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よ け ス ペ ー ス で す。

2014年6月14・15日(土・日)
<<シュパーゲル, キタ―ーーー! >>
14日の朝、ホテルをチェックアウトして、8時14分ボン中央駅発のICEで フランクフルト空港駅に向かう。駅の窓口はすいていたが、日本の銀行の ように番号札を取って、自分の番号が呼ばれてから指定のカウンタに行く 仕組みだった。ケルンの中央駅もそうだったような気がするが、どこでも そうでもなく、フランクフルト空港駅は1本の行列で待って、順番に 開いたカウンターに行く方式だった。

番号札のことでちょっとまごまごしたが、親切のおばさんが、ここでこう するんだと教えてくれた。

俺サマはあらかじめ券売機で目的の列車の運行スケジュールと行き先 のプリントアウトを手に入れ、それを係員の姉さんに示したのだが、 41ユーロだと思ってたのに「42ユーロです」という。変だなと思ったが、 何かの追加料金でも掛るのかしらと思いつつ、切符を受け取り、大急ぎ でホームに向かった。落ち着いたところでよく見たら、フランクフルト 空港駅のもうひとつ先のフランクフルト中央駅までの切符だった。 姉さん、間違えよったな。ま、最初想定してた列車は、路面電車とICEを ジークブルク駅で乗り継ぐ70ユーロ近いものだったし、それよりもかなり 安くすんだから、よしとしよう。

10時前に空港に到着。すこし早めにチェックイン して、免税店でフランケン・ワインを買い占めた後、 ルフトハンザ・ラウンジで1時間ほどのんびりする。 12時40分頃から搭乗が始まり、13時20分の定刻 に離陸。その後は、昼食や朝食の時間以外はほとんど寝てるか、ぼーっとしている かしていた。

機内食に、諦めていたシュパーゲルが出てきて、Endlich kommt Sparger! (シュパーゲル、キタ―ーーー!)と激しく感動しながら 有難くいただいた。隣の西洋人のごっついオジサンは、付け合わせのじゃがいも とステーキだけ食べて、メインのシュパーゲルは全部残していた。変な野郎だと 思ったが、シュパーゲルの有難身が分からないところをみると、イギリス人か。 このオッサンは、機内でずっとIBM ThinkPadでクイズみたいなソフトで遊んでいた が、そのソフトの表示は全て英語だったし。

日本時間で7時10分過ぎ、無事に関空に到着。俺サマが乗っていた便は、 さらに成田まで飛ぶらしく、隣のイギリス人とおぼしきオジサンは機内にとどまっていた。

帰宅して荷物をほどいたり、シャワーを浴びたり、昼寝をしたり、ボンで写生して きた絵の写真を撮ったり額に入れて飾ったり、出張中に溜まった学科長の仕事を整理 したりしているうちに1日が終わる。

研究集会で取ったノートの整理などは、まだほとんど手つかずの状態なので、 明日からぼちぼちやろうか、と。数論幾何学の研究集会なので、俺サマには よくわからない講演が多かったが、それでもこの分野のムードというか、大体 どんな雰囲気のことを議論しているかを知ることは重要だと考えている。

3年前のトロント、一昨年のマインツ、去年のワルシャワ、今年のボンと、 数論幾何学関係の研究集会への潜入を繰り返してきたけど、まあ、この分野も 色々な話があるんだなと、果てしないものを見る思いである。

2014年6月13日(金)
<<研究集会最終日>>
西ヨーロッパの6月の陽気である。朝夕は涼しく、昼はすこし汗ばむが、湿度が低く汗はどんどん乾いていくので、ハンドタオルが要らない。

本日、研究集会最終日。10時から18時まで講演が4つ。昼休みは3時間と 長かったが、遠くのメンザに昼食に行って、中央駅前のスーパーで水のペットボトル のデポジットの払い戻しをして、駅近くの銀行のATMで銀行カードでのユーロの引き出し が出来るかどうか動作確認をして、 さらに久しぶりにGALERIAという全国チェーンの デパートの中を見て回って、懐かしいドイツの日常生活の息吹に触れ、ミュンスター 教会でしばし瞑想して、、、といった調子であっという間に午後の講演の時間が来た。

研究集会が全て終了した後、街に出掛けて夕食。ボン最後の晩餐は、 昼休みにみつけたケバプの店で済ませる。ちょっと塩気が強いドイツのケバプの 懐かしい味を楽しむ。

夕食後、早々に切り上げてホテルに戻って明日朝の出発に向けて 荷づくりなど。ようやくボンでの生活が楽しくなってきた頃にお別れになりましたな。 それは去年のワルシャワでも一昨年のマインツでも同じか。3年前のトロントは、 あまりそういうことは思わなかったような気がするな。やっぱりヨーロッパの方が 面白いってことだな。

2014年6月12日(木)
<<怨念のマックスプランク制覇>>
西ヨーロッパの6月らしい、からりと晴れ渡った気持ちの良い一日。気温も 日中すこし汗ばむかなといった程度。湿度が低いので、多少暑くても気にならない。

本日研究集会3日目。講演は10時から18時まで。朝は大学街みたいなところ の市場調査。シュパーゲルの季節は6月24日までと決まっているそうだが、 年度によって多少の変化があり、今年は天候条件が良いため解禁が 早いという情報をネットでゲット。ならば例年より早めに終わることもあるかも、と。

それでスーパーや八百屋の類を、見つけ次第片っ端から潜入して調査した。 結果は、シュパーゲルは店によっては少数売られているが、季節はもう終わった という雰囲気が濃厚。レストランなどの店前に出ている「おすすめメニュー」を見ても、 シュパーゲルという言葉は全然出てこない。まあ、やっぱり季節は終わったのでしょう。

それからFBの友人が、シュパーゲルは高すぎると騒いでいるので、本当に そうなのか確かめるために、値段も調べてみた。するとトマト、玉ねぎ、きゃべつ、 なす、リンゴなどと比べて、1キロあたりの値段が2〜5倍程度し、野菜としては かなり高い方だと判明した。

昼休みはメンザで昼食の後、ホテルの戻って昨日写生した絵にすこしだけ手を 加えたり、ビールの空き缶のデポジットの払い戻しを受け取りに中央駅の店に 行ったりしているうちに終わる。

19時からはマックスプランク数学研究所(MPI)で開かれたレセプションに出向く。 俺サマはその手の社交行事は大嫌いだし、ボンの街にも慣れてきたので、 夕食のレストランを捜すのも苦労はしない。しかしMPIと言えば、俺サマの 数学者嫌いと対数学者ひきこもりのきっかけとなった、あのMPIである。

ふ、ふ、ふ。MPIの連中め。まさか俺サマが、5年前に馬鹿除け選考で はねて、「馬鹿はあっちへ行け!」と追っ払った、あの馬鹿の高山とは知るまい。 油断したすきに俺サマはMPI主催の研究集会にもぐりこみ、それを 足がかりとして、まんまと今日研究所に潜入したのである。

レセプションは最初、狭い空間に大量の参加者がひしめいていたが、 時間とともに1人また1人と帰っていって、しばらくすると酒を取りに会場を移動 するのも何とかスムーズに行けるようになった。

最初の関係者の挨拶がやたら長いのは、ドイツ式だと思われる。 オスナブリュックで以前似たような形式のレセプションに参加したときも、 そんな感じだった。「ほんの一言だけ、たった一つのことだけに絞って、 ご挨拶に代えさせていただきます」と切りだして、延々と10分ぐらい喋り まくったり、といった調子。挨拶は長いほど格調が高くて良いという、昔の 日本みたいな考え方があるようだ。

しかもマイクロフォンの音響など全然気にしない連中なので、後ろの方の俺サマは ほとんど何も聞こえない状態で30分ぐらいじっと突っ立ってた。 しかし、それが終わると立食形式で自由歓談に 突入した。別に話をする人も居ないし、腹ごしらえはすぐに終わった。

あたりを見回すと、、、ああ、あそこに軍手とマスクの日本人オジサン がいるな。あっ?もう帰っちゃった!とか、ああ、あの若い賢い日本人の 兄ちゃんら、今、MPIに招聘研究員で来てるのか。やっぱり馬鹿の 俺サマとちがって、彼らは馬鹿除け選考なんて一発でパスしたんだろうね、、、 とか何とか。

それで、あとは、折角馬鹿は入れないMPIに潜入できたことだし、この際だから、 建物のあちこちに俺サマの馬鹿菌をふりまいてやって、5年前の恨みを晴らしてやろう ではないかと、建物のあちこちを嗅ぎ回った。

5年前の馬鹿除け選考で、俺サマが真っ先に「あ、こいつ、馬鹿だ」と弾かれ てたのに、半年以上放置して、俺サマが変だと思って問い合わせたときに、 、「いやー、ゴメンゴメン。(馬鹿のことなんて)すっかり忘れてたよ」というノリだった 担当者の部屋も見つかった。よっぽどドアの所に五寸釘で藁人形でも打ちつけて おいてやろうかと思ったが、そんな手回し良く藁人形と五寸釘を準備できるぐらいなら、 苦労しないのである。

外から見たら古い建物だが、中は超モダンな数学研究所に改装されている。 エディンバラ大学や東大の柏キャンパスにある数物研究所も同じような設計思想で、 あちこちに数人程度が集まって議論ができる共用スペースがあり、最上階まで吹き抜 けで研究所内の物理的見晴らしもすこぶる良い。パリ大学のジュシュ数学研究所も、 吹き抜けこそないが、まあ、似たような雰囲気である。最近はそういうのが流行りなの だろう。そういう意味では、京大数理研の建物は、今や閉鎖的で古臭い設計の部類 になっている。

最後は、馬鹿の俺サマがこの研究所に足を踏み入れるのは、今日が最後だろうな と悲しいことを考えながら、研究所の建物を出た。21時を過ぎていたけど、 ヨーロッパの夏時間のため、まだ日本の18時台の明るさである。

2014年6月11日(水)
<<ボン研究集会2日目>>
明け方激しい雷雨があり、一気に涼しくなった。午前中は時折小雨がばらつき そうな雲ゆきだったが、涼しいのは大いに結構!と喜んでいたのだが、 午前の講演が終わってメンザに昼食に出た頃にはすっかり上天気になっていて、 午後には気温もぐんぐん上がった。しかし昨日までの異常な暑さではなかったけど。

今日は10時から講演が始まるが、8時半頃にホテルを出て1時間ほど 偵察飛行してから会場に向かう。ボンといえば、観光ガイドには中央駅東側の ミュンスター広場やベートーベンハウスのあたりが定番だが、駅の西側は 少し住宅街が続いた後、ボン大学の近くまで行けば、大学街とも言える賑やかな 街並みがある。3年前にオスナブリュックから日帰りで偵察飛行しにきた時は、 全然知らなかったのだが、今回の研究集会で「大学近辺で食事ができる所」の 案内を見て、初めて知った。やっぱり地元の人に聞いてみるものである。

昼休みは昼食以外に、ビールや水の空缶やペットボトルのデポジットの 払い戻しのためにあちこちの店を回った。メンザやスーパーにはデポジットマシン があって、空き瓶や空き缶を入れると自動的に識別してデポジットの計算書が プリントアウトされて出てくる。それをレジに持って行けばデポジットを返してもらえる。また、 駅のキオスクのようなところだと、レジに直接空き缶、空き瓶を持っていく。

問題は、そこの店で扱っている品物の空き缶、空き瓶でないと受け付けて くれないこと。メンザの機械では全部はねられ、駅前のスーパーではそこで 買った水のペットボトルだけがOKで、ビール缶ともう一つの水のペットボトルは 駅のキオスクまで行かないと駄目であった。

午後も講演を3つ聞く。休憩時間に偵察飛行していたら、日本人参加者は 少なくともあと2人居ることがわかった。これで若い人は4人以上、年寄りは俺サマを 含めて2人参加していることになるが、まだまだ居るかもしれない。 アジア系の顔した人は沢山居て、中には東南アジア系かなという人もいる。 俺サマは日本人に似た顔は全部中国人と思うことにしているので、まだまだ 日本人の若い人が居るかもしれない。ただ、こういう研究集会に来そうな年寄り の顔は全部知ってるつもりなので、年寄りはやはり2名で打ち切りのはずだと思う。

18時に今日の日程が終了したので、ホテルで荷物を置いてから、 写生に出掛ける。明日も明後日も時間が取れないので、今日が最後のチャンス。 夕食はその辺でサンドイッチなどを買って済ませ、ボン観光定番の ミュンスター広場のベートーヴェン像の周りの風景を描いた。 俺サマ的には、もひとつ気に入らない作品になってしまったが、 道行く人が足を止めて、「綺麗だね」とか何人かの人に褒められた。 数学だと、馬鹿の俺サマがいくら頑張っても誰も褒めてくれないが、 それに比べると、大道芸人画家は3日やったらやめられないね。

ホテルに戻ってから、この研究集会にも来ている某大先生に 質問メールを出す。3年前の黙殺大魔王(奴もこの研究集会に来ている!)事件 以来、数学者サマに質問するのがとことん怖くなってイジケテるのだが、 「ま、俺サマの質問メールは例によって黙殺されるかも知れないけど、黙殺は想定内。 何か返事が来たら儲けものさ」、ぐらいの気分で出してみる。

2014年6月10日(火)
<<ボン研究集会1日目>>
いやはや、今日も暑い一日であった。朝、ニュース番組を見ていたら、公衆衛生局み たいなところのお医者さんが、熱中症(Hitzschag)に対する注意を呼び掛けていた。 特に子供や老人は水分を沢山取れ、と。何だ日本と同じではないかと思ったけど、 暑い時は無理せずにエアコンを使おうとは言わない。その第一の理由はたぶん、 ドイツにはレストランや役所などの、限られたところにしかエアコンがなく、 通常の家庭は暖房(Heizung)しかないからと思われる。それに湿度が低いから、 汗が自然のエアコンになってくれる。

今日からボン大学数学科大講義室で研究集会。9時からレジストレーション で、パスポートのコピーなどを取られた。10時から12時半まで講演が2つ。昼休み は14時半までで、それから1時間お茶の時間のあと15時半から18時まで、また 講演が2つ。暑いので、お茶の時間には水ばかりぐびぐび飲んでいた。日本に いる時は、こんな飲み方はしないというぐらい、コップ1杯の水を一気飲みして、 お代わりまでするといった具合。 さすがにこの暑さの中なので、冷やした水が沢山置いてあったのは有難い。

日本の参加者は3名が確認された。1人は若い人で、俺サマが 知らないもう1人の同じく若い人と、珈琲ブレイクの時に日本語で話して いたから、その人も日本人だろうと推察した次第。もう1人は俺サマと似たような 年代の人で、その人は日本では常に指の部分を切り落とした軍手と、 口のところだけ覆って鼻は露出した状態のマスクという格好だが、 ドイツではマスクも軍手もしないらしい。何だ、根性のない奴だなあ、と。

19時から22時まで、ボン市内の大学クラブハウスでバンケット。 フルコースを立食形式とテーブル形式の混合形態で提供すると、料理が 置いてある部屋が小さな出入り口1つでテーブル席の部屋に繋がっている という構造上、フルコースの順序は保障されない。俺サマの場合は、 メインディシュ、スープ、サラダ、デザートの順になった。どうもこのクラブハウスは いつもこの形でやっているようなので、フルコースの順序なんて、あんまり 気にしてないのだろう。

俺サマにとって、何と言っても退屈極まりないこのバンケットという ものが頭痛の種だが、 俺サマがつけている名札のRitsumeikan Universityというのを見て、 珍しい名前だなと声を掛けてきた人が2名居た。一人は数学者で、 俺サマがRitsumeikanは京都の大学だと言うと、自分も京大に行った ことがあるが、そこの誰それという数学者がどうの、そいつがこういうことを 証明したのだが、自分はそれに関連したこういうことを証明したというような ことを延々と話していた。あーっ、何か面倒臭い奴につかまってしまった なあ。京大の数学者ってのも、俺サマがよく知らない分野の聞いたことの ない人の話だったので、ふーん、って顔してたら、自分は昔そういう分野を やってたことがあるのだと言って、ぷいと向うに行ってしまった。 やれやれ、やっと解放された、と。

もう1人は某偉い数学者(この集会に来ている俺サマ以外の数学者は 全部エライ人ばかりである)の奥さんで、やはりRitsumeikan Universityって 聞いたことがないけど、どこだと聞いてくるので、京都の大学だと答えると、 自分も夫の出張についていって京都に行ったことがあるが、Ritsumeikan は知らないという。それで、Ritsumeikanの数学科は小じんまりした応用志向の 弱小学科で、数理ファイナンスが少し有名なところだと答えておいた。 その後、何ということもない世間話をぽつりぽつりといった感じ。

バンケットは22時までだったが、21時過ぎにはデザートも終わっていたので、 こっそりと退散。

2014年6月9日(月)
<<聖霊降臨とシュパーゲルツァイト終了>>
ドイツに到着したのは日曜の夜で、この時はもうどこの店も開いてない。 しかし今日は月曜日だから、明日の朝から始まる研究集会の 会場であるボン大学のキャンパスを確認し、 スーパーで必要な雑貨や水やビールなどを仕入れ、 その辺のレストランや軽食レストランで昼食や夕食をとり、 ボン中央駅で帰りの電車を確認し、 暇があればミュンスター教会を偵察飛行して、さらに気が向いたら 写生でもしようか、と。

それで時差ボケの影響で6時前に目を覚まし、7時にホテルで朝食をとり、 8時にホテルを出て偵察飛行に出た。

しかしどうも街の様子がおかしい。ドイツの住宅街は道路が広いので、夕方から翌朝の時間帯は、車道の端が近郊の集合住宅の住人の駐車場になる。しかしながら、 当然月曜の朝8時台ともなれば、皆が仕事に出掛け、駐車している車はまばらな はず。しかし、9時に近づこうとしているのに、ほとんどの車は駐車したまま。

8時過ぎのボン大学はしっかり閉まっていた。平日は9時から開店の店も、 9時直前になっても開店準備をしている様子がない。 これはおかしい。地球の歩き方にも今日が 祝日とは書いてなかったから、何かこの地方特有の(臨時)祝日なのか。

祝日ならば、教会でミサをやっているはずである。それでミュンスター教会 に潜入したら、予想通りやっていた。しかも、50分に及ぶかなり力の入った ミサで、聖歌はいくつも歌うわ、司教の説教はいやに長居わ、キリストの血を 象徴するワインも飲んでたし、キリストの肉体を象徴すると言われる海老せんべい のような「パン」も全員に配布された。さらにはさい銭用の袋も回ってきたし、 何かの拍子に全員が隣近所にいる人と握手をし始めた。

これはまさにクリスマスのミサに匹敵する力の入りようである。これはただごとではないな、と思って後でホテルに帰って調べてみたら、昨日の日曜日は聖霊降臨祭 で今日はその月曜日という特別な日で、全ドイツの国民の祝日だとわかった。 これはキリスト教徒にとってはクリスマスやイースターと並ぶ重要な祝日のようだ。 イースターと同様、年度によって日が変わるため、2015年の聖霊降臨祭しか 出てない「地球の歩き方」だけを見ていた俺サマは気づかなかったというわけだ。

スーパーも閉まっているし、ボン中央駅は小さくてエッセン中央駅などに ある立派なスーパーマーケットの類はなく、昼食はそこのサンドイッチ店などで 適当に買って、駅のホームで済ませた。

夕食はシュパーゲル料理をと思ったのだが、結局シュパーゲル解禁期間は 昨日までだったらしい。それをあるホテルのレストランに入って聞いた時は、 衝撃が走った。今日はまさかの祝日で、しかもシュパーゲル解禁終了の翌日とは! 2年前にマインツに出張した時は、ちょうど9日にドイツを 発つ1週間早いスケジュールだったので、たらふくシュパーゲル料理にありつけた のだが。聖霊降臨祭の前と後で、こんなに世界が違ってしまうとは。。。

これだけあちこちの店が閉まりまくっていると、どれがどの店か よくわからない。スーパーやケバプの店も沢山ありそうだが。ケバプは イスラム教徒の店だから、聖霊降臨祭は関係ないはずだし、 元々ボンには少ないのかしら。そんなわけで、店舗の調査は空振り で、結構時間が余ってしまった。 というわけで、写生を2枚。昼食前に1枚、夕食前に1枚。

しかし今日も一日暑かった。気温は30度を超え、真夏のよう。 日本の夏と違って、湿度が低いのが救い。

2014年6月8日(日)
<<ボンに到着>>
13時15分のルフトハンザで関空を発ち、現地時間17時40分にフラン クフルトに到着。飛行機の中では、たらふくワインを飲んで腹が痛くなるほど たっぷり昼食を食べ、その後、到着2時間前の夕食の時間まで、ほとんど寝ていた。

フランクフルト空港駅からICEでSiegburg(ジークブルク)まで50分ぐらい。 そこで路面電車STR(Strassenbahn)に乗り換え得て20分ちょっとぐでボン中央駅 に到着。ホテルは駅の近くなので、20時20分にはチェックイン完了。

フランクフルトでは乗り継ぎがないので、パスポートチェックを通れば あとはバゲッジクレイムで荷物を取って、鉄道の駅に向えばよい。これは楽である。 乗り継ぎをするとなると、また身体検査で、行列に並んで、時計や財布を外し、 鞄からパソコンを別に取り出し、、、みたいなことをしなければならなくなる。 それが無いだけ気楽だ。

しかし面倒なことが1つある。 俺サマのパスポートには、ドイツに半年滞在した時の滞在許可証が 貼り付けてあり、パスポートチェックのお兄さんは、必ずそこで目を止めて、 「ドイツに住んでたことがあるのか?今はどうなんだ?」と聞いてくる。 去年ワルシャワに出張したときも、一昨年マインツに出張したときもそうだった。 「これまで3回合計1年半ぐらい 住んだことがあるが、今度は短期の仕事だ」と答えないと無罪放免にならない。

バゲッジクレームでは、俺サマのスーツケースが真っ先にベルトコンベアーに出て きた。これはなかなか珍しいことで、まあ、ラッキーといえばラッキーである。

次は鉄道の切符を買うのだが、これが少し厄介である。ドイツの券売機は、 受け付けるお札の種類が限られている(5、10ユーロ札のみ)上に、 札の好き嫌いが激しい。結局、券売機では買えず、みどりの窓口に相当する ところで買うことに。ここはいつも窓口が沢山あるけど、実際には1人か2人 しか係員が居ない。今日はイギリスから来たオバサンが、何やら係員に食ってかかって いた。イギリスではこうだと言われていたのに、こちらに来たらそうなってない のはどういうことだ?というような内容のようだったが、係員は 「イギリスはそうかもしれないが、ここはドイツだ。国が違えば多少は やり方が変わることは御理解いただきたい」というようなことを言っていた。

それやこれやで、電車を2本逃した。

まあ、そういうことはあったが、色々なことが起こって、ホテルに到着 できるのは早くて22時頃かなと想定していたが、それよりも遥かに順調 であった。

2014年6月7日(土)
<<ボン出張出発前夜>>
アンチュチュの日。10時から12時半まえフランス語の授業を受ける。 7月からの夏学期のパンフレットが配布された。このままだと次は上級 クラスだが、そこでは大量の文章を読まないといけないらしいし、 土曜日の午前というキツイ時間帯も継続される。

俺サマとしては、フランス語の数学論文を読むには苦労しないレベルだし、 それ以上の新聞だの小説だのを読めるようになるよりも、日常会話ができる 方が急務である。むしろ中級レベルの講座で映画の中の会話を理解するような 講座の方が良いのだが、教授会の日と重なるし、どうしようかな、、、と。

昼食は新福菜館府立医大前店。飛行機が落ちたら、これが最後の新福菜館に なるんだなと思って、一口一口心を込めて食べる。

昼食後、とりあえず自宅に戻り、出張のための荷造り。とは言っても、もう ほとんどすることはないのだけど、何か忘れてることはないかとゴソゴソと。 1カ月以上の長期滞在だと、足りないものは現地調達すれば良いので、 パスポートとE-チケットの控えとお金やカード類をちゃんと持ってさえすれば、 あとは適当でいいのだが、タイトスケジュールの1週間の出張だと、そうも いかないこともあるので、色々気になってしまう。

再び百万遍界隈に繰り出し、アンチュチュで少し時間調整の後、 今度は寺子屋で16時40分から18時10分すぎまで、ドイツ語の授業を 受ける。ドイツ語も、ずっとドイツに滞在している時はいいのだが、 日本に入るとドイツに入る間は当たり前のように使っていた単語をぼろぼろ 忘れてたりするのが悲しい。

まあ、簡単なドイツ語やフランス語の小説などを読む趣味があれば、 日常的に使う単語はそうそう忘れないのだろうけど、俺サマは数学書以外は てんで読まない人だからどんどん言葉を忘れていく。それは日本語でも当てはまる ことで、人の名前や漢字は使わないとどんどん忘れる。

帰宅して夕食の後、また少し荷づくりなど。パソコンなどは自宅を出る直前 まで使うので、なかなか「これで完了」とはならない。

明日も早起きして関空に向かい、午後一番の便でフランクフルトへ。 そこから鉄道でボンに移動。うまく行けば、夜もそう遅くならないうちに ホテルに到着できるかな、って感じ。一応ホテルには23時チェックインと は伝えてあるけど。

2014年6月6日(金)
<<午後は卒研ゼミ>>
午前中は自宅で少し数学。昼頃自宅を出て、山科区内で昼食の後、 大学に出勤。

14時から15時前まで卒研ゼミ。今日は一般線形群が射影変換群を 誘導することの証明。まあ、初等的な内容だけど、今日も広中先生の 深い講義をしみじみと味わうことができた。

ゼミの後、研究室に戻って学科長メールを書いて送り、今ちょっと読んでいる 図書館で借りたフランス語の本の必要部分をコピー。ドイツ出張の際、飛行機 の中でも読もうか、と。ついでにこの本を研究費で買おうかと思って、友隣社の在庫 を調べる。何と、こんな有名なテキストなのに絶版だと。変だなと思って さらに調べると、俺サマが学生の頃には既にGTMで英語版が出ていると判明。

それで帰宅するときに大学の図書館に寄ってGTM版を借り出し、 帰りのバスの中でちょっと眺める。うーん、英語版だと、何となく有難味がない なあ、、、って、そんな問題でもないか。

俺サマはミーハーだから、ブルバキの可換代数でもフランス語版の方 を好んで買ってるし、EGAの英語版が出ても、たぶん手を出さない。 何たって、「有難味がない」からね。

それにしても、代数幾何学や数論幾何学関係のちょと古いけど古典的重要文献 は、フランス語で書かれているものが多い。だから、せっせとアンチュチュに通って フランス語を習う意味があるのだが、ドイツ語の文献となるとさっぱりである。 いまどきヒルベルトやネ―ターやリーマンやワイエルシュトラスやクンマーの 原論文を読むことはないし、ましてやガウスに遡ることもない。

帰宅して野暮用の後、夕食。その後、出張の準備をちょっとだけやったり、 フランス語の宿題の残りを大慌てでやったり、明日のドイツ語の予習をやったり。 海外出張の前日はゆっくりしたいものだが、明日は早起きして 終日語学漬けのハードな一日。明後日もかなり早起きしないといけないし、 明日の夜の最終荷造りが順調に行けばいいのだけど。。。

2014年6月5日(木)
<<高校生相手に模擬講義>>
9時半に大学に出勤せよというので、俺サマ的には早起き土曜日よりも さらに1時間早く起きて出勤。通勤通学ラッシュに巻き込まれ、南草津 駅から大学まで、通常10数分で行けるところを、30分かかった。 まあ、それでも15分ぐらい早めに大学の某施設に到着。

今日は大阪の高校から、50数名の生徒がやってきて、午前中は俺サマの 模擬講義を受けて、午後は大学見学ツアーという催し。まあ、アレですな、 ビール工場に見学に行くと、担当の人が見学コースを連れて回ってくれて、 出来たての美味いビールも飲ませてもらえるらしいけど、それに似てると いえば似てるな。まあ、俺サマの模擬講義が「出来たての美味いビール」に相当 するかどうかは、知らんけど。

え?何の話をしたのかって?いつものやつですよ。代数方程式とガロア理論 と題して、3,4次方程式の解の公式を見せて驚かせ、最後にダランベールだの ラグランジュだのアーベルだのガロアだのの名前を出して煙に巻くというやつ。 高校2年生相手の70分の講義だと、このあたりが限界。数理科学科の1回生 相手の入門講座だと、さらに簡単な3次方程式のガロア群を見せたりするけど。

模擬授業を終えて研究室に戻り、昼食。13時から14時30分まで、 2回生「代数学序論I」の講義。今日はn次対称群の定義をやってから、 3次対称群について、演算構造、要素の位数、部分群を求めてみせる。 そこでラグランジュの定理を証明なしで使ったのだが、最後に時間が少し 余ったので、剰余類の定義をさらっと示し、これがラグランジュの定理の 証明や、剰余群や剰余環の概念に応用されるのだとコメントして終わる。 次回は、剰余類の話をやって、ラグランジュの定理の証明を終える予定。

講義の後、研究室にもどって一息ついてから、大学を発つ。 これがちょうど高校生の下校時間と重なったらしく、山科駅に降りたら おびただしい数の高校生も下車し、改札口が溢れ返っていた。 ふと見ると7割以上が女子生徒。どこかの女子高の制服なのか、 ちんちくりんのスカートを履いた、色気づいた小娘たちの 洪水に飲みこまれる。「君たち、学校の先生に服装チェックされないのか?」 とか、「そんなちんちくりんのスカートで、お父さんは何も言わないの?」 とか、色々年寄り臭いフレーズを考えて遊ぶ。あくまで、考えただけ。

大丸ラクト山科店で、今月のおススメ赤ワインを1本買って 帰宅したら、「学科長、これをなんとかしろ」メールが沢山 飛んできてたので、「そんなん、知らんがな!」メールで蹴散らかす。

それから週末のボン出張の準備を少しだけやって夕食。その後、 夜はラクトスポーツプラザ。今日は骨盤矯正ヨガと有酸素運動。 帰宅後も出張準備をごそごそと。何か忘れてないかと、何となく落ち着かないな。

2014年6月4日(水)
<<俺サマは真面目で親切な先生なのさ!>>
10時40分から12時10分まで、3回生「複素解析I」の講義。 今日は前回間違った証明を説明し直し、複素平面内の曲線上の積分値が 端点のみで決まるための必要十分条件について話した後、矩形の境界上の コーシ―の積分定理の話に入り、定理のステートメントを書いたところで 時間切れ。次回は、この定理の証明。

研究室に戻って一息つき、しばし雑用の後、13時前に生協食堂 に昼食をとりに出掛け、研究室にもどってしばし数学。

14時から16時前まで、留学院生ゼミ。今日は空間有理曲線の具体例。 有限生成環やその準同型、準同型写像について知らない(!)というので、 その場で講義。ついでに空間有理曲線の例への応用についても解説。

まあ、卒業した学部が数学科ではないみたいだから、しょうがないか。 外国の研究者の中には、そういう人がちょくちょく居て、学部では計算機科学 を専攻してましたとか、修士までは電子工学やってましたとかで、 それから5年制のPh.Dコースに入って、卒業するころにはちゃんと可換環論 だの代数幾何学だのの研究者になっている。

ただ、そういうPh.Dコースは、最初の2年間はひたすら日本の学部レベル の数学をしっかり勉強させるというプログラムがちゃんとできてるみたい だ。Ritsにそんなものはないので、俺サマが個人的にシコシコ教える ことになるが、これが実は俺サマ自身の勉強になるから、1人ぐらいなら この調子で面倒見てけばいいかと考えている。

そう、俺サマは真面目で親切な先生なのさ!というのは表の顔で、 例によって実は「ふ、ふ、ふ。この学生をダシにして、自分が勉強してやろう」 みたいな事ばかり考えているってわけ。

ゼミの後、また研究室で少し数学の後、帰宅して夕食。夜は少しだけ数学。

2014年6月3日(火)
<<面が割れては窮屈だ>>
大丸ラクト山科店で昼食用のパンを買って、昼前に出勤。研究室での昼食を 挟んで、学科長関係の雑用を片付けたり、ドイツ出張関連の準備作業をしたり、 研究室の文献ですこし調べものをしたり。

13時より学科長会議。13時30分に終了。研究室に戻り、学科長関連の メールをいくつか書いて流し、明日の講義の準備を少しやってから帰宅して 夕食後、夜は少し数学。

夕方、国内某有名数学研究所(と言えばもう特定されたも同然だが) からメールが届き、何事かと思ったら、数年前の国際研究集会 の参加者の集合写真に貴方が写っているが、これを研究所の公文書に掲載 してもよいか、もし差し支えがあれば、何日までに知らせられたしという内容。

「差し支えがある」と言ったら、俺サマのところだけモザイクがかかったり するのだろうか。モザイクだと、まるでタリバンに破壊される 前のバーミヤンの仏像みたいな感じになって、俺サマの好みではないな。 昭和の昔はモザイクではなく、目のところに黒い筋を一文字入れて隠した。 これだと怪しさ百倍で、いかにも表沙汰にされては困るような後ろめたいこと がありそうな雰囲気が出て、よろしいのだが。

いや、まあ、公刊されても差し支えはないのだが、何で写ってるのが俺サマだと 分かったのだろう?と、どうも腑に落ちない。確かに写真に写っている人の中 には、俺サマと面識がある人が20名ぐらい居る。そのうちの半分ぐらいは、 今度会ったときに「どうも!」とか挨拶したら「あんた、誰よ!?」って 睨みつけて来きそうだけど、まあ、理性的に考えれば、彼らのうちの誰かが 研究所の関係者に、「ここに写ってるのは高山だ」とチクったとしてもおかしくはない。 しかし、気分的にどうもしっくり来ないのである。

彼らは数学者だから、俺サマが馬鹿だということは知っているわけだし、 数学者にとって、馬鹿は存在しないも同然である。だから俺サマが写ってたとして も、それは心霊写真のようなもので、「これ、誰?」「さあー、よく見掛ける 顔だけど、誰だっけ?ま、誰でもいいんじゃない?」で終わってもよさそうなものだ。

実際、写真には誰が誰かという名前のリストもついていて、そのなかの2名に ついては「??」がついている。彼らは馬鹿だから「??」マークになっている とは考えにくいので、何か他に理由があるのだろう。いいなあ、俺サマも 謎の中国人の心霊写真ということで、「??」マーク扱いにして欲しかったなあ。

馬鹿なのに面が割れているというのは、窮屈なものである。 馬鹿は誰も見てないところで好き勝手に馬鹿やってたいので、俺サマが よく「数学者にとって馬鹿は存在しないのと同じ」というのは、実は俺サマ自身 の願望が17〜23%程度込められている。

実際のところは、馬鹿が変なところで存在感を発揮して、数学業界をかき乱さな いよう、静かに、かつ、(馬鹿が伝染するといけないので)遠巻きに監視され続けて いて、「お前はちゃんと監視されてるんだぞ」と釘をさす意味で、 写真についての問合せメールが送られてきたのではないかと勘ぐったりして、 遊んでいる。

2014年6月2日(月)
<<キャッシュカードのブロック解除>>
午前中は、いつもは木曜日の夜にやっている、「構造数理セミナーI(代数編)」 の演習問題作りを片付けて、担当の先生にメールで送る。木曜日の午前は、 大学で高校生相手の模擬授業だが、これの準備も終わっている。明日 は学科長会議だけで教授会はない(はず)。学科長会議の議題にもよるが、 水曜日の学科会議はなるべく無しで済ませたいところ。

と、まあ、こんな感じで、8日(日)の ドイツ出発に向けて、特に何というわけでもないけど、できるだけ スケジュールに余裕をもたせるべく、やれる事を前倒しでやってるって 感じ。この1カ月ぐらいなんとか片付けてしまおうと思ってた論文も、 昨日投稿してしまって、後は野となれ山となれで、気分はぐっと楽になった。

午後は街に出て、まずは新福菜館府立医大前店で昼食。流石にこう暑いと、 客もまばらである。それから、念のためATMでキャッシュカードの動作確認をしてみようかと、烏丸四条の某銀行へ。あれ?「このカードは使えません」だと? 係員に聞いたら、2年間使ってないのでロックされているとのこと。

海外出張の時に現地でお金を下ろすためだけにしか使わないカードだが、 去年のワルシャワ、一昨年のマインツでは結局1度も使わなかったような気がする。 だとすると、3年前の8月のトロント出張以来だな。あの時は、パスワードを3回 間違えてブロックされて焦ったが、使わないでいるだけでもブロックされるとは、知 らなかったなあ。こういうことがあるから、やっぱり来て良かったな。 それで早速ロック解除の手続きを済ませる。

現地でも同じ手続きができるかも知れないが、10年以上前に似たような トラブルがあって、エッセンの現地法人に行ったら、これは日本で 作られたカードだから日本に問い合わせてくれ、みたいなことを言われたような 気がする。となると、音声がブチブチに切れて話しづらいスカイプで日本に電話して、 手続きをするのも厄介な話だ。

それから四条通りを歩き、JEUGIA四条店を偵察した後、 ジュンク堂書店で地球の歩き方「ドイツ」の 2014,15年度版を購入。以前は各階にレジがあったような気がするが、 今日行ったら1階だけの集中レジになっていた。これは改装後のJEUGIA 三条本店も同じで、店舗の経営効率化策として、最近の流行りのようだ。

その後、上島珈琲寺町通り店へ。平日のためか、けっこうすいていた。 例の「数学者席」でしばし数学。山科の数学オバサンも来ていた。

帰りはラクト山科の文房具店で、スケッチブックを購入。 今回の研究集会は、中日午後の遠足もなく、朝の10時から夕方の18時まで びっしり講演が詰まってるし、ボンに1週間滞在してて、 絵描いてる暇があるかなあ。まあ、暇は作ればきっとある。サマータイムで 夕方は長いし、昼飯抜いたり、晩飯 をテキトーに早めに済ませれば、どうにでもなる。あとは描く気が起きるかどうか が問題か。

マクドナルド裏のベンチには、例の「良いOさん」が今日も魚缶で夕食を とっていた。シャツもいつものとは違った色目のものだし、散髪したのか、 頭もさっぱりした感じになっていて、最初はわからなかった。 しかし、良く見ればいつもの魚缶を食べているので、それとわかった。

帰宅して夕食のあと、夜はラクトスポーツプラザ。今日は楽しいZUMBAと 筋トレ。常連でよく来ている若い男が、同じく最近良く来ている若い女をナンパ していた。その男とよくつるんでいる別の男も、やはりジムで声を掛けられて 仲良くなったらしい。まあ、そんな感じで知りあったと思われる常連同士が、 結構挨拶しあったり雑談を交わしたりしている。

俺サマもよく顔を合わせる同世代ぐらいのオジサンに、時々挨拶されたり 声をかけられたりすることもあるが、必要最小限の返事しかしないし、 「お前、一体何者じゃ?何の用事や?」みたいな 顔して睨みつけてやるので、それ以後は何も言ってこなくなる。

2014年6月1日(日)
<<ドイツ出張の荷物仮詰め>>
午前中は京都新聞日曜版の2つのパズルをやっつけてから、 来週の日曜日に出発するドイツ出張の荷造りを始める。今日のところは、 衣類と写生道具と電源アダプター、常備薬、目覚まし時計、手回し回中電灯 などを仮詰めする。

自宅で昼食の後、午後は山科駅前まで散歩がてらに出掛け、ラクト山科などで 買い物。旅行用品や食料品、酒などを購入。

ラクト山科といえば、ひと頃まで毎日のように姿を見掛けた、「あーあ、何に もすることがないなあ」オジサンをとんと見掛けなくなった。もういい歳だから、 どうにかなってしまったのかも知れんな。

最近は、マクドナルドの裏のベンチで17時半頃に、魚の缶詰などで 夕食(?)を食べているオジサンがいる。ホームレスって感じでもなさそうなのに、 何でこんな所で毎日夕食をとるのか謎である。俺サマはこのオジサンを 「良いOさん」と呼んでいる。それは年格好と風貌が「悪いOさん」に似ている からであって、勿論俺サマはこの人と話したこともない。だから、本当に 「良い」人なのかどうかも知らないのだが、「悪いOさん」より悪い人間が この世に居るとも思えないので、「(比較的)良いOさん」で間違いではなかろう。

勿論、「悪いOさん」とは誰のことだ?ということについては、ここには書けない。

その後、山科駅前Sbuxで午後の珈琲を飲みながら しばし数学。帰宅して一息ついてから、今度は自転車で別の所に買い物に 出掛け、衣類や食料品を購入。帰宅後、夕食。

夜はしばし数学。

そういえば、今年は天安門事件25周年だそうだ。もうそんなに経つのか、、、 俺サマも歳を取るはずだな、と。あの頃の俺サマは、まだ 会社員で計算機屋やってたから、ずいぶん前といえばそうなんだけど。

天安門事件の数カ月後、俺サマはロンドンの国際会議で研究発表するついでに、 エディンバラ大学の研究集会にも参加した。今でもそうかも知れないが、当時 プログラム理論関係ではエディンバラ大学が世界最高峰だった。そこで博士号を 取ったばかりの新進気鋭の中国人計算機科学者で、当時俺サマも大変注目していた 男に会い、エディンバラのベジタリアン・レストランでのパーティーでも一緒になった。

とても快活でオープンな人で、餃子のことを中国語では「チャオズ」と言い、 具は地方や家庭によって色々だといったことを教えてくれたが、 天安門事件の話題になると流石に口が重くなって、「あの事件のことを、 我々はマスカットと呼ぶんだ」とだけ言っていた。