邪
魔
な
広
告
よ け ス ペ ー ス で す。
2004年7月15(木)
<<むにゃむにゃ>>
絶好調のHerzog先生の昨日の予想は、Herzog先生とT氏の両者がそれぞれ反例
を見つけたため、没となった。昼食時、Herzog先生はまた新しい予想を思いつ
き、昼休みはまた彼の話の相手をする。今度はかなり行けそうな気がするけれ
ど、昨日の話と同様に私の守備範囲からはちょっと遠いなあという感じ。ま、
適当に「会話」はフォローして、時々茶々を入れるとして、細かい点を詰める
のはT氏に任せることとしよう。
その後、14時から1時間程アハードさんの院ゼミに付き合う。ゼミ終了 後、Herzog先生は優先順位第1位か2位の「娘との約束」のため、さっさと帰っ てしまった。
さて、ここらで今回のドイツ滞在を中間総括してみよう。第1回目の今日 は滞在時期について。
今年度にドイツ留学するにあたっては、学内ですこし揉めた。留学希望者 として夢見るH先生と競合してしまったからである。高山、お前は年寄りだし (理学部は工学部とは逆で若者優先の原則がある)、馬鹿だし、半額シールだ し、むにゃむにゃ(?)だから引っ込め!翌年度にしたらどうだ、という話は あった。しかしHerzog先生は今年度一杯で定年退職して、数学をやめて映画監 督を目指すはずだから、1年違うと話が大きく違ってくる。と、いうことで、 何とかならないかなあと思っていたら、色々な人に動いてもらって何とかして もらえた(ああ、立命館っていい大学だなー、ホント)。
ところが、こちらに来てから「Herzog先生は今年一杯で定年退職でしたね」 と聞いてみたら、「博士課程の学生がまだ居るし、むにゃむにゃでむにゃむにゃ だから、定年はあと5年延長してもらえた」と、”過去の学説からの自由”状 態であることが判明。定年延長とはそれはそれはご同慶の至りで、数学界全体 にとっても大変喜ばしい限りであります。しかも、映画監督への準備期間もたっ ぷり取れて、満を持してデビューと同時にアカデミー賞を狙うのも夢ではない ですね云々とばかりも言ってられない。「だったら学内でひと揉めしてきた私 は一体何だったのか。」
しかも今年はHerzog 先生の出張の嵐の年に当たってしまって、折角日本か らやってきても、ほとんどの期間プリンターも図書館も無い所でぼーと留守番 しているだけという状態だったから、無理して今年来ることはなかったのかも 知れない。
しかし、来年度に延期してたら本当にうまく行ってたかどうかは神のみぞ
知るだし、こういうものは行ける時に少々無理してでも行っておいた方が良い
というのも真理だと思う。だから、今年ドイツに来たのがタイミングとして良
かったのか悪かったのかは、何とも言えない。
写真は先日行った近所の床屋。真中が入り口で、向かって左が床屋、右が
パーマ屋。床屋のオヤジは60代前半ぐらいで、何やかやと客の機嫌を取るよ
うな事をぼそぼそ話し掛けてくるが、勿論私は聞き取れない。バリカンで坊主
頭にしてもらって、髭剃り・洗髪無しの超高速15分の仕事で12オイロ(1
500円ぐらい)というのは、この辺りでは高い方らしい。例えばエッセン中
央駅の床屋だとその半額ぐらいだが、そういう所ではチップ(Trinkgeld) を払
うべきか否かという問題で悩まないといけないのがちと面倒。ちなみにチップ
については、「どんな場合も別に悩まなくても全く問題無い。12オイロの所
では、むしろ悩まない事を勧める。その半額の所は、悩みたければ悩んでみる
のもよかろう」というのが大家さんの意見であった。
2004年7月14(水)
<<頭が壊れる>>
エッセンは相変わらず京都の3月下旬である。曇り時々雨。まあ、しっとりと
していて良いではないか。
Herzog先生の鬼の連続出張もしばらく休止である。そろそろ出張疲れも癒 えたとみえて、何だか絶好調である。本日急病でダウンしたシンシャンの代講 などで朝から3コマ連続で講義をしたにもかからわらず、16時ごろからS大 T氏を含めた3人の「会話」では、例によってい色々なことを言い出し、いつ の間にかどう手をつければよいか全くわからない予想をひねり出し、さらに色々 なことを言いながら何となく証明の道筋を思いつき、あれよあれよという間に 非常に単純で手がつけられそうな問題に帰着させてしまった。その勢いはいつ もの帰宅時間である17時を過ぎてもとどまるところを知らず状態だったが、 奥さんからの「早く帰って来い」電話でもって18時に強制終了。 うーん、凄い。凄すぎる。。。
ところで、会話はバトルである。1対1ならば相手は私のペースを無視す ることはできないが、3人以上だと私だけ取り残される可能性は十分ある。取 り残されないようにするためには、押しが強くなくてはいけない。押しが弱く 声が小さく大人しい性格(!)で基本的に協調性というものが欠如している私 は、基本的にどんな会話でも(例えば飲み会などでも)3人以上の会話では引 いてしまう習性がある。無理して会話について行くのが邪魔臭くなるからであ る。
数学者として成功するために協調性は不要だが、声が大きくて押しが強く て頭が切れれば、かなりいい線まで行けるのではないかと思う。声は小さい、 押しは弱い、それらをカバーできる頭の切れが無いとなると、かなり厳しいこ とになるかも知れない。
ではどのぐらい「厳しいことになる」かは、私がよく知っている。 数学での「会話」では、上記性格的弱さに理解の遅さが加わって、ますま す「不利」になる。今日の「会話」でも、途中30分ぐらいの間は自分の頭が 壊れてしまったのかと思うぐらい、何をどう議論しているのかさっぱり理解で きず閉口した。その後の30分でやっと追いついたって感じ。別にそう難しい 事を話していたわけではないけれど、生の数学の「会話」は数学の論文のよう に正確無比ので明快な表現を心掛けているわけではないし、途中で「あれ、そ れは何故かしら?」とかひっかかっているうちに、話の筋道が見えなくなるの である。1対1の会話だと待った!が掛けられるが、3人以上の会話だとそう も行かない。こういう「会話」はくたびれるな。
2004年7月13(火)
<<法螺吹き名人>>
エッセンはまだ春である。薄手のセーターとコートを着て出勤。曇り時々雨。
Herzog先生によると、今年は冷夏で、いつもは「もう少しまし」なのだそうだ。
まあ、私は割合天候に関しては適応力がある方なので、今年のドイツの天気も
悪くないなあと思っている。
午前中は昨日のT氏との「会話」に関連した計算機実験を少し。昼食時 Herzog先生がある予想を唱え始め、最初何を言っているのかさっぱり理解でき なかったのだが、昼食後のお茶の時間を経てようやく問題の意味を理解した。 その後部屋に篭ってぼんやり考えたり、反例を構成してやろうと計算機実験な どをやっているうちに、その予想を信じたくなる気持ちが何となくわかってき た。それから間もなく、予想は私が先日証明した公式から直ちに導かれること が判明した。証明は本質的には3行。式を2つ書いて2行、「両者を見比 べれば明らか」と書いて3行。勿論本当はもっときちんと書かないといけない のだけど。ま、間違ってないことを祈るばかりですが。
さて、学生時代の私は数学が出来なくて結局会社員への道を選んだのだが、 学生時代に自分の数学的能力の限界を明確に理解し、自分にはこういう限界が ある、これは脳の欠陥とも呼べるものだから、無理して数学をやっても駄目だ ろうと納得していた。それは、「こういうスタイルの議論をしている時に、こ ういうことがどうしてもわからない」と非常に具体的に指摘できるような類の 「限界」である。ところが今の私は、学生時代にどうしても超えられなかった 「限界」をあっさりと超えている。今振り返れば、ある程度精神的な成熟を待 てば自然と超えられるような「限界」だったのだろうと思う。優秀な当時の学 友達は、既に数学を理解するに十分な精神的成熟を遂げており、当時の私はま だ精神的に未熟だった。それだけの事のようだ。
では私の数学的能力の本当の限界とは何か。どうも問題を見出す能力のよ うである。これって数学者としては結構致命的であるが、今更じたばた してもしょうがないので、あまり気に病まない ことが肝要である。
誰かが「こういう事は成り立たないだろうか」と問い掛けてきた時、 その問題が美しく良い問題かどうか判断することはできる(判断が正しいかど うはは別問題)。さらに、その問題が私の手が届くレベルのものである限り (これは非常に強い制約条件ではあるが!)、反例を構成するなり、適当な解 を見出すなりすることは、どうにかこうにか出来るようだ。しかし、「こうい う事が成り立つのではないだろうか」という法螺を吹く事ができない。これが 「問題を見出す能力の欠如」の意味するところである。
Herzog 先生は法螺吹きの名人である。100個ぐらい法螺を吹くぐらい朝飯前である。 ほとんどは純然たる法螺だが、 そのうちの幾つかは「当たり!」である。法螺が吹けるということは、論理や 計算を超えた所に何かが見えるということである。私には何にも見えませんよ。 それは、集中して何か見えないかと目をこらす努力を あまりせずに、唯ぼんやりしているのが好きだからかしら。
そういえばこの1年ぐらいの私は、煎じ詰めれば、どうすれば良い法螺吹 きになれるのか。法螺吹きを目指すのは私には無理なのかという事を考えつづ けてきたような気がする。
2004年7月12(月)
<<「会話」は重要だ!>>
今日からエッセン大学に通うS大Tさんと一緒に出勤。午後の前半はHerzog先
生とTさんの3人で、後半はTさんと私の2人で「数学的な会話」。私がこれ
までまともに「数学的な会話」をしたのは、Tさんを含めてたった3人である。
この中にはHerzog先生が含まれている。
Herzog先生との「会話」と他の2名との「会話」との一番大きな違いは、 Herzog先生の場合「これはどうなるんでしょうね。わかりませんね。何かいい アイディアはありませんかねえ。うーん」と沈黙している時間がほとんど無い ということである。彼はとにかく「じたばた」する。よくそんなに色々な事を 思いつくものだと感心するのだが、こう考えてはどうか、ああ考えてはどうか、 と休む暇無く色々な事を言い出しては、黒板を前にして計算したり証明を試み たりする。そして何も思いつかなくなった時が、その日の議論が終る時なので ある。これが彼の数学のスタイルなのであろう。
これは私としては楽である。ああなるほどそう考えるのか、あれ、そこは こうなるんじゃないかしら?といった調子で聞いていて、後でゆっくり彼のア イディアを検証したり、自分のアイディアを温めたりすれば良い。今回の滞在 では、彼が各週で出張し2週間続けて彼の顔を見たのは4月の下旬に1回だけ といった調子なので、そういう時間はたっぷりある。
それに対して「うーん、どうなるんでしょうね」という沈黙の時間は私に とっては少ししんどい。そういった場合大抵「会話」の相手は、その場で考え れば何か思いつくかも知れないと考えている。少なくともそういう信念と自信 を持っている。ところが私はその場で考えて何か思いつけるなんて夢にも思っ ていない。どんな問題でも、最低一晩以上温めて、それから何日かかけて折り に触れて考えているうちに、ひょっとしたら少しわかりかけてくるかも知れな いといった感じである。かくして「会話」において何かしらの問題が浮上した 場合、相手は深い思考を開始し、私は相手の思考の進展を待ちながら思考停止 しているといった図になる。沈黙の時間が長くなってくると私は退屈し始めて、 今晩は何を食べようかなとか、テレビ番組でいいのがあったかしら等々のろく でもない事を考え始めるのである。
かように私はひとりで篭って考えたがる習性が根強い。しかし篭ってばか りではロクな事を考えないから、「会話」は重要だ!というのが最近の私のス ローガンなので、折角の機会だから頑張って「会話」しようと思う。
2004年7月10・11
(土)
<<彷徨説>>
金曜の
デュイスブルク偵察は、時折ドイツにしては珍しい激しい雨に見舞われる天候
の中、決行された。アハードさん達のドイツ語講座の教室の前までついていっ
て、そこで彼らと別れ、こじんまりしているけれども、まるで公園の中に建っ
ているような、しっとりとした雰囲気のデュイスブルク・キャンパスをひとと
おり見てまわり、その後デュイスブルクの中心街へ。やはりここも、エッセン、
ボッフム、ケルン等と同じような、この辺りの商工業都市って感じである。写
真はデュイスブルク中心街にある、布団やクッションの店。北ヨーロッパは雨
(や雪)が多いようだが、雨のヨーロッパが美しいのは、曇り空に映える商店の灯りが
一役買っていると思う。
特に白熱灯系のものが良い。
街歩きが好きならば、雨は必ずしも悪天候を意味しない。
土曜日から二週間の予定で、日本からS大のTさんがHerzog先生を訪ねて エッセンに滞在するということだったが、何故か一日早く金曜の夜到着。私の アパートの下の階に宿泊することとなった。彼は週末どうするのかなと思って いたら、既に金曜日の夜から音信不通・消息不明。部屋で突然死しているのか? 事故に巻き込まれてどこかの病院に搬送されたのか?国際犯罪組織に拉致され たのか?それとも野宿でもしながら何処かを彷徨っているのか?色々な説が飛 び出し、大家さんやHerzog先生らと大騒ぎしていたのだが、結局 (野宿はしてなかったそうだが)「彷徨説」が正しく、本人は日曜深夜に上機嫌で無事帰宅。
そういえばTさんには、2つの事を教わった。ひとつは電車の1等席と2 等席は、値段と座席の色が違うだけで十分であること。多くの人が馬鹿馬鹿し くて1等席に座らなければ、「電車が込んでいても、少し余分にお金を払えば 必ず座れる座席」が作られるわけである。1等車はガラガラである事に価値が あり、特にゆっくり座って行きたい老人などには重宝なのである。
もうひとつ教わったのは、日本でも国立大学などは開講期間中に3週間ぐ らい海外出張することは可能だという事。3週間分どこかで補講をすれば良い らしい。学生数と担当講義数の多い私立大学で3週間分の補講はかなり難しい し、立命館では開講期間中の海外出張は1セメスター1週間1回しか認められなかったはず なので、てっきり日本では不可能だと思っていた。ま、井の中の蛙だった わけですな。
土曜午前は掃除・洗濯・アイロン掛けなど。午後は少し数学をやって、
夕方はシュテ−レの街を散歩。日曜日はTさんの件で大騒ぎをするかたわら、
少し数学をやって、夕方頃またシュテーレを散歩。写真はエッセン・シュテーレ
の街角。こういう、ちょっと典型的なドイツっぽい建物はこの辺りでは
そう多くはない。
2004年7月9(金)
<<十分ぬるい>>
本日最高気温は20度を下回り、小雨がぱらつき肌寒い。朝のテレビで、今年
の夏は何時くるのだ?と、アイスクリームがさっぱり売れない海岸や、雨の中
の散歩は好きだから全然気にしてないわよ、などと言っている婦人のインタ
ビューなどをやっていた。これは今年が冷夏だということなのか、それとも例
年通りで、毎年この季節になると「夏は何時くるのか?」と騒いでいるのか、
どちらかは知らない。
ところが熱帯ニッポンは今蒸し風呂だそうである。それを思うと、やはり 夏は涼しい北ヨーロッパで過ごすに限るな。今年はその長年の念願がかなった わけだから、プリンターが無くても、図書館が意地悪でも、教授天国でも何で も良いではないかという気もしてくる。街がもうちょっと綺 麗で、例えば夏のエディンバラあたりだったらもっと良いのだが、まあ贅沢は 言うまい。
本日午前中は計算機実験を少し。面白い現象を見つけたけれど、何故そうなる
のかは不明。午後はドイツ語講座を受講するためにデュイスブルク・キャンパ
スに向かうアハード夫妻に同行し、デュイスブルクの大学と街を偵察してくる
予定。
写真は、客員研究員にはとことん意地悪図書館と、真のペーパー・レス社会を目指す超不便オンラ
イン・プリンターと、開講期間中の教授の出張は何回でも無制限にオッケー!
で御馴染みのエッセン大学。ドイツの大学にもゆっくりと改革の波が押し寄せているらしく、エ
リート大学育成計画とか、学費完全無料制の見直しとか、硬直した大学教員育
成制度の手直しとか色々な話があるようだ。しかし、日本の大学で吹き荒れて
いる嵐にくらべれば、十分「ぬるい」な。それが良いことかどうかは、何とも
言えないけれど。
2004年7月8(木)
<<食べ尽くす>>
気を取り直して朝から計算機実験。午前中の実験は失敗。昼食後学生寮
Bröcke付属カフェでコーヒーを飲みながら作戦を練り直し、夕方近くによ
うやく思うような例をひとつ構成する。前途多難である。
イランから来たアハー
ドさん夫婦は、勿論ムスリム(イスラム教徒)である。ムスリムは酒を飲んではい
けないし、豚を食べてもいけない。つまり、ビールもソーセージも駄目だし、
それ以外のドイツ料理も口に合わないようだ。メンザで一緒に昼食をとってい
ても、シンシャン(夫婦)と私という、何でもうまそうに食べ尽くす中国人と
日本人たちを尻目に、いつも不味そうに突っつき回しているだけで、ほどん
ど残すことが多い。
あれじゃあ、折角ドイツに居てもつまんないだろうなと思 うけれど、本人達はそうでもないのかも知れない。アハードさん夫婦の郷里は トルコに近い北部らしく、食事もトルコのものに近いらしい。そしてドイツに はトルコ人移民が沢山居て、トルコ人が経営する店も珍しくない。だから、ト ルコ料理や食材を集めるのは簡単なようで、彼らは自宅でたっぷりと好きなも のを食べているようである。
写真はドイツの(たぶん)小学生。色々な人種が
混じっていることがわかる。
2004年7月7(水)
<<バインド・フック>>
七夕である。昨日に引き続き、少し夏らしい良い天気。気温は京都の5月下旬
並。本日のメンザでは特別メニューと称して「バッファロー・チキン(Buffalo
Hot Chicken Wings)」が出たので、今は亡きS藤先生を偲んでそれを選んだ。
S藤先生の
論点ブロック(*) その1と
して、「本物のバッファロー・チキンはこんなんじゃない!俺は(アメリカ合
衆国ニューヨーク州)バッファローに居て本場のバッファロー・チキンの作り
方を知ってるんだ。今度作ってきてやる」というのがあった。しかし15年以
上に渡る彼との付き合いの中で、S藤バッファロー・チキンは一度も振舞われ
ることはなかったのである。という事で、思わず日本の事を思い出してしまっ
た。今日のチキンの味が本場バッファローのものと同じかどうかは、知るよし
も無い。本日終日研究ノートの整理。手詰まり状態の計算機実験の方は夕方頃
ちょっとだけ。
写真は悶絶!驚異の殺菌
灯トイレでお馴染みのマエッシュ書店エッセン店がある建物。正面玄関のところが
円筒形の吹き抜けになっているところが特徴。この部分が無ければ、
四条河原町高島屋と区別がつかない(んな訳ないか)。
HEMAという雑貨
店が一緒で、最初はマエッシュの一部かと思っていたけれど、それは間違い。
あとこの建物には薬局とフィットネス・クラブも入っていて、後者はちょっと
興味を持ったのだが、山科ラクト・スポーツクラブのように公立の安価な所で
はなく、私立の年会費制のところのようなので、私のような短期滞在者では割
高になってしまうと考えて、見送っている。しかし一応どんなシステムか話だ
けでも聞いてみたいと思ったのだが、何せドイツ語が聞き取れないので、まだ
実行してない。たぶん実行しないままで終ると思う。ドイツ語が聞き取れれば、
世界がうんと広がるはずなのに、返す返すも残念である。何か、こちらに来て
から、ドイツ語が出来ないことを嘆いてばかりいるな。(数学が出来ない事は
嘆かないのか?ま、それは今更嘆いてもしょうがないので、考えないようにし
てますけど。)
* 元々は司法試験受験
生の間で使われていた、定石基本問題に対する論述式模範解答例を表す業界用語。
厳しい制限時間の中で、その場で考えて自分で論理を組み立てて解答を構成し
ていたのではとても間に合わないので、論点ブロックをあらかじめ覚えておい
て、それをいくつか組合せて解答を速く作成すべし、という受験必勝理論があるとい
う。「チャート式数学の例題と解答を暗記しておけば、立命館の数学の入試ぐ
らいなら楽勝です」とある学生が言ってたが(くっそーお!そんな事あるか!
と出題者サイドの人間としては吠えたいところなのだが)、それに似たような
話であろう。
転じてここでは、例えば鳥の唐揚げを「バッファロー・ウイ
ング」と称して売っている店を目にしたといった、特定の事象が発生したとき、
その場で何か考えて発言するのではなく、あらかじめ覚えておいた台詞を何度
でも繰り返して話すことを指す。最大の特徴は「再現性」で、同じ事象が発生
する限り、何度でも同一の台詞が飛び出すのである。これはよほど記憶力
に優れた人間でないと、真似できるものではない。
OSなどの計算機開発関係者ならば、「バインド・フック」とか「割り込み処理」と言えば雰囲気がわかるかも知れない。
そう言えば、S藤先生が健在だった頃はよく、「ああ、またこの人バインド・
フックしている」などと溜息をついていた事を懐かしく思い出す。
2004年7月6(火)
<<嘘八百>>
最高気温は22度ぐらいで晴天。珍しく良い天気である。学生寮付属カフェ
Brückeでは、屋外席が賑わっていた。こう毎日天気が悪く、何時晴れるか
予想もつかないとなると、たまたま晴れた日にはとにかく屋外で太陽を楽しも
うという彼らの気分も、だんだんわかってきた。
昨日の帰りに殺菌灯で身も心も殺菌!青一色トイレのマエッシュ書店の格 安コーナーで"Rückenschule" という、日本式に言えば「自分で直そう! 肩こり・腰痛」と言った感じの本を入手。激安5オイロ。どうも日本の整形外 科関係者の中には、「西洋人には肩こりという概念自体が存在しない」という 大嘘を広めている者が居るらしく、それを真に受けている医者も居るという話 を以前に書いたが、この本はその反例になるかも知れないと思って買った。ま だ、ちゃんと読んでないけれど、肩のマッサージをしている写真とか、肩こり 体操の写真とか、三角筋がどうのこうのとか書いてあるので、たぶん肩こりに ついても書かれているものと期待される。
私の 「駆け出し数学者ドイツに行く」にも、 色々嘘八百が書かれていると思う。例えば、ドイツ人はスーパーで人にぶつかっ ても「気をつけろ(Vorsicht!)」とは言うが決して謝らないようだ、という記 述。ゲーテの清少納言様に「そんなことないわよ」と一蹴されてよく気をつけ ていたら、確かにぶつかったら謝っている。別に悪意があるわけではないけれ ど、こういう嘘を100%無くすのは難しい。前回滞在時からごく最近まで、 ホッチキスというものが見当たらず、こちらの学生に聞いても「そんなの使っ た事ありません」などと言っている。論文のコピーやメモなど、簡単なクリッ プだけではすぐ外れてくるし、不便でしょうがない。何でこんな不便を放置し ているのかは不明である。それで、この日誌などに「ドイツ人はホッチキスを 使おうという発想自体が存在しないようだ」などと書こうと思っていた所で、 ふとHeftgerätという名で大学の文房具店に売っているのを見つけた。あ る所にはちゃんとある。「西洋人には肩こりが存在しない」という大嘘の舞台 裏も、似たようなものじゃないかしら。
本日、昨夜考えたプランにしたがって色々計算機実験してみるも、これと いった発見はなし。研究ノートを少し整理して、夕方よりオーバー・セミナー。 インドから来た数学者がリーマン面の双曲型ベクトル・バンドルがどうのこう のという話をしていた。
2004年7月5(月)
<<長足の進歩>>
REWEスーパーで食料品を少し買ってから出勤。出勤途中でドイツ・テレコ
ムT-Punkut の近く、ケネディー広場のCITIバンクに立ち寄り、家賃のた
めにT/Cを換金。いつもながら、ここはT/Cの換金に手間取る。大抵窓口の
職員は「AmexのTCなんて、うちで換金できるのかしら」(京都のCITIバンクで
買ったT/Cだから、できるに決まってます!!)と呟くことから始まり、次に
その事を知ってそうな別の職員に相談してそちらに回される。その職員も細か
い部分はどこかに電話を掛けて指示を仰ぎながらの作業である。
面白いことに、今日の窓口の職員AはT/Cの処理の仕方を知らず、仕事を 職員Bに回したのだが、ちょうど一月前にT/Cを換金しに行った時は、その 職員Bが「AmexのT/Cなんて、うちで換金できるのかしら」と呟いて別の職員 C(今日は見当たらなかったが)に回していた。彼らは日進月歩で進歩してい るのである。ああ、それなのにそれなのに、私のドイツ語はちっとも進歩しな い。じっと手を見る。
今朝も、道を歩いている時、車に乗った人から"Ist der Weg zu Bochner Strasse? (この道はボッフナ−通りに通じてるんですか?)" と聞かれたにも かかわらず、とっさには何を言われているのかわからず(道を聞かれているこ とぐらいは状況から推察できるが)"Na? keine Ahrnung (え?わかりません) " としか答えられず、どっと落ち込んでいたところにCITIバンクの職員が "Möchten Sie diese Schecks ablösen? (この旅行小切手を「償還」し たいのですね?)"などと聞いてきて、"ablösen"の意味がわからず、それ は何ですか?と聞き返した途端英語で「現金が欲しいのですね」と聞かれて、 益々落ち込んでしまった。くっそーお!換金したいんだからeinwechselnでい いではないか。何で人が弱っている時にablösen(償還)などという難しい単語を 使った上に英語で話しかけてきたりするんじゃ?! 何か英語で話されると 「負けた」って気分になってしまうなあ。まあ、こういうのは勝ち負けじゃないん だけどね。今度から英語で話しかけられたら「英語、わかりません」って 言ってやろうっと。
ところで、何故読み・書き・話しの力が3年前よりも格段に上がっている にもかかわらず、聞き取りの方が「さっぱり」なのか。話し言葉でも書き言葉 でも、3年前は各センテンスに必ず4〜5個の不明単語があるため、さっぱり 理解できなかった。今は、必ず1〜2個である。この数字だけから見ると一定 の進歩が見られるが、1〜2個の不明単語はほとんどの場合そのセンテンスの 中ではキーワードなのである。だから、辞書無しでリアルタイムに理解しなけ ればならないとなると、結局何を言っているかわからないのである。 ほとんど全てのセンテンスに対して確実に、うまい具合にキーワードの部分だけ 知らない単語が出てくるのだから、「貴方達ドイツ人は何か私に恨みでもあるの ですか?!」と吠えたくもなってくる。
昼前にやっと大学にたどりつく。午後は書き散らしたメモをもとにHerzog 主予想の証明を書き上げる。
2004年7月4(日)
<<ドイツの数学者>>
午前中はPC関係のつまらない作業で潰れる。何せリブートに優に5分もかか
るド阿呆PCなので、作業のほとんどは待ち時間。午後は数式処理ソフトで具
体例の計算。私のPCは、こういう計算だけは速い。それにしても、頭の悪い
人間には計算機は重宝である。「ほら、闇雲にいくらやってもうまく行かない
だろう。ここんところをちょっと考えてごらん。その理由がわかるよ」と、頭
を使うべき所を暗示してくれる。ということで、ちょっとした事が判明。始め
から頭使ってればすぐわかるような事だが、一応進展があったということで、
夕方はふらりと外に出る。気まぐれに適当にバスに乗ったり電車に乗ったりし
て、エッセン市内の中でまだ行った事の無い通りを偵察して帰ってきた。
日本は梅雨で蒸し風呂状態だそうだが、こちらは毎日曇り時々雨たまに気が向
けば快晴その直後にまた雨ところによって雷という天気で、気温は京都の4月
中旬程度で推移している。「ああ、今年は夏はなしだな」とHerzog先生。写真
のように、5月や6月にちょくちょくあった、からりと晴れた一日というのは、
どうやらこちらではとても珍しいものらしい。しかし亜熱帯の日本のように暑
くない事は、有難く思うべきであろう。
左は5月下旬のエッセン・シュテーレの街角。ここはエッセンの中心街よ
りもちょっと綺麗かも知れない。オランダ産極上シュパーゲルを調達していた、
土曜朝市が開かれる家具屋のクローガ−前広場は、このすぐ近くである。右は
3年前に電車を間違えて迷い込んだ、エッセン・クライ北駅の近くにある教会。
こんな上天気の日は、ここエッセンではちゃんと記念撮影しておくべき
貴重な一日なのである。
あと、色々思いついたことなど。
Herzog先生は時おり瞬間的に晩年のヒル ベルトそっくりの表情をすることがあり、おーっ!やっぱりドイツの数学者や なー、と思わず息を呑んでしまう。そういえば彼は、自宅に居るときは「せっ かちの塊」ではないみたいだな。
それと、シュパーゲルは6月24日を境に一 夜にして市場から姿を消すわけでもなかったけれど、2、3日前にREWEで 萎びれた質の悪そうなのが申し訳程度に置いてあったのを最後に、とんと見な くなった。私の冷蔵庫のシュパーゲルのストックもあと3,4本である。
あと、 20年間可換環論をやっている人たちに腰を抜かして驚いた件であるが、これ は数学と計算機科学の雰囲気の違いも関係していると思う。計算機科学業界と いうのはいい加減な世界である。例えば、あいつの言ってることはちょっとい かがわしいけれど、そのうちマトモなものに「化ける」かも知れないから、し ばらく様子を見てみよう式のおおらかさがある。そもそも何がマトモかという 定義自体が確立していないので、最初からあまりマトモだのマトモでないだの とゴチャゴチャ言わないのである。それにくらべて数学業界は何やかやと五月 蝿いので、色々気を遣ってしまう。私が座敷童を決め込みたがるのは、余計な 気を遣わずにただ数学を楽しんでいたいと思うからなのだろう。
2004年7月3(土)
<<魔笛>>
昨夜はHerzog先生が世界に誇るエッセンのAaltoオペラ劇場に、モーツアルト
のオペラ「魔笛(Die Zauberflöte)」を観に行った。チケットは既に完
売していたが、last minute Ticket (キャンセル待ちのような入場券)か何か
手に入らないかと期待して、またぞろ”お父さんのジャケットを来た子供”状
態で、Herzog先生と一緒に劇場に行ってみた。実にラッキーなことに、何かの
事情でちょうど2人分の入場券が不要になってしまい、買い取ってくれる人を
探していた人が窓口近くに居た。その人から、通常なら50オイロ以上する、
前から2番目の席の常連客用割引チケットを32.40オイロ(約4000円)
で手に入れることができた。
「魔笛」は初心者にもわかりやすいオペラ(Herzog先生談)らしいけれど、 歌も台詞もイタリア語ではなくドイツ語であるにもかかわらず(!!)ほとん ど聞き取れない私には、「わかりやすい」も何もあったものではない。しかし、 直前にストーリーをざっと調べておけば、十分である。上手な歌と音楽の見せ 場・聞かせ場が沢山あって、おー!凄い凄い!じょうずー!ぱちぱちぱ ちー(拍手)と単純に感動できるし、ただ観ているだけで何だか知らないけれ ど楽しい。オペラがこんなに楽しいものとは知らなかったな。オペラを知らずに 今まで生きてきた私の人生は、一体何だったんでしょう?
本日朝はゆっくり起
き、昼食を挟んで夕方近くまで家事を色々。夕方頃から、自宅に持ち帰ったP
Cで具体例の計算など。写真は、毎度お馴染み驚異の殺菌灯トイレのマエッシュ
書店の近くにある、ベデッカー書店。ここもゆったりとした感じの良い書店だ
が、店員が「五月蝿い」のが玉に瑕。何が「五月蝿い」のかというと、彼らは
私を見つけると必ず「何かお探しですか?(それとも、只見て回っているだけ
ですか?)」と聞いてくる。誰に対してもそうなのかも知れないが、どうも
「挙動不審で風体の怪しい男」扱いされているようでよろしくない(まあ、怪
しいんだからしょうがないけど)。3年前は、無精髭を生やした今よりも著し
く怪しい風体で店内をウロウロしてたのに、何も言われなかったのだけどな。
ただ、彼らから学んだ「只見て回っているだけ(Ich schaue nur an.)」とい
う言い回しはとても便利で、ベデッカー書店だけでなく他のところでも使って
いる。
2004年7月2(金)
<<特訓>>
午前中は1ヶ月ぶりにHerzog先生の大学院向けグレブナ−基底の講義。今日は
ヒルベルト関数のマコーレーの定理。午後はHerzog先生と「Herzog主予想」の
証明の検討の続き。どうやら証明は正しそう。証明も最終結果ももう少し改良
できそうなことも判明した。あと心配なのは、これが既に知られている結果で
はないかということ。もう一つ心配なのは、これから色々計算機実験で具体例
を調べているうちに「証明済みの定理の反例(!)」が見つかりはしまいかと
いうこと(勿論、この場合は証明が間違ってたことになる)。いずれの場合も、
そう珍しく無く起こりうる。
夕方からは「キャンパス・フェスト」というのが開かれるらしく、大学の 中庭は柵で閉鎖され、入り口では厳重な身分証明証のチェックが行われていた。 私は、中庭を通って別の建物のメンザに行き、コーヒーを買って帰ってくるま でに、2回も身分証明証(Ausweis)の提示を求められた。また身分証明証 (Ausweis)かよ、とエッセン大学意地悪図書館の事を思い出して思わずキレ てしまい、「何でそんなものを見せねばならんのだ」「俺はここの客員研究員 で、部屋の鍵も持ってるんだ」等々と目を釣り上げて吠えまくり、何とか切り 抜けた。しかし、ドイツ語が上達しないのに不貞腐れて最近全然ドイツ語を喋っ ていないので、かなり滅茶苦茶なドイツ語でまくしたてたことになり、後で、 自己嫌悪に陥る。それにしても、学生が集まってビールを飲みながらロック・ コンサートを聞くという類の催しに、これほど警戒しないといけないとはちょっ と驚き。日本の大学だったら完全無防備だけどね。
外国語は、喋れるのと聞けるのとどちらが大事かというと、勿論聞ける方 が大事だと思う。聞いてもさっぱり理解できないとなると、こちらが何か言う ことができても、相手がわーっと何か言い返してきたらもう終わりである。そ ういう状態だと、どうしても喋る方も億劫になってきて、結局喋る力も錆付い てしまう。英語の同時通訳の殴り込み通訳女史は、聞く方は順調に上達するけ れど、話す方の上達はなかなかだと言っていた。こういう人は将来有望で、比 較的早く上達するはずである。私は何時になったらドイツ語が聞き取れるよう になれるのかしら。少なくとも今回の滞在中は無理っぽいな。駅のホームなど で誰かが立ち話してたら、それとなく近寄って行って聞いてみたり、夜中に 秘密の特訓をしたりと、色々やってるんだけどね。
2004年7月1(木)
<<反省>>
昨夜のコンサートはまずまず良く、「毒」の解消にもいくらか貢献したように
思う。ハイドン、ショスタコヴィッチ、ブーラムスと続き、最後のアンコール
はモーツアルトで締めていた。最後のモーツアルトには図らずしも、「嫌いな
んだけど、その図抜けた才能に無理矢理興奮させられてしまう」こととなった。
性格はどうにも好きになれない天才数学者の凄さを近くで見せ付けられた時っ
て、きっとこういう気分なんだろうと思う。
正装の件は、Herzog先生がいったん自宅の戻って簡単に腹ごしらえと着替 えをする際に一緒に連れて行かれ、そこで奥さんが出て来て「今日の貴方の服 装には、このジャケットが良いでしょう」と有無を言わさずに一着借りる形で 決着がついた。Herzog先生と私では体型が違うので、”(大きな)お父さんの ジャケットを着ている(小さな)息子”状態になってしまったが、クラシック のコンサートでのジャケット着用はかなり強い社会的要請らしいので、着てないよりは うんとマシだったようである。
私は、ジャケットの件について、Herzog先生がすっかり忘れているものと 思っていたが、それは大間違いであった。これはまさにHerzog先生の人生にお ける優先順位第4位に入っている「音楽(含むオペラ)」に相当することであ り、数学、妻、娘の件と同様に抜かりは無かったのである。これについては私 は迂闊であったと思う。反省することしきり。反省して、昨日の日誌の記述を 一部修正する。
勿論Herzog先生も、ジーンズを紳士ズボンに履き替えてジャケット着用で ある。日本の数学者で彼のそういう姿を見た人は居ないのではなかろうか。私も年に高々 2回しかジャケットを着ない人間である。二人で互いに珍しがって、しばし相 手の「珍しい姿」の写真を撮りまくった。
本日朝一番でスーパーで買い物をしてから出勤。昨日の夕方「Herzog主予 想」が解けたような気がしたので、午前中はその証明を書き下し、その一部を 昼食後にHerzog先生と検討。残りの部分の検討は明日に残して、14時頃から アハードさんの院ゼミ。今日は局所コホモロジーに関するある論文の紹介。ゼ ミのあとは、証明の再検討など。証明がチョンボでないことを祈るばかりである。