の
た
め
の
邪
魔
な
広
告
よ け ス ペ ー ス で す。
2007年2月15日(木)
<<学科長逃走>>
今日も朝10時から断続的に学科長会議、教室会議、および教授会。その合間
に科研費を使い切るために事務に立ち寄ったり生協に行ったりしたし、図書館
で統計の本を借りたりもした。統計は自分の専門とあまり関係無いけれど、一
般常識として昔から一度勉強したかったから。それから、会議が早く終ったの
で、1年間の学科長生活で荒れすさんだ研究室の整理でもしようかと思ったが、
その爪痕の凄惨さに思わず息を呑み、自らの無力を呪いつつ、今日のところは
断念。さっさと大学から逃走し、17時頃帰宅。本日、不吉電話は無し。鬼の
居ぬ間の洗濯!とばかりに、長らく放置してあった論文レビューの仕事に着手
する。
「鬼に居ぬ間の洗濯」の友は、ザビーネ・マイヤー管弦楽アンサンブルの 「セレナード第10番 K.361 グラン・パルティータ」(モーツァルト) とポール・メイエらの"Les Vents Francais"の "Trios d'anches (リード楽器用三重奏曲集)" 。 le ventと単数形なら「風」だが、les vents と複数形にすると「管楽器」の意味らしい。 これは、英語のwind の複数形が「管楽器」を意味するのと同じ。 だから、Les Vents Francais は、「フランスの風」と訳すよりも、 「フランス管楽器奏団」とでも訳す方が正しいかも。
それにしてもポール・メイエはやっぱり、あーっ、おふらんす!って感じがして大変よろしい。 しかし、プンパーニッケルのようにどっしり重たいはずのドイツ・ロマン派に 殴りこみをかけた、ポール・メイエ&エリック・ル・サージュの 「シューマン・クラリネット曲集」は、シューマンをおふらんす風を吹くとこうなるのかって感じだけど、 どうもぴんと来ない。
あとは、モーツァルト「クラリネット協奏曲」のCDを聴きながら楽譜を 眺める。複雑な曲の聴き比べをするときは、楽譜を見ながらの方がわかりやすい ことを発見。
2007年2月14日(水)
<<学科長引篭>>
終日曇天か小雨の静かな一日。学科長人気者メールが1件。
今日も不吉電話はなし。おじさん憎悪症候群は相変わらず猛威をふるっている。
そういえば私の子供の頃は、「男は外に出れば七人の敵がいる」などと言 われていた。「七」は単に数が多いことを意味するらしい。確かに外に出れば、 雲霞の如くおじさん達が溢れ返っている。しかし、自宅に引き篭もっていれば、 おじさんと遭遇する危険は少ない。勿論、鏡は決して見ないようにしなければ ならないが。
あ、そうか。またも子供の頃の話だが、誰に吹き込まれたのか、鏡には普 段は目に見えない何か途方もなく恐ろしいものがふと映ることがあると信じて いて、それは一体どんな妖怪変化だろうかと怯えていた。鏡に映るもっとも恐 ろしいものというのは、要するに自分自身の姿だったのか。自分の気配を感じ ながら暮らす分には良いけれど、自分自身と向き合うのは恐ろしいことだ。な るほど。長く生きていると、時にこういう発見があって、少しずつ賢くなって いくな。まあ、別に少しぐらい賢くなったところで、どうってこともないのだ けど。
本日、ほぼ終日自宅にて数学。先日の雲隠れの時に書き殴った研究ノート の整理など。夕方、小雨の降る中を小一時間、散歩がてらに山科駅前ラクトまで 散歩。天気の悪い夕方で薄暗いから、例えおじさんが視界に入ってもよく 見えないだろう。よく見えないうちに目を逸らせば大丈夫だ、と。大丸デパー ト・ラクト山科店の地下食料品売り場と1階菓子売り場をうろつく。やっぱり デパ地下とかお菓子売り場は、いいもんだ。一昨日は、河原町三条の明治屋をうろつい たが、あそこもなかなかよろしい。
今日はバレンタインデーなので、大丸ラクト店1階菓子売り場はほとんど チョコレートの特設会場のようになっていて、おじさん、おじさん予備軍、お じさんの成れの果てはほとんど皆無。しめしめ、ここなら安全だと、人だかり の中に紛れ込み、しばしそこはかとなく漂ってみる。流石に昨日や一昨日より も人だかりは少なくなっているけれど、適度の歩きやすさと醜いものを見なく て済む安全性の両方が確保されるので、ちょうと良い。ついでにおいしそうな 抹茶生チョコがあったので、買って帰る。赤ワインと一緒に食べると、結構お いしい。
引篭もりの心の友は、 室内楽曲団コンソーシアム・クラシカムとディーター・クレッカーの 「四重奏・六重奏曲(ハンス・フィッツナー)」、 ディータ・クレッカーとヴァルデマール・ヴァンデルの 「ハイドン・クラリネット協奏曲集」、 ポール・メイエとエリック・ル・サージュの 「シューマン・クラリネット曲集」、 カリン・ドルンブッシュの 現代音楽集。 あとは、モーツァルト「クラリネット協奏曲」のCDを聴きながら楽譜を 眺める。
2007年2月13日(火)
<<学科長微妙>>
路上に溢れ返るおじさんの洪水にも負けず、早起き出勤。路上を向こうか
ら歩いてくる無数のおじさん達に、思わず恐いもの見たさで目が釘付けになる
のだが、次の瞬間吐気を催し、たまらずに目を伏せる。しかし、下ばかり見て
いては歩きにくいので、また前方を確認すべく遠くを見つめなおし、そしてま
たおじさんが視野に飛び込んできて目を伏せる。同じ事を繰り返しながら、何
とか山科駅にたどりつく。電車に乗ってしまえば、こっちのものだ。
10時から11時5分まで学科長会議。それから10分で資料の準備をし て11時15分から12時前まで教室会議。14時から15時までと16時か ら16時半ごろまでは、教授会の類の形式的な会議。
一日中会議をやらねばならないほど議論すべき事があるのかというと、 単に同じ議題で3、4回会議をやっているだけなのである。流石に1つの議題だけ で3,4回は間が持たないとみえて、(私からすれば)全くどうでも良 いような議題をひねり出して、資料を長々と読み上げて時間を潰すのである。 何のために?勿論、「皆で話し合って決めたんだから、結果がどうなろうとも恨 みっこ無しよ」という形にするために、である。よろしい、では私は全て白紙 委任することにしよう、と会議で内職に励む自由は保障されているが、 白紙委任して会議をさぼる自由が保障されているかどうかは、微妙なのである。
会議の合間は研究室に戻り、この1年で1000通以上溜まったメールの整理 など。ほとんどが学科長人気者メールで、勿論この中に瞬殺されたメールは含ま れていない。瞬殺メール供養でもやろうかしら。
ああ、それにしても仕事とはいえ、今日も沢山のおじさんを見てしまったな と、夕方はさっさと大学を離れ、京都駅前のアバンティーブックセンターや 旭屋書店で科研費の残りを消化した後、その辺で適当に夕食をとって21時ごろ 帰宅。
そういえば、今日、新たにアメリカ数学会から論文レビューの依頼が来て いた。これで3つ目だ。前の2つは1ヶ月ぐらい前に来たけど、学科長の仕事が 忙しいので放置してある。さらには去年の11月頃に書き上げて、手直ししよう と思ってそのままになっている論文もあるし。いつまでもぶらぶらしてないで 早く復活して仕事を始めなくっちゃ。(なんてことを書いていると、明日あたり にまたぞろ不吉電話が掛かってきて、再び学科長大騒ぎモードに突き落とされる のかしら。)
2007年2月12日(月)
<<学科長嘔吐>>
祝日なんだそうだ。どうりで街には人が一杯で、歩きにくかった。午前中に自
宅で30分だけ数学をやってみて「やっぱりまだ駄目だ」と思い、野暮用つい
でに午後一杯街を彷徨していた。
解毒できない汚染物質を大量の水で薄めるように、おぞましきおじさん達 の記憶を街に溢れる大量の見知らぬ人々を眺めることによって薄め、 お気に入りの店や画廊などを冷やか して回り、綺麗なもの、興味深いもの、不思議なものを見たり聴いたりするこ とによって、少しは気持ちが楽になった。挫滅し た末梢神経がゆるやかに回復するように。
それにしても、私のおじさん憎悪の感情は何時頃からどのように形成され てきたのか、正確にはわからない。少し前まではそうでもなかったような気がする。 実際、以前は男前が大好きで、男前と一緒に居ると自分も男前になったような 気になってくるから気分が良いとか言ってたのだ。 しかし、そんな暢気な事を言って喜んでいる間にも、おじさん嫌いの病魔 は私の心を少しずつ蝕んでいたようで、学科長をやって醜いものを短期間に高 密度に大量に目の当たりにし、いよいよ病状が顕在化してきたようである。
おじさんは美しくない。だから嫌いである。おそらくは街や職場や地域社会など で過去に何回か目の当たりにした、強情で頑固で理屈っぽくて底意地が悪くて 気難しくて強欲で居丈高で狭量で疑り深く小心で狡猾なおじさん達の、憎憎し くへの字に曲がった口や釣りあがった目が記憶に焼きついていて、それが軽い 殺意とセットになって私の無意識の海底に沈殿しているのであろう。それが私 の「おじさんは美しくない」という感覚を形成しているものと思われる。
おじさんだけではなく、おじさんの予備軍もおじさんの成れの果ても無差 別に嫌いである。街で店のショウウインドウにふと写しだされた自分の姿を見 ても、吐気を催す。「どこのむさくるしいオッサンや!あっちへ行け、あほ!」 と吠えたところで、自分自身からは逃れられない。
世の中の半分を占める、(自分自身を含めた)おじさん、おじさんの予備 軍、おじさんの成れの果てとどう渡り合って行けば平穏に社会生活が継続でき るかは、私にとっては今や重大問題である。悪魔がくれた猶予期間の間に、少 し考えてみようかと思う。おじさんは、逃げる準備を整えた上で、少し離れた 所から棒で突っ突くようにして付き合う分には、たぶん大丈夫である。この 辺りが、うまくやっていくためのヒントかな。
おじさん憎悪の心の友は、 あの!あまりにフランス的なポール・メイエ&エリック・ル・サージュが ドイツ・ロマン派を取り上げるとは珍しい(?)、本日入手 「シューマン・クラリネット曲集」、 六重奏第4楽章がストラヴィンスキーの「イタリア組曲」以来の病みつきになっ ている、室内楽曲団コンソーシアム・クラシカムとディーター・クレッカーの 「ハンス・フィッツナー:四重奏・六重奏曲」、 ディータ・クレッカーとヴァルデマール・ヴァンデルのクラリネット二重奏など の 「クラリネット協奏曲集(ハイドン)」。 あと、たモーツァルトの「クラリネット協奏曲イ長調 K.622」の楽譜を眺めたり。
2007年2月11日(日)
<<学科長放心>>
さらに一日の猶予を与えられ、悪魔の掌の上で生かされている私。まあ、
今日明日は学科長人気者メールは来ないと思うが、夜の不吉電話は日曜
祝日を問わす飛び込んで来る可能性があるので、要警戒。
人生に疲れ果て、もう何もしたくない私は、午後に山科区内で野暮用を行っ た以外は、もっぱら先日買ったモーツァルトの「クラリネット協奏曲イ長調 K.622」の楽譜を眺めながら、持っているCDを片っ端から繰り返し聴き、 放心状態で一日をすごす。
今日聴いたのは、バセットクラリネット復元版では、 ザビーネ・マイ ヤーの ベルリン・フィルとの共演と ドレスデン国立歌劇場管弦楽団との共演、カリ・クリークの タピオラ・シンフォニエッタとの共演のもの。 通常のクラリネット版では、ポール・メイエの イギリス室内管弦楽団との共演 およびラルフ・マンノの ワイマール国立歌劇場管弦楽団との共演。
協奏曲のCDは楽譜を見ながら聴いてみると面白い。最初はクラリネットのパート を目で追うので精一杯だけど、慣れてくると、少しずつではあるが、フ ルートやファゴットなどの管楽器やヴァイオリン、チェロのパートも見えるよ うになってきて、全体の様子が掴めてくる。
2007年2月10日(土)
<<学科長燃尽>>
悪魔は私にもう一日猶予を与えてくれたようだ。
本日ゲーテ冬学期最終日。例年だと、入試の採点でこの日のゲーテは欠席 しなければならないが、今年は学科長特権で採点免除。学科長やってて良かっ たことは、採点が免除されたこととWeb日誌ネタに困らなかったことぐらいで ある。対して、良くなかったことは数え切れないけれど、一言で言えば「人生 に疲れ果ててしまった」ことかな。
人生に疲れ果てた私としては、これ以上大学のあれやこれやに関わるのは 御免である。仕事の必要性が無い時までRits関係者の顔なんか見たくもない。 今日は入試採点の打ち上げ。これは数学教室にとっては事実上の職場の忘年会 だが、宴会嫌いの人が教室構成員の3分の1を占めることもあってか、教室の行事と いうよりは有志の飲み会といった性格のもの。まあ、採点免除者の私がわざわざ 出席することもあるまいと、瞬殺欠席でスポーツクラブへ。
何だか、しばらく何もしたくない気分である。 燃え尽き症候群ってやつか。
2007年2月9日(金)
<<学科長忘却>>
小雨のぱらつく一日。しかし私の心は快晴だ。科研費が少し残って
いたので、京大生協ルネで専門書を2冊購入の後、昼食。それから、
京大数理研図書室、喫茶進々堂、JEUGIA三条本店などを徘徊。夜、某学
術雑誌に投稿していた論文の受理通知が届いた。論文1本書いてどこかの
雑誌の審査に通すのは結構大変だけど、学科長会議でわけのわからない
宿題を押し付けられて頭を抱えたり、一筋縄で
行かないおじさん達相手に「話し合い」という名の神経ゲームの
司会進行をやらされることを思えば、楽なもんさ。
夜、滅多に見ないテレビでニュースを聞き流していたら、「懲役2年8ヶ月」という 言葉が耳に入ってきた。以前なら、2年8ヶ月なんて大したこと ないじゃんと、気にもとめなかったけれど、今は違う。 人間、よほど悪いことでもしない限り2年8ヶ月も学科長をやらされる ようなことは、あってはならない。そんなのをやらされた日には、人間 としての最低限の尊厳を掛けて、見えない鉄格子の中から「私が一体何 をしたというんだ?!私は貝になりたい!」と渾身の叫び声を上げ続け るしかない。
しかし今日一日、おぞましい学科長人気者メールも不吉な電話も掛かって こなかった。悪魔はもう一日私に猶予をくれたのだろう。よし、今のうちに書 いちゃうぞ。「終日学科長であることを忘れ、数学に想いを馳せながら街を徘 徊できるというこの一点に於いて、今日の私は幸福であった」、と。
JEUGIAでは、モーツァルトの「クラリネット協奏曲イ長調」の楽譜を物色。 どれも同じ楽譜に簡単な解説が付いているだけなのに、何故か値段が900円 から2200円まで幅がある。装丁が最もコンパクトで一番安いのを購入。
楽譜には、弦楽器や他の管楽器のパートの部分に加えて、バセットクラリ ネット用の楽譜と通常のA管クラリネット用の楽譜が上下2段組で書かれてい る。バセットクラリネットは通常のクラリネットよりも長くて低音域が広い。 ザビーネ・マイヤーは使っているけれど、あまり一般的ではないようで、普通 は、バセットクラリネット用でない方の楽譜が使われるようだ。
夜は楽譜と見比べながら、ザビーネ・マイヤーの 「モーツァルト・ドビュッシー・武満」で モーツァルトの「クラリネット協奏曲イ長調」を聴いてみる。 え?お前、楽譜読めたのかって?そんなの、気合いだよ、気合い。 人生、大抵の事は気合いで何とかなるのさ。学科長の仕事以外はね。
2007年2月8日(木)
<<学科長祝杯>>
学科長が大変なのは、要するに雑用の多さと精神的な負担の相乗効果にある。
ひとつひとつの雑用は大したことが無くても、それが恒常的に降りかかって来
ると流石に閉口する。それは例えば、こんな感じだ。ある季節に週2,3回蚊
に刺されるぐらいなら、ああ、嫌だな、ぐらいで済むだろう。しかし、毎日毎
日ブンブンと7〜8匹ずつ、1年365日毎日蚊に刺されなければならないと
すればどうか。7〜8匹というところがミソで、毎日500匹も蚊に刺された
ら3日以内にショック症状で死ねて楽になれるだろうし、2〜3匹程度なら体
が適応してしまうかも知れない。学科長というのは、ゴルゴダの丘の十字架に
縛られ毎日蚊に刺される生贄のようなものだ。
しかし、それだけならまだ良い。夏休みも春休みも関係無く毎週毎週会議 に引っ張り出される拘束感は大変なもので、じくじくと人間の精神を蝕む。そ して、どす黒い情念が心の一大暗黒帝国を築き上げるまでに、そう時間は掛か らない。私自身は偉大なる暗闇ではないが、今や偉大なる暗闇が私の心を支配 している。
最も大変なのは調整の仕事だ。教室構成員の思惑や立場を鑑み、適宜話し 合いなどを持って意見を纏めて行くのは結構気を使うものである。要は各案件 で求められている然るべき解が得られれば良いだけの話だ。簡単じゃないか、 と。私は気が短いので、自分でぱっぱっぱあーっと解を作ってしまい、お前ら ゴチャゴチャ言ってないでこうしろ、訳のわからん文句言う奴はシベリア送り だ!式にやりたいのだが、事はそう簡単ではない。私のように、ほっとけば絶 対に暴君となって暴れ回るような輩の暴走を阻止するため、学科長には何の権 限も与えられていない。かくして誰もシベリアに飛ばされはしない代わりに、 ある種の案件には必ず面倒極まる「調整」がつきまとう。大学人は、シベリア 送りになるかも知れないスリルよりも、神経が磨り減るような心理ゲームを選 んだという意味では、町内会と同じだ。
教員集団というのは町内会と同じで、厄介なものである。良かれと思って 提案したことを曲解してヘソを曲げる者も居れば、的確な状況判断のもとに立 派に「男気を見せて」くれる者も居る。まあ、私だって立場が変われば我侭は 言い放題だわヘソ曲げ放題だわで酷いものだけど。それやこれや清濁併せ呑み、 私心を排し最適解に向かって着実に前進しない限り、日付が変わる前に家に帰 れないし、悪夢にうなされない睡眠は約束されない。よろしい。敵を知り己を 知れば百戦危うからず、だ。俺サマで自己中でクールで瞬殺ぶちキレの超短気。 己のことはこれだけ知ってれば十分だな。じゃあ、「敵」は?
残念ながら、我らが数学教室構成員諸氏の精神構造は私には理解不能であ ることが、過去7年の経験で実証されている。彼らが物事にどういう風に反応 するのか全く予想がつかないし、長年の観察をもってしても法則じみたものも は何も抽出できない。 私に言わせれば彼らは「パンツ を履いた複雑系」である。複雑系相手では百戦とも危うい。かくなる上は、地 図には決して載っていないランゲルハンス島のミトコンドリア人との和平交渉 に臨むぐらいの気持ちでやらないといけない。いざとなったら、トンカチ頼み だ。今日の教室会議も、トンカチを持って臨んだ。
さて、学科長の仕事も今日で峠を越したと思いたい。町内会長の仕事で最 も厄介なのは、次の町内会長を選出する「調整」作業である。近代以前の社会 では、共同体の長老が神の宣託を受けて「生贄」を選んでいたというが、神無 き現代社会では「生贄」の選出は「話し合い」という名の最も過酷な神経ゲー ムの一つと化している。今日はそれに相当する教室会議を紆余曲折の末、無事 に終えることができた。毎日7〜8匹のブンブン雑用は、任期の最後の瞬間ま で執拗に私を追ってくるであろう。しかし、あと2ヶ月弱の雑用奉公だけなら 何とかなる。兎に角、峠は越したんだ、と。20時半頃に帰宅し、遅めの夕食 の後、ワインでささやかな祝杯をあげた。
ん?待てよ。 私は1月17日にも祝杯をあげた。 その時物陰で悪魔が微笑んでいたに違いない。そして翌1月18日の夜に、 「何だか知らないけどとんでもない出来事」の勃発を知らせる不吉な電話によっ て、私は再び阿鼻叫喚の世界に突き落とされたのであった。また明日から、 「その日」の到来を怯えてすごす死刑囚のように、一日一日をいとおしむよう に生きていくことになるだろう。
悪魔が微笑む祝杯の友は、 ディータ・クレッカーとヴァルデマール・ヴァンデルのクラリネット二重奏など 「クラリネット協奏曲集(ハイドン)」、 カリン・ドルンブッシュの 現代音楽集、 そして 室内楽曲団コンソーシアム・クラシカムとディーター・クレッカーの 「ハンス・フィッツナー:四重奏・六重奏曲」。
2007年2月7日(水)
<<学科長感涙>>
本日出勤せず。まる一日春のように暖かい良い天気だった。「終日学科長であ
ることを忘れ、晴天を愛でることができるというこの一点に於いて、今日の私
は幸福であった」と書き終える一日を夢見ていたのだが、さにあらず。折角人
が「ああー、いい天気だなー」とほのぼのしている所にも容赦なく学科長人気
者メールが一通飛び込み、あれをしろ、これもしろ、と。私の存在は、雑用の
無限大の掃き溜めとして正確に記述されている。たった一通でも見事に破壊さ
れる、ささやかな幸福感。
そういえば昨日は良いこともあった。同僚某先生が「高山さん、忙しそう ですし、その仕事私がやりましょうか?」と。まあ、どうってことも無いラク な仕事とはいうものの、何と優しいお言葉。地獄に仏。人の情が身に沁みると は、まさにこの事だ。世の中捨てたもんじゃないぞと嬉し涙にむせびつ、夕食 のために生協食堂へ行ったら、別の同僚某先生がやってきて、「高山さん、そ ういえば、昨日話し忘れてたんですけど」と、思わず笑い転げてしまうような 愉快な話をしてくれた。ちなみに、オレさまで自己中でクールな私は、滅多な ことでは本気で笑ったりはしないのである。愛だよ、愛!テロリストと学科長 の境目は、ひとえに愛の有無に掛かってるんだぜ。
午後は山科区内で野暮用。それ以外は2本の論文の改訂作業。その過程で 共同研究者や学術雑誌編集担当者らと頻繁にメールのやりとり。メールってのは、 こういう時に使うもんなんだぜ。
昨日の事を思い出す感涙の友は、 室内楽曲団コンソーシアム・クラシカムとディーター・クレッカーの 「ハンス・フィッツナー:四重奏・六重奏曲」の 連続3回聴き。
2007年2月6日(火)
<<学科長毒漬>>
ラクト山科ポールボキューズのサンドイッチを買って、昼前に出勤。13時か
ら15時前まで何十回目かの学科長会議。今日は年度末特有の業務連絡系の議
題が中心で、無理難題系宿題は出ず。いくつかの宿題はその場でちょいちょい
と仕上げる。その後、部屋に戻って雑務を色々やっているうちに、夕方の会議
をすっぽかしてしまう。
大学内部の会議や面倒な雑用をいかに上手にサボれるかは、研究時間の確 保に大きく影響する。熾烈な研究競争がくりひろげられている或る分野でノー ベル賞を受賞した米国有名大学の某教授は、教授会等の会議は「研究の障害」 だとして一切出席を拒否しているという話を新聞で読んだことがある。ノーベ ル賞級の学者になると研究活動を盾に会議をさぼれるのかも知れない。 しかし、普通の学者はそこまで強気には出られない。
私の知っている某教授は、会議の出席要請や雑用が降りかかってくると、 すかさず、今から来客があるだの、これから別の会議に出なければならない だの、今夜は自宅で用事があるだの、町内でご不幸があって今夜は受付等の 係りをやらないといけないだのとか言い出して、上手に逃げている。 相手に疑う隙を与えないよう間髪を入れずにさっと言うことと、たとえ 怪しまれても真偽の程を簡単には検証できないような言い訳を持ち出すところ がミソのようで、私もその芸術的ともいえるノウハウを学んで、例えば、 町内会長を押し付けられそうになった時の自己防衛の方法として応用してい みようかしらと考えている。
しかし私の弱点は、両親から「正直者の頭(こうべ)に神宿る」と言われ て育てられてしまったため、基本的には何でも正直に言えば良いと考える習性 があることである。新入生を前にして学科長の挨拶を求められても、 その日会ったばかりの人たちに「入学、おめでとう」などと心にも無いことは 決して言えないし、今度の卒業式でも、教室で寝ている姿しか見たことの無い、 名前も知らない人たちを前にして「卒業、おめでとう」と言うことはあり得ない。
さりとて人生、正直一本槍では色々無理があるので、正直 ではないかも知れないが嘘はついていないというギリギリの線で最善解を求め るべく、悪戦苦闘しなければならなくなる。この悪戦苦闘に価値はあるのか?
白状しよう。夕方、会議に出席するように求める電話が掛かってきたとき、 私は学科長業務のある資料を作っているまっ最中で、どうしてもその場を離れたく なかったのである。それで「今、ちょっと来客中なので。。。」と出席を断っ てしまった。その瞬間、初めて煙草を吸った時のように、体中の血管に毒が駆 け巡るような気分に襲われた。
心が毒に慣れっこにならないためにも、「悪戦 苦闘」はやってみる価値があるかも知れない。それとも、自分の時間を確保 するためには、毒漬になる事を厭ってはいけないのか。
ひとつの良い方法として、例えば、研究室に飾ってある「ハロー・キティー おいでやす暖簾」をじっと見つめて、「今、ちょっと来客中なので。。。え? 誰が来てるかって?実は今、私の心の中にキティーちゃんが来てるんです」 と言うべきところを省略して最初の部分だけ言っただけさ、ということに しておくとか。正直ではないけど、嘘はついてないもんね。何?自分自身に 無理矢理嘘ついてるじゃないかって?瞬殺却下!
2007年2月5日(月)
<<学科長困憊>>
午後、某採用面接試験を行うため、昼頃出勤。夕方から夜にかけては、定期試
験の採点と成績表作成作業。それやこれやの前後や合間には、学科長いろいろ
雑務。いろいろ雑務の間には色々なことが起こるもので、某人物による「意味
の分からない発言」への対応に追われたりもした。学科長精神的困憊の日々を
送る私は導火線が極端に短くなっているため、ちょっと洒落にならないほど
本気にキレる。帰宅は23時前。
それにしても、最近、公私ともども色々な人の言うことの「意味が分から ない」のだが、学科長のストレスで若年性認知症でも発症したのかしら。ある いは、数学者の職業病みたいなもので、ある種の思考方法にのっとったことで ないと物事を理解出来なくなっているのかも知れない。例えば、工学の人はよ く、モノのイメージを示してもらわないと話が理解できないと言うけれど、数 学者の多くは抽象的な概念がきちんと組み立てられていないと、物事を理解で きなかったりする。そんな風に、人それぞれ固有の理解の形式を持っているの だろうと思う。
「意味が分からない」の意味はいろいろで、数学者、非数学者、男女を問わずに、 近々の具体例をざっと思い起 こしても、 (1)主語や目的語を自由自在に省略して話す癖があるので、そもそも言葉と して意味が分からない、 (2)言葉としては意味が通じるのだが論理が支離滅裂なので、結局意味が分 からない、 (3)言葉も論理もちゃんとしているのだが発言内容が小学生レベルなので、そ の人の年齢と内容のギャップの意味がわからない、 (4)言葉も論理もちゃんとしているし年齢相応の事を言っているのだが、何 か大きな勘違いに固執しており、それに固執する意味は何なのかがわからない、 さらに変わったパターンとしては、 (5)ある種の言葉を聞くと突然反応し、単なる揚げ足取りとしか言いようの ないモノローグが無限ループで続いて誰も止められなくなるという発作 が起こり、一体この人の存在は何なのか意味がわからない、 ってのがある。以上、全て実在の人物の描写ってところが恐ろしいという べきか、人の世の面白さと言うべきか。
これらを面白がり楽しめるかどうかは、 ひとえに、その時どきの私の導火線の長さに依存するが、私は 数学研究のための静かな精神環境の維持を第一に考えるので、導火線は あまり長い方ではない。 通常は、腹が立って後で勉強ができなくなるのを避けるがめ、 意味の分からないことを言い出しそうな人には最初から近寄らないのだが、 学科長やっているとそうとばかりも言ってられないし、学科長でなくても 面白半分というか、恐いものみたさで、そっと近寄ってみることもある。
2007年2月4日(日)
<<学科長哄笑>>
入試の採点が始まったそうだが、私は学科長ゆえに免除され、本日、野暮用の
日曜日。そして夜は少し数学。
数学教室では、学科長が採点免除特権を返上して、皆さんと一緒に採 点作業に参加するという麗しき伝統があるそうだけど、近年は受験生が減って 採点がそれほど大変でもなくなったことも手伝ってか、幸い免除特権を返上し てくれないかという打診は無かった。打診されても、その時の機嫌次第ではぶ ち切れて蹴飛ばしてたかも知れないけどね。
そりゃあ、年に50回以上学科長会議に引っ張り出され、うち半分はこの 程度の議題でいちいち万障繰り合わせで引っ張り出されるのか?と頭を抱え、 残りの半分はこんな厄介な宿題をどうやって処理すればいいんだよう、学科長 苛めもほどほどにしろ!と頭を抱え、さらには学科長人気者メールが雲霞の如 く押し寄せてあれをしろ、これもやっとけと五月蝿く、電話が掛かり、ドアが ノックされ、廊下で捕まり、通訳が必要な日本人とトンカチ片手に粘り強い議 論をし、突発的な不測の事態に対応し、一筋縄では行かない人々の対処に頭を 痛め、有酸素運動に励み、バンジージャンプで事務室に行き戻りし、ミンナニ デクノボートヨバレ ホメラレモセズ クニモサレズ ソウイウモノニ ワタシ ハナリタかったのか?
その上にさらに入試の採点と来れば、いよいよ私としてはハハハハハハハハ ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハーと哄笑しながら、その辺に火でも 点けて回るしかない。狂人の真似とて大路を走らば、すなはち狂人なり、と。まあ、 採点免除を喜ぶのは、これ以上研究以外の仕事を押し付けられるのは御免だと いう事よりも、しばらくの間、人間の顔なんか見たくもないという事の方が大 きいな。
人間嫌いの引き篭もりの友は、 昨日入手した 室内楽曲団コンソーシアム・クラシカムとディーター・クレッカーの 「ハンス・フィッツナーの四重奏・六重奏曲」 および、ディーター・クレッカーらの クラリネット協奏曲集(ハイドン)など。ハイドン(Joseph. Haydn) なん て、いかにも古臭そうでカビの生えたカチンカチンの音楽だろうと敬遠してた けど、こんなに伸びやかで生き生きとしてるとは、意外。このCDでガラリと考 えが変わってしまった。まあ、モーツァルトと同世代だから、J.S.バッハやテ レマンやヘンデルの方がよっぽど古い時代の人なんだけどね。
2007年2月3日(土)
<<学科長憤怒>>
ゲーテの日である。謎の広告代理店社員氏によれば、今日の私はずっと何かに
怒っているように見えたという。そうです、私は世界の全てに対して怒ってい
ます。「世界の全て」に例外はありません。勿論、私自身も、そして貴方も
含まれているのですよ、と。夜はスポーツクラブ。
こんな夜には、何と言ってもディーター・クレッカーである。 「ベートーヴェン作品〜クラリネット編曲集」および 「20世紀のクラリネットVol.1」.
2007年2月2日(金)
<<学科長苛め>>
高飛び雲隠れで、少しは生気を取り戻した。
午後、勇気を振り絞って久しぶりに出勤。実は午後一番に会議があったのだが、
その必要が無くなって、急遽中止。予定よりゆっくりと大学に到着し、
郵便ポストに溜まっている約一週間分のゴミの山を掻き出し、学科長宛の
不穏学内便だの不吉資料だのが混じっていないかチェック。
ゴミの中にあった 雲隠れ中に開かれた定例学科長会議の資料を見ると、この程度の議題でいちいち 会議開くかね?といった内容。しかし考えようによっては、少なくとも悩ましい 「宿題」は出ていなかったのが幸いか。今はもう大学全体が入試モードになって いるので、か弱い学科長を苛めて喜んでいる暇は無いのだろう。良いことだ。
ゴミ仕分け作業の傍ら、事務の人と色々事務的打ち合わせ。その後研究室 にて学科長久しぶりにメールびしびし飛ばします仕事などの後、15時より1 8時前まで院生O君と研究ゼミ。その後またしばし雑用の後、帰宅。自宅PCに 某先生から学科長宛不穏メールが届いていた。まあ、私が危惧していた通りと いうか、想定の範囲内なんだけど、どうしたものか。 苛める者が居なければそれで万事オーケーと考えたのは、甘かったな。
2007年2月1日(木)
<<学科長亡命>>
夕方、高飛び雲隠れより無事帰還。日々雲霞の如く押し寄せる学科長職のあれ
やこれやから逃れ、まとまった研究時間を確保するには出張するに限る。
偉い先生などは、研究集会に出張している数日間で論文のネタを1つか2 つ仕上げてしまうようだけど、偉くない私にそんな芸当ができるわけでもなく。 しかし、毎日、研究集会の講演を聞く一方、ホテルに帰ってからもせっせと文 献を読み、これまで書き散らしたメモを整理し、研究ノートを書きまくりといっ た数日間を過ごし、正月以来の疑問を解決して今後の方針を立てることができ た。
それにしても、私の不在の間にどんなロクでもない事が起こっているかと 思うと、このまま学科長亡命でもしてやろうかしらと思いながら雲隠れしてい たのだが、帰宅後恐る恐るチェックしたメールには、不穏な内容のものは無し。 ただ、出張前から燻っていたある厄介な問題の解決を、某先生に委託しておい たのだが、結局うまく行かなかったようだ。
出張の友は、出張直前に「高飛び雲隠れの景気づけに」と ままよ!の衝動的一気入手した、カリン・ドルンブッシュの 「現代音楽集」と、 以前からJEUGIA三条本店での入念な事前調査で目をつけていた、 ディータ・クレッカーとヴァルデマール・ヴァンデルのクラリネット二重奏も楽しい クラリネット協奏曲集(ハイドン)など。
カリン・ドルンブッシュは "Nordic Clarinet Concertos (北欧系クラリネット協奏曲集)" のときは、いまいち?かと思っていたが、 「現代音楽集」は 結構面白い演奏がたくさん入っていて、 特にB. マルティーヌとL. バーンシュタインの 「クラリネットとピアノのためのソナタ」や S. ライヒの「11本のクラリネットのためのニューヨーク的対位旋律?」 (New York Counterpoint for 11 clarinets)は素晴らしい。