の
た
め
の
邪
魔
な
広
告
よ け ス ペ ー ス で す。
2007年12月30・31日(日・月)
<<沈みゆく大学教員>>
全世界を敵に回して戦争をしている私も年に一度は休戦して、30日は年末恒
例の高田中学3年コースの同窓会。去年かなり体調が悪そうで、あいつ、今年
はマジで死んでるやろなと皆が思ってた2人が生きていて、まずは「おー!お
前、何で今、生きてんねや?アホか」と挨拶し、再会を喜び合う。この身も蓋
も無いえぐい言葉の肉弾攻撃が高田流?
我が人生を振るかえるに、蒙昧の泥沼にまどろむ小学生、元気溌剌な天真爛漫 中学生、頭のおかしい高校生、打ちのめされた予備校生、面白うてやがって悲 しき大学生、デカダンスに走る会社員、意気揚々たる国立研究所研究員、精神 を病んだ会社員、沈みゆく大学教員。かように人生の紆余曲折が積み重なって くると、誰がどの時代の友人だったかわからなくなってくる。そして、これが 何の同窓会だったかも忘れて、「そうか。じゃあ、君はもしかして中学は橋北 中学校だったっけ?」と至極真面目に聞いてしまい、激しくウケしてしまった。 まあいいや、兎に角ウケたんだから、よしとしよう。
31日の午前中は津市内で野暮用の後、いつもの店で鰻三昧昼食。客が5, 6人入れば一杯になるような小さな店だが、最近地元のテレビで取り上げられ たらしく、何かそれに浮かれているのか店の雰囲気が少し変わっていた。まあ、 あの味だけはしっかり守ってもらいたいものだ。昼食の後、そのまま近鉄に駅 に向かい、京都に戻る。
この2日間、数学については、件の具体例の計算法の一部がどうしてもわ からず、駅のホーム、電車の中、路上、朝食をとった喫茶店、久しぶりに酒を 飲んで人前で喋ったため神経が昂ぶって熟睡できないホテルのベットの中など で、頭の中で式を色々いじりまわしては溜息を付く。わからん、と。2007 年中にはとうとうわからずに投げ出し、2008年に持ち越すことに。そして 新年はラヴェルを聴きながら迎えた。
2007年12月29日(土)
<<年末の気分>>
冬休み4日目。午前中は雨。静かな朝ゆえか11時半まで爆睡。Deutche
Welle を30分ほど聞いて、それから数学。今日は、以前からどうやって計算
するんだろうかと疑問に思っていた具体例に取り組むも、いまひとつよくわか
らず。午後は晴れたので、夕方頃から山科駅前Sbux、ラクト山科や西友山科店
などで買い物など。夜は今年最後のスポーツクラブ。帰宅後、年末の気分に何と
なく合いそうな J.S.Bachのマタイ受難曲(Matthäus-Passion)などを聴き
ながら、なおもくだんの具体例の計算に挑むもやはりよくわからず。
明日は鰻を食べるついでに中学の同窓会に出るため、帰省。次回更新は明 後日以降。
2007年12月28日(金)
<<どっちも嫌や!>>
冬休み3日目。終日雨模様。少し遅めに起きて、Deutsche Welleを30分ほど
聞いて、それから数学。昨日プリントアウトしたノートを突っ突きまわす。さ
さやかな進展があった。
途中、山科駅近辺に買い物に出たついでに、山科駅前Sbux でしばらく滞在。
私の左隣では専門学校かどこかに通って洋菓子作りを習っているという2 1歳の女の子が、30過ぎの太った男に付き添われて、オノ・ヨーコみたいな 風体の飲食店関係経営者の女性から就職面接を受けていた。受け答えのしっか りした人当たりの良い子だけど、最近は人当たりよろしく適度に爽やかにして ないとすぐに学校でイジメにあうそうだから、この頃の若い子はそういう面で は既に百戦錬磨のツワモノだろうと思う。それにしても10月に京都に来たば かりで、まだ西も東もわからないし、今度河原町何条のナントカの店に来てく ださいと言われても、どうやって行けば良いかわからないというけど、地図を 見れば済むことじゃん。
洋菓子作りか。クリスマスが終ったばかりだけど、毎日、朝昼晩とケーキ を食べて暮らせたらどんなに幸せだろうかしら。
そうこうしているうちに、今度は右隣の席が何やらキャッキャと騒々しく なってきた。「金持ちで汚い男と、貧乏で美しい男のどっちを選ぶ?」「えー?! 究極の選択ね」「私なら金持ちで汚い男を選んで、私の力で美しくしてみせる わよ」「わー、それ賢い!」と。ははあ、ティーンエイジャーの会話だな。 「メタボの管理なんかもちゃんとやったりしてね。」は?メタボ?ふと横を見 ると40代ぐらいの女性が二人。自分達の娘の話でもしているのかと思ったが、 そのような形跡は見出せなかった。40代の女性の会話とはとても思えんな。 まあ、楽しそうにしてるんだから、いいか。
ティーンエイジャーの「究極の選択」と言えば、別の人から聞いた話では、 「貧乏な家に美人の娘として生まれるのと、金持ちの家に不美人な娘として生 まれるのとどちらを選ぶ?」というのがあるらしい。その会話を何人かでして た時、ひとりの美人系の女の子は、私は貧乏でも美人の方が良い。美貌さえあ れば将来お金持ちにのし上がれるからと答えたという。女の子はこういう思考 実験を繰り返して大人になるのだから、大変なもんだと思う。
しかし私もティーンエイジャーの頃は友人達と 「男前のどアホに生まれるのと、醜男の天才に生まれるのと、どっちが良い?」 と聞き合って、私はいつも「どっちも嫌や!俺は男前の天才に生まれたい!」 と答えていたように思う。
そういえばティーンエイジャーの頃に限らず、今だって 「毎日ケーキと饅頭と鰻丼三昧でメタボって早死にするのと、 粗食の日々で長生きするのと、どちらが良いか?」 とか 「フランス語は上達するけれどドイツ語を忘れてしまうのと、 フランス語は上達しないけれどドイツ語は忘れないのと、どちらが良いか?」 とか 「大定理を発見して短命に終るのと、ゴミ論文ばかり書いて長生きするのと、 どちらが良いか?」 とか 「学科長はやらなくてよいけど学部長なれと言われるのと、 学科長をやってくれるなら学部長は免除してやると言われるのと、 どちらが良いか」 と聞かれたら、どの問いに対しても「どっちも嫌や!」としか答えようがないな。
2007年12月27日(木)
<<対抗心ムラムラ>>
冬休み2日目。午前中はメールのチェックをして少しDeutsche Welleを聞いて
から、数学。ここ数ヶ月断続的に行ってきた計算やそれに関連して勉強してき
たことを纏めたノートがとりあえず完成し、プリントアウト。ああ、また数十
ページの「別にどうってこともない修士論文」レベルのノートが出来上がって
しまった。この先どいいう風に進めて行けば良いやら。
それから散歩に出て、山科駅前Sbuxで先週分のフランス語の復習を終える。 そのまま京都駅方面に向かい、アヴァンティーのサンリオショップをチェック してから文房具店で買い物をして、さらにブックセンターを冷やかす。
ブックセンターで「アホでも数学者になれる法」(足立幸信)を見つけた。 な、なんだよう!このタイトルは?著者は数学科崩れで会社勤めを何年か経 てから数学者に返り咲いた人らしいけど、それなら私だって同じだし、アホ自 慢なら負けちゃあいねえぜ。だって、この人は京大の修士卒だから私に言わせ れば全然「数学崩れ」じゃないし、会社勤めも7年しかしてなかったらしい。 それに対して私は、院試落ちまくりの一浪学部卒で9年間会社員、さらに大学 の工学部で7年間計算機屋をしてたんだぜ。勝ったね、どんなもんだい、ふっ ふっふ。所詮、京大数学科的な意味での「アホ」において私に勝る数学者なん て日本には居ないんだよう!と屈折し切った対抗心をムラムラさせて即購入。
帰宅後ぱらぱらっと読んでみたら、「アホ」の意味は私の理解とは ちょっと違っていたし、特に研究の方法論や心構えのところで私などには 実に参考になるような事が沢山書いてあって、勇気付けられたり反省されられ りと、大変ためになる本だとわかった。
しかし例えば、数学者の半分は意地悪だが残りの半分は親切だから、研究会 などで皆と楽しくやってゆくべしというようなことも書かれていて、シンポジウム に参加するたびに憂鬱になって帰ってくる私としては、どうすればいいんだよお! と叫びたくなる。著者は、世の中の半分の人々は真面目に相手したくないそうだけ ど、私の場合は真面目に相手しても良いと思っているのは世の中の3%ぐらいと 思うほど人格がねじくれ切っているので、その辺りの違いがこういうところに影響するの だろう。
2007年12月26日(水)
<<恐怖政治?>>
冬休み1日目である。午前中はL'etrangerを少し読んだりDeutsch Welleを見
たり。午後から夜にかけては、数学。以前からやっている計算を少し進める。
途中、山科駅前まで散歩に出掛け、Sbuxで先週の日仏学館の授業ノートの整理。
そういえば大丸ラクト店1階のドンクで、ギャレット・デ・ロア(Galette de
Roi)のケーキが売られていた。
某大学で教えている友人からクリスマス・カードが届き、この3月でやっ と2年任期の某巨大雑用委員から解放されるのだが、「ほとほと疲れました」 と書かれていた。2年任期とは可哀想に。学内行政で苦労した人の中には、トッ プダウンの強権的な学内運営が良いと考える人も少なくないように思えるが、 それは好き勝手な我侭ばかり言う教員相手の調整役で苦労した反動だろうか と思うことがある。私の友人も10数年後には学長か理事長にのしあがって、 恐怖政治を敷いているかも知れないな。
2007年12月25日(火)
<<捏造?>>
仕事納め。クリスマス・ケーキとコーヒーだけの朝食という、年に一度の夢の
ような一日の始まり。午前中は数理科学科4回生の授業。今日で定期試験の範囲
まで終ったものの、年明けにまだ2回授業がある。学生達は来るかどうか知らな
いけれど、兎に角あと2回はこういうテーマで話をすると予告し、「特に、M君は
ちゃんと聞かなきゃ駄目だよ」と釘をさしておく。だって、特に今度の4月から
大学院に進学するM君向けの話なんだし。
研究室コソコソ昼食の昼休みに、EUの学会から依頼された論文レビュー2 つ目の下書きを完成させる。午後は4回生M 君の卒研ゼミ。その後、恐らくM 君だけは聞きに来るであろう年明け2回分の講義のネタ仕込み。帰宅後は、論 文レビュー2件分をTeXで清書してメールで送り、今年の業務完了。
去年の今頃自分は何をしてたんだろうと思って時々日誌を読み返すのだが、 今年の私はずいぶんテンションが下がっているように思える。要するに学科長 で燃え尽きたってことなのかも知れないけど、本人の気分としてはこうだ。つ まり、学科長をやらされて脳味噌が歪み世界の見え方がガラリと変わった。す ると世の中の色々なものが実は私にはどうでも良いことだと分かってしまった。 そこで、どうでも良いことをどんどん切り捨てて心のリストラをしていったと ころ、虚飾を捨て去った爽やかな気分になれるかと思ってたら、いつの間にか全世 界を敵に回して戦争してた。何でこうなるのよ?それってテンションが下がっ たっていうか、単に凶暴になっただけじゃないかい? と。
え?お前、もしかして、 話を面白くするために自分のビョ−キを捏造してるんじゃないかって?真偽の ほどは各自で確かめられたし。
2007年12月24日(月)
<<クリスマスの発作>>
クリスマス・イヴである。午後は京都市内某所で行われたクリスマス・コンサー
トに出掛ける。内容的にはいまひとつ乗らなかったのだけど、まあ、全世界を
敵に回して戦争をするには世界の実相を知るべく調査活動が必要だと判断し
て、行くことに決めたのである。
コンサートでは、夜勤明けの疲れ故か、追い詰められたコアラのような顔をし た私より少し若い某内科医が、リポビタンDをぐっと飲み干し、観客席で妻子 が見守る中、ふらふらになってジャズピアノやリクエストに応じた即興演奏、 はてまたシンセサイザーを使った合唱や朗読の効果音や伴奏役をしていた。私 はラプソディー・イン・ブルーをリクエストして弾いてもらった。
それ以外には、親子娘婿ほか2名の合唱団が、わざわざニューヨークまで 探しに行って入手したという楽譜で、クリスマスにちなんだいくつ かの歌を歌っていた。え?ジョン・レノンのハッピー・クリスマスの楽譜って JEUGIA に売ってないの?ま、そんなことはどうでもいいか。
それにしてもハッピー・クリスマスの「あなたがそれ望めば、戦争は 終らせることができる」という歌詞はいかんな。誰が好き好んで 戦争なんかするもんか。俺だって、神と和解して 天国に召されたいとは思わないけど、全世界と和解してもうちょっとヘラヘラ と生きたいものだといつも思ってるんだぜ。
ま、兎に角楽しい「はず」のコンサートであったが、そこに居た一人のオジサ ンに目が釘付けになり、また発作が起こってしまった。その人とは話したこと も無いから何の恨みツラミも無い。勿論、彼には全く何の落ち度も無く、まあ、 年相応にしょぼくれてはいるが、どちらかといえばハンサムな方である。ただ、 私が嫌いなタイプのオジサン顔で、自ら墓穴を掘るが如く怖いもの見たさで目 が釘付けになり、最後には気分が悪くなってきたのである。
学科長時代に酷い目にあった、例えば昨日紹介した頓珍漢野郎や嘘つき狸 に似ているというなら話は簡単だが、そんなのでも無さそうだ。私のオ ジサン嫌いの根は深く、かつ、不可思議である。
夜は、発作を忘れるべく晩御飯そっちのけでクリスマス・ケーキを食べ、 ワインをがぶ飲みする。少し酔いを醒ましてから、EUの学会から依頼されてい た論文レビューの仕事を1つやっつける。
2007年12月23日(日)
<<ピアニストの手>>
今日も年末バッハを聴いてすごす研究日。午前中から夕方近くにかけて、前か
らやっていた計算を少し進める。夕方は大丸ラクト山科店や京都市役所前ゼス
ト御池で買い物。さらに少し足を伸ばしてジュンク堂河原町BAL店に少し立ち
寄って、フランス語の文法書を物色。まあ、20年や30年でフランス語文法
が変わるわけでもないし、今持っているずっと昔に買った本で間に合いそうだと
の結論に達し、何も買わずに帰る。
ジュンク堂BAL店と言えば、ハロー・キティーのお話ロボットが置かれてい るのだが、今日も挨拶をしたのにちょっと小首をかしげてこちらを見るだけで、 返事してもらえず。このつれない反応は前と変わってない。 ハロー・キティーに好かれない私は、寂しいであります。
夕食に少しワインを飲みすぎたけれど、夜も少しだけ計算の続き。その前 に珍しくテレビで若手漫才師が漫才バトルをする番組を見た。まあ、先日論文 の受理通知が届いたときはしばらく幸福感が続いて、世界はあくまで美し く路傍の石までが私に微笑みかけているように思えたけれど、 こんなことがそう長続きするわけでもなく、一週間ぐらいしたらまた全世界を敵に 回して戦争しているようないつもの気分に戻ってしまった。
こうなる と漫才を見るかドーパミンのぶっとい注射を頭に打ってもらうとかしないとな かなか気分が晴れない。これはやっぱり学科長の後遺症だな。1年ぐらい経つのに、 まだ治らない。道を歩いている 時にもふと悪いオジサンたちの顔が次々と思い浮かんできて、むしょうに腸(はらわた)が煮 えくり返ってきたりする。あの頓珍漢野郎め、地獄に堕ちろ!とか。あの薄汚い 嘘つき狸め、釜茹でにして踏み潰して狸汁にして食ってやろうか!とか。
それからDeutsch Welleの30分ほどの番組を1つ見た。
グレン・グールドについては、 5月19日の日誌にも、平均律クラヴィーア曲集は トン・コープマンのチェンバロより綺麗だと、12月21日と同じ事を書いていた。 それから、今日は この顔は紛れもなく芸術家の顔だと思ったけど、それも 5月19日の日誌に書いてあった。それにしても、グールドって手首から先が異様に長いな。 これがピアニストの手ってもんかい?
2007年12月22日(土)
<<聞き間違い?>>
関西日仏学館、秋学期の最終日。火事場に飛び込む前に水を被るが如く、起き
がけにまずは
リトル・バッハ・ブックでドイツ的気分を盛り上げてから、いざ関西日仏
学館に突撃。何故そんなことをしなければならないのかは、自分でもよくわか
らないけど、たぶん「貴方は中級の後半クラスがお似合いね」がよほどこたえ
ているのだろうと思う。その効果はてきめんで、授業中に例によってフランス
語の積もりでドイツ語を喋っているという発作が炸裂しまくって往生した。
先生が、1月に関西日仏学館の行事としてギャレット・デ・ロア(Galette de Roi) をやるから受講生の皆さんはふるって参加してくださいとアナウンス していた。何でもキリスト誕生時の東方の三博士の訪問を記念する祭りだそう で、ドイツでDreikönigsfest (三人の王様の祭り)呼んでる1月6日の祭の フランス版と思われる。その日はgaletteという伝統的なケーキを焼いて食べ るのだそうで、自分用に切り分けられた分のケーキの中に(1個だけ仕組まれ た)空豆か陶器の人形が入っていれば、その人が「王様(roi)」または「王女 (reine)」となって「パンが無ければケーキを食べればいいじゃないの」 という台詞を言わされてギロチン台に送られるのだそうだ。(勿論、ギロチン台云々 は私の創作だから、良い子は信じないように。)
私は「人間やめますか?ケーキやめますか?」というぐ らいケーキが大好きだし、先日潜入したゲーテ大阪のクリスマス会 (Weihnachtsfeier)は散々だったし、関西日仏ではクリスマス会(fete de Noel)はやらないようだから、一応ギャレット・デ・ロアの参加申し込みをし ておいた。
夜はスポーツクラブ。その後、耳の奥で鳴り響く「貴方は中級の後半クラ スがお似合いね」を振り払うかのように、Deutsch WelleのVideo on Demandを 1本見て、またバッハを聴いて、L'etranger を少し読んでから寝る(積もり)。
ところで私を悩ます「貴方は中級の後半クラスがお似合いね。Sie sollen in einer Klasse auf der höheren Mittelstufe lernen.」 は、実は「(上級クラスが無くなったのなら)中級の後半クラスで勉強しても いいんじゃないの。Sie können in einer Klasse auf der höheren Mittelstufe lernen.」の聞き間違いじゃなかったかという気も してきた。しかしこの発言の前に「ドイツ語の検定試験を受けたか?Haben Sie die Prüfung gemacht?」と聞いてきたから、貴方のそのドイツ語じゃ あ中級終了試験ZMPはパスしないだろうし、中級レベルからやり直せばあ?という 意味で、やっぱり聞き間違いじゃあないと思うんだけど。まあ、今となっては 真偽のほどは確かめようがない。
2007年12月21日(金)
<<年末はやっぱりバッハだぜ!>>
年末の研究日。今日は技術的問題はとりあえずおいて、自宅や数理研図書館や
路上にて、私は一体何処から来て、今何処に居て、何処に向かうべきなのか?
という根本問題について思いを馳せる。
それ以外では、「貴方は中級の後半クラスがお似合いね」と言われた私 としては、ある種の危機感を募らせつつ、午前中は久しぶりにNHKラジオのド イツ語ニュース・インターネット版のサイトを覗いてみた。しかし何と!9月 末で放送廃止になっていた。ゲーテ京都は潰れるわNHKのドイツ語放送は廃止 になるわで、一体どうなっているのだと、
気を取り直して今度は久しぶりに Deutsch Welle のサイトを覗いてみたら、これは前よりずいぶん良くなっていた。以前は例えば Video on Demand の画像はほとんどまともには映らなかったけど、今は大幅に改善 されてテレビを見ているのとほとんど変わらない。クリスマス直前のドイツの 街の様子を伝えたニュース特集を見て、ああ、もう年末なんだなと初めて実感し た。
京大数理研図書室から帰る途中、例によってJEUGIA三条本店に立ち寄った。 年末といえば、やっぱりJ.S.バッハかな。と、グレン・グールドの1981年版のゴールドベルク変奏曲 とリトル・バッハ・ブックを一気購入。 ゴールドベルクは既に1955年版のコンピュータに よる再演 を持っていて、これを買った時は1981年版をそれほど美し いとは思わなかったのだけど、今日ちょっと試聴してみたら、ちょっとびっく りするほど綺麗な演奏だと気付いた。それにリトル・バッハ・ブックに一部収 録されている平均律クラヴィーア曲集第一巻も、コープマンのチェンバロ版で聴いた時はもっと 厳格でかつ退屈な曲だと思っていたけど、このグールドのピアノ版はとても生 き生きとしている。
夜はバッハを聴いて頭の中を無理矢理ドイツ的にして感覚武装し、 L'etrangerの独仏・仏独辞典を使った再読など数学を離れてのんびりと。
2007年12月20日(木)
<<ただのジジイになる>>
研究日。今日の目標は、関西日仏学館冬学期の講座申し込みと学位論文副査関
連の準備に目処をつけること。
昼前に関西日仏に着き、図書室で先日借りたCDを返却し、窓口で1月か らの講座の申し込みを済ませる。もうちょっとレベルの高い講座に移ってもい いかなとも思ったけれど、L'etrangerも読みたいし、大阪ゲーテの先生に喧嘩 売られたように、日々忘れゆくドイツ語対策も何とかしたいし、色々大変な今 日この頃なので、結局今受講している講座の続きに相当するものを選んで、あ まり背伸びせずにのんびりやっていくことにした。
その後、京大ルネで昼食を済ませ、数理研図書室で夕方まで数学。それから 関西日仏のカフェに移動してまた少し数学。帰宅後、夜もまた数学。 そして学位論文 の内容を、どうにか副査が勤まる程度には理解することができた。さらには、 この仕事にかこづけて、自分の研究に関連するある基本事項の勉強もできた。 明日からまた自分の研究に戻りたいけど、EUの数学会から依頼された論文レ ビューの仕事が2件残っている。そろそろ片付けないといけないんだけど、ど うしようかなあ。
先日の日誌で「引退数学者」という言葉を使ったけれど、これは「もはや 研究をやめてしまった(元)数学者」--- エルデス流に 言えば「死んだ(dead)数学者」--- という意味で使っている。
私は、例えば、もう10年20年と映画を撮ってない人が映画監督って呼 ばれたり、多分今後もう宇宙には行かないと思われる人が宇宙飛行士を名乗って いたりするのにいくばくかの違和感を覚える。その感覚は数学者という呼び方 に対しても同じである。勿論、映画を撮ったり宇宙船に搭乗したり新しい定理 を証明することだけが映画監督や宇宙飛行士や数学者の仕事ではなく、それぞ れの段階に応じてそれ相応の仕事があるのだという考え方もあるけれど、私 は職業名の意味するところをより限定的にとらえようとする傾向があるわけだ。
ただ、本人が「もうやめた」と思っているか否か、あるいは「もうやめた」と 思われるのが嫌だと思っているのか否かがポイントだが、そういう事は本人が明言 しない限り周りからはうかがい知れない。特に、数学研究の場合「休止状態」なの か「(永遠に)やめてしまった」のかは本人ですらわからないことが多いので、少 なくとも本人が研究する意思や情熱を持っている限り研究は継続されていると解釈 し、「数学者」と呼ぶのが適当だろうとは思う。
まあ、他人のことをどう呼ぶかはどうでも良いことだけど、私も仮に長生きで きたとすれば、いずれ「数学研究なんて、もういいや」って時が来るかも知れな い。その時に自分のことを「数学者」とは名乗りたくないなっていう思いはずっと 燻っている。もはや何物でも無くなってしまった自分を認めたくないから「数学者」 を名乗り続けるのも何だか惨めで嫌だし、数学研究をやめてしまってからも自分の 中に残るであろう数学者特有の思考や物腰ゆえに「数学者」と呼ばれ続けるのも、 過去のしがらみから抜け出せない囚われの身のようで嫌だ。
爺になって何にも出来なくなったら、「私は、ただのジジイです。若い時 に何やってたかって?色々やってましたけど、大したこともしてないし、もう 忘れちゃいました」と言い切れるようになりたいなと思う。別に若い時から数 学やってるわけでもないし色々回り道してきているので、たぶんそういう風に 言うだろうと思うけど。あるいは数学以外のことをやって、別のものを名乗っ ているかも知れないし。その時何を名乗っていたいかは、秘密。
2007年12月19日(水)
<<単純さに拍子抜け>>
昨日に引き続き「高密度実装」の一日。10時40分から12時10分まで経
済・経営学部1回生配当の一般教養科目の講義。まずは後期試験問題を抜き打
ち公開し、次に先週の「25時=0時」の大ボケの訂正を行ってから、今日の
本題に入った。出席している学生がいつもより多かったのは、今日がレポート
の締め切りだったからだろう。授業の後で教卓に学生が押し掛け、100通ぐ
らいのレポートが一気に集まった。
研究室コソコソ昼食の後、事務で郵便物の整理。13時から14時過ぎま で来客。就職委員として企業の採用担当の人の応対。14時10分から15時 40分まで、数理科学科3回生の演習の授業。
この講座の第一回目に演習に使用するテキストを学生に選ばせた時、何故 彼らが3つの候補の中で最も退屈な本を選んだのか、その理由を確信したのは 1ヶ月ぐらい前のことである。それは、その場で当てられて黒板の前で初めて テキストを開き該当箇所を読んでも、何となく誤魔化しつつその場を切り抜けら れそうだと睨んだからであろう。このあたりの彼らの判断力はなかなかのもの である。しかし、これが分かった時、彼らの行動原理のあまりの単純さにちょ っと拍子抜けしてしまった。
授業の後研究室に戻り、しばらく出席簿の整理や100通レポートの集計 などを行い、17時から18時過ぎまで就職委員関係の会議。それから18時 半頃まで生協食堂で夕食の後、昼の来客の話を学生用就職情報掲示に纏めて事 務の人にメールで送り、本日業務終了。19時過ぎに家路につく。
週に2日だけ出勤して半分死んだフリしてガンガン仕事し、それ以外は大 学に近寄らないようにして数学研究に励むというのは、大学人としてほとんど 理想に近い生活ではなかろうかと思う。毎年、毎学期こんな調子なら申し分な いけれど、勿論そんなわけにも行かない。
夜は学位論文副査関係の勉強を気休め程度にやってから、L'etranger第2 部を少し読んで寝る(予定)。
2007年12月18日(火)
<<地にはいつくばる>>
午前中は4回生の講義。昼休みは研究室コソコソ昼食と色々な雑用。午後は1
4時過ぎから4回生M君の卒研ゼミ。16時前に終り、しばし学位論文審査関
連の数学の勉強。17時から19時前まで、何故かエンジン模型のグリースの
臭いがたちこめる部屋で人事面接に立ち会うことになり、任用候補者の機械工
学に関するプレゼンを2つ程聞く。それから生協食堂で夕食の後、帰宅。夜は
先週のフランス語の復習の残りを片付ける。それから学位論文審査関係の勉強
を少しだけして寝る(予定)。
ゲーテ大阪校は想像以上に狭っ苦しかったし、初対面の最初の一言が「貴 方はドイツ語検定試験を受けたか?」で、二言目が「貴方は○○レベルがお似 合いよ」と頼みもしないレベルチェックをぶちかまし、虫も殺さぬ温厚なる私 にいきなり喧嘩売って来るような語学教師が居るし、これは私の学生時代から ちっとも変わっていない大阪文化だと思うが、行き先表示に従って移動して行 くと、必ずや途中でふっと表示が無くなって迷子になるように巧妙に仕組まれ ている、超巨大JR大阪駅からの脱出に悪戦苦闘し、さらには大阪から京都に 帰るJR琵琶湖線新快速電車の席取り合戦に破れ満員電車に缶詰になり、座席 で居眠りしている乗客を40分近くうらめしく睨みつけてなければならない。
嗚呼、一体何が悲しくてそんな所にお金払ってまで通わねばならんのだ?と いう気になってくる。梅田スカイビル35階の「眺望」も特に感動しない。だ って、会社員時代に東京タワーや墨田川の花火大会が見える三田国際ビル21階 や、大阪城を見下ろすクリスタルタワー25階が職場だったから、「もう高い所 はいいや」って感じだし。私は京都で地にはいつくばって、のうのうと生きるの だ!と、今週中には 関西日仏学館の冬学期の申し込みに行こうかと思う。
2007年12月17日(月)
<<初めての買い物>>
まるで中学生のように昼前まで爆睡。何故かって、昨夜は興奮状態で午前4時
前まで起きていたからである。日頃人間との交流が少ない私の場合、シンポジ
ウムだとかパーティーだとか、中途半端な知り合いを含む大勢の人間の中に入っ
て一定時間を過ごす、などとという慣れないことをすると、異様にテンション
が上がってしまう。
人の範となるような立派な人も居れば、初対面の人間に喧嘩を売る語学 教師も居て、さらには旧知の人でも、前からちょっと変わった 人だなと思ってたけど、やっぱり変わった人だなと認識を深めたり。 それやこれやが、和や かなドイツ的雰囲気が漂うワッショイワッショイのイモ洗い状態の中で進行し、 その人波の中をアルコールとともに漂っていた私は、毎度のことながら、またも精神にかなり変調 をきたしてしまったのである。
かくして本日リハビリ第一の研究日。
朝昼兼用の食事のあと、河原町三条界隈へ。京都市役所前で野暮用を済ま せ、JEUGIA三条本店を少し偵察した後は、Sbux新京極店で夕方まで数学。 学位論文副査のための予備的勉強。この勉強は私の研究にも深く関連するので、 ちょうど良い機会である。Sbuxを出てからは、癒しを求めてアンジェ河原町三 条本店へ。
今まで美術館のつもりで通っていたアンジェで、今日初めて買い物をした。 Verlag Aenne Burda Gmbh から出ている2008年の手帳。木をデザインした イラストが美しいバックスキン風の表紙。実用性はいまひとつだけど、それぞ れの日にドイツの祝日やその日の言い伝え、諺、格言、四季折々のお菓子の作 り方、さらにはAnne Burda社から出ている雑誌の発行予定日などもさり気なく 書かれていて面白い。ドイツ製なので勿論全てドイツ語で書かれている。
総務省が決めた祝日など全部蹴飛ばして授業をやりなさいと指導している 文科省配下の大学人にとって、日本の祝日が書かれた手帳など虚しいばかりだ し、そもそも数学者に日曜や祝日など関係ない。その日が自分の研究や楽しみ のために使える日なのか、誰かのために捧げる日なのかという区別があるだけ である。だからいっその事、完全に外国の祝日しか書かれていない手帳の方が すっきりする。
夜もラヴェルなどを聴きながら、少し数学。
2007年12月16日(日)
<<みんな無事?>>
朝はゆっくり起き、昼前に近所へ買い物に出る。昼食後しばらくフランス語の
復習と宿題をすませ、夕方から大阪へ。ゲーテ大阪校のクリスマス・パーティー
に潜入して、久しぶりに生のドイツ語に触れつつ、ゲーテ大阪校の調査活動を
するのが目的である。
大阪ゲーテは一言で言って、生徒が多くて盛況だけど、フロアが異様に狭 い。京都ゲーテの4分の1ぐらいの所に、おそらく京都ゲーテの倍近い生徒が ひしめいている。クリスマス・パーティーも、通勤時間帯の京王線ほどではな いにしろ、年末帰省ラッシュ時の新幹線の自由席ぐらいの混雑の中で宴会して るようなもので、兎に角立っているのが精一杯。食べ物の有る所に移動する大 変さは、新幹線の座席を確保できずに通路に立ちんぼ状態の人々をかきわけて、 2両先のトイレに移動して用を足して帰ってくる位の労力は十分覚悟しなけ ればならない。そんな中でも私は、ちゃっかりとドイツ・ワインとビールをた らふく飲み、既に食べつくされた残飯の中からレタスとオレンジをついばみつつ、 おおいに調査活動に励んだのである。
京都ゲーテの上級クラスでお世話になったF先生は、今は大阪でも教えて いるらしく、挨拶をして少し話した。今フランス語を勉強していて、ドイツ語 とフランス語が混線して大変なんだと言うと、通常新しい言語を学んでいる時 は前に習っていた言語と混線するのが普通で、それは新しい言語の勉強が進ん で知識が安定してくると、そのような問題は徐々に起こらなくなっていくから 心配しなくて良いとのことだった。これだけでも今次の調査活動の立派な収穫 である。
さらには、ドイツ・アマゾンなどから独仏・仏独辞典の大きいのを買いた いのだけど、ドイツ関税局でひっかかって3ヶ月ぐらい届かなくなることがあ るから注文をためらっているのだと私が言うと、F先生は、私もドイツからイ ンターネットで本をしょっちゅう買っているけれど、そんな事は一度も無い。 貴方は一度そういう事があったそうだけど、そう心配せずにまた注文してみた らどうかとのことだった。有り難い情報である。
それからしばらくして、私が例によってパーティー会場を独り漂っている と、F先生が「貴方はひとりポツリとしているじゃないですか。誰かここに知っ てる人は居ないのですか?」と声を掛けてくれた。私が、「ええ、京都ゲーテ 時代に一緒だった人が一人だけいますが、その人はクラスメートとずっと話し ていて、私と話す意思は無いようなので、私も敢えて話し掛けないようにして います」と答えると、F先生は「じゃあ、私のクラスの生徒に貴方を紹介して あげましょうか」と言って下さった。この発言に私はいたく感動した。
京都ゲーテ時代からずっと思っていたことだが、この人は常に自分の立場 をわきまえ、それにふさわしい完璧な立ち振る舞いが出来る人である。語学教師 としての用意周到さや授業中の臨機応変の立ち振る舞いは紛れもなく第一級だし、 今度のパーティーでも社交の何たるかを心得たホスト役のひとりとしてのごく当 たり前の申し出とはいえ、話し相手の無さそうな私のような人間を見つけて、さ らりと然るべき手を打つあたりは見事としか言いようがない。ああ、私も早くこ んな立派な大人になりたい、、、って、もう私はオジサンなんだけど。オジサン でも遅くはないぞ。
F先生に紹介してもらったクラスの人とすこしお喋りした後、遅れてパー ティーにやってきた京都ゲーテ時代の別のクラスメートとも少しお喋りした。 その人と知り合いらしい60代ぐらいのドイツ人女性とも少し話した。
この人はどうも大阪ゲーテの先生らしかった。私は、京都ゲーテの上級クラス に何年か通っていたこと、その上級クラスが潰れたので今は関西日仏学館に通っ ていること、そして今フランス語とドイツ語がちゃんぽんになって困っているこ と。それやこれやを、ワインをたらふく飲んだこともあって益々怪しくなった 5ヶ月ぶりのドイツ語で一気にまくしたてた。するとその先生、「で、貴方は ドイツ語の検定試験を受けましたか?」と言い出すので、「いいえ。私は試験 というものが大嫌いです」と答えると、この先生「貴方は、中級の後半のクラス がお似合いね」とのたまわった。私はべつにこの先生にドイツ語のレベル判定を お願いした覚えはない。
これは要するに喧嘩を売っているのだから、すかさず「貴方は、初対面の私 にどつき回してもらいたくて、わざわざそういう事を言うのですか?」と静かに 聞き返すのが正しい。そして、相手の出方次第では「何だと?もういっぺんいっ てみろ!」「おお、上等じゃあねえか。この野郎、表にでろ!」というお約束の 展開になるのが筋であるが、そうするには余りにも私は素直でお人好しであり、 さらには、怒りを感じる中枢神経と言動を司る中枢神経が分断されているという 私自身の器質的特性ゆえに、そのような直接的な意思表明が阻まれている。
しかし世の中私のような人間ばかりじゃないはずだし、よくあの調子で今まで 無事に生きてこれたものだと思う。それとも、私が素直でお人好しだと直感した上 でああいう事を言ったのか。だとすれば私もなめられたものだ。
この先生に限らず、 30年程前、幾何学の演習の時間に「高山、お前、この問題どんな解き方して きたんや?」と聞いてきたので、ノートを見せると「何や、このどん臭い解き方は。 こんなんあかん!」と私のノートに大きく×印を描いてくれた 同級生(当時)、や、 25年程前、大学院入試の不合格発表の掲示板の前で「高山君が落第するのは別に 不思議でもないよね。ははは」と笑い飛ばしよった1年上級の学生(当時)や、 15年程前、「日本で理論計算機科学のいい研究者が見つからないんだ。高山君、 誰か知らないか?」と当時理論計算機科学でいい研究者だった私に面と 向かってヌケヌケと聞いてきた某有名大学数学教授(当時)や、 10年程前、既にそれなりの学術雑誌に数学の研究論文1本を掲載受理され、着実に 数学者への一歩を踏み出していた私に向かって、「数学者ってのはそういう風にモノ を考えないんですよね」とのたまわった過去の栄光に生きる某引退数学者も、 みーんな無事に大手を振って生きているのである。
そういえば、上に挙げた過去の例は皆 数学関係者ばかりだけど、相手の能力に対する(場合によってはかなり予断や偏見や 誤りを含んだ)否定的評価を面と向かってずけずけ言うのは、 いかにも数学者らしい言動のように思える。しかし実際そういう性癖のある 人は、数学関係者の中に散発的にみられる程度である。しかし、ずけずけとは言わない けど言いたくてしょうがないという顔をして堪えているというのを含めると、 かなりの割合に達するような気がする。これは私の被害妄想かも知れないけどね。