を与えるものなら何でも 入る。「学科会議トラップ」とか「交渉調整トラップ」とか。

たとえば、その人と話をすると必ず後で嫌な気分になるってことは、 俺サマのような馬鹿にはよくあることである。ふと我に 返ると、「あの野郎、あそこでぶん殴ってやれば良かったな」みたいなこと を愚図愚図と考えてたりする。これが「トラップ」にひっかかった状態。 そういう時は「××」の部分にその人の名前を入れて、念仏のように 唱えていると、トラップから開放される、、、はず。

「なんちゃって念仏」をブツブツ唱えながら、午後は京大へ。 百万遍でバスを降りた頃には、「トラップ」からは開放されていた。

昼食のため、ルネ生協へ入ろうとしたら、中から数理科学科所属ではないRitsの 数学の先生が出てきた。一応「ほっとする」種族の人だから睨みつけておけば 良いようなものだが、同じ大学の同僚となると多少事情が違うかしら。 などと、どうでも良いことを考えてしまい、結局かなりビミョーな 会釈を交わす。

挨拶は返事が返って来ようと来まいと「やったモン勝ち」で、出し惜しみは いけない、と30年以上前の新入社員研修で習ったような気がするが、出し惜しみ 体質はなかなか直らない。それどころか、まずます酷くなってきてるな。

それから例によって数理研へ。雨降りなので、猫は住処のソファーで 半分目を閉じた状態でぼーっと横たわっていた。たぶん脳みそも半分寝て たんだろう。手足の肉球をすこし触らせてもらってから図書室に籠もり、 夕方まで数学。図書室には久しぶりにつぶやきオジサンも来て、相変わらず ブツブツ言いながら文献を読んでいた。以前は、 ガムテープでぐるぐる巻きにして口を塞ぎ、その辺の柱に縛り付けて おくのが適切なぐらい五月蝿い男だったが、最近はかなりマシになった。

夕方、数理研の帰りに猫のところに寄ったら、相変わらずの姿で ぼーっと横たわっていた。数理研を出て、耐震補強工事中の北部生協の脇 を通って北部キャンパスを出た。この北部生協は工事のために昨年8月一杯で 閉鎖されたが、その後ほとんど手付かずの状態が続いて、ようやく12月頃から 工事が始まった。そのためか、再開は新学期には間に合わず、5月以降になり そうである。ここんところ建設業の人手不足とかで、工事の着工が遅れたの だろうと思う。

北部生協が再開してくれないと、数理研の図書室で当日限定借り出せる文献を コピーするのを事実上断念しなければならず、色々不便である。

帰宅して夕食の後、夜もすこし数学。深夜、怖いもの見たさで、 前回学科長をやった直前と直後にあたる、2006年3月末と4月上旬の日誌を 読み返してみたが、まさに涙なくしては語れない悲惨な日々がつづられている。

2014年3月25日(火)
<<今日からもう学科長>>
そういえば、前回2006年度に学科長をやったときも、年度末 から次年度の新学科長を引っ張り出すような会議だのなんだのがいくつかあった。 それで当時の学科長が「『できれば新旧両学科長が出席することが望ましい』 そうですよ。どうします?」というような事を言うので、「どうします?」 と聞かれた日には「俺サマは4月から頑張るから、3月一杯は現学科長の×× 先生、よろしく!」と答えるしかないでしょ?!と、3月一杯は余裕をかましていた。

前回はそういう悪行を重ねていたのだが、今回はどうかというと、現学科長 は何の前触れもなくさっさと海外に高跳びしてしまって、有無を言わさず俺サマ が引っ張り出される形になってしまった。うーむ、今回はやられたな、と。

ということで、今日は俺サマ的には早起きして、9時20分過ぎに大学に出勤。 10時からの履修ガイダンス。ガイダンスは午前中一杯 行われたようだが、最初の30分程度は学科長が何かやれ、と。

それでそういう風に心づもりしてガイダンス会場に行ったら、数物会という 数理科学科と物理科学科合同の同窓会組織の会長とかいう人が居て、ひとこと アナウンスさせろとか、資料を用意してきたからそれを配れという。 えーっ、そんな話、俺サマは全然聞いてないよ!と。まあ、数物会は大事なので、 とりあえず急遽スケジュールを工面して(と言っても大した手間ではなかったが) 対応。

この件については、「そういうことは事前連絡すべし!」と、後で数物会の 役員に厳重抗議をしておいたが、「(お前が学科長やってる)今年度だけは気を つけることにする」との返事(何じゃ?それは)。まあ、来年度のことは俺サマも 関知しないし、放置することにする。

とりあえず、履修ガイダンスは無事に終わって、生協で昼食を買って研究室に 戻る。午後の学科長会議の資料の巨大PDFファイルがメールで届いていたので、 それにざっと目を通し予習の後、昼食。

13時から学科長会議。会議室に行くと、物理の新学科長が俺サマのところに 来て「高山先生ですか?今後ともよろしく」などと挨拶してきたので、 ちょっとびっくりした。物理学者も人に挨拶することがあるのだ、と。

最近の俺サマは何だか挨拶に小うるさくなってきたが、 これは老化に伴って支離滅裂な言動が多くなる退化現象の一環と 考えられる。

俺サマは若い頃から「禄に挨拶もできない、しょーもない奴」 と言われ続けてきたが、「ふん!挨拶してりゃあ、いいってもんじゃねーだろうが」 という態度だったので、さして矯正されず。そして、そんな風に叱ってくれる人も どんどん死んで居なくなり、今やほとんど「姑が死んで天下を取った嫁」 の気分である。

それで、相変わらず人に会っても(馬鹿の俺サマを前にした数学者の真似して) 「何だ?お前」みたいな感じで睨みつけてるだけなくせに、他人に対しては 「あの野郎、俺サマに顔合わせても会釈もしよらん!」と毒づく。

しかしながら、こちらがたまに気を利かせて会釈などしても無視しよる無礼者には、 「こいつには何処で顔合わせても挨拶しなくていいんだ」と正直言ってほっとする ようなところもある。挨拶は社会人の基本というけど、タイミングとか 無視されてへこんだ自我のリカバリーとか、色々面倒臭くてくたびれる。 物理学者ってのは、数学者と同じく、 「ほっとする人たち」だったんだけど、向こうから挨拶してくると、 俺サマの世界観が音を立てて崩れる、、、ってほどでもないけど、 結構衝撃的であることは確かである。

学科長会議は1時間ちょっとで終わった。新学科長は4月1日夕方の 新任教員との懇親会に出るべしという話を、今日初めて知った。 学科長というのは、色々なところに引っ張り出される。 俺サマは誰とも懇親したくないひねくれ者の馬鹿だが、仕事となれば やむおえない。

その後研究室に戻り、しばし数学、 および、4月からの卒研のゼミ室を予約したり、学生にメールを出したり。

16時から教授会。これも35分程度で終わった。ある議題に関連して、 学生のタフネスを鍛える教育の重要性ということがチラっと話題に出たが、 学生よりも自分のタフネスが問題だな。学科長然り、馬鹿なくせに 馬鹿が大嫌いな数学者の世界で無理して続けている数学研究然り、 精神的にタフでないとやってられないようなところがあるが、俺サマは そういうところでは、なかなか思うようになっていないし。

それから図書室で古い論文を1つコピーしてから大学を発つ。論文をコピーする のは久しぶりである。最近は学術論文を ダウンロードしてパソコンやiPadに入れて読むことが多い。 しかしながら古い論文だと、フリーアクセスになっていてネットで簡単に拾えるものも 少なくないが、図書室に製本しておいてあるバックナンバーをコピーしないと手に 入らないものもある。

帰りは大丸ラクト山科店で赤ワインを1本買って帰宅。夜はまたすこし数学。

2014年3月24日(月)
<<朝は買い出し、昼は数理研、夜はZUMBA>>
今日は天気が良く、気温もかなり上昇した。 午前中は山科区内のスーパーなどに買い出しに出る。

帰宅して早々に荷物を纏めて京大へ。まずはルネ生協で昼食。その後、数理研へ。 まずは猫の所に寄ってみたが、どこかにお散歩に出掛けているのか、不在。 図書室に籠って数学。

途中、自販機珈琲を飲みに外に出てたら、 振袖や袴姿の娘たちが歩いていた。後で知ったのだが、今日は大学院の卒業式 らしい。学部の卒業式は明日だとか。珈琲を飲んで帰ってきたら、 猫の所で数理研の卒業生とおぼしきスーツを着た男が、 数理研猫と遊んでいた。猫はにゃーっ!とばかりに尻尾をピンと立てて 男とじゃれていた。やっぱり、毎日のように顔を合わせている人間に は愛想がいいなあ。

それからまた夕方まで図書室に籠る。帰りにまた猫のところに寄ったら、 先日移動式黒板のところに張り付いていた人が今日も居て、「トラちゃん、 居ませんねえ」と。うーむ、俺サマは数理研猫に嫌われてるのかしら?っていうのは、 考え過ぎか。

先日、iPSの山中教授の経歴を調べてたら、昔の上司だか 指導教官みたいな人が山中氏のことを「誰かも好かれる性格」と評していた、 と。うーん、良い性格をお持ちのことで、羨ましい限りですなあ。 俺サマなんざ馬鹿だから、数学者は勿論のこと、猫にまで嫌われてますぜ。

帰宅して夕食の後、夜はラクトスポーツプラザへ。 消費税が上がる前の駆け込みで、スタジオレッスン割引券11枚組を買った。 今日は楽しいZUMBAと筋トレ。昨日 上島珈琲で声のデカイ爺さんに高校英語を習っていた辛子猫の姐さん も、自主トレのためジムに来ていた。

2014年3月23日(日)
<<学生時代のことを思い出す>>
午前中は京都新聞日曜版の2つのパズルを速攻攻略し、しばし数学。 午後は街に出る。京都市役所前は大変な賑わいで、ゼスト御池のレストラン 街をみても、東京のようにどこも行列ができている。それで、今日も少し 足を延ばして新福菜館府立医大前店で昼食。

昼食後、三条に戻って上島珈琲寺町通り店に籠って夕方まで数学。 店にはドイツ人の男二人組が居たが、その後で別の西洋人の男 二人組が座っていた。そういえば一昨日は、同じ席に別のドイツ人の 男二人組が座っていたな。また、坪庭に面したソファー席には、 辛子猫の姐さんが、いつものように声のデカイ爺さんに高校英語を習っていた。

そうこうしているうちに、さっきからどうも外が騒々しいと思ったら、 京都市役所前広場に集まっていたと思われるブラスバンドが行進を始め、 寺町通りを次々と下っていった。1つが通り過ぎたかと思うと、またしばらくして 次のが通り過ぎるので、おそらくは何組ものバンドが行進してたのではなかろうか。 一体何の騒ぎだったのか今もって謎であるが、それを解明したところでどうってことは ないだろうと、放置。

夕方、少し早目に上島珈琲を出て、山科区内某所で買い物。 大学1,2回生の頃、俺サマはその店に割合近い所に下宿していたので、 少し足を延ばして久しぶりに下宿があった辺りを偵察飛行。

当時の下宿屋はもう人手に渡って新しい住宅地に変わっていたが、 あたりの街並みには今でもまだ当時の面影が残っている。懐かしいというか、 あの頃の俺サマは数学者を目指して、希望を持って頑張ってたことを思い出した。

別の所に転居した3回生ぐらいから、大学の中で色々旗色が悪くなり始めて、 教授、先輩、同輩、後輩たちから馬鹿だアホだと味噌糞言われまくる日々となり、 その後の転落の人生が始まった。それを思うと、あの下宿に居た頃が学生時代 で一番夢と希望に溢れてたんだろうと思う。

夕食の後、夜もまた少し数学。

2014年3月22日(土)
<<今日は卒業式>>
俺サマ的には早起きして、10時前に大学に到着。いつもなら 9時半過ぎには着いてるところだが、今日は大学の卒業式で、南草津駅前 のバスロータリーには学生や父兄の長蛇の列ができていて、 増発された臨時バスが次々に来ても間に合わない状態。道路は 土曜日が関係しているのか微妙に渋滞していて、バスはノロノロ運転といった調子。

学科別の卒業証書授与式は11時15分からなので、もう1時間遅めの 予定を立てていたのだが、昨夜学科長からメールが届き、「重要案件を 報告するので、全員10時に出勤せよ」との通達。今月は「学科長の重要案件 報告」が多いな。3月4日にも、同じような招集が掛ったし。

まあ、その重要案件ってのは、ここには詳しく書けないことだが、 俺サマのように半世紀以上ダラダラと生きてきた人間に言わせれば、 「もうちょっと何とかならなかったのかなあ」と残念な話であった。

学科別の卒業証書授与式は12時前で終わった。それにしても、 学科長の挨拶は大変格調高くて、ちょっとびっくりした。今年に限らず、 例年学科長をやる人は、学生達のこれまでの勉学を称え、自信を持って これからの人生を歩むべしと励ますような挨拶をする。おおっ、教育者! って感じ。

そういえば俺サマも、7年ほど前に学科長をやった時は、 似たような事を言ったような気もするが、来年の今、そんな挨拶ができる かどうか、自信ないな。というのも、ここんところ年を追うごとにどんどん 悪い教師になっていて、最近は学生をダシにして自分が学問すること しか考えてないから。学生はそこから勝手に何か学び取りなさい、と。

学部生の証書授与式の後、生協コンビニで弁当を買って研究室で昼食。 その後、先日の数学会の出張報告書を書いて事務に提出したり、 まだ使い慣れてない新しいPCの慣らし運転も兼ねて、 TeXで来年度の時間割表を作ったり、 学科長なんでもノートで「あれしろ、これしろ」を少し整理したり、 数学の調べ物をしたり。

途中、トイレに立った時に学生に捕まり、卒研生から花束を貰って 記念撮影ということになった。え?それって、 もしかして俺サマが指導教員として感謝されてるってことかい?と。 花束ってのは、(旧)情報学科時代に1度だけ 貰ったことがあるが、数理科学科に移籍してからは初めて。

30年以上前、俺サマが大学を卒業する時は、俺サマが馬鹿だって巨大太鼓判 を押してくれた卒研の指導教官の 顔なんて一生見たくないとか、卒業式なんて糞食らえだ!みたいな感じだった。 まあ、最低の気分だったね。 だから、学友同士卒業を喜びあったり、卒研の担当教師に花束渡したりする 気分ってのが、俺サマにはよくわからない。そういう意味では、彼らは幸せ なんだなと思う。幸せ、おおいに結構。

16時から、大学院の学科別証書授与式。少人数なので半時間足らずで終わり、 すぐに大学を発つ。帰りは大丸ラクト山科店で、ボルドーの赤ワインを1本買って 帰宅。まだ自宅のがボトル半分ぐらい残っているが、とても美味しいワインで、 店にはもう2本しかなく、追加の仕入れもなさそうなので。2本とも買っておけば よかったかな?

帰宅して夕食の後、夜は少し数学。

卒業式が終わると、何だか1年が終わったなという気がする。 しかし年度の終わりをしみじみと噛みしめる間もなく、新入生を迎える準備 が始まる。例年は新入生対応は学科長や1回生科目の担当者任せ で、俺サマは4月の半ば近くまで春休みを満喫しているのだが、今年は 学科長が回ってきたから、けっこう気ぜわしい。

2014年3月21日(金)
<<祝日は街へ>>
冬が戻ってきたような寒さ。空は晴れてるのだが、上空の強い風に あおられて、遠くから雨が吹かれて来てぱらつく変な天気。

さあて、今日も午後から数理研へ、、、と思ってたのだが、祝日と知って ガックリ。数理研もアンチュチュの図書室も閉まってるし、花金の祝日だと 観光客も多くて上島珈琲もSbuxも混んでるだろうなあ、と。

土日や祝日の良いところは、大学の事務が休みでのため、「あれしろ、 これしろ」メールが飛んでこず、静かな生活が送れることである。

それで、午前中は自宅で数学。午後は街に出て、新福菜館府立医大前店 で昼食。その後、上島珈琲寺町通店を覗いてみたら、運良く席が空いてい たので、夕方まで数学。今日は山科の数学おばさんも来ていた。

夕方、上島珈琲を出てJEUGIA三条本店を少し偵察。CDを 2枚ほど試聴。1人は80歳のチェンバロ奏者のCD.俺サマはその人の 数年前のCDを1枚持っていて、素晴らしい演奏だと思っていたが、 やはり80歳になると衰えは隠せないな。

もう1枚は、比較的若い男のピアニストのもので、スカルラッティ―の ソナタが入っているのが気に入ったのだが、ムソルグスキーの「展覧会の絵」 とベルクの現代音楽が入っているので、結局パスした。ベルクは1曲だけだから よしとしても、「展覧会の絵」は長い。まあ、嫌いでもないけど、 俺サマとしては、もっとスカルラッティ―の曲が多い方がいいな、と。

それから久しぶりにAngers河原町三条本店の偵察に向かう。 途中Ritsの工学部の某先生(名前は知らない)が奥さんと二人で 楽しそうに歩いていた。この先生はいつも目が糸ミミズのように細く、 会議の時は寝てるのか起きてるのか、見た目ではほとんどわからない。 「便利な目をお持ちで、ご同慶のいたりでござります」などと思ってたのだが、 嬉しい時は目が大きく開くことを発見した。

Angersは結構客が入ってた。文房具売り場に、どこから芯が出てくる のかさっぱりわからない、変なシャープペンシルが売られてて、その仕組みを 解明しようと色々いじくってたのだが、結局わからず。若い兄ちゃんも手に取って、 仕掛けを調べてる様子だったので、傍で見てたのだが、結局この兄ちゃんもわか らずに、放り出して行ってしまった。俺サマも、まあ、買う積りはないので、 わざわざ店員さんに聞くまでもないかと、放置。

そして大丸ラクト山科店で、チリのキリキリの辛口白ワインと ボルドーのドロドロのフルボディーの赤ワインを1本ずつ買って帰宅。 夕食後、夜はアンヌ・ケフェレックがピアノでスカルラッティ―を弾いてる CDを聞いて、「まあ、今日のあのCD、買わなくてよかったな」 などと思いながら、また少し数学。

2014年3月20日(木)
<<雨の中、今日も数理研へ>>
午前中は「あれしろ、これしろ」対応の一環として、何人かの学生にメールを 書いて送る。現学科長やその他の先生からも、卒業式や新学期の準備に関連 して、いくつかのメールが届いた。その後、少し数学。

午後は京大数理研へ。その前に、新福菜館府立医大前店で遅めの 昼食。雨がしょぼしょぼ五月蠅く降ってたので、バスを使った。

数理研に着いて、まず猫の所に寄ったのだが、院生みたいなのが煙草を吸って 寛いでたので、パスしてそのまま図書室へ。夕方図書室を出て、また猫の ところに寄ったら、薄目を開けて長々と横になり、電気ストーブに当たっていた。 傍にある移動式黒板に前で何かがモゾモゾと動いたので、ふと見ると、誰も居ないと 思ってたけど、数理研の若い所員がへばりついて煙草を吸っていた。忍者みたいに 、隠れ蓑の術でも使ってたのだろう。

雨が五月蠅いので、道草なしでまっすぐ帰宅して夕食。夜はラクトス ポーツプラザへ。今日は骨盤矯正ヨガと有酸素運動。帰宅して、ほんの少しだけ 数学。

2014年3月19日(水)
<<昼間は京大数理研へ>>
午前中は自宅で数学。午後は京大へ。まずはルネ生協で昼食。それから 数理研へ。猫は散歩に出たのか不在だったので、そのまま図書室に直行。 夕方まで数学。帰りに猫の所に寄ったら、居た。散歩帰りのせいか目を覚まして いて、俺サマが行ったら「にゃー」と挨拶してくれた。よしよし、お前は 良い猫だ。

帰宅したら、昨日「あれしろ、これしろ」メールに対して事務に問い合 わせた件で、返事が来ていた。「今の学科長に全部話してあるから、そちらに 聞いてくれ」と。だったら「あれしろ、これしろ」も今の学科長に 言って欲しかったな。

事務屋さんたちは、教員は学生のことを全部把握していて、教員同士は 常に連絡を取り合っていると勘違いしているようだ。しかし実際のところ、 教員は、自分が教えた科目で自分がつけた成績表以外は、学生についての 個人情報はほとんど何も持っていないし、教員同士が日常的に連絡を取り合う なんてことはないんだけど。

ま、来年度の話を今年度中に準備しておくという話で、 今の学科長にしか連絡が行ってないのだから、この件は俺サマの関知する ところではないと判断。学科内メーリングリストに「現学科長を含め、 事情を知っている方がおられたら、よろしく対応のほど、お願いします」と メールを流して、一件落着。

夕食後は、また少し数学。

2014年3月18日(火)
<<学会から帰ったら「あれしろ、これしろ」>>
数学会最終日。ホテルをチェックアウトして、キャスター付きの大きな 鞄をゴロゴロ転がして学会会場へ。午前中に数論の講演をいくつか聞く。

数論と一口に言っても色々な分野があるようで、俺サマにはそれら 相互の関係がどうもよくわからない。いくつかの研究集会に潜入してみて、 絶対ガロア群の構造を理解することが数論の目的かと思ってたら、今日の 講演者は皆、色々な級数をいじくり回しているばかりで、絶対ガロア群 との関連は不明だし、その研究が一体何処に向かっているのかも、少なく とも素人の俺サマには皆目見当がつかない。

全体が見えてる人なら、これは数論のこの部分をやっていて、あれはあの 部分に相当して、これとこれはこんなぐあいに関連してるってことが言える のだろうけど。これまで何人かの数論研究者に聞いたけれど、いずれも 「ごにょごにょ」ってな感じで誤魔化されてるみたいで、どうもしっくりこない。

午後の講演はスキップすることにして、会場を出る。ここ数日の経験から、 目白ではマトモに昼食にはありつけそうにないと判断して、とりあえず 東京駅に向う。新幹線の切符と駅弁を買って、さっさと東京を発ち、 夕方頃無事帰宅。

帰宅したら、早速大学の事務から「あれしろ、これしろ」メールが届いて いた。数年前に学科長やった時は、4月になった途端に「あれしろ、これしろ」 が爆発的に始まったが、今は3月の半ばぐらいから、もう「あれしろ、これしろ」 が始まっている。

地球温暖化みたいなもので、「このままでは××年後には、 2月下旬ぐらいからもう『あれしろ、これしろ』が始まる」式の不吉な予感がしな いでもないし、この調子では4月に入ったらどんなことになるやら恐ろしい。 「あれしろ、これしろ」と言われても、「知らん!耳、日曜!」とテキトーに 対応しないと、身が持たないと思われる。

こんな調子で、卒業式、入学式の季節は、何かとあわただしい。それに関連して 事務やら学科の同僚らといろいろメールのやりとり。昨日の午後、ちょっと 大変なことが起こったらしく、現在、学科長(と関係する先生たち)が色々動き まわっているようだが、今のところ副学科長の俺サマにはお呼びは掛っていない。

夜は少し数学。

2014年3月17日(月)
<<目白で蕎麦を食うのは大変?>>
数学会3日目。午前中は「もう欲しい本は全部注文した」と一度は思った専門書の 展示販売を、再度精査。その結果、昨年9月の愛媛の学会の時だかに購入を見送った 形式群に関する本を買うことにした。

その辺の論文には、「デュドンネとカルティエの 高次元形式群は、読者の皆さんは当然知ってるよね」みたいな感じで書かれて たりするので、俺サマは「知らんがな!そんなの」と論文に独り激しく突っ込み入 れるのだが、、、まあ、そういうのって、空しいだけだし。 かと言って参考文献はというと、それがどうもよくわからない。そういう疑問に 答えてくれそうな本なので、買うことにした。

その後、しばし学会会場の休憩室で数学。

ところで、「お前ら、どうせ俺サマのことを 馬鹿だと思ってんだろう?!」ということで腹をくくってしまうと、特に学会 会場ではすこぶる気楽で良い。

数学者達は会場を歩く時も常に周囲に注意を 払うことを怠らず、(自分の研究やポスト獲得にメリットがありそうな) 友人、知人、大先生や大先輩と顔を合わせれば、ぬかりなく 挨拶をしなければと努力する。俺サマも計算機屋時代や数学に転向して 間も無い頃はそうしていたので知ってるが、あれは結構大変である。

一般に数学者というのは、中途半端に親しい人に対する 態度が極端に慇懃(無礼)か、極端に無愛想かのどちらかで、 一応お互い知っている者同士なら軽く「やあ、どうも」と言っておこう、 みたいな感じにできる人はほとんどいないように思う。

俺サマと顔を合わせて、例え「ああ、高山の馬鹿か。こんな奴と関わっても、 自分の研究には何のメリットもないや」と思っても、「やあ、どうも」 ぐらい言っとけば良いものを、馬鹿は相手してもしょうがないと 律儀に考えるのか、こちらが「やあ、どうも」と挨拶しても知らん顔しよる。 また、その逆もあって、それまで俺サマが挨拶しても「何や?お前」みたいな 顔してるだけだったのが、俺サマの論文がちょっと売れると、急に ニコニコしだして「やあ、こんにちは」って。何なの?この露骨な態度の 変わりようは。

こいつら、ほんまにアホちゃうか?って思ってしまうが、オリコーさんの 数学者サマがアホであろうわけもなく、連中はただ、 自分の研究に何らか メリットがあれば仕方なく愛想を振りまいて社交的にふるまうが、そうでなければ いちいち挨拶するなんてまっぴらだ!という気持ちに正直に生きているのだろう。

数学者というのはかくも面倒臭い人種で、彼らに対しては 一切の社交的儀礼は無用だと決めてしまうと、 とても清々しい気分で学会に参加できる。俺サマはお前らの研究には 一切メリットが無い馬鹿だから、安心しろ!と。

昼食は目白近辺で蕎麦屋に入ろうと思ったのだが、それがなかなか思うに まかせず。さすが蕎麦文化圏の東京だけあって、目白通りを歩いていけば 蕎麦屋が何軒もある。しかし、1軒目は20名も入れば一杯になる小さな店だったが、 昼食時の客をさばき切れないようだった。

客が帰った後のテーブルは全然 片付けられておらずいつまでも放置され、後から来た客も雰囲気を察して そのまま店を出て行き、バイト少年みたいな兄ちゃんが、俺サマより後から 来た客に注文を取った後、何やらまごまごしているばかりで、なかなか注文すら 取りに来ない。で、やっと注文できるとなると、まだ13時になるかならないかな のに、ランチメニューは品切れだという。単品注文なら対応できる、と。

まあ、蕎麦屋なら他にもあるだろうし、「そんならもうええわ。また来るわ」 ということで、さらに目白通りを歩いて行くと、やはり13時をちょっと過ぎた ばかりなのに、「本日売り切れにつき閉店」の看板を出してたり、何故か知らないが 準備中の看板の店だったり、「事情により本日一杯で閉店」だったり、 一応営業中と出ていたが、異様に高い上に、何となく本当に営業しているのか どうか、入るのがちょっと怖いような店構えだったり。 他にも寿司屋やラーメン屋があったが、やはりまだ14時にもなってないのに 準備中だったり、しもた屋になってたり。

かくして目白通りの飲食店はほとんど壊滅状態で、わずかに営業している店は 稼ぎ時の昼食時の客をさばき切れずにどんどん逃がしているといった状態であった。 逃げた客も、他で昼食にありつけるという保証もなく、結局コンビニでお握り 買って済ますことになるのではないか。 そういえば、一昨日入った中華のチェーン店もそんな感じだったな。

おそらくは、オフィス街でもないこの界隈で、普段はさして多くの客も来ず、 のんびり商売してたのに、こともあろうに学食が閉鎖中の期間を狙って 開かれた学会(正確には「学会開催期間を狙って学食が閉鎖された」らしい)で、 大量のむさ苦しい数学者が昼食をもとめて近隣の飲食店に押し寄せて来たので、 一時的に店のキャパシティーを超えたということだと思われる。一般に 数学者というのは、むさ苦しい割には行儀が良いのだけど、そういうことは この問題にはあまり関係ないようだ。

「まあ、こういうことは想定の範囲内さ」と、気を取り直して目白通りを どんどん歩いて行って、最後に客が10名も入ったら満席 という小さな蕎麦屋に入った。そこは俺サマ以外に、もう1人既に食べ終わって 店主と雑談をしていたオジサン客がいただけだった。盛り蕎麦大盛りを注文したが、 結構美味かった。帰り道、「今日で店じまい」という蕎麦屋の前を通ったが、 長年のご愛顧に感謝してか、天ざる蕎麦800円などと出血大サービス で、この店にすれば良かったかと少し後悔。俺サマが歩いていた歩道の向いに あったので、遠回りして信号渡るのが面倒でパスしてしまったのだ。

学会会場に戻って、しばし休憩室で数学。その後、代数学賞の授賞式と 授賞記念講演があった。夜は新宿の小田急百貨店で惣菜などを買って、ホテル の部屋で夕食の後、すこし数学。

2014年3月16日(日)
<<シフのリサイタルを聴きに行く>>
数学会2日目。昨今、大学教師は研究出張のための休講が 厳しく制限されるようになり、どこの学会でも土日を挟んで 研究集会を開くことが普通になった。しかし春休み期間に わざわざ土日を挟むスケジュールにしたのは何故か? 「学会=土日」と条件反射的に決めてしまったのか、それとも 他に何か事情があったのかは謎である。

本日午前中の1時間講演を1つ聴く。多変数関数論の講演で、 何となく複素多様体論っぽい話だと思っていたのだが、レビの 問題がどうの、何とか領域がこうのと、かなりコアの人向けの 話題だった。

そういえば、昨日の学習院大学は入り口の門のところに警備員が 2人も立っていて、ほとんど全員に入場の理由を尋問していたが、 今日は警備員は1人で、俺サマが前を通っても何も言われなかった。 俺サマの後から来た、乳母車を押して入ってきた若い男が尋問されていたが、 「えー、ちょっと散歩でもしようかと思って、、、」などと 答えていた。それ以外は、誰が通っても知らんしてたな。 昨日が特別だったのかしら。それとも日曜日は警備が緩いとか?

昼食は目白駅前の小さなカフェで済ました。小さな2人 掛けのテーブルで珈琲を飲んでいた若い女が、セルフサービスで 食器を返却するシステムの店なのに、珈琲カップを放置したまま店 を出て行った。後から来た若い西洋人の男が、女が座っていた テーブルに着席し、珈琲とパンで軽く昼食をとり、 帰りに女の分の食器も一緒に返却して店を出て行った。

こういう立ち振る舞いは、いかにも西洋人っぽいと思う。 日本人なら、カップが放置されたテーブルに座ったり、 他人が放置したカップも一緒に片付けたりなんてことは絶対しないし。

カフェを出て、天気も良いので、下落合の商店街や表通りを一筋入 った閑静な住宅地を散策。この辺りに2世帯住宅の注文建築が異様に多いのは、 分かるような分からないような。 途中、カフェでの昼食が軽すぎたので、 コンビニでお握りを1個買って食べる。

学会会場に戻り、休憩室でしばし数学の後、15時から 数学会春季賞の授賞式。受賞者は代数幾何学の人だったので、 その後の授賞記念講演も聞いて16時半頃に会場を発つ。

それから一旦JRで新宿に戻ったあたりで、「どうしょうかなあ」 と迷い始め、何となく早めの夕食を、その辺の立ち食い蕎麦で 済まし、ホテルの方ではなく、ふらふらと地下鉄の駅に向かってしまった。

実は昨夜遅く、先日大阪のリサイタルを聴き逃したアンドラーシュ・シフ が今夜六本木のサントリーホールで大阪と同じ曲目のリサイタルを 開くことを知った。当日券が70枚程度出る予定で18時より販売開始 とあったのだが、どうせ東京のことだから17時頃から100人 ぐらい並んでたりするだろうし、諦めようと思っていた。

しかし「もしかして」という気もしたし、駄目なら駄目でいいから 行ってみようと思い始め、結局地下鉄を乗り継いでサントリーホール に18時前に着いたのだが、当日券は(高い券しか残ってなかったけど) 十分買えた。

通常、コンサートのプログラムは無料だが、ここでは1部500円で売っていた。 そういえば、パリのオペラ座でも、こんな感じで結構立派なプログラムを売って たな。しかし、今日のコンサートの場合、売上金は東日本大震災の義援金にすると のことだから、このホールはいつもそうというわけでも ないのだろう。

コンサートは19時に開演。途中20分程度の休憩や、 シフの挨拶を挟んでアンコールを2曲やって、終了したのは21時45分過ぎ。 誰かが「最高クロリティーの演奏」とか言ってたが、まさにそんな感じ。 最後は皆さん総立ちで拍手。

再び地下鉄を乗り継いで新宿のホテルに戻ったのは23時頃。